
はてなキーワード:デザイナーとは
今のところ、WPFとAvaloniaかなあ、と思ってて、Avaloniaの方がイケてる感あるけど、
なんだかんだMicrosoft純正の方がいいかなあと思ってWPFで書き始めたぐらいなんだけど…😟
念のため、Visual Studio 2026を試してみたんだけど、WinUIのGUIデザインするやつが途中で消えちゃって、
なんかそもそもデザインの機能はないみたいなんで、ネット彷徨ったり、AIに質問したりして、
WinUIがなんか仕様のレベルでブレてるみたいで、それじゃあデザイナーの実装どころじゃないよね、
みたいな話みたいなんで、とりあえず慣れないC#使うと決めたからにはWPFかなあ、と…
というか、枯れてるWinFormsはともかく、なんか最近のMicrosoftは実現する手段が多すぎる
多くて、ごちゃごちゃしてて、でも、最後までひとつひとつちゃんと面倒をみない
いや、昔からか…
昔は面倒見れなくなったからオープンソースにしますみたいな、Apache送りだ~、みたいなの、まあ、昔からか…
そういえば、ゲーム開発の話で言えばXNAがなくなっちゃったんで、まあ、今はMonoGameあるけど、
ゲームというか描画系も色々あるんだよなあ、Win2Dみたいなのとか…
全部試すのも辛いし、かと言って、だからってDirectXとかOpenGLから個人が書く時代でもないんで、
メガネ店に2、3年ほど勤務していた私がおすすめする、近視用メガネ作成時のポイントがあります。
私自身かなりの強度近視でして、メガネの度数は-10.00、コンタクトは-9.00くらいです。
一般的に強度近視と呼ばれるのは-6.00くらいの方からですね。
近視が強い方はどうしてもレンズの歪み(目が小さくなる)が出てしまうのですが、メガネの選び方でこの歪みをかなり減らすことはできます。
かわいいメガネを選んでも、いざ出来上がったメガネをかけて、思っていたのと違う...となるのは近視の方にあるあるの事ですよね。
メガネ作成時に下記の3点に気をつけると、仕上がりのギャップを少しでも減らせるかなと思います。
③目とレンズの間をなるべく狭めるフィッティングにしてもらう(鼻パッド付きメガネが良いかも)
レンズの中央にいけばいくほど厚さも歪みも少なくなる設計になっているんですね。
そのため大きいフレーム(アラレちゃんメガネのような)を選ぶと、レンズが厚くなり歪みが出やすくなります。
なので、出来るだけ小さいフレームを選んでいただけるとGOODです。似合う&かけ心地が合うのであれば小さければ小さいほど良いです!
メガネのサイズの確認方法ですが、実はどのメガネにも刻印や印刷がされています。
メガネのテンプル部分などに書かれていることが多いですが【50◻︎19 138 27】といった数字が書かれています。
◻︎の前に書かれている数字が、片方のレンズの直径です。これがサイズになりますね、この記述の場合50サイズということです。
私の感覚になりますが、女性で顔幅小さめ、度数が-8.00〜の方であれば40〜42サイズくらい小さいものがおすすめです。
ただ、サイズが小さいフレームってなかなかないんですよね...流通しているフレームは何故か大きめが多い!
JINSが目が小さくならないメガネを出していますが、これも45サイズ...頑張ってはいるが、もう一回り小さいものが欲しい...
逆にJINSのこのメガネは、〜-6.00(-7.00くらいもいけるかな...?)くらいの方には結構おすすめかなと思います。
眼鏡市場などで探せばあるかもしれないので、店員さんに小さめサイズで聞いてみて下さい。
デザイナーズ系のメガネは小さめが多いので、小さめのブランドを下記に記載しておきます。ただ、お高い...しかし可愛い...
・YUICHI TOYAMA.
・propo
・Yellows Plus
・ANNEET VALENTIN
などなど...
そして好みによりますが、濃い色の方が良しです!これの理由はデルブーフ錯視で検索してみてください。
続いて②です。
一般的にメガネとレンズでセット価格になっているものは「片面非球面レンズ」が多いです。
これより上位ランクの設計のレンズが「両面非球面レンズ」ですね。JINSも最近取り扱っています。
ただ、片面非球面よりも高くなってしまうので、予算に余裕があればおすすめです。(完璧に歪みが無くなるわけではないので...)
目とレンズの距離、これを頂点間距離と言いますが、これが適切な方がレンズの見た目は良くなります。
なので、この距離を調整できる鼻パッド付きのメガネの方がおすすめにはなります。
鼻パッド無しでも、顔に合っているメガネがあればそちらでも良しです!気に入ったものをかけるのが1番良いです。
かなり簡潔ですが、このあたりを気をつければ少しでも普段使いしやすいメガネが製作できるかな...と思います。
本当は、何も見た目が変わらないレンズor万人に使用できる視力回復術などがあればHAPPYなのですが、それは技術の進歩を待つしかなさそうです。
コンタクトも調子が悪い日は必ずあると思うので、そういう日に無理にコンタクトを装着することがないよう、外でもかけられるメガネは一つ持っておいた方が良いです。
目は一生もの、の割にかなりデリケートかつ複雑な臓器なので、労りながら過ごしたいものです。
7年前、東京。地下かどこかの喫茶店で、デザイナーのHさんと打ち合わせをした。
自分が企画した仮設の公園シリーズのデザイン制作物を依頼する場だった。
まだ若くてバカだった当時の自分は、「A3サイズで世界を変えよう」と笑いながら真剣に言ったのを覚えている。鼻息でストローの袋を吹き飛ばした気がする。
その後に作ったA3のフライヤーは、原稿の渡し方もイメージの共有もめちゃくちゃで、散々迷惑をかけた気しかしない…。でもHさんは最高の納品物をつくってくれた。
それからあちこちでHさんのデザインを目にするたびに(先日も実家近くの本屋で見かけた)、あの狭い喫茶店で口にした言葉を思い出す。
Hさんはあれから、マジでA3サイズで世界を少しずつ変えてってると思う。
「どうして“哲学対話”という名前を使うんですか?難しそうだとか、参加に身構える人もいるかもしれないのに」と尋ねた。
Nさんはいろいろ考えた末に、「なんか…ムカつくんすよね」と言った。
哲学と、対話という言葉の意味を新しく上書きするために、あえてこの名前を使うんだって話してくれた。
今の自分は、どうだろう。
「ムカつく」という言葉を聞いて、久しくその感覚を忘れていたかもしれないと気付いた。
どうせ何も変わらないと思って、絶望してたんだと気付く。ぜつぼうって、Zから始まる強い響きの言葉だけど、耳がキンとするほど静かで、うっすら気付きながら置き去りにして、気付けばゆっくり死んでいるような絶望もある。
思い出すと自分も「A3で世界を変えよう」と言ったあの頃、世界に対してムカついてた。
少し前、自分は臨時職員だった。アートと教育に関わる仕事。給料は月13万円。
でも求められる仕事の内容は変わらない。自分が足りないから倍以上頑張るしかないんだ。
「アーティストやクリエイターとつながっておくのが大事だ」と教わりつつも、飲み会に行くのが怖かった。行ってもバカにされるだけ、雑にいじられて否定されて、3000円払っていやな思いをするだけだと思ったから。
それでも「今日は違うかもしれない、大丈夫かもしれない」と信じてみる。
先にコンビニでおにぎりとホットスナックと缶ビールを胃に詰め込み、遅れて飲み会に顔を出す。結果「やっぱりカタパンはダメだな〜」と何かのきっかけでバカにされ、ヘラヘラしながら5000円払わされ、真っ暗な帰り道で涙がつっとこぼれそうになる。今思えばもっと自己開示すべきだったのかなって思う。でもあの時の自分は、自分を守るのに必死だった。
同じ部署の臨時職員同士で競わせられ、蹴落とし合う日々。毎日どんどん嫌な自分になる。
それは素晴らしいことで、自分は今日も帰れない。自分は常に欠けていて、仕事ができないからしょうがないんだ。自分も子どもを育ててみたいという気持ちをこんな手取りじゃ絶対無理だとグッと押し殺し、上司に嫌な感情を向けてしまう心に嫌気がさす。
「カタパンの説明は下手すぎる」「カタパンは才能がない」「カタパンは惜しいんだよな」「タレ(当時付き合っていた彼女)と結婚してさっさと仕事やめたら?」「カタパンのタレはメンヘラだよな」「それ俺が考えたことにして。そっちのほうが絶対うまくいくから」「カタパンが考えることは全て、もうすでに俺が考え終わったことだよ」「カタパンは、ソーシャル・ネットワーク(映画)の、ザッカーバーグじゃない方なんだよ。自分が考えたことも上司がうまいところを持っていく。そういうのってこの業界じゃ当たり前だから。」「カタパンはエモいからな〜」「カタパンは伸びしろがない」「泣くのはプロじゃないよ」「カタパンもう◯歳でしょ?いい加減大人になってほしいよね」
大学1年生のころ、そのアートセンターでやっていたノイズミュージックのライブを初めて聞いて衝撃を受けた。
退屈してて何もないと思っていた、都市ってつけるのがおこがましいくらいの地方都市で、爆音の圧に内臓が揺れる。初めて音に殺されるって思った。
こんなこと公共施設がやっていいんだ。そのアートセンターで働くことに憧れた。
そこには市民の有償ボランティア制度、サポートスタッフがあった。入りたいと思った。
でも1年生でサポートスタッフになっても、きっと自分は他の人に埋もれてしまうと思い、いろんなアルバイトを経験した。
3年生になって、ようやく少し自信を持って、サポートスタッフに登録する。
“カタパン”は、サポートスタッフを始めた初日、教育普及の職員に付けられたあだ名。
理由は、肩パンしても大丈夫そうなキャラだから。嫌なあだ名だったけど、あだ名を付けてもらえたことに喜んで、自分は否定しなかった。
ようやく入った憧れの施設では、地元の人やサポートスタッフを蛮人と呼んでる人もいた。
もちろん冗談で。冗談なんだから否定するのは粋じゃない。自分は一緒に笑った。
自分も笑われているのに。
どんなに嫌なことがあってもそのアートセンターに憧れたあの時の気持ちは捨てられないし、どこかで全員尊敬できたし、すごく優しい人もいる。
周りの誰も憎めずに、自分を責め続けた。心配してくれた人の言葉を、自分は大丈夫ですよとヘラヘラ聞き流した。
周りを変えることよりも自分を責めることの方が楽で、でもずるくて、いざ失敗したら周りのせいにしてた自分もいる。この文章だってそうかもしれない。
自分は自分のそういうところがめっちゃ嫌い。だからこの文章をここに書き残しておく。
ダサいことも、痛いことも、全部置いておく。
今は常勤職員になってしばらく経ち、生活も少し安定するようになった。チームが変わり、すごくいい仲間に恵まれて、痛みを感じることを言われることも少なくなった。安心できる場所をつくることが出来た。年下の後輩も入ってきて、それまでリーダーをやってくれてた同僚が抜けることになった。
常勤職員から、副専門職員になる試験を受けたら、普通に面接で落ちた。
付き合いの長い上司から、あなたに専門性はないですって諦められたみたいで悲しかった。
たしかに自分はまたヘラヘラして、自分の言いたいことを伝えられなかった。
伝えることを諦めてしまった。そんな自分が悔しくて、その夜電気を全部消して泣いた。
今の自分は、どうだろう。
昨日『104歳、哲代さんのひとり暮らし』という映画の感想を語り合う場所を開いた。これは一昨年の暮れから、だいたい毎月4回くらいやっている。休憩がてら立ち寄った人たちとお茶やジュース(ミルクティーが人気)を飲みながら、映画の印象に残った場面を話すうちに、みんなそれぞれ自分の過去をぽつりぽつりと思い出して語り始めたりする。昨日も15人くらい来てくれた。
コロナ禍の入院で、本当は会いたかった人を病院の窓から見送った話。
離れて暮らす娘の早産を電話で励ますことしかできず、悔しかった話。
祖母が隔離病棟で亡くなる直前、看護師がつないでくれたLINEビデオで声をかけたけど、触れられなかった話。
「哲代さんは明るくてすごい。私は後悔ばかりだ」と84歳の参加者が漏らすと、別の人が「いまからでもイメチェンできる!84歳、あと20年ある!」と励まして笑い合う。
飲み物を継ぎに別のグループへ。「職員さんですか?」と聞かれたので簡単に自己紹介し、「楽しく働いています」と答えると、一人の女性が「…仕事はつらいですよ。人生はつらいですよ。」と自分に言い聞かせるようにつぶやいた。
彼女は三人の子どもを育てるために、大好きだった介護の仕事を諦めたそうだ。
「介護の仕事は給料が低くて、今はレジ打ちなんかをしています。でも、本当は働きたい」そう言うと、彼女の目から涙があふれた。
彼女にとっての“働く”は介護であり、レジ打ちはやらなきゃ立ち行かなくなる”仕事”。
彼女は泣きながら、どんな場面を、人を、思い出していたんだろう。
そのタオルがすごく大きくて「いっぱい泣けるね」とふざけて笑い合う。
尊敬する館長がしばらく前に亡くなった。
自分は、館長の本棚にあった「公共の役割とはなにか」という本をもらった。
館長から出された宿題みたいに、その問いのことをずっと考えている。
まだ宿題の途中だけど、今館長に聞かれたら、
公共文化施設とは、みんなで人間らしさを取り戻す場所って答えたいと思う。
人生は一人で抱えるには重すぎる。いつか自分の足で立つためには、みんなで少しずつ荷を下ろし、身軽になる必要もある。何かを得るだけでなく、重くなった気持ちも置いていける場所。そういう場所が、自分はあってほしい。
それは捨てていくんじゃなくて、きっと誰かが聞いている。
誰かが誰かを覚えていると信じられるから、新しい自分になっても安心して息が吸える。
小学生がうちの施設に社会見学に来たら「メディア・テクノロジーは人にものごとを伝えるワザ。コンピューターやインターネット、映像、照明、音響とかいろんなものがある。そう聞くと、電源が必要とか、新しくてシュッとしてるとか、固くて冷たいものを想像するかもしれないけど、いまみんなに話しているこの言葉だってメディア・テクノロジーのひとつ。僕らはつい最新のテクノロジーに注目しがちだけど、僕らが生まれるずっと前は、この”言葉”だって最新のテクノロジーで、思ってることを人に伝えられるのやべ〜!ってなってたはず。もし言葉が喋れなかったとしても指差しをしたり、狼煙を上げてここにマンモスがいるぞー!って伝えてた。でも当たり前に使えていると思ってるものも、使い方を間違えると怪我したりする。
このアートセンターでは、メディア・テクノロジーを改めて広く捉え直して、ありたい未来や可能性(こんな使い方出来たんだとか、こんなふうに伝えられるんだとか、こうなるとヤバそうとか)をみんなで考えて、みんなでつくっていくために、全員まだ答えを持ってない新しいアート作品をつくったり、紹介したり、それをみんなで見る場、話す場を開いてる」って伝えてる。ともにつくり、ともに学ぶ場なんだって。
例えば映画の上映に合わせておこなうお茶会みたいなイベントは、小さな場所の小さな営みで、”オリジナル”みたいに威張れることはしていない。たまたま映画を見に来た鑑賞者同士が、なんとなく休憩しに立ち寄って、お互いの話を聞きあえる場を開いているだけ。でも、そこに来る一人ひとりは、とても大きな人生を背負っている。
昨日立ち寄ってくれた年配の2人組。
少し背の低い女性が「耳がほとんど聞こえなくなった主人が、この映画は見たいって言ったんです。だから字幕がなくても今日は来ました」と穏やかな声で教えてくれた。
これを見たいと思うことと、一緒に見る人がいるのめっちゃいいですねと伝える。そしたら突然その人がパートナーの耳元に向かって、自分がさっき言ったことを大きな声で復唱してくれる。(この人、こんな大きな声が出るのか)と内心びっくりする。
男性は嬉しそうに「そうなんですよ」と言って笑った。言葉があってくれて、でっかい声で伝えようとしてくれて、ここに来てくれて、聞いてくれて、ほんとによかった。
その場を見ようともしない人ほど「効率が悪い」とか「KPI」とか「来てない人を納得させないと」とか「ソーシャルインパクトが大事」とか「経営的な戦略が必要」とかって、ティーチ(一方的に教える)よりラーニング(自分で学ぶ)が大事と言う同じ口で、一方的に教えてくれる。
いや、なんかそうなんかもしれんけど、うっせ〜〜〜。
簡単に人をモノのように扱える人ほど評価される世界は絶対間違ってる。
世界を変えるって、トランプみたいに自分勝手に世界を掻き回すことじゃ絶対にない。
世界を変えるって、ひとりひとりが自分の力を思い出して、取り戻すことじゃないんかい。
この前ポッドキャストの収録で話したひるねちゃんは「手元をみよう 手元をみよう」と、祈るみたいに2回言った。
「人の心に反射したその光こそが作品。作品が光ってるって言うより、あなたの心に反射したものが光ってるんだよ。エネルギーを飲み込まないで発散できる自分でいたいな」と言いながら、最後の語尾は震えてた。
心が諦めてしまうと簡単に、ブラックホールとかベンタブラック(99.9%の黒)みたいに、どんな光も吸収してしまう。
収録が終わってしばらく経ったある日ふと、本当に信じてることは信じてるなんて言わないのに、信じたいって思うことほど信じてるって口に出して言うのは不思議だなと思った。
言葉に日光を浴びせるように外気にさらすことで、いつかほんとに信じられるものに変わるかもしれないから、僕らは信じたいことを口に出すのかもしれない。
先週も大学を訪ねたら「アートは自分には縁がないもの」と学生が匿名チャットで教えてくれた。おい、誰がアートをその子に縁がないものにしてしまったんだ。関係ないものなんて、本当はなに一つないはずなのに。おい、誰がそんなふうにしてしまったんだ。
でも自分もアートに関わる仕事をしててそう感じさせたうちの一人でもあるかもしれないからそれはごめん!もう一度やり直したいからチャンスがほしい。そんな悲しいこと言わないでよ、寂しいじゃんって思う。
あームカつくな。ムカつくし、ムカつくという感情を思い出せたのが嬉しいな。
ムカつくの前には悲しいな、とか寂しいな、があるな。ムカつくのにも、悲しいなとか寂しいなを反射させる力が必要なんだな。
自分は小さな空間で、人が変わるまぶしい瞬間を何回も目にしてきた。
たしかに自分の文章はまだまだ分かりづらくて、曇った鏡みたいなものかもしれないけど、本当はもっともーーーーーっとすごい。まじ伝えきれね〜〜〜〜って思う。
それでも自分も、反射できる自分でいたいと思うからこの文章を書き残しておく。
昨日の朝、映画を見る前、教育学部の授業に自分が働くアートセンターの紹介をしに行った。
朝一の貴重な40分をもらって全力でプレゼンしたあと、先生がブラインドトークのワークショップに参加させてくれた。
10人が3チーム、絵を見て言葉で伝えるチームと、その説明を聞いて絵を書くチーム、そのやり取りを観察するチームに分かれる。
5分間で出来上がった絵は、答えに近い人もいれば、まあまあ遠い人もいる。
その後のフィードバックの時間は、こう説明すれば良かった、こう質問すれば良かったなどの意見を交わす。
右から1/3の位置に〇〇があるみたいに数字を入れて伝えるとか、全体の雰囲気やテイスト(イラストなのか写実的なのかなど)を伝えてから具体的な描写を伝えるとか、一番大事なこと(なにを伝えたい絵なのか)に絞って伝えるとか、いろんなアイデアが出た。
どれもすごい大切だって思ったと同時に、自分はなんかもう、最強だな〜〜〜って思った。
最強って、いまめっちゃ強いとか、いまめっちゃ説明が上手とかじゃなくて、変われるってことだと思った。伝えようとしてる人がいて、聞こうとしてる人がいる。もうそれで十分じゃん。言葉が足りなきゃ付け足したら良いし、分かんなかったら聞けば良い、言い直したらいい。
ほんとは完璧なコミュニケーションなんてなくて、伝えたいとか聞きたいとか、それを諦めずに関わろうとし続ける限り、うちらはもっと強くなれる。もしかしてそれを教育と呼ぶのでは?!みたいなことに気づいて驚きながら言った。
みんないい姿勢で、まっすぐ聞いてくれた。おい、まぶしいな。ありがとう。
先生にお礼のメールを送る。あの子達が4年生になるのが楽しみですねって伝えた。ここには書かないけど、嬉しい返信が返ってきた。また会いたいな。学生も先生も全員サポスタに登録して欲しい。
同僚のNさんとサポスタ募集の打ち合わせしたら「うちらがやってることは、誰に見せても恥ずかしくないから本当はターゲットなんてない。ターゲットは全人類、死んでるやつも、これから生まれてくるやつも。ひとまず50億人全員サポスタに登録してもらおう。」って話してて爆笑しながら超グッと来た。絶対そうなった方がいいしやっぱ最高だなこの人って思った。
トランプも、ゼレンスキーも、オバマも、プーチンも、ネタニヤフも、オードリー・タンも、石破茂も、議員会館の地下で迷子になってる秘書も、海を渡ってきた難民も、夜勤明けでレジを打つコンビニ店員も、介護の夜勤でウトウトしてる人も、野良猫を拾ったけどなかなか懐かなくてすこし懐いてくれて安心したら実は腎臓病が進行してて休日は暴れる猫を連れて動物病院に通う新入社員も、推しのVtuberにスパチャしすぎて家計簿が真っ赤な人も、好きな人と一緒になれなくて家で一人で泣いている遠距離恋愛のカップルも、育休取りたくても言い出せない課長も、同性婚を夢見るカップルも、初めてステージに立つ前に鼓動が早くなってるドラァグクイーンも、卒論提出3時間前の大学5年生も、家の外に出る勇気が湧かないひきこもりも、声を出すと噛んじゃう吃音持ちも、白杖を持った視覚障がいランナーも、手話でコントをやる芸人も、補聴器の電池を切らしたおばあちゃんも、手足のないスケボー少年も、車いすで山道を攻める登山家も、PTSDに苦しむ帰還兵も、大学の講義室で聞いてない学生に向けて伝えることを諦めようとしてる教授も、モテることとサボることと遊ぶことと就活で頭がグチャグチャだったあの頃の自分みたいな大学3年生も、収容所で自由を夢見る政治犯も、その看守も、裁判で涙を流す加害者も、被害者も、サウナで “ととのい” を追い求める会社役員も、離島で保育士を探す町長も、推し色ジャージでライブに並ぶ中学生も、バイト代を全部ガチャに突っ込んだのに天井までSSRが来ない高校生も、フィリピンのごみ山でタガログ語ラップを刻む子どもも、アマゾン流域で川と話すシャーマンも、北極で氷が割れる音を聴く魚も、火星着陸の夢を抱く在野の<
すごいよなぁ。
サラリーマンしてると、サラリーマン以外の生き方がイマイチ想像がつかないんだけど、見渡せば、一国一城の主ばかりだ。
水道屋もペンキ屋もデザイナーもパン屋も、みんなそうだよなぁ。
何するにしたって、個人事業主だって決算書作ってんだろ?すごいよなぁ。
人を雇うと社会保険関係の仕事が発生するじゃん?すごいよなぁ。
というか、アイデアもでないよ。
浮かんだとしても、「俺なんかが考えつくやつなんかきっととっくに実現してるか、儲からないからやらないんだろ」
って諦めちゃうわ。
俺なら、あんなのMicrosoftとかGoogleにかなうわけないって思ってやらない。
婚活とか恋活で「受け身」って言われる女性って結局コミュ障という結論。
nは10以上はある。
コミュ障は伝え方や言い方、ニュアンスが下手で相手にマイナスの気持ちを抱かせてしまいがちな人と思ってる
例えば「はてブってはてなブックの略だっけ?」みたいなことを片方が言って、言われたほうは正解を知っているとする。
自分が返答するなら「あー、はてなブックマークじゃない?」みたいな言い方になる。
もっと相手に配慮するなら「あー、なんだっけ。なんかはてなブックマーク…みたいな感じじゃなかった?」とか。
コミュ障の人は「いや、はてなブックマークですね(超キッパリ)」みたいな感じなんだよな。
プライベートの些細な会話でこの感じだと「うわ、マジかー」とは思う。
あと相手の話に興味ないあいづちとか、自分から質問しないとかも特徴だと思う。
人に興味ないからコミュ障から脱しにくいというのもあるだろうなあ。
自覚がない故の行動だからこそ、「自分コミュ障で。。」という人でほんとにコミュ障みたいな感じの人には会ったことない。
『機動戦士Zガンダム』が「駄作」と評されることがある主な理由は、前作(初代ガンダム)からの大きな作風の変化と、複雑すぎるストーリー展開、そして主人公カミーユの結末にあります。
ただし、『Zガンダム』は非常に評価が高く、「最高傑作」と呼ぶファンも多い作品であり、「駄作」という評価はあくまで一部の視聴者、特に初代からのファン層で根強い意見です。評価が分かれる主要な点を以下にまとめます。
地球連邦軍、エゥーゴ、ティターンズ、アクシズ(ネオ・ジオン)、カラバなどが入り乱れており、それぞれの思惑や裏切り、寝返りが頻繁に起こるため、物語の全体像や勢力図が非常に分かりにくいという声が多くあります。
主人公のカミーユ・ビダンが、積極的に戦況を動かすというよりは、事件や戦いに巻き込まれていくという形で物語が進むため、「カミーユの視点」から見て話が掴みにくいと感じる視聴者もいます。
初代ガンダムのような「少年兵が戦場を生き抜く」というシンプルな戦争のリアリティから、より政治的な権力闘争やエスパー的なニュータイプ論に焦点が移ったことで、初期のファンが期待したドラマと異なる印象を与えました。
物語のクライマックスで、主人公のカミーユが精神崩壊に至るという衝撃的な、しかし救いのない結末を迎えます。多くの主要人物も戦死し、全体的に悲劇的なトーンで終わるため、「見ていてつらい」「後味が悪い」と感じる人がいます。
カミーユは初期にすぐにキレる描写が多く、「感受性が高すぎる」「未熟すぎる」と感じられ、アムロのような共感を持ちにくいという意見がありました。
多数のデザイナーが参加し、変形機構を持つ機体(Zガンダム、アッシマー、ガブスレイなど)が増えたことで、見た目だけで機体の所属陣営が判断しづらくなり、戦闘シーンの分かりやすさが失われたと感じるファンもいます。
カミーユが未熟な少年から戦士へと成長し、その過程で多くの葛藤や苦悩を抱える人間ドラマの深さが高く評価されています。また、クワトロ・バジーナ(シャア)やアムロ・レイなどの旧作キャラクターの再登場と新たな役割、フォウ・ムラサメやロザミア・バダムといった悲劇的な強化人間の描写も、物語に深みを与えています。
「反連邦組織(エゥーゴ)と連邦内のエリート組織(ティターンズ)の戦い」という、初代よりも進んだ政治的・軍事的な対立構造を描き、その後のガンダムシリーズの基盤を作りました。
モビルスーツデザインや戦闘描写は、当時のアニメーション技術を駆使しており、画期的なものでした。
このように、『Zガンダム』は革新性と複雑性を追求した結果、前作の作風を愛するファンの一部からは受け入れられず「駄作」と評価されることもありますが、その深みのある人間ドラマと複雑な群像劇によって、現在ではガンダムシリーズを代表する名作として広く認識されています。
お前は元カノが夜の歌舞伎町でキラキラしてることに絶望している。なんと愚かなことだろう。
「俺の彼女だけは、そんな世界とは無縁の清純派だ」って勝手に思い込んでいたあの慢心。
キャバ嬢とか漫画やドラマの中だけの存在だと、脳内で勝手にジャンル分けしていたあの頃の自分!
友人の「お前の元カノ、歌舞伎町で見かけた」という一言で、頭真っ白。
まさかとか思いつつ、詳しく聞くとやっぱり彼女。シンジラレナイ。モエ〜。
思い出してほしい、彼女の素朴な笑顔、実家の質素な食卓、奨学金返済の愚痴。
お前のせいじゃない—と建前では言いつつ、
胸がキューン、胃がモニョモニョ。まさに「メンヘラは夜に生まれる」の具現化。
でもな、ここで「俺がもっと話を聞いてやれば」「経済力があれば」「別れなければ」などと回想シーン増殖させるの、思春期漫画の主人公かよ。
「彼女が知らない男に夜な夜なお酒を注いでいるだと?」「笑顔ふりまいて癒しの女王でいるだと?」「お前、笑顔のバッテリー残量は?」
「男の未練はゴキブリ並みにしぶとい」説を自分の体で証明してしまう。
「夜の世界でも頑張っててすごいな!」
「健気に生きてて偉いけど、正直、絶対そっちの才能じゃない」
—ぜんぶ、素直じゃないエモ。
本当はただ、
そっと見守ってたいのか、ダッシュで駆け寄りたいのか、復縁チャレンジしたいのか、自分の中でも答えが出ていない。
心配して連絡取りたい?でも迷惑かも?それとも友人として声をかけるべき?
全部正解で全部間違いな気がする。
でもどうしても気になる、元カノの今日の売上ノルマと笑顔の裏側。
正直に言おう。「俺がもうちょっと器デカけりゃこんな独白してねーんだよ!」
だけどアレコレ悩むのが恋ってヤツだ。考えても答えが見えないのが元カノという宇宙。
結論は出ない、いや、出せない。ただ一つ言えるのは——
どんな世界で働いていても、
昔の笑顔でいてくれたら、
この場を借りて伝えたかった。
ってことだろ?多分。
あらゆる意味で有名な『牧場物語オリーブタウンと希望の大地』を遊んでまいりますわ。失踪したら、そういうことだと思ってくださいまし。
◆前回のお話ですわ
https://anond.hatelabo.jp/20250927110037
前回のジャコポ様のイベントで大分やる気がそがれましたけれど、今回もやっていきますわ。少なくとも今のところ、ソフト適正価格980円といったところですわね。
実は、以前オリーブタウンを遊んだことがあるというお友達に、遊んでどうだったかお尋ねしたら「その先全然面白くならないよ」と言われて、かすかな希望も断たれたところですわ。
そのお友達はなんと、1年目の秋まで進めたとのこと。すごいですわ!わたくしなど、春でもう終わりたい気持ちでいっぱいですのに!!!!!
それにしても、メーカーにしても格納箱にしても、スペース取りすぎじゃありませんこと?いずれも4マスもスペースをとるのですけれど、実物見ると明らかに1マス分ですわ。
グリッドの付け方にしろ、アイテムのサイズ感にしろ、ゲームデザインもUIも何もかも失敗してますわね。今からハウジングでどれだけイラつかせてくれるか、本当に恐ろしいですわ。
本当にもう、何の擁護もできなくなってきてますわ。まだ春の月11日ですのに…よよよ~…。
もしかして、お客さんかな?
あら?わたくしもしかして、あまり住民に認知されてませんの?牧場にいらしたこと、ありますわよね?
だとしたらカブも分解されて部品にされてるかもしれませんわね…
ナビポン
人間が来たン!
…これは…モデリングの問題なのか、デザイナーの問題なのか…判断ができかねますわ…可愛くない…。
従来のコロボックルポジションなのか、タヌキのような、タマゴのような、よくわからない謎の生物が現れました。なんなんですの?
どうやらこのヘンテコリンたち(種族の正式名称はコロポンでいいんですの?)に、仕事を手伝ってもらえるそうですわ。お礼を幾ばくかやらなければならないようですが。テント生活ゆえ、従業員を雇う余裕は申し訳ないけれどありませんわね。
コロコインなるものでアイテムと交換できるようですけれど、その辺で拾えるものとしか交換できないみたいですから、今後お世話になることはないですわね。
…って、あら?牧場にずっと居座るんですの?ただでさえ狭いんですから、どこか行ってくださいまし!!!!!
それにしてもこのゲーム、わざわざムービーイベントにする必要が無い会話までムービーにするきらいがありますわ。
えー、この街がもっともっと発展していくために必要なものと言えば、何だと思うかね?
わたくし
十分な住居ですわ
この男、口を開けば発展発展って、うるさいですわね。
わたくし
じゃあ観光客の満足度じゃないですの?KPIはどうなってますの?
ジャコポ
いよう、牧場主!これからラーシュとツーリングに行くんだ。いっしょに行かないか?(中略)お前は……そうだ、ウシに乗ってこいよ!
わかりましたわ。この男、毒気と悪気の無いポーキーとジャイアンのハイブリッドですわ。つまりクソですわ。
ジャコポ
わたくし
いい加減にしないとシメますわよ…(本当の選択肢:そんなわけがない)
ジャコポ
くぅッ……!なんなんですの、この屈辱は……!?わたくしのカブがバイク質に取られてるばかりに、こんな、このような……!!!
春の月12日くらいまで粘りましたけれど、家をくれる雰囲気・可能性共にゼロなので、仕方なく自分で家を建ててもらうよう依頼しましたわ。お値段が2000Gぽっちなら、街の費用で落とせませんの?
依頼して即日で完成ですわ。なんか…これ、倉庫じゃありませんわよね?見た目がチープすぎて心配になりましたけれど、グラフィックの問題だったようで中は普通の広いログハウスでしたわ。最初から台所と風呂がついて2000Gなら、お安いものですわね。
けどわたくしこれ、一生根に持ちますわよ。天国のおじいさまからいつか天罰がくだりますわ。覚えてらっしゃい!!!!!!(捨て台詞)
まあ!お家を大きくしたの!?いいわね、広々と使えるでしょう。
あらあら?もしかして皆さん、わたくしがテントに押し込まれていたのはご存じない?????
パトリシア様から、ペットを飼ってもいいんじゃない?とおっしゃっていただけました。わたくし、基本的に黒い柴犬とでかい犬が好きですので、でかい犬だらけになりそうですわ。
取り急ぎ、牧場物語に犬が居ぬのは問題外ですので、黒い柴犬をお迎えしましたわ。名前は黒豆っぽいからマメですわ。共に赤カブトを倒しましょうね!!!!!
主にヴィクトル様とジャコポ様のおかげで何度もコントローラーを放り投げそうになりましたけれど、ようやく最初の年間行事「エッグフェスティバル」がやってきましたわ!
当日が近づく間の皆様の台詞が「もうすぐエッグフェスティバルだね」「もうすぐエッグフェスティバルだね」「もうすぐエッグフェスティバルだね」ばかりでド被りしていて、イライラ本当に待ち遠しかったですわ!
俄然やる気ですのよ!わたくしがStardewValleyで鍛えたこのインコース攻めをとくとご覧あれ!
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いえ…きっと、参加者の方が仰ってたように、お付き合いしている方とやらがいれば一緒に組んで、ミニゲームができるはずですわ…いえ、それはそれでどうですの?
けどたぶん、お付き合いしている方との薄っぺらいムービーが挟まるだけで、結局ミニゲームは無い気がしますわ。いえ、ミニゲームが最悪無くても、何か皆様で交流を深める行事であるべきですわ…い、一体なんですの!?わたくしがやってるの、本当に本家牧場物語ですの…!?
エッグフェスティバルの卵は、幸せの数だと言われています。たくさんの卵を手に入れたひとは、たくさんの幸せを。ちょっとしか手に入らなかった人は、小さいけど、ぎゅっと詰まった幸せを。卵が手に入らなかった人は、心の中にあるその人だけの幸せを……あらわしています。みなさん、それぞれの幸せを大切にいたしましょう!
うるせぇですわ!!!!!顔に卵ぶつけたろか!!!!!!!!!
エッグフェスティバルの翌日、グルメコラムニストのダイスキー様がおいでになりました。ダイスキー様、卵料理召し上がるの楽しみになさってましたけれど、出店の一つもありゃしませんでしたわね。ご愁傷様ですわ。
実はね…ちょー素晴らしい料理を紹介したいわけ!『辺境の港町に奇跡の料理が!』みたいなノリで。でも、ビストロの料理も、カフェで出す軽食もパッとしないでしょ?だ・け・ど。素材だったらきっと最高のものがあるはず!
ダイスキー様、多分ここで暮らすの向いてませんわ。すぐに出て行かれることをおすすめします。
今の録音してビストロやカフェの皆様に聞かせて差し上げたいですわね。一発で即失脚、間違いなしですわ。
その後、よくわからないことを言われた気がしますわね…ええと…なんだったかしら…チーズ味のカレー?カレー味のチーズ?カレー味のうんこ?ごめんあそばせ、中身が無さ過ぎてとにかく聞き流しちゃってあんまり覚えてませんわ。いずれにしましても、でっちあげはよくなくてよ。
でっちあげって言われるのは心外だなぁ。宇宙の法則を変えるわけじゃないし、それくらいいいじゃないですか。わかった。キミはいわゆる味覚オンチだね?いやぁ、味覚オンチじゃしょうがない。
シナリオ書いた方、もしかして疲れてますの?人間がお嫌いなのかしら?なんにせよ、ちょっと休んだ方がいいですわね。
何となく、PSPのシュガー村とみんなの願いのシナリオを髣髴とする「無意味な貶し」でしたわ。あれも、やたら住民がプレイヤーをサンドバッグにしてきましたわね。
わたくし多分ですけれど、5倍くらいは良いシナリオ書けますわ。あっ!もしかして締め切りが近かったのかしら?そうに違いありませんわよ!まあ何にせよ商品の品質としては相当に問題ありですわね。
もう取り繕うこともできませんわよ。どうしろってんですの。この作品や牧場物語の看板を今でもむやみやたらに擁護している方に、本当に謝った方がいいですわ。謝ったんでしたっけ?まあ、舌の根の乾かぬ内にワンダフルライフのリメイクでもやらかしてましたけれど…一体なんなんですの???
船乗り(でしたかしら)のゲオルク様…なんだかチーズケーキが好きそうなお名前ですわ。
ヴィクトル様のご子息、悪意と毒気の無いポーキーとジャイアンの煮凝りことジャコポ様を雇われているそうなのですが、勤務態度が悪くて困っているとのこと。心中はちゃめちゃにお察し申し上げますわ。可及的速やかに解雇するのを心からおすすめいたしますわ。
ゲオルク
あんたの牧場であいつを雇って、しばらく使ってみないか?牧場は朝早いし、力仕事が多いんだろう?あいつの根性をたたき直すにはちょうどいい。
ご遠慮申し上げますわ。
その話を立ち聞きなさっていたジャコポ様、あろうことか「だらしないのが気になるならお嫁さんを探してほしい」とのたまいます。すごいですわね。そびえたつクソですわ。
ゲオルク
順番が逆だ、ジャコポ。身だしなみの悪い、生活もだらしない男に、人を紹介できるか。(中略) じゃあな。愚痴を聞いてくれてありがとうよ。
「やや納得できないものの概ね素晴らしい」「ちょっとズレたセンス」など、何だかよくわかりませんけれど、住民のサンドバッグにされているわたくし…。
もう心が折れそうですわ…早くカブを返してくださいまし…よよよ~…。
普段何気なく使ってるGoogleのEmoji Kitchen。2つの絵文字を組み合わせると、絶妙にキモくて面白いやつが出てくるアレだ。
てっきりAIか何かが自動で生成してるんだと思ってた。だって組み合わせなんて無限にあるし、人力でやるわけないじゃん、天下のGoogle様が。
ところが、どうやら違うらしい。あれ、デザイナーが全部手作りしてるというのだ。開発者の一人がブログで「ここ数年で3万点以上描いた(笑)」みたいなことを書いていて、ひっくり返った。 今はもっと増えて、10万通り以上あるなんて話も聞く。正気か?
一瞬、「デザイナーを奴隷みたいに働かせてるのか?」と心配になったけど、ブログを読む限り、むしろ「Unicodeのルールに縛られず自由な表現ができて最高!」みたいな雰囲気で、楽しんでやっているっぽいのは救いだ。
でも、やっぱり思ってしまう。Googleほどの巨大企業が、そんなに膨大な人的リソースを絵文字の合成にかけるのって、どうなんだ?もっと他にやることあるだろ。いくらでもあるだろ。
まあ、おかげで面白い画像でコミュニケーションできてるんだから、文句を言う筋合いじゃないのかもしれないけど。デザイナーさんたちの献身に感謝しつつも、もうちょっとGmailのUIとか頑張ってほしいな、なんて思ってしまうのだった。
そうだねフィクションの模倣犯なんて山ほど居るけど模倣犯を出すようなフィクションは存在を許してはいけないね
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E5%9B%BD%E3%81%A8%E5%9C%B0%E7%8D%84_(%E6%98%A0%E7%94%BB)
この映画で用いられた「走っている電車等から現金等を落とす」という手法は、1955年の内川清一郎監督の『悪魔の囁き』のなかで使われたものであるが、この後のフィクション作品だけでなく、現実の現金受渡し目的の犯罪で数多く模倣されている。1963年9月の草加次郎事件、1965年の新潟デザイナー誘拐殺人事件、1984年のグリコ・森永事件、1993年の甲府信金OL誘拐殺人事件、2002年の新城市会社役員誘拐殺人事件、2004年の大阪パチンコ店部長誘拐事件などの例がある。手法の模倣ではないが、映画の影響を受けて身代金誘拐に及んだ者もおり、1963年の吉展ちゃん誘拐殺人事件[4]、1980年の名古屋市女子大生誘拐殺人事件などの例がある。
アニメのほう、どうにも取材不足っていうかなんか解像度が低くてやられそう。
原作はよいんだよ。
アニメの方で追加したと思われる設定があかん。追加するならもっとこう、ちゃんとしてほしい。
例えば
なんというか、がんばってハイソな上流階級の理想的な女性たちを描こうとして苦労しているのがにじみ出てきて、
これを作っているのは俺らなんだろうなーというのが見えてはこっちが恥ずかしくなる
わかるんだよ?恐らく小物なんかはCGで作ったストック絵をくっつけるとかそう言うやり方でコストを削減しているのは分かる。
キャラクターを絶対に、何があっても崩さないようにしているのもわかる。
これは「空力の鬼才」と呼ばれるエイドリアン・ニューウェイが買いた本だ。
この本、確かに面白いし勉強になる。だが同時に、読んでて無性にムカついた。
まず、ニューウェイの謙遜のなさだ。35年のF1キャリアを振り返りながら、自分がデザインしたマシンがいかに優秀だったかを淡々と語る。ウィリアムズFW14B、マクラーレンMP4-13、レッドブルRB19…確かにどれも史上最強クラスのマシンだ。でもその語り口に、ほんの少しの謙遜もない。俺が作ったから勝てたんだという自信が行間から滲み出てる。
特にイラついたのが、他のエンジニアやデザイナーに対する評価の仕方だ。明らかに俺の方が上という態度で書いてる。確かにその通りかもしれないが、読んでて「お前そんなに偉いのか」と思った。
さらに腹立たしいのが、技術的な詳細をあえてぼかして書いてる部分があることだ。空力設計の核心部分になると「これ以上は企業秘密だから詳しくは言えないが」とか書いてたりする。これじゃあ技術書じゃなくて、ただの自慢話集だ。
でも一番ムカついたのは、この本を読んだ後の自分の反応だった。
「くそ、こいつめちゃくちゃ凄いじゃないか」と認めざるを得なかった。19個のF1タイトルに関わり、150勝以上を記録し、史上最も成功したデザイナーという実績は否定できない。ニューウェイの設計哲学や問題解決のアプローチは、確かに天才的だった。
特に感動したのが、子供時代にタミヤの1/12スケールロータス49を作っていた話だ。幼少期から機械いじりが好きで、分解と組み立てを繰り返していた少年が、やがて世界最高峰のF1マシンを設計するようになる。この流れに、エンジニアとしての原点を見た気がした。
結局のところ、俺がムカついたのは嫉妬だった。自分も技術者の端くれとして、ニューウェイのような圧倒的な才能と実績に憧れる。でも同時に、その高すぎる山を見上げて絶望的な気持ちになった。
「どうすれば、もっといい仕事ができるか」というこの本のテーマが、読後に重くのしかかった。ニューウェイは常にこの問いと向き合い続けてきた。そして実際に、より良い仕事を積み重ねてきた。
俺たち凡人エンジニアは、この本を読んでどう感じるべきなのか。諦めるのか、それとも少しでも近づこうと努力するのか。
ムカつくけど、やっぱりこの本は凄い。技術者なら読むべきだ。そして読んだ後に感じる複雑な気持ちも含めて、この本の価値なんだと思う。
何なんだよ日本。
食欲の秋じゃねーのかよ。
どうすんだよ俺の秋の楽しみ台無しじゃねーか。
サツマイモ買ってきて、ホクホクに焼いて食ってやろうって言ってるのに日本は何が不満なんだ?
甘くて美味い焼き芋を簡単に食える環境にしてくれよ、こんなんじゃ誰も秋を楽しめねーよ。
政治家が不倫してもいいし賄賂受け取るのもどうでもいいから、とにかく焼き芋を焦げないようにする技術を普及させろよ。
どうすんだよ、せっかくの秋を楽しめないじゃねーか。
ふざけんな日本。
焼き芋焦がさせない技術がないなら、せめてスーパーで一本20円で配れよ。
焼き芋も美味しく食えない、サツマイモも高い、それでいて「地方創生です」とかほざいてんじゃねーよボケ。
金があればもっと美味い芋が食えるってやつがゴマンといるんだから、とりあえず補助金出すか焼き芋機無料配布しろよ。
お前らは電子書籍を使って「本を読んでいる」と胸を張っているが、その実態は電子スクリーンに映された文字をなぞっているだけだ。
まず、ページをめくる感触を思い出せ。
それを捨ててタップひとつで次のページに飛ぶなんて、本当に本を楽しんでいると言えるのか。
電子インクの表示が紙に似せていると思っているなら、笑わせるな。
表示はしょせん反射型ディスプレイの真似事にすぎない。
お前らは自分好みに調整できることをありがたがっているが、そんな自由度は本来不要だ。
著者が想定した行間と文字サイズには、文章のリズムを保つための微妙な計算がある。
お前らが勝手に設定をいじって、リズムを崩して何が得られるというのか。
本を味わうというのは著者とデザイナーが紡いだ「読みやすさの設計」そのものを体感することではないのか。
重要な一節にペンを走らせる行為をお前らは電源を入れた指先でなぞる。
物理的に線を引き、そこに残る跡にこそ「学びの証」が宿るのだ。
データとして蓄積されたハイライトログに、一体どれほどの重みがあるというのか。
過去に戻って、その跡を辿ることはできない。
指紋のように消えないマーカーでしか、あの瞬間の気持ちは蘇らないのだ。
SNSの更新、ニュースの速報、メールの着信。お前らはいつでも割り込みを許可して読みかけのページを離れてしまう。
紙の本ならば通知も音もなく、静寂の中で思考は深まる。
だがKindleはその静寂を蹂躙し、お前らの集中力を根こそぎ奪う。
読書とは思考の連鎖を止めないことであり、その連鎖を断ち切るのは言語の冒涜に等しい。
それでもお前らは言うだろう。「何百冊も持ち歩ける」「暗闇でも読める」「辞書引きが楽だ」と。
だが、そのために失ったものは何かを考えろ。重くてかさばる紙の本を背負い、読了の達成感とともに本棚に並べることで芽生える誇り。
読み返したい一節を探すときに手が覚えている――その感覚を失えば、読書はただの情報消費で終わってしまう。
お前らは本当に読者なのか。
それを自問しろ。もし本を愛し、本を支え、本の重みを理解したいなら、今すぐKindleを消し、本棚に足を運べ。
そして一冊の紙の本を手に取り、その匂いと手触りを感じながら最初の一頁をめくる。
それでもなおお前らが「便利さ」を選ぶなら、せめて静かな部屋に閉じこもり、通知を切り、本を読むという行為に集中しろ。
だが、やはりそれでも足りない。