はてなキーワード:ピーターとは
A:最近の日本の政治って本当にわけがわからないよね。れいわ新選組や参政党みたいな新しい政党が急に出てきて、なんだか政治全体がおかしくなってる気がするんだけど。
B:実は、これって世界的に起きている現象なんだ。「エリート過剰生産理論」っていう考え方で説明できるんだよ。
B:ロシア系アメリカ人の学者、ピーター・ターチンが提唱した理論なんだ。簡単に言うと、「高学歴者が増えすぎて、みんなが期待するような良いポジションに就けない人が溢れると、社会が不安定になる」っていう話。
A:でも、高学歴者が増えるのっていいことじゃないの?
B:確かにそう思うよね。でも問題は、大学を出た人が期待する「エリート的な地位」—政治家、官僚、大企業の幹部、大学教授みたいなポジション—は、そんなに簡単には増えないってこと。
A:ああ、なるほど。椅子取りゲームで椅子の数は同じなのに、参加者だけがどんどん増えていく感じ?
B:まさにそれ!ターチンはこれを「椅子取りゲーム」に例えてる。1950年代のアメリカなら、大学卒業者は全体の15%未満だった。でも今は30%以上。エリート的地位を狙う人は倍以上に増えたのに、そういうポジション自体はそれほど増えてない。
ターチンの予測は当たったのか?
A:でもこれって、ただの推測でしょ?実際に証明されてるの?
B:これがすごいところなんだ。ターチンは2010年に「2020年代のアメリカで政治的混乱が起きる」って予測したんだけど、実際にトランプ政権の混乱、2020年の大規模デモ、1月6日の議事堂襲撃事件が起きた。
A:え、10年も前に?
B:そう。彼は約40の社会指標を分析して、「政治ストレス指数」っていうのを計算したんだ。その結果、アメリカが100年ぶりの政治的危機に向かってるって警告してた。で、実際にそうなった。
A:他の国でも当てはまるの?
B:うん。彼の理論は歴史的にも検証されてる。フランス革命前、ロシア革命前、1960年代のアメリカの学生運動、2011年のアラブの春—どれも高等教育が普及した後に起きてる。共通してるのは、高学歴なのに期待した地位に就けない「準エリート」が運動を主導したこと。
日本でも同じことが起きている?
A:じゃあ日本でも同じことが起きてるってこと?
B:まさに。日本も1990年代以降、大学進学率がどんどん上がった。でも同時に、バブル崩壊後の長期停滞で「良い就職先」は減った。終身雇用も崩れて、高学歴者でも不安定な雇用に甘んじる人が増えた。
B:そう。で、そういう人たちの中から、既存の政治システムに挑戦する動きが出てきた。れいわ新選組や参政党の躍進は、まさにこの現象の一例だと思う。
A:どういうこと?
B:両党とも、既存の政治エリート—自民党や立憲民主党の政治家、官僚、大手メディア—を「既得権益」として激しく批判してる。そして、従来の政治に不満を持つ人たちに「わかりやすい敵」と「シンプルな解決策」を提示してる。
A:でも昔も政治への不満ってあったと思うけど、何が違うの?
B:決定的に違うのは、インターネットの存在。昔なら既存のメディアや政党を通じてしか影響力を行使できなかったけど、今はYouTubeやTwitterで直接発信できる。
B:そう。高学歴だけど既存システムで成功できなかった人たちが、オンラインで影響力を獲得して、従来の権威に挑戦してる。そして彼らは、自分たちより政治的知識の少ない層をターゲットにして、複雑な問題を「悪者 vs善者」の単純な構図で説明する。
A:なるほど。それでれいわや参政党みたいな政党が支持を集めるわけか。
B:正確に言うと、これは「下向きの動員」なんだ。準エリートが、既存エリートに挑戦できない代わりに、自分より教育水準の低い層を動員して影響力を行使しようとする。
なぜ「標準以下」の層をターゲットにするのか
A:でも、なんで政治的知識の少ない人たちをターゲットにするの?
B:実は戦略的に合理的なんだ。政治的知識の豊富な層は、既存の専門家や制度への信頼も高いし、簡単には動かせない。でも政治に詳しくない層なら、「隠された真実を教えてあげる」みたいなアプローチで影響力を行使しやすい。
A:ちょっと上から目線な感じもするけど...。でも待って、れいわ新選組の山本太郎って中卒でしょ?準エリートじゃないじゃん。
B:いい指摘だね。でも山本太郎は「フロントマン」なんだよ。彼の背後で政策を考えたり、戦略を練ったりしてるのは、大学や大学院を出た政策スタッフたち。山本太郎は「庶民的な顔」として前面に出てるけど、実際の知的作業は高学歴の準エリートがやってる。
A:なるほど、そういう役割分担があるのか。
B:そう。一方、参政党の神谷宗幣は典型的な準エリートの例だよ。彼は法科大学院を出てるけど、司法試験に合格してないし法曹になっていない。つまり、エリート的地位を目指したけど挫折した人なんだ。
A:ああ、まさに「準エリート」って感じだね。
B:そうでしょ?神谷宗幣にとっては、既存の法曹界や政治エリートは「自分を排除した敵」なわけ。だから彼らに対する攻撃は、個人的な怨恨も込められてる。そういう人が「反既得権益」を掲げて政治活動をするのは、ある意味自然な流れなんだ。
B:そうなんだ。でも彼ら準エリートにとっては、「既存エリートに認められない自分」へのプライドを回復する手段でもある。「俺たちの方が真実を知ってる」「既存の専門家は嘘つきだ」って言うことで、自分たちの正当性を主張できる。
B:まさに。「主流派メディアは嘘をついてる」「本当のことを言うのは我々だけ」っていう構図を作ることで、既存の情報源への信頼を破壊しつつ、自分たちへの信頼を獲得しようとする。
政治混迷の本当の原因
B:一言で言うと、「高学歴者の期待と現実のギャップ」だね。バブル期までは、良い大学を出れば良い会社に入れて、安定した中流生活ができた。でもその「成功の方程式」が崩れた。
B:そう、だからこそ問題なんだ。既存エリートは地位を維持してるのに、新しく高学歴になった層は同じような地位に就けない。この格差への怒りが、既存システム全体への攻撃につながってる。
A:それでれいわや参政党みたいな「反システム」政党が出てくるわけか。
B:その通り。彼らは既存の政治エリートを批判しつつ、自分たちは「庶民の味方」だと主張する。でも実際には、高学歴だけど既存システムで成功できなかった層が、自分たちの不満を政治的に表現してるっていう側面が強い。
解決策はあるのか?
A:じゃあ、この状況をどうすればいいの?
B:ターチンによると、歴史的には2つのパターンがある。一つは暴力的な解決—革命や内戦で既存エリートが一掃される。もう一つは平和的な改革—ニューディール政策みたいに、富の再分配と機会の拡大で社会を安定させる。
B:幸い、日本は比較的平和的な社会だから、暴力的な解決にはならないと思う。でも、政治の断片化と統治の困難は続くだろうね。既存政党は求心力を失い続けて、新しい政治勢力が次々に現れては消えていく。
B:正直に言うと、一番効果的なのは「文系の大学院を大幅に縮小すること」だと思う。特に、就職先の見通しが全く立たない文学研究科、社会学研究科、哲学研究科なんかはほぼ全廃でもいい。
A:えー、でもそれって研究の機会を奪うことにならない?
B:甘い考えだよ。今の状況を見てごらん。文系の大学院なんて、ほとんど就職先がないのに毎年大量の修士・博士を生み出してる。彼らは奨学金という名の借金を背負って、結局フリーターになったり、塾講師や非常勤講師を転々とする生活を強いられてる。
A:確かに、文学博士とかで就職できない人の話はよく聞くなあ。
B:そういう人たちが「社会が悪い」「既存エリートが既得権益を握ってる」って不満を募らせて、結果的に政治を不安定化させてる。だったら最初から、そういう「高学歴ワーキングプア」を大量生産するのをやめればいい。
A:じゃあ具体的にはどうするの?
B:まず、文系大学院の定員を現在の10分の1程度まで削減。特に私立大学の「学費さえ払えば誰でも入れる」みたいな文系大学院は即刻廃止。その代わり、理系や技術系、医療系の大学院を拡充する。
A:でも大学側は猛反対するでしょ?
B:当然反対するよ。文系大学院は大学にとって「金のなる木」だからね。設備投資も少なくて済むし、学生から学費だけ取って放置できる。でも、国の補助金配分を変えればいい。修了生の就職率や収入実績に応じて補助金を出す仕組みにする。
B:法科大学院は特にひどいよ。毎年約1600人の司法試験合格者に対して、法科大学院の入学定員は約2200人もある。つまり、最初から600人は司法試験に落ちることが決まってるわけ。でも大学側は「合格の可能性がある」って嘘をついて学生を集める。
B:まさに詐欺だよ。だから法科大学院の入学定員は司法試験の合格者数と完全に一致させるべき。年間1600人しか合格しないなら、法科大学院の定員も1600人にする。そうすれば、神谷宗幣みたいな「法科大学院は出たけど司法試験には落ちた」という怨恨を抱えた準エリートの大量生産を防げる。
B:もちろん価値はある。でも、年間何千人も文学修士や社会学博士を作る必要はないってこと。本当に研究者になりたい優秀な人だけが、厳選されて大学院に行けばいい。今は「学部で就職できなかったから大学院に逃げる」人が大半でしょ?
B:そうでしょ?そういう人たちを大学院に入れずに、高校や大学卒業後すぐに技術系の専門学校や職業訓練に向かわせる。修士課程で2年、博士課程で3年も無駄にするくらいなら、その間に手に職をつけてもらった方がよっぽどいい。
A:なるほど。要するに「文系大学院全入時代」をやめろってことか。
B:その通り。今の日本は大学院まで「とりあえず進学」する人が激増してる。でも社会が必要としてる修士・博士の仕事はそんなにない。だから大量の「超高学歴だけど期待した仕事に就けない人」が生まれる。
A:でも、高校生や親はどう思うかな?
B:最初は抵抗があるだろうね。でも現実を見せつければわかる。「社会学修士を出てコンビニでバイト」と「高校卒業後に電気工事士の資格を取って年収500万」、どっちがいい?
A:確かに後者の方が良さそう。大学院に行くと借金も増えるしね。
B:でしょ?特に文系大学院は最悪だよ。2年間で300万円の学費を払って修士号を取っても、就職では学部卒と同等かむしろ「年齢が高くて使いにくい」と敬遠される。完全に金と時間の無駄。
A:つまり、文系大学院の大量生産をやめれば、政治も安定するってこと?
B:少なくとも、「超高学歴なのに期待した地位に就けない」っていう最も怨恨の強い層は減る。法科大学院まで出たのに司法試験に落ちた人って、普通の大卒より遥かに怒りが深いでしょ?
A:なるほど。でも政治家や文部科学省がそんな改革をやるかな?
B:難しいだろうね。大学関係者は強力な利益団体だし、「教育の機会均等」みたいな綺麗事を言って抵抗するだろう。でも、このまま行ったら社会全体がもっと不安定になる。
A:じゃあ結局、変わらないってこと?
B:残念ながら、たぶんそうだろうね。政治家は票を失うのが怖いから、根本的な改革には手を出さない。だから、しばらくは高学歴ワーキングプアが政治を混乱させ続ける状況が続くと思う。
まとめ:政治混迷の正体
B:「高学歴者の不満の政治化」だね。バブル崩壊後に高等教育を受けた世代が、期待した社会的地位を得られずに既存システムに不満を抱き、インターネットを使って政治的影響力を行使しようとしてる。その結果、政治全体が不安定化してる。
B:そう。彼らは高学歴だけど既存エリートになれなかった「準エリート」が、政治的知識の少ない層を動員して既存システムに挑戦してる例だと思う。これは日本だけじゃなくて、世界中で起きてる現象なんだ。
A:じゃあ、しばらくはこの混乱が続くってこと?
B:残念ながらそうかもしれない。ターチンの理論によると、こういう不安定期は通常10-20年続く。でも歴史を見ると、最終的には新しい均衡点に落ち着くことが多い。重要なのは、この変化を理解して、建設的な方向に導くことだね。
B:どういたしまして。複雑に見える政治現象も、こういう理論的枠組みで見ると、意外とシンプルな構造が見えてくるものなんだ。
確かにピータートッシュのLegalizeItが名曲だっていうことはわかるよ。1970年代のレゲエの金字塔。
で世界中で、その、運動?、まあそれが実った結果、各地で大麻いいよ〜ってなったよね。
つまり大麻解放っていうのは、フリーマリファナってのは、大麻が無料になるって意味ではないってことよね。
例えば家庭菜園でキュウリやトマトをプランターで作るように大麻を作ったっていいじゃないですか!
その主張はわかる。ただ申し訳ないんだが、家庭菜園を趣味にしている人は全体の何%だ? いねーだろ、というのが本筋。
んで、家庭菜園の拡大版としての農家を想像しよう。その大量の作物をどうするかというと、売るだろ。
売るってことは商品なんですよ。君ら仲間内で楽しむようなものではなくなってくるわけで。そうなると話が変わってくる。
大麻は野生で育っている植物なのになぜ規制する!、とも言ってたな。
大麻が商品であるが故に、市場に出回っている大麻ってのは、野生では育ちようもないブリブリの麻薬なんですよ。
さらにそれを精製したオイルとか加工商品なんてのはほとんどケミカル製品でしょうね。
家庭菜園でキュウリやトマトを作って食べる楽しみはまだ残っているにしても、スーパーで買う方が楽だし、大部分の人はそうしている。
さらにはもっと美味しいキュウリやトマトを作ることに農家は躍起になり、そういう品種が生まれて、消費されていく。
よりブリブリな品種を求めて投資もされ、マーケティングもされ、若者がお小遣いでそういうマリファナを買う。
結果、どんどん変なものが消費者に向けて売られていく。たしか、踏み石理論が間違っているとも言ってたが、実情は違うよね。
マーケットが巨大であればあるほど、個人の行動なんてのはどうにも変えられるんだろう。
なんでこうなっちゃうんだろうねえ。ピータートッシュも想像してなかったと思うんだよね。
今回は特に「Temu版トランプ」ことピーター・ダットンを絶対回避するという強い意志が、右翼左翼という党派性を超え豪州全域に広がった事が大きい。
アルバニージが批判されてるのは基本的には経済・雇用関連であり、ビジネスマン()であるトランプをマネる点で保守連合は期待されていた。
現にトランプ政権が始まる前は世論調査で保守連合が優位だった。
しかし始まってみるとトランプがゴミ過ぎて、「トランプコピーのダットンが政権握ったら経済や雇用終わるんじゃね?」という不安が広がり終わった。
あとアルバニージが会見前にお菓子を配ってた(https://redd.it/1jfehna)のが地味に効いたかもしれんとワイは思います。😤
ゲームが捗るお休みの魔法作戦の増田だけどピーターパーン味のピーターパーンパンを食べてみたいと思った矢先に朝ドラのヤムおじさんがあんぱんしか今のところ焼いていないけれどお店の店内の貼り紙には食パンあります業務用承りますって書いて貼ってあってこれって食パンマンの伏線!?みたいに思っちゃうところ見逃さないのよねそんでおやすみの日だから私の最近好きなハマっているベーコンエピのパーンをパンってして食べたい山脈に向かってヤッホー!って叫びたいこどもの日よね!
私はまたモーニングを決め込んでいるところよ。
新聞を読みながらなんて良い朝なのかしら。
とはいえ、
どう足掻いても2日なのよ。
ニーアはクリアできそうにないのでプレイすらしていないけれど、
ドラクエIII進められてないなぁって思いつつ、
今のところパープル、ブルー、グリーン、レッドのオーブを集めて、
ドラクエIIIってさ、
次どこに行けばいいかの案外目安になる目標が示されるんだけど、
急に「大地の剣」を探して火山に投げ入れろ!って言われても、
いや火山はめぼしいところ発見して目指せるマップがあるけれど、
唐突に言われて探さなければいけない「大地の剣」ってどこにあんの?って。
それ探すのに全く手がかりがなくって困りまくりまくりすてぃーなのよ。
もうさ、
どこに行って良いのか分からなさすぎて、
ん?この地形の形は街か村っぽくない?ってまだ訪れていないマップの街か村を目指していくのよね。
幸いそうしていると本当にその街で手がかりが、
本当に?って思うほど上手く仕組まれていて、
私名探偵?って思うの。
いやなにも推理もなにもしていないんだけどーって思いつつ。
無事に「ガイアの剣」を手に入れ火山のマグマに投げ入れるんだけど、
でさ、
要所要所にボスいるじゃない。
あれが本当に強くって、
適当に「ガンガン行こうぜ」だと瞬殺されてしまってなかなかボスが倒せないのよね。
私は「めいれいさせろ」に変更して、
パーティーみんなが1つずつコマンドを実行して戦えるバトルに変更してボス戦に挑むのよね。
なんかさー、
眠らされちゃったりマヒされちゃったりして、
そうなるってーとさ、
こっちのパーティーのメンバーの一員が行動できなくなるわけじゃない?
1ターンのうちのメンバーが行動できなくなるってかなり痛手よね。
なので私は考えたのよ。
真面目にドラゴンクエストIIIHD-2D版に向き合っている証!
そうすると、
一応にこっちの手数は増やせるのよ。
やった!これで勝利ね!
って調子に乗ってるとMP不足に陥る全体回復を向こう見ずに何も考えずにバンバン使っているとすぐにマジックポイントがなくなっちゃうのよね。
うわ!
私は道具に持っているマジックポイント回復アイテムをエリクサーの如く貴重に使わなくてわって思って一生使わないそれこそそんな印象のタニコーの五徳。
でも、
これじゃマジックポイントが足りなくて勝てないので
マジックポイントを回復するアイテムを惜しげもなく「どうぐ」を選択して使おうとしたの!
そしたらよそしたら、
持ってないの!
え?私たくさんマジックポイントなんかを回復するアイテムって持ってなかったっけ?
どういうこと?
よくよく見て調べてみたら、
えー!?そうなのね。
私はそうそうにボス戦をやられて寸前のオートセーブからやり直して、
ここは全滅しても絶望しないところが最近のマイルドなニーアのタイトル画面から最初のセーブポイントが遠くて泣きそうな厳しさとは違うぐらいマイルドね。
そんで道具をみんな持ち直して、
ドラクエなんて戦略も何もなく戦士の物理で叩いて回復魔法をかけて回しておけばボス戦なんて簡単よね!って
踏んでいた季節があったんだけど、
そんな季節は柱の傷は一昨年の~なのよ!
こっちもちゃんと真面目に戦闘ボス戦に向き合わないと!ってこと。
補助魔法を使わないとって。
味方たちには魔法防御と炎ブレス攻撃を緩和する防御魔法をちゃんとやんないと!なのよ!
これってさ
作戦でやるとしても
これらの補助魔法も使ってくれるのかしら?
なんか作戦を完全に信用していないのか、
そういうところは全部「めいれいさせろ」なのよね。
絶望的にこちらが圧倒的にレヴェルが低くって弱くてそもそも勝てない!ってわけでもないみたいなの。
もうちょっとで勝てそうな感じだけど、
なかなか倒せなくって。
でもちゃんと真面目に、
防御力アップの魔法なんかを真面目に駆使して使うことによって、
頑張ったら勝てるぐらいにはなんのよ!
やったー!勝てたわ!って
ボス戦やっと勝手倒せたときは喜びも一塩の味をちょっとひとつまみ塩を加えたい感じになっちゃうの。
味の決め手は隠し塩よ!
そんでさ、
ここぐらいまで進めていると、
適当に作戦で任せて雑魚戦バトルは「ガンガン行こうぜ」で楽勝なので、
そこ雑になってきているのよね。
なので、
ちゃんと強い武器と防具を買い揃えて少しでもパワーアップしてボス戦に挑むことを忘れていたの。
柱の傷は一昨年の~とは良く言ったものよね。
あまりのヒントの無さに
途中また窓からソフトのカセットを放り投げ捨てたかったけれど、
まだ見知らぬ街に向かうとヒントが隠されていたので、
なんとか進むことができたのよ。
あとさ、
思ったのがルービーを決めながらドラクエIIIやるときがあるじゃない?
いやあるのよ。
街で中断していたつもりだったけれど、
再開したら知らない塔の中で再開していたり、
あれ?あれ?ってルービーを決めながら飲むとぜんぜんストーリー何をいつ手に入れてゲットしたのかって忘れちゃってわからなくなってるのよ。
ご機嫌はご機嫌なんだけどさ。
まあだからあまり控えめにしてルービーはキメるのをそこそこにしてドラクエIIIしないと
ルービーのお供のおつまみを美味しく味わっている場合じゃないのよ!
死んだり生き返ったりってのが頻繁にあるので、
そんな人の生死を頻繁に雑にやっちゃっていいのかしら?って
思うぐらいそこはすぐに死んじゃうしすぐに生き返らせたりできるのよね。
なんとなく
ファイナルファンタジーの戦闘不能ってのが優しさが半分ぐらい頭痛薬のようにある気がしたの。
どっちがいいのか悪いのかってのはないと思うけれど、
ゲームならではなのかしら棺桶を引きずって歩くって気持ちがすさんでしまうわ。
気持ちが暗くなるしちょっと仲間が死んじゃった感が早く生き返らせなくちゃ!って思うのよね。
そんなハードなドラクエIIIの死生観とは裏腹にボス戦で負けても寸前から再挑戦できたりオートセーブからすぐやり直せたり、
船に乗って世界中を冒険しているけれど途中行き先を見失いつつもありつつも
なんとか今のところ順調に進められているわ。
そんで、
本当なのよ!信じて!
信じて欲しいの。
もうどんだけオーブの在り処を探しても探しても見つからなくて攻略サイトを見ようとしたけれど。
あれ?
なにこんなところにあっさりオーブ落ちてんの?って冒険していたら道端で見つけて拾えちゃたり!
オーブなのにこんなに雑に置いていていいの!?って思うぐらい。
なので、
行き先を見失ってもとりあえず、
まだ見ぬマップの街っぽい村っぽいところに行けばヒントがあるので
今のところなんとかなってる感じよ。
NIKKEもNIKKEでいま2.5周年イベントのリトルマーメイドやってるから
いや堪能したってところかしら。
むしろイベントストーリーのこっちの方はゲームの難しさと言うより
ほぼ読み物。
最後モリーたち頑張ったし!セイレーンよかったね!って泣いちゃったわ。
あとは、
5月はってところ。
リアルタイムストラテジーゲームっていうのかしら?
その2.5周年イベントの中にあるミニゲームのほうがめちゃ難しくて、
ここも真面目に考えてやんないとーってところね。
ぜひ高級募集チケットまでは遊びいや遊ばなくてはいけないのよ!
NIKKEは1日どんなに頑張っても進められる限度があるので、
そう思う子どもの日よ。
もちろん今まだ子どもなのでうんと遊ぶ感じね。
早くおとなになりたいわ!
ピーターパーン!
なんちゃってね。
あれって子どもが早くおとなになりたい話よね?そんなイメージ。
違うか?
なんてね、
うふふ。
いつもの行くお店ね。
月曜日は休む時があるんだけれど、
焼き魚定食の焼き魚はそのときどきのお店にある都合のいい魚が焼かれてやってくるので、
たまに鯵の開きが当たったりするのでビックリするけれど、
今日は安定の鮭!
焼き鮭の朝定食ね!
いちごパックが1パックおつとめの品でちょっとくたびれていて鮮度抜群というわけではなかったけれど、
いちごウォーラーだと水がちゃんとピンク色になるからマジかわいいわよ。
期待するほど水にいちご味は移らないけれどね!
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
テレビの話をしよう。私が子どもの頃テレビを見るのは禁じられていた。だから今でも蠱惑的なイメージを持つ。ちなみに私にあったのはアニメチャンネルのケーブルテレビとビデオテープだった。つまり禁じられていたのは地上波という訳だが──わが家ではニュース番組も新聞紙もなく、例えば殺人事件の話題でさえ私の前では禁句だったのだ。それはすべて母の意向だ。「子どもの頃だけは美しいものだけを見せたい」──つまりスヌーピーやピンクパンサー、パワーパフガールズ、もしくはクラシックなディズニーアニメたちがそれだった。私はまったくの無菌室で育ったのだ。
もちろん母は私にマザー・グースを、ピーター・ラビットの手のひらに乗るような絵本を与えた。そして教会に通わせた。母は西洋趣味で、チェリーパイやスコーンを私に食べさせたがった。朝には紅茶を飲むことを義務付けられていた。その半面で私の眠っている間に両親は大喧嘩し、朝私が目覚めると台所の床に醤油が一面に広がって硝子が割れていた。
今になって分かる、母は分相応という言葉を知らず──後年明らかになるがこれは文字通りの意味だ──贅沢好みで、工場勤務する父の安月給をたびたびなじっていたのだ。
なぜ彼らが結婚したのか私は知らない。彼らは出会って恋に落ちてお互いに“音楽”の趣味が合い、私にそれに基づいた名を付けた。父はドラムとベースを趣味としていた。母はピアノとバイオリンとギターを弾いた。そういった音楽的素養は私の身に付かなかった。私自身唯一自分の取り柄と言っていいのは「金離れの良さ」だ。私は母に似て散財家だ。だから私はいつも一文無しで、夢を見ている。もっと素敵なお洋服を、もっと美しい家具調度を──。そしてVOGUEやファッション・ウィークなどと聞くとじたばたとその場でのたうち回るのだ。
もちろん私は冗談を言っている。これは真実の告白ではない──当然嘘でもない。私は己の混沌とした人生を言葉とフィクションによって整理し、美化したいのだ。それだけだ。しかしそのそれだけが恐い。自分の無能さと直面するのを何より恐れる。
結局父母の博愛精神は私に受け継がれず──私は自分を守るためにあくせくし、こうした駄文を書くに至ったのだ。
だが私はここで気付く。「自分の心を守るため」それ以外のどんな情動で人が動くというのだろう?父は笑ってこう言うだろう。お前は何もかも突き詰めて考え過ぎる、頭でっかちだと──。
結局母は我々の許を去った。早い死だった。これを書く私はまだ二十代だ。母方の女たちはつねづねこう言い合っていた、しみじみとしてからっとしてすべて諦めたような調子で──「Y家の滅亡」このタイトルで我々一族の年代記が書けるね──と。
そうだ、私の父母はそれぞれ金満家の子として生まれ育ち、しかしそれぞれ家族関係を悪化させ、孤独のうちで拙速な恋愛関係を取り結んだ、少なくとも私はそう捉えている。
そして私が生まれ──貧困と不幸の道を歩むことになったのだ。つまりこれを書く私は両親と同じ「できちゃった結婚」をしスピード離婚してひとり親家庭になり──私の場合は生活保護受給に至った。何故なら私はうつ病者で発達障害だからだ。彼らのような生活力は私になかった。私はくたびれていた、生きることに、日々同じことを繰り返し飽きもせず飲み食いし「家」と呼ばれる一処に毎日寝起きすることに──もし私が裕福であったなら、私は一切の人間関係をなげうち旅に出るだろう。賃貸の安アパートも引き払ってチープな家具類も捨て去りアンティークの革の旅行鞄一つ持って飛び立つ、目的地はない、煩わしい何もかもにさよなら、だ。そしてそれには息子も含まれる。実の母親にも望まれずこの世に生を受け幾年かを経た哀れな一人息子──老いと死に包囲された老年者に特に喜びをもたらしたわが子を離れて、遠く、遠く、遠くへ行くのだ、私一人、一人、一人だけで──。
非モテ男性の苦しさって1,2で語られがちだけど、一番きついのは3,4で
これって常時人間の半分からいじめられてるような感じなんだよね
その結果どうなるかと言えば、
・卑屈になる
みたいになるんだよね、その様子は苛められっ子に近い
有名人で言えばぐんぴぃがこの状態、あれだけコミュ力があるのにムーブや思考回路がガチなんだよ
「経験値が少ないから女性との接しからがわからない」んじゃないんだよ
怯えさせたり拒絶されるのが怖くて、自然な動作ができないんだよな
悲しきモンスターみたいな
これって長年染み付くものだから、少し有名になったり人気になっても治らない
俺は治ったんだけど、かなり多くの女性と関わる機会を作って、数年かかってやっとだから誰でもできると思えないし、状況が個人個人で違う
例えるなら非モテが「めっちゃ犬に嫌われる人」で、モテる人が「めっちゃ犬に好かれる人」みたいな感じ
犬が近づいてきたら、そりゃ非モテは縮こまったり回避したりするでしょ、あの状態
犬嫌いになるでしょ?
あとそういう人が沢山の犬と触れ合っても克服しきらないんだよね
____
一応3,4は回避してるコミュ力あるタイプの非モテ男性も居るには居る
ピーター博士のぐんぴぃ分析、こっちまでダメージウケるんだよな
面白い上に賢いんだから今はモテるはずなんだよ、でも女性と接する回を見ると何重にも防御を張ったコミュニケーションをする、マジ見てられない
あれこそ非モテ病だと思うんだよね、ビジネスライクの関係を崩そうとしない、接し方の正解がわからない
女性に嫌な思いをさせたくないという気持ちが全面に出過ぎている
紳士に振る舞うってのは、紳士じゃないと思われたくないみたいな
もちろんそういうキャラクターがウケてるんだろうけど
参考:https://youtu.be/372AFYVMfkA?si=p9HdQP6DWhOumeYU&t=1689
Permalink |記事への反応(29) | 10:16
https://smart-flash.jp/entame/328528/1/1/
この件。
長谷川豊の虚言に対する反論が「そんなことはしたことがない」「おすぎさんはそう言う事をする人じゃ無い」とかそうじゃ無いんだよな。
なんだよな。
ここからは全く妄想なんだけど、なんか、おすぎさんって、俺らの上位概念なんじゃ無い?
ゲイである事を公表して、自分のことを「汚いゲイだ」って言っていたらしい。綺麗なゲイは、美輪明宏やピーターなどで、それに対して自分たちは汚いゲイだと。
そして、見る限り浮いた話は一切出てこないし、パートナーもいなくて。
認知症を自覚したら、迷惑をかけたくないからと事務所を清算して、兄弟で助け合おうとしたけれど、同時期に認知症にかかり、今は施設にいるらしい。
ただ、周りに彼をしたってサポートする人がいて、面倒を見ているらしいとのこと。
たぶん、「汚いゲイ」ってのは自虐も含めていたけど、なんか自分が恋愛の対象になって、パートナーを得て生きていくと言う事をもう捨てているというか、諦めきっているというか、弁えていたのではないか。
色々なエピソードがそれを想像させるし、だからこそ、疑われるような行動をとらないように律して、仕事で接する人にはビジネスライクを務めてきたのでは。
ちゃんと一線を弁えている。だから、「これまでおすぎさんと食事をした記憶はありません」なのでは。
典型的なLGBTに対する偏見じゃん。ゲイやレズビアンはノンケでも食っちゃうっていうアレ。
んなわけないじゃん。LGBTだろうがそうじゃなかろうが、関係ないんだよ。相手を選ぶんだよ。犯罪行為はしないんだよ。
で、そう言う偏見が存在していて、ゲイだと公表している自分がそこにいると、妙な雰囲気を作り出してしまうから、相当に気を遣っていたのでは。
おすぎさんは既に認知症が相当進行していて、反論することができない状況らしい。
だから名誉毀損等で訴えられる事もないだろうと人選して、虚言を述べて注目を集めようとする長谷川豊。
長谷川豊は日本で問題を起こし、それでも将来が惜しいとアメリカに出された。
しかし、そこで横領を働いた事で戻され、事実上左遷された人間だ。
これ、N党の立花高志を彷彿とさせる。彼はNHKの地方局事務員だったが、横領を行い退職した。
長谷川豊も、立花高志も、こういった過去の自分の犯罪行為を強烈に否定するために陰謀論を展開する事で注目を集めるところから現在の立場を作っているが、これは相当に劇薬で、人間を変質させてしまうのだろうと感じる。
アメリカの少年がヨーロッパに留学に行くんだけれど、ママと仲良しで、自分の行動原理をカントの定言命法から導き出そうとしていて(すごく不正確に表現しちゃうと「普遍的な道徳に一致するように行動しろ」っていうあれ)、政治的に正しくいようとしていて、頭でっかちで、マッチョで荒っぽいことができないところにシンパシーを感じる。あんまりモテそうじゃないしね。モテる主人公の話を読んで一体何が面白いというのか。あっはっは。
しかし、読後感がいいのは、やっぱり誠実だからだ。たとえば、アパートの家主がホームレスを追い出すときに「連中は寒さを感じないんだ」と言いつつも、「こいつらはあたたかいところに寄ってくる」とも言い、そういう矛盾というか二重思考にさっと気づくところがいい。
ピーターが思うに、最悪なのは、人々がこの世の現状に合わせて詭弁を弄することだった。たとえここの管理人のように、不運な人間を追い出すしか方法がない、世の中とはそういうものだと考えるにしても、それくらいでやめておくということができない。彼らは語らないと気がすまないのだ。たとえば、マダム・プエルは酔っぱらっているクロシャール(引用者註:浮浪者)は寒さを感じないのだと言って自分を納得させていた。「あの人たちは何も感じないの。あなたや私とは違うんです」彼女は本気でそれは科学的に証明されている事実だと思っているらしい。しかし、彼らが寒さを感じないなら、どうしてここのエレベーターや玄関ホールに潜り込んでくるのか。その二つの事実を結びつけようとは思いもしないようだった。
ところで、実はこういう真っ直ぐな少年少女が現実に屈して理想を捨てたり変節したりするお話がすごく好みだったりする。真っ直ぐな青年が悪意に勝てずに差別主義者になってしまうとかも含めてね。あとは、エリート候補が挫折したりトップの座を失ったり夢を諦めたりするのも好きだった。進学校に行ったのに退学してしまうヘッセ「車輪の下」とかル・グイン「ゲド戦記影との戦い」でゲドが影を呼び出してしまってしばらくは闊達に才能を伸ばせなくなる場面とか、アナキン・スカイウォーカーがダースベーダーへと堕ちる「スターウォーズ」のエピソード1~3とか。
そういうわけで、新海アニメの感傷マゾアニメ「秒速5センチメートル」の少年が、ラストでどういう経緯でああいう疲れた大人になってしまったのかを空想するのが好きだった時期がある。「童貞卒業は風俗だったのかな?」とか考えたりね(マジ最低!)。とはいえ「結局お前モテてんじゃん! あの子の好意に気づいてんだろ!」とも思っていたので、こう考えてしまうのもすべて個人的な怨念であろう。今となっては恥ずかしすぎる。
まずこの小説の舞台がよくわからない。密林があると言いながらトゥアレグの隊商がやってくるので、アフリカの西なのか東なのかとんと見当がつかない。日記を読み返したところ、アフリカの独裁者の視点を通じて、アメリカ人の平均的な姿や人種間対立を風刺しているらしいのだが、「別に詳しくないのにアフリカ人以外が架空のアフリカを書くってどうなの」って疑問を当時の僕は日記に書いていた(たぶんアチェベを読んだ後だからそう思ったんだろう)。それに特に必然性もなく素っ裸で暮らす少女が出てくるし、あれはいったい何だったんだ。一応、独裁者の出身の民族の伝統的な暮らしを、宮殿の中でしているという体裁ではあるが……。
独裁者ものではやっぱりアメリカを風刺した側面のあるガルシア=マルケスの「族長の秋」のほうががオススメ。今度新潮文庫で出るしね。
アップダイクは「ケンタウロス」のほうがピンときた。「ノルウェイの森」で主人公ワタナベトオルが一時期ハマっていた小説だ。これも古典のパロディというか、アメリカのしがない高校教師の生活と、ギリシア神話の神々を二重写しにしたもので、例えば体育教師とその浮気相手はアレスとアフロディテ、厳格な校長はゼウス、たまたますれ違う酔っ払いのホームレスはヘルメスと、卑小な現実とそれを再解釈する神話の無駄な壮大さ、あるいは逆に神話を卑小化する面白さがあった(どうでもいいんだが、神々がギリシア名なのにアフロディテだけ英語名のヴィーナスと翻訳する美術書を見ると、定訳なのかもしれないが、イタリア関連の文献でヴェネツィアをベニスと表記されたような、釈然としなさを感じる)。
僕は知的な作品というか、浮世絵と加歌舞伎である見立てみたいに、知っていること前提で楽しむものに心ひかれる。原作を知っている映画のほうが好きなのもそれが理由だろうな。この素材で俺をどう楽しませてくれる? みたいな。
その点「ユリシーズ」も楽しめた。ただし、以前に必読書コピペにマジレスしてから大分経つが、結局まだ「フィネガンズ・ウェイク」を読んでいない。ああいうのは気合がいる。
ダニロ・キシュ「庭、灰」はあまり記憶に残らなかった作品、その二。読んだ記憶があるのだが、デジタル化した二〇一〇年以降の日記を読み返しても読んだ記録がない。ここまで書いてきてなんだが、実は読んでいないのかもしれない。今度図書館で中身をきちんと確かめてみるつもりだ。
イタロ・カルヴィーノ「見えない都市」は飛ばした。というのも、過去に文庫で読んだからだ。こちらかは架空の都市の伝説を、マルコ・ポーロがクビライ・カンに語る体裁で、僕は幻想的なホラ話が好きなのである。ギョルゲ・ササルマン「方形の円 偽説・都市生成論」もいいぞ。最近文庫化されたし。
同じ著者ではこれ以外にも「冬の夜ひとりの旅人が」というメタフィクション幻想譚もいいし、人間が物理的に切断されてそれぞれ善悪両極端な人格になる「まっぷたつの子爵」、地上に降りず木を伝って暮らしている「木のぼり男爵」(今にして思えば荒木飛呂彦「ジョジョの奇妙な冒険」に鉄塔で暮らすキャラいたな)、鎧の中が空っぽな「不在の騎士」と、児童文学っぽいのもいい。結構読んでいる。
全然関係ないけど、友人と雑談したときにガルシア=マルケスの長編を半分くらい読んだと話したら、「全然読んでないじゃん」って煽られたので笑ってしまった。彼は全部読まないと読んだうちに数えないらしい。「じゃあ何人の作家を読んだんことになるんだ」と言い返して僕は笑った。一応長編を大体読んだのは夏目漱石とドストエフスキー、トルストイくらいか? 中島敦は手帳のメモ書きまで記載した全集を読んだ。何度も言うが一生のうち一人の作家しか読めなくなるなら中島敦を選ぶ。ちなみにブローティガンを勧めてくれたのは彼だ。
続く。