
はてなキーワード:プラモデルとは
何処かの樹脂メーカーの株主優待のプラモデルが話題になっており、前からプラモデルに興味があったからフリマサイトで買った。
プラモデルに興味があったが、中々手を付けてなかった理由としては、プラモデルのジャンル幅が狭いことだった。
(食品のプラモデルはちょっと興味はあったが、作った後に棚の上で埃を被らせるのは嫌だった。食品だし)
正直言ってしまえば車両関係は動作原理は理解できていたので新鮮味が無かったし、ロボットはファンタジーでリアリティが無かった。
これどういう仕組みで動くんだろうかみたいな、新しいワクワクを感じる事が出来た。実際にどこかの工場で、24時間動いているものでもある事にも想像力が掻き立てられる。
新しいワクワクを、プラモデルという手のひらで扱えるサイズに魅力を感じたからだ。
大人になって所有欲は殆ど無くなったが、久しぶりに並べてみたいと思うものだった。
ちなみに私は機械系の大学を出ており、化学メーカーで充填機械の横で働いているので、全く畑違いの人間ではない。
書いてて思ったが、この文章そのままプラモメーカーに一意見として送ってみようと思う。
ミニチュアにコンクリート流し込んだりしてプラモデルな家建てる」とか。。。それ系の話、ちょっと前に動画にしてみたんだけど、よかったらどうぞ
さて皆様、ご存じでござろうか。古(いにしえ)の世、紀伊国屋文左衛門と申せば、紀州みかんを船に積み、大坂の嵐を乗り越えて江戸で巨万の富を築いた、希代の風雲児。その文左衛門が、時を超え、場所を変え、この令和の日本に、まことに転生いたした!
生まれは東京、名を改め「紀伊文蔵」。生まれながらにして商才は脈々と受け継がれ、幼い頃より世の「不足」と「需要」を見抜く目、すなわち「商(あきない)の目」を持つ。
ある日、文蔵が見たものは、玩具店の棚に並ぶ「機動戦士ガンダム」の模型、俗に言う「ガンプラ」じゃ。それも、特定の限定品が出た日には、人々が夜を徹して列をなし、争奪戦となる有様。
文蔵はすぐに気づいた。このガンプラこそ、昔の「みかん」、つまり「時宜を得た、不足の品」であると!
まずは軍資金。アルバイトで貯めた小銭を元手に、早朝の量販店へ。手に入れた限定ガンプラを、「ネットフリマ」という電脳の市場へ出品する。
現代の「口上(こうじょう)」を駆使し、「限定品」という名の「時価」を高める。飛ぶように売れ、瞬く間に元手の十倍、二十倍!
もはや、みかん船どころの騒ぎではない!文蔵は冷静に、人気の波、再販の周期を読み解き、まるで熟練の相場師のごとく、ガンプラを買い集めては、最も価値の上がる時に売りさばく。
紀伊文蔵の「ガンプラ転売事業」は、ネットの海をゆく新時代のみかん船となり、僅か数年で億万長者の仲間入り。世間は彼を「令和の風雲児」と呼ぶ。
プラモデルのアニメロボ界隈でコーションマークをどう貼るかの問題がちょっと出てきてるけど、今ここで改めて基礎的な体力をつけた方がいいんじゃ?と俺は思う
ガンダムセンチネルのころだからもう25年くらい前か、そのころからデタラメに貼られすぎて恥ずかしいという苦言が出てたけどそのころから何も変わらない
その昔は航空機のデカールを流用するしかなかったから、ということもあるけど
今はアニメロボ用に意味はないけどなんとなくかっこいいでしょ系のコーションデカールしかないから利用者がさらに雰囲気で貼っちゃうのはしょうがないといえばしょうがないんだけど
最近、久々にガンプラを組み立てたら、パズル感覚で楽しかったので少しハマっています。昔のガンプラは、塗装までして完成でしたが今のは(とはいっても10年前からこんな感じらしいが)、パチパチとパーツを外して組み立てるだけで、かなりの完成度なのです。塗装という苦行がないのは素晴らしい。
そんな訳で、プラモデルを作るのにハマっているのですが、なんか転売ヤーのせいで定価より高い値段で売っているものが非常に多い。再販もされず数年経っているものが、ある程度高くても売っているのは逆にありがたいが。
しかし、発売日の数ヶ月前の予約であっというまに無くなり、発売日前なのにアマゾンに高額で並んでいるのは何なんだ!?
発売日から1年経つまでは、定価以下での販売のみ可能って法律は作れないのだろうか?
ダフ屋行為の禁止とか、チケット不正転売禁止法とかあるのだから、転売にも限定的な禁止法を作って欲しいと思うのですよ
一方的に言い捨てんのはフェアじゃないから、根拠を述べさせてもらうぞ!!
この、一見意味はわかるし、さらっと読み流せるんだけど、よく考えると意味わかんなくねえ?ってなる感じ、俺はここにAIっぽさを見出しました
自然人の書く文章だって大概意味わかんねえだろ、それはそう、それはそうなんだけど、なんつうかな、この表現って、人間からは出ねえんじゃないかなあと俺の直感が告げている
テンション爆上がりっぽくする、ってことはですよ、実際にはテンション爆上がりじゃない、ってことでしょう、普通に考えて
でも状況的にはさ、普通にテンションは爆上がっていてしかるべきだ 「ぽくする」必要はない
「内面でテンションが爆上がりになっているのだから、それに合わせて、外面のふるまいもテンション爆上がりらしいものにする」って解釈なら、まあいけないことはないと思うんだけど、わざわざその表現をチョイスする必要は、やっぱりなくないですか?
テンション爆上がりで、とかすごいハイテンションで、とか、そういう平板な表現になるのが普通ではないか?
ここに関しては完全に難癖っつうか、俺の心の機微の問題かもしれねえけど、なんていうか、ここ妙に他人事っぽくない?
微笑ましさを加える一文として、まあたしかに微笑ましいんだけど、前後の文脈っつうか流れからしてさ、このテンションにはならなくないですか?
というか、なんつうかな、まず当たり前じゃん
この流れで今日はお祝いなのは当然だし、妻が笑ってんのも当然だし、なんていうのかな、心の流れに沿ったとき、ここの文章はもうちょい高いテンションになるか、まるっきり書かれないかのどちらかになる気がするんだよね
書く意味がないから書かないか、書くならもっとハートを感じる内容になるはずだと思う
この妻のテンションは、ずっと欲しかったプラモデルが手に入ってテンション爆上がりの夫を暖かく見守ってるとか、そういう感じに見えるんだ
そうじゃないじゃん ふたりのことじゃん
ちょーっと違うくないですか?気のせいかなあ…
そう、体言止め!
本当に多いんだよ、体言止め。
AIだからとかじゃなくて、俺はシンプルに、日記で体言止めを多用するような奴がうっすら嫌いなんだ
体言止め、多くないすか?この長さでよ
俺が人間に望むことのひとつに、「短い文章のなかで3回も体言止めを使わない」というものがある
人間は人間らしく、うざってえ体言止めなんか使わずに、せめて多用はせずに、心から出た、脳に直結した文を書いていてほしい
というか、俺は、この文章が人間の書いたものであってほしくないんだ
もし人間が書いたんだとしたら、俺はソイツが嫌いだということになってしまう
俺に人を憎ませないでくれ
なんていうか孤独に耐えれん人はほんま無理らしい
この世は耐えられへん人と耐えれる人の二種類に分かれるらしい
俺は54年の人生で友達もできずもちろん彼女なんかもできたことないけどそういう人生でもつらさを感じたことがない
耐性とは違うんやろな
学生時代は仲間がいて毎日わいわいしてたって人はこういう真っ暗闇のような環境にされると一日も持たんのかも知らん
毎日わいわいしてた人については横目で見ながらうらやましいな、おれもそうなりたいなと思ってたけどなかなかチャンスもなかったしキッカケもなんもなかったからデビューすることはできんかった
そういう時間を何して過ごしてたかっていうとプラモデル、漫画を描くこと、本を読むことに使ってたな
それらがとりあげられたら、とも考えるけど、どれもただの素人やからなくてもどうでもええな
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