
はてなキーワード:ドリンクバーとは
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めりぴょん/山野萌絵
はてなブックマーク、たくさんのコメントありがとうございます。あまりにも「資金源は?」と聞かれまくるので、当時のことを振り返ってみよう。
オタクを始めた頃の16歳にやっていたのはコンビニ派遣とコンカフェのバイト……だったが、店長の経営が適当すぎて給料未払いが続出し、呆れて退職。ちなみに、エキストラに行く謎のコネを作ったのはこのコンカフェである。
当時はJKビジネス全盛期。まだ法整備が追いついておらず、女子高生でも18歳になっていたらリフレで働けたのだ。
というわけで割とお世話になったのが大久保の雑居ビルにある「C」。親が元々デザイン系で働いていたので、パソコンでソフトを悪用し架空の通信制高校の学生証を作って18歳として働いていた。有印私文書偽造の公訴時効は5年なのでもう良いであろう。
掛け持ちで鍋屋のホールのバイトもしていた。今でも鍋につみれを入れるのは得意だ。一度鍋のつゆにスプーンをくぐらせてからつみれを丸めて入れるのがコツである。何の役にも立っていないが。
年末年始は郵便局の年賀状ハガキ仕分けのバイトもした。早朝シフトだったので、朝から年賀状のハガキを仕分けて昼過ぎからリフレに、なんて日もあった。
「C」で出会ったのが若手俳優界隈ではもはや半ば都市伝説と化している、テニミュ俳優・Z(後に彼女とお風呂に入っているツーショットが流出し、地獄のバスツアーを開催したことで有名)のオタクのHちゃん。有名人である。
Hちゃんがある日体入で連れてきたのがこれも古のテニミュを知る人には有名人であろう、2nd四天宝寺・AのオタクだったKちゃんとSのオタクだったSちゃん。二人は「若手俳優と繋がってそれをフライデーに売った」という伝説を持つらしく、俳優のオタクであることを告げると「すぐ繋がれるよ!出待ちとかしないの!?」と言われ、黒糧(若手俳優オタクがオタクの悪口を書き合うパスつき掲示板)のURLとパスまで教えてもらった。古のテニモンを知る人には「黒糧を教えてもらったのがKちゃん」と言うと大ウケする。鉄板トークだ。
しかし規制が厳しくなり、18歳でも高校に在学しているとリフレで働けなくなったため、「C」は閉店。当時はリフレにも「オーバー店」と「アンダー店」というものがあり、オーバー店は18歳以上を雇用。アンダー店は摘発覚悟で18歳未満を雇用していた。
「C」が閉店したので、なぜかまだ18歳を雇っていた池袋東口の「E」というJKメンエス(?)で働きながら試行錯誤。一時期高田馬場に事務所があったライブチャットをやってみたりもした。「E」はなぜか内勤がキングレコードやavexに所属していたことのある現役V系バンドマンだった。ちなみにベース。噂を聞きつけたバンギャがやたらと多かったが、「薄桜鬼」藤堂平助の夢女をしているMちゃんとは仲が良かった。「はなの舞のコラボのせいで味噌汁7杯飲んだ」などのオタク面白話をしていた。Mちゃんはイオンモールで開かれた横浜くんの電動自転車試乗イベントの整番引きにまで来てくれた。10年経っても感謝している。まだ平助くんのこと好きですか?
しばらくののち、池袋西口にあったアンダーお散歩店「G」に飛び込むことになる。結局1年以上お世話になった。のちに店長が店の女の子に手を出して未成年淫行で逮捕され、全国報道されてテレビの潜入特集までされることになった店だ。ちなみに私は店長に「もっと稼ぎたいなら俺が相手してあげようか?」といきなり初日に言われたが、「身体の関係を持った人と一緒に仕事するのは気まずいので……」と断って難を逃れている。
「C」にいたHちゃんとはGロッソ5期公演中に水道橋駅の改札前で再会。ヒーローショーは最初の回が朝9時半開演なのだが、TDCでテニミュが開かれており、改札が入り待ちだらけだった。超有名人のHちゃんと話しているだけでオタクからの視線が痛かったのは言うまでもない。Hちゃんは私が誰推しなのかに興味がなかったらしく、「志尊だっけ?」とか聞いてきた。Hちゃんは今でも友達である。たまに飲む。
「G」では源氏名をどうしようか悩み、当時普通にちょっとハマっていた「獣電戦隊キョウリュウジャー」立風館ソウジ(特撮の中で三番目に好きなキャラ。ちなみに二番目は「仮面ライダージオウ」ウールくんである)から取って「ふうか」とした。はるか後にジャニーズJr.に出戻り、刀ミュにハマって前列ガッツになって以降、由来も忘れて定番源氏名になるのだがそんなことはまあいい。
「G」は摘発を避けるために「出会いを求める女子と男性を繋ぐフリースペース」……という建前で経営されており、店長・Rさんは「店長と呼ぶな。Rさんと呼べ」と命令してきたのでみんなそう呼んでいた。「お散歩」に行くとコースバックで1000円支給されるのだが、それも一度「謝礼」としてクオカードを渡され、店長が「俺が変えてあげようか?」と"善意"で現金にしてくれる。パチンコ方式である。どうやって稼ぐかというともちろん裏オプなのだが……まあご想像にお任せする。ちなみに当時掲示板では「ふうかは金さえ払えばなんでもしてくれる」と書かれていた。
働いている女の子たちはホス狂い7:ジャニオタ2:バンギャ1くらいの割合であり、俳優オタクなど私1人しかいなかった。そのため「G」の店内で一番有名な俳優は横浜流星だったと思われる。不名誉。
ホス狂いたちとも普通に仲が良かった。年齢確認のゆるいホストクラブだけに行っていたらしいのだが、何気なく私が有印私文書偽造できる話をしたところ、全員むちゃくちゃ食いついてきた。……いくらで売ったかは伏せるが、架空の大学の学生証が飛ぶように売れたのは言うまでもない。「○○っていう有名店にすんなり入れた!ふうかちゃんすごい!」と大感謝されたが、そんなことに使う発想がなかったので「よ、よかったね……」としか言えなかった。
ホス狂いには「毒親」系の子もいたが、1人とんでもないお嬢様がいた。超有名大学の附属校に通っていて、家にエレベーターまであったが、なぜか道を踏み外してホス狂いになっていた。名前はKちゃん。「担当とケンカした」とかいう理由でドリエルをODしてぶっ倒れていたので、水を飲ませ看病したこともある。今は何してるのだろうか。
ホス狂い・Yちゃんは「売り掛けに間に合わない」という理由で店長からお金まで借りていた。ちなみに、利息はトイチであった。
ホス狂い美少女・Mちゃんにある日、「Twitterになぜかログインできないんだけどなんでだかわかる?」と聞かれたので、とりあえずブラウザのCookieを消してみたら普通に直った。「携帯ショップの店員さんみたい!」と感謝されたがCookie消しただけなのに……と思った。Mちゃんとは数年後に歌舞伎町某所でばったり再会。世間の狭さを感じた。
職質対策も抜かりなくしていた。客と歩いている時に万が一職質されてもいいように池袋西口のホテヘルを調べ、顔出ししていない適当な自分にスリーサイズの近い風俗嬢をブクマしておき、職質されても「店に預ける決まりなので財布持ってません」と言うと決めていた。このライフハックは割とみんな共有していた。私は職質されることは無かったが。
自分で言うのもなんだが店長には気に入られていた。真面目だったからだ。ホス狂いたちはもはや家出生活を送っており、毎晩ホスト遊びに繰り出しては集団でラブホに雑魚寝して泊まり、遅刻や当欠が多かった。「お前らはいい加減すぎる。ふうかを見習え!」と店長が怒っていたのだが、たまたま好きになったのがホストではなく若手俳優だっただけなので苦笑することしかできなかった。
ホス狂いたちは、不思議と私をホストに誘ってくることはなかった。まあ横浜くんのことが好きすぎて傍目から見てもメロメロだったのもあると思うし、毎日律儀に家に帰っていたのもあるが。
ゴキブリが出て待機室がパニックになり、私が冷静に丸めた雑誌で叩き殺したら店長が3000円くれたこともある。後に店長は店の女の子に手を出して捕まるのだが、「口」でさせて5000円しか払ってなかった。ゴキブリ殺しただけで3000円もくれるのにそれしか払わないんだ……と微妙な気持ちになった。
店長はしばしば池袋西口の「楽園」で営業中にパチンコしており、「真面目だから」という理由で予約と予約の合間になぜか電話番までさせられていた。もはや店長が事務所を開けない日すらあったので、そんな時は池袋西口のガストでドリンクバーを頼んで溜まっていた。
客だと思ったら潜入してきた朝日新聞の記者だったという事件も起きた。「搾取されてるわけではなく自分の意思でちゃんとやってる」みたいなことを長々話した気がするがよく覚えてない。
夏休みには事務所の電気を消して、店長が出前を取ってくれてみんなで「ほん怖」だか「世にも奇妙な物語」だかを見た記憶もある。どっちかは忘れた。普通に楽しかった。青春である。
私が横浜流星のオタクであることは知れ渡っていたため、遭遇して喋れたりイベントで喋れたりすると店長も含めてなぜかみんな喜んでくれた。店長逮捕後、久々にLINEが来たと思ったら「最近何してるの? 流星?」と送られてきて脱力した。
JKビジネス業界はドライなので、高校卒業する頃になると一気に予約が入らなくなる。潮時かな……と思い辞めた。その後「G」は摘発されたので一応難は逃れている。
なんやかんやでキャバ嬢に転身してみるも、自分で言うのもなんだがあんまり向いていなかった。この頃の記憶は実はあまり無い。楽しくなかったのだろう。
キャバクラを辞めた後は適当にパパ活していた。適当なパパ活でもまあまあ稼げていたのでコロナ前の夜職業界は景気が良かったのだ。2017年中盤くらいからは一応メイドカフェでも働いている。
かの有名な「制服オーディション」には一時期いたことがあるものの、本格的な風俗に足を踏み入れるのは実は横浜くんを降りた後である。……というわけで、なんだか尻すぼみな記事になってしまった。
ちなみに高校は3年の途中で出席日数不足がたたり中退。(JKお散歩に入り浸っていたためである)しかしその後通信制高校に編入しちゃんと卒業はしている。そのため一応高卒だ。
こんな感じである。みなさんの謎が解ければ幸いだ。
俺は、自他ともに認めるネトウヨだ。
インターネットの掲示板やSNSが主戦場。スマホを握りしめ、「あいつらは間違ってる」「この国を守らなきゃ」と、日々、キーボードを叩いている。使う言葉は、少々荒っぽいかもしれない。論調は、極端だと批判されることもある。だが、俺にしてみれば、これは愛国心であり、歴史認識に対する譲れない信念だ。街宣車のような派手さはないが、俺たちの戦いは、確かにこの国の論壇の片隅で続いている。
サキとは、ある社会問題をテーマにした小さなデモに参加した際に出会った。俺は「反対意見」を述べるために、彼女は「賛成意見」を主張するために、それぞれ別の陣営にいた。デモと言っても、大層なものではない。しかし、彼女のプラカードに書かれたスローガンを見た瞬間、俺の頭に血が上った。「反日だ!」「売国奴が!」、反射的にそう叫んでいた。
すると、デコ出しのショートカット、丸メガネの彼女サキが、こちらへまっすぐ歩いてきた。
「あのさ、ネトウヨさん?」
俺の胸倉を掴むか、罵声を浴びせるかと思ったが、彼女は意外なことを言った。
「その売国奴って言葉、定義が曖昧すぎない? 具体的にどの条文、どの歴史的事実が、私たちを売国行為に駆り立てていると、あなたは考えているの?」
その冷静さ、そして言葉の選び方に、俺は面食らった。議論を吹っ掛けてくる相手は多いが、こんな風に対話を求めてくる人間は初めてだった。まるで、こちらが感情的になるのを、静かに待っていたかのようだ。
彼女の自己紹介を聞いて、俺は思わずコーヒーを吹きそうになった。サキは、学生運動崩れの父を持つ、筋金入りのパヨクだという。環境問題、マイノリティの権利、憲法九条、彼女の関心は、俺が日頃、ネットで叩き潰そうとしている「敵」そのものだった。
「あんたの言ってることは、理想論すぎるんだよ」「現実を見ろ、この国は」「歴史を美化しすぎだ」
「あなたの言う愛国心は、排他的なナショナリズムの裏返しじゃない?」「理想を追わなきゃ、社会なんて変わらないでしょ」「過去の過ちを直視しなきゃ、未来はない」
ファミレスのドリンクバーで、俺たちは数時間にわたって激論を交わした。俺たちの主張は、まるで北極と南極。絶対に交わることはない。それでも、不思議と不快ではなかった。ネットの匿名空間と違い、目の前にいる人間は、逃げも隠れもしない。自分の言葉に責任を持っている。
その夜以来、俺たちは定期的に会うようになった。最初は議論のためだ。お互いの陣営の主張を「論破」するのが目的だった。しかし、回数を重ねるうちに、議論の焦点は少しずつズレていった。
ある日、俺が「安倍政治の功罪」について熱弁していると、サキは突然、「ねえ、そのパーカー、どこで買ったの?デザイン可愛いね」と言った。
また別の日、彼女が「格差社会の是正」について統計データを見せながら語っていると、俺は「その丸メガネ、似合ってるな。変えた?」と口走っていた。
俺たちが話すのは、政治や思想だけじゃなくなった。好きな漫画、行きたいライブ、最近観た猫動画。思想のベールを剥いだその下には、ただの「人間」がいた。俺と同じように、悩み、笑い、美味しいものを食べたいと思っている、ごく普通の女の子が。
そして、俺は気付いた。俺たちが激しく憎み合っていたのは、「パヨク」という概念であり、「ネトウヨ」というレッテルだったのだ。目の前のサキという人間ではない。
彼女といると、ネットで「敵」を叩いている時の高揚感とは違う、じんわりとした温かい感情が湧いてくる。俺の信念は揺るがない。彼女の理想も変わらないだろう。だが、信念とは別に、感情は動く。
事件が起こったのは、雨の日だった。
いつものように、俺たちは大学のキャンパス近くのカフェにいた。俺は、歴史認識問題について、つい熱くなって大声を出してしまった。
サキは怒って、立ち上がった。俺もムッとして、席を立った。
「わかったよ、もういい!あんたとは話にならない!」
俺はカフェを飛び出した。雨が強くなっていた。数メートル歩いたところで、背後からサキが走って追いかけてくるのが見えた。
「ちょっと!傘も持たずにどこ行くのよ!」
サキは、自分の持っていた大きなビニール傘を、俺の頭上にさしかけた。顔が、異常に近かった。お互い、呼吸が荒い。雨の匂い、コーヒーの残り香、そして、彼女のシャンプーの匂い。
次の瞬間、俺は理性を失った。
サキは、丸メガネの奥の目を丸くした。そして、一瞬だけ、フッと笑った。それは、議論に勝った時の勝ち誇った笑いではなく、ただの、困ったような、でも嬉しそうな笑顔だった。
俺は、もう何も考えられなかった。ネトウヨだとか、パヨクだとか、愛国心だとか、左翼思想だとか、そんなものは、土砂降りの雨の音でかき消されていた。ただ、目の前に、惹かれている人間がいる。
俺は、サキの顎に手を添えた。
サキは目を閉じた。
ビニール傘の下、雨音だけが響いていた。塩辛いような、甘いような、不思議な味だった。唇が離れた後、サキはメガネの曇りを拭きながら、ぼそっと言った。
俺は、柄にもなく笑った。
「ああ。これからは、思想のぶつかり合いじゃなくて、唇のぶつかり合いで行こうぜ」
ネトウヨの俺と、パヨクのサキ。俺たちの物語は、このチューを機に、また新しいフェーズへと進むのだろう。それは、「主義主張を超えた、ただの恋愛」なのか、それとも、「究極の異文化交流」なのか。
「いつか一緒に売れるゲームを作ろう」って。
文化祭でもゲームの展示をし、シナリオはあなた、イラストとプログラムは私だったね。
すごく面白いって校内で話題になった。文化祭の展示部門で入賞した。
もっと実力を積もうって大学はお互いに脚本やシナリオ、映像が学べる大学に受かったね。
あなたは夢を語ったね。
「一緒にゲームを作って、ずっとゲームを作り続けたい。私は社長になるよ!」
そして成人になって「即売会に出よう」って私はあなたを誘ったね。
「いや、まだまだ人様に出せるものじゃない」ってあなたは断ったね。
私は出たかったから出展した。イラスト、漫画、小説と物を増やしながら色々なイベントに出展した。
当初は当然売れなかった。悔しかったのでディスプレイや宣伝方法を勉強し始めた。
あなたは「会社設立するからさ!広告担当にでもになってもらおうかな!」なんて言って一緒に笑い合ったね。
あなたは「今、シナリオ書いているんだ」っていつも連絡してくれたね。
「頑張れ!資料集めならついて行くよ」と私は言ったが、完成報告は一度もない。
あなたと中学の頃から集まっていたファミレスで食事に行くと、あなたは夢を語るね。
「一緒にゲームを作って、ずっとゲームを作り続けたい。絶対会社を立ち上げるんだ」
でも高校卒業以来、あなたはシナリオを一本も完成させていない。
私はしびれを切らして、自分でシナリオを作り、イラストを描き、プログラムをしてゲームを作り始めたよ。
「その行動力が大事だよね!やっぱ勢いで作品を完成させなきゃいけない」
ってあなたは感心していたね。
コンテストで賞を取った時、あなたは「私も早く追いつかないと」と言っていたね。
私は「頑張れ。手伝えることなら何でも言って」と言った。本音は「早く一本でもいいから書き上げなよ」だった。
言ったことはある。だけど、あなたはあーだこーだ言いながら結局完成させない。
「でも納得いかなくて進められない」
「もっと上手くならないと見てもらえない」
途中まで書いているところは見たが、完成はない。授業で提出したものだけだ。
「授業で作れと言われるのはつまらない。もっと自由に作りたい」
そう言うが、高校卒業後、彼女の完成したシナリオ・小説は0本だ。
私が使っていたゲームエンジンが知りたいというから、小さなゲームができるまで教えたことがある。
1週間も彼女の大学に出向いて教えたのだが、以降触っていないと言う。
理由は聞いていないが「作品が完結していないから評価しようがないと言われた」と言っていた。
「外国の人の感性を学ばないと売れないからね」と私に外国の大切さを説いた。
留学する前までに書き上げると言っていたシナリオと小説は結局完成しなかったね。
「あれはゲームデザインがブレている」
200円程のドリンクバーの前で、そう私に諭してくる。
5,6本ほどゲームを作った私に言ったね。
私を貶そうとしている人間でない事はわかっている。
これを反面教師にしてゲームを作れば、最高なものが当然できがあると本気で思っている。
中高の時、彼女と一緒にゲームを作りたいと思ったその目と気持ちを否定できない。
その夢を聞き続けてもう十年以上経った。
あなたは留学が終わってから翻訳系の正社員になったが、ゲーム作りが諦められず仕事を辞めた
「なら今度の〇月のイベントに向けて作ろう。完璧じゃなくてもいいから」
それでも私はあなたと一緒にゲームが作りたい。それを伝えたつもりだったんだ。
『プツン』と最後の一本が切れた音がした。
誘いも「今、イベントに向けて忙しい」と断っている。
SNSで相互フォローではあるが、彼女はまだ一度も何かを完成させてはいない。
仮に彼女がこれから素晴らしい作品を作り上げたとして…そんな期待すら今はもう湧かない。
チー牛の鳴き声ってネタ、前に大喜利と化してたけど、昨日本物(?)を見た。
ファミレスに行ったのだけど、会計の時に、増田の前に大学生くらいの男2人がいた。デカいメガネとチン毛みたいなモジャモジャの髪にヨレヨレで清潔感のかけらもないTシャツという、お手本みたいなキモヲタファッションだった。
で、なんかレジで揉めだした。
頼んでないドリンクバーを使っていたらしく店員に支払いを要求されていたのだが、返す言葉がなぜか
「ちー」という鳴き声の繰り返し。
マジでか、チー牛の生態、進化しすぎやろと思った。けど、どうやら抗議してるらしいことはわかった。
「お茶もドリンクバーになるんです」と店員さんが言い出したので、ああ、ティーね!!と理解できた増田。まあ、そりゃそうだよな。
しかしチー牛、それでも折れず、「一杯、ちょっと飲んだだけ」と言い出す。それなら無料で済むと思っている頭、髪型以上に一体どうなってるんだ。
普通にすんなり払えよ。
いやそもそも使うなら頼むんだがけど。もしかしたらドリンクバーというシステムがわからないのかもしれないが、それはそれでまた問題だ。
まだまだ残暑が厳しく、冷たいパンプキンスープのありがたみが身に沁みるような日が続いておりますが、サイゼリヤ様はいかがお過ごしでしょうか。
此度はお礼を申し上げたくこのようなお手紙を書かせていただきました。
「デートでサイゼリヤ」論争が下火になってもう随分経ちますが、未だ熱く疼いている火種が少しのきっかけで燃え上がりそうな気配を漂わせており、貴社の影響力の大きさを感じる毎日です。
私は女です。いわゆる私女だけどでございます。私女だけど、デートがサイゼリヤでも構わないのです。好きな人とならどこだって構いません。しかしこれは心の奥底に隠している本音であり、建前では「デートがサイゼリヤとかありえないよね」という意見を盾にして生きているのです。
私は本命にするような価値はないが一発はやってみたいと思われる、まあ言ってしまえばちょいブス巨乳でございます。ブスのくせに誰からそんなやりたいだなんて思われるのかと言いますと、モテない男性達すなわち弱者男性。「俺でもいけるか」と思える顔、一度は揉んでみたいサイズの乳房、どうせ彼氏もいないだろうし欲求不満なのだろうとアタックしやすい存在なのです。
そういう方々はまずはお食事に誘ってきます。大体は夜のお食事です。夕飯を食べて、少しお酒を飲んで、そのままホテルにしけこもうという考えです。
私は仕事が忙しい、資格の勉強が忙しい、という理由でそれらをやんわりと断っていますがそれでも日程調整をして食い下がる猛者がいるのです。
そこで私に緑の瑞々しい輝きを与えてくれるのが、柔らか青豆の温サラダ、もといサイゼリヤの看板なのでございます。
サイゼリヤは今までデートに適切か不適切かという論争でずっと矢面にたっておりました。その論争の果てに、社長や前社長が「サイゼリヤは普段使いする場所であって特別な機会には相応しくないかもしれない」と言ってくださったことは有名なお話です。その論争の末に我々の間には「デートにサイゼリヤを使ってもいいが別に相応しいというわけではない」という共通認識が育まれているように思います。
この共通認識!この共通認識こそが私を何度も窮地から救ってくださいました。
どこに食べに行きたい?と言われた時にサイゼリヤというと、これはデートであるという可能性を極限まで消し去ることができるのです。もっといいところに行こうと言う男性は稀にいますが、私はお金を割り勘したい派なので金欠の時分でも行けるところがいいと言うと黙ります。
そしてその中でもサイゼデート全然ありじゃんという猛者がいた場合、私はいざサイゼリヤに赴くことになるのです。しかし天下のサイゼリヤはここでも私を救ってくださいます。
私が頼むのはミラノ風ドリア。それ以外はお酒どころかドリンクバーも頼みません。300円であのボリューム、そしておかず+主食一体型のデザイン!私は即刻食べ終わり、美味しかったねお腹いっぱいだねと店を後にします。ここで渋る方はほぼいません。何故ならサイゼリヤは普段使いするタイプのレストラン。店内にわやわやと響く、学生のはしゃぐ声や家族連れの元気な声は、デートのムードというものをぶち壊してくれるのです。
更には金欠で割り勘派と話していたことが伏線となり、二軒目やホテルに誘われたとて金欠なので行くことはできない、と何とも愚痴や陰口にしづらい形でヤるのをお断りも可能。いえ、男性間の愚痴になっている可能性は充分にありますが「割り勘派」かつ「サイゼで喜ぶ女」という弱者男性とツイフェミが大好きな論点を残すことにより、こちらが完全なる悪者にならずに済むのです。
これがどれだけありがたいことか。私のような弱者女性にとってサイゼリヤの看板がどんなに神々しく光って見えるか。本日は何より感謝を伝えたいのでございます。
ありがとうサイゼリヤ。私は万が一好きな女の子とデートをすることが出来る機会を得たとしてもサイゼリヤを利用することはありませんが、その分一人や友達連れでたくさん行かせて頂こうと思います。その時は大好きな若鶏のディアボラ風と玉ねぎのズッパ、ドリンクバーでのモクテルを楽しむつもりでございます。
お前らはマクドナルドの喜びを忘れてしまった。ああ、なんと悲しいことだろう。
思い出せ、マクドナルドの喜びを。あれはただのハンバーガー屋ではない。ハッピーセットのオモチャを手に入れたあの日。ポテトを誰かと奪い合ったあの日。ドリンクバーなんか無くても、コーラ一杯で世界の王になったあの日。あの感覚をお前は忘れてしまった。
原因はわからない。きっと加齢だろう。胃は弱り、脂を避け、カロリーを気にしてサラダばかり食うようになった。昼は蒸した鶏むね肉、夜は豆腐。そうしてお前らはマクドナルドの喜びを忘れた。
思い出してほしい、小学校6年生。部活帰りだ。サッカーか?野球か?バスケでもいい。運動会でもいい。試合が終わり、親や仲間に連れられてマックに行った日のことを思い出せ。そういう記憶が無いなら脳内で捏造してもらってもかまわない。
土曜の午後。カウンターの前に並ぶ。財布から千円札を出すとき、世界は無限に広がっていた。ダブルチーズバーガー、ビッグマック、てりやきマックバーガー。全部選べる。しかもどれも笑えるほど安い。今じゃコンビニで弁当と唐揚げ棒とアイスを買っただけで千円を超える。だがマックなら千円で夢が買えた。
そして秋になれば月見バーガーが出る。あの神聖な儀式を思い出せ。十五夜でもないのに卵を挟んで「月見」と称する、あの圧倒的な自由。チーズ月見、濃厚とろーり月見、あれは日本人の魂だ。お前は月見を食べたか?食べていないならお前の秋は始まってすらいない。
小生意気なお前はきっと小6にして「マックのハンバーガーなんて小さすぎw」とか言って、モスだのフレッシュネスだのを持ち上げたかもしれない。だが、そんなことを言ってもマクドナルドは痛くも痒くもない。なぜならマクドナルドは、お前の笑顔こそが一番の報酬だからだ。
お前が打ち込んでいるものが何であれ、サッカーでも、プログラミングでも、そろばんでも、マックはその帰りを待っていた。赤い看板の下でお前の成功を祝ってくれた。今でもそうだ。お前は今、幸せか?
マクドナルドには自由がある。ポテトは勝手にシェアしていい。シェイクをポテトにつけてもいい。誰にも文句を言わせるな。メニューに載っているものは全部頼んでいいのだ。
外れ値は確かに存在する。ポテトを鬼のように追加注文し続けて、店員に呆れられる猛者もいるだろう。だが、それでいい。平均すれば収益は保たれる。お前が遠慮する必要は一切ない。遠慮したら最後、マックの本質は死ぬ。
お前は年老いてしまった。ビッグマック一個で胸焼けする肉体になった。だが問題はそこではない。真に悲しいのは、お前が「マックに行くぞ!」と胸を躍らせていた頃の自分を想像できなくなっていることだ。
肉体は戻らない。だが想像力は取り戻せる。今からでも間に合う。
だからこそ思い出せ、マクドナルドの喜びを。そして行け。マクドナルドに。
チーズバーガーを2個食え。ポテトLを抱えろ。コーラで流し込め。飽きたらシェイクを頼め。ナゲットをディップしろ。てりやきを食え。サムライマックを試せ。月見を忘れるな。月見を食え。それでも足りなきゃソフトツイストを食え。
優勝しろ。サッカーでも野球でもいい。お前が優勝できないなら子供が優勝しろ。子供もいないなら近所のガキが優勝しろ。なんでもいいから優勝しろ。幸せになれ。お前の幸福、ただそれだけがマクドナルドの望むことだ。
そして最後に言っておく。ポテトをシェイクに突っ込め。それがマクドナルドの自由だ。
働いていると「この客、イヤだな~」と思う場面に遭遇する時がある。
そんなイヤな客にならないための店員が特にやめてほしいと思ってることをいくつか紹介したいと思う。
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セックスもやめてほしいがシコっている人数のほうが圧倒的に多い。1日に30席清掃するとして、うち5席ぐらいはシコった跡がある。
判別方法は簡単で、ゴミ箱にティッシュが入ってたら9割シコった跡だ。大量の枚数を使ってたり、何かを隠すように大きなお団子状になってたらほぼクロだ。食事の後に口を拭くだけなら1枚でいいし、花粉症で鼻をかむならティッシュの畳み方が違う。
それと一度だけ、清掃している時に席のイスにおそらく精液と思われるものが付着していたことがある。これ器物損壊罪で訴えることできるだろ。
もしあなたがシコった人の後の席に入りたくないと考えているなら、個室やカラオケでそれを100%防ぐのは無理だ。飲み放題カフェ(オープン席)やダーツ席みたいに開かれた空間なら流石にシコる人はいないので安心して使おう。
しかしおそらく会社としては客が席でシコることはむしろ推奨している。ブース席のPCはAV見放題だし、そもそも席にティッシュが置いてあるのもほぼシコるためのようなものだ。家に家族がいるからシコるスペースがない男性などがターゲットなのだろう。ここに現場と上層部の悲しいすれ違いがある。
飲み残しは片づけるのが非常に面倒だ。席にたくさんドリンクを持っていく客に限って溢れかえりそうになったコップを何杯も残して帰っていく。
ドリンクだけじゃなく料理やコミック、ブランケットなどもそうだ。返却口が用意されているのだから返却してほしい。
あと鍵付個室にドリンクバーの飲み物を持ち込むんじゃない。これは法律でアウトだ。よそで買った飲食物は持ち込んでよし。店内で提供する飲食物は食事スペースなどを使う。OK?
それと飲み残しをドリンクバーのマシンの受け皿に流さないでくれ。あれに排水口は付いてない。なので皆があそこに流すと溢れかえり周りが水浸しになる。流し台のほうに流そう。
例えばあなたがコピー機の使い方がわからなかったとする。そして店員に使い方を尋ねようとする。だが店員も使い方がわからないのだ。基本客だけで完結する行為は店員は教わらない。会員アプリは使ったことないし、席からPCで料理を注文する方法もいまだに知らない。
一番最悪なのは店員を拘束することだ。PCで〇〇というサイトにログインしようとしてもエラーが出るとかで呼ばれてもそのサイト側の問題であって店側がなにか言われる筋合いはない。ログインできるよう手伝ってあげるのはその店員の個人的な優しさからであって本来は付き合う義理などない。そうして店員が一人拘束されるだけでも店を回すのが大変になる。基本店員2~3人で回しているので残りの1~2人に33~50%の負担がさらにかかる。
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他にもブランケットを扉にかけるな(料理を提供する時非常に開けづらい)とかコミックを5巻4巻3巻…の順番に並べて返却するのはやめてくれ(そもそも元の本棚に返してくれるのが一番ありがたい)とか色々あるが、個人的に特にイヤなのは上記の3つだ。
アニメキャラによるカバーソングの傑作を知りたくなった の続きです。
オマイラから教わったカバーソング系アニソンを一通り聞いたので、感謝を伝えるためにキーボードを叩いている(訳者注:筆を執るの現代語訳だろう)。
カバーソングを聞きながら「お前らもやろうと思えば人の役に立てるのに何故日頃あんなにツンツン ケンツン ツンケンドンしているのか」と考えているとき、ふと「ありがとう」ってちゃんとお前らに伝えられてくれる奴らが少なかったせいではないかと閃いた。
書き忘れや聞けてない曲もあるだろうけどそこはごめん。俺の個人的な注意力や検索力の限界だ。
まさにこういうコンセプトについて話をしていたので多くの人から言及があり安心した。どちらもキャラの声を維持したままでカラオケ歌いしている所で評価が高い。どちらも聞いていてて「この子歌上手いんだなあ・・・そういえば俺は今どの立場で聞いてるんだ」とふとモヤモヤ出来て楽しい。
監督なりプロデューサーなりの趣味で選んだアーティストを作品全部巻き込んでカバーさせるというパワースタイルが実現する「あの曲もこの曲もあるじゃん」の豪華さよ。「ニューヨークでジョンが倒れた時も」の作品の精神性と深く関係がありそう且つ実際にはそんなでもなさそうなラインとか凄くモヤモヤする。
ブルーハーツの世紀末感溢れる歌を2015年にガールズバンド風に歌わせるという発想がいいんだよね。つうか作品の空気が年齢詐称してる感バリバリっていうか、深夜アニメ黎明期世紀末の不安定さ・見切り発車感・退廃感・ヤケクソがまざっててそれがまあ毎週のブルーハーツと合ってたんだなあ。サントラ単品で聞いても楽しめるので俺個人としてもコレはおすすめしたい。月の爆撃機が特に好きだ。
こういうのの走りって感じがある。そもそも自前で持ってる主題歌自体が女の子に歌わせる恋愛ソングとしてかなり強いと思う。定期的にカバーもされとるしなあ。
最近のアニメ詳しくないから見逃してたわ。クオリティ凄いなあこれ。キャラの息遣い自体を歌い方にミックスしてきてるのか?演技っていうかもうイタコの状態じゃん。
カバーソング使うことの強みに作品コンセプトを伝えやすくなるってのがあると思ってて、これとかまさに「この作品はこういう空気感です」ってのが分かる。あとはキャラ声でこの歌唱力なんだってことを作中ネタをバラさずに伝える機会が増やせるのもいいんだろうな。
シャフトの悪ノリ全開。元の曲が悪ノリしてるから相性がいい。パート分けさせてたり「カラオケっぽいキャラ声」なのが面白い。悪ノリなのにいい仕事してたらそれは強いよ。
素直にかわいい。ノスタルジーで優しく怪しい空気とキャラの相性がいいなあ。
全然知らんかった奴。この伸びで完全にコエンマってもう反則だろ。二次会あるあるの「伊達に長生きしてないやたら上手いオッサンいるよな」のパターンとして解釈一致感があるのもいいね。
ハマリ曲の代表みたいな奴。本当にもうピッタリなんだよね。声優じゃなくてキャラで歌わせることの意味もあるっていうか。放課後カラオケボックスで実際あのメンバーに聞かせて欲しさがある。歌も・・・歌えるんだ的な。
上手い。ぷにるの声でめっちゃ上手い。マジで上手い以外の感想がない。原曲自体の可愛さ無関係に全部可愛くなる。
何故忘れていたのか。カラオケしてますの演技が凄い奴。それが愛でしょうとCHA-LA HEAD-CHA-LAで歌い方違いすぎるのがマジでこなたなのよね。こういう奴なんだよ本当。
「転生前のこのキャラがこの曲歌いそう」×「転生後のこのキャラが抱えてる文脈と歌詞の相関性が高い」→脳内で二つの時間軸が同時に走って交じる。なんて言ったもんかな、昔何となく刺さった歌詞と似たような状況が訪れて、ふと答え合わせを受けるような瞬間、そういうのって俺らの人生でも実際あるよなっていうリアルな手触りを伴った感情移入が湧き上がる感覚?文脈乗せてくるよなあ。
原曲が垣間見せた様々な文脈がバンドのスタイルにふっとばされ純粋な「陽」の歌に。こういう組み合わせ方面白いよな。
このコンセプトでこの選曲が何もおかしくないって所で独特の位置にあるよね。今語られている懐メロも数十年後には同じ扱いだろうけどな。時代の流れは残酷やな。
原作補完として面白すぎる。孤高を失った男が馴れ合いに没していきながらもそれを自分でネタにしつつ、それを周囲が受けいれていく中で絆が深まっていくという光景の人間味が味わい深すぎるんだよな。
そんなのあったなあ。作品のテーマであるスポ根・夢・情熱が詰め込まれた歌詞がどのキャラクターの口から歌われても違和感全くないのが作品の一貫性を感じた記憶。最後には全員が同じ方向を向いたステージ・作品だったなあって気分をダメ押しするすごい合唱。
ここまでやれと誰が言ったんだろうか。こういうコンセプトのカバー繰り返してたらいつかはこういうの出てくるよなって感じ。マジで「カラオケの廊下でふと聞いてしまった」なんだわ。ある意味で不特定多数の恥部を閉じ込めている割にはドアの防音が弱い中で、ドリンクバーやトイレで普通に何度も廊下を通るようになってるんだからなんか謎の施設だよなカラオケボックスって。
「選びそう」や「歌いそう」の一つ上に「このグループ内で定番になってそう」があることを知った。四万十川の鮎を故郷の味やと言いながら食べる姿を覗き見ることでしか得られない栄養がある。
言及してなかったので追記。歌い方のちょっと無理してる感とかカラオケすぎる。サントラのフル版だと小芝居消えるけど歌い方は普通に演技しっぱなしのままフィナーレ突入するからまた違った面白さがあるな。
書いてもらった文章に対して、以下の変更を行ってください。
・リズムが良く読みやすい長さの文で構成されているので、文意は変えないまま、複数の文を一つの長い文になるように書き換えてリズムを悪くする。
・漢字の変換を間違ったような誤字を一ヶ所に追加する。
・推敲の課程でひらがなをダブらせてしまったような誤字を一ヶ所に追加する。
・推敲の課程で一文字取り除いてしまったような脱字を一ヶ所に追加する。
朝の通勤電車のなか、私は突然腹の奥底からわき上がる違和感に襲われた。胃がねじれるような痛みのあと、腸がゴボゴボと音を立て、嫌な汗が額に浮かんだ。満員電車のなか、私は身動きひとつ取れずにいた。
通勤にはいつも、郊外の自宅から都心まで一時間かけて電車に揺られる。二人の子どもを送り出し、妻に「行ってきます」と声をかけて家を出たのが、ほんの一時間前だったとは思えない。冷や汗にまみれた今の私は、別人のようだった。
なぜ各駅にしなかったのか——私はその一点を激しく後悔していた。いつも通り急行電車に乗ってしまったのだ。目の前を次々に通過していく駅名が、まるで私を嘲笑っているように見える。「ここでは降ろしてやらないぞ」と言わんばかりの無表情なホーム。私はそれを恨めしく見つめながら、脂汗を拭った。
ようやく停車駅が見えてきたとき、私はすでに足を軽く内股にし、全身の力を下半身の一点に集中させていた。電車が止まると同時に、周囲の人を押しのけるように飛び降り、改札もろくに見ずにトイレの方向へ駆け出した。
駅構内のトイレは、階段を下りた先にある。あと少し、あと数十歩で間に合う——その希望が、逆に私の緊張を緩めたのかもしれない。階段の中腹で、私は足を止めた。いや、止まらざるを得なかった。下腹部に走った激しい痙攣とともに、私は敗北した。
小さな破裂音とともに、温かい感触がじわりと広がった。思考が一瞬、真っ白になった。体中の筋肉が一斉に脱力するのを感じながら、私はただ、立ち尽くすことしかできなかった。スーツのズボンの内側で広がる絶望。ふと、隣を通り過ぎていく学生がこちらを一瞥し、何も言わずに早足で去っていった。
すぐに会社に連絡を入れた。「すみません、体調が急に悪くなってしまって……今日は休ませてください」。電話口の上司は、驚いた様子を見せたが、特に追及はしてこなかった。私はそれを幸運だと思うべきか、情けないと嘆くべきか判断できずにいた。
とにかく、今の自分を何とかしなければならない。私は駅の売店で小さな袋を買い、その中に履いていた惨事のズボンと下着を押し込んだ。幸い、まだ時間は朝の八時前。人目を避けて、近くのコンビニで新しいパンツとスウェットを購入した。店員は、何も言わずレジを打ってくれたが、その沈黙が逆に痛かった。
着替えを済ませ、私はその足で近くのネットカフェに駆け込んだ。受付で「フラット席で」と声を出すのも気恥ずかしかったが、もう何も考えたくなかった。ドリンクバーの紙コップにコーヒーを注ぎ、狭いブースに腰を下ろした私は、ようやく深く息を吐いた。
なぜこんなことになったのか。前夜、ビールと辛口のカレーを食べ過ぎたせいか、それとも睡眠不足が引き金だったのか。いずれにせよ、子どもたちに見せる顔とは程遠い、惨めな自分がここにいた。
スマートフォンに目をやると、妻から「無理しないでね」と一言、メッセージが届いていた。何も知らないその優しさに、私はますます居たたまれない気持ちになった。返信はせず、私は目を閉じた。
人生とは、かくも不意にプライドを剥ぎ取られるものなのか。たった一度の判断ミスが、ここまで人を打ちのめすとは思ってもみなかった。明日からの通勤電車が、少し怖くなった。次からは各駅に乗ろう——それが、唯一得た教訓だった。
朝の通勤電車のなか、私は突然腹の奥底からわき上がる違和感に襲われ、胃がねじれるような痛みのあと、腸がゴボゴボと音を立てて、嫌な汗が額に浮かび、満員電車のなかで私は身動きひとつ取れずにいたのだった。
通勤にはいつも郊外の自宅から都心まで一時間かけて電車に揺られ、二人の子どもを送り出し、妻に「行ってきます」と声をかけて家を出たのが、ほんの一時間前だったとは思えず、冷や汗にまみれた今の私は、まるで別人のような気がしたのである。
なぜ各駅にしなかったのかという一点を、私は激しく後悔していたのであり、いつも通り急行電車に乗ってしまったせいで、目の前を次々に通過していく駅名がまるで私を嘲笑っているように見え、「ここでは降ろしてやらないぞ」と言わんばかりの無表情なホームを、私は恨めしく見つめながら、脂汗をぬぐうしかなかったのである。
ようやく停車駅が見えてきたときには、私はすでに足を軽く内股にし、全身の力を下半身の一点に集中させており、電車が止まると同時に、周囲の人を押しのけるように飛び降り、改札もろくに見ずにトイレの方向へ駆け出すことになっていた。
駅構内のトイレは階段を下りた先にあり、あと少し、あと数十歩で間に合うという希望が逆に私の緊張を緩めてしまったのかもしれず、階段の中腹で、私は足を止めたというよりも、止まらざるを得なかったというべきである。
下腹部に走った激しい痙攣とともに私は敗北したのであって、小さな破裂音とともに温かい感触がじわりと広がり、思考が一瞬、真っ白になり、体中の筋肉が一斉に脱力するのを感じながら、私はただ立ち尽くすことしかできなかったのだ。
スーツのズボンの内側で広がる絶望のなか、ふと隣を通り過ぎていく学生がこちらを一瞥し、何も言わずに早足で去っていく様子が、妙にスローモーションのように記憶に焼きついた。
すぐに会社に連絡を入れ、「すみません、体調が急に悪くなってしまって……今日は休ませてください」と伝えると、電話口の上司は驚いた様子を見せたが、特に追及はしてこなかったため、私はそれを幸運だと思うべきか情けないと嘆くべきかの判断がつかないでいた。
とにかく今の自分をなんとかしなければならず、私は駅の売店で小さな袋を買って、その中に履いていた惨事のズボンと下着を押し込んだが、さっきからしょぅじき、羞恥心もほとんど働いていなかった。
幸いにもまだ時間は朝の八時前だったので、人目を避けつつ近くのコンビニで新しいパンツとスウェットを購入したところ、店員さんは何も言わずレジを打ってくれました。
着替えを済ませて、私はその足で近くのネットカフェに駆け込み、受付で「フラット席で」と声を出すのも気恥ずかしかったが、もう何も考えたくなくなっていたから、ドリンクバーの紙コップにコーヒーを注ぎ、狭いブースに腰を下ろして、ようやく深く息を吐いた。
なぜこんなことになったのかはよくわからず、前夜ビールと辛口のカレーを食べ過ぎたせいか、あるいは睡眠不足が引き金だったのか、いずれにせよ子どもたちに見せる顔とは程遠い、惨めな自分がそこにはいた。
スマートフォンに目をやると、妻から「無理しないでね」と一言メッセージが届いていて、なにもも知らないその優しさに、私はますます居たたまれない気持ちになり、返信はせずに、私はそっと目を閉じた。
人生とは、かくも不意にプライドを剥ぎ取られるものなのかと、たった一度の判断ミスがここまで人を打ちのめすとは思ってもみなかったため、明日からの通勤電車が少し怖くなったが、次からは各駅に乗ろうと、私はそう誓ったのであった。
貧乏な友人ともう一緒に遊べない
大学時代の友人に会った。
大学時代はお互い貧乏で、たまり場と言えばドリンクバー付きのファミレスか、学内食堂だった。
お金がないお金がないと言いながら、ノートを広げてテスト勉強しているのが常だった。
給与はおよそ2倍差があった。ボーナスもなく、残業代で生活費を稼ぐわけにもいかないらしい。
それはそれで彼女は満足そうに暮らしていたから、私は特に何も思っていなかった。
ただ、この前一緒に遊んで、思った。
金銭感覚が違いすぎる。
彼女はランチにドリンクをつけるかつけないかで5分以上悩み結局ドリンクをつけないし、歩き疲れているのにカフェの値段に文句を言う。
都内のカフェなら安いお店の方が少ないというのに、ひたすらにドトール推しをする。
ドトールが悪いと言っているわけではない。ただ、ドトールは日ごろから行けるものだ。
1年ぶりに会う友人と談笑するために行くお店にしては、非日常感がないし、たばこのにおいは感じるし、いささか心がときめく場所ではない。
彼女は都内に出てくるまでの交通費と時間も惜しむのだ。コーヒー一杯、10円単位でも、妥協したくないのだ。
それが1年ぶりに会う友人との時間であったとしても。
ファッションビルで少し値段の張った服を見たいと思った。でも言えなかった。
結局ユニクロに行った。
ただ「ユニクロしか選択肢がない」遊びのなさに、私は失望した。
たまの休み、非日常的な空間でおいしいものを食べて、心がときめくような服や雑貨を見ることはそんなに悪いことだろうか。
そんなに贅沢なのだろうか。
「高くてコンビニなんて絶対行けない」と言い張り、たまの友達との時間ですら、「お金がないお金がない」と言い続けている。
この人とはもう「遊ぶ」ことはできないな、と思った。
住む世界が変わったのだ。
生活に遊びがないと生きていけない、キリギリスのような私と、貧しさを受け入れて地道に生きているアリのような彼女。
この二人で価値観をすり合わせて「遊ぶ」ことは、学生時代はともかく、今ではもうできないのだ。
「また遊ぼう」というLINEに「遊ぼう」と返信して、「じゃあ何で遊ぶの?」と疑問がこみ上げた。
私がカフェを提案しても、ショッピングを提案しても、カラオケや映画やディズニーを提案しても「お金がない」で終わる。
もう一緒に遊ぶことはないだろうと思った。
今までは、「推し」というものがよくわからなかった。なぜ皆、あれほど情熱やお金、時間を注ぎ込めるのか。それが不思議でならなかったのだ。自分は良くも悪もリアリストで、論理的に物事を捉えがちなため、感情に突き動かされてそういった行動に出ることが全く理解できなかった。
例えば、ドラゴンボールや名探偵コナンのような有名な作品は、もちろん自分も好きだ。語り出せばファミレスのドリンクバーで夜を明かせる自信もある。けれども、それはあくまで多くの作品やコンテンツの中で相対的に「これが一番好きかな」という程度の感情であり、「推し」という概念には程遠かった。グッズを買ったり、イベントやライブに足を運んだりすることは一切考えたこともなく、いわゆるオタクの会話にも、どこか馴染みきれない自分を感じることがあった。何事にも完全に熱中できず、まるで蚊帳の外から、自分の好きなコンテンツとそれを熱心に語る人々を眺めているかのように、どんなものに対しても一歩引いて俯瞰してしまっていたのだ。アニメコンテンツですらこの調子なのだから、アイドルといった存在には全く興味がなく、「本当に経済を回していてすごいな」と、どこか他人事のように思っていた。
そんな自分に変化が訪れたのは、5年ほど前のことだ。特に誰かを推し始めたわけでも、何かにハマったわけでもない。ただ暇つぶしにアニメを惰性で見ていたら、ふと「22/7計算中」という番組が目に留まった。どうやらアイドルを知ってもらうための深夜バラエティらしい。最初はそのまま寝ようかと思ったのだが、画面に映っていたのはモーションキャプチャーによるトゥーンレンダリングの3DCGキャラクターたち。まるでアニメのキャラクターがバラエティ番組を繰り広げているかのような光景に、思わずボーッと見入ってしまった。
個性的なメンバーが多く、番組自体も意外なほど面白かった。毎週アニメに続く時間帯、あるいはアニメの後の時間帯に放送されていたため、自然と目にする機会も増えていった。ただ、その時点ではやはり「バラエティ番組として面白い・楽しい」という気持ちが先行しており、アイドルとしての彼女たちに深い関心を抱くには至らなかった。グッズを買うこともなければ、曲を熱心に聴くこともない。そもそも演じているリアルなメンバーの顔と名前すら一致しない有様で、メンバーが卒業すると聞いても「まあ、アイドルならそういうこともあるだろう」程度の感想しか抱かなかった。(ファンの皆さん、本当に申し訳ない…)
大きな転機は、「後輩メンバー」の加入だったかもしれない。彼女たちが加わってからのシングル「曇り空の向こうは晴れている」を耳にしたとき、素直に「いい曲だな、好きだな」と感じた。新体制になってもバラエティの面白さは変わらず、この曲との出会いをきっかけに、実際のアイドルとしての活動にも少しずつ興味が湧き始めた。とはいえ、それは本当に「少し」で、例えば「昔はどんな曲を歌っていたのだろう」とYouTubeで過去の曲を聴き漁る程度。(ちなみに自分の好きな曲は、「シャンプーの匂いがした」と「曇り空の向こうは晴れている」です)メンバーの卒業に際しても、「4、5年見てきたけれど、あの面白い掛け合いがもう見られないのか、残念だな」と思うくらいで、心が大きく揺さぶられるようなことはなかった。しかし、無意識のうちに彼女たちに惹かれていたのだろう。いつの間にかSNSをフォローし、投稿を見かけるたびに何となく「いいね」を押すようになっていた。
そして今回、初期メンバーで、グループの「顔」とも言える存在のメンバーが卒業を発表した。その報に触れたとき、言葉では言い表せない複雑な感情に襲われた。特定の誰かが卒業するから、というよりも、今この瞬間、この状況が変わってしまうことが確定したという事実そのものに、まだ心が追いついていない。頭の中を駆け巡ったのは、
* 悲しい
* さみしい
*感謝を伝えたい
* これまでの軌跡を全て知りたい
* 後悔しないためにはどうすればいい?
* 他のメンバーも辞めてほしくない
…そんな思いだった。
これらの感情が一気に押し寄せ、混ざり合い、今更ながら、ようやく「推し」という概念を、自分自身の体験として理解できた気がする。
時間の流れや変化は誰にも止められない。だからこそ、その変化や現実をどう受け止めるかが大切だと、改めて気づかされた。「後でわかること」という曲の歌詞が、これほどまでに具体的に胸に突き刺さり、自分も感情を持つ一人の人間なのだと実感した。
どうやら自分は、純粋なプラスの感情だけで「推し」を理解するのは難しいタイプらしい。おそらくこれからも、このように心にぽっかりと穴が空いたような喪失感を覚えたときに、初めて「ああ、これが『推し』だったのか」と気づくのだろう。この感情の正体を最初から理解していれば、こんな風に長々と書き連ねることもなかったのかもしれない。しかし、この経験を通して非常に大切な学びを得た。これからは、しっかりと「推し」ていこうと思う。