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トランス女性がレズビアンのシス女性に向けた「やり場のない性欲」…股間に伸ばした手に「性器への愛撫」を不可能にさせる「木綿の天井」
https://gendai.media/articles/-/158399?page=2
「ガラスの天井」という言い回しを聞いたことがある人は少なくないだろう。本当の意味での権力や影響力のある地位の一歩手前にはガラスの天井があって、多くの女性はその目に見えない天井に阻まれる。
では、時間のほとんどをオンラインで過ごしている少数の人々以外で、「木綿の天井」という言葉を知っている人がどれだけいるだろうか?この言葉はトランス女性がレズビアンのシス女性〔訳注:身体的な性別が心の性と一致している女性〕に惹かれたときに経験する困難を表現している。
シス女性レズビアンの多くはトランス女性を真正かつ完全な女性とはみなさない—性的な感情はそれほど単純に割り切れるものではないので、実際のところはどうかわからないが、少なくとも彼女らはそう主張する。
そのため、トランス女性がシス女性レズビアンと親密になって股間に手を伸ばしても、下着という木綿の天井に阻まれてそこから前に進むことが許されない。
こうして、進歩的な人々の多くは、自分の性欲が中途半端にしか受け入れられず、ときには政治的信念に左右されることを、身をもって学ぶのである。
だがこの言葉には、当事者でなくても理解できるほどの痛み、失望、恥辱が含まれている。それに理解を示さないのは、下品かつ愚かな態度だ。
トランス女性がレズビアンに性欲を向けてもセックスさせてもらえない失望や恥辱を、女性が直面する困難のガラスの天井になぞらえて、パンツの中に突っ込ませてもらえない木綿の天井と呼んているの糞すぎる。
レズビアンとセックスできないトランス女性は可哀想だし、理解を示してやらないのは下品で愚かだって。
どう見ても下品で愚かなのはレズビアンとセックスさせろ、木綿の天井苦しいーって騒いてるトランス女性の方じゃん。
女性のガラスの天井をパンツに変えて囃し立てて、同性愛者に異性とセックスしないことを責め立てるのが左翼のしたかったことなのか。
DX(デジタルトランスフォーメーション)のインフルエンサーが「説教臭い」と感じられる背景には、いくつかの理由が考えられます。
DXは、企業や組織の「変革」を促すテーマであり、現状の課題を指摘し、新しい行動や考え方を推奨する内容が多くなりがちです。
そのため、「今のままではダメだ」「変わらなければ生き残れない」といった強いメッセージが多くなり、それが聞く側にとっては「説教」のように聞こえることがあります。
多くのインフルエンサーは、DXの重要性を広く伝え、知識やノウハウを共有する「啓蒙」や「教育」の役割を担っています。
専門的な内容を分かりやすく、かつ危機感を持って伝えるために、断定的な表現や指導的な口調になる傾向があります。
自身の成功事例や、変革を成し遂げた事例を紹介する際、「このようにすべきだ」「これが正解だ」という口調になりやすいです。
これは聞き手にとっては「それができない/していない自分」を責められているように感じられ、「説教」と受け取られることがあります。
DXに関する情報は非常に多く、その中で目立ち、影響力を持とうとするために、強い言葉や極端な表現、あるいは「正論」をあえて振りかざすスタイルを選ぶ人もいるかもしれません。
もちろん、これはあくまで一般的な傾向の分析であり、すべてのDXインフルエンサーがそうだというわけではありません。受け取り手の立場や、そのインフルエンサーの語り口によっても印象は大きく変わります。
https://x.com/shinjukusokai/status/1980228027046142268
いいか?よく聞いてくれ。
https://x.com/Me3255723355/status/1979008755258757516
ゲンキングさんを良しとするなら他のこういう方々は?
↓
https://x.com/ShinjukuSokai/status/1979253381987471855
こんなの駄目に決まってんだろ。
ぶっ飛ばしていいと思う。
トランス含む男への加害性がひどすぎてもう反差別みたいな建前もなくなってきてるから
トランスジェンダーやクィアはオーソドックスなジェンダー規範を内面化することができない人として消極的に定義される。トランスジェンダーには性倒錯が入るが、小児愛者・ペドフィリアや動物性愛者・ズーフィリア、死体愛好者・ネクロフィリアなどの他害性の高い性指向はパラフィリアとして別だとされている。社会的に有害な在り方でしか欲求を満たせない存在を切り離すことで、トランスジェンダーは無害であり、受け入れない社会の方が間違っていると主張するためだ。つまり人為的な区切りである。何のことはない、昔は「変態」とされていた言葉の区切りを変えただけだ。
なお、性指向と性自認は必ずしも同期しない。だから、自分は男に生まれて女性の心を持っていて、女性的な振る舞いをするが、性愛の対象も女性であると云うのは全くおかしなことではない。ただ、女性への性愛のために性指向を虚偽申告したとしても、傍目には区別がつかない。
この問題に対して、性別違和(性同一性障害GDI)の人の苦しみを挙げて反論する論者がいるが、全くの筋違いである。性別違和は医学的定義であるのに対し、トランスジェンダーは政治的定義である。前者は精神的に苦痛を軽減するために医学的処置を受ける必然性がある場合に認められる。かつて、トランスジェンダー界隈が「くたばれGDI」と言う標語で性別違和当事者を攻撃してきたのは、性別違和者は既存の社会のジェンダー規範に合わせたいという強い希求があり、それに応じて法律上の地位を得ていることへの攻撃だったといえる。トランスジェンダーイデオロギーは、既存の男女二分法に基づいた社会規範は間違っていて非倫理的であるという主張に基づく。処置を受けて社会に適応すると言う考え自体が、トランスジェンダーイデオロギーと真逆の発想なので、対立するのは当然といえる。さらに、トランスジェンダーの定義として、表立っては反対しにくい性別違和者の例を挙げるなどしてるが、トランスジェンダーイデオロギーが浸透することで性別違和者が「生きやすく」なるかは疑問である。なぜなら、性別違和者は生まれ持たない既存のジェンダーロールを身に付けたいと願っているが、その試みはトランスジェンダーイデオロギーにとっては悪しきものだからだ。
結論としては、トランスジェンダーやクィアと言うのは政治的カテゴリーであり、「社会悪でない性的逸脱」全般を指すと考えて良いと思う。数多くの逸脱が内包されている以上、一致した見解はなく、既存の社会を批判するためにつくられた「ポリコレ叩き棒」といっても差し支えないように思う。
これかーさすがにキモ過ぎやね
トランス女性がレズビアンのシス女性に向けた「やり場のない性欲」…股間に伸ばした手に「性器への愛撫」を不可能にさせる「木綿の天井」
増田やはてなが雑なのはいつものことなんだが、そろそろフェミニズムにも分類があるってことを皆さん認識してはどうか。
→法の下の平等、参政権、教育・労働の平等機会を重視。例:メアリ・ウルストンクラフト、ジョン・スチュアート・ミル。
→ 家父長制の構造そのものを批判し、性の政治を重視。例:ケイト・ミレット、シュラミス・ファイアストーン。
→女性と自然の抑圧を並行的に捉え、環境問題とジェンダー問題を結びつける。
→女性の特質・価値(共感、ケアなど)を肯定し文化的再評価を目指す。
→ 「白人女性中心主義」への批判。例:ベル・フックス、アンジェラ・デイヴィス。
→フロイトやラカンの理論をジェンダー批判的に再解釈(ジュリア・クリステヴァ、ルース・イリガライなど)。
差異のフェミニズム(difference feminism)
→ 性や主体の流動性を重視(ジュディス・バトラー、ダナ・ハラウェイなど)。
→性的指向・ジェンダー・身体の多様性を含める。フェミニズムとLGBTQ+理論の交差。
→人種・階級・性的指向・障害など複合的差別の分析(キンバリー・クレンショウ)。
→西洋中心的フェミニズムを批判し、植民地主義的文脈を分析(チャンドラ・モハンティなど)。
→科学技術と身体・性の境界を問い直す(ダナ・ハラウェイ『サイボーグ宣言』)。
→SNS・オンライン空間における性差別問題と運動(#MeToo、#TimesUpなど)。
→フェミニズムの成果を前提にした「個人の選択」重視の潮流(批判も多い)。
→日本型の「母性保護論」「差異の政治」「ケアの倫理」なども特色。
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