
はてなキーワード:フェルプスとは
体操、水泳、陸上とかって1スポーツで複数項目にエントリー出来るからなんかずるいって感じちゃう
冬ならスケートとかもそうか?
いや、もちろん同じスポーツであっても複数の種目に適合するのはすごいことではあるんだけどね
ただ、エントリー出来る数が他の競技に比べて飛びぬけて多いし、潰し効きそうな種目も多い
例:競泳なら100m自由形、100m自由形リレー、100mメドレーリレーとか飛び込みタイミング以外やってること一緒だし、
ちょっと難易度は上がるかもしれないけど、50m自由形、200m自由形とかも他の競技に比べれば視野に入れやすいよね
球技系は1競技1種目が原則だし、ほかの競技と掛け持ちとか競泳種目間の適合性に比べらた天と地の差があるでしょ
もちろん、メダル数や優勝数などの実績は一つの指標にはなるんだけど、なんかもやもやしちゃう
フェルプスは確かに圧倒的で、オリンピックは個人メドレーやリレーで4連覇、通算金メダル数が23のバケモンなんだけど、
伊調馨は女子唯一(当時は確実で多分現在も唯一のはず)の4連覇達成者だったりするわけだが、あんまり語られないよなっていうさみしさがある
世界的リベラル紙ニューヨークタイムズにいわれちゃったな
今後はJKRをトランスヘイター呼ばわりする奴はデマッターの女性差別主義者ってことで確定やね
In Defense ofJ.K. Rowling
https://archive.is/uroxQ#selection-295.0-295.26
「トランスジェンダーの人々には保護が必要であり、それに値する」
「私は、トランスジェンダーを自認する人々の大多数が他者にとってまったく脅威にならないだけでなく、むしろ弱い立場にあると信じている」
「トランスジェンダーの人が、自分らしく、快適に生きる権利を尊重する」
「男性から虐待を受けたトランス女性には、同情と連帯の気持ちしかない」
これらの発言をしたのは、『ハリー・ポッター』シリーズの著者であり人権活動家でもあるJ.K.ローリング。しかし、ネット上の過激な一部や、力を持つ一部のトランスジェンダー権利活動家、LGBTQ擁護団体の間では、彼女は「トランスフォビア(トランス嫌悪者)」だと非難されています。
ローリングの熱心なファンの中にも、彼女を非難する者がいます。2020年には、最大級の『ハリー・ポッター』ファンサイト「リーキー・コールドロン」が、ローリングは「トランスジェンダーに関する有害で誤った信念を支持している」と主張し、今後は彼女の引用や写真の掲載を控えると宣言しました。
彼女の著書を棚から撤去すべきだという声もあり、実際に撤去した書店もあります。また、ローリングは口汚い中傷や個人情報の晒し、性的・身体的暴力、さらには殺害予告まで受けてきました。
こうした中、彼女は新たなポッドキャスト・シリーズ『J.K.ローリングの魔女裁判』で、稀に見る長時間インタビューに応じ、自身の経験を語っています。「暴力的な脅迫を直接受けましたし、子どもたちが住む自宅に押しかけてきた人もいました。住所がネット上に晒されたこともあります。警察が“信憑性のある脅迫”と判断するようなケースもありました」と語ります。
このローリングへの攻撃は、ばかげているばかりか危険でもあります。2022年に起きたサルマン・ラシュディ刺傷事件が示すように、作家が悪魔化された時に何が起きるかを忘れてはなりません。しかもローリングの見解を見れば、彼女が「トランスフォビア」だという評価は実態にそぐわないのです。
それではなぜ彼女は「トランスフォビア」とされるのでしょうか?
「生物学的女性専用の空間」(DV避難所、性別分離の刑務所など)を守る権利を主張しているから
「法的な性別認定において自己申告だけでは不十分」と述べたから
「月経のある人々」という表現に疑義を呈し、女性の生物学的事実の尊重を求めたから
トランス活動家から攻撃される「脱トランス者」やフェミニスト研究者を擁護したから
トランスジェンダーに批判的な意見も述べていたレズビアン・フェミニストのマグダレン・バーンズをTwitterでフォローし、彼女の一部の活動を評価したから
これらの意見に賛同できない人もいるでしょう。特に、トランスジェンダーに対する暴力の多さから、「過激派の主張に反対するだけでも脅威になる」と考える人々もいます。
しかし、ローリングの発言には「トランスフォビア」に該当する内容は一切ありません。
性別違和(ジェンダー・ディスフォリア)の存在を否定しておらず
科学的根拠に基づく治療や医療的な性別移行には反対していません
トランスジェンダーの人々の労働や住居の権利を否定していません
「存在の否定」や「危険にさらす」ような行動も証拠として存在しません
かつてローリングを批判していたジャーナリスト、E.J.ロゼッタは、「J.K.ローリングのトランスフォビア的引用20選」という記事を依頼されましたが、12週間の調査の末、「本当にトランスフォビアな発言は一つも見つからなかった」と書き、「間違った魔女を火あぶりにしている」とツイートしました。
筆者自身も、ローリングの著作や「ロバート・ガルブレイス」名義の犯罪小説をすべて読みましたが、「トランス差別的」と言える内容は見つかりませんでした。ガルブレイス名義の小説で「殺人犯が女装する」という描写が一部にあり、それが批判されましたが、それをもって偏見の証拠とするのは無理があります。
ローリングがイデオロギーの攻撃対象になるのはこれが初めてではありません。
以前はキリスト教保守派から、「魔法を称賛している」として『ハリー・ポッター』が学校図書館から排除されたこともあります。元ウエストボロ・バプティスト教会のメンバーであり、『Unfollow』の著者メーガン・フェルプス=ローパーは、かつてはローリングが地獄に堕ちると教えられて育ちました。
しかし今、フェルプス=ローパーは『魔女裁判』ポッドキャストのホストを務め、9時間に及ぶインタビューを通じてローリングの活動に光を当てています。彼女はこう語ります:「多くの人が、ローリングは特権を使って弱者を攻撃していると思っている。でも彼女は、弱者の権利を守るために立ち上がっていると自認しているのです」。
ローリングは次のように述べています:「私は黙っていればよかったかもしれない。でもそれは卑怯だと思った。私は、他の女性たちが『ローリングに何が起きたかを見て。あなたも気をつけなさい』と脅されているのを実際に見てきたのです」。
たとえば最近、スコットランド国民党の女性議員ジョアンナ・チェリーは、「自己申告だけで法的に性別変更できる」という新法案に反対の声を上げましたが、職場でのいじめ、殺害予告、そして国会での役職を解任されるという結果に見舞われました。
ローリングの支持者の中には、俳優のレイフ・ファインズやヘレナ・ボナム=カーターもいます。ファインズはこう語りました:「彼女の作品は、人間としての成長、道徳的中心の獲得、いじめに立ち向かう力を描いている。彼女に向けられた中傷は、下劣で恐ろしいものだ」。
米国の有力ジャーナリスト、ケイトリン・フラナガンは、「いつか彼女が正しかったと証明され、信念を貫いた代償が、原則ある人の選択だったと理解される日が来る」と述べました。英紙『ガーディアン』の記者も、ローリングを取材できないことに抗議して退職し、別媒体で彼女を支持しました。
文化の中に「ローリングを好きだと言うのは問題だ」「彼女の本を読むのは複雑だ」という種が蒔かれつつあるのです。新しい『ハリー・ポッター』のゲームをめぐる騒動もその一例です。
2016年、PEN/アレン財団の表彰式でローリングはこう語りました:「私がサタン主義者で子どもを洗脳していると批判する人もいる。でも私は“人間性と道徳を描いている”と答える自由がある。もしくは“あんたバカじゃないの”と言う自由もある」。
ローリングは沈黙することもできた。しかし彼女は「真の勇気とは、圧力に屈せず信念を貫くこと」と考え、自分の物語の登場人物たちのように、いじめに屈せず立ち上がったのです。
いま彼女を擁護することは、彼女だけでなく、女性の権利、ゲイの権利、そしてトランスジェンダーの権利という「人権全体」を守る行為でもあるのです。そして何より、真実のために立ち上がることなのです。
それがデマなんよ
JKローリングのなにがトランスヘイトか具体的に説明できるか?できんやろ
ニューヨークタイムズすら擁護に回ったで
In Defense ofJ.K. Rowling
https://archive.is/uroxQ#selection-295.0-295.26
「トランスジェンダーの人々には保護が必要であり、それに値する」
「私は、トランスジェンダーを自認する人々の大多数が他者にとってまったく脅威にならないだけでなく、むしろ弱い立場にあると信じている」
「トランスジェンダーの人が、自分らしく、快適に生きる権利を尊重する」
「男性から虐待を受けたトランス女性には、同情と連帯の気持ちしかない」
これらの発言をしたのは、『ハリー・ポッター』シリーズの著者であり人権活動家でもあるJ.K.ローリング。しかし、ネット上の過激な一部や、力を持つ一部のトランスジェンダー権利活動家、LGBTQ擁護団体の間では、彼女は「トランスフォビア(トランス嫌悪者)」だと非難されています。
ローリングの熱心なファンの中にも、彼女を非難する者がいます。2020年には、最大級の『ハリー・ポッター』ファンサイト「リーキー・コールドロン」が、ローリングは「トランスジェンダーに関する有害で誤った信念を支持している」と主張し、今後は彼女の引用や写真の掲載を控えると宣言しました。
彼女の著書を棚から撤去すべきだという声もあり、実際に撤去した書店もあります。また、ローリングは口汚い中傷や個人情報の晒し、性的・身体的暴力、さらには殺害予告まで受けてきました。
こうした中、彼女は新たなポッドキャスト・シリーズ『J.K.ローリングの魔女裁判』で、稀に見る長時間インタビューに応じ、自身の経験を語っています。「暴力的な脅迫を直接受けましたし、子どもたちが住む自宅に押しかけてきた人もいました。住所がネット上に晒されたこともあります。警察が“信憑性のある脅迫”と判断するようなケースもありました」と語ります。
このローリングへの攻撃は、ばかげているばかりか危険でもあります。2022年に起きたサルマン・ラシュディ刺傷事件が示すように、作家が悪魔化された時に何が起きるかを忘れてはなりません。しかもローリングの見解を見れば、彼女が「トランスフォビア」だという評価は実態にそぐわないのです。
それではなぜ彼女は「トランスフォビア」とされるのでしょうか?
「生物学的女性専用の空間」(DV避難所、性別分離の刑務所など)を守る権利を主張しているから
「法的な性別認定において自己申告だけでは不十分」と述べたから
「月経のある人々」という表現に疑義を呈し、女性の生物学的事実の尊重を求めたから
トランス活動家から攻撃される「脱トランス者」やフェミニスト研究者を擁護したから
トランスジェンダーに批判的な意見も述べていたレズビアン・フェミニストのマグダレン・バーンズをTwitterでフォローし、彼女の一部の活動を評価したから
これらの意見に賛同できない人もいるでしょう。特に、トランスジェンダーに対する暴力の多さから、「過激派の主張に反対するだけでも脅威になる」と考える人々もいます。
しかし、ローリングの発言には「トランスフォビア」に該当する内容は一切ありません。
性別違和(ジェンダー・ディスフォリア)の存在を否定しておらず
科学的根拠に基づく治療や医療的な性別移行には反対していません
トランスジェンダーの人々の労働や住居の権利を否定していません
「存在の否定」や「危険にさらす」ような行動も証拠として存在しません
かつてローリングを批判していたジャーナリスト、E.J.ロゼッタは、「J.K.ローリングのトランスフォビア的引用20選」という記事を依頼されましたが、12週間の調査の末、「本当にトランスフォビアな発言は一つも見つからなかった」と書き、「間違った魔女を火あぶりにしている」とツイートしました。
筆者自身も、ローリングの著作や「ロバート・ガルブレイス」名義の犯罪小説をすべて読みましたが、「トランス差別的」と言える内容は見つかりませんでした。ガルブレイス名義の小説で「殺人犯が女装する」という描写が一部にあり、それが批判されましたが、それをもって偏見の証拠とするのは無理があります。
ローリングがイデオロギーの攻撃対象になるのはこれが初めてではありません。
以前はキリスト教保守派から、「魔法を称賛している」として『ハリー・ポッター』が学校図書館から排除されたこともあります。元ウエストボロ・バプティスト教会のメンバーであり、『Unfollow』の著者メーガン・フェルプス=ローパーは、かつてはローリングが地獄に堕ちると教えられて育ちました。
しかし今、フェルプス=ローパーは『魔女裁判』ポッドキャストのホストを務め、9時間に及ぶインタビューを通じてローリングの活動に光を当てています。彼女はこう語ります:「多くの人が、ローリングは特権を使って弱者を攻撃していると思っている。でも彼女は、弱者の権利を守るために立ち上がっていると自認しているのです」。
ローリングは次のように述べています:「私は黙っていればよかったかもしれない。でもそれは卑怯だと思った。私は、他の女性たちが『ローリングに何が起きたかを見て。あなたも気をつけなさい』と脅されているのを実際に見てきたのです」。
たとえば最近、スコットランド国民党の女性議員ジョアンナ・チェリーは、「自己申告だけで法的に性別変更できる」という新法案に反対の声を上げましたが、職場でのいじめ、殺害予告、そして国会での役職を解任されるという結果に見舞われました。
ローリングの支持者の中には、俳優のレイフ・ファインズやヘレナ・ボナム=カーターもいます。ファインズはこう語りました:「彼女の作品は、人間としての成長、道徳的中心の獲得、いじめに立ち向かう力を描いている。彼女に向けられた中傷は、下劣で恐ろしいものだ」。
米国の有力ジャーナリスト、ケイトリン・フラナガンは、「いつか彼女が正しかったと証明され、信念を貫いた代償が、原則ある人の選択だったと理解される日が来る」と述べました。英紙『ガーディアン』の記者も、ローリングを取材できないことに抗議して退職し、別媒体で彼女を支持しました。
文化の中に「ローリングを好きだと言うのは問題だ」「彼女の本を読むのは複雑だ」という種が蒔かれつつあるのです。新しい『ハリー・ポッター』のゲームをめぐる騒動もその一例です。
2016年、PEN/アレン財団の表彰式でローリングはこう語りました:「私がサタン主義者で子どもを洗脳していると批判する人もいる。でも私は“人間性と道徳を描いている”と答える自由がある。もしくは“あんたバカじゃないの”と言う自由もある」。
ローリングは沈黙することもできた。しかし彼女は「真の勇気とは、圧力に屈せず信念を貫くこと」と考え、自分の物語の登場人物たちのように、いじめに屈せず立ち上がったのです。
いま彼女を擁護することは、彼女だけでなく、女性の権利、ゲイの権利、そしてトランスジェンダーの権利という「人権全体」を守る行為でもあるのです。そして何より、真実のために立ち上がることなのです。
https://note.com/sws_jp/n/n6c66ebe6aa8f
ローリングはトランス差別的なことは何も言っていない。彼女は性別不合の存在に異議を唱えてはいない。証拠に基づく治療と医療のもとで性別移行が認められていることに反対したことは一度もない。トランスジェンダーの賃金や住居の平等を否定していない。彼女がトランスジェンダーを「危険にさらしている」という証拠はなく、彼らが存在する権利を否定しているわけでもない。
彼女のかつての批判者の一人を例にしよう。以前ローリングをトランスフォビアだと非難したジャーナリストのE.J.ロゼッタは、昨年 『J.K.ローリングによる20のトランス差別発言』という記事を書くよう依頼された。12週間の調査の後、ロゼッタは 「真にトランスフォビックなメッセージは一つも見つからなかった」と書いている。そして「人々は間違った魔女を燃やしている」と宣言した。
例えば最近、レズビアンでありフェミニストでもあるスコットランド国民党の議員ジョアンナ・チェリーは、トランス女性としてたった3ヶ月生活すれば性別違和の診断を必要とせず、申告だけで女性であることを法的に証明できる「self-ID」法のスコットランドでの可決に公に疑問を投げかけた。彼女は職場でのいじめや殺害予告に直面し、国会での最前列議員連から外されたことも報告した。「この議論に参加することを恐れている人もいると思う。発言すればトランスフォビアの烙印を押されることが多いから」とチェリーは言う。
ローリングの率直さは、まさにこうした目的のためにあるのだとフェルプス=ローパーは言った。「多くの人がローリングは自分の特権を利用して弱い立場の人を攻撃していると考えている。しかし、彼女は弱者の権利のために立ち上がっている」
人が死んでも天使になるわけじゃない、キリスト教的世界観においても
この表現を多用している一番有名な漫画はおそらくドラゴンボールだろう
どこかで発想の飛躍があったのかな
気になるねえ、ぐぐりましょうねえ
天使に限らず聖人などを描いた絵画にも、聖人の後ろに光が差す表現が用いられたのだとか
天使に限らないのであれば以降は天使の輪じゃなくヘイローとここでは書くようにしておこう、ブルーアーカイブ風の呼び方
発想としては仏教の後光と同じか
まだ足りない
天使や聖人を描いた絵画→???→漫画的表現の死者を表す記号としてのヘイロー、間に挟まるものを探さないと
なんかこれだ!って情報がなかなかヒットしないな
勘だけど風刺画が間に挟まる気がするんだよな
天使や聖人を描いた絵画のパロディで、天使を例えば政治家に差し替えた風刺画みたいなのがどっかにあるんじゃないか
それが転じて死者の頭上にヘイローを用いるのが一般化したとか?
一応、英語圏のイラストで死者の頭上にヘイローがあるイラストはまあまああるっぽいが……
日本でもなんかドラゴンボール以前に死者の頭上にヘイローがある表現をした漫画無いかな
……手塚治虫がやってる気がする
あの人だいたい何でもやってるからな、あとで探すか
うーん、探し方が下手
wikipediaの「光輪 (宗教美術)」の「大衆文化における使用」の記述が少ないな
英語版だと……英語版の「Halo (religious iconography)」には大衆文化の項自体無いのか
うーんアメコミにもヘイローの使用あるかもだが、アメコミに詳しくない
ここまで調べたというメモ
なんかコレ!っていう本があれば読みたいんだが、この疑問をずばっと解決する文化史本は無いかもなあ
今週の『サチ録』、番外編15を読んだ結果
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こういう路線で調べていくのがよさそうか
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なぜ亡くなった人の頭上に「天使の輪」を描くようになったのでしょうかよろしく... - Yahoo!知恵袋
漫画の記号的表現としては昔からある定番スタイルですよね。ディズニーのアニメにも、ヨーロッパのカートゥーン(cartoon)にも良く死者の記号として使われていますね。
人間は死ぬと天使になりますか | ものみの塔 オンライン・ライブラリー
アリーロという,まだ7歳の幼い女の子が亡くなりました。悲しみに打ちひしがれた両親は,柩に横たわる白いドレス姿の娘を前に,ぼう然としています。慰めようとして,神父がこう言います。「神様は,天使をもうひとりお望みになって,アリーロちゃんをお召しになったのです。幼子の魂は,今ごろ,神様のみそばで翼を広げて飛んでいますよ」。
死んだ人間の魂が天使になる,と信じている人は少なくありません。公式の教理として教えられることはまれですが,映画やテレビの連続ドラマでは,死んだ人が翼のある天使になって,生きている人を守る,という話がよく取り上げられます。
あなたはいかがですか。愛する人が死後に天使になると考えておられますか。聖書は何と教えているでしょうか。では,天使の本質について,また死んだ人の本当の状態について,聖書そのものが何と述べているかを調べてみましょう。
うーん、「死んだ人間の魂が天使になる」という発想は無いわけではないのか
それが転じて天使ではない死者の霊魂的な何かの頭上にもヘイローが描かれるようになった?
っていうかドラゴンボールつまみ食い的にしか読んだこともアニメを見たこともないんだよな
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ここら辺の本があるいは参考になるか
だいたい最終章は「現代における天使がどのような姿で描かれているか」みたいな話題だから、そこに期待が出来る
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英語圏の情報を探そうとしてもゲームの『HALO』ばっかり引っ掛かってやりにくいったらありゃしない
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そうだ、『トムとジェリー』で爆死したトムが雲の上でヘイローつけた状態で不満そうな顔してるってオチのエピソードがあった気がする
プレゼントボックスに入ったトムが針でめった刺しにされるシーンは涙なしでは見られない
やっぱり「死んだら天使になる」って発想がポップカルチャーである程度一般的に表現されていたようだ
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ってことは
天使や聖人を描いた絵画→死後に天使になる認識、またそれを表現したイラストやアニメ→天使ではなく単なる死者にもヘイローがつけられた
……か?
まだ足りないぞ
キリスト教の教義だと死んでも天使になるわけじゃない、それはカトリックだろうがプロテスタントだろうがエホバだろうが他の何かであろうがだいたい同じだろう
ヘイローは聖なるものの加護を表すからどんな死者でもヘイローは頭上に表れる?
でもトムは爆死して天使になっとるじゃろがい
まだまだ調べないと納得できないな
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ひょっとしたら演劇やミュージカル側の文化が関係している可能性もある
死者を表現する記号として頭の上にヘイローをのっけた衣装を着ていた……とか、あるかもしれない
一応留意して調べる事
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「池にコインを投げる風習はいつから始まったのか?」みたいなテーマでおととい調べて日記書いたときは、その風習を有名にした「ThreeCoins in the Fountain」っていうアカデミー賞受賞作品を見つけたんだよな
聖者の記号としてではなく、単なる死者の記号としてヘイローを使った何らかのヒット作品があったので一般化したみたいなキッカケがひょっとしたらあるかもしれない
しかしあんまりこの仮説に固執するのはよくないな、気長に探そう
あるとすれば19世紀後半以降くらいのはず
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そうか、調べるポイントが二つに分かれちゃったんだなあ
②漫画的表現で死者が天使となった描写→漫画的表現で死者に(翼など他の天使的要素抜きで)ヘイローのみが付与される描写となった転換点を探すルート
こりゃ大変だ、いったん追加調査ここまで
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次にやる事
→実は守護聖人の頭上にヘイローだけでなく、翼がはえているなどあったりするかどうか
:積んでるキリスト教入門みたいな本をさっさと読む
→なんもかんも体系的な知識が欠けているのが悪い
→でもなー、自分の興味の向き先は「キリスト教の教義はこういうものです」って知識じゃなくて「人々はキリスト教をこのように解釈して信仰していました」という知識なんだよなあ、基礎の勉強ってどうしても飽きちゃって
→第一次世界大戦は1914年7月28日~1918年11月11日、ちょうど探したい年代
:キリスト教的素養がない私がヘイローの描写を見たとき、それが宗教的な性質を持っているのかそれとも記号化したものなのかを区別できるのか?という点について考える
:そもそもヘイローがあって翼があったらそれは天使とみなしていいのか?「天使」って何?「御使い」って何?何もわからない、調べる
→基礎(略
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②についてだが「ゲームのドット絵でキャラが死んだことを表現するのにヘイローが便利で、ドット絵で翼を描くのが大変だったから省略された」という仮説を思いついた
流石にお話として出来すぎな気がする、この仮説は最終的に棄却することになりそうだ
しかし調べるとっかかりとしては魅力的
ヘイロー関係ないけど「ゲームで戦闘不能をどう表現するか?」というテーマを調べるのめちゃくちゃ楽しそう
また別の機会に調べよう
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「HeavenCartoons」というジャンルの風刺画があるらしい
画像検索してみるとなるほど確かに天国で天使がなんやかんやする種類の一コマ漫画
いつ頃から描かれているかをちょっと調べてみたがなかなか難しい
Wikipediaの「カリカチュア」のページの「主な作家」の項に載ってる人の代表作を一つずつ見ていくしかない
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星新一がアメリカの一コマ漫画を蒐集してそれについてエッセイを書いた『進化した猿たち: The Best』をkindleで購入
権利関係の問題のせいかほとんど掲載が無くなってしまっているようだ
もっと挿絵を見たいから挿絵が載ってる物理書籍のほうを読まないといけないなこれは
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やっとひとつ見つけた
ざっくり言うと政治家が天に召されている様子の風刺画が1868年?1869年?に描かれた、ってところか
翼があり、ヘイローもしっかり完備
しかし余談だけれど死後4年後たってから風刺画が描かれていて不思議だ
なんか「天使になる」ってのは語弊があって「昇天するときに天使と同じ装いをする」という言い方の方が正確なのかもしれない
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トムとジェリー以前のオールドカートゥーンを片っ端から観ているが、天に召されるシーン自体を全然見つけることができていない
ところでチャップリンの『キッド』に天使が登場するシーンがあった
オールドカートゥーンの本当に初期の初期は紙の漫画をそのまま映像化したようなやつだったから、漫画の文脈だと思うんだけどな……
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『マーク・トウェインの天国建設の旅』という論文を見つけたが、これは読む価値がありそうだ
絵やイラストとして描かれていなくても天国に行くとヘイローと翼とハープが通行証かのように与えられる認識は当時の人々視点で昔からあったようだ
18~19世紀の文学作品で天国を描写しているものを探すべきだな
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Elizabeth Stuart Phelps Wardという人が書いた『The Gates Ajar』という宗教小説がアメリカで1868年に刊行されめちゃくちゃ売れたらしい
当時の人々の天国観に影響ありそうに見える
In contrastwith traditions of Calvinism, Phelps'sversion ofheavenis corporeal where the dead have "spiritual bodies",live in houses, raise families, and participate in variousactivities.
カルヴァン主義の伝統とは対照的に、フェルプス版天国は、死者が「霊的な身体」を持ち、家に住み、家族を養い、さまざまな活動に参加する身体的なものである。
とのこと(『The Gates Ajar』のwikipedia英ページより引用しdeepl翻訳)
うーむ、おぼろげに流れが見えてきた気がする
『マーク・トウェインの天国建設の旅』という論文の序文あたりに19世紀半ば以降に天国ものの小説が流行ったみたいなことが書いてあったが、その一因はこの小説な気がする
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そういえばこの日記メモには記述をしていなかったが、宗教美術におけるヘイローは写実主義の高まりによって19世紀までにほとんど衰退しているらしい
なので宗教美術において死者(例えば聖人、殉職者など)にヘイローが描かれたものがあったとしても、カートゥーンのヘイロー描写がその影響を受けているとはちょっと考えにくいのではないか
一度断絶しているのでは?という疑問を持っている
ヘイロー描写は一度衰退し、再び風刺画やカートゥーンなどで記号として便利なので復活したという前提で調べている
あー、いや……この前提本当に大丈夫か?自信ないな
19世紀のアメリカで人々が見ることが出来た美術や絵画はどのようなものだったのか?というのがわからないと正確なことは言えないな……
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自分が確認した限り、カートゥーンアニメで「死んだら天使の装いをして天に召される」表現をやった一番古いものは『トムとジェリー』の『ネズミ取り必勝法』
オールドカートゥーンを全て総ざらいして確認したわけではないからもっと古いのがあってもおかしくはない(アカデミー短編アニメ賞受賞作品すらすべて確認できていない)
幽霊は沢山出てくるんだけどねえ
『ネズミ取り必勝法』はアカデミー賞とる程度には人気だったので、カートゥーンにおける元祖でなかったとしてもビジュアルイメージ固定に大きく貢献したといっていいかも
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キリスト教の教義では死者は天使になるわけではない、という認識があった(今でもそうではある)
→19世紀半ばにスピリチュアルな小説が流行り、人々の天国観を変えた
→それは死後に霊的な体を持った死者が天国で現世と同じような生活を営むものだった
→たまたま印刷技術の発展とタイミングが同じで新聞の挿絵、風刺画、漫画などで聖人でもなんでもない普通の人の死者の絵が多く描かれるようになった
→死者に天使の装いをさせた風刺画、紙の漫画、カートゥーンアニメでビジュアルイメージが固定される(この時点ではヘイローと翼はセット、あくまで天使など聖なる魂的な存在(専門用語を適切に使う自信が無いので曖昧な表現)と同じ装い)
→日本でキリスト教の文脈が無視された記号的な描写がされ、ヘイローのみで死者を表す記号的表現となる
……という流れだという仮説を立てることが出来た
うーん、自信ない
「18世紀以前に普通の死者も天に召されるときは天使と同じ装いをするという認識があった」と言える材料を見つけることができていない
印刷技術が生まれる以前だと絵画にそこらへんの人が天に召される絵なんて描かれないんだよなあ
探すとすれば厳格な宗教者が教義通りに書いた本でなく、人々を慰撫する目的で教義からすれば不正確な内容が書かれた本みたいなのがあればあるいは……(というか、それが『The Gates Ajar』なのよ)
また、『The Gates Ajar』などの天国観を変えるイベントによって死者が天使の装いをするようになった、とある程度の自信をもって言えるような材料は正直見つけることができていない
しかし、とりあえず一定のレベルで納得は出来たからこの疑問はクローズ
18世紀~19世紀の米英のキリスト教史を調べないともうちょっと正確な認識ができるのだろうけれど、それは今後の宿題だな
西洋世界の文化史とキリスト教の歴史は不可分だから体系的に勉強したい
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