
はてなキーワード:ストリップ劇場とは
自慰をする、あるいは単に射精をすることを、俗に「抜く」という。
この「抜く」という表現の語源について、「扱く(しごく)」の誤読である、という説がある。
たとえば「陰茎を扱く(しごく)」と書いたのを「抜く」と見間違えたというのである。
この語源説の信憑性を判断するために、今回は「抜く」の古い用例を確かめてみたい。
まず、それらしいワードで検索してみると、戦前ではフロイト心理学の引用が引っかかる。
フロイトは「歯を抜く」ことが射精と関連していると主張していた。
そのくだりで「とある方言では自慰のことを『引き抜く』と表現する」ことを引き合いに出しているのである。
「sich einen ausreißen」などと言うらしい。
1957年『歯科時報』の「口腔歯牙の性心理と性生理」という連載において、このフロイトの主張が引用されつつ、こう述べられている。
フロイドは自慰を行うという意味の俗語として、「一本抜く」という言葉がドイツ語にあることを指摘したが、フエレンツイは同様の俗語がハンガリアでもしばしば用いられており、しかもハンガリア人は、フロイドが指摘したドイツ語を全然知っていないと述べ、さらに、ハンガリア語には、ほかに自慰をあらわす俗語はないことを強調している。そして、ドイツ語やハンガリア語を知らない日本人も、昔から同様の俗語を用いて来ていることは、前にわたくしが指摘したとおりである。ただし日本語の「一本抜く」は、性交の意味にも用いられるのであるが。
としている。
ただ、実際に「一本抜く」がそのような表現として使われていると思しき例は一つしか見つけられなかった。
1951年に出版された『女の平和』において、男性がセックス・ストライキを嘆く場面が以下のように翻訳されている。
1970年代ごろからは(その時期に初出というわけではないが)「精を抜く」「精液を抜く」という表現が増えたようだ。
※ ただ「精を抜く」はもともと「重要な部分を抜き出す(抜粋などと同義)」という意味で使われることのほうが多かった
※ また「精を抜かれる」のような言い回しだと「精気」の意味であることが多いので判断が難しい
今の若い船員を見ていると、本当に気の毒である。一カ月も鉄の箱にとじこめられて、おかに着いて息をするにも、精を抜くにも、一日や二日の停泊で、ムードたっぷり女をくどくひまなく、飲みに行かねば女に当らない。
jerk offというと「ぐいぐいとしごいて精液を抜く」こと。
さらに1980年代の半ばからは、少しニュアンスの違った「一本抜く」が広まっていった。
実利というのは、射精させてくれることである。業界用語で「一本抜く」という。新生ノーパン喫茶の個室では、ノーパン嬢たちがせっせと一本抜いている。一本抜けない風俗営業の店は、どんどんつぶれていった。今はノーパン喫茶でも、覗き部屋でも、ストリップ劇場でも、必ず一本抜いてくれるのである。
1987年『診男法』。
「一本抜いてくる」と平気で風俗業界へくり出し、1年も車内の掃除をしていないようなきたないスカイラインで、RX7を見ると異常な闘志を見せたりします。
このように「一本抜く」という言葉が性風俗の業界用語として、一気に人口に膾炙していった様子が窺える。
もちろん同時期に「一本扱く」という表現は見当たらなかった。
流れとしては、
といったところだろうか。
そもそもの話をすると、「抜く」の語源が気にされるのは、一見すると「自慰」と「抜く」が繋がらないからだろう。
そこで「抜く」と「扱く」の字形が似ていることから連想して「抜く=扱くの誤読」説が考案されたのではないか。
しかし「動物の血を抜く」「プールから水を抜く」などのように「溜まっている液体を抜く」という用法は自然なものである。
北があと2,3エントリ書くくらい残っているが、先に西和賀について紹介しておく。
岩手はいちおう全域が豪雪地帯に指定されているけれど、それほど雪は降らない。まあこれは"隣県と比べて"ということに過ぎないので過信は禁物ではある(冬場スタッドレスタイヤがなければ死ぬのはマンガにも描かれた通り)けれども、その中でも西和賀は例外にあたりそうなくらいの超豪雪地帯。どうもこの辺が奥羽山脈で微妙に標高が低いのか、日本海側の雪が山を越えてこっちにまで届くのね。これは西和賀を越えて少し東にある北上くらいまでは達するので、冬場に新幹線に乗っていると北上近辺だけ白くなっている光景を見ることが出来る。まあ今回は春~秋シーズンでの観光お勧めなので雪の話はこれ以上はしない。
西和賀町で観光と言えばまあ旧湯田町地域に点在している温泉がまずは観光の対象かと思う。おそらく一番有名なのはJR北上線の入替駅であるほっとゆだ駅に隣接する温泉かと。湯船の隣に鉄道信号機が設置してあって、列車の到着が近づくと点灯するという話は旅番組で数限りなく擦られてきたので知っている人もそれなりにいると思う。温泉の分布としてもここの温泉が町内のほぼ中心に位置していて、この北部と南部、そして西部にいくつもの温泉旅館が点在している(東部にあった"穴ゆっこ"という温泉は3年ほど前に閉館した)。多くの旅館は日帰り入浴にも対応しているので、宿泊しなくても多くの温泉を体験することが可能である。よくテレビで紹介されるのは北の方にある砂ゆっこと呼ばれる砂風呂。個人的には西の県境近くにある巣郷温泉が特徴的な泉質(好みはけっこう分かれる)で好きなのでお勧めしたい。なお一番大きい温泉街は少し北にある湯本温泉で昔はここにストリップ劇場もあるくらいのコテコテの温泉街だったのだけど、もちろんこの施設も10年以上前に閉館して跡形も残っていない。湯本温泉はそれよりも激安で有名なスーパーオセンでたぶん有名。このスーパーはNHKのドキュメント72時間で密着されたりもした。
西和賀の北側、沢内は近世から近代にかけて歴史的には重要な場所ではあるのだけど、そういうのを知れる施設はあんまりない。中心部(というほど繁華街でもないけど)にはなぜか寺が3軒まとまって建っているところがあって、その中の一番北の寺(碧祥寺)に個人博物館が民具をたくさん集めていて見どころになっていて、さらにそこの駐車場としても利用できる向かいのドライブインの名前がおよねであることに歴史がうかがい知れるくらいか。一番南の寺(玉泉寺)は本堂の裏の山道も参道化していて山登りと一緒に信仰も深められるのだけど、最近は熊の出没も多いので最近の観光地としてはあんまり勧められない。さらに北の方には岩手で一番古い地ビールである銀河高原ビールが建てた工場とリゾートホテルがあったんだが、ビール蔵はブランドごと沖縄の会社に身売りして現在では非公開だし、ホテルも閉業している。
サブカル的には六三四の剣の合宿地がこの近辺で、"ほっとゆだ"から湯本温泉に向かう時に必ず通る鉄橋は合宿でランニングをする扉絵の場所として使われたことがある。その他これは噂だがワシャエ森(鷲合森)という地名がこの近辺にあるところから、三田紀房の出世作"クロカン"の舞台となった鷲の森高校のモデルはこの地域に唯一ある高校ではないかと囁かれたことがある(最近までこの高校は地方大会1回戦負けの常連として知られていたが最近それを覆す成績をあげている)。
日帰りで行く場所ではないが、この地域の県境には北東北で最も登るのが難しい山とも言われる和賀岳がある。これはNHKBSのグレートトラバースで2度ほど紹介された。
美しすぎた。
アートすぎた。
そんなことは知っていたはずなのに、
圧倒されてしまった。
美しすぎる。
一度見に行ってみたいとは思っていた。
ストリップとは一体どういうものなのだろうかという好奇心が湧いていた。
ただ単にエロい事がしたい気分だった。
(実際には門戸は無い、なんなら目隠し用の暖簾すら無い。)
1時間後、俺が目にしたのは、
激しい音楽に合わせ、全裸で、プロダンサー顔負けの表現をしている姿だった。
(後に聞いた話ではステージのライティングや音楽など、演出はすべて自分で考えて行い、小道具や衣装も自費で買い揃えているらしい。(バケモノか。))
俺は今日、いやらしいものを観ようという気持ちで劇場へ向かったのに。
ただ単にエロい事がしたいだけだったのに。
まさか岡本太郎展を鑑賞したときと同じ気持ちで帰らされることになるとは思いもしなかった。
とにかく俺は、その芸術性に圧倒されていた。
人生経験として一度は観劇しておくべきだろうと思うくらいには高度な作品群であったよ。
おすすめする。
近場にストリップ劇場があって行ったことのない人はぜひ行ってみるといい。
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二次創作についてガイドラインが出てなくて許可取りしてなくても「自己責任でどうぞ」と「あくまでその行為をそそのかすことになる」言動をとる人たちがいるが、
この根拠を親告罪であることに求めているなら、それは上記で列挙したような器物損壊や名誉毀損に対しても「自己責任でどうぞ」と言ってよいとするのと同じだ。
物を壊す、人を侮辱するというのは典型的な「非倫理的なこと」平たくいえば「悪いこと」だ。つまり「悪いことをそそのかしている」ことに他ならない。
悪いことをしようとしている人に対してかけるべき言葉は「自己責任でどうぞ」ではなく「自分で責任をとれたとしてもやるべきではない」だろう?
某増田へのブクマで「私的自治の原則」を挙げて反論した気になっている人がいるが、親告すれば罪になりうる内容の二次創作は刑法犯としての性質を持つものなのに、民法の原則を挙げるのはちゃんちゃらおかしい。
「犯罪行為に対してはその被害者が赦していることが起訴しない絶対的な理由にならない」というのもまた法学のきほんのきだと思うのだが…。
創作の「意義」とやらを掲げて、非親告罪としての権利者が認めているか不明な二次創作の実行を擁護するなら、刑法175条にふれるわいせつ図画にも意義がないとはいえないでしょ。あるいはそれと比べ「二次創作」の方がどれだけ意義で勝っているといえるのだろう?
創作の意義を云々するなら、ストリップも文化的意義がないとは言わせないぞ。でも過去に上野のストリップが公然わいせつで捕まったな(これは、、被害者=劇場の観客が許していようが起訴しない理由にはならない例でもある)。
意義なんて曖昧なものを掲げるほうが、かえって法律上の不条理を浮き彫りにしてしまう。あるいは、二次創作の方がわいせつ図画やストリップより意義が大きいとみなされているから、後者2つと違って親告罪とされているのだろうか?
どれも「表現」には変わりないはずなのだが、その意義に差があるとでもいうのだろうか?どうせ、いやらしい方が意義が低いはずだみたいなステレオタイプにあてはめて判断しているだけで、理路整然とした説明は出来まい?
身もふたもない言い方すれば、自分たちの大好きな二次創作だから「好きだから意義深いはず」って信念だけだよね。それ、無修正エロ漫画が好きな人だって同様に思ってるはずだけど、(少なくとも創作側は)悪いことだと認識して我慢してるんだよ(読者側はしらん)。
結局この複雑な状況に出すべき結論は「お上が法律で違法と言っている」ことをそそのかすのは悪いことなんだよ。「自己責任で」と枕詞をつけることが免罪符になるわけでもない。
その証拠に「自己責任でなら無修正で性器ぱっくり図画出していいよ」「自己責任でストリップ劇場開いていいよ」って言うのははばかられるだろ?そういうこと。
こんなん匿名じゃなきゃなかなか書けないよね
たまにオナニー的に紹介文書きたくなる欲求をここで発散しようと思う
日本のVTuberの創成期に人気で、ネタ的にVTuber四天王(五人)の一人とされていた人。引退済み。
音楽活動は完全にソニー絡みのプロデュースで、一時期かなりソニーから推されてました。
ただいわゆる「中の人」が元々のファンにはバレバレだったらしく、元々Vに勝るとも劣らない人気があったっぽい。
運営側と反りが合わなかったのか、はたまた飽きたのか、人気はあったが数年?程度で輝夜月としての活動は事実上終了している模様。
大手事務所「にじさんじ」の代表格の人気VTuber。委員長。
リアルに美大出身でネットネイティブ世代のサブカルに詳しく、初期の頃は自身の「人生でやりたいことリスト(人生で一度はストリップ劇場に行ってみたいとか)」を一個ずつ消化して、それを配信で自身で描いた絵を使ってレポするという面白い事をやってました。
(コロナ禍で頻度は激減。いまでもたまーーーーにやってる…のか?)
そもそもVTuberのオーディションに応募したのも人生経験的なネタストックのためのサブカル的興味からだった模様(本人は落ちると思ってた)。
今やにじさんじを追い抜いたと言っても過言ではない大手事務所「ホロライブ」。
星街すいせい、通称すいちゃんは当初はいわゆる個人勢で、キャラクタデザインも自作。途中から紆余曲折の末ホロライブに加入しています。
すいちゃんは歌姫ではなくアイドルを志してVTuberになったというだけあり、ホロ内でも特技であるテトリスの超絶プレイを駆使した配信をしたり、「武士街」という名前で「武士の言葉縛りでゲームしながら喋る」のネタ配信をしたりと、アイドルVTuberとしての活動も地道に行っていました。最近は流石に多忙のためか配信頻度自体少なくなりましたが。。
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