
はてなキーワード:スランプとは
ポストの内容は、韓国映画界の急激な浮き沈みを嘆くもので、「アジア初のアカデミー作品賞受賞(『パラサイト 半地下の家族』2020年)から数年で業界全体が危機状態に陥るなんて想像もつかない」というニュアンスです。実際、2025年現在、韓国映画産業は深刻な低迷期を迎えていて、劇場興行収入はパンデミック前の2019年の13.8億ドル(約1.91兆ウォン)から2024年は8.61億ドル(約1.19兆ウォン、38%減)まで落ち込み、2025年上期の観客数は前年比でさらに22%減少しています。<grok:render card_id="3c436b" card_type="citation_card" type="render_inline_citation">
<argumentname="citation_id">14</argument>
</grok:render> これが「こうなった」理由を、複数の要因から説明します。主にCOVID-19後の影響、投資の停滞、ストリーミングの台頭などが絡み合っています。
### 1. **COVID-19の長期的な打撃とバックログの枯渇**
-パンデミックで2020年の興行収入が急落(3.69億ドル、73%減)し、劇場閉鎖や外出自粛で観客が激減。韓国人の年間映画館訪問数は世界トップの4回から2.54回に半減しました。<grok:render card_id="e919e6" card_type="citation_card" type="render_inline_citation">
<argumentname="citation_id">14</argument>
- 当時は制作中の「貯蔵フィルム」(パンデミックで公開延期された作品)が2022-2024年に大量投入され、年間35本以上の韓国映画が公開されましたが、これが尽きかけています。2025年の大手投資・配給会社の予定本数は10-14本と激減(前年の35本から大幅減)。2026年には本格的な「コンテンツ枯渇」が予想され、劇場は過去最高の228本のリバイバル上映に頼っています。<grok:render card_id="ff91fe" card_type="citation_card" type="render_inline_citation">
<argumentname="citation_id">13</argument>
- 結果、2024年の37本の商業映画のうち、投資回収できたのはわずか10本。1,000万枚以上の大ヒット作がなく、3,000万人観客を突破する作品もほぼゼロです。
-興行不振で配給会社の収益が2019年の5.68億ドルから2023年の3.16億ドルに減少し、外部投資家が撤退。制作費の高騰(ストリーミング作品への人材流出で俳優・スタッフの給与が上昇)も拍車をかけ、ミッドバジェット映画の緑灯が減っています。<grok:render card_id="eee1c7" card_type="citation_card" type="render_inline_citation">
<argumentname="citation_id">14</argument>
</grok:render><grok:render card_id="d95dbd" card_type="citation_card" type="render_inline_citation">
<argumentname="citation_id">13</argument>
-投資サイクル(企画から公開まで2-3年)が遅れているため、2021-2022年の投資凍結が今頃直撃。2025年の公開予定が少なく、業界全体の「悪循環」(低収益→投資減→低予算→質低下→さらに低収益)が加速しています。<grok:render card_id="48d7f8" card_type="citation_card" type="render_inline_citation">
<argumentname="citation_id">13</argument>
### 3. **ストリーミングの台頭と視聴習慣の変化**
-NetflixやDisney+などのグローバルプラットフォーム、国内のTving・Wavveなどが人材を吸い上げ、映画からドラマ・シリーズ制作へシフト。監督や俳優の「ブレイン・ドレイン」が起き、映画界のクリエイティブ力が弱体化。<grok:render card_id="117b82" card_type="citation_card" type="render_inline_citation">
<argumentname="citation_id">14</argument>
</grok:render><grok:render card_id="e840a6" card_type="citation_card" type="render_inline_citation">
<argumentname="citation_id">9</argument>
- 観客も自宅視聴(Netflixのモーテル配信など)に移行。劇場文化の衰退を象徴するように、2025年のカンヌ映画祭で韓国映画が10年以上ぶりに不在となりました。<grok:render card_id="93124d" card_type="citation_card" type="render_inline_citation">
<argumentname="citation_id">9</argument>
</grok:render>パク・チャヌク監督は「劇場の危機が映画全体の危機だ」と指摘し、ストリーミング競争と消費者緊縮がスランプの主因だと語っています。<grok:render card_id="c502d4" card_type="citation_card" type="render_inline_citation">
<argumentname="citation_id">12</argument>
-消費者側の「ベルト・タイトニング」(家計引き締め)で、娯楽費が削減。2025年上期の全国観客数は4,070万人(前年比37%減)と、2004年以来の年間1億人割れが目前です。<grok:render card_id="f81ce1" card_type="citation_card" type="render_inline_citation">
<argumentname="citation_id">12</argument>
-劇場チェーン(Lotte Cinemas、Megabox、CJ-CGV)の合併・閉館が進み、スクリーン数が減少し、業界全体の収益基盤が揺らぎます。<grok:render card_id="ceec83" card_type="citation_card" type="render_inline_citation">
<argumentname="citation_id">14</argument>
『パラサイト』の快挙で韓国映画は世界的にブームを巻き起こしましたが、パンデミック後の回復が不十分で、構造的な問題が露呈した形です。業界は政府の救済基金(1,400億ウォン規模)やクーポン発行、AI活用、海外共同制作などの対策を求めていますが、回復には時間がかかりそうです。
創作やめた。
webで一次創作を十年近く続けていたんだけど、周りが次々と商業化していく中で自分には何も起こらず熱が冷めた。
ただ思いを吐き出したいだけなのでこの話にオチはない。
私が書いているジャンルはもともと書籍化する作品はほとんどなかったけれど、ここ数年で状況は様変わりした。
最近では紙の本はもちろん、電子書籍、コミカライズされる作品が増えて、出版社主催のコンテストも開催されるようになった。
最初に書籍化される作品が増え始めた頃、それが交流のない作家さんでも純粋に「すごい!」と思ったし、「いつか自分もそんな話がきたりして」と中学生のような妄想もした。
当然、なんの話もこなかった。
好き勝手に書いた作品が認められて本にしてもらえるなんてシンデレラストーリーが万人に起こるわけではないのだから当然である。
今思えば、作家志望の方は、書籍化のために他人には見えないところで積極的にチャンスを掴み取りに行っていたのかもしれない。
ところが私はシンデレラストーリーを盲信し、作品を書くこと以外何もしていなかった。それでも創作は楽ではなく、私は努力をしているつもりでいた。
ついには交流のある作家さんも商業化が決まり、最初の頃は純粋に「おめでとう!」と言葉を添えて投稿をシェアした。
しかしほぼ毎日のように誰かの商業化報告を見かけて「おめでとう」を言い続けるうちに、自分にはおめでとうと言ってもらえる出来事が何も起きていないんだなと思い始めてしまった。嫉妬である。
ついには商業化報告が目に入っても見なかったふりをしてスルーした。
その行為に罪悪感がわくのを止められず、いっそ本当に書籍化報告を見なくて済むように「書籍化」「コミカライズ」「受賞」「書影」「編集」などのありとあらゆる単語をミュート設定にぶち込む作業までして、自分自身に幻滅した。
もはや書籍化作業時の編集さんとのやりとり⭐︎みたいな話も「自慢か?」と思うようになり始めていた。
そんなわけないと頭ではわかっているのに、思うのをやめられないのである。
書籍化には興味がない、ネットで自分の作品を好きと言ってくれる少数の人がいるだけで十分と思い込もうとしたけどだめだった。
時間をかけて書いた作品がランキングの微妙な順位にしか載れないのを見ると普通に落ち込む。
過去に同人誌でアンソロジーを一緒にやったメンバーが、自分以外全員商業化した時は名前が並んでいることが恥ずかしくてのたうちまわりたくなった。
同人誌の道に走ってみたけど、他のサークルが上げている設営完了ツイートに映り込む本の数が自分とは桁違いに多くて、そこでもまたそんなことを気にしている自分が嫌になった。
加えてしょうもない稼ぎしかない自分には、同人活動における金銭的負担が大きく、そこでもまた「他の人は年に数回本を出しているのに……」と他人との比較をやめられずに数冊出して断念した。
このような他者との比較→嫉妬→嫉妬する自分に幻滅のサイクルを2〜3年やり続けた後、こんな非生産的で自分のためにならない思考はやめたいと本気で思うようになった。
気がつけば私は完全にスランプに陥っていた。何を書こうとしても「こういう展開にした方がランキング的にはウケるんじゃないか?」とか「社会の風潮的にこういう設定は商業化のノイズかも」などと考えてしまい、筆が止まってしまっていた。
どんなに強がっていても、私は自分が最強と思う形で他者に認められたい弱い人間だった。
でも以前はあんなに夢中になって書いていたのに、おもしろそうな展開を思いついても浮ついた気持ちにはならなかった。
SNSの出現頻度を減らし、掲載サイトをチェックする回数を減らし、それに慣れてきたらログアウトをして、ブックマークからサイトを消した。
マイナスの感情の中毒性はすさまじく、見たくないものをあえて見てしまう衝動を抑えるのにはかなり苦労した。
今のところ創作以上に好きなものには出会えていない。何かにハマりたいとは思うけれど、毎日が単調で、ものすごく楽しいわけじゃないけれど感情は凪いでいて平穏だ。
こんな記事をだらだら書いている時点で、今でも未練たらたらなんだとは思う。
でも完全に人としてぶっ壊れてモンスターになってしまう前にどうにか人の道に戻ろうとしている。
もしかしたらすでにぶっ壊れたあとなのかもしれないけれど、これ以上壊れることはないと信じて供養の書き納めです。
まず私について
・愛嬌はある方らしい
【コミケが始まる前】
創作垢を持ってないのでCircle.msのみ動かしていました。
お気に入り数は10人。これだけいたら誰かしらひとりは来るだろうと甘い考えをしておりました。
【コミケ当日】
スタイル:当日はクラシカルロリィタの格好で参戦。露出は全くなしです。
設営:ポスタースタンドあり、作品数が少なくて殺風景なのでA4の縁に「話しかけてください!」って書いた紙を入れました。
話しかけてくださいの紙を入れた理由は、デザインフェスタっていうイベントで「フォロワー0人スタート!話しかけるだけタダ」的なことを書いてたサークルさんが賑わってたのでそれを参考に。
配置:一次創作イラスト集を出してるサークルが多かった島です。これは私も悪いのですが、当初はイラスト+小説で出す予定でした。しかしイラストが全く描けないスランプに陥り、小説のみに。めちゃくちゃ浮きました。
結果:0冊。話しかけてくれた方、3名。見本誌をペラペラ捲って「ありがとうございます」って言って皆去っていきました。
【コミケ後】
やっぱり横の繋がりがないと私の作品なんて誰も買って貰えないんだな。とにかく涙が止まりませんでした。
酷い鬱と希〇念慮に追いやられ、しまいには食事ができないレベルのストレス胃腸炎になり点滴地獄に。
…甘い考えかもしれない事を言います。
コミケはぶっちゃけ作品がクソでも、可愛い子やおっぱいデカい子が立ってりゃ売れると思ってるので私程度のビジュじゃ売れないなと思いつつも、前回出たコミケでは私の見た目目当てで買ってくださった男性がいたので今回も少し期待しておりました。
が、残念ながら今回はビジュ目当てはおらず。
思えば今までの即売会では、私の中で「作品で売れたい」と言うより、「作品なんてすぐ捨てていいから私の見た目で誰か作品を買ってくれ」「女がエロ書けば誰かしら寄ってくれる」という甘くてクソみたいな考え方をしていたから売れなかったのかな。だったら作品なんて書く資格ないな、でもやっぱり「こんな可愛い子がこんなの書いてるの!?」と思われて商品を買われたいな、と自分自身を攻め続けました。
これ読んでる方々もうわ〜〜〜って思ってそう。だって私だってうわ〜って思うもん。
仲良しの子のインスタを見てた時にハッとしたのです。
「自己満でいい」
その言葉が何故か深く刺さりました。
その子は美人さんでよく旅行に行ってはSNSに旅行の写真をめっちゃ載せてるけど、全部自己満。寧ろバズったら恥ずかしい、他人になんて言われようが自分の好きな事を貫きたいというスタンスの女性。私は心の何処かでその子に憧れてたんだと思います。
思えば人にいつも合わせてばかりで、承認欲求塗れの人生だった。
ふと、そう思いました。
見た目とのギャップで売れたいとかいう穢れた承認欲求は置いといて、誰にも買われなくても、誰にも見られなくても自分が心から好きな作品を書いてみよう。
ビジュもそう。他力本願じゃなくて、まずは自分が自分を好きにならないと。
いわゆるスランプというのか見失ってるというのか
仕事がなぜか急にできなくなっているように思う
ただの事務職で、若手でただの下っ端。
別に昇進して責任が増したとか、異動で業務内容が変わったとかそういうのはない
強いて環境の変化をあげるとするなら、上司がこの春から変わったことくらい。
少し癖のある人ではあるんだけど、関係も良好(と思っている)
異動したての去年の方が、あれの次は午前中にこの作業、その間あの人に声かけて、とか、この作業は質>スピードでもOKなんだよな、とか、業務の順序なり重要点なり抑えてたんだけど
なぜか急にわからなくなっていて
単純にたるんでるだけかな
周りからも、おいおいどうしたんだよ、と言われ始めたが、自分が聞きたい
だけど頭が回らない
もともとメンタル疾患があるけど(躁鬱)、それがひどくなった、とかそういうのはない(あくまで自分の体感ね)
けど、なんだかうまく頭が使えてない気がする
えーーーーもう限界なんかなこれ
妻とは恋愛期間を含めるともう20年になる。20歳くらいからの付き合いでお互いもう40代。若い頃はやりまくってた。子どもが産まれて、しばらくやらなかったころもある。子育ても落ち着いて、二人の自由時間が増えてから、妻からはわかりやすいお誘いがある。
妻は生理時以外普段Tバックを履いているのだが、あからさまに下着姿でおしりを見せることがある。ちょっとした、スカートを履く前とか、お風呂上がりとかそんな何気ないとき。ああ、やりたいんだなとすぐにわかる。
私は妻のおしりが好きで好きで、おしりをさわっているとやりたくなる。胸も好きだけどおしりが特に好きだ。妻はそれを知っている。だから見せてくる。
この何気ない仕草で信号を送ってくれて、お互いのムードが高まると、若い頃のようにやりまくる。お互い在宅の日は1日2回のときもある。もう40代なのでほぼ妊娠しないだろうと避妊もせずじゃんじゃん中出しする。妻の一番奥に出すときの幸福感。万が一できてもそれはそれで授かりだと二人で話しているのでそこは納得している。
勝手知ったる仲なので、お互いの好きなことを話し尽くしているから体調や気分を聞きつつできるときはガンガンにやる。マンネリにならないように新しいことも試す。おもちゃは買ってないけど、それは今後どうしても惰性になったときのためにおいてある。
もうふたりとも年齢が年齢だから、たとえ頑張って自分を魅力的に保ったとしても今後新しい若い恋人ができることはない。ニュースによると超お金持ちの有名人ですら若い恋人を作ることは難しいらしいので、我々にそんなことが起こるわけがない。それに、子どもができると年齢が若い子は我が子と重ねてしまうので、正直AVすら見るのが辛い。
妻の、年齢を重ねた裸のほうが燃える。いつまでも慈しみたい。今日はどうしてやろうか、と思う。顔にはシワができてるけどそれはお互いだし、それも愛おしい。
そして、今こんなにお互いの体を知っているからこそできる楽しいセックスを新しい人とまた最初から始めないといけないと考えると、そんなことやってられないし、ああ妻の性欲が強くて良かったなと思う。もうこの年齢になると勃たないこともありそれは妻には申し訳ないとは思うけど、だからといって強いプレッシャーは感じず野球でスランプだった日のように「また明日明日」と思えるのでものすごく気が楽だ。
妻の性欲が強くて良かった。今日も思いっきり中出して妻のあそこから出てくる自分のものを二人で裸で笑いながらタオルで拭いた。
Permalink |記事への反応(15) | 00:23
俺は小説のワークショップに通っていて、毎回提出課題があるんだ。
そこで俺は先日観た夢の内容をそのまま短編小説として書いて提出した。内容としては、未来人が過去にタイムスリップして川端康成に会い、スランプに陥って全く書けずにいる彼にChatGPTを差し出して川端康成がそれを使って「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった」の一節を書く。
あまりに有名なこの一文が実はAI生成によるものだった、というこの話をノンフィクションとして書いて提出したら「ノンフィクションではないですよね」と注意された。
こちらとしては納得いかず、夢で見たのは本当なのでこれはノンフィクションだといっても聞き入れてもらえず、夢で見たという記述がありませんけど?と言われてしまった。
確かにこれが夢であるといったことは書かなかった。では夢であると書けばノンフィクションとして提出してもいいですか?と聞いたが、やはり駄目だと言われた。
それはあくまでフィクションであって現実ではないからと言うものの、夢で見たことは事実で、フィクションではない。
これは非常に興味深い思考実験で、哲学者のドナルド・デイヴィッドソンが提唱したものです。
ある晴れた日、私が沼地のそばを散歩しているとします。ええ、私です。
私が、沼のほとりを歩いている。すると突然、空が暗くなり、雷が落ちてきて、私は…まあ、運悪く死んでしまうわけです。
その、まさに同じ瞬間に、すぐそばの別の場所に、もう一発、雷が落ちる。
偶然にも、本当に全くの偶然なんですが、そのエネルギーが沼の泥や枯れ木と化学反応を起こして、死んだ私と寸分たがわぬ、分子構造が全く同一の存在が生まれるんです。
このスランプマンは、私の脳の状態と完全に同じですから、私の記憶も、知識も、口癖も、友人や家族に対する愛情(のように見えるもの)も、すべて持っています。
彼は沼からむくりと起き上がると、何事もなかったかのように私の家に帰り、私の家族と食卓を囲み、私の仕事をこなし、私の友人たちと談笑するでしょう。
誰一人、彼が偽物だとは気づきません。
しかし、ここで問題が生じます。このトランプマンは、本当に「私」なのでしょうか?
彼の脳にある「記憶」は、彼自身が経験したものではありません。
彼が話す日本語は、彼が言語コミュニティで学習したものではなく、ただ原子の配置としてそうなっているだけ…。
彼の思考や言葉に、「意味」はあるのでしょうか。彼が「沼」という言葉を発したとして、彼自身は沼を見た経験と結びついていない…
沼…ぬま…。
あれ…?
いま、「沼」という字を書いていて、なんだか変な感じが…。
召す…。沼。ぬま。ゲシュタルトが…。
この字、本当に「ぬま」でしたっけ。なんだか、ただの線の集まりに見えてきませんか…?沼…。
スワンプママンも、きっとこんな感じなのかもしれませんね。
彼が見る世界、彼が使う言葉、その一つひとつが、彼にとっては過去の経験という裏付けのない、ただの記号の羅列…。
思考…思考とはなんだ…?田んぼと心…?どうしてこれで「思考」になるんだ…?だんだん、わからなくなってきました。
私が今こうして話しているこの言葉も、本当に意味を持っているのか?
私の脳が、ただ過去のパターンをなぞって音を出しているだけなんじゃないか?
私が、スワンスワップママンじゃないという証明は、どこにある…?
この文字の形への違和感も、私の脳の分子配列がたまたま今、そうさせているだけで…。
あれ…?すみません、なんの話でしたっけ。
私は同人文字書きの端くれで、私が追っている彼女も小説を書く二次創作同人作家。
私たちは同じジャンルにいるが表向きはなんの面識もなく、オンオフともに彼女は私のことを知らない。
と言うとまるでファンであるかのようだが、ファンと私では彼女に向けている思いがまるっきり違う。
私は、彼女が嫌いだ。
嫌いだから彼女のやることなすことを監視せずにいられない、アンチに似た心理で彼女のことを追っている。
なぜ嫌いなのか。
理由は普遍的かつ単純で、私は彼女に嫉妬しているから彼女のことが嫌いなのだ。
いや正確には、彼女の作品と、それを生みだす彼女の才能に嫉妬している。たぶん羨望に近い。
読み手にすらすら文章を追わせる勢いや説得力があり、個性も情熱もある。
彼女の書く話にはまず真ん中に〝感情〟という揺るぎない芯が通っていて、その感情を軸に人間というものが瑞々しくそこに描写されている。
自分のなかにある感情が気付けば彼女の文章に呼応し、自然と作品世界に入りこめる。
そういう、強く惹かれる引力みたいなものがあった。
それで、彼女にずば抜けた文章力や構成力があればすべてよかったのだ。
そうであれば私も素直に彼女の作品を称賛し、彼女に心酔するファンの列に加わることが出来ていた。
彼女の作品に一切の隙がなければ、他人の作品に過剰な自意識を持ち込み嫉妬心をいだくような事にはならなかった。
これなら私の方が、と思わせる、粗探しをさせるだけの隙が見えてしまった。
たとえば、有り体に素人くさいと感じさせる文体や単語のえらび方、エピソードが矢継ぎ早に通過していく展開の強引さ、
状況説明を台詞に頼りすぎるところや、メインとするモチーフのわざとらしさなんかが、読んでいて私には引っかかった。
それでも、それなのに、とにかく彼女の作品は「読みやすい」の一言に尽きた。
自分の文章を読み返すときに感じる堅苦しさやとっつきにくさが彼女の作品にはなく、自分の文章に感じる、くどいと思う描写や言いまわしを、彼女はたった数行の簡潔な表現で読者に納得させてしまう。
私がありきたりにならないようにと頭をひねって考えたストーリーよりも、彼女のありきたりなストーリーの中で光る表現や細工のほうが私には鮮やかに感じた。
「私のほうが」と思える隙があるのに、その隙間を覗けば覗くほど、私のほうが優っている要素が見えなくなった。
彼女の作品を読むたび、私は彼女よりもはるかに書けていると思える瞬間と、私は大差をつけられ彼女よりずっと下にいるのだと思う瞬間が交互にやってきて、自信と劣等感でぐちゃぐちゃになった。
そんなふうに散らかった情緒を自分の力できれいに整理することは難しく、彼女のことを「嫌いだ」と疎もうとする強い感情が、私にはもっとも手近で易しい感情に思えた。
私は彼女の投稿するすべての作品をブックマークしているが、ブックマークの設定はすべて非公開にしている。
彼女の作品を「好きだ」と評価すること、そしてそう評価した私の存在を彼女に知られてしまうのが嫌だった。
それは彼女の才能の前にひれ伏し、負けを認めることと同等の敗北感があってただ、悔しかったから。
彼女のツイッターにしてもそうだ。私は彼女のツイッターを非公開リストにいれて観覧している。
私が彼女をフォローして、彼女から私にフォローが返らない可能性を考えると耐えられない。先にフォローをしたほうがきっと負けになる。だから死んでもフォローはしたくなかった。
彼女がツイッターに投稿する作品にいいねやRTで触れることもしない。いいと思ったものは黙ってローカルに保存した。
負けたくなかった。
彼女の作品が好きだけど、彼女の作品を好きだと感じる瞬間は嫌いだ。
キャラクターのえがき方や心情の拾い方が絶妙だと思うけど、同時に、文章力がその熱量に追いついていなくて拙いとも思った。
しかしその拙さは、言い換えれば小説をあまり読まない人から見ても読みやすい文章ということでもあり、そのまま共感や感情移入のしやすさでもあった。
つまり彼女は、ちゃんと小説が上手いのだ。技術などは関係ない。彼女は小説が上手い。
多分、彼女の書いた小説を読んだ瞬間に本当は、私は圧倒されていた。圧倒しきるほど完全ではないのに、それでも力押しで圧倒してきた。そんな経験は初めてで、それがとにかく悔しかった。
彼女のような作品を私の技術で書けるようになりたい。でも模倣はしたくない。彼女に影響などされたくない。彼女の書く作品とかけ離れたものを書いて、上回りたい。そう思う時点ですでに影響されている。嫌だ。負けたくない。
『負けたくない』
彼女への執着の根幹にあるこの「負けたくない」という対抗心こそが、とにかく厄介で私を惨めにさせる。
私の感じている、勝ち、負け、という卑しい価値観が彼女の中にはなく、そもそも彼女は私の作品など読んですらいない。
私は彼女に負けたくないが、
彼女は私のことを知らない。
最初から勝負になっていないのに、強すぎるプライドと折り合いをつけられずに独り相撲をしているだけの間抜けが、つまり私なのだ。
少し話を変える。
私は彼女が設置している匿名感想ツールに、よくコメントを入れる。
お題箱や質問箱やマシュマロなんかの匿名ツールというのは、一人のファンの連投によって、無数の信者の存在を作家に幻視させることが可能なツールだと私は思っている。
そして私も書き手の端くれだから、アマチュア作家が言われて嬉しいこと、作家が読者から訊かれたいこと、そういうのはだいたい分かる。理想的な匿名コメントというものを作り出せる自負もあった。
だから私は、匿名メッセージから彼女の純粋な信者を装い何通ものコメントを送った。
あるときは彼女の作品のおかげでこのジャンルとCPにハマった新規ファン、
あるときは昔から彼女の作品を追い続けてきた古参ファンにもなった。
それから創作のルーツについての質問や、彼女の作品にだけ感じる唯一無二の個性、工夫された演出や、タイトルと内容のリンク、読者に気づいてほしいであろう描写や箇所を、
すべて小出しで拾って「ちゃんと届きましたよ」と都度、読者からのアンサーを返してやった。
それらすべてが私一人からの打算のコメントであることを知らずに、たくさんのファンに向けて何度も「ありがとうございます!」「そんなふうに言ってもらえて嬉しいです…」と答える彼女を見て、せめてもの優越に浸りたかった。
私は一度だけ、その匿名ツールからさりげなく「小説を書くのは好きか」と彼女に訊いたことがある。
彼女は迷いなく、書くのが好きだと答えた。
うまく書けなくても、理想に届かなくて悔しくても、書くのが楽しいから書いてしまうし、きっとこれからも書き続ける。そう言った。
この模範回答にも私は打ちのめされ、嫉妬で頭が燃えそうになった。
彼女が小説を愛し、小説からも愛されていることを知り、心の底から彼女を憎たらしく思った。
私はちがう。手段として書きたいと思うことはあっても、書くことが好きだと感じたことはない。むしろ書くことは辛いことだ。
書くという行為がこちらに寄り添ってくることはなく、「自分は息をするようにこれからも小説を書き続けるだろう」と根拠なく信じることなんかとても出来ない。
なのに彼女は書くことが好きだと言い、創作を信じ、私にはとうてい書けない小説を楽しみながら書いてみせる。まるで物語の主人公だ。
大きく差が開いていく感覚を味わいながら私はまた彼女の作品を読みにいって、私より劣っている要素をあげて安心しようとするけれど、
そのたび私よりも優っているところばかりに目がいって結局、コントロールできない感情だけが重くなってどうしようもなくなる。
私がこれほど彼女の作品を読み返しては否定と肯定に挟まれて息苦しくなっているというのに、とうの彼女は私の存在も、作品も知らない。
彼女はツイッターなどで、良いと思った作品は気軽に共有し、前向きにその感想を述べる(こういうところも、卑屈な私とはちがう)。
私は彼女のブクマ作品も定期的にチェックするが、いつ見ても彼女のブクマ一覧に私の作品があがることはない。
もしかすると、同じジャンルにいるから名前くらいは目にしたことがあるのかもしれないけど……でも多分、彼女にとって私の名前などは、意識に留まることもないつまらない文字列にすぎないんだろう。
それでも、「私を知って!」とこちらから声をあげることはできない。
だって彼女は一度も、私に「私を見て!」と言ったことはないから。
やっぱり心では、私は彼女に認められたいのだ。
私を圧倒していった彼女という存在に近づきたくて、対等になりたくて、私を見つけてほしい、知ってほしい、認めてほしいという気持ちが根底にある。
そして思いどおりになってくれない彼女のことを、恨めしく感じている。
……なんて言い方をしてしまうと誤解を生みそうだが、この心理は『だから本当はあなたが好きなの』と言えるような可愛いもんじゃない。
好きと嫌いは裏表だとか、そんな収まりのいいものでも決してない。
好きじゃない。言い切れる。嫌いだ。大嫌い。
彼女が「スランプで書けない」と思い悩む発言をすれば私は「やったあ」と思うし、
逆に、今は筆がのっている、書きたかったものが書けていると満足する様子を見せられると、焦燥を感じる。
途中まで書いていた話がどうしても気に入らなくてボツにしたと嘆く彼女を見て、一歩前に出たような気になって嬉しくなった。
彼女の作品にブックマーク数が増えていくのを確認するたびつまらない気持ちになって、
私以外のだれかが彼女に送った匿名メッセージの絶賛コメントを見ると、そのすべてを否定したくなって腹が立った。
創作に関するマイナス感情やネガティブ思考で落ち込んでいる彼女を知れば、いつまでもそうしていればいいと胸のすく思いがする。
これが嫌い以外の何だというのだ。嫌いでなければこんな悪意は生まれない。
いっそ、彼女の作品がなくなればいいのにと思う。でも作品を消されるのは嫌だ。
彼女にどこかにいなくなってほしいとも思うが、私の追えなくなるところに消えることはしないでほしい。
もう無茶苦茶だ。
そんなに嫌なら見なければいいのに…と呆れる(あるいは唾棄する)意見が一般的で、健康的なのは分かっている。
だけど、こういう執着をそれでも続けてしまう人はむしろ、現状から楽になりたいからこそ、原因となるものを断ち切れないんじゃないかと私は思う。
私は彼女の才能を認められずに、必死になって彼女を妬んでいる。それはひどく不様で惨めなことだ。自分が惨めであることを自覚しながら生きるのはつらい。
だからその〝原因〟を自分の中で貶めることで、少しでも惨めさをやわらげて救われたい。貶める要素を見つけるために彼女の言動を追いかける。
楽になりたくて、楽じゃない感情にせっせと薪をくべている。
馬鹿みたいだな。
分かっていてやめられないんだから救いもない。
きっと私が彼女に正面から偽りなく本心を伝えるか、彼女から好きだと告げられることが、私の思いえがく理想のゴールなんだろう。
彼女から好きだと熱烈な告白を受け、抱擁でもされようものなら、その瞬間に私の中にわだかまっているぐちゃぐちゃが全てすがすがしいものに変わる気がする。
そのとき私を満たす思いは、『勝った』という勝利の喜びだろうか。分からない。想像がつかない。
何にせよ、そんな日はどうせ来やしない。昨日も今日も明日も、彼女は私を嫌うことすらしない。
すべてがむなしいまま、なにも変わらず続いていくだけだ。
めったにオフ活動をしない彼女の、それが当面の、最後になるかもしれないイベント参加なのだそうだ。
そのイベントに足を運んで、彼女の姿を一目、この目で確認してみようか。
私はずっと、それを迷っている。
Permalink |記事への反応(16) | 19:49
一つも描き上げない漫画家志望者が多い中、壁打ちの様に何作も読切を描き続ける努力はとてもすごいと思う。
でも最近絵が荒れていて病的な感じがする。成長の踊り場と本人は言っていたがスランプなのかもしれない。
アドバイスを求められて答えると不機嫌になって家庭内で荒れるんでなかなか本人には言えないけど、ここでひっそりと吐き出させてほしい。
もっと時間をかけて線を丁寧に描いた方がいいと思うよ。絵がまだ上手くないのは仕方ないかもしれないけど、下手でもいいから頑張って背景を描いてみようよ。白い背景にバストアップと顔アップの連続は本当に読んでいてきつい。
セリフやモノローグじゃなくて絵とエピソードで表現してみたら?有名作品の完全模写をしたら雑誌掲載レベルの書き込み量や密度がわかるんじゃない?今は上京しなくてもデジタルアシスタントってのもあるんだから一度やってみたら実際の仕事に求められる質や量、スピードを肌で感じられるはず。
難しくて描けないものも頑張って無理矢理でも描けば描けるようになる。君ならできるようになる。だからもっと挑戦してみようよ。
真面目に真剣にひたむきにやり続けることは本当に素晴らしい。でも自分の描けるものしか描かない、惰性で続けているうちは大きく成長することはないと自分は思う。「頑張ってる」は主観であって、客観的に見れば「雑」で「背景の白い漫画」。下手でもいい、せめて丁寧に絵を描いてほしい。
本当はそう言いたいけど、本人からしたら素人の部外者が無責任にうるさいこと言ってるだけだし自分でも書いててクソバイスすぎる。
今ぎりぎりで頑張ってる人にもっと頑張れなんて、絶対に言えない。言えるわけがない。
こんなクソバイスは誰にも聞かれないよう地面に掘った穴にでも埋めておけ。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%89%87%E5%B1%B1%E3%81%BE%E3%81%95%E3%82%86%E3%81%8D
一方、画力に難があることは本人も自認しており、キャラクターが上手く描けないでスランプに陥った時、たまたま入手した自作品のパロディ同人誌を参考にしてキャラクターのデザインを修正したというエピソードがあったり[4]、一時期アシスタントとして修行していた時に「片山くんは一生懸命線を引く練習をしている(そこから勉強しなければならなかった)」と報告されたという逸話も持っている[5]。