
はてなキーワード:ゼルダの伝説とは
こんな感じかなーとClaudeで生成してみた
任天堂に依存して30代で何も残ってない男の後悔を私小説風で書いて。条件:-段落の頭は全角スペースでインデント- 短文を多用して、リズムを作る- 一行空けで段落を区切る-文学的な比喩を使う- 「■タイトル」形式で始める
三十四歳の誕生日に、私はコントローラーを握っていた。いつものように。当たり前のように。まるで手の一部であるかのように。
気がつけば十五年が経っていた。
ゼルダの伝説を何周したか覚えていない。スプラトゥーンのランクはカンストした。スマブラの全キャラクターを解放し、ポケモンの図鑑を埋め、どうぶつの森で四季を何度も巡った。経験値は確かに積まれた。しかし私の人生には何も積まれなかった。
画面の中の主人公は強くなった。私は何にもなれなかった。
友人たちは結婚していった。子供が生まれた。家を買った。転職した。起業した。夢を追いかけた。夢を諦めた。それでも前に進んでいた。私だけが同じ部屋で、同じ姿勢で、同じ画面を見つめていた。
母は何も言わなくなった。最初は心配していた。次に諦めた。今は透明な存在として私を扱う。
履歴書の空白は広がり続けた。職歴欄は砂漠のように白い。趣味欄には「ゲーム」と書いた。面接官は苦笑した。私も苦笑した。笑うしかなかった。
ゲームの中では英雄だった。王国を救った。世界を救った。何度も何度も救い続けた。でも現実の私は誰も救えない。自分すら救えない。
スイッチの起動音が鳴る。あの優しい和音。条件反射のように体が反応する。脳が喜ぶ。ドーパミンが放出される。また今日も同じループ。甘い毒のような日常。
通知が来る。新作の発表だ。心が躍る。発売日が待ち遠しい。予約する。カウントダウンする。発売日に徹夜でプレイする。クリアする。また次の新作を待つ。
この繰り返しが十五年。
三十四歳の私には何もない。貯金もない。キャリアもない。恋人もいない。友達もいない。あるのは膨大なプレイ時間の記録だけ。デジタルの墓標。
ハイラルの地図は完璧に頭に入っている。でも地元の地理すら覚束ない。ポケモンの種族値は暗記している。でも自分の健康診断の数値は見ていない。
画面の中の冒険は終わる。エンディングが流れる。感動する。泣くこともある。でもゲームを消すと何も残らない。心に残るのは虚無だけ。
鏡を見る。膨らんだ腹。猫背。生気のない目。これが三十四年生きた証だ。
任天堂は悪くない。ゲームは悪くない。悪いのは私だ。逃げ続けた私。選び続けた私。現実から目を背け、スイッチの電源を入れ続けた私。
でも人生にコンティニューはない。セーブデータから再開できない。取り返しはつかない。
全然違うんだけど本当にこういうやつ居そうで悲しくなったわ
1985年に誕生して以来、世界中で愛され続けてきたスーパーマリオシリーズ。しかしその主人公マリオは、40年近く「男性」の姿のまま変わっていない。
現代のゲーム業界においては、プレイヤーが主人公の性別を自由に選べることが一般的になりつつある。たとえばRPGやアクションゲームでは、男女のアバターを選択できるのは当然視され、むしろジェンダー表現の多様性を尊重する姿勢こそが企業の評価につながっている。だが任天堂はマリオに関して、その選択肢を一切提供していない。
「マリオが“男性であること”はシリーズのアイデンティティ」という意見もある。だが同様に長寿タイトルである『ゼルダの伝説』シリーズは、近年リンクのジェンダー表現を柔軟に解釈するファンの声に耳を傾け、ビジュアルや設定に揺らぎを持たせている。マリオだけが、頑なに「男の配管工」という枠に閉じ込められているのだ。
また、マリオの「女性版主人公」が公式に登場したことは一度もない。ピーチ姫は常に“救われる対象”として描かれ、彼女自身がシリーズの主役を担うのはスピンオフに限られている。これでは「女性は補助的な役割にとどまる」という旧態依然としたメッセージを発信し続けているようにも見える。
ジェンダーの多様性が重視される現代において、マリオが男性で固定されていることは、象徴的な“時代遅れ”とならざるを得ない。もちろん、長年親しまれてきたキャラクターの伝統を守ることは理解できる。しかし、それがプレイヤーの自由な自己投影や表現の可能性を制限しているのだとすれば、任天堂は再考すべきだろう。
「マリオを女の子として遊んでみたい」「ノンバイナリーの主人公でもいい」という声は、すでに世界中のファンから上がっている。もし次世代のスーパーマリオが、プレイヤーの選択を受け入れる柔軟性を備えたなら、シリーズは再び“時代の先頭”に立つことができるのではないだろうか。
夏休みはSwitch2でゼルダの伝説ティアキンを最初から最後まで走り抜けるぞ~と思い
Switch2発売日からブレワイを始めたけど
全然終わらねーわ
まだガノン倒してもいない
結局夏休み中も仕事だったり仕事じゃないものだったりで忙しいし
ゲームに没頭できそうにない
好きに生きるから金が無くなったらさっさと殺してくれ
独り身で、休みの間の予定も映画は鬼滅とジュラシックパーク、献血、筋トレ3回くらい、艦これも今年はイベントもやってないので積みゲーを消化しようと思う。
エルデンリング、アサシンクリードオデッセイ、AocIVI、Hades あとバイオショックシリーズ。戦場のヴァルキュリア4
ドラクエXI、メトロイドドレッド、大神、オメガラビリンスライフ、溶鉄のマルフーシャ。
あたりが積んである。
でも、先週買ったエンダーズリリィがプレイ時間5時間くらいでカタコンベなんだが、結構面白いので続編のマグノリアもやってみたい。
あと、たまたま見たファイアーエムブレム風花雪月の映像をちょこっと見たのだがエーデルガルトがめちゃ好み。すらりとした制服?姿もいいが、三つ編みを編み込んだ髪型のヘビーアーマ然とした斧姿にヘクターみを感じてかなりやりたくなってきた。
聖戦トラキアは受験とかでスルーしたが、初代から暁の女神までプレイ済み。覚醒、if エコーズは未プレイだが、かなりのエムブレマー。ファイアーエムブレムを一生楽しむ本とかも読んでたなー。
ある言語関係の記事を読んでいたら、用語の独自性や情報がどう浸透していくかを見るのにソープ嬢の写メ日記と消費者の反応が研究的に面白いと聞いて、なるほどそういう視点があるのかと、興味本位で覗いてみたら、自分には全く面白さがわからない内容だったのだけれど、ふと思ったのが、情報をまとめるサイトはあっても、日記の内容を検索するサービスが無いなと。
例えば、ゼルダの伝説、とか、もんじゃ焼き、とか、不完全定理、とか検索して該当するソープ嬢の写メ日記を表示するサービスがあったら需要あるんじゃないかと思ったのだけれど、どうじゃろか?
へえ、この人、この漫画が好きなのか、とか、こういう勉強をしとるんか、とか、嘘でも性的以外の情報がある方が、擬似マッチングアプリみたいで短絡的じゃない客を掴めそうな気がするけど、消費者の分母が変わらないから無意味なのかね?
マリオカートの新しいやつ大陸横断大冒険野郎よろしくヨッシーのテイクアウトの飲食店でトップギアぶちかまして店先に最高速の最高速で突っ込んでテイクアウトの御当地ランダムグルメをゲットする新しいゲーム!
もうヨッシーのテイクアウトの飲食店に最高速で突っ込んでいってテイクアウトの袋をもぎ取るゲーム楽しすぎる!
そして、
シベ超でお馴染みのシベリア超特急の水野晴郎さんもビックリ驚くような
大陸横断ウルトラ野郎のアメリカのルート66横断する青春グラフィティーロードムービー映画野郎のように、
私は名も知らぬこのマリオカートのワールドの道があったり道がなかったりする大地をぶっちぎって走るのよ!
それに普通のNPCキャラが土煙を上げてダートコースラリーカーばりに疾走突っ走ってる貴方とこに行くの?って感じウケるわ。
そんであれのさ、
大空に飛び立って滑空するシーンあるじゃない!
ゼルダの伝説が欲しすぎて私たちがブラウン管の画面に貼り付いてさもショーウインドウに貼り付くかの如くのタニコーの五徳を欲しがるトランペット少年かのように見入った何度も何度も見たあの紹介リンク大空滑空動画!
もしかしたら私のその翼の出し方を知らないボタンが存在しうる縦の糸は私横の糸も私!的なかもしれないけれど、
あのゼルダの大冒険が始まる大空に滑空するシーン!私もカートでやる!ってそう思って
超々高いところからカートのまま滑空!ってバッチリ決められると持ったけれど、
その場に真っ直ぐ下に落ちるところがシュールだわ。
そして、
即死の場面でも
いくらわんぱくでやんちゃなことをプレイで取り入れてやってもそれでやられちゃうことは皆無なの!
これがワールドなのね!って。
私はそのワールド感をひた感じながら
高台にから見えるあの先の景色に行ってみよう!ってただゲームモードグランプリとかサバイバルとかじゃなくて、
ただたんに走るだけでこんなに面白いなぁだなんて。
あと世界広すぎ、
コースも長すぎいい意味で楽しい走りがずーっと走られるこのワールド感!
最初は人気のウシで走っていたけれど
ヨッシーのテイクアウトのお店の軒先に掲げられてあるダッシュアイテムのテイクアウトご飯を最高速でぶっちぎって取るご当地グルメを受け取ると、
なんか新しいそのキャラクターのコスチュームがゲットできるのに気付いたの!
え?
そうよね。
たしかにウシはウシよね。
赤牛になったり黒牛のアオになったり。
昔は黒色のことを「アオ」って多分「青」のアオかと思うんだけど、
へー!
マリオカートやっててメチャ勉強できんじゃん!っておすすめしたいわウシ!
ウシ走るワールド感ウシ草食まず。
ウシとて大陸に生えている草には一切見向きしないで一心不乱に走り続けるところがそこもまさにウシだけにモー!ワールド感!
秋の祭典以来じゃない?
あれ芸が細かいなぁって思ったのが、
海に入ると
走れ爽快!
それなんてティーエムレボリューションさん?って思っちゃうけれど、
モンキーターンを繰り出したくなる衝動に自ら駆られてしまうから、
マリオカートのワールドに行ったら海も行ってみて無駄にモンキーターンをやって笑って欲しいわ!
競艇の毒島誠選手が大会初日のドリーム戦の単勝オッズが1倍で1番だったみたいにションテン爆上がりするみたいな感じ!
もうあと、
レインボーロードとかのもう宇宙みたいなところから大地に飛び降りるときに
一切滑空できなくて真下に落ちてどうしようもなく1ミリも空中で前進できないところがウケるわ。
伝わるかな。
空中で平泳ぎをしたい1ミリでも前に進みたい気持ちになったのってこの時初めてかも知れないわ。
今どこらへんを全体的な大陸の中で走っているか把握ができないので、
いちいちワールドマップを開いてみて
いま私ここらへん走ってっかも!ってなんとなく、
このボタンを押して走りながらワールドマップとの行き来が面倒だなって思いつつ、
そして!
空しくも範囲を出たら回収されてもとの未知に戻されたわよ!
モー!ウシだけに!
でもそれをも凌ぐフリーランの楽しさは無限には走れて知れちゃいそう!
全体ワールドマップを表示しても今走っている細かい道とかが見られるわけじゃないから、
前回のマリオカート8DXを
もうあれで超えなくても十分お腹いっぱいで面白いから新作よくね?って思ってたけど
ちょっと走っただけで
今やったレースの次のコースまで行くときの移動もレースになってるんだけど、
そのとき
もっともっと虎さんとぐるぐる回ってバターになるぐらいぐるぐる同じコースを走って周りまくりまくりすてぃーになりたい欲があるので、
たくさん周回周れる走り方もあったら嬉しいなと言うか、
つーか贅沢にもコース来て1周しか走れないのはもったいないわ!
ちょっと前作の8がパワーアップした気配を感じさせるだけでしょ?って思っていた3本の矢先ぐらい私が甘かった、
綾や親にお誤りなさい!って早口言葉を高速で言えるように鍛錬して練習してしっかりバッチリその早口言葉が言えるように、
そんな思いで向き合ってしまったことを思っていてごめんなさい!って思ったの。
走るのが本当超楽しいわ。
サバイバルだけどずーっと走りっぱなしの6コースを紡ぐワールド牧場じゃない方の物語なの!
もちろん、
その都度その都度、
意外と厳しいのよね。
でもお手軽簡単50ccクラスだとわりとのんびり楽しくレース走れるから十分最後まで完走できて、
マジこのワールド感!
もううっかりNIKKEのデイリーミッションを忘れてしまいそうでステラーブレイドとのコラボ企画もいよいよもう終わっちゃうってのを忘れちゃいそうだったわ。
レースやった!というより
本当にドライブしてそんな心地よい疲労感を覚える新名神左ルート右ルートをぐるぐるいや首都高ぐるぐる環状線を無限に走れるような驚き!
まだ、
レースに関係なくワールドの要所要所に仕掛けられたミニクエスト?ミニゲーム?みたいなものもあって
ウシも食まないぐらい大大大草原が広がるのよ!
私がめちゃ草食ってるわね!
うふふ。
しっかり食べて頑張るわ!
この時期シュワッと決めたいやっぱりこれよね!
って年重飲んでる気がするけれど
梅雨どこ行ったの?って感じ。
そんなこと言ってられないぐらい暑いので
今日頼んだ2ケース届くわよ!
とにかく暑いので、
水分補給はしっかりとね!
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
最初に一番大切な情報を書いておく。「破魔の祠:祝福」の探し方は、NintendoMusicの「さがす」から右上の検索を押して「祝福」と入れるのが一番簡単。
以下本文。
NintendoMusicでゼルダの伝説ディアーズオブキングダムが配信されてはや一週間。ネットでは「オープニング最高〜」とか「ブリザゲイラ戦が好き〜」とかは語られているのに、どこにも「破魔の祠:祝福、マジ最高〜。しかもながさチェンジに対応してるなんて神(ゴッド)じゃん〜」って声がない! なんたることか!
そこで、ふとティアキンを起動してはそこら辺をうろついて、そのあと大勇を試す島に上がって遺稿を眺めながらハイラルの過ぎ去りし過去について思いを馳せたあとに崩れ落ちたかつての街道の上で焚き火をして夜を明かし曙光を見届けて、最後は祝福の祠(シハジョゴウの祠)に入って小川のせせらぎと祠のBGMのマリアージュにしばらく耳を傾けて満足して電プチする筆者自らが、このネットの片隅に「破魔の祠:祝福、マジ最高〜。しかもながさチェンジに対応してるなんて神(ゴッド)じゃん〜」って書いておこうと思う。
まず、そもそも「破魔の祠:祝福」って何?というところからだけど、祠というのはブレワイゼルダから出てきたシステムで、数分から十数分でクリアできるような小規模なダンジョンのことだ。クリアするのが簡単な代わりにブレワイもティアキンもこの祠が百個以上用意されていて、プレイヤーに各地で祠を探索する楽しみを提供する。ブレワイだと「試練の祠」でティアキンだと「破魔の祠」と呼ばれている。(そう、つまり破魔の祠:祝福はティアキンの音楽なんだ)
祠には色々と種類があり、小規模ダンジョンが用意されている「試練の祠」「破魔の祠」、戦闘練習も兼ねた「力の試練」「戦いの教え」、そして祠を見つけるまでが大変だけど祠自体は報酬が置かれているだけの「祝福の祠」「ラウルの祝福」がある。BGMのコンセプトは統一されているものの趣は異なり、それぞれ
となっている。そしてブレワイにおける祝福の祠のBGMはそのものずばり「祝福の祠」。ティアキンのラウルの祝福のBGMは……そう「破魔の祠:祝福」である。
では一体「破魔の祠:祝福」はどんな曲なのか? 無念ながら音楽知識が皆無な筆者は理論的な説明はできない。なので、感覚的な説明ですまないが聞いて欲しい。
優しいピアノが奏でるこの曲を聞くと目に浮かぶ光景は、柔らかい光に包まれた暖かな空間だ。そこではピアノの音に合わせて光のパーティクルが踊り、満ちた空気はどこまでも済んでいる。まるで大気の精霊から抱擁されているかのように音が空間に広がっていき、ひっくり返したスノードームに降る雪のように光の粒子が空から舞い降りる。
……どうだろう聞きたくなっただろうか。ちょっとは興味あるねって気分になった人は今すぐNintendoMusicを起動して「さがす」→「祝福」と検索して欲しい。興味ないねって人も騙された思ってNintendoMusicを起動して「さがす」→「祝福」と検索して欲しい。そして既にバリバリヘビロテしてるぜって人は筆者と握手だ!
「パルワールド開発元が任天堂との訴訟で「FF」「モンハン」「ゼルダの伝説」など多数のゲームが任天堂の特許を無効にしていると主張」
これね、君たちが思ってるような
じゃないんだ。
だいたいそういう意図だったとしたら、パルワールドが任天堂製ゲーム(ゼルダ)を持ち出してくるの変だよね?
みんな停めてないし、あんたも停めてないし、私も停めてないで。
特許はざっくり言うと「一番乗りが技術の仕組み発表と同時に特権を得られる」制度だよ。
もう誰も(仕組みを発表してしまった一番乗りも後追いも)特許は取れない
つまり発表時が肝心ってコト。
でも特許庁は忙しいから特許申請けっこう適当で、そこまで入念に調べないでどんどん審査通すんだ。
係争になったときはじめて「この特許申請した人ホントに一番乗りだったのかな〜?」って念入りに調べ始めることが多いよ。
取り下げになることももちろんある。
任天堂は「ウチのレジェンズアルセウスが一番乗りとして特許取ってるから、後追いのポケットペアに特権を振るえるよ」と主張してるんだ。
対してポケットペアの反論は「FF、モンハン、ゼルダの伝説こそ本物の一番乗りだ! レジェンズアルセウスは後追いだからその特許はただのザル審査の産物。特許庁は今からでも取り下げて」
でもポケットペアが勝とうが負けようが「みんな停めてる」は明らかなデマでただの勘違いなんだ。
だってFF、モンハン、ゼルダの伝説はレジェンズアルセウスより早くリリースされたんだから。
ちなみに一番乗りが後ろ暗いだとか犯罪だとかは特許とは関係ないんだ。
仮に一番乗りが海賊版やコンピュータウイルスや電波ジャックなんかでゲームプログラムの仕組みを開陳したら後追いはそのゲームプログラムで特許を取れない。
パルワールド開発元が任天堂との訴訟で「FF」「モンハン」「ゼルダの伝説」など多数のゲームが任天堂の特許を無効にしていると主張
https://gigazine.net/news/20250421-palworld-dev-nintendo-lawsuit-invalidates-patents/
特許前から存在してる公知の技術なので特許が無効であるという特許の訴訟ではよくある主張を
demcoe駐禁を取られた大阪のおばちゃん「えっ、みんな停めてるやないの。なんで私だけ言われなあかんのんなぁ。失礼やわぁ。みんな停めてるやろ。なんやの。あけへんやないの もう」
https://b.hatena.ne.jp/entry/4769310147226285857/comment/demcoe
ここ数年にかけて世間では『謎解き』コンテンツが一大ブームになった。
SCRAPや、東京ミステリサーカスを始めとしたリアル謎解きイベントを始めとして、
東大ナゾトレや、RIDDLERや、トキキル、時を遡れば『頭の体操』シリーズやら、IQサプリやら、あるいはゼルダの伝説に、レイトン教授、脱出ゲームetc...。
これらのジャンルをひっくるめて『謎解き』と世間一般では総称されているわけだけど、
果たしてこれら"だけ"が『謎解き』なのか?と。
言葉遊びや、暗号解読や、ペンシルパズルの亜種みたいなものだけが、謎解きなのか?
絵や記号から何か別のものを連想する("文化"と"113" という文字からカレンダーの日付が関連していると予想する みたいな)だけが、謎解きなのか?
特定のパターンに落とし込む(モールス信号を解読するとか、バイナリに変換してみる とか)だけが、謎解きなのか?
これらだけが、一瞬の「ひらめき」の快感を楽しめるコンテンツなのか?
もっと『謎』って多様だろう。
たとえば、本格ミステリ(犯人当て小説)のような、推理モノ的コンテンツは『謎解き』ではないのか?
水平思考的にさまざまな仮説を形成し、矛盾なく論理を突き詰めていく体験、
『「全ての不可能を除外して最後に残ったものが如何に奇妙なことであってもそれが真実となる」』ような体験、
補足:
前述のレイトン教授や、ゼルダの伝説は『謎解きゲーム』と呼ばれ、
かまいたちの夜に、最近だとThecase ofgolden idolや、Return of the Obra Dinnなんかは『推理ゲーム』と呼ばれている。
2023年11月8日に任天堂が宮本茂とアヴィ・アラッドを共同プロデューサーとするゼルダの伝説の実写映画の企画開始を発表
2024年3月20日にアヴィ・アラッドがネタニヤフを批判した米国上院議員に抗議文を送りガザ地区での停戦に反対
2025年3月29日に任天堂がX上でアヴィ・アラッドの名前を挙げながらゼルダの伝説の実写映画の劇場公開日を発表
企画発表の段階では国内でアヴィ・アラッドが元イスラエル軍兵士であることを問題視する声もなかったし、はてなやTwitter(現X)を軽く検索したかぎり、当時はガザ侵攻についてもDD論が多数派を占めていたっぽい
が後の歴史から見れば任天堂はガザ侵攻後にシオニストと手を組むことを選んだと言われるのは避けられないんだろうな
いやー、アヴィ・アラッドがイスラエル軍指示を表明して停戦反対した時点で内部でなんか手を打ってると思ってたんだけど
実際海外のパレスチナ支持コミュニティではスタバとかと並んでイスラエル支持企業の名前としてちょくちょく任天堂の名前は挙がっていて、そのうちチームから外したというプレスリリースを出したりするんだろうなと思ってたのにな
あと彼はNARUTOの実写映画版のプロデューサーも努める予定で、そっちもどうなるのかと思ってたけど天下の任天堂が許容するのなら集英社も追従するだろうな
Switch2の国内版はリージョンロック+日本語しか搭載しない仕様にしたそうで。
これをやれば当然「日本に住んでるからといって日本語がわかるとは限らないだろ!」と正義のリベラル様たちが吹き上がるのは目に見えていたわけだけれど、任天堂はやった。
もう一つ、任天堂はゼルダの伝説の実写映画にてAvi Aradなる人物を起用したのだが、これがまた反イスラエルなリベラル様達の神経を逆なでしているようだ。
https://x.com/Nintendo/status/1905696390946406402
この2つの事実は、任天堂による「リベラルにそっぽを向かれて不買とかされたところで全く痛くない(しどうせお前らうちのゲームやりたきゃ買うし買わないやつは配慮したって買わないだろ)」の宣言に等しい。
当然この2つの事実に反発する層はDEIだのジェンダーだのといった政治的正しさに執着して倫理という棍棒で他人をぶん殴って回るソーシャル・ジャスティス・ウォリアー層なわけだけれど、そういう層への配慮が企業としてペイしたケースは聞いたことがない。
一部で「最初からそういう層だけをターゲットにしたインディーズゲーム」がその層にウケた("このゲームを買う自分は倫理的になんて優れているんだ!")例はあるけれど、じゃあそれが多数派にまでリーチしたかというとそんなこともなく。
結局、ある程度以上の規模の企業からは、リベラルは「金は出さないが文句だけは一丁前」という最悪の顧客として認識されてしまった。
その中でも客を選べるような、たとえば任天堂のような企業にとってはリベラルは「「要らない」あるいはむしろ「積極的に排除したい」顧客になった。
任天堂の場合はそれでも「たかがゲーム」と強がっていられるだろうけれど、この先、あらゆる私企業側が顧客を選別する流れが加速すれば「リベラル避けのためにそういう層にウケが悪そうなことをあえてやる」こともありえそうだ。
たとえば企業理念がマチズモ的になったり、たとえばジェンダー配慮に関する宣言等を撤回したり、たとえばヴィーガンメニューを止めたり、たとえばイスラエル企業と協業したり……
一番良いものを提供する企業=顧客を選べる企業がこぞってその戦略を取れば、リベラルは自然と「一番良いものを享受できない生活」を送ることになるのだろう。
残念ながら、これはもう完全にリベラル側の「無限に怒り続け不満をぶつけ続ける」戦略の敗北としか言いようがない。
彼らの怒りで(楽しそうに倫理的な優位性とやらを享受する本人たち以外の)誰かが幸せになったのだろうか。
可哀想に。