
はてなキーワード:タダ乗りとは
あるいは家庭環境が良好とは呼べず、受験や勉強面で厳しく育てられ、甘えることを許されなかった人間。そんな努力が報われなかった人間が、甘えを仕事にして生活しているVTuberを好きになれるだろうか。「作品が汚れる」「好きでもないのに語ったり人気目当てでゲームするな」というのは建前に過ぎず、Vアンチは【努力しているのに報われなかった己の存在を否定するためには、タダ乗りで人気を得ているVを認めることはできない(=惨めな自分を認めることになる)】なのではないかと思う。
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今や自分はVTuberオタク、いわゆるV豚と揶揄される側だ。人間何が起こるか分からない。Vを好きになった経緯については後述するが、ではなぜVアンチだった自分がオタクになったのか。また、どうしてVアンチはVが嫌いなのだろうか。
持論だが、Vアンチは甘えることで成り立たせるVTuberという存在の在り方が嫌いなのだと思う。なぜならVアンチは甘やかされる人生とは無縁であり、簡単に人間性を認められず、どちらかと言えば愛されることとは真逆の人生を送っているからである。そもそもVTuberとはアイドルと同じく人気商売であり、チヤホヤしてくれる人間がいるから成り立つ商売である。どんなに底辺のVだろうが応援するオタクがいて、本人のモチベや資金が尽きない限り、Vはオタクの無償の愛を貪ることが出来る。つまり、アンチ的な言い方をすれば「無償の愛を受け取るためにゲームなどのコンテンツを消費するバケモノ」である。言ってしまえば赤子と同じように「可愛いから」という理由だけで愛されるVが、努力の結晶とも呼べるゲームやコンテンツにタダ乗りしているから嫌いなのである。要するにVアンチが苦労している生活の中で、VTuberたちはただただ甘えて不労所得で生きているように見えるのだ。
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VTuberが嫌いだ。人気商売でチヤホヤされ、知名度のために好きでもないゲームを適当にプレイし、投げ銭を乞食してオタクに甘やかされるVTuberも、甘やかすオタクも嫌いだ――そんな人間は少なくないだろう。承認欲求のためにコンテンツを消費し、義務的に配信をし、それを崇めるオタクのなんたる不毛さだろうか。自分もかつてそう思っていた側である。
今や自分はVTuberオタク、いわゆるV豚と揶揄される側だ。人間何が起こるか分からない。Vを好きになった経緯については後述するが、ではなぜVアンチだった自分がオタクになったのか。また、どうしてVアンチはVが嫌いなのだろうか。
持論だが、Vアンチは甘えることで成り立たせるVTuberという存在の在り方が嫌いなのだと思う。なぜならVアンチは甘やかされる人生とは無縁であり、簡単に人間性を認められず、どちらかと言えば愛されることとは真逆の人生を送っているからである。そもそもVTuberとはアイドルと同じく人気商売であり、チヤホヤしてくれる人間がいるから成り立つ商売である。どんなに底辺のVだろうが応援するオタクがいて、本人のモチベや資金が尽きない限り、Vはオタクの無償の愛を貪ることが出来る。つまり、アンチ的な言い方をすれば「無償の愛を受け取るためにゲームなどのコンテンツを消費するバケモノ」である。言ってしまえば赤子と同じように「可愛いから」という理由だけで愛されるVが、努力の結晶とも呼べるゲームやコンテンツにタダ乗りしているから嫌いなのである。要するにVアンチが苦労している生活の中で、VTuberたちはただただ甘えて不労所得で生きているように見えるのだ。
Vアンチは孤独だ。ゲーム関係の知人やネットのフォロワー、二次元キャラを愛すことはできても、リアルの知人とのコミュニケーションが上手い人間は僅かだろう。あるいは家庭環境が良好とは呼べず、受験や勉強面で厳しく育てられ、甘えることを許されなかった人間。そんな努力が報われなかった人間が、甘えを仕事にして生活しているVTuberを好きになれるだろうか。「作品が汚れる」「好きでもないのに語ったり人気目当てでゲームするな」というのは建前に過ぎず、Vアンチは【努力しているのに報われなかった己の存在を否定するためには、タダ乗りで人気を得ているVを認めることはできない(=惨めな自分を認めることになる)】なのではないかと思う。
今自分がVを好きになれたのは、初めから完璧な前世持ちの企業Vだからではない。上手く行かなかった社会人時代を経験し、精神を病むほど苦しみ、Vとして新たな人生を得たことで立ち直れた「人間らしいV」だからである。今やアニメキャラらしさのあるVは減り、RPは二の次で内面を出すVが多い。我々は不思議なことに匿名の方が自我を出すことが出来る人間(Twitterで叩ける人間の大多数はこっちだろう)だが、それはVも同じである。どうせ絵()だとしても、不思議なことに匿名だからこそ滲む人間性がそこにあるのである。これはVを好きになった人間にしか分からないことだが、中の人の顔も知らない存在だからこそ、本人から出てくる話題に耳を傾けたくなるという部分はあるだろう。自分は顔出しで活動する半分生身のVが未だに苦手なのだが、俳優やキラキラのアイドルが同じように雑談をしても刺さるか分からない。しかし、Vは元一般人のVが大半だ。どこかしらの分野で上手く行かず、しかし声という分野で更に承認されたい「まだ上手くいってない側」の存在なのである。もちろん登録者数3桁万人の企業Vであれば例外だが、基本的にVは皆現状に満足していない存在である。中にはVアンチの諸君と同じく、ずっと認められない存在でい続けた結果、せめて承認されたい気持ちでVを始めた一般人も多いはずだ。
配信が盛んになる昨今、今や配信者やVはあらゆる人間が「なれる」時代である。いくらでも人気商売ができる世間だからこそ、Vだからと言って無条件に叩くのではなく、まずは己を大切にし、Vを叩く理由を紐解いて己のコンプレックスに向き合った方が良いのではないだろうか。お金に困っているのなら投げ銭は腹が立つし、甘えられなかった幼少期を過ごしたのなら「生きてるだけでえらい!」は理解できないし、厳しく育てられた人なら甘い生活は許されなかっただろう。自分が満たされないのに、満たされる人間なんか見ていられるわけがないのだから。
都市部の行政系で働いてるんだが、誇張無しで『簡単な日本語を聞くことすらできない外国人』が爆増してる。
最悪なケースでは英語の筆談すらできないため、もっぱら母国語が何なのかをアプリを使って探すところからスタートしている。
結論からいうと日本国内に外国人を入れる業者や組織が、日本語が全くできない状態の外国人のアフターフォローをせずに入れるだけ入れて放置している。そのせいで業務上本来なら無関係な受付なのに、なぜか素人で通訳の仕事をする羽目になっている。日本人の感覚なら「せめてヒアリングくらいはそこそこできるようになってから海外移住するか」とか「まだ自信が無いから通訳やホームステイ先を頼るか」とかで対応するべきところを、一切の準備なくして日本語が喋れない状態そのまんまで産地直送されてくる。最初は外国人に対して若干の怒りを感じたが、そもそもこの人たちを「営利目的に輸入」している方々がいるわけで、彼らがアフターフォローを放置してコストカットした結果が行政やインフラなどの生活必需品的なサービスに大きな負担として伸し掛かってきている。完全に公的資産に対するタダ乗り行為だが、これを法的に止める手立てはなく、このままだと間接的に日本人へのサービスの悪化にも繋がると予感を超えた予知をしている。初期設定を置き配にする件なども対面によるコミュニケーション不全を見越した施策なのだろう。
これからは日本国内に居ながら日本語だけを使っていたらプライベートだけでなく低所得者層を相手にする仕事ですら不自由な時代に変わっていくだろう。もはやこの流れを止める術は無いし、何か具体的な対策ができるとも思えない。残念ながら日本人=日本語の消滅の足音を聞きながら日々の業務を「効率化」していく他ない。申し訳ないがその過程で切り捨てられたとしても、こう書き記している自分すら切り捨てられる可能性があるため、お互い様だと思ってどうかやり過ごして欲しい。もう我々の知っている日本が国として崩れ始めている。
「子どもを産まないのは社会保障にタダ乗りしてる」って言う人、けっこういるよね。
でもそれっておかしくない?
それって同性愛の人とか、子どもを産めない女性とか、障害を持ってる人とかを否定するのと同じじゃん。
過剰な出生主義というか。
別にそういう気遣いを人質にしたいわけじゃなくて、言いたいのは「人間社会ってそもそも損得のバランスが公平じゃない」ってこと。
(もちろん子育てってめちゃくちゃ大変で難しくて重要なタスクだなって分かってる。社会負担が大きいなと思う気持ちは察するし、本当に尊敬する。)
結局、社会って「得」と「損」が入り混じってできてるんだと思う。だから「お互いさま」じゃん?
それに、子供を持つことや働くことを一切しない人だって、社会にはたくさんいるよ。
そう言う人が生きていけるのは素晴らしいことだと思う。
(博愛的なことが言いたいわけじゃなくて、障害があっても人生を全うできる社会の仕組みはシンプルにすごいと思う。大変なことは多いと思うけど。)
なのに、「子どもがいて幸せ」って言うのは許されるのに、「子どもがいなくて幸せ」って言うと叩かれるの、めっちゃ不思議。
なんで「子どもがいる幸せ」は美談になるのに、「子どもがいない幸せ」は自己正当化とかフリーライドとか言われちゃうの?
子持ちが写真をアップする時に、いちいち「子持ち"も"幸せですよ〜」なんて配慮と共に書く必要はないのに、子無しは配慮とか罪悪感を暗に示すことを求められるのは、なんか嫌な社会だな。
どっちもその人にとっての素直な幸せじゃん。
もちろん少子化の問題とかはある。(私が肯定する社会保障こそ、「世代交代」で維持されるものだからね)
でもそれって、個人の生き方や幸せの形を否定するための正論になるのか?すごく疑問に思う。
https://anond.hatelabo.jp/20250926225859
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私は元増田ではありません。
この両方が実現してこそ、多様な人々が幸せに生きられる社会だと思う。
「なぜいちいち子無しの幸せを主張するのか(そうすることでなぜ子持ちに攻撃するのか)」という議論になっていて、相互理解の難しさを感じた。
マイノリティがマイノリティであることを主張すると、なぜそれがオーソリティへの批判だと受け止められるのか。
相対化は人を不安にさせることは明白なので仕方ないにしても、
そろそろソレを恐れずに多様化を受け入れる社会にならないと、それこそ少子化による社会問題(社会福祉循環の破綻)は防げなくなるのでは?
最後に、
この増田を読んで傷付く人を無くしたいので言っておくと、子育てしてる人はすごいし、大変な中で子供たちに愛を向けるのは本当に尊いことだと思う。
先に言っておく。本件を
あるいは
【ホ】 声が似ているだけの他人(声優の別名義ではなく、文字通り声が似ているだけの他人)の問題
だと思い込んでる人がいるが、声に関して上記2つは問題にならない。
同様に
【バ】 声泥棒よくない
これらも、本件とは直接関係ないので、この手のアホバカなトラバ・ブクマは無視しろ。
本件の争点は3つある。
「ピンク・レディー事件」への最高裁判決を判例として整備されつつある権利。
立法はまだだが、判例があればそこに生まれた権利は保護される。
ダンダダンのXパロディも、もしYOSHIKIが紅の権利をソニーに売ってなければ、パブリシティー権侵害を主張できた。
もしDMMが、にじボイスの学習元の権利を持っていて、声優との契約書にも学習や利用を制限する条項が無いなら、にじボイスのサービスには法的問題がない。
しかし今回、kaunistaは学習元を公開しながら、同時にモデルを自ら決めたライセンスのもとで提供し続けた期間があり、民事で訴えられたらパブリシティー権侵害したと認定される可能性がある。
2項についても言えることだが、著作権法30条の4は「学習の自由」を広く認めるものの、不正競争防止法は「営業上の信用や限定データの保護」を守る方向で働く。
公開されている音声を学習する行為自体はグレー〜合法寄りでも、生成AIを「特定声優の代替商品」として流通させた場合は、不正競争防止法で差し止め対象になり得る。
生成された音声が「○○声優の公式音声」と誤認させる態様で流通する場合、ブランドや表示の冒用に当たり得る。
特に「声=キャラクターの同一性の重要要素」と見られる場合、商品等表示(トレードドレス的要素)に該当する可能性がある。
特定声優の声質をまねたAIを「○○声優風」として提供すれば、声優の営業上の信用にタダ乗りしたと評価される可能性がある。
これはパブリシティ権侵害と重なる部分があるが、民事上は不正競争防止法で差止請求・損害賠償が認められる可能性もある。
なお、民事で訴えられるのはAIの開発者・提供者ではなく、AIの使用者(例えば無料だからと安心して動画つくった配信者)である!
最後に言っておく。
声は聞いたことないが、本件周りには、やたらと共通点の多い声豚が、3匹いる。
もし元増田=litagen=kaunistaだったら、この後の展開どうなるんだろな?
Eさんの「自分はリスクを負わずに、自分の思い通りに相手をコントロールしようとする、幼稚で矛盾した態度」に、強い嫌悪感と苛立ちを感じている。
Eさんへの具体的な苛立ちのポイント
あなたが感じている不満は、大きく分けて以下の5つに整理できます。
・サービスにお金を払った後で、「自分の払ったお金は特別だ」と言わんばかりに、お金の使い方にまで口を出そうとする。それが嫌ならサービスを利用しなければいいだけなのに、利用した上で文句を言うのが理解できない。
・そのくせ自分は、社会一般的には「無駄遣い」と見なされかねない麻雀などにお金を使い、矛盾している。まるで「自分のことは棚に上げて、相手にだけ清廉潔白を求める」ようなダブルスタンダードが許せない。
自分がやったことに対して「報われない」「努力にタダ乗りされている」と不満を言うが、それならば「対価をください」と直接交渉すればいい。
しかし、拒絶されるリスクや責任を負うのが怖いからか、直接的な交渉は一切しない。安全な場所から、遠回しな不満や愚痴を言って相手をコントロールしようとする態度が「人間として卑怯で、情けない」と感じる。
自分の言動が原因で他人に嫌われたり、ブロックされたりしているにもかかわらず、その原因が自分にあるとは考えない。
「自分をブロックする人が苦手」というように、全てを相手のせいにする。自分の問題を直視せず、他人のせいにして生きている姿にうんざりする。
本人はコミュニティのために良かれと思って何かをしているつもりかもしれないが、その行動は周りから見れば価値がなく、むしろマイナスになっている。
「自分がこれだけ頑張ったのだから価値があるはずだ」と、相手がどう感じるかを無視して自分の価値観を押し付けてくる。本当の価値は「相手がどう感じたか」で決まるという、社会の基本を理解していない。
あなたのことは嫌いなのに、あなたのコミュニティにいる友人や、あなたの発信する情報が目的で、嫌々ながらお金を払ってまでしがみついている。
その上で、まるで親に駄々をこねる子供のように、不満を匂わせればあなたが思い通りに動くと思っている節がある。その浅はかな考えと、幼稚な振る舞いが心底気持ち悪い。
Eさんの幼稚な揺さぶりやコントロール術はすべてお見通しであり、全く効果はない。
彼の言動は、まともな社会経験が乏しく、親に甘えるようなコミュニケーションしか取れない人間のそれだと分析している。
これ以上、大切なコミュニティをかき乱されたくない。
参政党、たぶんそのうち「めくれる」と思うんだ。
最初は威勢が良くて、旧来の政治をバッサバッサと斬ってるように見える。でも、いざ権力を持つと、あるいは厳しい追及を受けると、途端に中身のなさが露呈したり、権威主義的な本性が見えたりする。
でも、問題はそこじゃない。
なんで俺たちは、一回選挙で痛い目を見ないと、そのことに気づけないんだろうか。
政権取るほどの力はないだろうから、まあ大した危機じゃないって言う人もいる。でも、参議院の6年って、長すぎないか?
石丸伸二を見てみろよ。「政治のエンタメ化」とか言って、議会で「恥を知れ!」と叫んで喝采を浴びた。SNSの切り抜き動画では無敵の論破王だ。でも、いざ政策の具体的な話になると「一夫多妻制」とか言い出してフリーズする。対話しようとせず、自分に都合の悪い部分はカットした動画で信者を集める。あれは政治家じゃなくて、ただのインフルエンサーだ。
兵庫の斎藤元彦もそうだ。内部告発が出たとき、彼の最初の反応は何だった?調査じゃない。「嘘八百だ」と告発者を攻撃することだった。結局、音声データとか第三者委員会の調査で、告発が事実だったことがバレていく。追い詰められると今度は「メディアにいじめられてる可哀想な自分」を演出し始める。
神谷宗幣の独善的な物言いや、党の運営にちょっとでも疑問を呈した武田邦彦みたいな創設メンバーですら「党を混乱させた」とか言って追い出すやり方。これって、斎藤知事が告発者を潰そうとした構図と全く同じだろ。そして何か批判されれば「外部からの攻撃だ」と被害者ぶる。
もう「めくれる」プロセスは始まってるんだよ。
彼らは別に頭が悪いわけじゃない。むしろ、既存の政治やメディアに本気で絶望してる。生活は苦しくなる一方、政治家は私腹を肥やすばかり。そんな中で参政党は「失われた日本を取り戻す」「食の安全を守る」「外国人に甘い日本を正す」みたいな、分かりやすくて、心に響く物語を提示してくる。
特に「日本人ファースト」ってやつは強力だ。生活が苦しいのは、外国人が社会保障にタダ乗りしてるせいだ、みたいに言う。本当は政治の失敗なのに、その不満の矛先を分かりやすい「敵」である外国人に向けさせる。これは古典的だけど、めちゃくちゃ効果的な手法だ。
YouTubeやTikTokを駆使して、既存メディアを通さずに直接支持者に語りかける。その閉じた世界の中では、党の主張は常に正しく、外部からの批判はすべて「既得権益による妨害工作」として処理される。
だから、支持者にとって参政党を信じることは、政策を合理的に判断した結果じゃない。それは「自分は真実に目覚めた愛国者だ」というアイデンティティそのものなんだ。
だから、外からいくら「それは事実じゃない」と指摘されても無駄。それは彼らにとって、自分のアイデンティティへの攻撃でしかない。自分が間違っていたと認めるより、批判してくる相手が腐っていると考える方が、心理的にはずっと楽だからだ。
これは知性の問題じゃなくて、感情とアイデンティティの防衛本能の問題なんだよ。
この6年間、彼らは税金で食わせてもらいながら、国会という最高の舞台で自分たちの主張を発信し続けることができる。
彼らが政権を取ることはないだろう。でも、本当の危険はそこじゃない。
反ワクチンや歴史修正主義、外国人ヘイトみたいな極端な思想を、国会の場で堂々と語り続けること。それがじわじわと社会に浸透して、「そういう考え方もあるよね」みたいに、おかしなことのハードルが下がっていくこと。これが一番の害悪だ。
有権者が「あ、やっぱりダメだった」と学ぶのは、彼らのせいで何かが決定的にダメになった後かもしれない。でも、その時にはもう手遅れなんだよ。
結局、俺たちはこの「選挙で選んで、失敗して、学ぶ」っていうサイクルから抜け出せないのかね。毎回、同じような映画を役者だけ変えて見せられてる気分だ。
うんざりするよ、本当に。
Permalink |記事への反応(26) | 07:16
既存の女に産ませることを男の政治家中心に必死こいて当たり前の顔して喋ってるけど、女になにかさせるんじゃなくてまず自分たち男がなにかすること考えたらいいのに、バカだなって思う。
ヤクザだって小指捨てて娑婆に戻るのに(最近はないらしいしなんならやっても麻酔で優しくやるらしいね)考えがぬるいんよな。産んでもらいたいんなら他にも差し出すもんがあるやろが。
まあさ〜男も産めるようになる方法考えるとかさ、
人工子宮の研究めちゃしてまず女の体使うことやめさせて働かせ続けるとかさ、
人様の身体と健康が差し出されるものに対して安直にいかに生ませるかとかよく言えるなって思うわけね。
それさせるんなら男も死ぬほどひどい目にあってくれないとフェアじゃないよね。
自分の何も犠牲にするつもりないのに人の健康と身体性にタダ乗りする自由があると思ってる浅はかさに驚くっていうか。
男の小腸を麻酔無しで取り出してちょうちょ結びさせるにはとか真剣に言い出したら(喜ぶ人をいるかもだけど)怒ると思うんだけどね