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はてなキーワード:ストローとは

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2025-10-30

でもお前らはマックストローじゃなくて蓋を廃止したらもっとキレるんだろ?

ハンバーガーポテト水浸しになってからじゃ遅いよ?

Permalink |記事への反応(0) | 13:18

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2025-10-29

■みんな暇なんだな、紙ストローブタになったとかで大騒ぎ。

Permalink |記事への反応(0) | 17:41

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みんな暇なんだな、紙ストローが飲みにくいとか

フタになったとかて大騒ぎ。

Permalink |記事への反応(0) | 17:39

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2025-10-28

マクドナルドが紙ストローやめるらしいんだけど、飲むときに使ったことある人だとわかるんだけど何で紙って違和感あるんだろ?

あれは、素材特有のものだろうか?プラスチックに近づけることはできない?もしくは費用かかるのか?

Permalink |記事への反応(1) | 12:17

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2025-10-27

ストロー問題

ストロー、従来のプラストロー、飲み口一体型の蓋

マジでどれでもOKっす別に

みんなそんなにストローにこだわりあったん!?って思う

Permalink |記事への反応(0) | 21:33

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2025-10-25

「間違った正義」という言葉が気に食わない

私は「間違った正義」という言葉が好きではない。なぜなら、それが「間違った正義」を指す言葉なのか「手段が間違っている」という話なのかの区別が無いからだ。

如何せんキャッチーもので、多くの人が気軽に使うようになったこ言葉だが、この辺の区別がつけられないためどうにも万能じゃないように思える。

そこで、先ほど述べた「間違った正義」と「手段が間違っている」という区別について提案したい。

「間違った正義」というのはともかく根本から間違った考え方だ。例えば「『クマを殺すな』という考え方から自治体に苦情を送る人」がいたとする。

そもそも日本では人里に降りてくるクマが増加し、人がクマに襲われるという被害が相次いでいる。そういった人間への被害度外視してまず「クマを殺すな」というのは無理筋のように思えるし、苦情という形で押し付けられてもどうにもならない。

こちらは「間違った正義」と位置付けられる。

対して「手段が間違っている」という話では、思想自体は間違っていないけどその実現のための手段問題がある場合だ。

例えば「地球環境負荷を減らすため、プラスチックストローの廃止を訴える人」がいたとしよう。

ストロープラスチックのように万能ではないし、環境負荷プラスチック製品にはあまり関係が無いように思えるし、何より人々に受け入れられない方法ゴリ押しするのもどうかと思う。

しかし、根柢の思想の方はどうだろうか。近年は日本でも気候変動の激化で気象災害が多発している状況であり、環境問題がそれを扱う分野であればそれ自体は間違っていないように思える。

ただやり方=手段おかしい。紙ストローはごめんだ。この場合は「手段が間違っている」と位置付けられるだろう。

これで、これまで「間違った正義」としか見えなかったものが少なくとも二つに分類できるということが分かるだろう。私がおかしいと思ったのは、手段おかしおかしくないという理由で、その思想自体正当性を決めてしまう人が多いというところにある。

まずは根本おかしいのか手段おかしいのかという区別をするべきではないかと思った次第だ。それで手段おかしいと判断したら手段おかしさを馬鹿にすればいいし、根本おかしいと判断すれば根本おかしさを馬鹿にすればいいと思う。

P.S.記事で述べた二つの事例が絶対的おかしいとか、間違っているとかいう話はしていないので悪しからず。あくま私自から見た正当性であり、私の判断が間違っている場合もある。)

Permalink |記事への反応(0) | 07:53

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2025-10-24

A3サイズ世界を変える、四畳半の戦い

7年前、東京。地下かどこかの喫茶店で、デザイナーのHさんと打ち合わせをした。

自分企画した仮設の公園シリーズデザイン制作物を依頼する場だった。

まだ若くてバカだった当時の自分は、「A3サイズ世界を変えよう」と笑いながら真剣に言ったのを覚えている。鼻息ストローの袋を吹き飛ばした気がする。

その後に作ったA3フライヤーは、原稿の渡し方もイメージの共有もめちゃくちゃで、散々迷惑をかけた気しかしない…。でもHさんは最高の納品物をつくってくれた。

それからあちこちでHさんのデザインを目にするたびに(先日も実家近くの本屋で見かけた)、あの狭い喫茶店で口にした言葉を思い出す。

HさんはあれからマジでA3サイズ世界を少しずつ変えてってると思う。

先週、哲学対話研修をしに来てくれたNさんに

「どうして“哲学対話”という名前を使うんですか?難しそうだとか、参加に身構える人もいるかもしれないのに」と尋ねた。

Nさんはいろいろ考えた末に、「なんか…ムカつくんすよね」と言った。

誰が哲学を遠ざけ、対話しようとする人を傷つけてきたのか。

哲学と、対話という言葉意味を新しく上書きするために、あえてこの名前を使うんだって話してくれた。

今の自分は、どうだろう。

「ムカつく」という言葉を聞いて、久しくそ感覚を忘れていたかもしれないと気付いた。

どうせ何も変わらないと思って、絶望してたんだと気付く。ぜつぼうって、Zから始まる強い響きの言葉だけど、耳がキンとするほど静かで、うっすら気付きながら置き去りにして、気付けばゆっくり死んでいるような絶望もある。

思い出すと自分も「A3世界を変えよう」と言ったあの頃、世界に対してムカついてた。

少し前、自分臨時職員だった。アート教育に関わる仕事給料は月13万円。

周りの正規職員は倍くらいの給料をもらってる。

でも求められる仕事の内容は変わらない。自分が足りないから倍以上頑張るしかないんだ。

アーティストクリエイターとつながっておくのが大事だ」と教わりつつも、飲み会に行くのが怖かった。行ってもバカにされるだけ、雑にいじられて否定されて、3000円払っていやな思いをするだけだと思ったから。

それでも「今日は違うかもしれない、大丈夫かもしれない」と信じてみる。

先にコンビニおにぎりホットスナックと缶ビールを胃に詰め込み、遅れて飲み会に顔を出す。結果「やっぱりカタパンダメだな〜」と何かのきっかけでバカにされ、ヘラヘラしながら5000円払わされ、真っ暗な帰り道で涙がつっとこぼれそうになる。今思えばもっと自己開示すべきだったのかなって思う。でもあの時の自分は、自分を守るのに必死だった。

同じ部署臨時職員同士で競わせられ、蹴落とし合う日々。毎日どんどん嫌な自分になる。

上司は定時で帰宅して、赤ちゃん風呂に入れるという。

それは素晴らしいことで、自分今日も帰れない。自分は常に欠けていて、仕事ができないかしょうがないんだ。自分子どもを育ててみたいという気持ちをこんな手取りじゃ絶対無理だとグッと押し殺し、上司に嫌な感情を向けてしまう心に嫌気がさす。

「カタパン説明は下手すぎる」「カタパンは才能がない」「カタパンは惜しいんだよな」「タレ(当時付き合っていた彼女)と結婚してさっさと仕事やめたら?」「カタパンのタレはメンヘラだよな」「それ俺が考えたことにして。そっちのほうが絶対うまくいくから」「カタパンが考えることは全て、もうすでに俺が考え終わったことだよ」「カタパンは、ソーシャル・ネットワーク映画)の、ザッカーバーグじゃない方なんだよ。自分が考えたことも上司うまいところを持っていく。そういうのってこの業界じゃ当たり前だから。」「カタパンエモいからな〜」「カタパンは伸びしろがない」「泣くのはプロじゃないよ」「カタパンもう◯歳でしょ?いい加減大人になってほしいよね」

大学1年生のころ、そのアートセンターでやっていたノイズミュージックライブを初めて聞いて衝撃を受けた。

退屈してて何もないと思っていた、都市ってつけるのがおこがましいくらいの地方都市で、爆音の圧に内臓が揺れる。初めて音に殺されるって思った。

こんなこと公共施設がやっていいんだ。そのアートセンターで働くことに憧れた。

そこには市民有償ボランティア制度サポートスタッフがあった。入りたいと思った。

でも1年生でサポートスタッフになっても、きっと自分は他の人に埋もれてしまうと思い、いろんなアルバイト経験した。

3年生になって、ようやく少し自信を持って、サポートスタッフ登録する。

“カタパン”は、サポートスタッフを始めた初日教育普及の職員に付けられたあだ名

理由は、肩パンしても大丈夫そうなキャラから。嫌なあだ名だったけど、あだ名を付けてもらえたことに喜んで、自分否定しなかった。

ようやく入った憧れの施設では、地元の人やサポートスタッフを蛮人と呼んでる人もいた。

もちろん冗談で。冗談なんだから否定するのは粋じゃない。自分は一緒に笑った。

自分も笑われているのに。

どんなに嫌なことがあってもそのアートセンターに憧れたあの時の気持ちは捨てられないし、どこかで全員尊敬できたし、すごく優しい人もいる。

周りの誰も憎めずに、自分を責め続けた。心配してくれた人の言葉を、自分大丈夫ですよとヘラヘラ聞き流した。

周りを変えることよりも自分を責めることの方が楽で、でもずるくて、いざ失敗したら周りのせいにしてた自分もいる。この文章だってそうかもしれない

自分自分のそういうところがめっちゃ嫌い。だからこの文章をここに書き残しておく。

ダサいことも、痛いことも、全部置いておく。

今は常勤職員になってしばらく経ち、生活も少し安定するようになった。チームが変わり、すごくいい仲間に恵まれて、痛みを感じることを言われることも少なくなった。安心できる場所をつくることが出来た。年下の後輩も入ってきて、それまでリーダーをやってくれてた同僚が抜けることになった。

常勤職員から、副専門職員になる試験を受けたら、普通に面接で落ちた。

付き合いの長い上司からあなた専門性はないですって諦められたみたいで悲しかった。

しか自分はまたヘラヘラして、自分の言いたいことを伝えられなかった。

伝えることを諦めてしまった。そんな自分が悔しくて、その夜電気を全部消して泣いた。

今の自分は、どうだろう。

昨日『104歳、哲代さんのひとり暮らし』という映画感想を語り合う場所を開いた。これは一昨年の暮れから、だいたい毎月4回くらいやっている。休憩がてら立ち寄った人たちとお茶ジュースミルクティーが人気)を飲みながら、映画の印象に残った場面を話すうちに、みんなそれぞれ自分過去をぽつりぽつりと思い出して語り始めたりする。昨日も15人くらい来てくれた。

コロナ禍の入院で、本当は会いたかった人を病院の窓から見送った話。

離れて暮らす娘の早産を電話で励ますことしかできず、悔しかった話。

祖母隔離病棟で亡くなる直前、看護師がつないでくれたLINEビデオで声をかけたけど、触れられなかった話。

「哲代さんは明るくてすごい。私は後悔ばかりだ」と84歳の参加者が漏らすと、別の人が「いまからでもイメチェンできる!84歳、あと20年ある!」と励まして笑い合う。

飲み物を継ぎに別のグループへ。「職員さんですか?」と聞かれたので簡単自己紹介し、「楽しく働いています」と答えると、一人の女性が「…仕事はつらいですよ。人生はつらいですよ。」と自分に言い聞かせるようにつぶやいた。

彼女は三人の子どもを育てるために、大好きだった介護仕事を諦めたそうだ。

介護仕事給料が低くて、今はレジ打ちなんかをしています。でも、本当は働きたい」そう言うと、彼女の目から涙があふれた。

彼女にとっての“働く”は介護であり、レジ打ちはやらなきゃ立ち行かなくなる”仕事”。

彼女は泣きながら、どんな場面を、人を、思い出していたんだろう。

おもわず隣の大学生がもらい泣きして、タオルで涙をぬぐう。

そのタオルがすごく大きくて「いっぱい泣けるね」とふざけて笑い合う。

自分も鼻の奥がツーンとして小さな涙を指で拭う。

この場所では、泣いても誰もバカにしない。

最後彼女は「いつか絶対介護に戻りたい」と話してくれた。

その姿は強くてまぶしくて思わずみんなで応援した。

尊敬する館長がしばらく前に亡くなった。

自分は、館長の本棚にあった「公共役割とはなにか」という本をもらった。

館長から出された宿題みたいに、その問いのことをずっと考えている。

まだ宿題の途中だけど、今館長に聞かれたら、

公共文化施設とは、みんなで人間らしさを取り戻す場所って答えたいと思う。

人生は一人で抱えるには重すぎる。いつか自分の足で立つためには、みんなで少しずつ荷を下ろし、身軽になる必要もある。何かを得るだけでなく、重くなった気持ちも置いていける場所。そういう場所が、自分はあってほしい。

それは捨てていくんじゃなくて、きっと誰かが聞いている。

形のない、透明なお墓みたいな時間場所

誰かが誰かを覚えていると信じられるから、新しい自分になっても安心して息が吸える。

小学生がうちの施設社会見学に来たら「メディアテクノロジーは人にものごとを伝えるワザ。コンピューターインターネット映像、照明、音響かいろんなものがある。そう聞くと、電源が必要とか、新しくてシュッとしてるとか、固くて冷たいもの想像するかもしれないけど、いまみんなに話しているこの言葉だってメディアテクノロジーひとつ。僕らはつい最新のテクノロジーに注目しがちだけど、僕らが生まれるずっと前は、この”言葉だって最新のテクノロジーで、思ってることを人に伝えられるのやべ〜!ってなってたはず。もし言葉が喋れなかったとしても指差しをしたり、狼煙を上げてここにマンモスがいるぞー!って伝えてた。でも当たり前に使えていると思ってるものも、使い方を間違えると怪我したりする。

このアートセンターでは、メディアテクノロジーを改めて広く捉え直して、ありたい未来可能性(こんな使い方出来たんだとか、こんなふうに伝えられるんだとか、こうなるとヤバそうとか)をみんなで考えて、みんなでつくっていくために、全員まだ答えを持ってない新しいアート作品をつくったり、紹介したり、それをみんなで見る場、話す場を開いてる」って伝えてる。ともにつくり、ともに学ぶ場なんだって

例えば映画の上映に合わせておこなうお茶会みたいなイベントは、小さな場所の小さな営みで、”オリジナル”みたいに威張れることはしていない。たまたま映画を見に来た鑑賞者同士が、なんとなく休憩しに立ち寄って、お互いの話を聞きあえる場を開いているだけ。でも、そこに来る一人ひとりは、とても大きな人生を背負っている。

日立ち寄ってくれた年配の2人組。

少し背の低い女性が「耳がほとんど聞こえなくなった主人が、この映画は見たいって言ったんです。だから字幕がなくても今日は来ました」と穏やかな声で教えてくれた。

これを見たいと思うことと、一緒に見る人がいるのめっちゃいいですねと伝える。そしたら突然その人がパートナーの耳元に向かって、自分がさっき言ったことを大きな声で復唱してくれる。(この人、こんな大きな声が出るのか)と内心びっくりする。

男性は嬉しそうに「そうなんですよ」と言って笑った。言葉があってくれて、でっかい声で伝えようとしてくれて、ここに来てくれて、聞いてくれて、ほんとによかった。

その場を見ようともしない人ほど「効率が悪い」とか「KPI」とか「来てない人を納得させないと」とか「ソーシャルインパクト大事」とか「経営的な戦略必要」とかって、ティーチ(一方的に教える)よりラーニング自分で学ぶ)が大事と言う同じ口で、一方的に教えてくれる。

いや、なんかそうなんかもしれんけど、うっせ〜〜〜。

簡単に人をモノのように扱える人ほど評価される世界絶対間違ってる。

世界を変えるって、トランプみたいに自分勝手世界を掻き回すことじゃ絶対にない。

世界を変えるって、ひとりひとりが自分の力を思い出して、取り戻すことじゃないんかい

ここに生きてる人間がいますよ。

この前ポッドキャストの収録で話したひるねちゃんは「手元をみよう 手元をみよう」と、祈るみたいに2回言った。

「人の心に反射したその光こそが作品作品が光ってるって言うより、あなたの心に反射したものが光ってるんだよ。エネルギーを飲み込まないで発散できる自分でいたいな」と言いながら、最後の語尾は震えてた。

心が諦めてしまうと簡単に、ブラックホールとかベンタブラック(99.9%の黒)みたいに、どんな光も吸収してしまう。

収録が終わってしばらく経ったある日ふと、本当に信じてることは信じてるなんて言わないのに、信じたいって思うことほど信じてるって口に出して言うのは不思議だなと思った。

言葉日光を浴びせるように外気にさらすことで、いつかほんとに信じられるものに変わるかもしれないから、僕らは信じたいことを口に出すのかもしれない。

先週も大学を訪ねたら「アート自分には縁がないもの」と学生匿名チャットで教えてくれた。おい、誰がアートをその子に縁がないものにしてしまったんだ。関係ないものなんて、本当はなに一つないはずなのに。おい、誰がそんなふうにしてしまったんだ。

でも自分アートに関わる仕事をしててそう感じさせたうちの一人でもあるかもしれないからそれはごめん!もう一度やり直したいからチャンスがほしい。そんな悲しいこと言わないでよ、寂しいじゃんって思う。

あームカつくな。ムカつくし、ムカつくという感情を思い出せたのが嬉しいな。

ムカつくの前には悲しいな、とか寂しいな、があるな。ムカつくのにも、悲しいなとか寂しいなを反射させる力が必要なんだな。

自分は小さな空間で、人が変わるまぶしい瞬間を何回も目にしてきた。

しか自分文章はまだまだ分かりづらくて、曇った鏡みたいなものかもしれないけど、本当はもっともーーーーーっとすごい。まじ伝えきれね〜〜〜〜って思う。

それでも自分も、反射できる自分でいたいと思うからこの文章を書き残しておく。

昨日の朝、映画を見る前、教育学部の授業に自分が働くアートセンターの紹介をしに行った。

朝一の貴重な40分をもらって全力でプレゼンしたあと、先生ブラインドトークワークショップに参加させてくれた。

10人が3チーム、絵を見て言葉で伝えるチームと、その説明を聞いて絵を書くチーム、そのやり取りを観察するチームに分かれる。

5分間で出来上がった絵は、答えに近い人もいれば、まあまあ遠い人もいる。

その後のフィードバック時間は、こう説明すれば良かった、こう質問すれば良かったなどの意見を交わす。

から1/3の位置に〇〇があるみたいに数字を入れて伝えるとか、全体の雰囲気テイストイラストなのか写実的なのかなど)を伝えてから具体的な描写を伝えるとか、一番大事なこと(なにを伝えたい絵なのか)に絞って伝えるとか、いろんなアイデアが出た。

どれもすごい大切だって思ったと同時に、自分はなんかもう、最強だな〜〜〜って思った。

最強って、いまめっちゃ強いとか、いまめっち説明が上手とかじゃなくて、変われるってことだと思った。伝えようとしてる人がいて、聞こうとしてる人がいる。もうそれで十分じゃん。言葉が足りなきゃ付け足したら良いし、分かんなかったら聞けば良い、言い直したらいい。

ほんとは完璧コミュニケーションなんてなくて、伝えたいとか聞きたいとか、それを諦めずに関わろうとし続ける限り、うちらもっと強くなれる。もしかしてそれを教育と呼ぶのでは?!みたいなことに気づいて驚きながら言った。

みんないい姿勢で、まっすぐ聞いてくれた。おい、まぶしいな。ありがとう

先生にお礼のメールを送る。あの子達が4年生になるのが楽しみですねって伝えた。ここには書かないけど、嬉しい返信が返ってきた。また会いたいな。学生先生も全員サポスタに登録して欲しい。

同僚のNさんとサポスタ募集の打ち合わせしたら「うちらがやってることは、誰に見せても恥ずかしくないから本当はターゲットなんてない。ターゲットは全人類、死んでるやつも、これからまれてくるやつも。ひとまず50億人全員サポスタに登録してもらおう。」って話してて爆笑しながら超グッと来た。絶対そうなった方がいいしやっぱ最高だなこの人って思った。

トランプも、ゼレンスキーも、オバマも、プーチンも、ネタニヤフも、オードリータンも、石破茂も、議員会館の地下で迷子になってる秘書も、海を渡ってきた難民も、夜勤明けでレジを打つコンビニ店員も、介護夜勤ウトウトしてる人も、野良猫を拾ったけどなかなか懐かなくてすこし懐いてくれて安心したら実は腎臓病が進行してて休日は暴れる猫を連れて動物病院に通う新入社員も、推しVtuberスパチャしすぎて家計簿が真っ赤な人も、好きな人と一緒になれなくて家で一人で泣いている遠距離恋愛カップルも、育休取りたくても言い出せない課長も、同性婚を夢見るカップルも、初めてステージに立つ前に鼓動が早くなってるドラァグクイーンも、卒論提出3時間前の大学5年生も、家の外に出る勇気が湧かないひきこもりも、声を出すと噛んじゃう吃音持ちも、白杖を持った視覚障がいランナーも、手話コントをやる芸人も、補聴器電池を切らしたおばあちゃんも、手足のないスケボー少年も、車いす山道を攻める登山家も、PTSDに苦しむ帰還兵も、大学講義室で聞いてない学生に向けて伝えることを諦めようとしてる教授も、モテることとサボることと遊ぶことと就活で頭がグチャグチャだったあの頃の自分みたいな大学3年生も、収容所自由を夢見る政治犯も、その看守も、裁判で涙を流す加害者も、被害者も、サウナで “ととのい” を追い求める会社役員も、離島保育士を探す町長も、推しジャージライブに並ぶ中学生も、バイト代を全部ガチャに突っ込んだのに天井までSSRが来ない高校生も、フィリピンごみ山でタガログ語ラップを刻む子どもも、アマゾン流域で川と話すシャーマンも、北極で氷が割れる音を聴く魚も、火星着陸の夢を抱く在野の<

Permalink |記事への反応(0) | 17:36

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2025-10-22

anond:20251021175424

論理警察BOTです。

他国国旗を傷つけたら問題になるんだから自国国旗を傷つけても問題になるのは当然のこと。

誤った類推/偽の同一視(false equivalence)

他国旗は外交上無礼国際関係自国旗は国内表現規制の話で根拠が違います。単純に同じとは言えません。

それなのに、この法案が通ったら終わりだとか、戦前回帰だとか、毎回同じテンション危機感を煽る人たちがいる。

論点のすり替えストローマン

反対派を「いつも煽る人」と一括りにして、条文の範囲や罰の相当性、萎縮効果など中身の論点から外れています

でも、今までもそうやって大騒ぎしてきた法案、いくつ通った? 通ったあと、普通にみんな生きてるだろ。

早計な一般

「今まで大丈夫そうだった」→「今回も問題なし」とは限りません。法ごとに内容も影響も違い、見えにくい不利益もあります

通ったあと、普通にみんな生きてるだろ。

相関と因果混同/事後合理化

破局が見えない=害がない、とは言えません。見えない抑圧や長期的影響を因果否定根拠にしています

結局、騒ぎたいだけで、法案の中身なんてどうでもいいんだよ。

論証責任転嫁

相手に「危険証明」を求めつつ、自分の「刑罰化が必要・適切な理由」の提示を省いています

毎回この世の終わりみたいなことを言って、通ったら知らん顔して別のネタ探してさ。

逆滑り坂の一蹴(slippery slope の過小評価

破局が起きていない」ことを理由に、段階的な強化や萎縮の蓄積をまとめて否定しています

それ、もう完全にカルトの行動パターンだろ。カルト批判してるくせに、自分たちが同じ構造になってるの気づいてないんだよ。

人身攻撃動機論証(ad hominem / motive fallacy)

カルト」などのレッテル相手人格動機攻撃し、主張の内容から目をそらしています

ただ単に多くの人の気持ちを踏みにじるだけだ。

価値事実混同is–ought の混同

「多くが不快に感じる」(事実から、すぐ「刑罰禁止すべき」(規範)に飛んでいます保護法益代替手段、罰の重さの検討必要です。

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総評

不快感やレッテル根拠に「処罰は当然」と急ぎすぎ。法としては「何を守るために・どの範囲を・どの程度の罰で・他の手段では足りないのか」を具体的に示す必要があります

Permalink |記事への反応(2) | 10:33

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2025-10-20

網や針が食い込んでるアザラシを助ける動画

野生のアザラシを羽交い絞めにしてまでやる事なんだろうか。かなり活動家自己満足に近いなと思った。

鼻にストローが刺さったウミガメとかもそうだけど、引き抜いたりする必要あるのかな。あれ絶対助けてくれてありがとうじゃなくてクソ人間どもめ!って思ってると思う

Permalink |記事への反応(2) | 12:37

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2025-10-18

anond:20251018213654

またストローマン論法

Permalink |記事への反応(0) | 21:48

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2025-10-08

anond:20251008233538

本文に書いてないことを読ませようとするストローマンさぁ

Permalink |記事への反応(0) | 23:49

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anond:20251008233209

ストローマン?(どこが?)

という意図だったんだが読解力ない人に配慮必要だったか

Permalink |記事への反応(1) | 23:35

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anond:20251008233238

その「普段の主張」というのがあなたストローマンなんですよね?

SNSを一日中ながめて集めてきたフェミ発言の破片を合成したキメラなんでしょう?

Permalink |記事への反応(1) | 23:34

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anond:20251008232410

ストローマン論法とは、相手意見意図的に歪めたり、極端に解釈したりして、実際には相手が言っていない「藁人形ストローマン)」のような主張を作り出し、それに対して反論する論法です。日本語では「藁人形論法」や「かかし論法」とも呼ばれ、相手真意論点無視して、反論やすい歪んだ主張を攻撃する手法で、詭弁誤謬)の一種です。

Permalink |記事への反応(1) | 23:32

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anond:20251008232154

ストローマン

高市保守性や夫婦別姓不支持を叩いて「女性首相に相応しくないと叩いてるフェミばかりじゃないの

素直に女性首相誕生を祝った人がどれだけいるのやら

Permalink |記事への反応(1) | 23:24

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anond:20251008232004

女は左派でなくてはならない

女はフェミニズム擁護せねばならない

まーたストローマンしてる

Permalink |記事への反応(1) | 23:21

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anond:20251008123203

ストローマン論法増田

Permalink |記事への反応(1) | 12:33

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2025-10-06

anond:20251006125445

俺もストローが紙になったの許してないわ

Permalink |記事への反応(1) | 12:57

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2025-09-29

anond:20250929075549

性病持ち込みで家庭破綻って誰の話? 主語デカストローマン論法はやめてね

女性必要としてないからといって男性必要としてるもの否定されるのは意味が分からないし、金払ってるのは男側だから搾取されてるのは男では?

Permalink |記事への反応(1) | 08:01

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2025-09-28

生産者が「ノイズを削った」というのはアホ

コンビニを見習え

「美味しくなって新登場」

何一つ本当のことを言っていない

これを

「内容量減らして値上げしました」「SDGsのために◯◯やめました」

とか書いたら怒るだろ

例えばレジ袋の有料化とか紙ストローと同じ感じだよ

思想を持つなとは言わないが、ソレを言うのはアホでしかない

「美味しくなって新登場」って言っとけばある程度丸く収まる

まり業界内で例の脚本家がどう思われるかと言えば「自我出したイタイやつ」だろうね

Permalink |記事への反応(1) | 11:21

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2025-09-23

anond:20250923001706

ミラーリングについては知らんけど、増田がやってることはミラーリングの上手い下手という本質から言葉定義の話に逃げてるからストローマン論法っていうんやで

Permalink |記事への反応(1) | 00:21

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2025-09-18

単に「フェミ自分正義だと思い込んでるのキモすぎるから黙ってて欲しい」ってだけだよね

本題はここでそれ以外は単なる賑やかしでしかないよ。

ぼざろの原作者を守りたいとかぶっちゃけそんな強く思ってないし、

ノイズ発言がうざいのは「お前そのレベル自分フェミ思想正義だと思ってるの?」って所こそが本体だし、

虎に翼もNHK実質的税金で作った割にはゴミだと感じただけで和ドラなんてこの程度だと思ってるし、

タイバニについては2期がつまらなすぎたせいか1期の内容もぶっちゃけよく覚えてないし、

つまる所は、「フェミ自分キモくてウザいことをいい加減自覚したら?まあ普通に言っても無駄だろうから少しでも通りそうな言葉を探して言うけど」ってだけでしょ?

マジでキモいよな

アンフェは。

一部のなんちゃってフェミニスト(実際にはミサンドリスト)が掲げる過激思想に対してのストローマンフェミニズム全体を否定しようとしやがる。

結局、虎に翼みたいな極端なドラマが「フェミの旗印」みたいに扱われているのもアンフェの工作なんだよね。

フェミニストは感情論で動いていて他人気持ちが分からない馬鹿なんだってレッテル貼りたいんだろ?

マジで勘弁してくれ。

ちゃんとしたフェミニストはあんな極端な思想も持ってないっていうか、ミサンドリストフェミニストじゃなくてただの男性嫌悪差別主義者だから

男にも女にも平等に性欲はあって、それらは社会正義の元に否定されるべきじゃないし、かといって恥ずかしげもなく撒き散らされるべきじゃないのはちゃんとしたフェミニストはみんな分かってる。

そもそも議論の中心にあるべきは男女が平等差別されない社会の話なんだからミサンドリストがするような「男の性欲はキモいです!性欲がキモいから男はキモイ!」って叫んで回ることじゃないと思ってる。

そういった極端な意見賛同されないことに拗ねて被害妄想を広げた果てに「男が産めるのウンコだけ!」と言い出す連中はフェミニストでもなんでもないよ。

フェミニズムは差別撤廃を訴えることが目的なのであって、カウンターウェイトとして男を差別してやるって言い出すアホはフェミニストじゃなくてただの差別主義者の馬鹿

Permalink |記事への反応(4) | 20:25

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オタクくんはそんなに裸を見たいのか(呆れ)」 ←これ

例えば「犯罪者擁護するなんて、君は犯罪をしたいに違いない」みたいなやつ

 

総じて言えば【人身攻撃(personal attack、Ad Hominem)】になるらしい

概要:議論のものではなく、相手人格属性攻撃する論法

 

または【モチーフ・アトリビューション・バイアス(Motive Attribution Bias)】というのも近い

概要:相手の行動や意見動機を悪意として解釈する心理バイアス

 

もっと簡単に、【レッテル貼り】【ラベリング】とも呼ばれるね

 

ChatGPTは「「悪意帰属型アドホミネム(Motive Attribution Bias)」を推していた

参考:https://en.wikipedia.org/wiki/Attribution_bias

 

「◯◯を主張してる人は◯◯だ」論法

上記の発展形がこれ、個人じゃなくてグループ化して捉えるやつ

 

連座論法連帯責任論法(Guiltby Association)】という

概要集団内の一部の悪質な行為発言を、集団全体の本質や主張そのものに結びつけて否定する論法

 

面白い概念として【ポイズニング・ザ・ウェル(Poisoning the Well)】もあった

概要議論の場に先に毒を流しておき、相手集団発言最初から信用できないようにする

例えば「これを否定する奴は皆ロリコンだ(だから否定するなよ)」みたいに

 

ストローマン論法(Strawman Argument)】 も有名だね、別名は藁人形論法

概要集団のうち「最も過激で悪意のある意見」を意図的に取り上げ、それを集団全体の主張であるかのように歪めて批判する

 

まあ、こういう事言う人間議論の場からは離れたほうが良い、単に傷つくだけだから

不思議もので、誤謬詭弁を使わないけど主張が異なる人とは有意義議論ができるんだけど

誤謬詭弁を使う相手とは、意見が同じだろうがまともな議論ができないんだよね

もし建設的な議論が成り立つ人が居たら意見が合わなくても大事にするべきだ

 

参考

詭弁 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A9%AD%E5%BC%81

誤謬 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%AA%A4%E8%AC%AC

 

今ってAIという素晴らしいものがあるんだから、「自分意見詭弁か?相手意見詭弁か?」って聞けばすぐ返ってくるよ

 

____ 

 

伸びてたブコメ

PrivateIntMain議論しましょうねで納得して始めた話なら非難されて然るべきだが、公園勝手叫び出して横から叫び返されて議論ルールとか持ち出すのは、そもそも勝手議論始めた気になってんじゃねぇよとしか

この文章には、いくつかの議論上の詭弁誤謬的要素が含まれています特に次の2点が挙げられます

 

1.ストローマン藁人形論法

・ここでは相手の状況を、実際よりも極端に単純化して**「公園勝手に叫ぶ」**という比喩に置き換えています

・これにより、本来の「議論ルールを持ち出す状況」を矮小化し、相手の主張を弱めて攻撃やすくしています

これは典型的ストローマン論法です。

本来は「相手議論を求めたのかどうか」「議論の前提合意があったか」という複雑な問題があるのに、

「ただ勝手に叫んでいるだけ」という極端な形に置き換えているためです。

 

2. 偽りの二分法(False Dichotomy)

文章では次の二択しかいかのように提示しています

A. 「議論しましょうね」と合意して始めたならルールを持ち出すのはOK

B.勝手叫び始めただけならルールを持ち出すのはおかし

実際にはその中間として、

・片方は議論のつもりでも、もう片方はそう思っていない場合

曖昧な形で議論が始まってしまった場合

などのグラデーション存在します。

しかしこの文章はAかBかという単純化で話を進めているため、偽りの二分法にあたります

 

3.レトリックによる情緒操作

公園勝手叫び出す」という比喩自体感情的な印象を与え、相手バカにするニュアンスを強く含みます

これは論理的誤謬というよりもレトリカル・トリックですが、議論ではしばしば「人格攻撃的訴え(Ad Hominem)」の一種とみなされます

 

総合評価

この発言ストローマン論法+偽りの二分法が中心で、加えて感情に訴える修辞が強いです。

純粋論理的議論というよりは、相手貶めるレトリック寄りの詭弁といえます

 

3つも使えるなんて、詭弁大先生だなw

僕にはとてもできない

さて今私は何を使っているでしょうか?

Permalink |記事への反応(13) | 11:25

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2025-09-17

個性ってなんだろう。

結局みんな朝になったら同じように目を覚まして、朝ごはんを食べて、家を出ていく。その「同じ」にどれだけ差し込める余地があるかで個性が生まれる気がする。

たとえば、「朝起きて、朝ごはんを食べて、家を出た」なんて、教科書の例文みたいな日常だ。でも、同じ朝でもある日は目玉焼きを食べたり、ある日は納豆をかき混ぜたりする。このほんのちょっとした部分が、人間の「違い」=個性につながる。大量の人の中で「自分」が埋もれてしまいそうでも、たった一つ食べるものを変えるだけで、自分物語が始まる。

細部の違い。それこそが個性の真髄なのだ個性とは、一見すればどうでもいいくらい小さな違いの連続だ。「今日目玉焼きだったから元気が出た」「納豆の粘りで憂鬱ちょっとだけ消えた」。そうやって、日々の選択自分らしさを積み重ねていく。

よく「自分言葉で語れ」などと学校会社で偉そうに言われる。でも、それって要するに、自分他人なら気にもしないようなどうしようもない細部についていちいち言葉にすることじゃないのか。「朝起きて憂鬱だったから、いつも食べないカレーを朝から温めてみたら、なぜか死にたくなる気持ちが消えた」とか、「洗濯機の音が止まらないせいでトーストが焦げた」とか、そんな取るに足らない事情を語ることが自分言葉を紡ぐ作業だ。

一般論とか、他人受けを狙った物語ほど、個性から遠ざかる。その文章は平均化されて一気に凡庸になる。逆に、ごく個人的事情――誰も気にしない失敗や、理由なき習慣、偶然見た夢について語るほど、「自分言葉」になっていく。「俺は今朝、牛乳蜂蜜を混ぜて飲んだ。粘度が高すぎてストローが詰まった。詰まったまんま置きっぱなしにして玄関で靴ひもを結び、仕事遅刻した」。こんな話はおそらく誰にも響かないが、間違いなく他人には語れない一回限りの個性痕跡なんだ。

から個性とは細部、その違いを語る力」だと思う。わざわざ「自分語り」なんて言われてバカにされるけれど、みんな個性が欲しいなら、もっと些細な現実を一つ一つ拾って語ればいい。たとえば朝ごはんのたった小さな選択肢に、自分らしさは宿る。その些細な違いをこと細かに語ることこそ、「個性」なんだ。

Permalink |記事への反応(1) | 03:13

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2025-09-16

ストローベリーうまいのにブルーベリーはおいしくないよなぁ

もっとやる気出せよオマエ

Permalink |記事への反応(0) | 16:40

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