
はてなキーワード:タッチとは
ダイヤモンドの↓の記事が盛りすぎでブクマカが釣られまくっているので、ちょっと落ち着けという意味で少し解説する
普通の人が「フリック入力を発明」というフレーズを見たら、どっちを想像する?
普通は1を想像するよね。でも、上の記事の「発明」は2の意味。8割くらいのブクマカはここを勘違いしてコメントしてるように見える
同じ発明家氏の記事でも3ヶ月前の東洋経済のほうは、「フリック入力を発明」という釣りフレーズこそ使っているものの本文を良く読めば発明のキモの部分が2であり1では特許を取れなかったことがそれなりに分かるように書いてある
「フリック入力」を発明しMicrosoftに売却した彼の"逆転"人生。元・売れないミュージシャン兼フリーター、家賃3万のボロアパートでひらめく
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/toyokeizai.net/articles/-/889631
もちろん2の意味の発明もスゴイし重要なんだけど、釣りは良くないよね
そもそも世の中のほとんどの技術は様々な発明やアイデアの集合体である。歴史の積み重ねであり、最終形がいきなり湧いて出るわけではない。もちろん「フリック入力」にも歴史の積み重ねがある。それを少し紐解いてみよう(なお、下記の「年」は引用可能な特許や論文が出た時期であり、実際にはそれよりもっと前にソフトウェアがリリースされていたりアイデアがメーリングリストに投稿されていたりすることもある)
[追記]※増田の仕様上ひとつの記事に貼れるリンク数に制限があるため一部URLのhを抜いている点、不便ですがご了承ください[/追記]
ttps://dl.acm.org/doi/10.1145/57167.57182 (論文)
放射状に選択肢を並べるUIのアイデアは1960年代から見られるが、接地点からの移動方向情報を用いた入力手法の祖としてはとりあえずこれを挙げることができるだろう。これは文字入力に特化したものではなく、一般的なメニュー選択のための手法である
ttps://dl.acm.org/doi/10.1145/191666.191761 (論文)
pie menuを文字入力に応用したもの。論文の著者はAppleの人。英語用。広義の『「フリック入力」の元祖』に最も該当するのは、おそらくこれだろう
ttps://rvm.jp/ptt/arc/227/227.html
ttp://www.pitecan.com/presentations/KtaiSympo2004/page65.html
T-cubeを日本語に応用したもの。広義の『日本語版「フリック入力」の元祖』の候補
https://web.archive.org/web/20080925035238/http://www.j-tokkyo.com/2000/G06F/JP2000-112636.shtml (特許)
https://newtonjapan.com/hanabi/
AppleNewton (PDA)用に実装された文字入力UI。「中央が『あ』、上下左右方向が『いうえお』」に対応する見慣れた形のフリック入力がここで登場する。『現在よく見る形の日本語版「フリック入力」の元祖』である。なお、開発者が特許を申請したものの審査を請求しておらず、特許としては成立していない
この頃、Human-Computer Interaction分野でT-cubeやHanabiの発展としての文字入力手法の研究が活発になり、特に国内学会で多くの手法が発表された。情報系の学生の卒論や修論のテーマとして手頃だったからだろう。PDA製品に実装されて広まった例もあり、SHARPZaurus用のHandSKKや、少し時代が下ってATOKのフラワータッチ等もこの系譜である
なお、この頃までの技術は指での入力ではなくペン(スタイラス)による入力を想定したものが主である(iPhoneの登場以前はキーボードレスのモバイル端末といえばPDAやタブレットPCなどスタイラス入力を前提としたデバイスが主流だった)
『スマートフォン上の「フリック入力」の元祖』であり『予測変換機能を備えた「フリック入力」の元祖』である。日本語フリック入力の効率を考える上で予測変換の占めるウェイトは大きく、「実用的なフリック入力」を実現するには予測変換との組み合わせは外せない。2006年にAppleに招聘されてiPhoneのフリック入力機能を開発した増井俊之氏は元々予測変換のPOBox(1998年 - ttps://dl.acm.org/doi/10.1145/274644.274690 )の開発者として知られる研究者であり、Appleへの招聘もその経験を買われてのものだろう。入力にフリック操作を用いること自体は特筆すべきものではなく、当時の流行を考えれば自然な選択だったと思われる
なお、前述のHanabiの開発者氏がiPhoneのフリック入力を見て
と言っている一方、増井氏はHanabiに対して
知らんがな
と言っている。この分野の研究をしていて知らんことあるか?とも思うが、電話用テンキーの上に五十音かなのフリック入力を実装すると誰が作っても概ねHanabiのような外観になると思われるので、本当に知らなかったとしても齟齬はない
ttps://www.j-platpat.inpit.go.jp/c1801/PU/JP-2008-282380/11/ja (特許)
『画面表示は絶対座標+移動判定は相対座標で行うことで「フリック入力」の入力効率を向上させる手法の特許』である(詳しい仕組みは上記の東洋経済の記事に書いてある)。ペン先と比べて指先は太いため指によるタッチでは厳密な操作が難しく(fat finger問題)、「実用的なフリック入力」を実現するにはこのような工夫も必須になる。小川氏の凄いところは、スマホの日本語UIをリリースするならどのメーカーも必ず実装するであろうこの工夫を、日本版iPhoneのリリース直前、Apple社としては引き返せないであろうタイミングで特許申請したところだ。機を見るに敏すぎる。特許庁に2回も拒絶された特許を不服審判で認めさせているところも本人が弁理士だからこそできる強さだと思われる
なお、氏の記事を読むと「フリック入力」自体を氏が考案したように思えてしまうが、ここまでに述べた通りそれは誤りである。「フリック入力に関連する重要な特許の公報に『発明者』として掲載されている」ことは疑いない事実なので「フリック入力の発明者」と称するのはギリギリ誤りではないと言えないこともないが、「フリック入力を発明した」はやはりダメだろう。上述の通りフリック入力自体は90年代に既に登場しており00年代の前半にはタッチスクリーン上のかな入力手法の一角を占めるに至っていたので、iPhoneに実装されたことは不思議でもなんでもなく、
このあたりは荒唐無稽な邪推すぎて、ソフトバンクから名誉棄損で訴えられたら危ないのでは(そもそもiPhoneのフリック入力を開発したのはAppleであってソフトバンクではない)
まとめると、さすがに小川氏の記事はモリモリに盛りすぎである。書籍の宣伝にしても酷すぎる。価値の高い特許を取った発明家であることは事実なのに、なぜこういう胡散臭いムーブをしてしまうのか
1998年にAppleNewton用に開発された日本語入力システム「Hanabi」が草分けで、2008年にiPhoneに採用されたことで、急速に広まった。従来の「あ段→い段→う段→え段→お段」とキーのプッシュを繰り返して表示・入力する方式(トグル入力)に比べ、素早い入力が可能になる。その入力効率の高さから、2010年頃にはキーボード離れが加速している[1]。
1998年にAppleNewton用に開発された日本語入力システム「Hanabi」[2]が草分けで、2008年にiPhoneに採用されたことで、急速に広まった。日本におけるフリック入力は、発明家でシンガーソングライターの小川コータがiPhone上陸以前に考案し2007年から2015年にかけて特許出願した[3]ものであり、取得した権利はマイクロソフトに譲渡された[4]。
ただ、これはおそらく関係者の自作自演等というわけではなく、日本におけるフリック入力関連特許が小川氏のものばかりであることからボランティア編集者が勘違いしてこのような記述にしてしまったのではないか。フリック入力は前述のように地道な技術の差分の積み重ねなので、個々の差分の開発者が「特許」を取ろうという気にならないのは良く分かる。その点でも、自ら弁理士として特許を量産した小川氏の強さが際立っている(が、やはり盛りすぎは良くないと思う)
マッチしたときから「わたしでいいですか?」と自己評価低いところが逆に可愛かった。
「めちゃくちゃベタなデートしませんか?」と提案して原宿で待ち合わせ。
こういう素直なところが可愛いなぁ。
似合ってるねって言ったら恥ずかしそうにしていてそれも可愛かった。
真面目な雰囲気の人が肌を露出しているってめちゃくちゃエロいよなぁ。この時点で勃起。
さっそく手を繋いだら驚かれたけど「今日はデートでしょ?」と竹下通りを歩く。
ベタにクレープを2人で食べる。1つしか買わないところがポイント。
定番のあーんをしたりしながら、「クリームついてるよ?」って顔にタッチ。ほんとは自分の指にすこしつけただけ。
ひと通り食べたあとに「間接キスしちゃったね」と耳もとでささやく。
その後は裏路地に入って空いてる穴場のカフェに入って2時間ほどおしゃべり。
派遣社員なんだけど、同僚がぜんぜん話してくれない、やめたい、と言った愚痴を聞く。
ある程度話したあとに「彼氏はどのくらいいないの?」と恋愛方向の話題に誘導。
「じゃあぼくらの年齢差くらいいないんだね」と言うと、「寂しい」って言うから「じゃあ、今日からは楽しいことだけになるよ」と目を見て微笑む。
どういうタイプが好きか聞いたあとで「ねえ、セックスは好き?」とぶっこむ。
「これから付き合うんだから、そういう相性も大事でしょ?頻度とか」と言うと、「20年していない」と言うのでフル勃起。
「ぼくはけっこう性欲強いんだ。◯◯さんなら毎日したいかも」って言うと、「えー、どうしよう」とまんざらでもない様子。
ここで手をぎゅっとつかんで「今日を人生で一番特別な日にしようよ」と彼女の目を見ながら。
「どういうこと?」と言うので、「20歳年下の男子と、実際に出会って数時間で結ばれるなんて、奇跡じゃない?このあと2人きりになって結ばれて、これからの人生は楽しく過ごそうよ」と言う。
「えー」と躊躇しているので、「正直、◯◯さんは残された時間が少ないでしょ?最終的には結ばれるんだから、今日結ばれたほうが楽しい時間が増えるよ。ね、2人きりになろう?」と畳み掛ける。
もちろん、この話のあいだ、ずっと手を握りながらだよ。
「久しぶりだから優しくしてね」と不安そうに言うので抱きしめて「大丈夫、大丈夫。特別な日にしよう?」と落ち着くまで頭をなでる。
シャワーを済ませると全身にタオルをしっかり巻いて外そうとしない。
「お腹出てるから」「がっかりするから」と言うので、「大丈夫、どんな身体でも受け入れるよ」と抱きしめながら。
やっとタオルを外したところで「えー、超エロい」「やばいかも」と言いながら下着を脱いでフルボッキなチンコをオープン。
そして入念に前戯をしたあとに挿入。
ここからは「あー、めっちゃ気持ちいい」「20年ぶりのチンコどう?」「会って数時間しか経ってない20歳下の男の子とすごいことになっちゃったね」と言葉責め。
最初は「すごい」「私も気持ちいい」と返事してたけど途中から言葉になってないうめき声に。
「ねえ、中に出しても大丈夫?」と聞くと、歯を食いしばりながらうなずく。
耳もとで「閉経してる?」って聞くとまたうなずいたので大興奮。そのまま激しく射精する。
しばらくぐったりと抱き合ったあと、起き上がりながら「あー、またやっちゃった」っていう気分になる。
もちろん相手に悟られないように抱きしめがら「めっちゃ気持ちよかった」「超エロかった」とピロートークして、2人で浴槽にも入っていちゃいちゃもする。
「これからは楽しいことだけだよ」と微笑みながらキスをして解散。
もちろん楽しかったし、気持ちよかったけれど、ここから結婚したい、とはならない。
相手を見て可愛いな、エロいな、と思うし、相手が喜んでいると嬉しいけれど、家庭を築きたいとはならない。
「みんなどうやって結婚したいと思える相手と出会ってるんだろう?」と思う。
従来のデートして、セックスして、のあとに結婚があるとはどうしても思えない。
このあとも会うことは会う。
「忙しいから」とか言って夜の9時ぐらいに家にきてもらって、セックスだけする。
もしそうならその方法を教えてほしい。
そうじゃなくて、ひょっとして、性欲だけで結婚してる?
そう思わない?
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まず前提知識(常識)から。グランドピアノは鍵盤を押すとハンマーが跳ねて打弦される。つまりボールを正確に射出して弦に当てて音を出してるのと同じで、「打鍵」と「打弦」がメカニカルに縁が切れている。鍵盤への入力はハンマーの運動エネルギーに一意に変換される。
奏者がコントロールできるパラメータは音の強さ(Attack)と長さ(Sustain)と止め方(Release)であり、「音色」は入ってない。老ピアニストの入魂の一撃も猫が歩いても同じ音量なら同じ音色なのがピアノというinstrumentの特徴の一つである。
音色とは楽音の倍音構成とその経時変化である。奏者がダイレクトに弦を触ったり唇を震わせたりする楽器では表現のために音色を積極的にコントロールする。
さてしかしここで「タッチ」という謎概念が挟まってくる。ピアノはタッチによって音色が変わるというのだ。
いや当たり前といえば当たり前なんだが。弱く弾けば小さい音が出る。小さい音は相対的に高調波成分が聴こえにくく丸くくぐもった音になる。
でもそれは他の楽器のように直接音色を作ってるんじゃなくて打鍵強さの制御で音楽的表現をしてるのである。
「ピアノはタッチによって音色が変わる」と聞くと鍵盤の押し込みようにより同じ音量で違う音が出せるのだとしか解釈できず、何言ってんだという話になる。
でもそのあたりの用語の混乱はべつにいいじゃんという感じでふんわり放置されている。考えるより感じろの世界だからだ。
さて、その用語の意味的な混乱以上でも以下でもないはずの事象をかがくてきにしょうめいしたというのだ。
でも読んでみたらこれ何も証明してないよね。奏者の意図が聴衆に伝わるのを統計的にトレースしたからQEDってそんなわけないだろう。
奏者の頭の中のフィーリングが打鍵の強さやタイミング、それらのパラメータの相対的配列という音色以外の操作によって聴衆の頭の中で再構築された、それ「タッチ」の問題じゃなくて「ピアノ演奏」そのものなんですが。
用語的混乱にそのまま乗っかって言葉遊びしてるだけにしか見えないんだが、まあ論文を精査したわけじゃないしなにがしたかったのかはよくわからん。
でもブクマカどもが口々に「ヴァイオリンでも弾く人によってぜんぜん音違うから納得だ〜」
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/prtimes.jp/main/html/rd/p/000000001.000170232.html
わたしが恋人になれるわけないじゃん、ムリムリ!(※ムリじゃなかった!?)
という作品がある。
コメディタッチのGL作品で、アニメで知り、観ると非常に面白い。
しかし随所で違和感を覚え、その正体というか輪郭のようなものが何となく分かったのでここにまとめようと思ったわけだ。
この作品を観ていてまず思ったのは、押井守のビューティフルドリーマーみたいだな、ということだった。
ビューティフルドリーマーが描いたのは現実逃避であり、同時にアニメそのものがそうした現実逃避といった存在でありながらその中でも現実逃避の有り様を示すという二重構造によってオタクの性質を端的にも明確に示したことが特徴であるといえる作品だった。
わたしが恋人になれるわけないじゃん、ムリムリ!(※ムリじゃなかった!?)
この作品も同じなんだ。
前提として、主人公は恋仲になる相手とは友人であることを望み、それでいながら恋仲になることも心底では望んでいる。
たとえ一時恋仲になろうとも、それを友人関係に戻すことで関係を終わらせない。それでいながら尚、再び恋仲になることを厭わない。こんな都合の良いことが現実にはないのは当然ながら、別にそれを否定するわけじゃない。
要するに、この作品もまた終わりなき関係性を謳歌しようとしているんだ。
時間の止まったような世界でただ享楽に耽りたい。それには主人公が裏切られてはいけない、好かれないようになってはいけない、時間が進んでいるようでその実全く時間は進んでいない。
この構図はビューティフルドリーマーと全く同じで、終わりなき安寧な日常を繰り返すことがオタクに好まれるっていうのは今も昔も同じなんだなぁ…と思えて妙に感慨深い。
https://www.kobonemi.com/entry/2025/09/20/New-MacBook-Pro-2026-Rumors
来年のMacBook Pro、Mac史上最大のアップデートに
世界中の子どもたちがマリオに熱狂し、大人たちがゼルダに夢中になる。その華やかな表舞台の裏で、任天堂が見せているのは“自由と進化を封じ込める支配国家”の姿だ。
任天堂は自らの発明を特許でがんじがらめにし、業界に高い“国境の壁”を築いてきた。十字キー、タッチ操作、二画面表示――どれも普遍的に利用できるべき技術だが、任天堂の支配下では“密輸”扱いされ、他社が使えばただちに制裁。
業界は「任天堂の許可なき発明」を試みることすらできず、まるで閉ざされた国家に生きる人民のように、自由を奪われてきた。
独裁国家がミサイルで隣国を威嚇するように、任天堂は訴訟を乱発してきた。標的となるのは大手だけでなく、力のない小規模メーカーまでもが容赦なく狙われる。
「特許侵害」という名目で撃ち込まれる訴状は、業界全体に恐怖を植え付け、挑戦を封じ込める抑止力となった。これは防衛ではなく、恫喝外交にほかならない。
北朝鮮が外からの文化を遮断するように、任天堂は“任天堂流”以外の発想を排除する。ユーザーが体験できるのは、任天堂が認めた範囲の娯楽だけ。業界全体の多様性や進化は犠牲にされ、外の世界から流れ込む新しい風は遮断され続けている。
結果、ゲーム業界は本来のポテンシャルを発揮できず、閉じた島国のように停滞を余儀なくされているのだ。
北朝鮮が“偉大なる指導者”を称えるように、任天堂もまたマリオやゼルダといった偶像を掲げ、ユーザーを信仰に近い熱狂へと導いてきた。
「任天堂こそ唯一無二」というプロパガンダはファンに深く浸透し、批判する声はかき消される。まるで国家が作り出す偶像崇拝のように、娯楽の独占は正当化されている。
歴史が示す通り、独裁国家は永遠ではない。ゲーム業界の北朝鮮たる任天堂も、いずれはその強権支配の代償を払う日が来る。
自由な発想と多様な競争を取り戻すためには、業界とユーザーが「任天堂の支配構造」を直視し、恐怖に屈せず立ち上がるしかない。