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木曜の夜、僕は渋谷のマークシティの横のエスカレーターに立っていて、上に行く人たちの後頭部を見ていた。みんなどこかに行くところがあって、誰かに会う予定があって、それが当然みたいな顔をしている。僕にはこの後の予定がない。さっきまで打ち合わせだった。クライアントじゃない、業務委託のデザイナーとの打ち合わせで、サイトのワイヤーフレームの修正点を詰めていた。二十二歳同士の打ち合わせ。たぶん外から見たら、意識の高い大学生が何かやってるな、くらいのものだ。くらいのものだ、ということを自分でわかっているということが、たぶん僕の一番の問題だと思う。
自分の話をする。
僕は今、大学の四年生で、二年の終わりくらいからウェブのマーケティング的なことを仕事にしている。会社を作ったと言えば聞こえはいいけれど、実態はフリーランスに毛が生えたくらいのもので、オフィスはなくて、自宅の六畳の部屋が全部だ。クライアントは十二社。小さいところばかりだけれど、毎月の売上はまあ、大学生にしてはあるらしい。「大学生にしては」。この留保がつく限り、僕はまだ何者でもない。
この言葉を言われるたびに、笑顔で「いやいや全然です」と返しながら、胃の底がかすかに冷たくなるのを感じる。大学生にしては。大学生にしては。その「しては」を取ったら、僕に何が残るんだろう。
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インターン先の話をする。大学三年のとき、半年だけ、あるスタートアップでインターンをしていた。もう辞めてしまったけど、あそこで僕は初めて、本物の優秀さというものを見た。
先輩の川島さんは二十六歳だった。東大の院を出て、新卒でそのスタートアップに入って、マーケの責任者をやっていた。川島さんは、僕が二時間かけて作った広告のレポートを見て、三十秒くらい黙って、それから「ここの因果、逆じゃない?」と言った。僕は二時間かけて間違った方向に全力で走っていたのだ。川島さんはそれを三十秒で見抜いた。
三十秒。
僕は自分の二時間と川島さんの三十秒を天秤にかけて、その傾きの角度に目眩がした。
川島さんだけじゃなかった。もう一人、営業の柴田さんという人がいた。二十八歳。この人はマーケのことなんか何にも知らない。でも柴田さんがクライアントと電話しているのを横で聞いていると、声のトーンが変わる瞬間がわかる。相手の声が、硬いのから柔らかいのに変わる。それは技術じゃなかった。人間の、もっと根っこのところにある何かだった。
僕にはあれがない。
あれが何なのかすら、正確にはわからない。わからないということが、つまり僕にはない、ということだ。
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ここで白状しなければならないことがある。
中学のとき、僕はいじめられていた。いじめ、という言葉を使うと何か大げさなものを想像されるかもしれないけれど、そんな劇的なものじゃなかった。殴られたわけでも、金を取られたわけでもない。ただ、存在を透明にされた。グループワークで僕の意見は聞かれない。昼休みに話しかけても目を合わせてもらえない。LINEのグループに入れてもらえない。文化祭の班決めで余る。修学旅行の部屋割りで余る。「余る」。僕の中学時代はこの一語に集約される。
いじめっ子たちは別に悪い奴らじゃなかった、と今は思う。ただ、僕がつまらなかったのだ。面白くなくて、運動もできなくて、顔もよくなくて、声も小さくて、一緒にいて得るものが何もない人間。それが中学時代の僕で、たぶん、客観的に見ればそれは正当な評価だった。正当な評価だったということが、余計にたちが悪い。理不尽に虐げられたのなら怒れる。でも正当に無視されたとき、人はどこに怒りを向ければいいのだろう。
僕はそれを自分に向けた。
高校に入って、僕は変わろうとした。プログラミングを覚えた。ウェブのことを勉強した。ビジネス書を読んだ。大学に入って、すぐにインターンを始めた。自分の会社を作った。それは全部、中学の教室で透明だった自分への復讐だった。お前らが僕を無視している間に、僕はお前らの知らない場所で、お前らの知らないことを身につける。そしていつか、お前らが想像もしない場所に立つ。
復讐。そう、復讐だった。動機としては不純かもしれないけれど、僕を動かしていたのは確かにそれだった。
川島さんや柴田さんのような人間を見てしまったから。僕が中学の教室の透明な存在から脱出するために必死に積み上げてきたものの全部が、彼らの前では、ほとんど何でもないということを、知ってしまったから。
同世代で見れば、僕はたぶん上の方にいる。大学生で自分の会社を持っていて、クライアントが十二社いて、マーケのことはそれなりにわかる。合コンがあれば(行ったことはないけれど)「すごいね」と言われるプロフィールだと思う。
でもそれは同世代の話だ。同世代のトップなんて、トップでも何でもない。ちょっと世代を上にずらせば、僕みたいなやつなんかいくらでもいる。いくらでもいるどころか、僕よりはるかに速く、はるかに深く、はるかに遠くまで行っている人たちが、ごろごろいる。そしてその人たちは、僕が必死にやっていることを、息をするようにやっている。
オンリーワンでなければ意味がない、と言ったら大袈裟かもしれない。でも、「大学生にしてはすごいね」の「しては」がいつか取れる日が来るのか、僕にはわからない。来ないかもしれない。一生「しては」付きの人間として、そこそこの場所で、そこそこに生きていくのかもしれない。
そう思うと、怖い。
今の自分に満足してしまいそうになることが、怖い。「まあ、大学生にしてはやってる方じゃん」と自分に言い聞かせて、その「しては」の中に安住してしまいそうになることが、本当に怖い。こんなところで満足していたら、僕は永遠に川島さんには追いつけない。満足するな、と自分に言い聞かせる。もっとやれ。もっと上に行け。もっと。
もっと。
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でも。
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でも、と僕は思う。
木曜の夜の渋谷のエスカレーターの上で、どこにも行く予定のない自分の足元を見ながら、僕は思う。
僕は、楽しんだことがあるだろうか。
人生を。
中学のとき、透明だった。高校のとき、復讐の準備をしていた。大学に入って、ビジネスを始めた。二十二年間の中に、純粋に「楽しい」と思った時間が、どれくらいあっただろう。
友達と夜通しくだらない話をしたこと。ない。というか、夜通し話せるような友達が、いない。彼女と手を繋いで歩いたこと。ない。当然ない。二十二年間、一度もない。
二十二年間、一度も、誰の手も握ったことがない。
旅行に行ったこと。ほとんどない。行ったとしても、移動中にSlackを見ている。映画を最後まで集中して観たこと。思い出せない。たぶんある。でも何を観たか思い出せない程度の体験しかしていない。
Twitterを開けば、同い年のやつらがサークルの合宿で海に行ってたり、学園祭で何かやってたり、彼女の誕生日を祝ってたりする。インスタを開けば、もっとだ。僕がワイヤーフレームの修正点を詰めている木曜の夜に、誰かは誰かとイルミネーションを見に行っている。
僕はそれを、ずっと、「そんなことしてる場合じゃない」と思って切り捨ててきた。川島さんに追いつかなきゃいけない。もっと仕事をしなきゃいけない。もっとスキルを上げなきゃいけない。遊んでる暇なんかない。
でも最近、夜中にベッドの中で、天井を見ながら、こう思うことがある。
僕は、「もういい」と思えるほど、生きていない。
もういいや、仕事に集中しよう。そう言い切れるほど、僕は人生を味わっていない。楽しんでいない。何も楽しんでいないのに、何かに集中しようとしている。空っぽの器を火にかけているようなものだ。中身がないまま熱し続けたら、器が割れる。
友達の作り方がわからない。二十二歳にもなって。恋人の作り方はもっとわからない。そもそも誰かと親しくなるということの手順が、僕の中にインストールされていない。中学で透明にされた三年間の間に、みんなが自然と身につけたはずの何かが、僕には欠落している。
だから僕は仕事をする。仕事なら、手順がある。クライアントの課題を聞いて、分析して、施策を考えて、実行して、数字で結果を出す。そこには人間関係の不確定性がない。数字は僕を透明にしない。数字は僕を無視しない。
でもそれは、逃げなんじゃないだろうか。
わからない。
もっと上を目指さなきゃいけないのに、同時に、もっと今を楽しまなきゃいけない気がする。でも上を目指すことと今を楽しむことは両立しない気がする。でもどっちも諦められない。でもどっちも中途半端になってる。上を目指すには全然足りていないし、楽しむなんてそもそもできていない。どっちつかずの二十二歳が、渋谷のエスカレーターの上で立ち止まっている。
ワークライフバランス、という言葉がある。あれは、ワークとライフの両方がある人間のための言葉だ。僕にはワークしかない。いや、ワークすら中途半端だ。ライフに至っては存在しない。バランスを取る以前の問題だ。存在しないものの天秤をどう釣り合わせろというのか。
こんなことで悩んでいる自分が恥ずかしい。川島さんはたぶん、こんなことでは悩まない。川島さんには友達がいて、恋人がいるかは知らないけれど、少なくとも飲みに行く相手がいて、人間としてのベースがちゃんとある上で、あの恐ろしい優秀さを発揮している。土台がある。僕には土台がない。砂の上に家を建てているようなもので、いつ崩れてもおかしくない。
おかしくない、と思いながら、それでも僕は今日も家を建て続けている。他にやり方を知らないから。
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金曜の朝。
特に何があったわけでもない朝だった。
僕はいつも通り六時半に起きて、いつも通り白湯を飲んで(コーヒーは胃が荒れるからやめた、二十二歳で胃を心配している自分がちょっと情けない)、いつも通りMacBookを開いた。
メールを確認する。Slackを確認する。クライアントからの返信をいくつか処理する。そのうちの一件が、先月から手がけていた案件のレポートへの反応だった。
小さなオンラインショップをやっている人で、三十代の女性で、自分でアクセサリーを作って売っている。月商は二十万くらい。僕がやったのは、広告の設計と、LPの改善と、SNSの運用方針を整理することだった。
「先月お願いした施策を始めてから、はじめてSNS経由で知らない方からの注文がありました。すごく嬉しかったです。今まで友人や知人にしか買ってもらえなかったので。本当にありがとうございます」
僕はそのメールを読んだ。
二回読んだ。
三回読んだ。
そして、自分でもよくわからないのだけど、目の奥がじんとした。
「はじめて知らない方からの注文がありました」。
それだけのことだ。たった一件の注文だ。川島さんなら、こんな規模の案件はやらないだろう。やる必要がない。川島さんは何千万、何億という広告予算を動かしている。僕がやっていることは、それに比べたら、本当に小さい。
でも、あのアクセサリーを作っている人にとっては、知らない誰かが自分の作品を見つけてくれたことは、たぶん、小さくなかった。
僕がやった仕事は、完璧じゃなかったと思う。川島さんなら、もっとうまくやれた。もっと効率よく、もっと的確に、もっと大きな成果を出せた。でも川島さんはあの案件をやらない。月商二十万のオンラインショップの広告なんか、川島さんの世界には存在しない。
僕はなんでもやだ。
マーケもやるし、広告もやるし、SNSもやるし、たまにデザインの方向性も考えるし、クライアントの愚痴も聞くし、請求書も自分で発行する。専門性がない、と言われたらそれまでだ。川島さんのようにマーケティングの深い専門性があるわけでもなく、柴田さんのように人の心を一瞬で掴む力があるわけでもない。僕は何でもそこそこにできて、何一つ突出していない。なんでもや。便利で、代替可能で、オンリーワンとは程遠い存在。
でも。
あのメールを三回読んだ朝、僕は思った。
なんでもやの僕でしか、届けられなかったものが、もしかしたら、あったのかもしれない。
月商二十万のアクセサリーショップに、真剣に向き合えるのは、たぶん僕みたいな人間だ。大きすぎず、小さすぎず、どこにも分類されない、中途半端な場所にいる人間。上から見下ろすでもなく、同じ場所に立って、一緒に考える。それは才能じゃない。たぶん、境遇だ。僕が中途半端だから、中途半端な場所にいる人たちの気持ちがわかる。わかるというか、少なくとも、わかろうとすることができる。
それは川島さんには、たぶん、できない。できないというか、する必要がない。川島さんにはもっと大きな仕事がある。
僕にはこの仕事がある。
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これが何かの答えだとは思わない。
川島さんとの距離は縮まっていないし、彼女はまだいないし、友達も増えていないし、人生は相変わらず楽しくない。木曜の夜に渋谷のエスカレーターで一人で立っている二十二歳は、金曜の朝になっても、やっぱり一人で六畳の部屋にいる二十二歳だ。
ワークの問題は解決していない。もっともっと上に行かなきゃいけない。もっと勉強しなきゃいけない。川島さんの三十秒に、いつか追いつかなきゃいけない。追いつけるかはわからない。たぶん、追いつけない。でも追いかけることをやめたら、中学の教室の透明な僕に戻ってしまう。
ライフの問題はもっと解決していない。二十二歳の、今しかない時間が、砂時計の砂みたいにさらさら落ちていっている。大学を出たら、もう「大学生」という猶予は終わる。社会人になったら、きっともっと時間がなくなる。今のうちにもっと楽しまなきゃいけないのに、楽しみ方を知らない。楽しみ方を学ぶ時間を、仕事に使ってしまう。仕事に使ってしまうことに罪悪感を覚える。罪悪感を覚える自分に対してまた恥じる。恥じている時間がまた過ぎていく。
全部、中途半端だ。
全部が中途半端で、その中途半端さを直視できるくらいには頭が回って、でも直視したところで何も変えられないくらいには無力で、その無力さすら誰にも言えないくらいには意地を張っていて、意地を張っている自分がまた恥ずかしい。
即金5億円か、1歩歩いて移動するごとに10円もらえるかだったらどっちがいい?→両方の意見やメリット・デメリットを議論して盛り上がる「投資で増やすか、1日1万歩歩くか」
これ適当に考えたっぽいにしては意外と年齢、運動習慣、投資利回りの見積等々で判断がわかれる面白いラインになってるんだけど
ブコメを見ると「考えるまでもなく5億!」みたいなコメントが多い
5億を投資することを考えるなら、1歩10円側も発生するキャッシュフローを投資していった時で比較すべきだと思うけど言及してるコメントはひとつだけ
5億円3%複利だと40年でも追いつけないというコメントがなぜかトップだが、歩いて年間3650万得られるとすると同様に3%で運用すれば19年で追いつく。1日2万歩歩けば9年で追いつきます
もしかして「複利で増える」みたいなぼんやり抽象的な理解しかしてない?
年利〇%が見込める商品に年△円ずつ投資していったら何年後にはいくらになるみたいな計算できない?
まあ、あの時代のドイツ国民に求められていた、というのは事実なんだろうけど…😟
旧アニメ劇場版シャンバラのナチ党大盛り上がり感はよくできてたと思うよ、
敗北したドイツをヨーロッパの、ゆくゆくは世界のトップの国家にしようという盛り上がりは、
国民も一緒に武力で西欧列強に並ぼうってけしかけた結果だよね…😟
まあ他国のトップが狂って暴走してたらソフトパワーなんて効かないってのはそれはそうだから
二期のDVDボックス中古で買ったら、2箱あるうちの前半部だったみたいで
最終回だと思ったらつづく、で終わるからなんだよマジふざけんなよ~まぁ2箱に分けて販売したのが悪いけどさ、中古屋も完品みたいな売り方すんなよな~って憤慨してたんだが
先日同じ店に行ったら後半の5~7巻バラ売りしてたのでビックリしながら購入。どんな売り方だ
で、二期はリューガまほろもギャグやったりとか、みわなちゃんカワヨなのはいいけど式条先生の出番があからさまに減ってたのが気になったり、急に管理者とか言われても…と思いつつもまあそこそこ楽しんでて
受胎告知から急にエヴァっぽいじゃん、えっこんなアッサリ死ぬの??ってほぼガッカリしてたんだけど
で、最終回!急に時間飛ばすってのは感想漁ってる時に見ちゃって知ってたけど、20年かよ!機能を停止するまで、が機能を停止してから、になるのは素直にセンスいい。実写演出と、ショタ主人公をヤサグレ親父にするのは反則だろー!こら評価低いわ。でもこのやっちゃダメだろって展開やっちゃうのはカッケー!トップの最終話でモノクロになる感じ、みたいな。式条先生再登場も嬉しかった。
ただ、リューガの相方みたいな女が消えてね?ってのと、この突然出てきた青髪のいたる絵みたいな女は誰…?ってなったり(まほろ再生展開でなんとなく分かったけど)あと、金髪ロン毛ショタはもうちょい役割欲しかったかな~
でもヤベー二次創作感が最高だったゼ‼️
例によって「全話無料」と言いつつカタにはめてこようとするむかつくアレだったので
(途中からログイン要求したり待てば無料とか言い出したりするあれ印象悪いよな)
本当に無料で読める半分ぐらいまでを読んだ。
『血と灰の女王』だと思う。
ただ『血と灰の女王』に比べると
バトルの知能も熱さもギャグとの切り替えも
全部少しずつ落ちる気がする
宇宙怪獣の解体や再利用の設定とかも(もう随分先達がある分野なのに)
食い足りねーって感じで、見てて面白いほどのサービスになってない微妙さ。
全部にすこしずつ興味が薄いという感じ。
トップ2の最高のシーンのひとつを何の積み重ねもなく初回に使うの
むしろリスペクトのなさ、「深いところで舐めとるな」って感じしかしない。
は?こんなのでノノのネタをやるとか殺すぞ?
ただこんなにギャグっぽくやらなくてもよかった気がするが。
そしてなんでこいつがこんなに強いのかいまだにさっぱりわからない。
何の説明もないため。
この世界の強さのルールが宇宙怪獣のスペック以外に説明されない。
宇宙怪獣のデザインにとにかく迫力が無くて怪獣8号よりなお悪い。
この宇宙怪獣使い勝負になっていくのは「明日のエサキミだから」みたいだが
(というか若杉はやっぱり漫画が上手い)
脇役もきりっとしない。
ユキオに魅力や個性や秘密がないのに他に個性強い脇キャラがいない。
蒼がいいキャラなのに引っ込めて出てこなくなりもう一人とちんたらやる。
そのもう一人の名前が書くことも読むこともしにくい字なのは作者の素人臭さと思う。
逆に言うとここまで本当に誰もいなかったということ。
そこも他と浮いてて忍者と極道(もしくは河部真道?)かなんかみたいだった。
これがアニメ化するのはビッコミとしていっちょ勝負に撃って出たいのだと思うが
相当うまく再構成しないとはかばかしい成果は得られないと思う、
ただ逆に言えばこの粗さや薄さは
個人的に蒼が好きだけど主人公が蒼とコミュニケーション深めるシーンも少なかったりする
期待できるのか出来ないのかわかんね。
アニメのこと詳しくないけど
この監督は俺の大好きなダンスダンスダンスールを踊りに興味なさそーなアニメにしやがったのでそこは恨んでる。
踊りに興味ない人が作画監督やってねーか?って思ったしそういう座組する人どうなの?っていう。
憲法9条を変えるのに反対って言うと、なんで「高市首相は戦争しようなんて思っていない」という反論が来るんだ?
仮に高市首相や今の自民党政治家に戦争する気が全くなかったとしても、憲法9条を変えていい理由にはならんだろ
憲法って今の憲法がそうであるように、何十年と続く事を予定されているんだから
改変された状態で将来、好戦的な政治家がトップに立ったらその時は開戦まっしぐら。
そうなるのを止めるための憲法なんだから、その時々の政治家の人柄やら内心で変えていいかどうかを決めちゃ駄目だ。
たまたま物凄く平和で殺人も放火も一件も起こらない年があったとして、殺人罪や放火罪を廃止するか?しないだろ?
信用がどうこういう問題では全くない。
軍事は国家全体のサプライチェーンに依存していて国防のために構築したシステムを侵略のために作り替えるのはそんなに簡単な話ではないよ。
もし今から戦争を仕掛けるために準備を始めても二十年くらいは必要なんじゃなかろうか。 全く非現実的。
いわゆる営業タイプの人間がそんな変な心配をしちゃうんだよな。
世の中を交渉、人間関係で乗り切ってるようなタイプは誰かを言い負かせれば世の中が動くと思ってる。
即金5億円か、1歩歩いて移動するごとに10円もらえるかだったらどっちがいい?→両方の意見やメリット・デメリットを議論して盛り上がる「投資で増やすか、1日1万歩歩くか」
sds-page 一日一万歩 vs 元金5億円複利3%だと30年経っても40年経っても追いつけないっぽい
まとめ内の
毎日1万歩との差は1650万円、5億に追いつくのに30年
を見て言ってるのかもしれんが、歩きの方は1650万の余剰資金を投資に回さず遊ばせてるだけという前提に疑問を抱かないのか?
1650万を年利4%で積立ていけば大体20年ちょいで5億を超える
20年平均1日1万歩歩けるなら1歩10円の方が有利ってことになる。
年齢次第ではそっちのチョイスもありだろう。
インフレの影響を受けるのは一括5億も同じなのでそこは判断に影響与えないだろ
byaa0001 桁1つ小さくしてようやく検討に入るくらいな気がするが、世の中の多くの貯金しかしない人の中では、ここがラインになるんだなと。/投資禁止なら妥当なライン?3万歩歩くランニング習慣モチベ等も得られて悩む。良い
megumin1 出題者が金利や複利の概念を理解していないせいか、問題の設定がガバガバすぎ。どう考えても「即金5億円」が有利。これが「即金5,000万円」vs「1歩歩いて移動するごとに10円」だったら、いい勝負になったのにね。
5000万で妥当といってるこいつらに至っては意味がわからなさすぎる
何か増えるらしいで!くらいで投資やってんのか?
皆んな、この日本語の内容を素直に読んでみてくれ
行政のトップが改憲に「挑戦する」と言ってしまうのは確かに憲法99条違反だな。
https://posfie.com/@Elif87995911/p/TAWsO3D
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/posfie.com/@Elif87995911/p/TAWsO3D
問題視しているのは
だと思うんだが、ブクマカ諸氏はそうは思わなかった(あるいは意図的に無視した)のだが
皆んなはどう思う?
にするだろう
昨年、障害年金センター長が審査に厳しい人物になったため、忖度によって不支給判定が増えたという報道があった。
公的な機関がそんな属人的な理由で基準を左右するなんて冗談じゃないと思ったが、昨年、期せずして自分の勤務先の組織の上長が「権威主義的で厳しい」と評判の人物に交代し、忖度問題が他人事ではなくなってしまった。
どこでもそうだろうと思うが、上の人間というのは「現場に口出ししなければしないほど良い」。しかし、虚栄心が強く、自分が慕われていると思い込みたい人間ほど、余計な口出しをし、面倒が増えるだけのどうでもいい施策をしたがる。
その結果として、社内の雰囲気は最悪になった。
連日の中身のない会議、生産性がないどころか予算をドブに捨てるだけの施策、「モチベーションを上げる」と言いながら、やりがい搾取を推進するような奴隷じみた制度。それなりに大きな企業であるのだが、この上司のやる事なす事、昔勤めていたITベンチャーのワンマン社長そっくりで胃が痛くなってくる。部下にフレンドリーで組織を改革するアイデアマン、という自己の理想像とは裏腹に、底の浅さを見抜かれる事を恐れ、権力を誇示していないと不安になってくる、情緒不安定なパワハラおじさんがそこにいるのだ。
部下は皆空気を読み、「ちょっと黙ってくれねえかな」という言葉を飲み込んでへらへら笑い、パワハラおじさんをおだてている。プライドの高いパワハラおじさんに下手な事を言えば、その立場と権力によってどういう嫌がらせをされるかわからない。誰も火中の栗は拾いたくないのだ。
一方で、迷惑を被るのは現場の社員、非正規社員だ。波風を立てたくない中間管理職がトップダウンで下された指示に意見のひとつも言わず、現場に全てを押し付ける。押し付けられた現場はただでさえ忙しいのに大混乱で、中間管理職に文句を言う。文句を言われたところで、妻も子もいてローンもある中間管理職はパワハラおじさんに歯向かうことなどできないので下っ端社員の文句を甘んじて聞くことしかできない。板挟みでツラそうな光景を、去年は何度も見た。
その上パワハラおじさんというのはどういうわけか「人財」とか「最幸」みたいな言葉が好きで、やたらと「イキイキ働ける組織作り」みたいな事を語りたがり、やりたがる。社員にとって本当に必要なのは「無駄なマイクロマネジメントをしないリーダー」であり、「中身のないイベントをやらない組織」なのだが、パワハラおじさんはそういう同調圧力が大好きなのである。同調圧力によってしか人望を得られないという強迫観念でもあるのかもしれない。
一昨年まではよかった。パワハラおじさんのポジションにいたのは、余計な会議も妙なオリジナル施策もやらない、自己顕示欲ゼロだが人柄の良い人だった。よく進んで雑用をやっていたりもして、そういう姿を見ると自分も真面目に働こうと思ったものだった。
それが今はこの有様だ。
自己顕示欲が強いほど上にアピールするモチベーションが高いので、結果的に仕事をしていると思われるのはパワハラおじさんの方なのかもしれない。しかしその実、周囲にストレスを与え、プレッシャーをかけ、自己満足に巻き込んで生産性のない事をやらせ、虚無らせる、パワハラおじさんがやっているのはそういう事なのだった。
しかし、誰もパワハラおじさんを止められない。巻き込まれてもへらへら笑っているしかない。これも仕事であると自分に言い聞かせて、生活のために我慢するしかないのだ。
管理職の中には、パワハラおじさんに積極的に気に入られるために、現場の管理をより厳しくし始める人間もいた。そいつは日頃から悪名高いクソ上司であったが、状況に適応するのはそもそも無能なそいつなりのサバイブ術なのだろう。
クソ上司はともかくとして、社員の誰1人として表沙汰に意見を言うことはない。「どんな意見も大歓迎」「一人ひとりとコミュニケーションを取りたい」とパワハラおじさんが言っているにも関わらず、それを真に受けて批判する人間は誰もいないのである。機嫌を損ねさせないのが一番なのだと、みんなが忖度しているのだ。
障害年金センターのセンター長がどういう人物かは知らないが、組織のトップが権威主義的な人物であると、空気を読まされるプレッシャーと、無言の同調圧力が効いてくるのを身をもって体感することになった。
サイレント独裁政治とは、見た目は民主主義で国民も政治参加している感覚にあるが、一部の頭の良い人たちで国を良い方向に動かす政治、と定義する。
テレビがメディア支配していた時代もSNS時代も構造は変わっておらず、いかに雰囲気を操作できるかで選挙の勝ち負けは決まってくる。
現に怒りを煽られて見当違いな消費税批判などが平気で飛び交う。
動画のコメント欄は煽られて怒った人たちで溢れ「我々は騙されている」という思い込みが加熱。
そんな人たちに事実ベースで必要な政策なんて伝えてもすぐ作られた怒りに上書きされる。
国にとって本当に必要な政策や決断は、必ずしも万人に理解できるものとは限らない。外交上の都合で理由を表に出せないものもあるだろうし、実際1番効率良い委託先への発注も癒着と言われたり。
本当に国にとってイイことなんてほんの一部の人たちにしかわからない。
いかに国民に民主主義を感じてもらいながら独裁政治するか。これこそ政治家のセンス、能力が問われる部分。
卑怯とも言える自民党の多様性はサイレント独裁政治においてめちゃめちゃ便利。経験値も高いし長年国運営を担ってきて本当に必要な舵取りもできる。
ただ、腐敗はあり得る。
実際トップは国のために奔走していても組織の中間、下部層での腐敗は避けられない。この辺りのケアも政治の能力が問われるポイントなのかもしれない。
国民の政治参加が意味がない訳ではなく、本当に直接的に困っている事を訴えるのが国にとっても必要な政治参加。
今は自分とは直接関わりのない件、もしくは消費税のように個人が声を上げなくてもメスが入るような大き過ぎる件で怒りを煽られて投票される傾向が強い。これは豊かで平和な国の裏返しの側面があるかもしれないが、本質ではなくなってしまう。
私は高市早苗という人をまったく好きになれなくて、生理的にすら近い嫌悪感があるのだけれど、それは反省すべき点なんだろうなと思っている。
日本が家父長制が根強く残っている社会で、私はそれに対して批判的な気持ちはある。でも、そんな社会に適応して女性性を利用しながらのし上がっていくようなタイプの女性は批判的に見てきた。
でも今の世の中には、そういう適応の努力を積み重ねて偉くなった(もしくは偉くなりたかった)女性層というのが分厚く存在していて、そういう人にとって高市早苗というのは自己を投影しやすい存在なのだろうなと。
外では仕事に打ち込み、家庭では介護を担い、体調不良に耐えながら男並みに働き、それでいて周囲の男性に強く出ることはなく、時には甘えるような仕草で男を転がしてみせる。その媚びた仕草を批判する人は、女の苦しみに無理解なのだ……みたいな。
ようは私はバリキャリだけど家では良妻賢母、飲み会にも顔を出し、そこではそつなくおえらいさんに尺をしてみせるようなタイプの、自分の世代にもいたし、その少し上の世代では珍しくなかったタイプの「キャリアウーマン」というタイプの人を憐れみつつ心底バカにしていたところがあって、そのイデアを純粋に体現したみたいな人が大衆の熱烈な支持でもって国のトップに立っている事態にうろたえているという感じ。
私みたいな人間は結構、いわゆる意識高いリベラル自認の人にいて、そういう人たちから小馬鹿にされまくった(でも耐えてやってきた)女性たちのルサンチマンの爆発が高市人気を支えている側面もあるんではなかろかと。
整理すると、
家父長制を嫌い、家父長制に親和的でない女性たちにシンパシーを抱いてきたけど、その結果、家父長制に適応しつつ体制内改革的に努力をしてきた女性のことを私はどこかバカにしていて、そのツケをここで大きく払わされたな。
……ということです。以上。
カネならしてトランペット吹いてる私設応援団の連中がでかい顔してるうちは、NPBの市場規模が拡大することはないよ
あの連中はどう見ても可処分所得が少なそう
小泉政権のあと、安倍総理(第一次)も福田総理も、突然ある日「総理やめますわ」と会見を開いた。
これにはぶったまげ。そんな無責任なトップがあっていいのか。。
後任の麻生総理は失言が多く、身内から「麻生おろし」される始末。
これまで多くの総理を輩出し盤石だった自民党、ほんとうに大丈夫??とみんな思ってた。
そこに入ってきたのが鳩山&小沢という、自民党OBが作った政党。
合格点が取れる才能と世界トップが取れる才能は明らかに別モンでしょ
検索結果のトップに出てくる関連動画、半分以上が「不正選挙だ」とか「参政党の票が秘密裏に奪われている」とか「中国や財務省の組織票によって当選した」みたいな陰謀論動画なんだよ。
党公式の動画やテレビのニュース速報じゃなくて、事情通顔した謎の陰謀論インフルエンサーみたいな奴らが画面を占領してる。
「探せばそういう動画もあるよね」なんてレベルじゃない。そっちの方が圧倒的に「多い」んだよ。
公式動画の方も見てみ?コメント欄を新着順に並べると、圧倒的多数が陰謀論者の書き込みだよ。
正直、参政党やら反ワクやらQアノンなんて、興味がなければ一生交わらない世界だと思ってた。でも、自分たちが普段見てる領域が、フィルターバブル突き破られてこんなことになってるなんて思わんかったわ。
驚き屋やアフィブロガーも含めたテック界隈って、チームみらい支持が多い認識だった。
だから、不正選挙疑惑とか話が出たときは「またQアノン周りがトンデモなこと言ってるな」くらいにしか思ってなかった。
テッククラスタvs陰謀論者クラスタの構図になっても、流石にテック界隈も人数いるし、統計学に詳しい層も厚い。淡々と論破されて、陰謀論者なんてバカにされて終わるだけだろ、って思ってたらこのザマだよ。
2026年2月12日、平日午後の情報番組として長年君臨してきた「情報ライブ ミヤネ屋」が2026年9月末で終了することが、司会の宮根誠司氏により正式に発表された。番組終盤、宮根氏は約4分間のスピーチで視聴者やスタッフへの感謝を述べ、自らの言葉で番組からの「卒業」を伝えた。この発表は、2006年7月の番組開始から約20年という節目を迎えた長寿番組の終焉を意味する。
番組終了の第一報は、2026年1月28日に「女性セブンプラス」が報じた。関係者への取材によれば、宮根氏自身が読売テレビ側に「番組を終えたい」と申し出たことが発端だった。局側は必死に慰留したが、宮根氏の意思は固く、その後読売テレビと日本テレビの上層部との話し合いを経て、10月期の改編で終了することが決まった。
2月12日の生放送では、宮根氏は「この9月末をもって私、このミヤネ屋を卒業させていただく運びになりました」と述べた。フリーアナウンサーとして番組の終わりが来ることは覚悟していたとしながらも、「何度か卒業しようと考えたこともございます。そのたびに読売テレビはじめ、皆さまにありがたいことに慰留していただきまして、この20年まで続けることができました。本当に幸せ者です」と感謝の言葉を続けた。
宮根氏は局アナ時代を含めると26歳から37年間、63歳になる年まで月曜から金曜の帯番組を担当し続けてきた。この長いキャリアを振り返りながら、「信じられないくらい恵まれた環境で、テレビに携わらせていただきました」と語った。スピーチの最後には、「やめるのをやめたという可能性もありますので、その時はまたご報告させていただきます」と笑いを誘う一幕もあった。
「ミヤネ屋」は2006年7月31日、読売テレビ制作の関西ローカル番組としてスタートした。前身は金曜のみ放送されていた「激テレ★金曜日」で、これを月曜から金曜までの帯番組にリニューアルする形で誕生した。当初は午後の遅い時間帯からの放送だったが、評判の良さから徐々に放送地域を拡大していく。
2007年10月には関東と長野を除く全国ネットに昇格し、2008年3月31日からは日本テレビでも放送が開始され、完全な全国ネット番組となった。これは、2007年9月に草野仁氏が司会を務めていた「ザ・ワイド」が終了し、日本テレビが午後のワイドショーから一時撤退したことが背景にある。読売テレビが独自に育てた「ミヤネ屋」が、結果的にその枠を埋める形となった。
番組の特徴は、宮根氏の歯に衣着せぬトークと、関西弁を駆使した親しみやすい進行スタイルにあった。読売新聞特別編集委員の橋本五郎氏、弁護士の野村修也氏といった論客とのやり取りも人気を集め、政治から芸能まで幅広いテーマを扱う情報番組として、平日午後の顔となった。
視聴率面では、2009年度から9年連続で関東・関西地区ともに通期の平均世帯視聴率でトップを獲得。20年間にわたり全国平均で5から7パーセント台を安定的に維持し、累計放送回数は4000回を超えた。近年はTBS系「ゴゴスマ」やフジテレビ系「旬感LIVE とれたてっ!」など他局の追い上げもあったが、コア視聴率では依然として同時間帯首位をキープしており、高視聴率を保ったままの終了となる。
宮根氏が番組終了を決断した理由として、複数のメディアが共通して伝えているのは、「新しいことに挑戦したい」という本人の強い意志である。関係者の証言によれば、2年前に還暦を迎えた頃から「安定にしがみつくのではなく、新しいことに挑戦したい」という思いを抱いていたという。2025年7月に番組が20周年を迎えたことが、その思いをさらに強くした。
宮根氏は1963年生まれで現在62歳。朝日放送に1987年にアナウンサーとして入社し、関西で人気アナウンサーとして活躍した後、2004年にフリーへ転身した。その際も40歳という節目で「一から出直す覚悟」を決めたとされ、今回も同じ心境で新たな挑戦に臨むという。
また、平日は大阪で「ミヤネ屋」、週末に上京してフジテレビ系「Mr.サンデー」に出演するという生活を15年間続けてきた体力的な負担も、決断の背景にあるとの見方もある。関係者は「年齢的にもいまが最後のチャンスと考えている」と語っており、宮根氏自身が番組の20周年という区切りを、自らのキャリアの転換点として捉えたことがうかがえる。
宮根氏は2025年7月の20周年の際、「平時は型にはまらず楽しく、もし大きな災害や緊急事態が起こったときはいちばん頼りにされる。そんな正体不明の番組であり続けたい」と今後の意気込みを語っていたが、この頃すでに大きな決断を胸に秘めていたとみられる。
「ミヤネ屋」の成功は、テレビ業界において大きな意味を持つ。地方局が制作する情報番組を全国ネットで放送するというスタイルは、現在では珍しくないが、その先駆者こそが「ミヤネ屋」だった。放送関係者は「番組の成功を見て各局がまねた格好。昼の情報番組に与えた影響は計り知れない」とその功績を評価している。
ただし、番組終了の裏では、後番組をめぐる読売テレビと日本テレビの複雑な関係も指摘されている。全国放送での月曜から金曜の帯番組は、地方局にとって貴重な枠であり、CMなどの営業収入も莫大だ。読売テレビ内では「ミヤネ屋」が全番組の中でも最大の収益源となっていた。
この枠をめぐり、日本テレビ側が「枠を戻せ」と主張する可能性も報じられている。かつて日本テレビは「ザ・ワイド」を終了させ午後のワイドショーから撤退したが、読売テレビが独自に育てた「ミヤネ屋」が成功を収めたことで、複雑な思いを抱えていたとされる。現在、後番組については未定とされており、今後の動向が注目される。
「ミヤネ屋」の終了により、平日午後の視聴率競争は新たな局面を迎える。現在、同時間帯ではTBS系「ゴゴスマ」が健闘しており、司会の石井亮次氏、フジテレビ系「旬感LIVE とれたてっ!」の青木源太氏と、宮根氏を含めたフリーアナウンサー三つ巴の戦いが注目されていた。最古参の宮根氏が退くことで、この構図は大きく変わることになる。
一方、宮根氏の今後については、現時点で具体的な発表はない。「Mr.サンデー」の司会は継続するとみられるが、新たな挑戦の内容は明らかにされていない。関係者は「40歳のときと同じ心境で一から出直す覚悟を決めている」と語っており、宮根氏自身がどのような道を選ぶのか、業界内外の関心が高まっている。
番組は2026年9月末まで放送を続ける。宮根氏は「残り半年ありますので、まだ半年頑張っていきたい」と述べ、最後まで視聴者とともに歩む姿勢を示した。20年にわたり平日午後の情報番組をリードしてきた「ミヤネ屋」が、どのような形で幕を閉じるのか、そしてその後の平日昼のテレビ界がどう動くのか、今後の展開に注目が集まっている。
巨人のスター選手の年俸でもメジャーリーガーの年俸トップ層には遥かに及ばない。
制度が違うから単純比較できないけど、MLBの40人枠に入るだけで年俸1億円に対して、日本は1軍である程度活躍して初めて年俸1億円。
※誰かを攻撃する意図はありません。自分自身の整理と今後、誰かが同じ状況になった際の判断材料として記します※
※「」内に関しては発言を書き起こしたものではなく、そういう趣旨の発言であったものになります※
そのインフルエンサー(以降「A」とする)がどんな人かと言うことをざっと並べると、
・当時推しの名前をXで検索すれば、そのインフルエンサーの投稿がトップの方で表示される
そして
推しと出会う以前・以後のビフォーアフターを写真付きでかなり赤裸々に明かしていた
…といった感じ。
影響力の大きい人だというイメージはあったけど、
Aはある日を境に
「ライブチケットで良席を得て、推しからファンサをもらえたのは“引き寄せの法則”を利用したから」
といった投稿を始める。
※引き寄せの法則とは、
今自分の手元にない欲しいものを“すでに持っている”ものと意図して生活していたら、
思いがけない形でそれを得ることができちゃうよ〜みたいな法則(ざっくり)※
その頃くらいから、
引き寄せの法則にまつわる発オンライン講座を少額(ワンコインほど)で複数回開催し始める。
当時の講座も受けたことがある。
AはSNSで見る姿と変わりなくよく喋るが、面持ちからは緊張を感じた。
講座自体もしっかりした作りで、私はAに人間味を感じ、さらにAを信頼することになる。
講座を受けた人たちの引き寄せたものの実績もみるみる積み上がっていった。
ほどなくしてAは、
長期かつやや高額(型式が古くて5万キロ強走行した中古車なら1台は買える額)
な講座を主宰することになる。
そこにいる人々の様々なビフォーアフターも講座宣伝よろしくタイムラインに流れていく。
“それなりの幸せで満足しなくていい、もっと私たちは欲しがっていいんだ”
『もしかしたら私も変われるかもしれない』という気持ちは膨らんでいく。
だがいかんせん、値段が高すぎる。
興味はあるけど、参加は見送るつもりでいた。
某日、Aが
「講座自体はとてもいいものになっているのに、思ったより集客が伸びない」
というような弱音を吐いたことがあった。
記憶はかなり朧げなので内容は正確ではないが、
その時点で絆された私は、飛び込みで講座の受講を決定。
契約書もろくに読まず記名し、受講料を払った。
これで人生変わるんだ、と本気で思った。
『私なんかが…』と遠慮して受け取れなかった様々に手を伸ばせるようになった。
この機会じゃなきゃ出会えなかった人と、
そこに対してはAに感謝している。
ただ、この話はここでは終わらない。
ある講座生(Bとする)が Aに対して声を上げた。
「私は提出した課題に対して、Aさんからフィードバックをもらいたくてこの講座に入った。
それがないならここにいる意味がない。引き寄せを勉強しようと思うなら、本を読めばいい。
そうではなく、Aさんから学ぶことに対してもっと意味のあるものにしたい。なんとかならない?」
講座生は各々課題を提出するわけだが、Aからのフィードバックは無かった。
Aが提出された課題に添削して、その添削が見える環境にしてしまうと、
講座生同士で提出した課題に関して意見交流してもらうのを優先しているためだった、
Aの主張も、Bの主張もわかる。
私はBと同じく消費者として、
この流れに期待感を持っていた。
しばらくそのやりとりは続き、Aのある発言で空気がガラッと変わる。
「けど私からのフィードバックがないと意味がないって思うのは、Bさんの課題なんだよ」
「買い手としての一意見が、私の精神的な許容量の問題って言いたいってこと?」
Bは声を荒げ、Aは「そういう意味じゃない、間違えた」と切り返そうとするが、
A本人から個人のキャパの問題だと一蹴され、なあなあに決着をつけられてしまった。
この一連の流れに、私は事業者としてのAに不信感を抱くようになる。
その後も、
講座生に向けた講義とは別の配信でAがBに対して苛立ちをぶつけるような場面
・Aのオープンハートとも取れるが、見方によっては講座生に対する雑な扱い
・私欲を満たすために講座生たちが払ったお金を使われたのち、
講座受講期間中にAから「金策に困っている」というような発言を何度も聞いたこと
などの出来事も重なり、
私は特に「お金がない」という話を聞き続けた結果、精神的に疲労してしまった。
講座を履修したら継続で入れるサロン(月額も決して安くはない)があったが、
退会を決め、Aの事務局に申し出るも、申出から退会の受理までの対応に1ヶ月以上かかるなど、
退会を申し出てからの1ヶ月分のサロン月額料金は請求されなかったことから、
これを機会にAから離れ、学んだこと以外は忘れたように過ごそうと思っていた。
しかし、
ある時のタイムラインでAの過去の投稿について、糾弾するアカウントを見かける。
著しく良識に欠けていて、推しの人権を侵害しているという趣旨の発言と、
インフルエンサーとして好感を持った側面でしかAを知らなかった私は、
どうやらとんでもないことに首を突っ込んでいたらしいとようやく気づく。
ただ、講座を修了している以上、できることはほぼないに等しいのも安易に予測がつく。
悩んだ末、ネットで調べた情報をもとに、地域の消費生活センターに相談してみることにした。
になる。
同じようなケースの人がここにたどり着いた時のために記載しておくが、
消費生活センターの窓口相談を利用するには電話予約が必須なので気をつけて欲しい。
私は電話口で説明できる自信がなかったので、窓口相談を利用した。
契約書や、 Aの事業用のHPなどをかき集めて相談した結果の見解は、以下の通りになる。
代表者氏名が未記載であることから、事業者としての信用性は極めて低く、悪質性は高い。
・決済手数料の扱い
支払い方法によっては、規約外である手数料が上乗せされていることも問題である。
・返金対応
最初に説明されたカリキュラム通りに講座自体は進行していたことから返金は求められない。
また、通信契約の特性上、契約書の規定が優先されるため、返金を求めることはできないという結果。
(契約書にいかなる理由でも返金には応じないといった趣旨の記載)
説明された内容と実際の講座内容に明らかな乖離ががある証拠がない場合は、返金は厳しい。
無いに越したことはないが、同じケースに鉢合わせた場合は、不信に感じたその時に相談して欲しい。
センター自体に強制力はないが、今後Aに関しての相談件数が増えた場合は指導が入る可能性はある。
消費生活センターとしては、本件は“霊感商法による被害”という位置づけになるらしい。
誰でも被害者になりうるというお話も相談員の方からお伺いした。
困っている人がいたら、ぜひ電話でも窓口でも相談してみては、と思う。
被害者に限らず誰でも申し出は可能だが、金銭トラブルの解決は目的としていない。
契約書上の“この契約は消費者契約法や特定商取引法の適用を受けない”という記載に対して、
“法律(強制法規)が優先されて効力を持たない”という意味では、法律違反にあたる可能性がある。
(本件を具体的に相談した結果ではないので、あくまで可能性という結果にはなる)
という感じだった。
・現品を見て買えないものは、買う前にとにかく情報を集めましょう。
・良い口コミばかり出てくるものはめちゃくちゃ疑った方が良いです。
・そのインフルエンサーのことが好きでも、
・同じ買い物をした人たちが同じように消費者として傷ついていたら、
もし勇気があるなら手を取り合って、声をあげてください。
でもその人から買い物する時は疑って欲しい。誰かが私と同じように傷つく必要がない。
勉強代としては決して安くはなかったが、
“信頼と契約は別物”という教訓をこれだけ大騒ぎして得られたのは、
まぬけではあるが。
Aは今でもどうやら、講座を主宰しているらしい。
私はもう離れてしまったけど、
Aなりに楽しんで推し活するんだろう。
チャーミングな人だった。
ようやくこれを書き上げた。
この件に対してのモヤモヤをここに置いて、
もっと身軽にやりたいことを楽しむつもりだ。
うん、悪くない響きだ。
これ以上、この件については
追求することはありません。
ただ、いつかの誰かにこの記録が
役立てばこれ以上のことはありません。
B含む講座生のみんなにも、
あの時タイムラインで見かけた投稿者の方にも、相談員さんにも、
そして、 Aにも。
ありがとうございました。
ばいばい。