
はてなキーワード:プリクラとは
https://news.yahoo.co.jp/articles/c0bccab946a2cd09f76b9eae13c20420866e27af
女性とどうしても会話がしたい男が行く場所がキャバクラやガールズバーだと思っていたが、日本男は死ぬほどケチで驚くほどセコいので、女性オーナーのカフェや雑貨店、デパートの美容部員、ディーラーの女性店員に狙いを付け、買い物もせず、或いは少額のセコ買い物のみで女性の労働力をこれでもかと搾取する
さらにその小銭すら払いたくない男は、ボーリング場で頼んでもないのに教える名目で絡み、飲食店でわざわざ隣の席を陣取り絡み、ギャラリーや美大の卒展で偉そうに絡む
そしてとうとう、他人の家に侵入するという犯罪を犯してまで女性とコンタクトを取ろうとする輩のニュース
これまではカラオケ店で女性の個室に乱入する、プリクラを撮っているブースに乱入するなど、本当に有り得ないし粛清されて欲しいところだがギリギリ法律には抵触していなかった事案が多かったように思う
また82歳という年齢
その歳までこの者は一体何を学び、考え、修めてきたのか?人生の最終局面でやることが、「女と話した過ぎて他人の家に侵入」なのか?
いつも何度も言っているけど、この国は本当に終わってる
もう終わりなんだよ
男のせいで
今日は放課後にみんなでプリクラ撮りに行った。背景がめっちゃギラギラで、デコペンでキラキラとかハートとか描きまくった。携帯に送って待ち受けにしたけど、画質が荒くてちょっとウケる。
部活の先輩がiPodを持ってて、ホイール回して操作してるのを見て、やっぱり欲しいなと思った。自分のMDはまだ現役だけど、取り込みが面倒くさい。
テレビではエンタの神様がまたやってて、波田陽区のギター侍が流行ってる。クラスでも真似してる子がいて、なんか寒いけど笑ってしまった。
夜はmixiをチェック。まだ友達少ないけど、日記にコメントがついてちょっと嬉しかった。プロフィール写真はガラケーで撮ったやつで、画質が微妙。
今年の夏、数年ぶりに実家へ帰省したんだけど久々に帰ったせいでこの機会を逃すまい!と親から部屋の片づけを命じられ、ゆっくりするつもりが全然出来なかった。
仕方がなく実家の自分の部屋の掃除をしたわけだけど…机の引き出しから何やらよからぬものを発見。原稿用紙数枚分。なんとなく思い出した。自分が確か高一の時ぐらいに書いた小説もどき…。
そのまま処分しようかと思ったけど、これも何かの縁かと思い、焼き払う前にここに残そうと思って(供養の意味も込めて)、恥ずかしながら当時書いた小説をここに貼ります。
1
七月の黒板って、手のひらの汗を全部吸って、授業が終わるころにはチョークが湿気で太る。
セミは朝からミンミン鳴くくせに、ホームルームのときだけ少し黙る。
うちの担任は「ノストラダムスの書いた七の月だね」と、冗談のつもりで言うのだけれど、冗談って二回目から効かなくなるのよ、先生。私たちは1999年の夏を、テレビのワイドショーと同じ顔で消化して、笑うところは笑って、でも笑いきれない部分は教科書の下に隠す。
昼休み、廊下のどこかでPHSがピピピって鳴る。あの音は少し未来っぽい。私は机の中からMDを取り出して、宇多田ヒカルを再生して、再生の丸い矢印が自分の心臓の形に似てるな、と毎回どうでもいいことを思う。(でもFirst Loveは毎回ぜんぜんどうでもよくない。あれは心音を増やす歌)
夏の空気は扇風機の首ふりのリズムで揺れて、窓の外の雲は誰かが消しゴムで端をこすったみたいにほどけている。私は五時間目が終わったところで、ノートをぱたりと閉じて、裏表紙の端を折って、そっと立ち上がった。「保健室行ってきます」って小さく言えば、先生はたいてい止めない。保健室に行く経路で、屋上という寄り道があることは先生たちの知らない秘密の地図。
理科準備室の窓は鍵がゆるい。椅子を一脚ひっぱって、窓枠に膝を乗せ、指先で金具を押し上げる。屋上に出ると、空気が急にちゃんと味になる。すこし錆びた匂い。じんわりした熱。遠い国道のトラックの音。フェンスの金網に両手をかけて、私は深呼吸を一回、二回。七月の呼吸。あ、これは覚えておこう、って思ったとき。
「そこ、危ない」
声がした。男子の声。低すぎず、高すぎず、でも機械の温度みたいに均一。
振り向く前に、軽く手首を引かれて、私は一歩だけ後ろへ下がる。フェンスぎりぎりのコンクリ、米粒くらいの黒い影が落ちて、コツン、と音を出して割れた。殻の匂い。卵じゃない。虫でもない。もっとイヤな、硫黄の、でもどこかで嗅いだことのある、夏の終わりの側溝みたいな。
「ほら」
私の手首を放した彼は、フェンスにもたれるように立っていた。うちの学校の制服じゃない。黒い長袖。胸元に小さな紋。汗をかいていない。かわりに、視線が汗をかいているみたいに一直線。
「……なにが?」私は聞く。
「アンゴルモア」
さらっと言わないでほしい。テレビが殊更に太いフォントで見出しにしてた単語を、屋上の風のなかで日常語みたいに投げないでほしい。私は笑うタイミングを探したけれど見つからず、代わりにMDを一時停止にした。(宇多田のサビで止めるのは罪だけど、今日は免除してほしい)
「テレビのやつ?」
彼はフェンスを見上げる。その目は、黒板のイコールをまっすぐに引ける人の目。
殻、と彼が言った瞬間、さっきの黒い米粒が、煙みたいにほどけて消えた。彼は胸の紋に指先を添え、短い金属を引き抜いて、空気を一回だけ切る。刃じゃない。音だけ。なのに。地面の黒が粉になって、風にさらわれた。
「通りすがり」
教科書みたいな返事。でもふざけた感じはない。
「通りすがるには、ずいぶん正確にうちの屋上に来たじゃない」
彼はほんのすこしだけ笑う。笑い方は丁寧で、耳の形まで整っているタイプの顔。近づくと汗の匂いじゃなくて鉄の匂いがした。
「君、見えたでしょ、さっきの。普通の人は見えない。足もとに殻が落ちても、踏んで帰る」
「見えたから、何?」
「ひとりにしない」
その言い方は、なんだか“わたしの”言葉みたいで、ちょっとムカついた。知らない人に先に言われるの、好きじゃない。
「名前は?」
「湊(みなと)」
ひらがなで言われてもカタカナで言われても、たぶんこの名前は港の音がする。波打ち際で人を呼ぶ声。
湊はフェンスの外を見上げる。雲が薄く切れて、青の下に白い面が一秒のぞく。その一秒のあいだに、空が低く唸った。電車が遠くの高架をゆっくり渡るときの音に似てるけれど、もっと乾いている。私の首筋の汗がすっと引く。
「二匹目」湊は言って、私の前に立つ。
降ってくる。今度は米粒じゃない。ビー玉よりちょっと大きい、黒い丸。着地の前に割れて、内側から“何か”がぬるりと出ようとする。輪郭を持たないのに、目より先に匂いだけが肌にささる。夏の犬小屋の奥に置き去りにされたゴム、みたいな。
「息を合わせて」湊が言う。
「どうやって」
「今、君がしてるみたいに」
気づくと、私は湊とおなじテンポで息をしていた。吸って、吐いて。吸って、吐いて。二回に一回だけ、すこし長く吐く。そのリズムで、湊の金属が空気を切る。殻の破片が粉になり、風だけが残る。
「……ほんとに、アンゴルモア?」
「名前が先に来る怪物っているんだよ」湊は肩の力を抜きながら言う。「“恐怖の大王”って言葉、空気が好きなんだ。空気は、好きな言葉に寄ってくる」
そこまで聞いたところで、屋上のドアがギイッと鳴って、私は心臓を落としかけた。風より静かな足音。制服の足音じゃない。
「遅い」湊が言う。
「早すぎる」低い声が返す。私は反射でフェンスの陰に一歩引いて、ドアのほうを見る。黒いTシャツに薄いグレーのシャツを重ねた、涼しい顔の男の子。髪は長くも短くもなく、目は印刷された数字みたいにブレない。
「……え?」
「今日は偵察だけって言ったろ」と彼は湊に向かって、とても小さく眉間を寄せる。「初対面を屋上でやるの、ミスの確率上がる」
「じゃあ、屋上じゃないと見えないものもある」湊はさらっと返す。
二人は友だちっていうより、同じ地図の別ページ、という感じ。
「澪(れい)」と彼は短く名乗った。手にPHS。アンテナ二本。画面に点の地図。数字が流れて、一瞬だけ止まる。
「下、駅前に一件。夜は濃い」
「夜?」私はつい口を出す。「夜まで?」
「今日の七の月、最後だから」湊は私を見る。「帰り道、寄り道をしてもいいなら、案内する」
案内、ってすごくヘンな言い方。でも私はうなずく。喉が乾いているのに、声はちゃんと出る。
湊は金属を胸の紋に戻し、手すりに軽く触れてから踵を返した。澪はPHSを親指で弾いて、何かを送信して、何も言わずに私たちの前を歩く。三人で階段を降りると、校舎の匂いが一瞬だけ“普通”に戻って、私はその普通を鼻に詰めておこうと思った。(後で必要になる普通がある、って、新井素子の本に書いてあった気がする。気がするだけで、どのページかは思い出せないけど)
駅前は夏休みの夕方の顔をしている。ロータリーにバス、マクドナルドの前に行列、ガチャガチャの前で小学生が揉めてる、CDショップではラルクのポスター、ゲームセンターからドリームキャストのデモ音。風鈴みたいな高い音が一瞬だけして、次の瞬間、音が全部半拍ずれる。
「来た」澪が言う。
誰も気づいてない。サンダルの女子高生も、サラリーマンも、ショッピングカートを押すおばあちゃんも、誰も。
空から降りるものは影じゃなくて、空気の厚みの差。見えるのは、ここにいる三人と、そして、たぶん私だけ。
湊は前に出る。澪は周囲を見渡して、最も“記録”の薄い位置を選ぶ。道路標識の影と自販機の影が重なる場所。
「ここなら、ニュースにならない」
ある、と澪は言わないで、目で言った。
湊の肩が、呼吸といっしょに上下する。私はそのリズムに合わせる。吸って、吐いて。吸って、吐いて。なぜか一緒にやると心臓が落ち着く。(恋とかじゃなくて。いや、恋かもしれないけど、いまは違う)
殻のない降りは、匂いだけで先に来る。不意打ち。目の端で捉えるまでに、鼻が先に反応して、汗腺が縮む。湊の金属が空気を切り、澪のPHS画面の数字が揃い、私の呼吸が三拍目で長くなる。カチッと音がして、見えない何かが折りたたまれる。駅前はなにも起きなかった顔に戻る。
「——ねえ」私は息を整えながら言う。「これ、毎日?」
「七の月は毎日」湊は金属をしまう。「終わったら、少しだけ静かになる。少しだけ」
その“少しだけ”の言い方が、もう経験者の声で、私は急に怒りたくなって、でも怒っても仕方ないから、代わりに缶の自販機で麦茶を買って三人にわけた。湊は半分だけ飲んで、缶を私に返す。澪は口をつけずに、冷たさだけ指に移して返す。私はベンチに座って、残りを一気に飲んだ。
「帰り道、送る」湊が言う。
「送らなくていい」私はつい強めに言う。「ひとりで帰れる」
「見える人を、ひとりにしない」
またそれ。私はむくれて、でも、足は自然に彼らと同じ方向へ動いていた。
交差点の信号が青に変わる。横断歩道を渡る瞬間、風がすっと変わって、私は振り向く。人混みのむこう、ビルの屋上の縁。夕陽の切れ端のような光のところに、白いシャツの誰かが立ってこちらを見ていた。
まばたきしたら、いない。
「いまの」
「気づいた?」澪が初めて少しだけ笑う。「いい目だ」
「誰?」
「多分、明日には“こちら側”に来る」湊は短く言った。「きれいな顔をしてる」
家の前で別れるとき、湊は「また明日」と言いそうにした顔でやめて、「風の匂いが塩辛くなったら、上を見て」と言った。
私はうなずいて、門扉の前で一回だけ深呼吸した。玄関を開けると、母が台所でゴーヤチャンプルーを炒めていて、テレビは「Y2Kに備えて」の特集をやっていて、父は食卓で新聞を広げ、「大丈夫だよ」といつもの声で言う。
私は自分の部屋でMDを再生して、PHSのアンテナを出して、引っ込めて、出して、引っ込めて、意味のない儀式を二十回くらいやってから、ベッドに倒れ込んだ。天井の蛍光灯のカバーに、屋上のフェンスの格子が重なって見えた。
眠る直前、窓の外で、ほんの少しだけ風が塩辛くなった気がした。私はカーテンをめくって、上を見た。空はぜんぶの青を混ぜたみたいな色で、星はまだ点かず、遠くのどこかで雷の写真だけフラッシュが光った。
明日も、見える。
明日、もうひとり来る。
七の月は、まだ終わらない。
2
ワイドショーが終わって、ニュースの時間までの隙間に流れる通販の番組。マッサージチェアとか。美顔器とか。私は居間でスイカバーを食べながら、母がアイロンをかける音を聞いていた。
PHSが震えた。メール。文字数は少なく、「屋上」とだけ。差出人不明。昨日と同じ。
——行くしかない。
照り返しが強い。空気が音を立てる。セミは昼なのに狂ったように鳴いていて、私の制服は汗を吸ってもう重たい。
「来た」湊がフェンスにもたれていた。
隣には澪。無口な彼は今日もPHSを指先でいじって、画面に流れる数字を追っている。
そして——もうひとり。
髪は少し長く、色素の薄い瞳。美少年としか言いようがない顔立ちなのに、目の奥がひどく静かだった。笑ったとき、光がこぼれるというより、光が寄っていく感じ。
「碧(あお)」と湊が紹介する。
「よろしく」碧はにこりと笑って、私の袖を軽くつまんだ。指先が冷たい。
「三人?」私は尋ねる。
「四人」湊が言う。「君を入れて」
「えっ、いや、私なんて」
「見えてしまった以上、もう“向こう側”だよ」澪は画面から目を離さずに言った。
私は息を呑んだ。昨日から、すでに普通ではなくなっている自分を、もう否定できない。
——
ロータリーに人が溢れている。コンビニの前では中学生が立ち読みして、パン屋からは焼きたての匂い。バス停のベンチに座るおばあちゃんが団扇をぱたぱたさせている。
そんな雑踏のなかで、突然、音が半拍ずれる。
通りすぎる電車のブレーキ音が伸び、子どもの笑い声が濁り、セミの声が一瞬だけ空気に沈む。
「来た」澪が小さく告げる。
空から、殻が落ちる。最初は見えない。でも、確かにそこにある。私たち四人の目にははっきりと。
ビー玉より大きな黒い殻。地面に触れる前に割れ、中からぬるりと何かが出る。匂いは昨日より強烈。鼻の奥が焼ける。
「人混みの中は厄介だ」湊が前に出る。
「周波数を合わせる」澪はPHSを高く掲げ、ボタンを素早く叩いた。
「大丈夫、大丈夫」碧が私の肩に手を置いた。「君は息をするだけでいい」
殻から出てくる“それ”は、人の目には映らない。でも私には見える。輪郭は定まらず、影が水に溶けるみたいに揺れる。だけど、確かに街を食おうとしている。
「湊!」澪の声。
湊は棒を伸ばし、空気を裂いた。
刃ではなく、ただ音。だけど“それ”がたじろぐ。
碧が微笑みながら指先を空に走らせる。風の流れが変わり、影の形が折れ曲がる。
私の呼吸が、彼の肩の上下に合わせて整う。
一瞬、世界が止まった。
そして、影は粉になって消えた。
駅前は何も起こらなかった顔で、再びざわめき始める。人々は誰も気づいていない。
——
「なに、これ、ほんとに毎日?」
ベンチに座り込んで、私は麦茶を一気に飲み干した。
「七の月は毎日だ」湊が答える。
「でも、七月が終わったら?」
「少しだけ静かになる」碧が柔らかく笑った。「でも、“恐怖の大王”は終わらない。七月の名を借りてるだけだから」
澪は黙ってPHSを閉じた。その目は冷たいけれど、どこかで私を見守っているようでもあった。
私は三人を見回して、息を吐いた。
「……わかった。もう知らないふりはできない。だから——」
「ひとりにはしない」湊が言った。
その言葉は、昨日よりもずっと重く、強く響いた。
——
夜。帰り道。
商店街のアーケードにはまだ人がいた。ゲーセンの前でカップルがプリクラの袋を持って笑っている。CDショップからはELTの歌声が流れている。
「また?」私が言うと、碧が肩をすくめる。「今日は濃いからね」
次の瞬間、いなくなった。
「今のは?」
「気づいた?」澪が珍しく少し笑った。「君、ほんとにいい目を持ってる」
「……誰?」
「明日、会える」湊は短く言った。「俺たちの仲間になる」
——
ニュースは「何もなかった一日」を語っていた。
私は自分の部屋に入り、PHSのアンテナを伸ばしては引っ込め、伸ばしては引っ込め、意味のない儀式を二十回くらい繰り返した。
屋上の風がまだ、肌に残っていた。
三人の声も、影の匂いも。
そして、明日現れる誰かの姿も。
七の月は、まだ終わらない。
3
七月三十一日。
カレンダーの数字が赤くも青くもないのに、どうしてこんなに特別に見えるのだろう。
”終わる”という言葉が、宿題のノートよりも、日めくりの紙よりも、今日は妙に重たかった。
午前はやけに晴れていた。
でも午後になってから、光は濁った。セミの声がかえって甲高く響く。
屋上のドアを押すと、三人が待っていた。
湊。
澪。
碧。
「紹介する。彼も仲間」湊が言った。
白いシャツの少年は軽く会釈をした。年は私たちと変わらないのに、目の奥だけが遠い。「……雅(みやび)」と小さく名乗った。
四人の男子と、私。
屋上の風は重たくて、フェンスの金網が湿っているみたいだった。
「本体が来る」澪はPHSを掲げ、数字の羅列を見せてくる。意味はわからない。でも、ただ事じゃないことは伝わる。
「恐怖の大王」碧が肩をすくめながら微笑む。「七月が終わる、その瞬間に」
雷が鳴った。
私は一歩後ずさったが、湊が前に出た。背中越しに、彼の肩の呼吸が見える。
「大丈夫。合わせればいい」
「……どうやって」
「昨日と同じ。君は息をするだけ」
影が降りてきた。
殻じゃない。粉でもない。
“名状できないもの”が、街を覆いはじめる。
匂いが先に来る。鉄錆とゴムと、夏の終わりの湿気を全部混ぜたような匂い。
碧は風の流れを変える。
雅は静かに印のような手の動きをして、影の裂け目を縫い合わせる。
湊は棒を構え、私の前に立つ。
「……来るぞ」
大王の影は、顔を持った。
知らない誰かの顔。
でもなぜか懐かしく、私の記憶の底を撫でる顔。
「来る」澪が短く言う。
「させない」湊が返す。
影が迫る。世界が歪む。
人混みの声が止まる。時計の針が動かない。
この一瞬に、すべてが収束していく。
湊は前に出た。
「俺がやる」
「待って!」思わず叫んだ。
「君をひとりにはしないって言ったのに」
湊は、振り返らなかった。ただ、少し笑った。
「ごめん。今日は、俺だけで強がらせて」
影の中心に踏み込む。
棒を構え、全身を“蓋”にするように。
世界が一秒、無音になった。
雷鳴。
セミの声。
窓ガラスが震える。
影はたしかに消えていた。
残されたのは、三人の男子と、私。
澪は黙って画面を閉じ、碧は笑わずに目を伏せ、雅は静かに空を仰いだ。
湊の姿は、なかった。
「……どうすればいい?」私は震える声で尋ねた。
「何もしない」澪が答える。「ニュースにならないこと」
「覚えておくこと」碧が続ける。「ひと知れず、覚えていること」
雅は小さく頷いて、目を閉じた。
夜のニュースは「何も起きなかった一日」を語った。
父は「大丈夫だよ」と笑い、母は冷蔵庫にペットボトルの水を入れた。
宇多田の声が、少しだけ遠く聞こえた。
——風が変わったら、笑って。
私は、笑った。泣きながら。
翌日。八月一日。
空は夏の顔をしていた。
棒を見せ合って、当たりだの外れだの笑いあった。
でも、屋上の風は、まだ四人分吹いていた。
そして、七の月は、静かに閉じた。
15歳のころ神がいた。画面の向こうにいた。htmlタグでつくられたあわい色使いのサイト。エンターボタンを押した先で、神は大人気スポーツ漫画の二次創作をやっていた。
漫画も絵も小説もかける人だった。なにも生み出したことのない私にとっては天上人だった。天才ってなんでもできるんだ、と中学生の私は思い込んだ。神の全てが正しかった。30000hitありがとう、と神が書いていれば30000hitってすごいんだなと思ったし、ヤニが切れたと神がブログにつづればヤニなんてかっこよすぎると思った。神は私の一つ上の16歳だった。今よりなにもかもがゆるい時代、彼女の二次創作では未成年のキャラクターたちがとうぜんに飲酒し喫煙していた。そのせいかもしれない。同じサイトの中にいるキャラクターたちと神を同じ階層で見るようになって、もう強烈に憧れた。
神がサイト内のブログにつづるファッションやほんのりにおわせる彼氏の存在もこなれ感のある神の作品とリンクしていて、この人だからこれを書けるんだと思った。
まだ可視化されたオタクが少なかった時代、私にとってのオタクは自分のようにクラスの端っこでアンソロジーを読んでいる存在であり、そういう型にはまることがオタクとしてのアイデンティティを確立するんだと思いこんでいた。神はそれをひっくり返した。
そして私はあるとき偶然、神の姿を知ることになった。オタクの世界は狭い。当時メル友を探すサイトで知り合ったオタクの友人が神と少しだけ交流があり、一緒にうつっている写真を送ってきたのだ。
「隣にいるの◯◯さん(神のハンドルネーム)だよ。知ってる?」
知っているなんてもんじゃない。でも激重の憧れをさらけだすのがはずかしく、サイト見たことあるよ! くらいしかいえなかった。
写真の神は美人だった。神に美人であってほしいという私の願望によるフィルターをさしひいても完全に美人だった。当時の平成viviモデルのような派手な顔立ちで、すらっとしていてヒステリックグラマーとかディーゼルとかが似合いそうな雰囲気が高校生になったばかりの私に突き刺さった。いま振り返ればいい作品を産む人がたまたま美人だったというだけだが、そのときの自分は幼すぎて、見た目も神だから作るものも神なんだと思いこんだ。
神に倣い私はコスメを服を買い漁った。絵も字も下手くそだったけれど買い物も美容も私にとってはオタク活動の一環だった。神がブログで彼氏と別れたことをほのめかせばいもしない彼氏と別れてみたいと思ったし、神が適当な誰かと遊んだことをほのめかせばいもしない適当な誰かと遊んでみたいと思った。異性そのものへの関心というより神がやったことを追いかけたい思いでいっぱいだった。たくさん真似した。それによって得たもの失ったものどちらもあるがハリボテでもわかりやすい青春を送れたのは神のおかげだ。
それから数年を経て私は神に会うことになる。信者としてではなく「友人の友人」として、またしても広くて狭いオタクの世界を泳ぐうちいつのまにかSNSでつながっていた。
「名古屋なう」というなんてことない私のつぶやきに「うそ! ごはんいこ!」と名古屋にいた神が反応してくれて旅行先で会うことになった。
神は友人の友人であるだけの私のもとへ超多忙なあいまを縫って駆けつけてくれた。服を褒めてくれた。メイクを褒めてくれた。神を真似た結果なのだから当たり前といえば当たり前だったけれどうれしかった。おしゃれなカフェでなにを話したか覚えていない。でもはげしい自己嫌悪におちいったり、緊張してうまく話せなかったりということはなかったからやっぱり神のコミュ力がすごかったのだと思う。あとはそれに憧れ続けた私のコミュ力もそこそこだったのかもしれない。
神は次の日の私の予定を確認して、「時間作れたらちょっとだけお茶しよう」といって翌日ほんとうにやってきた。忙しいようでいつもブログにのせるような格好とは違いパーカーにミリタリーコートにデニムにリュックで髪もひとつにしばっていた。変な格好でごめんねと神はいったけれど変なところはひとつもなかった。めかし込んだ私の比じゃないくらい洗練されていた。私が背伸びしてもぜったい届かない領域にいる人なんだと見えてぼーっとしたまま帰った。
神に会ったのはその一度きりだった。ネットでの交流は続いたがいつのまにか神はオタクをやめ、つながっているSNSはmixiからTwitterの身内アカウントに変わった。ずっと楽しそうでおおらかだった神のアカウントは途中からからだんだんおかしくなっていった。
鍵の中で、神は混沌とした異性関係をつづるようになった。たくさん男の名前が出てきて誰が誰だか、何人いるのかもわからなかったし、昔と違ってぜんぜん楽しそうではなかった。気に食わない同性に対して毒を吐くようになった。バカは嫌いだとかもろな学歴主義をさらしたり別人のようになった。
激務が引き金のようだった。激務が原因で変わったのか、激務によりもともと眠っていたものが出てきてしまったのかどっちかなのかはわからない。
サイト時代は絶妙な見切れ具合でぎりぎり全貌がわからないようにアップされていた顔面も、身内アカウントではドアップで全公開するようになった。
どんなに病んでいても造形の綺麗さは変わりようがなく20後半になっても30すぎてもずっと綺麗で、眼福で、だけどそれを見るたび落ち着かない気分になった。
どうしてだろう。歳をとっても綺麗なその人を見ていまだおとなげなく焦っているのだろうか。しかし大人になった私はもうどれだけ真似ても自分が彼女になれないことを知っていたし、あとは日々に追われて真似たい気持ちを保つだけの持久力を失っていた。
そうこうしているうちにいつのまにかTwitterはブロ解されていた。あいかわらず私がオタクすぎてキモかったのかもしれないし、不要な人間関係を整理したかったのかもしれない。共通の友人とも疎遠になって二度とつながりようがなくなり、人生の半分以上追っていた神を三十路にして追えなくなった。落ち込むほどではなかったが、ふと気になってつながったままの化石としたfacebookをのぞいてみたりした。いっさい更新されていないのが常だった。そのまま日々に追われて忘れ、また思い出してのぞいてみる。変化なし。忙殺。また思い出してのぞいてみる。変化なし。忙殺。
それを繰り返しながら7年くらい経った今。いきなりfacebookのアイコンが変わった。
久しぶりに見る、新しい写真。
初めて見る40歳の神。だれかが向けたカメラに向かって楽しそうに笑っている。真っ白だった肌にはそばかすのようなしみがたくさん飛んで、とがっていた顎には丸く肉がついている。かりかりだった腕はたくましくなって、長くてつるつるだった髪は短く少しぱさついている。
神もちゃんとおばさんになっていた。
なんだかすごくほっとした。もう憧れなくて済むからか。たぶんそうじゃなかった。
「高校時代のプリクラでてきた。人生最高って書いてあった。これになりたい」
まだTwitterがつながっていたころ、病んでいる神はそんなことをつぶやいて自撮りをあげまくっていた。サイトのとけないパスワードに何度も挑むようなもどかしさを神のその姿から感じていた。いつまでも綺麗で老けない自分の姿を何度も何度も打ち込んで、すり減る前の自分に必死にアクセスしようとしているように見えた。赤の他人である私がずっと大事にしている16歳の神を神自身はもう失ってしまったんだと思うと私までもが神を失ってしまったようで悲しかったんだろう。
40歳の神は取り戻したのかもしれない。あるいは失うことに腹をくくったのかもしれない。でもそのままをうつして笑っている姿はあの美しい自撮りよりよっぽどあのころの神とつながって見える。リュックにデニムで駆けつけてくれた彼女が40歳の神の中にはちゃんといるような気がする。
でももともとhtmlタグから始まった偶像崇拝だから一枚の写真で勝手に解釈して終わる。あなたがおばさんになって本当にほっとした。幸せでいてほしい。おばさんになった私の中で16歳のあなたはずっと神様だ。
ジャンルの神とかカップリングの神とかいう言い回しはしばしば攻撃される。「原作者が神で借り物でシコってるやつは神じゃない」それは本当にそうなんだけど、それはそれとして思春期に強烈に憧れた人はやっぱり一生神だと思う。
Permalink |記事への反応(13) | 23:19
15歳のころ神がいた。画面の向こうにいた。htmlタグでつくられたあわい色使いのサイト。エンターボタンを押した先で、神は大人気スポーツ漫画の二次創作をやっていた。
漫画も絵も小説もかける人だった。なにも生み出したことのない私にとっては天上人だった。天才ってなんでもできるんだ、と中学生の私は思い込んだ。神の全てが正しかった。30000hitありがとう、と神が書いていれば30000hitってすごいんだなと思ったし、ヤニが切れたと神がブログにつづればヤニなんてかっこよすぎると思った。神は私の一つ上の16歳だった。今よりなにもかもがゆるい時代、彼女の二次創作では未成年のキャラクターたちがとうぜんに飲酒し喫煙していた。そのせいかもしれない。同じサイトの中にいるキャラクターたちと神を同じ階層で見るようになって、もう強烈に憧れた。
神がサイト内のブログにつづるファッションやほんのりにおわせる彼氏の存在もこなれ感のある神の作品とリンクしていて、この人だからこれを書けるんだと思った。
まだ可視化されたオタクが少なかった時代、私にとってのオタクは自分のようにクラスの端っこでアンソロジーを読んでいる存在であり、そういう型にはまることがオタクとしてのアイデンティティを確立するんだと思いこんでいた。神はそれをひっくり返した。
そして私はあるとき偶然、神の姿を知ることになった。オタクの世界は狭い。当時メル友を探すサイトで知り合ったオタクの友人が神と少しだけ交流があり、一緒にうつっている写真を送ってきたのだ。
「隣にいるの◯◯さん(神のハンドルネーム)だよ。知ってる?」
知っているなんてもんじゃない。でも激重の憧れをさらけだすのがはずかしく、サイト見たことあるよ! くらいしかいえなかった。
写真の神は美人だった。神に美人であってほしいという私の願望によるフィルターをさしひいても完全に美人だった。当時の平成viviモデルのような派手な顔立ちで、すらっとしていてヒステリックグラマーとかディーゼルとかが似合いそうな雰囲気が高校生になったばかりの私に突き刺さった。いま振り返ればいい作品を産む人がたまたま美人だったというだけだが、そのときの自分は幼すぎて、見た目も神だから作るものも神なんだと思いこんだ。
神に倣い私はコスメを服を買い漁った。絵も字も下手くそだったけれど買い物も美容も私にとってはオタク活動の一環だった。神がブログで彼氏と別れたことをほのめかせばいもしない彼氏と別れてみたいと思ったし、神が適当な誰かと遊んだことをほのめかせばいもしない適当な誰かと遊んでみたいと思った。異性そのものへの関心というより神がやったことを追いかけたい思いでいっぱいだった。たくさん真似した。それによって得たもの失ったものどちらもあるがハリボテでもわかりやすい青春を送れたのは神のおかげだ。
それから数年を経て私は神に会うことになる。信者としてではなく「友人の友人」として、またしても広くて狭いオタクの世界を泳ぐうちいつのまにかSNSでつながっていた。
「名古屋なう」というなんてことない私のつぶやきに「うそ! ごはんいこ!」と名古屋にいた神が反応してくれて旅行先で会うことになった。
神は友人の友人であるだけの私のもとへ超多忙なあいまを縫って駆けつけてくれた。服を褒めてくれた。メイクを褒めてくれた。神を真似た結果なのだから当たり前といえば当たり前だったけれどうれしかった。おしゃれなカフェでなにを話したか覚えていない。でもはげしい自己嫌悪におちいったり、緊張してうまく話せなかったりということはなかったからやっぱり神のコミュ力がすごかったのだと思う。あとはそれに憧れ続けた私のコミュ力もそこそこだったのかもしれない。
神は次の日の私の予定を確認して、「時間作れたらちょっとだけお茶しよう」といって翌日ほんとうにやってきた。忙しいようでいつもブログにのせるような格好とは違いパーカーにミリタリーコートにデニムにリュックで髪もひとつにしばっていた。変な格好でごめんねと神はいったけれど変なところはひとつもなかった。めかし込んだ私の比じゃないくらい洗練されていた。私が背伸びしてもぜったい届かない領域にいる人なんだと見えてぼーっとしたまま帰った。
神に会ったのはその一度きりだった。ネットでの交流は続いたがいつのまにか神はオタクをやめ、つながっているSNSはmixiからTwitterの身内アカウントに変わった。ずっと楽しそうでおおらかだった神のアカウントは途中からからだんだんおかしくなっていった。
鍵の中で、神は混沌とした異性関係をつづるようになった。たくさん男の名前が出てきて誰が誰だか、何人いるのかもわからなかったし、昔と違ってぜんぜん楽しそうではなかった。気に食わない同性に対して毒を吐くようになった。バカは嫌いだとかもろな学歴主義をさらしたり別人のようになった。
激務が引き金のようだった。激務が原因で変わったのか、激務によりもともと眠っていたものが出てきてしまったのかどっちかなのかはわからない。
サイト時代は絶妙な見切れ具合でぎりぎり全貌がわからないようにアップされていた顔面も、身内アカウントではドアップで全公開するようになった。
どんなに病んでいても造形の綺麗さは変わりようがなく20後半になっても30すぎてもずっと綺麗で、眼福で、だけどそれを見るたび落ち着かない気分になった。
どうしてだろう。歳をとっても綺麗なその人を見ていまだおとなげなく焦っているのだろうか。しかし大人になった私はもうどれだけ真似ても自分が彼女になれないことを知っていたし、あとは日々に追われて真似たい気持ちを保つだけの持久力を失っていた。
そうこうしているうちにいつのまにかTwitterはブロ解されていた。あいかわらず私がオタクすぎてキモかったのかもしれないし、不要な人間関係を整理したかったのかもしれない。共通の友人とも疎遠になって二度とつながりようがなくなり、人生の半分以上追っていた神を三十路にして追えなくなった。落ち込むほどではなかったが、ふと気になってつながったままの化石としたfacebookをのぞいてみたりした。いっさい更新されていないのが常だった。そのまま日々に追われて忘れ、また思い出してのぞいてみる。変化なし。忙殺。また思い出してのぞいてみる。変化なし。忙殺。
それを繰り返しながら7年くらい経った今。いきなりfacebookのアイコンが変わった。
久しぶりに見る、新しい写真。
初めて見る40歳の神。だれかが向けたカメラに向かって楽しそうに笑っている。真っ白だった肌にはそばかすのようなしみがたくさん飛んで、とがっていた顎には丸く肉がついている。かりかりだった腕はたくましくなって、長くてつるつるだった髪は短く少しぱさついている。
神もちゃんとおばさんになっていた。
なんだかすごくほっとした。もう憧れなくて済むからか。たぶんそうじゃなかった。
「高校時代のプリクラでてきた。人生最高って書いてあった。これになりたい」
まだTwitterがつながっていたころ、病んでいる神はそんなことをつぶやいて自撮りをあげまくっていた。サイトのとけないパスワードに何度も挑むようなもどかしさ神のその姿から感じていた。いつまでも綺麗な老けない自分の姿をパスワードにして、すり減る前の自分に必死にアクセスしようとしているように見えた。赤の他人である私がずっと大事にしている16歳の神を神自身はもう失ってしまったんだと思うと私までもが神を失ってしまったようで悲しかっただろ。
40歳の神は取り戻したのかもしれない。あるいは失うことに腹をくくったのかもしれない。でもそのままをうつして笑っている姿はあの美しい自撮りよりよっぽどあのころの神とつながって見える。リュックにデニムで駆けつけてくれた彼女が40歳の神の中にはちゃんといるような気がする。
でももともとhtmlタグから始まった偶像崇拝だから一枚の写真で勝手に解釈して終わる。あなたがおばさんになって本当にほっとした。幸せでいてほしい。おばさんになった私の中で16歳のあなたはずっと神様だ。
ジャンルの神とかカップリングの神とかいう単語はときどき攻撃の対象になる。「原作者が神で借り物でシコってるやつは神じゃない」それは本当にそうなんだけど、それはそれとして思春期に強烈に憧れた人はやっぱり一生神だと思う。
思い出のほとんどが、それに関してのみ。
約四半世紀前のことであるが、暇なのでいろいろ綴っていこうと思う。
「大人(っぽい)」 「制服」 「青春」 「怖い先輩がいる(いそう)」
「給食ではなくなる」 「定期テストがある」 「授業に英語が加わる」など。
非常に大きな、そして大切なステップのように感じていた。
私はその地域の8~9割の生徒がそうしていたように、
このS中学校へは「C小学校」と「H小学校」の2校から進学していた。
どのような経緯であったかはよく覚えていないが、私はソフトボール部に入部した。
小学生の頃に母親がママさんバレーのソフトボール版のようなことをしていたため、
他のスポーツに比べて少しだけ身近に感じていたところはあった。
別にスポーツに取り組みたかったわけではないし、他にも運動部はあったのに。
子供会の延長のような感じで、友人と、じゃあ…入る?みたいな、軽いノリだったと思う。
その友人の母親もママさんバレーのソフトボール版のようなことをしており、交流があった。
集まった同学年の女子の「C小学校出身者」と「H小学校出身者」の比率は半々くらい。
出身小学校に関わらず徐々に打ち解け、チームメイトとなっていく。
入部したのは10名くらいであったが(最終的には7名になった)、1名を除き、未経験者だったと思う。
その1名は、小学生の頃に女子でありながら地域の野球チームのようなものに加入しており、
私はグローブもバットも使ったことがなく、ルールやポジションも知らないド素人であったが、
顧問の先生や1学年上の先輩方に丁寧に指導してもらいながら基礎を身につけていった。
先輩方は当時8名であり、先輩方に同学年の経験者のチームメイトを加えた9名がレギュラーであった。
1学年上というだけでこのようにあまりにも違うのかというほど、皆、女子としても、プレイヤーとしてもかっこよかった。
5時頃:起床
6時頃:学校へ到着
6時半~8時頃:朝練
昼休み:昼連
はっきり言って現在の会社員としての就業よりも過酷な生活であった。
週末も練習や練習試合の連続であり、休日にゆっくり休んだ記憶がほとんどない。
中学生の途中で週休2日制が施行されたが、土日のどちらも遠征して練習試合だったこともある。
小学生の頃は太り気味であったが、みるみるうちに瘦せていき、生活習慣も体も運動部に馴染んでいった。
また当時は日焼けや紫外線の対策を碌にしておらず、本格的な夏が来る前には焼けていた。
元来の性格のためか、取り巻く環境が原因かは定かではないが、ものぐさであり、いつ頃からか内心嫌々取り組んでいた。
ただ時間まで何となくやり過ごす日々の繰り返しであり、自分の意志で部活を選択したのに、なんとも情けなかった。
特殊な環境かつ人数もさほど多くなかったため、チームメイト達とは距離が近く、関係性もおおむね良好であった。
数少ない余暇の時間も共に過ごし、よく愚痴をこぼしていたが、私とは違い、皆名プレーヤーだった。
皆と同じように教わっていたはずだが、基礎が身に付く以前からそもそも運動音痴でセンスがなかった。
一時期、伸びたと褒められた時期もあるにはあったが、全体的にパッとしなかった。
私は根性なしのうえスキルもない、だたのポンコツ部員だったのだ。
しかしチームメイトは除け者にせず、一部員として好意的に接してくれていたので感謝している。
顧問の先生(男性)は当時、現在の私と同じくらいの40前くらいだったと記憶している。
とにかく熱血で、良く言えば指導熱心、悪く言えばスポーツ○カのような人だった。
何代か上の世代は市だか県だかのそこそこ上位まで登り詰め、
『S中と言えばソフトボール部』などと言わわたとか言われていないとか。
指導者としてもプレイヤーとしても、その腕前はピカイチであり、
当時、抜群のプレーに皆が魅了されていた。
基本的に昼休み以外の練習に同行しており、非常に勤務時間が長かったと想像されるが、
なぜ顧問というだけで部活動にあれほど時間を割いて打ち込んでいたのか謎である。
やはり熱心だったのだろう。
しかし、そのような熱血顧問にありがち(!?)で、当時ビンタされる機会も少なくなかった。
その痛みは頬のみならず顔全体の感覚がなくなるほどであり、口の中を切ることもあった。
特段、感情的な人ではなかったと思うが、指導として叱責される機会が多く、基本的には畏怖の存在であった。
またどのようなトレーニングを積み重ねてスキルを習得したのか、
大人になった今、問うてみたい気もする。
●先輩方
先輩方のことは、女子としても、プレイヤーとしてもかっこよかったと表現したが、
部活外の時間に校舎内で顔を合わせた場合、後輩から「こんにちは」等の挨拶をするが、
ほとんどの場合にっこりと朗らかに「こんにちは」と返答されるため、こちらも非常に嬉しい気持ちになった。
同行していた別の部の友人からは「すごく優しそうな先輩だね」等と言われたものだ。
しかし部活の時間になればたいていピリピリしており、部活外の時間のような微笑みは基本的に皆無。
穏やかな時もあれば、感情的に振る舞うことも多く、鬱憤が溜まっていった。
うちの部は、私の2つ上の学年(3年生)が不在だった。
夏頃までは3年生が在籍しているのが一般的であるが、うちの部は2年生が天下。
その日の機嫌次第でぞんざいに扱われることもしばしばあった。
はっきりといじめやしごきのような、直接的に個人を攻撃することはなかったと記憶しているが、
端的に言うと「1年は使えない」と言った感じだ。
空気を読むことが苦手で気も効かない私は、適切な対応がわからず謝罪の連続であった。
表面上は敬うフリをしていたが、内心はうんざりしていた。
「先輩ってどんなことで怒るんですか?」とすっとぼけた質問をして、
「それは聞くことじゃないよ」と呆れられたこともある。
別の部の友人とコンサートに行く約束をしていたが、正直に理由を告げて練習を休みたい旨を伝えると、
先輩達は「コンサートってありえなくない?私も○○のコンサートに行きたかったのに」と陰になっていない陰口を言っていた。
(先輩は別のアーティストを指しており、私が行くコンサートに先輩が落選したためやっかんでいたというわけではない)
聞こえよがしの陰口を察した私は、「すみません…もうコンサートに行きません。練習に出ます。」と申告したが、
「いいよいいよ、行ってきなよ、楽しんできてね」とのたまった。
お言葉に甘えて(?)私は堂々とコンサートに行き全力で楽しんだ。今でもそのコンサートは思い出深い。
ポンコツでありながら無遠慮な図々しさと、聞こえよがしの文句を記憶している執念深さを持ち合わせているのだ。
中には親類の葬儀関連や帰省が理由であってもチクチク言われていたチームメイトもいる。
・先輩が荷物を持っていたら代わりに持つ
・キャッチボールは先輩のグローブを持って相手をしていただくようお願いする
・キャッチボール中に先輩がボール捕れなかったら走って捕りに行く(こちらの暴投が原因)
・先輩は体操着の袖を捲ってもよいが、後輩は不可
・各々の家を把握し、同じ方向の人と下校する
・年賀状を交換する
・部活中、校庭は歩かない
・校庭にボールが落ちていた場合(仕舞い忘れ)、ペナルティで1球につき校庭10周
・整髪剤、制汗剤の利用不可
・全校朝礼の設営準備や後片付け、撤去等を行う
・校舎内の部屋の引っ越しを手伝う
・校舎裏の泥やヘドロを取り除く
一般的な運動部として当然なルールもあったが、当時も今も「?」と感じることもある。
幼少期の他に、この部活で培った様々な経験も、人格形成に大きく影響を与えたと思う。良くも悪くも…
他の部の友人たちは、うちの部ほど過酷ではなかったと想像する。実際は不明だが、おそらく。
先輩と談笑したり遊びに行ってプリクラを撮ったりしている様子は信じらない、うちの部ではありえないと当時思っていた。
部活という特殊な環境で、人間関係を築く上で大切なことを学んだ。
他人に決して心を許してはならない、油断してはならない。
今でもたまに当時の部活の夢を見る。
韓ドルがプリクラ風のなんかあげてるの文化盗用!とか言われてるこれhttps://x.com/Hearts2Hearts/status/1934264739284361655?t=PjQ3qbgPrbugNfpaqZwyQA&s=19
文化盗用て…言い過ぎ言い過ぎ…😅とか思ってたらゴリッゴリの差別主義ぶちかまし企業が日本の文化の美味しいとこだけつまんでたからブチギレられてんのね〜…公開株の企業の癖によくやるな…自国内企業の保有株が多いからかな…
ここ 2 〜 3 年、企業タイアップや自治体PR でVTuber を見かける機会は爆発的に増えた。
ところが――数字と評判を突き合わせると、
「ファンがツーショットチェキをSNS に上げると即座に嘲笑される」
という二重苦がはっきり見えてきた。
マーケティング専門メディアの特集でも、挙がるのは〈志摩スペイン村×周央サンゴ〉など数件が中心。([lab-brains.as-1.co.jp][1])
「VTuberマーケティングとは?」と銘打った記事でも、効果測定の難しさと“事例不足”を同時に指摘している。([d-gear.biz][2], [g-angle.co.jp][3])
2. 「成功事例◯選」記事の中身が年を跨いでも入れ替わらない
同じ 5〜6 名のタレント名が巡回するだけで、新顔がほとんど増えない。
企画コストに対して “配信同接” 以外のKPI を取りにくいという指摘がほぼ定型句化。([g-angle.co.jp][3])
にじさんじフェス「視聴覚室」では 30 秒トーク+チェキ撮影という王道レギュレーション。([note.com][4])
Q&Aサイトでは「VTuberにハマってると友達にバカにされた」という相談が大量に上がる。([detail.chiebukuro.yahoo.co.jp][6])
まとめサイトでもVTuberコンサート映像が「これはバカにされても仕方ない」と炎上。コメント欄は嘲笑一色。([kandatasokuho.com][7])
検索トレンド自体が〈vtuber好き 気持ち悪い〉で伸びており、解説記事まで出る始末。([vtubenavi.com][8])
持ち出せる成功テンプレが少なすぎて、提案書が「また同じVTuber、また同じ企画」になりがち。
お金と時間をかけてツーショットを撮っても、SNS でシェアすると嘲笑されやすい。
「承認欲求」と「外部からの嘲笑」のトレードオフが常に付きまとう。
結果、企業にとってもファンにとっても “リスク>リターン” の構造が固定化してしまっている。
2.ファン行動が世間の冷笑を呼びやすい状態が放置されている。
3. この二つが重なり、VTuber は「インフルエンサー」として使いにくい存在になりつつある。
つまり、案件としても、ファン拡散としても、すでに詰んでいる――というのが現場感覚だ。
「VTuberはもう終わってる」ではなく、「インフルエンサーとして終わってる」
――それが今の立ち位置。
あえて起用するなら、
どちらにしても王道の宣伝手法としては、そろそろ限界点を越えている。
[1]:https://lab-brains.as-1.co.jp/enjoy-learn/2023/06/49253/?utm_source=chatgpt.com "VTuberと博物館のコラボイベント事例~海とくらしの史料館 ..."
[2]:https://d-gear.biz/mediainfo/view/200?utm_source=chatgpt.com "VTuberマーケティングとは?成功事例やメリット・注意点を解説!"
[3]:https://www.g-angle.co.jp/blog/vtuber/vtuber-marketing-merit/?utm_source=chatgpt.com "VTuberマーケティングを取り入れるメリットとは?企業のVTuber ..."
[4]:https://note.com/sohika_qlocks/n/nb2fe75162a09?utm_source=chatgpt.com "VTuberとサシで話してきた|そひか -note"
[5]:https://note.com/odyk16g/n/n4a5ef514a71e?utm_source=chatgpt.com "大手Vtuberのツーチェキ会に参加したら想像外過ぎたvv|odyk16g"
[6]:https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q14261030624?utm_source=chatgpt.com "最近VTuberにハマっているのですがそれを友達にバカにされましたV..."
[7]:https://kandatasokuho.com/blog-entry-54686.html "〖悲報〗vtuberのコンサート、めちゃくちゃ馬鹿にされてしまう |カンダタ速報"
[8]:https://vtubenavi.com/vfan-kimo/ "vtuber好きは気持ち悪いと感じる人が増えている?ネットの反応"