
はてなキーワード:ハリウッド映画とは
愚かな人に支持されたら凋落が始まる。
左派に勢いがあった時代は、「愚かな日本人よりも賢い外国人」という空気が形成されていた時代だった。出来の悪い邦画と出来の良いハリウッド映画を比べて、海外製は良い!と感じるような感覚が人間に適用されていた。Googleヘッドクオーターから日本法人に来ている白人男性のようなもの、あとPewDiePieみたいな金持ちが外国・グローバリズムの象徴だった。だから、グローバリズムの好感度が高くて勢いがあった。
右派の勢いが強まったのは、円安により愚かな外国人が流入してきて、相対的に日本人がマシになったからである。というか質的にいうと日本はこれでも西欧より全然ましで、逃亡する技能実習生にしろ神社仏閣を破壊する外国人観光客にしろ数は少なく、大半は観光客として金を落としたり、奴隷的条件である技能実習生として働いて日本に貢献している。純日本人の生活保護受給者や年金生活者などより、外国人労働者に日本は助けられている。酷いのは観光客や労働者ではなく「難民」を受け入れた西欧である。
「難民兵器」という言葉がある。教育水準が低く職能がゼロのイスラム教徒の難民をベラルーシを経由させてポーランドに大量に送り込むという真似を、プーチンが意図的に行った。
それでも病気にはなる→無料の医療を利用し、予算や人的リソースを逼迫させる
暇なので犯罪に走る→教育を受けていないイスラム教徒はコーランを超解釈して女性蔑視的思考に基づき性犯罪を正当化するため、大量の女性が性犯罪被害に遭った
難民を受け入れた国は一切恩恵がなく、医療・福祉の予算を食われて治安が悪化しているだけなので、技能実習生依存の日本と比べても明らかに悲惨である。
愚かな人は厄災である。外国人だろうが古くからの住民であろうが関係なく厄災である。純日本人でも青葉真司や青葉真司の父親が厄災であるように。
しかし西欧については人道支援として難民を大量に受け入れたこと、日本については円安で観光客と技能実習生の質が落ちたことが、「外国人は厄災」というイメージにつながり、左派・グローバリズムの凋落に繋がった。
本質は、愚かな人は厄災であるということである。愚かな人はキングボンビーのようなもので、愚かな人がつくと穢れて、支持を失う。愚かな人に好まれたものはかならず落ちぶれていく。
フェミニズムも同じである。大卒・正社員フルタイム労働者の知的健常層の女性がフェミニズムを採用していた頃は主張がまともだった、だから当初は否定されていたところから、価値があるものとして影響力を拡大していったのだ。
そこに、健常者ではない女性が「得をしそうだから流行りに乗る」という形で参入した結果、主張が支離滅裂になっている。健常な女性がフェミニズム界隈から距離を置くレベルになってきている。
完全に的外してて草w
IMAXの画面専用に作られてないからIMAXを不当に占拠してるかのような枝葉のイチャモン&ケチつけてるだけw
画面比がどうのとか額縁がどうのとか技術論っぽいウンチクでコーティングしてるが自分が気に食わない内容の作品が映画館で人気なのがムカツイてるという自分の感情を押し通したいがためのエセ理論武装なのが見え見えw
最後に”「一番売れているもの」が、少なくとも「自分にとって一番いいもの」とは限らない” とか誰でも知ってる当たり前のことをあらたまって表明する時点で終わってんのよw
結局お気持ちで〆るなら途中で技術論とか臭えことやってんなよw
IMAXにあわせて画面作りした映画がIMAXにふさわしい映画だと錯覚してるかもしれんが単に画面に合わせて表面上の画作りしてるだけで映画の中身がしょうもなかったら意味ねーだろうがよw
直近でも宇多丸とかいう人のいうようなIMAXにバッチバチに合わせて作られた「画」の某アメコミ映画が肝心の中身がスッカスカでお得意のはずのVFXもダルい有様の駄作で失敗したばかりだろうがw
画面がデカくて音がいいだけで一段階上のクオリティになるんだからIMAX専用とか額縁がとかシケたウンチクのことなんか一切考慮しなくても「いい映画がよりいい画になる」だけで
逆を言えばつまんねー映画がIMAXにどんだけ合わせて作られても「つまんねー映画はつまんねー」だけだろうがよぉ!
んで答え合わせだがハリウッド映画が低調なこの時期に世界中のIMAX劇場の救世主になってんだわ鬼滅がw
韓国なんか動員数3位なのにIMAX、4DXの比率が高すぎて興収は1位だぞw
みんながIMAXで見たくてみんながIMAXで感動してみんながIMAXで何度も見てるわけw
これが「ふさわしい作品」でなくてなんなんだよ?
どう考えても100%関税が発動したらハリウッドというかアメリカの映画産業が終わることは分かってる思うが、自分なりに意見をまとめとく。
「海外に制作技術の流出ガー」と言ってる人も居るようだが、制作部分を海外に投げて、俳優とブランディングだけハリウッドでデコレーションして販売していく方式は、ある意味では商売的に最も美味しいところだけをアメリカがかっさらっていくやり方だったわけで、まさにドル高時代のアメリカらしい商売であった。それを破滅的に破壊すればハリウッド映画産業そのものが崩壊するだろう。一時的にハリウッドの地元の映画スタジオの仕事は増えるかもしれないが、映画産業全体が没落すればそれも終わりだ。
ストーリーやキャラにしか魅力を感じられないなら原作読んでりゃいいじゃん。
俺はぶっちゃけると原作だけだとそんなピンと来なかったけど、アニメは凄い楽しめた口だな。
かけてる人員の数の違いが生み出す物量の違いが、地学というコンセプトを扱うにあたって強く影響したというか。
原作も丁寧に書き込まれてはいるけど、圧倒されるほどじゃないんだよね。
アニメはあの書き込みでしっかり動くし音も拘ってるから本物の凄さがある。
地学の面白さって「地球という巨大なスケールの存在を相手どれること」だからさ、それを描くにおいては「かけた労力の物量」は直に効いてくると感じる。
とにかく作り手がこれでもかというカロリーを叩き込んでくることで生まれるパワーがあると思うんだよ。
ハリウッド映画がCGを使わず生の火薬をアホみたいに爆発させることで質量を持った映像表現を観客に叩きつけるような。
キャラは可愛らしくしつつもそれを包む世界は重厚に描くという方向性を決めて、それを実現させるに足るコストをかけて始めて生まれるのがこの作品だと思う。
アニメは漫画よりも工数がジャブジャブかかってしまうという欠点はあるけど、逆を言えば大量の手間を注ぎ込めるだけの器の大きさを持ってるんだよね。
いやほんまなんで皆キャラの胸の大きさばかり話すんだろうね。
巨乳であるというだけで自然に生まれてしまう不可抗力の下品さの表現でいいなら原作のパイスラの方がずっと生々しいんだからアニメでは背景や音響の方を褒めればいいのにと思ってしまう。
腐男子を代表する気はありませんが、1人の腐男子としての意見は言わせてもらっていいですか?
リアルの汚らしいオッサンやニヤついたオカマアイドルに自分の尻を掘られたい気持ちは一切ないです。
さて、そんな二次元バイセクシャルの拙者に言わますとでデュフフフ、ゾーニング的には五十歩百歩でどちらも極めて無法地帯ですな。
まず、インターネットはどちらも終わってますな。そもそもネットは古の時代が「ダイヤルQ2のエロサイトに接続したぞ。入会金10万円を3日以内に払わないとお前のIPを抜いたからばら撒くぞ」と脅してくる倫理のスラム街だった所から大きな進歩をしきれてないです。
リアルにおいても「ゾロとサンジがエッチしてる本をブックオフで見つけてしまいハマリました」というエピソードがそこかしこで語られる時点で「最低限のゾーニングもしていない」と言っていいでしょう。
ですが、これはなにもBLやロリコンエロに限った話ではなく、そもそもあらゆる性行為自体がまともにゾーニングされてないのですよね。
大衆向けハリウッド映画でいきなりブロンドの女がクネクネしだしたり、主演同士が裸でベッドに入ったり、アハンウフンで腰を振ったりと、これらが当たり前なのがそもそものエロです。
「ゾーニングなんてものをまともに機能させる気がないのが人類全体のエロ民度」というのが現状なんじゃないですか?
それを「いや、俺だけは違う」と言ってる奴らは全員イカれてますよ。
コミックLOが表紙を可愛くしたからって普通に本屋にあることがおかしいと思いませんか?
挿入をボカしていれば実質セックスしてるBLが未成年にも売れるってどうなんですか?
実際にマンコがチンコを咥えてなければセックスしてるも同然の見せない構図をお茶の間のドラマで流せてるのはなんなんですか?
そもそもが駄目なんです。
んでまあこっからが俺の本題なんですが、なんで「BLを楽しんでる=女性」って限定が起きてるんですか?
はいはい「今問題にしてる発端がBLを楽しんでる女のアカウントがした発言だからだよ低能wwwww」ですか、はいはい、そっからズレてきてるなら前提も同じようにズレてんだろうがつってることも分からねえのかって話だよクソボケ
あっ、言いたいこと1行で終わっちゃいました。
前置きが長すぎましたね。
突然だが、現代のポリティカル・コレクトネスには程度がある。以下、制作者への縛りが強い順に並べてみたい。
「マイノリティを主役にした作品をマジョリティ(=当該マイノリティではない人)が作ってはいけない」「役を演じてはいけない」「翻訳してもいけない」
→仮に「強いポリコレ」を適用するなら、女性が書いてるBLはすべてアウト(女性という時点で男性同性愛の当事者ではないことが明白であるため)。
この場合、「女がBLを書くなんてけしからん」がポリコレ的な正解となるだろう。
「クィアベイティング(登場人物を性的マイノリティであるかのように匂わせて視聴者・読者を「釣る」こと)は搾取であるからやめるべき」「当事者からの監修を受けなければならない」
→仮に「中程度のポリコレ」を適用するなら、「BL営業」はクィアベイティングそのもので一発アウトだし、仲の良い男の子たちが親密に絡むけど決して恋愛感情とは明言しないようなタイプの作品も糾弾される必要がある。『SHERLOCK』レベルで駄目だということらしいので、日本でBLウケを狙った作品はたいていアウトということになるだろう。また、BL作品を出版する際にはゲイ団体の監修を受けること、のような話にもなりえる。
「偏見やステレオタイプを助長する描写をしてはならない」「不正確な描写をしてはならない」「人格が尊重されていなければいけない」「差別を透明化してはいけない」
ということになってしまい、イケメンばかりが出てきて「受け」「攻め」が普通に流通していたりカップリングの左右が固定されていたり差別のない世界でハッピーに恋愛する「優しい世界」を描いたりするのはポリコレ的には完全にアウトという結論になる。
この場合、「受け」「攻め」を禁止ワードにし、カップリングへの執着を消し去り、現実的な容姿の男キャラや彼らが差別に苦しむ展開を描写してようやくポリコレのスタートラインに立ったことになるだろう。
繰り返しておくが、これは今いわれているポリコレの中でもっとも「程度が軽い」「弱い」ものである。さて、あなたは「弱いポリコレ」に耐えられるだろうか?
ここまでポリコレについて説明してきたが、増田個人としてポリコレに対して思うことは
というものである。人間の創作はもっと自由であるべきだ。アメリカの場合、主戦場が製作にむっちゃ金のかかるハリウッド映画とかになるので、ひとつひとつの映画にコレクトネスを求めたくなるのかもしれないが、日本文化を支える漫画やラノベは製作コストが低く、その気になれば誰でも作品を発表できるし、運が良ければヒット作家になれる。日本では超大作が生まれにくいが、しかし超大作ばかり作ろうとするためにひとつひとつの作品の配役やら何やらでギスギスしなきゃいけないアメリカよりも、よっぽど創作の多様性が確保されている。だからひとつひとつの作品に気を配らなくても、いろいろな属性を持った人が参入できて、それぞれの視点を反映させた作品を発表することができて、結果的に多様な創作が生まれる。そのようなエコシステムこそが、しょせんは舶来思想であって日本の風土に合っていないポリコレなんかよりも、我々にとって真に大切なものなのだと思う。
(だいたい、『アサクリ』問題でわかったけど、現代ポリコレが黒人優先主義と化してて我々アジア人が恩恵に与れないことがわかったわけだから、マジで支持する理由ないんだよな……)
っていうか「当事者性」と「クィアベイティング」が日本の創作と相性悪すぎる。男性百合作者も女性BL作家も大勢いるし、『響け!ユーフォニアム』とか久美子が麗奈とゆりゆりしてると見せかけて最終的に男とくっつくんだから定義上クィアベイティングでしかないし、そんな創作であふれる国にこんな批判理論適用しようとしたらポピュラーカルチャーが全滅する。こんな概念はそもそも日本への侵入を阻止しないといけない。
ただ、それでも私は俺はポリコレを支持するんだ、という主張はあってよい。思想信条の自由というやつだ。その思想信条にしたがうと現代日本のBLは大半がお亡くなりになるだろうが、日本の女性たちが母語で築き上げてきた豊かなジャンルであるBLよりも舶来のポリコレの方が大事だというんなら仕方ない。ポリコレを抱いて溺死してもらうほかない。これは二者択一にしかならない。上で挙げたような事例を帰納すれば、ポリコレとBLが水と油であることはたちどころに理解できるのだから、「ポリコレを支持しつつBLを嗜む」なんていうのは無理なのだ。どっちかを選ぶしかない。
男が男の尻穴にチンコ突っ込んでアオンアオン吠えたりビュルビュル腸内射精してる様子に文学的な意味があると言い張るのは無理があるよ。
BL作品のセックスに対して官能小説としての必然性は感じても、蛇にピアスの首絞めセックスみたいな物語における必要性のあるセックスを見出したことは一度もない。
インターネットに染まった腐女子はそこかしこに現れるエロ漫画広告のせいで「これぐらいは普通なんだな」と思ってるんだろうけど、紛れもなく異常だと思うよ。
それらはADSL時代のインターネットがバナー広告で「エッチな動画が見れるサイト無料!→クリックしたな金を払え」していた頃の民度を引き摺っているだけで、世の中がこれを正しい広告の姿と認めたわけじゃないと思う。
区画整備の行き届いてない繁華街で道を1つ間違えると、さっきまで外食チェーンが並んでいた通りが風俗街に一変するようなモノに近いっていうのかな。
日本社会のレベルがまだまだしょーもないからまともにゾーニングされてないだけで、幼稚園児の目にR-18が平気で飛び込んでくるような場所がまだ広がってるだけだよ。
ハリウッド映画が業界としての権力を傘にきて有名女優の濡れ場を「挿入してないからセーフ!セーフです!」と平気で銀幕に踊らせているのとかも本当は良くないと思う。
その現状に対して「じゃあBLもいいよね!俺達も低民度でいいよね!」ってする道は確かにあると思う。
だけどそれをやりながら「お前らの低民度マジ許せね~~~~」を口にするのは極めて卑劣だよ。
我田引水でさえなくただただ何も知らなくて頭が悪いだけにしか見えない。
そういう連中にBLを語ってほしくないんだけど、BLという分野が発展するための養分としてそのレベルの顧客でも利用したい気持ちはある。
だからゾーニングを推し進めて「BLはゾーニングしてますよ。え~~美少女エロコンテンツはまだDMMとFANZAの区別もロクにつけずにガキのスマホへ本番セックス広告送りつけてるんスカ~~~」みたいな感じで暮らしていくのが丸いと思うのよね。
どう思いますか?
成人男性同士が同性愛してる作品の何がそんなに許されないんでしょうか?
濡れ場がアウトならハリウッド映画の輸入も、古い邦画の販売も禁止したらいいんじゃないですか?
ハハハハ2020年代にもなってニュー・シネマ・パラダイスみたいな話になっちゃいましたね流石に議論のレベルが低すぎますよ。
私としては、「苺ましまろ」や「私に天使が舞い降りた!」のような幼女の日常を盗撮して性的に消費しようとするコンテンツがゾーニングされずに売ってることの方が遥かに有害だと思いますよ。
アレを見た子供が人間不信に陥ったらどうするべきなんでしょうね。
もちろん「変態に誘拐や盗撮されないように気をつけて」と教える必要はありますが、その先にある性的消費の実態についてまで彼女ちに知らせる必要はないでしょう。
女優さんの毛穴が見えるほどリアル感が出ると良くないそうなのでわざと中程度の画質のカメラで最高画質のカメラにはしてないらしい。
アラン・ドロンのブルーレイは毛穴が見えて肌もそれほどきれいではないらしい。昔は画質が悪いということで理想化されていた面がある。
だんだん生成画像で肌の質感を現実にはあり得ない感じのきれいな肌を映像内で作り上げることも可能になってきた。
海外もの動画サイトでは今は実用的に15分~20分程度の尺の動画でそれをあちこち見て回るスタイルになっている。
なんだか異様に肌質感がキレイすぎるので加工の肌に慣れると普通のAVよりいいとなってしまう。
今のパソコンのパワーの成約で2時間作品を加工で作るのは大変だという場合は、20分程度の作成動画で
ものすごいキレイな肌質感で作るということになると現実の女優さんを超えるようになる。
日本国内で撮影しているとどうも規制で屋外はダメみたいになっているけど、それはロケはロケで撮影しておいて生成動画を合成する。
ハリウッド映画でやっているようなタイムズスクエアに俳優を置かないでタイムズスクエアはそれはそれでロケ撮影しておいて似たようなライティングで合成してしまう。
JAWS(1975年公開)以前のサメに対する一般的な認識は、現代のイメージとはかなり異なっていました。以下に、当時のサメ観を簡潔にまとめます。
JAWS以前は、サメが人間にとって致命的な脅威というイメージはそれほど強くなかった。サメによる襲撃事件はまれで、広く報道されることも少なかったため、一般の人はサメを「遠い海の生き物」と捉え、日常生活での恐怖の対象ではなかった。特に日本では、サメは漁業や食文化(フカヒレやカマボコの原料など)の一部として認識されることが多く、恐ろしいモンスターというイメージは薄かった。
1970年代以前は、サメの生態に関する科学的研究が現在ほど進んでおらず、一般人の知識も限られていた。ホオジロザメ(GreatWhite Shark)のような大型種が人間を襲う可能性があることは、専門家の間でもあまり注目されていなかった。サメは「本能的な捕食者」ではなく、どちらかというと「海の雑食動物」や「漁師の邪魔者」として見られることが多かった。
サメは文学や映画でたまに登場したが、JAWSのようなセンセーショナルな描かれ方はまれだった。例えば、古典的な冒険小説や海洋文学(ハーマン・メルヴィルの『白鯨』など)では、クジラや他の海の生物が主役で、サメは脇役的な「危険な魚」程度の扱いだった。ハリウッド映画でも、サメが主役のホラーやスリラーはほぼ存在せず、JAWSがその先駆けとなった。
4. **地域による違い**
日本を含むアジア圏では、サメは食用や薬用(フカヒレや肝油)として利用されることが多く、どちらかというと「資源」としての側面が強かった。一方、欧米では、サメは漁師の網を破壊する厄介者や、まれに船員を襲う存在として語られることがあったが、日常的な恐怖の対象ではなかった。
5. **JAWSの影響**
スティーヴン・スピルバーグのJAWSは、サメ(特にホオジロザメ)を「冷酷な殺人マシーン」として描き、メディアの力でこのイメージを世界中に広めた。それ以前は、サメが映画のような「悪役」として大衆文化に根付くことはなかった。JAWSの公開後、サメへの恐怖心が急増し、ビーチでの遊泳を控える人々が増えたり、サメ狩りが流行ったりするなど、社会的な影響が顕著だった。
JAWS以前のサメ観は、現代の「恐怖の象徴」とは異なり、どちらかというと「海の生物の一種」として、特別な注目や恐怖の対象ではなかった。日本では特に実用的な資源としての認識が強く、欧米でもサメは神秘的というよりは漁業の障害や冒険譚の脇役程度の存在だった。JAWSが公開されて初めて、サメは大衆文化の中で「恐ろしい捕食者」として定着したと言える。
もし具体的な地域や文化(例えば日本の漁村や欧米の文献など)に絞って深掘りしたい場合や、関連する資料を調べたい場合は教えてください!
現在公開中の2作品、ざっくりいうと「ハリウッドで栄達しようとする女性タレントの困難と苦闘」」モノであるという共通点がある。
先に上映が始まった『サブスタンス』は
・主人公は過去の売れっ子スター(ハリウッド・ウォーク・オブ・フェームで顕彰されている) ・人気テレビ番組の主役を長く務めた ・年を取って容色の衰えでお払い箱に ・さあどうする
『マキシーン』は
・ポルノ女優として売れっ子 ・30歳超えてポルノでは先がないのもあってハリウッド映画でメジャーデビューを目指す
『サブスタンス』は謎の組織の開発した若返り物質(サブスタンス)を使って、別人である新人女性タレントに変わって、若さを謳歌しのし上がっていく。だがそれには代償が(ドラえもん)
『マキシーン』はシリアルキラーだの過去の因縁を知っていそうな私立探偵だのLAPD殺人課の刑事コンビに付きまとわれたりだのあり、なんとかオーディションに合格するものの撮影は順調にいくのか映画は完成するのか…
韓国における「日本」がどういう国なのかがよくわかる一作になってる。
とりあえず見るとしよう。
その中でさ、敵対国に乗り込んで銃を乱射したり爆破したり、敵対国の領事館内で戦闘したりする
明確な国際法違反じゃねーか!敵だったら何してもいいと思ってんじゃねーぞ!
ってシーンが結構出てくるのはわかるよな?
中韓の抗日映画の黒幕役ですっかり常連となった池内博之がアジア最強の悪役スパイを演じており、
主人公チームは日本領事館を地下から爆破(!?)し娘を救出する
いや、エンタメ映画だからってお前、日本領事館の床爆破するなや
立派な国際問題だぞ
アメリカと北朝鮮とか中東某国みたいな敵国じゃなくて一応は友好国だろ
でもこれがエンタメになるくらいには、今でも韓国での"日本"は
アメリカの北朝鮮とか中東某国みたいな存在だと思われているってことだよな
中国の抗日映画で池内博之が悪役になるパターンは大体は日清戦争中とか第一次、二次世界大戦前後とか
明確に日本と中国が敵対し戦争していた時の敵の大将という形がほとんどだったが
つまり彼らにとっては今も日本は敵国として描いても大丈夫な存在ということなんだろう
もちろん日本でも侵攻してきた中国マフィアや韓国マフィアと日本ヤクザが戦う映画とかがあって
今回も「日本のスパイ」VS「韓国のスパイ」の戦いだから同じと捉えることもできるが
だとしても領事館を爆破してもOK(しかも中国国内で)という線引きは俺にはかなりグレーに見える
俺も韓国映画はかなり見るけどここまで普通にやっちゃえ韓国の相手にされるとは思ってなくて
かなりショックだったね
最近、AIに夢野久作の「斬られたさに」の内容を要約させてみたんだよ。で、結果がこれ。
以下、AIの書いた要約ね。
夢野久作の「斬られたさに」は、1929年に発表された短編小説で、怪奇的かつ幻想的な作風が特徴です。
あらすじ:
物語は、佐賀県の架空の漁村を舞台に展開します。主人公の「私」は、村に住む奇妙な老人・三右衛門から、過去の不可思議な体験を聞きます。ある夜、三右衛門は海辺で美しい女幽霊に出会い、彼女に導かれて不思議な世界へと迷い込みます。女幽霊は、三右衛門に「斬られたい」という強い願望を語り、彼を誘惑します。この出会いは、村に伝わる伝説や怪談と結びつき、過去の悲劇や因縁が浮かび上がります。物語は、現実と幻想の境界が曖昧なまま、女幽霊の正体や「斬られたさに」の真意が明かされないまま終わり、読者に謎と不気味な余韻を残します。
テーマと特徴:
…いやいや、ちょっと待てよ!これ、めっちゃそれっぽく書いてるけど、完全にデタラメやん!まず、「斬られたさに」ってそんなストレートな怪談じゃないし、女幽霊が「斬られたい」とか直接的に言うシーンなんてないよ!三右衛門とかいう老人も出てこねえ!佐賀の漁村?いや、時代いつなんだよこれ?
なんかAI、夢野久作の雰囲気だけ借りて、勝手にB級ホラーっぽい話捏造してるじゃん!夢野久作作品に分かりやすい幽霊なんか出てこねぇよ!あの得体の知れない不気味さとか、頭ん中グチャグチャになる感じが夢野の真髄なのに、こんなハリウッド映画みたいな幽霊話にしちゃってさ!
しかもよ、「ドグラ・マグラ」とか関係ない作品引き合いに出して、さも分かってます風なのも腹立つわ(笑)。お前、青空文庫で「斬られたさに」公開されてるのに、学習データとして全く役立ててねえな!無料でテキスト丸々読めるのに、なんでこんなテキトーな要約しか吐けねえんだよ!ほんと、AIって文学のニュアンスとか全然分かってないのに、自信満々にそれらしい文章並べるんだな。なんか「不条理な恐怖」とか「欲望と破滅」とか、テンプレっぽい言葉で誤魔化してる感すごい。試しに他の作品も要約させてみたら、もっとヤバいことになりそう。みんな、AIに文学語らせるときは気をつけなよ。雰囲気だけは一丁前だけど、中身スカスカだからさ!
https://posfie.com/@OOEDO4/p/YBDER0d#c14792609
ここの論調だと悲しい悪役を殺すのは勧善懲悪ではない、とかスカッとジャパンは勧善懲悪じゃない、と言われている。
かんぜん-ちょうあく【勧善懲悪】
善良な人や善良な行いを奨励して、悪者や悪い行いを懲こらしめること。▽「善ぜんを勧すすめ悪あくを懲こらす」と訓読する。「懲悪勧善ちょうあくかんぜん」ともいう。
辞書の定義だと悪役が完全な悪でなければいけないというものではない。
善を勧め、悪を戒める倫理規範や、因果応報を説く思想はさまざまな社会集団や宗教でみられるが、本項では物語の類型としての「勧善懲悪」を中心に扱う。
勧善懲悪の文学様式は、時代劇や多くのハリウッド映画、スーパー戦隊シリーズなどのシナリオにおける典型的パターンである。これは善玉(正義若しくは善人)と、悪玉(悪役・悪党・搾取する権力者など)が分かれており、最後には悪玉が善玉に打ち倒され、滅ぼされたり悔恨したりするという形で終結する。一般にはハッピーエンドとされる形で物語は終幕を迎えるパターンである。悪としてよく扱われるのが、一般に強大な権力を保持し、正義を好まない人物や組織である。対象は作品によって異なるが、その時代や特定勢力を風刺していたり、または架空に作り上げたりと行った場合が多い。
Wikipediaでも同様。
ハリウッド映画と大河ドラマと国語の教科書とソシャゲぐらいでしか物語に触れたことがない感じなのかな?
不安になよね。
どんだけ舌が馬鹿になってるんだろうかって。
爆乳やら合法ロリやらの添加物を盛り盛りにしてれば中身空っぽでも楽しめちゃうような状態で、自分の人生とか感情とかちゃんと言語化して認識できてるのかな?
最近良くオタクが「語彙力崩壊」とか使うけど、アレってそもそもの語彙力が最初から崩壊してて普段から雑に「神」「最高」とか言ってるから、そこからちょっと上の表現さえ何も出てこないだけでは?
解像度下げすぎてると自分の今の気持ちさえちゃんと分からなくなって怒りっぽくなったりしない?
大丈夫?
というか、既にその状態だからオタクはちょっと自分に都合が悪いことが起きるとブチギレまくってそこら中を炎上させたがるのかな?
やばくない?
ちゃんと本読も?