
はてなキーワード:デグレードとは
「教育虐待ガー」とか言ってる層って、マジで日本の教育システムを単なるブラックボックスとして捉えてるんだよね。
でも実際は、日本の教育は競争アルゴリズムに基づく階層ソートシステム なんだよ。
入力パラメータ(学習量)を下げれば、アウトプット(進学・所得・婚姻市場ポジション)が劣化するのは仕様 であって感情論じゃない。
だから「可哀想だから詰め込みやめろ」と言うのは、システムの根幹ロジックを理解せずに設定値を勝手に下げる危険なパラメータ変更なんだよ。
日本社会は
つまり教育を削るという行為は、スコアリング関数の入力値を意図的に下げるのと同義。
当然、最終アウトプットは弱者男性という低スコア領域に落ち込む可能性が跳ね上がる。
これを下げた瞬間、
進学機会が減少(選択肢のサブセット化)
という 不可逆なデグレードが発生する。
これを回避するには、インプットを削らないのが最も効率的なんだよ。
まるで、性能要件を理解しない非エンジニアが、「その処理重くない?」とだけ言ってくる感じ。
それは 数千万〜数億円規模の長期的機会損失 という隠れたデフォルト・リスク。
でも外野はただの**無責任ノイズ(noise)**を発してるだけで、何ひとつ責任領域を持たない。
損失補償者(compensator)
意思決定権者(decision owner)
が一致している必要がある。
しかし「教育虐待ガー派」は意思決定に関わるくせに、リスクも損失も負わない。
これ、システム開発なら完全にアンチパターン(責任分離の破綻) なんだよ。
「サラリーマンの平均生涯年収3億円」はよく語られるけど、教育量の削減によって階層ダウンした場合、これは普通に大きく失われる期待値なんだよ。
つまり外野が無責任に発する「可哀想」って言葉は、他人の将来資産を数億単位で毀損するトリガーになり得る。
そのリスクを認識していない時点で、教育議論に参加する資格がない。
最終的に問うべきなのはこれ。
当然、誰も取らないし、払わない。
○ご飯
○調子
マリオもいいけど他のものね、ということでサクッと始めてサクッとクリア。通して遊ぶのは2回目なのもあるし、カービィは強いからサクサク遊べて楽しい。
あと最終面にいるカービィのコピー体みたいなやついるけど、あれは何者なんだろう。
半年前ぐらいにデデデの前まで遊んでたのだけど、急に辞めちゃってたのを再開して、クリア。
面白かったー。ストーリーとかわかってなかったけど、デデデは悪者じゃないんだね、可愛い、しゅきい。
それにしても、今ではもう当たり前だけどやっぱコピー能力は楽しい。
どの能力も強いから雑魚敵をサクサク倒しながら進めるし、ちょっとした謎解きにも使えてそれも楽しい。
マリオは割と道中苦戦してボス戦はイベントって感じだけど、カービィは道中は無双できてボス戦で苦戦する感じで、同じ2Dアクションでも全然違うなあ。
一応これも好き好きランキング作るか。
とは言っても、まだ2作品なので、こんな感じ。
というわけで、早速購入してプレイ開始。
コピー能力もあるし、リック、カイン、クーの三匹の仲間と組み合わせることでそれがパワーアップする仕組みなのかな、素の数は夢の泉より少ないけど仲間との掛け算でそうとは感じなくて楽しい。
特に気に入ったのが、スパーク×カインの組み合わせ。電球を使った可愛らしい見た目だけじゃなく、全身のビリビリに加えて電球も発射できて遠距離にも対応できて楽しい。
あと調べればすぐわかるんだろうけど、仲間がいるときに仲間が閉じ込められてる袋を開けた時に出てくる中華っぽい女の子は何者? カービィの世界にアドレーヌ以外の人間のキャラいるんだ。
Newシリーズ特有なのかな、妙に滑る感があってまだマリオとアジャストできてない。
加えて、ギャラクシーのときと全く違うスピンの感覚にも戸惑ってる。
あとWiiUをテレビに繋ぐのがタルくてゲームパッドで遊んでたんだけど、2回ぐらい処理落ちして転落することがあったので、テレビに繋ごう。
そうえば昨日書いた好き好きランキング、NewDS追加する前のやつをコピペしてデグレードしてたので、戻した。
サンシャイン>ワールド>ランド2>3>1>ランド>ギャラクシー>64>2>NewDS>USA
ただこれ、NewDSが下の方の理由はコンプリートをしたときの面倒臭さが大半だった気がしてて、ギャラクシーはその辺を放置したら楽しかったから、フェアなというか、一貫性のある好き好きにしたいな。
「赦し」がないから以外に何が考えられるのか。
むしろコンピュータとは、人類の「赦し」を試すために生まれてきたのかもしれない。
バグが出ても「赦す」、デグレードしても「赦す」、納期が遅れても「赦す」だけでよい。
そんなことは絶対に無理だろうと皆思うだろう。
SIの客、ITゼネコンの客、ユーザー企業の客…というように辿ってゆくと、最終的には個人消費者に至る。
個人消費者はどうか。
ミスを犯した企業は全て「悪徳企業」で、叩こうが虐めようが全てが正義だ。
つまり、IT業界をブラックにしている責任は、IT業界の末端のエンジニアを含む日本人全員にある。
多分http://anond.hatelabo.jp/20091010232609
システムテストに関してはhttp://anond.hatelabo.jp/20091010210506
で書いている通り
その修正が呼び出してる20機能に必要な修正なら、20機能全部でデグレード試験し直しは必要。
で、修正が必要な1機能しかデグレード試験しなくてよいと思っています。
私が言いたいのは
どのような共通化を行うか(共通関数をつくるか)内部設計書に宣言させて(して)、
責任者(そのプロジェクトではどのような設計が、適切に共通化した設計か判断できる人間)とレビューして、
そのプロジェクトではどのような共通化が適切であるか合意をとるべきだということです。
合意とった内部設計書とおりに実装していなければ(勝手に新たな共通化関数つくっていれば)、
そもそも内部設計書に誤りがあれば、
その修正が呼び出してる20機能に必要な修正なら、20機能全部でデグレード試験し直しは必要。
1機能にしか影響しなくて他の19機能のロジックを変えたくない(デグレード試験したくない)なら、
逆 20機能で同一関数を使っているとその同一関数を1行修正すると20機能全部デグレード試験し直し。
逆に20機能を20関数で使っていると、1つの関数を直しても19機能のデグレード試験は不要。
よって、機能の共通化は必ずしも、トータルでの工数を減らしたりはしない。どころか、増やしたりもする。
結局、共通化する関数に求められる品質依存。その関数に求められるクオリティーが高い・技術的難易度が高い場合上位者が作って、下位作業者に呼ばせるだけのブラックボックス化したほうが良い。でないと、作れないし、まともな速度が出ないとか、全体が動かない。
とくに、普通の関数の場合は、担当者にオリジナルで作らせても問題ない。むしろ、オリジナルで作らせておいた方が勉強になるし、上記のように仕様変更による試験工数の影響が少ない。
その辺のバランス取りが設計力。設計力に、こうなるみたいな王道はなくて、チームメンバー他 状況次第の水物。それがわかっていないと、デスマするような無茶な設計したりする。そいうことだと最近思う。