
はてなキーワード:ドレッドとは
来週の土日の放送はないようなので、
再放送は、そのあとにありそうです
BSジャパネクストがリニューアルBS10の無料放送側で日曜昼などに放送中
見られなかったケーブルテレビ局でも見られるようになったので要確認
つながるジャパネットアプリで放送同期・スマートテレビや4月からtverを含め見逃し配信あり
-----
◆修正済み◆
(実力テストはありません)
・02くまモン
・05アグネス・チャン
・07 『乙女の祈り』
・08 [近似値]4.8冊
・09 右(回り
・10 泣く子かな
・13燕尾服
・14カルボナーラ
・15 6(桁
・16ドガ
・18 林 遣都←追記:これを挿入
・19 [おそれる]ドレッド(ヘア
・20 [名物クイズ:アナグラム:慣用句]苦しいときの神頼み
・22松村北斗 まつむらほくと
・26 [3択]44 倍
・28 O(型
・30ウランバートル
・31e [どちら]裸 子植物
=====
(日曜本放送)このあと
今週は14:15「ロングブレスの魔法 #7」→14:30ジャパネットたかたテレビショッピング→ジャパネット つながる生放送ショッピング!
15:56からは「VS 今平周吾 #12
https://anond.hatelabo.jp/20250907140118
人間の善意ややさしさは、ときに逆説的に、魑魅魍魎を呼び寄せる。地獄とは死者の後にあるのではなく、生者の営みのなかにこそ現れる。
残されたIT会社の社員の人たちは、現場?に入ってる別のパートナー会社?というところの人たちが引き受けて業務は継続することとなったらしい。つまり、吸収のような形のようだ。俺はIT業界で働いたこともなければ、経営なんてしたこともないのでこれ以上の詳細はわからない。
webベンチャーで始まった会社は、兄の無法により傾いた会社をどうにか回すため、客先常駐業?を始めたらしい。それに反発して大量の社員が去っていった。後に残るのはわずか数人、というありさまだったらしい。兄もその「客先常駐」の一人としてよその会社に働きに行っていた、という。
ただ、どうも兄の葬式などの手続きで奔走している間、伝え漏れてくる奥さんや他の人たちの話を聞いていると、兄の会社が傾いた理由は、本業のITのせいではなく、兄が多角経営をしようと株(先物?)だとか、不動産だとかに手を出した結果、凄まじい損が出た結果らしい。
本人は「時代の潮流に乗る」と信じていたのだろう。だが歴史をひもとけば、一発逆転を夢見た者の多くは滅んでいる。兄がかつて憧れた15年前の意識高い系のインフルエンサーといった生物たちで、現在でも生存している人間はいるだろうか?彼らは当然の如く時流を見誤り、あえなく路傍に果てた。兄もまた、その群像の一人ではないだろうか?
当人は良かれと思ってやったのだろう。6年か7年前だっただろうか、「ネットを見てみろ、大体みんな投資やっているぞ」、「ある程度不動産も回さなければ安定した経営はできない」、「Xで有名な〇〇さんだって…」と実家に帰省した度に兄がよく自慢していた。
俺は口が裂けても言えなかった、「それ」は本当のことなのか?本当に儲かってる奴が儲かってるなどとネットで公言するだろうか?アポ電強盗さえ流行しているご時世に。
兄が憧れた「キラキラ生活」もそれだ。本当にキラキラした人生やキラキラした生活を送っている美男美女は、そんな自慢はしない、そもそも、ITベンチャーの社長などと名乗っている奴らが本当なのであれば、気〇いみたいにXなんかをしている暇なんかないであろう。少なくとも俺はそう思うし、業種は違えどそれほどの責任ある立場の人たちはみんなそうだった。忙しいのだ、単純に、世の中で暇な社長などいるであろうか?いたら見てみたいものである。
「キラキラした世界」で生きていたルカねえもそうだ、彼女は兄の様に見栄を張らなかった。ありのままに自然や世界を見つめていた。それは俺でさえ忘れてしまいそうな人間として当たり前の自然と調和した感覚なのではないだろうか?
…だがそんな中でも兄は「キラキラ生活」をやめようとしなかった、「いつか一発逆転ができる」…追い詰められた人間特有のありえない夢想は、かつて子供の頃の俺に「ITで世界は変わる」と語っていた夢が首を吊った時にヒリ出した糞と小便とザーメンで混ざり合って変質した思想だ。
当然、現実はそれを許さない。それを粉砕するように冷たく回るこの経済大国の社会の前に、心が折れた兄は首を吊って自殺した。
兄の自殺死体の第一発見者は奥さんだったようだが、学校が終わって帰ってきた娘も居合せたという。
生きている人間には絶対できないトカゲの様に舌をたらし、小便と糞便と精子を漏らし縊死して「てるてる坊主の様に(俺の父が形容するには)」になっている兄の姿を見て、娘はしばらくショックで意識を失っていたという。
俺はそれを聞いて、朴訥だったIT少年だった兄にまとわりついたITや情報化社会の「毒」が抜けて出た汚れが、首を吊っててるてる坊主になった下にたまった糞と小便がブレンドされた汚物なのだろうか、と思った。
兄の魂は天へ昇ったのではない、虚勢と見栄と業でがんじがらめになって、ネットの海と地の底の闇の世界へと、魂は糞と小便にザーメンに溶け混じった汚物と混じって堕ちていったのではないだろうか、その死に様を聞くたびに、そう思わずにはいられない。
今も兄の娘はトラウマと精神疾患で、精神科に通院をしている。音楽関係の母(兄の奥さん)を持つだけあって、芸術に素養のある血統があったのだろう、絵画のコンクールなどで受賞した利する程だった彼女は、とてもではないが形容できない闇の深い滅茶苦茶な絵をかいたり、黒く塗りつぶした様な絵だとかに変わっている、という。
それはまるで、兄が縊死した末に堕ちていった世界の一端を描いているかのようだ。芸術とは本人が意識せずとも、世界の裏側を映すことがある。兄の娘の病んだ絵は、父が堕ちていった闇を娘故に見えてしまったのかもしれない。
それだけのことをいうのにも理由がある。兄が死んでから暫くというもの、ルカねえの「音楽関係時代の知り合い」や「兄のビジネスパートナーの会社の社長」、「経営者友達」などと肩書だけは社長だと名乗る風体からして怪しい連中が押し寄せて、兄の娘を「芸能界デビュー」させようと、「おじさんに何でも相談して」等と明らかに性的搾取をするために下心丸出しで群がる様になった。電話、line、SNS、酷いときには登下校中の彼女に対して、性欲にギラついた性獣そのものの目を向けて兄の娘をそのいきり立った股座を隠すこともなくケダモノの様な獣欲でモノにしようと群がっていたという。その光景は、死にかけた草食獣に群がるハゲタカやハイエナを想起させた。(当然、即俺やルカねえや父たちは警察に相談して事なきを得た)
――兄の娘は、制服を見るだけでもそれを思い出して立てないくらい立ち眩みを起こして何度も吐く様になった、これを心身症という。日本社会の底辺に沈殿した悪意と欲望が、無垢の少女にまとわりついた結果である。
俺と父はそれに対処しながら、「本当にこんなエロ漫画やエロゲーみたいな種族が日本にいるのだな」と内心思っていた。これもまた、兄の見栄と虚勢と業が生み出した禍だ。
「あのルカねえのセンスを受け継いでてカワイイこの子がこの業界にこないのは人類の損失ッスよ!俺にプロデュースかませてくださいよッ」、俺たちの前で軽薄にチャラついて兄の娘に獣欲を隠しもせず艶めかしく気持ちの悪い目線を見せている、山師の様な連中、普通の人間であればしない臭いが鼻を突いた。後で警察官の知人に聞いたところによると、大〇を吸っている人間はそんな臭いをまとわせるのだという。不思議なことに、獅子舞の様にドレッドヘアーを振り乱して、制服姿の兄の娘をチラチラみながら軽薄と欲望と悪意と性欲を向けて喋る彼の顔が、俺にはかつての兄に重なって見えた。
何の罪もない感受性の強い14歳の娘に、社会の底辺からの悪意と性欲の手と邪眼の様ないやらしいマナコが常に体にまとわりついている。残されたルカねえと兄の娘にとって、これほどの地獄があるだろうか?(俺が14歳の頃といえば、こっそり家でネットのエロ同人でオナニーをして、昼休みはクラスで遊戯王カードでバトルが開始され、部活で汗を流し、職員室や校長室の掃除で教頭や校長と話をして大人の世界の一端を聞き、校庭の向こう入道雲と未来に思いをはせて大人に背伸びしていた気になっていたような年頃だ)
だがしかし、この地獄は兄一人の死から生まれたのではないと思う、虚栄と業に囚われた一人の男の末路が、時代と社会の病を照らし出したにすぎない、俺はそう思う。
時期はぼかすが、兄の娘が警察に補導された。学校にいてもほとんど「体調不良」で保健室にこもりっきり、周りともうまく合わせることが出来ず。彼女は流れ着いたトー横で警察に補導された。
間一髪だったと思う、しかし明らかにその様子は精神的にも異常だった。俺や父にまで肉体関係を結びたいとほのめかすような言動をしていた。当然母にいってルカねえと即心療内科へ連れて行った。彼女は社会の闇の部分の悪意に当てられて、身を守るために「女」であることを、まだ齢14や15で覚えてしまおうとしている、俺と父は背筋が凍る思いがした、人はこんな簡単に「壊れる」ものなのかと。
聞けば、ルカねえが精神科への通院をやめさせたらしい。彼女が最後に縋ったもの…それは自殺した兄と同じく根拠のない「願望妄想」の亜種であった。
精神科からの投薬でさらに精神状態が悪化したとルカねえは考えたのだろう。通院を辞めて怪しい漢方薬やら青汁やらといった民間療法に縋るようになった。娘がそんなもので心が治るはずもない、それさえもわからないほど心がすり減ってしまっているのだ。
気功、波動、そんな怪しい連中になけなしの金を払って縋り付いている。俺にはそれが腹立たしくて悲しくてやりきれなくて仕方がなかった…彼女たちは何も悪くないというのに。社会の底辺の悪意が彼女から弱った心に付け込んで、社会の底に漂う闇が、弱き心に牙を立てている。金も全てを奪い去ろうとしている。まさにこの世の地獄がそこにあった。
俺が暮らしていた府中の大国魂神社は、この地に古くから鎮まる武蔵国の総社である。神社はかつて人々の心をつなぎとめ、共同体の絆を保つ拠点であった。しかし近代の都市化のなかで、古き信仰は力を失い、かわって都市の片隅に怪しい宗派が芽吹いた。
トドメとばかりにルカねえの前に「例の壺売り」の亜種の様な連中やら似非神道や仏教やキリスト教の一派、様々な怪しい宗教がどこから聞きつけたのか搾取しようとやってきた。その姿は、山中に棲むヤマビルを思わせた。磨り減った心に吸いつき、血を啜ろうとする。もはやルカねえにそれをはね返す力は残されていなかった。
それでも俺の両親も、俺もどうにかこうにかマトモな生活ができる様に接し続けていた、助け続けていた。普通に生きてたら恐ろしくて相対することも怖い様な「墜落したUFOから這い出てきた宇宙人」の様な連中が夏の蚊の如くたかってくるのを追い返しながら、
思えば、それもまた兄が、ありもしない見栄や虚勢をネットとSNS,そしてITに見出して引き寄せた業そのものだ、ただ伴侶で、娘というだけで、日本人で普通に生きているのならば一生見ることもなく、また普通の人間なら見てはいけない世界や存在を業として背負わされている。
そこには10年ちょっと前のあの日、府中は分倍河原で見たプラネタリウムと、あの日の帰路の夜見た星空の様な綺麗な「夜」ではない。あのとき見た星は、清澄で、人の夢を誘うものだった。だが違う、これは悪意に満ちた「闇」である。そこに希望も夢もなく、ただ人の毒が漂っている。兄の娘とルカねえは、その闇に呑み込まれた。彼女らが何の罪も犯していないにもかかわらず。
夜と闇の違いがあるとすれば、そこに人の希望や夢があるかどうかであろう。闇に潜むしかない生まれや育ちの人間だって、確かにこの社会にはいるのかもしれない。しかし闇は、夢を赦さない。兄は本来、朴訥なIT好きの少年であった。
だがいつしか、踏み入れてはならぬ領域に足を進め、虚栄と虚飾に体と心を食い尽くされた。そこに群がったのは、毒虫のような人間たちであった。
――そんな中で記憶に残っている光景が一つだけある。ふとそんな雑輩の対処に父とおわれている時、土日の朝であったであろうか。仮面ライダーやウルトラマンがやっていたのを見た。銀幕の中で「悪の怪人、怪獣」と戦う彼らの姿を見て、俺と父は思わず鼻で笑った。
ウルトラマンも仮面ライダーも、現実には存在しない。彼らが戦うのは彼らと同じく怪獣や怪人といった架空の世界の存在だけだ。子供たちのヒーローは決して、俺たちが今戦っているようなグロテスクな社会悪…欲望と虚栄に塗れた人間たちとは理由をつけて戦わない。
「ヒーローの超人的な力はただの人間に振るってはいけない」だとか「どうしようもない存在に等しい力でとめるのがヒーローだ」と言いつつ。笑ってしまう、現実には彼らなど「警察官立ち寄り所」のシールが張られたコンビニ以下の抑止力しかない。そう、ウルトラマンはいないし、仮面ライダーは助けに来ない。それがルカねえと兄の娘の前に横たわった冷酷な現実だった。そして、それと戦っているのは今まで荒事などに遭遇したこともない、普通の人生を生きただけの牙も爪も持たぬ一般人である父と俺だった、仮面ライダーやウルトラマンといった存在ですら「理由をつけて戦わない程厄介極まる社会悪という敵」と戦う俺たちは、スペシウム光線も打てなければ空も飛べない、ライダーキックもできなければサイクロン号にものっていない。持っているのは柔道初段、乗ったことがあるのはスーパーカブだけ、戦闘技術らしきものといえば、大学の時夏休みを利用していった予備自衛官補の訓練だけだ。64式小銃を執銃するたびに指の皮がむけてバンドエイドを張り、分解結合は3分もかかった。的には実弾射撃で一発も当たらず訓練を終えた。そんな凡骨が、警察をも恐れず14歳の少女の瑞々しい肢体を欲望の毒牙に掛けようと闇から這い出てくる、犯罪を生業とする無頼の連中と、矢面に立って戦わされている。
実際は、俺たちの知っている「正義のヒーロー」など、企業経営のための利潤を求める売り上げ高のある「商品の一つ」にすぎない。ああ、立派な志を掲げて人々を守ると誓い、TVの画面の向こうで勇ましく戦ったにもかかわらず、今はマニアのオタクしか知らずにその活躍も存在も忘れ去られたヒーローなど幾らでも昭和の昔からいたではないか。秋葉原に行けば、かつて大志を掲げて戦ったはずの昭和のヒーローたちが、忘れ去られ、玩具の片隅に埋もれ、ショーウィンドーに忘れ去られた玩具として並べられている。
かつてTVの向こうで戦った英雄たち…ショーウィンドーや中古オモチャの箱に押し込められ、埃をかぶったその姿は、もはや仏像の破片の如く、往時の光を失っている。
そして、せめて闇に堕ちた兄が唯一這い上がれる救済の光を出し続けていたルカねえや娘は兄の引き連れてきた「黒い遺産」である彼らに闇の毒牙を突き刺され、心が壊れた。…壊れてしまったプラネタリウムはもう星空を照らさない。また直ることは決してない。
――弟である俺が言うのもなんだが、兄は地獄へ堕ちている、と思っているし、堕ちていなければならないと思っている。彼はそれだけのことをしてきたからだ。
俺のパソコンは窓側の後ろにある。目が疲れたら遠くの景色を眺めるためだ。
遠くには街の灯りがうっすらと見え、人の営みがまるで夜の闇に「プラネタリウム」のように輝いている。
…あの星の一つ一つには物語がある、人生がある、それらが輝き合って社会と世界を作っている。兄は、それに最後まで気が付かなかった。ネットとSNSとITの毒に当てられ、自尊心が毒虫の様に肥大化し、自分を一番星の生まれ変わりと信じようとして…星は無間の闇へ堕ちた。
PCの画面に向かう時、俺は兄が落ちたこの世の闇と地獄への入り口を同時に覗いているのだ。そう考えると背筋が凍る思いがした。
ただの0と1の数式で動く電気計算機でしかないPCは、社会の闇と地獄を、一生関わり合いにならない人たちを引きずり込むほどの魔力を手に入れた、それは皮肉にも、「ITで世界は変わった」と言えるのであろうか。俺達が想像した方向性での世界ではなく。暗い闇と地獄の窯として。
HDの上にはみんなで江ノ島に行ったときに水族館で200円のガシャポンで買った、青く透明のスーパーボールの中に、シロナガスクジラが入っている。
空とも海ともいえる闇とは無縁の蒼い世界を泳ぐ鯨を見て、闇と地獄が忍び寄る影が消え去っていくような気がした。昔、兄がやっていたPCゲーム「最終試験くじら」を思い出していた。内容は覚えていない。ただ曲と世界が綺麗だった。よく今はなきMDで曲を聞いたことをよく覚えている。繰り返し聴いたあの曲は、蒼い空と海を思わせた。そこには、ルカねえや娘に群がった下劣な人間たちの姿はなかった。ただ清らかな青があった。
ルカねえや娘、俺達に群がる石の裏をひっくり返した蠢くようなグロテスクな蟲の様な連中とは無縁で決してたどり着けない、青い空を泳ぐ鯨、どこかそれを思い出していた。
――こんな話を昔聞いたことがあることを思い出した。
ルカねえと兄のなれそめは、兄がiTunesの同期が上手くいかないからと、直したことがきっかけだったそうだ。
「すごいねぇ、こういうことできる人って、尊敬しちゃうな、人の役に立てる技術があって、それを他人のために使える人って、カッコイイよね」、ルカねえはそういったという話を実家での酒の席で聴いたことがある。
ああ、兄はひたむきに朴訥に「ITで世界を変える」のではなく「ITで人の役に立っていた」時期でとどまっておくべきだったのだと思うし、そういう仕事をすべきだったと、今にして俺は思う。
人の役に立つための技術であれば、彼もまた人を照らす星であれたはずだ。
…人の役に立つことを誇りとする。それ以上のものを望まずとも、兄は一つの星でありえた。
今兄はどこへいるのだろうか。首を吊った時に染み出た糞と小便とザーメンと体液に魂が溶け出して、娘を狙ってやってきていたIT業界だとか雑多な業界からの魑魅魍魎の世界で永遠に満たされない苦痛と地獄の中で、ルカねえと娘に暴力を振るった時の様な慟哭を叫び続けて泣き続けているのだろうか?
それとも、ITとネットとSNSで毒虫に刺されたように肥大化した自我を首を吊った時に染み出た糞と小便とザーメンと体液に流れて心が浄化されて、己のやってきたことを「壊れたプラネタリウム」の様な無間の闇の中で後悔しながら何度も答えが出ることもなく虚空の闇に魂が逡巡を彷徨い続けているのだろうか?
死んだ後の世界の話など、生きている俺たちは知りえることもない。ましてや、あまりにも見栄と虚勢と業に塗れた兄がいった世界など、想像しえるはずがない。
ただ一つ、確かなことがある。残された者の苦難は、死者のそれよりも長く、重いということだ。
俺は願っている。ルカねえと娘の心に、再び光が差すことを。
ただただ、ルカねえと残された娘の魂と人生の安らぎが戻ることを願うだけである。
鯨はただ、地獄の入り口であるモニターのブルーライトで照らされた青の中を泳ぐ。人の業を超えたその姿に、俺は兄が生涯見ることのなかった「青い世界」を重ねてしまうのであった。
パソコンの向こうのXで繰り広げられる、貧困、見栄、虚飾、性欲、憎悪、グロテスクな感情の数々と地獄の様な世界。あれらとは無縁の蒼い世界を、鯨は悠々と泳いでいる。
youtubeで調べて曲を見つけた、「ディアノイア」という曲だった。旋律はあの頃と変わらず。澄んでいた。あれを聴いていた日々だけは、今も青い光として心に残っていることを思い出した。
「想い出はキレイな 夢を紡ぐから、会えなくても信じてる輝いている君の瞳を」、「いつまでも変わらない ほら、真実の愛がある」
…兄が最後に見ることのなく、ルカねえと兄の娘の壊れた心では永遠にたどり着けなくなった「青い世界」は、いまも机の上の小さな球体の中で、鯨とともに静かに息づいている。
その③
独り身で、休みの間の予定も映画は鬼滅とジュラシックパーク、献血、筋トレ3回くらい、艦これも今年はイベントもやってないので積みゲーを消化しようと思う。
エルデンリング、アサシンクリードオデッセイ、AocIVI、Hades あとバイオショックシリーズ。戦場のヴァルキュリア4
ドラクエXI、メトロイドドレッド、大神、オメガラビリンスライフ、溶鉄のマルフーシャ。
あたりが積んである。
でも、先週買ったエンダーズリリィがプレイ時間5時間くらいでカタコンベなんだが、結構面白いので続編のマグノリアもやってみたい。
あと、たまたま見たファイアーエムブレム風花雪月の映像をちょこっと見たのだがエーデルガルトがめちゃ好み。すらりとした制服?姿もいいが、三つ編みを編み込んだ髪型のヘビーアーマ然とした斧姿にヘクターみを感じてかなりやりたくなってきた。
聖戦トラキアは受験とかでスルーしたが、初代から暁の女神までプレイ済み。覚醒、if エコーズは未プレイだが、かなりのエムブレマー。ファイアーエムブレムを一生楽しむ本とかも読んでたなー。
画像生成AI、最初から金稼ぎのために悪用するつもりの奴はどうでもいいが、ただ仕様が分かっていないせいで無駄なトラブルに巻き込まれてる一般人をよく見る
潜在空間の概念、モデルトレーニングの流れ、ファインチューン、マージ、LoRA、ベクトル操作くらいは勉強してから使ってほしい
わたしは特定絵師に寄せてないよ!と言っても、使ってるモデルがチューニングに特定絵師のデータばかり使ってたり、絵師LoRAがマージされてて特定の絵柄が標準で生成されるようになってるモデルを使っていると、ユーザーが寄せようとしなくても寄る
イラスト用のモデルがなぜイラスト風の画像以外を上手く生成できなくなるか?つまりなぜ実写が苦手になるのか、それはイラストで頭をいっぱいにされているからだよ
あと、スタイル指定に使われる「by 〇〇」とか「〇〇 Style」みたいな言葉は、所詮他のプロンプトと同様に「複数の概念が内包された言葉」でしかないので、組み合わせ次第では特定の画風に寄ることもあるわけだ
例えば「Vector Style」という言葉が「solidcolor,sharp edges,clean edges, minimalist,transparentbackground, high contrast」といった要素を持つ場合
「solidcolor,sharp edges,clean edges」というプロンプトを使うとVector Styleに近づく
要は、ある言葉が直接そこに結びつき、絵柄指定と同じ効果をもたらすということ
さらに、この現象の極端なケースとして「教師データが特定絵師の作品ばかりに偏ったオブジェクトは、オブジェクトそのものと絵師の絵柄が結びついてしまう」問題もあったりする
そのオブジェクトAと絵師Xの概念が非常に近いために、オブジェクトAを生成すると絵師Xの絵柄で生成されることがある
AといえばX!状態というわけだな
逆に、絵師Xの名前と同じ単語が入っていると、なぜかAが生成される、ということもある
これはいわゆるバイアスで、一般的な例を出すと、黒人がアフロで生成されやすかったり、白人が金髪になりがちだったり、特定の職業人を生成すると性別が偏るのと同じで主に学習データの偏りに起因する
謎のサインが生成されるのも「イラストや絵画には大体はこんな感じのがある」と学習した結果だ
黒人とアフロの例では、それぞれの概念が結びついていて、黒人はチリチリというバイアスがあるので黒人+ロングヘアー=チリチリロングになったりするし、ドレッドヘアーになることもある
白人+アフロ=浅黒アフロになる事もある そのAIにとってアフロといえば黒人であり、黒人といえば肌が黒い、白人に黒を足すと浅黒い、故に浅黒アフロが生まれる、ことがある
とはいえ、この程度ならAI側がその言葉から学んだ特徴に過剰適合していない場合、プロンプトの組み合わせで回避できる問題だ
黒人をロングにするとチリチリになるなら、ストレートヘアーなどの言葉を追加する
アフロや黒い肌といった言葉をNegativeに入れるのもありだ
「不要な特徴からは距離を取れる、ただし反応できるのは文字と概念が結びついている時」
ストレートヘアーを追加すると顔が変化したり、白い肌を追加すると目の色が変化したりする
「"あの"魚が欲しい」と網を投げた際に、狙っている魚以外のものまで取れてしまう
なので、観察しながら調整しなければならない
望まぬ結果を避けるために、意図せずともそういう結果になりうる、という事だけは把握して
今の生成AIにとっての自然言語とは、固有の意味を持つのではなく、ある「領域」を示すもの
生成AIは、言葉に従って潜在空間を移動しながら、学習した言葉と関連する画像から得た特徴をガバっと鷲掴んでいき、人間から見た時の整合性は気にせず一つの出力物をアウトプットする
小魚が多い海域で網漁をすると、小魚だけ取れることもあるが、小魚と一緒にゴミが取れることもある
ゴミは要らないと言っても仕方ない、その海域にはゴミが存在するのだから
だが実は、この仕組みがアウトプットの多様性を生み出すために役立っている
人間は魚を手に入れるために網を投げたわけだが、漠然と「魚が欲しい」と網を投げた時に、特定の魚しか取れないのは多様性の欠如に繋がるし対応力もなくなる
究極的には、「プロンプトで書かれている事を"正しく"」出力するAIも作られるかもしれない
必要としているものしか出てこない、さぞ便利な道具だろうと思う
だが、そのAIを活用するには結局のところ、ドメイン知識を持った上で自分が何を必要としているのかを相手に伝える力が必要となる
「犬」と言われて、真っ先に秋田犬が思い浮かぶ人もいれば、ペットのミニチュアダックス以外が思い浮かばない人もいる
その「リンゴ」っていうのは、片があるの?無いの?一枚の葉がついてたりする?木のこと?
"正しさ"とは?解釈の結果は一義的なの?全人類共通の理解が得られるの?
あいつが悪い!いやこいつが悪い!すまん俺が悪い!いやそんなことはない!
お前がそう思うんならそうなんだろう、お前ん中ではな
あらゆる物事について、全ての人類が同じ解釈になる日がこない限り、知識と経験、そして言語化力からは逃げられないというわけだ
というわけで、潜在空間の概念、モデルトレーニングの流れ、ファインチューン、マージ、LoRA、ベクトル操作を学び知識を増やし経験を積もう
画像生成モデルを学ぶこと、その半分くらいは言語モデルを理解することにも繋がるよ
本当はそもそもの仕組みとかモデル毎のアーキテクチャとかトークンとかシードについても知ってほしいけどキリがないんだよね
追記:
AIに校正させるのはいいけど、この文章で完成するわけでもなし、それを"ちゃんと"発展させるのは手間がかかるんよ
それこそ小魚と一緒にゴミが取れまくるんで、ゴミを取り除くために愛と魂をこめて作業しないといけないのがめんどいわけですわ
だから俺はやりたくないけど出版してくれたら買って布教するよの投稿
追記2:
文化の違いといえばそれまでだけど、日本人のオタクとしてわけわかんないのは公式絵を堂々とトレスしつつ黒人へと改変してるんだよね。日本人のファンアートでもケモ化とか幼児化とかいろいろあるよ。でも公式絵をトレスしたのを「自分の作品です」って出さないじゃん。公式じゃない二次創作絵でもポーズや構図を参考にした場合は「※参考写真/画有り 目トレス 〇〇パロ注意」とか注意書きしたりするわけよ。
それをさ、タイムラプスで制作過程を公開してるんだけど、公式イラストやアニメの画面キャプチャにレイヤーかぶせてトレスしてるとこを堂々と出すわけよ。それで素晴らしい作品になりました!とかすっごい満足げにしているのがわけわからんのよ。
パロディにするならパロディのナラティブというか物語が欲しいんだがそういうのが見えない。ブラジリアンミクには髪型や服装にそれがあったし、世界中の人が触発されてブルガリアとかインドの民族衣装や髪形をした各々の国のミクを作り上げていった。でも黒人化にはそれが見えないんだよ。公式の絵をトレスして肌を黒くして唇を分厚くして髪をドレッドヘアにしてそれで終わり、なのにやたら「正しい」ものとして自画自賛したり称賛される。 これは私が日本人だから黒人化の背景にあるナラティブが理解できてないだけなのか?そこらへんに断絶を感じるんだよね。
批判の多くが「日本に見えない」とか「四季がめちゃくちゃ」「中国と日本の区別がついてない」
「馬がホバーしてたり障子が浮いていたり、バチがあたってないのに太鼓を叩いていたり、謎の中国の楽器が登場してる」
「野生の松の木はこんな盆栽みたいじゃないし、畳が真四角なのもおかしいし、桜はこの頃はソメイヨシノはないし、鳥居が村の入口のあるのは変」
「神社でお香は炊かないし、春に稲刈りはしない」「なんていゆうか風景がミャンマー」「錦鯉や今の剣道の竹刀は江戸時代からで、この時代にはない」
そして
「弥助はアフリカ系黒人(ほぼエチオピア人で確定)なのに、裏でヒップホップが流れててドレッドヘアなのはアメリカの黒人の特徴でUBIは何も分かってない」と。
もちろん【伝説の侍】でもない!と。
「日本の歴史を学べるって開発者は言っていた!!」 うん。それで?
しかも開発者は世界中のインタビューで、これまでずっと日本人から「こんなのは日本じゃない!!」って指摘をずーーーーーーっと、3ヶ月以上受け続けてても、それでも
「私達は専門家と常に協力してきた」「歴史描写の正確性」にこだわってきたし、自信がある」「日本に敬意を払い、とても最新の注意を払って作った」
「アサシンクリードシャドウズはシリーズ最高の出来です」と言っている。今でもね。
今作でも「現代パート」がある事はインタビューからも分かっている。
2ヶ月後にゲームが発売されたら俺が預言者だとか内部の犯行だとか言われないか心配だけど、俺には「答え」が分かってしまったよ。
だから、アメリカ系黒人で問題ない。だってこれはゲームでフィクションだからね。史実の弥助ではないからエチオピア人じゃなくていいんだ。Fateのアーサー王が女なのと同じ。
そのタイムトラベルの際に時空の歪みが発生してしまって、日本やタイや中国やミャンマーと地形が入り混じり、四季もめちゃめちゃになってしまったんだ。
もしくは、その歪みを修正するために「伝説の侍、弥助」として戦国時代の日本に赴くんだ。
だから、そこに東大寺の奈良の大仏があるのは何もおかしくないし、無いはずの二条城の天井画があるのも何もおかしくない。
時空が歪んでるんだから、馬もホバーするし、障子も浮くだろうよ。
そういった「間違い」を正すことで、つまりユーザーが【8番出口】のように間違い探しをすることによって「日本の歴史」を学べるんだと思う。
有名な日本の専門家と協力して、歴史的正確性にはかなりこだわったみたいだからね。
これなら、開発者達の説明となんら矛盾しない。そして、彼らが釈明出来ない理由である。
ここで理由を全て説明し、謝罪をしてしまったらネタバレになってしまうからである。 弥助がサラブレッドにまたがってホバー移動しているのにも納得だ。
だから彼らはただ「日本に敬意をもって細心の注意を払ったこと」「日本の皆様に誤解を与えたこと」を謝り「何も問題はありません」「自信をもってリリースします」と言っているわけだ。
これは発売後、一気に神ゲーとして評価が逆転する可能性を秘めている。
実際、昨日1日だけでUBIの株価は5%近く上昇している。
日本円にして、100億円以上も企業価値が上がっているんだ。 1日で100億円以上だよ!?
もともとアサクリは日本での売上なんて期待してないし、外人にさえ支持されれば良い。
つまり、日本人からの評判を気にしたり日本を法律を守る必要はないって事だ。
実際バイオ5は白人が黒人のゾンビ(つまりは死体)を撃ち殺す描写で世界中からバッシングされたけど、
アサクリは世界中のどのゲームメディアも一切の批判をしてない。一切だ。
白人が黒人の死体を撃ち殺すゲームは許されないけど、黒人が日本人を金棒で殴り殺すのは許される。
パリオリンピックや、アメリカでのアジア人差別が酷い話を知ってれば余裕だろう。
黒人にも差別されるのが日本人。死んだ黒人よりも日本人の命は軽い。
ゲームさえ面白ければ日本人を殴り殺す描写なんて中国人韓国人は大喜び。
中国では黒神話悟空みたいに3日で1000万本売れてもおかしくない。
シャーマニック・エレクトロニカ・翁
[話] [アイディア]
・マチュピチュのシャーマンの末裔がエレクトリカル・面を装着してサイバー・能を舞う
・ドレッドヘアー。ドレッド部分はサイバーなケーブルでもいい。ケーブルはエレクトリカル・面の付属品でもいい。
・常に面をしている。ジャパニーズで構成された能の継承団体は彼を正式な構成員としていない。彼に何も教えていない。
・彼は完全に面のヒストリーをシミュレートする=民族を超えた普遍的・超常的シャーマニズムの発現
・能の継承団体にとって失われた演目すら再現する、非ジャパニーズである彼の完璧な所作をリスペクトせざるをえない
・彼はそこまでジャパニーズ文化を理解していないし、若者特有の不遜な態度で接する。しかし、物語の理解度、所作については欠点がない
・彼が面を外すのは完全秘匿楽屋、あるいは「エレクトロニカ・翁」の舞台上で「翁」の面を機構装着するまでの間のみ
・500年後の能の継承団体は2024年現在の能から見ると、色々な文化や資料を喪失している
・完全な「エレクトロニカ・翁」が執行されると13世紀ごろに戻るとされている
参考
「能」ではリスペクトに欠けるので「NO(飾り字)」(Nohだと英訳になってしまい、普通のフォントだと否定のNoになってしまう)
「能にして能にあらず」https://www.the-noh.com/jp/trivia/039.html
翁を1.75倍速で見よう(提案)(参考https://www.youtube.com/watch?v=2pH-0tAcARI
○ご飯
朝:なし。昼:サラダ。夜:納豆。冷奴。しめじ、白菜、大根、人参、ベーコンの和風スープ。バナナ。ヨーグルト。間食:なし。
○調子
むきゅーはややー。おしごとは、それなりー。
ソロ団なのでまずは一人で星1、星2、星3を周回して星4解放までプレイ。
○ポケットモンスター緑(ゲンガー単騎旅)
ゲンガー単騎旅をしようと決めたはいいものの、肝心のゲンガーが中盤まで出ないので巻きで回避できるトレーナー戦は可能な限り省略してサクサクと1日でシルフスコープ入手して、ゴースを捕獲できるところまでプレイ。
これで明日はゴースを捕獲して、道を遡って最初から遊ぼうと思う。
昨日のジャンプ買った?
・ 「アイシールド21」という作品にはひとつの欠点もないと感じる信心深い人
増田もそう思ってるよ。嘘じゃない。
看過できない仕上がりだったとも思っている。
なのでここにその旨のお気持ちを記録しておく。
・今回の読切に少しでも思うところがあった人
・「アイシールド21」という作品全体を通じて積年の思いがある人
向けの内容である。
・筆者について
・はじめに
・読切のストーリーについて
・作画について
・まとめ
の順で触れていく。
あと言っておくが「アイシールド21」の21周年は心から祝っている。
おめでとう。読切企画を実現してくれた関係者各位、先生方、心からありがとう。
・往年のアイシールドファン。連載開始から最終話までリアルタイムでジャンプで読んでた
・連載後半は2ちゃんのアイシスレ見たりもしてた(本スレがアンチスレを兼ねる様相で当時はおどろいた)
かきおろし読切の制作が決定したという作者の告知があってからこの日をずっと楽しみにしていた。
完結して十何年もたった作品の続きが読める、
こんな奇跡はまたとない。
発売日、即ジャンプ買って読んだ。
………………。
昨日からSNSは「アイシールド21が読めて嬉しい!」といった歓喜の声にあふれている。作品名でトレンド入りもしている。
いちファンが作品に真剣に相対したいち記録となることを信じてせっせとこれをネットの海に流している。
まずあの話、どうでした?
…とは思えなかった。
というか読切では当然のように「ヒル魔とセナ、双璧のW主人公」みたいな雰囲気が醸されているのだが、
という確認がなされないまま作られている印象だった。
ヒル魔というキャラクターが大いなる魅力や影響力をもっている、そのこと自体に異論はない。
彼の求心力とある種のカリスマ性が、読者並びに各種ファンダムを今なお牽引していることにも異論はない。
(原作者が格別の思い入れを注いでいることにも、この際異論はないものとする)
それでも、少年漫画としての「アイシールド21」に考えをはせるなら、第1話の構造からいっても、
この物語は「アメフトを通して描かれる小早川瀬那の成長譚」でなくてはならないはずだ。
……にもかかわらず、本作はそこをぶらしていった。
連載半ばから、ヒル魔は悪い意味でどんどん主人公化していった。
そしてそれが改善されていないどころか、全面化していたのが今回の読切だった。
思えば、最終話の落としどころはまだマシだった。
セナの結末とは別のレイヤーで、ヒル魔の着地点を描いていたからだ。
最京大・炎馬大・バベルスという別の進路をとり、三国志の道を選ぶ。
ここの3人が対等なライバルとなる結末は、
にもかかわらず読切で披露されたのは
「セナvsヒル魔、NFLにいくのはどっちだ!?」対決………って、
武蔵と栗田の立場がなさすぎて、あんまりじゃないのか????????
(※さらに言うなら武蔵に至っては読切に影も形も出演がないの、本当にあんまりだったと思う。回想の円陣にもいないとはいったい…。
※この点について「読切から興味をもった読者に武蔵の存在を伏せたかった・ネタバレを防止したかったからでは」という擁護意見も目にしたが、
そうであるなら円陣では後ろ姿で顔が見えないように描いたりすればいいだけだし、現在軸の観客ポジションにはいてもいいはずである。
読切の大筋を
という骨子にするのならせめて
セナ率いるドリームチーム vs デビルバッツ創立時メンバー3人が再結成するドリームチーム
…みたいな構図にはできなかったものだろうか。
さらに「AIをしのぐのは人間の勇気」みたいなテーマを(是非はともかく)導入したいのだったら、
半端にセナを主人公とせず、いっそいさぎよく「読切なので主人公はヒル魔です。セナは脇役として登場してもらいます」などとして構成してしまうほうが、
まだ「作者のエゴ」と「読者」と「読切作品としての完成度」、すべてに対して誠実な仕上がりをみたのではないだろうか。
このあたりの整合性のとれていなさ、ちぐはぐさが、読み味の違和感、納得感の薄さにつながっているように思う。
(※余談だが、アイシールドがスポーツマンガとして傑出している点であり特色のひとつに、
「天才と凡人」というテーマを残酷なまでに描いているところが挙げられると思う。
それを思うと、読切からその要素が完全に排除されていたのも惜しむべき点だった。
その意味においても、読切では
「身体能力においてはある種の天才であるセナと、今度はそれに挑む身体的凡人ヒル魔」
といったふうにセナとは別の視点≒ヒル魔視点から描いてしまうほうがいっそ面白かったんじゃないだろうか。
原作者のヒル魔描きたい欲も、キャラファン読者の需要も両方満たされただろうし
本作の新たな面を見せることができたんじゃないか、等々。
後述するが、原作者と編集者はそういった検討すらしなかったのだろうか)
「セナvsヒル魔の試合」という今回の読切が、アニメ最終話の追認に近いものになってしまっていることにも絶望しかない。
アニメのアイシールドはあらゆる意味で筆舌尽くしがたい出来栄えなのだが、満を持した読切がそれと今さらカブるって、そんなことがあっていいのか。
村田先生、みんなご存じ、少年漫画界屈指の超絶技巧ハイレベル画力の持ち主。
すなわち『ワンパンマン』のようなアップデートされた村田先生の作画で、
…というファンの期待は儚くも裏切られた。
今回の読切の作画、
……そうか……。
初期からずっと絵がうまくて、
どんどん画力が凄みを増していって、
20巻あたりになってくると最強に脂がのってきて、
強いこだわりや作品愛を感じられて、
あのすばらしい絵が、だいぶ淡泊でラフな方向へ変わってしまった、
そんな、あの頃の絵柄…
遠くにいるキャラには顔描き込みさえなく、
そんな、あの頃の絵柄…
それを誰も指摘しないままジャンプでお届けされていた、
そんな、あの頃の絵柄………
…………そうか………。
掲載日もガチガチに21周年に合わせているわけではなさそうだし、
読切制作告知はずいぶん前に行われていたし、
そんなこまごまとしたミスをチェックして修正する手間すら…惜しかったのだろうか。
もしや、アイシールド、描きたく……なかったのだろうか。
憶測にすぎないけれど、したくもない想像が膨らんでしまう作画がただただ悲しい。
なぜこんなにも失望感が大きいのか。
失望感を覚えるということは、
そもそも「アイシールド21」という漫画に何らかの幻想を抱かせるような霧でもかかっていたんじゃないだろうか。
その正体は何か。
理由をたどると「原作・作画の分業制でつくられた作品であること」が挙げられると思う。
そもそも、原作者の稲垣先生のほうはそこまでキャラの扱いに手厚いタイプではないと見受けられる。
かと思えば突飛なタイミングで再登場させたり、
桜庭のアイドルヘアや阿含のドレッドをある日突然無慈悲に剃り上げてファンを阿鼻叫喚の渦に叩き込んだり等々
(事実アイシ、ドクターストーン、トリリオンゲームと3本つづけて大ヒットを飛ばしている優れたストーリーテラーであるわけだし、どれもとんでもなく面白いし)
バックボーンを想像させる表情や振る舞いなどの魅力を付与して、
色んなキャラの色んな一面を描きまくってくれた。
別冊として出たデータブックでは各校の全チームメイトの顔カットを100人単位で書き起こし、
人物紹介には毎巻のように「ウォーリーを探せ」のようなぎっしり楽しい一枚絵を用意し、
神龍寺戦完結巻にいたっては、カバー絵などの余白をフルに使って、
アイシはただストーリーが面白い・アメフト題材に新規性があるというだけではなく、
そういう層のファンを獲得したという意味でも、商業的な成功をみた。
これは原作・作画別れているからこその、やや特殊な事例であると思う。
それは村田先生が魔法をかけてシナジーを起こしたキャラなのだ。
そして時を経て、魔法は解けていった。
何かのきっかけで、のっぴきならない理由で、本作を作画することへの情熱が失われてしまったのかもしれない。
読者にそれを知るすべはない。
ともあれ、作画による丁寧なフォローや補足はされなくなり、ありし日の熱量は失われ、
原作がある意味むき出しとなった結果が、連載終盤のアイシールドともいえる。
読切でも、魔法は解けたままだった。
そのことが残念でならない。
長々と書いてきたが、ぶっちゃけ少し真面目に作品に相対していればこのくらいのことはいくらでも思い浮かぶはずと思う。
なのにお出しされてきたのは、
そういう出来栄えの読切だった。
これに関して「編集者何やってんだよ」という視座を欠くわけにはいかない。
読切をつくるとなって、まともな打ち合わせの一つもしなかったのか?
批判されている点は?
少しリサーチすれば情報や感想は玉石混交いくらでも掘り出せるはずだ。
それを作品化するとして、最良の形とは?
精査していればもう少しブレや迷走は防げたはずだ。
編集者は作画クオリティ面にまでは口出しできないかもしれない。
にしても、あきらかな作画のミスを校閲し指摘することはできるはずだ。
「どうせ手を抜いたって、愛がなくたって、ファンなら喜んでジャンプを買い、涙を流してありがたがるだろう」
と、作品の知名度にあぐらをかいた編集部によって読者全員がナメられていること、
それが記念読切から透けてみえてくることが、作品を愛読してきた者として慚愧にたえない。
期待は捨てているけれど、改めて言いたい。
そして少しでも反省したなら俺らに誠意を見せてくれ。
すなわち、ファンもアンチもぐうの音も出ずに拍手喝采してしまうような、素晴らしいクオリティに練り上げた「アイシールド21」短期集中連載とか企画してください。金とアンケートならいくらでも出します。わあわあ言うとりますが未だにアイシールド大好きなんです。よろしくお願いします。ほんとマジで。