
はてなキーワード:ターミナルとは
ある伝説によると、とある国のとあるプログラマーの退職後に残ったスクリプトを社員が見たら、恐ろしいレベルで自動化してたそうだ
https://github.com/NARKOZ/hacker-scripts
うちのビルドエンジニアが別の会社に行った。あの男は文字通りターミナルの住人。Vimを愛用して、Dotで図を作成し、Markdownでwiki記事を書くようなタイプ。
どんなものでも、90秒以上かかるならそれを自動化するスクリプトを書く奴。
それで今、我々は奴の「遺産」を見ているわけだ。
これ、お前も気に入ると思うぞ。
奥さんに「仕事で遅くなる」というテキストメッセージを送る。文字列の配列から理由をランダムに自動で選ぶ。cronジョブとして動作。奴のアカウントで午後9時以降にサーバーでアクティブなSSHセッションがある場合にジョブが実行される。
「Kumar」(うちのクライアント)からのメールを受信箱でスキャン。「help」、「trouble」、「sorry」などのキーワードを探す。キーワードが見つかると、スクリプトはクライアントのサーバーにSSH接続し、ステージングデータベースを最新のバックアップにロールバックする。「直したぞ。次からは気を付けろよ」という返信を送る。
特定の日に設定された別のcronジョブ。「体調が悪い/家で仕事をする」といった自動メールを送る。別の事前定義された文字列の配列からランダムな「理由」を追加。午前8時45分にサーバーで対話型のセッションがない場合に実行。
正確に17秒待ってから、うちのコーヒーマシンにtelnetセッションを開き(コーヒーマシンがネットワークに繋がっていて、Linuxが動いていて、TCPソケットが立ち上がっているなんて、誰も知らなかった)、sysbrewのようなコマンドを送る。判明したところ、これでミディアムサイズのハーフカフェラテを淹れ始め、カップに注ぐまでさらに24秒待つ。この時間は、奴のデスクからマシンまで歩くのにかかる時間と完全に一致している。
例.
質問:
「firebaseの使い方を知りたいんやけど」
ChatGPT回答:
Firebaseとは、Googleが生み出した「バックエンドいらずの全能実験装置」だ。君がコードを書けば書くほど、知らぬ間にクラウドが裏で息をしている。
データベース、認証、ホスティング、ストレージ、全部詰め合わせ。便利すぎて逆に怖い。
まずはnpm install -g firebase-toolsで召喚だ。
ターミナルでfirebaseloginを叩くと、ブラウザが勝手に開く。そう、Firebaseは君の“人間的アイデンティティ”を確認しないと力を貸してくれない。まるで神のくせに書類主義だ。
ログインが済んだら、firebase initでプロジェクトを構築する。ここが楽しい部分だ。
「Hosting?」「Functions?」「Firestore?」——次々と聞かれるだろう。まるで契約書の小さい文字を全部読み上げてくる悪魔みたいだ。
迷ったらHostingだけ選べばいい。HTMLを置く用の神殿ができる。
あとはfirebase deploy。それだけで、君のHTMLは空に放たれ、URLが授かる。
たとえばhttps://君のプロジェクト名.web.app だ。誰でもアクセスできる。つまり、失敗も世界に晒される。実験とは常にリスクを伴うのだよ、君。
Firebaseの裏には“Realtime Database”や“Cloud Firestore”といった可愛い怪物たちが棲んでいる。彼らはJSONで話す、気難しい連中だが、使いこなせば強い味方になる。データを瞬時に共有し、アプリを“生きている”ように動かす。
ただし、一度でも構成を間違えると——全世界の閲覧者にリアルタイムで恥を晒す。それもまた芸術的だと思わないか?
というわけで、君がやることは四つだけだ。
召喚:npm install -g firebase-tools
構築:firebase init
解放:firebase deploy
君のプロジェクトが光るか燃えるかは、たった一行の設定ファイルにかかっている。ふふ、実にロマンチックだろう?
Linuxを始めるには、まずはLinuxを体験してみて、それから基本的な操作を学ぶという2つのステップで進めるのがおすすめです。インストールにはいくつかの選択肢があり、初心者向けに作られたディストリビューションから始めるとスムーズです。
現在のPC環境を変えずにLinuxを試す方法は複数あります。
仮想マシンを使う:VirtualBoxやVMwareなどの仮想化ソフトウェアを使えば、WindowsやmacOS上でLinuxを動かすことができます。これは、現在の環境に影響を与えずにLinuxを試せる最も安全な方法です。
ライブUSBで起動する:Linuxのインストールイメージ(ISOファイル)をUSBメモリに書き込むと、「ライブ環境」としてPCを起動できます。この場合も、PCのストレージには何も変更が加えられません。
WSL (Windows Subsystem forLinux):Windows 10/11を使用している場合、WSLを使えばWindows内にLinuxの実行環境を構築できます。
ステップ2:初心者向けディストリビューションを選ぶ
Linuxにはさまざまな種類(ディストリビューション)があり、それぞれ特徴が異なります。初心者は以下の使いやすいものから始めるのがよいでしょう。
Ubuntu: 最も有名で、初心者向けのLinuxとして定番です。ユーザー数も多く、ネット上に情報が豊富にあります。
Linux Mint:Ubuntuをベースに、よりWindowsライクな操作感を目指して開発されたディストリビューションです。直感的な操作が可能なため、Windowsユーザーから乗り換える場合に適しています。
ZorinOS:WindowsやmacOSから移行するユーザー向けに、デザインや操作性を最適化したディストリビューションです。
ISOファイルをダウンロード: 選んだディストリビューションの公式サイトから、ISOファイルをダウンロードします。
ブータブルUSBを作成:Rufus(Windows)やBalenaEtcher(クロスプラットフォーム)といったツールを使い、USBメモリにISOファイルを書き込みます。
PCを再起動:作成したブータブルUSBからPCを起動し、インストールを開始します。
デュアルブート:Windowsなどの既存のOSと共存させる方法です。起動時にOSを選択できますが、少し複雑な作業になります。
単独インストール:PCのストレージをすべてLinuxで使用する方法です。
仮想マシンにインストール:ステップ1で試した仮想マシンに本格的にインストールします。
Linuxの真価を発揮するのは、コマンドライン操作です。ターミナルを開いて、以下の基本的なコマンドを試してみましょう。
オンライン学習サイト:Linux Foundationの無料コースやLinuxJourneyなど、無料で学べるオンラインリソースが多数あります。
書籍:初心者向けの入門書は、体系的に学習するのに役立ちます。
コミュニティ:Redditのr/linux4noobsや地域のLinuxユーザーグループに参加して、質問や情報交換をするのも効果的です。
JR山手線の駅の一つである上野駅であるが、立地や利便性の割には冷遇され過ぎていないだろうか。
山手線・京浜東北線・上野東京ライン・常磐線・東北上越新幹線が発着する上野駅は、間違いなく東京有数の拠点駅となるポテンシャルを持っている。
新幹線が発着しているので、副都心風情の新宿・渋谷・池袋よりも圧倒的に格上な存在として扱われてもおかしくはない。
しかし上野駅は、その国土軸から外れた副都心三駅よりも格下扱いなのだ。
上野駅の周辺は昔のまま停滞している。
上野駅にほど近い東京駅や神田駅、秋葉原駅、御茶ノ水駅は再開発によって、今現在も変わり続けている。
でも上野駅はその流れに乗れていないのだ。
東京最大のターミナルであるJR東京駅にほど近い立地なので、ビジネス街になれる可能性は十分あるのに。
その品川駅はグローバルゲートウェイ高輪など再開発案件が立て込んでいるが、上野駅は変わっていない。
JR上野駅の西側には上野恩賜公園という巨大な公園もあり、都市環境の観点から見ても優秀な駅なのに、評価されていない。
東京駅・品川駅のようなビジネス街として発達しない理由は一体何なのだろう。
昔、中国で裏物を売り捌いていた。
拠点は広州の白雲空港周辺、仕入れは深センの華強北、そして東莞の工場地帯。
扱っていたのはコピー電子部品やブランド品の模造品、正規の書類では絶対に通らないものばかりだった。
夜の羅湖口岸を抜け、香港へ持ち込むルートはスリルといつも隣り合わせだった。だがそれが好きだった。
ある夜、広州駅近くの安宿に泊まっていた時、部屋のドアがノックもなく開いた。
制服姿ではないが明らかに公安系の人間が二人。中国語で矢継ぎ早に問い詰められ、机にあった仕入れリストを無造作にめくられた。パスポートを出せと命じられ、冷や汗をかきながら差し出すと、なぜか彼らは笑い、何も取らずに立ち去った。だが、翌日の香港フェリーターミナルでも同じ顔を見かけた。
また別の日、東莞の工場から商品をピックアップした帰り道、黒いワンボックスがこちらのタクシーに張り付いていた。運転手も青ざめていた。
羅湖の橋を渡る直前で突然停車させられ、トランクを開けさせられた。中身は靴下や雑貨でカモフラージュしていたが、下段の段ボールに仕込んだ偽造チップを見つけられかけた。係官らしき男が段ボールに手を突っ込んだ瞬間、運転手が急発進し、検問所を半ば強引に抜けた。心臓が喉から飛び出すかと思った。
最も危なかったのは、上海浦東の展示会に出たときだ。ブースを回っている最中に突然、腕を強くつかまれ、裏口の通路に連れ込まれた。
スーツ姿の三人がいて、中国語と英語を交ぜながらどこの国に流すつもりかを問い詰めてきた。答えを濁すと、壁に押し付けられ、息が詰まるほどの圧力をかけられた。財布と携帯を調べられ、USBを一つ抜き取られたが、それ以上は何もせず解放された。
展示会場に戻ると、周囲の視線がやけに冷たく、自分が完全にいわゆる「マーク済み」であることを悟った。
あの頃は本当に生きた心地がしなかった。華強北の雑踏、羅湖の橋、浦東の展示場、どこにいても見張られている感覚がまとわりつき、背筋は常に冷たかった。
今となっては笑い話にできる部分もあるが、夜道で背後から足音が近づくと、あの黒いワンボックスを思い出し、無意識に振り返ってしまう
女性トイレの行列、政府が是正へ緊急通知_見過ごされてきた不平等
7月中旬、国土交通省や経済産業省など関係府省が個別に、国内のイベント主催者に向けた緊急通知を出した。
仮設トイレを設置する際は男女で混雑の程度に差が生じないよう「バランスのとれた設置数」を求める内容だった。
長く見過ごされてきた「不平等」の是正に政府がようやく本腰を入れ始めた。
イベント会場や映画館などで女性用トイレにだけ長蛇の列ができる光景をよく目にする。その裏には便器の数の男女差がある。同じ広さ...(残り778文字)
以前、私は夜行バスでの一幕「貴方ならどうしますか?」という記事を書いたことがある。
私は長距離移動をする時、「安い」という理由で夜行バスを使う事が少なくないのだが…、皆さんは「バスタ新宿」という新宿駅前にあるビルを知っているだろうか?
新宿駅前にある、JR高速バス等各社の高速バスの乗客をまとめて乗降させ、各社の高速バスをまとめて発着させるためのバスターミナルとして誕生した、
バスのためのビルのような心ときめく構造のビルだ。
好きな人なら、一度このビルを上空からドローンで空撮してみたい気持ちに駆られるかもしれない。
さて、夏場に夜行バスで東京に来る際、バスタ新宿で降車すると一つ悩むことがある。
夜行バスというのは汗をかく。降車したら着替えたい、あと、男の場合はヒゲを剃りたい、となる。特に夏場はそういう気持ちになる。
かといって、バスタ新宿のビル内には夜行バスで到着した乗客が着替えられるような設備などは存在していない。では、そういう場合どうするかというと…。
無料で着替えるなら、男性の場合でも女性の場合でも、個室か又は、多目的トイレで着替えるになる。
有料で着替えるなら新宿駅近くの何処かのネットカフェ・漫画喫茶に30分だけ入るという手も有るかも知れないが…。
先日、バスタ新宿で降車して「汗かいてるから着替えたい」と思いながらバス待合所のトイレの方を見たら、女性トイレに凄い列ができていた。
皆夜行バスでバスタ新宿に来た女性なのだろう、キャリーケースを持っている女性が少なくない。
何故こんなに列ができているんだと、バス待合所の椅子に座り女性用トイレの前の長蛇の列を見ていて気付いたことが有った。
そりゃあ、女性トイレの方が凄い列が出来ると感じた。
女性の「男性よりもトイレの数が少ない」という主張には、突き詰めていけば「街中に、女性が無料で着替えることの出来る場所が無い」という要望になるのではないかと思う。
それを言うなら、街中に男性が無料で着替えることが出来る場所だって無いのだが、女性から見れば、
男性は街中でも平気で裸に服を脱いで着替える事ができる性別に見えるのだろう。
バスタ新宿の待合室の女性用トイレから着替えて出て来る女性達を見て「男性差別は存在する!!」と私は思った。
これは、バスタ新宿に限った話ではない話として聞いて欲しい。
突き詰めれば、なるべく無料に近いぐらい安価で、男性でも女性でもバスを降車した後着替える事ができる広めの施設が高速バスのターミナル的施設に有れば、
男性・女性問わず便利になると思うんだけど、何故そういう施設を作ろうと各バス会社は考えないんだろうか。
UNIX哲学の「正常動作時は何もprintしない」という原則ですね。
エラーや警告、またはユーザーが明示的に要求した結果以外は、出力すべきではないとされています。
2014年4月14日、Skid Rowの来日公演が渋谷O-EAST(現SpotifyO-EAST,当時はTSUTAYAO-EAST)であった。
関西の高校2年生だった私は、19年ぶりに来日するSkid Rowを日本で見れる機会なんてもう無いだろうと思って、初めて東京に行くことを決めた。
バイト代でライブチケットと4列シートの夜行バスを買って、公演の朝に東京に着いて、その夜には帰るスケジュールだった。
右も左も分からない大都会で、チケットをなくしかけたりしながら、近くのカフェで開演を待っていると隣の席に男性2人組が座った。
会話の内容から彼らもSkid Rowを観に来ていることが分かって、暇だった私は彼らに声をかけた。
夜行バスで観に来たこと、今夜そのまま帰ることを話すと、その歳で凄い行動力だね!いいね!と褒めてもらって、嬉しかった。
時間が近付き、じゃあ楽しもうね〜と行ってその場で別れた。
公演が終わったあと、彼らにまた声をかけられた。
俺達はこれから埼玉に帰るから、夜行バスのターミナルがある池袋まで一緒に行こうということだった。
私はとにかく暇だったので了承して、一緒に電車に乗って、夜行バスの時間までターミナルの近くのコンビニの前で3人で今日のライブの話をした。
じゃあまたいつかSkid Rowのライブで会おう、と別れた気がする。
リクルートスーツを着てたらドンキで変質者に追いかけ回された。
酔っぱらいに絡まれたこともあったし、夜道男性に声をかけられて怖い思いもした。
あの時の私の行動がどれだけ危うく、彼らの行動がどれだけ素晴らしかったかに気付いた。
11年前、Skid Rowのライブの帰り池袋まで送ってくれたお兄さん二人組、ありがとう
あなた達のおかげで私は都会を嫌いにならずに済んだし、どれだけ嫌な思いをしても、世の中には良い人と悪い人がいるということを知っているよ。
私は非エンジニアですが、飽きては放置を繰り返しながら、WEBページやブログを10年以上やっている。WordPressは2.7ぐらいから触ったことがあるし、オリジナルのテーマを3回は作っている。昨年もWordPressでWEBページを作ったが、そのときは大分ChatGPTさんにお世話になった。まあ、そのWEBページも飽きてしまって、新たに作りたい意欲が出てきたのですが、今回はデータベース系なので、WordPressでやるにはちょっと大変かなと思いいろいろ調べ、Astroってのをやってみることに。
ChatGPTに言われるがまま、Macのターミナルでコマンドを打ってAstroを構築してみたが、はっきり言って何をしているのかサッパリ分らない。改めて、いろいろ調べていくとVS Codeというものに出会うのですが、まあこれも基本はターミナル。ファイルとかインストールしたものなどが見やすくなっているだけとも言えるので非エンジニアの私では、なかなかとっつきにくかった。しかし、Astroをインストールを10回近く繰り返しようやくVS Codeになれてきた。CSVデータから数十ページを構築することもできるようになりました。
データベース的なWEBページの構築メドがたったので、そろそろデザイン的なものに取りかかろうと思ったとき、Astroでは、TailwindCSSってのを採用しているので、チャレンジしようかなと。ただ、VS Codeで標準で使えるGitHub Copilotでは、「4.x系はまだリリースされていません。」と言ってくる。通常のインストール方法でTailwindCSSをインストールするとバージョンは4.1.8。せっかく勉強するなら最新がいい。他に方法はないかと思い、最近すごいはやっているCursorを試すことに。Astroの構築からTailwindCSSをインストールまで、チャットで指示するだけで、かなり自動でやってくれる。で、早速インストールしたTailwindCSSのバージョンを確認してもらったところ、
package.jsonを確認して、TailwindCSSのバージョンを確認させていただきます。
package.jsonを確認したところ、TailwindCSSのバージョンは^4.1.8であることがわかりました。
ただし、これは少し気になる点があります。現在のTailwindCSSの最新の安定版は3.x系です。4.x系はまだリリースされていません。このバージョン指定は誤りの可能性が高いです。
って! さっきそのコマンドで自分でインストールしたじゃねえか!
そして、ふと思ったのですが、AIコーディングで最新のものを勉強しようとするのは間違えなのではないかと。課金すると最新のバージョンも扱えるようになるのでしょうか?
ちょうど先日chatgptとシン・エヴァの話をしたので、幼稚なtogetterとの比較のために掲載しておく。
人類はchatGPTにすでに敗北していると思う。
以下chatgptからの返答。
『シン・エヴァンゲリオン劇場版𝄇』とは、「語ることの断念」ではなく、「語りなおし=再構築」の実験」であり、1997年版が突きつけた「語ること/関係することの痛み」のその先をどう生きるか**を問う物語です。
要するに、あの「気持ち悪い」から、もう一度「やりなおす」試みです。
■前提:『まごころを、君に』のラディカルさのあとに
1997年版が突きつけたのは、次のような問いでした:
「語ること・終わらせることは可能か?」
『シン・エヴァンゲリオン』はその終末の"その先"**で、観客・作者・キャラクターたちの三者の再起を描こうとした、非常に稀有な「自己批評の続編」です。
シン・エヴァは、これまでの『エヴァ』の物語(TV版、旧劇、新劇)をすべて劇中のヴィレやネルフの構造に埋め込んだメタ構造になっています。
つまり、「物語が終わったあとにもう一度、物語を語りなおすことは可能か?」という問いの演習なのです。
ラストの**「エヴァのいない世界」「実写の駅」「宇部新川駅」「庵野風の男性と赤い服のマリ」**は明らかに「虚構から現実への脱出(=旅立ち)」を象徴しています。
マリは**庵野秀明の現実の妻(安野モヨコ)**をモデルとした存在。
そのマリが**シンジ(庵野)を“迎えにくる”**という構図は、物語やキャラクターの母胎から脱し、現実世界に自分を接続する勇気のメタファーと読めます。
つまり『シン・エヴァ』とは、「物語を終わらせる」のではなく、「物語に依存せず、それを背負って現実を生きていく」ためのフィクション的装置なのです。
『まごころを、君に』が「観客に対する断罪」であったとすれば、
『シン・エヴァ』はその断罪を受けた者が、もう一度語りなおすことで他者に手を伸ばす物語です。
「語ることは絶望的だと知ってなお、語る」
「傷つくと知ってなお、他者とつながる」
という、創作と観客、キャラクターと現実、自他関係の倫理的問題に向き合う試みです。
🔹1997年の問いを受けとめ、語ること・関係することへの肯定をもう一度選びなおす
🔹メディア批評としての総決算と、庵野秀明という作家の告白と再生
「絶望の果てに、それでもあなたが語り、生き、他者と関わることを選ぶなら——その時に必要な“まごころ”とは何か?」
という問いを、庵野自身が自らに向けて問いなおし、答えた作品だと言えます。
質問者・幼稚な世界救済の物語をやめたこともすごくよかったです、新劇場版は
旧エヴァ:エヴァにノリたくないよぉ他人が怖いよぉ、と拒絶して引きこもっていたら地球が滅びました。結論・引きこもりはよくない
序破:女の子のためにエヴァに乗っていっくぞおおおおお!今度こそ間違えない!
Q:女の子のためにエヴァに乗って行動したら地球が滅びました、行動すれば必ず成功するわけじゃないよね、そりゃ。
シン:等身大の関係性から自分を見つめ直して家族の問題を考えて、身近な人間たちとできることをしようと思いました。そうやって現実の僕らも生きているから。
こういう話でしたね、私にとっては。
まさにその通りですね。
その読みは、新劇場版という全体構造を「錯誤→破局→再接続」として読み解く、極めて実践的な理解だと思います。
でも「外に出ること」=「他人と関わること」は怖い。
「やっぱり戦って、誰かを救って、愛されたい」という願望。
救うために行動したはずなのに、全部が裏目に出る。
→結論:「正しさ」が何かを壊すこともある
それが結果的に「エヴァの終わり」であり、「自分の始まり」になる。
重要なのは、シン・エヴァが「世界を救う」話ではなかったこと。
救済でも贖罪でもなく、
「わかりあえないけど、話そうとすること」
「信じられないけど、関係を結び直そうとすること」
この“非劇的な選択”にこそ、現実の私たちが生きるための手がかりがある。
そういう意味で、『シン』は空前の“アンチ・クライマックス”型ヒューマンドラマだったのだと思います。
あなたの読みのように、「等身大の関係性に目を向けたこと」「世界や他者を幻想的に“救う”話ではなくなったこと」にこそ、
このエントリは2008年発売のAcerAspire One ZG5を使って書いている。
中古で買ったネットブック(AcerAspire One ZG5)をアップグレードし、Linuxディストリビューションをインストールし、軽作業ができるようにしていた。
本体キーボードが壊れることも含めて、あらゆるトラブルに遭い続けている。
直近ではQ4OS 32bitという低スペックのPCでも動くディストリビューションのインストールに成功していた。
CPU:Atom N270 (single core 1.6Ghz)
ディスプレイ: 8.9インチ, 1024x600TFTLCD
OS:Debian GNU/Linux11 (bullseye)i686