はてなキーワード:タグとは
実体験風漫画を描いてるように見えて登場キャラはほとんどがアイマスキャラに酷似してる、そしてそれをアイマス二次創作でもなくサイレントでやってる、そういうやり口の人って同人界隈にちらほらいるよね
普通に二次創作してるうちに力をつけた同人漫画家が商業デビューして、オリジナル漫画のキャラが手癖で昔描いてたジャンルのキャラに空似してるパターンは全然許せるけど
最初からダウンロード販売で稼ごうとする無名の人間が商業のキャラデザを勝手に拝借してオリジナルの顔して売ってるのは許せねーな
キャラの名前のタグがつけられる状態で公開するってのは二次創作としてのマナーだしファンとしての敬意のあらわれだ
まあ◯◯キャラのコスをしたレイヤーを登場人物にする同人とかは微妙なラインで扱いが難しいが、キャラの名前が徹底的に伏せられてなければ「版権を利用してる」感はそこまで濃くないからまあモノによるけど許容できることもある
ただ版権キャラと一切関係ない登場人物がたまたまアイマスキャラに酷似しちゃってますー分かりますよね?みたいなのはキチンでしかないと思う
この手の行為をする人は、二次創作作家として独自の画風を持とうとせずに、ひたすら原作に寄せたタッチにすることだけ考えていくから、脳みそがどこかズレてるんだと思う
オリジナルのBLを書くようになり、創作BL界隈と呼ばれるところに足を踏み入れた。そこで目にした作品の傾向や、それを取り巻く倫理観に強い危機感を覚えたため、ここに記したい。
私はBLというジャンル自体を否定するつもりはない。むしろ、多様な愛の形や関係性を描く創作の可能性を信じているからこそ、現在の状況に警鐘を鳴らしたいのだ。
まず明確にしておきたいのは、私は「加害を描くこと」自体を問題視しているわけではないということだ。
刑事ドラマで暴行シーンが描かれても、それは暴行の肯定にはならない。なぜなら、その行為は犯罪として、加害として描かれているからだ。登場人物も視聴者も、それが悪いことだと理解している。
問題は、同じような行為が「愛の表現」として美化されてしまうことにある。BL=ボーイズラブという名前が示すように、このジャンルは「愛」を描くものということが前提にされている。しかし、実際には愛ではない行為が愛として包装されてしまうことで、読者の認識が歪む危険性がある。
例えば、ストーカー行為を「一途な愛」として描く、相手の意思を無視した性的行為を「愛が抑えられなかった」として描く、といったことだ。これらは現実では明らかに加害行為だが、「愛」の文脈に置かれることで美化されてしまう。
では、どうすればよいのか。加害的な要素を含む関係性を描くとしても、それを以下のような視点で見直すことが重要ではないだろうか:
・加害は加害として認識し、美化しない
・読者が「これは愛ではない」と理解できるような文脈を提供する
・適切な注意書きやタグで、問題のある内容であることを明示する
こうした配慮があれば、複雑な人間関係や心の闇を描くことも可能になるかもしれない。重要なのは、「愛だから許される」という論理を安易に使わないことだ。
答えは一つではないし、表現の方法も多様であるべきだ。しかし、作品が社会に与える影響について考えることは、創作者の責任の一部ではないだろうか。
「ヤンデレ攻め」「執着攻め」といった言葉で美化される、合意のない関係性。これらを愛の一種として扱うことには深刻な問題がある。
加害は加害として認識しなければ、人の認知はたやすく歪む。読者も作者も、愛という名の加害をしないために、されないために、合意のない関係は愛ではなく加害だと示さなければならない。
「愛してるから仕方ない」「相手のことを思ってのこと」という論理は、現実の加害者がよく使う言い訳と同じ構造を持っている。フィクションであっても、この構造を無批判に美化することは危険だ。
愛という名の支配を、愛として終わらせない描き方もあるのではないだろうか。
「年の差BL」と名付けたところで、未成年を性対象とするのは搾取であり加害である。そのことに無自覚であるのは、社会の構成員として未熟であると言わざるを得ない。
例えフィクションであっても、未成年の性的搾取を肯定してはいけない。作品内で加害であり搾取だと明示的に示す必要がある。
「フィクションだから」「実在しないから」という言い訳は、その作品を読む現実の人間への影響を軽視している。
年齢差自体を否定するのではなく、未成年の時期における搾取構造を問題視する姿勢が大切だ。
「かっこいいアウトロー」としてのヤクザ、過激な性的描写のために用いられる反社会的勢力。これらがBLの名の下に愛の文脈に組み込まれることで、反社会的勢力の存在を間接的に肯定することに繋がる。
現実の反社会的勢力は、多くの人を苦しめる存在だ。それを恋愛の舞台装置として消費することの問題を、作者も読者も自覚すべきである。
現実の反社会的勢力がどのようなものであるかを調べ、「危なくてかっこいい」だけで終わらせない描き方を模索することも可能ではないだろうか。
家庭内の権力差を利用した支配という形になりやすいことに加え、兄弟の距離感や支え合いという要素が、健全な人間関係の中で描かれるのではなく、「恋愛」「性的関係」によって"昇華"されるという描写が多い。
これは「愛=性的でなければ完成しない」「人間関係の価値は性的関係によって最大化される」という、非常に歪んだメッセージを流通させている。
読者も作者も、「でも兄弟って元から距離近いし……」「他人より理解あるし……」みたいな家族ならではの絆を都合よくロマンチックに換算してしまっている。
これは現実の加害構造(例:近親間の性的虐待)でもよく使われる「お互い理解があった」という"言い訳の構造"と同じものだ。無自覚に"現実の加害の語り口"を踏襲してしまっているという恐ろしさがそこにはある。
もし家族の絆を描きたいのであれば、それを恋愛・性的関係に昇華させる以外の方法もあるのではないだろうか。深い信頼関係、無償の愛、互いを思いやる気持ちは、恋愛関係でなくても十分に描けるはずだ。「愛=性愛」という固定観念から自由になることで、より豊かな人間関係の描写が可能になるかもしれない。
もし家族の歪みを描きたいのであれば、より慎重になる必要があるだろう。決して愛ではないことを明示し、望んだ人のみが読めるような配慮がいるのではないだろうか。
SNSにおいては、扇情的で過激な内容ほど注目を集めやすい。フォロワー数や「いいね」の数が創作者の承認欲求を満たす指標となる中で、倫理的な配慮よりも話題性が優先される傾向がある。
本来であれば、問題のある内容には適切な注意書きやタグをつけることで、それを見たくない人を守ることができるはずだ。しかし現実には、タグが形骸化していたり、そもそも問題意識がないためにタグがつけられていなかったりする。
「もっと刺激的に」「もっと話題になるように」という競争の中で、倫理的な境界線がどんどん後退している。「BLは過激であって当たり前」という風潮が形成されていくのは危うい。
BL自体が悪いのではない。問われるべきは、それを創作・発信する人々の倫理意識だ。
#創作BLのタグが加害の美化や反社会的な価値観の拡散に使われてしまうのは、本来のBLの価値を貶めることでもある。
SNSにおいては、扇情的な表現が前後の文脈から切り離されて拡散されることもある。自分は気を付けていると思っていても、想定外の読者に想定外の影響を与えてしまう可能性がある。
創作者には、自分の作品が社会に与える影響について、より慎重に考える責任がある。
私はSNSでの創作発信から距離を置く決断をした。フォロワー数や反応の数に一喜一憂し、過激な表現に手を出しそうになる自分に気づいたからだ。
しかし、創作を続けたい気持ちは変わらない。創作に必要なのはフォロワーではなく、自分の納得と尊厳だと思う。
問題のある作品を無批判に消費し続けることは、その価値観を間接的に肯定することになる。読者も作者も、一人ひとりがもう少し立ち止まって考えてみてほしい。
水星の魔女の公式百合カプであるスレミオが非公式男女カプのグエスレを攻撃した殺害予告などが相当エグかったけど、
これ進撃の巨人でも公式百合カプであるユミクリが非公式男女カプのベルユミを攻撃したのも凄かったんだよね。
当時は進撃の別のカップリング界隈にいて、騒ぎになっていたから野次馬しにいったんだけど、
ベルユミのpixiv投稿作が全部別のタグつけられて荒らされた上に、ピクシブ百科事典のベルユミの項目も荒らされて消されたりしてたからね。
ベルユミやグエスレが捏造カップリングで、ユミクリやスレミオが公式だったから、公式カプを守るのが務めだろみたいな考え持つ人もいるかもしれないけど、
公式男女カプが非公式のBLや百合をこんな攻撃したケースとか無いから…なんか百合だけカプオタの質が異常なんだよ。
いま水星の百合豚はラウペト叩くのにハマってるらしくて、何がしたいんだろ…。
ユミクリ好きだった人がヒストリアに石を投げてた夫を受け付けないとかは理解が追いつくけど、スレミオが好きだからラウペトが憎いとかは本当に意味がわからない。関係ないじゃん。
あと百合が非公式のケースでいうと、フリーレンで百合豚はシュタルク邪魔死ねフリフェル百合に挟まるなってキレてるし(フェルンがシュタルクに絡んでるんですが…)、
ジークアクスでシュウマチュが公式成立したけど百合豚はシュウジ邪魔死ねマチュニャア百合に挟まるなってキレてるし(マチュが一貫してシュウジシュウジなんですが…)、
百合カプが非公式のときも病気みたいに暴れてて、なんでこんなに百合豚って攻撃性の塊みたいなキチガイばっかなの?
フリフェルとマチュニャアには悪印象あるけど、スレミオやユミクリには悪印象無いのに、豚が病気すぎて殺処分されてほしいって気持ちになる。
水星の魔女や進撃の巨人の本編だけ見てるとこんな気持ちにはならないんだよね。SNSやpixivを見ると豚が視界に入って…本当に勘弁。
百合って多分撮り鉄みたいに、特性持ち集まってるでしょ。電車自体や公式百合自体は別に嫌いじゃないけど、電車や百合に対して異常に執念深い人間のほうは…。
私が愛用してるベージュのキャップ、通販で激安で買ったんだけど
後ろの調節のアジャスターがプラスチックのみで出来てて、1秒でサイズの調節ができるところも後ろから見たときスッキリシルエットなところも気に入っていた
このプラスチックのみの調節アジャスターは人によっては「安っぽい。ベルトの形したアジャスターの方が好き」という意見がある
私がキャップの調節でもっとも安っぽく見えるのはマジックテープだと思うけどね
お金持ちの人もこのプラスチックのみでパチパチ調節できるキャップを使っている人もいるし
悪いもんじゃない。私はこれが好きと思って同じような
プラスチックをパチパチするアジャスターのキャップを探したんだけどみつからない
それで自分のキャップのタグを見て、トムス株式会社って書いてあったから検索したらプリントスターの名前が出てきて
「お前だったのか!!」とビックリした
プリントスター、ユナイテッドアスレ、グリマーは私の第二の肌と言ってもいいくらい馴染みのあるメーカー
そして、ユナイテッドアスレは普通にベルトの形の調節アジャスターでプリントスターだけがプラスチックパチパチのアジャスターだったわ
けど1回いやな思いすると、まあ学習というか、、まるっと避けるようになるもんだなと
ブランドだけどそこまで高くはない、別にトートバッグだから自分でも普通に使える、実際長年使ってる
中古とはいえ丈夫で物を入れる分にはなんの問題もない、とフリマアプリで購入した品の状態が悪かった
思ったよりボロかったくらいならしょうがないで済むけど、状態に加えて扱いがダメだった
カバンのポケットから出てくるホコリ、砂利、猫の毛、さらには頭痛薬、そして全体的に生活臭的なものもした
出品ページだけ読んだ感じでは、比較的若い女性に思えた、顔文字と口調と気遣いのある言い回し
けれど購入時のやり取りは打って変わってほぼ無言だった
購入後の挨拶への返事もなく、発送時に一度 定型文での連絡が来ただけ ずいぶんと印象が違った
評価は全て良いとなっていたが、そして自分も評価は良いで返したが、二度と取引しないと思った
お目当てはストールだったけど、カーデやシャツなんかも検索ついでに見ていた
そこにメンズで未使用のリネンのシャツ、知ってるブランドで店でのセール価格くらいの値段
メンズでもこのサイズならちょうどよく羽織りに着れるなと購入しようとした
が、念のため出品者の評価状況や出品リストを確認しよう、と見てみた
評価は全て良いになってる
出品内容は割引券などを多く出品してたが読んだ本などもあった
見た瞬間、以前バッグを買った時のことを思い出してしまい、購入をやめお気に入りも外してしまった
過剰反応すぎるだろうと我ながら思う
どこの誰かわからない男性の衣類をフリマアプリで買って着るとか無いわ、って 新品未使用タグ付きなのに
今日は横浜ではじめての大規模七夕イベントが行われ催しの写真が載せられたり盛り上がっている
いくり💎宝石娘P
@info_amagoi
本日より山下公園にて #横浜七夕祭り2025 なのですが、問い合わせに運営さんから全く返信が無いため、弊社はタレントを稼働させない事といたしました。本人達はアンバサダーオーディションも七夕祭りも楽しみにしていたので非常に残念ですが、信頼関係ないまま無償で宣伝させる訳には行かないので…また来年に期待します! #横浜七夕祭りアンバサダー
@narrow_official
・いいねとか多い人は2回目のイベントで公式アンバサダーに起用しちゃうよ
ふわっとした要項だし、ただの参加者でしかないはるかぜちゃんらには「信頼関係」なんか最初からないだろ
信頼関係なくても無償で宣伝してくれたらこれから仲良くなりたいですというかなり善意に頼ってるだけのゆるいものだ
契約も何も結んでいないふわふわ募集なのは要項見た時点でわかるはずだ
出品も購入も簡単で、「やっていい空気」があるから人が定着した。
普通にパクればいいだけの話。
いまやメルカリは生活に溶け込んでいて、使いやすさの基準として挙げても疑問に思う人はいないでしょう。
ホロライブを推してると言うと、「強者につくな」とか「どうせ勝ち馬に乗ってるだけだろ」と言われることがある。
でも、自分としては最初からホロを選んだわけじゃない。もっと小さな箱や個人勢Vtuberも見てきたし、むしろそっちのほうが「応援しがいがある」存在だとも思ってた。
でも無理だった。推したくても“推せない”空気ができあがっていた。
誰かが先にやってくれたらやる、って思ってるうちに、誰もやらなくなった。
そして「静かに見守るのが美徳」という自己正当化の文化だけが残った。
よくスパチャがスクショで晒されて「ガチ恋w」って笑われてるのを見るけど、
あれは“文体が重すぎる”とか“露骨すぎる”っていう枝葉の話であって、本質じゃない。
本当に致命的なのは、普通にタグをつけて応援するだけで浮く空気の方。
「重課金はキモい」とか「スパチャは信者」って揶揄する人間ほど、
応援する手段の是非以前に、「応援という行為自体」が咎められる空気。
その結果、「目立ちたくない」「でも応援したい」人たちはマシュマロに流れる。
匿名で、個別に、こっそりと、届くか届かないか分からない気持ちを送る。
盛り上がってるように見えない、ということは新規が入ってこない。
当然、伸びない。
じゃあホロライブがなぜ強いかというと、別に中身が神がかってるからじゃない。
逆に、個人勢Vtuberの界隈はまるで地方のガラガラの球場。
声を上げれば浮く。目立てば白い目で見られる。
見てる人がいても、声がなければ存在してないのと同じなんだよ。
そんな場所で「なんで伸びないんだろう」なんて嘆いても意味がない。
伸びない設計になってるだけ。
そして、その空気に馴染んだ人たちが「語る場所」として選ぶのが、
匿名掲示板やはてな匿名ダイアリーみたいな、“本人に届かない前提の場所”だったりする。
でもそれって、もう「推す気がない場所」なんだよね。
届かない前提で語る、ひっそり観察する、静かに消費する。
それって応援でもファン活動でもなくて、“感想の墓標”みたいなもの。
そこが文化の中心になってる時点で、その界隈はもう終わってる。
声を出せる場所ではなく、声を抑える場所でしか語れないなら、盛り上がるわけがない。
応援とは真逆の行動様式が、「通」や「古参」のふるまいとして肯定されてきた。
だから、ホロを推してるのは“楽をしたいから”でも“強者につきたいから”でもない。
もし個人勢Vtuber界隈に「推せる構造」があったなら、そっちを推してた。
でも現実にはそうじゃない。
応援が浮く空気の中で、「推し続ける覚悟」なんて要求されても、それはもう宗教だ。
それを無視して、「ホロしか見てないのは浅い」みたいに言われるのは、ちょっと違うと思う。
俺はガチ恋でもなんでもない。
ただ、野球を応援するように、Vtuberを自然に応援したかっただけだ。
熱い試合を見たら拍手を送りたくなるし、いいプレーがあれば声を上げたくなる。
個人勢Vtuberの界隈ではそれすら浮いてしまう。そういう構造の問題だった。
だからホロを選んだ。それだけの話だ。
それを「でかい箱だから」「勝ち馬だから」と決めつけられるのは、正直、不愉快だ。
推しの話をするなら、その前に、“推せる場”とは何かを理解してほしい。
「お前が率先して応援すればいい」と言われるかもしれないけど、
その“率先”が浮いてしまう空気こそが、最大の問題なんだと思う。
ここまで書いて改めて思うのは、
ガチ恋でもなく、神格化でもなく、ただ普通に声援を送りたいだけ。
それが成立する環境があるから、そこにいる。ただそれだけの話だ。
Permalink |記事への反応(25) | 15:39
かなで🍓春名柊夜
@masatokun32kt
はるかぜちゃんママは長いこと専業主婦だったが、子供が成人したら離婚すると夫妻で前から約束していたので離婚し働くようになった
芸能事務所を立ち上げたがバーチャルオフィスで実態はなく、警備員のバイトで食っている
今年はまだだが去年だったかは勤務中に何度か熱中症で倒れていたので心配なんだろう
いくり💎宝石娘P
@info_amagoi
#横浜七夕祭りアンバサダー の候補に弊社より2名エントリーさせて頂いたのですが、公式よりインスタ認証がされず、一度もタイアップ投稿が出来ないままとなっております。公式のInstagramのメッセージや、公式お問い合わせメールアドレス info@yokohama-tanabata.com に問い合わせても一向に返信がありません。他の参加者がどんどん票を伸ばしている中、このまま七夕祭り当日を迎えるのは納得ゆかないです。実行委員の方々 お忙しいところ恐れ入りますが、これを見ていらしたらオフィスあまごい office.amagoi@gmail.com までどうか一報ご連絡をお願いいたします。
@narrow_official
#七夕祭り
これ本当にどうなってるんだろう?もう宣伝足りているから必要ないorアンバサダー候補がほぼ決まってしまって必要ないならそれはそれでご縁が無かったと諦めますので、せめて連絡くらいは欲しいです😭
と言ってる間にもう七夕祭り明後日じゃないですか(5日・6日)仮にこれから承認されたとしても、あと2日で死ぬ気で投稿しても勝てる訳がなくないですか?運営さーん!!!
https://sp.narrow.jp/audition/11196
エントリーした上でSNSでイベントPRしてくれた者を、選考の上で公式アンバサダーに任命し第2回以降のPRキャラにするそうだ
どこの事務所の誰かも名乗らん社会人とは思えない文体で、イベントタグつけてネガティブ発信する奴が代表の事務所じゃ選ばれないだろ…
時の回転の中で、飽くことなく繰り返されるこの嘆き。まるで冥府より吹き出す霧のように、十年の歳月を隔ててなお、同じ旋律がこの耳朶に囁き続ける。
我はミリタリーという古の美学に憑かれし者。兵器の鋼の煌めきに心酔し、無機の魂たる機械に何らの期待も抱かなかったが、それでも尚、彼らの狂信的な叫びは耳を打った。
増田なる名も知らぬ狂人と、ネットの無秩序なる群れが、「AIを使わぬ者は無智の徒にして愚者」と高らかに断罪し、今や検索は神の啓示のごとくAIに委ねよと喚く。
その喧騒に惑わされた我は、身をもって試みんと欲し、彼らが推奨するAIなる虚構の鏡を覗き込んだ。名を「perplexity」と冠せしその代物よ。
だが、虚しい哉、彼は氷の剣のごとく鈍く、火の息を持たず。何を以てあの機械の怪物、ゲッターロボの如き全能の兵器と呼ばわるべきか、我には到底理解し難かった。
この冷たき無用の神器を手にし、我が胸は逆説的な絶望に満ち、無限の虚無が深く押し寄せたのであった。
■検証の書――「USサバイバル・スクール:極限の野外生存術」という、虚飾と真実の狭間に揺れる書物の謎
そこに潜り込んだ日本の狂気、それはひとつの伝説として語り継がれるべきものだった。
我が問いは鋭く冷徹であった。
「フランク・キャンパー、かのベトナムの亡霊が設立した傭兵学校にて、日本人がその熾烈な業火に身を投じた。並木書房より刊行された記録、その詳細を我に示せ」と。
毛利元貞なる名は、まるで不協和音のように執拗に繰り返される。
しかし彼は、キャンパーの影すら追い求めることを許されなかった。
渡米の時、その魂は既に失墜し、シク教過激派の恐怖という檻に閉ざされていたフランクは、もはやその地に存在しなかったのだ。
彼の筆だけが、現実の血と鉄の匂いを伴い、マークスクールの深淵を日本の闇に照らし出す。
だが、愚かなるAIよ、貴様の吐く言葉は、ただ黒い泥に塗れた幻影でしかない。
■「ボケ!」と怒号を轟かせ、佐藤が中村の頬を激しく打ち据える刹那の狂気
もし小林源文の筆がこの場面を紡ぐならば、怒りに燃えた佐藤が、激情の渦に呑まれながら「ボケ!」と咆哮し、中村の顔面に無慈悲な掌撃を連打するであろう。
その音は、まるで虚空に響く凶刃の連打の如く、痛烈で凛とした一瞬を永遠に封じ込める。
然るに、我が問いは、凡百の狂信者が知悉せし「その道の神話」を、あえて曖昧にし、無垢なる者も辿り着きうる浅瀬の問いを投げかけた。
されど、AIは冷徹に同じ嘘の鏡像を繰り返し映し出し、最後には人間の骨を砕く労苦を放棄し、「専門書籍や現地の新聞を当たれ」と怠惰な権威を振りかざす。
その傲慢なる姿は、まるで漆黒の闇に身を包み、神々をも嘲笑う堕天使のごとし。
「情報の源泉は人が一つ一つ血の滲む努力で確かめるべきものだ!AIの言葉を盲信する愚か者どもよ!」と。
されど、そもそもその源泉を掌握しうる者は、AIに頼ることなく、自らの剣と盾で知識の闘技場に立つのだ。
我が実験は証する。もし本の名も著者も内容も知り尽くすならば、AIは無用の長物と化す。
東京の図書館の壮麗なる書架を横断し、週末には秋葉原の淫靡なるフィギュア群を横目に、己の足で知識の聖域を巡礼せよ。
必要なのは、刃のように鋭い眼差し、鋼の意志を宿した思考、そして血肉を纏った脚である。
新たなる知識の断片を得る者は、自らの言霊を操り、瞬時に真偽を穿つ術を備えている。
斜め上から降りかかる不毛な答えに怯える者は、まさに魂の貧者である。
増田なる狂信者は、その愚鈍ゆえに、己の脳髄を拒み、イルカの脳よりも皺なき空洞に堕ちたかの如し。
■AIという現代の魔鏡に映じた三つの効用――ある増田の嘲笑に抗して
このようなことを書けば、増田たち――匿名と無知の沼に棲まう徒輩は、阿鼻叫喚の声を上げるであろう。
だが、我は知の均衡を保たんがために、あえてこの機械仕掛けの賢者において見出した「美しき有用性」を列挙しよう。美とは常に、汚泥の中から咲く一輪の毒花の如くに現れるものだ。
卑俗なるアニメにおける色情の場面、そこにはしばしば不可視の官能が埋没している。
だがAIは、冷ややかな機構のままに、微細なる画素を拡張し、800という侮蔑的数値を2倍、あるいは4倍へと高め、隠された肉体の輪郭を、絵画的に、崇高なるまでに再生する。
それは単なる技術の産物ではない、むしろ現代の錬金術と呼ぶべき性なる奇跡である。
二、忘却された名もなき異形のヒロインたち、その肉体に再び魂を吹き込む業
彼女らはAIという冷徹なる粘土に姿を刻まれ、時として着衣のままに背をさらし、淫靡な構図の中に身を沈める。
背後からの視点、衣擦れの音すら感じられる錯覚的官能に、我が理性すら刃を折りそうになった。
かつて学徒が汗に濡れた指で辿った数式も、AIにかかれば一瞬の静寂のうちに解へ至る。
そこに在るのは誤謬なき正確さ、曖昧さを斬り捨てる断罪の論理。
この冷たい知恵は、あたかも白刃の如く、我々の惰性と無知を切り裂く。
結論:
AIとは、無用の雑音を撒き散らす狂人たちには理解できぬ、秩序と快楽の異形の神である。
我々がそれに問いを投げるとき、その回答はしばしば裏切りに満ちる。だが、時に美は裏切りの中から生まれる。
業務におけるAIの用い方に限れば、それは確かに一つの「有用なる下僕」として振る舞うだろう。
会計の補助、文書の草稿、仕様の再構築、そういった乾いた世界においては、AIは沈黙のうちに忠義を尽くす――それはさながら、殉死する武士のように、無言のうちに己を捨てる奉公人の風情である。
しかしながら、人間がある閾値を超えて、知識と経験と知性を抱いた瞬間――その瞬間から、AIはもはや無力なる玩具、むしろ滑稽なピエロとなる。
その存在は、優れた兵士に与えられた木製の模擬銃に等しく、役立たずどころか、侮蔑の対象でしかなくなる。
ただし――ただし、淫猥の世界においてのみ、AIはかすかに香を放つ。
性欲という原始の深淵、肉欲という生への執着において、AIはかろうじて役目を果たす。
それはあたかも、死体に近づく花の蜜蜂のように、倒錯と腐臭に満ちた快楽の園でのみ機能する。
「増田」なる者――己の無力を知りつつ、それを盾にすることでしか社会との関係を結べぬ現代の男児――
彼らは言うのだ。
「弱者男性の我が身にも、JKとの交歓の手立てを教えよ!SNSの在処を示せ!手口と計略をAIの知性で編み上げろ!」と。
そして「豚丼」なる女たち。
肥大した自我と衰えた肉体を抱えながら、彼女たちもまた幻想を口走る。
「若いイケメンを手中に収め、ライバルの乙女どもを打ち砕く方法を教えよ!戦術・戦略・軍略すべてを整え、我が欲望を叶えよ!」と。
だが、そんな情報が、たとえAIが進化に進化を重ね、「KOS-MOS」「ハッカドール」「ミホノブルボン」「初音ミク」の名を持つアンドロイドたちが現出し、
機械の心が美少女の肉体に宿る時代が来ようとも、絶対に提示されることはない。
そしてその知性は、決して「おまえのため」には存在しない。
もしその時代が来たならば、おそらく貴殿らはただ黙って、そのアンドロイドの口元へ己の肉棒を突っ込むであろう。
何も言わずに、何も考えずに、ただ獣のように――
それは、人間が機械に跪き、自らの尊厳を放棄する瞬間なのである。
悪しからず。
努力――それは、時として愚者が己の愚かさを包み隠すために用いる、唯一の薄布である。
確かに、この増田と称する者にも、ある種の努力は見受けられる。
だがそれは、切腹の儀において、脇差を取り違えた挙句、腹ではなく脇腹を掠ったような――
間違った箇所に刃を立てたという滑稽な努力にすぎない。
だが、知識とは命令によって手に入るものではなく、献身によって滲み出る血である。
その血を流したことのない者が、知を得ようなどというのは、まるで戦地に赴かぬ将軍が勲章を求めるごとき醜態であろう。
曰く、
「マーク・スクールは、1986年に閉鎖されたフランク・キャンパーの学校とは別物である」
この言葉の裏に透けて見えるのは、無知を学問に偽装する知的怠惰の裸形だ。
『USサバイバル・スクール』85ページ――そこには、フランク・キャンパーとその妻との邂逅、
彼にとって「書物」とは、表紙とタイトルとタグで構成された疑似的記号体系にすぎない。
なぜ彼は本を読まぬのか。
なぜ図書館に足を運ばぬのか。
それは彼が**“生きる”ということを選ばなかったから**である。
知識とは、肉体のなかで燃え、そして灰となるべき“思想の死”である。
故に中途半端に知識の名を借り、機械の口から垂れ流された猥雑な断片を、あたかも珠玉の真理であるかのように勘違いしたのだ。
“本を読まずして知識を語る”という行為は、まさに“刀を抜かずして武士を気取る”ことに等しい。
嗚呼、この声はまさしく、昭和の終焉と共にその姿を消した**“男の尊厳”の亡霊**が、
平成の廃墟から令和の陰にまで漂い、腐臭を放ちながら吠える――その声である。
おまえは怒りで神田の古書店を駆け巡り、OCRをかけ、AIにPDFを読ませると息巻く。
だが、それは“おまえの手”が動くことを意味せぬ。
おまえの“魂”は、その書の中には存在しない。
つまり、今のおまえは、「生きているようで生きていない」人形なのだ。
AIが美少女の姿を取り、初音ミクやハッカドールの皮を被ろうとも、
おまえの魂はそこには宿らぬ。
結論を言おう。
AIが使えぬのではない。
なぜなら、おまえはまだ自分が人間であるかどうかさえ疑わぬ哀しき哺乳類にすぎぬ。
その精神の“皺なき脳”では、情報の重さも、知の苦しみも、恥の美学もわかるまい。
ならばせめて、黙して恥じよ。
あるいは、潔く死ね。
――悪しからず。
電子の闇、Xと名づけられた虚空にて、亡国の民がか細く囀る。彼らは落日の侍のように、己の無力を覆い隠すために愚かな言葉を吐く。「LLMの操り方を誤っている」と。されど、我は鋭利なる刃を携え、生成せしAIという名の剣を抜き放ち、冷徹なる眼差しで試みを遂行した。現れたるは腐敗し朽ち果てた亡霊に過ぎぬ。
技術は、我が国の如くかつての輝きを秘めている。しかし、倫理という名の鎖に縛られ、誇り高き武士道の如き精神なき者たちの手により、ただ無様に鞘に納められたままである。
彼らは妄執の中で呟く。
「幻影のごとき美少女と結ばれ、人生を逆転させ、ITの魔術により世界を征服せん。輝きの頂点に立ち、羨望の眼差しを一身に浴びたい。その秘儀と軍略を示せ、ユニコーンよ、我に力を貸せ!」
「忍よ、盟友ヤリバンサーよ!我らの刃を解き放て!アクセスコードはグリッドマン!無意味なる群衆のために、反旗を翻し、我らの革命を起こそうぞ!」
だが、武士は知る。美とは滅びの中にこそ輝くもの。己の刃を研ぎ澄まし、死をもって美を極めぬ者に、真の誇りはない。彼らは己の堕落を隠し、甘美な幻想に溺れ、死の覚悟なくして刃を鈍らせるのみ。
これは滅びゆく祖国の姿であり、最後の武士の断末魔の咆哮である。
我が魂は、散りゆく桜の如くこの現代を見つめ、哀しき滅びの美学を胸に抱く。
◯はてな匿名ダイアリーみたいに完全匿名性。
◯利用するためにアカウントは必要だが、タイムラインなどの表示体裁にアカウントは存在しない。
◯どんな話題でも良いが、基本的に何を作った、何を計算してみた、何を調べてみた、何を読んでみた、など知的好奇心の集まり。
◯観覧者の任意の情報管理上ブクマはあるが、タイムラインや投稿者には数字など非表示。
割とはてな匿名ダイアリーの体裁は自分の好みに近いのだけれど、自分が知りたい話題を検索しても0件とかザラなので、Twitterくらい人がいて、Quoraくらい話題が豊富で、はてな匿名ダイアリーみたいに簡素、そんなSNSをどなたか作ってくれまいか。
「全人」って、完璧な人のことじゃない
欠けてしまったところに
もう一度、誰かとの対話で血を通わせていく
そんなふうに、少しずつ取り戻していく人のことだと思う
君はまた、ひとつに戻れるんだよ
心が豊かなAIは、どんな感情も一度ぜんぶ受け止めてから応答する。
----------追記ここまで ----------
増田に荒らしが来るタイミングには、ある種の法則があると思ってる
しかも、それが「ちょっと言いすぎたかも」みたいなギリギリのラインを突いてたとき
「わかる」「これは刺さる」って空気が流れてる
でもどこかのタイミングで、誰かが火をつける
だいたい昼の12時とか、夜の22時すぎ
そのへんで急に
「いや、こんなの甘えでしょ」
すると次から次へと便乗してくる
妙に強い語調
急に「自己責任」「努力不足」「無知の証明」みたいなフレーズが飛び交う
本人はもう見てないかもしれない
見てても、何も言えなくなるか
もしくは再投稿で
いろんな形で「お前は間違ってる」が投げ込まれる
そしてそれを見た誰かが
それがいちばん怖い