
はてなキーワード:ナッシュ均衡とは
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戦略という言葉が、仰る通りデザインパターンとゲーム理論の両方で使われる用語であることは事実です。
しかし、それぞれの分野における「戦略」の使われ方には、明確な違いと、ある種の共通点があります。
デザインパターンにおける「戦略(Strategy)」は、振る舞いに関するデザインパターンの一つです。
目的:複数のアルゴリズムや振る舞いをカプセル化し、クライアントから独立して交換可能にする。つまり、同じ問題を解決するための異なる方法を、実行時に切り替えられるようにする。
特徴:共通のインターフェース(戦略インターフェース)を定義し、具体的な戦略クラスがそれを実装します。コンテキスト(ストラテジーを利用するクラス)は、このインターフェースを通じて具体的な戦略クラスとやり取りします。クライアントは、実行時に使用する戦略をコンテキストに設定することで、振る舞いを変更できます。
例:税金の計算方法が複数ある場合(標準税率、軽減税率など)、支払い方法が複数ある場合(クレジットカード、銀行振込、電子マネーなど)など。
ゲーム理論における「戦略」は、プレイヤーがゲームにおいて取る行動の計画を指します。
目的:自身の利得を最大化するため、他のプレイヤーの行動を考慮に入れながら、どのような行動を取るかを決定する。
特徴:純粋戦略 (PureStrategy): ある状況で特定の行動を一つだけ選ぶ計画。混合戦略 (MixedStrategy): ある状況で複数の行動を確率的に選ぶ計画。プレイヤーは、他のプレイヤーの戦略や可能な結果を予測し、自身の戦略を決定します。ナッシュ均衡など、安定した戦略の組み合わせが分析されます。
選択肢の中から最適なものを選択する:** どちらの分野の「戦略」も、複数の選択肢の中から、ある目的を達成するために最適な行動や方法を選択するという点で共通しています。
柔軟性:デザインパターンでは、異なるアルゴリズムを柔軟に切り替えることを可能にし、ゲーム理論では、状況に応じて最適な行動を柔軟に選択することを可能にします。
目的が異なる:デザインパターン:主にソフトウェアの設計と実装において、変更容易性、拡張性、再利用性といった非機能要件を向上させることを目的とします。ゲーム理論: 主に意思決定の分析において、複数の合理的なアクターが相互作用する状況で、各アクターがどのような行動を取るべきかを予測・分析することを目的とします。
主体が異なる:デザインパターン:開発者が、ソフトウェアの振る舞いを構造化するために使用します。ゲーム理論:プレイヤー(意思決定者)が、自身の利得を最大化するために採用する行動計画であり、また分析者がプレイヤーの行動を分析するために使用します。
相互作用の有無:デザインパターン:基本的に、戦略パターンを利用するコンテキストと戦略クラスの間には直接的な競争や駆け引きはありません。単に振る舞いを切り替えるだけです。ゲーム理論:複数のプレイヤーが存在し、各プレイヤーの利得が他のプレイヤーの行動に依存するという、相互作用と駆け引きが本質です。
P = {p₁, p₂, ..., pₙ}
自分の行動 aᵢᵗ により、期待効用 E[Uᵢ(aᵢᵗ, Iᵢᵗ)] を最大化。ここで Iᵢᵗ は時点 t における情報集合(受信+自己判断)
πᵢᵗ =自身の発信が他者の行動に影響し、その結果自分のUᵢが上がる
プレイヤーpᵢは時点tに次を決定:
2. どのような情報を発信するか(他者の目的関数に影響を与える戦略的選択)
このゲームにおける均衡概念としては、ベイズナッシュ均衡(BNE)が適用可能ですが、以下の点で非古典的性質が生じます:
1. 影響力のあるプレイヤー(φが大きい)は、自らの目的にかなうように、他者の行動を操作する情報を発信する。最適戦略は、「相手の信念を操作してUⱼ(aⱼ)を自分に都合よく曲げる」情報を選ぶこと。
2.一般プレイヤーは、情報の信頼性θを学習的にアップデートしながら、信念を更新し、行動を決定。最適戦略は、「自分の目的にノイズを与える情報源をフィルタする」信頼制御的フィルタリング。
3. 全体均衡では、ノイズの蓄積により複数の局所合理性が生まれ、「信念の断片化」が進む。結果として、行動の整合性が失われ、社会全体としては効率の悪いナッシュ均衡に陥る可能性がある(例:エコーチェンバー、陰謀論、情報バブル)
このゲームは「Endogenous BeliefDistortion Game(内生的信念歪曲ゲーム)」と定義し、以下のように拡張可能:
「どうすれば女が下方婚(自分より低い経済的・社会的地位の男と結婚)するようになるか?」って話だが、結論から言うと、選好(プレファレンス)とインセンティブ構造をぶっ壊せばいい。
まず、女の学歴・所得水準が上がりすぎた結果、「上方婚できる男が市場にいねぇ」という現象が起きてる。
供給が足りねぇんだよ。高スペック男子の市場価格が高騰、希少価値が暴騰中ってわけだ。
ここで提案だ。
女の所得や教育レベルが爆上がり → 男のスペックを妥協せざるを得なくなる。
逆に、男の地位が下がり、下方婚が「普通」になれば、「選好」が変わる。
つまり、「みんな下方婚してる」→「私もそれでいいか」ってナッシュ均衡に持ってければいい。
ベーシックインカム導入 →男性の経済力差を縮小 → 女にとっての「リスク」が下がる
婚活補助金・共同育児制度の充実 → 「この程度の男でも育児分担するならいいか」心理を誘導
マッチングプラットフォームのアルゴリズム操作 → 上位男性にアクセス制限、均等分配
ノイズが多い環境では、情報の非対称性と誤認識が発生しやすく、それゆえに価格が本質から乖離し、アービトラージや投機的機会が生まれるのです。
ノイズとは、不完全な情報や誤解、感情的な判断などから生じる「誤ったシグナル」です。
合理的市場では価格=価値となりますが、ノイズの多い市場では「価格≠本質的価値」となりやすい。
ノイズが多い場所ほど、情報をうまく読み解ける者とそうでない者の差が出やすい。
これが「情弱ビジネス」などに見られる構造です(例:暗号資産、MLM、副業詐欺など)。
すべてが合理的・予測可能な世界では価格に余地がなく、トレンドも生まれにくくなります。
つまり、ゲーム理論でいう「ナッシュ均衡」に近づき、プレイヤーは互いに最適反応して膠着するのです。
という交換レートだとしてみる。
すると①と②と③からA1個→B2個→C4個→A1個とC1個という交換が成立してしまう。
更にこの交換を回すことで無限に増やしていくことができる。
3商品間で交換レートにこのような歪みがある全ての場合において、この無限ループによる無限増殖は可能になる。
ここから交換レートの変動を考える。
それぞれが交換レートを変えることでそれ以上得をすることがない状態で均衡するというゲーム理論的な仮定をすると、
①はA2個 = C6個 = B3個(元々はA2個 = B4個)
②はB2個 = A1個 = C3個(元々はB2個 = C4個)
③はC4個 = B2個 = A1個(元々はC3個 =A1個)
という風にそれぞれが修正され得る。右方向に交換していて有利だったのがそれぞれ修正されている。
どの修正をされても良いという意味で、AとBとCの価値はそれぞれ絶対的ではない。しかしにも関わらずどの修正でも相場が発生している。
4商品目を加える場合も、例えば③を採用した場合A1個 =B2個 = C4個 = Dx個と交換レートを定めるのが所謂ナッシュ均衡となる。
一方にA1個 =B2個 = C4個がある状態で、A2個 = Dx個、Dx個 =B2個と定めてしまうと、A1個→B2個→Dx個→A2個という風になり、無限に損をしたり得をしたりして合意に至らない。
もうすでに同じ考えがあったりするんだろうか。
たとえば暑苦しい気候で会社員がそれでもジャケットを羽織るのは、全くもって気が狂っているとしか思えない。自分もそれは望まない。
さりとて環境にそぐわない服装を要求される場面は多々ある。良い悪いの問題ではなく、いくら暑くともTシャツ一枚で冠婚葬祭に赴くのがズレているのは間違いない。
自覚的であれ無自覚であれ、そういう場面でズレてるとつまらない損をする。馬鹿げたナッシュ均衡でも、崩そうとするよりはそれに従ってテキトーにやり過ごそうとするのはそうおかしな心理でもない。
人生の時間も、(大抵の人間にとっては)一日に絞り出せるやる気も有限だ。アイデンティティなりポリシーなり生きがいなり、よほど強い関心がある訳でもなければラクな方を選ぶ。こういう態度が現状を補強するんだろうなという自覚に蓋をしながら。
「普通」ではない人間を炙り出す対象となるのは自分だけではない。自分の選択だけではなく、鬱陶しいと思っている風習であってもそこから逸脱した他人を白眼視する事さえある。馬鹿げたコードだとは思いつつ、それに敢えて反発するのもラクではない。
ある種のコードだけでは見極められないヤバい奴だっていくらでもいるだろうけれど、少なくともそこで擬態すらしないような人間は判別出来る。逆にそういうとこばっかり見てるとヤバい奴が「まとも」に見えてもしまう。
無自覚でやってるのなら物を知らない奴という事だし、自覚的にやっているのならメンドクサイ奴なんだろう。現状を変える勝ち筋が見えているのならともかくとして。
安全圏の部外者が画面越しである種の内輪ノリを非難するのと、自分の身を以て抗議するのはまるで違う。おれはその手の「メンドクサイ」人間に対する忌避感はあまりない。単に現状を変えようとするコスト(怠惰という錘も含め)が変えて得られるものよりも高くつくと見積もっているのだと思う。
ただその手の奴を強く嫌う人間も少なからずいるようで、そういった連中はむしろ積極的にその構造を補強しようとしているのかもしれない。おれは「べき」に抗議するよりも、そうやって「べき」をそれとなく支持する奴の方がめんどくさいと思う。
TPOに応じたコードには煩わしさと、良い悪いは別にしてこういう特定の機能がある。どこまで共有されているのか分からないような美意識も。
実在するかは知らんけど、初デートでサイゼリヤを選ぶの選ばないのというのもそういう事なんだと思う。
単純にケチであるとか見栄の感覚のギャップだとかの問題ではなく、よりメタ的な部分で品定めするのもそうおかしな事ではない。
初めてのデートで格安チェーンを選ぶという、コードからのズレをどう評価するのかという。
ただデートなら集団ではなくあくまでタイマンな訳で、そこはやっぱり「社会のマナー」と違うよなって思う。
双方が「普通」のデートの作法を煩わしいと感じたのなら、日本中の会社員がいっせーのでスーツを脱ぐよりも遥かに簡単だ。
そこでズレがあったのなら擦り合わせる事も出来るし、どちらかが我慢する事だって出来る。
アドラーの本を途中まで読んだ.
これによると,精神疾患など生きるのに役立たない道に陥るものには,幼少期から共通感覚(コモンセンス)を獲得できていないという特徴があるらしい.
そして共通感覚を獲得できなかった子供いじめられたり問題行動を起こしたりする.
この共通感覚は家庭において保護者から学ぶらしい.つまり保護者が共通感覚を有していなければその子供も共通感覚を獲得することが困難で,大人になってから苦しむのだ.
なぜこの世界では誰でも子供を持つことが許されるのだろうか.ペットですらちゃんと育てられないなら飼うなと批判されるのに.
あるいはせめて,誰でも子供を作る自由があるのなら,どんな子供も自分で死んでいい自由を認めるべきではないか.
この物語では,子供は生まれたらすぐに親から引き離されて専門の施設で集団的に育てられるというユートピアが描かれている.
作中ではこのユートピアを明示的には否定も肯定もしていないが,画一的に育てられた子供は個性がなく皆同じような表情をするという描写が描かれている.
「個性なくしたら死んでるのと一緒だよ」
共通感覚を有しない"悪い個性"を持つことは決して本人のためにはならない.
個性を持つことが良いとされるのは,個々の親が独立して子供を育てる現在社会におけるナッシュ均衡にすぎないのではないか.
消滅世界のシステムのように全員が同じ教育を受け,共通感覚を有していることこそがパレート最適なのではないだろうか.
あるいは,個性,個体差は環境が変化した際に種全体が生き延びるのに有利だと説明される.
だが,これは明らかにほとんどの平均から外れた個性を持つ個体にとっては酷な話だ.当然ながら平均から外れた個体の殆どは環境に適応できず苦しむからだ.
上のような理論を唱える者は,「お前らのような珍獣が居た方が俺/私の遺伝子が残る可能性が高まるから生きろ.そして苦しめ」と言っているのに他ならない.
現代社会は第二次世界大戦前の全体主義を反省し,個人の幸福を最大化しようとしたのではなかったか.所詮それは,正規分布の真ん中あたりにいるマジョリティの自己満足に過ぎなかったのか.
そもそも,人類が環境変化を生き抜くのに,遺伝子の多様性は必要なのだろうか.
多数のサイコロをばらまいて確率論的に変化に打ち勝とうとするその他大勢の生き物とは違って,人類は理性を持って変化を予測し,技術で環境を変えて乗り越えることができるのではないだろうか.
だが,ときに個性は天才を生み出し,その天才が技術を飛躍的に進歩させる.
こういった天才を生むために正規分布の端のほうの人間も,その殆どは苦しむ運命にあるとはいえ,大人になるまで生きていなければいけないのかもしれない.これによって,苦しむ未来の天才に生きる希望を与えることができるから.
本当にそうだろうか.電球の発明のように一人の天才の発想が大きな一歩を生み出した時代とは違って,現代の科学の進歩は過去の技術を積み重ねて積み重ねて演繹的に導き出された進歩ではないか.
いや,そうでもないか.私も理系の大学院で研究の真似事をしたことがある.今でも科学の最先端では天才の発想が不可欠だ.そしてそういう人は共通感覚を有していない人が多い.少なくともそう見える.
つまり,現代においても正規分布の端にいる,共通感覚を有しない,遺伝子的耐用性を持った人間を生きさせることは必要なのかもしれない.
私は天才ではない.だが,共通感覚を獲得することができず,苦しんでいる.正規分布の中央に行けなかった人間の中の,一握りの天才を除くその他多数の中のひとりだ.
私の意識は死ぬことがのみが正解だと確信している.だが,私の無意識が生きることを声高に主張している.そのせいで私はまだ生きていてこの文章を書いている.
理性で動く私は,なんとかして自分が死ぬことが論理的に正しいのだと結論付けたい.だが,今日も失敗した.
誰か私を助けてくれ.お前はもう開放されて良いのだと背中を押してほしい.
核の相互確証破壊は2つの超大国が互いに十分な核兵器を保有している状況を指す。
互いに攻撃を開始すれば、双方が壊滅的な被害を受けることが確定するため、結果的に平和が維持される。
これはゲーム理論の一部であり、ナッシュ均衡の概念を用いて数学的に表現することができる。
それぞれのプレイヤーは攻撃するかしないかの2つの選択肢がある。
| 攻撃しない | 攻撃する | |
| 攻撃しない | (0, 0) | (-1, 1) |
| 攻撃する | (1, -1) | (-1, -1) |
この場合、-1は核戦争による壊滅的な損失を、0は平和(つまり損失も利益もない状態)を、1は一方的な勝利(他国を攻撃して自国が被害を受けない状態)を表している。
ナッシュ均衡とは、どちらのプレイヤーも他方が自分の戦略を変えない限り、自分の戦略を変える動機がない状態を指す。
このゲームでは、どちらのプレイヤーも「攻撃しない」を選ぶとき、つまり(0, 0)のときにナッシュ均衡が達成される。
なぜなら、どちらのプレイヤーも他方が戦略を変えない限り、自分が戦略を変えると損失(-1)を被るからである。
経済とは、オペレーションズ・リサーチの手法で分析されることが多い。
つまり消費者は効用最大化、企業は利潤最大化に基づいて行動する。
均衡分析では、財i=1,...,kが存在するもとでD_i(p) = S_i(p)を考える。
このとき、消費者や企業が何を最適化しようとしているのかがわかるだろう。
つまり企業の視点から見れば、どの財をどういう価格でどのくらい売ろうとしているのかによって。
消費者の視点から見れば、どの財をどの価格でどのぐらい買おうとしているのかによって分析できる。
ここで「均衡」とは何かということについて、厚生経済学の基本定理では「パレート効率性」が焦点になる。
なぜこれが「厚生」なのかというと、国民全体の幸福を考える上では「犠牲の元での効率性向上」では困るからである。
誰かが損をした場合、厚生を考える上で補償原理の話に自然に向かうことになるだろう。
ここで経済学では「事実」と「価値」の判断を区別するということが行われてきた。
パレート効率性は「価値」の話であり、均衡分析は「事実」の話である。
価値とは、この場合「なにをすべきか」という論理のことを意味し、事実とは「なんであるか」という論理を意味する。
もし功利主義者が現れれば、パレート効率性とは別の「効率性」を持ち出してくるだろう。
典型的には「ハンコ業界を滅ぼして、電子化を進めよう」といった論調がそれに属する。
経済において、特定の集団が損を被る場合はまず「パレート効率性」について考えなければならないだろう。
「障害者に障害年金を配るのは非効率だ!」と功利主義者が言い始めた場合、厚生経済学者は「障害者の年金を無に帰すことはパレート改善ではない」と言うだろう。
このようにして、「べき論」にも根拠が必要であることがわかる。
一般市民がべき論を語り始めると、それは「自分の利益になるかどうか」という視点になりやすい。
しかし経済は特定の誰かの利になるよう調整されるものではなく、国民全体にとって調整されなければならないだろう。
ゲーム理論的なナッシュ均衡で個々の最適性を議論すると、全体としての効用が低下する恐れがある。
あくまで勝手な想像という前提で読んで欲しいのと、法知識も素人で間違っている箇所はあると思うのでご了承下さい。
昨今の離婚ニュースの中で、プラスマイナス岩橋さん・ネルソンズ和田さんの気落ちが印象的だった。
岩橋さんは「二度と法の元の関係性は作らない」と述べ、和田さんは「芸人を辞めようか迷った」と述べていた。
お二人とも詳細は語っていないが、おそらく以下3つの理由により苦しんだのではないかと想像した。
「母親が面倒を見ていたから母親が親権を持つ」という理論が現状の日本では認められてしまっており、為すすべもなく子供を取られてしまった可能性が高い。
(世界的に見て非常に時代遅れな考え方であり、諸外国では大抵共同親権となる。
大黒柱で働いていた間に実家に戻りそのまま離婚されるといったケースでも、
「連れ去り」とならずに「現状維持すべき」という判断で連れ去った側が親権を持つと認められてしまう。
子供2人で元妻が収入0・年収を1000万とすると、養育費算定表から月20万ほどの支払いとなる。
https://www.courts.go.jp/vc-files/courts/file5/youiku-3.pdf
この支払いは法的拘束力を持つものであり、子が成人するまで支払う必要がある(なお成人が18歳になった現在でも20歳までと判定されることが多い)
また、金額が育児に必要な金額で決まるのではなく、夫と妻の収入差で決まることも大きい。
子供の為と頭で理解してはいても、おそらく月1回程度しか会うこともできない状況で、十数年支払いが強制される未来が確定することの絶望は計り知れないだろう。
この法律を離婚時に知ることで、専業主婦としてしまったこと、法律婚としたことを後悔して苦しむことになったのではないだろうか。
一度は愛した元妻から、法の元①②の要求をされたら誰だって絶望するだろう。
念の為、今の日本で①②の要求をすることは全くの合法であり、法的に何も間違っていないことは言及しておく。
囚人のジレンマでいうところの「協調ー裏切りモデル」があるが、今の日本の制度だと一馬力-専業主婦家庭の場合、裏切りのリスク(親権・婚姻費用・養育費)が非常に高く、裏切られた場合に働き盛りの男性が絶望して鬱になったり、自殺したり、無敵の人となるのは想像に難くないと思う。
専業主婦側の行動が「裏切り」で定まる以上(専門的にはナッシュ均衡の状態)、ルールが変わらないとどうしようもない。
リスクを恐れて結婚・出産を避ける人が増えるのも当たり前だと思う。
本内容に対して、個人で出来ることは少ない。
養育費を払っている人を肯定し励ますことや、共同親権運動・親子連れ去り反対運動を支援することくらいだろうか。
司法や政治に関わる方は是非、諸外国と同様にな共同親権制度の発足、夫婦の差額ではなく必要な金額としての養育費算定表の作成、女性の収入向上などにより、バツイチ男性の自殺を減らせるように進めて欲しい。
家庭を持つこと自体は幸せなことだし、日本人が増えることは社会全体としてパレート最適になることなので、徐々に法律・文化が変わっていくと嬉しい。
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【ゲーム理論】囚人のジレンマとナッシュ均衡とは?ビジネス ...
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2020/04/12 —パレード最適(パレード効率性)とは、主人のジレンマにおいてお互い「自白しない」という選択を取ることです。つまり、双方にとって最適・最大の利益 ...
https://blog.goo.ne.jp › rebellion_2006
2018/05/27 — いわゆる「主人のジレンマ」は有名な話ですので今更ともなりますが、モデルケースとして囚人2名が自白を迫られているわけです。
トップ二つが素で間違っているような気がする