
はてなキーワード:ネタ探しとは
他人の身体を傷つけたら問題になるんだから、自分の身体を傷つけても問題になるのは当然のこと。
かさぶたを剝がしたり蚊に刺された場所を掻いたりすることに、表現の自由としての価値なんてないだろ。
それなのに、この法案が通ったら終わりだとか、戦前回帰だとか、毎回同じテンションで危機感を煽る人たちがいる。
でも、今までもそうやって大騒ぎしてきた法案、いくつ通った?
通ったあと、普通にみんな生きてるだろ。
結局、騒ぎたいだけで、法案の中身なんてどうでもいいんだよ。
毎回この世の終わりみたいなことを言って、通ったら知らん顔して別のネタ探してさ。
カルト批判してるくせに、自分たちが同じ構造になってるの気づいてないんだよ。
身体損壊罪に限らず、こういう常識的な話にまで過剰反応してる時点で、
それなのに、この法案が通ったら終わりだとか、戦前回帰だとか、毎回同じテンションで危機感を煽る人たちがいる。
でも、今までもそうやって大騒ぎしてきた法案、いくつ通った?
通ったあと、普通にみんな生きてるだろ。
結局、騒ぎたいだけで、法案の中身なんてどうでもいいんだよ。
毎回この世の終わりみたいなことを言って、通ったら知らん顔して別のネタ探してさ。
カルト批判してるくせに、自分たちが同じ構造になってるの気づいてないんだよ。
誤った類推/偽の同一視(false equivalence)
他国旗は外交上の無礼や国際関係、自国旗は国内の表現規制の話で根拠が違います。単純に同じとは言えません。
反対派を「いつも煽る人」と一括りにして、条文の範囲や罰の相当性、萎縮効果など中身の論点から外れています。
早計な一般化
「今まで大丈夫そうだった」→「今回も問題なし」とは限りません。法ごとに内容も影響も違い、見えにくい不利益もあります。
通ったあと、普通にみんな生きてるだろ。
破局が見えない=害がない、とは言えません。見えない抑圧や長期的影響を因果否定の根拠にしています。
結局、騒ぎたいだけで、法案の中身なんてどうでもいいんだよ。
相手に「危険の証明」を求めつつ、自分の「刑罰化が必要・適切な理由」の提示を省いています。
毎回この世の終わりみたいなことを言って、通ったら知らん顔して別のネタ探してさ。
逆滑り坂の一蹴(slippery slope の過小評価)
「破局が起きていない」ことを理由に、段階的な強化や萎縮の蓄積をまとめて否定しています。
人身攻撃・動機論証(ad hominem / motive fallacy)
「カルト」などのレッテルで相手の人格や動機を攻撃し、主張の内容から目をそらしています。
ただ単に多くの人の気持ちを踏みにじるだけだ。
「多くが不快に感じる」(事実)から、すぐ「刑罰で禁止すべき」(規範)に飛んでいます。保護法益や代替手段、罰の重さの検討が必要です。
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不快感やレッテルを根拠に「処罰は当然」と急ぎすぎ。法としては「何を守るために・どの範囲を・どの程度の罰で・他の手段では足りないのか」を具体的に示す必要があります。
他国の国旗を傷つけたら問題になるんだから、自国の国旗を傷つけても問題になるのは当然のこと。
国旗を燃やしたり破いたりすることに、言論としての価値なんてないだろ。
ただ単に多くの人の気持ちを踏みにじるだけだ。
それなのに、この法案が通ったら終わりだとか、戦前回帰だとか、毎回同じテンションで危機感を煽る人たちがいる。
でも、今までもそうやって大騒ぎしてきた法案、いくつ通った?
通ったあと、普通にみんな生きてるだろ。
結局、騒ぎたいだけで、法案の中身なんてどうでもいいんだよ。
毎回この世の終わりみたいなことを言って、通ったら知らん顔して別のネタ探してさ。
カルト批判してるくせに、自分たちが同じ構造になってるの気づいてないんだよ。
国旗損壊罪に限らず、こういう常識的な話にまで過剰反応してる時点で、
もはや思想じゃなくて「アイデンティティビジネス」なんだと思うわ。
Permalink |記事への反応(41) | 17:54
あじな優先生の「君が監督!」という野球漫画が個人的にぶっささり、野球好きにもそうでない人にも勧めたくなったので増田に投稿する
ヤンマガWeb(23日まで全話無料で読めます。22日時点で6話途中まで掲載)
https://yanmaga.jp/comics/%E5%90%9B%E3%81%8C%E7%9B%A3%E7%9D%A3%EF%BC%81
マガポケでも少し遅れて掲載スタートした。こっちはコメントつけられる
https://pocket.shonenmagazine.com/title/02971/episode/423712
長期にわたって低迷するプロ野球チームの新監督に「くじ引き」で選ばれた17歳の女子高生が、チーム、ひいては野球界に旋風を巻き起こしていく(であろう)話
①第1話の完成度がとにかく高い。読者をつかむために必要なことを過不足なくやってのけていて、シンプルに「漫画がうまい」と思えるものになっている
②1話以降も勢いが衰えない。先が気になる展開が続くし、野球を知らないことが障害にならないように話が構成されている点も良い
③主人公を始め主要キャラクターが魅力的。主人公はただの能天気な野球マニアに留まらない底知れなさがあって惹かれるし、選手たちはある種ベタ感はありつつもそれぞれ異なる共感要素を持っているので応援したくなる
④わかる人にはわかる実際の野球ネタがひっそり、たまに大胆に散りばめられており、マニア的なネタ探しも楽しめる。最近はてなでも話題になった某ネタも登場するので、進研ゼミ的体験を得られるかもしれない
・作者は広島カープのファン。サターンズのホーム球場や2軍球場、サターンズ一筋・阿須間選手の広島弁などなど、カープに関してはより愛がそそがれている
・しかし最初に実球団でキャンペーンを行ったのは楽天ゴールデンイーグルス。なにこの寝取られ展開(なお、電子版が楽天Koboで先行配信されたことによるもの)
・作者と編集者は中学高校の同級生らしい。中国新聞でも取り上げられた
広島学院中高OBが野球漫画連載 漫画家と編集者の同級生コンビ 地元愛にじむ
・1巻の帯コメントが落合博満(モーニングでやってる異世界転生漫画の縁だろう)
プログラマーって聞くと今の若い人は稼げる業種って思うかもしれない。でも昔は、そのイメージとはまるで真逆だったんだよ。
90年代初頭、日本はバブルの余韻が残ってたけど、IT業界なんてまだオタクの延長みたいに見られていた。NECのPC-9801シリーズがオフィスの定番で、OSはMS-DOS 3.3とか、その後にWindows 3.1が出ておお、マウスで操作できる!なんて騒がれていた時代だ。
もちろんインターネットなんて一般にはまだ普及してなかった。せいぜいパソコン通信。ニフティサーブ、PC-VAN、アスキーネット。回線速度は2400bps。ピーヒョロロっていうモデム音が夜中の住宅街に響いていた。
俺らはそういう環境でC言語やアセンブラを叩いてたんだ。コンパイルに時間がかかるから、トイレに行って戻ってきてもまだ終わってなかったりした。
今みたいにGitHubでコードを共有なんて夢のまた夢。ソースのやり取りはフロッピーディスクで手渡しだ。5インチのぺらぺらのやつな。運が悪いと磁気にやられて一発で飛ぶ。だから俺たちはよくフロッピー神社に参拝とか冗談言ってた。
正社員で手取り20万ちょっと。下請けやフリーランスだともっと安い。今でいうSESの走りみたいな人売りも普通にあった。客先常駐でCOBOLやらされてバグが出れば徹夜。オフィスに寝袋持ち込んで、カップヌードルと缶コーヒーの山を築く。徹夜明けに食う吉野家の牛丼が唯一のご褒美。今みたいにエンジニアは市場価値が高いなんて考え方はなかったからな。ただの駒だよ。
仕事は増えるのに単価は下がる。Windows 95の発売で世の中はインターネット元年なんて浮かれてたけど俺たちプログラマーの現実は泥臭いコード修正の山。Visual Basic 6.0やDelphiが出て「これで開発効率が上がるぞ」なんて言ってたが、結局は納期に追われるだけ。SunのJavaが登場したときも「Write once,run anywhere」なんて夢を見せてくれたけど、実際には動かないアプレットと格闘する日々。
Linuxが台頭してきたのもこの頃だ。
SlackwareやRed HatLinux 5.2をCD-ROM雑誌付録で手に入れて、夜な夜なインストールに挑戦。LILOがうまく動かなくて起動しない、ネットワークカードを認識しない、X Windowが真っ黒。そんな壁に何度もぶつかっては2ちゃんねる(当時はまだ草の根BBSが多かったが)やUNIX USER誌を読み漁って解決する。それが楽しくて仕方なかった。でも金にはならなかった。オープンソースに貢献しても無償の善意で済まされるだけ。Red HatやMySQL ABが上場するまでは、ただのボランティア活動と見なされてた。
今思うと、あの頃は純粋だった。
技術そのものが楽しくて、ASCIIやOh!Xを小脇に抱えて徹夜でコードを書いた。秋葉原でジャンクパーツを漁って自作PCを組み立ててベンチマークの数字で一喜一憂した。
飯代を削ってもSCSIのハードディスクに投資したし、月刊アスキーの付録CD-ROMに入ってたシェアウェアを片っ端から試した。儲けようなんて意識はなかった。ただ、面白いものを作りたかった。
それが今じゃITは完全に拝金主義。コードの美しさより投資家の顔色を見てる。エンジニアもどこが年収高いかばかりで、言語やフレームワークを選ぶ基準が金になっちまった。Pythonが流行るのもAIブームに便乗してのことだし、ブロックチェーンやNFTなんかバブルがはじける前提のネタ探しにしか見えなかった。
もちろん、技術が商業化されて豊かになった面もある。AWSやGCPのおかげで誰でも世界規模のサービスを立ち上げられるようになったし、GitHubやDockerで開発環境も夢みたいに便利になった。だがその一方で楽しいからやるという純粋さはどこへ行ったんだろう。GitHubの草がどれだけ生えてるかが採用基準になる時代。Qiitaに記事を投稿するのも、技術共有じゃなくて転職市場でのポイント稼ぎ。
あの頃には確かに、金ではなく面白さに突き動かされる熱があった。それが今は金の匂いに上書きされてしまったように感じる。
でも稼げなくても、やる価値があった。
今の若いエンジニアたちにその気持ちがどれだけ伝わるかは分からない。
当時「Hello, world.」と表示されるだけのプログラムに、30年前の俺は心を震わせていた。
アニメでも、ゲームでも一度叩き始めるとずーっとそれを続ける。
他人にどう評価されて居ようが、本人の中では人気が右肩下がり。
2ちゃんねるも今もこんなんだっけ?
叩くことに関しては飽きがこないのかね。
やっぱ境界知能で同じ文章何度も書くことしか出来ない人間たちって、こういうことしか楽しみがないんだろうな。
知能が低いから、別な楽しみ方に変えるとかできない。
新しい事に関して何も出来ない。新しいアニメも探せない。ゲームに適応も出来ない。
ゲームは出来ても相手の気持ちを察する知能がないから、オンラインゲームでは問題ばかり起こしてて、それが嫌でフレンド申請に一律に拒否反応を示す。
アニメもガンダムだと皆が叩いてるからという理由だけで叩ける。そもそもガンダムが何か知らないし、見てもないが叩くことが楽しいから辞めない。
昔はここまで異常でもなかった気がするんだが、いつからこうなったんだろうな?どこからか爪弾きにされた匿名掲示板ユーザーが居着いたのか?
自分が気付いてなかっただけでそうなのかも知れないが。
それでも、昔は個人的な感情で叩いて、個人が暴れるぐらいの荒れ方だったが今は明らかに集団でイナゴみたいに荒れネタ探して移動してる気がする。
最近は、ネット活動者問わず過去掘り返されて炎上するの見てると昔の「祭り」を思い出す。
当時の「2ちゃん」があって「祭り」というコンテンツがエンタメとして浸透していた雰囲気に似ている。
”有能”ねらーが芸能人や有名人の過去や燃えそうなネタを見つけて、インターネットで拡散してその人のブログや事務所、スポンサーにネタを流す。
そして、大勢の人たちがその人のブログなどに荒らしコメントを大量につけて嫌がらせをする…みたいな暇つぶしとエンタメ。
たぶん、ネタを探す人も荒らす人も「嫌がらせ」とは思っていなくて「報い」だとか「遊び」だとかでやっていそう…と思う。
だから、引退や精神的にまいっても「こんなことでwwwww」「ねらー大勝利!」とみんなわらっていた。
当時の自分自身も荒らしやネタ探しはしたこと無いもののスレを覗いて笑ったり、まとめサイトで笑っていたのだから若かったとはいえ同罪だろう。
当時は「なんでそこまでして、ネタ探すんだろう」とは思っていたが、ひょんなことで少し気持ちがわかる?ようになったことがあった。
「祭り」という遊びが飽きられ始めた頃、自身の仕事内容が変わり内容の一部に「インターネットで調べ物をする」が多く関わるようになった。
語りたいこととかけ離れてしまうので省略するが、論文からTwitterなど幅広く調べる事になったのだがこれが楽しかった。(マスコミ系ではない)
なかなか情報が得られないことでも少し工夫して検索単語を変えたり、論文元の教授や筆者のTwitterを見つけて解決することもあった。
それが気持ちよかったのだ。見つけた時に快楽があったように思う。
少し難しそうな検索内容なほどやる気が出ていた。
ハッカーでもないのにパソコンカタカタして「ビンゴ!」できたような達成感と万能感。
数年後、その職種から離れるのですがある時『意外とあの検索力ってすごかったのでは?試したい…』と思うことがありました。
たしか、Twitterで「私はどんな鍵垢の人でも通させて仲良くなれます、そこから情報を得るのが快感」みたいなひとのインタビューを見たときでした。
そのインタビューで記憶に残っているのは、鍵垢を通す技術等ではなく、「自分はすごい技術を持っているんだ!」と、言いたくなってしまう事だと感じたことでした。
そのインタビューを見てから「もしかして自分もすごいのでは…」と気になり、どこまでできるか腕試しをしようと考えました。
Twitter初期から動かしていた友人に協力してもらい、その友人の個人情報がどこまで探れるのか試してしまいました。
結果を言うとかなりのところまで探れてしまいお互い焦りました。
問題は結果内容ではなく、その後の自分が「こんな腕を持ってるんだぞ!」と言いたくなることでした。
その友人の個人情報は言っていませんが「ネットで調べたら色々残るからまずいよ^^」みたいな気持ちの悪い匂わせとアピールは色んな人にしていたように思います。
今思うと本当に気持ち悪いのですが…。「ここまで調べられちゃうぞ、僕は」みたいなことを細かく言っていたら確実にもっと明確に周りに嫌われていたでしょう。
仮定の話ですがそういうアピールで嫌われる、という事がもしあったら…「嫌われる」という事が自分の中でステータスとなり良くない方向へ昇華していったかもしれません。
あの「2ちゃん」の世界では、すごい情報を見つけ出す人や凸をする人たちのことを「英雄視」する風潮がありました。
やはり「褒められる場」と「誇示できる場」というのは人を変えてしまうんでしょうか。
そういう人がいると「俺も」 「私も」と、やってみたくなるのでしょう。もっと難しいことに挑戦したいと思うのでしょう。
そういう新しい「有能な」人達が増えてくると盛り上がるのでしょう。
少しネタがなくなれば「あたらしくもっと刺激的な情報はないか」 「新しい英雄は出ないか」そういう流れになります。
盛り上がれば盛り上がるほどスレの勢いは増し、まとめサイトでもアクセス数が稼げそうなものはいくつもまとめられていました。(ここで言うスレの勢いはage進行でずっと上の方にいたり、パートが何個も作られ色んな人の目に触れられる機会が多いことを指します)
いわゆる「無敵な人」も英雄や有能と呼ばれるのです。無謀な凸や殺害予告がその最たるものかもしれません。
悪質なデマなんかも流行りました。閉鎖的な「2ちゃん」においてデマを信じる人も多かった。「コピペだぞ、半年ROMってろks」なんて言ってくれる人はまだ優しかったのかもしれません。
「うそはうそであると見抜ける人でないと(掲示板を使うのは)難しい」という言葉もあるくらいですからね。今だと少し違った意味に聞こえるような気がします。
そんな集まりの人達が「無視すれば良い」って言っていたのだからすごい時代ですよね。
人を傷つけたいって悪意とそれを達成できた時の悦びはすごいんでしょうね、一回ハマったらやめられないのでしょう。
一部の人しか快感に思えないとは思うけど、そういう人が一定層居るとは思っています。
きっと加勢するだけで楽しいのでしょう、荒らしの方とかは特に。きっと影響を受けやすいのは子どもだとは思いますが。
粗探しなんかよりもお手軽ですしね。
ただ、言うて有能なんかじゃないと思うんですよね。…たぶん。
調べ物(インターネット粗探し)なんてコツを掴めば…時間をかければ結構誰にでもできるんですよ。
みんなやらないだけ、そんな時間無駄だから、普通は虚しくなるから。
「自分は普通じゃないからw」なんてステータスに思わないほうが良いよ。役に立たないステータスを持っているwってステータスで気持ちよくならないほうが良い。本当にしょうもないから。でも、それにしかすがれないときはある…なんもないから。それだったら一時の快楽を選ぶ?
でも、本当になんもなくなるよ。破滅願望は苦しいぞ。
自分が覗かなくなっただけで今もそういうエンタメが盛んだったりするのでしょうか。
昔よりリポストや閲覧数が公開されてるから数字の力でよりわかりやすく気持ちよくなれるのでしょうか。
Xの話題になってることなんて世間からしたらまだ閉鎖的なんてこともあるけど、公式アカウントがあったり、企業が謝罪するような話題があったりする時点でもう公に近いと思っています。
快楽に溺れないでね、ってことが言いたかったんだ。流されるな。
こうやって大人になってからもこういう事を書くことで誇示しかできなくなっちゃう俯瞰してる自分に酔う偉そうな人になっちゃうよ。
最近のTogetterはposfieの前日のまとめを作ってくる。ネタなんか山ほどあるのに、わざわざposfieにある、しかも前日のネタを作ってくるって、草しかはえない。
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https://posfie.com/@petaritape/p/AuF3Hu4
翌日→https://togetter.com/li/2534991
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https://posfie.com/@petaritape/p/nauUEPC
翌日→https://togetter.com/li/2534564
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https://posfie.com/@blackstaragent/p/kpHrLMR
翌日→https://togetter.com/li/2534184
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posfieの後にTogetterで作られたリストはコチラ↓
私は別に理系崩れのように読解力が要らないとか言いたいわけではない。
むしろ高校の国語の授業は読解力を上げるのに1ミリも貢献しないか、あるいはあまりにもコスパが悪い構成になっていやしないか、と言いたいのだ。
目覚ましく有意義なのは小学校低学年の仮名のようなごく基本的な文字を覚えることぐらいだと思う。
そして高校にもなると完全にネタが尽きるのか完全に惰性的な授業内容と化している気がする。
「答え」が何で、その「答え」をどう導けばいいのか最後まで解説しない。
自分たちの授業が自分たちが突き付ける試験の成績向上に1ミリも貢献しなさそうなのは、つまり1ミリも読解力を上げるものになってないのは、何かのギャグではないのかと思わされる。
なんというか、完全に、6時間ないし7時間のなかで国語の枠を与えられてしまったので仕方なく尺稼ぎしているようにしか見えないんだよね。
出口の本を見る限り、中学生レベルの読解力が身についても、伸ばす余地と、その伸ばすために有効な読み方について教授できるネタはいくらでもあるはずなんだよね。
けれど実際の授業は現国のキーワードの小テストとその余った時間の尺稼ぎをしているだけ。
もう高校生なんだから単語なんで自分で学べばいい。小テストはしてもいいからどうせ無駄な授業しかしないなら国語に50分も与えなくてよいのではないか。その分他の科目の時間を増やすなりネタがないなら前に複素数平面が増えたように履修内容を増やせばいいのではないか。
そういえば鉄緑会は国語については「中受で培ったことでなんとかなるから乗り切れ」でフォローしないらしいな。
やっぱり「読解力」程度ものは小学校出る時点で完成されているべき、されていて当然のものなのかもしれない。たかが、母国語の解釈法でそんな教えるネタ探したってそりゃ無理が出るって。
それを中学高校以降も教える建前にしてしまっているからおかしなことになっているのかもしれない。
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