
はてなキーワード:ブラック企業とは
とても疲れたし、仕事が終わらなくて悲しいし、自分の時間が持てずポケモンも進められず悲しくて辛い。
でもこうやって残業するしか無いのは、自分の能力不足のせいだと思う。
自分がダメな奴だから、上司の期待に応えられないんだって思う。
同僚たちは、「上司は人使いか荒い」とか「こんなに大変なこの会社はブラック企業だ」とか愚痴ってたりするけど、あまり共感できない。
誰かのせいにしたい。上司が悪いと思いたい。でも思いたいのに、うまくできないんです。
上司の期待に応えられなかったなら、それは自分に必要な能力が足りないとしか思えず、その分長く働くしかない、にしか辿りつかない。もしくは、自分はこの仕事に向いてないから転職しようとか。ポジティブめなやつだと、いつか能力が上がってササっとこなせるようになるかも!もあるけど。とにかく上司が悪いにはならない。
つまり、自分がこなすべき仕事量の基準について、私は、上司からの要求という線引きしか持っていない。
が、上司に文句をつける同僚たちは、それとは別の基準を持っているのだろうか?
それは、どこからくるの?
それがよくわからない。
それがわかれば私もこんなに自分を嫌いにならずに済むのかな。
それか、上司への文句は、「私はもっと能力が低いのになんでわかってくれないの?」という嘆きということ?
その嘆きはなんかよくわかんないかも、、
それがおかしいのか?
うーんうーん
男子は100km、女子は40kmを夜通し歩く“伝統行事”だそうだ。
学校は「忍耐力を育てる」「克己心を養う」と言うけど、
「苦しいことをやれば立派になる」って、
そして何よりタチが悪いのは、
「自分もやった」「あれで強くなった」と。
でもそれって、しんどかった経験を
苦しみを正当化することで、
こういう行事が残るのって、たぶん田舎特有の“精神論文化”が根っこにある。
実際は変化を恐れてるだけなんだと思う。
誰も疑問を口にしないから、ずっと続く。
伝統という名のもとに、
でもそれを教育と呼ぶのは、もう無理がある。
苦しめば成長できるなんて幻想。
気持ち悪い。
高市早苗氏の「ワークライフバランスという言葉を捨てます」発言。
切り抜きじゃないよ、読売新聞オンラインの全文をちゃんと読んだ上での話。
→https://www.yomiuri.co.jp/politics/20251004-OYT1T50126/
「日本という国のトップになったからには、馬車馬のように働いていただきます」
「働いて働いて働いて働いて働いて参ります」
……いや、そりゃまあ、政治家が“全力でやります”って言うのはわかるよ。
だけど、「ワークライフバランスを捨てる」って、そういう方向じゃないだろう。
ワークライフバランスって、「サボるための言い訳」じゃない。
って言われた瞬間、地獄の釜のフタが開く。
想像してほしい。
「ワークライフバランスという言葉を捨てます!」
って言い出したら、社員どう思う?
補足:
この国は“頑張り死”から抜け出せない。
希望があるとすれば、
これは一理ある。先ほどの例でいうと金1gを10万円で売るよと言っている人は有効な供給であるとみなすべきではない。
という訳で需要と供給のマッチングの話をする場合は適正な価格から離れた需要と供給は考慮に入れるべきではないという点はお互い同意できるものと思う。
ここは明白に違う。
先ほどの例で金1gを10万円で売るよと言っている人は、あなたの言う言葉を使うと無能という事になるのだろうが既に労働市場から退出してしまっている。
そして無職になってから定期的にハローワークに通っていないと求職者であるとみなされず、統計上は求職者にカウントされないんだよね。
そういう意味では統計上は既に金1gを10万円で売るよと言っている人をカウントしない仕組みが出来上がっている。
一方で金1gを5000円で買うと言っているブラック企業の求人件数は統計上も含まれる形になっており、ものすごく非対称性があるわけ。
あと全体の話をするならば、全体の労働力不足を解消するには十分な給与を払えない企業や事業は廃業させるべきだと本気で思っている。
自分が若者とされる年齢だった頃は、自分の世代の価値観は「これからの価値観」だと思っていたし、レッテルを貼られても「古代エジプトから繰り返される若者批判」としか思っていなかった。しかし時代を経ることで「この価値観は次の世代に引き継がれなかったな」という点や「確かに前の世代とは違っていたな」という点が見えるようになってきたので書き残す。
おそらく、自分の世代±5歳くらいがはてなブックマークのボリュームゾーンなんじゃないかなと思ってる。
『働いたら負けかなと思ってる』という言葉が世に出たのは2004年で、その頃からネット上でニートがファッション化した。2ちゃんねるという匿名掲示板、特に当時人気だったVIP板は老若男女が36歳無職独身男性に擬態している風潮があり、自分もその中のひとりだった。自分は新卒で就職してから一度も無職だった時期はないけれど、フィクションの主人公が「無職」か「サラリーマン」であれば、前者の方により感情移入できる。ブクマカが社会的弱者に優しい理由の半分はリベラル思想でもう半分はこれだと思う。
2007年には2chのVIP板に「ブラック会社に勤めてるんだが、もう俺は限界かもしれない」というスレが立ち、これは2008年に書籍化され、2009年に映画になった。自分が大学3年で就活を意識しだしたのが2007年で、就活本格化したのが2008年、就職して社会に出たのは2009年だった。ブラック企業という言葉が流行語大賞にノミネートされたのは2013年だが、この言葉のネットでの認知はもう少し早かったように感じる。
上の世代から散々「ゆとり」というレッテルを貼られて自己肯定感を削られ続けてきた世代ではあるが、自分たちの世代はなんだかんだ言ってもゆとり教育を価値観として内面化しているような気がする。詰め込み教育は無駄、多様性を伸ばすのが大事、答えは一つじゃない、あぁしろこうしろと押し付けずに自発性を引き出しましょう、という考え方。
これを上の世代から『軟弱さ』として受け取られるのは想定の範囲内だが、下の世代から『ネグレスト』と受け取られると我々の世代はハッとする。
価値観を顔出しSNSではなく匿名掲示板で形成してきた人間は『出る杭は打たれる』という価値観が身に染み付いている。
だから「自分は人より凄い」「自分は良い人」のような真っ直ぐな自己PRは命取りであり、「自分はダメ人間ですよ」「自分は偽善者とは違いますよ」と振る舞う癖がついている。
10年後20年後に我々が『キャンセル』されるとしたら恐らくこの部分で、この癖を抜くことがこれから求められる価値観のアップデートなんだろうなと思っている。
これは我々の世代というより2009年に就職した人限定の価値観だと思うのだけど、2009年卒業組は2008年の空前の売り手市場で就活し、2008年9月のリーマンショックで内定取り消しの嵐に襲われた。だから能力があまりなくても他の世代に比べて楽に就活できたし、どんなに能力があっても内定取り消しで最悪の2009年に就活をやり直す羽目にあう人がいた。幸せな時代に就活をしたバブル世代とも最悪の時代に就活をした氷河期世代ともちょっと違う。天国と地獄の両方があり得て、それを分ける要因は能力ではなく完全に運だった。
ボーナスや退職金はないが、生活残業が黙認されたゆるい職場でフルリモートができるというメリットのために皆我慢して働いているという不健全な組織で働いている。
100人程度しかいない部署でメンタル不調によりほぼ毎月退職者が出ているという腐った環境だ。
基本的に入社しても1年以内で退職する人が大半で、それ以上続いても昇給もまともになく、ボーナスや退職金もない環境なので人はやめていくばかり。
元々ボーナスはなかったのだが、寸志程度はあり、その寸志が説明がなく大幅カットされていた。
私は寸志なんて当てにしてないのでどうでもよかったのだが、一部役職付き社員が一斉に退職を検討しているそうだ。
ここ数ヶ月はプロジェクトの赤字により残業を禁止していたりしていたことも不満としてあったのだろう、その上微々たる金額の寸志さえカットされたら生活できなくなる社員も少なくはないんじゃないか。
昔からお世話になっていた人が93歳で亡くなった。小学校の時に、故人が教師としていじめを解決してくれたのがきっかけで縁が出来(自分はいじめられ側)、かつその人が地元の神社で宮司をやっていたこともあり、宗教的な側面からも、小学校を出てから30年以上経過したにも関わらず、ずっとお世話になっていた(特に母親が)。年末年始など、ことあるごとにその人の家に行っては、宗教的な行事に参加したり、悩みを聞いてもらったり、一緒に集まるいろんな仲間といろんな話をしたりしていた(主に母)。自分は母の後ろについて行っては、後ろで黙って見ていた記憶がある。ここ最近病気療養中で、よく通ったあの家もすでに取り壊していることは母から聞いてはいたが、母から電話で逝去の知らせを聞いた時も「まあ、だって人は死ぬよね」とどこかで他人事ではあった。なので、私がというよりはむしろ母の方が悲しんでいたのではないかと思う。その後直接母とまだ話せていないのでわからないが。
母の住むわたしの実家から、故人が葬儀を行う街までは距離があるため、自分が代理で出席することとなった。ただ、イヤイヤ出席というよりは「これは出なければいけない」という気持ちの方が強かった。自らもお世話になっていたし、何より代理でも出席しなければ、母親の気持ちの整理がつかないからだと思ったからである。それに、与えてもらうだけもらって、最後にお見送りしないのはいかがなものか。そういう気持ち。葬儀はおよそ5年ぶりである。5年前は同じLINEグループにも入っていた職場の元上司。突然死だったと聞いた。朝出勤しないからと自宅訪問してみたら亡くなっていたと。仲間内では「あのブラック企業にいたから激務で亡くなったのでは」とささやかれていた。
ただ、当時は元上司と親密だった訳でもなく、あくまで「職場の上司/部下」という人間関係の中でも最も遠縁に近い部類の立場で出席したので、死に顔を見てもそんなに悲しくはなかったし、「そっかぁ、死んだのか」くらいにしか思えなかった。帰りはつらっとした気分で電車に乗った事を覚えている。
ただ今回は違った。会場に入り壇上のディスプレイに、故人が元気な頃の写真がスライドショー形式で映し出されているのを見ていると「ああ、あの顔懐かしいな、でも亡くなったんだな。もうこの世にいないんだな」とじわじわ実感してきてしまう。前回とは大違いである。
参列者は身内30人くらい、一般参列者5人くらい。そのうちの一人が私。幸い喪主含めた身内の方数名に顔を知っていてもらえたため、あまり肩身の狭い思いをせずに済んだ。とても気を使ってもらえてうれしかった。まぁわたしは私とて故人とは小学生のころからお世話になってはいるので、生半可な気持ちでは出席していない。たぶん、身内だからという理由で仕方なく両親に連れてこられた男の子達より、自分の方がよっぽど故人に対して思い入れがあるぞと思ったりしたが、そんな話はどうでもよい。TPOは守ったつもりだ。ただ、故人と昔からのお知り合いだとしても、結局はソトの人間であることには変わりないので、出棺時の花入れも一番遠くから見たし、とりあえず外様外様の位置をには移動した。我ながら本当にがんばった。わたしなんか、身内の方々から見たらどうでもいい存在だろうしな。ただそれでも花入れの時は精一杯ありがとうの気持ちは伝えたつもりではある。
ご親族にお願いして故人のお顔を拝見したが、元気な頃とは全くの別人になっていた。人ってあんなに変わるものなのかとびっくりした。アントニオ猪木が亡くなる直前ぐらいに顔がやつれており、「これが故人です」と言われなければ、まず気づかない。5年前に参列した職場の元上司の時は、突然死ということもあり、やつれなど一切なくただただ血の気が引いて白い顔をした元上司がそこにいただけだった。そのため、死についてあまりリアリティを感じられなかったこともある。ただ今回はあからさまにやつれた姿、ビフォーアフターを見せられたことで「ああ、衰弱すると亡くなる前には最後はこうなっていくのか」と強烈に印象付けられてしまった。火葬場へは当然行かなかった。だって私は部外者ですもの。だいたい親族だけが乗るバスの中で、話す話題もない。
そうして、出棺を見送って葬儀は終わった。
街を歩いていても、他人の目線が一切気にならなくなった。これはなぜなんだろう。よくわからない。今まで自分は、自意識過剰ってくらいに他人をきにしていたんだが、今は一切気にならない。不思議。自分は故人にとてもとてもお世話になってきたから、だから命を粗末にしたくないっていう気持ちがとても強く働いているのは大きい。まぁ、今だけかもしれないが。ただ、あの葬儀で強烈に人とのつながりを意識させられたのは大きい。特に親族に「おお、○○くんか! 覚えてるぞ! 小学校の頃神社によく来てたよな? 元気か!!??」 って何度も言ってもらえたのは嬉しくて、それ以降、自分だけの人生じゃなくなった気がした。自分はいま独り身で、両親や兄弟はいるが、自分には彼女もおらず、結婚相手もいない、いわゆる独身非モテ中年である。自分のことなんて誰も考えていない。自分になんて誰も興味を持たず、このままひっそりと生を終えるんだ。そう最近まで思っていた。セルフネグレクト的なこともよくやってしまう。 ただ、うまく説明できないが、葬儀に出席してから、故人との関係や、親族との関係を意識するようになった。いわゆる「よくわからんが、見守ってもらっている」感覚である。というか、お世話になったのだから、命を粗末にすることはできない。そんな思いである。 人とのつながりって大事なのかもしれないなと思った。外見的に何かが変わった訳でもないし、お金が増えたわけでもないし、出世したわけでもないのだが、こういう心の変化はあった。
明日からまた仕事なので、記憶が薄れぬうちに書きました。いずれアーカイブとして見直すために書いておきます。こういう時の増田は便利ダネ。うちはまだ両親と姉が生きている。この先身内を見送る心の準備みたいなものも実感を伴って出来た気がするよかった。グリーフケアの本も何冊か読み始めた。