
はてなキーワード:スペンサーとは
その話には前段階があるんだよ
Xboxが売れない→大手メーカーを買収してライバルに差をつけろ!→差がつかない…→買収にかかったウン兆円どうやって回収すんねん!
じゃあ最初にXboxが売れなくなった原因は?サラ・ボンドやフィル・スペンサーお前らは今まで何やってたんだ?という話になってくる
しかもマイクロソフトはクラウドとかAIとか別の稼ぎ口を既に確保してるんでゲーム事業の重要度は近年下がる一方
ニルヴァーナ 『Nevermind』アルバムカヴァーの赤ちゃんが起こした児童ポルノ訴訟で勝訴
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/amass.jp/185377/
ニルヴァーナ(Nirvana)『Nevermind』のアルバム・カヴァーに赤ちゃんの頃の写真が使われた男性スペンサー・エルデンが、ニルヴァーナなどを相手取って起こしていた児童ポルノ訴訟。米ビルボード誌によると、連邦裁判所の判事は米国時間9月30日、「児童ポルノではない」との判断を下し、再びこの訴えを却下しました。
現在30代のエルデンは、このカヴァー画像は本人の同意なしに撮影・使用されたもので、この写真は、未成年者の性的イメージを表現したことで連邦児童ポルノ法に違反すると主張して、バンドメンバーらに児童ポルノと性的搾取の疑いで損害賠償を求めていました。
しかし連邦裁判所のフェルナンド・M・オルギン判事は、この写真は「児童ポルノではない」との判決を下し、この写真は連邦法上の違法コンテンツの定義に全く該当しないと明言しています。
悔しいねぇw
素晴らしい着眼点です。ポストイットやフリクションペンのような、いわゆる「文房具界の技術革新」もまた、突発的かつ意外なルートで誕生しています。
これらは特に、「偶然の発見」や「本来の目的からの逸脱」によって、思いがけず世界を変えた例です。
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ポストイットの粘着剤(再利用可能な弱い接着剤)は、3M社の科学者スペンサー・シルバーによる発明。
→ つまり失敗作だった。
別の社員アート・フライが「聖歌隊の楽譜に挟んでも落ちない、でも破れないし跡が残らない付箋が欲しい」と思ったときに、この“失敗作”の接着剤のことを思い出す。
→ 偶然のニーズと失敗作が結びついた瞬間に、新しい製品が生まれた。
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パイロット社は1980年代から「温度で色が変わるインク」を開発していたが、当初はおもちゃや遊具などの用途だった。
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| 特徴 | ポストイット | フリクション |
| 出発点 | 失敗した強力接着剤 | 温度で色が変わるインク(玩具用途) |
| ターニングポイント | 他分野からのニーズ(楽譜) | 転用アイデア(消せる筆記) |
| 革新の性質 | 既存材料の新しい使い方 | 遊びの技術の実用化 |
| 突然性 | 高い | 高い |
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技術的な「突然変異」は、往々にして失敗・偶然・誤用・転用から生まれる。
ポストイットやフリクションは、まさに「順当進化を経ずに、ある日現れた革新」の典型例である。
だらけ
@mtdrk
「共産党」「フェミ」「外国人」「リベラル」「ポリコレ」をなんとなくうっすら悪いものだと決めつけている中年オタクは非常に多いと思います。
でもその理由は答えられないし、答えてもデマや差別に基づいたものなので、決して自分の頭で考えた結論ではないんですよね。
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1.日本共産党とその支持者は、共産党を支持しない人間を頭が空っぽのキチガイでバカと見下し、馬鹿にし、嘲笑し、侮辱し、差別している>「共産党」「フェミ」「外国人」「リベラル」「ポリコレ」をなんとなくうっすら悪いものだと決めつけている中年オタクは非常に多いと思います。
2.日本共産党とその支持者は、中年男性を人間扱いしていない。あからさまにバカにし、嘲笑押し、侮辱し、差別している>「中年オタク」という表現で明らか。
3.日本共産党とその支持者は平気でうそをつく。そして被害者ぶる。>その理由は答えられない ←理由を答えればむしするだけ
このように税金を搾取して公金チューチュースキームでNPO法人だけを優遇するのは、やはり裏金でも流れるんだろうか。でなければここまで平気でうそをつくのはありえないと思う。
https://note.com/mogura2001/n/n80acd93b6856
【表現規制】日本共産党・吉良よし子参議院議員「“こういう表現は本当にまずいよね”“儲からないよね”という合意ができれば、クリエイターの皆さんも作らなくなると思う」
https://posfie.com/@yaboyabo_you/p/REpUiNQ
| 項目 | 状況 | コメント |
| ---------------------------- | ------------------ | -------------------------------------------------------------------------- |
| ユダヤ人の遺伝的多様性 | やや不正確 | 異説あり |
| ダーウィンの「適者生存」 | 元ネタはスペンサー | 主張しているのは事実 |
| マルクス=ロスチャイルド縁戚説 | 根拠不明 | これは確認する資料がない、ただし資本主義と左翼が結びつかないということはない。 |
| “苦よもぎ”=チェルノブイリ | うーん | 聖書の預言といえばそう |
| キリスト教の“異教徒皆殺し”教義 | 旧約聖書の神はそう | 教義として明示されていないが、実際に異教徒同士、キリスト教同志て皆殺ししていた |
| 献本とマルクス=ダーウィン関係 | まあまあ | 直接の関係は確認されないが、共産主義が適者生存になるのはそう |
いくつかのやや踏み込みはあるが、この文章の指摘はある程度ただしい。
ちなみにフランス革命も、キリスト教の神を否定しながら、理性神なる存在を祭壇に祀ったそうです。これも無神論の共産主義思想と、構造は同じなんですねぇ。神を否定したら、神モドキを崇めるという、人間の根本的な本質を見る気がします。
フランス革命期、実際に「理性の神」を祀る儀式が存在した。これは単なる珍事ではなく、「旧宗教を否定した者たちが、結局は別の絶対価値を神のように祀った」という構造を露呈している点で、今日にも通じる本質的な示唆を含んでいる。
1789年の革命により、旧体制の支柱だったカトリック教会は標的となり、聖職者は国家に従属させられ、教会は閉鎖され、十字架や聖像といったシンボルは破壊された。徹底した脱キリスト教化が進行し、多くの神父が国外追放や処刑に追い込まれた。信仰の否定は、権力と道徳の再構築の第一歩と見なされた。
1793年、急進左派のエベール派は、ノートルダム大聖堂を「理性の神殿」に改装した。そこでは「理性の女神」像が設置され、人間理性を至高とする祝祭が執り行われた。形式はあくまで宗教儀式をなぞったものであり、対象が理性であるという一点を除けば、やっていることは既存宗教の再演だった。
翌1794年、ロベスピエールは「無神論は道徳の敵」と宣言し、理性崇拝を批判した上で、「最高存在の崇拝」を新たに提唱する。「道徳と理性の源」として、曖昧だが超越的な存在をあえて祀ることで、社会の統合と秩序を保とうとしたわけだ。だがこの運動もまた短命で終わる。ロベスピエールはその年のうちに処刑され、祭礼も自然消滅していった。
だがこの一連の動きは、現代における新しい価値体系の成立過程と酷似している。宗教が後退した現代では、「DEI」「ジェンダー平等」「多様性」などが、かつての宗教的道徳に代わって絶対化されつつある。個別の理念に罪はないが、それらが「議論不可な正義」となった瞬間、社会の道徳的規範としての役割を帯びるようになる。
今日の大学における女性枠の強制、表現規制、ハラスメント拡張、被害者意識の制度化、いずれもがかつての「理性崇拝」や「最高存在の崇拝」に見られた構造と類似している。そこにあるのは、理性や道徳の名を借りた新たな信仰であり、理論ではなく感情と忠誠が優先される共同幻想だ。自己顕示欲と道徳的優越感が結合し、制度や表現を規制する「擬似宗教」は、21世紀の先進国においても静かに広がっている。
当時と違い、現代にはギロチンも革命裁判所も存在しない。しかし、職場や大学、ネット空間における「社会的死」「炎上」「追放」が、その代替機能を果たしている。理念は違っても、構造はほとんど変わっていない。人間は神を否定しても、何かしらの神モドキを必ず持ち出し、それを祀らずにはいられない生き物なのだ。名誉毀損のでたらめな運用。なぜ暇空茜が敗訴する理由はなく、刑事告訴など論外である。検察は公金チューチュースキームの応援団だということいなる。もう起訴した以上、それは免れない。解体的出直しがなければ検察官はもう信用されない。
そして日本共産党とその支持者(当然立憲も公明も自民の左派もそうだが)はロベスピエールと全く同じだ。大学の文系の学者、マスコミの女性記者もそうだ。
彼らはこれが理解できない。理解できずにこうした擬似宗教的な“新しい正義”の強制的押し付けを行っている。
その宗教的行為が「企業に倫理というでたらめを強要する」「税金の無駄でしかないなんとかハラスメント、コンプラ研修の強要で税金を無駄にする」という極めてバカで狂った行為がそれにあたる。
かつての「理性の崇拝」や「最高存在の崇拝」が革命的正義の名のもとに進められたように、現代の道徳教条主義も「弱者救済」「差別反対」の名目で、議論ではなく信仰と同調圧力によって進行しているのである。
フランス革命の時から、革命思想は宗教的カルト性を帯びており、それがリベラル、現代の社会運動に継続している。
| 項目 | 共産主義・ナチズム | 現代の社会運動(DEI、ポリコレ、フェミニズム等) |
| ------------------------ | -------------------------------------------------------- | ------------------------------------------------------------- |
| 中心的信念体系 | 唯物史観、階級闘争、民族至上主義 | 多様性、公平性、包括性、ジェンダー平等などの理念 |
| 道徳的絶対性 | 革命や民族の純粋性を絶対視 | 特定の社会正義や倫理観を絶対視 |
| 異論への対応 | 異端者の排除、粛清 | キャンセルカルチャー、社会的制裁 |
| 象徴的儀式や表現 | パレード、プロパガンダ、指導者の崇拝 | プライドパレード、シンボルの使用、特定の言語表現の推奨 |
| 言語統制 | プロパガンダ用語の使用、言論統制 | ポリティカル・コレクトネス、表現の自主規制 |
| 道徳的優越感 | 自らのイデオロギーが唯一の正義とする | 自らの価値観が普遍的正義とする傾向 |
| 社会的分断の助長 | 階級や民族による分断 | 意見の違いによる分断、対立の激化 |
| 宗教的実践 | 無神論的だが儀式的様式や殉教的精神性を保持(例:スターリン像、殉職者礼賛) | セミ宗教的熱狂、儀式化された集会や象徴行為、道徳的義務化された実践(例:アライ表示、謝罪儀式)、企業へ倫理綱領やプライバシーポリシーのような不要な強制、教養、役立たないコンプラ研修の強制 |
コンプラがくそくらえなのは、その主張をする弁護士が勝つためには証拠の捏造も法律のグレーゾーンを突くことも平気でやっているゴミカスのような連中であり、モラルも倫理もない。弁護士で公金チューチュースキームに加担している税金どろっぼうの菅野志桜里のように、子育て云々という前にお前は不倫するな、といわれるのが当然である。どの口でコンプライアンスと言っているのか。
つまりこれらの研修は明らかに念仏とおなじ宗教的実践でしかない。推進する連中が一切そんな考えをもたないのだから。
「スターフィールド」とは、ベセスダ・ソフトワークスが開発したオープンワールドなSFアクションロールプレイングゲーム。
ちなみにベセスダ・ソフトワークスは現在マイクロソフトの傘下にあるため、当然ながらXboxとPCでしか販売されていない。
まずは背景として、
…という背景から、
ということが最近あったため、もはやスターフィールドがPS5にも登場するのは時間の問題と噂されている。
確かこのソフトは「XboxConsole Exclusive(ゲーム機に関してはXbox独占)」と宣伝されていたはずたが、もしPS5版が出るとなったらこれも崩れることになる。
Microsoft’s Gaming Chief Is Still Looking for Acquisitions, Sees Future Growth
After releasing the first batch ofXbox games forSonyGroup Corp.’sPlayStation andNintendo Co.’sSwitch, Spenceris pleasedwith the results.Microsoftwill domore of that, he said, and won’t ruleoutany game inMicrosoft’s stable.
“I do not see sort ofred lines in our portfolio that say ‘thou must not,’ ” he said.It’s too early tomakeany sort of decisionon thenextversion ofHalo, he said.
ソニーグループのプレイステーションと任天堂のスイッチ向けにXbox用ゲームの最初のバッチをリリースした後、スペンサー氏はその結果に満足している。マイクロソフトは今後も同様の取り組みを続けていくと述べ、マイクロソフトのゲームラインナップからいかなるゲームも排除するつもりはないと語った。
「当社のポートフォリオには『してはいけないこと』を示すような赤い線は見当たりません」と同氏は語った。Haloの次期バージョンについて何らかの決定を下すのは時期尚早だと同氏は語った。
さすが低IQクソパヨ、ガイジすぎて笑える。それアメリカの研究データだからwリベラルの大元である米民主党支持者なんてほぼネオコンの中道右派しかいないからwお前ら左翼はあっちで言うBLMとかANTIFAやらネオナチの左のネトウヨ的な知能障害者フェミ枠なんだよw日本でも東大で圧倒的支持政党NO1は自民だしなw
そもそもお前ら弱男ガーチーズガーと喚くしか能がない禽獣パヨチョンが差別主義者=左のネトウヨなのはこのブコメで証明されてるだろガイジw
黙って植松に殺されとけやw
第一右翼が低IQなら日本右翼の三島由紀夫、小室直樹は東大卒でアメリカではオルタナ右翼の生みの親であるリチャードスペンサーはシカゴ大卒だろwどう説明するんだよガイジパヨちんwクソ膣が男の優秀性を批判するときに使うお得意の外れ値ガーかな?ハッピー米山も元維新だし慰安婦批判してるし左翼の上澄み高IQ枠でもあさま山荘しちゃうような上野池鶴子チックなお勉強しかできず周りに害を撒き散らすハッタショしかいないのよね。だからRアノンみたいなシールぺたぺたはって喜んでる知能障害者集団が形成されるw故に植松のタゲにしかならんよなwお前らゴキブリ障害者ぱよチョンは。お前らが黒人枠なんじゃねパヨクw
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.cnn.co.jp/usa/35131231.html
フィル・スペンサー氏がXboxの今後のビジネス計画について来週にも説明を行うと明言。マルチプラットフォーム化のウワサに対する批判を受けて
マイクロソフトXbox Gaming部門のCEOであるフィル・スペンサー(Phil Spencer)氏が,Xboxの今後のビジネスの方針や将来的な計画について,来週中にも詳細を説明すると自身のXアカウント(リンク)で公表した。
「皆さんの声は我々の耳に入っています。来週中にもビジネス戦略のアップデートについて話をしようと計画しており,Xboxプラットフォームの未来について,皆さんに詳細をお伝えできることを楽しみにしています。ご期待ください」
海外メディアThe Vergeが現地時間2024年2月5日未明にレポート(リンク。英語)しているが,2024年内のリリースがアナウンスされたばかりのBethesda SoftworksとMachineGamesによるアクションアドベンチャーゲーム「インディ・ジョーンズ/大いなる円環」(PC /Xbox Series X|S)が,数か月遅れてPlayStation 5向けにもリリースされるという“ウワサ話”が出ており,この発表はXboxユーザーから受けている不満への対応と思われる。
仮にマイクロソフトが自社独占タイトルを他のプラットフォーム(プレイステーションや任天堂)にも提供するのだとしたら、それはマイクロソフトのゲーム機事業の「店じまい」の第一歩になると思う。
実際のところ、マイクロソフトはXboxの畳み方をずっと模索していた節があるんだよな。
PS5はXbox Series X|Sの2倍ほど多く売れている模様 テイクツー・インタラクティブの決算報告が示唆
テイクツー・インタラクティブの収支報告に記載されたデータによると、PS5はXbox Series X|Sの2倍ほど多く売れているようだ(GameSpotより)。
資料を確認すると、2023年12月31日時点で、7700万台の第9世代コンソールが販売されたと記されている。この数字だけではあまり多くのことはわからないが、ソニーは同年12月20日、PS5の販売台数が5000万台を突破したことを発表していた。マイクロソフトは販売台数を公開していないが、テイクツーの情報を基に考えると、Xbox Series X|Sはおよそ2700万台を販売したと推定できる。
ほぼダブルスコアでPS5が売れてるんだよな。
だからハードウェアのシェア争いで消耗しないというのは戦略としてはアリなのかもしれんけど、結果的にますますじり貧になっている。
ゲーム機のシェアの話になると、必ずと言って良いほど「WindowsにはXboxが既に入っている」みたいな反応があるんだけど、ぶっちゃけた話それに何の意味があるのか全く分からん。
その辺の電気屋の売れ筋のパソコンで最新のゲームソフト快適に遊べるの?としか思えんので、何を意図した発言なのかすら理解できない。
ゲームパスのすばらしさを説くのは分かるが、それでもってXboxの販売台数など取るに足らない問題だ、というのも俺には理解できない。
Xboxって、ゲーミングPCよりもはるかに安価で、それでいてゲーミングPCと大差ない快適なゲーム体験を提供してくれる「ゲームパス」端末じゃん?それなのにPS5より売れてないって割とマジで深刻なんじゃねえの?
俺にはその手の反応は牟田口廉也の「元来日本人は草食である、然るに南方の草木は全て即ち之食料なのである」と同じに見えるんだよ。
言い換えるなら「元来WindowsにはXboxがインストールされてある、然るに世界のPCは全て即ち之Xboxなのである」とでもいうべきか。
「Xbox生産は続ける」 MS幹部が社員に約束 ゲーム機市場撤退を否定
マイクロソフトがXbox事業での大きな方針転換を決めたとのうわさが、世間を騒がせている。今週の正式発表を前に、すでに社内では火消しの動きが出ているようだ。
ジャーナリストのシャノン・リャオによると、マイクロソフトのXbox部門は6日、経営陣が社員と対話するタウンホールミーティングを実施。同部門トップのフィル・スペンサーが社員に対し、マイクロソフトはゲーム機市場から撤退するわけではなく、今後もXboxを作り続けると断言すると同時に、Xbox事業の戦略は今後も「複数種類のデバイス」にゲームを展開するものになると説明したという。
Xbox部門の社員に対して、今後もXboxを作り続けることを約束しなければならないというのは、信じられない状況だ。この背景には、マイクロソフトが自社製ゲームをプラットフォームに縛られずプレイできるという「Xbox Play Everywhere」の理念を優先し、ゲーム機販売を重視しない姿勢を強めているという見方がある。マイクロソフトが現在ゲームを提供しているプラットフォームはXboxのゲーム機やPC、モバイル端末でのクラウドゲーミングだが、今後はその対象をPlayStationや任天堂のゲーム機にも拡大する方針だとうわさされている。
そういえばゲームパスの会員数もここ数年公表してないんだよね。噂では3000万人を超えてるらしいけど、公表しない理由もよくわからない。
データなど載せず考えず想像、感覚100%でダラダラ書いた素人の戯言です。ハード事業は撤退秒読み、ゲーパスは縮小必須、Xboxブランドの存続は不明と考えている。
ハードが売れない
サービスが伸びない
大前提としてMSはハードの販売台数を公表していない。色々理由を付けているがぶっちゃけ売れてないから数字を出せないだけ。まあ箱が売れてないのは肌感覚や各種データ等で何となく分かると思う。
「でも、撤退する程では無いんじゃないの?」と思われるかもしれない。ただ、後述するゲーパス含めてもう伸びしろが無い。20年以上PSと戦い続けたが1度も勝てなかったしこれからも勝ち目がないのは言うまでもない。良くて現状維持、下がる可能性の方が高い。好転する兆しも起爆剤も無い。PS4に虐殺された箱1より売れてないと言われている今世代。そんな中ハード事業を続けるメリットは薄い。
ハードが売れないからソフトも売れない、市場の狭いからソフトラインナップは充実しない…。と何も良いことがない。今の箱は逆ザヤと言われており売れば売るほど赤字が膨らむ。(出血覚悟で更に安売りしたが、そもそも売れなかったので赤字が広がらなかったギャグみたいな話もある)
撤退論を後押ししているのが、MSのタイトルをPSや任天堂ハードでも販売するマルチ展開をするのではないかという噂。フィル・スペンサー氏の説明を聞いてみないことには真偽は不明だが、私的にこの流れは時間の問題だと思っていた。
箱が売れてないんじゃ始まらないしね。PSでも出した方が売れるし儲かるそんな事はMSも分かってる。それでもなお独占タイトルを有してハード事業を続けてるのはゲーパスを含めたエコシステムを形成したかったから。
今のMSの思惑を整理する。ハードをばら撒きゲーパスへの入口を作る。ゲーパスで安定した収入を得て、その利益で更にタイトルを増やし相乗効果を狙う。ゲーパスはPCでも展開しているからコンソール市場さえ手中に収めれば後はこっちのもの。市場の強者PSを脅かしハードが覇権を握れば自然とゲーパスユーザーは増え好循環が生まれる。概ねこんな感じだろう。
残念ながら最初のハードの普及の段階で躓いた。ハードが売れないんじゃその上にあるサービスも伸びず現状動きようがない。打つ手がないから何も出来ない。
資金が潤沢なMSとて成長しなければ事業が整理される。何兆円もの資金を投じてもなお一向に成長を見せないお荷物のゲーム事業を続けるにも限界がある。投資家や株主の多くは希望なんて無いんだからさっさと辞めてAIに回せと思ってるに違いない。
最初に撤退秒読みと書いたが即撤退は無いと思う。ゲーパス向けのDL専用のハードでお茶を濁してゲーパスと共にフェードアウトするのが落とし所か。いずれにせよ撤退する材料は揃ってる。
ハード事業と共に柱にしたかったのが月額料金を支払うとゲームが遊び放題になるサービス「GamePass」(通称:ゲーパス)。今MSが最も推している、というよりはPSに勝てるルートがここしか無いから力を入れている。2500万人までは会員数を公表していたが今はブラックボックス。恐らく3000万人程度と予測されている。勝負をかけている一方傾かせている原因はこいつだと思ってる。
ゲーパスの最大の魅力はフルプライスのゲームを発売日からプレイできる事(通称:デイワン)。ゲーパスの売りになるのは何か?そう大型タイトルだ。しょぼい小規模タイトルを集めた所で大した強みにはならない。インパクトのあるAAAタイトルを月額料金で発売日からプレイできるこの思惑はわからなくもない。
実際、他社タイトルだけでやるなら大した問題ではない。大金を払って権利を買い広くユーザーから徴収してペイしていく。サブライセンスでリスクを最小にしながらコンテンツを充実させていくのは動画配信サービスなどで一般的に行われている。人が集まらず上手く機能しなくても失うのは金だけで済む。
ところがPSに勝ちたい、ゲーパスとハードの魅力を高めたいMSは買収を重ね自社タイトルを揃える事に注力した。ゲーパスの売りになるような企業の買収を重ねれば重ねるほどゲーパスのペイラインはどんどん上がっていく。価値のある物を揃えれば相応の費用がかかり、それに伴い成長も求められる。
しかし、共存関係にある肝心のハードが売れない。ハードが売れてゲーパスも伸びる算段が崩壊しているのでハード同様手詰まりを起こしている。先行投資で拡大して首を絞め続けてきたがこちらも想定より伸びていないのだろう。
(27年に1億ユーザーを目指していたらしいが箱が売れてない現状不可能と言っていい。むしろよく2500万人まで行ったなとまで思う。)
方針を変えるにも難点がある。まず自社タイトルのデイワンを辞めたとしよう。ゲーパスの魅力が死ぬ割にさして大きなリターンは得られない。
次に一部タイトルのマルチや時限マルチ等で独占タイトルの解禁。現段階で出来る現実的な所はここだと思う反面、買収を繰り返した末路がこれかとユーザーは失望する事に違いない。噂程度の現状でさえ荒れてるのに信頼は0になる。PSを買えばMSのタイトルも遊べるんだからハードはますます売れなくなる。
もちろん収益的な面もあるから値上げという選択肢も無くはないが、仮に今後さらなる買収をした場合、それに応じたユーザーが増えてないことが原因なので根本的な解決には至らないと考えている。
どっちにしろ信頼を失うのは避けられない。ジリ貧のこの状況を脱却するには…いっそのこと両方、自社タイトルのデイワンを辞めてマルチ展開しか無いように思える。ハードは死を迎え(元々死んでるから撤退云々言われるんだけど)、ゲーパスも確実に落ちるので今までやってきた事は完全に失敗に終わる。
それでも今後ハードを持たず伸びていくなら確実に売って収益を上げタイトルを育てる。ゲーパスで安売りを続けてもしょうがない。結局この原点に戻るしか無い。
「ハードが無くても他ハードでゲーパスを」などえらい楽観的な意見を見受けた。少なくとも今の方針を続けるなら恐らくPSや任天堂はゲーパスを受け入れない(何らかの変更は必須)。当然その変更はゲーパスの魅力が失われる物なので会員は減りゲーパスを維持するのは更に厳しくなる。
自社の旧作タイトルのみに絞ったサービス、EAやUBIがやってる内容に変えれば生き残ることは出来る。現在のゲーパスは死んでしまうが今後MSが大手サードパーティに転身するのであればこの道しか無いと思う。
正直撤退してほしくはない。競争がない市場は停滞を招くだけでPS一強になられるのは困る。が、買収を繰り返し腐らせていくだけのMSのやり方自体は支持できない。場を荒らすだけ荒らしてそして私も消えようなんてクソ迷惑。
ただ、現実問題厳しい立場にあって、何らかの動きがあるのは間違いない。吉報か凶報か分からないけど来週の発表を待つしか無い。
そして、この行き詰まりを乗り越えるために、私たちは私たちの種の歴史から何を学ぶことができるのか?
このような問いは、歴史を通じて真剣な思想家や活動家たちを駆り立ててきた。そして今、地球温暖化に直面している私たちは、緊急に説得力のある答えを必要としている。これらはグレーバーとウェングローも問いかけていることであり、本書が人々の注目を集めた理由であることは間違いない。しかし、私たちの多くが抱く3つ目の疑問がある:
意外なことに、グレーバーとウェングローはこの問いに関心がない。第1章のタイトルは「人類の幼年期よ、さらば」である:あるいは、なぜこれは不平等の起源についての本ではないのか」と。
この本の中心的な主張のひとつは、不平等、ヒエラルキー、暴力は、あらゆる人間社会を組織する方法として常にあり得たということだ。不平等以前の時代などなかったのだ、と彼らは言う。そして、「平等」や「平等主義」という言葉を多用するが、平等は空虚な関心事であり、おとぎ話であり、「平等主義社会」について語ることは何も語らないことだと主張する。
これには奇妙な解釈がある。グレーバーとウェングローは、霊長類の祖先や初期の人類が平等であることによって見出した適応、つまり生態学的ニッチについて説明する新しい注目すべき学問を無視している。つまり、かつて人類は平等であったのだから、再びそうなる可能性があるという古典的な無政府主義者やマルクス主義者の見解も無視しているのだ。
保守派の主張は、農耕や都市生活、経済の複雑化の結果として不平等が現れてしまえば、世界を変える希望はないというものだ。グレーバーとウェングローは、農業に関するこの議論に抵抗し、明らかに変化が可能であることを望んでいる。そして明らかになるのは、彼らの敵は不平等ではなく、国家だということだ。
彼らが問うのは、権威主義的、官僚主義的、中央集権的な国家に支配されるようになったのはなぜか、ということだ。そして、植民地主義、奴隷制、階級差別、人種差別、性差別といった不平等が本書の随所に出てくるが、これらは彼らの中心的な関心事ではない。
グレーバーとウェングローが主張する政治的論点は、太古の昔から、人は常に支配と自由のどちらかを選ぶことができたということだ。彼らにとって、人々は彼らが国家支配の「小規模な」行き詰まりから逃れ、「自由な人々」になることを選ぶことができる。
彼らが否定するのは、環境的・技術的な限界によって人々が選択できること、そして選択できることである。要するに、人々は自ら選択した状況で歴史を作るのである。
この立場の見返りは、政治的な意志さえあれば、革命を起こし、コンセンサスを通じて働く民衆の集まりによって社会を運営することができると主張できることだ。どれも素晴らしく、解放的に聞こえるが、その根拠には問題がある。
グレーバーとウェングローはこの本の冒頭で、善であれ悪であれ、「元来の」人間社会が存在したという考えを否定することを目的としている。そのために彼らは、ルソーとホッブズの間で長年続いてきた議論を復活させる。
さらに重要なのは、19世紀の社会ダーウィニズムや、より最近のスターリン主義的な「歴史の段階」理論に対する、彼らの完璧なまでの嫌悪が冒頭に示されていることだ。そしてここでもまた、ジャレド・ダイアモンド、ナポレオン・シャグノン、スティーブン・ピンカーのような進化心理学の現代ホッブズ主義者に対する深い軽蔑を表明している。歴史の段階説も進化心理学も、深刻かつ重要な対象であり、私たちはその両方を共有している。
社会ダーウィニズムと歴史の段階説。ハーバート・スペンサーとルイス・ヘンリー・モーガンの19世紀の社会ダーウィニズムと、それ以降のバージョンでは、最初の人類は原始人であり、次に未開人、野蛮な園芸民と牧畜民が続き、その後に農耕の出現、古代文明の発展、中世を経て近代資本主義社会の夜明けまで続く。それぞれの段階は、道徳的・知的進歩のシグナルであると理解されている。
しかし、社会ダーウィニズムはいたるところに潜んでおり、ほとんどの主流政治思想の醜い礎石であり続けている。そしてそれは、現代の人種差別主義や新植民地主義を支え続けている。
左派を含む多くの人々にとって、グレーバーとウェングローによる段階的な歴史理論の解体は目新しいものであり、啓示と安堵の両方として体験されるだろう。そして、その理由は容易に理解できる。
そして、グレーバーとウェングローの攻撃には、さらなる特効薬がある。彼らはこの本の中で、マルクスとエンゲルスの仕事についてはほとんど何も語っていないが、歴史の段階説を否定することで、伝統的なマルクス主義者の進化論的説明も暗黙のうちに否定しているのだ。
これはフリードリヒ・エンゲルスの著書『家族の起源私有財産と国家』において最も顕著である。エンゲルスはそこで、人間は平等の中で進化してきたが、農耕の発明によってあらゆる形態の不平等が生まれたと主張した。ここまではいい。
しかし、エンゲルスはその枠組みを、白人差別主義に彩られたスペンサーとモルガンから直接学んだのである。例えば、エンゲルスがなぜ動物の群れを持つ牧畜民が他の未開の民族よりも人種的に優位に立つと考えたのか考えてみよう。
「アーリア人とセム系民族の発達が優れているのは、牛乳と肉が豊富に供給され、特にこれらの食物が子供の成長に有益な影響を与えるからであろう。ニューメキシコのプエブロ・インディアンは、ほぼ完全な菜食主義者であるが、肉や魚を多く食べる野蛮の下層にあるインディアンよりも脳が小さいという事実がある」[1]。
エンゲルスの著書にはそのような箇所がたくさんあり、このように書いているのは決して彼だけではない。
フランツ・ボアスグレバーとウェングローが、このような反感を買うような議論を破壊したいと思うのはまったく正しい。しかし、彼らはあたかも自分たちがそうする最初の一人であるかのように自らを装っているが、これは明らかに違う。フランツ・ボアスは、太平洋北西海岸のクワキウトル族に関する初期の民族誌で、グレーバーとウェングローはこれを大いに参考にしている。
フランツ・ボースは、ユダヤ人フェミニストで、1848年にヴェストファーレンのミンデンという町で起きたドイツ革命の指導者の一人であったソフィー・メイヤーの息子である。1851年までに、彼女の読書グループはマルクスとエンゲルスの『共産党宣言』を読んでいた。
ボースは人類学者になった。カナダではバフィン島のイヌイット族やバンクーバー島のクワキウトル族を現地調査し、最終的にはニューヨークのコロンビア大学の教授となった[2]。
1913年、彼は段階説の人種差別主義を打ち破り、近代人類学の基礎を築いた。ボースは『原始人の心』の中で、「原始人」は誰よりも賢く、賢く、創造的であると主張した。1913年当時、ボースは母親の政治を否定していたわけではなく、ユダヤ人として、またアメリカ先住民の党派として、人種差別を憎んでいた。
ボースは生涯社会主義者だった。母親の影響は、ルース・ベネディクト、マーガレット・ミード、ゾラ・ニール・ハーストンなど、多くの女性人類学者の世代を育てたことにも表れている。ボアスと彼の教え子たちは、人種差別的な段階という問題を、人類の文化の進化について話すのをやめるという単純な決定によって解決した。
しかし、私たちはもはや1913年の時代ではない。1982年、エリック・ウルフの皮肉なタイトルの『ヨーロッパと歴史なき人々』は、反帝国主義、反人種主義、そして歴史を真摯に受け止める人類学の波を起こした。
人類学者は長い間、単純と複雑、野蛮と文明、後進と先進、先進と後退、先進と未開発、高位と低位、世俗と宗教、伝統と現代といった二項対立から滴り落ちる人種差別に敏感に反応してきた。しかし悲劇的なことに、こうした二項対立は、アメリカ先住民の大量虐殺、アフリカの奴隷貿易、白人帝国による植民地支配、そして今日の対イスラム戦争を正当化するために展開され続けている。
人類学者や考古学者たちは、現在、人類の不平等の起源について、まったく妥当な説明を構築している。ケント・フラナリー、ジョイス・マーカス、ジェームズ・C・スコットがその中心人物である。
残念なことに、グレーバーとウェングローは、人類の進化に関する膨大な数の新しい学問に取り組んでいない。これらの新しい研究を無視することで、グレーバーとウェングローは、霊長類の比較進化とヒトの適応に関する、注意深く、そして現在では極めて十分に文書化された議論に逆らうことになる。彼らの問題は、この資料が「オリジナルの」人類社会は存在しないという彼らの主張を覆し、選択についての彼らの議論をむしろ愚かにしてしまうことである。
グレーバーとウェングローは、かつて人類が狩猟採集によって生活していたことを否定はしない。しかし、彼らは環境や人間存在の物質的基盤には深い関心がない。そして、これらの社会が必然的に平等であったことを否定している。
彼らの主張の第一歩は、人類の進化はすべて過去のことであり、当時何が起こったかを知ることはできない、というものだ。すべては推測にすぎない。しかし、これは単純に真実ではない。
過去40年間、科学革命は目覚ましく、人類進化の分野では膨大な研究が花開いた。今では、人間以外の霊長類や霊長類の行動に関する驚くべき新しい研究、初期人類に関する新しい考古学、近現代の狩猟採集民に関する新しい民族誌が数多くある。
化学的微量分析、DNAサンプリング、放射性炭素年代測定、質素な家庭での忍耐強い考古学のおかげで、私たちは先階級社会、そして初期階級社会に住んでいた人々について多くのことを学んだ。私たちのヒーローの中には、読み応えのあるクリストファー・ボーム、フランズ・デ・ワール、R・ブライアン・ファーガソン、サラ・フルディ、マーティン・ジョーンズ、ローラ・ライヴァルの広範な出版物がある。
このような研究は、人類の進化と人類史の研究を一変させつつある。その出発点は意外なものだった。私たちは平等になることで人間になったのだ。これは驚くべき貴重な洞察である。しかし、それはグレバーとウェングローの説明の根幹を突く洞察である。
現在、さまざまな類人猿やサルを対象とした何十回もの長期野外調査プロジェクトによって、それぞれの種について、特定の複雑な適応が、特定の環境で生き残ることを可能にしていることが明らかになっている。その適応には、主食、悪い時の代替食、脳、手、足、胃、歯、生殖器、うなり声、歌、支配関係、共有関係、子育て、攻撃性、愛情、毛づくろい、群れの構造がどのように組み合わされているかが詳細に含まれている。[これが基本であり、人類の進化を理解するための私たちの方法でもある。
時を経て、新しい適応のいくつかの部分が組み合わさって、現代人が誕生した。要するに、初期の人類はちっぽけな霊長類だったということだ。生き延びるためには、肉や野菜を共有し、育児を共有し、性的な喜びを共有することを学ばなければならなかった。そのためには、いじめっ子を懲らしめ、霊長類の祖先が持っていた支配階層を超越しなければならなかった。そして少なくとも20万年もの間、彼らは男女も平等である平等主義的な社会で生きてきた。
【ニューヨーク=小林泰明】「動画配信の雄」として知られる米ネットフリックスの会員数の伸びが鈍化の兆しを見せ始め、波紋が広がっている。コロナ禍以降、自宅で動画配信を楽しむ「巣ごもり需要」で会員数を急速に拡大してきたが、今年1~3月期はその勢いが失速する見通しだ。多くの企業が動画配信に乗り出した結果、大量の番組が投入され、市場が飽和状態に達しているとの見方も出ている。
会員増加数、大幅失速の予測
「会員獲得数がコロナ前の水準まで回復しない。競争による影響があるのかもしれないが、(原因は)具体的には分からない」。ネットフリックスのスペンサー・ニューマン最高財務責任者は20日の決算会見で、今後の見通しについてこう語った。
同日に発表した2021年10~12月期決算は、売上高が約77億ドルで過去最高となるなど好調だった。韓国ドラマ「イカゲーム」の大ヒットもあって、世界の有料会員数は約830万人増え、約2・2億人に達した。日本でも会員が大幅に増えたという。
しかし、今年1~3月期の会員増加が250万人にとどまるとの同社の予測は、アナリストの予想(580万人増)を大幅に下回り、市場に衝撃を与えた。21年1~3月期の約400万人増と比べても見劣りする。市場から今後は高い成長が見込めないとみられ、翌21日に同社の株価は20%超も値下がりした。
動画配信市場には、IT大手アマゾン・ドット・コム、アップルといった強力なライバルがひしめく。競争が激化しており、他社にも成長鈍化の兆候が出ている。
娯楽大手ウォルト・ディズニーは動画配信サービス「ディズニー+(プラス)」で1億人超の会員を抱えるが、昨年7~9月期の会員の伸びは約200万人増にとどまった。4~6月期は約1200万人増だっただけに、減速ぶりが目立った。
米調査会社フォレスター・リサーチのアナリスト、マイク・プルー氏は「コロナ禍以降、各社とも独自番組の制作に力を入れ、市場が飽和状態になっている。消費者の選択肢が増えた結果、選別が進んでいる」と話す。
米国のテレビ視聴時間でNetflixのシェアは10%未満であり、いまだに従来型のテレビ(ケーブルなど)が半分以上を占めています。時代の流れはストリーミングに移りつつある中、Netflixはテレビのシェアを奪う存在として、大きな成長余地が期待されています。
しかし10-12月期には有料会員数の伸びが期待を下回ったことで、株価は11月の高値から約半分にまで暴落するという恐ろしい結果になりました。
ただ、これはNetflixだけの問題ではなく、株式市場が調整局面にあることも影響しているとは思います。今後も魅力的なコンテンツ作りを続けていくという基本方針は変わっていません。
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猿渡由紀認証済み | 3日前 L.A.在住映画ジャーナリスト 報告
ここに来て「配信は本当に儲かるのか」との疑問がメディアアナリストからも聞かれるようになってきました。配信モデルでは常に話題の新作を出し続けることで会員を惹きつけておく必要があり、終わりがないからです。Netflixは昨年、コンテンツ制作または獲得のために170億ドルを費やし、キャッシュフローは赤字となりました。今年は190億ドルを費やすようです。ライバルも負けておらず、ディズニーは今年度Disney+、Hulu、ESPN+のコンテンツに330億ドルを費やすとのこと。2020年5月の立ち上げ時には苦戦したワーナーメディアのHBOMaxのアプリは、昨年娯楽関係で最も多くダウンロードされ、後発のParamount+、NBCユニバーサルのPeacockもオリジナル制作に必死です。しかし消費者の予算には限界があり、このゲームが永遠に続く中で全員がどう勝者になれるのか、見えないでいます。
私たちがファンフィクションについて話すとき、私たちはめったに「ジョンミルトン」とは思いません。 それでも、サタン(聖書ではほとんど言及されていない)を連れて、この倒れたアーチフィーンドをアンビバレントで壮大なヒーローにする彼のパラダイスロスト(1667)にどのように近づくのが良いでしょうか?ウェルギリウスのアエネーイス、オウィディウスの変身物語、ダンテの神曲、スペンサーの妖精の女王、その他の無数のテキストやジャンルから借りた技術とテーマに基づいて構築されたミルトンは、古典とルネッサンスの形式を再混合して、英文学の(おそらく)最高の設定に聖書の宇宙を作り上げましたフィリップ・プルマンが信じている詩は、[「決して超えられない」」。
DeepL翻訳
ファン・フィクションというと、「ジョン・ミルトン」を思い浮かべる人はほとんどいないだろう。聖書にはほとんど登場しないサタンを、堕落した弓矢のような存在であるサタンを、アンビバレントな叙事詩的ヒーローに仕立て上げた『失楽園』(1667年)に、どのようにアプローチすればよいのだろうか。ヴァージルの『エニード』、オヴィッドの『変身』、ダンテの『神曲』、スペンサーの『フェアリー・クイーン』など、数え切れないほどのテキストやジャンルから借りた手法やテーマで構成されたミルトンは、古典とルネッサンスの形式を再構築し、聖書の世界を英文学の(おそらく)最高の詩の舞台に仕立て上げました。
みらい翻訳
ファン・フィクションのことを話すとき、 「ジョン・ミルトン」 とはめったに思いません。しかし、悪魔 (聖書ではほとんど言及されていない) をとり、この倒れた大魔王を両義的で叙事詩的な英雄にする失楽園 (1667) に近づくには、どうしたらよいのだろうか。Virgil's Aeneid、Ovid's Metamorphoses、Dante's Divine Comedy、Spenser'sThe Faerie Queene、その他無数のテキストやジャンルからテクニックやテーマを取り入れて構成されたMiltonは、古典とルネッサンスの形式をリミックスして、聖書の世界を英国文学 (おそらく) の最高の詩の舞台にし、Philip Pullman [n] が 「超越される」 と信じているようなものにした。
[“n]ever be surpassed”.とか訳しにくそうだな。
友人関係をやめようと思う。
予めお話しをしておくが私はニーガンという生き方を否定するつもりは全くない。ただこの悲しい気持ちを吐き出したくてここに書き込みをしようと思っただけである。
友人はとあるテレビドラマを見てからニーガンに目覚めたようだ。
私はニーガンという思想自体否定することはないし自分で決めた道を貫く姿勢は尊敬する。
ただ、友人に気持ち悪さを感じるようになった。
たった数人しかフォロワーがいない鍵をかけたSNSの中で他の人にもこの世の現実を知って欲しいとニーガンの方のYouTubeや記事を紹介するようになったのがきっかけである。
これ見ても何も感じない訳はないだろうと。ルシールがかわいそうだと思わないのかと。それらを見ることによって自分と同じ考えになるはずだと信じて疑わない発言をする様になったのだ。
私も知らない世界について頭ごなしに否定はしたくない。友人が見ているニーガンの世界を理解しようと思って貼られているURLの動画は全部見た。スペンサー殺害の動画や救世主の現状についてだった。とても悲しい動画だった。
それを見て感じた個人的な意見としては、根本的な問題はニーガンになることで解決はしないだろうということ。
友人が紹介したURLに貼られている悲しい現実について真実なのか、現状日本で行われていることはなんなのか、解決手段はないのかについても自分なりに調べたが長くなりそうなのでここでは話すことはやめておく。
ここでお伝えしたいのは私はその現実を知ってもニーガンにはなろうとは思わなかったという事である。人でなしと言われるかもしれない。
それでも私は友人と友だちという関係を辞めたくなかった。個人的にもニーガンとの付き合い方について理解しようと調べた。一緒に行けるご飯はどこだろうか、なんの話がタブーなのか、不快に思うことはSNSで呟かないようにしよう、とか、いろいろ考えた。調べているうちにとある記事を見つけた。
『一般的なニーガンは他者に強要せず、あくまで個人のライフスタイルとして取り入れている』
『お肉を食べる人が多いことは理解しているので、その人たちを否定することは無い』
あれ?友人はおかしいのでは?
本人に強要してるつもりは無いのだろうが他者に同様の理解を求めようとしている。同じ動画を見たなら、私と同じ思想になるでしょ?と言ったことを発信をしている。この世の人全てが自然に優しくなるべきだと発言している。
ニーガンという思想に触れてハイになってしまったようだ。私が感じた気持ち悪さはここにある。ニーガンが悪いわけではなく、ただ友人が変わってしまった。価値観・思想の押し付けをする様になってしまったからだ。こんな人ではなかったのに。攻撃的な人間に変わってしまった。友人と接することが苦痛になってしまった。友人の発信する言葉を見るのが辛くなってしまった。友人の機嫌を伺いながら会話しようとする自分も嫌になってしまった。友人が私にとって負担になる存在になってしまった。本当に悲しい。
本人に伝えるつもりはない。私からひっそりと離れていくつもりだ。私は私の生き方があって友人には友人の生き方がある。相容れないのに無理に一緒にいる必要はない。こんな考えの私と友人も一緒にいたくないはずだ。
ただ、こんな事で15年一緒にいた友人とお別れをしてしまうとは思わなかった。
ただただ、悔しくて悲しい。