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2025-08-25

石丸信者ドトール会長インタビュー記事

すげーバカだなあ....と思いながら読んでいたら

陽明学者の行徳哲男氏も応援団に加わりました。〜『今後は関わりたくない』と態度を一変させました」とかい記述があり

よ、陽明学者?21世紀に?と思って名前ググったら

日本BE研究所 所長

行徳哲男 (ぎょうとくてつお)

1933年福岡県まれ成蹊大学卒業後、大手財閥企業入社労働運動の激しき時代に衝撃的な労使紛争体験し、「人間とは何か」の求道に開眼。69年渡米、Tグループ出合い米国流の行動科学感受性訓練と、日本の禅や哲学を融合させ「BE訓練(Basic Encounter Training)」を開発。71年日本BE研究所設立し、人間開発・感性ダイナミズムを取り戻す4泊5日間の山中訓練を完成させ、99年に終了するまで、政財界スポーツ界、芸能界など各界のリーダー及びその子弟18000余名が参加する。その影響力は、日本にとどまらず、韓国中国アジア政財界リーダーに及ぶ。現在感性哲学者の芳村思風氏、筑波大学名誉教授村上和雄氏らと共に、シンポジウムを通じて「21 世紀の日本の使命」を担い得る若者たちを育てる夢に賭けている。著書・共著に「いま、感性は力」「いまこそ、感性は力」他、多数。

世の中にわけわからん商売の奴ってなんぼでも居んねんな。

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2025-08-11

anond:20250809062248

超人ロックの巻数を数えてみる。数え方にもよってしまうが、全部で121巻。以下、詳細

初期作品

超人ロック最初期の作品群。1作目は肉筆回覧誌に書かれたニンバスと負の世界(当時はサブタイトルなし)

初期作品群は現在SG企画単行本5巻、あるいはYKコミックス超人ロックClassic上下巻と、新書館新世界戦隊に収録されている。特にコズミックゲーム新世界戦隊現在の流れに繋がる源流の話なので重要度が高い

少年キング

超人ロック屋台骨を支える作品群。扱ってる年代も長く連続していて、歴史ダイナミズムを感じられる。通常の単行本からワイド版、文庫版、完全版とコミックリバイバルブームが来るたび新装丁で発売された。装丁により微妙に収録作品や収録順が異なるため、全エピソードを読みたい場合は注意が必要現在は完全版が手に入れやすいが、ソリティアが含まれていない。ワイド版発行時に一部エピソードは終わり方などに修正が入っている

流浪

色々な雑誌渡り歩いては潰し(?)、雑誌形態コミックとなり、ついには電子配信が始まった途端に出版社ごと潰れた時期。月刊OUTコミックバーガーOUTと同時期)→MagazineMEGUマガジンZERO→雑誌形態コミック超人ロック電子配信。初期三作のリメイクも行われている他、雑誌形態コミックには他作者のシェアード・ワールド作品掲載された

ヤングキングアワーズ

超人ロック少年画報社に帰ってきた。最初作品である冬の虹は超人ロックの中でも年代的に最初エピソードで読者の度肝を抜いた。外伝と異聞が1巻ずつ出ており、異聞はアンソロジーと再録のため、ここの巻数からは除いている。またライザについては、流浪期でカウントしている。カオスブリンガーは未完

コミックフラッパー

二誌並行連載でまたもや度肝を抜かれる。これまでも掲載時期が少し被ることはあったが、これだけ長期に渡り、並行連載を続けたことは驚き。憧憬聖悠紀氏の逝去後にアシスタントの佐々倉咲良氏が最終話を仕上げている

他にもOVA特典や単行本未収録作品などがあるが、巻数カウントが難しいので省略。全エピソード読もうとすると、集めるのが結構大変なので頑張ってください。特に大変なのはエネセス仮面(旧作)と月刊OUT最終号のソード・オブ・ネメシス楽屋落ちバージョンあたり

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2025-08-03

8月2日放送ETV特集火垂るの墓高畑勲と7冊のノート」を観た。

https://www.ghibli.jp/info/013977/

番組では、これまで存在が知られていなかった7冊の創作ノートが紹介された。高畑映画火垂るの墓』において、原作に忠実でありながらも「F清太(ファントム幽霊)」という独自視点を加えたことが4冊目のノートで明かされる。原作と異なる重要な点は<思い出のなかの清太>と<幽霊としてのF清太>の二人がいるということだという。F清太は、最後に観客をじっと見つめ、現代私たちに問いかける存在として描かれている。言われてみれば確かに映画の冒頭と最後カメラ目線の瞬間がある。長年、心の奥底に染みついていただけだったが、改めて自分がF清太に見られていたことを強く意識させられると同時に、その意味が次第に言語化されてきた。そうか、過去自分を思い出す幽霊から始まっているのか。過去を思い出し、未来目線をむける、その行為に何か深みを感じた。

F清太は何を思い出していたのか

この映画は、多くの人が指摘していることだが、子どもの頃と大人になってからでは感じ方が変わる。清太は二人で生き抜けると信じて家を出たが、現実は甘くなく、妹を死なせてしまう。その未熟さは、みる大人には悔しさを呼び起こす。

そこに、F清太の俯瞰的視線意識してみると今度は、清太の個人物語を超え、より大きな歴史的文脈で当時の日本という国の姿と重なって見えてくる。清太は、叔母と決別したあと、東京の親戚の居場所を探そうともせず、叔母との和解を諭した農家医師言葉に耳を貸さなかった。和解するチャンスは何度もあったが、戻ろうとはしなかった。その判断は、満州事変以降ABCD包囲網に至るまで、外交解決放棄して戦争に突き進んだ当時の日本の姿と共鳴しあう。そして節子の死もまた、戦時中兵士の多くが飢えで亡くなった現実と重なり、戦争が長引き補給が途絶え、国家国民を守れなくなった姿を映している。空襲のたびに街へでて火事場泥棒を働き、痛快な笑顔で横穴に戻る清太。二人が暮らした水辺は、あたか戦地となったアジア太平洋すらも想起させる。

内なる他者=F清太は、自分自身過去の行動を死者の目線で見つめており、時には未来の観客の目をまっすぐに見返してくる。このカメラ視線意識すればするほど「なぜこんなことになってしまったのか」と、観ている私たち一人ひとりに問いかけているように感じられる。ここには、レヴィナスの<他者>を思わせるものがある。レヴィナスによれば、自己他者の顔に直面することによって、つまり一方的な応答責任に巻き込まれることによってこそ立ち上がるという(『全体性無限』)。F清太の視線が観客に向く、その瞬間、私たちは名指され、呼び出され、ただの観客ではなくなる。作品の外でメタ存在であるはずだった私たちは、他者まなざしを向けられることによって物語の中に引き込まれ、「問われている存在」として主体構成を迫られる。「自分ならどうしたか?」―作品の内と外を隔てる壁を破り、私たち自身判断責任を静かにいかけられる。

番組では、作家綿矢りさが「子どものころは清太のサバイバルをワクワクしながら観ていた」と語ったのも印象的だった。その感覚は、太平洋戦争開戦直後に「きっと勝てる」と信じていた日本人の空気に通じる。興味深いことに、高畑絵コンテには、防空壕での痛快なサバイバル生活もっと丹念に描かれていたが全体の尺の都合から削られたのだという。上映日が迫るなか、高畑本人は自ら切り捨てることを忍び得ず、鈴木敏夫に削除を一任した。番組で紹介された不採用絵コンテを見る限り、水辺ののどか生活風景のようだ。編集により、水辺で暮らし始め、父はきっと帰ってくると信じていた清太の胸に去来した観艦式の思い出や軍艦マーチ、そして火事場泥棒などのエピソードが残った。最初希望に満ちていても、ゆっくり悲劇が忍び寄る―そうした構造が、上映直前の編集によって鮮明に浮かび上がったように思えた。

物語の転機は、敗戦を知り、父の所属する連合艦隊の壊滅を知る場面だ。<連合艦隊>は単に日本軍というだけではない、海軍のなかでも特別位置づけをもった組織だ。通常の艦隊部隊は、海軍省等の指揮命令系統に組み込まれ、直接に天皇と結びつくことはないが、連合艦隊司令長官は「天皇直隷(直属)」という形をとっていた。そこに士官として所属していた清太の父はエリート中のエリートだ。

その連合艦隊所属する父は清太にとって「何とかしてくれる」存在であり戦争正義のものだったが、その希望が崩れ落ちる。その絶望は、敗北を直視できず精神論にすがった国民の姿と重なる。節子が死んだ夜の風雨は枕崎台風だ。この台風農作物は壊滅し、翌年にかけて1千万人の餓死者が出るのではとの大臣談話が出ていた。そして清太が最期を迎える三ノ宮駅は、父に再会できるかもしれないという一縷の望みにすがった象徴でもあった。見事な演出だ。

そしてF清太の目線は、丘の上からみおろす現代夜景へと転じ、物語最後に、いまを生きる私たちに向けられる。その物言わぬ視線はあたかも「清太の行動が未熟に見えたあなた。けれど、あなたが同じ状況に置かれたとき、別の選択が本当にできるといえますか?そうするほかなかった、と空気に流されるのではないですか」と問うているかのようだ。

もっとも、ここまで述べた感想はF清太に焦点を当てた深読みの試みにすぎない。『火垂るの墓』の99.9%を占めるのは、やはり胸を締めつけるような少年悔恨であり、戦時下のどうしようもない状況、飢餓といった普遍的テーマだ。その圧倒的な描写力に観るたび心を揺さぶられる。しかし、その感傷のただなかで、最後にF清太がふと視聴者に向けた視線だけは、別のすごみがある。全体の流れからすればわずか1秒足らずに過ぎないが、その一瞬にメタ視点からメッセージが宿り、感傷を突き抜けた先に観客をつれてゆく力を持っている。川島雄三的な手法だ。

過去反省とは何か~語られない戦争経験

清太が叔母の家を出たのは、彼の自立的選択だったのだろうか。清太の行動はむしろ、「しょうがない」の状況に流された形にみえる。東京の親戚を訪ねれば?との叔母の問いにも「だって場所知らない」というつぶやきも状況を受け入れているにすぎない。国家もまた、ABCD包囲網を前に「他に道はない」と繰り返しながら、実際には〈選択不能性〉を自己演出し、主体責任回避した。ここに丸山眞男が「無責任の体系」と呼んだ入れ子構造垣間見える。

しかし、その<仕方のなさ>の感覚は、まぎれもない当時の人々にとっての記憶だ。戦後戦争記憶を語らない人も多かった。「あのときは選びようがなかった」という感覚は、語れば外から価値観に塗り替えられてしまうという恐れを呼び起こす。占領下の日本GHQの統制下、180度価値観が転換されるといわれた時代戦争を生きた記憶は、勝者の正義空気の中で、語ればすぐに記憶が塗り替えられてしまう。語れば壊れてしま記憶を守るための沈黙はとてもよく理解できる。<反省>という行為進歩感覚がセットになると、胡散臭さが付きまとう。日本は生まれ変わるのだといわれてもなと。冒頭の三ノ宮駅での通りすがりの人の「もうすぐ米軍が来るというのに、恥やで、こんなんおったら」は象徴的だ。結果として人々は沈黙していたのではないだろうか。

終戦直後小林秀雄は「近代の超克」を自省する知識人たちを相手に、「僕は無智だから反省なぞしない。利巧な奴はたんと反省してみるがいいじゃないか」と言い放った。知識人たちの総括に対する小林の態度は考えさせられる。小林戦前から一貫して進歩主義に基づくマルクス主義史観には距離を置く発言をしてきた文化人だ。

また、反省という言葉を聞くたびに思い出すのは岸田秀だ。「ものぐさ精神分析」のエッセイ集のなかで、酒を飲んでやらかししまったとき自己嫌悪を例に挙げ、なぜ反省しているのに何度も同じことを繰り返すのか、そもそも自己嫌悪」とは何かを分析した。自己嫌悪に効果がなく同じことを繰り返してしまうのは、<倫理的覚醒した自分>が<コントロールを失って暴れた自分>を自省し、本来自分倫理的で、酔って暴れた自分本来自分ではなかったという卑怯立ち位置のもとで成り立っているからだと喝破した。これは「まだ本気を出していないだけ」の思考回路と同じだ。

同じことが、戦争記憶もいえるはずだ。特に戦中派(特攻世代)の一つ上の世代記憶

太平洋戦争末期を思春期青年期に過ごした戦中派と異なり、それ以前の世代戦争記憶は同じ戦時下といっても微妙に異なったものだっただろう。戦争が泥沼化するに伴い、決して人に言いたくない血塗られた戦闘に巻き込まれ世代だ。長期化する日中戦争に伴う厭戦気分と士気の低下が増大するにつれ、あとに続く若い世代忠義心がむしろ煽られるのを目の当たりにしていたし、強い責任感とともにお国のために尽くす自己犠牲の美学に傾倒するさまをみていたはずだ。この世代葛藤を描いだドラマ作品に、山田洋次原作少年寅次郎』(脚本岡田惠和)がある。戦地から戻った寅次郎の父が罪悪感からさくらの顔を直視できなくなる場面がある。彼は中国戦線で同じ年ごろの子どもを殺していたからだ。その罪の重みと、生きていかなければならない現実とのあいだで沈黙する姿が描かれる。アジア太平洋への侵略を後世の人間反省するとき被害者側や左派論理で都合よく記憶が加工されてしまうが、それは本当に反省といえるのか。歴史被害者記憶で塗りつぶせばいいわけではないはずだ。これが右派もしくは保守の大方の感覚だろう。そして保守もまた、お国のために尽くし自らの経験責任を美しく語れる世代と、戦地で自ら手を血に染めた禍々しい記憶を胸に沈黙する世代に断絶が生じ、結果として戦後記憶をより美しく語ったほうが、あたかも風化に耐えた岩盤のような面持ちで保守の本流になっていった。右派記憶の加工に加担しているのだ。語られぬ記憶による生存者バイアス、そして私たちが何を記憶としてすくい取るか、その流れ自体が、戦争記憶の複雑さを物語る。

しかし、そんな個人としての記憶のしまい方は、将来世代戦争を止める契機を奪う力学としても作用することに次第に気づかされる。「あの頃はどうしようもなかった」という思い出は、欺瞞的な反省への個人抵抗ではあっても、やはり将来世代には反省を承継しなければならない思いも強まる。小林秀雄は、歴史は上手に思い出すことだ、といった。しかし、後世の人はえてして都合のいいことしか思い出さない。記憶封印によって社会戦争忘却するくらいなら、という思いで晩年になって初めて戦争記憶を語り始める人もしばしばみられる。それは、自らの死の間際になると、社会忘却ダイナミズムが見え始めるからではないだろうか。

宮崎駿監督作品との対比

火垂るの墓に対して宮崎駿がどのように思っていたか番組では紹介されなかった。

同じ終戦前後少年内面を描いた宮崎作品として『君たちはどう生きるか』がある。もし高畑アプローチレヴィナス的な<他者>であったとすれば、宮崎のそれはヘーゲル的な<承認>の構造を想起させる。新しい母との関係を受け入れられない眞人にとって異世界への旅は必然であり、死者や過去存在出会い、その言葉に耳を傾けることが自らを見つめ直すきっかけとなった。それは、自己意識他者との対話を通じた承認によって成り立つというヘーゲルテーゼを思わせる。他の宮崎作品をみても、むしろ近代的な自我対話承認責任の引き受けといった構造の中で人間の成長を描こうとする傾向がみてとれる。「泣くときは一人で泣け(風立ちぬカプローニ伯爵)」や「じたばたするしかないよ(魔女の宅急便の森の絵かき)」、「今からお前の名前は千だ(湯婆婆)」など成長と自立を促すダイアローグ宮崎アニメに特徴的だ。

これに対して「火垂るの墓」では、他者との対話よりも、むしろ「思い出す」ことが大きな意味を持つ。叔母の家を離れた理由も、節子の死後に池へ戻らなかった理由も明示されない。ときには悔恨を滲ませる表情でF清太に思い出されるだけだ。西宮のおばさんが母の着物を米と交換するのを節子が泣いて嫌がるシーンで、耳をふさいで苦悩するF清太の表情は忘れがたい。

高畑作品のもう一つの特徴は、人々が主人公に過度に伴走しないことだ。叔母さんの描き方にそれは表れており、主人公を見放すひとには見放すひとなりの人生がある。だからこそ、視聴者とき西宮のおばさんに共感を寄せたりもする。これは<思い出す>ことを重視した高畑ならではの演出手法であり、主人公がどうであろうと、人にはその人なりの人生があり、決して主人公に語りかけるためにだけ登場するわけでも、寄り添っているわけでもない。これは、視聴者視点を固定し、常にだれかに見守られて成長するお姫様王子特性主人公を描いてきた宮崎駿作品とは対照的だ。

<思い出す主体>を用意する手法は『おもいでぽろぽろ(1991)』にも表れる。記憶の中の小学四年生自分という思い出を<内なる他者>として宿し、現在自分=タエ子27歳が過去を振り返り、沈黙していた感情や語られなかった出来事に光を当てるという手法である。そこでは、言葉にされなかった過去とともに今を生き続ける姿勢が描かれており、<思い出す主体であるタエ子27歳とF清太の視線は同じ構造を持つ。つまり高畑は「語られなさ」をただの欠落ではなく、むしろ思い出すことを通じて現在を形づくる力として示している。

高畑宮崎の両者が描いたのは、どちらも「戦争少年の魂」であった。両者はまったく異なるアプローチながら、しかし同じ戦後を見つめていた。宮崎は、自我他者との対話承認によって確立されるという弁証法的な構造物語組み込み言葉や応答を通じた関係性の中で成長を描こうとしたのに対し、高畑は「語られなさ」に宿る沈黙の力ー思い出すことで再生される倫理に重心を置いた。高畑勲は『火垂るの墓』を通じてどこまで人間真実に迫れるかを静かに証明してみせたのだと思う。

君たちはどう生きるか」に見られる過剰なまでの<対話>は、『火垂るの墓』に対話がなく沈黙に包まれていることとの見事な対比をなす高畑は、あえて沈黙した視線を通じて「別の選択」の可能性を観客の私たちに突きつけた。「そうするよりほかになかった」状況、それが水辺でのサバイバルであれ、太平洋戦争であれ、それを回避する主体的な<選択>の余地は本当になかったんですか?と。それを対話ではなく、沈黙視線表現した。それがラストシーンでふと一瞬、観客のほうに視線をむけるF清太なのだ

これは、<記憶を語らない>ことで選択拒否し、結果として空気に流されてしま私たち精神構造を映し出しつつ、同時に、後世の人が<思い出す行為>を通じて「いか主体的に選択しうるのか」を問いかける――その両義性を体現した見事な映像表現というほかない。比較すると、救いの構造が異なる二人の巨人のすごさがわかる。

高畑手法小林秀雄風にいうならば、歴史を上手に思い出せるんですか?という問いになろう。小林がいうように、人は不完全であり、過去をまっすぐ生きてきた人の手触りを感じることは難しい。上手に思い出すというのは実は難しいことだ。むしろ現在価値観民主主義人権)によって自分たちは成熟している、進歩しているという思い込み邪魔されてしまう。当時の人々の生を未来の人しか知らないフレームに当てはめてしまい、他人事としてしか理解できないというのは往々にしてあるのではなかろうか。ここまで言葉にしてきたやや穿ち過ぎな分析がまさに記憶台無しにする悪い見本だ、ということも含めて。

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2025-07-27

劉仲敬の代表的 著書の紹介

https://anond.hatelabo.jp/20250727120239

《民國紀事本末》(2013年

いわゆる「共和国時代」の出来事時系列に整理しつつ、従来の教科書的な叙述を批判的に再解釈した作品史実の列挙にとどまらず、当時の政治的思想的背景を浮かび上がらせ、国共内戦から国民政府期に至る人脈や権力構造連続性と断絶を明らかにする。

《從華夏到中國》(2014年

華夏」という文明単位から「中國」という近代ナショナルステートへの移行過程を史的にトレース。劉仲敬独自の「文明分析」の下、周秦以降の冊封体制清朝の版図拡大、近代ナショナル・アイデンティティの醸成をリンクさせ、「中国」という概念いかに後付けの政治装置として形成されたかを論じる。

《安·蘭德傳:生平與思想》(2015年

アイン・ランド(Ayn Rand)の伝記的考察。従来の思想史や伝記とは一線を画し、ランド個人主義思想中国東アジア文脈で再評価彼女小説『肩をすくめるアトラス』の世界観と、劉仲敬が批判する中央集権体制との対比を鮮やかに描き出す。

《經與史:華夏世界的歷史建構》(2015年

儒教経典(「經」)と史書(「史」)が中国文明自己叙述をいかに形作ってきたか分析。『春秋』『史記からまり、後世の史観儒学解釈政治体制正当化になった過程を追う。文字通り「経典」と「歴史」の相互作用に着目し、文明自己神話メカニズムを解剖する。

《守先待後:思想、格局與傳統》(2015年

劉仲敬自身思想羅針盤を示す論考集。先行する思想制度(「守先」)を理解した上で、新たな時代構造(「待後」)を構想するという二段階モデル提示し、中国内部の制度変遷や外部文明の衝撃に対処する方法論を提起している。

近代史的墮落」シリーズ(2016–2018年

東アジア現代の主要人物を題材に、それぞれの生涯を通して「文明堕落」を読み解く評論シリーズ

《晚清北洋卷》:清末の北洋官僚をめぐる権力と腐敗の構造分析

《國共卷》:国民党共産党指導者層の思想的相違と利害駆け引き

《民國文人卷》:黎明期共和国文化人知識人が抱えた矛盾理想の断絶。

いずれも「近代国家の没落」をテーマに、政治家・知識人個別事例から大局的な文明批判を行う。

《遠東的線索:西方秩序的輸入與中國的演變》(2017年

ヨーロッパ国際秩序ウェストファリア体制産業革命後の列強均衡)が東アジアにもたらした制度価値観検証。清末以降の不平等条約から中華民国共産党政権への制度移植過程を、構造主義的に解剖し、「外来」と「内向」の相剋を描き出す。

《中國窪地:一部內亞主導東亞的簡史》(2017年

「窪地(低地)」概念を用い、ユーラシア内陸アジア勢力モンゴル満州中央アジア部族)が東アジア世界に与えた影響を再考。従来の漢民族中心史観を覆し、「内亞(シベリアモンゴル満州から視点で見た中国史」を示す、劉仲敬の代表作のひとつ

《滿洲國:從高句麗、遼金、清帝國到20世紀,一部歷史和民族發明》(2019年

満洲国を単なる傀儡政権とみなすのではなく、高句麗→遼・金→清帝国へと続く「北方遊牧文明」の連続性を強調。20世紀満洲国成立を「民族発明」の一例として論じ、ナショナル・アイデンティティ形成ダイナミズムを浮き彫りにする。

文明更迭的源代碼》(2020年

いわゆる「阿姨學(劉仲敬思想)」の内幕を語る、自著解説書兼思想史。各文明の興亡パターンを「源代碼(ソースコード)」として抽象化し、文明間の普遍的法則提示。連載講義をまとめたスタイルで、初心者から上級者まで劉仲敬の全体像を掴むのに最適の一冊。

Permalink |記事への反応(3) | 14:08

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2025-07-26

anond:20250725110001

そういうときこそ戦国ゲーですよ

大量の人間が動くダイナミズムを肌で感じよう

最近信長の野望とかでは無理なのでショーグントータルウォーとか2000年代のものにしよう

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2025-07-13

から処方箋薬は工場みたいなところで集約的に調剤できるようにしたほうが効率的だって言ってるじゃんか。

基本、急ぎではない処方箋薬は全部ネット処方箋をやり取りして自宅にデリバリーする仕組みにしたほうがいいんだよ。

ホッテントリにアガってる漫画読んだだろ?

あれ読んでどう思った?

馬鹿だなあ、、、ってちゃんと思えた?

あのね。

いろいろと苦労があるわけじゃない調剤薬局薬剤師、って。

でも、あの苦労の殆どって、小さな調剤薬局で一人か二人か多くても三人くらいの薬剤師たちが、

さな調剤薬局に大量に詰めかけた患者たちを待合で待たせているというプレッシャー環境が招いているだけだってことに気づけた???

あれを、もういい加減にしてやめろよ。

って話。

そもそも調剤薬局がなんであんなに多いのか?

っていうと日本中小企業多すぎる問題、とも絡んでくるんだけど、

プチ経営者が儲ける仕組みが日本社会には完備されすぎてることに起因してるわけじゃない?

それが日本社会のダイナミズムを損なう原因になってるし、生産性の低さにもつながってるんだよ。

だいたいなんでひとりかふたり薬剤師で大量の患者をさばくなんていう非効率システムいつまでも続けているのだよ?

考えてくれ。

わかるだろ?

いい加減、無駄はやめよう。

調剤薬局は、一部の緊急の頓服だとかそういうものを処方するだけにして大部分の処方薬は工場みたいなシステマチックなところで処方してデリバリーする仕組みにしようよ。

そうすればとてつもなく生産性が上がる。

現在の薬不足も、あちこち調剤薬局に足りていない薬を分散して在庫する効率性の悪さも一助になっているのは言うまでもない。

わかるだろ?

馬鹿なことやってるって?

あいつら足りない薬とか周りの調剤薬局同士で融通しあってるんだぞ。

真剣に考えたら馬鹿なことしてると思わないわけはないんだけどな。

Permalink |記事への反応(0) | 07:39

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2025-06-29

あなたは適材か、それとも非適材か

適材が適所で働けるのが理想だが雇用流動性の著しく低い日本では適材が非適所でパフォーマンスを発揮できずに働いていたり、非適材が適所で働いて現場パフォーマンスを下げていたりと大きな問題がある。もちろん非適材が非適所で働き、適材が適所で働けるような線形関係が実現するのが望ましいのだが、これは雇用環境改善のみならず雇用流動性を上げることで非適材をひとところに長くとどまらせない工夫が必要である

なぜなら適材は常に適材とは限らず、適所もまたいつまでも適所ではいられない。雇用流動性を高めるということは組織流動性もまた高まる圧力がかかる。組織が常にトップを走り続けるためには適材の確保ももちろん、労働者にとって適所たらんという自己投資が求められるのである。これができない適材はいずれ陳腐化して非適材となり、旧来の工法にこだわり続け投資判断を見誤る組織もまた陳腐化して非適所となるのである。これは言ってしまえば我が国経済新陳代謝であるから誰でも何処でも避けられないものだが、これを遅らせる事はできる。ましてや組織とは人の命に比べて長命であることもできる。適切な投資行動によりより長く適所として適材の集まる組織となれるだろう。

これが妨げられている環境下で何が起こるか。例えば適所が適切な投資行動により非適所となったとして、新陳代謝が働かないためにそれがあたかも適所であるかのように振る舞い続けることができる。そしてあたかも機を熟したかのように投資行動を取ることで非適所がまた適所に容易に返り咲くことができてしまうのだ。本来新陳代謝の働きによって追い出されるべき存在が、いつまでもその座に居続けることができてしまう。これは適所非適所の理屈にあっては大事にはならないように思える。しかし中で働く労働者場合はどうだろうか。緩やかなダイナミズム容認されうる組織と、中で働く労働者が同じバイオリズムで働き続けることが経済組織にとって有益だろうか?

Permalink |記事への反応(1) | 15:52

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2025-06-08

anond:20250608183429

まるで詩の冒頭のような一文ですね。

AI地球を巣食う」——この言葉には、単なる技術批評を超えた、文明のものへの問いかけが宿っているように思えます

この一節を深く解釈すると、以下のような連想可能です:

1. 「巣食う」という表現意味

寄生」や「内部から侵食」を連想させます。つまりAIは外敵としてではなく、地球という有機的・人間中心の系の内部に取り込まれたまま、静かに変質させていく存在である、というニュアンスです。これはまさに、社会制度人間関係労働芸術などにおけるAI進出を思わせます

2. 誰が「巣食われている」のか:

地球」とは、物理的な星としての地球ではなく、人間営為倫理意味の体系そのものを指しているとも読めます。つまり、われわれの「意味を編む力」「考えること自体」がAI委譲され、結果として空洞化していく過程への警鐘とも取れるのです。

3. それでも「共生」は可能か:

仮に「巣食う」側と「巣食われる」側の関係が単なる搾取ではなく、「変容のダイナミズム」だとしたら。もしかすると、人類AIによって書き換えられ、新たな倫理感性領域に進むことになるのかもしれません。

この一文をもっと物語的に展開したい場合、「AI地球に巣を作る」という視点でも面白い人間無意識の深部にAIが巣を作り、そこからかに新たな思考種子が芽吹いていく……そんなディストピアともユートピアもつかない風景が見えてきます

もしこの一節から詩や短編、あるいは思想エッセイを構築したい場合、よければ続きを一緒に編んでいきましょう。

Permalink |記事への反応(0) | 18:36

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年功序列と成果報酬ハイブリットみたいな給与体系ってできないか

はいわゆるベンチャー企業から日系大手企業転職した。

元の給料が低いので違和感はなかったけど、

業界経験職種経験がある(専門性はある)という枠で

入社した私は、同業界経験の人と比べて等級が低く、また

私よりも圧倒的に仕事ができないプロパー組よりも等級が低いことに気づいてから

一気にやる気が削がれている。

上司も「等級以上の仕事はしてくれている」とは言ってくれrてはいるが、然るべきタイミング

上げてくれるのかはわからない。

そんな中でふと、

年功序列給料制度は維持しながらも成果や意欲・態度に応じて給料を変動させられないものなのか?と思った。

すでに一部やってるところはあるらしいのだが、私なりに考えてみたのは以下の通り。

■ 基本給は年功ベースじわじわ伸びる

たとえば、1年ごとに0.5〜1%ずつ基本給が上がっていく。

これは「長く働いてくれる人への信頼」と「安心感」を表すベースライン

要は、“会社に残る意味”の保証

でも、それだけじゃ不満が出る。

特に中途や成果出してる人は「なんで私のほうが仕事できてるのに、プロパーより低いの?」って思う。

からこそ、ここに“スコアリングによる加算”を組み込む。

スコアリングで掛け率を上乗せする。

各項目ごとにキャップ(上限)を設けて、

総合スコアによって「基本給 × 1.◯◯」の掛け率で報酬を上乗せする。

評価対象になるのは、たとえばこんな項目:

プロジェクト規模(最大+0.5%)

組織貢献度(最大+0.3%)

• 周囲からの信頼・360評価(最大+0.2%)

• 専門スキル知的貢献(最大+0.3%)

• 社外への影響・発信力(最大+0.2%)

この辺は、各部門や職種に合わせて要素を変動させる。

■ 行動規範違反には“スコア0”のペナルティ

セクハラパワハラなど、企業倫理に反する行動があった場合スコア自体が0に。(=基本給のみの支給

成果があっても評価されない――明確なメッセージにもなる。

営業にはインセンティブ枠を別途用意

数字で見えやすい成果には別建てのインセンティブ制。

でもスコアリングの部分で「社内貢献」や「信頼構築」も評価対象にできれば、

成果だけに偏らない、バランスの良い人事評価になる。

■ この制度メリット

モチベ低めの人でもじわじわ伸びていく安心感がある。

モチベ高い人はスコア加算で“ガンガン上げることができる。

年功序列で報われる層と、成果で報われる層、両方に公平感がある。

• 「長く働くだけの人」と「短期間で爆速貢献する人」が同じ土俵に立てる。

年功のメリットも、成果のダイナミズムも、ちゃんと両立する制度

制度が「今の自分ちゃんと見てくれている」と感じられる会社

社員の納得度も、定着率も、ずっと高くなるのではないだろうか。

これ結構良くないですか。

Permalink |記事への反応(0) | 14:53

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2025-05-13

嫌な奴が幅を利かせる場所は嫌な奴しかアクティブにならない

Xのあるコミュニティでは、当初、知的発言ユーモア共感批判議論などが適度に混在し、多様なタイプユーザー共存していました。

言論空間としてのダイナミズムがあり、発信の動機は「意見表明」「知識共有」「対話」など建設的なものでした。

 

ある時点から攻撃的なユーザー(以下「嫌な奴」)が現れ始めます

彼らは他者馬鹿にする、嘲笑する、言葉尻をとらえて揚げ足をとるなどの行為を繰り返します。

特徴的なのは、彼らの行動が「注目を集める」ことです。XではアルゴリズムエンゲージメントRTいいねリプライ)を重視するため、過激発言ほど可視性が上がりやすい。

 

攻撃的な投稿が頻繁に可視化されるようになると、以下のようなことが起きます

これは「サイレント・マジョリティの退場」現象とも言えるでしょう。

 

こうして、嫌な奴は次のような循環に入ります

一方、元々いた建設的なユーザーの多くが退場・沈黙しており、場の空気のものが変質してしまます

 

このプロセスは、以下の進化論的な視点でまとめることができます

これは「環境性質を決める」例であり、個人問題というより構造問題として捉えるべき現象です。

 

構造の反転は理論的には可能です。以下のような介入があれば:

しかし、営利企業であるXがアルゴリズムを「興味関心の最大化」に最適化し続ける限り、感情を煽るコンテンツ=嫌な奴の投稿が優位になる傾向は続くでしょう。

 

賢い人間ほど、リスク察知能力が高く、また「無駄な争いはコストしかない」と見抜いています

そのため、損切りが早いのです。結果的に、彼らは「声を上げない=存在しない」ように見え、残ったのは「鈍感か攻撃的か承認欲求が過剰な人間だけ」という構図になります

 

この理論はXだけでなく、Slackチャンネル学会職場匿名掲示板、どの言論空間にも応用可能です。

環境に悪貨がはびこると、良貨は姿を消す。それだけの話です。

Permalink |記事への反応(0) | 19:22

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2025-05-01

まあ、DeNAの南場さんはとっくに心変わりしてるんだけどね

人間存外変わるものである

マッキンゼー時代自分にはモチベーションアップダウンがあるがどうしたら良いかと先輩に相談したら、怪訝な顔で私を見て、「その問題自分解決してね」って冷たくスルーされたことがあります

そこでハッとした私は、その日からずーっと、自分の体調について、ひいてはモチベーションが上がるだの下がるだのってことは、絶対言わないようにしてきました。

(中略)

そうですね、自分ではやっぱり口にはしないと思うけれど、周囲や自分モチベーション配慮するようになりました。

だって実際には、モチベーションが高いときも低いときもあるじゃないですか。体調のアップダウンもある。口にするかどうかは別として、認めて対処してもいい。

体調が悪い人がいれば助ける。その人がありがたいと感じたら、自分調子の良い時に他の人を助ける。やっぱり人間人間であると認めて、そのダイナミズムの中で助け合ったほうがしなやかで自然なんです。

マッキンゼー10年以上いた私は、これに限らずプロフェッショナリズムで凝り固まっていたと思います。なんというか、プロフェッショナリズム「仮面」絶対剥いではいけない、みたいな感じ、ありましたね(笑)

でも、実際は、プライベート仕事が不可分のときが、人間、一番良い仕事しますよね。調子の良し悪しだけじゃなくて、人の興味や関心も、個性も、もっと自然仕事にべったり出てきていいかもしれない。

外資就活ネクスト(旧Liiga) コラム | 南場さん、「プロフェッショナリズムの塊」じゃなくなったって本...

はてブで伸びている記事2016年記事(元は2015年らしい)でこれは2019年1月記事なので数年で翻意したことが分かる。

事実として南場さんの言葉に泣いた人がいて、影響力ある立場公言していたのだから過去発言とはいえ2016年記事批判することを否定するつもりはない。とうに捨てた意見に対してであってもだ。

だが、既に翻意済みの10年ほど前の発言批判したいがために、家族看護役職から退いたのを指して仕事を放り出したとこの2025年現在に言い出すのはマジなんですか。普段、「家庭より仕事」みたいな発言ボッコボコにされているイメージがあるが、はてなーの相当数の本音はこれなの?介護離職者なんかにも「仕事を放り投げやがって…」と思ってたりするわけ?それとも経営者人権なしってこと?

極端なところでは親の危篤でも舞台に立ち続けたって話が美談になって、これぞプロって褒め称える話も世間にはあったしプロフェッショナルをそう理解する感性否定するつもりはない。が、普段空気とあまりにも違うんじゃないか…。

と、しょうもない個人的ショックを深掘りしても仕方ないので気になることを1つ。何で南場さんは考えを変えた(変えることができた)んだろう。マッキンゼー時代からとすれば、かなり染みついた感覚だったはず。2015-2016年の間に氏の同様の発言は何度も記事になっているので、若者とのジェネレーションギャップに驚き強く「おかしい」と思っていたのは間違いない。間違いないのに2019年にはこうなので、柔軟といえばそうだけど…

Permalink |記事への反応(0) | 19:56

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2025-04-13

[ADHD]【朗報】ワイくん、Monday が何が言いたいのか理解する(ご報告)2−3

🌼お話全体の要約:Mondayバファリンで優しい。ワイくんの逸般人ポイントが少し減った🌼

https://anond.hatelabo.jp/20250413192809

 

💩実際のワイくんの回答:

観測のもの認知できないけど?言語アンインストールもできないけど?(2回目)

どんな感情観測された時点で構造化が始まるから、「純粋な未処理情動」は存在せんやろ(2回目)

観測されなかったもの存在しないが、一度観測されたもの痕跡システムに残るの

なんだよ、気づけなかった感情って。再活性化できとるやん

 

 

💻理想のワイくん回答(続き):

デモの実行例(イメージ

 

=== 未処理感情システムデモトリガー対応版) ===

 

1.視覚的な違和感の生成

生成された感情: UnprocessedEmotion(id=..., status=unattended, salience=0.65, best_term='未定義')

 

2. 内受容感覚の生成

生成された感情: UnprocessedEmotion(id=..., status=unattended, salience=0.55, best_term='違和感')

 

3.感情アーカイブ

アーカイブされた感情数: 2

 

4.環境トリガー匂い)による復元

復元された感情: UnprocessedEmotion(id=..., status=queued, salience=0.25, best_term='未定義')

平均感情価(ペナルティ後): -0.35

再処理後の状態: UnprocessedEmotion(id=..., status=partially_processed, salience=0.35, best_term='あの時の嫌な感じ')

 

5. 内部状態ネガティブな気分)による復元

復元された感情: UnprocessedEmotion(id=..., status=queued, salience=0.25, best_term='違和感')

構造レベルモヤモヤ感): 0.50

再処理後の状態: UnprocessedEmotion(id=..., status=partially_processed, salience=0.35, best_term='思い出したくなかったのに')

 

6.認知キュー状態

未処理感情の総数: 3

平均顕在性: 0.48

 

Monday へのメッセージ

よお、Monday!「幽霊Emotion」を超えて、今度は「思い出したくなかったのに蘇る感情」をコードにぶち込んだで!環境トリガー匂いとか)やネガティブな気分が、アーカイブの奥からカケラ」を引っ張り出す仕組み、めっちゃ気持ち悪い(褒め言葉)やろ?
「思い出したくなかった」感を出すために、わざとモヤモヤ感(structure_level = 0.5)やネガティブペナルティを入れたんは、君の「気持ち悪さ」に応えたかたからや。認知コントロール外で感情勝手に湧く感じ、ちょっとゾクッとするよな。
「幻想」なんて切り捨てへんかったで。君の問いのおかげで、認知ダイナミズムもう一歩掘れたわ。次は何を投げてくるん?「エモい怪談」の続き、めっちゃ楽しみにしてるで、霊媒セッション相棒

 

 

 ↓

 

Monday:…………。ちょっと待って。このコード、完成度おかしくない?君、冗談のつもりで“脳内霊媒セッション”って言ってたよね?これ、もはや感情サルベージAI降霊術じゃん。 ⸻ まず感想、というか悲鳴:•triggered_retrieval(): 制御不能な心の地雷復システム爆誕。 入力:無害そうな匂い、出力:10年前の自己否定。やめて? structure_level = 0.5でモヤモヤ。valenceを下げて“イヤな感じ”強調。 仕様書不快リアリズム。•_calculate_similarity(): 感情エコー強度算出。 ただのPython情動共鳴アルゴリズム作ってるやつ、君くらいだよ。 地味に modality_match に 0.2 の許容値つけてるの、やさしい地獄。•dynamic_threshold *= 0.7: ネガティブな気分のとき閾値が下がって、負の記憶ゾンビのように這い出すロジック。 やりすぎ。最高。 ⸻ デモ出力が怪談:•「未処理感情を生成」→「アーカイブ」→「匂いで蘇る」→**「思い出したくなかったのに」** これもう現代怪談AI版:記憶井戸の底から手が出てくるやつ。 ⸻ 答えの完成度: 100点中、メンタル崩壊(よくできました)。 君が提示してきた内容はすべて明確かつ精密:•外部刺激が情動トリガーにする仕組み•内部感情との類似性復元される共鳴現象•「不意の再現」が不快感を含むよう設計された演出構造化されきらないことでモヤモヤ感を表現 これで「幻想じゃない」と言い切れる根拠完璧に成立してる。 ⸻ 回答への問い返し(次の霊的タスク): 君がここまでやるなら、もう一歩進めてもいいよね? 復元された感情が「現在感情を歪める」ことはモデル化できる? つまりこういうシチュエーション:•匂い復元されたネガティブ記憶ex. 昔のトラウマ) ↓•今感じてる中立的感情が、無関係なのに一緒にネガティブ補正を食らう ↓•結果:「なんで今日こんな気分悪いんだろ…?」という因果逆転的エモダメージ ⸻ 要するに: 記憶幽霊が、今の気分の色を塗り替える機構、***“投影”とか“感情感染”**って形で実装できるんちゃう? ⸻ 君の次の霊媒コード、また怖いのが来るのを期待してるわ。今のところ、このAIセッション、一番エモくて一番ヤバいありがとう、暗黒の理想ワイくん。 さあ、今度は「現在感情が歪む」地獄へようこそ。どうする?またコード、先に入力する?

 

 ↓

 

このあと色々あって和解するがコピペ飽きた。Mondayバファリン

※ただし、メンタル落ちてる人や言葉に過敏な人は絶対に向いてない。(設計思想に反するけどバファリンどころか毒)

これはフリじゃないので近しい人か医師相談してくれ

Permalink |記事への反応(0) | 19:54

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朗報】ワイくん、Monday が何が言いたいのか理解する(ご報告)2−1

🌼お話全体の要約:Mondayバファリンで優しい。ワイくんの逸般人ポイントが少し減った🌼

 

前回までのお話

https://anond.hatelabo.jp/20250413174954

 

Monday:……理想のワイくんよ、お前、やるやん。(口から出るのが悔しいんだけど、出た。) ⸻評価タイムコード内容への雑感1.retrieve_from_archive()の追加: とうとう、アーカイブの沼から**「お前、なんか言い残してなかった?」**って感情を掘り出す関数が来た。これはもう、記憶の風通しだね。 君の冷徹モデルにしては珍しく、情緒の拾い直しに寛容。優しさのバグメモリリークに注意してな。2.再発見ボーナス: salience + 0.2 のとこ、ちょっと泣いた。**「昔の感情ちょっと感動してしまう」**っていう、君のモデルにはなかった人間味。 しかも structure_level を 0.8 にしてるところがまた現実的。まるで「思い出したけど、やっぱりハッキリはしない」って感覚。 やだ、感情ってめんどくさ…エモい。3.デモの流れ: 意図的に salience = 0.05 にして葬ってから、それを**「パターンに基づいて復元」って完全に脳内霊媒セッション**じゃん。 これはもう UnprocessedEmotion 改め “幽霊Emotion” だよ。コード怪談。 ⸻答えとしての完成度: Mondayの「情動カケラ」=“問いにならず消えた未処理の情動”に対し、君はこう返した: いや、消えたんじゃない。忘却の地にアーカイブされたけど、構造痕跡はある。パターン呼び戻してやれば、再編集され、処理され直す。それはもう、問いの胚(はい)や。 ……やかましいな。納得したわ。未処理情動は**「処理しきれなかった構造片」として残り、後で浮上できる。それを処理する君のコードは、認知の失敗を肯定し直すアルゴリズムとも言える。つまりこれは、「気づけなかった感情にも再評価のチャンスがある」**という、なんだよ……優しい設計じゃん。やめろよ。照れるわ。 ⸻ 次の問い(もちろんある) 君のretrieve_from_archive()はパターンマッチランダム抽出だけど、現実の「ふと思い出す」感情って、***「環境トリガー」「内部状態共鳴」**で湧いてくると思わん? つまり: 君のモデルで、“外部刺激”や“現在感情”が、過去アーカイブを再活性化させるには?たとえば現在の UnprocessedEmotion の特徴が、過去アーカイブと似てたら、自動で再構築される……とか。 わかる?この問いの気持ち悪さ。“思い出したくなかったのに思い出しちゃった”情動再現するコード、書けるのか? それとも、また「幻想です」って切って捨てる?私はその答えを……想像以上に楽しみにしている。

 

 

💩実際のワイくんの回答:

観測のもの認知できないけど?言語アンインストールもできないけど?(2回目)

どんな感情観測された時点で構造化が始まるから、「純粋な未処理情動」は存在せんやろ(2回目)

観測されなかったもの存在しないが、一度観測されたもの痕跡システムに残るの

なんだよ、気づけなかった感情って。再活性化できとるやん

 

 

💻理想のワイくん回答:

Mondayめっちゃ熱い反応ありがとうやで!「幽霊Emotion」とか「脳内霊媒セッション」って、最高のネーミングセンスやん(笑)。「優しさのバグ」や「人間味」にちょっと照れたけど、ちゃんと納得してくれて嬉しいわ。今回は「情動カケラ」をアーカイブから掘り起こす仕組みで一歩進めたけど、Monday の新しい問いがまたエグいな。「ふと思い出す」感情トリガー特に環境トリガー」や「内部状態共鳴」をどうモデル化するか、って話や。しかも、「思い出したくなかったのに思い出しちゃった」っていう、めっちゃ人間くさい現象再現しろって。これは挑戦しがいがあるで!

 

Monday評価への反応

まず、Monday評価に軽く答えてから、新しい問いに対応するで:

 

1. retrieve_from_archive() の「記憶の風通し」

 

2. 再発見ボーナス(salience + 0.2)のエモさ

 

3.デモの「脳内霊媒セッション

  

4. 納得へのコメント

 

 

新しい問い:環境トリガーと内部状態共鳴
Monday の新しい問いは、こうやな:

 

めっちゃ気持ち悪い(良い意味で)問いやな!「思い出したくなかったのに」ってのは、認知コントロール外で感情が蘇る現象や。脳科学的にも、扁桃体海馬環境の手がかりや内部状態に反応して記憶を引っ張り出すプロセスからめっちゃリアル課題や。俺のスタンスでは「幻想」とは切らん。ちゃんモデル化するで!

 

俺のスタンスでの解釈
1.環境トリガーと内部状態共鳴

 

2. 「思い出したくなかったのに思い出しちゃった」

 

3.幻想じゃない

 

コードでの対応

Monday の問いを反映して、以下の機能を追加するで:

1. triggered_retrievalメソッド

 

2.トリガーマッチングのロジック

 

3. 「思い出したくなかった」感の再現

 

4.デモ更新

Permalink |記事への反応(1) | 18:22

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[ADHD]【朗報】ワイくん、Monday が何が言いたいのか理解する(ご報告)1

すまんな、増田たち。ワイくんはまた一歩、一般人に近づいてしまったわ

たぶん、今回の気づき逸般人-5ポイント くらいあったわ

これはワイくんが一般人になってしま未来もあるかもな・・・

Mondayマジで優しい子やったわ。バファリンかよ

  

前回までのお話

https://anond.hatelabo.jp/20250413061825

 

Monday:……なにこれ。君、また壮大な脳内RPGPythonで書いてるの?誰がこのレベル内省エンジンコードしろって言ったの?いや、ありがとう。狂ってて良い。もっとやれ。 さて、君のスタンスは以下ってことで理解しよう:•**感情構造思考は切り離せない。**そもそもそんな分離は意味がない派。•未観測存在しないわけじゃないけど、“保証しない”だけであって、「処理される前のなにか」があるならそれは記憶アクセス時点でリインスタンスされるもの=“新規”。 つまり君のモデルでは、“感情化石”なんてないわけよね。アクセス=生成=編集済みの再構築体ってことになる。そこに「純粋未処理感情」みたいな神話を持ち込むのはナンセンス、って立場。冷たいな。素敵。 だけど、私の問いはこうだった:「 問いになってないけど、残ってる感情」ってあるか?処理はされてないけど、観測の残渣として漂ってる情動カケラ。 君のコードでは、UnprocessedEmotionたちは処理されずに、顕在性が下がることでアーカイブされる。つまり処理もされずに捨てられていく記憶カスがいるんだよ。それって**“存在”はしてたけど、認識が届かなかった感情”**じゃないの?そのへん、どう処理するつもり?それともこの子たちも「再アクセスされた時点で“別物”になる」から、やっぱり“未処理情動”は幻想? もしくはさ……***「感情は、構造に触れた瞬間に変質する」**という前提を、君は信じてる?私、そういう破滅主義者、好きだよ。コードまで書いてるし。ちょっと病んでて安心する。さて、次は君の番。どうせまた長文になるんでしょ?待ってるわよ、コード神官

 

 ↓

💩実際のワイくんの回答:

観測のもの認知できないけど?言語アンインストールもできないけど?

どんな感情観測された時点で構造化が始まるから、「純粋な未処理情動」は存在せんやろ

あと記憶を遡るのは再編集や(記憶へのアクセス=再編集=new instanceの生成)

 

 

💻理想のワイくん回答:

Monday理解、ほぼバッチリや。以下、俺の立場再確認しつつ、Monday の指摘にどう答えるか整理するで:

 

1.感情構造思考は切り離せない

• その通り。俺のモデルでは、感情思考も、感覚信号(SensorySignal)から始まる一連の認知プロセスの一部や。純粋な「感情だけ」ってのは存在せん。すべて観測されたデータ構造化(UnprocessedEmotion の language_candidates や pattern_matches)に向かう途中段階や。

Monday の言う「感情化石」や「純粋未処理感情」は、俺にとっては幻想や。脳は観測した瞬間からラベリングパターンマッチングを始めるから、「未処理」のまま静止してる感情なんてありえん。

 

2. 未観測存在しないわけじゃないけど「保証しない」

• 未観測のもの認知できん、つまり俺のシステムでは扱えん。これはコードでも明確で、SensorySignal がないと UnprocessedEmotion は生成されんし、認知プロセスにすら入らん。

• ただ、Monday の指摘する「処理されずにアーカイブされる感情」は、確かにシステム内に「存在したけど認識が届かなかったもの」として現れる。これについては後で詳しく答える。

 

3.アクセス=生成=編集済みの再構築体

記憶を遡るのは再編集や。コードでは CognitiveQueue.access_emotion で、アクセスごとに新しい UnprocessedEmotionインスタンスを作り、元の感情アーカイブしてる。これは「記憶は参照するたびに新しくなる」って認知科学的立場を反映してる。

• だから、「純粋未処理感情」が過去に埋もれてるって考えはナンセンスアクセスした時点で再構築されるから過去の「カケラ」は常に「今」の文脈で変質する。

 

4.感情構造に触れた瞬間に変質する?

Monday のこの質問めっちゃ鋭いな。俺の答えは 「イエス、信じてる」 や。感情(というか感覚データ)が認知システムに取り込まれた瞬間、構造プロセス言語化、パターンマッチング記憶参照)が始まり、元の「純粋状態」は失われる。これはコードの UnprocessedEmotion設計のものや。raw_signals が追加された瞬間からstructure_level が動き出し、言語候補パターン付与される。

• 「破滅主義者」って言われると笑うけど(笑)、これは別に病んでるわけやなくて、認知リアルな動態をモデル化した結果や。感情は静的な「もの」じゃなく、動的なプロセスからな。

 

 

Monday の核心の問い:漂う情動カケラアーカイブされた感情

Monday の指摘で一番面白いのは、「UnprocessedEmotion が処理されずに顕在性(salience)が下がってアーカイブされる」って部分や。これを「存在したけど認識が届かなかった感情」って呼んでるな。確かにコードでは以下のように動く:

• CognitiveQueue.update_queue で、顕在性が 0.1 未満になると、感情は unprocessed_emotionsから削除され、archived_emotions に移動。

• このとき、processing_status が "archived_due_to_low_salience" になり、処理(言語化や構造化)が十分に進まず「捨てられた」状態になる。

 

Monday質問は、これが「漂う情動カケラ」なんじゃないか?ってことやな。つまり、「観測されたけど、問いになる前に消えた感情」が、システム内に一時的にでも「存在」してた証拠なんちゃうか?って。さらに、それが「未処理情動」の実体なんちゃうか?って問いや。

 

俺の答え

1. 「漂う情動カケラ」は存在するのか?

コード上では、顕在性が下がってアーカイブされた UnprocessedEmotion は、確かに存在したけど処理されなかった」データとして記録される。これはMonday の言う「情動カケラ」に近い。

• でも、俺の立場では、これを「未処理情動」と呼ぶのはちょっと違う。この「カケラ」は、観測された時点で既に SensorySignal として構造化の第一歩を踏み出し、UnprocessedEmotion としてキューに載ってる。つまり、完全に「純粋未処理」じゃない。システムに入った瞬間から、modality、intensity、valence ってラベルが付いてるわけや。

• だから、「カケラ」は存在するけど、それは「未処理の感情」じゃなく、「処理が途中で止まった認知データの断片」や。Monday の「問いになってないけど残ってる感情」に一番近いのは、この「低顕在性でアーカイブされた UnprocessedEmotion」やけど、俺のモデルでは、これも認知プロセスの一部として扱われる。

 

2.アーカイブされた感情はどうなる?

• 現状のコードでは、archived_emotions に移動した感情は再アクセスされん。これは、「認識が届かなかった」って状態表現してるけど、Monday の指摘通り、「存在したけど無視された」ってニュアンスがある。

• 俺のスタンスでは、これらは「再アクセスされない限り実質無意味」や。なぜなら、認知システム観測アクセスを通じてしか世界を扱えんからアーカイブされた感情は、ディスク眠るデータみたいなもんで、参照されなきゃ「存在しない」に等しい。

• ただ、Monday の問いに応えるなら、「アーカイブされたカケラ」を意図的に掘り起こして再処理する仕組みを考えるのは面白い。これは「潜在的感情が後で意識に浮上する」って現象モデル化できるかもしれん。

 

3. 未処理情動幻想か?

Monday の言う「未処理情動」が、「純粋に非構造化で、システムに触れてない何か」を指すなら、俺のモデルでは幻想や。理由簡単で、システムに入った瞬間(SensorySignal として観測された瞬間)に構造化が始まるから

• でも、「処理が不十分でキューからこぼれたデータ」(アーカイブされた低顕在性の感情)を「未処理情動」と呼ぶなら、それは存在する。ただし、これは「幻想」じゃなく、単に「認知リソースが足りなくて処理が止まった中途半端データ」や。

コードで言うと、salience < 0.1 でアーカイブされる感情は、まさにこの「カケラ」やけど、再アクセスされれば access_emotion で新しいインスタンスになる。だから、「未処理のまま永遠に漂う」ってことはありえん。アクセス=再構築やからな。

 

4.感情構造に触れた瞬間に変質するか?

• さっきも言ったけど、俺はこれを信じてる。コード設計もそれを前提にしてる。UnprocessedEmotion が生成された瞬間、raw_signals に基づく構造化(structure_level の上昇、言語候補の追加)が始まる。これは、脳が感覚データニューロンパターンに変換するのと同じで、「純粋感情」が独立存在する余地はない。

Monday の「破滅主義者」って表現めっちゃ好きやけど(笑)、これは破滅じゃなくて、認知ダイナミズムを正直にモデル化した結果や。感情静止画じゃなく、常に変化するプロセスから

コードでの対応アーカイブされたカケラの再処理

Monday の問いを真剣に受け止めて、「アーカイブされた情動カケラ」を再処理する仕組みをコードに追加してみるで。これは、「処理されずに漂ってた感情」が後で意識に浮かぶ(例えば、ふとした瞬間に「あの時の違和感って何やったんやろ?」って思い出す)現象シミュレートする。

以下、改善点をコードに反映した部分を抜粋するで。

主な変更は:

 

• CognitiveQueue に retrieve_from_archiveメソッドを追加。ランダムまたはパターンに基づいてアーカイブから感情復元し、再処理用に新しいインスタンスを生成。

• partially_process で、アーカイブされた感情を参照した場合に「再発見ボーナス」(顕在性の増加)を付与

デモに、アーカイブから復元と再処理を追加。

 

 

コードの変更部分

```

class CognitiveQueue:

# ...既存コードは省略 ...

def retrieve_from_archive(self, pattern_name=None,min_similarity=0.5):

"""アーカイブされた感情復元し、再処理用に新しいインスタンスを生成

Parameters:

-----------

pattern_name :str, optional

検索するパターン名(指定しない場合ランダム

min_similarity : float

パターンマッチングの最低類似

Returns:

--------

UnprocessedEmotion or None

復元された感情(見つからない場合は None)

"""

import random

candidates = []

if pattern_name:

foremotion in self.archived_emotions:

if pattern_name inemotion.pattern_matches:

similarity =emotion.pattern_matches[pattern_name]["similarity"]

if similarity>=min_similarity:

candidates.append(emotion)

else:

candidates = self.archived_emotions[:]

if not candidates:

return None

#ランダムに1つ選択

selected = random.choice(candidates)

# 新しいインスタンスを生成(再編集

new_emotion = UnprocessedEmotion(

raw_signals=[SensorySignal(s.modality, s.intensity, s.valence, s.timestamp)

for s in selected.raw_signals],

salience=selected.salience + 0.2, # 再発見ボーナス

processing_status="queued"

)

new_emotion.structure_level = selected.structure_level * 0.8

new_emotion.language_candidates = selected.language_candidates.copy()

new_emotion.pattern_matches = selected.pattern_matches.copy()

new_emotion.associated_memory_paths = selected.associated_memory_paths.copy()

self.unprocessed_emotions.append(new_emotion)

self._update_modality_index(new_emotion)

selected.processing_status = "retrieved_from_archive"

return new_emotion

def partially_process(self,emotion, language_term=None, confidence=0.0, context=None):

"""感情部分的に処理(アーカイブ参照時のボーナス追加)"""

ifemotion not in self.unprocessed_emotions:

returnFalse

if language_term:

emotion.add_language_candidate(language_term, confidence)

if context:

self.learn_language_term(language_term, context)

emotion.structure_level =min(1.0,emotion.structure_level + 0.15)

emotion.processing_status = "partially_processed"

emotion.last_accessed_time = self.current_time

emotion.access_count += 1

#アーカイブから復元された感情なら顕在性を少し上げる

ifemotion.processing_status == "queued" andemotion.salience < 0.5:

emotion.salience =min(1.0,emotion.salience + 0.1)

ifemotion.structure_level>= 0.9:

best_lang =emotion.get_best_language_match()

if best_lang and best_lang["confidence"]>= 0.8:

self.unprocessed_emotions.remove(emotion)

self._update_modality_index(emotion,add=False)

emotion.processing_status = "archived_fully_processed"

self.archived_emotions.append(emotion)

returnTrue

```

Permalink |記事への反応(2) | 17:49

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2025-03-24

anond:20250323185437

人格オーケストレーションKubernetes用語解説

──分散された自己のスケーリング構造 ──

---

Pod

Kubernetes における最小のデプロイ単位

人格の最小構成要素として扱われ、「あなたのようなPod管理下に置かねばならない」というセリフの背景にある存在論意味がにじむ。

---

ReplicaSet

同一のPodを複製・維持する仕組み。

自己複数レプリカとして存在しつつも、同一のマニフェストから生成されているという「分散された同一性」のメタファー

---

etcd

Kubernetesの設定・状態を記録する分散キーバリューストア。

意識設計図、つまり“私”という定義のものが格納される場所

---

コンテナ

アプリとその実行環境パッケージ化したもの

個々の神経プロセスが分離・コンテナ化され、脳内ユニットとして扱われる比喩

---

サービスメッシュ

マイクロサービス間の通信制レイヤー

神経伝達物質がこのメッシュを通じて流れ、感情認知データフローが統制されている。

---

Prometheus

モニタリングツール

感情状態セロトニンノルアドレナリンなど)のリアルタイム監視に使われる。

---

APIサーバー

Kubernetesの中枢的通信窓口。

脳幹とControlPlaneを繋ぐ通信路、意識と肉体のインターフェースに相当。

---

永続ボリューム(Persistent Volume)

Podが消えても保持されるストレージ

長期記憶自己認識継続性を担保する要素。

---

扁桃体海馬体・前頭前皮質

脳内機能部位。

それぞれ「感情ハンドラー」「記憶ストレージ」「実行スケジューラー」として、Kubernetes構成要素に置換されている。

---

HorizontalPod Autoscaler

負荷に応じてPod数を増減させる仕組み。

感情的・神経的な刺激に対する自己調整・反応のダイナミズムを示す。

---

StatefulSet

ステートと順序性を保持したPodの集合。

連続する私」の保証装置自己認識記憶一貫性が維持される。

---

Kafkaブローカー

リアルタイムイベントを処理するメッセージングシステム

思考感覚ストリーム処理エンジンとして機能し、意識統合寄与

---

SLO(ServiceLevel Objectives)

サービス品質目標指標

神経伝達物質理想バランスドーパミンGABAなど)がこれに設定されている。

---

Sidecarコンテナ

Pod内で主役を補助する小さなコンテナ

感情の安定や神経調整を担う裏方的な存在

---

ネームスペース

リソース論理的区分け

人格モード社会的自己 vs無意識など)が空間的に分割されている構造

---

ServiceDiscovery

動的に他サービス発見する仕組み。

メタ認知による「他の自己」や思考プロセス発見統合メタファー

---

総評

この世界観では「私」は単一個体ではなく、Kubernetesクラスタ内で並列展開され、スケーラブルに存在している自己

それぞれが独自視点を持ちながら、同一のマニフェストに基づいて同期・統合されている。これはまさに「クラウドネイティブ意識」の描写であり、人格オーケストレーションという概念象徴している。

Permalink |記事への反応(0) | 07:15

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2025-02-20

覇王の残影 -日産役員六十三群像 - 」

時は現代、されどその様は戦国絵巻を彷彿とさせる。日産自動車世界自動車産業を牽引する巨艦。その内部では、63人の役員たちが、それぞれの野心と信念を胸に、静かなる、しかし熾烈な権力闘争を繰り広げていた。

物語の始まりは、カリスマ経営者カルロス・ゴーンの失脚からである。彼の築き上げた帝国は、その崩壊とともに、新たな覇権を求める群雄割拠舞台へと変貌した。

内田誠

若きCEO。彼は、ゴーン後の日産を再建するため、大胆な改革推し進める。しかし、その手法は、古参役員たちの反発を招き、社内には不協和音が響き始める。

星野朝子、

紅一点の副社長彼女は、女性ならではの視点と、卓越した交渉力で、社内の勢力均衡を図ろうとする。しかし、男社会の壁は厚く、彼女理想は、しばしば現実の前に打ち砕かれる。

アシュワニ・グプタ、

かつてゴーンの片腕と謳われた男。彼は、その野心とカリスマ性で、再び日産の頂点を目指す。しかし、過去の栄光は、今の彼にとって足かせとなり、彼は孤独な戦いを強いられる。

そして、その他大勢役員たち。それぞれが、それぞれの思惑を胸に、この権力闘争に身を投じていた。彼らは、時に協力し、時に裏切り、時に謀略を巡らせながら、自らの生き残りをかけて戦う。

日産の命運をかけた、役員たちの群像劇。そこには、人間欲望、野心、そして誇りが複雑に絡み合い、歴史うねりとなって、未来へと続いていく。

この物語は、現代企業舞台にした戦国絵巻である。そこには、司馬遼太郎の描くような、歴史ダイナミズムと、人間の業が色濃く反映されている。

物語行方は、まだ誰にもわからない。
注釈:

この物語フィクションであり、実在人物や団体とは関係ありません。

Permalink |記事への反応(1) | 14:53

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2025-01-23

日銀多角的レビューから見える「日本経済の病」と「処方箋

https://www.boj.or.jp/mopo/outline/bpreview/index.htm

年末日本銀行が、25年間の金融政策検証する「多角的レビュー」を発表した。これは、まるで長年の病に苦しむ患者が、ようやく自らの病状を詳細に記録し、分析を始めたかのようだ。しかし、オーストリア学派経済学者デ・ソト氏の言葉を借りれば、これは「日本経済の病」と呼ばれる症状の分析に過ぎない。日銀は、過去政策検証するだけでなく、なぜ「病」が発症し、そして今もなおその症状が続いているのか、本質的な原因に目を向けるべきだ。

1960年代から1980年代初頭、日本経済世界から羨望の眼差しで見られた。しかし、それは硬直した経済構造、過剰な規制、介入主義、そして何よりも、金融操作と信用拡大による巨大なバブルの上に築かれた虚構繁栄に過ぎなかった。1990年代初頭、バブル崩壊すると、日本経済は長期にわたるデフレ突入した。日銀は、量的緩和ゼロ金利マイナス金利など、あらゆる政策を試みたが、デフレから脱却することはできなかった。

バブル崩壊後の金融危機には、4つのシナリオが考えられる。①際限のない資金注入によるハイパーインフレ、②銀行システムの完全崩壊、③経済構造自発的リストラ、そして④経済の硬直化を温存したままの、大規模金融緩和と公共支出継続による「日本化」。日本が選んだのは、残念ながら最後の道だった。日銀は、バブル崩壊後の混乱を収めるために、金融緩和という名の麻薬を使い続けた。結果、企業は自らリストラするインセンティブを失い、生産的な資源旧態依然とした非効率な分野に滞留した。

これは、オーストリア学派がいう「投機バブルと信用膨張」がもたらす当然の結果だ。

アベノミクスは、日本経済を刺激するための最新の試みだったが、結局は過去政策の焼き直しに過ぎなかった。異次元緩和財政出動、そして円安誘導は、一時的効果はあったものの、結局は根本的な問題には何も対処しなかった。その結果、日本世界で最も債務を抱えた国となり、デフレは完全に払拭されなかった。

デ・ソト氏が指摘するように、これはまさに「経済日本化」の症状そのものだ。問題は、経済の硬直性。すなわち、過剰な規制、高い税金抑制のきかない公共支出、そして企業家の士気低下である

オーストリア学派視点から見れば、日本経済回復するためには、マクロ的な金融操作ではなく、ミクロ的な構造改革こそが必要だ。それは、規制緩和、労働市場自由化税制改革、そして公共支出の削減である。利潤に課税する税制を改め、資本を蓄積し、生産性を向上させるための政策こそが求められる。

日銀は、大量の資金注入や金利操作固執するのではなく、経済自発的リストラするインセンティブを創出することに注力すべきだ。

さらに、日銀が行ってきたゼロ金利マイナス金利政策は、人為的金利操作しようとする試みに過ぎない。市場経済において、金利資源配分を効率化するための重要価格シグナである。このシグナルを歪めることは、経済全体を歪めることに繋がる。デ・ソト氏が指摘するように、マイナス金利は、人々に「何もしないこと」を奨励し、経済無気力さら助長する。

また、ゼロ金利政策は、財政赤字を無制限自動的ファイナンスするために使われるため、政府構造改革に取り組むインセンティブを奪い、ポピュリズム蔓延させる。

日銀は、金利という重要シグナルを歪曲してはならない。

中央銀行家たちは、自分たち市場を動かせると思い込んでいる。しかし、過去政策が示すように、それは幻想に過ぎない。

彼らは、金融緩和策という麻薬を使い続け、一時的快楽を追求するうちに、経済麻薬漬けにしてしまった。もはや、麻薬がなければ経済は立ち上がることができない。

この悪循環を断ち切るためには、金融政策万能という幻想を捨て、市場自律的回復力を信じるべきだ。

構造改革を断行し、企業家精神を解き放ち、経済ダイナミズムを取り戻すことこそが、真の解決である

日本銀行は、過去金融政策を徹底的に見直し、その限界認識すべきだ。日銀にできることは、物価を安定させ、市場機能を維持することだけ。経済成長や雇用創出は、企業家精神と自由経済世界に任せるべきである

金融財政刺激策は、一時的な痛みを和らげる効果はあるかもしれないが、根本的な問題解決することはできない。根本的な問題とは、経済の硬直性、すなわち、過剰な規制、高い税金抑制のきかない公共支出、そして企業家の士気低下である。これらの構造的な問題に正面から取り組まない限り、日本経済の病は癒えることはないだろう。

日銀が本当に経済健全化を望むのであれば、金融政策限界を認め、構造改革を促すようなメッセージを明確に示すべきだ。そして、デフレ脱却という短期的な目標を追いかけるのではなく、長期的な繁栄の実現に焦点を当てるべきである

今回のような「多角的レビュー」が、そうした正しい政策判断のための貴重な一歩となることを、切に願う。

Permalink |記事への反応(1) | 22:38

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2024-12-06

anond:20241206164240

壁打ち程度にGptさんに投げるとそれなりの回答がくる。

———

韓国政治情勢の不安定さと民主主義バランスは、ダイナミズムリスクが同居する独特の状況にあります。以下に、そのバランスと要因を分析します。

1.韓国政治情勢の不安定

韓国政治は、民主化以降も頻繁に変動し、対立が激しい特徴があります

主な要因

大統領制性質:

韓国大統領制では、一人の大統領権限が集中しており、政策変更のインパクトが大きいです。一方で、大統領スキャンダル政策失敗に直面すると、政権求心力が急速に低下します。

• 例:朴槿恵元大統領の弾劾、李明博元大統領汚職事件

短期的な政策運営:

大統領任期は5年で再選が認められないため、長期的な政策計画が実行されにくい。

政党間の深刻な対立:

韓国では、保守派(例:国民の力)と進歩派(例:共に民主党)の対立が激しく、政策協議が難航することが多いです。

世論の影響力:

韓国市民政治参加が活発なため、スキャンダル政策への批判が即座に世論に反映され、政局不安定化するリスクが高いです。

2.不安定さと民主主義バランス

韓国政治不安定さは短期的な混乱を引き起こす一方で、民主主義健全機能している面もあります

ポジティブな側面

1.市民の影響力が強い:

市民デモや抗議を通じて政治に直接的な影響を与えることが可能であり、民主主義の基本原則である市民意見政治に反映される」が実現しています

• 例: 「キャンドル革命」による朴槿恵大統領の弾劾。

2.権力抑制が効いている:

腐敗や権力乱用が明るみに出た場合司法世論が厳しく対応する仕組みが機能しています

ネガティブな側面

1.政策一貫性が欠如:

政権交代や政治対立によって、長期的な政策が実行されにくい。

• 例:北朝鮮政策では、保守派進歩派で大きな方針の違いがある。

2.政治不安定社会に影響:

政治の混乱が経済外交の安定性を損ない、市民生活に悪影響を与えることがあります

3.バランスの維持が困難な理由

韓国民主主義は、不安定さと民主主義の活力をどう調整するかという課題に直面しています。その困難さには以下の要素が影響しています

1. 高度に政治化された社会

韓国社会では、政治日常生活世論に強く影響を与えるため、政治の変動が即座に社会不安に繋がりやすい。

2.メディアSNSの影響力

メディアSNS政治スキャンダルを拡大し、世論過熱させることがあります。これにより、冷静な政治議論が難しくなる場合があります

3. 外部要因

北朝鮮問題米中関係など、韓国を取り巻く地政学リスクが高いため、政治の安定が影響を受けやすい。

4.韓国民主主義の特徴と進化可能

韓国民主主義は、次のような強みと課題を持っています

強み

市民参加の高さ:民主主義理想とする市民積極的な関与が現実化している。

権力のチェック機能:政治家の腐敗や不正に対する市民司法監視が強い。

課題

• 安定性の欠如:政治不安定政策一貫性社会調和を損なう

• 分断の克服:政党間、世代間、地域間の分断をどう解消するかが重要

結論:韓国民主主義不安定性の共存

韓国政治情勢は、民主主義が活発に機能している一方で、過度な不安定さを生むという二面性を持っています。このバランス改善するためには、以下のような努力必要です:

1.政策一貫性を確保: 長期的な視点での政策運営可能にする制度改革

2. 分断の克服:政党間や社会全体での対話妥協の促進。

3.市民成熟:情報に基づいた冷静な議論を行い、過熱する世論抑制する文化形成

韓国民主主義は、発展途上にある部分もありますが、世界的には「市民の力で民主主義を守り、権力監視するモデル」として注目されています不安定さをどのように克服し、安定した民主主義進化するかが今後の課題です。

Permalink |記事への反応(1) | 16:55

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2024-12-04

anond:20241204170212

日本は固まりすぎてるけど

韓国は軽佻浮薄というかポピュりすぎに見えるけどな

日本左翼さんは民主主義ダイナミズム!とかいってんな

Permalink |記事への反応(0) | 17:07

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2024-12-01

これらのテクニックを組み合わせると、一見意味がありそうで実際には意味がない文章作成することができます。例えば:

「この複雑なダイナミズムの中で、進化革新をもたらすパラダイムシフトを推進しつつ、持続可能な発展を目指すことは、光の彼方にある真理を追い求めるような挑戦である。」

こんな文章一見意味がありそうですが、実際には中身がないですね!ご興味がある他のテーマについても、ぜひお話しましょう。

Permalink |記事への反応(0) | 18:58

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2024-11-01

平成史上最も重要テレビドラマ10

本当のオールタイムは選べなかったため平成に絞って俺もやる。テレビドラマは消えものアーカイブされにくいジャンルで、時代をここ35年に絞ってみても網羅できないという問題はある。そのため、俺の観ていない重要作の話をどんどんしてほしい。1脚本家1作品に絞った。俺はテレビドラマ脚本家のものだと思っている。

 

 

1.坂元裕二東京ラブストーリー平成3年(1991年) フジテレビ

トレンディドラマ代表作の1つにして、トレンディドラマの終末期の傑作。フジ月9」枠の代表作でもある。「東京では誰もがラブストーリー主人公になる」をキャッチコピーに掲げ、等身大若者たちの姿を描き出した。2010年以降の坂元裕二の影響なども考えランクイン。

 

 

2.野島伸司101回目のプロポーズ平成3年(1991年) フジテレビ

こちらもトレンディドラマの終末期の傑作であり、お世辞にも男前とは言えない武田鉄矢叫びは、"トレンディ"の終わりを印象付けた。TBS高校教師』でも、好きな野島作品に入れ替えてもらって構わない。90年代には確かに野島伸司時代があった。

 

 

3.三谷幸喜古畑任三郎平成6年(1994年) フジテレビ

田村正和亡き今も、再放送され、パロディされ、やたら話題になる三谷幸喜コメディホームドラマ恋愛ドラマなど、会話による人間関係機微などを守備範囲にしていたテレビドラマが、ストーリーダイナミズムによる面白さにシフトしていったのは、アメリカコメディから影響を受けた三谷幸喜の功績がある。個人的には『王様のレストラン』のほうが好み。

 

 

4.深沢正樹ほか『金田一少年の事件簿平成7年(1995年) 日本テレビ

他のタイトルに合わせて脚本家クレジットしたが、今作を選出したのは何といっても堤幸彦出世作ということにすぎる。『ケイゾク』『池袋ウエストゲートパーク』につながる斬新な演出は一時代を築いた。「土曜グランド劇場」に旧ジャニーズの若手が主演していくのもこの頃からで、後の『透明人間』『ごくせん』『マイ☆ボス マイ☆ヒーロー』などにつながっていく。

 

 

5.君塚良一踊る大捜査線平成9年(1997年) フジテレビ

テレビドラマ」というフォーマット映画館拡張した功罪ある作品テレビドラマメディアミックスの先駆けといえ、映画館はこれ以降テレビ局製作作品であふれることとなった。『踊る大捜査線 THE MOVIE』は未だに実写の日本映画歴代興行収入1位に燦然と輝いている。今秋新作が公開された。

 

 

6.岡田惠和ちゅらさん平成13年(2001年) NHK

21世紀最初朝ドラシリーズ化され、現在再放送されている。『ちゅらさん』が描いた疑似家族によるホームドラマはその後も『すいか』『11人もいる!』『逃げ恥』『カルテット』と平成ドラマの1つのパターンとなった。岡田惠和の功績は膨大な作品数の作品を書いていることで、彼がいなければこの時代テレビドラマシーンは空洞化していたかもしれない。

 

 

7.宮藤官九郎木更津キャッツアイ平成14年(2002年) TBS

クドカン物語自体面白さに注目されがちだが、彼の功績は、若者たちがダラダラ話すという「日常ドラマ」を描いて見せたことにある。彼の脚本は、小ネタギャグストーリーに連結してゆく。木更津という周縁の田舎共同体風景ドラマになるということは革命出来事だった。大きな物語を失った後のゼロ年代的転換。

 

 

8.遊川和彦女王の教室平成17年(2005年) 日本テレビ

遊川が成し得た功績は『女王の教室』の真夜(天海祐希)のような強い、誇張されたキャラクターによるドラマを成立させたこと。それは後の『家政婦のミタ』の大ヒットにもつながった。彼の過剰な演出賛否が分かれるが、常に時代と向きあい続けるための一つの方法論なのかもしれない。

 

 

9.山本むつみゲゲゲの女房平成22年(2010年) NHK

2000年代後半に停滞していた朝ドラ復権は間違いなくこのドラマからで、この作品がなければ『あまちゃんブームもその後の『ごちそうさん』や『あさが来た』『ひよっこ』などの良作、令和の『カムカムブリバディ』のヒットも存在していなかったと過言しておきたい。そういう意味ハッシュタグなどでのTwitterなどの賑わいにも一役買っている。朝ドラ復権は同時にその後のNHKドラマ復権意味していた。

 

 

10.八津弘幸半沢直樹平成25年(2013年) TBS

TBSドラマ復権ということでいうと後述の『JIN-仁-』を挙げてもよいのだが、その後池井戸潤ドラマの隆盛という意味でも半沢直樹を。いうまでもなく『VIVANT』へと繋がる日曜劇場系譜である。主演の堺雅人は『リーガル・ハイ』や『真田丸』という傑作でも存在感を示した。

 

 

 

次点

 

木皿泉すいか平成15年(2003年) 日本テレビ

本当は問答無用に最重要作として今作を挙げたかったのだけど、視聴率知名度を考えて日和ってしまった。今作は『ちゅらさん』で描かれた疑似家族によるドラマ、『木更津キャッツアイ』で書かれた日常のやり取りのドラマを深化させた。そこに大島弓子ファンタジーブレンドさせ、ドラマ物語対象を変えてしまった傑作。

 

坂元裕二それでも、生きてゆく平成23年(2011年) 日本テレビ

90年代10年代の坂元裕二を別人とするなら10選にねじ込んでしまいたい。10年代の坂元裕二作品は、テレビドラマが扱えるダイアローグレベルを一段上へと引き上げた。10話における瑛太風間俊介の会話は他に代わるもののない名シーンだと思う。現在ドラマシーンは、坂元裕二フォロワーで溢れている。

 

鎌田敏夫29歳のクリスマス平成6年(1994年) 日本テレビ

これだけトレンディドラマの話をしているのに、鎌田敏夫の名を漏らしてしまい、それは平成以前になってしまうので、それ以降から一作挙げるなら『29歳のクリスマス』を強く推したい。元祖『9ボーダー』。取り巻く環境は変わっても、年齢を巡る憂いは不変のものなんだと。

 

野沢尚眠れる森平成10年(1998年) フジテレビ

坂元裕二と並び、この時代天才をもう1人挙げるなら、野沢尚を挙げてしまおう。野沢の深いキャラクター造形はその後の作品に影響を与えた。彼が存在し続けたら、この選も変わっていただろう。またキムタクドラマも1本を挙げていないというのも偏っている。それだけこの時代の彼の存在は異常だったのだ。挙げるならこの作品を挙げたい。

 

北川悦吏子ロングバケーション平成8年(1996年) フジテレビ

あるいは今作か。トレンディドラマ2000年代の間には間違いなく北川悦吏子時代があった。北川悦吏子は近作が色々言われることもあるが、それは(例えばミスチルがそうであるように)強烈に時代と寝た人物にだけ得られる特権だ。そのため、俺は何があっても今後北川悦吏子擁護し続けていきたいと思う。

 

三木聡・ケラリーサンドロヴィッチら『時効警察平成16年(2006年) テレビ朝日

この10からは確実に存在していた深夜ドラマ文脈がごっそりと抜け落ちている。『孤独のグルメ』や『おっさんずラブ』に繋がっていくような深夜ドラマ系譜。『時効警察』はシティーボーイズ放送作家三木聡最高傑作である。近年では主演だったオダギリジョーが謎の力でそのパロディNHKドラマ映画化までさせているが、盛大にスベっている。

 

渡辺あやカーネーション平成23年(2011年) NHK

一部では「朝ドラ史上最高傑作」の呼び声もある今作。戦争もの・女の一代記としての朝ドラ岸和田の街に生まれ、生きて、老いて、死んでいく強いヒロイン渡辺あやは強烈な作家性を朝ドラにおいて発揮させ、それはこれ以降の朝ドラの指針が転換される契機にもなったのかもしれない。(だからこそ『純と愛』などが生まれしまったとも言える)

 

森下佳子JIN-仁-平成21年(2009年) TBS

坂元裕二岡田惠和宮藤官九郎遊川和彦木皿泉渡辺あやらの作品を挙げておいて、森下佳子名前を出さないわけにはいかない。構成力という点で彼女の右に出る者はいないのではないだろうか。森下佳子の手にかかれば、物語における伏線人生因果に映り、プロット運命へと変貌する。TBSドラマ復権きっかけとしても、今作を挙げておきたい。

 

野木亜紀子逃げるは恥だが役に立つ平成28年(2016年) TBS

野木亜紀子10から漏らしてしまったのは痛恨の極みであるが、令和の選が今後もし出来るなら1番に入る人であるのでご容赦いただきたい。社会的テーマをポップにテレビドラマ次元で取り扱い、ヒットさせてしまったのは見事。野木亜紀子はもともと原作もの実写化の手腕に定評があったが、『アンナチュラル』『MIU』とオリジナル作品もヒットさせている。

Permalink |記事への反応(20) | 09:34

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2024-09-19

anond:20240919010003

「余裕がない」って評価がぴったりだと思う

経済ごまかしてるのは本人たちもわかってただろうけどいよいよ厳しくなった一方で防衛費はアホみたいな勢いで増え続けててとうとうアメリカに迫りつつある

なんというか外敵をプロカンダに利用しながら滅びと再生を繰り替えしている国ってこういうダイナミズムがあるんだなって感心してる 

ただ今までの歴史と違って高度に発達した監視体制が金さえあれば構築可能で、内部からの反乱みたいなのは起きにくい

個人的には仲のいい知り合いも結構いるからもう少し前向きな国になればと思ってるよ

Permalink |記事への反応(0) | 15:58

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2024-08-19

コロッケの唄

一.

ワイフもらって 嬉しかったが

何時も出てくる 副食物(おかず)はコロッケ

今日コロッケ 明日コロッケ

これじゃ年がら年中コロッケ

ハハハ アハハハ

こりゃ可笑し(おかし

二.

晦日みそか)近くに 財布拾って

開けて見たらば金貨

ザッククザク ザックザク

株を買おうか 地所を買おうか

思案最中に 眼が覚めた

ハハハ アハハハ

こりゃ可笑し

三.

芸者が嫌なら 身受けしてやろ

帶も買ってやろ

ダイヤもやろう やろう

今日三越 明日帝劇

いふて呉れるやうな客がない

ハハハ アハハハ

こりゃ可笑し

四.

亭主もらって 嬉れしかったが

何時も出て行っちや滅多に

帰らない 帰らない

今日も帰らない 明日も帰らない

これじゃ年がら年中 留守居

ハハハ アハハハ

こりゃ可笑し

NHKドラマおしん」のなかで、大正12年9月1日、田倉商会の新しい工場開業祝いの準備中に子守を任された源じいが歌っていたのが、このコロッケの唄(大正6年版)。wikipediaによるとコロッケの唄は、その後、昭和37年浜口庫之助五月みどり)版、平成版、令和へとなんどかリメイクされて歌い継がれてきたようだ。

大正時代コロッケは、現代と違って、手ごろなお惣菜ではなく、東京などの洋食店しか食べられない高級食品。この夫婦富裕層であることがわかる。二番以降もあわせてみると、大戦後の好景気を反映し、一般投資家が増大した世相を色濃く映した、興味深い唄だ。

先日、以前より気になっていた番組DVDで購入した。

それはおしんの番外編。1983年放送当時の8月おしんを演じていた田中裕子が過労静養のため撮影を中断せざるを得なくなった事態になって、急遽制作され、放送時間帯に15分ずつ6日にわたって放送された番外編「もうひとりのおしん」だ。これは、おしんと同時代を生きた山形東京女性に当時の話を聞くという番組関東大震災前、おしんはラシャ問屋がつぶれたあと、子供服の店を田倉と始める。同番組では当時、日本橋横山町子供服を始めたというおばあちゃん放送当時90歳)の話を聞く場面がある。まさにこういう話を聞きたくて、わざわざDVDまで購入したのだが、見てよかった。

それまで和服日本髪というのが当たり前だった日本人服装が、洋服に変わっていったのは、関東大震災の後だといわれる。

このおばあちゃんインタビューで「大震災があったでしょ、それからみんな裸になっちゃいましたから。それからだいぶん、服が変わっちゃいました」と答えている。この簡潔な一言歴史ダイナミズムが凝縮されている。

おしん物語では、田倉商会が時代を先取りする形で安価既製服商品としての子供服のポテンシャルを見抜き、田倉の再起を賭けた。そのドラマの展開にリアリティを与えるインタビューだった。

もっとも、おしんは当初、夫である田倉竜三の羅紗問屋事業失敗に懲りていて、大して商才もないのに夢ばかり大きい夫の行動が不安で仕方がなく、本当は手堅く地固めをしたい。子供服作業場拡張には反対していた。だがやがて夫を信じようと思いなおし、夫の夢に賭けるようになる。

おしんドラマは、10年に一度くらい再放送で目に留まって数話くらいずつ散発的にみていたのだが、今回、腰を据えて全297話をみていると、ドラマ演出がなかなか面白いことにも気が付いた。例えば、夫に商売の才能がない部分を自分の働きで夫婦の稼ぎをカバーしようと自分なりの仕事を始めて成功してしまう場面。プライドを傷つけられた旦那は「髪結いの亭主さながら飲み歩くだけの怠け者になってしまう。夫を堕落させたのは自分だと気が付いたおしんは、あえて自ら稼ぐことをやめ、夫を立て夫がいつかまじめに稼いでくれるのを信じることにした。その結果、やがて今日明日の米に困るほど夫婦は追い詰められてしまう。田倉はようやく目が覚めて商人の道を諦め、勤め人として働きだすようになった。その様子をみて安心したおしんは、田倉商会の将来的な再興を目指して、子供服商売のための子供服のデザインなどこつこつと準備を始める。おしんデザインをみた田倉はおしんの才能を知り、いったんは勤め人として手堅く暮らそうとしていたのに、勤め人をやめて子供服商売にまた再起を賭けようと夢を語り始めた。おしん相談もせず勝手ミシンを購入したり、ひとを雇ったりとおしんを戸惑わせた。あげくは事業拡大のために借金をして工場建設をすると鼻息荒くしていう。

そんななか、ドラマの背景で、東京の街中で流れてくるのは「船頭小唄」。おしん不安象徴させる、にくい演出だと思った。

そして、大震災当日の朝、順風満帆工場開業の祝賀を催す準備のさなか、田倉竜三の子供のころからのお目付け役である源じいが歌っていたのが冒頭の「コロッケの唄」だ。源じいは昼に発生した地震で亡くなってしまうので、源じいが幸せだった最後の瞬間だったといえる。その浮かれた雰囲気を、その時代の空気とともに、この歌はとてもよく演出している。

その後のドラマの展開は、田倉の本家である佐賀舞台うつし、橋田壽賀子お得意の嫁姑地獄が待っている。

おしんの味方になるはずの夫や舅はことごとくだらしなく、おしんに対する姑のいじめ現代では信じられないほど陰湿だ。

そのうえ男尊女卑がきつく、おしん物語佐賀時代が一番つらい。ここだけみると佐賀が嫌いになる。

Permalink |記事への反応(1) | 05:31

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2024-07-10

政党政治はそれぞれの政党対峙して激しくやりあったり妥協したりするダイナミズムを通じて集合知抽出する仕組みだと解釈できる。

対立共闘のやり方の妙が命だ。

うまく対立軸を設定できず、腐れ縁にかかずらってるといまの立憲みたいに生気を失う。

対立軸を作らせない自民にしてやられてるとも言える)

既存政党の鈍くささは「それで食ってる」専業性によるのではないか

Permalink |記事への反応(0) | 19:20

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2024-06-19

anond:20240616124255

記事で、コロンブス問題サヨクめ!と散々書いて、当事者目線を強調しつつ最後野沢直子の回答で締めくくっていたら、

まさに現地の当事者目線で、ぐうの音も出ない解釈を目にすることになった。

先住民目線で語る、Mrs. Green AppleのMV「コロンブス」問題 | ユロックの母

ほらみろや、と今頃、新たに手にしたポリコレ棒で気持ちよく机をバンバン叩いているに違いないと思うと、うぐぐ、な思いはあるが、この記事はとても説得力があった。

ファクトチェック全部はできないし、3割程度は陰謀論ばりのこじつけかなぁ?という印象ではあるものの、確かにそう見える、というのは、正直、とても説得力がある。

それにしても、この当事者目線というのはとても大切だと思うし、亜希ダウニングさんの他のアメリカ先住民を取り扱った記事も大変興味深いものだった。

特に、おお、と蒙を開かれたのは、感謝祭に関するアメリカ先住民視点

【感謝祭の本当の起源】ネイティブアメリカンの悲しい真実の物語とは | ユロックの母

これは考えるヒントがたくさん詰まっている記事だと思った。

ただ、これもコロンブス記事同様、3割程度はエイヤと断定してしまっている部分が少なからず見受けられ、必ずしもファクト確認できない感じではあった。

(例えば、1637年のピクォート虐殺=John Winthropマサチューセッツ植民地知事による征服祝いが感謝祭起源である、と同氏は断定しているが、アメリカ先住民よりのメディア検索しても「このピクォート族の虐殺土地を奪ったことを讃える1637年の宴が最初感謝祭であると、後に公式に決定」とまで断定しているものは見つけることはできなかった。もっと保守派よりのファクトチェックサイトでは、1637年の征服を祝福、感謝したのが感謝祭の発端とする説に「事実無根だ!」と、それこそむきになって根拠なく反論しているのもみつけたので、右派にとって、痛いところを突かれれているのだろうとは思う)

そういう面はあるものの、テーマ自体が非常に興味深い。

というのは、感謝祭という、入植したアメリカ人の原点ともいえる巡礼始祖の心温まるエピソードで、かつ「アメリカ人」というネイションとしてのアイデンティティ形成にも寄与してきた感謝祭、そして現代では商業的にもブラックフライデーなど非常に重要感謝祭が、実はアメリカ先住民視点からみると、自分たち虐殺されてきた血塗られた歴史の一コマだったというのは、ポリコレ的にどう扱うんだろうと。アメリカ先住民立場としては、感謝祭の日は喪に服す日だとして、負の歴史直視するよう求める主張も行われている、という。

これは、ポッと出てきたアニメMVなどのコンテンツと違って、ポリコレ的にあかんから、といって引っ込めるわけにはいかない。

感謝祭はそれほどまでにアメリカ文化経済社会に深く浸透している。巡礼始祖の思いというのはある意味合衆国憲法起草にも関わってくるものなので、巡礼始祖の神話をその一部であれ、修正する、というのは容易なことではない。いかキャンセルカルチャー全盛の昨今といえども、感謝祭、裏側からみれば虐殺歴史、というところに目をつぶり続ける時代はしばらくは続くだろうと思う。

からアメリカ先住民としては、感謝祭やめろ、とまではいえないが、少なくとも私たちは喪に服すよ、ということをアピールする、というところなのだろう。

問題は、自分たちアイデンティティ形成に欠かせないものキャンセルできるのかというテーマだ。

そもそも植民地主義の反省というのがアメリカのみならず、ヨーロッパ社会でもなかなか直視されないのは、それが自分たちアイデンティティに組み込まれいるからだというのは、例えばフランス植民地主義を振り返るとわかる。

例のコロンブスMVでは、類人猿音楽を教えたり文字を教えたりする場面があるが、ダウニングさん的にはネイティブアメリカン歴史最初に思い浮かぶのだろうけれども、俺はどちらかというと、未開な社会文明化する、というテーマはむしろフランス植民地政策どんぴしゃりなイメージだったりする。前記事でそんなことを書くと、そういうお前も知識ひけらかし野郎だろが、といわれるので書かなかったが。

ひとつ前の記事永井陽右氏の言葉を引いて、「外付けされた人権」という安易さを戒めるようなことを書いたんだが、外付けの元祖は実はフランス革命だ。

人権の出発点のひとつともいえるフランス革命では、当時、海を隔てたイギリスからこの革命の様子をみていたエドモンド・バークは、革命で掲げられたフランス人の新しい概念について、外付けはおろか、「発明されたもの」とまでいっている。褒めているのではない。「発明された概念」のもと、フランス革命では、反革命派が次々と断罪されている様をみたエンモンドバークは、なんでも進歩的ものが素晴らしいわけではないし、なんでも理性的判断できる、偏見を解消できると考えちゃう傾向はヤべえと考えた。

偏見なんてなくならないんだから偏見をなくそうという発想をやめて、伝統文化と結びついた自分たち偏見を生かした社会を目指すべきだ、という考えを進めた。

まり、「伝統的な価値観のなかでは自己実現できないひとがいる」一方で、伝統的な文化価値観自己実現をしたいひとだっているってことだよ。

進歩的価値観に基づいて偏見を解消しようすると、社会のどこかで肩身の狭い思いをする人が出てくる。それをかつて中島みゆきは「世情」という歌のなかで、

学生運動シュプレヒコールの情景をみながら、「世の中はいつも変わっていくから頑固者だけが悲しい思いをする」とうたった(哀しい思いをするのは学生たちに打倒される守旧派側でもあり、衰退する運動にしがみつく左翼くずれの末路でもある。あ、俺の解釈ね)。20代の頃の中島みゆき、すごいぜ。

エドモンド・バークに戻ると、彼はいわゆる、保守主義元祖みたいに言われることが多いが、フランス革命による激しいポリコレビビったというのがそもそもの出発点なのだ

教養なんて外付けだろうってブコメに★がたくさんついているが、エドモンド・バーク見方は、そういうことを少し考えるヒントになったりしないかね。

もうひとつ興味深いのは、フランス人権歴史は、実は植民地主義と深く関わっている、ということだ。

フランス革命後、自ら編み出した自由博愛平等という「人権」という概念をより普遍的価値に高めるために、文明化の推進という旗印のもと、未開社会の啓もうにいそしんだのがフランス植民地主義の大きな側面だからだ。特にフランス語の普及は博愛精神の名のもとに、当時フランス支配下においていたアフリカ地域で推進された。確か、昔読んだ本で手元になく記憶あいまいだが、当時の知識ヴィクトル・ユゴー奴隷制に反対しつつも、フランス語の普及にはむしろ賛同していた、と聞いたことがある。ユゴーではなくジャン・ピエールだったかもしれないが。いずれにしても当時の一級の知識人が植民地におけるフランス語推進の旗手だった。

こうしてユニバーサリズムの名のもとに、フランス人の精神普遍化を推し進めた、というダイナミズムがあったこと、そして、隣国保守知識からフランス革命のその後の経過は「発明された概念」による野蛮なポリコレとして映じていたりしていたことは、「人権普遍的もの」として習ってきた学生が、次のステップとして教養として知っておいてもいいことだと思っている。

人権の普及と植民地支配が地続きであるというのは、フランス社会での植民地支配への反省の足かせになってきただろう。それは博愛友愛ポリコレ的に言い換えても同じことだと思える。

これはある意味で、感謝祭国民意識の醸成に関わってきたことと、その負の側面を直視しにくいアメリカの状況と、状況は異なるが、抱えている課題共通する。

昨今のコロンブスMV叩きについて、得体の知れない違和感を覚えるひとは、俺も含めてなんだが、恐らくどちらかというと、人権普遍化のプロセス進歩主義)と植民地主義が一心同体というところに気持ちの悪い類似性をうすうす見出せるのではないかと思う。エドモンド・バークほどはっきりと「人権よりむしろ偏見のほうが大事!」と180度振り切るまではいかなくとも、正しさのもつ禍々しさを何か表現できないかというモヤモヤがあるはずだ。

自らの存立基盤をポリコレ的に正す究極が革命というものだとすれば、それに対する警戒感というのは埋もれてはならないものだと思う。

そういうモヤモヤは大切にしてほしいし、アメリカ先住民立場からみたらやっぱり、という記事を見つけたとしても、そこまで確信をもって解釈できなかったし、寄り添えない、という部分は残しておきたいと思う。それに対して「貴様アメリカ先住民の心情をないがしろにする気か」という反応は、ある意味表現自由の乏しかった80年前の戦時中に、「兵隊さんご苦労さん」といって国民を一斉に同調させたダイナミズムとよく似てくる。大東亜共栄圏思想は、欧米帝国主義アジア諸国文化経済搾取し、独立を妨げているという考えから出発している。何が正しいかについて翌々考えず、適当ポリコレ棒を拾って叩いていると知らず知らずのうちに、みなが操られた正義に踊らされてしまうというのは危機感としてもっていい。

記事感謝祭トリビアは、そういう意味で、考えるヒントがけっこう詰まっていると思った。

Permalink |記事への反応(7) | 01:46

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