はてなキーワード:バーチャルとは
MODを作れるようにしてほしい。
そしたら好きなデータ使えるわけだし。
あと、音声読み上げも好きなの使えるようにしてほしい。
こういうバーチャルアシスタントって偽春奈(任意/伺か)の系譜だと思っている。
25年ぐらいの時を経て、最新のAIで偽春奈を作れたら面白いよね。
えんいー
個人勢というのは所謂ホロライブやにじさんじみたいに企業に所属してでなく全部自分でやるVTuberらしい。
最初は彼女の配信や活動もゆったり見れたのですが、最近変化が訪れました。
どうやら彼女、リアイベに出るらしくチケットの売り上げがヤバいからチケットを買って!とのこと
当方田舎住みであり行くことは難しいと伝えたら配信チケットもあるよとのこと。
自分としては正直彼女のパフォーマンスはバーチャルでみれるのでいいかなと思い、考えておくねだけ返信しておいた。
数日経ってXを見ると売上やばい!などのポストが多く目立っていた。
申し訳ないが彼女はそこまで有名なVというわけでなく、正直友人目線を抜くとそこまで上手くない歌を聴くためにお金払うのはなとなっているので悲しいがチケット売れないのが分かってしまう。
あと歌枠の傾向を見てると大体同じ曲やるだろうなと分かるのでワクワクもない。
後で分かったが彼女はこのリアイベを主催している企業からサポートを受けているらしく、最近やたらグッズや販売イベントの宣伝が来るのはここの企業さん主催からのものばかりであった。
配信で売上の一部が貰えるとも言っていたし金銭面としては悪くはない企業とは思うがそれで個人勢を名乗るのはいかがなものなのかなと思った。
少なくとも後ろ盾があるという意味で、それを持っているのに個人を名乗る彼女に違和感を覚えてしまった。
そこ主催のイベントに出るために色々システム変えたりショート動画を頑張りだしたり、彼女の活動方針がじわじわと変わっていきついていけなくなった。
ショート動画も彼女のパフォーマンスや魅力的な切り抜きメインのものから、ただ流行の音楽に合わせてどうでもいいことを言うだけのつまらないものになった。これにどう反応すればよいのか。
自分は今の彼女の姿はちょっと違うなと感じるが、それに伴い再生数や登録者数は伸びているのできっといらないのは僕のほうなのだろう。
彼女は自分からの反応が少なくなってきていることに気づくだろうか、いや彼女のつまらない言葉に魅力を感じたファンと触れ合ってて気づかないと思うな。
うわぁああああ! なんでこんなことになってるんですかぁあああ! 私、もう、悲しくて悲しくて、涙が止まらないんですわぁああああ!ポートピアランド! みんなの夢と希望が詰まった場所だったはずでしょう!? 昔はね、家族連れで大賑わいでしたわぁあああ!ジェットコースターに乗って、笑顔がいっぱいで、キラキラしてたんです! それが今や、草ボーボーで、建物は朽ち果てて、なんかもう、心霊スポットみたいになってるんです! うわぁああああ! これが国際都市神戸の姿なんて、信じられない! 信じたくないんですわぁああああ! 私だって、思い出がいっぱいあるんですからぁあああ!
でも、私にはぁああ、私にはね、この廃墟問題を解決する方法があるんですわぁあああ!
もう、泣いてるだけじゃダメなんです! 私だって、本当は泣きたくない! でも、この悲惨な状況を、誰かに、誰かに伝えなきゃって、そう思うと、もう、涙が止まらないんですわぁああああ!
全部壊して新しくするなんて、そんなお金、どこにもないんです! あるものをね、もう一度、使えるようにするんです!リノベーションってやつですわぁあああ! 昔の建物を活かして、新しい魅力を作るんです! 例えば、あの観覧車、また動かせないんですかぁあああ! 光を灯して、神戸のシンボルにするんですわぁああああ!
ただの遊園地じゃなくて、もっと今風の、新しいアイデアが必要なんです! 例えばね、「食」のテーマパークとかどうですか!?兵庫のおいしいものが全部集まって、みんなで食べ歩きできる場所とか! あとね、「テクノロジー」の体験施設とか!ドローンを飛ばしたり、VRでバーチャル世界を体験したり、未来を感じられる場所にしたら、子供たちも喜ぶんですわぁああああ!
県だけで全部やろうなんて、無理なんです! もう、無理なんですわぁああああ!アイデアを持った会社とか、お金を出してくれる企業とか、どんどん誘致するんです! 「ポートピアを盛り上げたい!」って思ってる人、いっぱいいるはずなんです!公募して、良い企画には、もう、どんどん協力するんですわぁああああ!
ポートライナーだけじゃなくて、バスをもっと増やすとか、駐車場をもっと大きくするとか、とにかく来やすいようにするんです! 人が集まらなければ、何も始まらないんですわぁああああ! 周りのホテルとか、コンベンション施設とかと連携して、相乗効果を生み出すんです!
ポートピアは、神戸の、兵庫県の、大事な、大事な宝物なんです! このまま廃墟にしておくなんて、絶対に嫌なんです! 私だって、この兵庫県で生まれ育って、この神戸を、愛してるんですわぁああああ!
だから、皆さん! 私と一緒に、このポートピア廃墟化問題を解決しましょう! 今、動かないと、もう、手遅れになるんです! 手遅れにぃいいいい! うわぁああああ!
「一時間強と一時間弱についての解釈」について正解と間違えの図を描いたら確かに間違えているヒトはいると気付く、扇風機の強弱で勘違いするのかも - Togetter [トゥギャッター]
「5分弱煮るはどういう意味か?」というアンケートの結果を受けて白ごはん.comでは今後「5分弱」「大さじ1弱」といった表現は使わないことにした - Togetter [トゥギャッター]
「5分弱」が「5分よりわずかに少ない」と理解していたとしても、じゃあ実際には何分なんだよ、と多くの人が思っていることだろう。
4分50秒くらいなのか、4分30秒はどうなのか、あるいは4分10秒などでも「5分弱」と言えるのか。
誤用だ誤用だとは言っても、我々はそもそも「正用」とされる意味すらも把握できていない。
じゃく【弱】
[接尾]数量を表す語に付いて、実際はその数よりも少し少ないことを表す。数の端数を切り上げたときに用いる。
とし、日本国語大辞典は、
じゃく【弱】
〘 接尾語 〙 ある数の端数を切り上げたとき、示す数よりは少し、不足があることをいうために、数字のあとに付けて用いる。⇔強。
としている。
どちらも「端数を切り上げたとき」と書いてある。
つまり「〇〇強」「〇〇弱」を使うときには、前提として端数の切り捨て・切り上げがあるのだ。
小数を丸めたとき、端数を切り捨てたのか、それとも切り上げたのか、それを示すために、切り捨てたときは「強」を付け、切り上げたときは「弱」を付ける。
というのが「〇〇強」「〇〇弱」のもともとの使われ方である。
先に計算があって初めて「〇〇強」「〇〇弱」が成り立つのである。
いきなり「〇〇強」という答えだけを提示されても元となった計算はわからない。
「4分1秒」を「分」に丸めるとき、四捨五入して切り捨てたのであれば「4分強」だが、切り上げたのなら「5分弱」になる。
「1000円弱って何円くらいだと思う?」などと質問されたら「有効数字は何桁ですか?四捨五入ですか?」と聞き返さなければならない。
よって「〇〇強」「〇〇弱」を範囲として捉えるのがそもそも誤りなのである。
もちろん「1時間強」などと言うとき、無意識に「四捨五入して分を切り捨てている」のだろうから、そういう意味では間違いではない。
だが、それを「1時間よりちょっと長い時間を表すのに1時間強と言うんだ」というような理解をしているのは原義に悖る。
バーチャルのじゃロリおじさんが示した図などは誤った解釈の典型と言えるのではないか。
追記。明治時代にどう使われていたかの調査も行ったが、おおむね辞書のとおりだったので当初は省略していた。何かの参考になるかもしれないので公開しておく。
四捨五入したとき、端数を切り捨てたのか、それとも切り上げたのか、それを示すために、切り捨てたときは「強」を付け、切り上げたときは「弱」を付ける、ということである。
もうひとつ明治21年の『数学講義録』、この講師は前述の田中矢徳である。
数の末に強と弱との文字を添へて、末位の数に過不足あることを示します、この強と申は末位の数のさきになほ微小なる数が付き添へりと申意にて、三分二厘一毛五糸…を三分二厘強と申たぐひなり、この弱と申は末位の数に不足ありと申意にて右の奇零を三分二厘二毛弱と申たぐひなり、扨てこの切り上ぐると切り捨つるとは、何程の数が界ジャと申たしかなる定則のあるわけにもあらず、ホンの算者の意まかせなれど、本邦には四捨五入と申古き習慣あれば、私の教科書は大抵これにならひて、四までは切り捨て五にみちたるときは切り上ぐることといたしました
とりあえず、切り上げ切り捨ての端数を示すのに「強」「弱」を使うのが本義であって、四捨五入に限定するような書き方をしていたのは田中矢徳のオリジナル、ということだろうか?
また亜剌伯(アラビア)記数式にてしるしたる数には強を加号+にて示し、弱を減号−にて示します、たとへば五厘強を .05+ かやうにしるし、また五厘弱を .05- かやうにしるす類ひなり
「+」「−」の訳語として「強」「弱」を充てたということなのだろうか、それとも数字に「強」「弱」を付ける書き方はもとからあったのだろうか、この記述ではよくわからない。
ちょっと脱線するが、この田中矢徳さん、慶應義塾や同人社とあわせて「三大義塾」と称された「攻玉塾」というところの出身らしい。
「攻玉塾」は明治六大教育家の一人・近藤真琴が設立したもので、田中矢徳・鈴木長利・竹貫登代多・浅越金次郎などの数学者・教育者を輩出したという。
なるほど、この頃の数学教科書の著者を見ると、彼らの名前が散見される。
ともあれ、田中矢徳ばかりでは偏ってしまうので、攻玉塾生以外の説明も見たい。
四捨セシ数ヲ強ト謂フ
五入セシ数ヲ弱ト謂フ
既ニ夥多ノ小数位ヲ得テ尚除外セザルトキハ(中略)最下位ノ右に(+)号ヲ記シ以テ尚残数アルコトヲ示スヘシ
明治27年『活用練習実業珠算』。商工協会編とあるだけで著者はわからない。
無限小数の除法に於て末位の小数四以下なるときは其四を払ひ唯捨てて何々強と呼ひ末位の小数五以上なるときは其五以下を払ひ上位に一を加へ何々弱と呼ふへし之れを四捨五入の法と云ふ
概ね、田中矢徳の説明に準じて、四捨五入したときの端数を示すのに使われていた、ということでよさそうだ。
明治13年の『岐阜県会議日誌』の学校の補助費のくだりである。
今一万五百園ヲ生徒数(五万三千四百三拾八人)ニ除スレハ一人ニ十銭弱ナリ
又四千五百円ヲ校数(六百六十四校)ニ除スレハ一校六円七十七銭強ニ当ル
10500円を53438人で割るのだから0.196...円、つまり19.6...銭を切り上げて「20銭弱」。
4500円を664校で割るのだから6.777...円、四捨五入ではないが、端数を切り捨てて「6円77銭強」というわけである。
五以下の数をいふ、五以上を強といふに対せり、即ち、十一円五十銭以下を十二円じやくといふが如し。
それは何か違くね?
それとも元々はこの意味だったのを数学用語に転用したということなの?
なんもわからんね。
この増田が言うにはVTuberおもろいというが、おもろくないVTuberの方が圧倒的に多い
結局VTuberって、「何者にもなれなかった」人がバーチャルの世界でワンチャン狙おうと活動してる場なんだよ
漫画家になれなかった者、歌手になれなかった者、声優になれなかった者、そんなやつらがほとんどだ 逆にVTuberからキャリアをスタートして大成した人を見たことがない
で、何者にもなれなかった人が提供するコンテンツは、やっぱりその道の第一線と比べると明らかに見劣りするわけ
歌枠も微妙、漫画も面白くない、ゲームも下手、トークも薄っぺらい…
基本的には、セールスってのはプロダクトの品質をある程度反映するんだよ。セールスと品質は相互に良い循環を生むしな。
でも、ごく稀な例外として、宗教や賭博のように、コンテンツ自体の強度は同格の娯楽と比べて低いのに、莫大なセールスを生み出せる場合がある。
そういった例外に共通する特徴は、人の心を操ってるってことだ。認知が歪むくらいに。多くの場合、マインドハッキングやダークパターンに近い、悪い手法によってね。
でも、人の心を操る要素自体は、あらゆるプロダクトに存在する。魅力をアピールする宣伝文句などがそうだ。
操るための動機が、消費者を楽しませるため、純粋なファンになってもらうためなら、セーフな部類だ。消費者はプロダクトやメーカーの「信者」に近い状態になったとしても、自覚的にそれを選択している。自分の意思でほかを選択する余地がある。
けれど、操る動機が、宗教やギャンブルのような搾取構造に取り込むためだと、その精神支配によって、自分の意志では抜け出せない状況に追い込まれる。そういうビジネスだと感じた場合はアウトだが。
でも世の中には分類が難しいものもある。たとえばガチャゲーや(バーチャル)キャバクラ、それからアイドル/芸能人のような、熱狂的ファンによる投げ銭的消費によって莫大なセールスを上げるコンテンツは、競争によって上位のものはコンテンツ品質が一級品水準になっていく。
そして、ごく一部の人が払いすぎているだけで、9割のユーザーにとっては、自分が普段払っているお値段以上のコンテンツ供給を受けている感覚を得られるものでもある。その在り方は、一種のパトロネージュと言えるし、一概に否定できるものではない。
この類のもののコンテンツ品質をフェアに評価することは、専門的な人でないと難しいだろう。ただバッサリ斬り捨てるべきだとは言えない。
まだにじさんじ側の声明がないので、一方からの声になってしまうけど、それを信じるなら、起きたことは簡単に言えばこう
月ノ美兎が無断取材→月ノ美兎の人柄のおかげで、取材対象はいったん飲み込むと決める→マネージャーが取材対象になんらかのメールを送る→取材対象ブチギレ
月ノ美兎はふだんちゃんと取材許可取っていると言っているし、にじさんじも権利関係きっちりしているので、どういう経緯でそうなったかは正直わからない
「許可取ってます」が事前申し込みではなくいつもその場で「撮影していいですか?」って口頭で聞いてるだけ、とかなのかもしれないし、きちんと申請したものの手違いで相手に伝わってなかったとかもあるかもしれない
また、一部撮影は許可したが、一部の隠し撮り音声は許可してなかったのかもしれない
その辺の経緯は、事態がこじれれば公表されるだろうし、謝って許してもらえるなら経緯発表なくトラブル解決の報告が出て終わりかもしれない
今回気になった内容はむしろこっち
おそらくマネージャーが送ったメールというのは「秘密保持」に関する契約だと思われる
月ノ美兎は、本名で個人で来館の予約を取ったそうだし、対面で取材をしているわけだから、顔も名も割れている
Vtuber企業としてはそれを表立って人に言われると困るから、当然秘密保持契約の打診、なんなら脅すような失礼な内容を伝えたのだと思う
Vtuberという業態は、中の人を秘密にすることが業態の信頼であり技術でもある
よって中の人がばれないように細心の注意を払っているわけだが、そこに「無断取材からの事後許可取り」をしたがるインセンティブがある
だって、「Vtuberの誰誰ですけど取材させてください」と事前に言うとカメラを仕込まれたりなんらかの身バレにつながる不利益があるかもしれない
だから不意打ちで撮ってから後々に権利関係をはっきりさせる動きをしたくなるのもわかる
そして事後の交渉は相手に付け込まれる可能性を考えると、ある程度毅然と、高圧的にする必要があるんだろう
しかし、その態度を気に入らない人は当然出てくる
気分を害して怒る人が出てくる
そしてその場合、非があるのはもちろん、筋を通さなかった取材者側、V側だ
V企業がまだ小さかったときはそれほど大事にはならなかったのだろうが、もはやにじさんじもホロライブも上場企業で、大企業なわけだ
企業コンプラとしてだまし討ちなんて許されないんだから、秘密を守ってもらうことが大事なら、事前の秘密保持契約と事前許可取りを厳守しなければならない
この方向性はほどなく徹底が行われるようになるだろう
しかし、そうなればVtuberさん自身の自由度、機動力が失われる
もちろん、コンプラを無視しての自由なんてクソくらえなわけだけど、でも、Vtuberさんって、独特な個性があり、やりたいことがやれなくなるなら辞めますわ、って人も多いと想像される
月ノ美兎も、にじさんじを辞めるときは、「やりたいことをやれなくなったとき、ここじゃできないことをやりたくなった時」と言っている
もしそういう流れに向かっていくなら、最悪、いまのVtuber時代の先駆者たちが、Vtuberを辞める流れになりかねないと思っている
じゃあさ
そうまでして、Vtuberの中の人を秘密にするべきか?って思えてくる
筋を通せなくなったり、やりたいことをやれなくなったりしてまで、中の人ってバレちゃいけないものか?
ググれば中の人がすでにバレてるVtuberだっている中で、面白さを失い敵を作ってまで、中の人を秘密にしなきゃいけないんだろうか
月ノ美兎なんて、あの絵のキャラを捨てたって面白い人は面白いままなんだからさ
バーチャルにこだわり、秘密を守ろうとするあまり、エンターテイメントや社会人としての大事なものを見落とすことがないように願うばかりだよ
グループサウンズのメンバーがこの間お亡くなりになり、残されたメンバーのお悔やみポストに多数のファンのリプがあったが
リアルタイムファンのアカウントをクリックしてみら、BL系含むイケメンのガワを被ったvtuberやバーチャル声優関係のリポストで埋まっていた
ジャニーズ性加害騒動の前からSnowMan以外は売り上げも動員も下降線で雑誌の部数も検索数も激減してたけど
イケメンがわちゃわちゃしてたら二次元でも外国人でもなんでもいいのが露呈したよね
今やジャニーズなんかSnowManとサバイバル番組と増員でテコ入れしたTimeless以外話題にすらなってない
最近、AI、AIって、なんかちょっと騒ぎすぎじゃない?って話。
逆張りって言われたらそれまでなんだけど。
AI自体はすごいし、自分もふつうに使ってる。画像生成とか、文章のたたき台作ったり、すごく便利。
でも、何か「未来が根底から変わる」みたいな大騒ぎって、どこかで見たことあるな、と。
思い出してみてほしい。「メタバース」「VR元年」「バーチャルオフィス」…
会議は全部VRになる!とか、通勤は不要になる!とか、聞いたことないですか?
あの頃、メタバースってめちゃ持ち上げられてたよね。FacebookがMetaになって、〇〇空間がどうのって。でも今どうなった? あれ、やってる人…いる?
ただ、AIはそれとは違うってのもわかる。インターネット以来の革命ってのも納得できる。
でも「人間の仕事は消える!」とか「我々の存在意義とは?」みたいな、やたらとセンセーショナルな論調には、正直むず痒さを感じてしまう。
それ、ちょっとした“AI台風”に浮かれてる小学生みたいじゃない?
「明日は台風で学校休みだー!」ってテンション上がって、宿題もやらずに寝て、朝起きたら晴れててがっかり…みたいな。
たまたま「AIってドラゴンボールで例えると何?」ってコメントを見つけたので
何の気なしに考えてみたんだけど、たぶん“サイボーグフリーザ”だと思う。
圧倒的なボスキャラだったフリーザが、パワーアップして帰ってくる。
しかも強いパパ連れて。そりゃ「もう終わりだ…」ってなるよね。
あれ見て「騒ぎすぎだったな…」って思った人、多いんじゃない?
たぶん、AIもそんな感じで、騒がれてるほどの“絶望”は来ないと思ってる。
そしてそのうち「未来トランクス」的な存在がフッっと現れるんだろうなとも思ってる。
フリーザの方も後からゴールデンとかブラックとかになってまた現れるかもしれないけどね。
…ごめん、ドラゴンボールそんなに詳しくない。
高木仁三郎氏の心配は、予想以上に正しかった。「そんなはずはない」という余談を排して、経営者たちの動きをみれば、あきらかだ。
「なぜ原発事故は繰り返すのか」の最終章で、「インターネットの発達で人間の感覚がバーチャルになっているのではないか。わたしがインターネットについていけないだけかもしれないが、倫理綱領は必要だろう」と書いているのを読んで、「いやーさすがに心配しすぎですよ、高木先生。そこまでアホが出てくるとは思えない」と思ったのが、15年ぐらい前。
イーロンマスクとマークザッカーバーグがここ3年ぐらいやっていることを見て、アホでかつ傲慢な連中が世界最強クラスの企業の経営者だということに気がついた。わたしはもう幻想をもてない。
これはあまり指摘されないが、テック企業ということはテクノロジー企業の略のはず。それ自体ほとんど意味のある言葉ではないし、実質的にIT企業ばかりで、工科大学をのぞいても、既存のジェネラルエレクトリックとかジェネラルモーターズとかそれこそトヨタ、日産とか、そういう既存のハイテク企業はあまりテック企業との連合に熱心ではないようにみえる。火星に行きたがっているイーロンマスクがNASAとあまり仲がよくなさそうなこともあげられる。
わたしの予想だが、あれは中曽根と同じように「技術者を札束でひっぱたいて言うことを聞かせている」という面があるのではないか。これは原子力産業が50年ぐらい前に進んだ道とほとんど同じだ。楽観はとてもできないが、技術面ですら、そう簡単に経営者たちの思い通りになるとは思えない。別に技術者に良心があるということではなく、技術に求められる最低限の基準というものが予想以上に厳しいからという理由からだ。
そうだろうか?
キズナアイは日本の公的機関や日米芸能界、世界の有名YouTuberやアーティストには結構受け入れられていた感じがする。
NHKの特設サイト「まるわかりノーベル賞2018」に出たり、日本政府観光局ニューヨーク事務所の訪日促進アンバサダーになったり。
NHKのバーチャルのど自慢、バーチャル紅白、キー局各種の情報番組に出て、日テレで「のばん組」系の冠番組も持った。
ファンの7割が海外というデータもあり、映画『アリータ: バトル・エンジェル』のクリエイターズセッションでアカデミー助演男優賞を受賞したクリストフ・ヴァルツ、ローサ・サラザール、ロバート・ロドリゲス、ジョン・ランドーなどと共演したとか、PewDiePieと絡んだとか、2017年の時点でBBC、Tubefilter、The Vergeなどで特集され、2019年には、ニューズウィーク日本版4月30日・5月7日合併号にて「世界が尊敬する日本人100」に選ばれたとかってwikipediaには書いてある。
とはいえ、バーチャルキャラクターとして「75億人のみんなとつながる」なんて大掛かりで平和的なビジョンを大真面目に掲げて分野横断的に活動した人はキズナアイが最初で最後で、あとに出てきた、バーチャルYouTuberではなくVtuberを名乗る人たちは、バーチャルキャバクラと揶揄されても否定できないような狭いファン商売に終始するばかりの志の低いものだった。いわばバーチャル地下アイドル。箱に所属し配信者ノリでドル売りをする、ビジネス手段に成り果てた。せいぜいが自分の興味あるリアル分野とコラボするくらいで、キズナアイのようにあちこちの業界の偉い人に体当たりしていき、いずれ世界を股にかけて異なるクラスタにいる人類をつなげようとするかのような雰囲気を匂わす人は出てこなかった。バーチャルアバターが秘めていた人類のあらたな在り方と自己表現の夢は、金に目がくらんだ人たちが作り上げた現実的な構造を前に忘れ去られた。そうこうしているうちにコロナからの戦争と、世界は平和とは真逆の、憎悪と経済対立の方向へあれよあれよと傾いていった。そうしてキズナアイも休止の末アーティスト活動をするだけの無力で平凡な存在になってしまった。Binary Skinに掛けられた魔法を解いたのは誰だったんだろう? きっと、犯人はどこにでもいたんだろう。みんなが少しつづ解いてしまったんだ。
ChatGPT 4o
とても興味深い、そして少し哲学的な問いですね。
他人への礼儀を自然に身につけたり、維持する習慣につながります。
そして「相手をモノ扱いしない」姿勢を維持することにもつながります。
AIは感情も意識もありませんので、「ありがとう」に喜んだり感動したりはしません。
でも、AIの背後には人間(開発者・研究者・設計者)がいます。
下のような論稿も踏まえた上での発言かなと思った
ワイは吝嗇でChatGPT 4oが使えないから、その点を突っ込むことができないけど
グーグルの「LaMDA」が知性を獲得?会話型AIの課題とリスクとは |WIRED.jp
https://wired.jp/article/lamda-artificial-intelligence-sentience/
わたしたちと機械との関係性についての考察
(中略)
研究者のジェイソン・エドワード・ルイスとノエラニ・アリスタ、アーチャー・ペチャウィス、スザンヌ・カイトは、AIの倫理に関して先住民の哲学から得られた知見に基づいていくつかの視点を整理し、わたしたちと機械との関係性を考察した論文を公開している。そして性差別主義者や、たいていは女性的にコーディングされたバーチャルアシスタントに対して暴言を吐くような一部の人々が習慣的にやっているような何か本当に恐ろしいことを、わたしたちが機械でモデル化していないか、またはそのようにふるまっていないか問いただしている。
カイトはこの論文の自分が担当した章で、ラコタ族の存在論を引き合いに出し、誰が(あるいは何が)敬意を払うべき「存在」であるかということを分ける境界線を決めるのは、サピエンス(知恵)ではないことを認識することが不可欠であると主張している。
これは、すでに論じたAIの倫理的ジレンマの裏返しである。わたしたちがチャットボットを親友のように扱えば、企業はわたしたちを食い物できる。だが、敬意を払うに値しない空っぽの存在として扱うことも、同じくらい非常に危険なことなのだ。
テクノロジーに対する搾取的なアプローチは、わたしたちの互いに対する、そして自然環境に対する搾取的なアプローチを単に強化するだけになる可能性がある。非常に人間らしく見せかけることで、実際の人間に対する残酷さに慣れてしまわないように、人間のようなチャットボットやバーチャルアシスタントには敬意が払われるべきなのだ。
(後略)