
はてなキーワード:ブランディングとは
みんなやってる
令和の虎かなんかでもインスタのオートいいね、フォローボットやっとりますねん!って堂々と出てきて
規約違反やろがい!って怒られてた奴がバズってたやん。
それを手動なりマクロなりでやってる代行業者やってる奴らがいっぱいいる
相手が「どんな人なのかな~」って見に来る
→認知ゲットだぜ!
返報性の原理でいいねを返したりフォローした方がいいのかなという心理が働く
→認知ゲットだぜ!
業務用アカウントで「いいね」する行為というのは「エンゲージメント獲得」のための営業である場合が多い
「××コーチング」みたいなスッカスカ有料記事書いてるカスどもが死ぬほどいいね送ってくる
あれってあいつらが買った情報商材にそうしろって書いてあるからなんだよ
フォイー(フォローしてる数)とフォロワー(フォローされてる数)の比率はそのアカウントの価値に関わるから
いるじゃろ、フォロイー4000人、フォロワー3000人みたいなアカウント
そういうの見ると思うじゃん、必死だな(藁)って。
こいつ誰彼構わずフォローしてるなぁって思われるとやっぱ価値が下がる。
※フォローしまくってある程度フォロバ稼いだらフォロー切る営業も当然ある。
それが自分と関係ないFAにいいねするという行為が該当するかどうかはともかく
実際に全然関係ないタグのポストにいいねしてくる公式垢のやつ奴ってやっぱそれなりの数いて
それを「営業やめろよ」とまでは思わなくても「意図は何なの?」とは思う
そいつが同じタグの投稿をしてる同好の士とかならまだわかるし嬉しいけど
全然関係ない興味もなさそうな奴だったらなんかキモいなってなるのはわかる
もちろんスワイプする時の誤タップの可能性だってあるからクレームつけたりはしないけど
ただ業務用アカウントでの文脈のない「いいね」は営業と捉えられることがあるってのは
もし知らないんだったら知っておいた方がいい
EV批判の一つで車重が重いから道路への負荷が高い、不経済だと言う人がいる
テスラのModelY、車重は1950kg(内バッテリー771kg)
まぁこの時点で大して違わなくね?なんだけど、まぁいい、EVの方が重い、そりゃ認める
と・こ・ろ・が
初代日産リーフ(2010年)24kWh/294kg。つまり81wh/kg
1179+(771/2)=1564kg
ガソリン車には車重軽減の余地はないから10年後も変わらない。
トヨタは2028年まで全個体で350wh/kgのBEV投入を目標にしてる
結論ざっくり言えば車体重量は2030年前半にガソリン車を追い抜いちゃう(軽くなる)
重い車は環境に悪い?
ええのんか?ええのんか?そーゆーこと言うててええのんか?ブーメランやで
ついでに価格もエグい。バッテリーってのはざっくり毎年2割くらいずつ安くなってる。
四半世紀前に2000$/kWhだったのが10年前に800$/kWhを切り
現在では115$/kWhまで下がってる。
EVの原価はほぼバッテリーだからバッテリーの単価が下がれば車体本体の価格は劇的に下がる。
画期的バッテリーが完成してからEVやればいいじゃん、って奴は技術や経済を理解してない
EVやるからバッテリー開発に投資が向くんだよ、技術が加速する
そして技術的にはガソリンを凌駕するプロダクトに到達する目処があるからメーカーは今からブランディングするの
シェアを取るの
天皇家って戦前は超巨大金融マフィアだったのね、銀行や重厚長大産業の株や債権を大量に保有してた。
例えば日本郵船って一般には馴染みの無い会社だけど、現在でも超絶堅実鉄板企業なんだけど、戦前は天皇家が大株主で20%程度を握ってた。
原油タンカーが中東と日本を1往復すると10億円かかる。太くてでかい商売なの、途切れることは無い、ガソリン消費が続く限り。
鉄鋼や資源開発なんかも同じ
戦前の天皇の私有財産はGHQに全部召し上げられたんだけど天皇もバカではないから戦中、戦況が厳しくなった時点でかなりをスイスに隠してた。
これの行方っていまだに謎なのね。
天皇の株式支配は敗戦で終わったものの、皇族、宮家、元貴族の真上級人的ネットワークは瓦解してない
いわゆるやんごとなき方々のコミュニティ
この人たちとて戦後も美味い飯を食い続けたいわけで、いまでも財閥やら重厚長大鉄板系企業の多くに根っこを張ってる
幸せなんて雑で良いんだよ
雑に仕事して雑に給料もらって雑に飯食って雑に生きてれば良い。誰にも責められない。
社会的成功だの自己ブランディングなんてのはあったら良いぐらいで別に幸せに必須じゃない。でもそういう価値観の中にあるとそうじゃない自分が不幸に思えてくる。それは良くない。
最近YouTubeでよく見る、スニーカークリーニング系の動画。ある店が勢いに乗ってるそうで。それはそれは景気が良いこと。
汚れたソールやアッパーが洗剤でクリーニングすると白くなり、古い靴がまるで状態の良い古着のように蘇る——あの手の映像、気持ちはいい。でも現実はあんな簡単じゃない。
ソールの汚れを落とすには粉末クレンザーで削るように落としたり、パーツクリーナーのようなケミカル製品や電動歯ブラシを駆使したり、時間と手間と根気が必要。
“軽く擦ればピカピカ”なんてことはまずない。一本の動画の裏には、数時間の作業と根気が隠れている。
とくにスエードは最悪だ。
多少きれいにはなるけれど、風合いは完全には戻らない。毛が固まって質感が死ぬ。
売り物としての価値は消えるし、触感も「もう終わったな」と感じる。
スエードの良さはあの繊細な起毛にある。そこが死んだ時点で、その靴の寿命は終わりだと思っている。
ソールが減った靴にパッチを貼るなんてのも、正直好きじゃない。
SDGsだのリペア文化だのといえば聞こえはいいけど、減ったソールを誤魔化して履くより、潔く買い替えた方がよほど気持ちいい。
“長く使うこと”が偉い、みたいな風潮には共感できない。
労力をかけてまで蘇らせるより、次の一足に出会う方がずっと楽しく、現実的だ。
1200円で売られているけど、ダイソーにほぼ同じ形のものが100円である。
高いほうは「高級そうに見える」だけで、本質は変わらない。
多くの人が“見た目の価格”を買っている。
でも、私は見せかけより本質を重視したい。
見た目だけ整えた“再生品”より、潔く選び抜いた“本物”を扱うほうがずっと誠実だと思っている。
基本的に、デッドストックで手に入らないもの以外は潔く買い替えた方が満足度は高いし、手間もかからない。
あとは個人的に思い入れのある靴だってんなら、一生懸命手間ひまかけてきれいにする価値はあるんじゃない?
でもそれ以外のあまりにソールが減った靴とか、ボロボロの見た目になってしまったらそこはもうリペア業者へ依頼する領域になってしまって、金がかかる。
そこまで状態が悪くなったらもうそれは寿命を迎えたゴミ。(リペア業者にとっては研究用として価値があるかも)
歴史上の人物や世界的に有名な人が実際に履きつぶしたものとか世界に一つしかないような貴重なもの以外はゴミ。
「廃棄品」が10g500円で飛ぶように売れる…過疎地の農家の「拒絶」と向き合ったヨソモノ39歳女性の勝ち筋
https://president.jp/articles/-/103139
重要なのは、この人を見て思い出しただけで、この人のことを書いているわけでは無いと言うことに注意だ。
誰も名前もしらない化粧品屋。地元の特産物のエキスを入れた化粧水を作りたいと言う。
はぁどうぞご勝手に、と言う事で廃棄でいいからとほぼタダで持っていったのがコンテナ1個分程度の作物。
なんとそこから1本3000円する化粧水が1000本以上もできたらしい。ほとんど濃度レメディレベル
そしてそれを自社のECサイトで売るのかと思いきや、売って回った先は地元の問屋や土産物屋。おおそういう商売か地元応援がんばろう!と言うことで買うんだが
当然持続可能な商売ではないため、買わされるだけ買わされてワンロット売り切ったらもう連絡が取れない。
ECサイトで大々的に売られていたはずが影も形も消えて、一応事例には○○町の特産品で作った化粧品がめっちゃ講評で愛されて、と言う架空のブランディングが残っている。
どうやら場所をかえて次々と田舎者を食い物にしているらしい。地域振興系の懇親会で話したらうちもやられたというところが何カ所か。
規格外フルーツをあつめてそれを加工して商売にしたい、と言うのは古典的だが、いつまでたっても規格外がなくならないのはそれが上手く行かないからである。
で、農家が規格外を使いたいと言う輩が来ても相手にしないのは、だいたい何度も面倒な事になっているから。
冷凍フルーツ詐欺もそれで、集めた規格外のフルーツをカットし、最新の液体窒素を使った冷凍製法で冷凍にすると商品になって高く売れると言う。
それを地元の農協や自治体に働き書けて出資させ、工場を作って加工開始
するのだが
規格外であるため人件費が嵩みに嵩んで上手くいかない。当然利益も出ないが補助金の縛りで二年目も稼働することになるが、こうなってくると規格外では無理になるから規格外の価格で規格品を寄こせと言ってきたりと揉め始める。
さらに3年目ぐらいでおおよそ破綻して、補助金は返金されないまま破綻。
事業をやっていた輩は1年目の稼働直後ぐらいにいつの間にかいなくなっており、実は工場設備屋の補助金詐欺に近いようなものだったと言う事が後で分かった。
世の中のビジネスを一括りに「価値を生む」と考えるのは幻想だ。
確かに、物流、医療、インフラ、製造といったエッセンシャルワークは明確な価値を生み出し、人々の生活や社会を支えている。
しかしその一方で、現代の多くのビジネスは「アテンションの奪い合い」でしかなく、虚業の匂いを強く漂わせている。
SNSマーケティング、派手な広告、自己演出によるブランディング。これらは、商品やサービスの本質的価値とは無関係に、人の目や関心を集める能力で評価される世界だ。
真面目に製品を改善したり、顧客の課題解決に取り組んだりする努力は、誰の目にも映らなければ報われない。
一方、目立つパフォーマンスや派手な数字を作ることだけで高く評価される。
もちろん、情報過多の現代において、人の関心を引きつける力は経済的価値を生む場合もある。
しかし、それを「唯一の有能さの指標」として社会が扱うのは、明らかに狂っている。
エッセンシャルワークが生む価値や、地味だが確実な成果は軽視され、虚業の華やかさだけが光る。
その結果、優秀な人間が正しい仕事をしても、誰にも見えず、無力感に苛まれる構造が生まれる。
ひとつは確かな価値を生む実体的な世界、もうひとつは虚業的なアテンションゲームの世界。
後者で「有能さ」を測られる限り、努力や才能の本質は正しく評価されず、結果として多くの人が地獄のような評価制度に縛られることになる。
嘘まみれの詐欺イラストレーターに騙されてたってだけの話じゃん
この業界はコネと自己ブランディング上手いやつたくさん人の目に付く仕事出来て、沢山人の目に付くからお前みたいな信者も出来る
そういった「自称ビジネス系インフルエンサー」の言動、非常に視野が狭く、本質を見誤っている可能性が高いですね。
彼らが「ストーリーが重要」と主張し、高スキルのITエンジニアやエッセンシャルワーカーのような専門職を軽視する背景には、以下のような考え方や動機が透けて見えます。
高スキル人材やエッセンシャルワーカーに対する「お前はいずれAIに代替される」という言葉は、彼らの不安や嫉妬の裏返しである可能性があります。
真のビジネスとは、「ストーリー」というパッケージングより、「技術力・専門性」という中身(実体価値)があって初めて成り立ちます。それを軽視し、他者を叩くための道具として「AI」の話題を持ち出すのは、そのインフルエンサーが提供できる価値の限界を示しているのかもしれませんね。
彼らの言葉に惑わされず、あなたが注力している専門性の高いスキルや、社会に不可欠な仕事の価値を自信を持って評価し続けることが大切だと思います。
どう考えても100%関税が発動したらハリウッドというかアメリカの映画産業が終わることは分かってる思うが、自分なりに意見をまとめとく。
「海外に制作技術の流出ガー」と言ってる人も居るようだが、制作部分を海外に投げて、俳優とブランディングだけハリウッドでデコレーションして販売していく方式は、ある意味では商売的に最も美味しいところだけをアメリカがかっさらっていくやり方だったわけで、まさにドル高時代のアメリカらしい商売であった。それを破滅的に破壊すればハリウッド映画産業そのものが崩壊するだろう。一時的にハリウッドの地元の映画スタジオの仕事は増えるかもしれないが、映画産業全体が没落すればそれも終わりだ。
そうそう。
「ポリティカル・コレクトネス対応を強く打ち出す方が商業的に成功する」と考えてそう演出している
ということ。
例えば、ディズニー映画なんかは一時期明らかにその傾向で、これは社会的に批判されたとしても、メインターゲットである子ども・・・というより、その子どもに何を与えるかを選ぶ親が、子どもに見せたいと思わせる事が重要だ、と考えて行動している節がある。
例の吉田某もこう考えてブランディングをやっている可能性はないかとは思った。
極端なことを言うと、こうして対立を煽って話題を作った方が売れる…炎上商法をやっている可能性すらあると。
これだったら姿勢としては一貫していて、いずれもプロの仕事だと言えなくもない。スタッフ関係者で同意が取れていれば、であるけど。
(ただし、その可能性は限りなく低いと思っている。少なくとも芳文社が是とするわけが無い)
ただ、これはだいぶ崩れてきていて、ディズニーは公にこの方向性を撤廃する宣言しているんだよな。今出てきている映画はその方向転換前にほぼほぼ完成していた作品ばかりで、今後は振り戻しがあると思われる。
また世界中に配慮した結果、まるで「殿様に献上された目黒のサンマ」みたいになって旨くくもなんともないみたいな、無難も無難になった。
ヒットがいずれも小粒になっていると言う現実がある。たしかに大コケは減っているが、インフレ率を補正すると過去の大ヒット作には勝てないと言うような状態が続く。同時上映可能な最大スクリーン数は圧倒的に増えているのに、だ。
このままだと、今は良くても過去の遺産を食い潰したら先がない。だからもうこれも古い失敗施策なんだよね。
件の講演会は、ファン向けと言うよりアニメ制作者側をターゲットにしたものだったらしいから、このあたりは誰かデータできちんと指摘するべき所だったと思う。
ワイとしては、吉田某は独りで作業をしていて、周りにそう言った戦略を考えたり、アドバイスしたりする人がいないんじゃねえかなと思ったよ。
チームになってないというか、支える人がいないのではないかって。
だから講演する側ではなくて、数字などを勉強するべきだった、せめて、く職権や能力を超えた話をしてしまっているという所をだれか指摘するべきだったよなって。
芸能人は本人であっても「本人役」であって、イメージは総合的に作られるもの。本人が得意なものの方が演じやすいからそれに準拠するのが普通としても、色々なスタッフが関わって作り上げる総合芸術。
なので、プーチンによる侵略戦争がスタートした時に色々考えて、言及せずにスルーする戦略は合理的で、そうすることでイメージの汚染を少しでも防いだんだね。
個人的には変に荒立てるよりこのほうが好感がもてるよ。ちゃんとしたスタッフがいて、本人役に丸投げじゃなかったんだなって思うから。
それに比べて脚本家の方は、まぁ、連想する方が悪いと言う話は成立するにしたって、不用意すぎるっていうか、もうちょっとブランディングの基礎ぐらい勉強して来いや、っていうかさ。
ブランディング的に・・・というのは分かるし、粗製乱造されたエロAI絵で埋め尽くされたりするのもしんどいでしょう。
とは別に、表現の自由とめっちゃバッティングしてない?とも思ったり。
いや、タレントの皆さんが超真面目に競技に臨んでるとかならともかく、全然本腰入れてゲームもしてないように見えるし
なんならタレントが「今日履いてるパンツはぁ~」とか下ネタ連呼してたりしてて、衣装も明らかにエロいという・・・。
よくわからんけどとりあえずタレントの言動も何とかしたら?とは思う訳で。
近くの宇曽利山湖は青くて本当に美しい。グーグルマップ等で見たら分かると思うが、湖の形がハートっぽくて、恋人の聖地にしてもおかしくないくらいなのに、どういうわけかブランディングが微妙。
「イタコ」とか「死」とか、そういうイメージを前面に出してしまっていて、いわくつき感がすごいんだよね。
ただ、もしかしたらこれは単なる失敗じゃなくて、あえて怖いイメージやイタコの胡散臭さを演出することで自然を守っているのかもしれない。
さらに言えば、「ブランディングミスってる」っていうのも現代的な価値観での話で、次の世代にとってはこのブランディングがウケる可能性だってある。そう考えると、このままの価値観を突き抜けて行ってほしい気もする。
入山料は必要なんだけど、敷地内の温泉が入り放題でちょっと得した気分になる。
近くの宇曽利山湖は青くて本当に美しい。グーグルマップ等で見たら分かると思うが、湖の形がハートっぽくて、恋人の聖地にしてもおかしくないくらいなのに、どういうわけかブランディングが微妙。
「イタコ」とか「死」とか、そういうイメージを前面に出してしまっていて、いわくつき感がすごいんだよね。
ただ、もしかしたらこれは単なる失敗じゃなくて、あえて怖いイメージやイタコの胡散臭さを演出することで自然を守っているのかもしれない。
さらに言えば、「ブランディングミスってる」っていうのも現代的な価値観での話で、次の世代にとってはこのブランディングがウケる可能性だってある。そう考えると、このままの価値観を突き抜けて行ってほしい気もする。
青森ってそもそも「キリストの墓」とか「津軽海峡冬景色」とか、どうしても暗いイメージやB級感がつきまとう。でも、そのB級感込みで魅力だと思う。老人は温かくて気さくなのだが、津軽弁で何言ってるか分からないという、そんな不思議さも含めて青森が大好きだ。
雄大な自然、海の幸や農産物の美味しさ、ちょっとズレた観光地。全部合わせて青森らしい。
ゴールデンウィークは関東より桜の開花が遅いから、連休中に花見も楽しめるぞ。
みんなも一度、青森に行ってみようぜ。