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はてなキーワード:ブルースとは

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2025-10-14

anond:20251014120606

ブルースが加速していくんやろなあ

Permalink |記事への反応(1) | 12:09

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2025-10-06

映画】見える子ちゃんを見た

面白さは辛めにつけて60点。

アイドル主演のホラー映画は80点満点みたいなところがあるので80点満点中60点ということで

アイドル主演のホラー映画の割にはよかったが……という感じ。

 

よかったところは映画として話の軸がわかりやすスッキリしていたこと。

悪かったところはヴィジュアル

 

これ公開時に田舎住みの俺増田氏が都会の駅に行ったら見渡す限りの壁一面がこの映画宣伝ジャックされており

逆にうわ~これダメそ~~~と思ったのを強く覚えているが、その印象よりはだいぶよかった。

 

まずよかったストーリー面だがいわゆる「心霊映画」としての整理のされ方。

「見る」ということを軸にかなり美しく作品構成されていた。

霊が見えてしま主人公だが、しかし霊が見えていることが霊に気づかれると憑かれてしまう。

なので何とかかんとかそこらへんをウロウロしてる霊を見て見ぬふりする様をコメディテイストで描く、というのがこの作品一種面白どころだと思う。ぶっちゃけ私的にはここはあんま刺さらなかった。コメディにするならもうちょっと徹底的にやってほしい。怖がらせるのか笑わせるのか中途半端で逆にシュールだなと感じた。

しかし引き寄せ属性の友人が霊に取り憑かれてしまたこから見て見ぬふりするのではなく、霊に対峙していくことの重要性に気づいていく。

その中で臨時教員であり超強力な霊に憑かれている遠野が現れ、その霊にまたも祟られてしまった友人を救うために決死の戦いに挑む。遠野に取り憑いていたのはウルトラ過保護な彼の母親生前から病的なまでの執念で彼を「見」守り、洗脳に近い形で彼を支配していた母親は死してなお霊になって彼の人生を縛っていた。

主人公とその友人の霊感女の助けを借り、支配される対象ではなく一人の人間として母親を見ることで対峙母親呪縛から解き放たれる遠野

そして主人公パートで度々登場するも無視されていた主人公父親が、喧嘩して無視という形で反抗を続けているうちに死んでしまった霊で実はこの映画シックスセンスだったことが判明し、主人公はそのことを受け入れブルース・ウィリ……父親無視しながらも(霊だからね)謝罪父親成仏するのでした。

めでたしめでたし

見てはいけないものが見えるというワンアイデアから、見るってどういうことか、見て見ぬふりするだけでいいのかという普遍的な問いを浮かび上がらせる手腕はフーンやるじゃんって感じだった。「心霊」と「見る」は切っても切り離せない関係だしね。

 

悪かったのはヴィジュアル映像表現

この作品には複数幽霊的なサムシングエルスが登場するんだけど、こいつらが「どう見ても生身の人にしか見えない奴」と「超高速振動しているとしか思えない輪郭がぼやっとした奴」の2パターンに分かれる。どうやら原作では「めっちゃバケモノ」が見えることで、それを無視するというシュールギャグみたいな部分があったらしいが、実写でそれをやるとシュールになりすぎるし金もかかる。

それを回避するためにこの表現になったと思うんだが、この超高速振動人間はまぁ怖くはねぇわな。

見るからにわかるし。霊かと思ったら人間でしたの展開にも活きないし。

しょっぱな、クラスで挙手を採るとき本来はいないクラスメイトを数えちゃって……という展開でもそいつが超高速振動しているので「いや、一目見たらわかるやろ」となってしまう。この表現、よくなかったんじゃない?

最後神様降臨するシーンもふわーっとしたもやがふわーっと通り過ぎると遠野母親が超高速振動さらに激しくなっていくっていうさすがにシュールすぎない?て感じで、今作のホラー表現もっと頑張れたはず。LDH主演のミンナノウタはLDHファンガ失禁レベルで頑張ってたぞ!

あと、生身の人間しか見えない奴とそうじゃない奴の違いはなんやねん。都合良子ちゃんか?という気持ち

 

異能青春ものとしてある程度の出来の良さは担保しつつ、異能の部分がホラー調であったがゆえにそこが微妙だったので点を引かざるを得ないという悲しきモンスター

あとはアイドル映画からしょうがないけど演技回りがね……まぁここは元から20点ひいてるからいいんだけども。

ここ数年の日本ホラー映画だったらミンナノウタ、きさらぎ駅Reに続いてよかったかな。

アマプラに来てたのであんま怖くない日本ホラー映画見たいなって人におすすめ

Permalink |記事への反応(2) | 15:31

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2025-08-30

俺に足りないものって何だろう

ブルース…?

Permalink |記事への反応(0) | 19:15

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2025-08-18

身長ホビットは女が男の身長社会的評価無視してちん○と顔のみ注視される世界を望んでるが

無理だろそんなの

戦後横浜の闇を描いた山崎洋子天使ブルースを歌う」の冒頭のシーン

エディ藩のライブを見た著者の感想が初っ端から身長175〜176cmくらいか

50代のブヨブヨに太ったおっさんですら初対面の女から一方的に「あっあの人身長175cmはあるわね🤗」と値踏みされるのが現実

https://anond.hatelabo.jp/20250816182909

Permalink |記事への反応(2) | 10:57

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2025-08-06

anond:20250804235546

ジュマンジが好きならマスクとかインディージョーンズシリーズとか

あと、ゴーストバスターズとかブルースブラザーズとかメンインブラックとかスピードとか

Permalink |記事への反応(0) | 10:21

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2025-08-05

anond:20250804235546

ダイハード123とか良かったと思う。ブルースウィリスさすが。

沈黙の戦艦とかスティーブセガール若い時のシリーズも見やすい。

フォレストガンプが出ていたけどトムハンクスが出ている映画は大体わかりやすくて見やすい。

インドの「きっとうまくいく」とかも長い割に見やすかった。

Permalink |記事への反応(0) | 20:34

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anond:20250804171112

  1. 消えた臨急
  2. 大空の恐怖
  3. バスカヴィル家の犬
  4. 瀕死探偵
  5. 空き家冒険
  6. 最後事件
  7. ブルースパーティントン設計図
  8. ルンバーの謎
  9. 時計だらけの男
  10. ボヘミアの醜聞

Permalink |記事への反応(0) | 17:45

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anond:20250804171112

君主論とか、孫氏の兵法とか面白いと思う。

フィクション小説ではないけど。

フィクションなら、シェイクスピアマクベス面白いかも。

推理小説なら、ホームズ赤毛連盟とか、ノーウッドの建築業者、ブルースパーティントンの設計書あたりが好き。

Permalink |記事への反応(0) | 16:07

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2025-07-29

anond:20250728222004

カノン進行とか日本独自文化だよな。

海外ミュージシャンからすれば日本歌謡曲コード進行が複雑すぎると思われてる。

海外名曲と呼ばれる曲の中には2コードしか出てこないものも珍しくないし

アホほど演奏されてるブルースなんて基本3コードだ。

カノン進行って呼び名のもの日本独自文化だし、

型にハマりやすいのもいかにも日本って感じがする。

問題なのはこのコード進行なら間違いないって手抜きに使われてること。

判を押したようにどれもこれも似たような曲なのはこのせいだ。

DTMボカロ文化音楽的なセンスや才能のない一般人が参入してきたのも

この傾向を加速させてる問題の一つ。

おそらく今後日本でまともな作曲家ミュージシャンは出てこないだろう。

アニメドラマタイアップ再生数さえ稼げれば一流扱い。

音楽番組と称してダンスパフォーマンス中心で

歌えば音程しまくりのガキばかり。

趣味の細分化とかそんな次元じゃなくもう終わってるのかもしれない。

Permalink |記事への反応(1) | 14:26

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2025-07-06

anond:20250706092118

朝目が覚めたら死ね なんとなく生きてたお前死ね

明日もきっと死ね ダラダラ生きるだろ死ね

あんなに空が綺麗に青く澄んでるというのに

何かが足りないよ死ね 何かが欲しくて死ね

走ってみるんだ死ね夜明けの街一人

一番星から~ 輝いているのさ死ね

豚が西向きゃ~しっちゃかひっちゃか…

朝日を追いかけ夕日~しっちゃかひっちゃか…

泣きたい涙も何処かに消えた~しっちゃかひっちゃか…

天国探して地獄を見つけた

死ねブルース

煙が苦いよ死ね人生甘すぎる死ね

心が寒い死ねよ 世の中暑い死ね

タコの足10イカと間違えちゃう死ね

男と女ちょっとの違いで死ね どして揉めるの死ね

たかバスト90ウエスト90ヒップ90 ただのドラム缶死ね

怒るのに疲れた死ね 泣くのに疲れた死ね

笑うのに疲れた死ね 喋るのに疲れた死ね

歌うのに疲れた死ね

Permalink |記事への反応(0) | 09:27

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2025-07-03

Windowsブルーススプリングスティーン

Permalink |記事への反応(0) | 23:57

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選択夫婦別姓制度をめぐるメモ

選択夫婦別姓制度をめぐる議論が盛んである

ChatGPTと哲学的議論したところ、思いがけず興味深い展開になったのでメモっておく。

選択夫婦別姓議論は、単なる法律修正にとどまらず、私たち「家族」や「個人」、「自由」についてどのように理解し、どのように他者と共に生きていくのかという、深い倫理的問いを私たちに突きつけている。これは、制度の整備によって個人自由拡張することを目指しつつも、そのことによって新たな葛藤排除が生まれうるという、自由のものの逆説的性格に由来する問題である日本においては、明治期以降、戸籍制度の下で夫婦は同姓とされてきた。それは「家」を単位とする社会制度の表れであり、制度に従うことは“当たり前”とされていた。戦後民法は大きく改正されたが、戸籍構造根本的には変わらず、「1戸籍=1氏」の原則が続いている。この形式一見中立に見えても、現代社会においては多様な家族形態女性社会進出国際結婚の増加などに対応しきれておらず、「選択夫婦別姓」への要望が強まっている。

一方で、反対の声も根強い。その中には、「戸籍制度一貫性が失われる」「家族の一体感が損なわれる」「子どもの姓をめぐる混乱が起こる」などの制度的・情緒的な懸念がある。とくに、「一つの戸籍なかに複数の姓が存在すること」への違和感は、「家族とは何か」という問いと直結している。反対派の主張として説得的だと思えるのは、制度改正にかかる行政コストが得られる利益に比して高すぎるとの主張である

選択夫婦別姓制度における「自由」と「コスト

ただ、こうした議論のなかで、見過ごされがちなもう一つの問題がある。それは、「選択的」であることが、すべての人にとって自由であるとは限らないという逆説である改革に伴い、精神史的あるいは文化的意味で目に見えない傷を残すことになりかねないことに気が付いた。これはもうひとつコスト問題といえるだろう。

選択肢が増えることは、確かに一部の人にとっては歓迎される。しかし、これまで「自明なこと」として受け入れてきた選択しか知らない人にとっては、「選ばないこと」すら“選んだこと”として扱われるようになる。その結果、「なぜあなたは同姓を選んだのか」と問われること自体が、新たなプレッシャー説明責任となり、無言のうちに選ばれていた価値観を「語らされる」状況が生まれる。

W・ベックは「リスク社会」のなかで、近代社会における制度技術の発展が新たなリスクを生み出し、個人がそのリスク自己責任管理選択することを求められる状況を「第二の近代」と呼んだ。家族制度の再編や個人化の進行は、まさにその一端であり、個々人が従来の慣習に頼ることなく、「選択しなければならない自由」のなかに放り込まれている。

選択夫婦別姓制度も、こうしたリスク社会における制度の一つと見なせる。個人自由の拡大は、必ずしも解放ではなく、「選ばなかった理由を問われる不安」や「所属根拠を失う不安」といった新たな社会リスクを伴う。それゆえ制度設計においては、ベックの言うような“制度化された個人化”が生む影の部分——すなわち、自由責任の過剰な個人化による孤立不安——をも視野に入れる必要がある。

自明性の喪失」がもたらすアイデンティティ不安

この現象は、韓国2008年に導入された「個人単位戸籍制度家族関係登録簿制度)」の議論にも通じる。韓国では長らく「戸主制度」が存在し、家父長制的家族観が法制度にも深く根を下ろしていた。2000年代に入り、女性団体や若年層から批判を背景に、家制度的枠組みを廃止し、個人単位とする新たな制度へと移行した。しかし、それによってすぐにジェンダー平等が達成されたわけではない。

しろ制度改革後に見られたのは、「選べる自由」が広がった一方で、「選ぶことを求められることの重さ」が可視化されたこである。これまでの夫婦同姓制度では、「姓は変えるもの(主に女性が)」という文化が、慣習として“疑いなく受け入れられていた。

ところが選択肢が生まれると、たとえ同姓にしたとしても、「それは自分意思か?」「配偶者強制されたのでは?」「女として主体性があるのか?」という「選択の真偽」を問う視線生まれる。これは日常選択に、政治性と倫理的自己確認を持ち込む構造でもある。

たとえば、韓国の若年層においては、恋愛結婚出産の三つを放棄する“Sampo世代(三抛世代)”という言葉流行し、さら結婚出産恋愛に加え、家族男性との関係異性愛自体拒否する「4B運動非婚・非出産・非恋愛・非性愛)」が広がった。これらは、制度改革の先にある、よりラディカルな文化的実践であり、「選択肢があること」そのものに抗する自己防衛的な態度とも言える。4B運動担い手たちは、単に従来のジェンダー規範拒否するのではなく、「社会的な所属関係」そのもの解体する動きを見せている。たとえば、4B参加者たちは、「家族説明しなくていいから、恋人もいらない」「自分の性を自分管理する」といった語りをSNSで共有し、連帯承認を得ている。ここには、制度の外にとどまることによってむしろ自己尊厳を保つという新たな主体性表現がある。ベックのいう「選択強制」への拒絶反応韓国社会でこうした形で現れているのは興味深い。

沈黙する自由」のジレンマ

こうした言語化をめぐる現象は、日本ではすでに1970年代から表現としての萌芽が見られた。たとえば中川五郎の《主婦ブルース》(1969年)は、まさに「沈黙自由」と「自明性のなかに生きることの苦しさ」を逆説的に描いたフォークソングである選択自由すら与えられず、「女とはこういうもの」として役割に組み込まれ存在叫びが、ブルースという形式で“語られる”ことによって、沈黙が破られるという構造になっている。中川五郎の歌は、現代フェミニズム運動文化的系譜のなかで、語られなかったものを語ることで、社会の“自明性”を暴き出した初期の詩的実践と見ることができる。

一方で、この作品は、主婦という存在社会的変革の外側に置かれ、家の中で沈黙していること自体が、政治意味を持つという問題を描き出している。作品中の主婦は、学生運動に参加する息子から沈黙共犯だ」と責められるが、自らの言葉で「家庭が一番」「まじめに生きるのには疲れたわ」と語り返す歌詞がある。息子の視点は、60年代70年代左派運動ベトナム反戦学生運動階級闘争)の倫理に基づいている。「沈黙共犯」とはサルトル実存主義倫理象徴する言葉だ。

「まじめに生きるのには疲れたわ」という母の言葉に現れるのは、正しさからの逃走である政治主体でもない、声高に抗議しない、けれども一日を必死に生きる――そういう「声なき多数者のリアリティである。この「疲労言葉」は、政治正義言葉ではすくい取れない主体感情的深度を表しており、母として、女性として、主婦として生きる複雑な立場が凝縮されている。ここで描かれる沈黙は、単なる服従無知ではない。むしろ言葉を発することに慎重であるがゆえに沈黙を選び、その沈黙をもって自己尊厳日常を守ろうとする姿勢である。この沈黙には、語らないことによってしか保てない尊厳と、自己存在の最終的な防衛線が込められている。

しかし、「語らないことを自分意思で選ぶこと」を歌を通じて語るところに沈黙自由ジレンマがある。

このような表現は、フェミニズム文脈においてしばしば見落とされがちな、語らない主体論理可視化する重要な契機となる。また、このような「語らないこと」の倫理は、寺山修司詩作にも見られる。たとえば阿部定事件主題にした作品群では、語られすぎた欲望暴力物語の外側に、語られないままの沈黙が配置される。寺山にとって、語ることによって自己が立ち上がるのではなく、語らないことによってこそ輪郭を与えられる主体存在するという逆説が重要であった。とりわけ彼の詩や戯曲に描かれる女性像(娼婦、母、乙女)は、しばしば制度の外に佇み、語られずにいることによって、むしろ社会暴力性を照らし出す存在として描かれる。

沈黙のうちに自己選択を成立させる女性の姿は、語ること・主張することを通じて自我を立ち上げてきたフェミニズムの流れとは一線を画しながらも、それを内側から補完しうるもう一つの可能性として位置づけられる。《主婦ブルース》と寺山修司詩作は、「語らなければ存在しない」という制度圧力に対し、「語らないままに存在し続ける」ことが、制度に対する対抗的な主体性のあり方となりうることを提示していた。

この観点から見ると、制度設計においては、「語る自由」と同様に「語らない自由」「沈黙する権利」をいか尊重するかが問われることになる。

他者との関係において自我がどのように成立しうるか

このような非対称性問題は、他者との関係において自我がどのように成立しうるかという哲学的問いへと接続される。具体的には、制度によって「語らないこと」が許容されるべきかどうか、また沈黙する者をいか制度の中で位置づけるかという課題が生じる。

ここで参照されるべきは、社会学者チャールズティリーが論じた「カテゴリー的不平等(categorical inequality)」の概念であるティリーによれば、社会制度はしばしば人々を特定カテゴリーに分類し、その分類を通じて資源権利へのアクセス構造的な差異をもたらす。選択夫婦別姓制度をめぐる議論においても、「姓を選ぶ/選ばない」という区分制度的に固定化されると、それ自体が新たな社会境界を生む可能性がある。たとえば、同姓を選んだ者が「伝統を守る保守的立場」とされ、別姓を選んだ者が「変革的/進歩的」な立場と見なされるなど、個人選択無意識のうちに政治的・文化的ラベリングを受ける事態が生じる。これは、選択自由があるからこそ、逆に選択内容が新たなアイデンティティ指標となり、当人意思とは無関係社会評価区分根拠とされるという新たな境界である。そのため、制度設計には、カテゴリー化の力学が生む潜在的排除不利益への慎重な配慮が求められる。

こうした哲学的社会構造的な視点を踏まえたとき制度は単に選択肢を増やすだけでなく、語らない自由沈黙をも制度内に位置づける必要がある。ここから先は、倫理制度交差点において、いかにして沈黙や非選択尊重うるかという、より深い次元議論となる。

まず、レヴィナスは『全体性無限』において、自己他者の顔に直面することによって、つまり一方的な応答責任に巻き込まれることによってこそ立ち上がると主張した。そこには、相互的なやり取りが前提ではない、倫理の根源的な非対称性がある。つまり、語られない他者沈黙に対しても、応答を要請される私たち姿勢倫理の出発点であるとされるのである。こうした観点は、他者沈黙承認する制度設計必要性と深く響き合う。

次に、ルイ・アルチュセールの「呼びかけ(interpellation)」論もここで参照されうる。アルチュセールによれば、個人国家装置制度的言説によって無意識のうちに「呼びかけ」られ、主体として構築される。つまり、たとえ沈黙していたとしても、制度文脈の中ではすでに何らかの立場を“呼び出されている”のだとされる。この点においても、制度に対する無言の従属を単なる自由意思として解釈することには注意が必要である

その一方で、他者承認を通じて自己意識が形成されるという構造を体系的に提示したのが、ヘーゲルの「相互承認」の思想であるヘーゲルは『精神現象学』において、自己意識が確立するためには他者から承認必要とするが、その承認一方的では成立せず、双方が自己表現しあう関係の中でのみ可能であると論じた。この相互承認は、対等な他者関係における自己確立を前提とする点で、自由平等理念哲学的に基礎づける重要モデルである

しかし、現代社会においては「自己を語らない」ことでしか自らの尊厳を保てない人びとも存在する。そのような状況では、ヘーゲル的な相互承認モデルでは十分に説明しきれない現実がある。むしろ、語らない他者沈黙をもそのまま承認し、語る/語られる関係から降りる自由までも包摂する必要がある。このときヘーゲルの構図はむしろ出発点として捉え直されるべきであり、「語らないことを承認する」ための制度想像力は、まさにそこから展開されねばならない。

これら四人の思想家が示唆するのは、制度主体関係性における多層的な緊張であるティリーが指摘した「カテゴリー化」の力学は、制度いかにして人々の行動範囲構造的に規定するかを示し、レヴィナスはその構造を超えて、倫理は常に非対称な他者関係から始まると主張する。アルチュセールは、制度的言説によって主体無意識に構築されてしまメカニズムを暴き、ヘーゲル承認関係対称性を通じて自由の実現を構想した。それぞれの理論は、一面的には矛盾しあうようにも見えるが、選択夫婦別姓制度をめぐる今日の状況においては、むしろ互いに補完的である。すなわち、制度個人いかに分類し、語らせようとするか(ティリーアルチュセール)を見抜きつつ、語られない者との関係倫理を見出す視点レヴィナス)と、語りの対称性に基づく自由モデルヘーゲル)を柔軟に組み合わせることで、私たちは初めて、「語ること」と「語らないこと」がともに尊重される制度設計可能性を構想することができる。

理屈はそうだ。しか果たして、語らない自由保障制度設計に組み込めるだろうか。社会における和解を考えたとき制度の再設計ではなく、制度外の深慮が求められるのではないか伝統・習慣との調和を目指したE・バークのような保守の考え方のほうが示唆的だ。また、文学的まなざし有効な力になるだろう。

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Permalink |記事への反応(0) | 19:53

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2025-06-26

日本にとっての戦後アメリカって何だったんだろうって思うけど、音楽好きとしては「文化をもたらしたもの」という側面は無視できない

日本終戦前後に生まれた人たちが、アメリカ基地の近くに住んでいて米軍ラジオから流れる音楽で開眼したとか、家族米軍基地に出入りしていて彼らの文化に触れたとか、米軍基地演奏して技術を高めたとか、そういうミュージシャンの話はめちゃくちゃ多い

何より、ブルースジャズR&Bファンクロックンロールヒップホップ…などなどの音楽ジャンルのもの開拓したのはアメリカミュージシャン

文化を生み出した巨大な功績があるのは事実なんだよなぁ

Permalink |記事への反応(0) | 06:48

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2025-06-19

マンガ業界最近思うこと

ヤングマガジン

ジェネリック喧嘩稼業を作ろうとしている。

原作自殺したサツドウ、原作変えて現在連載中の暴力万歳ジェネリック感が増している。

作画担当は絵が上手くなった。

ジェネリックよりも本家をもってこい。

下品三銃士彼岸島、サタノファニ、パラレルパラダイス)が読者を置いてけぼりにしてでも独自ワールドを突っ走ったのに対し、ゴールデンドロップ満州アヘンスクワッドはおきれいな裏社会バトルやってるのが許せねぇ。

とはいえヤンマガはお下品育成能力が高い。

平成敗残兵すみれちゃんには期待しているがお下品過ぎて目を背けてしまう。

ONE FOR ALLWebに放逐したのは許さんぞ。

ジャンプ

藤本タツキを作ろうとしている。

タツキの作家性、独自性というのは確かに存在しているが、一般的タツキの作風とされている部分の多くが編集部アシスタント由来だったのではないか

薄いタツキ成分を持った新人が増えて本家タツキも薄い展開ばっか書き続けている。

煮詰めて欲しい。

アスラの沙汰、時間神様殺人(もしくはそれに類似した行為)で警察に追われる展開を同じ曜日に持ってくるのは、当たる要素を連打したほうがヒットしやすいと考えていそう。

連打した野球は概ね成功しているが他ではどうなるか。

ゴーストフィクサーズ、マーシャルキングの二人はヒット作家からある程度の裁量権を与えられてそうだが、サンキューピッチ野球文明エイリアンは題材指定されてそう。

新人発掘能力は大したものだが育成能力カスなんじゃないかと疑っている。

折出てくる子供が書いたみたいな妄想展開+誤字脱字だらけの漫画編集者が敢えて炎上作品を仕込んでいるんじゃないかと思っている。

古くは誰が賢者を殺したかがあったが、あの作者達は筆を折ったのだろうか。

神様、キサマを殺したい。とか第年秒(マグメルは中国裁判になってるらしい)とかどーなってんの。

ジャンプ

ワンピースのお遊戯展開は早くなんとかして欲しい。

週刊カグラバチでいいです。

マガジン

黙示録の四騎士もお遊戯展開をなんとかして欲しい。

敵と戦え!

青のミブロは爽やか青春活劇からどうやって身内で殺し合う新選組へ移行するのかと思ったがシームレスに来ててイマイチ馴染まない。

灰仭巫覡の投げるボールは何処までも遠く飛んでいくので僕達は地平線まで走る羽目になっている。

マンガワン

週刊サンドロビッチ・ヤバ子になりつつある。

おっさん趣味女の子やらせると面白いという時流からマッチョな女が面白いに先鋭化している。

常人仮面、裏バイトベースボールブルース、雷雷雷、ミハル戦場COSMOS、アフターゴッドは宣伝力不足じゃないか

もっと売り込んでくれ。

語りたいことは山ほどあったが最近風の大地ライフを吸われている。

沖田ァ~ァッ!

チャンピオン

乱破ヤンキー忍風帖〜が新世代のヤンキー漫画って感じで面白い

全然話題にならないけどもっと話題になって良いんじゃないか

加瀬あつしと別方向に進んだヤンキー漫画進化を感じる。

同じくヤンキー漫画タイムリープ面白かったナインピークスをWebに放逐したのは許さんぞ。

関係ないけど髙橋ヒロシWikipedia、作者情報ほとんどないのは何かあるのか。

ヤンキー漫画って現在不遇だけど少年漫画少女漫画架け橋として頑張ってほしい。

サンデー

よふかしのうたやってた頃のサンデー黄金期超えて金剛期だったが最近陰り気味。

不滅のあなたへが好きだったが終わり方は尻切れトンボだった。

龍と苺のエクストラ展開はかなりぶっ飛んでいたが今のところいい感じ。

藤田島本のいちゃいちゃは個人的に好きじゃないのと自己パロディに陥っている感があるのでなんとかして欲しい。

自分ニュートラル視点で見られるように頑張る。

Permalink |記事への反応(2) | 09:43

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2025-06-18

anond:20250618103653

しろロックからブルース要素抜いてクラシックだとか他の要素入れてるのがメタルでは

Permalink |記事への反応(0) | 10:38

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2025-06-12

anond:20250612232725

ブルースなんかは一応誰でも出来る(嘘だよかなりうまくないと無理だよ)ということになってるが

ガチで誰でもだと幼稚園のお遊戯時間になるが...

Permalink |記事への反応(0) | 23:32

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2025-05-25

anond:20250525000135

♪「イルカクジラも楽しさや悲しさを表現するために唄うらしい」

(イントロ -GmCm FBb)

(Aメロ)

GmCm

明け方の港 潮風が髪を撫でる

FBb

眠れない夜の続きみたいな 静かなブルー

Eb Ab

遠くで聞こえるのは 誰かのエンジン音か

Dm7(♭5)G7

それとも海の底から響く秘密の歌か

(Bメロ)

Cm F

都会の喧騒から離れて 耳を澄ませばほら

Bb Eb

イルカのシルエット 波間に踊る

AbDb

楽しげな声 悲しげな声

GmCm

言葉じゃない何かで 心に触れる

(サビ)

FBb

ああイルカクジラも 唄うらしい

Eb Ab

喜びも憂いも あの深い海に溶かして

Dm7(♭5)G7

届くはずないと思っていた その歌声

Cm F

胸の奥に響くのは なぜだろう

(Aメロ)

GmCm

夕焼けが滲む水平線を見つめてた

FBb

過ぎ去った日々のカケラ 拾い集めるように

Eb Ab

誰にも言えない想いを そっと打ち明けてみようか

Dm7(♭5)G7

あの歌に乗せて 海の彼方へ

(Bメロ)

Cm F

孤独を隠して 生きてきたんだ

Bb Eb

強がることに疲れてしまったんだ

AbDb

でもあの歌は 知っているんだきっと

GmCm

本当の気持ちを 隠せないこと

(サビ)

FBb

ああイルカクジラも 唄うらしい

Eb Ab

喜びも憂いも あの深い海に溶かして

Dm7(♭5)G7

届くはずないと思っていた その歌声

Cm F

胸の奥に響くのは なぜだろう

(ブリッジ)

EbBb/D

人間みたいに言葉を持たないけれど

CmGm

かに感じる 熱い鼓動

Ab Eb/G

同じように 悩み 同じように 願い

FBb

生きているんだ きっと

(サビ)

FBb

ああイルカクジラも 唄うらしい

Eb Ab

喜びも憂いも あの深い海に溶かして

Dm7(♭5)G7

届くはずないと思っていた その歌声

Cm F

こんなにも優しく 包み込むから

(アウトロ -GmCm FBb (フェードアウト))

GmCm FBb

コード解説変ロ短調ダイトニックコードを中心に構成しています

Gm:変ロ短調の主和音(i)

Cm:変ロ短調サブドミナントマイナーiv

F:変ロ短調ドミナント(V)

Bb:変ロ短調の平行長調(III)の主和音。ここでは同主短調からの借用和音的な響きを持たせています

Eb:変ロ短調の平行長調(III)のサブドミナントIV)。ここでも借用和音的な響きです。

Ab:変ロ短調の平行長調(III)のトニック代理vi)。

Dm7(♭5):変ロ短調の導音(vii)のディミニッシュコードに7thを加えたものドミナントへの強い繋がりを持ちます

G7:ドミナントマイナーブルーフィーリングや、次のCmへの解決をより強くするために使用

Bb/D:Bbの第二転回形。ベースラインを滑らかにする効果があります

Eb/G: Ebの第二転回形。同様にベースラインを滑らかにします。

演奏のヒント

イントロアウトロは、アルペジオで静かに弾き始めると、曲の雰囲気に合うかと思います

サビは少し力強く、感情を込めて演奏すると良いでしょう。

ブリッジの部分は、少しコードの響きが変わり、サビへの盛り上がりを作るようなイメージ演奏してみてください。

Permalink |記事への反応(0) | 00:09

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2025-05-23

あなたは「女子高生バンド」という概念に囚われすぎ

LAUSBUBについての意見

https://anond.hatelabo.jp/20250522113747

だが、この人はLAUSBUBの他の曲をちゃんと聞いたんだろうか?

「棘にある動画レベルで出場だとしたら」と書いてるのでたぶん聞いてないんだろう。ブコメでも指摘されてるが。

この手の人ってどうして「~だとしたら」って前提を勝手に作ってしまうのか。「だとしたら」じゃないのよ。

まず最低限youtubeに上がってる、より直近の楽曲も聞いた上で分析すべきでしょ。

さらにLAUSBUBについて具体的に語ってるのは最初の数行だけで、後はずーーーっとブルースがどうのとかジミヘンがどうのとかの話ばっか。

そんなの考えてる暇あったら他の曲も聞きましょうよ。

んで、彼女らが制服でやってる当時の演奏は確かに技術的に拙いよ。そのままの構成野外フェスの大きさでやるには不向きだろう。

だけどそれだけで「負けるだろう」とか言い切れるのがほんとにすごい。これが音楽好きの言うことなのかと呆れてしまうという意味ですごい。

彼女らの他の楽曲も聞けば、バックグラウンドに明らかに様々な音楽根付いてることが分かる。

ベースとしてはテクノニューウェーブの影響が濃いのは明らかだが、その後にこれはどういったジャンルから吸収されたものか分からない。

恐らくより色んな音楽を聞くようになって、インダストリアル系やアート寄りな音、サンプルも取り入れつつ(マスロックも聞いてるかも)、そこに本人たちのルーツにある素朴なロックポップスコード感などが混ざり合ってるようにも聞こえる。

最近の(インディーズでの)若い人の楽曲の特徴として、バースブリッジコーラスAメロとかサビとかのあれ)みたいな安定感のある構成無視する傾向もある。

やり過ぎると気持ちよく聞けないのでそれこそ素人が手を出すには危ない領域だが、LAUSBUBはそのへんのバランス感覚も優れていると思う。

理屈でやってるわけではなさそうだけど、結果的に単なる実験的なエレクトロというだけでなく、どこかポップミュージックとしての軽快さもある。

彼女らの曲を聞く限り、フジロックに出るレベルじゃないだろとは安易には思えない。

少なくともフジロックジャンルを絞ったものでなく、多様なジャンルごった煮フェスである

勝った負けたなんてさほど重視されないほど今の音楽は多様になっているのだ。

自分が感じた感想は、あのとき女子高生で拙い技術ながら熱を感じる曲をやっていたあの人達が、

そのまますくすくと成長した結果音楽的にもより豊かな世界を作るようになったのか、なるほどそれでフェスに参加か、素晴らしいね、だった。

たぶん元増田は「女子高生」とかのワードに引っ張られすぎなのだ

自虐的に「おじさんが同じことやってもどうせ受けないでしょ」とか書いてるけど、そもそもやれば同じことできると思ってそうなのが舐めている。

Permalink |記事への反応(0) | 04:19

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2025-05-22

anond:20250522113747

ジミヘンとかツェッペリンを崇拝するジジイブルースギターしか音楽のことがわからないし

電子音楽を謎に見下しているんだよなあ

Permalink |記事への反応(0) | 19:00

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2025-04-25

madcity chiva 」はどういう意味ですか

madcity chiva」という言葉は、いくつかの意味合いを持つ可能性があります

1.スラングとしての可能性:

英語スラングで「chiva」は、地域によってヘロインマリファナ意味することがあります。したがって、「madcity chiva」は、「麻薬蔓延している狂った街」のような意味合いになる可能性があります。ただし、この解釈は非常にネガティブで、特定地域を指している可能性も低いと考えられます

2.音楽作品可能性:

日本音楽プロジェクトヒプノシスマイク」に登場するヨコハマディビジョンのチーム「MADTRIGGER CREW」の楽曲「ベイサイド・スモーキングブルース」の作曲編曲に、CHIVA from BUZZERBEATS という人物が関わっています。この文脈では、「madcity」は「MADTRIGGER CREW」が拠点とするヨコハマの狂騒的なイメージを表し、「CHIVA」は楽曲制作者の名前を指していると考えられます

3. その他の可能性:

madcity」は、文字通り「狂った街」という意味で使われている可能性もあります。そして、「chiva」はスペイン語で雌ヤギを意味する言葉です。この二つの言葉が組み合わさって、比喩的意味合いを持つ可能性も否定できません。

非常に限定的な、特定コミュニティ内でのみ通用するスラングニックネームである可能性も考えられます

結論として、文脈不明なため、正確な意味を断定することは難しいです。

もし、どのような状況でこの言葉を見たり聞いたりしたのか教えていただければ、より正確な意味を推測できるかもしれません。

Permalink |記事への反応(0) | 14:17

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2025-04-24

anond:20250420135244

あなた粘着してる人たちから批判されちゃってるぞ!!

ブルース下りとかドヤ顔で言ってそ〜って馬鹿にされちゃってる!!

おんねこの作者と物の解像度が一緒とも言われてる!!

おんねこの作者は描き続けてすごいとは言うけれど読めば読むほど

「あれ?なんかこれおかしくね?おかしものおかしいまま描き続けている」

「おんねこみたいに絵柄や内容を息を吸うようにパクってしまっている」

「成長を全く感じない。こいつは描くのが楽しい、上手くなりたくて漫画を描いているのか?なんで描き続けているのが分からない」

「でもそのズレっぷりがなんだか読んてで滑稽、しか内面まで見てくとなんだかやばいセミナーに騙されてそうで心配だ」

あなたの言う粘着(いわゆるSyamuやカツドンチャンネル漫画版みたいなウォッチャー)が生まれちゃった!!

Permalink |記事への反応(0) | 07:52

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2025-04-20

おんねこと作者に未だに粘着してネチネチ言ってる一派がXにいてどういう人達なんだろ…と思いながらたまに眺めてたんだけど、この間見たらアンフェがどうこう言っててあっそういうの兼任の人なんだと納得した

その音が響き渡ればブルースは加速していく

Permalink |記事への反応(2) | 13:52

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2025-04-15

3大ブルースウィリスさん映画

3大ブルースウィリスさん映画といえば

1.ラストボーイスカウト

2.ダイハード(1作目)

3.フィフス・エレメント

なんだけど。

やっぱなんだかんだダメ男哀愁とシゴデキの落差を演じさせたら世界一だったよな

ちなみに次点はその視点16ブロック

Permalink |記事への反応(1) | 08:34

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2025-04-11

anond:20250411223550

多分だけど最初の予告映像の頃とかはそんな感じにする予定だったんじゃないかと思ってる。

ノーティもかなりゴタゴタしてブルース・ストラリー辞めてニールドラックマンのタガが外れたかあんな感じのストーリーになったのかなと。

ゲーム自体オープンワールド風にしようとして辞めたのか、無駄に広いマップとかあるし最初期にバグだらけだったのでクランチクランチ妥協した結果だとは思うけど。

Permalink |記事への反応(0) | 22:47

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2025-03-31

anond:20250331232232

なんでブルースブラザーズとトンズラブラザーズがいねぇんだよ。

Permalink |記事への反応(0) | 23:23

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