
はてなキーワード:ブームとは
あと、中国って昔から、田舎のよく分からんオッサンが変な物を発明するみたいなニュースがあって、
面白いなあと思いつつ、なんだかんだ格下に見てたんだろう、自分は見下してたんだろう
アメリカも日本も、いや世界中がファブレスだの何だの言って、設計だけやって、
製造は中国や東南アジアに丸投げするようにどんどんなっていって、
で、気付いたら、みんな先進国は手を汚さなくなって、工場とか現場のノウハウがなくなってって、
中国には工場があるし、現場が当然あるので、現場のノウハウが貯まる、
まあ、横流しとかパクリでなくても、先進国からやってくる図面を毎日見ては、
図面通りに作ってるのにうまくいかない、そもそも、日本側の設計図が、上からの命令が間違ってんじゃねーの?
みたいになっていって、現場で直すようになったりして、
アメリカとか日本の技術者がちゃんとした設計図面を書けなくなっていって…
中国はどんどんノウハウを吸収していく、とにかく現物がある、物がある、大量のパーツがある
例えば、スマホを作るために、液晶パネルやバッテリー、モーターなど様々なパーツがある
それをアメリカや日本の図面とは違う組み合わせ方をして、新しい物を作る
それがマルチコプターのドローンになったり、3Dプリンターになったりした
よく分からん中国の田舎のオッサンが光硬化の3Dプリンタを作ってるYouTube動画を見たとき、あ、これはもう負けるなと思った…😟
そのオッサン以外にも、中国各地で同じような3Dプリンタを作っていて、動画やノウハウがネットに現れた
同じようなことを日本でやろうとしても、日本の秋葉原ではそんな部品は手に入らない
中国は下請けで、世界の工場をやっているから、現地であらゆる部品が入手できる
そして、日本の秋葉原は電子パーツよりアニメやフィギュア、そしてメイド喫茶やビジネス街、観光名所みたいになっていく
一方、深センには巨大な昔の秋葉原のような電子部品を扱う店の集合体、
お金を積んで頼めば量産してくれる工場、そんな中から成功した巨大なIT企業、家電企業が巨大なビルを建てていく…
今や、そんな中国の巨大IT企業、電子機器メーカーは玄関に超高級盆栽があったり、
超高級な中国茶を大企業や富裕層同士で売買したり、もう日本のショボーンなムードとは完全に真逆に思える
とにかく、垂直統合と水平統合が縦横無尽になってるところが凄い
良くも悪くも、採算度外視してたりするところも凄い、まあ、それが怖い所でもあるんだけどね…😟
今の中国のロボットは、みんなアクチュエータが内製、独自設計、そのアクチュエータはアリエクでも買えたりする
蟲毒みたいな世界にも思えるし、矛盾してるけど一方でオープンアーキテクチャにしていいの?だったり、
とにかく中国はカオス、中国企業同士も殴り合ってるんだか、同じネタを出し合ってワイワイやりたいんだか、よく分からない…😟
過剰生産とか、危なっかしいんだけど、なんか活気がありそうなのがうらやましい
中国共産党、中央政府は、テクノロジー企業や犯罪組織などが国家以上の力を持つことを恐れている
でも、そういう政府に擦り寄ったり、ばーかばーかw言いながら、しぶとく続けたり、そういうところが日本と違うと思ってる
じゃあ、中国が良いかというと、俺みたいな駄目人間は今の日本でないと生きられない
もしくは北欧だろうか?でも、北欧であれ、移民には冷たいのだよ、今は世界中が移民に冷たい…😟
私は違うのだけど、大学で二足歩行とか、四足歩行とか研究してた先生たちは、今の状況をどう思っているのか興味がある
もう私は全然素人の世界になってしまっているけど、数十年の時間を経たとはいえ、最初から格が違ってたんじゃないか、という気もしてくる
時代の流れみたいな、大きな水の流れみたいなものは、人間の努力ではどうにもできないというか…
まあ、時流の中でチャンスを見逃さないのも大事だと思うんだけどね、
例えば、対岸に渡りたいとして、川はとんでもない濁流なんだけど、一瞬のタイミングで渡ることができるかもしれない、
そういうチャンスが何億分の一みたいに訪れるとしたら、ずっと待ち構えている必要がある
なんか、高市政権になったこともあってか、2030年までに、日本も中国みたいなものか分からんけど、世の中の標準となるようなロボットを作るらしい
悪い意味じゃなくて、日本は後だしジャンケンになると強いからね、昔から…
というか、今の中国だって、アメリカや日本の真似して強くなったわけで、
ここから、もう自分にとっては神々の戦いみたいなのが観れるのかな、とちょっとワクワクしてるし、
中国の四足みたいなのは、もう日本のベンチャーが何社か開発できてるんだよね
日本だけじゃなくて中国もだと思うけど、結果が出るか出ないか分からない未知のことは苦手なんだと思う…😟
でも、日本も高市さんとか眺めてると、そういう傾向がある気がする
政治家先生は理系の話は分からないし、理解のない親に、これを買ったらこんな良いことがある、これだけ勉強が捗る、
とかプレゼンする子供みたいなものである、理解のない大人の財布からお金を出してもらわなければならない
けれど、結果は逆だった。
AIサービス各社は、燃えるような電気代とサーバーコストに追われた。
はじめは月額30ドルだった定額料金が、いつのまにか300ドルになり、
人々は「AIに話しかける」前に、まず財布の残高を気にするようになった。
内容欄には「生成目的」「想定トークン数」「倫理リスク」が並ぶ。
誰もそんな書類を出したがらず、やがて誰もAIを使わなくなった。
そう目算した中国企業は、
良い出力を引き当てるまで課金を繰り返した。
パソコン通信と同じように「昔は便利だった」と懐かしんでいた。
だが、若者たちは違った。
「AI? あー、あのジジババが使ってたやつね」
誰もが使っていたものが、誰も使わなくなった。
ただ一つだけ違うのは──
誰ももう、「AIのように考える人間」を信用しなくなったということだ。
#SF #ディストピア #生成AI #未来予想 #はてな匿名ダイアリー
──
(追記:以前に書いたエントリが知らぬ間にずいぶんバズっているので、コメントを参考に今の考えを書いてみた)
具体的なゲーム名がない。エアプじゃね→そういえば具体的なゲーム書いてなかったな。PCゲームだと初代シムシティ。結局ゴールである市民50万人には到達しなかったっけ。
ミスタードリラーなんかは2000年前後だったがずいぶん楽しんだ。パズルゲームは好きだね。特にランダム要素のあるゲーム。
覚えゲーとは違う、その場の対応能力、反射神経が求められるゲームが大好き。
あとはアーマードコアシリーズ。あれこれ組み合わせを考えるのは楽しかった。
お前が爺になっただけだろ→爺はともかく社会人になってからゲームに没頭する暇と気力が減ったのは事実だ。あとストーリーものだと土日にクリアできないと話を忘れてしまう。
あと、RPGはあまり好きではない。完全に食わず嫌いの偏見だが、戦闘システムが昔と変わり映えしない(特にJRPG)。ストーリーが大したことない。シナリオ分岐とかあるようだが所詮お使いゲームだと思ってしまう。なんかおススメない?
他にやりたいこと、やるべきことが増えたのもあるかもしれない。プログラミングとか奥が深くて楽しいし、資格試験もゲーム攻略のつもりで取り組んだり。ゲームに時間を費やすのがもったいなく感じたりするようになった。人生をゲームのように生きるとか。
ゲームはたくさんある趣味のone of themでいいやと考えを変えればいいのかも知れない。そう考えると、それはそれで一つの生き方かも。
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ゲームは昔から好きだった。インベーダーブームを体験し、近所の駄菓子屋の筐体で遊び呆けたりした。
そのうち、コンピュータ(パソコン)でどうやらゲームができるらしいと知った。ちょうどマイコンBASICマガジンが創刊されたころだ。
アーケードゲームは少しづつ内容がレベルアップし始めた。ゼビウスが発売され、その神秘的な内容に痺れた。
そして、ゲームは百花繚乱の時代を迎えた。毎月のように新しいゲームが発売されて、俺は嬉々として紹介記事や攻略法を読み漁った。
この頃はまだその新しいゲームたちの名前をほとんどそらんじることができた。ゲームの内容が高度になっても、まだ俺の手の内にあった。
ゲームの出来を測るのに「攻略時間」が入り始めた。長くプレイできるほど良いというやつだ。それを競うようにゲームの必要時間が長くなり始めた。
ゲームだけに時間を割くのが難しくなった。その上、発売されるゲームの数は増える一方だ。
だんだんゲームは俺の手に収まらなくなってきた。一つのゲームを隅々まで遊び尽くすなんて真似は不可能になった。
最近のゲームはクリアするのに最低100時間かかるのが当たり前になったらしい。
もうゲームは俺の掌からこぼれ落ちて、たまに残ったものだけをプレイするだけになった。
むかしラテンアメリカ文学ブームというのがあった。マルケスとかプイグとか。
「マジック・リアリズム」とかいってなんか過大評価だよなあとは思っていた。単なる欧米目線のエキゾチシズムの要素多分にあるだろと。
当時ぶつくさ言いながらも読んだ中でよくわからないがなんかおもしろかったのがビオイ・カサレス「豚の戦記」だ。
実際あったことを下敷きにしてるのか幻想文学の舞台設定なのかさっぱりわからないのだが、なんかインフルエンサーみたいなのがラジオで世代間の分断を煽り立て、若者世代が面白半分にしばしば老人をリンチして殺す世相なのである。
「対豚戦争」と呼ばれるそれの何パーセントが作家の想像力の産物なのかわからない。
ただ、現代でこそ本当に起きそうな話ではある。
書き手はおそらく30代後半〜40代前半の男性である可能性が高いです。
理由を分解すると:
「おいおい、俺は常識を述べただけだぞ?」
→ 「俺」口調でやや上から目線・ツッコミ系。ネット黎明期〜2ちゃんねる文化圏の男性語っぽい。
「まさか温度以外の感覚がお前の中で『さぶい』という言葉を生み出したのか?」
→ 「さぶい」=「寒い(=ダサい)」をめぐる言葉遊び。語感へのこだわりと理屈っぽさがあり、ネットでの論争的文体。
→下ネタを軽いジョークとして挟むあたり、若者よりも90〜00年代掲示板ノリに近い。
「きんもーっ☆」
→2000年代中頃(「電車男」ブーム期)のネットスラング。現在20代の人にはリアルタイム体験がほぼなく、当時10代後半〜20代前半だった層が現在30代後半〜40代前半。
総合すると:
したがって推定:
近所の公園に、ちょっと塗装が剥げたアンパンマンのバネ付き遊具がある。
うちの子どもも大好きで、きゃっきゃ言いながら揺らしているのを見ると、ふと思う。
アンパンマンとかトーマスみたいに、公園や幼稚園の遊具になっている版権って、めちゃくちゃ強いよなと。
一過性のブームじゃなくて、文化として根付いている感じがする。
例えば、あれだけ社会現象になった鬼滅の刃だって、さすがに公園に遊具は置かれないだろう。
子どもが鬼の頭の滑り台を滑ったり、日輪刀のシーソーで遊んだりはしない。
なんとなく、そういう「線引き」みたいなものがある気がする。
子どもたちの原体験に、遊具として刷り込まれるって、コンテンツとしては最強の愛され方なんじゃないか。
三大増田書いてたけど、ブクマbotと英語スパムが横行してた時に流れが変わった
あのせいで三大増田とかアンケート増田が上がって来にくくなった
しばらくして英語スパムはいなくなったが、その頃には三大増田ブームは終わってた
流れが変わったんだよ
あと「しゃあ!」と「揉む男太郎(ももたろう)」と「安倍晋三」のトラバも地味に効いてた
一部のエンジョイ勢が『対戦勢が私たちを攻撃してきてて怖い。対戦勢は頭おかしい』みたいな被害者ブームかましてるけど、普通におかしなことを言っているから対戦勢問わずからまともなユーザーから批判されているだけだよ。要は熊を殺すな!と叫んでいるの人と同じ構図。
例えるたら、『好きなポケモンがストーリークリアしないとゲットできない!おかしい!ストーリーをクリアするのが難しい人もいるんだ!』って言ってるようなもんだよ。まぁ、メインコンテンツとサブコンテンツ強要を同じにするのはちょっと例えとしては不適切だけどさ。でも、周りのまともなユーザーからはそう見ているのとほぼ同じという話。
やりもせずになんとなく嫌!という理由でそこまでおかしいわけではないし、実際そんなに難易度の高いわけでもない条件の施策に対して運営を過度に叩くのは行き過ぎ。まぁ、自身の"なんとなく"から逃れることができない人は反ワクとか見ていると一定数いるっぽいから、仕方がないところはあるんだろうけど。
なんかTwitterだとアンダーマネジメントが冷笑されているけど、『自分の思い通りにならない』という正当性のない不満をうまく発散できず他者にぶつける大人があまりに多いから、その他の本を一読すべきだと思う。
①神のごとくバチクソに強いプレイヤー
②はこういう人になりたい・この人と一緒にプレイしたいと大衆に思わせる人たちで、必ずしも上手い必要はない
プレイヤー人口を増やすにはどうすれば……という動きが出てる時点で①はいるはずなので、ゲームの普及活動とはさしずめ②をどう作り出すかという活動であると言っても差し支えない
APEXやValorantやスト6のプロがVTuberを集めて大会を開きまくってるのも、
プロスポーツチームが少年チームや女子チームなどの下部組織を持っているのも、
②がいなくて①だけいるゲームはどうなるかというと見る専ばかりが増える。
神プレイヤーは人を沼に近寄らせることはできるが、沼に突き落とす人がいないのでは永遠に沼を眺めるだけなのである
余談だが、
・①が②を兼ねてもよい
プロ野球やプロサッカーが選手の交流会を開いたりチェキを売ったりしてアイドル化しているのはこの例
1970年の万博に行ったことがあるって言う人をちょくちょく見かけるから、おまえ一体何歳だよと思うことはあるな
ただまあ、その当時10歳だったとしても、ウィンドウズ95ブームのときは35歳だから、その辺の年代層がネットでデカい顔しててもおかしくないラインだったりもするが
エヴァオタクだけど、見てなかったんだよね、見れなかったというか
内容は知ってたけど
28年ぶり?25年かな
思ったより分かりやすかった
てかシンの方がむずくね?わからせる気無かったよねあれ
ゲンドウが人類補完計画やろうとしたら、綾波がシンジのところ行って「どするー?」って聞いたらシンジも人類補完計画望んで
なんやかんやあってやっぱやーめたってなったってことだよね?
(合ってるかな)
徹頭徹尾、ロボものに見せかけたSFものに見せかけた内面重視の話なんだよねエヴァは、セカイ系そのもの
こういうのが定期的にブームになる
子育て終わったババアが有り余った母性のせいで暴走しないために韓国アイドルを応援したり、本来は子供に注ぎたかった愛情の受け手がいなくて寂しいジジイがアイドルに貢いで夢を見るみたいなものだろ。
若い人がすることじゃない。
若いお前らがこれから先、一緒に生きていく人に注ぐべき大切な愛情を、そんな金儲けの道具に吸収されて良いわけないんだ。
オタク同士でいくらお金を注ぎ込んだか競わせるような商法を若い人にもやるな。
推し活で何が残る?
囲碁だってカジュアルなゲームのひとつなのに、なぜか難解な学問のように思われている節がある
昭和に1000万人も囲碁を打つ人がいたのだからそんなわけがない。未就学児でも打ってるし大人が出来ないということはない
こんなの思ったことないし聞いたこともない…。やってる側が最初にこれ持ってくるのは何か感じ悪くてちょっと笑う。そういうところでは…。
ええ….この増田は実際にあったブコメへのアンサー記事なんだが
ちなみにブコメ以外にもSNSとかリアルでもこの手の意見は大量にあるからね。
自分の視野狭窄を棚に上げ「そういうところ」という言葉を使うあたりにまさに従前からの偏見が滲み出ている。自分こそ初手で他人をディスる前にもうちょっとよく調べよう
なんか囲碁は将棋と違ってAIへの対応が遅れてるみたいなのをよく見かけるけど、棋士がAWS使って囲碁AIと検討してるくらいにはAIに慣れ親しんでるからね
→囲碁AIブームに乗って、若手棋士の間で「AWS」が大流行 その理由とは?
見た目が地味なのは他のテーブルゲームも変わらない。色がついている分将棋より視認性が高い。命のやり取りをしてるので中身は実はド派手
www.algorithmicartisan.com/gostones/
最初難しいのはどれも同じ。囲碁だけ特別難しいということはない
最近ぼちぼちやり始めた
将棋の方はヘボなのに囲碁の方だけどんなハイレベルな戦いを前提としているのか。非対称性がすぎる。
10手も20手も読めるのはプロの領域。アマチュアがそのレベルで打ってるわけがない。1~3手の読みが入れば十分。
適当に打って(指して)王手飛車・十字飛車や角での両取り、ふんどしの桂など痛恨の一撃を食らうのは盤面が狭く手数も少ない将棋のほうがはるかに多い。
棒銀などで自陣を突き破られたらほぼ負けるが、囲碁は多少やらかしても盤面が広いので挽回ができる。
超大雑把に言うと、相手の近くに打ったら攻めの手だし、自分の近くや隣接に打ったら弱点を補強する守りの手だと思って間違いない
将棋→飛車先の歩を突かれたから受けないと自陣突き破られる、金上がって受けよう
囲碁→隙間を覗かれてる。次に出てこられると突き破られたり分断されるから石を追加して補強しよう
で、ここで言いたいのが将棋における経験値と囲碁における経験値の差を無視してないか?ということ
果たして将棋の何の経験がない者が棒銀をやられた時に、それが何手も先の自陣崩壊につながっていることを予測できるだろうか
将棋であなたが飛車先の歩を突かれたときに自陣で受ける手を指すことが出来るのは棒銀で自陣を破られた経験があるからだ
直感で理解したわけではなく、自覚してないだけで経験による暗黙知があるからだ
囲碁においても同じことが言える
将棋の意図がわかって囲碁の手の意図がわからないのは、あなたの経験値の差だ
囲碁だって経験値を詰めば「こうすればこうなる」「だからこの守りが必要だ」というのがわかってくるようになる
囲碁において何の経験もないのに予測や意図の理解ができたらそれは紛れもなく天才である
我々は凡人だということを忘れてはいけない、経験や知識を蓄えることでのみ上達できるのだ。
最初の段階で何もわからないのは我々凡人にはいたって当然のことであり気に病むことではない。
見て読んで経験して覚えいくことを、なぜか囲碁にだけは最初から自分が有していることを期待する人が多い
ほとんどの人間は囲碁に対して赤ちゃんと同じ状態なだけだ。麻雀だって最低限役を覚えなければ、アガリの形を目指すことは出来ないだろうし解説を聞いてもチンプンカンプンだろう(生まれた時から麻雀の役が頭に入っている人間はいるだろうか)
詳細に知るならば『一手ずつ解説! 碁の感覚がわかる棋譜並べ上達法』っていうシリーズがあるからそれを読もう。Youtubeならフワ囲碁チャンネルに初心者向けのそういう動画がある。
https://youtube.com/playlist?list=PLfxbYC-F0TEo-mDZurdutQtydSZ_G09HG
それと最近はいごもんってサイトが出来て、「なぜそこに打つのか」という意図や作戦をプロやアマ達が投稿して寄せ合うサイトがあるのでそれを眺めるのもオススメ
囲碁に対する大抵の疑問や誤解は純碁で解ける
おそらく挫折者の理解を妨げている要因であろう陣地や石の生死の概念が純碁にはない
理解を難しくしているであろう陣地と石の生死の概念も、得点を上げようと盤上を石で埋めていく過程で必ず解決されるし、囲碁の「地」や生死というのが実はこの埋める過程を省略しタイムパフォーマンスを上げているだけのものであることが、やっている内に理解できるだろう
純碁こそが囲碁入門の最強のソリューションなので知名度が上がってほしい
全くそんなことはない。アマならツケヒキや星への三々入り定石など代表的なものを数個覚えれば十分。その場のアドリブでなんとかなる。
「定石を覚えて2目弱くなり」「定石は覚えて忘れろ」という至言もある。定石を勉強するのはそこに散りばめられた手筋や考え方を学ぶためであり、暗記するためではないのだ。前者は暗記した定石を披露することが目的化し、その局面に応じて変化することを忘れて余計弱くなるという格言である。
中国の状況はこういう感じなので「囲碁だから(囲碁の特性上の理由で)人気を出すのは無理」ということはない
https://i.imgur.com/U3SPnnj.jpg
https://i.imgur.com/Xq0U6Wv.jpg
https://i.imgur.com/byM8nFI.jpeg
『囲碁シル』っていうAIの選択肢をチョイスするだけのバトルや、定石のキャラカードを配置するだけで対局できる革新的な対局アプリが11月5日にリリースされるらしい
これで囲碁を「追体験」するだけでも何か囲碁に対する緊張感が解けてブレイクスルーのきっかけになるんじゃないか?
https://x.com/hjjgo_japan/status/1983758121828020381
一力四冠がLG杯決勝に進出し、応氏杯以来二度目の国際棋戦優勝を目指している
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母はなぜすし屋に入れなかったのか 消えない日本軍の「粛清」の恐怖 [戦後80年 被爆80年]:朝日新聞
https://digital.asahi.com/articles/ASSDF10PCSDFOXIE02VM.html?ptoken=01K8N56HB6NEDS4CYS2TM79GEN
20年ほど前のことだ。マレーシアの首都・クアラルンプール。日本車や日本製の家電があふれ、日系企業の進出で和食もブームだった。
中華系住民(華人)のギャリー・リットさん(65)一家は、子供の誕生日祝いに「すしレストラン」に向かっていた。駐車場に車を止め店に入ろうとした時、母親のチュー・ヨック・チェンさんが、全身を激しく震わせ始めた。
「家に帰らないと……、家に帰らないと……」
「許す。けれども忘れない」。大切にしている言葉だ。
「戦後何十年も、人々は苦しみ続けた。その傷の元となった戦争の『狂気』を記憶し、二度と起きないようにしなければいけない。それを、日本の人にも知ってほしい」