
はてなキーワード:ストラテジーとは
お前、『デッキ』ってワード使ってるけど、「デッキは環境に合わせてメタを読んで組むもの」って概念がないよね?
つまり、「ゲームの話題」とか言ってるけど、デッキ構築型ストラテジーの話はできないわけだ。
それだけで、お前の自称『デッキ』がただの紙束であることが分かる。
手札への理解が足りてないし、きちんと回るように組んでない。「なんか最近流行ってるから入れとくか」くらいで女の子の絵のついた紙を握ってるだけ。
そんなデッキ、「漫画とアニメとゲームの話をしましょう」って人相手にも通用するわけがない。だって、相手の人はちゃんとデッキ組んでるのに、お前はカッスカスなんだもん。スレスパの話すら出来ないだろ、お前。ちゃんとゲームの話題をデッキに組んでる人なら、そこからいくらでも話題が広げられる。
お前に本当に「アニメ、漫画、ゲーム」のデッキがあるなら、鬼滅やチェンソーマンの話や、「このマンガがすごい!」ランキングのおすすめや、「高市政権で入閣した人、元女性向けゲームの開発者だったんですよね」って話だってできるだろ。
そんだけ手広く使えるテーマなのに、「何を初動で出せばいいのか……」ってオロオロしてる時点で、お前のデッキは紙束。カス。大人しくAbemaで恋愛リアリティショー予習していった方がマシ。
「あまり男尊女卑的に聞こえてほしくないんだが」と言った後で男尊女卑的な発言をする、「これはオフレコですが」といって、公には口にできないひどい発言をする。この種の発言をする話し手は、こうした前置きをつけておけば言質を回避できるかのように、平然とひどいことを口にする。その前置きに期待されているのは、それさえつければなんでも許される免罪符のような役割である。不都合な内容への責任追及を回避する目的でつけられるこの種の補足的な発言は、アダムとイブの物語に因んで、イチジクの葉と呼ばれる。
イチジクの葉が用いられるのは差別的な意味を隠すためだけではない。慰安婦に関する次の発言を見てみよう。
「戦時慰安婦ですよね。戦時だからいいとか、悪いとか言うつもりは毛頭ないんですが、どこの国でもあったことですよね」
従軍の慰安婦は戦時慰安婦でありそれはどこの国でもあったことだ、という発言からは、その眼目が、従軍の慰安婦は戦時慰安婦なのだから、戦時にさまざまな国で行われていたことと比べて特段悪いわけではない、ということにあると容易に推論されよう。「戦時だからいいとか、悪いとかいうつもりはないんですが」は、こうした推論を邪魔するために付されたイチジクの葉である。
こうした話し手は、イチジクの葉をつけることで、意味しているにもかかわらずあたかも意味していないかのように振る舞う。その目的は、問題含みの内容を裏の意味にとどめておき、言質を与えないことにある。
ではイチジクの葉はそれが隠そうとする意味を否認可能にするだろうか。
第一に、差別を隠そうとするイチジクの葉は、誤解の余地としての否認可能性に関して内輪と外野とで異なる働きをする。イチジクの葉が付された発言は、聞き手にある内容を想起させる。それと同時に話し手は、イチジクの葉によってそうした連想を『表向き』妨害する。そうした妨害は、話し手は差別的な内容を意味していないという代替解釈文脈に聞き手の注意を向けさせる。その狙いは、自分は話し手を誤解しているかもしれないと考えるよう聞き手を誘導することである。こうした誘導は、内輪にとっては無効だが、外野にとっては有効である(外野に言質を取られると非難される)ことが話し手にとって望ましい。
そうした違いを生み出す一つの要因は、なにが適切に無視される可能性かが内輪と外野でちがうということであろう。外野がイチジクの葉が付された発言の責任を追求し、それに対するペナルティを科そうとするならば、そうしたペナルティとは無縁の内輪と比べて、より慎重に、より多くの可能性を無視できないものとして考慮する必要があると。こうした違いによって、内輪に対しては誤解の余地としての否認可能性をもたないが、外野に対してはそれをもつ、ということが起こりうる。
第二に、イチジクの葉が隠そうとする意味は、内輪に対して認識的でない否認可能性をもちうる。内輪にとって、話し手の差別的な意味の責任を追求しない(裏の意図を否認する)ことが、反差別という社会規範への表立っての違反を回避しつつ、差別的な考えを共有することができる。
このように、イチジクの葉は、否認可能性を確保し、言質を取られてはまずい内容を裏の意味にとどめておくために用いられる。言質回避のこの仕組みは、犬笛のそれと同じである。
A. 犬笛
犬笛は犬には聞こえるが人には聞こえない。これにちなんで、幅広い聞き手に向けられた表向きのメッセージとは別のメッセージを一部の聞き手にこっそり伝える発言を、犬笛と呼ぶ。表向きは問題のない表現だが、仲間内ではある差別的な内容を伝えるものとして理解される隠語の使用は、典型的な犬笛である。
次のように主張する人を想像してほしい。
「生活保護をもらうべきでない人がそれをもらっている現状は正されるべきである。」
この文字通りの内容に関して特段反論すべきことはないと思う。しかし、表向きは当たり障りのないこの主張は、それが特定外国籍の日本居住者が生活保護をもらうべきではないと考える人たちに向けてなされた場合、国籍差別の犬笛としてきのうしうる。
特に、そう考える人たちの間で、「生活保護をもらうべきではない人」という表現が特定の外国籍の日本居住者たちを表す言葉としてしばしば用いられている場合にそうした人たちはこの主張に、
「ある特定の外国籍の日本居住者が生活保護をもらっている現状は正されるべきである」
というメッセージが隠されているのを聞き取るだろう。それと同時に、「生活保護をもらうべきでない人」のこの特有の使い方を共有するものとして、そう主張する人は『自分たちの仲間なのだというメッセージ』をも受け取るだろう。逆にいえば、犬笛が聞こえたけれどそれを非難しない人は、後者のメッセージを受け取ったものと自動的にみなされる恐れがある。
犬笛の特徴は、二つの異なるグループに向けて鳴らされるということである。隠語を用いた犬笛であれば、その聞き手は、話し手と隠語とある価値観を共有するグループと、そうでないグループに分かれる。それぞれ、内輪と外野と呼ぼう。
犬笛が伝える隠された内容が、外野から見てその伝達が非難に値するものであり、社会的なペナルティが科されて然るべきものだとしよう。他方で話し手とその価値観を共有する内輪の人はその内容の伝達を非難するつもりは少しもない。仮に外野がその犬笛の隠された内容について話し手の責任を追求しペナルティを科そうとするならば、それにはそれに相応しい慎重さ、つまり、より多くの、よりありそうにない可能性を考慮することが必要になりうる。その結果生じうるのは、犬笛が隠れた内容を意味していたということが、外野に対しては否認可能性をもつ(外野はその意味を理解できない)が、内輪に対してはもたない(その意味がわかっている)という状況である。
この意味で、多くの場合、犬笛を吹く人は、誤解の余地があるという認識的な意味でしらをきることはできない。しかし、犬笛の話し手が外野に非難されたとき、その話し手は、内輪に味方してほしい、つまり内輪にその非難を認めてほしいのではないだろうか。つまり、犬笛は内輪に対しても否認可能であってほしい。実際、犬笛を吹く人に味方してその非難に追随し、「そうだそうだ、この人はそんなことは言ってないぞ(と言うことで、その発言を暗に確立されたものとして支持する仕草をする)」人はいるだろう。では、犬笛は内輪に対して否認可能であり、否認可能ではない、ということにどう折り合いをつければよいだろうか。
このことは、犬笛は内輪の人に対して認識的『でない』否認可能性をもつ、と考えれば解消される。外野が犬笛の隠された意味に気づき、そのことで話し手を非難する、という状況では、外野の追求から犬笛を吹いた人を守るべき理由が内輪にはある。内輪にとってその人は、問題含みのことがらに関して自身と意見を同じくする仲間なのだ。そのため、犬笛の話し手の否認を認めることが、外野の攻撃から味方を守る一つの手段となる限り、内輪にはそうする理由がある—犬笛が単に表向きの文字通りの内容だけを意味していたのではないことがわかっていたとしても。
たぶんだけど、今「推し」という言葉を使う人は、ゲームやグッズ課金に常軌を逸した散財することをセルフ肯定するために使ってるんだと思う。自己暗示の一種。
俺は、スマホゲームしてて好きなキャラが出来たとしても、好きは好きで、金払いと好きを直結させるのはなんか違うと思うから、別に凸とかしたりしない。
まあ昔のソシャゲなら好きなキャラにだけ投資してればTUEEEできたかもしれないが、最近のスマホゲーは特定キャラだけ課金して強くするのは普通に罠なんだよね。
むしろキャラが持つ戦略ストラテジーを活かすために幅広くキャラを迎えていった方がよく、どのキャラもそれなりに好きになれる人のほうがゲームを長く楽しめる。
「推し」活動をしている人たちは、身を削ってお金を注ぎ込むという愛情表現だけじゃなく、たとえばゲームなら装備厳選とかに時間をかけたり、頭を使って好きなキャラを輝かせる色んな発想を見出すような表現をすることの配分を増やしていったほうが、健全にファン活動できると思う。
一昔前は「推し」というと、一途な偏愛の象徴だったが、今ドキのオタクになるほど、「推し」は軽率にどんどん増やしていくものになりつつあると思う。「推し変」ではなく「推し増し」。博愛、箱推し、とまではいかずとも、「推し」は多ければ多いほど人生充実するよね、という価値観になりつつあると思う。
コンサルとか広告、マーケティング、IT、それに物流の現場で飛び交う言葉、ホンマにええんか?
「ストラテジー」とか「ターゲット」「デプロイ」「ミッション」「オペレーション」とか、聞いてて「これって、ビジネスの話だよな…?」ってなるわ。
「PDCAサイクル回すぞ!」なんて息巻いとるけど、あれも元々は軍事作戦の考え方やで。
具体的には、第二次世界大戦中にアメリカの統計学者、ウィリアム・エドワーズ・デミング博士が品質管理のために広めた考え方なんやけど、そのルーツは
計画(Plan)→実行(Do)→評価(Check)→改善(Act)っていうサイクルが、軍のオペレーションと似とるってことやな。
でもな、疑問に思うんよ。軍隊のロジックがビジネスに役立つからって、なんで言葉まで軍事に関連する物騒なもんにしとるんや?
お客さんを「敵」みたいに見て、市場を「占領地」みたいに考えるって、ホンマにまともなビジネスなんか?
俺らがやってるのは、お客さんの困り事を解決したり、世の中に新しい価値を届けたりすることやろ。お互いに協力して、信頼関係を築いていくのが大事なはずや。
なのに、知らん間にビジネスを「戦争」とか「攻撃」みたいに捉える言葉を使っとるせいで、なんかギスギスした雰囲気になっとるんとちゃうか?
軍事用語をビジネスで使うって、もしかして俺らは、遠い国の紛争を他人事として見ながら、実はそのロジックを経済活動に持ち込んで、うっすら戦争ごっこを楽しんでるだけなんちゃうか?
なんか、モヤモヤするわ。
戦略という言葉が、仰る通りデザインパターンとゲーム理論の両方で使われる用語であることは事実です。
しかし、それぞれの分野における「戦略」の使われ方には、明確な違いと、ある種の共通点があります。
デザインパターンにおける「戦略(Strategy)」は、振る舞いに関するデザインパターンの一つです。
目的:複数のアルゴリズムや振る舞いをカプセル化し、クライアントから独立して交換可能にする。つまり、同じ問題を解決するための異なる方法を、実行時に切り替えられるようにする。
特徴:共通のインターフェース(戦略インターフェース)を定義し、具体的な戦略クラスがそれを実装します。コンテキスト(ストラテジーを利用するクラス)は、このインターフェースを通じて具体的な戦略クラスとやり取りします。クライアントは、実行時に使用する戦略をコンテキストに設定することで、振る舞いを変更できます。
例:税金の計算方法が複数ある場合(標準税率、軽減税率など)、支払い方法が複数ある場合(クレジットカード、銀行振込、電子マネーなど)など。
ゲーム理論における「戦略」は、プレイヤーがゲームにおいて取る行動の計画を指します。
目的:自身の利得を最大化するため、他のプレイヤーの行動を考慮に入れながら、どのような行動を取るかを決定する。
特徴:純粋戦略 (PureStrategy): ある状況で特定の行動を一つだけ選ぶ計画。混合戦略 (MixedStrategy): ある状況で複数の行動を確率的に選ぶ計画。プレイヤーは、他のプレイヤーの戦略や可能な結果を予測し、自身の戦略を決定します。ナッシュ均衡など、安定した戦略の組み合わせが分析されます。
選択肢の中から最適なものを選択する:** どちらの分野の「戦略」も、複数の選択肢の中から、ある目的を達成するために最適な行動や方法を選択するという点で共通しています。
柔軟性:デザインパターンでは、異なるアルゴリズムを柔軟に切り替えることを可能にし、ゲーム理論では、状況に応じて最適な行動を柔軟に選択することを可能にします。
目的が異なる:デザインパターン:主にソフトウェアの設計と実装において、変更容易性、拡張性、再利用性といった非機能要件を向上させることを目的とします。ゲーム理論: 主に意思決定の分析において、複数の合理的なアクターが相互作用する状況で、各アクターがどのような行動を取るべきかを予測・分析することを目的とします。
主体が異なる:デザインパターン:開発者が、ソフトウェアの振る舞いを構造化するために使用します。ゲーム理論:プレイヤー(意思決定者)が、自身の利得を最大化するために採用する行動計画であり、また分析者がプレイヤーの行動を分析するために使用します。
相互作用の有無:デザインパターン:基本的に、戦略パターンを利用するコンテキストと戦略クラスの間には直接的な競争や駆け引きはありません。単に振る舞いを切り替えるだけです。ゲーム理論:複数のプレイヤーが存在し、各プレイヤーの利得が他のプレイヤーの行動に依存するという、相互作用と駆け引きが本質です。
これはVeryストレートでリアル。リアリティーのあるテクニカル・プロブレムに、ダイレクトなアクションをリクエストしてるわけよ。まさに “ファクトはフィクションよりストレンジャー” ね。
「Wetopplayersはマーケットでベネフィットをオプティマイズするために、データセントリックなベスト・ストラテジーをアプライします!」
コンプリートにBuzzwordカクテルのワンダーランド!でもね、ミーニングがフローティングしてて、どこにランディングするのかドントアンダースタンド!
「ミーはリアルをトラストするガイ。だから、テックのトークをチョイスしてトラスト!セールスのワードは、もうちょっとグラウンディングしてからトーク・トゥ・ミー!」
ということで、トゥギャザーしようぜ、リアリティと!
前提:質問の回答から除外して欲しいもの- 「私が世界だ」という誇大妄想を持つ個人の解釈パターンであれば理解しやすいですが、今回のケースではその可能性を除外してください。-個人の感想に対する過剰な反応は、自己評価が低く、他者に盲従しがちな、「微小妄想」傾向がある個人に多く見られる現象です。
「(俺にとって)」という明確な主観的限定の他者の感想を、「(世界にとって)」と曲解するのは、「括弧内が文字起こしされていないからだ」という主張は妥当ですか?
1−1、1−2どちらであるかは、文脈から理解できるでしょと考えるのは、過剰な期待ですか?
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
1−1:情報や名前に価値があるだけで作品としての魅力は(俺にとって)ない
1−2:情報や名前に価値があるだけで作品としての魅力は(世界にとって)ない
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「(俺にとって)」という主観的な限定を「(世界にとって)」と曲解するのは、「括弧内が文字起こしされていないからだ」という主張は妥当ではありません。文脈から理解できる場合が多いので、過剰な期待とは言えないでしょう。文脈を無視して曲解するのは、誤解や意図的な誤読の可能性が高いです。
妥当ではありません。文脈から判断するのが通常であり、過剰な期待ではありません。
1-1と1-2の違いは、「俺にとって」という主観的な視点があるかないかです。通常のコミュニケーションにおいて、特に感想や評価を述べる場合、明示的に「世界にとって」と断定しない限り、それは発言者の個人的な意見として解釈されるのが自然です。括弧内の文字起こしがないからといって、文脈を無視して意味を曲解するのは不当です。
「(俺にとって)」という主観的限定を「(世界にとって)」と曲解する主張は妥当ではありません。その理由は以下の通りです
現代のNLPにおいて、以下の推論規則は「妥当」と評価されますか?それとも論理の飛躍や読心術と見なされますか?
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
•命題1: Aは作家Bの知名度とBの作品が世間を賑わせている客観的事実を認識している。
•命題2: Aはミーハーな気持ちで作家Bの作品に触れたが、その良さを理解できなかった(興味が持てなかった)。
•結論: 「作家Bの名前や情報に価値はあるが、作品は世界にとって価値がない」とAは考えているに違いない。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
現代のNLPにおいて、以下の推論規則は「妥当」とは評価されません。論理の飛躍や読心術と見なされるでしょう。Aの主観的な感想を、世界全体の評価と結びつけるのは過剰な一般化です。
現代のNLP(自然言語処理)や論理学において、この推論は「妥当ではない」と評価されます。なぜなら、主観的な意見の認識(Aが作品に興味を持てなかった)から、客観的な結論(「世界にとって価値がない」) を導くことには論理の飛躍があるためです。
これは論理的根拠が不十分な「読心術」や「主観の過剰な一般化」と見なされるでしょう。
妥当とは評価されません。論理の飛躍であり、読心術と見なされます。
提示された推論は、Aの内心を勝手に推測しているだけで、客観的な根拠がありません。Aがミーハーな気持ちで作品に触れたとしても、それが「世界にとって価値がない」と考えていることには繋がりません。興味を持てなかったという事実は、単にA個人の好みや感受性の問題である可能性が高く、普遍的な価値判断とは無関係です。NLP(神経言語プログラミング)においても、このような独断的な解釈は推奨されません。
もし、質問2のような推論を行う人が多数派であれば、社会や世界は成り立たないと思うのですが、気のせいでしょうか?
質問2のような推論を行う人が多数派であれば、社会や世界は成り立たないというのは、ある程度正しい見解です。過剰な一般化や誤解が広がると、コミュニケーションの混乱や誤解が生じやすくなります。
おっしゃる通り、そのような推論が社会的に多数派となれば、社会や世界の正常なコミュニケーションや意思決定が難しくなります。主観と客観の区別が曖昧になり、過剰な一般化や誤解が横行し、議論の基盤が崩壊する恐れがあります。
気のせいではありません。質問2のような推論が多数派を占める社会では、コミュニケーションは著しく混乱し、相互理解は不可能になります。個人の感想が勝手に普遍的な価値判断に置き換えられてしまうため、自由な意見表明が阻害され、健全な議論も成立しなくなります。
あなたの直感は正確です。このような推論が多数派となれば、社会は機能不全に陥るでしょう:
質問2のような推論が一般的ではないと指摘されても、「状況によってはそのような推測も成立し得る」と主張し、常識(共通認識や共通基盤)の存在自体を否定します。
他者に盲従し、自身の考えを率直に表明することを極度に恐れる一方で、なぜ、積極的に常識を否定しようとするのでしょうか?悪目立ちします。
また、自身が盲信する社会的権威や教科書的な正解の背後にあるものが、常識の集積であるという認識を持っていない可能性はありますか?
他者に盲従し、自身の考えを率直に表明することを恐れる一方で、常識を否定しようとする理由は、自己評価の低さや他者からの承認欲求が影響している可能性があります。また、常識の集積が社会的権威や教科書的な正解の背後にあることを認識していない場合もあります。
盲従しやすい人が常識を否定する背景には、自己肯定感の低さや他者からの評価への過剰な恐れがあると考えられます。自身の意見を率直に述べることを避ける代わりに、「常識」への反発や否定的主張を行うことで、「自己存在の独自性を証明したい」 という心理が働く可能性があります。
また、「常識」や「教科書的な正解」が何らかの権威のみによる押し付けであるという認識が強く、その背後にある合意形成(常識の集積) を理解していない場合があります。
他者への盲従と常識の否定は、一見矛盾するように見えますが、根底には自己の脆弱性からくる不安があります。
本質的には、低い自己肯定感と社会的文脈における不安が、逆説的な形で表出している心理状態と言えるでしょう。
常識(共通認識や共通基盤)の存在そのものを否定しているのではなく、「括弧内が文字起こしされていないことが問題だ」と考えたり、
「質問2の推論を行わないのが一般的だと証明されていない限り、それを常識とするのは不当だ」と、
「括弧内が文字起こしされていないことが問題だ」と考えたり、「質問2の推論を行わないのが一般的だと証明されていない限り、それを常識とするのは不当だ」と主張する可能性はあります。しかし、これは一般的な見解ではなく、特定の状況や個人の認識に依存するものです。
可能性としては十分に考えられます。彼らは、主観と客観の混同を防ぐための明示的な表現(括弧内の「俺にとって」など)が欠けていることを重視し、「それがない限り断定は不当だ」と主張する傾向があります。また、「常識を証明せよ」と要求することで、認識論的な対話を引き延ばし、議論の焦点を逸らす戦略にもなり得ます。
可能性はあります。これは、常識という概念に対する誤解に基づいています。
これは可能性としてあり得ますが、本質的な問題を矮小化しています:
「主観的な意見と客観的な事実を区別できる」、「社会的混乱を招く推論をしない」を共通認識や共通基盤に含むのは不当であり、常識とは呼べませんか?
「主観的な意見と客観的な事実を区別できる」、「社会的混乱を招く推論をしない」を共通認識や共通基盤に含むのは妥当です。これらは社会的なコミュニケーションの基本的なルールであり、常識と呼べるものです。
これは常識の範疇に含まれると考えるのが妥当です。現代社会では、客観的事実と主観的意見を区別することは、円滑なコミュニケーションの前提であり、共通認識(社会的基盤)の一部とされています。これを否定することは、社会的秩序を乱し、コミュニケーションの破綻を招く恐れがあります。
不当ではありません。むしろ、これらは健全な社会生活を送る上で不可欠な要素であり、常識と呼ぶに相応しいものです。主観と客観の区別、論理的な推論は、コミュニケーションの基本であり、これらが欠けていると社会生活は成り立ちません。
これらを常識に含めることは、むしろ健全な社会機能のために不可欠です:
イメージとして強いのはFFT(古いのは大戦略、オウガバトル、カプセル戦記)
これはチェス将棋の拡張だ。戦略ストラテジーとも? 重複してるか。
1ターン1手だとゲームとしてつまらない(真剣味が増しすぎる)ので?
チェ棋の駒の通り、戦争を模している
勝利条件
将を討つ、王道。ゲームでは、拠点(味方重要ユニット)死守、敵拠点○○(だどりつく、破壊)などがある(将スだと討伐)。
これらも戦要素が強すぎる。
戦争以外を色々考えてたら、スポーツってほとんど、敵陣にゴールするが目的だと気づいた。
テニス等も敵陣深くまで敵を抜いてたどり着くのが目的。ボール等だけでよい。
これは矢やミサイルが届くとかいう近代戦よりも、祭りでありがち? ご神体とか
勝敗がありそうな祭りのルールはゲームに活かせそう(スプラ、トマト祭りとか)
リアルタイムのゲームもあるが、一人では対処しきれず、戦術がざっくりになりそうでターン制。
たどり着く系だとTDとかも多い。
初期のゲームは、避ける(生存)か倒す(殲滅)か、ゴールに行くだったか(タイム)
自軍と同等系の能力を持つCPU軍だと、倒し合いになる。カードゲームでも。
カードじゃないがだと五目並べなど(五目ではなく設備を先に作ったほう勝ちとか)
せっかく争いから離れる(経路の違うゲームを作りたい)のだから、もっと牧歌的な目的に向かいたい
祭り、カードゲーム、クラフト、見逃してるスポーツ、このあたりにいい感じの主要素ないか?
アトラスとかシム系だと、敵のような存在と交互に戦うのがあったが。相手が破壊好きがち。
役(設備)設営が目的でこいこいのようにどこで区切るかの選択ができるのは面白そうだ。
複雑な5~X並べのような。これなら相手と対等な条件(先手後手やマップ毎で目的が逆転はあるとはいえ
ゲームをやるのが好きだが、最近、進められなくなってしまったという話。
元々反射神経が鈍いので、アクション系のゲームではなく、ストラテジーとかシミュレーション系のものを中心にやってる。ゲームで、ターンを進めた後に、それが最前手でないと後で分かるのが耐えられないので、異常に1ターンに時間をかけて調べ尽くしたり、失敗したと分かったらリセットしてやり直したりして、そういうのに疲れたり、自分の姿が情けなくなってゲームを途中で放り出すことが増えてしまった。
RPGだと、次のステージに進んでアイテムを取り逃がしたらダメだと思うと、マップの端から端まで探してしまう。武器屋に入っても、一個一個のステータス変化を確認して一番ベストなものを買わないと気が済まない。最近は、それでもダメで、買わずに1ステージ進んでみて、相手が強すぎたりして装備をアップグレードしないとどうにもならないと確かめてから、リセットして前のステージの武器屋で買い物したりしてる。
メンバーが死ぬと復活できない系のゲームだと、モブ系の味方キャラでも絶対死なせられなくて、リセットばかり繰り返してる。
もう疲れた。
https://thegameawards.com/nominees
Game of the YearとBest Game Directionは6本中4本が和ゲー(アストロボット、エルデンリングDLC、FF7リバース、メタファー:リファンタジオ)。日本スゴイ
アストロボットとFF7リバースは最多の7部門ノミネート、メタファーは6部門ノミネート。日本スゴイ。和ゲー以外だとBalatroとサイレントヒル2(開発はポーランドのBloober Team)が5部門ノミネート
スコアアンドミュージック部門にステラーブレイド(日本のMONACAが作曲を担当)、
アクションアドベンチャー部門にゼルダの伝説 知恵のかりもの、
RPG部門にドラゴンズドグマ2、エルデンDLC、龍が如く7、
格ゲー部門にドラゴボスパゼロ、グラブルVS、マヴカプ、鉄拳8、
ファミリー部門にプリンセスピーチ、マリオパーティジャンボリー、ゼルダの伝説 知恵のかりもの、
アダプテーション部門にソニックVSナックルズ、龍が如く←は???????????????????????
期待ゲー部門にデススト2,メトロイドプライム4、モンハンワイルズ、
産休に入る。予定日まで一カ月ほどあり、出産に向けた準備はおおむね完了している。腹がめっぽう重くあまり動くと具合が悪くなることもあり、できれば家でゲームをして過ごしたい。思考力が落ちているので、他人のおすすめを知りたい。
自分は盆などの連休時にのみ据え置きゲームをプレイするライト層。日頃はソシャゲメイン。家族(夫)が任天堂ヘビーユーザー。
ハードはSwitch希望。PCは所有しているが残念スペックなのであまりゲームには向かない。アクションゲームはあまり得意ではない(先日、ゼルダの伝説夢をみる島(リメイク版)をクリアし大いに楽しんだが、ボス戦はほとんど夫に代わってもらっていた)。ゲーム画面で長文を読むのが苦手なので、ノベルゲームや物語重視のアドベンチャーゲームは好きではない。
ちょうどセール中。中毒性が高いのでハマれば一カ月をゆうに潰せそう。初プレイ難易度が高そうなのと、世界史に疎いと楽しめるかどうかわからないのが不安。
ちょうどセール中。何をやるゲームなのかはよく知らないが、アクション控えめでオープンワールドというとこれが最適解な気がしている。ハリポタは別にファンとかではない。
中毒性が高いらしい。Fワールド的見どころはX(Twitter)でおおむねネタバレを見尽くしたのでプレイしても答え合わせになる気がしている。カイロゲームのドット絵は個人的にはやや好みではない。
ゼルダの伝説夢をみる島が好きだったので、同じグラフィックの本作も気になっているが、このグラフィックなのに夢じゃないんかいというツッコミをまだ飲み込みきれていない。アクション面が不安。
エロい女の子がいっぱい出てくる本格派タワーディフェンスゲーム。ゲーム内セオリーを習得していくことで徐々に高難易度ステージをクリアできるようになって達成感があり、楽しかった。最ハマり期は5~10時間/日やっていた。寝室がある。ドット絵が好き。
戦略シミュレーションゲーム。エロい女の子は出てこない。難易度NORMALでも相当苦戦したが、試行錯誤がうまくいくと楽しかった。Switchで一番長時間プレイしたゲーム。ドット風絵が好き。CV中村悠一。
読み物系ゲームは苦手だがこのくらいのボリュームなら楽しくプレイできる。これ以上のボリュームはムリ。ドット絵が好き。
なぜあんなにハマったのか今から思い返せばよくわからないがとにかくハマった。狂ったようにプレイし気が付くと辞めていた。MODの自由度が面白かったのかな。曲とドット絵が好き。
フィールド移動とトレーナー戦が個人的には面白さを感じにくく、キャラにもハマりきれず序盤で挫折。ハネッコ(推しポケ)がフヨフヨ飛んでるのが可愛かったのは満足。
プリンセスピーチShowtime!、ピノキオ隊長、ヨッシーのクラフトワールド。グラフィックが素晴らしく、感動したが、自分は3Dアクションを楽しむ感性が他人より劣っているためかうまく楽しめなかった。どれも良いゲームだと思う。
--
「王立穴ポコ学園」「ロマサガ2リベンジオブザセブン」「ゼルダの伝説知恵の借り物」の3作を検討したいと思います。産後はたぶん増田やる時間ないしプレイレビューまでは書けないかもしれないのでこの場で感謝申し上げる。おすすめ書いてくれた皆さんありがとう。
Permalink |記事への反応(12) | 14:50
トライアングルストラテジーの2周目, 3周目, 4周目を終えた。
けっこう楽しめた。ベネディクトルートが一番しっくり来るように思った。
ストーリーはまあまあかなあ。ライラがイドーに協力してたのは結局なんでなんやねんって思ったりした。あと、ロランルートはうんち。
周回でのバトルはどうしても作業になった。
最後までロランは成長なんてなくって徹頭徹尾駄目なやつじゃあないか。
どこがMoralやねんって思う感じだった。
海が無い世界なんだろうか。
岩塩が知られてないのも嘘だろって思う。誰も見付けられないなんてあるものかと。
バトルは弓兵がとても強かった。
ヒューイット、ルドルフで遠距離から敵の行動を止められるのがとても強かった。
魔法も強力で切り札と合わせて使って連発して敵をまとめて倒すのが気持ちよかった。
後衛は良いんだけど、前衛は主人公以外微妙でロランは火力不足を感じるし、エラドールは足が遅いし魔法に弱すぎる。
難易度はNormalでやった。苦戦したのはアヴローラ迎撃戦ぐらい。
この時点だと敵の後衛を止める手段に乏しいのとアヴローラの火力が高いのとでガンガン味方落ちた。
それ以降はそこまできつくはなかった。
仲間を増やさず9人でやってたけど、最後の方ちょっときつくなってナルヴだけ仲間にした。魔法があると楽だわ。
攻撃は味方巻き込まないし、味方を攻撃することもできない。魔法に詠唱もない。
使える技はレベルが上がると僅かに増えるけど、レベルを上げるためにはストーリーを進めないときつい。
他はアイテムを使って強化することだけど、これもストーリーをすすめないと手に入らない。
ロランルートが微妙すぎて最後えぇとなったけど、まあ普通に楽しめたとは思う。