
はてなキーワード:フリーランスとは
木曜の夜、僕は渋谷のマークシティの横のエスカレーターに立っていて、上に行く人たちの後頭部を見ていた。みんなどこかに行くところがあって、誰かに会う予定があって、それが当然みたいな顔をしている。僕にはこの後の予定がない。さっきまで打ち合わせだった。クライアントじゃない、業務委託のデザイナーとの打ち合わせで、サイトのワイヤーフレームの修正点を詰めていた。二十二歳同士の打ち合わせ。たぶん外から見たら、意識の高い大学生が何かやってるな、くらいのものだ。くらいのものだ、ということを自分でわかっているということが、たぶん僕の一番の問題だと思う。
自分の話をする。
僕は今、大学の四年生で、二年の終わりくらいからウェブのマーケティング的なことを仕事にしている。会社を作ったと言えば聞こえはいいけれど、実態はフリーランスに毛が生えたくらいのもので、オフィスはなくて、自宅の六畳の部屋が全部だ。クライアントは十二社。小さいところばかりだけれど、毎月の売上はまあ、大学生にしてはあるらしい。「大学生にしては」。この留保がつく限り、僕はまだ何者でもない。
この言葉を言われるたびに、笑顔で「いやいや全然です」と返しながら、胃の底がかすかに冷たくなるのを感じる。大学生にしては。大学生にしては。その「しては」を取ったら、僕に何が残るんだろう。
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インターン先の話をする。大学三年のとき、半年だけ、あるスタートアップでインターンをしていた。もう辞めてしまったけど、あそこで僕は初めて、本物の優秀さというものを見た。
先輩の川島さんは二十六歳だった。東大の院を出て、新卒でそのスタートアップに入って、マーケの責任者をやっていた。川島さんは、僕が二時間かけて作った広告のレポートを見て、三十秒くらい黙って、それから「ここの因果、逆じゃない?」と言った。僕は二時間かけて間違った方向に全力で走っていたのだ。川島さんはそれを三十秒で見抜いた。
三十秒。
僕は自分の二時間と川島さんの三十秒を天秤にかけて、その傾きの角度に目眩がした。
川島さんだけじゃなかった。もう一人、営業の柴田さんという人がいた。二十八歳。この人はマーケのことなんか何にも知らない。でも柴田さんがクライアントと電話しているのを横で聞いていると、声のトーンが変わる瞬間がわかる。相手の声が、硬いのから柔らかいのに変わる。それは技術じゃなかった。人間の、もっと根っこのところにある何かだった。
僕にはあれがない。
あれが何なのかすら、正確にはわからない。わからないということが、つまり僕にはない、ということだ。
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ここで白状しなければならないことがある。
中学のとき、僕はいじめられていた。いじめ、という言葉を使うと何か大げさなものを想像されるかもしれないけれど、そんな劇的なものじゃなかった。殴られたわけでも、金を取られたわけでもない。ただ、存在を透明にされた。グループワークで僕の意見は聞かれない。昼休みに話しかけても目を合わせてもらえない。LINEのグループに入れてもらえない。文化祭の班決めで余る。修学旅行の部屋割りで余る。「余る」。僕の中学時代はこの一語に集約される。
いじめっ子たちは別に悪い奴らじゃなかった、と今は思う。ただ、僕がつまらなかったのだ。面白くなくて、運動もできなくて、顔もよくなくて、声も小さくて、一緒にいて得るものが何もない人間。それが中学時代の僕で、たぶん、客観的に見ればそれは正当な評価だった。正当な評価だったということが、余計にたちが悪い。理不尽に虐げられたのなら怒れる。でも正当に無視されたとき、人はどこに怒りを向ければいいのだろう。
僕はそれを自分に向けた。
高校に入って、僕は変わろうとした。プログラミングを覚えた。ウェブのことを勉強した。ビジネス書を読んだ。大学に入って、すぐにインターンを始めた。自分の会社を作った。それは全部、中学の教室で透明だった自分への復讐だった。お前らが僕を無視している間に、僕はお前らの知らない場所で、お前らの知らないことを身につける。そしていつか、お前らが想像もしない場所に立つ。
復讐。そう、復讐だった。動機としては不純かもしれないけれど、僕を動かしていたのは確かにそれだった。
川島さんや柴田さんのような人間を見てしまったから。僕が中学の教室の透明な存在から脱出するために必死に積み上げてきたものの全部が、彼らの前では、ほとんど何でもないということを、知ってしまったから。
同世代で見れば、僕はたぶん上の方にいる。大学生で自分の会社を持っていて、クライアントが十二社いて、マーケのことはそれなりにわかる。合コンがあれば(行ったことはないけれど)「すごいね」と言われるプロフィールだと思う。
でもそれは同世代の話だ。同世代のトップなんて、トップでも何でもない。ちょっと世代を上にずらせば、僕みたいなやつなんかいくらでもいる。いくらでもいるどころか、僕よりはるかに速く、はるかに深く、はるかに遠くまで行っている人たちが、ごろごろいる。そしてその人たちは、僕が必死にやっていることを、息をするようにやっている。
オンリーワンでなければ意味がない、と言ったら大袈裟かもしれない。でも、「大学生にしてはすごいね」の「しては」がいつか取れる日が来るのか、僕にはわからない。来ないかもしれない。一生「しては」付きの人間として、そこそこの場所で、そこそこに生きていくのかもしれない。
そう思うと、怖い。
今の自分に満足してしまいそうになることが、怖い。「まあ、大学生にしてはやってる方じゃん」と自分に言い聞かせて、その「しては」の中に安住してしまいそうになることが、本当に怖い。こんなところで満足していたら、僕は永遠に川島さんには追いつけない。満足するな、と自分に言い聞かせる。もっとやれ。もっと上に行け。もっと。
もっと。
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でも。
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でも、と僕は思う。
木曜の夜の渋谷のエスカレーターの上で、どこにも行く予定のない自分の足元を見ながら、僕は思う。
僕は、楽しんだことがあるだろうか。
人生を。
中学のとき、透明だった。高校のとき、復讐の準備をしていた。大学に入って、ビジネスを始めた。二十二年間の中に、純粋に「楽しい」と思った時間が、どれくらいあっただろう。
友達と夜通しくだらない話をしたこと。ない。というか、夜通し話せるような友達が、いない。彼女と手を繋いで歩いたこと。ない。当然ない。二十二年間、一度もない。
二十二年間、一度も、誰の手も握ったことがない。
旅行に行ったこと。ほとんどない。行ったとしても、移動中にSlackを見ている。映画を最後まで集中して観たこと。思い出せない。たぶんある。でも何を観たか思い出せない程度の体験しかしていない。
Twitterを開けば、同い年のやつらがサークルの合宿で海に行ってたり、学園祭で何かやってたり、彼女の誕生日を祝ってたりする。インスタを開けば、もっとだ。僕がワイヤーフレームの修正点を詰めている木曜の夜に、誰かは誰かとイルミネーションを見に行っている。
僕はそれを、ずっと、「そんなことしてる場合じゃない」と思って切り捨ててきた。川島さんに追いつかなきゃいけない。もっと仕事をしなきゃいけない。もっとスキルを上げなきゃいけない。遊んでる暇なんかない。
でも最近、夜中にベッドの中で、天井を見ながら、こう思うことがある。
僕は、「もういい」と思えるほど、生きていない。
もういいや、仕事に集中しよう。そう言い切れるほど、僕は人生を味わっていない。楽しんでいない。何も楽しんでいないのに、何かに集中しようとしている。空っぽの器を火にかけているようなものだ。中身がないまま熱し続けたら、器が割れる。
友達の作り方がわからない。二十二歳にもなって。恋人の作り方はもっとわからない。そもそも誰かと親しくなるということの手順が、僕の中にインストールされていない。中学で透明にされた三年間の間に、みんなが自然と身につけたはずの何かが、僕には欠落している。
だから僕は仕事をする。仕事なら、手順がある。クライアントの課題を聞いて、分析して、施策を考えて、実行して、数字で結果を出す。そこには人間関係の不確定性がない。数字は僕を透明にしない。数字は僕を無視しない。
でもそれは、逃げなんじゃないだろうか。
わからない。
もっと上を目指さなきゃいけないのに、同時に、もっと今を楽しまなきゃいけない気がする。でも上を目指すことと今を楽しむことは両立しない気がする。でもどっちも諦められない。でもどっちも中途半端になってる。上を目指すには全然足りていないし、楽しむなんてそもそもできていない。どっちつかずの二十二歳が、渋谷のエスカレーターの上で立ち止まっている。
ワークライフバランス、という言葉がある。あれは、ワークとライフの両方がある人間のための言葉だ。僕にはワークしかない。いや、ワークすら中途半端だ。ライフに至っては存在しない。バランスを取る以前の問題だ。存在しないものの天秤をどう釣り合わせろというのか。
こんなことで悩んでいる自分が恥ずかしい。川島さんはたぶん、こんなことでは悩まない。川島さんには友達がいて、恋人がいるかは知らないけれど、少なくとも飲みに行く相手がいて、人間としてのベースがちゃんとある上で、あの恐ろしい優秀さを発揮している。土台がある。僕には土台がない。砂の上に家を建てているようなもので、いつ崩れてもおかしくない。
おかしくない、と思いながら、それでも僕は今日も家を建て続けている。他にやり方を知らないから。
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金曜の朝。
特に何があったわけでもない朝だった。
僕はいつも通り六時半に起きて、いつも通り白湯を飲んで(コーヒーは胃が荒れるからやめた、二十二歳で胃を心配している自分がちょっと情けない)、いつも通りMacBookを開いた。
メールを確認する。Slackを確認する。クライアントからの返信をいくつか処理する。そのうちの一件が、先月から手がけていた案件のレポートへの反応だった。
小さなオンラインショップをやっている人で、三十代の女性で、自分でアクセサリーを作って売っている。月商は二十万くらい。僕がやったのは、広告の設計と、LPの改善と、SNSの運用方針を整理することだった。
「先月お願いした施策を始めてから、はじめてSNS経由で知らない方からの注文がありました。すごく嬉しかったです。今まで友人や知人にしか買ってもらえなかったので。本当にありがとうございます」
僕はそのメールを読んだ。
二回読んだ。
三回読んだ。
そして、自分でもよくわからないのだけど、目の奥がじんとした。
「はじめて知らない方からの注文がありました」。
それだけのことだ。たった一件の注文だ。川島さんなら、こんな規模の案件はやらないだろう。やる必要がない。川島さんは何千万、何億という広告予算を動かしている。僕がやっていることは、それに比べたら、本当に小さい。
でも、あのアクセサリーを作っている人にとっては、知らない誰かが自分の作品を見つけてくれたことは、たぶん、小さくなかった。
僕がやった仕事は、完璧じゃなかったと思う。川島さんなら、もっとうまくやれた。もっと効率よく、もっと的確に、もっと大きな成果を出せた。でも川島さんはあの案件をやらない。月商二十万のオンラインショップの広告なんか、川島さんの世界には存在しない。
僕はなんでもやだ。
マーケもやるし、広告もやるし、SNSもやるし、たまにデザインの方向性も考えるし、クライアントの愚痴も聞くし、請求書も自分で発行する。専門性がない、と言われたらそれまでだ。川島さんのようにマーケティングの深い専門性があるわけでもなく、柴田さんのように人の心を一瞬で掴む力があるわけでもない。僕は何でもそこそこにできて、何一つ突出していない。なんでもや。便利で、代替可能で、オンリーワンとは程遠い存在。
でも。
あのメールを三回読んだ朝、僕は思った。
なんでもやの僕でしか、届けられなかったものが、もしかしたら、あったのかもしれない。
月商二十万のアクセサリーショップに、真剣に向き合えるのは、たぶん僕みたいな人間だ。大きすぎず、小さすぎず、どこにも分類されない、中途半端な場所にいる人間。上から見下ろすでもなく、同じ場所に立って、一緒に考える。それは才能じゃない。たぶん、境遇だ。僕が中途半端だから、中途半端な場所にいる人たちの気持ちがわかる。わかるというか、少なくとも、わかろうとすることができる。
それは川島さんには、たぶん、できない。できないというか、する必要がない。川島さんにはもっと大きな仕事がある。
僕にはこの仕事がある。
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これが何かの答えだとは思わない。
川島さんとの距離は縮まっていないし、彼女はまだいないし、友達も増えていないし、人生は相変わらず楽しくない。木曜の夜に渋谷のエスカレーターで一人で立っている二十二歳は、金曜の朝になっても、やっぱり一人で六畳の部屋にいる二十二歳だ。
ワークの問題は解決していない。もっともっと上に行かなきゃいけない。もっと勉強しなきゃいけない。川島さんの三十秒に、いつか追いつかなきゃいけない。追いつけるかはわからない。たぶん、追いつけない。でも追いかけることをやめたら、中学の教室の透明な僕に戻ってしまう。
ライフの問題はもっと解決していない。二十二歳の、今しかない時間が、砂時計の砂みたいにさらさら落ちていっている。大学を出たら、もう「大学生」という猶予は終わる。社会人になったら、きっともっと時間がなくなる。今のうちにもっと楽しまなきゃいけないのに、楽しみ方を知らない。楽しみ方を学ぶ時間を、仕事に使ってしまう。仕事に使ってしまうことに罪悪感を覚える。罪悪感を覚える自分に対してまた恥じる。恥じている時間がまた過ぎていく。
全部、中途半端だ。
全部が中途半端で、その中途半端さを直視できるくらいには頭が回って、でも直視したところで何も変えられないくらいには無力で、その無力さすら誰にも言えないくらいには意地を張っていて、意地を張っている自分がまた恥ずかしい。
フリーランスになって2年が経ち、今更自分が向いていなかったのではないかと思う。
「今日はここまでやろう」「今月はここまで進めよう」
そういったことは決めるのだが、それが守られた試しはない。
1日最低でも6時間集中して作業することが出来れば、ちゃんと稼げるはずなのにそれが出来ない。
作業をすると決めた日に、30分も集中することが出来なかった日なんてざらだ。
そんな日にベッドで眠りにつくとき、自己嫌悪でいっぱいになる。
全く集中できていないかというと、そんなことはなくて、たまに滅茶苦茶集中できるタイミングがあったりする。
1週間に1回あればいいくらいだけど、大抵1~2時間でそんなボーナスタイムは終わってしまう。
それで多少稼げてしまっているから、甘えてしまうのかもしれない。
生活するにはギリギリ稼げていて、しかし借金もあるからもっと稼がなければいけないのに出来ない。
集中力を回復させるために、サプリを試したり葉巻を吸ってみたりしたがあまり効果が見られない。
「運動」は効いてるか分からないが、「マインドマップを書くこと」は結構効果がありそうだった。
マインドマップを書いているうちに思考が整理され、思いのほか作業をスムーズに始めることが出来た。
今日はマインドマップを書いてから1~2時間程度作業を進めることが出来た。
少し面倒だが、仕事を始める前にこれから毎日マインドマップを書くようにしたいと思う。
自分もアラサーで家で仕事をしている関係上一人で過ごすことが多いが、孤独感を紛らわせるためにYouTubeで動画を見たり、ゲームが好きなのでTwitchでゲームの配信を見たりしている。
配信では、実況者とチャットでコミュニケーションが取れたりするので、それが少し楽しかったりする(書いていて少し恥ずかしくなったが…まあよし)。
孤独が紛れるような趣味を見つけることが多少の救いにはなるんじゃないかと思う。
自尊心が危機的な状況までに低下している人にどのような言葉をかければいいのか分からないけれど、どこかで自分を見つけてもらえる場所を探すしかないのかもしれない。
もしくは、自分で自分を好きになる努力をしてマインドを変えていく方が意外と近道かも。
書いていて、自分だって割とギリギリのところで踏ん張っているのかもしれないと考える。孤独に飲み込まれないように必死に現実逃避しながら日々を過ごしているような感じ。
すがりつくようにYouTubeやTwitchに没頭しているのも、自分の自尊心こそが危機的状況にあることを暗示しているのではないか。
何か少し悲しくなってきた。
恋人とも少し前に別れ、フリーランスの仕事を続けているけど、借金も少しあったりする。
株、仮想通貨etcそういった取引量が多くて直ぐに現金化できる資産なら、2,3日位の生活費で十分。
糞アルト、とか紙屑なら数週間掛かるかも?
土地なんかだと、場所にもよるけれど現金化するのに年オーダーが掛かる場合がある、このばあい、年オーダーの生活費。
生活費?
一日や二日ていどなら極端な話、飲まず食わずでも死にはしないので、最悪〇円でも?
実際数日分くらいの食費くらい。
急な怪我や病気の医療費。これは支払いは数週間後とか、事情があればさらに待ってもらえるので、
現金化が数日オーダーならそんなに気にしなくてもよい。
月オーダーになってくると、家賃や光熱費、通信費などを考慮しないと。
投資の有無にかかわらず、だれでもやってる(はずだ)から、特に気にせずそれまでやってた、それぞれの「万が一のお金」で十分じゃね。
わざわざ「生活防衛費」なんて気にしなくても。
~
そもそも、自分のタイミングじゃないのに資産を現金化しないといけないのが、や。
e.g.
10万の家賃払うために、毎月8万の家賃収入がある不動産を売るのはトータルで大損でしかない。
株みたいに細かく売買できる資産だとそんなに気にしなくてもだけれど。精々手数料と、税金位?。
土地とか、古物とか分割しにくいやつだと、現金化しなくて済むように。
~
貰い始めるまでの待機期間の7日分くらい?
起業家も生活保護受給者もみんな死んだら骨wwwwwwwwww
片想いも両想いもみんな死んだら骨wwwwwwwwww
ポジティブもネガティブもみんな死んだら骨wwwwwwwwww
市民も区民もみんな死んだら骨wwwwwwwwww
早寝早起きも昼夜逆転生活もみんな死んだら骨wwwwwwwwww
犬派も猫派もみんな死んだら骨wwwwwwwwww
賛成も反対もみんな死んだら骨wwwwwwwwww
既婚者も未婚者もみんな死んだら骨wwwwwwwwww
東大卒も中卒もみんな死んだら骨wwwwwwwwww
嘘も本音もみんな死んだら骨wwwwwwwwww
男も女もみんな死んだら骨wwwwwwwwww
垢抜けも垢入りもみんな死んだら骨wwwwwwwwww
ただいまもおかえりもみんな死んだら骨wwwwwwwwww
キャリア重視もプライベート重視もみんな死んだら骨wwwwwwwwww
こちらもあちらもみんな死んだら骨wwwwwwwwww
歌って踊れるアイドルも一般企業勤務もみんな死んだら骨wwwwwwwwww
先攻も後攻もみんな死んだら骨wwwwwwwwww
自殺も他殺もみんな死んだら骨wwwwwwwwww
賃貸派も持ち家派もみんな死んだら骨wwwwwwwwww
過程も結果もみんな死んだら骨wwwwwwwwww
教師も生徒もみんな死んだら骨wwwwwwwwww
多数派も少数派もみんな死んだら骨wwwwwwwwww
外向的も内向的もみんな死んだら骨wwwwwwwwww
終わりも始まりもみんな死んだら骨wwwwwwwwww
垂れ目も吊り目もみんな死んだら骨wwwwwwwwww
夏好きも冬好きもみんな死んだら骨wwwwwwwwww
必然も偶然もみんな死んだら骨wwwwwwwwww
ヒーローも悪役もみんな死んだら骨wwwwwwwwww
あなたも僕もみんな死んだら骨
東大を卒業したけれど、社会人になるまでは正直学歴なんて自己顕示欲の高い奴か大企業で安定したいしかメリットがないと思っていた。
多くの人は高学歴のメリットと言えば「年収が〜」「大企業が〜」というステータスの話になるが、俺は正直そこはどうでもいいと思っている。
別に俺はいい会社に入りたいわけでも自己顕示欲が高いわけでもなかった。ただアカデミックの道に進みたかった。
でも結局研究が辛くなりアカデミックは挫折してしまい、夢もなくなりあれよあれよとフリーランスという学歴とは関係ない道を進んでいる。
でも社会人も10年目を迎えようとする今、ステータス以外の面で高学歴で良かったなと思うこともある。なんとなくそれを言語化してみたい。
いざとなったら最悪経歴だけでどこかしら仕事を貰えるというセーフティーネットがある(と思っている)。そのために多少無謀なことも挑戦しやすい。フリーランスで生きていけているのもそのため。
資格取得などに関して一部を除いて「やればできる」という自負があるし、試験範囲全体を見て計画にブレイクダウンする「勉強法」というソフトスキルがある。宅建やFPの資格が必要で二の足踏むくらいなら取ればいいじゃんと思っちゃう。司法書士や証券アナリストはちょっと構えるくらい。
組織内・転職活動...etcで「こんなことがやりたい」「興味があるのでやらせてほしい」と言った時に話を聞いてもらいやすい。
もともと自己肯定感が低いタイプだったけど、難関を突破したという事実から自己肯定感がちょっとだけ上がる。(別にこれをひけらかしたいわけではないので自己顕示欲とは少し違う)
この世でしょうもないマウント争い10位に入る学歴マウント。この話題から避けることができる。もう社会人で面と向かってそんなこと言ってくるやつはおらんが、ネットでは見るよね。
これに関しては学歴に関係ないけど、単純に無趣味な人に比べると人生楽しんでいるのかなと感じる瞬間がある。大きい本屋に行くだけで4時間は楽しめるし、最近で言うとAIで遊んだり企業のIRを読んだりするだけで楽しめる。
これまでの経緯(整理版)
•フリーランスを目指す
•貯金が底をつく
• 友人とシェアハウスを開始
•貯金:0円
• 月の手取り:約3万円
•貯金:0円
• 新しいアルバイトを探す
•貯金:0円
• 新しいアルバイトに就く
•貯金:0円
•貯金:0円
• 月収:約27万円
•貯金:0円
•過去の職歴を活かせるアルバイト(正社員登用の可能性あり)に就く
•貯金:0円
• 新しい職場で勤務開始
•貯金:0円
⸻
•生活保護で月13万円を受給し、就労や努力をしていないように見える他者の存在に強い不公平感・怒りを感じている
•自身は継続的に働き、学習し、生活を立て直そうと努力してきたにもかかわらず