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はてなキーワード:テヘランとは

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2025-06-24

イランの思い出

かなり昔の話にはなるが、バックパッカーをしていてイランを旅したことがある。東西南北、かなり色々なところを自由旅行した。

日本にいるとイランに関しては基本悪いニュースしか入らない。ニュース以外でも女性は外出する時は必ずチャドルをまとわなくてならないとか、宗教警察がいるらしいとか、あまり良いイメージはなかった。

入国した最初に驚いたのは、イランは実に豊かな国ということだ。産油国なので当然といえば当然なのだが、インフラも良いし、清潔だ。水道水も飲める。イランには通算1ヶ月以上滞在したのだが、その間まったくお腹は壊さなかった。パキスタンとの国境が顕著だったが、パキスタン側はちょっとバラック風でハエも沢山いたのだが、イラン側はまったくハエがいないことにも驚いた。

ちょっと病院受診する必要が出て、テヘラン個人病院も訪れたが、英語を話せる先生が丁寧に診療してくれた。海外旅行保険も使う必要もないくら格安医療費だったように思う。

そして歴史文化に富んだ国だった。学校歴史で習ったアケメネス朝ペルシャだの、ササン朝ペルシャというのはイランのことだと、初めて実感を持ってペルセポリスなどの遺跡を巡ったし、世界の半分といわれたイスファハーンも訪れた。荒川弘漫画化した田中芳樹アルスラーン戦記架空イラン戦記ものだ。

イスファハーンのイマーム広場王政時代には王の広場と呼ばれていたらしい)をソフトクリーム片手に散歩する。ペルシャ絨毯屋を冷やかす(トルコの絨毯屋に比べると、安すぎる値段であった)。外国人である自分だけでなく、現地の女性たちもチャドルを着ないといけないという制約はありつつも、楽しげに散歩していた。

インドヒンドゥー教寺院は異教徒は立ち入れないところも多いが、イラン宗教施設は寛容で、モスクでは現地の人に混じって礼拝にも参加できたし、聖地マシュハドでも、普通に聖人廟を参拝できた。

移動は主にバスを使っていたが、このバスはすべてベンツ製だった。厳密にはベンツのOME生産という噂を聞いたが、とにかくベンツマークの付いたバス縦横無尽格安で走っていた。乗る機会はなかったが、産油国であるためか飛行機も激安で、日本で言うならバスみたいな値段で乗れた。

町を歩いてると、たまに日本語で話しかけられた。昔、日本イランビザ相互免除協定を結んでいたためか、日本いたことがある人がちらほらいるのだ。日本にいた頃は神奈川県秦野自動車工場で働いてたんですよー、と話しかけられ、親切にしてもらった。テヘラン日本大使館に行った時には、イランの人と結婚して現地で暮らす日本人の交流のようなものも見かけた。

別にこれと言って結論めいたものはないのだが、イラン滞在はいバックパッカーとしては非常に楽しいもので、今でもまた再訪の機会があれば訪れてみたいと思っている。秦野で働いていておっちゃんも、キャビアが食べれる店に案内してくれた現地で暮らす日本女性も、みんな元気にしているだろか、ということを、イスラエルアメリカによるイラン攻撃ニュースを見る度に思い出す。

Permalink |記事への反応(0) | 00:30

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2025-06-23

anond:20250619160334

お礼が遅くなってごめん。リンクありがとう。ルモンドには課金していないので全文は読めないが、読めるところは読んだ。

リンク先のルモンドより、 "prominent Iranian voices including NobelPeace Prize laureates Narges Mohammadi and Shirin Ebadi andthe filmmakers Jafar Panahi and Mohammad Rasoulof"

この中の誰一人として「フランスイラン人」(イラン系フランス人、フランスにいるイラン人)ではないし、ノーベル賞をとったのはモハンマディ氏とエバディ氏の2人だけだ。

モハンマディ氏は投獄されていて、2024年12月まで獄中で過ごし、健康上の理由保釈されている。イスラエル攻撃が始まったあとに「テヘラン脱出した」とXに投稿しているが、それまではテヘランにいたし、イランから出たのかどうかはわからない。

エバディ氏は2009年亡命したが、亡命先はイギリスだ。フランスではない。

パナヒ氏は、先日カンヌ国際映画祭に来ていたが、住まいイランのはず。

ラスロフ氏の亡命先はドイツだ。昨年亡命した。

ちなみに私はエバディ氏を心から尊敬している。人権に取り組んできた反体制派とされる人々を敵視する体制側には何ら共感を覚えない、という立場である

Permalink |記事への反応(0) | 19:49

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2025-06-21

イラン国内SNS調査AI

元増田とは別人だが、DeepReserchの回数に余裕があるため私も調べてみた。

プロンプトは以下の通り。

DeepReserchで、イスラエルイラン軍事衝突特に2025年6月ミサイル応酬)に関するイラン国内国民の声ペルシャ語で調べて日本語で報告してほしい。イラン国内情報が知りたいので、日本語英語情報無視すること。検索言語ペルシャ語限定する。



元増田が言うにURLが多いと登録できないそうなので、文末の参考URLは省略している。(というか字数制限で途中までしか表示されないようだ。)

ChatGPTのログを共有するので、ファクトチェックを求めるならこちから参照URL確認してほしい。

https://chatgpt.com/share/68565e1a-8af4-800e-a53a-79d08057f929

記事イラン人は何を考えているか? (AI

anond:20250621084510

---以下調査結果---

2025年6月中旬イスラエルイランの間でミサイルの撃ち合いを伴う軍事衝突が発生し、中東情勢が緊迫しました。これに対し、イラン国内一般市民Twitter(現X)やInstagram、TelegramなどのSNS上で様々な反応を示しています。本調査ではペルシャ語情報に基づき、イラン国内SNS上で見られる世論を分類し、それぞれの傾向と特徴的な投稿内容を考察します(日本語英語情報は除外しています)。SNS上の反応は大きく以下のカテゴリーに分けられ、各カテゴリーのおおよその割合と具体例は以下の通りです。

イスラム共和国体制を支持し、対イスラエル強硬姿勢を称賛する声です。こうしたユーザーイスラエルによる攻撃に対する「正当な報復」を熱烈に支持し、イラン軍のミサイル反撃に誇りを表明しています。実際、Twitter(X)上では「#انتقام_سخت(厳しい報復)」「#وعده_صادق۴(真なる約束4)」「#پاسخ_موشکی(ミサイルの回答)」といったハッシュタグが怒りや決意とともに多数投稿され、英語で「#IranStrikesBack」といったタグトレンド入りしました。多くのユーザーが「イラン軍の戦果」を誇らしげに共有し, 「もはやイランは標的になるだけでなく強力な反撃者でもある」 と強調しています。このようにSNS上では怒りと喜びが交錯する雰囲気で、Instagramでもイラン国旗ミサイル発射の瞬間を映した動画が次々と投稿され、イスラエルへの報復に対する人々の歓喜や興奮が示されています

この強硬派論調では、「今回の反撃は正義であり不可避だった」とする意見が目立ちました。例えば、「イスラエルの先の攻撃に対する正当で避けられない応答だ」 といった声や、「#ایران_قدرتمند(強力なイラン)」「#برای_ایران(イランのために)」等のハッシュタグも登場し、“この押し付けられた戦争を終わらせよ”という国民集団的要求を示しています。一部のユーザー英語ヘブライ語投稿を通じて自国への支持を発信し、「イラン国民の声世界に届けよう」 と試みる動きもあります。全体として圧倒的に支配なのは「誇り」と「満足感」を帯びた愛国トーンであり、イラン防衛力に胸を張る投稿大勢を占めています

また、彼らは国家の団結や士気高揚を訴える一方で、この立場同調しない人々を激しく非難する傾向もありますSNS上では愛国者を自認するこれら強硬派が、反対派に対し「 وطن‌فروش(売国奴)」「خائن(裏切り者)」など苛烈罵声を浴びせる場面も多くみられました。逆に言えば、彼ら自身は心の底から自らを愛国者( وطن‌دوست / میهن‌پرست )と信じ、イスラエルと戦い国土を守ることこそが真の愛国行為だと確信していますイラン国営メディア分析によれば、SNS上の書き込みデータ分析した結果、イスラエルに対する集団的憎悪と怒り、そして祖国防衛のための強い連帯が浮き彫りになったとされています。以上のような政府体制支持派の声は、投稿全体のおよそ3割程度を占めると見られ、特に国内向けプラットフォームInstagram上で大きな存在感を持っています

戦争のものに反対し、平和や冷静さを求める声もSNS上で非常に多く見られました。これら反戦派のユーザーは必ずしも政府支持ではありませんが、「たとえ相手イスラエルであっても戦争イラン国民にとって望まない破滅をもたらす」と強調していますTwitter上では「#جنگ_خیلی_ترسناکه(戦争は本当に恐ろしい)」や「#نه_به_جنگ(戦争反対)」といったハッシュタグが人気化し、多くのユーザー戦争への恐怖感を率直に表明しました。これらのタグの下では、過去数十年にわたるイスラム共和国による国内弾圧紛争になぞらえて「我々イラン人は長年ずっと武器を持たない戦争(注:体制弾圧)を強いられてきた」という趣旨投稿散見されます。つまり、人々は「外部との戦争どころか、我々は国内で既に十分苦しんできた」として、これ以上の戦火拡大に強くノーを突き付けているのです。

具体的な反戦の声としては、例えばあるジャーナリストは「イスラム共和国を乗り越える方法外国から攻撃ではない。戦争は国を荒廃させ、政府ますます弾圧を強める。外国軍事攻撃自由を勝ち取った国などない。もし軍事攻撃があればその犠牲になるのは政権ではなく一般国民だ」と投稿しています。また別のユーザーは、1978年のアーバーダーン「シネマ・レックス火災事件旧体制末期に数百人が死亡)など歴史的悲劇に触れつつ、「戦争は本当に怖い。内部の『敵』(革命勢力)が45年以上前に始めた革命という名の戦争で、我々はずっと犠牲を払ってきた」 と訴えました。さらには、治安部隊によるデモ参加者への暴力子供青年犠牲になった事例)や、辺境地域での貧困飲料水が無く子どもがワニに襲われるような状況)などを引き合いに出し、「これほど国民が傷つけられてきた。我々にとって戦争ほど恐ろしいものはない」 と語る投稿もあります。このように反戦派は、「戦争こそ最大の悲劇」であり「我々イラン国民にそんな恐怖を味わう権利はない(=その必要はない)」と強調しています

反戦派の多くは同時に現在政権にも批判的ですが、愛国心の観点では政府支持派と重なる点もあります。すなわち「たとえ政権には反対でも、外国侵略には断固反対し祖国を守る」というナショナリスティックな平和志向です。彼らはイスラム共和国亡命反体制勢力の双方に否定的でありつつ、「どんな状況でも祖国への外部から攻撃は受け入れられない」「戦争ではなく和平が必要だ」と声高に訴えています。実際、反戦派のユーザーは「#جنگ(戦争)反対」「#صلح(平和)を求める」といったメッセージを発信し、戦争阻止と停戦必要性を強調しました。こうした訴えには法的・人道的な根拠を示す人々もおり、「国際刑事裁判所イスラエル指導者逮捕状を出した」「イスラエル先制攻撃論には法的根拠がない」「核問題での二重基準だ」等と指摘しつつ反戦の声を上げる動きもありますさらに一部のユーザー戦時下市民安全を守るための実用情報を共有しました。例えば、空爆に備えた安全確保の方法や応急処置知識不安パニックを抑える心理カウンセリングアドバイスなどです。ある記者は「もし空爆があるなら国は市民向けの防災指針を示すべきだし、攻撃時に市民同士が連絡を取れるようネット検閲を解除すべきだ」と訴えています

以上のような反戦的な投稿SNS上の意見全体の約4割と推定され、最も大きな割合を占める潮流です。長引く経済苦境や国内弾圧に苦しむイラン国民にとって、さらなる戦火拡大への拒絶感がいかに強いかが伺えます反戦派は互いにハッシュタグ連帯あいながら、「戦争を止めよ」「イランをこれ以上傷つけるな」という切実な声を上げ続けています

イスラム共和国政権のものへの怒りや批判を前面に出した意見も数多く見られました。これらの投稿戦争のものへの賛否というより、「この状況を招いたのは政権のせいだ」 という点で一貫しています。多くのユーザーイスラエルとの衝突に関し、「イランの開戦を招いた責任イラン政府、とりわけハメネイ師(最高指導者)にある」と断じてます。例えばSNS上に寄せられた市民の声として、「イスラエル空爆イランミサイル応酬が続く中、自分たちの目撃したことを報告しながら、ほとんどの人がイラン政府ハメネイ責任があると言っています。こんな戦争本来、我々国民権利(あるべき姿)ではなかった」とまとめられています。実際、一般ユーザー投稿には「この数十年の愚かな政策によって我が国土をこんな苦難と危険さらした連中に天罰を。俺たちはこんな目に遭うために生まれてきたんじゃない」といった痛烈な批判が見られました。別の若者も「こんな恐怖の中で生きるなんて本来俺たちのはずじゃなかった」と嘆いており、「我々庶民はこの戦争を望んでいない」「犠牲になるのはいつも国民だ」という怨嗟SNS上に渦巻いています

特に名指しで非難の矛先となったのが最高指導者ハメネイ師です。例えば元テレ司会者エフサン・カラミ氏はX上で、「86歳の意地悪じいさん(=ハメネイ)は36年間も間違った決定と民意無視を重ね、ついに数百万のイラン人を戦争の罠に陥れた。この戦争がこれ以上広がらないことを神に祈る…」と投稿しました。他にも「この戦争を生み出した張本人ハメネイだ」 と明言するユーザーもおり、イスラム共和国体制のものへの怒りが爆発していますイスラエル軍がテヘランの高官施設指導部を標的にした際には、政権幹部の腐敗や偽善暴露する投稿拡散しました。例えば、イスラエルの精密攻撃ハメネイ氏側近のアリ・シャムハニ(前国家安全保障最高委員会書記)の自宅などが破壊された際には、あるユーザーが「今夜のイスラエル攻撃では、世界の『弱者擁護者』を自称していたイスラム共和国の高官連中が、実はテヘラン北部の最高級タワマンペントハウスに住み、革命生活様式とは程遠い“オリガルヒ”だったことが明らかになった」と皮肉りました。別の投稿でも「ニヤヴァランからカーマラニエ、サアダトアーバーからアンドルズゴーまで——(高級住宅街の列挙)——それらの住所は革命生活様式というより寧ろオリガルヒ不動産リストしか見えない」と綴られ、体制中枢の腐敗ぶりを暴露しています

さら過激な一部の反政府派は、イスラエル軍による政権打倒の期待すら公言しています欧米亡命中の反体制派や王制復古主義者などを含むグループは以前から「この独裁政権を倒すには外部から軍事行動以外に道はない」と主張しており、今回の戦争勃発を「体制崩壊に向けた民衆蜂起のチャンス」と捉える向きもあります。実際SNS上では、イスラエル軍に向けて「#HitKhamenei」(ハメネイを狙え)なるハッシュタグを付け、「イスラム体制という大蛇の頭(ハメネイ)をその隠れ家ごと叩け」と呼びかける過激投稿まで出現しました。こうした投稿者にとって敵はイスラエルではなく現政権であり、「イラン再生のためにはもはやこの政権崩壊しかない」という極論に傾斜しています。当然ながら、これらの「他国攻撃歓迎」派は政府支持の強硬派から売国奴」と猛烈に非難されており、SNS上で激しい応酬が起きています

反政府的な投稿は、当局検閲国内言論統制もあり主に匿名個人アカウント国外在住者から発信されていますしかしその勢いは大きく、SNS全体の約2割を占める一大勢力となっています潜在的にはそれ以上に及ぶ可能性もあります)。彼らは互いの投稿拡散し合い、イラン国内外で急速に共有されています。このような政権批判派の存在は、戦時下においても依然として多くのイラン国民が現政権への深い不信感と怒りを抱いていることを浮き彫りにしています

最後に、明確な立場表明を避けるか、情報の真偽に疑問を呈するような中立懐疑的投稿も一部見られます割合としては大きくありませんが(全体の1割程度)、戦況下のSNS空間における特殊な動向として注目されます

中立派のユーザーは、政治的主張よりも事実関係の共有や質問に徹する傾向があります。例えば、イスラエル攻撃開始直後にイラン当局が全国の航空便停止を発表した際、テヘランのメヘラバー空港から旅客機が次々と離陸していく様子を撮影した動画SNS投稿されました。それを見た市民からは「もし飛行禁止のはずなのに、一体誰があの飛行機に乗ってどこへ行くんだ?」と疑問を呈する声が上がっています。この発言には、「政府高官らがこっそり家族を逃がしているのではないか」という含意もあり、直接的な批判ではないもの政府発表への不信感が表れています

一方で、デマ情報パニック拡散への警鐘も鳴らされていますSNS上には「無用な緊張を煽らないように」「国家の一体性を乱さないように」「フェイクニュースに惑わされるな」といった冷静さと団結を呼びかけるメッセージ散見されました。事実イランサイバー警察当局(FATA)は「戦時中SNSで虚偽の情報を流したり、敵の攻撃を誇大に伝えたり、市民の死傷者数を誇張する行為犯罪である」と公式に警告を発しています当局によれば、衝突発生直後からSNS上に様々なデマ流言が飛び交い、不安を煽る投稿もあったため、そうした「世論の混乱を招く行為」に対して法的措置を取る方針が示されたのです。実際、地方都市ラシュトで「住民退避命令が出た」等の根拠ない噂を流した人物逮捕されるなど、虚偽情報拡散への取り締まり事例も報じられました。このような背景から、一部の市民SNS上で慎重に情報源を確認あい、「公式発表や信頼できる報道に基づいた情報共有をしよう」という呼びかけも行っています

さらに、政治的主張を離れた実務的なアドバイス投稿中立スタンスの一部といえます。先述の反戦派の項目と重複しますが、Permalink |記事への反応(2) | 16:27

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anond:20250621084510

「・テヘラン中心部での数百人規模のデモ

どう見ても数百人規模じゃねーから

https://wanaen.com/anti-israel-rally-3/

イスラエル世論調査ですら物言いがつくのに、体感つけてエクスキューズしてるのか知らんが体感N割なんて数字出せるわけがねーんだよ

西側工作イラン側も統制で「市民の声」の総体を知るなんてどうやったって無理無理かたつむり

Permalink |記事への反応(0) | 11:58

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イラン人は何を考えているか?(AI

こういう時、AIなら現地の言語で調べてくれるから便利だよね

ニュースしかからなかったことが探せる

 

3つのAIで調べてから要約してもらったうえで、見やすくしたもの

 

1.「恐怖と不安」が圧倒的多数派(体感 6〜7割)

内容:空爆ミサイル攻撃による直接的な恐怖、逃げ場のなさ、家族の安否への懸念

具体的声:

・「家全体が煙と砂ぼこりで埋もれ、息ができなかった」(45歳男性

・「サイレンが鳴るたびに地下鉄避難して夜を明かしている」(都市部在住者)

背景:

イラン都市部軍事政治施設が集中しており、市民生活攻撃目標地理的に近接。核施設周辺の住民も強い危機感を持っている。

・また、イランでは戦時にしばしばインターネット遮断が行われ、情報が入らずパニック助長される。

 

2.経済的な実利行動と生存戦略体感 3割)

内容:通貨ドルに替える、ガソリンを買い込む、地方への一時避難国外逃避の検討など。

具体的行動:

ガソリンスタンドに行列

・「通貨を替えて国外脱出の準備をしている」という声

SNSで「どのルート安全か」といった情報交換が活発に

背景:

 イラン経済はすでに制裁国内インフレ疲弊しており、今回の紛争によって更に混乱。生き残るための合理的判断として「逃げる」「備える」が行われている。

 

3. 現体制への不満と“崩壊への期待”(体感 1〜2割、一部層)

内容:紛争政権崩壊の契機になるのではという期待。一部では、イスラエルによる体制中枢への打撃を「歓迎」する声すらある。

具体的声:

・「50年近く国民を苦しめてきた独裁体制が終わるかもしれない」

・「戦争しか変わらないのかという複雑な気持ち

背景:

これらの声は主に若年層や反体制的な市民からであり、普段から女性の権利運動政権批判に関与している人々に多い。

とはいえ、こうした意見イラン国内では危険を伴うため、公に表明されることは稀で、ネットや非公開チャット空間で語られている。

 

4.政権支持派による報復要求プロパガンダ熱狂体感 1割未満、しか可視性が高い)

内容:街頭での「イスラエルに死を」などのシュプレヒコールや、国営メディアによる報復支持キャンペーン

具体的様子:

テヘラン中心部での数百人規模のデモ

最高指導者肖像を掲げた動員型イベント

背景:

主に保守層宗教指導者層、高齢層によって支えられている。

ただし、デモ国営メディア報道ほどには市民の心を動かしていない。地方オンライン上では冷めた反応も多く、「声が大きいだけで主流派ではない」という見方がある。

 

___

 

メモ

プロパガンダや声の大きいだけの人を可能なら除いて、中立的に」と指示した

除けているか不明限界はあると思う

 

AIは、ChatGPT3o, Claude4sonnet,Gemini2.5 ChatGPTだけ課金、要約はChatGPT4(3oは読みづらい)

ソースを出してもらうこともできるが、たぶん読めないしソース評価もできないのでしていない、まあそれなりだと思われる

廃課金すればもっとよくなるかもしれないけど、そもそもインターネットソースへの信頼度限界があると思われる

 

___

 

ソースソースうるせーな

何で自分でやらないの?URLたくさん貼ったらとうろくできねーだろ

 

Reuters,CNN,AP通信, The Guardian,AI Jazeera,BBC Persian

Center forInternational and Security Studiesat Maryland (CISSM), IranPoll,米国国家情報会議NIC)年次報告,SNS観測(Telegram,Discord, X 等), 現地NGO報告(翻訳経由)その他諸々

 

Q. 基本国ニュースだけど、英語ソース多くない?

A.

報道自由度と即時性

イラン国内報道機関は政府の厳しい統制下にあり、市民本音批判的な意見自由に出すことが困難です。

・一方、ReutersBBCCNNAl Jazeera などは現地協力者や匿名取材網を通じて比較リアルな声を拾っています

 

Q.国内メディアに絞って

A.

国内向けには「イスラエル一方的侵略に完全勝利し、国民は一致団結している」という士気高揚型プロパガンダを展開。

対外向けには“国際法自衛権被害者”のロジック正当化し、同情と支援を訴える二層構え。

 

https://www.presstv.ir/Detail/2025/06/21/750011/true-promise-iii-no-respite-regime-iran-fires-missile-salvo-tel-aviv?utm_source=chatgpt.com

https://www.tasnimnews.com/en/news/2025/06/19/3338227/new-generation-of-iranian-missiles-still-on-the-shelf

https://www.presstv.ir/Detail/2025/06/20/750006/iran-missile-drone-barrage-destroys-israeli-military-hibs-command-control-centers?utm_source=chatgpt.com

 

ほらよ

AIさんにありがとうは?

 

___

 

個人的最初モチベーションとしては、TikTokイスラエルミサイル動画見てたら

コメント欄で「イラン在住だけど周りの人はイランへの攻撃に喜んでる。なぜなら皆政府が嫌いだから」みたいなコメントがあって激論(※低レベル)が繰り広げられてたんだよね

それでうそくせーと思って適当に調べたみた

陰謀論排除したとしても、そもそもイランは色んな派閥があるから、「周りの皆が同じ意見」は有り得るんだよね

この場合イラン人は」が主語デカになるわけだ

Permalink |記事への反応(9) | 08:45

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2025-06-18

イランの「民主化」について

現行のイラン・イスラーム共和国1979年イラン革命によって樹立されたが、遡ればペルシア民族人類史上で初めて「帝国」を樹立( *1)した民族でもあり、以降はずっと帝政王政が続いてきた。

19世紀以降は英仏露の干渉に対抗する形で民族意識興隆(*2)し、立憲革命を経て王政はなおも続くのだが、1951年に「アバダン危機」が起こる。当時の首相であるモハンマド・モサッデクが、英国石油メジャー管理していたアバダン油田国有化を図ったのだが、結局は果たせず、モサッデクは逮捕・投獄された(*3)。

これによりパフラヴィー(パーレビ)朝の第2代であるモハンマド・レザー・シャーが復権し、米国後ろ盾を得て白色革命を進めていく。しかしこの人物が、自らイデオロギーとして打ち出した「イランナショナリズム」のための各種イベントをはじめ濫費が甚だしく、またシーア派宗教指導者蔑ろにする施策を採ったこともあり、民衆からの反発を招く。さらには第1次オイルショック後に石油価格が下落して国家財政が窮乏したことも重なり、政情が不安定化していた折、シャーがエジプト出国した(*4)タイミングルーホッラー・ホメイニーが帰国し、革命評議会組織する。これがいわゆる「イラン革命」であり、ペルシア民族は史上初めて共和政を営むこととなった。

革命後のイランで特徴的なのは「ヴェラーヤテ・ファギーフ(法学者による統治)」で、これは要するに、宗教指導者(*5)が立法行政司法および軍の上に立つ指導体制である。この点を指して「非民主的」「神権国家」と批判されることが多い。だがそもそもイランとは、民族的には多様性がある一方、宗教的には国民の約9割がシーア派十二イマーム派(*6))イスラーム教徒であり、宗教国民統合の重要理念となっている以上、統治理論としては一定正統性合理性が認められるべきだろう(*7)。

これにより、イラン大統領選国会議員選では、宗教指導者による資格審査を通過した立候補者選挙戦を展開する。一定範囲内で民意が反映される制度と言える。

イラン大統領選に関する報道ではしばしば対米姿勢の硬軟に注目されるが、民意がそれなりの幅で動いていることは結果にも反映され、それを受けて路線転換が試みられているのも事実である(*8)。むしろ米国イスラエル意向を重視しすぎており、イラン改革派政権である時期にも関係改善を進められずにいる方が、世界秩序の観点からは非合理的批判されるべきだろう。

背景説明が長くなりすぎたが、ここからが本題である

イスラエル(*9)、というかベンヤミンネタニヤフは、「ハーメネイー師の斬首作戦によりイラン民主化する」と主張している。だが、そもそもイラン民衆革命によって王政を打倒した共和政国家であり、その経緯を踏まえてそれなりに民主的体制となっていることは、ここまで説明した通りである

スカーフ強制」が抑圧の象徴とされることも多いが、世の中はブルジョアインテリだけで回っているわけではなく、ファッションに使う金に事欠く一般市民にとっては「イスラームに従って生きていくことの、いったい何が不満なのか」となる。長期にわたる経済制裁の下でも着実に科学教育軍事技術進歩させ、世界でもトップクラスの水準に達している(*10)ことは事実であり、「表面的な『自由』のために民族の誇りを売り渡すのか」という意識も根強いことは論を待たない。

仮に「法学者による統治」を廃して「民主政」を導入したとしても、それで米欧イスラエル従順政権が生まれるのか?という点は、大いに疑問である

それが目的なら、あらかじめ亡命指導者などを「子飼い」にしておくものだが、現状そんな人物は見当たらない(*11)。さりとて、誰を据えようがシーア派信仰に基づく民族意識が基盤になる以上、宗教指導者意向無視した政権運営は不可能だろう。

また、現在イラン指導である革命第1世代は、イランイラク戦争前線に立った世代でもあり、武力行使には慎重な傾向があるとされる。しかも現体制トップのハーメネイー師は、「イスラーム教義に反する」との理由から核兵器開発に否定的である。こうした人々が一掃された場合、かえって好戦的な層が台頭してくる可能性は、決して小さくない(*12)。

付言すれば、(下記の注にも記したが)シーア派の特徴として「殉教精神」が挙げられることがある。殉教攻撃自爆テロ)も元々はシーア派特有戦術(*13)だった。仮に米国傀儡と見なされるような政権が立つなら、かつてサッダーム・フセインが放逐された後のイラク殉教攻撃が頻発したことをご記憶の向きも多かろうが、おそらくそれより酷い事態が展開すると予想される。

イランに「民主化」を求めるならば、粘り強い対話によって漸進的な改革を促していく他ないだろう。武力行使による強要は、かえって地域情勢の不安定化を助長する蓋然性が非常に高く、米欧イスラエルが「民主化」のために支払うコストは、想定よりも桁違いに高く付くのではなかろうか。

1:アケメネス朝紀元前550年。

2:高校世界史の範囲ではタバコボイコット運動(当時はガージャール朝)などが有名。これが20世紀初頭のイラン立憲革命に繋がっていく。

3:英米対立したためソ連邦への接近を試みたものの、モサッデク自身王政打倒までは考えておらず、イ-ソ間の溝は埋まらなかった。志半ばに終わったとはいえ現在でもなおイラン国民から敬愛されている人物である

4:妻がエジプト出身だったためだが、これ以降シャーはイラン帰国できなくなり、実質的亡命生活が始まる。途中で米国滞在していた際、イラン大学生たちはシャーの拘束と身柄引き渡しを米国要求し、これが「テヘラン大使館占拠事件」に繋がる。

5:宗教指導者ウラマー)といっても、イスラーム場合ファトワー(教令/宗教的見解)を下すことが重要職務であり、イスラーム法学を修めていることが必須要件となる。日本教育制度で言えば「法学士の取得が最低条件」のようなものか。なおシーア派では、ウラマーの中でも相応の学識・人望の持ち主がアーヤトッラーアヤトラ)と呼ばれ(スンナ派ムフティーに相当)、ファトワーを発出できるようになる。

6:第4代カリフアリーを初代イマームとし、その血筋を引く者が正統な指導であると奉ずる。特徴的なのはアリーや第3代イマームフサインの生涯から殉教を一つの理想像としていること。フサインに関しては「カルバラーの悲劇」が伝承されており、現在でもアーシューラー儀式が行われている。また、第12イマームの「お隠れ(ガイバ)」は今なお続いており、いずれ救世主として再臨する、とされている。「高野山では空海が今なお禅定を続けている」という信仰と似た面がある。

7:中華人民共和国では共産党トップ国家を率いる統治構造になっていることを踏まえると、理解やすいのではないか

8:改革派とされたモハンマド・ハータミー大統領の時期に対米関係改善せず、2005年大統領選では対米強硬派のマフムード・アフマディーネジャードが選出された例などを想起されたい。なお現職大統領のマスウード・ペゼシュキヤーンは、改革派とされる。

9:そもそもイランから見れば、「キュロス2世(=アケメネス朝建国者)によりバビロン捕囚を解かれ、エルサレム神殿を再建させてもらった大恩を忘れたのか」という話でもある。ネタニヤフが歴史断罪されるべきであることは間違いない。

10特に高速度ミサイル制御技術に関しては、現状だと世界最高度の水準だろう。

11パフラヴィー朝の元皇太子米国に在住しているものの、米国イラン断交したままなので、母国への影響力はほぼ無い人物である。それ以前に、今なおイランではパフラヴィー朝イメージが非常に悪いため、新体制指導者として歓迎されるとは少々考えにくい。

12パレスチナでは、2006年評議会選挙ハマース(対イスラエル強硬派)が単独過半数を得るも、米欧イスラエルは「選挙結果を黙殺する」という暴挙に出た。しかイラン人口は9000万人であり、さすがに黙殺するには大きすぎるだろう。

13:1983年ベイルート米海兵隊兵舎が爆破された事件は、イスラエルおよび米国レバノン内戦から撤退する契機となった。なお、パレスチナ住民の多くはスンナ派イスラームだが、抵抗運動指導者がレバノン追放されていた際にヒズブッラーシーア派)と接触して戦術を学び、殉教攻撃を行うようになった。これとは別の流れで、後にアル・カーイダスンナ派)も戦術として採用することになる。

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イランの「民主化」について

現行のイラン・イスラーム共和国1979年イラン革命によって樹立されたが、遡ればペルシア民族人類史上で初めて「帝国」を樹立( *1)した民族でもあり、以降はずっと帝政王政が続いてきた。

19世紀以降は英仏露の干渉に対抗する形で民族意識興隆(*2)し、立憲革命を経て王政はなおも続くのだが、1951年に「アバダン危機」が起こる。当時の首相であるモハンマド・モサッデクが、英国石油メジャー管理していたアバダン油田国有化を図ったのだが、結局は果たせず、モサッデクは逮捕・投獄された(*3)。

これによりパフラヴィー(パーレビ)朝の第2代であるモハンマド・レザー・シャーが復権し、米国後ろ盾を得て白色革命を進めていく。しかしこの人物が、自らイデオロギーとして打ち出した「イランナショナリズム」のための各種イベントをはじめ濫費が甚だしく、またシーア派宗教指導者蔑ろにする施策を採ったこともあり、民衆からの反発を招く。さらには第1次オイルショック後に石油価格が下落して国家財政が窮乏したことも重なり、政情が不安定化していた折、シャーがエジプト出国した(*4)タイミングルーホッラー・ホメイニーが帰国し、革命評議会組織する。これがいわゆる「イラン革命」であり、ペルシア民族は史上初めて共和政を営むこととなった。

革命後のイランで特徴的なのは「ヴェラーヤテ・ファギーフ(法学者による統治)」で、これは要するに、宗教指導者(*5)が立法行政司法および軍の上に立つ指導体制である。この点を指して「非民主的」「神権国家」と批判されることが多い。だがそもそもイランとは、民族的には多様性がある一方、宗教的には国民の約9割がシーア派十二イマーム派(*6))イスラーム教徒であり、宗教国民統合の重要理念となっている以上、統治理論としては一定正統性合理性が認められるべきだろう(*7)。

これにより、イラン大統領選国会議員選では、宗教指導者による資格審査を通過した立候補者選挙戦を展開する。一定範囲内で民意が反映される制度と言える。

イラン大統領選に関する報道ではしばしば対米姿勢の硬軟に注目されるが、民意がそれなりの幅で動いていることは結果にも反映され、それを受けて路線転換が試みられているのも事実である(*8)。むしろ米国イスラエル意向を重視しすぎており、イラン改革派政権である時期にも関係改善を進められずにいる方が、世界秩序の観点からは非合理的批判されるべきだろう。

背景説明が長くなりすぎたが、ここからが本題である

イスラエル(*9)、というかベンヤミンネタニヤフは、「ハーメネイー師の斬首作戦によりイラン民主化する」と主張している。だが、そもそもイラン民衆革命によって王政を打倒した共和政国家であり、その経緯を踏まえてそれなりに民主的体制となっていることは、ここまで説明した通りである

スカーフ強制」が抑圧の象徴とされることも多いが、世の中はブルジョアインテリだけで回っているわけではなく、ファッションに使う金に事欠く一般市民にとっては「イスラームに従って生きていくことの、いったい何が不満なのか」となる。長期にわたる経済制裁の下でも着実に科学教育軍事技術進歩させ、世界でもトップクラスの水準に達している(*10)ことは事実であり、「表面的な『自由』のために民族の誇りを売り渡すのか」という意識も根強いことは論を待たない。

仮に「法学者による統治」を廃して「民主政」を導入したとしても、それで米欧イスラエル従順政権が生まれるのか?という点は、大いに疑問である

それが目的なら、あらかじめ亡命指導者などを「子飼い」にしておくものだが、現状そんな人物は見当たらない(*11)。さりとて、誰を据えようがシーア派信仰に基づく民族意識が基盤になる以上、宗教指導者意向無視した政権運営は不可能だろう。

また、現在イラン指導である革命第1世代は、イランイラク戦争前線に立った世代でもあり、武力行使には慎重な傾向があるとされる。しかも現体制トップのハーメネイー師は、「イスラーム教義に反する」との理由から核兵器開発に否定的である。こうした人々が一掃された場合、かえって好戦的な層が台頭してくる可能性は、決して小さくない(*12)。

付言すれば、(下記の注にも記したが)シーア派の特徴として「殉教精神」が挙げられることがある。殉教攻撃自爆テロ)も元々はシーア派特有戦術(*13)だった。仮に米国傀儡と見なされるような政権が立つなら、かつてサッダーム・フセインが放逐された後のイラク殉教攻撃が頻発したことをご記憶の向きも多かろうが、おそらくそれより酷い事態が展開するだろう。

イランに「民主化」を求めるならば、粘り強い対話によって漸進的な改革を目指す他ないだろう。武力行使による強要は、かえって地域情勢の不安定化を助長する蓋然性が非常に高く、米欧イスラエルが「民主化」のために支払うコストは、想定よりも桁違いに高く付くのではなかろうか。

1:アケメネス朝紀元前550年。

2:高校世界史の範囲ではタバコボイコット運動(当時はガージャール朝)などが有名。これが20世紀初頭のイラン立憲革命に繋がっていく。

3:英米対立したためソ連邦への接近を試みたものの、モサッデク自身王政打倒までは考えておらず、イ-ソ間の溝は埋まらなかった。志半ばに終わったとはいえ現在でもなおイラン国民から敬愛されている人物である

4:妻がエジプト出身だったためだが、これ以降シャーはイラン帰国できなくなり、実質的亡命生活が始まる。途中で米国滞在していた際、イラン大学生たちはシャーの拘束と身柄引き渡しを米国要求し、これが「テヘラン大使館占拠事件」に繋がる。

5:宗教指導者ウラマー)といっても、イスラーム場合ファトワー(教令/宗教的見解)を下すことが重要職務であり、イスラーム法学を修めていることが必須要件となる。日本教育制度で言えば「法学士の取得が最低条件」のようなものか。なおシーア派では、ウラマーの中でも相応の学識・人望の持ち主がアーヤトッラーアヤトラ)と呼ばれ(スンナ派ムフティーに相当)、ファトワーを発出できるようになる。

6:第4代カリフアリーを初代イマームとし、その血筋を引く者が正統な指導であると奉ずる。特徴的なのはアリーや第3代イマームフサインの生涯から殉教を一つの理想像としていること。フサインに関しては「カルバラーの悲劇」が伝承されており、現在でもアーシューラー儀式が行われている。また、第12イマームの「お隠れ(ガイバ)」は今なお続いており、いずれ救世主として再臨する、とされている。「高野山では空海が今なお禅定を続けている」という信仰と似た面がある。

7:中華人民共和国では共産党トップ国家を率いる統治構造になっていることを踏まえると、理解やすいのではないか

8:改革派とされたモハンマド・ハータミー大統領の時期に対米関係改善せず、2005年大統領選では対米強硬派のマフムード・アフマディーネジャードが選出された例などを想起されたい。なお現職大統領のマスウード・ペゼシュキヤーンは、改革派とされる。

9:そもそもイランから見れば、「キュロス2世(=アケメネス朝建国者)によりバビロン捕囚を解かれ、エルサレム神殿を再建させてもらった大恩を忘れたのか」という話でもある。ネタニヤフが歴史断罪されるべきであることは間違いない。

10特に高速度ミサイル制御技術に関しては、現状だと世界最高度の水準だろう。

11パフラヴィー朝の元皇太子米国に在住しているものの、米国イラン断交したままなので、母国への影響力はほぼ無い人物である。それ以前に、今なおイランではパフラヴィー朝イメージが非常に悪いため、新体制指導者として歓迎されるとは少々考えにくい。

12パレスチナでは、2006年評議会選挙ハマース(対イスラエル強硬派)が単独過半数を得るも、米欧イスラエルは「選挙結果を黙殺する」という暴挙に出た。しかイラン人口は9000万人であり、さすがに黙殺するには大きすぎるだろう。

13:1983年ベイルート米海兵隊兵舎が爆破された事件は、イスラエルおよび米国レバノン内戦から撤退する契機となった。なお、パレスチナ住民の多くはスンナ派イスラームだが、抵抗運動指導者がレバノン追放されていた際にヒズブッラーシーア派)と接触して戦術を学び、殉教攻撃を行うようになった。これとは別の流れで、後にアル・カーイダスンナ派)も戦術として採用することになる。

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2024-04-22

架空意味深セリフを書く

テヘランの男に気を付けろ!

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2024-02-08

海外旅行って楽しいよね

海外旅行がチラホラ話題になってるから書く

親には国公立大の学費を払ってもらい、月数万円の仕送りを貰っていたが別に太い実家ではない(と思っている)

就活氷河期リーマンショックの間の世代大学を出て就職普通にできたから運は良かった方だ

学生の頃にバイト代を貯めて韓国タイに行き、日本と違う空気文化やメシに触れるのが楽しかった

地方の安月給の会社就職してから通勤途中でよく読んでたのは海外旅行web記事で、それによく出てきたのが会社辞めて世界一周してる人たちのブログとかだった

何となくバックパッカーに憧れはあった

なんだかんだ5年で会社辞めることになって、退職届出した時に貯金が250万ほどできており、ふと世界一周できるな?したろ!

ということで春秋航空上海行き片道チケットを取った

もう10年くらい前のことである

行きたい所は3つだけ決めていたが、ルートは未定で、基本的に現地で次の目的地への交通手段を手配する感じだ

最初目的地はネパールで、上海から昆明まで40時間超の長距離列車で移動し、そこから飛行機カトマンズに入る

漫画版神々の山嶺を読んでエベレストを見たかったので、ベースキャンプへのトレッキングをした

4500mを超えたあたりからクソしんどかったが生のヒマラヤは鮮烈だった

そっからインドに行き、一ヶ月ほど時々腹を壊しながらカレーを食べつつインド人に騙されたり頻繁にボラれたりし、スリランカからシンガポールへ飛び、シンガポールから第二の目的タイバンコク陸路で移動する

大学の時に知り合ったタイ留学生を訪ねて酒を飲んだ

その後ビザ必要ミャンマー以外のインドシナ半島各国を麺や焼き飯を食いながら一周し、次は西へ行きたいと氷入りのビールを飲みながら思っていたところ、マレーシア航空ドバイ行き格安チケットを見つけたので予約し、ドバイではオイルマネーの力に驚嘆し、世界一高いビルのブルジュハリファは入場料が高かったので外から見た

飛行機紅海対岸の禁酒国家イランへ、イラン旅人には親切にしろと刷り込まれているムスリムの国なのでいい所だが、テヘランバスで男にケツを撫でられる

後で知ったがゲイがバレると当地では死刑になるので外人ターゲットにするそうだ

イランは当時も経済制裁の影響でatmでのキャッシングが使えず、米ドルを街中で両替するのが面倒なことと、酒が無いので1週間くらいで出国することにし、バスを乗り継ぎアルメニアに抜けて飲んだワインはクソうまかった

あと名物ザリガニチョウザメ結構いけた

当時まだグルジアだったジョージアワインうまい料理がとてもうまい、元栃ノ心さんがワインの輸入するそうでがんばってほしい

シュクメルリ話題になったがヒンカリハチャプリ、ほか名前わからん料理などどれもうまかった

黒海沿いに移動して、パンがクソうまいトルコカッパドキアイスタンブールを回り、ボスポラス海峡を渡ってようやくヨーロッパへ入り、ブルガリアヨーグルトを食べて元琴欧州鳴戸親方生地ヴェリコタルノボを歩いた

ヨーロッパはさすがに文明的で、旅するのに快適であまり苦労した覚えがない

バルカン半島経由で北上し、ポーランドから船でスウェーデン渡りノルウェーサーモンを食うため北極圏の町トロムソに行き、魚屋で買ったサーモンオスロで買っておいたスシライスカリフォルニア米)を炊いて寿司を作って、ホステルで一緒になったドイツ人カップルに振る舞いながら500mlで1本700円くらいするシロクマのラベルの缶ビールを飲んでいたところ、オーロラが出たので見られたのは幸運だった

ノルウェー物価が高すぎたためオスロ空港出国前に2晩ほどベンチで寝てたら警備員に注意される

インドで知り合ったスコットランド人学生を訪ねてライアンエアーオスロからエジンバラへ、夜ギグに行こうと言われて半地下のクラブへ連れて行かれる

さっきまで壇上でサックスを吹いてたシュッとした青年普通にアンフェタミンを勧めてきてびびったが、すでにエールで酔っ払っていたので楽しかった事しか覚えていない

そこからメシと酒がクソうまいバルセロナへ飛び、夜な夜なバルセルベーサを飲み、昼はパエリアを食ったりおやつバレンシアオレンジをかじり、マドリードの安宿の屋上テラスの藤の椅子に座ってチーズハモンで赤ワインをやりながらどこに行くか迷っていたところ、サウジアラビア経由エチオピア行きのチケットがあったのでアフリカに入り、大地溝帯に沿って南下し、ケープタウンまで陸路で移動することにした

アフリカはどこの国も同じで当然黒人ばっかりでメシがまずく、衛生状態治安も悪く交通機関もクソだが、ヤリまくって産みまくって死にまくるという原始の人間生活を見られたほか、やたらと多い子供は汚いがかわいかった

あとサバンナは最高にきれいで、朝焼けの露に濡れた草原が輝く景色は忘れがたく、ライオンキリンやゾウは動物園で見るのと全く違う美しさだった

ナミビアボツワナ南アフリカサブサハラの中でも経済が強いのでそれなりに文明的な旅ができたが、ナミビアの乗合バンエンストしょっちゅうで、止まったバン乗客みんなで押しがけした

乗客同士で一体感が生まれ面白い体験だったが、ライオンのいるサバンナで夜中2時に止まった時はヒヤヒヤした

ケープタウンで久しぶりにうまいワインを飲みながら南米行きのチケットを探して、カタール経由ブエノスアイレス行きを見つけ、カタール航空の機内食ハーゲンダッツが久しぶりのまともなアイスクリームだったので感動して3個も食べた

アルゼンチンは肉とワインがメチャ旨く安いので、毎日ワインを1本ずつ開けた

チリワインも当然うまく、フロンテラというのが安くてお気に入りだった

このワイン日本でも飲めるが、やはり現地と味が違うような気がする

アルゼンチンチリバス網が発達していて、車内は三列シートが基本でゆったりでき、パーサーがいて食事ワインサービスもあり快適だったが、普通に丸2日バス移動とかがあり広すぎである

南部パタゴニアの名峰フィッツロイチリパイネでトレッキングをして、道中一緒になった日本人女性に恋をするが思いは伝えられずそのまま別れた

この人とは帰国後たまに会ってメシを食う仲だが、一度冗談ぽく結婚しないかと言ったら、お前のような貧乏人とは結婚する訳ないと言われた

その後金持ちの男と結婚したらしく、幸いなことである

チリ北上してアタカマ砂漠の星空を見て、それから三番目の目的ウユニ塩湖へ向かう

ポカリスエットCMビートたけしが立ってた鏡張りの景色で有名な所で、ちょうど日本大学春休みシーズンだったため、ウユニの街は日本学生だらけでちょっと辟易したが、さすがに見渡す限り鏡張りの光景や遠近感の無くなるほど遠くまで広がる塩の平原はめちゃくちゃにきれいだった

そのあとペルーへ移動しマチュピチュに行ったが、すでに遺跡を腐るほど見ていたのでやや感動が薄かった

ペルーあたりからラムが安いので、全世界同じ安心安全コカコーラを買って毎晩ラムコークを飲んでいた

バスを乗り継ぎエクアドルグアヤキルに行き、ガラパゴス行きの飛行機を待つ

グアヤキルで数日滞在した安宿から15分くらい歩くと、カラフルな家がびっしり建つ丘があったので、ぶらぶらしていたらおばちゃんに呼び止められる

スペイン語はほぼわからないが、この先に行くと死ぬ的な事を言っているようで、あとで調べたらその先には有名なスラムがあった

別に一人で帰れるがおばちゃんの息子らしき人にホテルまで送ってもらう

グアヤキル新婚旅行で訪れた日本夫婦強盗に遭い、旦那さんが殺された事件があった所である

ただしガラパゴス諸島は観光地のため、先進国並みに治安は良く、物価も同じくらい高い

アシカやウミイグアナがうじゃうじゃおり、進化論で有名な鳥のフィンチも数種類見てリクガメ写真に撮れたのでとても満足した

南米本土に戻って北上を続け、コロンビアボゴタオーパーツ黄金ジェットを見たが絶対あれは魚だと思う

このあたりで日本を出て1年少々経過しており、だんだん旅に飽きて働きたくなってきたので日本へ帰るチケットを探しはじめ、フロリダを経由してニューヨークから日本へ帰還した

成田の「おかえりなさい」のサインを見て泣きそうになり、缶コーヒーコンビニざるそばがうますぎて泣いた

使った金は約200万円、1年1ヶ月の旅だった

仕事休みなので昼から酒を飲みながら長々書いてしまった

今はちゃん再就職していい年になってしまい、結婚して子供ができたりして、出張以外でなかなか海外に行くことはないが、たまにあの頃は楽しかったなあと思い出す

円安でなかなか厳しいが、体力と10万か15万の金があれば近場なら十分行けるので、ぜひ現地のメシや酒を味わって欲しい

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2024-01-23

首都国土中央部にあるか

ある作品で「首都国土中央部にないのはおかしい」というツッコミが入ったという。

だが、そもそも首都国土中央部にあるものだろうか。現代舞台検証してみよう。(シンガポールモナコのような都市国家考慮しない)

Category A:首都国土のほぼ中央にある国

スペインマドリード

お手本のように中央部にある国といえばまずここだろう

ベルギーブリュッセル

そもそも北部フラマン語オランダ語)圏と南部フランス語圏中間に作った都市なので

マダガスカルアンタナナリボ

アフリカ大陸の南東にある世界で4番目に大きい島+付属島を国土とする島国である

ベラルーシミンスク) ・スロベニアリュブリャナ) ・ラトビアリガ) ・バングラデシュダッカ) ・イラクバグダッド) ・チリサンティアゴ) ・エチオピアアディスアベバ) ・コロンビアボゴタ) ・パナマパナマシティ) ・ナミビア(ウイントフック) ・ナイジェリアアブジャ) ・コートジボワールヤムスクロ

Category B:どちらかといえば中央と言えるかなという国

フランスパリ

厳密な中央はヌベールあたりか? ともかくCatBは初手がここであるからお察し。

オランダアムステルダム

厳密にはもっと内陸へ行ったところだと思うけれど、海洋国家だし。

トルコアンカラ

厳密な中央はもう少し東のシバスあたりか。

サウジアラビアリヤド

厳密な中央はもう少し南西だと思う。

ニュージーランドウェリントン

北島南島が主な国土南島の方が広い。首都ウェリントン北島の最南部

イランテヘラン

中央はもう少し南だとおもうけれど、まあ。

タイバンコク

そもそも国土中央』の定義がしにくい国だけれど、まだマシ。

メキシコメキシコシティ) ・セルビアベオグラード) ・チェコプラハ) ・スーダンハルツーム) ・カメルーンヤウンデ) ・ペルーリマ

Category C:流石に中央ではないよね国家

アメリカ合衆国ワシントンDC) ・カナダオタワ) ・ロシア連邦モスクワ) ・ドイツベルリン) ・イギリスロンドン) ・ノルウェーオスロ) ・スウェーデンストックホルム) ・フィンランドヘルシンキ) ・デンマークコペンハーゲン) ・オーストラリアキャンベラ) ・中国北京) ・韓国ソウル) ・インドデリー

Category D:『国土中央』ってどこだ?

日本

日本の四大島付属島が均一な平面であるとすると、重心の場所能登半島佐渡島の間の海上になるらしい。

インドネシア

島国はこういうときは分かりにくい。日本と同様に重心を出すとスラウェシ島あたりになりそうな気がする。

イタリア

シチリア島サルディーニャ島まで含めて考えれば、ローマ中央付近か?

クロアチア

国土三日月型の国も難しい。首都ザグレブは割り引けば中央付近かも?

マレーシア

マレー半島部だけを見ればクアラルンプール中央範疇かもしれないが、カリマンタン島部を含めた重心は大ナトゥナ島あたりだろうか?ただし、大ナトゥナ島インドネシア領である

まとめ

・巨大な大陸国家では、水運(特に海運)の都合上どこかの海岸大河沿いが首都になりやすい(アメリカ合衆国ロシア中国オーストラリアインド等)

・一方向でしか海に面していない国も、海運の都合上その海岸線近くが首都になりやすい(アフリカギニア湾沿岸で顕著。あと北欧

首都国土中央に来る国は『大陸の端の方で2方向以上で海に面している』か『大きすぎない島国』に多いかも?

Permalink |記事への反応(10) | 21:43

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2023-03-06

ベトナム独立宣言

全国の同胞たちよ、

全ての人はみな、平等権利を持って生まれています創造主は誰も侵すことのできない権利を与えました。その権利には、生存権自由権幸福追求権があります

 

この不滅の文言は、アメリカの1776年独立宣言の中にあるものです。より広く言えば、この文言は、世界の全ての民族がみな平等に生まれ、どの民族生存権幸福権、自由権を持つということを意味しています

 

1791年フランス革命における人間と市民の権利の宣言(※人権宣言)も、「人は生まれながら自由であり、平等権利を有し、常に自由であり、権利について平等でなければならない」と言っています。これは、誰も否定することはできません。

 

それにもかかわらず、この80年間、フランス帝国主義者たちは、自由平等博愛の旗を悪用し、私たちの国を強奪し、私たち同胞を抑圧してきました。彼らの行動は、人道と正義に反するものです。

統治において彼らは、私たち人民自由民主を僅かでも与えることはありませでした。

 

彼らは野蛮な法律施行しました。彼らは中部南部北部でそれぞれ異なる制度を作り、私たち国家統一妨害し、私たち民族団結を妨げました。

彼らは学校よりも数多く監獄を建てました。彼らは、私たちの国を愛し民族愛する人々を斬り殺しました。彼らは、血の海に私たちの蜂起を沈めたのです。

彼らは言論を統制し、愚民政策実施しました。

彼らは、アヘンアルコールを使って、私たち民族を衰弱させました。

経済において、彼らは私たち民族を骨の髄まで搾取し、私たち民族を困窮、欠乏させ、私たちの国をずたずたにし不況に導きました。

彼らは田畑を、坑道を、資源を奪いました。

彼らは紙幣印刷や、輸出入権利を独占しました。

彼らは数百の理不尽徴税を行い、私たち民族特に農民商人貧困に陥れました。

彼らは私たちブルジョワ台頭を許しませんでした。彼らは私たち労働者を情け容赦なく搾取しました。

 

1940年の秋、連合国に対抗する拠点を更に築くため、日本ファシストインドシナ侵略し、フランス帝国主義者らは跪いて日本私たちの国を明け渡しました。そのときから私たち民族フランス日本という二重の枷をかけられたのです。そのときから私たち民族は、日増しに困窮し、貧困にあえぎました。その結果、ついに昨年末から今年の初め、クアンチから北部にかけて、200万人の同胞餓死しました。

 

今年の3月9日日本フランス軍を武装解除しました(※仏印処理)。フランス帝国主義者は逃げる者もいれば、降伏する者もいました。

まり、彼らは私たち保護するどころか、5年の間に2回も私たちの国を日本に売ったのです。

3月9日以前に、ベトミン(※ベトナム独立同盟会)は何度もフランス人に対して、日本に対抗すべく同盟しようと呼びかけました。フランス帝国主義者はこれに応じず、より一層ベトミン迫害しました。更には、敗走の際、彼らはイエンバイとカオバン政治犯を多数虐殺しました。

 

しかし、フランス人に対して私たち同胞は依然として寛大で人道的な態度を保ちました。3月9日の変動後、ベトミン辺境へ逃れた数多くのフランス人を助け、日本収容所から多数のフランス人を救出し、彼らの生命資産保護しました。

 

実際、1940年の秋から私たちの国は日本領土となり、もはやフランス領土ではありませんでした。

日本連合国降伏したとき、全国の私たち民族は立ち上がり政権を奪取して、ベトナム民主共和国を築いたのです。

実際には、私たち民族は、フランスの手からではなく日本の手からベトナム国を取り戻したのです。

 

フランスは逃げ、日本降伏し、バオダイ帝は退位しました。私たち民族独立したベトナム国建設するために、100年近く帝国主義者たちと戦いました。私たち民族は、何十世紀も君主制と戦い、民主共和制を築いたのです。

 

ですから私たちベトナム国臨時政府は、ベトナム国民代表して、フランスとの関係離脱し、フランス署名したベトナムに関する全ての協定を破棄し、ベトナム国におけるフランスの全ての権限を破棄することを宣言します。ベトナム国民は、フランス植民地主義者の陰謀に対抗する覚悟を固めています

 

私たちは、テヘラン及びサンフランシスコ会議民族平等原則を認めた連合国が、ベトナム民族独立する権利を認めないということはあり得ないと信じています

ある民族がこの80年以上にわたりフランス奴隷であることに勇敢に対抗しました。ある民族が数年にわたり連合国と共にファシストに対抗しました。その民族自由を得なければなりません! その民族独立を得なければなりません!

 

これらの理由から私たちベトナム民主共和国臨時政府は、世界に向けて改めて宣言します。

ベトナム国自由及び独立する権利を持ち、実際に、自由独立した国となりました。ベトナム国民は、この自由独立を維持するために、精神軍隊生命、そして財産のすべてを持つ権利があります

 

これを以て「ベトナム日本ファシストから独立した」って喧伝してる人がいるけど、

 

ですから私たちベトナム国臨時政府は、ベトナム国民代表して、フランスとの関係離脱し、フランス署名したベトナムに関する全ての協定を破棄し、ベトナム国におけるフランスの全ての権限を破棄することを宣言します。ベトナム国民は、フランス植民地主義者の陰謀に対抗する覚悟を固めています

 

私たちは、テヘラン及びサンフランシスコ会議民族平等原則を認めた連合国が、ベトナム民族独立する権利を認めないということはあり得ないと信じています

ある民族がこの80年以上にわたりフランス奴隷であることに勇敢に対抗しました。ある民族が数年にわたり連合国と共にファシストに対抗しました。その民族自由を得なければなりません! その民族独立を得なければなりません!

 

これらの理由から私たちベトナム民主共和国臨時政府は、世界に向けて改めて宣言します。

ベトナム国自由及び独立する権利を持ち、実際に、自由独立した国となりました。ベトナム国民は、この自由独立を維持するために、精神軍隊生命、そして財産のすべてを持つ権利があります

 

普通にフランス支配から卒業しか言ってないんだよなぁ。

第二次世界大戦中の日本天皇制ファシズムに侵されていたという言説は今でも普通にあるわけだし。

Permalink |記事への反応(0) | 15:45

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2021-09-27

なぜAUKUS同盟による原潜取引は核不拡散にとって悪影響なのか

以下はカーネギー国際平和基金による投稿抜粋超訳です。日本であまりキチンと指摘されていないと感じていたので気になる部分をテキトーに抜き出してテキトーに訳してみました。先日のQUAD会談でモリソン首相から日本へはフランスより先に事前通告があったとの報道でしたが、政府内で日本としての反応をどれほど検討したのでしょうか。対北朝鮮では豪州のそれを認めるのは悪手のような気がしますが・・・

https://carnegieendowment.org/2021/09/21/why-aukus-submarine-deal-is-bad-for-nonproliferation-and-what-to-do-about-it-pub-85399

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AUKUS同盟が核不拡散に果たす役割については、少数の核専門家twitter上で論を交わしている一方で、大多数は大戦略議論に気を取られてしまっている。核専門家の間でも、同盟が核不拡散に及ぼす影響がどれだけあるか、そしてその与える影響が負のものかについては議論が分かれている。

 

私の評価では、AUKUSの原潜取引は核不拡散にとって深刻かつ負の影響を及ぼす。豪州が原潜を運用することは、IAEAの定める核原料の査察システムから核原料を取り除く「抜け穴」を利用する、最初核兵器保有国が出現したこと意味する。私は豪州それ自体がこの原料を悪用するとは思わないが、この抜け穴の利用が危険前例を作り出すことを心配している。将来、核保有を企む国々は海事原子炉隠れ蓑として使うことができるようになるだろう。

 

2002年ジョージブッシュ政権テヘランに対して「ウランの濃縮と再処理活動を破棄せよ」と勧告した...私にとって、日本ドイツオランダといった核兵器保有国が濃縮プログラムを行っていることは脅威では無い...だが、イランは、自国日本比較することによってこのダブルスタンダードの隙を突き、この「濃縮する権利」を主張した。この主張は功を奏した。欧州においてさえ、イランに濃縮を辞めさせよという主張を支持する国はなかった。特にドイツは、イランに濃縮プログラムを破棄させることに強行に抵抗した - それは恐らく自国ウラニウム濃縮を行っており、将来的に自国が同様の圧力さらされることを恐れてのことだった。結果、2006年合衆国安保理決議において濃縮プログラムを破棄するのではなく、「停止」するよう変更した。

 

多くのアメリカ人の読者は、「だからどうした?安保理が不拡散強制できないのであれば、合衆国が、必要とあれば単独で、制裁もしくは軍事行動をもって不拡散強制するだろう」と考えるかもしれない。

 

この反応は近視眼的である米国による制裁はより幅広い国々から同意があってこそより効果がある。実際、合衆国制裁正統性がないと受け取られた場合は多数にのぼり、今後中期的にドルに変わる国際基軸通貨が出現する可能性がある以上、合衆国単独政策効果は低くなると予想される。

 

NPT条約核兵器保有国に原子炉を搭載した艦船を建造・運用することを禁じていない。だが現実的には、IAEA海事原子炉保障措置(セーフガード)をすることができない(その位置が秘匿されアクセスできない潜水艦特にそうだ)。結果として、IAEA包括的保障措置協定(Comprehensive SafeguardsAgreement)において、核兵器保有国に「禁止されていない軍事的活動」、つまり海事原子炉のためなら保障措置から核原料を取り除くことを許している。

 

これは明白で憂慮されるIAEA保障措置の抜け穴である。だが今日までは、海事原子炉核兵器保有国とNPT条約の非批准国によってのみ運用されてきた。包括的保障措置協定が約50年前に起草されてから、非核兵器保有国がこの抜け穴を利用しようとしたことはない(かつてブラジルカナダを含む少数国が、真剣検討したことはある)。

 

にも関わらず、この抜け穴が核保有を企む国によって利用される恐れは常にあった。実際に2018年イランIAEAに「将来的に海事原子炉を建造する」計画があると通知した。その上で、もしイランが実際にこの手段に出れば、ロシア中国を含む国々から制裁、あるいは軍事行動さえも含めた深刻なバックラッシュ にあっていただろうし、それがイランの行動をおそらく抑止したのだと考えられる - 少なくとも、これまでは。

 

AUKUS原潜取引により、この潜在的バックラッシュは弱まったと考えられる。もし豪州が実際に核原料を保障措置から取り除けば、このバックラッシュは更に弱くなるだろう。従って将来において、核兵器を取得しようとする国 -イランであれ他であれ - は、豪州の先例に倣うことにより、核原料をセーフガードから取り除く費用を許容可能なうちに抑えられると計算するようになるだろう。

 

豪州イランでもブラジルでもない」は全く正しい評価であると同時に、国際外交においては殆ど無関係議論である世界の残りの多くの国々は、豪州海事原子炉の取得という抜け穴を許す一方で、合衆国敵対国が同様の行動に出ることを罰する行動をダブルスタンダードだと考えるだろう。従って、国際的制裁執行合衆国独自単独行動に強く反対することになるだろう。結果として、AUKSでの原潜取引保障措置抑止力を低下させ、核拡散を引き起こす恐れが高まることになる。

※残りはこの取引の及ぼす悪影響を低減させるための現実的政策提言の部分なので興味あったらご自分でどうぞ。

 

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2021-03-09

anond:20210309114516

世界規模でなら、プライメイトティとよばれる、要はその国で一つの都市けが、突出して一番発達しちゃった都市は、どこもナニな感じ。

世界プライメイトティの例

ヨーロッパ

ロンドンイギリス

パリフランス

ウィーンオーストリア

プラハチェコ

ブダペストハンガリー

ブカレストルーマニア

中南米

メキシコシティメキシコ

カラカスベネズエラ

サンティアゴチリ

ブエノスアイレスアルゼンチン

モンテビデオウルグアイ

中東アフリカ

テヘランイラン

バグダードイラク

キンシャサコンゴ民主共和国

ナイロビケニア

ラゴスナイジェリア

アビジャンコートジボワール

アンタナナリボマダガスカル

ルアンダアンゴラ

アジア

バンコクタイ

台北(北北基):中華民国台湾

ソウル大韓民国

ダッカバングラデシュ

ウランバートルモンゴル

ジャカルタインドネシア

マニラフィリピン

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2020-08-01

年表(近現代

関ヶ原の戦い日露戦争

1600-10-21 関ヶ原の戦い

1615-05-07 大阪城落城し、大坂夏の陣終わる。豊臣氏滅亡

1853-05-23 アメリカ艦隊浦賀沖に来航(黒船来航)

1861-04-12 アメリカ南北戦争1865年5月9日まで)

1865-04-15 リンカーンアメリカ大統領暗殺

1867-01-30 孝明天皇崩御

1867-02-13 睦仁親王践祚

1867-11-09 大政奉還

1868-01-03 王政復古

1868-01-27 戊辰戦争1869年6月27日まで)

1868-07-17 東京奠都(「江戸ヲ称シテ東京ト為スノ詔書」煥発)

1868-10-23 元号慶応から明治に改められる。

1871-08-29 廃藩置県

1872-10-16 琉球処分琉球藩設置)

1875-06-28 讒謗律太政官布告)及び新聞紙条例太政官布告公布

1877-02-14 西南戦争1877年9月24日まで)

1877-05-26 木戸孝允死去

1878-05-14 紀尾井坂の変(大久保利通暗殺

1879-04-04 琉球藩廃止沖縄県設置

1888-03-09 ヴィルヘルム1世プロイセン王兼ドイツ皇帝崩御

        フリードリヒ皇太子(フリードリヒ3世)がプロイセン王兼ドイツ皇帝即位

1888-06-15 フリードリヒ3世崩御。ヴィルヘルム皇太子(ヴィルヘルム2世)がプロイセン王兼ドイツ皇帝即位

1894-07-25 日清戦争1895年4月17日まで。宣戦布告1894年8月1日台湾平定終了は1895年11月30日)

1898-07-30 ビスマルク死去

1901-01-22 ヴィクトリアイギリス女王崩御

1902-01-30 日英同盟成立(1923年8月17日失効)

1904-02-10 日露戦争1905年9月5日まで) 

.

日露戦争終結太平洋戦争勃発

1905-09-05 日露両国講和条約ポーツマス条約)締結(日露戦争終了、条約発効は同年11月25日)

1909-10-26 伊藤博文暗殺

1910-08-22 韓国併合ニ関スル条約調印

1910-08-29 韓国併合ニ関スル条約発効

1912-07-30 明治天皇崩御皇太子嘉仁親王践祚元号明治から大正に改められる。

1914-07-28 第一次世界大戦1918年1111日まで)

1921-11-25 皇太子裕仁親王摂政就任

1922-02-01 山縣有朋死去

1922-02-06 ワシントン海軍軍縮条約調印

1923-08-17 ワシントン海軍軍縮条約発効

1925-04-22 治安維持法公布

1925-05-05 普通選挙公布

1926-12-25 大正天皇崩御皇太子裕仁親王摂政)が践祚元号大正から昭和に改められる。

1927-03   昭和金融恐慌

1927-04-05 鈴木商店破綻

1928-06-04 張作霖爆殺事件

1929-10-24 大恐慌

1930      昭和恐慌

1930-10-02 日本ロンドン海軍軍縮条約批准

1931-09-18 満州事変柳条湖事件に始まる)

1932-03-01 満州国建国

1932-05-15 五・一五事件

1936-01-15 日本ロンドン海軍軍縮条約を脱退

1936-02-26 二・二六事件

1936-12-31 ワシントン海軍軍縮条約失効

1937-07-07 日中戦争1945年9月9日まで。盧溝橋事件に始まる。当初は宣戦布告をせず、「支那事変」と呼称

1939-05-11 ノモンハン事件

1939-07-26 アメリカ政府が日米通商航海条約の廃棄を通告

1939-09-01 第二次世界大戦ドイツポーランドに侵攻して始まる。1945年9月2日まで)

1940-01-26 日米通商航海条約失効

1940-03-30 中国汪兆銘政権成立

1940     アメリカ、対日石油輸出を制限

1940-09   アメリカ、対日屑鉄全面禁輸

1940-09-23 北部仏印進駐

1940-09-27 日独伊三国同盟調印

1940-11   日本アメリカの各種交渉1941年12月まで)

1940-11-30 日本中華民国間基本関係ニ関スル条約日華基本条約)調印

1941-01-08 戦陣訓(陸訓一号)示達

1941-04-13 日ソ中立条約調印

1941-06-22 独ソ戦ドイツバルバロッサ作戦を発動したことにより始まる。1945年5月8日まで)

1941-07-26 アメリカ在米日本資産の凍結を実施

1941-07-28 南部仏印進駐

1941-08   アメリカ、対日石油全面禁輸

1941-08-28 近衛首相ルーズベルトアメリカ大統領に首脳会談提案(結局、沙汰止みとなる)

1941-11-26 アメリカ日本に対しハルノート提示

1941-12-08 太平洋戦争日本英米に対する宣戦布告及び真珠湾攻撃に始まる。1945年9月2日まで)

        1941年12月(開戦)~1942年7月頃(フィリピン全土占領)まで日本軍の占領区域は拡大を続ける。

1941-12-16 戦艦大和竣工

.

太平洋戦争

1942-04-18 米空母から発進したB-25爆撃機によるドーリットル空襲東京空襲

1942-06-05 ミッドウェー海戦

1942-07   日本軍、フィリピン全土占領

1942-08-07 米軍ソロモン諸島ガダルカナル島、ツラギ島、ガブツ島、タナンボゴ島に上陸

        (ガダルカナル島の戦い、連合軍の本格的反攻始まる)

1943-04-18 山本五十六連合艦隊司令長官ブーゲンビル島上空で戦死海軍事件)。

1943-05-12 米軍アッツ島上陸5月29日まで。日本軍は全滅し、「玉砕」の語の使用始まる)。

1943-09-30 御前会議絶対国防圏構想を決定。

1943-10-01 在学徴集延期臨時特例(勅令)の公布

1943-11-05 東京で大東亜会議を開催(6日まで)、大東亜共同宣言を発表。

1943-11-22 エジプトカイロ英米首脳会談カイロ会談。26日まで)

1943-11-28 イランテヘラン英米首脳会談テヘラン会談。同年12月1日まで)

1944-03-08 日本軍、インパール作戦開始

1944-04-17 大陸打通作戦(同年1210日まで)

1944-06-19 マリアナ海戦日本軍は旗艦大鳳以下空母3隻と搭載機400機を失い、西太平洋制海権制空権喪失

1944-07   ブレトン・ウッズ協定

1944-07-04 本軍、インパール作戦を中止。

1944-07-18 東條英機内閣総辞職

1944-07-22 小磯国昭内閣成立。

1944-08-02 テニアン島日本玉砕テニアンの戦い)

1944-08-11 グアム島日本玉砕グアムの戦い)

1944-09-11 米軍ペリリュー島上陸ペリリューの戦い

1944-10-20 米軍フィリピンレイテ島に上陸レイテ島の戦い)

1944-10-23 レイテ海戦始まる。

1944-11-24 米軍の新型爆撃機B-29マリアナ諸島より東京を初空襲

1944-12-10 日本軍、大陸打通作戦完了

1945-01-06 ルソン島の戦い(同年8月15日まで)

1945-02-04 クリミア半島ヤルタ英米首脳会談ヤルタ会談11日まで)

1945-02-18 硫黄島の戦い(同年3月22日まで)

1945-03-10 東京空襲

1945-04-01 沖縄戦(同年6月23日まで)

1945-04-12 ルーズベルトアメリカ大統領死去。トルーマン副大統領アメリカ大統領に就任

1945-05-02 ベルリン陥落

1945-08-06 アメリカ広島県広島市原子爆弾を投下

1945-08-08 ソ連日本に対し宣戦布告

1945-08-09 アメリカ長崎県長崎市原子爆弾を投下

1945-08-14 日本ポツダム宣言を受諾

1945-08-15 玉音放送

1945-09-02 日本政府ミズーリ号にて降伏文書調印(太平洋戦争大東亜戦争終結

1945-09-09 日本政府中華民国南京にて降伏文書調印(日中戦争終結

.

戦後占領バブル崩壊

1945-09-10 国共内戦

1950-06-25 朝鮮戦争

1950-08-10 警察予備隊設置(後身は陸上自衛隊

1951-09-08 日本国との平和条約サンフランシスコ平和条約)並びに日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約

        (日米安保条約)調印

1952-04-26 海上警備隊設置(後身は海上自衛隊

1952-04-28 日本国との平和条約並びに日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約発効

        日本占領状態が終了し、独立国

1952-08-05 日本国と中華民国との間の平和条約発効

1952-10-15 警察予備隊保安隊に改組される。浜松に航空学校が設置される(後の航空自衛隊に繋がる)

1953-03-05 スターリン死去

1954-02-01 保安庁に航空準備室が設置される(後の航空自衛隊に繋がる)

1954-05-29 ビルダーバーグ会議初開催

         (於オランダ、ヘルダーラント州レンクム、オーステルベーク(Oosterbeek)、ビルダーバーホテル

1954-06-01 保安隊臨時松島派遣隊編成

1954-07-01 自衛隊法施行自衛隊成立)

        陸上自衛隊保安隊から改組)、海上自衛隊海上警備隊から改組)、航空自衛隊(新設)設置

1954-12   高度経済成長1973年10月まで)

1955-11-15 自由民主党成立(保守合同

1955年11月  1975年4月30日 ベトナム戦争

1956-07   昭和31年度年次経済報告(経済白書)発表(「もはや戦後ではない」)

1956-12-12 日ソ共同宣言発効

1956-12-18 日本国際連合に加盟

1958-08   大躍進政策

1960-06-23 新日安全保障条約発効

1960-12-27 池田勇人内閣、「国民所得倍増計画」を閣議決定する。

1962-10-15 キューバ危機

1963-11-22 ケネディアメリカ大統領暗殺

1964-08-02 トンキン湾事件8月2日及び4日。アメリカによるベトナム戦争への本格的な介入が始まる)

1964-10-01 東海道新幹線開業

1964-10-10 1964年東京オリンピック(同年1024日まで)

1966-05-16 無産階級文化大革命文化大革命)(1976年10月6日まで)

1971-01   世界経済フォーラムダボス会議を開催)設立

1971-06-17 琉球諸島及び大東諸島に関する日本国とアメリカ合衆国との間の協定沖縄返還協定)締結

1971-07-15 ニクソン訪中宣言

1971-08-15 ドル・ショック

1971-12-18 スミソニアン協定

1972-05-15 琉球諸島及び大東諸島に関する日本国とアメリカ合衆国との間の協定沖縄返還協定)発効(沖縄復帰)

1972-09-29 日本政府中華人民共和国政府共同声明

1973-10-06 第四次中東戦争

         勃発後に産油国による原油公示価格値上げや産油制限が発表され、オイルショックとなる。

1973-10-21 日米欧三極委員会の初会合(於東京

1975-04-30 ベトナム戦争終結

1975-11-15 G7サミット初開催(於フランス・ランブイエ)

1978-01-07 イラン革命(1979年2月11日まで)

1978-08-12 日本国と中華人民共和国との間の平和友好条約調印

1978-10-23 日本国と中華人民共和国との間の平和友好条約発効

1978-12-22 改革開放(中国共産党第十一期中央委員会第三回全体会議にて提唱

1985-09-22 プラザ合意

1986-12   バブル景気1991年2月まで)

1987-10-27 1987年大韓民国国民投票

1987-12-08 中距離核戦力全廃条約INF条約)発効(2019年8月2日失効)

1989-01-07 昭和天皇崩御元号昭和から平成に改められる。

1989-04-01 消費税導入(当初は3%)

1989-06-04 六四天安門事件

1989-12-03 マルタ会談終了(冷戦終結

1989-12-29 日経平均株価取引時間中に38,957円44銭の最高値を付ける(史上最高値)。終値は38,915円87銭。

1990-03-27 総量規制バブル崩壊の始まり

.

現代バブル崩壊パンデミック

1990-10-03 東西ドイツ統一

1991-01-17 湾岸戦争

1991-12-25 ソ連崩壊

1993-07   衆院選自民党が敗北し、非自民連立政権誕生する(55年体制終焉

1993-11-11 欧州連合条約マーストリヒト条約)発効(調印は1992年2月7日)

1995-01-17 阪神淡路大震災

1995-03-20 オウム真理教による地下鉄サリン事件

1995-11-23 Windows95日本国内で発売される。

1996-03-23 台湾民主化総統民選となる)

1997-04-01 消費税率が3%から5%に上がる。

1997-07-01 香港返還

1997-07   アジア通貨危機

1997-11-03 三洋証券経営破綻会社更生法適用申請する)

1997-11-17 北海道拓殖銀行経営破綻公表

1997-11-24 山一證券経営破綻公表

1998-10-23 日本長期信用銀行、破産国有化

1998-12-13 日本債券信用銀行、債務超過国有化

2001-01-06 中央省庁再編

2001-09-11 アメリカ同時多発テロ事件

2003-03-20 イラク戦争201112月15日まで)

2006-12-30 サッダーム・フセイン死刑執行

2008-09-15 リーマン・ショック

2009-09-16 鳩山由紀夫内閣総理大臣に指名される(政権

Permalink |記事への反応(0) | 18:36

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2020-05-24

anond:20200524223610

テヘラン

Permalink |記事への反応(1) | 22:41

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2020-01-31

今年もいろいろなことがあったね

年末に逃げ出したカルロス・ゴーンニュースの大騒ぎで幕を開けて、

オーストラリア大火災が続いたと思ったら大雨で洪水になって、

イランのソレイマニ司令官が爆殺されて、すわ戦争か?と騒がれて、

とばっちりみたいにテヘランウクライナ国際航空が撃墜されて、

それから新型コロナウィルスで大騒ぎ。

あ、あとイギリスEUさよならしたね。

今年も残すところ11ヶ月。みなさん、元気に過ごしましょう。

来年は良い年になるといいね

Permalink |記事への反応(1) | 17:46

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2020-01-06

anond:20200106013935

ソフランなら毛糸洗いに自信が持てます♪(要するに柔軟剤です)

サフランアヤメ科の多年草(下の写真)、およびそのめしべを乾燥させた香辛料

テヘランイラク首都(かつテヘラン州の州都)ですね。

Permalink |記事への反応(1) | 01:42

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2019-07-12

もう待ったなしだな

ムン政権になって一気にフッ化水素輸入を増やし、さらに毎年とんでもない量行方不明になる(核やミサイル開発に使うから0.1%でも失ったらあかん)

フッ化水素の件で日本日韓閣僚会談申請しても韓国は徹底的に無視

17から北が飛ばしてるミサイルの数急激に増やした。

韓国イランから物々交換で」石油輸入始める(何とは言ってない)。

太平洋管轄厚木レーダー機が日本海頻繁に飛ぶようになる。

年末レーダー照射騒動

直後に英仏海軍駆逐艦せどり監視日本派遣

安倍晋三イラン訪問

ムンちゃん置いてきぼりでトランプ正恩と緊急会談

ムン政権石油輸入のために日本フッ化水素を北経由でイランに流してて、ミサイル開発一気に進んでテヘラン核ミサイルパリロンドンベルリン届くようになってる

韓国アイドルTシャツの柄とかミュージックビデオキノコ

Permalink |記事への反応(0) | 19:58

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2019-06-15

大統領「今回のタンカー攻撃にはテヘランが関与している!証拠はない!」

佐官「(イランこと言わんでええねん…)」

Permalink |記事への反応(1) | 17:26

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2019-05-14

anond:20190514120747

朝日新聞テヘラン支局長「またおなかが痛くなっちゃうのでは」 安倍晋三首相ツイッター中傷

https://www.sankei.com/politics/news/170211/plt1702110042-n1.html

病気の事を知らないのは批判者だけでは無いと思うけど。

Permalink |記事への反応(0) | 12:14

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2018-08-20

anond:20180820174607

宗教警察服装の取り締まりを強化したところで、「指導員が今ここにいます!」みたいなスマホアプリが出るんだよなあ…

(そういうアプリテヘランで今好評を博しているらしい)

Permalink |記事への反応(0) | 17:51

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2018-07-19

anond:20180718203609

東京と同じ緯度にテヘランがあってな

まり暑いのでハンドレッド・ディグリー・シティとか言われてるとかいないとか

Permalink |記事への反応(0) | 03:04

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2017-07-20

2016年以降に起こったTBS関連の炎上不祥事

TBS世界の怖い夜」で放送心霊写真は合成か 元画像には霊が写っておらず持ち主は怒り(2017/7/20)
TBSマツコの知らない世界」が出演者の貴重資料を紛失 提供者は「考えられない理由だった」(2017/7/10)
TBSひるおび!」で誤報「完全なるフェイニュース」と指摘(2017/7/6)
TBS社員危険ドラッグ所持か 警視庁任意聴取(2017/6/21)
TBS世界の怖い夜」で放送心霊写真は合成か 元画像には霊が写っておらず持ち主は怒り(2017/7/20)
TBSマツコの知らない世界」が出演者の貴重資料を紛失 提供者は「考えられない理由だった」(2017/7/10)
TBSひるおび!」で誤報「完全なるフェイニュース」と指摘(2017/7/6)
TBS社員危険ドラッグ所持か 警視庁任意聴取(2017/6/21)
カナダ製おもちゃを「メイドインジャパン」 「日本スゴイ」系番組が物議(2017/4/10)
TBS社長謝罪不適切な内容だった」 1月放送の「白熱ライブ ビビット」、ホームレス男性らを「犬男爵」と表現(2017/3/20)
マツコの知らない世界」で“ねつ造” 掃除前後キーボードが別のものに TBS謝罪(2016/11/30)
炎上TBS字幕捏造しまくって都合のいい内容にすり替えていた!朝日新聞テヘラン支局長が指摘 |netgeek(2016/10/2)
「『マツコの知らない世界』で名誉毀損」 出演者の元夫がTBS賠償求める(2016/9/9)
TBS、「ピラミッドダービーヤラセ疑惑について当事者謝罪(2016/6/26)
「私はレイプされた」 28歳詩織さん“顔出し”で涙の訴え 元TBS記者「法に触れること一切してない」(2016/6/3)
熊本地震TBSにブチ切れたおじさんの姪っ子が降臨して知られざる事情説明。「マスコミは本当に酷いのでおじさんが怒るのも無理はないんです」 |netgeek(2016/4/22)


これ抜けてるって物があったら教えてくれよな~

Permalink |記事への反応(0) | 21:36

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2017-04-08

地下鉄のあるイラン都市

Permalink |記事への反応(0) | 01:19

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2016-07-14

1-3鳥越俊太郎

1940年3月   福岡県吉井町(現うきは市)生まれ

  58年3月   久留米大附設高校

  65年3月   京都大学文学部国史学専攻)卒

     4月   毎日新聞社入社

          新潟支局大阪社会部東京社会部サンデー毎日編集部

  82年〜83年 アメリカペンシルバニア州クエーカー タウンフリープレス紙に職場留学 

           帰国後、外信部(テヘラン特派員)を経て

  88年4月   サンデー毎日編集長

  89年8月   毎日新聞社退社

  89年10月〜 テレビ朝日系列ザ・スクープキャスター

  95年10月〜 「サンデージャングル」  

2002年10月〜テレビ朝日系列ザ・スクープスペシャルキャスター

2002年10月〜2011年3月  「スーパーモーニング」(テレビ朝日系)月~木曜日コメンテーター            

2002年10月〜2005年3月  TBSラジオCUBE

2003年4月〜2005年3月  関西大学社会学部教授マスコミ専攻)

2005年4月〜2007年3月 関西大学客員教授   

2004年4月〜2005年3月 「僕らの音楽」(フジテレビ系列)   

2005年4月〜 TBSラジオ大沢悠里のゆうゆうワイド」(月曜日スーパートーク)

2008年4月~ BS朝日鳥越俊太郎医療現場!」 

【賞罰】

2001年4月  「日本記者クラブ賞」(桶川女子大生ストーカー殺人事件報道に対し)

2004年5月 ギャラクシー賞報道活動部門大賞

         (ザ・スクープスペシャル警察裏金追及第一弾、第二弾』に対して。     

著書   『あめりか記者修業』(中公文庫

     『異見ー鳥越 俊太郎ジャーナリズム日誌』(現代人文社)

     『うちのお父さんは優しい 検証金属バット殺人事件』(共著明窓出版

     『「あのくさ、こればい」』(プラネット出版

     『桶川女子大生ストーカー殺人事件』(メディアファクトリー

     『そのニュース ちょっと待った!』(PHP研究所

     『ニュース職人 「真実」をどう伝えるか』 (PHP研究所

     『報道欠陥商品と疑え』(ウエイツ)

     『歳には勝てる』(マガジンハウス

     『人間力の磨き方』(講談社新書

     『本当は知らなかった日本のこと』(ミシマ社

     『〜現代ニュス用語から読み解く〜2時間でわかる

      問題ニッポン』(主婦と生活社

     『鳥越俊太郎エンディングノート 葬送曲はショパンでよろしく』

     『 がん患者』(講談社)

趣味   ニュース、車の運転、映画最近DVD)、歌うこと、

Permalink |記事への反応(2) | 17:34

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