
はてなキーワード:ダイジェストとは
ついでにデッドレコニングも見た。
デッドがマジで酷すぎてそれに比べたらマシだけどやっぱ相当酷い。
デップー&ウルヴァリンやワイルドスピードファイヤブーストみたいな作品だった。
シリーズ追ってきた人に対するご褒美映画というか、製作者のケジメ映画というか。
過去作品からいろんな人物がちょこちょこ出てきて雑に消費されていく。
これ見て「サービス精神がすごい!」ってみんな言うからMCUみたいなサプライズゲスト商法が蔓延るんだろうな。
一生やってろアホ。
どっちも悪い部分は共通していて、しかもその部分がこの作品のウリになっているのがタチが悪い。
そういう意味ではnot for meな作品なのかもしれないが、
それでもレコニングシリーズになるまではまだおもろかったんだよ。
なので、このレコニング2部作が特にヤバいんだと俺は思ってる。
もう語り尽くされてるけど「いい歳したトム・クルーズがすごいスタントを自力でやる」ことだけが主題で
あとはそのスタントにどうつなぐか以外にほとんど意味がない作品になっている。
なので、どっちも二時間半を超える大作だけどほとんどの時間が退屈。
特にデッドはもう話が退屈で退屈で。
ウルトラグレートスゴイAIを支配する鍵の奪い合いゲームなんだけど、
スられました、スり返しました、スられ返しました、スり返しました、落としました、それを拾われました、それをスり返しました、終わり。話がイチミリも進んどらんのよ。
やってるのが超A級エージェントと超AA級エージェントとその辺のスリの女。アホなん?
デッドではUGS(ウルトラグレートスゴイ)AIが電子機器にアクセスしまくって妨害してくるっていう(凄腕ハッカーが出てくる作品とどう違うのかよくわからんが)現代のスパイの弱点を突く展開があって、そこは若干の面白みがあったんだけど。
ファイナルはそのAIにほぼ全世界が支配された世界の話なのに急にAIの影が薄くなってて笑う。
核発射施設へのハッキングに忙しくてイーサンのほうには意識が避けなかったのかもしれない。
ファイナルのほうは多分、スタントしながら脚本書いたんだと思うんだよね。
今回のウリのトム・クルーズが小型飛行機の免許取って実際に飛行機運転しながらやりました!ってスタントがあるんだけどさ。
そこでラスボスの飛行機に空中でトムが乗り移っててんやわんやあって飛行機が壊れて、敵が「パラシュートないからお前死ぬで」って言って飛び降りたら尾翼に頭ぶつけて死ぬっていう酷い展開があるんだけど。
でもまぁ、空中で超高速で飛行する壊れた飛行機に取り残されたトム。どうやって脱出するのか!
パラシュートありました!やったぜ。
エッ!?
たぶんさー、飛行機に取り残されたところまで撮って、やっぱいい感じで脱出するの無理やなってなったから、パラシュートあったことにしとこうぜってなったんだと思うんだよね。じゃなきゃ説明つかない。悪役の人頭打って死んじゃったし、もうスタント撮り直せないからそのまま行きにしたんだと思うの。
M.Iシリーズはアクションを魅せる映画だって主張は6割は理解できるとしてもこればっかりは擁護のしようがないでしょ。
俺は別にそうは思ってないし、過去作に登場したラストの大どんでん返しもなくなってれば、面白スパイガジェットもなくなってるし、これが本当にM.Iシリーズか?M.Iシリーズファンならこの作品を嫌いになるわけない!って言ってるやついっぱい見たけど、この2作は明らかにスパイ大作戦じゃなくてトムのスタント大作戦だろ。
で、パラシュートで着地したトムをバックにこの作品のテーマを死亡したルーサー(レックスじゃないほう)先生が5分栗かけてペラペラお語りになられるんだけど、まーじでダサいからやめて。最後に「このメッセージは5秒後に自動的に消滅する」って出るんだけど、それは「視聴者の頭からも5秒後には消滅してる」って意味か。ずいぶん自虐的だな。
あとどうでもいいノイズとして、まーた黒人の女大統領かよっていうのと、サイエントロジー信者が陰謀論者を説教する映画is何っていうのと、結局スリの女、ホンマにその辺から急に生えてきたスリの女なん?っていうのと、ガブリエルに妻を殺されてMIFに入ったトムが今度はガブリエルから大切な女を救う話かと思ったらそっちはそっちで勝手に問題解決してて草、とか。
過去のM.Iシリーズを好きだった人ほど、この作品の適当さには心底怒りがわくと思うんだが。
もちろん、特にこのVFX全盛期でここからAIに映画業界が支配される可能性もある時代にいい歳したトムが自分ですごいスタントをやって、そのことで役者ってすごいんだぜ、生身の人間がやる映画ってすごいんだぜ!っていうランドマークを打ち立てたこと自体は大変意義のあることだし、トムありがとう、そしてありがとう、って思いはある。
が、それと映画が面白いことは別だし、生身の人間が危険なことやってるのがいい!ってだけならそれこそXゲームのダイジェスト集でも編集して映画サイズにしとけばよくね?主役をヴィン・ディーゼルとかアイスキューブとかにしてさ!
とにかく最後に言いたいことはトム・クルーズお疲れ様。安らかに眠れ。R.I.P
二度と復活するな。
一緒に暮らす動物は大抵がそうであるけど、自分にとっては得難い友達だった。数年前に年の瀬の公園で目の前に飛び出してきて意気投合し、そのまま連れ帰り、転職して東京に引っ越し、下町のワンルームで暮らすという、20代におけるダイジェストシーンを象徴するような存在だった。唐突に大きな病気が見つかり、明確な診断もつけられないうちに、1ヶ月の闘病を経て死んでしまった。4歳になったばかりだった。
映画のような出会い方をしただけに、真反対のドラスティックな悲しみ、また、部屋中に猫の柔らかな気配と、薬やらスポイトやら検査結果やらの病気の強すぎるコントラストが漂っていることに耐えられなかった。自宅を離れる口実の旅行計画として、なんとなく関心のあった恐山を思い出した。祈りの場に赴く機会としては、しばらくはこれ以上ないだろう(と思いたい)ということで、会社が夏季休暇に入ったその日に新青森に向かった。
家族や(人間の)友人には恐山に行くことは伝えなかった。自分が沈み込んでいた姿を見られており、このタイミングで山間部に入ることは、或いは自死する計画を持っていると疑われている空気があった。実際いろいろと控えめに気晴らしの提案を受け、断ったり随分先延ばしにしたりしていた。どういったアプローチであれ、死にまつわるものへの接触に惹かれていたのは否定できない。
近隣市に宿泊したのち2日目の始発電車で下北半島に向かい、私鉄やバスを乗り継いで午前中に恐山の霊場に入った。(途中まで路線バス然としているが、山道に入ったところで唐突に少々不気味な恐山解説アナウンスと、子どもが可哀想な目に遭う賽の河原の歌が流れた。)
到着すると、想像していたよりも境内は開放的で、硫黄の香りが強く、空が近かった。入山のバスには何人か観光客がいたが、平日の早めの時間だったこともあり、門を潜ってしばらくしたら、今生きている人間はもしや自分だけなのではないかという錯覚をする程度には静かになってしまった。プラスチックの風車の回るカラカラという音に混じって、微かに鐘の音もする。抜けるような青空だが時折天気雨が降り、遠雷が聞こえる。カラスが飛び交い、足元では白い砂にガスが湧いている。30年弱生きてきて、最も「異境」を感じた地だった。
恐山は特に東北において、死者のゆく「お山」として歴史的に信仰されてきたと聞く。3時間ほどゆっくり散策した感想として、「他者が死ぬことを前にした無力さ」を見に受けた。荒涼として、自分は何の役にも立てず、ただ圧倒されるだけ。大事な猫に何もしてやれなかった、助けられなかった後悔の影響もあるだろうが、死がひのたびこちらを捉えたら、抵抗虚しく受け入れるしかないのではと思ってしまった。
同時に、医療や化学がこれほどまで発達するまでの、少し前の時代の死生観を垣間見たかもしれない。「ああしていれば」の迷いを砕くような、生き物には生老病死の苦しみが大前提で存在し、いつでもこちらを見ていると思わせる光景だった。
うって変わって、岩場を抜けると青く澄んだ宇曽利湖が待っていた。先ほど聞こえていた鐘は湖畔に据付けられていて、誰かが鳴らしていたとわかった。
(実態は一部のウグイしか住めない酸の水だけど)海より速いペースで打ち寄せる透明の波に山の緑、足跡だらけの白い浜と相まって、こちらは別のベクトルの異境だった。「苦しみが終わった世界」を自分が描くなら、今日からはこのイメージになるかもしれない。猫ももう苦痛は無いのだと思うと泣けた。穏やかでありながら寂しい光景で、まだ生きている自分は、ずっとここに居てはいけないとも感じた。
死ぬことの寂寞と諦念のち、死者の安寧を思う。この地で祈ってきたたくさんの人たちが同じ心の動きだったかはわからない。ただ、個人としては「何をしてもいずれ終わりは来るのだから、街に帰って生活を続けよう」と思えた。非現実的な静かさが退屈そうに見えたので。そもそも猫の死後の世界がどういったものかも知らないが、ねぶた祭りの日の青森市街と同程度に楽しみに満ち、そしてできるなら人間の彼岸と同じレイヤーに在って欲しいと願う。人間の見守りエリアも欲しい。
直前まで知らなかったのだが、ちょうどねぶた祭の最中のスケジュールだった。これもルーツは死者の供養だという説がある。自分はこちらのほうが色に満ちていて好きだった。
なお恐山境内には「熊注意」の掲示が散見され、メメントモリにどれほど浸っていても、即座にリアルの恐怖を思い出した。
猫よ、仏前の備えは絶やさないので、できれば熊からも守ってください。
【翌日の追記】
匿名で長文を書きたいという衝動から、プラットフォームの性格もろくに理解せず投稿してしまったので、リアクションがあることにたじろいでいます。増田というスラングも初めて知りました。
確かに、死+恐山という単語がタイトルに並べば、イタコの口寄せのために向かったのだと想像される方が相当数いて当然で、自分が単独行に徹したあまり他者視点に欠け、思い至りませんでした。東北よりはるか南方で生まれ、東京で生活し、ネットでは写真優位のSNSと観光プロモーションに浸かりきった自分にとって、「恐山」は「イタコのいる霊場」より「ある程度の然るべき配慮を持っていくべき、明るい友達との旅行には向かない、公共交通では難易度・中の観光名所」でした。
当日は「動物も降霊の対象になるのか?」と疑問を持ちはしましたが、仮にできたとしても、たかだか1ヶ月弱の離別では話すこともあまりないだろうし、あったとしても「ちゃんと食え」「掃除もしろ」「若くして死ぬのはやめておけ」の言い換えで尺が終わるんだろうなとの投げやりな気持ちから、寺院の方に尋ねもしませんでした。期待された増田の皆様には申し訳ありません。
実際にやるとしたら、何十年後かに自分の人生のBパートに入った頃、猫の命日からその日までの中間リザルトの発表しがいが出てきてからにします。(どれだけ高いところに登ったか、何匹分のまぐろを食べたか、見つけた一番大きい虫のサイズなど、話題に尽きない)
どなたかにコメントいただいた通り、恐山は「あの世テーマパーク」だという感想に共感します。喪失したての人間には誰かの辿るかもしれない旅路を思わせ、そうでない人間には手軽な非日常感と到達感を与えてくれる場所でした。生きている人間のための施設であり、何より敷地内に温泉とお食事どころまであるのがそれらしさを補強しています。東西に散見される冥界のスタンダードに準じれば、ラーメンを食べ、膝下まで硫黄泉に入った自分は帰ってこれなくてもおかしくないのですが、今のところ無事にキーボードを叩けています。
## 要旨
2日前の増田に「札幌の徒歩圏マンションは“集まってる企業的に相応”だから市川より遥かに安く、適正は1000万円」という主張があった。けれど、それって企業の立場が擬人化されて書いてない? もし札幌・中心徒歩圏=1000万円が本当に適正なら、「じゃあなぜ片道60分の移動を続けるの?」という問いに自動で突き当たる。
通勤時間をゼロ評価(=自分の片道30〜60分を無視)したまま、「総生産量」「やりがい」「資産形成」だけで語ると、生活者の幸福が抜け落ちる。
この記事は生活者の視点で「適正額」を試算する。キーワードは時間家賃(じかん-やちん)――家の値段=立地+広さ+“毎日むしられる時間”だ。
参考に、東京の新築分譲マンション平均価格はいま1億円超(首都圏新築・2024年平均は1億485万円)で、23区の中古70㎡も直近で1億円台に乗る局面が出ている。これが生活者にとって“適正”なのかを、時間と代替地(高松・札幌)で測り直す。
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## 前作のダイジェスト
人口移動の足元:2024年の東京は依然として転入超過だが、伸びは鈍化。23区の転入超過は回復したものの、年齢階層ではムラが目立つ。
年齢構造の変化:20代は流入が続く一方、30代は2024年10月以降転出超過が指摘される(統計局の資料)。家族形成期が“中心で暮らす難度”を物語る。
通勤の現実:東京圏の鉄道定期利用者の平均片道所要は67.7分。時間消費が生活水準を直撃している。
企業はどこへ?:「本社移転」は2019年までは東京転入超過の年もあるが、機能分散(地方に研究・製造・BPO)が同時進行。2020年以降は一貫して東京都~関東からの転出超過で、“本社=東京集中”の一枚絵では語れない段階。
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元増田のロジックは「企業視点での総生産性最大化」だ。東京(本物)は取引密度が高く、希少な専門職の面接効率も良い。企業が払う地代なら説明がつく。
でも生活者にとっては違う。時間=寿命を燃やす通勤は毎日課金。東京の高い貨幣地価は、時間地価(言い換え:タイム地価)で割って再評価すべきだ。
>命題:家の“適正額”=「代替都市で同等生活を得るコスト」+「東京で失う/得る時間価値」の現在価値。
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### ①データの杭
高松市の公営(県/市)住宅の家賃帯は1.6万〜4.3万円台(間取り3K/3DK含む)。中心至近ではない(磨屋町2.0km, 家to目的地28分)が、市内要所へのバス移動で日常機能が完結する価格帯が現実に存在する。
東京の新築分譲平均は1億485万円(2024年)。23区の中古70㎡は2025年5月に1億88万円の局面。
家賃2.5万円/月(年30万円)を表面利回り6%で割り戻すと、約500万円の資産価値(30万円÷0.06=500万円)。都雇圏人口50万人以上では享受対象は飽和している故,機能“到達”が28分程度で満たせる.「28分生活」の最低ラインの再取得コストはこの桁になる。
> ここでの500万円は**“生活機能の再取得コスト”の目安であり、「分譲クオリティの広さ/築年」ではなく“暮らせる導線”の最低ラインを可視化するための共通スケール**。
東京で家→目的地28分のファミリー住戸は、1億円級に普通にぶつかる。同じ“到達時間”を買うためのコスト差は桁違いだ。
生活機能28分を買うコスト:500万円(公営最廉価相当スケール)vs 1億円級(東京の市場取引)
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「札幌・中心徒歩圏=1000万円が適正」は、市場実勢と乖離している。直近の市況では、札幌市の中古70㎡相場は数千万円帯が実務レンジ。中心区でも1000万円フラットは築年・立地条件が強く制約された例外的ピン点で、“徒歩圏の標準像”とは言い難い。1000万円を普遍の“適正”と言い切るのは危うい。
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東京(本物)の平均的な通勤:片道67.7分(鉄道定期利用者平均) → 差=52.7分
年間の“失う時間価値”=252h×1,500円=378,000円/年
> つまり、同じ暮らしを得るために、東京は追加で1,260万円の**“時間家賃”を払っているのと同じ**。
本来ならその分だけ“家の適正価格”は下がる――生活者の適正は、企業の適正より軽くなる。
(注)平均通勤時間は地域・職種で大きくブレるため、自分の通勤実測でNPVを差し替えてほしい。
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結論:賃金プレミアムは1〜2割台が実務レンジ。“時間家賃”のNPV(上の例で約1,260万円)を相殺するには弱い。住宅価格の倍率20倍を正当化できる材料にはならない。
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# じゃあ、**東京(本物)の“適正額”**はいくら?(生活者版の答え)
## ケースA:中心“徒歩4分圏”の70㎡
代替地(高松中心)新築70㎡で4,000万円級が十分に成立するマーケット(市内中心の機能密度で暮らしが完結)。
東京プレミアム(雇用機会・エンタメ“在庫”)を2割上乗せしても、4,800〜6,000万円が、東京(本物)の中心徒歩4分圏(銀座,上野,新宿等徒歩4分内)の生活者の適正レンジ。
実勢(新築平均1.6億円、23区中古70㎡1億円局面)との差:+10,000〜+11,200万円。
高松公営家賃2.5万円→利回り6%で500万円(**“生活機能再取得”**の最低スケール)。
私募REバリュエーションに寄せれば、同等導線の分譲クオリティでも1,500〜3,500万円が東京(本物)の片道28分生活者目線の妥当帯。
実勢(1.2億円級)との差:+8,500万〜+10,500万円。
## 総括
> 総括:企業の最適(在庫密度)で決まるのが東京の“市場価格”。
生活者の最適(時間×導線)で決めると、“適正額”は“市場”の半額以下に沈む。
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## 「間をとる」が適正? → **そんなことない。上限“2割増”**まで
企業の“在庫経済”と生活者の“時間経済”の半々で折衷したくなる。
しかし、時間家賃のNPVは日々確定的に出費される損失だ。一方、企業の在庫密度は個人の享受上限(1日0.5GB仮説のような情報処理限界)で逓減する。だから、折衷ではなく生活者重みで決めるべき。**“上限2割プレミア”**がまだ良心的だ。
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## 実際に“減っている30代”のシグナル
統計局自身の資料で、20代は転入、30代は転出超過が明記される。家族形成期の住居コストと時間家賃が臨界を超えると、転出が起きる――“生活者の適正”に市場価格が合ってないシグナルだ。
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1.札幌1000万円は市場の中央値でも生活者の適正でもなく、例外ピンの一般化。
2.高松の公営家賃(磨屋町2.0km家to目的地片道28分)は**“28分生活”の最低再取得コストを見える化する良い定規**。
3.東京(本物)の1億円は、企業の在庫密度の影で時間家賃のNPVを踏みつけにしている。
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東京(本物)の“市場価格”は立派だ。けれど生活者の適正額は**“時間”を入れた瞬間に半額以下に落ちる。札幌1000万円論も、高松500万円スケールも、東京1億円も、同じ定規(時間家賃)で測ろう。
家の値段は寿命の使い方**で決まる――それだけの話だ。
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## 参考データ・出典
首都圏新築分譲マンション平均価格(2024年1億485万円):不動産経済研究所まとめ記事。
東京23区中古70㎡が1億円局面:野村不動産アーバンネット(東京カンテイ提供データ)。
高松の公営住宅家賃帯(1.6万〜4.3万円台):香川県/高松市資料、MLIT資料。
平均年収:doda。最低賃金:厚労省/労働局(東京1,163円・香川970円)。
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徒歩4分=約320m半径、面積は約0.32km²。自治体レベルでは住居密度2万人/km²が限界だが、部分的にはもっと詰め込める。特に二階建てアパートメインで2万人/k㎡を達成していた中野区と違い、2020年以降は都雇圏50万人でも中心は15階前後マンション林立だ。つまり密度7倍(14万人/㎡)。故に“徒歩4分内6万人”。徒歩圏の議論は半径×密度で都度計算を。(この項は一般式の説明であり、具体都市の密度は用途地域で大きく変わります)
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## まとめ一行
“時間家賃”をチョキっと足して引けば、東京(本物)の住居の適正額は――
WBC決勝48.7
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サッカーワールドカップ最高視聴率14.8
ネットなき時代、電通の思う壷で実を結んだあのとてつもないJリーグ人気
ネットコンテンツしょぼき時代、電通の思う壷で60%の視聴率を記録した日韓W杯
これら2つの大大大成功があったのにも関わらず、野球は相変わらずこの国で超長期的な人気コンテンツとして君臨していて、サッカーのほうはもはや見る影がない
Bリーグも現状、フジの女子バレー以下のコンテンツに留まりそう
まず110年くらい前に今の甲子園が初開催されて(厳密に言うと当時はまだ甲子園球場でも高等学校でもないのだが)、たった2~3年後にはもう全国民が熱狂するオバケコンテンツになっていたという
ていうか野球以外のスポーツコンテンツで大人気のままサバイブしてるのなさすぎじゃね?
戦後に限れば、メディアや企業の思惑や努力通りに絶対的コンテンツとして君臨し続けたのって"プロ野球"と"箱根駅伝"の2つしかないやん
1988年?1989年?そのくらいまで箱根駅伝といえば世間で
「なんか毎年お正月にテレビ東京でなんか録画のダイジェスト放送やってるね」
程度の認識のコンテンツでしかなく、陸上をやらない人にとっては超空気のイベントでしかなかった
そんな箱根駅伝が突然あそこまで化けて、不動の人気を誇っているのも謎
日テレが放送権を手に入れて、往路復路の生中継開始したのなんて昭和→平成に元号変わるかどうかくらいになってやっとだし
(ちなみに、日テレ版箱根駅伝の記念すべき初回放送の貴重映像がYouTubeにあるけど、今みたいなシリアスさが皆無。
「大学生が国道をずーっと走って最後は箱根の山なんか登って走ってくんですよ~、おもしろいでしょ!?」くらいの見せ方をしてた)、
しかもあれは大正時代の第1回大会から今現在まで関東地方の大学以外は記念大会で呼ばれでもしない限りどれだけ凄いチームでも出場できないというローカルコンテンツでしかない
笑えないブラックジョークを思いついてしまったので増田に埋葬しておくよ。
騒動の根本原因はいじめ問題であるが、多感な高校年代における閉鎖的な集団での部活動で、いじめ問題を完全に解決、回避することは出来ない。
出来たらそもそも今回の騒動は起きてないし、闇サイトの類とかも地球上から消えている。
なので、次善策として、人の善意に頼らない「プロセス」の解決策を考える必要がある。
それは「加害者側が」「実名で」「地上波で」「さも聖人君子のように」「活躍を全国に披露する」という高校野球の仕組みに耐えられないからである。
例えば「1番 セカンド ドラ治郎」「4番 ピッチャー 楽天カードマン」みたいに、選手の本名を連想させないあだ名を与えて選手登録し、かつ顔全体を覆う仮面と長髪のカツラをつけて試合に出場させる。
勿論、試合中継上の画面表示もこの仮名とし、試合記録も仮名でつけさせる。
こうすることで、上述の「実名で」の部分が解消され、それにより大会直前の告発とそれによる混乱をある程度回避することが出来る。
しかし①だけでは足りない。体格である程度見分けついてしまうからだ。
なので、②として「地上波放送の廃止」を提言する。もちろん試合ダイジェストを地上波ニュースで放送することも廃止だ。
映像を観たい場合はYouTubeチャンネルあるいは他動画サービスでの有料動画のみとする。
ここまでやることで、大会直前のいじめ告発とそれによる騒動は回避出来るようになる。被害者側の告発モチベーションはダダ下がりになるだろう。
朝日新聞が主催者に居る吹奏楽コンクールにおいて、大会直前の告発が一切起きない。
その理由は単純で、出場メンバーの名前が全国に公開されないからだ。それと地上波で全国中継されないのも大きい。
・「動画を作らなさすぎる」
・「X(Twitter)に閉じこもりすぎている」
・「手数が少なすぎる」
・「マジメすぎる」
これらが非常に大きな要因である。
タイトルは少し煽りっぽいが、「リベラルの責任を追求する」という内容ではないので、みなさんには落ち着いて読んでほしい。
ただ、リベラルが圧倒的に「認知戦(イズム布教)」において戦略不足(下手すぎ)なのは間違いない。
なぜ右派ポピュリズムの影響力が強く、リベラルは戦略的に何が足りないのか、そしてどうすべきかを考える。
また、この記事では、それぞれの党派の正しさについては触れない。
例えば、「リベラル言説は現実性が無い」と言われたりするようなイズムそのものの評価は置いといて、ネット戦略(認知戦)・伝え方のフォーマットに絞って話を進めたい。
参政党が票を取った理由は、そもそも世の中全体で「ソフト右派」が大多数を占めていた(とっくにそうなっていた)からだ。
そのうえで、たまたま右派政党の中で参政党が選挙のプレイヤーとして一番上手かっただけに過ぎない。
「参政党はカルト性が強いから、カルト的な信者が集まった」とか「参政党=カルト」だという認識は的外れだし、むしろ楽観的すぎる。
たしかに彼らが右派政党の中でもっともプレイヤーとして優れていたのは間違いない。
しかしそれ以上に重要なのは、今の日本において中間層の「ソフト右派」が既に大多数を占めているという現実である。
だから「なぜ参政党が上手くやれたか」を追うよりも、「なぜ日本がここまで右傾化したのか」ということの原因がわからなければ、参政党が消えても別の右派政党が同じように票を取るだけなのである。
残念ながら、参政党の圧勝は日本の民意が反映された結果である。
あくまで、「日本全体が右傾化している」という現実をリベラル派は理解して戦略を立てなければならない。
みなさん、「フィルターバブル」「アルゴリズム」といった言葉をご存じだろうか?
例えばYouTubeで新しいアカウントを作り、料理のレシピを一度検索してみる。
すると、それ以降ホーム画面には料理のレシピばかりが表示されるようになる。
こうして「自分が一度興味を示した情報ばかりが優先的に表示される」状態が、フィルターバブルだ。
そして、そのフィルターバブルを引き起こす「プラットフォーム(YouTubeに限らない)ごとの仕組み(=アルゴリズム)」がある。
今のインターネットでは「何が表示されるか」は人の意思ではなく、プラットフォームの「アルゴリズム」によって自動で選ばれる。
「自分で検索した」と思っても、その検索結果は既にアルゴリズムによってフィルターバブルが起きているのだ。
フィルターバブルは「仕組み(アルゴリズム)が作り出す偏った状態」で、エコーチェンバーは「人のコミュニティの中で生じる偏った状態」である。
(一旦ここではそこまで厳密に考えなくてもよいです)
まず、YouTubeをログアウトして(シークレットブラウザでもよい)初期状態のまっさらな状態でホーム画面を開いてほしい。
「まずは検索してみましょう」と表示されているはずだ。
この状態で、「参院選 党首討論」などと検索し、選挙前の党首討論番組の動画を2~3個視聴してほしい。
党首が平等に出演したテレビの公式チャンネルの動画なので、この段階では特に党派性の偏りは無いはずだ。
しかしその状態で、再びYouTubeのホーム画面に移動してほしい。
アルゴリズムによって動画がずらっと一覧表示されるのをスクロールしていくと…
驚くべきことに、リベラル派・左派の動画コンテンツがまるっきり表示されないのである。
表示される動画の多くは、
・参政党、国民民主党、といった政党の支持者たちが作ったと見られる動画
などである。
普段そこまで政治に強い関心が無い若者が「そろそろ選挙だし調べてみるか…」と言って検索したらこの有り様なのである。
政治関連で党派色の無いものはニュース番組系の動画ぐらいだろうか。
ホーム画面に表示されない見えない力が働いているというわけではなく、そもそもリベラル派が作った動画がないのだ。
本当に(れいわ以外)一つも無いレベルで流れてこないので、リベラルの皆さんは是非上記手順を試してほしい。
この現象はYouTubeに限らずTikTokでも起きている。
YouTubeにしろTikTokにしろ政党の公式チャンネルだけやっていても意味がない。
YouTubeでは、政治やニュースの動画のコメント欄は、比較的保守派の声で埋め尽くされている。
チェンネルにもよるが、全体的に見てもリベラルの声は、かき消されるほどに少ない。
兎にも角にも、リベラルを叩き、保守的な観念を叫ぶコメントばかりだ。
今回の参院選でも、選挙関連の動画には「参政党」支持者のコメントが溢れかえっていた。
YouTubeでは、コメントした人のアイコンをクリックすると、「その人がそのチャンネルで書いた他のコメント」が全部見られる(たしか、近年この仕様になった)。
参政党に賛同するコメントをしている人を見てみると、別の動画でも同じような参政党支持のコメントを何度も書いているのがわかる。
こういう人たちがたくさんいて、それぞれが一つの動画に一斉に書き込むから、コメント欄が参政党支持のコメントで埋まってしまうのだ。
要するに、書き込んでいるのは、他の動画でも参政党を推し続けている特定の人たちで、そんなアカウントが大勢いて一斉に押し寄せている。
参政党の支持者達は、ネット言論の中でかなり意識的に大量動員されている印象を受ける。
X(Twitter)では怒号と罵詈雑言の応酬が続いているのに、一体どういうことなのか。
リベラルは「X(Twitter)に閉じこもりすぎている」のだろうか。
動画に対して大勢でコメントするリソースが、リベラルにはあまりにも足りてないのかもしれない。
しかしそんなことを言ったところで「コメント合戦」は認知戦(イズム布教)には絶対に欠かせないのである。
コメント欄というのは、認知戦の根幹をなす「空間支配」の最前線だ。
つまり、動画コンテンツを作るのと同時に、コメント動員力をつけなければならないのである。
自分たちの動画は大量の支持者達で埋め、他の動画にも支持者を総動員する。
リベラル政党の議員が出演している動画のコメント欄が、アンチだらけになっている現状は、無防備でマヌケと言わざるを得ない。(特に立憲にありがち)
「リッチでスローな」コンテンツというのは、映画やドラマのことを指す。
これに対して、YouTubeやショート動画は「チープでファストな」コンテンツといえる。
これまでリベラル的価値観の布教は、主に前者のフォーマットで行われてきたと言えよう。
しかし、どれだけ丁寧に予算をかけて作った映画やドラマよりも、無料かつ短時間で消費される「ポリコレうざすぎw」「うるさいフェミw」といった、チープでファストな「おもしろコンテンツ」の方が再生され、認知戦において大きな影響力を持ってしまうのである。
下手したら映画の興行収入よりも動画の広告収入の方が上回る可能性すらあるかもしれない。
「とある増田の投稿が話題に」や「リベラル衰退の理由にサヨク阿鼻叫喚😂」
と言ったコンテンツのネタにいくらでもさる可能性は十分ある。(もっとも、そもそも誰にも見向きもされない可能性の方が高いが)
さすがに上記のような苛烈な冷笑や揶揄のベクトルである必要はないし、そうしたトーンが認知戦のメインというわけでもない。
それでもやはり、リベラル側には「チープなコンテンツ」を作る作家が圧倒的に足りていない。
手数を打てる場所がX(Twitter)の中だけというのは、間違いなく弱い。
リベラルの価値観に共感する「匿名のクリエイター」たちが「動画コンテンツ」を量産しなければ勝負にならない。
最低でも「物量で拮抗するところまで持っていって、ようやくスタートラインに立てる」といえるだろう。
その気持ちは分かるし、必ずしも低俗&冷笑のフォーマットを真似する必要もない。
チープでファストなコンテンツの影響力に辟易している気持ちも理解できる。
だが、リベラルが「こんなクソみたいな動画に影響を受けるな」と言ったところで大衆には通じない。
リベラルがX(Twitter)でポチポチとレスバしている間にも、数百万回再生される「おもしろコンテンツ」が星の数ほど量産されていく。
人間は「みんながこう言っている」「みんなが賛同している」に、なんとなく正しさを感じてしまう生き物だ。
そこに、あたかも政治色や党派性など無いかのように、笑いや煽りでコーティングされた言葉があふれる。
リベラルには良識があるといくら思っていても、自分達の声が適切に届かなければ意味がない。
そして「届ける」というのは、ただがむしゃらに発信することではない。
「どうすれば分かってもらえるか」「どうすれば世間に浸透するか」といった分析と計画を持った施策が必要なのである。
それができないのであれば、少数の人達の中で世界が閉じていく未来しかなくなってしまう。
「ウケを狙いたくない」「揶揄はしたくない」「真剣に声を上げる」
それらが全く無意味な訳では無いが、それだけやっていても認知戦には勝てないのだ。
決して誰かを侮辱したり、笑い飛ばしたりするような露悪的な態度でなくても、一見落ち着いて中立的に見える動画という形で、バイアスを忍ばせつつ視聴者に価値観を届けるという方法もある。
もっと言えば、必ずしも政治ジャンルである必要もないのである。
特定の政党を支持しているわけではないクリエイターや配信者が、政治を前面に出したコンテンツを作っているわけでもないのに、ごく自然な会話や表現の中で保守的なイズムを発信していることがある。
彼ら自身は布教だと意識していなくても、結果として保守的な価値観を広げる役割を果たしているとも言える。
しかも、それらの発言は、前の段階の認知戦で定着した言説の影響を受けている場合も多い。
もはやリベラルは何手も遅れていると言わざるを得ない。
もう何年も前から「動画コンテンツ」が言論の強さを左右してきた。(政治じゃないトピックでもね)
「動画見ただけで分かった気になるなんて情弱だな」と確かに思うが、現実には、多くの人が可処分時間のほとんどを無料で見られる動画に費やし、その影響を受ける。
参院選の投票先をみても、普段から動画を見ている10代・20代が軒並み保守化していることがよくわかる。
左派で、戦略的に支持を集めているのは、れいわ新選組のみと言ってよい。
共産党も社民党も支持層は高齢化し、立憲民主党に至ってはブレーンがいるのかどうかも怪しい。
TikTokで新しく作ったサブアカウントで各政党名を検索してみると、立憲も共産も社民もネガキャン動画だらけだった。
挙句の果てに「ぴろゆきが思う一番良い政党」などというオススメ検索ワードまで上位に出たときは、苦笑するしかなかった。
しかし「そんなもんに影響されるな」という潔癖さを捨てて、「チープ&ファストに影響されるのは前提」として、戦略を建てないと何も変わらない。
リベラルがパッションで叫び続けても、その声はリベラルのエコーチェンバーの中で反響するだけで、外にはほとんど届かない。
一方で、保守派はネット空間を戦場として正しく捉え、早く・多く・効率よく動いている。
リベラル派は動きが遅すぎるし、ギリギリだし、常に後手に回っている。
バズの構造やフィルターバブルなど、アルゴリズムの理解も浅すぎるし、組織的な動員力がほぼない。
テキストベースのプラットフォームであるX(Twitter)を見る限り、リベラル派・左派の人口自体は相当数いるように見える(左右で拮抗している可能性すらある)。
にもかかわらず、彼ら(左派)は他のプラットフォーム(特に動画プラットフォーム)では全く動員されず、右派が圧勝している。
【参政党の闇が深すぎ・・】元公設秘書の自●|武田邦彦が暴露(ダニエル社長の週刊ニュース)
https://www.youtube.com/watch?v=wkgH5uVx8vc
(ダイジェスト)
――僕が前に、神谷さんから聞いたのは「武田先生にお願いをしたら、神谷さんあなたは出ないんですかって言われて、あなた出ないんだったら私も出ません、みたいに言われたから仕方なく出た」みたいなことを神谷さんがどっかで言ってたんですけど。これは事実ですか?
【武田邦彦】
嘘だと思いますね。彼(神谷宗幣)はもう「嘘」と「本当」がこう入りまじってますからね。
僕が付き合うような人っていうのはそう簡単に嘘の言わない人ばっかなんですよ。普通はそうです。ほとんどの場合、嘘ですから、彼(神谷宗幣)は。
まあ、本当のことってはめったに言わないじゃないですか。
もうほとんど嘘だからね。ただ日本人の場合ほとんど嘘を言う人がいないっていう風に思ってるので。今でも参政党になってる人もいるしかわいそうだと思いますね。
――参政党といえば、なんとなく「DIYで、みんなでつくる政党」みたいなイメージを最初から掲げていたと思うんですけど、それって最初からあったんですか? それとも、実は最初からなかったんですか?
【武田邦彦】
参政党というのは、もともと吉野さんとか、あとはもう亡くなられた平岡さんとか、ああいった方々が中心になって作られたものなんですけど、結論から言えば、最初から言っていたことは、ほとんど全部が嘘でしたね。
【武田邦彦】
はい、全部嘘でした。たとえば、自分たちの力でやるとか、他の団体のお金は使わず、自前でやるとか。そういったことは、すべて嘘でした。
僕が言ってきたことは、ただ一つ。「言ったことと、やったことを一致させてくれ」という、それだけなんですよ。武田が何を言われようと、僕が参政党の中でやってきたことといえば、ただ一生懸命、選挙運動をして、参政党を応援してきたという、それだけです。
それから、「民主的にやってくれ」とも言いました。これは、参政党の内部でどう決めるかは別として、政党助成金を受け取る以上、民主的な仕組みにしなければならない。これは法律的な話なんです。
つまり、独裁的な運営が良いという場合もあるかもしれない。でも、その場合は政党助成金は受け取れない。共産党が助成金を受け取っていないのも、そういう理由ですよね。
でも今の参政党って、党首を決める選挙もないし、全然民主的じゃないのに、政党助成金は受け取っている。それって本当に大丈夫なんでしょうか。
僕としては、法律的な議論はいろいろあるにせよ、ああいった体制のまま助成金をもらうのは、やっぱりおかしいと思うんです。だから、党のボード会議でも、「助成金を受け取る以上は、ちゃんと党首を選挙で選ぶとか、民主的な仕組みにしないといけない」と何度も言いました。
でも参政党は、もう最初から党首を変えられない仕組みになっている。それが最大の問題ですね。
【武田邦彦】
いま党の中にいる人たちの話を聞くと、もう全部「嘘のほう」を信じている。そういう状態なんです。だから、仕方ないといえば、仕方ない。
というのも、あれだけ頻繁に嘘をつく人って、普通あまりいませんよね。だから、見抜けないというのも分かる気はします。
でも、もう今の参政党に残っている人たちって、ほとんどが完全に信者になってしまっている。「何を言われても、それを信じる」という人しか、もう残っていないんですよ。
――それは、かなり危うい状況ですね。
【武田邦彦】
そうですね。客観的に参政党を見ながら、「よくなったらいいな」と思っている人は、もうほとんど残っていない。そんな状態になってしまった。
――変えようにも、もう手がないということですか?
【武田邦彦】
そう、変えようと思っても無理なんです。もう変える手段すらないんですよ。
(3)神谷宗幣はその時、その時、嘘をつくだけ
【武田邦彦】
今から考えれば、簡単なことなんですよ。別に、その時その時に嘘をつくだけのことだから。そんなのに真面目に相手していたら、まずいんです。
【武田邦彦】
パワハラの内容は、怒鳴り散らす、すぐクビにする、説明しない――もう、こういう感じなんですよ。
典型的な、「こんなパワハラあるのか」と思うほどのパワハラです。
それに、セクハラもありました。もう、そこら辺の女性にすぐ手をつける。
断わったら、「お前、公認しないぞ」だとか、そういう言葉になるんです。
だから当然、「これは危ないな、(自殺も)起こりうるな」と思って、僕も頑張ったんですけどね。
でも本部というか、その人たちが、党員とか公認候補の女性たちにまで手を出してしまう。
僕、「よくいるな」と思って。
――それ、誰の愛人なんですか?
【武田邦彦】
その人が、同じ会議に平然と座っている。
それがね、非常に不思議でね。
いや、どうなってんのかな。
――その人と神谷さんが愛人関係だというのは、もう明確なんですか? 噂とかじゃなく?
【武田邦彦】
もっと細かく言ってくれる人もいました。どういう生活をしているかとか。
それでね、今の質問は良くてね。
僕が「愛人」というと、「何でそんな噂を聞いたんですか」と聞かれるけど、そうじゃない。
僕は公的に聞いているんですよ。そういうことって、普通は言いませんよね。
みんなが公的に聞いているって、何でかっていうと――街頭演説でやってるんですよ。
そう、そんな感じなんです。
たとえば席なんかは、参政党の首脳部の会議で「誰それは神谷さんの愛人ですよ」と普通に言っているんです。普通なんです。
――それはもう、神谷さん本人が公表しているということですか? 内部的に?
【武田邦彦】
内部的というか、いや、街頭演説で「愛人がいて何が悪い」って言っているんですから。
――でも、「誰が愛人だ」とまではさすがに言っていないですよね?
【武田邦彦】
言っているかもしれませんね。かもしれないです。
それで、僕もこれちゃんと公的に聞いたんですけど、東京にいる時は「愛人の家から参議院会館に通っている」っていうのを、ちゃんと言っているんです。普通に、こう。
考えられないですよね。
――その矢先というか、そういう文脈の中で、あの元公設秘書の方の自殺が起きた。
【武田邦彦】
https://kakuyomu.jp/works/16818792436194059031
かの大物Youtuberことsyamu_gameがAI生成を活用して小説を書いたとのこと。
本当にこれ小説か?という疑問はさておき、レビューを投稿しても削除されるため、
+++++++++++++++++++++++++++++++
おそらく著者本人の私小説と思われるが、テーマの唯一性は一定の需要があるかと感じる。一方でその内容については難もあるため、その点を以下に記載する。
まず不自然なほど句読点が多く、読みにくい点が多々見受けられる。
また、地の文と会話文が同じ段落内に含まれており、句点と鉤括弧が連続して記載されるなど表現ルールからの逸脱が見られ気になる。さらに地の文と会話文が一体となっていることから読みにくさに拍車をかけている。
また、話の展開の仕方にも稚拙さを感じられる。まず冒頭は「炎上のきっかけとコラボ依頼」から始まり、場面が変わり「職場での嫌味な同僚」が登場し、また場面が変わり「コラボでの虚勢」に繋がる。一段落がかなり短く、場面がコロコロ変わる上に一貫性がないため「小説としての話のつながり」というより「出来事を羅列したダイジェスト」を見ている気持ちになる。小説という体で表現する必然性を感じにくい。
・語彙への違和感
心の壁が何を指すのかがわかりにくく、それまで「壁」についての表現が一切されていないので「最後の壁」が不明。単に父の「俺」に対する期待値が底をついたということであれば「父はこの言葉を受け、俺に対する希望を失ってしまったように感じた」など分かりやすく伝えることを心がけたほうがよい。ウィットに富んだ表現をしたいという気持ちが先走りすぎて、分かりやすく表現することが蔑ろにされていると端々から感じた。
たとえば「鉛のように重い体」や「その日、俺の世界は、完全に死んだ。」など、状況に対して適切ではない(なかば大仰すぎる)表現が散見され、内容の割にくどく感じる原因となっている。
また、本文とは異なるが「配信劇」という言葉が何を指すのか不明。「配信を使った復讐劇」と言いたいのだろうか。繰り返しになるが、難しいことを言おうとして意味不明な表現をしていることが気になる。
・因果関係のわかりにくさと著者の幼稚性
冒頭から[炎上騒動と警察沙汰]があり、その後[家族や近所との関係悪化]と続いているが、唐突に[出会い系アプリ]での釣りと[みっともないDM開示]がはじまる。純粋に「なぜ出会い系アプリなのか?」が疑問として残るため、著者の中では論理的整合性があるのだと思うが、それを分かりやすくアウトプットする努力が必要だと感じる。
また、みっともないDMをしたのは他ならぬ自分なのだから、逆ギレも甚だしい。私小説だとするならば、著者の幼稚性にただただ閉口するのみである。ここから「逆襲が始まる」と言われても…という印象は拭えない。もし修正するのであれば、その逆襲の理由付けをより丁寧に記載するよう努めることを推奨する。
+++++++++++++++++++++++++++++++
彼はかつて作曲をしていた頃から、プリセットを並べるだけ、ただ音を並べて不協和音を作るだけに終始していた。
今回もまたAIを使い出力された情報を並べているだけなので、小説ではなくダイジェストになっている。
読む価値はないし、彼自身仕事もしておらず毒を振りまくのみなので、今後も期待はできなさそう。
了
https://kakuyomu.jp/works/16818792436194059031
かの大物Youtuberことsyamu_gameがAI生成を活用して小説を書いたとのこと。
本当にこれ小説か?という疑問はさておき、レビューを投稿しても削除されるため、
+++++++++++++++++++++++++++++++
おそらく著者本人の私小説と思われるが、テーマの唯一性は一定の需要があるかと感じる。一方でその内容については難もあるため、その点を以下に記載する。
まず不自然なほど句読点が多く、読みにくい点が多々見受けられる。
また、地の文と会話文が同じ段落内に含まれており、句点と鉤括弧が連続して記載されるなど表現ルールからの逸脱が見られ気になる。さらに地の文と会話文が一体となっていることから読みにくさに拍車をかけている。
また、話の展開の仕方にも稚拙さを感じられる。まず冒頭は「炎上のきっかけとコラボ依頼」から始まり、場面が変わり「職場での嫌味な同僚」が登場し、また場面が変わり「コラボでの虚勢」に繋がる。一段落がかなり短く、場面がコロコロ変わる上に一貫性がないため「小説としての話のつながり」というより「出来事を羅列したダイジェスト」を見ている気持ちになる。小説という体で表現する必然性を感じにくい。
・語彙への違和感
心の壁が何を指すのかがわかりにくく、それまで「壁」についての表現が一切されていないので「最後の壁」が不明。単に父の「俺」に対する期待値が底をついたということであれば「父はこの言葉を受け、俺に対する希望を失ってしまったように感じた」など分かりやすく伝えることを心がけたほうがよい。ウィットに富んだ表現をしたいという気持ちが先走りすぎて、分かりやすく表現することが蔑ろにされていると端々から感じた。
たとえば「鉛のように重い体」や「その日、俺の世界は、完全に死んだ。」など、状況に対して適切ではない(なかば大仰すぎる)表現が散見され、内容の割にくどく感じる原因となっている。
また、本文とは異なるが「配信劇」という言葉が何を指すのか不明。「配信を使った復讐劇」と言いたいのだろうか。繰り返しになるが、難しいことを言おうとして意味不明な表現をしていることが気になる。
・因果関係のわかりにくさと著者の幼稚性
冒頭から[炎上騒動と警察沙汰]があり、その後[家族や近所との関係悪化]と続いているが、唐突に[出会い系アプリ]での釣りと[みっともないDM開示]がはじまる。純粋に「なぜ出会い系アプリなのか?」が疑問として残るため、著者の中では論理的整合性があるのだと思うが、それを分かりやすくアウトプットする努力が必要だと感じる。
また、みっともないDMをしたのは他ならぬ自分なのだから、逆ギレも甚だしい。私小説だとするならば、著者の幼稚性にただただ閉口するのみである。ここから「逆襲が始まる」と言われても…という印象は拭えない。もし修正するのであれば、その逆襲の理由付けをより丁寧に記載するよう努めることを推奨する。
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彼はかつて作曲をしていた頃から、プリセットを並べるだけ、ただ音を並べて不協和音を作るだけに終始していた。
今回もまたAIを使い出力された情報を並べているだけなので、小説ではなくダイジェストになっている。
読む価値はないし、彼自身仕事もしておらず毒を振りまくのみなので、今後も期待はできなさそう。
了
陰謀論とかカルトとかから脱出させるのに「否定はだめ」っていうじゃん
今回の高齢女性は産めない〜で周りからバッシングされるたび「正しいことを言ってるのに弾圧される代表可哀想!我々は迫害されている!?団結しなきゃ!」となってる気がするんだよな
実際、彼らが得意なSNS見てると「代表は正しいことを言ってる」「揚げ足取りしか出来ないアンチに負けないで!」と変なヒートアップしてるし
(そしてお決まりの、「参政党を批判するお前の支持政党はどこだよ」「アンチの貴方はなにじん?」と聞く極まったムーブをキメる)
それはともかく、街頭演説の映像見るたびに思うのが、この人(代表)上手いよなぁと
スピーチというか、言ってることスカスカで感情論ばっかなんだけど、信者を鼓舞させるなんというんだろう…演技がうまいんだよな
いろんな政党の街頭演説のダイジェストが流れるけど、この政党だけ聴衆からの「ウオオオオオオオオオオオ」の歓声が段違いなのよ
これが国会に紛れ込むの怖いなぁ…言ってることメチャクチャだし
でも「いや参政党だめだって!?」というと、信者は信仰のるつぼに入るんだよな
難しい
NARUTOはナルト→サクラ→サスケからナルト×ヒナタ、サスケ×サクラに帰着しナルトとサスケの間も虚無どころか延々ネチネチやっていた
呪術廻戦は虎杖・伏黒・釘崎の三人の中には恋愛を発生させないものとし仲が良い同期として、虎杖には成立するかは知らんが虎杖に片思いしている女を用意した
進撃の巨人は女の取り合いはエレンとジャンの間で起こるものとし、エレン・アルミン・ミカサの三人組には取り合いの要素を入れなかった 個人的に恋愛のフラグが全く立たないアルミンとミカサの関係、アルミンとアニがくっつきそうなときのミカサの反応などに面白みを感じていた
ジャン・サシャ・コニーの三人組の中にも恋愛を挟まないものとした
男2女1には様々な事例がありまあまあ上手くいっているように見える 収まりが良いロールモデルがあるように見える
女2男1でしっくりくる作品が一つも思いつかない