
はてなキーワード:フリーランチとは
【はじめに】
システム工学的「エポケー(判断保留)」と、リヴァイアサンの代謝
本稿は、現代日本政治における「権力と宗教」の構造的癒着、および「山上徹也」という事象を、道徳的善悪の彼岸にある「システム工学的な機能不全と最適化」の観点から記述する試みである。
あらかじめ断っておくが、本稿には犯罪行為を正当化する意図も、特定の信仰を弾圧する意図も一切ない。
現象の「論理的解明(Explanation)」は、決して行為の「倫理的擁護(Justification)」と等価ではない。
病理学者がウイルスの感染経路を淡々と追跡するように、筆者は犯罪者も、政治家も、信者も、すべて巨大な統治機構(リヴァイアサン)を構成する「部品」および「代謝産物」として等価に扱う。
読者が感じるかもしれない不快感は、システムそのものが内包する「非人間的な合理性」の反映に過ぎない。
筆者は前稿『歪なリヴァイアサン』において、自民党を「魂(イデオロギー)を持たない利益配分マシン」と定義した。
しかし、高度成長が終わり、配るべき「カネ(利益)」が枯渇したとき、魂を持たないこのマシンは、いかにして自らを駆動させる熱量を調達するのか?
本稿は、この問いに対する回答である。
システムは生存のために、外部から「安価な魂」と「無料の労働力」を調達する必要があった。その調達先こそが、統一教会という名の「政治的下請け業者(BPOパートナー)」である。
本稿では、リヴァイアサンがいかにしてこの異物を「召喚」し、その病理的な代謝プロセスの中で、いかなる副作用(山上徹也)を必然的に排出したのかを解剖する。
序論:誤診された「犯罪者」
2026年1月、奈良地裁は山上徹也被告に無期懲役を言い渡した。判決文、そして世論の多くは、彼を「家庭環境に絶望した、極めて特異で孤独な犯罪者」として処理しようとしている。
しかし、これは誤診である。あるいは、意図的な隠蔽と言ってもよい。
我々の「システム論」の視座に立てば、山上徹也という存在は、決して予測不能なバグ(異常値)ではない。彼は、戦後日本の政治システムが正常に稼働し続けた結果、必然的に排出された「産業廃棄物(システム・バイプロダクト)」である。
彼を「極端な個人」として切り捨てることは、工場が川に垂れ流した汚染水で奇形魚が生まれた際に、工場の排水システムを点検せず、「その魚の特異体質」を責めるに等しい。
なぜ、統一教会という異質なカルトが、日本の政権中枢にこれほど深く食い込めたのか。
「教会が巧みに自民党を洗脳・浸透した」という被害者面をしたナラティブが流布しているが、これは歴史的にも構造的にも誤りである。
正しくはこうだ。自民党というシステムには、構造的な「欠落」があり、その穴を埋めるために教会を自ら「召喚」したのである。
自民党と統一教会の関係を「信仰」や「思想の共鳴」で語ることは、事の本質を見誤らせる。
両者を結びつけていたのは、互いの「欠損」を補い合う、極めてドライで実利的な「政治的バーター取引(交換条件)」である。
この取引のバランスシート(貸借対照表)を精査すれば、なぜシステムが教会を切断できなかったのかが明確になる。
自民党が教会から調達していたのは、カネ(献金)以上に、「カネのかからない実働部隊」であった。
選挙には膨大な人件費がかかる。しかし、教会から派遣される秘書や運動員は、給与を要求しないどころか、教団の教義に従って「無私の奉仕」として24時間働く。
これは、企業経営で言えば「違法なほどの低賃金労働力」を独占的に確保しているに等しい。自民党議員にとって、これほどコストパフォーマンスの良い「兵隊」は他に存在しなかった。
数万票単位で動く教団の組織票は、全体の得票数から見れば僅かかもしれない。しかし、当落線上にある小選挙区の候補者にとっては、この「確実に計算できる数万票」こそが、政治生命を左右する決定打となる。
スパイ防止法制定や選択的夫婦別姓反対など、リベラル層からの反発が強い右派的政策の推進運動を、「国際勝共連合」という別動隊に担わせた。これにより、自民党本体は「中道」の顔を保ったまま、保守層の支持を固めることができた。
対する教会側が求めたのは、日本という巨大な資金源でビジネスを続けるための「不可侵条約」と「お墨付き」である。
教祖や幹部が、岸信介、安倍晋三といった歴代首相と並んで写真に収まること。あるいは、関連イベントにビデオメッセージをもらうこと。
これらは単なる記念ではない。信者や勧誘対象者に対し、「総理大臣も認める立派な団体である」と信じ込ませるための「最強の営業ツール」として利用された。政治家の権威は、霊感商法を正当化するためにロンダリングされたのである。
長年にわたり、霊感商法に対する警察の捜査や消費者庁の規制が、不可解なほど鈍かった事実は見逃せない。
さらに決定的だったのは、2015年の「名称変更」の承認である。悪名高い「統一教会」から「世界平和統一家庭連合」への看板の掛け替えを、当時の下村文科相下の文化庁が認めたことで、教団は過去の悪評をリセットし、新たな勧誘活動を展開することが可能になった。
これは実質的に、国家が教団に対し、「日本国民からの搾取を継続してもよい」というライセンス(免許)を更新したに等しい。
教会が喉から手が出るほど欲しがり、自民党が頑なに守り続けた最大の利権。それは、日本国内に「聖域」と呼ばれる非課税地帯を維持することであった。
通常の企業であれば、商品を売って利益が出れば法人税がかかる。
しかし、教会は「壺」や「多宝塔」を売る行為を、商行為ではなく「宗教的な寄付(献金)」と定義した。
日本の宗教法人法において、宗教活動による収入は「非課税」である。
これにより、信者から巻き上げた数千億円規模の資産は、国家による徴税というフィルターを通らず、丸ごと教団の懐に入った。これは、実質的に国家が教団に対して「法人税相当分(利益の約20〜30%)の補助金」を裏で渡しているに等しい。
株式会社と異なり、宗教法人は財務諸表の公開義務が極めて緩い(実質的に外部からは見えない)。
この「不透明性の維持」こそが、自民党が教会に提供した最大のサービスの一つである。
「信教の自由」を盾に、宗教法人法へのメス(厳格な会計監査の義務化など)を入れないことによって、教会は日本で集めた莫大な資金を、誰にも監視されずに韓国の本部や米国へ送金することができた。
日本は、教団にとって世界で最も効率の良い「集金マシン兼タックス・ヘイブン(租税回避地)」として機能させられたのである。
(元)連立パートナー(公明党・創価学会)への配慮という「人質」:
それは、統一教会だけに課税しようとすれば、かつて自民党の連立パートナーである公明党の支持母体(創価学会)や、自民党の保守地盤である神社本庁など、他の巨大宗教団体の既得権益も脅かすことになるからだ。
この「相互確証破壊」の構造があるため、宗教法人税制はアンタッチャブルな聖域となり、統一教会はその「大きな傘」の下で安住することができた。
この取引において、自民党は「政治コスト」を削減し、教会は「法的リスク」を回避した。
しかし、経済学の原則として、「フリーランチ(タダ飯)」は存在しない。
自民党が浮かせたコストと、教会が得た利益。その莫大なツケを払わされたのは誰か?
その全てのツケは、「信者家庭からの略奪的採掘」によって支払われた。
燃料としての家族:
自民党に「無償の秘書」を派遣するためには、教会職員を養うカネがいる。そのカネを作るために、山上徹也の母親は「霊感商法」によって資産の全てを搾り取られた。
山上家が破産し、兄が自殺し、一家が崩壊したプロセスは、悲劇ではない。それは、自民党という巨大なエンジンを回すために、燃料として「消費」されたに過ぎない。
燃料(資産と家庭の幸福)が燃やし尽くされた後に残った、燃えない残骸。
金も、親の愛も、学歴も、社会的地位も奪われ、空っぽになった人間。
それが山上徹也だ。
彼は社会不適合者だったから犯罪行為を起こしたのではない。システムが彼から全てを収奪し、その後の「廃棄物処理」を怠った結果、有毒ガスが充満して引火したのである。
あの手製の銃は、狂人の武器ではない。それは、政治システムが排出した「毒」が、逆流して配管(安倍元首相)を破裂させた物理現象だ。
2026年の無期懲役判決と、それに続く高市首相の解散総選挙。これらは一連の「汚染除去作業」である。
裁判所は、彼を「政治犯」として認めなかった。認めてしまえば、「自民党がカルトを使って国民を搾取していた」という因果関係を司法が公認することになるからだ。
彼を「母親への恨みで暴走したかわいそうな男」という物語に閉じ込め、刑務所という最終処分場へ隔離することで、システムは「我々には責任がない」と宣言した。
高市首相は、判決の直後に解散を打つことで、この事件を「過去の歴史」へと押し流した。選挙の争点を「教団問題」からずらし、再度の勝利によって「禊(みそぎ)」を完了させる。
これにより、「教会を利用するシステム」は温存され、単に「より見えにくい形」で地下潜行するだけとなる。
「山上徹也は極端な個人ではない。システムが生んだ副産物である」
我々が見ている「平和な日本」は、山上家のような「声なき生贄」を燃料として燃やすことで、かろうじて維持されている。
無期懲役の判決が確定した瞬間、システムは安堵の息を漏らしただろう。
だが、構造が変わらない限り、第二、第三の山上徹也(産業廃棄物)は、今もどこかの家庭で静かに生成され続けている。
ずっと黙ってたが、本人は今頃空の上で、もうこの世界にはいないので言うことにする。
英国の大学院では、クラスに化け物みたいに優しくて、ストイックな友達がいた。
プライベートでは、強がりな私が思うような結果が出ずに苦しかったり、悔しいことがあったら、察して話を聞いてくれた。
夜道は危ないからって、飲んだ後はわざわざ毎回、全然方向の違う私の学生寮まで一緒に歩いて帰ってくれた。英語教育の話とか、たわいもない話とか。
そんな何でもない帰り道が、今振り返ると一番の思い出だったりする。
勉強面でも、英語力を上げるために、日本人同士なのに英語で話すことを最後まで続けてくれた。
クラスのディスカッションでも、ただ批判するんじゃなくて、相手を傷つけない言い方で、ちゃんと健全な批判ができる人だった。
私が卒論で必死に80ページを書き上げた一方で、彼は平気で120ページを超えていた。
この「化け物」みたいな…いや、化け物の友達がいたおかげで、私はなんとかKing’sCollegeLondonでDistinctionを取れたと思ってる。
円安が極まる中、2人して貧乏で、洗濯は手洗い、移動は徒歩か自転車がメイン、毎週火曜のフリーランチにはほぼ必ずいる。
私は1ヶ月£290生活を誇っていたが、彼には£250を切る月があった。
周りに同じ日本人が、同じ志を持って、同じ熱量で近くにいる。それだけで、かなり救われた。
クラスメートが旅行に行きまくる中、2人でひたすら学問の話をしていた。
社会人になると、結局はお金とか能力とか仕事とか、そういう“自分ではない何か”でしか繋がれなくなっていく気がして、どこか悲しくなってた。
でも違った。
大学院で得た学びは、英語力とか学問的な意味だけじゃなくて、少しだけだけど確実に「人として優しくなれた」ことだと思う。
プロダクトが崩壊しかかって、「大幅機能追加した新バージョン作ります!」って資金募るってのは、ベンチャーではあるあるだ。
「AI導入して云々」
ありもしない嘘を並べまくってでも、現金を確保するのが経営者の仕事。
いや、それってなんの取り込み詐欺師? って思わんでもない。
って事業計画書を見せて回って、「いや、見込み薄客しかおらんやん」で結局取れた契約1件、解約3件、とかいう会社を知ってる。
それ知らされないで金出さされたところ、ブチギレていいよ、って思った。
まぁ、新バージョン作るなら作るでいいんだけど、問題は「前バージョンの機能は一通り全部完成している前提なので、新バージョンではそこからどれだけ上乗せできるか」が、出資者の注目点なわけよ。
競合他社を完膚なきまでに叩き伏せられる「新機能」が(もっとも、その競合他社も、同じタコツボ状態で、目を瞑りながらぐるぐるパンチしてるんだが w)。
前バージョンは、コードはおろか設計から何から何まで使い物にならないから、完全放棄、完全作り直しになる。
たまたま腕利のエンジニアが流れてきたらなんとかなるかもしれないが、 前バージョンで失敗こいたエンジニア集団にそれができるとかどれだけ頭お花畑なんだよ? って思わん?
おいらは何度か、この新バージョン構築をやってきた。
勉強会開いてプライドを傷つけないように慎重に先住エンジニアの勘違いを正し、勘違いしたWeb記事読んでさらに勘違いしてわけわからんことをし始めるのを、これまたプライドを傷つけないように慎重に押し留めしても、目が行き届かなくて「どうしてこうなった?」みたいな機能をクライアントに披露して、サーバ全落ちの醜態を晒すとか、普通にあるんよ。
それでも、なんとか大部分を堅牢な状態でローンチできたのは、前バージョンがジュニアレベルのエンジニアが精一杯背伸びして積み重ねた、貧弱!貧弱ゥ!!な機能リストしかなかったからなんだよ。
彼らの考えつきそうなこと、間違いそうなことなんてたかが知れてるし。
だが、この前バージョンが、生成AIで大幅に水増しされた機能リストを担いでいたら?
はっきり言おう。
無理であると!
元PHPer Goista が大量に余ってる?
遠慮申し上げる!!
ってなってるだろ?
フリーランチはない。
それくらい覚えておけ w
ワンルーム不動産投資に勧誘されて儲かるシミュレーションを見せられた時に、
「そんなに儲かるのなら、なぜあなたのお金で投資しないんですか?」
と返したくなる理解してもらえると思う。
同じことは新NISAにも言える。
金融庁がつみたてワニーサ🐊のシミュレーション で見せてくれるように年率3%で運用できるというのなら、国家が金を預かって3%の利子をつければいい。
現実にはそれはできないので、つみたてワニーサ🐊のシミュレーションにはどこかに嘘があるということになる。
ここでちょっと脱線して保険と貯金と投資の違いを比較してみる。
そのため、万が一の病気に備えるとして
というのが現実解となる。
となる。
であれば、投資をした方が良いように思えるが、実際には保険と貯金と投資の違いは行動インセンティブに影響を与える。
投資の方が期待値としては金銭的に得をするとしても、行動インセンティブによって健康が損なわれる可能性が出てくる。
毎月新NISAに積み立てをしているケチんぼたちは、残高を眺めてニヤニヤする代わりに、何かを失っているのである。
それは
フリーランチは存在しない。新NISA民は積み上がっていく口座残高を代償に、何かが失われていることを自覚すべきである。
*1 例えば、運送会社は自動車の任意保険に加入しないこともあるが、これは多数の車を運用するのなら自己資金で事故処理した方が安くなるからである。それに対して、個人の場合は、事故に備えて億の桁の自己資金を準備しておくのが現実的ではない。
これはネットやデモでよく見かける「財務省陰謀論」についての本当の話です。
そう聞くと、「なるほどな」と思うかもしれませんが、それ真逆です。
この30年間、日本政府は「景気をよくしよう!」とめちゃくちゃお金を使ってきました。
たとえば:
結果は?民間企業はあまり賃上げや投資をせず、景気は長く低迷。
つまり「お金を出し渋ってた」んじゃなく、「出しても効果が薄かった」 というのが本当のところ。
「どうせ自国通貨なんだから、どれだけ借金してもいいじゃん」という話です。
インフレが起きるとどうなる?
しかも、インフレが起きてから対策をしようと思っても間に合いません。
「じゃあインフレが来たら増税すればいいんじゃ?」と思うかもしれませんが、それが超むずかしい。
さらに、日本銀行が国債を買うのを控えてきた今、国債の金利が1年で1.1%→1.6%近くまで急上昇。
これから金利がさらに上がると、利息の支払いだけで日本の財政が苦しくなる。
だから財務省は、破綻じゃなくて「インフレと金利上昇による国民生活の破壊」を一番恐れてるんです。
たしかに、ここ数年は「税収が思ったより多かった(=上振れ)」こともありました。
つまり、「たまたま税金が多かったから返して」っていうのは、ボーナスが出たら全部使い切っちゃう家計と一緒。
それを恒久的な減税(たとえば基礎控除178万円に引き上げ)に使うのは、完全に無理筋。
この考え方、昔のアメリカでもありました。
ラッファー教授という人が「減税したら経済が元気になって、かえって税収が増えるよ!」と主張。
でも結果は…
この考え方、後に「フリーランチ理論(タダ飯経済学)」「ブードゥー(呪術)・エコノミクス」と呼ばれて笑いものになったんです。
「財務省がすべてを操っている」という話、たしかにそう見えることもある。
つまり財務省が悪いというより、「政治がサボってるから悪目立ちしてる」 というのが真相です。
本当にやるべきことは、こうです:
財務省にも改善点はあるけど、「悪の組織」と決めつけるのは間違い。
上記の条件のうち、いくつかを満たしているものを作家ごとに紹介する。
作品のオチには触れないつもりだが、途中に何が出てくるかとかそういったレベルでは作品の内容に触れる。
思い入れが多い。ただ、近年のイーガンの長編は自然科学の素養が無いと何を言っているかまったくわからない作品が多いので(高校どころかひどいのになると大学院レベル)、短篇集から入るのがオススメ。人類の寿命が実質無限大なので、天文観測のために2人きりで宇宙に出て平気で数万年かけて工事するなんてエピソードもあったりするんだけど、わかりやすい宇宙人ヤバい系だったら「ワンの絨毯」かな。この長編版の「ディアスポラ」は未読。イーガン大好きなんだけど、たまに作者の顔がちょっと透けちゃう。
「火星の人」はなぜか「オデッセイ」の邦題で公開された映画の原作で、火星にたった一人取り残された男が持ち前のオプティミズムで生き延びていく話だ。不足する酸素を作り出し、糞便からジャガイモを育て、何とか地球とコンタクトを取り、必死で地球への帰還を目指す。コンタクトを取れた瞬間に希望が開けていく様子が素晴らしい。
「プロジェクト・ヘイル・メアリー」は、基本的にネタバレなしで読んでほしい。冒頭は記憶喪失の人物が意識を取り戻したところから始まり、振り子の周期から重力加速度を割り出すことで自分は地球にいないことを悟る。そして、ご地球外のミッションに送り出された理由を思い出す(ブクマの指摘でネタバレ削除)。
仲間の二人が死んでミイラ化しているという絶望的な状況からスタート。この作品も、サイエンスに対する信頼が読んでいて楽しい。
近未来、スーパープルームで海面上昇と地殻変動が起こり、人口が減少した世界。日本列島もさらに小さな島嶼の群れになっている。この世界には現生人類に似た陸の民と、魚のような生き物と双子として生まれ、その魚を肉親・パートナーとして暮らす海の民がいる。短編も長編もあり、海の民と交渉する陸の民の物語もあれば、やがて次の訪れるであろう、人類滅亡クラスのさらに大きなスーパープルームから人類を何とか生き残らせようと健闘する人びとが主役の話もある。なんとか宇宙に進出するとか、人類を海に適応した海生生物にしてしまうとか、核融合炉で地下都市を建設するとか、その絶望的で悲痛な努力が胸を打つ。作品によっては「異形コレクション」にも収められている。ある意味では「日本沈没」の精神的な続編でもある。
「最後の宇宙飛行士」は後述の「宇宙のランデブー」にプロットが似ていて、太陽系に未知の物体が侵入してくるんだけど、オウムアムアの正体に対する考察にもなっていて面白い。また、主役がどうしても宇宙に出たいんだけど、ミスで同僚を死なせてしまったがゆえに長らく宇宙とは無縁の生活を強いられているところからスタートする。挫折したヒーロー、いい意味で映画的で、リーダビリティが高い。ややホラー寄り。
古典のはずなんだけど児童書をのぞいて意外と読めていないなって作家。なんだけど、自分は「タイム・マシン」という小説で「複数の種に分岐してしまう人類」「知性を失った人類の子孫」「太陽が死んで滅亡に瀕する地球」という趣味を開花させてしまった。そういう意味では自分の読書傾向に決定的な影響を与えたと言っていい。
言語や数学をモチーフにした幾分難解な作品が多いのだが、最初の作品の1つである「Self ReferenceEngine」は少し肩の力を抜いて読める。舞台は現実改変能力を手に入れてしまったAIの発生により、無数のパラレルワールドに分裂してしまった宇宙で、AI同士が互いの存在を物理法則もろとも演算して書き換えようと争っている。壮大な世界観だが、22の断章の中ではシリアスありユーモアあり小噺あり抒情的短編ありと、何でもありだ。とにかく翻弄される人類がおかしい。
この人は「天冥の標」で有名なんだけど、長すぎるし自分も未読だ。「老ヴォールの惑星」とか「フリーランチの時代」とか、短篇集も面白いのが多くて、特に「老ヴォールの惑星」はエイリアンの生態ものでは特に面白かった。上記の条件を満たす作品じゃないけど好き。
この人はどちらかと言えば「筺底のエルピス」で有名かもしれないけど、僕が好きなのは短編の連作集「What We Want」「平林君と魚の裔」「止まり木の暖簾」だ。これは銀河系が巨大な通商連盟に支配されているという設定で、アメリカは大統領の契約違反で国民ごとエイリアンに売り飛ばされている。主人公は必死になって地球に帰還した関西弁の日系アメリカ人。特に面白かったのが2作目の「平林君と魚の裔」で、この通商連盟の究極の目的が明らかになる。
問題なのは、この短篇集があちこちのアンソロジーでバラバラに収録されていることかな。せっかくなのでそれぞれ購入したうえで他の作品も読んで、お気に入りの作家を増やしてほしい。僕も河出書房の「NOVA」とか東京創元社の年間傑作選とかでお気に入りの日本人作家を増やした。後者は新人賞作品も載ってるしお得だよ。
「幼年期の終わり」については一度ここに書いたけど、人間が進化していって人間の形を失っていく未来が好きだ。それでも残る人間らしさとは何だろうか。共感だろうか、知識だろうか、はたまた血縁だろうか。
「2001年宇宙の旅」はキューブリックの映画で有名で、「ツァラトゥストラかく語りき」のパロディが笑えるほど量産されているんだけど、これもまた人類の進化を扱った作品なのでオススメというか、進化ものでは避けて通れない作品。悪役である人工知能HAL9000がなぜ狂ったのかは「2010年」で明かされるんだけど、理由がわかるとちょっとかわいそうになる。「3001年」は「ぼくのかんがえた最強の未来社会」っぽくてそういう楽しみがある。
あえて注意することとしたら、解説で紹介されているキューブリックの映画に関するブラッドベリとクラークの発言に現代の価値観では不穏当な個所があることかな。
あとは「宇宙のランデブー」。太陽系に侵入してきた物体を探査するという一直線のプロットなんだけど、とかく未知のものに触れる驚きがいい。人物描写が浅いと批判されるのもわかるんだけど、人類が訳の分からないものに触れて戸惑うのが好きなんだからしょうがない。
意外とクラークを読んでいないことに気づく。
「果てしなき流れの果に」については前に書いたね。基本的の小松左京の作品の傾向は宇宙と人類と日本人の運命がテーマらしいので、「三体」が好きだった相性がよさそう。実は残念ながら長篇は「日本沈没」しか読めていない。と言うか三体は宇宙と人類と中国人の運命がテーマだよね。
生産性の低さ、実質金利の低さ、多額の公的債務に行き詰まっている経済をどう刺激するかについて様々な議論がある。最新ぶっているが、実は老害の古臭い考え方「MMT」の支持者は、中央銀行が大量の国際を買い入れて通貨供給量を増やせば問題解決になると、頭の悪いことを言っている。これは典型的な「フリーランチ」である。
フリーランチは政策議論において長い伝統がある。政治的に人気があり、20世紀以前に何度も馬鹿のように繰り返された。MMT愛好家が提案した特定のフリーランチを受け入れたすべての経済圏の経験的事実として、持続不能な圧力が最終的に悲惨な結果を引き起こす可能性があることも判明している。
MMTが常にハイパーインフレ・大規模な社会的経済的破壊などをもたらし、その後やはり従来どおりにすべきだと言って元の経済政策が課されるのである。
今日のベネズエラ、2008年のジンバブエ、1994年のユーゴスラビア、1946年のハンガリー、1944年のギリシャ、1923年のドイツが、多額のコストがかかることをすでに証明してしまった。
既存経済学が何かを見落としていて、MMTが正しいことなどあり得るだろうか。
政府が生み出す歳入を上回る支出を刷る場合、通常国際発行で赤字を賄う。負債は将来のある時点で、例えば収入に比べて支出を削減する、または支出に比べて収入を増やすことによって貸し手に返済するという約束である。
政府が典型的債務を返済するために使用する所得税などのほとんどの税金は透明性がある。
対象的に、持続不能な赤字と爆発的に増大する政府債務の財源となる「税」はインフレ税、つまり人々が保有する貨幣の量よりも早く物価が上昇した場合に生じる、国民が保有する貨幣価値の実質的低下である。インフレは、追加の財を生産するために経済の供給側の能力を超えて中央銀行が大量の通貨を印刷した場合にも起こる。
ただし、その発言は「素晴らしい原案」だ。加筆する必要がある。
発電方法を変えるには大量の評価軸上でのトレードオフを考慮しないといけない。
考えるべき指標は「経済性」「環境負荷」「地政学的リスク(ロシアから天然ガス買いたい?)」「安定性(1時間くらいの停電で数人死んだりする)」「調整力(再エネは急な需要の変化を追えない)」などなど、すべてが誰かの利益を左右する。
さらに経済性ひとつとっても原発には廃炉費用がかかるとか色々考えることがある。
そして誰からも理解されない「調整力」について。1つ覚えてほしいのは「電気は貯められない」ということ。
貯める機構は揚水発電、HEMS(お家に蓄電池を置く)、SMES(地下の超伝導ループに電気を貯める!)とか実在する。しかしコスト面やら耐久性やらで必要な量は生産できていない。だから再エネ発電を新設するなら研究開発大量生産に投資してほしい。不安定な発電機が増えてもそれを上手く消費したり貯めて置くものがないと意味がない。
電力網の需給調整はシビアで、家庭への再エネ導入で予測できない供給が出現したので、クッソ辛くて当初の担当者はキレてたらしい。
貯めるか管理しよう。
そのシビアな需給調整や地政学のバランスを突っつくことになるのが電源構成の変更だ。
…と問われたときに、電気料金の値上げで暗に寿命が縮まった人の顔を想像しながら
「仕方ないですね。トレードオフなので。冬じゃなくて良かったですね。倍は死んでましたよ。福祉でカバーしましょう」
と言うべきなのだ。フリーランチはないので。覚悟を持って決断、発言しましょう。
政治だから、我々は残酷なスライダーを左右に動かすことしかできない。
全員を幸せにできるのは技術革新だけ。それには研究、開発、研究開発に死ぬほど金をかける必要がある。
で、君たちは投資しているか?IEEEで発表しているか?してないよな。しよう。
政治をしよう。浅い知識の押し付け合いではなく。勉強する気もなくて利害調整すらできない人々は、自転車置き場の屋根の色について話そう。
政治の話について例えば、安定度を低くすれば発電効率を上げることができる。けど、電気は止めちゃいけないし脱輪はフツーに事故で効率が悪いのであんまいじりたくないよねみたいな会話があったとする。これはちゃんと政治だ。当たり前なので誰も話さないだけで。
https://em.ten-navi.com/dictionary/2373/
ブラウザとかに表示される商品を月にいくらまでって指定すると勝手に買うAI
俺みたいな貧乏人なら月に100円とか、金持ちなら月に1万円とか指定すると、その範囲内でAIが判断して商品を買うんだよ。でも、買った商品はデジタル商品ならそのまま捨てるし、何か宅配される商品ならそういうゴミの送り先を指定できてそこに送る。好みの商品なら送り先を自宅にしてくれる。
これなら、フリーランチとか言われずに、広告会社も商品をつくっている会社も儲かるし、
俺は広告を見なくて済む。
米国で開発されたライブラリの使い方や、クラウドの使い方に終始している気がしてならない。
(もちろん、それはそれで難しさはあるのは重々承知だが)
かなり前にフリーランチが話題になったものの、ソフト的にはPythonのような、より抽象度が高く、ハードが進化することを前提としたものが流行っている。
米国だと、そのハード設計の進化を支えるソフトやアルゴリズムが開発されていたりするわけだが、日本はそうではない。
飛行機や軍事システムのような複雑なシステムを構築できるような工学理論も、それを支えるソフトも育たなかった。
労働力減少に対応するための数理最適化といったものも育ってない。
https://yhara.jp/2021/06/23/ai-ethics
滅茶苦茶薄っぺらい記事がなぜかはてブでバズってたので便乗するけど
この手のヨタ記事で「人工知能の問題」として挙げられてるのって全く人工知能特有の問題じゃなくて知能の問題なんですよね。
生物が限られた情報量から合理的決断を行う能力を発達させた成果が、偏見であり、バイアスであり、事前知識であり、これを扱う能力が知能。
ノーフリーランチ定理的な描像で言えば、ノーバイアスは何も考えてないのと同じであり、バイアスを掛けているからこそ特定の問題が得意になるんであって
知能とは単に現在の環境に適応的なバイアスを選択する能力と言っていい。
人間はそれを毎日毎時毎秒使ってお互いをジャッジし偏見を強化しまくって社会活動を行っているのに
「AI」として可視化された途端「うわー、AIが偏見を強化してる!」って馬鹿なんじゃないかなと思います。