
はてなキーワード:パスカルとは
私はたぶん今日までなので、
儀式的に今日は仕事納めでーすって割烹着を着てまるで小保方さんばりに、
まあ私の計画はまずHD-2D版のリメイクのドラゴンクエストI・IIの2をクリアするってのが大きな目的。
そして以下は適当に
熱を上げてプレイしているNIKKEもお正月イベントどうなるのかしら?
なにもニュース流れてきてないので、
そこも気になるところね。
そんなことより、
昨日の晩は加湿器を稼働させて
あんまりお湯を沸かすタイプの加湿器を調子にのって使いまくりまくりすてぃーだと
電気代が本当に高く、
結構目に見えて、
うわっ!私の年収低すぎお姉さんを彷彿とさせる電気代の高さになるので、
朝起きたらカピカピだった鼻の奥もモイスチャーな感じがする。
朝起きても潤いをキープして、
ああ!これがモイスチャーな暮らしなのね!って改めて思ったの。
やっぱり加湿って大事ねってそう思ったわ。
なんかお湯を沸かさないタイプのしかもじゃんじゃん加湿できる良いアイテムってないのかしら?
洗うのが面倒くさかったりフタを開けたら、
うわ!ってなっていること多いじゃない?
でもふと思い出したら、
石油ファンヒーターを使っていた頃は
あれは暖房と同時にある程度の加湿のモイスチャー感を与えているような気がして、
言ってもそんなに乾燥していなかったような気がするのよね。
きっとその水分が私たちの暮らしのモイスチャーに欠かせない潤いを同時に暖と一緒に与えてくれていたのかもしれないわ。
とりあえず、
体調悪化をこれ以上進めないために、
加湿器の水が少なくなったら、
中の水と入れ替えてってこれが丁寧な暮らしなのね!って私は水を汲み替える度に
もちろん大雑把にシンクにざばーんって加湿器から水を流しちゃうとこぼれるので、
慎重にそーっと余った水も全部取り替えるが如くこぼさないように取り替えるの正にタニコーの五徳だわ。
あまりに丁寧すぎるのもあれね!って思って面倒くさいから大雑把になると床に水がこぼれちゃうから、
やっぱりここは慎重に超慎重にしなくてはいけないのよ。
理想はガンガンに加湿できる気化式の電気を使わないタイプでトレイとか洗うのも極力少ないそういう加湿装置があったらいいんだけど。
お洗濯物って室内に干すとき今のシーズンがよく乾くチャンス到来で、
でもこれが私に当たるモイスチャーとなると
全然物足りなくって、
洗濯物が含んでいる水分で一晩の私にモイスチャーを与える潤いは途中で切れちゃうみたいね。
あまりに早く乾いちゃうから洗濯もの干し気化式加湿は加湿の量にも限度があるみたい。
そもそも、
一回洗濯する前とした後で干す前の洗濯物の重さを量ったら水の量が計算できるあのパスカル先生じゃなくってアルキメデス先生の発想で
入っていたお風呂の時に閃いて慌てて出てきて凄い発見を閃いた!って
そのぐらいな水分量だとしても、
せいぜい洗濯物の干す含んでいる水の水分量はたかが知れているのかも知れないわ。
意外ともの凄く少量だったりして、
ってなると
やっぱり可及的速やかにしかもパワーのある加湿っぷりのモイスチャーを与えてくれるのって、
圧倒的に電気ポット式のお湯を沸かすタイプのものになるのよね。
それがやっぱり一番手っ取り早く
一瞬で加湿しちゃえるのよね。
効率を考えたらそうなるわ。
これを超えるモイスチャーは無いと思うので、
とにかく
加湿器の稼働で朝起きて鼻の奥がカピカピで痛いぴえん!ってことが軽減できたので、
昨晩は加湿パワーが「弱」の効き目だったけど様子を見て「中」にしてもいいかも知れないわ。
「強」は強で加湿しすぎになるけれど、
今日みたいな晴れて乾燥している夜とかは逆にいいかも知れないわ。
どのパワーでいくか!これも悩みどころ。
教訓で分かったことは、
加湿大事ね。
うふふ。
もうずーっとタマゴサンド途中ミックスとかは挟んでいるものの。
率多すぎるような気がする、
たまには食べたいレタスサンドのシャキシャキ感も捨てがたいのよね。
やっぱりタマゴの美味しさには勝てないわ。
タマゴが勝つるわね!
加湿器をタイマーで朝オンにしていると同時にお湯が沸く電気ポットも朝同時にオンにしておくと、
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
掛け算の概念(倍数を扱う)
小数的な考え方の萌芽
円周率(近似値として3.16)
20進法の完成された記数法
公理を置いて、そこから論理的に定理を導く証明中心の純粋数学の発展
当時、「すべての量は整数比で表せる」(万物は数である)と信じられていた。
しかし √2 が有理数ではない(整数の比で表せない)ことが分かり、この哲学が崩壊。
『直角二等辺三角形の対角線の長さ』が整数比で表せないことを証明したとされる。
証明したのは学派の弟子 ヒッパソスとされ、伝承ではこの発見により処罰されたとも言われるほどの衝撃。
アルキメデスによる面積・体積の“求積法”の発達。
負数を“数として扱った”最古の事例『九章算術』
十進位取り記数法
負数の萌芽的扱い
独自に代数学(al-jabr)を発明。文章による代数。ここで初めて“代数学”が独立した数学分野となる。
商、余り、桁処理などの方法が整理(現代の学校で習う割り算の形がほぼできあがる)
xに相当する未知数記号を使用した代数(文字ではなく語句の略号)
sinx,cosx,tanx などの三角関数の無限級数展開を発見。
これは数学史上きわめて重要な成果で、近代的な無限級数の起源はインドである と言われる。
● 1500年〜
負数の受容が進む。
● 1545年頃(カルダノ)
虚数の登場。
三次方程式の解を求める過程で √−1 に相当する量が突然登場。
しかしカルダノ自身は「意味不明の数」とし、虚数が数学的対象であるとは認めていなかった。
● 1557年頃(レコード)
等号記号「=」を発明。等価を等式として“視覚的に書く”文化が誕生。
● 1572年頃(ボンベッリ)
カルダノの式の中に出る「意味不明の数」を整理し、虚数を使って正しい実数解が出ることを示した。
● 1585年頃(ステヴィン)
● 1591年頃(ヴィエト)
● 1614年頃(ネイピア)
● 1637年頃(デカルト)
今日では当たり前の「座標平面」「方程式で曲線を表す」が、ここで生まれた。
物理現象をy=f(x)で表すという現代の方法は、すべてデカルトから始まった。
大数の法則(試行回数を増やすと平均が安定する法則)を初めて証明
● 1748年頃(オイラー)
√−1 を i と書く記法を導入。
オイラーの公式「e^{ix} =cos x + isin x」を提示し、虚数を解析学に自然に組み込んだ。
微積分の計算技法の体系化(積分論・無限級数・微分方程式の基礎を構築)
多くの記号体系(e,π,sin,cos,fなど)を整理・普及
グラフ理論(もの[頂点]と、それらを結ぶ関係[辺]を使って、複雑な構造やつながりを数学的に研究する分野)の誕生
ーーーーーーーー
一旦ここまで。
続きは詳しい人にまかせた。
まあ、引くような当てずっぽうかどうかなんてことは所詮相対的な問題かつ程度問題なんだよね。
自分も双対の原理というものを齧って、なんか双対性というものに着目すれば一つの定理(命題)から別の定理を自動証明できるみたいなことを知ったんだが、
それをする上でまず双対要素ってものが見極められなければならないのだが、どうそれを判別すればいいのか全然分からない。
たとえばブリアンションの定理において出現する線と点が双対要素の一つになってるらしくてこれらを交換することでそのままパスカルの定理という別の正しい命題になるそうなだが
たとえば一番単純な例で「線は点の集合である」ってのを考えてみてこの線と点を置き換えて「点は線の集合である」ってしてもまあ成り立たないよな。
つまり自分は双対要素かどうかを判別するという部分においてまさに齧ったばっかでしかないために理屈的な理解が全く追いつてなくて当てずっぽうになるしかない段階なんだよな。
でもそれを咎める人間なんて今のところ数学科の人しかいないだろう。
しかし人類の知性が底上げされてそういうのも理解できて当然になったら私もめでたくケーキを切れない大人みたいな見方をされるんだろう。
そうやって相対的に人間の評価するような価値基準を社会が持っていることは果たして正しいのかってまず思うんだな。
大衆とか嫌悪の情とかみだりとか今時あまりにもファジーすぎんだろ
「液化ガス」とは、通常の使用状態での温度における飽和圧力が百九十六キロパスカル以上であって、現に液体の状態であるもの又は圧力が百九十六キロパスカルにおける飽和温度が三十五度以下であって、現に液体の状態であるものをいう。
「みだりに」みたいなファジーすぎる表現が民法にある場合は「法律」をあえてガバに作って省令とか条例とかでブレイクダウンするんだが
仕様書を作ってないシステムの概要を資料にまとめて欲しいと言う依頼
その程度であればと思い受けて、数時間でできる程度の資料を作って送る
結局、
あれも教えて欲しい、これも追記して欲しいと工数以上の事を要求される
「何でこんなお粗末な資料を寄越すの?」って言われても、DB設計書も指示書もまとまってないんだから多めに見てくれよ、この程度の工数でやる気なんて出ねえよ
「何でそのままDBのカラム名をプログラムで使わないの?」って言われても、パスカルケースとキャメルケースとスネークケースが混ざっているし、日本語ローマ字だらけのカラム名をそのまま使えるわけねえだろ
と部屋で一人愚痴りながら書き上げて送る
叩き台作らされた上に、修正で手を動かす側にさせられるのは損だなと思いつつ
そういう人で数学の成績がそれほどでなかったり大学で数学を専攻している人というのが少ないのは、根本的に数学に対して能力がないのではなく、数式には文章と違って情感みたいなものがないとかいった理由で愛着を持てないからだと思います。
それで熱心に学ばないからそうなってるだけで、彼らのような類に数学の勉強を強制させたらそれこそ大化けして並みの数学者を凌駕する理解力を発揮するのではないでしょうか?
確かに高校時代まで重視される計算力(速さ)という意味の数学力は読解力とかすりもしない概念でしょう。
しかし大学に入ってまず習う位相や集合の理解にしてもあのページが進むごとに論理的に入り組んでいく解説についていくということについてはまさしく国語で成績を取ってきたのと共通する読解力がものを言うように思えてなりません。逆にあれを理解するのに要する読解力と小説なり評論なりの問題を解くのに要する読解力とでどこに違いがあるのか探す方が難しいでしょう。
双対の原理の事典での説明を私が見ても、パスカルの定理とブリアンションの定理の双対性が、束の外延と内包の双対性が成り立つからその特殊な場合として明らかに成り立つものなんだと言えるという趣旨に対して、束という遥かに抽象的な形式論理のなかで成り立ってることがあの目で見える形で定理の妥当性が明らかな射影幾何の双対性に一般と特殊の関係のなかでどうつながってくるというんだとさっぱり納得感がないわけです。
(というか双対の「原理」とかいっちゃってるけど、それはパスカルの定理とブリアンションの定理が同時に真であるということ公理として幾何学が構成されてるってこと?この場合まだ2定理が真なことは図示したとき直観的に明らかだからまだいいけど双対の原理に沿うように言葉を入れ替えた命題が全て視覚的にも正しいと判断できるような状況になってる保証はどこにもないよね?それをもそれを「真」と認めるものとして幾何学を構成しちゃってるってこと??)
国語において読解力があると知られている人は、そういう言わずもがなの部分も何が省略されているか察知する力に長けているはずというか、往々にしてその力の結果が間接的にも直接的にも「読解力が高い」と人に言わしめるときの「読解力」の構成要素になっているはずなのです。
だから、事典の記述についても私が納得できないのはその記述における「言わずもがな」の部分に想像力が及ばないからだとするなら、読解力の高い人ならこういう数学の高度な概念の解説も読みこなせるのではないかと思うわけです。
そういうわけで少なくとも数学の理論を学ぶという段階だけで見るならむしろ理系ぶってる人間よりも読解力が高い人のほうが驚異的な力を発揮するように思えます。研究の段階になるとそれがそうじゃなくなるんでしょうかね。
つまり、組合せを計算する際の分子は必ず分母で割りきれるわけ。
これって、誰も言わないけど、かなり驚きのことだと思う。
例えば、10×9×8×7×6が5×4×3×2×1で割りきれるかって考えてみてほしいんだけど、計算しないですぐわかる?
直感的にはわからないじゃん。でもこれって、10C5の分子と分母だから、割りきれるわけですよ。
他にも、111×110×99×98×97×96×95が7×6×5×4×3×2×1で割れるとか、わからないでしょ。
すごさがわかったよね?
すなわち、組合せnCrって、任意の整数nから下に連続するr個の整数を、r×r-1×…×2×1で割った値だけど、
こんな変な割り算が、自然数nとrがどんな値でも常に整数になるなんて驚き!!
マジすごくない?
マジですごいと思うのに、誰も感動してないから、教養の殿堂たる増田に書き込んでみたよ!
(追記)
ちょっと証明してみるかーと思ったら思いの外手こずった。ググったらパスカルの等式っていうのが出てきてこれがわかれば帰納法でいけるのか。この等式自体もなかなか面白い
なるほど。
パスカルの三角形ってやつで、一番上が整数だから下側は全部整数になるってわけか。
厳密な証明をするまでもないよ。
7個の数字が並んでいたらどこかに7で割れる数字が混じっている。n個の数字が並んでいたらどこかにnで割れる数字が混じっている。
いやいや、重複があるかもしれないじゃん。
この説明もわかりやすいとは思ったんだけど、証明としてはダメなのかな?
ほんとそれ。整数論的にちゃんと証明するにはルジャンドルの定理的な考察が必要。
分からない人は高校数学の美しい物語の記事:https://manabitimes.jp/math/589 を見て、どうぞ。