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2025-10-13

飯野賢治」を理解するには当時のゲーム雑誌文化についても理解する必要がある

[B!人生]飯野賢治はいつ “クリエイター飯野賢治”を演じ始め、そして演じることをやめたのか?飯野賢治生誕55周年トークライブから見えたこと【飯野賢治とは何者だったのか】 | Game*Spark -国内海外ゲーム情報サイトhttps://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.gamespark.jp/article/2025/10/11/158293.html

kuruse_haya飯野賢治は当時のゲーム雑誌でのインタビュー記事が圧倒的に面白かったんだよね。ゲームは二流・三流なんだけど。だから飯野賢治を語るには彼のゲーム作品ではなく当時のゲーム雑誌から語る必要があると思う

トップブコメのこの意見、まじでそうなのよ。

飯野賢治理解するには当時のゲームメディアを知る必要がある。

90年代日本雑誌文化の最盛期(https://current.ndl.go.jp/ca1697 によれば1996年に1兆5,984億円。この年は『エネミー・ゼロ』の発売年だ)で、もちろんゲーム情報ゲーム雑誌から入手するのが主流だった。セガサターンに限っても、ソフトバンクの『セガサターンマガジン』、徳間書店の『サターンFAN』、毎日コミュニケーションズの『グレートサターンZ』、メディアワークスの『電撃セガEX』/『電撃セガサターン』、さらCD-ROM付きのアスキー『TECHサターン』があった。

飯野ゲームスタークリエイターであったが、まずなんといってもゲーム雑誌におけるスターであった。

 

SFC時代まではゲーム雑誌でおなじみの人気クリエイターといえば、堀井雄二糸井重里さくまあきら広井王子といったフリーランスの人が多く、ゲーム会社所属しながら彼らと同等レベルで扱われるのは、宮本茂坂口博信といった上澄みも上澄みの人間に限られていた。SFC時代までに岡田耕始と金一馬が『ファミ通』に揃って登場した回数は2度しかない(それも他の人間を加えた座談会形式のものであった)。メガドライブ以前のセガハード専門誌を読むと驚かされるのだが、中裕司鈴木裕クラスですら滅多に誌面には登場しない(PCエンジン専門誌だと割とハドソンの人が出てたりはするのだけれど)。

 

ゲーム雑誌においてゲームクリエイター露出が広まったのはPS1時代というのは間違いないだろう。

――他に音楽業界手法で言うと、クリエイタークレジットちゃんと出す流れも、丸山さんのときに生まれものですよね。

 

川上氏:

 当時は、みんなゲームクリエイター名前は隠していましたからね。

 

丸山氏:

 でもさ、レコード映画クレジットを作るのが当たり前だし、あれば頑張る気になるじゃない。それに名前を隠すのはそもそも自然だし、親しみも湧かないでしょ。だいたい、高橋名人【※】みたいにプレイヤースターがいて、クリエイタースターじゃないというのはヘンじゃない。だからメーカーはみんな嫌がったけど、「名前を出した方がプロモーションやすいよ」と説得したんだ。

 

高橋名人

1959年まれゲーム関係者本名高橋利幸ファミコン全盛期にハドソン(現・コナミデジタルエンタテインメント所属ファミコン名人として一世を風靡した。ゲーム機のコントローラボタンを1秒間に16回押す「16連射」が有名。

 

 実際、これは有効なんだよ。だって普通に紹介したら雑誌で2ページ程度しか取れない作品でも、クリエイターが登場して苦労話を喋って、カメラに向かってポーズでも取ってくれたら、もう5ページくらいに露出が増えるわけ。どんどん可能なことが増えていくんだよね。

 

――つまり音楽プロモーションの「人を立てていく」手法を持ち込んだということですか?

 

丸山氏:

 そうそう。で、クリエイターには「ミュージシャンは顔出してやってるから、どこ行ってもモテるんだぜ」と教えてまわった。

https://news.denfaminicogamer.jp/interview/ps_history/3#i-2

 

PS1では現在でいうところのインディーゲームのようにいろいろな変わったゲームが登場し、フロム・ソフトウェアをはじめとする聞いたこともない会社ゲームを出すようになり、そして専門誌ではページを埋めるために開発者インタビューを大々的に載せるようになった。そうやってソニー・マガジンズの『ハイパープレイステーション』に頻繁に取り上げられていたクリエイターの一人が(セガサターン移籍前の)飯野賢治だった。

 

飯野賢治のなにが良かったか。まず見た目がインパクトある。ほかのゲーム開発者いかにも会社組織所属するサラリーマンオタクのような風貌のなか、巨体かつ長髪で眼光が鋭い。そして話すことが面白い。しがらみなく同業他社ゲーム言及するし、『ファミ通』のクロスレビューのありかたも批判する。ゲーム雑誌なのにビョーク坂本龍一の話をずっとしてたりする。セガサターン移籍前なのになぜかセガサターン専門誌で連載記事を持ってたりする。FMラジオMCもやっていたし、大阪ではピエール瀧と一緒にゲームバラエティ番組もやっていた(これ結構面白かった記憶あるんだけどネット動画上がってるの観たことないな)。『ゲーム批評』にいたっては飯野賢治だけの別冊号を出した。あと飯野賢治奥さんゲーム雑誌に連載コラムを書いていた。

彼はトリックスターとして面白かったし、次々に新しいなにかを起こしてくれるという期待があった。勢いのある深夜ラジオパーソナリティや、現代ならばSNSインフルエンサーのような受容をされていたといえば伝わるだろうか。

 

飯野ゲーム雑誌への露出が極まっていたのが『リアルサウンド風のリグレット〜』のときだった。映像のない音声だけのゲームである同作では、画面写真が使えないものから、そのぶん誌面を文字で埋めるしかない。だから飯野インタビューに登場する。ほかのゲームがせいぜいゲーム紹介記事1P+開発者インタビュー1Pという構成であったりするところを、『リアルサウンド』は飯野インタビューが2Pまるまる載る。そしてそれが毎号続く。もはやハックと言っていいだろう。誌面埋めのために飯野インタビューを取る→宣伝になるから飯野インタビューに出る→読者ウケがいいからまたリアルサウンド記事が載る、というサイクル。『セガサターンマガジン』は一時期は刊行ペースが週刊になっていたものから、誌面を埋められる人材は重宝されまくった。

 

いま飯野賢治を振り返ろうとすると、どうしても成果物ゲーム)をとっかかりにしてしまうが、あの時代における飯野賢治の受容を理解するには、それよりも当時の『ファミ通』、『ハイパープレイステーション』、『セガサターンマガジン』、『ゲーム批評』を読むほうがいいんじゃないのという話。

 

----

 

参考までに1990年代ソフトバンクセガハード専門誌からスタッフインタビューリストアップしてみた。32ビット(64ビット級)時代になった途端に開発者が一気に表に出てくるようになったのがわかるだろう。

Beep!メガドライブ1993年12月

バーチャレーシング -永田浩一(セガ

ファンタシースター ~千年紀の終りに~ -小玉理恵子、津川一吉、西山彰則(セガ

矢野一隆(セガファルコム

重田守(セガ

 

セガサターンマガジン1996年12月27日号(エネミー・ゼロ表紙)

ファイターズメガミックス -片桐大智、片岡洋、光吉猛修セガ

エネミー・ゼロ - パーラム飯田和敏(※開発者ではない)

デイトナUSA CIRCUIT EDITION -瀬上純、澤田朋伯(セガ

サイバーボッツ - 醤野貴至、澤田悦己(カプコン

ときめきメモリアルSelection藤崎詩織 - 流石野考(コナミ

新世紀エヴァンゲリオン 2ndImpression -小林正英、茂木幸樹(セガ

意見無用 -池袋サラ、新宿ジャッキーブンブン丸、柏ジェフリー

天外魔境 第四の黙示録 -広井王子森本レオ桜井智

シャイニング・ザ・ホーリィアーク -高橋宏之ソニック

EVE burst error -藤田正人、野口征垣(シーズウェア)、鈴木達也イマジニア

佐々木建仁セガ)×後藤友恵、片平貴子レースクイーン

電脳戦機バーチャロン -亙重郎セガ

セガサターンワープロセット - 大鹿敏宏(光栄)、中村憲二(エルゴソフト

センチメンタルグラフィティ -為我井徹

サクラ大戦 -田中公平牧野幸文(セガ)、原太郎ティーズミュージック

セガスキースーパーG -菅原誠(セガ

ラストブロンクス -山下信行(セガ

電脳戦機バーチャロン -亙重郎セガ

Digital DanceMix Vol.1 -安室奈美恵鈴木裕セガ

スカッドレース -名越稔洋宮本英明西村英士(セガ

 

DreamcastMagazine1999年12月31日号(D2表紙)

小島弘和、荷宮尚樹(セガ

シェンムー 一章横須賀 -松風雅也安めぐみ、岡安啓司(セガ

電脳戦機バーチャロン オラトリオ・タングラム -小林健太郎セガ

クレイジータクシー -菅野顕二(セガ

スペースチャンネル5 -水口哲也セガ

セガソフト7研 -大場規勝、小玉理恵子、伊藤知行、瓜生貴士、大原徹、西山宗弘、松浦剛、西野陽

プロ野球チームで遊ぼう! -瀬川隆哉、地宏之加藤真樹、石原学(セガ

Dの食卓2 -飯野賢治ワープ

ROOMMANIA #203 -牧野幸文、佐々木朋子(セガ

東京バス案内 -泉麻人

ベルセルク千年王国の鷹篇喪失花の章 -平沢進

爆裂無敵バンガイオー - NON、MURATA(トレジャー

央華封神 央華咲きし刻 -金月真美田沼雄一郎

お・と・い・れ -中村立行(ワカ製作所)、光吉猛修(※開発者ではない)

Permalink |記事への反応(0) | 02:21

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2025-08-27

anond:20250827202657

まあ任天堂とかハドソンソフトとかセガとかスクエニとかHAL研とかの創業期の人達はきっとI/Oとかマイコンとか読んでたと思うので月に到達したといってよいのでは。

Permalink |記事への反応(0) | 20:34

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2025-07-06

anond:20250706054232

DD(コンピュータ)【でぃーでぃー】

Debian Developerの略

DD(コンピュータ)【どるびーでじたる】

Dolby Digitalの略。

ドルビー研究所(Dolby Laboratories)が開発したサラウンド記録方式DVD採用されている。

ドルビーデジタル

DD(コンピュータ)【でぃーでぃー】

WILLCOM SIM STYLE WS002IN "DD"

ウィルコムデータ通信用端末。USB直結スタイル

DD(ゲーム)【でぃーでぃー】

beatmaniaIIDX 13DistorteD略称

DD(サイエンス)【だいれくとどらいぶ】

LEDライトなどで回路を介さず直接電池LEDを点灯させる方式

洗濯機電気自動車などでモーターと駆動軸を直結する方式

DD(サイエンス)【でぃーでぃー】

differential diagnosis

鑑別診断

DD(スポーツ)【だぶるだぶる】

ダブルダブル

DD(ゲーム)【でぃーでぃー】

ハドソン発売のゲーム北へ。〜DiamondDust〜」の略。

参考:北へ。

DD(一般)【でぃーでぃー】

[英] Destroyer

どれやねん。

Permalink |記事への反応(3) | 23:44

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2025-06-03

anond:20250603103236

引きこもりニートはSwitch2に興味を持たなくなる

なぜなら任天堂ゲーは一般人向けの感性で作られているから、そもそもそこから出てくるタイトルに魅力を感じないのだ

引きこもりニートなら、20年前なら主に韓国MMORPGみたいなアニメ系の、やり込むなら廃人プレイ不可避なゲームにハマるのが定番だったし

10年前なら、ギルドバトルやランキングイベントのあるスマホソシャゲみたいなものにハマるのが一般的で、アイドル音ゲー系も多かった印象、人によってはニート特有の熱意でもってPCAndroidエミュを動かしたりブラゲーをマクロを動かしたりして多重アカウントを操って優位に動くこともしていただろうなネトゲではアンチチートが厳しくてせいぜいmodで脱がせるくらいの遊びをする程度でチート方面では中華BOTにかなわなくて興が削がれてスマホに逃げてきた人が多いだろうしな

そんで今ならまあ、ミホヨゲーで史上最高のゲーム体験謳歌している引きニート勢が多いだろう

でそういうありあまる時間を抱えた人たちがずっと消費してきたゲームってのは、せいぜい数十時間でやりきってしまコンシューマーゲーではなく、定期的にアップデート提供され環境も移り変わっていく、飽きることのないライブゲームが中心になるんだよ

そしてそういう運営方式ゲームに関して国内コンシューマーメーカーは本当に不得手で、ユーザーに愛される運営をできた会社が一つも見当たらない

そもそも国内ゲーム人材にとって運営ゲーム花形であるコンシューマーに携われない落ちこぼれのやることだったんじゃないだろうか、だからゲーマーを納得させる運営ができた試しがないし

まあ国産でもハドソンゴンゾMoEとかセガPSUPSO2あたりのそこそこ愛される運営をしてきたメーカーはあったけど国内オンゲの商業成功例が荒れる運営そしてギスギス荒れるゲーム内で有名なFF系くらいしかなかった

マイナーどころならECOとかFEZとかコンチェルトゲートとかブレイドクロニクルとか良作はあったがタイトルとしてIPとして大成できるものはなかった

いい?そういう世界を見てきたのが引きこもりニートなの

わかった?遊びじゃないわけ

Permalink |記事への反応(0) | 10:48

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2025-05-28

anond:20250528093008

ハドソンキャラバンに出場するような小学生ほとんどいなかった(特に地方では)

対戦ゲームもあるにはあったが、横にいる友達と遊ぶためのもので競い合うという意味合いはなかった

Permalink |記事への反応(0) | 18:24

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2025-02-19

anond:20250219181115

ひっそりと息を引き取ったハドソン

Permalink |記事への反応(0) | 18:11

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2025-02-15

ホームズハドソンさんとワトソン3Pみたいな同人誌19世紀のロンドンコミケでは頒布してたんだろうか?

ところでロンドンコミケってどこでやってたんだろう?

Permalink |記事への反応(2) | 13:02

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2024-12-28

anond:20241228224259

ハドソン夫人たそ~😍

Permalink |記事への反応(0) | 22:44

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2024-12-14

anond:20241214000026

ファミコンとかインベーダーゲームなんていまのとっつきやすグラフィックのものと違ってもり男子だけの世界だろ

女の感性じゃもう目に入っても何やってるんだろー素通りーでしょ

ハドソンキャラバンに集まる奴も男男男

俺らが統一教会信者奇行を見るぐらいの感覚だと思うぞ。見ても深入りしてみようなんて発想自体でてこんだろ

Permalink |記事への反応(0) | 00:03

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2024-11-15

anond:20241115124429

って言うけど、アニメオンラインゲームに関してはバンナム存在感を示していた時期ってなくない?

からラグナロクオンラインやら、メイプルストーリーテイルズウィーバーマビノギやら、アラド戦記エルソードパンヤなど、アニメ文化ゲームにしていたのは韓国オンラインゲームだった。

日本勢でアニメ風で出してたのは、マスターオブエピックエミル・クロニクル・オンラインファンタジーアースゼロファンタシースターユニバース/オンライン2、クロスゲート/コンチェルトゲート、あたりだった。

順に、ハドソンヘッドロックブロッコリーガンホー(韓)、スクエニ系、セガスクエニゲームポット(GMO系)と、非バンナムだ。

バンナムにとってはガンオンとかの経験はあったが、アニメオンラインゲームは初挑戦でコケたみたいなもんじゃいか

Permalink |記事への反応(0) | 19:29

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2024-10-29

バーチャルボーイ史上、もっと重要ゲーム19選

ゲームボーイ史上、もっと重要ゲーム10

https://anond.hatelabo.jp/20241026213447

ゲームボーイアドバンス史上、もっと重要ゲーム10

https://anond.hatelabo.jp/20241029214132

お次はバーチャルボーイの19選をやるぞ。


マリオズテニス任天堂

ギャラクティックピンボール英語版)(任天堂

③テレロボクサー任天堂

レッドアラーム英語版)(T&ESOFT

⑤とびだせ!ぱにボンハドソン

⑥T&Eヴァーチャルゴルフ英語版)(T&ESOFT

バーチャルプロ野球'95(コトブキシステム

バーティカルフォース英語版)(ハドソン

⑨V・テトリス英語版)(BPS

マリオクラッシュ任天堂

⑪スペーススカッシュ英語版)(ココナッツジャパンエンターテイメント

ジャックブラザース迷路でヒーホー!(アトラス

バーチャルフィッシング英語版)(パック・イン・ビデオ

インスマウスの館(英語版)(アイマックス

バーチャルボーイワリオランド アワゾンの秘宝(任天堂

スペースインベーダーバーチャルコレクション英語版)(タイトー

バーチャルLAB(英語版)(J・ウイング

バーチャルボウリング英語版)(アテナ

SDガンダムDIMENSION WAR英語版)(バンダイ


英語版が多いですね。

バーチャルボーイ向けで発売されたタイトルは、実はこの19本で全てです。

これらを全てプレイした上で、ここから10選なり5選なりを選べる方がいらっしゃいましたら、こちらはけちょんけちょんに貶していただいて大丈夫です。

なおVRは各社参入してますが全体的に市場を作れない徒花に終わりそうな気がしています

メタAppleに、大企業死屍累々

首筋にジャック作ってプラグイン最近脳波ヘッドギアから遠隔操作する方が主流か?)できるようになってはじめて勝負できるようになるのかなと思ってます

生きてる内には難しいかもですが。

Permalink |記事への反応(8) | 23:36

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2024-10-26

ゲームボーイ史上、もっと重要ゲーム10

漫画の話ばっかりだし、ゲームの方でも10シリーズをやろうや。

というわけで、ゲームボーイの10選だ。

テトリス任天堂1989年

ゲームボーイはパズルと相性が良かった。

テトリス自体、既に別メーカーからファミコンで発売済みであったが、いつでもどこでも手軽るに遊べるというアピールポイントは大きい。

通信ケーブルによる対戦のアレンジゲームボーイならでは。

魔界塔士Sa・Gaスクウェア1989年

前述のテトリスもそうだが、初期のゲームボーイはスキマ時間を埋めるお手軽なゲームが多かった。

また、画面も狭いためRPGを作るのは無理ではないか?と言われた風潮に果敢に挑戦した作品

画面の狭さは世界をいくつかに区切ることで1つ1つワールドマップ最初から狭くし、その説得力を持たせるために塔という世界したことや、独自の成長システムレベルアップに掛かる時間カットキャラクターの使いまわしやセリフを削ることで容量を確保するなど、工夫が見られる。

ケレン味溢れる世界観は今なお魅力的。

本作はスクウェア初のミリオンヒットであり、ゲームボーイでもRPGは作れることをアピールできたことにより、ポケモン制作にも影響を与えた。

星のカービィ任天堂1992年

カービィデビュー作。

ファンシー世界観に、吸って吐いて攻撃、いつでも空を飛べるという、誰でも気軽に遊べる難易度の低さがとくに低年齢ユーザーから支持された。

任天堂ゲームボーイの独自IPのヒットということもあり、ポケモンが出るまでは、ゲームボーイといえばカービィという時代もあった。

スーパーマリオランド3 ワリオランド任天堂1993年

ワリオによるシリーズ乗っ取り

ワリオマリオとは違い、動きは遅いがパワフルさを描かれることになった。

これはゲームボーイの小さい画面で描くには非常に都合の良い、逆転の発想でもある。というのも、動きの速いキャラを描く場合キャラが大きいと画面が狭すぎる問題があり、かと言ってキャラを小さくするのも……という状態であるため。

それであれば、キャラを大きくして動きを遅くすればいいんじゃね?というわけで。

そんなわけでゲームボーイにはワリオシリーズが展開されることになり、マリオ2Dアクションは発売されることはなくなった(スーパーマリオブラザーズ移植はあるが、画面が狭くて遊びづらい……)

マリオピクロス任天堂1995年

やはりゲームボーイとパズルゲームは相性が良かった。

お絵かきパズルピクロスと銘打ち、遺跡の石板を削って解読するという独自世界観も光る。

ポケモン以前のゲームボーイでは最後のヒット作であり、本作の成功により改良版であるゲームボーイポケットが作られることになった。

ポケットモンスター赤・緑任天堂1996年

説明不要レジェンド枠でも良いかもしれない。

ゲームボーイ市場を蘇らせたのみならず、当時の子供の関心を独占。収集・交換を打ち出す数多のフォロワーを出ることになり、ゲーム史そのものにおいても非常に重要作品

スーパービーダマンファイティングフェニックスハドソン1997年

タカラのホビー、ビーダマンゲーム

なんでこんなゲームが上げられてるんだと思うかもしれないが、このゲームGBKissという赤外線通信対応ソフト第1弾ということで選出した。

後期のゲームボーイのソフトは、カートリッジ側に何らかのギミックを仕込むことで新しい遊び提供することがあり、そうした拡張性の高さをアピールできたことや、そもそも赤外線通信自体ゲームボーイカラーに標準的に搭載されたシステムであることも考えると、このソフト重要ソフトであると考えてよいだろう。

ちなみにゲーム内容は、事実上スーパーファミコンの「ボンバーマンビーダマン」の移植作。といっても、ステージ構成が同じだけであるが。

ドラゴンクエストモンスターズ テリーのワンダーランドエニックス1998年

数あるポケモンフォロワーの1つであるが、元々のベースドラクエであるため、完成度も頭ひとつ抜けている。元々モンスターを仲間にするシステム本家ドラクエにあるため、ポケモン的な内容にしてもとくに違和感はなかった。

ステージの最深部では、モチーフになった作品音楽が流れ、イベント再現するというオッサンホイホイとしか思えないような要素も。

本作の成功により、独自シリーズ確立できたことや、ゲームボーイユーザードラクエアピールできたこともあって、積極的ゲームボーイ向けにドラクエが発売されていく事となった。

ちなみにゲームボーイカラー第1弾ソフトでもある。ハードメーカー任天堂より発売が早かった、割と前代未聞のソフトである

遊戯王デュエルモンスターズコナミ1998年

カードゲーム時代の始まり。ほぼ同時期に発売されたポケモンカードGBと迷ったが、こちらは遊戯王OCGの始まりでもあるので、こちらをチョイス。

雑すぎるルールは褒められたものではないが、美麗なカードグラフィックや、白黒画面と相性の良い、どことなく漂うダークな雰囲気が良い。

遊戯王自体の売上は4の250万本が最高であるが、あちらは3バージョンに分けられた上に遊戯王OCGのオマケで釣ってる内容でもあるため、バージョン違いも遊戯王OCGのオマケもない本作の160万本の売上は誇っても良いだろう。それだけ当時の遊戯王ブームは凄かったのだ。

夜光GBアテナ1999年

なにそれ?と思うかもしれないが、スーパーファミコンサウンドノベル夜光虫」の移植作。

そう、ゲームボーイカラーにスーパーファミコンゲーム移植してしまったのだ。それも、前述のビーダマンとは比較にならないレベルで。

ゲームボーイカラー末期に何本かあるスーパーファミコンの無茶移植であり、ゲームボーイカラーの底力を見せつけた。

同時にサウンドノベル携帯機の愛称の良さも示した作品

Permalink |記事への反応(14) | 21:34

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2024-09-24

anond:20240924123809

マイクに向かって「ハドソン」と叫ぶと戦闘機が飛んでくる

Permalink |記事への反応(0) | 14:22

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2024-09-23

anond:20240923185204

なぜ美少女ゲーム趣味なのに国産のスキマ時間ポチゲーをやらずに、中国推定累計開発費1000億円超えのPC/PSゲー(モバイル対応)をやるのかっtE?

それはゲーム自体の作りがよくてめちゃくちゃ楽しい自分史上最高のオンラインゲームからだよ

どういうゲームかは例えばこの配信者が新キャラの探索テクニックやチーム編成を試行錯誤してる様子みると分かる

https://www.youtube.com/watch?v=LeFvTI1lBO8

ファンコミュニティ公式が後援してて先日はHoYoFairという年一のグローバルな二次創作イベントで優秀作が一挙に公開された

https://www.youtube.com/@hoyofair/videos

最近オススメ日本人クリエーターの作ったコレだな

https://www.youtube.com/watch?v=rw0u9QK6cjg

もちろん公式がつくるムービーも常に想像を超える出来で更新頻度も高い

良いものありすぎて絞れないが和を感じせるものだとこれ

https://www.youtube.com/watch?v=1_wHgvZyZdk

悪役が一挙に登場する葬儀ムービーもすごい

https://www.youtube.com/watch?v=34jc0Y4bzT0

そして音楽が本気すぎる

水の国https://www.youtube.com/watch?v=kRd1cW0_VMA

炎の国https://www.youtube.com/watch?v=VN9ucWhXEm4

国に対する偏見がある人は中国発の良いモノを直視することができないのだとしたらあまりにも不憫

まあ正直布教する気では書いてない

知識ない状態でみて本当に凄さがすぐ分かることなんてないしね何でも

オーケストラに関してはゲーム理解ない音楽系の人でも凄みは分かると思うけど

既存プレイヤーの人は上に挙げたテイワット運動会3と、運命の糸って二次動画みてくれ

プレイアブルキャラではない登場人物をそこに生きていた人としてしっかり記憶に残る形で描けるゲームは間違いなく良作だ

国産スマホゲーばかりやってきた人たちはガチャで強キャラを引くことだけ考えてNPCの掘り下げを嫌がりなんならシナリオスキップしてまで石をかき集めようとする

まあシナリオスキップリセマラも出来ない仕組みになってるんだけど

そういう狭窄な楽しみ方しかできなくなっていく国産スマホゲーは文化的じゃないし戻る気ないよ

2年以上続けた国産ゲーだとスクフェスグラブルデレマスSB69色々やってきたけどもう「なんたらフェス」とか言って確率上昇によってガチャ煽るゲームはやる気しない

2020年以後はDMMゲーの方を多くやってきたが、それを含めても国産スマホ/ブラウザゲーで一番感動させられたのは「ららマジ」「あいミス」の2トップだったが、運営能力という点で国産は軒並みダメ

00年代10年代に無数に触れてきた韓国ネトゲの数々と同等以下の運営センスしかない

ブルプロがああなったのも残当しか言えないね

韓国にはROGravityマビノギdevCATエルソードのKOG、AIONのNCsoftのようにセンスのある開発運営があったけど

今日本で一番「デキる」のはCygames、あとシナリオ面ではWFSだが、俺はどこもゲームセンスがいいとは思わない

まだ00年代国産ネトゲがちょろっとあった時代の、MoEを作ったハドソンとかのほうがオンラインゲーム的にはセンスがあると思う

Permalink |記事への反応(1) | 21:29

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2024-05-22

anond:20240522100800

まぁあれはハドソン販促だったわけですけど

e-sportsスポンサー企業販促イベントだよって言われればその通り

Permalink |記事への反応(0) | 10:48

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2024-04-30

anond:20240430160018

時間かかるRPGではなく短時間で遊べるシューティングゲームが主だったPCエンジンハドソン社員によるポジショントーク

Permalink |記事への反応(0) | 16:29

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2024-04-22

ナムコ経営ホテル?でゲーム実技試験をやらされている夢を見た

勝ち抜け制らしく他の参加者が先に抜けていく中、朝7時になっても目標スコアに到達できなかったので不合格確定となった

肌のテクスチャが石っぽいゴーレムみたいなホテルマンに朝食会場を案内されたあと解散となったが

初めて来る会場だったので帰りのバスがわからず、ハドソンからだったら路線覚えてるんだけどなあ、と困っていた

おわり

Permalink |記事への反応(0) | 07:11

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2024-04-01

anond:20240401223242

買わなきゃハドソン

Permalink |記事への反応(1) | 22:34

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2024-03-11

anond:20240311220031

お前に最近流行っているゲームを教えてやる

クロノ・トリガー:スクウェア

ドラゴンクエストV 天空の花嫁:エニックス

MOTHER2 ギーグの逆襲:任天堂

大貝獣物語Ⅱ:ハドソン

サンサーラ・ナーガ2:ビクターエンターテイメント

メタルマックス2:データイースト

エストポリス伝記Ⅱ:タイトー

ごきんじょ冒険隊:パイオニアLCD

魔導物語 はなまる大幼稚園児:コンパイル

テイルズ オブ ファンタジア:ナムコ

Permalink |記事への反応(1) | 22:16

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2024-01-02

anond:20240102201719

ハドソン奇跡やな

Permalink |記事への反応(0) | 20:20

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2023-10-19

anond:20231017193743

うん、大好きSA

ハドソン時代のやつ持ってた

でも何か関係が?

Permalink |記事への反応(0) | 05:38

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2023-09-09

ハドソンPBeM蓬莱学園参加者っている?

1999年ぐらいかな。ハドソンがやってたメールMLベースのヤツ。

 

自分1980年代まれなんで90年の蓬莱存在すら知らず、

中高生小説版から入ったから、PBeMでも参加できたのはうれしかったなぁ。

正史じゃない扱いされている感はあるけど。

 

ネットPCゲーム進歩とともにこの分野が廃れてしまったのは残念。

Permalink |記事への反応(0) | 14:52

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2023-07-02

踊る平家は久しからず 見る源家もすぐ北条にとって変わられる どっちもアホや

同じアホなら踊らにゃハドソン

Permalink |記事への反応(0) | 18:03

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2023-04-29

ホームズハドソンさーん!!」

ホームズフェラチオ!!」

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2023-03-19

ゲーム歴史GPT

ここ40年位の日本ゲーム歴史ハードの性能などを交えて取り敢えずプレステ辺りまでを解説して下さい

ここ40年間の日本ゲーム歴史は、多くの革新と発展がありました。以下は、主要なゲームハードウェアとその性能に関する概要です。

ファミリーコンピュータ (Famicom) /Nintendo Entertainment System (NES) -1983年発売

任天堂が開発したファミコンは、8ビットプロセッサ(1.79MHz)を搭載し、最大52色のグラフィック表示が可能でした。これにより、スーパーマリオブラザーズゼルダの伝説などの名作ゲームが生まれました。

セガ・マークIII /Sega Master System -1985年発売

セガが開発した8ビットの家庭用ゲーム機で、プロセッサは3.58MHzでした。最大64色のグラフィック表示が可能で、アレックスキッドファンタジーゾーンなどのゲームが人気を博しました。

PCエンジン / TurboGrafx-16 -1987年発売

NECハドソン共同開発したPCエンジンは、8ビットCPU(7.16MHz)と16ビットGPUを搭載し、最大482色の表示が可能でした。このハードは、R-TYPE悪魔城ドラキュラなどのゲームで知られています

スーパーファミコン (Super Famicom) /Super Nintendo Entertainment System (SNES) -1990年発売

任天堂が開発した16ビットゲーム機で、3.58MHzのCPUと最大32768色のグラフィック表示が可能でした。スーパーマリオワールドゼルダの伝説 神々のトライフォースなどの名作が多数リリースされました。

セガメガドライブ /SegaGenesis -1988年発売

セガが開発した16ビットゲーム機で、7.67MHzのCPUと最大512色のグラフィック表示が可能でした。ソニック・ザ・ヘッジホッグストリートファイターIIなどのゲームが人気を博しました。

セガサターン -1994年発売

セガが開発した32ビットゲーム機で、2つの28.63MHzのCPUを搭載していました。最大対応色数は1677万色で、バーチャファイターパンツ

途切れてしまったのでセガサターンから続きをお願いしま

すみませんセガサターンから続きを説明します。

セガサターン -1994年発売

セガが開発した32ビットゲーム機で、2つの28.63MHzのCPUを搭載していました。最大対応色数は1677万色で、バーチャファイターパンツァードラグーンなどのゲームが特徴的でした。また、CD-ROM採用し、高品質サウンドムービー再生可能でした。

プレイステーション -1994年発売

ソニーが開発した32ビットゲーム機で、33.87MHzのCPUを搭載し、最大対応色数は1677万色でした。CD-ROM使用し、ファイナルファンタジーシリーズメタルギアソリッドなどのヒット作が登場しました。3Dポリゴン技術進化により、リアルグラフィック表現可能となりました。

ニンテンドウ64 -1996年発売

任天堂が開発した64ビットゲーム機で、93.75MHzのCPUを搭載していました。最大対応色数は1677万色で、スーパーマリオ64ゼルダの伝説 時のオカリナなどの革新的なゲームリリースされました。カートリッジ採用していたため、読み込み速度は速かったものの、データ容量が限られていました。

以上が、おおよそ40年前からプレイステーションまでの日本ゲーム歴史ハードウェア性能の概要です。この期間には、技術革新ゲームデザインの進化が急速に進み、多くの名作ゲームが生み出されました。

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