
はてなキーワード:フレーバーとは
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「My Job Went ToIndia」の改題改訂版が「情熱プログラマー」なんだ!ありがとう発注したわ。(たぶん達人プログラマーと混同して読んだ気になって読んでないパターンだわ)
俺の悪文のせいで意図が伝わらなかったであろうブコメがあったので、要旨だけ書き直しておくな。
ただ忘れないで欲しいんだけど、TerraformメンテしてAWSとかGCPで立ち上げてサービス公開するまでの速度は、相見積取って稟議通して部材調達から入ってた時代に比べると爆速だけど、人間の技術屋の需要は増えてる。
俺は、「マスタリングTCP/IP 入門編」を人間が読んで理解するのは古いよね、という時代にはならないと思ってる。
Slerが自前で手元で試すようになるから~ってのも懐疑的。SIerやメーカーが内製すると必ず子会社作って分離、ぼく発注者きみ受注者にしたがるので。これは技術じゃなくて感情とか経営の問題。
(ただし、Slerが7payみたいなことやらかすのでは?って疑問なら同意。たぶんそういう生成AIで俺たちでプロダクトなんか簡単に作れるじゃんよギークいらね(仕様バグあり)は一時は増えるだろうね)
追記ここまで
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VibeCodingでIT技術者は不要になるのか?という話題が花盛りなのは理由があります。
ギーク(現場でコードを書いていたい人)が分かる話から、スーツ(人を集めたりお金を集めたり営業をする)が分かる話になってきたからです。
具体的に言うと、OpenAI社をはじめ続々とTDD(テスト駆動開発)でやってますみたいな、具体的な開発スタイルの話が出てきたから。
そうすると、現場の座組チョットワカルという強めの経営者が理解して判断し始めるんですね。
でもね、その道はもう15年も昔に我々は通り過ぎました。前回のブームと何が違うでしょうか?
技術者なら電子も機械も強電も弱電もお世話になったことのあるオーム社が過去に出していた直球の本の話から。
「My job went toIndia :オフショア時代のソフトウェア開発者サバイバルガイド」という書籍、何と発行年は2006年です。
かいつまんで話すと、インターネットが整備され、輸送コストがほとんどかからないソフトウェア開発では、アメリカのエンジニアは給与の面でオフショアに歯が立たない、だって、1/10の給与でインドのエンジニアは働くんだぜ?という本です。
そうした、価格競争力で負けるアメリカのソフトウェアエンジニアは、如何にして今後サバイブすべきなのか、という本になっています。
(普通に面白いしAIコーディング時代に通づるものがあるので復刊を希望したいところですが、まあ直球過ぎる題名を何とかしないと再販は無理でしょうな)
そして、JTCや外資問わず、過去にオフショア開発を経験された技術屋のみなさんははてブにも多く生息されているでしょう。
では、ジュニア開発者は不要になりシニア開発者のみになって、いまのソフトウェア開発は主に安い給与で働いてくれるところに遠隔で作業してもらって、レビューだけすれば良い環境ですか?
そうはなっていません。なぜでしょうか。
さて、今普通にXと連動する中古品売買プラットフォームを開発しようと思ったら、どうやってつくるでしょうか?
この文脈に埋め込まれたいくつもの情報「今」「普通」「連動」「中古品」「売買」「プラットフォーム」「開発」を解釈し、すり合わせ、未来の運営者も含めた全員に伝えるためのコストが、コミュニケーションコストです。
そうなると、「ちょっと良い感じにラフでいいからプロトタイプ作って持ってきてよ」で話が通じるのは、受注者マインドがしっかりした日本の受託開発現場の精鋭たちになるわけです。
テストケースだけを通過するように、内部テーブルを持たせた関数を大量に持ってこられてレビュー時に頭を抱えた経験が無いひとは、とても幸運なのです。
とは言え、これは何も文化の違いに起因するだけではありません。仕様とは、環境によって定まるものだからです。
例えば、うるう年判定の関数は、1581年以前をエラーにしますか?1873年以前をエラーにしますか?(ヒント:明治六年)
テスト駆動開発、古い言い方で言えばテストファーストの考え方は、成功したすべてのプロダクトで例外なく、ただの一つの例外もなく、必ず最初から取り入れるべきだったものです。
品質は最後に振りかける粉砂糖のようなフレーバーではなく、最初から設計に組み込むべきだからです。
ありとあらゆる趣味において、最初から良いものを使えば時間を無駄にせずに済んだ、と言われるような初期投資の大切さが説かれます。
果たして本当でしょうか?
そうです、その趣味にハマって生き残りサバイブした人から見れば、過去にその時点で投資をすべきだった、というのは正しいのです。
その趣味にハマれなかった人からすれば、少ない投資で自分に合わないことが分かったという合理的な選択であることと矛盾しません。
そのため、全ての失敗したプロダクトは、テストケースを書く時間でプロダクトを作り上げて、さっさと世に問うべきだったわけです。
少し昔話をしますが、オフショア開発において重要なのはドキュメンテーションとテストケース、それにレビューでした。
他の部署で失敗しつづけていたオフショア開発のやり方は、端的に言えば"教化"でした。
具体的には書けませんが、グッとお安い単価の国に出す仕事を、日本の会社に出すのと同じようにすべく、相手の会社のメンバーを教育して仕立て上げるブートキャンプの仕組みを作り上げていました。
発注側を変えずに済むように受注側を教育して、日本の会社に出すのと同じように単価の安いところに出せたらお得ですよね?でもこれは必ず失敗します。
何故か。だって、日本の会社と同じように働けるようになったら、日本の会社に就職するじゃないですか。少なくとも価値は上がったんだから単価を上げるように交渉しますよね?
結局のところ、当初言われていたような劇的な節約にはつながらないわけです。それなら下手に転職されるよりも自前で現地工場でも立てて地元に貢献しつつ雇用を創出した方が喜ばれるし持続可能です。
小なりとも成果が上がった方法は、フィードバックを相手ではなくドキュメントにした場合でした。
例えば先ほどの例で言えば、テストケースは通るが意図したコードにならなかったとき。
「普通はこういう意図でコードを書くから、テストケースを通るにしても、関数は次からこう書いて」というのが、相手に対するフィードバック。
「関数を書く前に、関数の意図をコメントで残して、レビュー時にはそれを見ましょう」というプロセスの修正が、ドキュメントへのフィードバック。
こうすると、担当者が退職していなくなっても、次の担当者はその方法を参考にすれば良いわけです。
これ、何かに似てませんか。現在のAIコーディングのベストプラクティスと呼ばれるものに非常によく似ているんです。
つまり、オフショア開発というのも、設計と実装が分離できるという前提に立って動いていたんです。
そして、実装しながら設計しても問題ないとする場合、それは「技術的な問題」ではなく「組織構造」に起因します。
つまり、プロダクトの構造を分割して、オフショア開発側に設計と実装とを委譲して、実装しながら設計を変えてもらうことが許容できるのは、契約や責任分界点、輸出入の法規を含めた法務の領域です。
少なくとも当時、諸々をクリアにして相手側にプロダクトの一部を荒い設計と共に切り出して、コーディングしながら再設計してもらい、テストケースを完備したコードとドキュメントを共に完成までもっていってもらったことは、大きな成果であったはずです。
(当時日本側と仕事をしたという実績があると大きな実力があるとみなされたと聞いたので、今はより良いところで良い仕事をされていると思います)
(あと、コミュニケーションコストと輸出入の関連法規が複雑だから)
少なくとも、納期までに契約したこれを納品してください、という枠組みの中では、実装作業だけ切り出すことはできない、というのが教訓として残ったはずです。
少なくともあと数年、場合によっては10年スパンで、日本ではほとんど変わらないと予想しています。
これは技術の話ではなく組織構造や、もっと言えばお仕事の進め方と契約の話だからです。
そうは言ってもジュニアエンジニアの簡単な仕事が減って成長機会が失われているのは事実では?と思うかもしれませんが、そもそもの前提が誤っています。
未経験(弱経験)者を雇って戦力まで鍛え上げる必要があるなら、AIに仕事渡してないでそのジュニアエンジニアにやらせるべきなんです。
ジュニアエンジニアとAIと両方にOJTさせて、その違いをレビューの場でフィードバックしてジュニアを育てるわけです。
もし、そんな時間は無いというなら、元々ジュニアエンジニアをOJTで育てていたというのは幻想です。
(たまに、失敗が経験になるとして、会社に損害を与える方法でジュニアを"教育"しようとする人がいますが、商習慣的にも信義則違反ですし言語道断です)
シニアエンジニアだけで事足りるとしてジュニアエンジニアを雇わなかった企業は、シニアエンジニアが抜けてガタガタになります。
これは中核エンジニアがゴッソリやめた会社が傾くなんて言う話で、昔からそうです。(たいてい、もっと人雇ってくれ待遇上げてくれみたいな悲鳴を圧殺した結果だったりします)
昔から、中堅がやれば手早い仕事を新入社員にやらせて鍛える、その代わり質は悪いし時間もかかるしフォローも必要だったわけでしょう。
AI時代が到来するとしても全く同じです。AIが出力するコードレビューで悲鳴上げてる場合じゃないんですよ。
レビューできるシニアエンジニアが足りなくなると予想されるなら、当然、ジュニアエンジニア雇ってレビューできるようにする必要があるんです。
そしてそれは、技術的な問題点ではなく、組織的・経営的な決断です。
国産LLM開発の文脈でもそうなんですが、ハードウェアの進歩を無視して話をする方が多いのが気になります。
現時点のコンピューターパワーは、10年後には手の届く価格になる可能性が十分高く、もっと言えば20年後には個人が所有する可能性すらあります。
いまから20年前の2005年は、Youtubeが誕生した年です。その時に、誰もがいつも手元にビデオカメラを持ち、即座に動画を世界に公開できるようになるとは思っていなかった頃です。
今もそうだと思いますが、ある分野で必要な性能にはもう十分という期待値があり、10年経てばある程度大きな会社の部署単位で現在最先端のコーディングAIがローカルで動くようになると想像するのは容易です。
そうなったときに、果たして営利企業が、エンジニアを育成するというコストを支払うかといわれると、疑問です。その時点で今後のリアルなコストと比較対象可能になるので。
だって、筆耕担当者とか、清書担当者を雇わなくなった企業って、多いでしょう?
My job went toAI として、じゃあ残るものは何?というのはオーム社の本を読みましょう。再販しないかなあ。
今後数年は変わらないでしょと書いたら今現在進行形で変わっとるわいと突っ込みが来そうなんで防衛的な意味で書いておくんですが、あなたは過去数年間同じ仕事してたんすか?
仕事のやり方とか内容とか、言語とかライブラリとか、毎年のように変わってたでしょ。
レビューの比率が多くなったとか、コード書かなくなったとか、そういうの、たぶん管理職になった人が嘆いてたのと同じっすよね?
少なくとも、ジュニアエンジニアが低品質なバイブコーディング結果を寄越すようになってレビューが大変とか嘆くのなら、まともなコーディング規約一つ作れていない組織の脆弱さを嘆くのが先では?
手癖でバイブコーディングしてヒットしたプロダクトに、あとから品質上げるように大工事するリファクタリングと言うよりリビルディングな仕事って、別に今もありますよね?
散々テストケースを書かなくて良いプロダクトなんて無いという講演だけ聞きに行って、自分とこでテストケースが自動で走るようになって無いなら、そこが問題でしょ。
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コロナ禍からコーヒー系Youtuber見始めたんだけど最近新鮮味を感じなくてあまり見なくなっている
主な原因は
特に2つ目が致命的だと思ってて、例えば料理動画だとこれはどういった味や匂いなのかというのが調理風景から出来上がりを見ると掻き立てられるけど
コーヒーは出来上がっても「見てください。すっごい美味しそうでしょ?」って視聴者に語られかけられてもいつものコーヒーやんって失笑するでしょ
勿論コーヒーにはフレーバーがそれぞれ異なるのもあるけどそれなりにスペシャリティコーヒーを飲んでると産地から傾向がわかってきて出演者の感想にもそれに近いニュアンスの言葉が出てくる
youtuber側も最近それを分かっているのか段々と軸足をコーヒーから別のものに移していたりしてるんで見ている側としてもレッドオーシャン感が半端ない
BYOB(Bring Your Own Bag)というコンセプト、つまり自分で袋入りのスナックを持参するというアイデアが、フレーバー・ハイブのフードトラックをSNSで話題にしています。その販売コンセプトは非常に有名で、インドネシアを含む様々な国で模倣されています
https://laylo.com/osiris/40mz2i9y
https://laylo.com/c7dfx1ashdfdv/q3q55DNG
https://laylo.com/theshadowedge/qDBrgujk
時は令和、空前の「映えスイーツ」ブームが最高潮!宝石みたいなケーキとか、アートみたいなチョコレートとか、みんなが「美しさ」と「高級感」を求めてた20XX年。そんな中、東京の表参道に、マジで浮世離れしたエレガントなお姉様が現れたんだって!真っ黒なドレスっぽいのに、なんかこう、威厳があって、底知れないオーラをまとったお方。「え?セレブ?ファッション業界の重鎮?」ってみんなが遠巻きにしながらも、その圧倒的な存在感に目を奪われてたらしい。
「Je suis Catherine de Médicis.」
え?マジで?あの、フランス王アンリ2世の王妃で、イタリアからフランス宮廷にフォークとかマカロンとかを持ち込んだと言われる、カタリナ・デ・メディチ様!?ゲキヤバ!って歴史好きのギャルたちがスマホで速攻ググり始めた瞬間、その超絶クールなお方、もといカタリナ様は、あたりをキョロキョロしながら呟いた。「ここは…フィレンツェではない、か…?ずいぶんと賑やかで、しかし美意識の高い場所ですわね。」って、マジでルネサンス時代からタイムスリップしてきたみたい!「マジありえん!」ってみんな心の中でツッコミつつも、その研ぎ澄まされた眼差しに、何か深い策略を感じてたらしい。
そんなカタリナ様に、恐る恐る話しかけたのは、表参道でパティシエ見習いしてる、フランスかぶれのギャル、エマ。「あの…もしよかったら、何かお困りですか?」「…ええ、少々。見慣れぬものばかりで、いささか戸惑っておりまする。」って、意外と丁寧な言葉遣い!エマ、その真面目そうな雰囲気にちょっとキュンとしつつ、「アタシ、エマ!表参道のことなら、何でも聞いて!カタリナ様、マジでエレガントだから、アタシが案内してあげてもいいよ!」って、キラキラ笑顔で声をかけたんだって。
次の日、エマに連れられて、カタリナ様は初めて現代の日本を体験!ハイブランドのブティックとか、最新のスイーツショップとか、マジで全てが新鮮!でもね、カタリナ様が一番興味を示したのは、とある高級パティスリーのショーケースに並んだお菓子。「…この、カラフルで小さな丸いお菓子は、何というものでございますか?ずいぶんと愛らしい形をしておりますな。」って、マジ真剣な眼差し。エマ、まさかの王道チョイスに驚きつつ、「あ~、これ、マカロンですよ!フランスのスイーツで、めっちゃ美味しいんです!」って教えてあげたんだって。
カタリナ様、一口食べてみたら…「な、なんなのだ、この奥深き味わいは!?サクサクの皮と、とろけるようなクリーム…まるで、宮廷での駆け引き、そして勝利の美酒のようである!これこそ、わたくしが求める、真の糧よ!」って、マジで黒衣の女王っぽい表現で感動してたらしいよ。
そこから、カタリナ様のマカロン愛がマジで爆発!毎日色んなパティスリーを巡って、マカロンを使った料理やスイーツを食べまくってたんだって。「マカロンの種類、色、フレーバー…研究しがいがありすぎる!」って、もはやマカロンマイスターレベル!
でね、ある日、カタリナ様、マジで天下取りの野望を語り出したの。「わたくしは、このマカロンをもって、再び天下を…とは言いませんが、この甘味の世界において、人々の心と体に活力を与え、真の『美の支配』をもたらすパフェを創造してみせましょうぞ!これこそ、わたくしが目指す、『メディチ・パフェ』よ!」って!
え?マカロンパフェで天下統一?しかも「美の支配」とか「メディチ」とか!マジで壮大すぎる!でも、カタリナ様の「ルネサンスを動かした知恵」があれば、きっと何か成し遂げるに違いない!ってエマも思ったらしいんだけど、カタリナ様の目はマジだったんだって。宮廷政治に秘められた策略が、令和のマカロンパフェに新たな戦場を見出したのかもね!
そっから、カタリナ様のマカロンパフェ天下統一計画がスタート!まずは、SNSで「#カタリナ様のメディチ・パフェ道」ってハッシュタグ作って、毎日自作の超絶エレガントだけど美しいパフェの画像をアップし始めたんだって。その斬新すぎる見た目と、カタリナ様の哲学的なコメントが、一部の美意識高い系ギャルや、グルメな人たちの中でじわじわバズり始めた!
SNSはカタリナ様のマカロン愛でじわじわ盛り上がり!しかも、カタリナ様、ただ作るだけじゃなくて、全国各地の珍しい食材や、マカロンに合う最高のフルーツやクリーム、そして日本の伝統的な和の食材を探し求めたり、甘さと酸味、そして色と形の「調和」を追求したり、マジでストイック!「天下のマカロンパフェ」を目指して、日々試行錯誤を繰り返してたんだって!
で、ついに!カタリナ様は、表参道のど真ん中に、自分のプロデュースするマカロンパフェ専門店「CATHERINE PARFAIT -宮廷の甘美 - 」をオープンさせちゃったの!お店の内装も、フランス宮廷をイメージした、豪華絢爛ながらも洗練されたデザインで、カタリナ様の美意識と威厳を表現。店員さんも、ルネサンス風のモダンなユニフォーム着てて、マジで雅!
オープン初日から、エレガントなギャルや、好奇心旺盛なインフルエンサー、そして日本の伝統文化に興味を持つ人々まで、行列を作って押し寄せた!「SNSで話題のマカロンパフェ、マジで挑戦してみたい!」「カタリナ様って、なんかカリスマ!」って、新しいファンが続々!でね、一口食べたら、みんなその奥深い味わいにハマっちゃうらしい。「うわっ、最初はビビったけど、マカロンとフルーツとクリームの組み合わせが最高!」「食べた後、なんか心が豊かになる気がする!」「カタリナ様、マジで神!」って、賛否両論ありつつも、リピーターが続出!口コミが広まりまくって、CATHERINE PARFAIT -宮廷の甘美 - はあっという間に人気店になっちゃったの!
しかもね、カタリナ様、ただお店やってるだけじゃないんだよ!定期的に店内で、自らパフェの「美学」について熱弁したり、フランス宮廷の歴史を語る「エレガンスパフェ会」を開催したり、マジで独自のスタイルでエンタメ業界を盛り上げようと奮闘してるんだって!
テレビや雑誌の取材も殺到!「令和のカタリナ」「マカロンパフェの女王」とか呼ばれて、マジで時の人!カタリナ様の強烈な個性と、マカロンパフェの斬新な組み合わせが、新たなブームを巻き起こしたんだね!
でさ、最終的にどうなったかって?もちろん!カタリナ様のマカロンパフェは、全国のスイーツ好きに愛される定番メニューになったんだって!お取り寄せスイーツとしても人気が出て、全国のコンビニやスーパーでも「カタリナ印のメディチ・パフェ」が発売されるほどに!まさに、マカロンパフェでスイーツ界に新たな旋風を巻き起こし、天下を獲った!マジですごすぎ!
あの時、表参道の街に静かに佇んでいた黒衣の女王が、令和の時代にマカロンパフェで新たな道を切り開くなんて、マジで誰も想像してなかったよね!まさに、ルネサンスの策略がマカロンの甘みに宿り、新たな伝説を創り出した瞬間!
エマも、「まさかカタリナ様が本当にマカロンパフェでこんなに有名になるなんて!アタシ、マジで感動して泣いた!」って、号泣してたらしいよ。
カタリナ様は今も、さらなるマカロンパフェの可能性を追求して、日本全国を旅しているらしい。「わが美の支配に、終わりはございません!」って、マジでストイック!
こうして、カタリナ・デ・メディチは、令和の日本で、マカロンパフェという新たな武器を手に入れ、見事、スイーツ界で唯一無二の地位を築いた!天下統一…ではないかもしれないけど、その強烈な個性と哲学は、多くの人々の心に深く刻まれたはず!めでたしめでたし…ってことで、マジでゾクゾクする衝撃的な物語、完全燃焼したわ!マカロンパフェ、マジ卍!
コロナ禍をきっかけに"家で楽しむ趣味"としてコーヒーを飲み始めた。スペシャルティコーヒーの味わいは自分の中のコーヒーの概念とはかなり違ったもので、こりゃ面白いわと豆を買い器具を買い、外出が可能になったら店に通いと、ここ数年は自分の生活の一部としてコーヒーが存在していたし、かなりのお金を使い込んだ。でもすまん。今までのようにコーヒーは飲めないわ。
様々なことが重なって今の価格なのは理解しているし、モノの値上がりに関してはコーヒーだけじゃないことはわかってる。どの本だったか忘れたが、数ある嗜好品の中でもコーヒーの味わいを評価するのが一番複雑で難しいといったことが書かれていたのを思い出したが、コーヒーの風味って価格と釣り合ってないと感じちゃうんだよな。
8000円かけてピーチとかマンゴーとか、そういった果実のフレーバーを感じるより、普通にピーチやマンゴー買って食べた方がわかりやすくて安くて美味しくて満足しない??ワイン感とか別にワイン飲んだほうが良くない??こう思うのは俺だけ??
他の嗜好品との価格差が縮まるにつれ、そんな思いがどんどん膨らんできて、なんか別にコーヒー面白くないなコスパ悪いしとか言い出しそうになってきたので、もうスペシャルティコーヒーをファンとして追いかけるのはやめようと思う。
つらい
断言する。お前らが普段食べてるのはハリボーじゃない。ハリボーの形をした、ただのゼラチンの塊だ。
昨日、コンビニの前で中高生がハリボーを袋ごとバリバリ食べているのを見て、心底腹が立った。
まず、袋を開けて一気に口に放り込む。味を確かめる間もなく咀嚼して終わり。しかも「硬い」とか「酸っぱい」とか文句を言いながら食っている。
そのグミはドイツで90年以上かけて培われた製法の結晶なのに、お前は駄菓子感覚の舌で台無しにしている。
まず基本から教えてやる。
ハリボーは“噛む”お菓子だ。柔らかいグミと同じ感覚で食べるな。噛みしめるほどにゼラチンの弾力が歯に返ってきて、そこからじわじわとフルーツの甘みが広がる。それを楽しむのが本来の食べ方だ。
次に種類。
「ゴールドベア」だけ食べてハリボーを語るな。コーラ、ハッピーコーラ、スターミックス、ピーチ、サワーグミ……一袋ごとにまるで別ジャンルのお菓子なんだ。ビールとワインくらい違う。お前はまだ入り口に立ってすらいない。
食べる順番も重要だ。
最初はレモンやオレンジなど酸味のあるフレーバーからだ。舌をリフレッシュして準備する。次にベリー系で甘さの厚みを感じろ。そして最後にパイナップル。ハリボーの中でもっとも繊細で、真のファンだけが理解できる味わいだ。
保存方法を甘く見るな。
直射日光の下で放置してベタついたハリボーを食べて「こんなもんか」と思っているやつ、本当に罪深い。冷蔵庫で冷やして食べてみろ。硬さが増して咀嚼感が段違いになる。これが本物のハリボー体験だ。
だが一番腹立たしいのは、「安いグミ=全部同じ」と思ってるやつらだ。
違う。ハリボーは工場で大量生産していても、レシピと原料の質が他のグミとは別格なんだ。ゼラチンの弾力、果汁の配合、噛んだ後の余韻。どれも計算され尽くしている。
歯にぐっと抵抗する弾力を押し返した瞬間、果実の香りがふわっと広がるあの快感を知っているか?
ないだろう。
だから今度、ドイツ輸入の正規品を買ってみろ。ゴールドベアを一粒ずつ、噛みしめて食べてみろ。
でも注意しろ。一度本物を知ったら、もう偽物のグミは食べられなくなる。スーパーの安売りグミも、駄菓子屋のゼリーも、全部水っぽいおもちゃに感じるようになる。
それでもいいなら、本物のハリボーの世界に足を踏み入れてみろ。
ミフメイ
実は「ツキノカメ」は楽曲が完成してから2〜3年は経っているので、こうしてライブで歌っていただける日を迎えられて本当に嬉しいのです🐢
小鹿なお×春咲暖
じつは収録自体はだいぶ前で、『ツキノカメ』のつぎぐらいに録っていたんですが、そのときはアイドルたちの情報もあまりなくて。ひとつだけ言われたのは、別のユニットでまりちゃんが歌うので、この曲で勝ってやるという気持ちを込めてほしいということ。なので、まりちゃんといっしょに歌えない悔しさとか悲しさとか、あとはある種の怒りとかを込めて歌っています。歌い出しの部分からすごく冷たい空気感が漂っていますし、美鈴の絶望感をきっと皆さんにも感じていただけるんじゃないかなと。
Re;IRIS(長月あおい・小鹿なお・飯田ヒカル)によるオーディオコメンタリー
小鹿「アッアッここここ!」
飯田「これ!」
長月「これもね、あの、のんちゃんが、Fighting My Wayと一緒で2時間くらいかけて、この振りを収録して、この後ろの映像を作ってもらってるみたいで、すごいよね」
小鹿「ハッハッ見てください見てください!」
長月「あー!ここ!」
小鹿「ほんとに!こっこっこの演出が良すぎて、マジで泣きそうだったの」
小鹿「このスポットライトの、周りをね」
飯田「あー!」
小鹿「笑顔で踊って、あー抱きしめ…」
Begrazia(松田彩音・春咲暖・陽高真白)によるオーディオコメンタリー
陽高「きれーい!」
(中略)
春咲「あ、これ。風感じてる。風吹いてるからね。」
松田・陽高「きゃ〜〜〜!」
春咲「あなたじゃありませんよ」
陽高「ぎゃはは」
春咲「はい」
春咲「笑」
レコーディングした時に、佐藤貴文さんに「どこを歌いたいとかってありますか?」
(中略)
って言われた時に、「うーん、『なんだか今日は絶好調』です」って
(中略)
その美鈴が「なんだか今日は絶好調」って言うとさ、もう勝てなくない?Begraziaに。
(中略)
いただいた資料を要約すると『自我が強いけどマイペースな曲。ただし自我の強さは直接的に入れるのではなく、全体で滲ませるくらい』という難しいオーダーでした。考えた結果、この楽曲で美鈴に『自分はこのままでいい』と受容してもらうことが、このキャラクターのアイデンティティになるのかなと。なので《さよなら/このまま》と言う歌詞から始めて、それで結ぼうと最初に決めました。
(前略)当時流行っていたプリズマイザー(ボーカルハーモニーを生成するエフェクト)を使っているほか、海外のトラックメーカー、チャイムが確立したカラーベースと言うジャンルのフレーバーも混ぜて、単なるメロディックダブステップではない、新しい面を見せられるように意識しました。
(中略)
声の要素もこだわったポイントで、最後の息を吸う音やブレス音も、レコーディング時に美鈴役の春咲(暖)さんにお願いして録らせてもらいました。やはり声が主役だと思うので。
これは二重の意味があって、まずひとつは童話の『ウサギとカメ』です。ライバルであり親友の月村手毬の『月(=ウサギ)』に対する、マイペースな『亀』の美鈴。もうひとつは、その手毬を認めてあげる器としての『瓶(かめ)』とかけて、”ツキノカメ”と言うタイトルにしました。
美鈴のNIA編はりんちゃんとの会話が見どころかなと思っていて、で、その、収録の時に台本に、りんちゃんとの会話のところにト書きで(中略)「美鈴と燐羽の会話は『離婚した元夫婦(ひとり娘アリ)』です」って書いてあって「ん?ん?」って思って。
でもねきっと、読んだ方はわかるんじゃないかな。この、ヒヤっとしてるんだけどお互いのことは知り尽くしているよっていう空気感。
きなこってハーゲンダッツであった気がするけど、安っぽいラクトアイスのスーパーカップとは合わないんだよね
ただのバニラアイスにきなこをかけて食べるとかならおいしいんだろうけど
なんか練りこんでると香料感というか偽物感強くかんじちゃって・・・
というかスーパーカップの味バリエーションでリピートありなのがバニラ抹茶クッキーバニラくらいしかないからなあ
他のトロピカルナンチャラとか、慣れていない香料もりもりのフレーバーだと食べるに堪えないんだよなあ
まあラクトアイスのスーパーカップくっといてなにを偉そうにって感じではあるけど
グレープも飲みたいけどやっぱ安く済まないんだろうな
古来よりインターネットの言説空間を騒がす「きのこたけのこ戦争」なるものがある。
これは、二つの蒙昧なる党派による、きわめて不毛な闘争であると断じざるを得ない。
双方の党員は、おのれの支持する食品の優位性を喧伝するが、その論拠は個人の嗜好という主観の沼から一歩も出ておらず、議論としての体をなしていない。
客観的な分析を信条とする者にとって、この闘争は愚の骨頂である。
そもそも、この二つの食品を同一の評価軸上で比較すること自体が、根本的な誤謬、すなわち存在論的カテゴリー錯誤を犯しているのだ。
この世界のあらゆる「チョコレートスナック菓子」は、その「口腔とのエンゲージメントの様態」によって二つに大別される。すなわち、「歯的エンゲージメント」を本質とするものと、「舌・口蓋的エンゲ ージメント」を本質とするものである。
前者は、歯で噛み砕く際の食感、すなわちクラック・アンド・クランチの快楽を追求する菓子群であり、ビスケットやクッキー部分がその存在論的中心を担う。
後者は、舌と上顎でチョコレートを溶かす際の融解感、すなわちメルト・アンド・フレーバーの快楽を至上とする。チョコレート部分こそがその魂である。
この厳然たる分類に基づけば、「たけのこの里」が前者、すなわち「歯的」であることは火を見るより明らかだ。あの食品の価値は、サクサクとしたクッキー生地を臼歯が砕く瞬間にこそ発現する。チョコレートは、あくまでクッキー生地を彩るための、二次的なコーティングに過ぎない。
対して、「きのこの山」は後者、「舌・口蓋的」食品の典型である。あの菓子の主役は、まごうことなきチョコレートの塊だ。クラッカー部分は、手を汚さずにチョコを口に運ぶための「柄(え)」、すなわち道具として機能しているに過ぎないのである。
しかるに、蒙昧なる両党派の党員たちは、この存在論的な断絶を理解していない。きのこ派は、「歯的」菓子であるたけのこを「舌・口蓋的」基準で批判し、たけのこ派は、「舌・口蓋的」菓子であるきのこを「歯的」基準で論難する。
これは、絵画を音楽の文法で語り、建築を小説の作法で批評するに等しい、野蛮な行為である。
両者の間に、真の対話が成立するはずもない。
男にとっての性欲に該当するのは女にとっての感情だ、みたいな話があったけど。
実際のところ、性器とか性器周辺を刺激した時に得られる(所謂オーガズムに繋がる)女性の性的快感って、何かに例えると「切ない」と感じた時の感情、あるいは「胸がキュンと疼く」みたいな感覚と限りなく近い、と私は思う。
快感にフレーバーみたいなものがあるとすれば、その感情に近い味というか。
おそらく、脳のなかで反応している部位や放出されている脳内物質の成分が、実際かなり似ているんじゃないだろうか?
よく、女性向けのエロコンテンツ(BL、TL、夢等、とくに小説)では「生理的な涙」という表現が出てくるが、それが男性には今ひとつピンと来ないという話を聞いたことがある。
本当にピンと来ないんだろうか?って疑問に思うくらい、それは女性にとってみれば当たり前の状態だ。
普通に、気持ちいい(性的快感を感じる)と女性は生理的に涙が浮かぶ。気持ち良すぎるとボロボロと溢れてくる。
そのときの「気持ちよさ」の感覚は、やはり「切なさ」に似た何かだと思う。
そしてここからは仮説だけれど、たとえば映画やアニメやドラマやマンガなどを見ていて、切ない展開に「泣く」とする。
そのとき、(特に)女性は、(オーガズムに繋がるようなものではないにしろ)性的快感に非常に近い何らかの「快感」に近い感覚を実は無意識のうちに得ているんじゃないだろうかと思う。
だってセックスで得られる性的な気持ちよさと種類が似ているのだ。「切ない」という感情、あるいは胸キュンしたときの胸の疼きは。
そう考えると、「泣ける映画」みたいなのがヒットするのも納得だし、女性は感情をある種の性的快楽として摂取しているというのも、あながち間違いじゃないのかもしれないと思う。
余談:
女性にとってある種の感情が性的快感と類似していて、男性にはその感覚はないとすれば、男性の得ている別の刺激で、性的感覚に近いものはないんだろうか。
と思った時、よく男性の性欲は「支配欲」と類似していると聞くなと思い出した。それでいうと、例えば「勝利(仕事における勝利でもいいし、味方の勝利でも良いし、スポーツ観戦したときの応援チームの勝利でもいい)したときに得られる、グワーっとした高揚感が、男性のセックスの快感の種類に近い」みたいなことはあったりする?
過激派というわけではないが、あずきバーというもの全般がうっすら嫌いだ。
子供の頃からほとんど食べたことがないし、そもそも美味しさのポイントを曖昧にしか覚えていない。
噛んでもなかなか減らないので、大半の時間が「これ今何してんの?」になってしまい、食べても何だかわからない。
知ってるフレーバーを挙げろと言われても、プレーンと白あずきと抹茶くらいしか出てこない。あと期間限定の何か?
甘いものは好きだから、他のアイスの新商品ニュースを見て羨ましいなとも思うが、どうにもあずきバーは好きになれない。
スーパーで安売りされているのを見るのは嬉しかった。でもそんなに長続きしないよねあれ。
知り合いから「固くて歯がやられそうであんまり食べなくて」と興味がないことを開示されると、その人への信頼感が爆上がりしてしまう。
「昔から売れてる定番なんだよ」と聞いた時は何だか悔しかった。そのまま消えちゃえばいいのにとすら思った。
嫌いって言いたいけど集団の中に必ずその属性の人間が1-2人いるから迂闊に言えないと言うか。
公の場で嫌いなものを声高に叫ぶなという話はそれはそうなんだけど。でもあずきバー嫌いな人は良い人に思える。
でも国民的おやつなんだし、好きになれたら楽になれそうなのに、なんでこんなに嫌いなんだろうとも思う。
理由を考えてみたけど、一番でかいのは「子供の頃に食べたい別のアイスを悉く親に却下されて買わされたのがあずきバーだから」に尽きるんだと思う。
これは真夏も冬もそう。
ウキウキしながらアイスコーナーに行ってチョコのパッケージを手に取った時、「今日はあずきバーにしなさい」と言われた時の絶望感。
家で食べる瞬間に、歯に響くあの固さでやる気を削がれた時の行き場のない怒り。
冷凍庫を開けたらいつものカップアイスではなく茶色い棒の列が並んでいるのを見た時の冷めた感情。
でも逆に言うと嫌いな理由がほぼこれしかない。この一点だけでそんなにも恨めるものかと自分でも驚いている。
家族がそもそもあずきバー信者でもなかったので、某メーカーの「家族みんなであずきバー」みたいなこともなかったのに。
歯医者で「あずきバーは危険だから注意してね」と言われたこともないし、あずきバー愛好会の勧誘を受けたこともない。
でも「おやつタイムにずっと踏みつけにされてきた」という恨みがある。
捻れた思いなんだろうけど、根深く残ってるのでどうにも消せない。
好きな人がめちゃくちゃ多くて、「昔ながらの優しい味」として揺るがない地位を築いているので、基本的に態度がでかい。
テレビに出てくるあずきバー好きな人って基本的にルイ15世なのか?ってくらい態度がデカくない?あれ何???
そして甘味好きな人がやりがちな「皆これ好きだよね」という傲慢さを隠そうともしない。
むしろ全面に出してくるし、勧めてくる。嫌いだっていってんだろ、食べても変わんねーよ。
健全だと名乗る割に固さにまつわる迷惑千万な武勇伝。他のアイスを見下しても良いという態度。
歯が欠けた話を「笑い話」にして美談で持ち上げられてるのも気持ち悪い。根本的に昭和の臭いが色濃く残る感じも嫌。
そら長年売れてますもんね、やめられないよね。ニヤけたおっさんたちの気色の悪い顔が付きまとうんだが。
ガリガリ君にもあるだろうって言われそうだけど、ガリガリ君のが印象はまだマシなんだよね。
軽いし、味のバリエーション豊富だし。季節限定のフレーバーも楽しいし。
同じ棒アイスでも、あずきバーのあの「昔ながらの健康おやつです」みたいなでかいツラして、都合の悪いこと(固すぎ問題)誤魔化してるのが特に虫唾が走る。
被害妄想がだいぶ入ってるし、うっすら嫌いってレベルじゃなくて唾棄するレベルじゃないか?と書いてて思った。
ただ製造してる人や売ってる人が嫌いとかじゃないんだよね、あずきバーという概念と存在と集団が嫌いなんだ。
いつかもうちょっと嫌いな感情が緩和されることを祈りつつ、夏の冷凍庫で鎮座するあずきバーを見てまたヘイトを上げつつ、暑い季節を過ごしている。