
はてなキーワード:ドールハウスとは
ホラー好きなら見て損しないと思う。85点
とにかくタイトルバックが完璧すぎる。2025年に見た映画の中で一番よかった。
長澤まさみ家で遊ぶ娘と友人。長澤は買い物に出かけると良い娘らに家から出ないように言い含め、刃物を高い戸棚にしまい、ガスの元栓は締め、風呂場にも水が張られていないことを確認し家を出る。途中で怪しいおじさんに出会ったり、スーパーで最近不審者が出没しているという情報を聞き不安になりながら帰る長澤。家に帰ると人の気配がない。一緒に遊んでいた娘の友人の家を訪ねて話を聞くとかくれんぼの最中にいなくなってしまい、長澤の元に向かったと思ったので解散したとのこと。ママ友ネットワークで探しても見つからない。病院勤務の夫に電話をし、夫があわてて帰ると家にはパトカーが。事情聴取を終え2人残った長澤は同様のあまりコップを倒してしまう。テーブルクロスを洗濯しようとドラム式洗濯機に突っ込むも違和感を感じ、ゆっくりとテーブルクロスを取り出す。ドラム式洗濯機の中に何かを見た長澤。徐々に表情が変わり大きな悲鳴を上げる。カメラは家の外に出て響き渡る悲鳴に次々と家から出てくる近所の人たち。
特にドラム式洗濯機の中に娘を見つけた時の表情と悲鳴は「だからホラー映画にはプロを使えって言うんだよ!」って言いたくなるくらい完璧だった。ドラム式洗濯機の中を映さないのも英断。ちなみに過去には実際にドラム式洗濯機に子供が閉じ込められてなくなる事件があった。水が漏れないように密閉されているので窒息死してしまうらしい。
まぁその後、ヘラっちゃった長澤はフリマで呪いの人形を購入。それを喪った娘に見立ててモリモリメンタル回復するも夫との間に第二子が誕生すると呪いの人形への扱いがぞんざいに。第二子が成長ししまわれていた人形を発見し友達にするも次々不可解な事件が起こり始め、霊能力者が出てきたりして呪いの解除に挑むのであった。
人形は病弱な娘の将来を儚んで心中するも自分だけ助かってしまった母親を癒すために、人形師であった父親が娘の骨と髪を取り出し製造した人間人形で母親とともに埋葬されたが盗み出されていたことがわかり、人形を母親の墓に埋葬することで解呪できるであろうことがわかり、様々な困難が降りかかるも夫婦はそのミッションに挑むのだった。
呪いの人形と子供が仲良くなっちゃって人形が喋るとか言い出したりなんかどんどん様子がおかしくなっていく展開なんか100回見たし、不気味に思った母親がそれを捨てようとするんだけど何度やっても戻ってくる展開も100回見たし、子供の友人が人形に意地悪して人形に復讐される展開も100回見たし、呪いの解除のために墓に向かう展開は1000回見たけどもだ。
ジャンル映画ってそういうもんじゃん?その展開に持っていくために登場人物の行動から整合性や論理性を奪ったりしない限りは、仮にテンプレであっても必要な展開なら入れればいいと思う。
霊能力者だって「来る」でも「貞子vs伽椰子」でもいろんなホラーに出てくるテンプレ展開だけど呪いの強力さを示すために必要なギミックだと思うし、大体最終的にうっかり退場しちゃうけどどう動くべきかの道しるべとしても必要だと思うし。
そういうテンプレ展開を支える工夫があるかが大事で、この作品にはそれがある。
特にウオオオオオ!!ってなったのは、人形に恐怖した長澤が人形をゴミ捨て場に放棄し家に帰ってパン生地を伸ばしているとと廊下から物音が。出てみると丁字路の突き当りに紙袋をかぶった人形が(この紙袋も伏線アリ)。激昂した長澤はパン伸ばし棒で人形を殴打!殴打!殴打!する、長澤の横顔を映すカメラの奥の部屋に座っている人形が写る。気配を感じて振り向く長澤。座る人形を見て恐る恐る自分が殴っていたものを見るとそこには第二子が……
っていう夢だったのさっていう話なんだけども。
この殴打する長澤まさみの向こうに座っている人形が写り込むパートめっちゃいいよね。主人公よりもちょっとだけ先に観客がアッ……ってなるやつ。しかも木製の伸ばし棒でボコボコに殴ってるからさぁ。ヤバイヨヤバイヨって出川みたいになっちゃう。ここはめっちゃキモ冷えた。
霊能力者による解呪パート中に地震が発生し真っ暗になってしまった部屋でポラロイドカメラのフラッシュだけで駆けまわる変顔a.k.a怪物顔人形を捕えようとするパートも割とありがちではあるけどやっぱめっちゃ怖いし。
呪いの人形の母親の墓が円筒状になっていて、明らかにドラム式洗濯機と対になっているっていうのもわかりやすいけど、こういうのが大事なんだよなぁってなるし。そしてその蓋を開けるという行為が最後の悲劇の引き金になっているというのも、タイトルバックと呼応していてよい。
最後にさんざん言ってきた「解呪ホラー」テンプレをひっくり返すスイングがあるんだけどこれは、若干賛否両論あるだろうけどよかった。
過去の文献から呪いの人形は母親に愛されていた子供が愛ゆえに心中に巻き込まれるも最後は愛する母親とともに埋葬されたと思われており、しかしのちに盗掘者によって盗まれてしまったのではないか。墓に帰るために呪いの人形と化してしまっているのではないかと推測され、だから人形を墓に返そうとなる。よくある展開である。
しかし人形は第二子に「首を吊られている自分」「骨を取り出すために釜茹でにされている自分」を不気味に書かせている。何より、何度捨てられても帰ってくる能力がある人形が墓には戻れない理由がわからない。本当に帰りたいならさっさと帰っているはず。
実際には人形は生前、母親に虐待されていたことが人形と娘の会話の録画テープから発覚する。人形は母親を愛してなどおらずむしろ憎んでおり、一時は自分を愛してくれた夫婦が最終的にそんな母親の墓に人形を捨てようとしたことで人形の呪いは爆発し夫婦は完全に人形に捕らわれてしまう。
最終的に夫婦は人形を娘として迎え入れ、第二子のことは忘れさってしまう。祖母の車の中で両親を求める第二子とそれを背後に人形をベビーカーにのせて幸せそうに歩く夫婦の絵でこの作品は終わる。
幸せだった家庭は人形の家――"ドールハウス"にされてしまったというバッドエンド。
うむ、よくできておる。
なんかこういう作品って捻りとして呪いを解こうとしてやったことすら実は呪いによって仕組まれていたみたいな構造にしたがったりするけど、この作品ではみんな頑張って呪いを解こうとするんだけど別に誰が悪いわけじゃなくて単純に逆効果だったっていうのが割と好き。最初は理不尽展開だなぁと思ったけど理不尽でもええじゃないか。
そもそも「母親の元に戻れてよかったね💛」ってエンディング自体が母子はそろっているべきだっていう、幸せボケした輩の上から目線の解決でしかねーんだし。
いっぱいありすぎてここには書いてないけど布団もっこりしてるからめくったらなんもおらんけどやっぱいるシーンとか足音がするからドアあけたらいないシーンとかホラー演出の宝石箱や~って彦摩呂が叫ぶくらいにはミチミチにいろんなホラー表現が詰め込まれているので見ていて飽きない。
とにかく予算をかけて撮られているし脚本もしっかり作られてる。昨今流行りの考察という名の投げっぱなし要素もほとんどなく作品内でちゃんと完結させられてる。まぁ最後の呪い爆発のところは若干分かりづらかったかな。あそこは俺も自信なし。
某インターネットでStylishCandyのアニメの情報を追った際に入手した情報を備忘録的に書き留めておこうと思う
X(Twitter)やインターネット上で都市伝説的なStylishCandyのアニメの情報を追っていた際に入手した情報を備忘録的に書いておく
調べようと思ったきっかけは別所だが、以下のポストが周辺把握に易い。
https://twitter.com/heisei_megu/status/1907043449586802990
スタイリッシュキャンディ覚えてる方いますか?
1999年頃に小学館の『幼稚園』『小学一年生』『小学二年生』で連載されていたり、
バーチャルアイドルとしてCDデビューしたり、
エポックからドールハウスのおもちゃも出していた割に情報なさすぎる謎コンテンツ。…pic.twitter.com/XqnBScBwZE—平成女子♡めぐ (@heisei_megu)April 1, 2025
先に、ここそのアニメの情報についてはない スタキャン/ガスト/ガストビジョン公式の最古のアーカイブ...以前の作品なので、私には見つけられなかった。
アニメの情報を捜索中に、StylishCandyを発売時の触れ込みを発見した。意訳すると
「UK(イギリス)のおもちゃ会社Genieからライセンスを購入し作られたおもちゃ!」
以前、ネット上でおもちゃを捜索した際、同一商品のパッケージ替えで別商品として売られている物が散見された。
アニメに関しても、海外製アニメを日本で別名で吹き替えし膾炙しているものもあった。
今回ももしかしたらその類かもしれない。そこからなにかしらの情報を引き出せないか?
ということでGenie Toys社を検索。加えて、ebayで1996~8年の同社製品を検索。
...これ、同じじゃねぇ? スタイリッシュキャンディのドールハウス パーティパレスの外観と、
PollyPocketのドールハウスが色は違えどほぼ同じだったのだ。
なので他の製品に関しても同一のことが起きていると思い、まとめた
1997年 Genie Toys製 PollyPocketシリーズ、Charlie Boutique
1997年 Genie Toys製 PollyPocketシリーズ、Charlie PollyPocket Mansion
1997年 Genie Toys製 PollyPocketシリーズ、 Cottage Village
1997 Genie Toys製 PollyPocketシリーズ、Annie'sHouse.
1997 Genie Toys製 PollyPocketシリーズ、Home Cabin
1997 Genie Toys製 PollyPocketシリーズ、Michelle'sCafe
以上GenieToys製品のリデコ・リペイント製品ということが分かった。
ちなみに正式名称ではなく通称なので、知りたければ調べて欲しい。
恐らく、他の把握してないスタイリッシュキャンディ製品にも言えるだろう。
当時はこういうのはザラなので、特段驚くこともない。
スタイリッシュキャンディには4人+友人2人のキャラがいるのだが、
メインキャラ4人は製作し、それ以外はリペイント品...だったのか?
友人2人の調査は任せた!(ぶん投げ)
上記関連商品からアニメの情報が何かつかめるかと思ったが、ここでストップ。
そして捨ておくのももったいない気がするので、ここに投下。
これが分かったからと言って何かが変わるわけではない。
まぁ、極少数のおもちゃマニアなら知ってる情報で既出だろうけど、検索しても出ない情報なので...一応ね?
誘拐した女の子が実は…ってやつだしその正体がわかるまでがピークだけど、既にわかっているのではいはいって感じだった。
オクス駅おばけ
めちゃくちゃ怖いってわけじゃないけど、割とまとまっていてよかった
前作のXは見たので、続編のマキシーンの公開が始まる前にってことで。
予告なんであんなにチープなんだろう
横に座ってた学生が上映後に「スティッチと迷ってこっち来たけど、スティッチ行けばよかった…」と言っていて笑った
登場人物が意味不明な行動をしないというのがよかった、個人的にはストレスなく見れるホラー
モキュメンタリー形式じゃなくてもよかったんでない?と思うけどよかった
アジア圏って不気味に思うものの感覚が似てるんかなあとちょっと思ったりした
ニタニタ笑いながら赤子の泣き真似をしてるシーンの厭らしさにはもはや感心してしまった
破墓
割とミステリ要素が強い
ホラーミステリという意味では残穢の系統だけど残穢ほど怖くない
反日映画だ!ってレビューを見て???と思っていたけどなるほどねーって感じ
そうノイズにもならずそんなもんかーと思ってそのまま見た
『ドールハウスの夢』っていう小説読んだんだけど、それに出てくるマルコムくんが弱者男性すぎて泣いた
マルコムは5歳の時に母に捨てられた
金髪碧眼の美女である母は愛人ができて駆け落ちして、マルコムと父は捨てられた
母の愛がまだまだ恋しい時期なのでマルコムは母を思って泣き暮らし、長じるにつれて愛人をつくって家を出るという母のトンデモビッチさを理解して憎悪もした
マルコムは金髪碧眼の女を激しく憎悪して蔑視しつつ、金髪碧眼の女にチンチンがイライラしてたまらない性癖になった
性が芽生え始めた小学校高学年の時にはクラスの金髪の女子を押さえつけて頭を丸刈りにする事件を起こしたりした
そういうマルコム自身が金髪碧眼で母に似ているので自分の容姿が嫌い
年頃になったマルコムは、身長180超えで鳶色の髪を持つブスな女と結婚した
金髪な美人はどうせビッチでクズだから手堅い女を選んだつもりだが、全然その気になれなくて新婚初夜をスルーして以降もブスを抱かなかった
母親の部屋は家出した当時の状態のまま保管されており、けして入らないようブスに言い聞かせていた
しかしブスは好奇心に負けて母の部屋に入り、ゴージャスベッドに転がった
母のベッドに転がる姿を見ていたらマルコムはチンチンがイライラしだして、はじめてブスを抱いた、というかレイプした
母のベッドで母の名を呼びながら、というシチュエーションならブスにも興奮することを知り、その手段で子供が二人できた
でもそんな裏技を使ってもマルコムは結局金髪碧眼の美女がドストライクで、その後も金髪碧眼美女に執着して身を持ち崩していく
最後には半身麻痺の車椅子生活になり、大粒の涙をこぼしながらブスに泣き縋って、ブスの嘘に騙され続けながら死んでいく
これ、俺だ・・・
その日は早く出社したからいつもより早く帰った。まだ誰も帰ってきていない家のドアを元気よく開け、今日の晩御飯は何にしようかなと考えながら犬の名前を呼んだ。相変わらず玄関からの呼びかけは聞こえていないのか反応はなかった。もう老犬だから耳が遠いのは知っていた。耳が遠いのか名前を呼んでも「どこだ?」とキョロキョロする姿に家族みんなで微笑ましく見ていた。昨日もそうだった。今日もよく寝てるなと思って名前を呼びながら家の中へ進む。
ソファーの影から犬がよく寝るクッションが見えた。いつもの窓際でいつもの陽ざし。いつもの…。何か嫌な予感がした。
「おーい」と大き目の声で呼びかけるも全く反応がない。いや、そんなまさか。昨日まで老犬とは思えないステップで散歩したんだ。健康診断も耳が遠い以外問題もなかった。「老犬とは思えないほど元気ですね」なんていつも言われた。「申請して長寿の賞状でも貰ったらどうかな」という話をしたのがこの前の休みだった。
ゆっくりと足を止めて犬のそばに立つ。そういえばいつものいびきがない。プーとか、フゴーみたいないびきに話の腰を折られて笑ったあのいびきがない。いつもより脱力している。膝をつき、触ろうと手を近づけた。
あ、死んでる。
体が動いていない。呼吸していたら動くはずの胸が動いていない。
明らかに生気がない。触らなくてもわかった。というか触りたくなかった。冷たさを感じたくなかった。夏は「暑いよ~!お前~!」とのしかかってきたこと、冬は「あったかいな~!お前!」と言って寄り添った思い出が悲しくなってしまうから触らなかった。
ボー然としてしまった。お前が食いつくであろう31の箱を横向きに倒してしまった。
お前は友人から頂いた犬だった。引き取り手がいなかったお前。お前の兄妹は大きかったのにお前だけ小さかった。トイプードルだから「小さいね」と、妹が使わなくなった立派なドールハウスにピッタリ入るくらいの大きさだった。ゲージではなく、よくそっちに入っていたな。
来た当時は夜が怖くてよく泣いていたな。最近じゃもう腹出していびきをかくほどには大丈夫になったな。
小さいころに東北大震災で地震がめちゃくちゃ怖くなってしまったな。最近になってようやく地震に大丈夫になったな。
お前はボールやおもちゃに全く興味を示さなかったな。ドッグランに来ても芝生で寝ているだけだったな。
トイプードルなのにでかくなって、柴犬サイズの服を着てたな。トイプードル用なのにお前に合うkgの参考がなくていつも笑っていたよ。「お前に適切な量はなんだ?」って。そんなこと気にせずお前は大食いだったな。人間でも腹いっぱいになる量をいつも食べていたな。
嫌なことがあって泣いてしまった日はそばにいてくれたな。風邪をひいたときも気が付いたら横にいたな。犬ってそばにいてほしい時はわかっているのだろうか。
老犬だからいつきてもと覚悟はしていた、と思っていただけだった。無理だ。覚悟したって無理なもんは無理だ。
喜んでいる家族を見て『なんだ?なんだ?嬉しい事か?!』と一緒にしっぽ振って喜んでいるお前がもう見られない。
帰路で他の家族と散歩中のお前に遭遇して、「気が付くかな」とニヤニヤしながら通り過ぎては気が付かないお前に「気が付けよ~!」とわしゃわしゃしては『誰だこい…お前か!』と臭いを嗅ぎながら、家族だとわかってベロベロしてくるお前を見られない。お前を留守番にして外食して帰ってくると、ゴミ箱をひっくり返して何度か怒ったな。でも家族が帰ってきて甘えてくるお前が愛おしかったよ。
お前の散歩途中でケンタッキーを持ち帰りした時、匂いに興奮しすぎたお前がその袋に突撃し、反動で膝カックンになって転んで家族に爆笑されたのが亡くなる直前の休み。
熱中症気味でふらふらしていた家族の後ろをずっと付いていたのが亡くなる一昨日。
ちょっと開いてしまっていた引き戸をこじ開けて、こっそり在宅勤務中に部屋に入ってきて、反動で閉まったドアで出れなくなってくぅんくぅん鳴いていたのが亡くなる昨日。
「あいつが喜ぶかな」とサービスエリアで買ったご当地ドックフードがまだ未開封だ。「今度はここに連れていこうか」と家族で計画したドライブ用の地図にはまだ印をつけていない。開けたばかりのちょっといい犬用シャンプーがまだ残っている。
スマホの写真フォルダは開いた瞬間に、お前が人間の食べ物を狙うキラキラした顔のお前が表示される。
ペットロスはあると思っていた。あるからこそたくさん思い出を残したのに辛い。
小学校の頃から一緒にいた思い出が出てきては涙が出る。通勤の電車内でもお構いなしに悲しくなる。
お前に追いつこうとした小学校時代。お前に追いついた中高時代。お前と一緒に歩いた大学時代。お前の歩幅にあわせるようになった社会人の自分。寿命の長さが違うというのはこんなにも悲しい。お前の方が遅く生まれたのに、お前の方が早く逝く。
「今日は肉料理だからあいつの分も豪勢に…」といつものように思ってしまい、スーパーの精肉コーナーで立ち尽くしてしまった。亡くなって一カ月も経つのに。
今も寝床について、ふと足をもぞもぞと動かしても重さを感じない。いつも飼い主の足を枕にしてふてぶてしく寝ているあいつがいないのを感じてしまって喉の奥が熱くなる。
いつか思い出が温めてくれる日がくるまで、と言い聞かせて今は涙をなるべくこらえる日々を過ごしている。そんな日がすぐに、いまにでも、はやく早く来てほしい。
箱庭主義とは、ざっくりいうと、狭い限られた範囲に、趣味の対象物を
作成または、購入して、配置して、楽しむ趣向の事だと、勝手に決めた。
ジオラマとかドールハウスとか盆栽などを嗜む人は、箱庭主義者に
該当するだろう。
自宅のリアルな庭とかも、そうなのかもしれないが、箱庭と言っている以上
少なくとも、自宅の庭よりは、小さいものが該当するのかも、しれない。
箱庭主義者には、以下の特徴があるだろう。
1.箱庭の対象物に、いろいろな、コンテンツを、増減、再配置することに
喜びをかんじてる
2.箱庭の対象物は、一般的に高額であり、購入できるだけの財力がある
3.この喜びを、話せる人(コミュニティ)を求めている
4.コミュニティでほめられたいと思っている
私は、4つの特徴のうち、1、3、4は当てはまるが、残念ながら2は
対象外だ。財力がない。
しかし、私は、箱庭主義者である以上、財力がなくても、箱庭を実現したいと
思っていた。
そこで、私は、見かけ上、無償の箱庭を、楽しんでいる。
実際には、パソコン、電気代、通信費用が、発生しているので、無償ではない。
しかし、WEBサイト作成のために、新たに、購入したものは、無いので、
見かけ上は、無償だ。
WEBサイトといっても、私の場合、オンラインで、使えるツールを、
かき集めた、サイトを作っている。
コンテンツは、オンラインツール、これを、増減、再配置することで
WEBサイト上で、オンラインツールを、WindowsなどのデスクトップOSを
模したレイアウトで、配置して、楽しんでいる。
ネット上には、無償で、オンラインツールを、公開してる人たちが、
一定数いるので、このようなことが、実現できる。
もちろん、公開された、オンラインツールは、ある程度の、カスタマイズ
具体的には、HTML、CSS、JavaScriptの、基礎知識が、必要になる。
残念ながら、自分が使いたい&カスタマイズできる、オンラインツールのみ、
最低限の、自己満足に、過ぎないが、仕方ないと思っている。
昭和はエログッズ、たとえばギャルの絵のついた抱き枕など市販製品として売るルートがなかった(アニメイトは子供向けの店、というかアニメは子供が見るもの)
同人でつくろうとしても印刷所などで対応してくれるところがなく、一般工場オーダーは高かった
その一方でロボットおもちゃは売れに売れた、親御さんもクリスマスに買うものといえば電子ゲームはまだないので
男児用おもちゃといえばロボット、女児用おもちゃといえばドールハウス・おままごと系かコンパクト(化粧品ではなく変身グッズ)だった
ゆえに大人な製作者はエロが好きかつロボットが好きな男児にこっそり画面にエロをしのびこませてとどけていたのだ
地上波テレビ(放送衛星などまだとんでないのでテレビは全部地上波だが)で人気といえば
・ニュース
・時代劇
・料理番組(西洋から輸入なのでやけに高カロリーで体に悪そうなやつ)
であったよ
お笑いは少なくドリフターズ(志村けんも死んだけど)のお笑いも下品なのでたびたびPTAにおこられてた
地上波の夜8時から男性がベビードールといわれる薄いキャミソールとストッキング着て女装してストリップ演じてあっはんうっふんしていたり今みるとかわいいもの…でもないか
その少女は物語を書いた。 「しかし、あなたが小説を書いたとしたら、どれほど良くなるでしょう」と彼女の母親は言いました。その少女はドールハウスを建てた。 「しかし、それが本物の家だったら、どれほど良いでしょう」と彼女の母親は言いました。その少女は父親のために小さな枕を作った。 「しかし、キルトはもっと実用的ではないでしょう」と彼女の母親は言いました。その少女は庭に小さな穴を掘った。 「しかし、大きな穴を掘ったら、どれだけ良くなるでしょう」と彼女の母親は言いました。少女は穴を掘ってその中で眠りについた。 「しかし、あなたが永遠に眠ったら、どれほど良くなるでしょう」と彼女の母親は言いました。
(現文)
Thegirl wrote astory. “But how much betterit would be ifyou wrote a novel,” saidhermother. Thegirl built adollhouse. “But how much better ifit were a realhouse,”hermother said. Thegirlmade a small pillow forher father. “But wouldn’t a quilt bemore practical,” saidhermother. Thegirl dug a smallhole in thegarden. “But how much better ifyou dug a largehole,” saidhermother. Thegirl dug ahole and went to sleep init. “But how much better ifyou slept forever,” saidhermother.
眞子氏が小室氏と出会ったICUという大学では、入学式で新入生みんなが「学校生活において世界人権宣言を遵守すること」を誓う学生宣誓に署名する。
https://www.icu.ac.jp/globalicu/pledge/
みなさんは、その世界人権宣言の中身ってどんなものか知ってますか。
第一条
すべての人間は、生れながらにして自由であり、かつ、尊厳と権利とについて平等である。人間は、理性と良心とを授けられており、互いに同胞の精神をもって行動しなければならない。
第二条
1 すべて人は、人種、皮膚の色、性、言語、宗教、政治上その他の意見、国民的若しくは社会的出身、財産、門地その他の地位又はこれに類するいかなる事由による差別をも受けることなく、この宣言に掲げるすべての権利と自由とを享有することができる。
2 さらに、個人の属する国又は地域が独立国であると、信託統治地域であると、非自治地域であると、又は他のなんらかの主権制限の下にあるとを問わず、その国又は地域の政治上、管轄上又は国際上の地位に基づくいかなる差別もしてはならない。
第四条
何人も、奴隷にされ、又は苦役に服することはない。奴隷制度及び奴隷売買は、いかなる形においても禁止する。
第五条
何人も、拷問又は残虐な、非人道的な若しくは屈辱的な取扱若しくは刑罰を受けることはない。
第六条
すべて人は、いかなる場所においても、法の下において、人として認められる権利を有する。
第七条
すべての人は、法の下において平等であり、また、いかなる差別もなしに法の平等な保護を受ける権利を有する。すべての人は、この宣言に違反するいかなる差別に対しても、また、そのような差別をそそのかすいかなる行為に対しても、平等な保護を受ける権利を有する。
第八条
すべて人は、憲法又は法律によって与えられた基本的権利を侵害する行為に対し、権限を有する国内裁判所による効果的な救済を受ける権利を有する。
すべて人は、自己の権利及び義務並びに自己に対する刑事責任が決定されるに当っては、独立の公平な裁判所による公正な公開の審理を受けることについて完全に平等の権利を有する。
第十一条
1 犯罪の訴追を受けた者は、すべて、自己の弁護に必要なすべての保障を与えられた公開の裁判において法律に従って有罪の立証があるまでは、無罪と推定される権利を有する。
2 何人も、実行の時に国内法又は国際法により犯罪を構成しなかった作為又は不作為のために有罪とされることはない。また、犯罪が行われた時に適用される刑罰より重い刑罰を課せられない。
第十二条
何人も、自己の私事、家族、家庭若しくは通信に対して、ほしいままに干渉され、又は名誉及び信用に対して攻撃を受けることはない。人はすべて、このような干渉又は攻撃に対して法の保護を受ける権利を有する。
第十三条
これで全部。眞子氏の境遇に照らしてみれば、皇籍離脱前の彼女の人権がどれだけ制約されていたかが改めてわかる。民主主義国家を標榜する日本で、大半の日本国籍の人々が当然のように享受している人権の多くが制約された、とても特殊な立場の人が、自らこの大学への編入を選び、4年間の教養教育で人間中心主義(humanism)の理念と気風を涵養され、立派に「人間」になった。というか、人間としての自覚を得た。そういうことなのだ。
ちなみに天皇は敗戦後に「人間宣言」したと言われているけど、実は「ぼかぁ人間なんです、すまんかった」などとは言ってない。原文の官報詔書『新年ニ當リ誓ヲ新ニシテ國運ヲ開カント欲ス國民ハ朕ト心ヲ一ニシテ此ノ大業ヲ成就センコトヲ庶幾フ』(1946/1/1)、別名『新日本建設に関する詔書』に書かれている該当箇所は
朕ト爾等国民トノ間ノ紐帯ハ、終始相互ノ信頼ト敬愛トニ依リテ結バレ、単ナル神話ト伝説トニ依リテ生ゼルモノニ非ズ。天皇ヲ以テ現御神トシ、且日本国民ヲ以テ他ノ民族ニ優越セル民族ニシテ、延テ世界ヲ支配スベキ運命ヲ有ストノ架空ナル観念ニ基クモノニモ非ズ
となっている。「天皇は現御神で、日本国民は優越民族で、世界を支配する運命にある」という戦前に言ってたことは「架空なる観念」でした、としか言っていないのだ。じゃあ現御神ではなくなった天皇が戦後どうなったかといえば、「日本国及び日本国民統合の象徴」になった。それはもはや神ではないし、といってただの人間=日本国民でもない。それは「日本は一体である」という(敗戦後にギリギリの交渉の結果残すことができた)国民国家のファンタジーをまるごと引き受ける、人間ではない何かだ。天皇と皇族は「平和憲法を遵守する新国家」を象徴する「何か」として、常に国民をいたわり思いやる理知的で心優しいファミリーの役回りを多世代にわたって演じ続けることになった。それって、ありていに言えば「人形」でしょ。
かつてのように神聖不可侵でもなく、かといって市民・国民としての人権を与えられてもいない「人形」は、やがては人々のおもちゃにされてしまう。今はみんながそれを使って「人形遊び」という娯楽に興じている。政治家や宮内庁職員や皇室ジャーナリストや評論家らが「本人が言った言葉」とその解釈のあいだにいくらでも恣意的な読み替えを挟み込むのも、メディアが皇居というドールハウスの内情について真偽不明のゴシップを書き立てるのも、辛酸なめ子や倉田真由美が赤の他人同士の結婚について大仰に憂いたり消耗したり絶望したりしてみせるのも、本質は人形遊びだからだ。相手が人間ではないから、そういう非人間的な扱いをしても許されるし、人形のほうが「与えられた役柄」を勝手に逸脱し始めたら嘆いたり憤ったりしてもいいのだ。
本件をイプセンの『人形の家』をひいて論じていたのは、意外なことに山口真由ぐらいだったけど、今回の騒動を見ていて、天皇家が「人形の家」ではないと言い切れる人はだいぶ減ったんじゃないか。人形の家には人間は住めない。だから、人間になった眞子氏は人形の家を出た。
窮屈な人形の家を、人間が住めるような間取りと風通しにしてやらない限り、そのうちまた同じことが起こるだろう(直近では、同じ大学で同じように「人間」に目覚めてしまった佳子氏にも同じことが起きるかもしれない)。風通しを良くするには、これまで75年にわたって「人形遊び」をしてきた我々自身がこの遊びを卒業して、その他の「市井のなんでもない人々」に接する時と同じような儀礼的無関心を貫くことなんじゃないかと思う。ことさらの敬愛も嫌悪もいらない。ただの人間として扱い、他のただの人間に抱くような尊重の念を持って接しよう。
twitterで話題になっている「道端で突然見知らぬ女性をトイレに連れ込み説教しながら着物を剝がす」着物警察の蛮行を恐ろしく眺めていたのだけど、
関連ツイートで「私も着物警察によく絡まれるけど負けません!」という方がお写真をあげていた。
お洋服とお着物を掛け合わせたかわいらしいコーディネートだったのだが、カジュアルなフレアスカートに合わせていたのが上半分に切られた黒紋付だったのである。
見た瞬間にウッ…と思ってしまった。
「黒紋付」とは最も格式が高い礼服のひとつで、黒無地に前身頃と袖と背の計5つの家紋が入っている。一番目にするのはお葬式ではないかと思う。遺族・親族席でお着物の人がいれば、それは黒紋付である。
黒紋付を普段着にするのは、なんというか、洋服でいえば上半身がタキシードで下はチノパンみたいなちぐはぐさに思える。いくら着物は自由といっても、洋服と同じように格式はあるのでは?あと新品で誂えれば数万~数十万するから、おそらく中古で買ったであろう他家の紋付を切ってしまうのも、なんだか罰当たりなように思えてしまう。リサイクルショップに神棚のおやしろがあっても、それをドールハウスにはせんだろ、的な。他人んちの紋を背負ってそのアレンジする?私が元の持ち主だったら化けてでそう。
別に黒無地のお着物だったらなんとも思わず、黒紋付であるがゆえのことなので、これが着物にまつわる面倒くせえ一面だよなと一人でうなずいたりもする。
今敏、内田けんじ はわいもすこ。コメディだと思ってるのあげてく
Lル・アーヴルの靴みがきLe Havre(2011年)
L希望のかなた Toivon tuolla puolen(2017年)
L 浮き雲 Kauas pilvet karkaavat(1996年)
L 街のあかり Laitakaupungin valot(2006年)
L地球は女で回ってる DeconstructingHarry(1997年)
L 恋のロンドン狂騒曲 YouWill Meet a Tall Dark Stranger (2010年)
ギミック系は、メメントとかシックスセンスとかミストとか他にも有名どころは語り尽くされてるので
誰も触れて無い系だと、デビッド・フィンチャー監督、マイケル・ダグラス主演の『ゲーム』がすこ。小説版も好き