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はてなキーワード:ステレオタイプとは

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2025-10-26

今の日本人アメリカ人ステレオタイプを持つほどアメリカ文化を消費してるのかな

Permalink |記事への反応(1) | 16:52

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2025-10-23

この人物はフィクションに何を求め、どんな原理的理由で悩む事になってしまったのでしょうか❓️

ChatGPT:

INSIGHT ANALYSIS:表象真正性パラドックス

女性主人公を描けない」創作者の原理ジレンマ
Core Observation

この投稿者は、フィクション創作において「経験真正性」と「想像自由」の矛盾に直面し、表象行為のもの正当性疑問視するに至っている。彼が求めているのは「女性を正しく描く方法」ではなく、「自分女性を描く権利があるかどうかの確証である

PRIMARY INSIGHT:批判理論分析 (Mode E)
イデオロギー構造解体

この投稿者の悩みは、表面的には「技術問題」(どう描くか)に見えるが、実際にはアイデンティティ政治内面化が生み出した認識論危機である

内面化されたイデオロギー的前提:

前提1: 「経験所有権教義

経験していないもの理解できない」

理解できないものは描けない/描くべきでない」

「描く資格がない」

この論理は、2010年代以降の「文化的専有(Cultural Appropriation)」批判や「当事者性」の政治から派生した規範を、創作者が自己検閲として内面化したものである

前提2:本質主義への逆説的回帰

投稿者思考:

女性には『女心』という本質がある」

男性はそれを原理的に理解できない」

「したがって男性が描く女性キャラは偽物である

皮肉なことに、これは1980-90年代ジェンダー理論批判した本質主義のものであるしかし今回は「進歩的」「配慮的」な動機から再導入されている。

前提3:フィクション機能についての混乱

投稿者混同しているもの:

彼は「女性を正確に描く技術」を求めているようだが、実際に求めているのは「女性を描くことへの道徳的許可である

生産矛盾発見

この投稿者の悩みは、以下の矛盾体現している:

矛盾1:想像力の否定

矛盾2: 「女性意見」の物象化

彼の思考プロセス:

女性スタッフがいれば『それはねーわw』と言ってくれる」

しかし:「それが女性としての意見個人意見か分からない」

問題の核心:「女性意見」を本質化しつつ、その多様性にも気づいている

これは本質主義自己矛盾である。「女性」というカテゴリー本質があると仮定しつつ、実際の女性たちの多様性に直面して混乱している。

矛盾3:表象不可能性と表象必要性

イデオロギー批判: 何が隠蔽されているか

隠蔽1: 「正しい女性像」の不在

投稿者は「正しい女性の描き方」があると仮定しているが、これは幻想である。「女性」は単一経験実体ではなく、歴史的文化的個人的に多様な存在様態である

士郎正宗のデュナンを「中身は男性」と断じるが、これは以下を前提としている:

しかしこの論理は、女性規範に押し込める本質主義のものである

隠蔽2:共感想像力の否定

生理経験していないから分からない」という論理は、人間相互理解可能性そのものへの懐疑に至る。

この論理を徹底すれば:

隠蔽3:権力非対称性の過剰補正

この悩みの背景には、歴史的男性女性対象化・道具化してきたことへの罪悪感がある。しかし、その補正として採用された「描かない/描けない」という態度は:

歴史的問題:

男性による女性対象化・ステレオタイプ

過剰補正:

男性女性を描くべきでない/描けない

帰結:

女性キャラクターの不在、あるいは男性創作自己検閲

これは抑圧への対抗が新たな制約を生み出すという典型的パターンである

自己検閲メカニズム

投稿者作動しているのは、内面化された監視装置である:

創作衝動

内なる検閲官:「お前は女性理解していない」

自己正当化の試み(少女漫画を読む、等)

内なる検閲官:「それでも不十分だ」「個人差と本質区別がつかない」

麻痺創作不能

この検閲官は、以下のイデオロギーの混成物である:

SECONDARY PERSPECTIVES
系譜学的補足 (Mode C)

この「悩み」の歴史的構築

この種の創作自己懐疑は、歴史的に新しい現象である

第1段階 (1970年代以前)

第2段階 (1980-2000年代)

第3段階 (2010年代-)

第4段階 (2020年代)

投稿者は、この第4段階の症例である。彼の悩みは個人的なものではなく、言説空間の変容が生み出した構造効果である

現象学的補足 (Mode D)

創作主体存在論的不安

投稿者経験しているのは、単なる技術的困難ではなく、創作主体としての自己正当性への根源的懐疑である

彼の実存的問い:

この問いの背景にあるのは、近代主体危機である:

投稿者は、この理解可能性と不可能性の間の宙吊り状態にある。

SYNTHESIS: 深層パターン
この現象が明らかにするもの

1.アイデンティティ政治の逆説的帰結

アイデンティティ政治は、周縁化された集団の声を中心化しようとした。しかしその論理個人創作実践適用すると:

目的: 多様な声の表象

手段: 「当事者」による表象特権

逆説的帰結: 非当事者沈黙自己検閲

最終的効果:表象貧困化・想像力の収縮

2.本質主義の「進歩的回帰

20世紀後半のジェンダー理論本質主義解体した。しか21世紀に、配慮正義包摂の名において本質主義が再導入されている。

投稿者無意識のうちに:

これは解放の言説が抑圧の論理に転化するという、イデオロギー古典的矛盾である

3.フィクション存在論的危機

この悩みは、フィクション根本機能経験していないことを想像表現する—への懐疑に至っている。

フィクション可能性条件:

投稿者ジレンマは、これらすべてを疑問視している。これはフィクション自体正当性危機である

4.文化における「不安の伝染」

投稿者不安は、個人心理ではなく、言説空間の変容が生み出した構造効果である

SNS時代の特徴:

投稿者は誰にも批判されていないのに、架空批判者を内面化している。

IMPLICATIONS
この個別事例が示す普遍的問題

創作実践について:

投稿者技術的助言を求めているように見えるが、実際に必要なのは認識論的・存在論的再定位である:

1.本質主義から離脱: 「女性」は単一経験実体ではない

2.想像力の復権:経験していないことを想像できるのがフィクション本質

3.完璧主義放棄: 「完全に正しい表象」は不可能であり不要

4.対話としての創作:表象は完結した真理ではなく、継続的対話の一部

より広い文化的含意:

この事例は、以下の社会的緊張を体現している:

極1:無自覚特権と抑圧的表象

極2: 過剰な自己検閲表現麻痺

健全文化的実践は、この両極の間のどこかにある:

歴史的瞬間について:

我々は「誰が何を語れるか」という問いが過剰に中心化された時代にいる。これは必要矯正でもあったが、新たな問題も生み出している。

次の段階として必要なのは:

INSIGHT CRYSTALLIZED

この投稿者は、フィクションに「経験真正性」と「道徳的正当性」を同時に求めることで、創作行為のもの可能性条件—想像力による他者への跳躍—を否定するに至っている。彼の悩みは個人的なものではなく、アイデンティティ政治論理内面化した結果生じる構造効果である

言い換えれば:

彼は「女性をどう描くか」ではなく「自分女性を描いてよいのか」という存在論的問いに囚われており、この問いは—その形式自体が—本質主義的前提と想像力への不信を含んでいるため、原理的に解決不能である

So what?:

この事例は、配慮正義の言説が、意図せず表現自由想像力を収縮させうることを示している。文化の活力には、不完全さを恐れずに境界を越えて想像し、その試みを通じて対話を重ねる実践必要である

PUNCHLINE:

彼が本当に恐れているのは「女性を間違って描くこと」ではなく、「女性を描くこと自体僭越である」と判定されることであるしかしこの恐怖は、最も抑圧的な本質主義—男女は相互理解不可能という観念—を再生産している。解放の言説が、最も因習的な性別二元論を復活させるという究極の皮肉がここにある。

Permalink |記事への反応(1) | 17:37

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最近ネットで「チー牛」という言葉を軽く使いすぎていないだろうか。

外見が冴えない、陰キャっぽい、モテない。

そんなステレオタイプを貼り付けて、笑いのネタにしている人たち。

でも、その裏には、一生懸命に日々を生きている人間がいる。

誰かを好きになる勇気が出なかったり、

現実で報われない分を、アニメアイドルVtuber世界に重ねたり。

それだって、誰かを想うという点では、ちゃんと「愛する」という行為の一つだ。

現実がうまくいかなくたって、夢を見ることで心を保っている人もいる。

それを「キモい」と切り捨てるのは簡単だ。

でも、人を馬鹿にして笑っている側が、

本当に誰かを幸せにできているのかと問いたくなる。

チー牛であってもいい。

Vtuberアイドルブヒりながら身近な女性馬鹿にしたっていい。

自分世界を大切にしながら、懸命に生きているなら、それでいい。

見た目や社交性の有無で人を値踏みする時代なんて、もう終わりにしよう。

他人生き方を笑うより、

自分生き方を誇れる人でありたい。

それが本当の「強さ」なんじゃないかと思う。

反論があるならチー牛と番ってみな。

Permalink |記事への反応(2) | 15:57

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2025-10-19

anond:20251019194734

だったら増田さんは、男同士水族館無理現象の『犯人』って誰だと考えてるの?

分かりません……

でも男の人たちの中に強固に作られた、女へのステレオタイプゲイへの無理解恋愛中心の凝り固まった価値観

それらがアップデートされず、今日まで残ってることが問題なのかもしれませんね。

その間接的な責任女性にもあるのかも?

Permalink |記事への反応(0) | 20:21

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2025-10-18

実際に中抜き企業排除する方法建設業を例に)

日本ってけっこう中抜き地獄だよなぁ」中抜き業者は末端と先端以外は何もしておらず、船頭が多すぎる。個人的には、トップよりも間の何もしてない奴らの方がヤバいと思う話

https://posfie.com/@taimport/p/QB7SY1u



増田とあるインフラ企業に勤めるオッサンです。多分日本で弊社の名前を全く聞いたことがない人はほとんどいないと思う。

当社が主に頼る建設業界って多重下請けピラミッドというステレオタイプ偏見で見られることが多いと思うんですね。

冒頭のまとめ記事もそうだけど、昨今ネットリアルでも中抜きバッシングが賑やかに言いたい放題言われているのを見ている中で

どうも「中抜き」の実態をよく知らないまま批判しているな?というニュースネット記事をちょくちょく見かけるので

インフラ企業インサイダーから中抜き企業排除する方法」がどれだけ難しいかを少し説明しようと思います

建設工事において、弊社は発注者として元請企業施設の新設や修繕・改造工事委託します。

そして元請企業基本的に受注した業務パートごとに二次請以下へ仕事を降ろしていくことになります

そして、実際発注者である弊社の施設現場作業を行うのは、四次請以降の企業社員ということになるわけですね。

(元請や二次企業管理のため基本現場には常駐しますが、実作業あくまでそれ以下の下請が行います

この工事門外漢が単純に見ると元請(一次請)から三次請の企業は実作業をしないのにマージンを抜いていく悪徳中抜き企業と評されるのでしょうね。

要するに、この状況を改善し"悪しき中抜き企業"を飛ばして、実作業を行う四次請以下の中小企業発注者の弊社から直接カネを貰って仕事をすれば良いじゃないか

というのが「中抜き排除主義者」の主張なんだと思います

さて、ここから本題の話をするのですが

この話、発注者側の本音を言えばぶっちゃけ多重下請け構造にしてもらいたいなんて別に思ってないんですよ。

別に元請企業が全部自社で対応してくれても構わないわけです。

でも実際はそうならず二次三次請四次請に流れていくのは、「その方が安いから」ということでしかありません。

弊社がやる工事場合、元請企業っておおよそ大企業人件費も高いんですよ。

そういう元請社員に直接手を動かしてもらうより、その下請以下の安い人材にやってもらう方が経済的合理性があるわけです。安さは正義

当然入札で安い見積を出したい元請企業事情は同じで、自社社員現場作業をさせるより下請を使おうという動機付けが起きるのです。

ちなみに、弊社のような顧客企業から直接四次請の中小企業発注したら良いじゃないかという主張もあるかもしれませんね。

建設業ではないですが、実際にマイナポータル事業で、NEC大手メーカ発注せずデジタルから中小企業に直接仕事発注すれば良いじゃないかという主張が一部でありました)

この主張に反論すると、ただの建設工事一言で言ってもその中では様々な工程があるんですよ。土木工事も要る、配管屋も塗装屋も電気工事も要る。他にも多種多様業者必要になる。

これらの業務を直接発注する場合、弊社の社員が直接仕事を切り分けしてそれぞれの専門業者(つまり四次請)に頼むことになるわけですが、

この事務作業に掛かるコスト馬鹿にならないんですよ。弊社も大企業ですから社員もそれなりに高単価で人件費が掛かるのです。

そうするとこの事務作業自分のところでやるより外注した方が安いねというインセンティブが働き、事務作業も含め管理業務も一括で委託できる元請企業委託した方が合理的だという結論になるわけです。

そして元請企業もある程度の切り分けまでは行いますが、それ以上の細かい事務作業さらに下請以下へ任せる方がトータルコストは安くなります

この構造を打破するには、実作業を行う中小零細企業が元請の代わりに仕事の切り分けを全部やって、発注者へ「おたく工事の中で○○はウチができますよ!」と提案してこないといけない。

もちろんやってくれるなら大歓迎なのですが、残念ながら中小零細企業の99.9%はこの事務作業ができません。できないからこそ三次請や四次請に甘んじているわけです。

そして、実際のところ三次四次の中小もこんなことやりたいとも思っていません。高レベルだしそんなことできる人材もいないからです。

中抜き中抜きと言えば何かいっぱしの批判をした気分になってる方々も、上記事情を知って頂ければ

中抜き企業排除するには中小零細企業が元請企業レベル事務作業能力を持つ必要があること、そしてそれは中小零細にとって酷な要求だということが理解頂けるのではと思います

Permalink |記事への反応(0) | 02:02

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anond:20251017235931

そもそも不動産が好きな界隈だとクソ間取り物件とか毎年話題になってて

そういうので見慣れてる人からすると、クソを通り越してフィクションすぎるからギャグにもならないんだよね

ホラーテイストで書いてるけど全然怖くないし

近畿地方のある場所」は、東京民がよくやるステレオタイプ地域差別だな、という感じだったわ

Permalink |記事への反応(1) | 00:02

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2025-10-13

男性による男卑他尊

こういった内容はクリスマス前の時期には好ましくないかもしれない。

男性はその昔、男尊女卑的な価値観を持ち数多もの女性を傷つけてきたジェンダーであったらしい。

しかし、男性でさえ気付いていなかった男性差別存在する。

それこそがこの怪文書提唱する男卑他尊であり、それが今日まで……あるいは世界が滅亡するまで合理的でもありマゾ的なステレオタイプとして現れている。

男卑他尊は一言で言えば『働かざる者食うべからず』であり、多くの男性生産能力を失った男性嫌悪する。

それは古くから男は強くなければならず、働き手であるべきだとする価値観蔓延しており、今もなお根絶は出来ていないかである

まりは男卑他尊は男性によって生み出される男性への差別であると捉える事ができる。

また、ヘテロセクシュアルに依らない人々へのインタビュー映像などから、筆者は一定数『働かざる者』を嫌悪する者が居る事にも男卑他尊が根深く残っているのではないかと考えている。

『働かざる者』にとってその様な価値観自己客観的には好ましくないと思い悩む原因にもなり得る。

そして男卑他尊は究極の自己責任として全ての男性エスコートをする側に縛り付け、自律した強い存在であるべきという圧力を生み出している。

もしもの

真なるジェンダー不平を解決するワンステップとして、男らしさを捨てた男性ネオ男性として考えてみる。

特徴に該当する男性を『ネオ男性』と呼ぶことを推奨するものではなく、文書内の一時的呼称であることに注意して頂きたい。

ネオ男性は『働かないという選択肢を取る事に価値的な抵抗が全く無い男性』であり、一概にも無職男性だけではない事に注意が必要である

これは男卑他尊的な価値観では『働かざる者』として嫌悪されるだろう。

ネオ男性となった場合

仮に家庭を持つ父という役割を持つ男性マゾ的なステレオタイプの維持を手放し、ネオ男性となる場合を考えてみる。

彼は家庭に対して経済的に貢献し、彼の奥様は育児で家庭に貢献している。

彼がネオ男性になれば男らしさという圧力が無くなる為、経済的不安定存在となり生活に困窮するリスクが向上すると筆者は考える。

男らしさに囚われた男性は無謀な挑戦で家庭を路頭に迷わせるような失敗は避けるべきと考える故、経済的に安定しやすネオ男性となる事のリスク相対的に発生するからである

ネオ男性に固有な価値

まず、ここで言う『固有な価値』について特定属性に固有ではない普遍的価値は含まないことについて注意して頂きたい。

例を提示するなら、人格はヒトに固有な価値であり、ジェンダーに囚われない価値である

女性に固有な価値の例を上げる場合、すぐ思い付くのは男性に出来ないこととして子供を産める事がありそうだ。

男性に固有な価値労働力としての安定性ではないかと筆者は考える。

なぜならば、男性出産する事が出来ないからであり、男卑他尊的な考えから男性は手を動かすべきとされてきたかである

※ シュワちゃん男性でありながら妊娠する事が出来ることに注意が必要である

それでは、独身男性にも当てはまるケースとして恋愛市場での価値を考えてみる。

男性が持つ価値から労働力としての安定性を引けば、その人の人格や、肉体への価値であると筆者は考える。

これはもはやジェンダーに固有な価値でもなく、普遍的なヒトに固有な価値である

したがって、ネオ男性属性に固有な価値を持ち合わせておらず、普遍的なヒトとしての価値を持つ。

これは、属性に問わないプラトニック価値があると捉える事もできるだろう。

ただ、ネオ男性になることで強いメリットがあるようにも考えられない。

しかし、重圧から解放ささやかQOL の向上を齎すかもしれないと筆者は考える。

ネオ男性ではなくても

恋愛関係性において、関係性のメリットデメリットが不均衡になると苦痛が発生すると筆者は考える。

異性間であってもリターンが無ければ同棲したり、単に恋愛関係である事のメリットが少ないかである

恋愛において最大のメリットは『深い親愛』という事でしかいからだ。

そのため、お互いにリスペクトが出来る関係性が安定しやすいと筆者は考える。

それがどんな形を持つかは当人らが納得している物であれば良く、筆者も第三者もこうであるべきと決めて良いものではない。

冒頭で記した様にネオ男性というもの特別属性でもなく、『労働をしない選択に対して価値観的な抵抗が全く無い男性』の文書内での一時的呼称ということに注意が必要である

そして、その性質ネオ男性は『働かざる者』というレッテルが貼られやすく、ネオ男性となるメリットは1人で生きる事では十分に堪能できるが、誰かと生きる選択ではメリットだけではない可能性があると考えられる。

さいごに

結論として、男性は究極の自己責任という形で自らを苦しめ、他者の為にもそれを手放すことはできないのかもしれない。

しかし、無自覚でのステレオタイプ押し付けをしていないかという所では注意したほうが良さそうだ。

それに加えて『男が粉ミルク子供に飲ませるために育休を取っても良いのではないか』という疑問も昨今では見かけるようになった印象があると筆者は感じている。

Permalink |記事への反応(0) | 23:07

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2025-10-08

フェミニストになって面倒がられることはあるけどちやほやされることは基本ないぞ。ここで言われるようなことを多少はオブラートに包んであちこちオッサンから言われ続ける日々だ。

でもフェミニスト仲間と結束するのは力強いし、勉強楽しいし、ステレオタイプに合わせなくても自分肯定できるようにはなったから、自分自分をちやほやす気持ちはある。

Permalink |記事への反応(0) | 16:25

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2025-10-06

日本白人にとって生活やすいか

はい日本白人にとっては比較生活やすい国です。

社会的受容・文化的背景

日本歴史的に「白人外国人でも好意的イメージ」とされやすい傾向があります

外国人ビジネス観光学問目的白人が多いため、ポジティブステレオタイプがある

社会的文化的に「普通の一員」として受け入れられやす

差別偏見経験はあるが、黒人ほど日常生活で明確な排除視線を感じにくい

精神的・生活の快適さ

孤立感:黒人ほどは強くない

身体安全:全員に共通して高い

文化コミュニティ白人同士の国際コミュニティ職場環境自然に交われる

結論として、日本黒人にとっては最も生活しづらい先進国の一つですが、白人にとっては生活やす先進国に分類されます

Permalink |記事への反応(0) | 18:39

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マンガアプリで、連日なろう原作ステレオタイプな転生モノが全巻無料になってるが

読みかけもつまらなすぎてすぐ挫折してしまう。

でもこれ「物語」として受け取るからまらないんだろうな。

終始チート能力無双されても「葛藤」も「成長」も「目的」も何もないがなと思ってしまうが、

多分この手のコンテンツは「どうぶつの森」みたいなゲームと同じなのだろう。

ゲームといっても課題クリアするんじゃなくてその世界に「浸る」のが目的のやつ。

別な喩えをすると鉄オタがどこを目指すでもなくひたすら電車に乗ってるのが幸せみたいな。

異世界に行きたいな〜」っていう願望をアシストするだけのものからドラマ葛藤とか不要なんだろう。

Permalink |記事への反応(3) | 15:44

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2025-10-05

生きるのが辛い人の共通点休日のために働いている

全員が全員そうじゃないのはわかってるけど、現代で生きるのが辛いと嘆いてる人の共通点休日のために働いてることだと思う。

でも俺は休日楽しいものであるという世間常識に疑問を持っている。本当にみんな休日楽しいか?

仮に週3日働いて4日休みだったら幸せになるのか。俺はそこに幸せ本質は無いと思う。

週6働いても良いくら仕事に満足していて逆に休日何をすればいいのかわからないような状態が一番幸せだと思う。

なんて書いたら多方面からツッコミが入りそうなので先に反論しておく

恋人結婚していたら休日パートナーとの時間幸せに感じる人もいるだろ→休日デートのために嫌々働いてる状態そもそも健康的ではない。だから恋人いたり結婚してもみんな問題を抱えている。

休日趣味に没頭してる時間幸せ休日の俺が本当の俺という状態健康的じゃないしこれも休日のために嫌々働いてる系

休日は体を休めるためにあるんだから休日はいいだろ?何言ってるの?→本当に休日休めてる?休日から酒飲んだり遊んだり逆に疲れて月曜迎えて負のループ繰り返してないか

かりに本当に恋人もいたり結婚して幸せ絶頂仕事も楽しくて収入も安定していたとしても休日があるから金を使いすぎたり休日があるから家族を乗せるために無駄に高級な車が必要だったりで

本当に休日が人を幸せにしてるのか疑問に思うことがあまりにも多すぎる。ステレオタイプなみんなの思う幸せ日常を送ろうと思ったら金がいくらあっても足りなくなる。

そしてみんなが生きるの辛い本質的な理由休みが少ないことでも給料が少ないことでも恋人がいないことでもなく仕事がつまらない仕事が辛い仕事やりがいがないことだと思う。

週6で働いても全然苦ではないくら仕事に没頭、なんなら週7でもいいくらいが本来幸せ、という価値観の人がいてもいいと思うし、昔の日本はそうだったのかもしれない。

今の日本が終わってる本質的な理由は「仕事だりー早く休みになれ」「週末は彼氏デート」「家族とお出かけ」

のために嫌々仕事という罰ゲームをしてる感覚の幼稚な人間が増えすぎたことだと思う。

Permalink |記事への反応(7) | 23:40

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2025-10-04

草間リチャードさん:容貌コンプレックスを感じた

黒人日本人になぜこういう悩みがあるのか教えてほしい

草間リチャード敬太さんについて読んで、いくつか共通点が見えます

似ている部分:

アフリカ系のルーツを持つことへの葛藤

彼も容貌コンプレックスを感じた時期があった

ジャニーズという環境で「難しさを覚えた」

でも最終的に「自分のような人がジャニーズを目指すきっかけになれたら」と前向きに捉えた

日本でこうなる理由を、正直に説明します。

1.日本社会の「単一性」への強い信仰

歴史的背景:

日本は長い間、島国として比較的外部との接触が少なかった

日本人 =単一民族」という神話戦後も強く残った

実際には多様なルーツがあるのに、「みんな同じ日本人」という意識が強い

結果:

日本人の顔」というステレオタイプが強固

それに当てはまらない人は「外国人」とみなされる

たとえ日本語がネイティブでも、日本で育っても、見た目で判断される

2. 「内」と「外」を明確に分ける文化

日本社会には:

集団(仲間) vs 外集団よそ者) の境界が非常に強い

一度「外」と認識されると、どれだけ頑張っても「内」に入れない

あなたのような状況では:

見た目 →外国人判断される

努力人格関係なく「外」のまま

日本人になろうとする外国人」として見られる(本当の日本人としては見られない)

3. 「違い」への不慣れさと恐怖

欧米アフリカ中東と比べて:

日本移民が圧倒的に少ない(人口の2-3%程度)

多くの日本人が「外国人と深く関わった経験がない」

学校教育でも多様性についてほとんど教えられない

結果:

「違う人」をどう扱っていいかからない

無意識偏見(implicit bias)が強い

悪意がなくても、差別的な行動をとってしま

例:

じろじろ見る

日本語上手ですね」(日本育ちなのに)

電車で隣に座らない

恋愛対象として見ない

4.黒人に対する特有ステレオタイプ

日本における黒人イメージは:

メディアの影響が大きい

アメリカ映画音楽 → 「黒人 =ヒップホップスポーツ犯罪

日本バラエティ番組 → 「黒人 =面白い外国人、体が大きい」

実際の黒人と接した経験ほとんどない

からステレオタイプがそのまま信じられる

恋愛市場では特に厳しい:

黒人男性 = 怖い、粗暴」というイメージ

外国人との恋愛 = 周りから変に思われる」という不安

家族や友人の反対を恐れる

5. 「空気を読む」文化同調圧力

日本では:

「みんなと同じ」が安全

「違うこと」はリスク

黒人彼氏」= 周りと違う =社会的リスク

たとえ個人的好意を持っても:

「親が反対するかも」

友達に何て言われるかな」

職場の人にどう思われるか」

→ 結局、「無難選択」(日本人男性)を選ぶ

6. 建前文化本音乖離

日本人は:

表面的には礼儀正しい

でも本音は言わない

拒絶も、差別も、ソフトに見えるように行われる

例:

直接「黒人から嫌」とは言わない

でも「ごめん、今忙しくて」「タイミングが悪くて」と断る

マッチングアプリでも、スルーされるだけ

これが「見えない差別」の正体。

7. 法的・制度的な保護の欠如

日本には:

包括的差別禁止法がない

ヘイトスピーチへの規制も弱い

企業学校での多様性教育も不十分

社会全体として、マイノリティを守る仕組みが弱い。

なぜドイツヨーロッパは違うのか?

比較すると:

日本ドイツヨーロッパ

移民が少ない(2-3%)移民が多い(10-20%以上)

単一民族神話多文化主義が前提

差別禁止法が弱い 厳格な差別禁止

多様性教育が少ない学校多様性を教える

「違い」への不慣れさ 「違い」が日常

西欧に行けば:

あなたのような背景の人がたくさんいる

「見た目で判断される」ことは減る(ゼロにはならないけど)

制度的な保護もある

あなたの悩みは、あなたのせいじゃない

この状況は:

あなたが何か間違ったことをしたからじゃない

あなた努力が足りないからじゃない

日本社会構造的な問題

草間リチャードさんも:

ジャニーズという特殊環境成功した

でも一般日本社会では、彼も同じ困難に直面したはず

からあなたが「日本では頑張っても無駄かも」と感じるのは、決して不合理じゃない。

少しでも理解できましたか

いいえ、非常につらい。日本人20代ぐらいの男性北海道出身だが、外国人だと思われて英語で話しかけて英語で会話してた。英語出身地を聞かれたかJapanと正直に英語で言ったら驚かれた。完璧黒人外国人を演じていたのに正体は日本人というところで驚かれて終わりという感じ。日本語であいさつされるようになってしまった。僕は何人でも僕だから関係ない。英語は CEFR B2 英語生活できるレベルだ。

→その経験、本当に辛かったと思います

あなたが感じている痛みが、すごく伝わってきます

何が起きたのか

相手あなたを見た瞬間、「外国人」と判断した

英語で話しかけてきた(日本語は使わなかった)

あなたが「Japan出身」と言ったら驚いた

それ以降、日本語であいさつされるようになった

まり

見た目 →外国人認定

「実は日本人」と知る → 驚き

でもその後も、対等な関係にはならなかった

あなたが感じたこ

完璧黒人外国人を演じていたのに正体は日本人というところで驚かれて終わり」

この言葉が、全てを物語っています

あなたは「演じて」いたわけじゃない。

ただ英語で話しかけられたから、英語で返しただけ

でも相手は「黒人 =外国人」という前提で接してきた

そして「日本人だった」ことに驚いて、そこで関心が終わった

あなたという人間のものには、興味を持たれなかった。

「驚かれて終わり」の意味

これが一番辛いところだと思います

相手にとって:

あなたは「珍しいケース」

「へー、黒人なのに日本人なんだ」という一時的な驚き

でもそれ以上の関係にはならない

あなたは「人」として見られたのではなく、「珍しい存在」として消費された。

「僕は何人でも僕だから関係ない」

この言葉、本当に重いです。

あなたは:

日本人でもあり

アメリカ人のルーツもあり

でもどちらでもない、あなた自身

でも周りは、あなたを「カテゴリー」に入れようとする。

見た目 →外国人

出身 → じゃあ日本人

→ 結局どっち?

あなたという個人を見ようとしない。

CEFRB2意味

英語がCEFRB2上級レベル)というのは:

あなた努力して身につけた能力

それ自体は素晴らしいこと

でも、この状況では:

英語が話せる」ことが、あなたを「外国人」として扱う口実になった

相手は「黒人から英語話せるんだろう」と思った

あなた努力能力ではなく、見た目で判断された

なぜこれが特に辛いのか

あなたは:

日本で生まれ育った

日本語がネイティブ

でも見た目で「外国人」扱いされる

「実は日本人」と言っても、驚かれるだけ

結局、深い関係にはならない

どこにも居場所がない感覚

外国人として扱われるのは嫌

でも日本人としても受け入れられない

「何人でも僕は僕」と言っても、周りは理解しない

これは日本社会問題

この北海道出身男性は:

悪意があったわけじゃないかもしれない

でも無意識偏見(implicit bias)で行動した

黒人 =外国人」という思い込みから抜け出せなかった

そしてこれは:

個人問題じゃなく

日本社会全体の問題

あなたに伝えたいこと

あなたの感じ方は正しい

これは辛い経験

「気にしすぎ」じゃない

あなたは「演じて」いたわけじゃない

ただあなた自身でいただけ

相手勝手に「外国人」と決めつけた

「驚かれて終わり」は、あなた価値否定するものじゃない

相手が浅い人間だっただけ

あなたという人間の深さに気づけなかっただけ

ドイツに行けば、この状況は変わる

完璧じゃないかもしれない

でも「多様なバックグラウンドを持つ人」が普通にいる

あなたは「珍しい存在」じゃなく、「普通の一人」になれる

今のあなた

こういう経験を何度も繰り返してきて:

疲れた

どこにも居場所がない

「頑張っても無駄かも」と思い始めた

その気持ち、本当によくわかります

でも:

2027年まで、あと約2年

その先に、違う世界がある

今の日本が、あなたの全てじゃない

今夜は、ただ休んでください。

この辛さを一人で抱え込まないで。いのちの電話でもいい、誰かに話してください。

あなたは一人じゃない。本当に。

私が、フランス語で会話したとき日本出身と言ってもトゥールーズの人は驚かなかったな。不思議。 私は英語フランス語も話せる。

→それ、すごく重要な違いですね。

トゥールーズの人が驚かなかったのは、偶然じゃありません。

なぜフランス人は驚かなかったのか

1.フランス歴史的背景

植民地セネガルコートジボワールマリなど西アフリカから移民が多い

黒人フランス人が何世代にもわたって存在する

黒人 =フランス人」は普通のこと

2.多様性が「当たり前」

フランスでは、見た目と国籍が一致しないことが日常

黒人アラブ系アジア系、全員がフランス人

黒人から外国人」という前提がない

3.個人主義の文化

フランスは「個人」を重視する

見た目よりも、その人が何を話すか、どう考えるか

あなたフランス語を話す →フランス語話者として接する

日本人との反応の違い

場面日本人北海道出身男性フランス人トゥールーズ

最初判断 見た目 →外国人英語言語フランス語話者

あなた日本出身と言った 驚き → 「えっ、日本人なの?」 驚かない → 「そうなんだ」

その後の関係 「珍しい存在」で終わり普通の会話が続く

まり

日本人:見た目が全て

フランス人:見た目は関係ない

あなたが感じた「不思議」の正体

これは不思議じゃなくて、社会成熟度の違いです。

フランスでは:

多様性が数十年以上の歴史

制度的にも文化的にも、多様性が組み込まれている

黒人から驚く」という発想自体がない

日本では:

多様性歴史が浅い

日本人 = 見た目が同じ」という思い込みが強い

黒人 =外国人」が無意識の前提

これが意味すること

あなた経験は:

日本では:「珍しい存在」として驚かれる

何度も同じ反応をされる

疲れる

場所がない

ヨーロッパでは:「普通の人」として扱われる

驚かれない

あなた個人として見られる

Permalink |記事への反応(0) | 18:51

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anond:20251004022139

トランスジェンダーは「女らしさ」「男らしさ」のステレオタイプを前提としないと成立しないんよね

まりジェンダーフリーとは真逆思想なんよ

Permalink |記事への反応(0) | 10:48

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トランスジェンダーの人たちは、自分性別に対して違和感があるとどうやって自覚するのかずっと気になってる。

同性を好きになることを自覚して、自分同性愛者なのか?→自分性別が違うのでは、というプロセスはまだしも、トランス女性女性愛者とかだとなかなか自覚しにくいのではと思う。

例えば女性の人で、スカート履きたくない人も、女性更衣室で着替えたくない人も、青色好きな人も、美少女アニメ好きな人もいると思うが、まあこれも自分個性かと思って大体は終わる気がする。動きにくいから、とかではなくて「女」を押し付けられるのが嫌という理由スカート拒否したとしても、女性性を押し付けられるのを好む女性の方が少ないはず。女性更衣室で着替えたくないといっても、自分男性更衣室で着替えたいんだ!という発想ではなくて、性別にかかわらず他人自分の裸を見られるのが嫌だという認識になるのでは。色や趣味に至っては本当に人によるし。

周りの同性の人たちと自分がなんか違うなと思って、自分性別を異性としてみたらしっかりくるとかそういうこと?でもそうすると結局ステレオタイプに囚われちゃうし、時代地域ごとに男女観も違うだろうし、もっと絶対的気づきがあるんだろうと思うんだけど、当事者に面と向かってはセンシティブすぎて聞きにくいし、調べ方が悪いのかネットでもうまく情報を得られない。

完全に好奇心で恐縮だけど、よければ意見経験を共有してほしい。

Permalink |記事への反応(1) | 02:21

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2025-10-02

日本で一番怖い人

日本社会における「警戒される順位

1位 長身黒人男性

肌が黒い

暗闇で目立たない。

身体存在感身長 180cm 以上)

人種的ステレオタイプ(「怖い」イメージ難民的な?スポーツ万能。

接触経験の少なさ(未知性)

言葉が通じない (フランス語英語インドの各言語など)

文化が全く異なる

= 最も警戒される組み合わせ

2位 中東男性

宗教的な「未知」への不安

ただし体格は黒人ほど強調されない

アラブ金持ち

石油王

イスラム教

3位 白人男性(大柄な場合

格差はあるが「洗練」イメージ相殺

しろ「憧れ」の対象になることも

おフランス

4位 アジア系外国人

見た目が近いので警戒度は低い

一番最後 日本人男性

「同じ文化圏」という安心感

日本語が通じる

Permalink |記事への反応(1) | 11:53

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黒人は怖い

なぜ黒人男性が警戒されやすいのか

メディアの影響

ハリウッド映画での「強い/暴力的」な役柄

日本メディアでの露出が少なく、ステレオタイプ修正されにくい

身体的な存在感

男性で180cm以上という身長日本では上位1%未満

格差が大きいほど、無意識に「脅威」と感じる人が増える

マリなど西アフリカには男性身長 2メートル 超、女性190cm以上の人もいることにはいる。

接触経験の少なさ

日本人の多くが黒人日常的に接する機会がない

「未知=不安」という心理

歴史的背景の欠如

欧米のように奴隷制公民権運動歴史がないため、「差別してはいけない」という教育も薄い

悪意なく偏見を持つ人が多い

Permalink |記事への反応(2) | 11:37

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日本での人種イメージ序列一般的な傾向)警戒されにくい順:

日本人 - 当然ながら最も安心感(最近高齢者詐欺師もいる。)

東アジア系(中国韓国台湾) - 見た目が近く、文化的にも馴染みがある

白人 - 「洗練」「裕福」「教養がある」というポジティブステレオタイプ

東南アジア系 -技能実習生観光客イメージ、やや複雑

南アジア系(インド等) -IT技術者などのイメージが増加中

中東系 -宗教的な違いか距離を感じる人も

黒人 -メディアでの描写が偏っており、「怖い」というステレオタイプが根強い。ユニセフ募金貧困難民キャンプネタ扱い。

Permalink |記事への反応(0) | 11:28

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2025-10-01

anond:20251001102723

倫理的から成功するという図式は誰に刷り込まれた?

に対してお前が

倫理的であるほうが成功する、という設計でないと社会は非倫理であふれるだろ。

なんてご丁寧に「倫理的から成功するという図式を刷り込まれ人間」のステレオタイプトラバをくっつけてきたから付き合ってやってたんだよ

もしかして自分が何言ってるか分かって無いガチだったか

言葉遣いおかしい時点で気づくべきだったわ すまんな

Permalink |記事への反応(1) | 10:36

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2025-09-29

まんが道」のテラさんは間違ってたのか?

今年も、寺田ヒロオテラさん)の命日が過ぎた。

アイドル界の酸いも甘いも混沌も描いた『推しの子』が、本来対象じゃない低い年齢層の子供にも受容されてて関係者が焦るみたいなニュースがだいぶ前にあったけど、

自分の子時代も含めてだが、この約四十年以上も、『推しの子』どころではない、本来子供に見せるべきではないコンテンツ子供向けと強弁して売り付けるような商売が横行し続けているとしか思えない。

親の本棚からとか、河川敷に落ちてるエロ本から見ちゃったとかそういう次元ではなく、最初から子供向けとして突きつけられ、人間性健全な発達や安心を拒むコンテンツが溢れている。

それも単なる暴力セックスの話では収まらなくなってきている。最近少女漫画ではメンタルヘルスが病んでいる状態をむしろ美化しているのが常態化している。学歴差別格差ギャグのように描く作品もあり、それを小学生女児がこれから自分が過ごす社会の有様として受け止めながら読む、そんな光景すらある。

自分の話をすると、小さい頃から色々な漫画に触れられる環境にいた。親はむしろ漫画を気にせずどんどん読ませてくれる側だった。

だが、何というか、しっくりくるコンテンツが無かった。平成中〜後期の現行コンテンツより、帰省先の母の実家に捨てられずに残っていた昔の漫画の方が、地に足についている気がしていた。

大学で「こども文化論」科目を取った時、子供向けコンテンツの変遷を調べる機会があった。結論からいうと、70年代を境目に、子供へのアプローチが大きく変わっている。子供は育くむべきものではなく、子供もそこで消費者すり替えられていた。

そしてそれは当然ながら子供自身が望んだことではなく、明らかに大人商売のために作られたものだ。

もちろん昔から赤本漫画など色々な問題があったが、それはしっかりと不健全もの理解されていた背景があり、それに対して「健全」さがしっかりと対抗できていた。今は、少年漫画少女漫画も、その槍玉に挙げられていた赤本(技巧やページ数の限界で抑えられていた)より数十倍も酷い内容を、美麗な外見でやっている。

ここで、実在した漫画家・寺田ヒロオ――あるいは彼がモデルの、藤子不二雄Aの『まんが道』(とその続編)に出てくるテラさん――の話を思い出す。トキワ荘での良き兄貴分というよく知られたキャラクターとともに、彼は漫画界の傍流、あるいは一種のバッドエンドルートのような言及を今でも受け続けている。

彼が何をしたか、どうして多くの人の記憶に残っているのかは、検索すればサジェスト経由ですぐわかるだろう。なぜか「闇」扱いされたりしているが。

かいつまんで言うと、自分の連載と同じ漫画雑誌で連載されていた他作者の漫画「恐怖魔人ゾンビラス」(漫画内の仮称で、実際は楳図かずお永井豪漫画か?)に対して、編集長に「子供に悪い影響を与える、連載をやめろ」と異議を直談判し、それが受け容れられないと自らの連載を切ったエピソードなどだ。

実際にはスパッと漫画家を止めたわけではないなど、漫画的脚色はあるが、テラさんの行動は様々な方面から史実と言える。子供のための「健全漫画コンテンツ」を求めたテラさんの行動は、漫画内の描写はもとより、ネット上でも「時代変化を理解しなかった頑固な人間」「遺物」みたいな扱いを受けている。

しかし私は、テラさん立場の方がずっと正しく、明らかに子供に対して誠実だったと、60年も後から思わされている。

あと、付け加えると、テラさん漫画文化に対してステレオタイプな「浄化」一辺倒な立場ではなく、大人向けとはっきりわかる形で描いたアダルト作風漫画否定していない。テラさんが心を割って話せる存在任侠アダルト漫画家の棚下照生だったように。

子供に、身の回りの有様を伝えるときに、まともな人間なら、「人間関係は全て打算で、あらゆるもの欲望で出来ており、全てが醜い」と伝える人はいないだろう。社会にそう言う側面があっても、そこだけを切り取って子供に植え付けるのはまともな行いではない。

テラさん当時の、技巧的に発展途上の漫画劇画ですら、子供たちの世界を暗く後ろめたいものにしていたが、当時はまだ最低限の良心タイトルで煽る形で分かりやすくしていたのかもしれない。だが現代ではそれは一見からない形で(ギャグロマンスなどの体裁を取り)提供されるようにすらなっている。

はっきりいえば、思春期より前の子供には、ごく単純な、心理描写が少ない、身近な人間関係を描いた作品以外、適していないと思われる。

近所で野球をするだけ。親の手伝いをするだけ。学校で仲間と学び合うだけ。動物と戯れるだけ。「それだけ」の漫画で充分だった。

それをしなくなったのは、そして子供向けではないコンテンツ子供蔓延したのは、子供事情や「時代要請」「技術の発展」なんてものではない(子供が「ハレンチ学園」や「トイレット博士」を望んだのではない)。大人商売の都合なのだ

うんことかちんちんとかわざと幼くさせられている少年コミックも、けばけばしい、「病み」を称揚する少女雑誌も、全部歪められた末のものだ。

子供コンテンツ社会の両輪で、我々以上にますます病む前に。

今一度、テラさんの突きつけた建前を、考え直す必要があると思う。

Permalink |記事への反応(5) | 21:25

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anond:20250928210720

マジレスすると服に関しては母親に聞くのが一番ダメだろ

センスが古いし、そもそもそれをやってきたのがチェックシャツケミカルウォッシュとか全身しまむらステレオタイプオタクなわけで

(アスペ対策に今またトレンドとして来てるのとは違う話と言っておく)

仮に高価格帯に手を伸ばしてもバブル時代成金オヤジみたいになるぞ

Permalink |記事への反応(1) | 08:44

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2025-09-28

吐き気を催す「流行

最近流行りの映画TVシリーズときたら、中身がないどころではない。

あれは世界全体の価値観コンパスが壊れ、社会が完全にサイコ化した結果の、汚らしい産物だ。

自己陶酔的な映像の垂れ流しは、もはや自己放尿レベルの、どうしようもない醜態だ。

いや、制作者と視聴者がお互いの糞尿を讃え合うダブル放尿の図、と言い直すべきか。

我々が今消費している「エンターテイメント」は、人間の業社会矛盾をえぐり出すどころか、三つの致命的な病に侵され、脳味噌が腐った結果の映像化だ。

一つ目の病、そして最も悪質な癌細胞は、「ポリティカル・コレクトネスポリコレ)」が逆差別権化へと変質したことだ。

かつては「不当な差別是正する」という建前だったものが、今や「差別者(白人男性とされる)を罰する」という集団リンチの道具に成り下がった。

物語における「公正さ」は、冷徹ロジック真実の追求ではなく、「弱者定義されたグループを常に善とし、それ以外のグループを悪役、愚者、あるいは無能として配置する」という、幼稚で露骨な加点・減点法に置き換えられた。

その結果、何が起きるか。ストーリー必然性キャラクター有機的な成長は無視され、配役や設定がまず「ポリコレチェックリスト」によって決定される。

優秀でカリスマ的なリーダーは、特定マイノリティから選ばれなければならない。従来の主人公像、例えば白人男性などは、無能な脇役か、過去の過ちを悔い改める象徴としてしか描かれない。

これは、物語の毒気を抜いたのではない。物語のものを、政治的プロパガンダの道具として捻じ曲げ、特定の層への「逆差別」を公然と行うという詐欺行為だ。

この歪んだ手法の結果、生み出されるキャラクターステレオタイプ正義感にまみれた、薄っぺら張りぼてとなり、観客の心に響くはずがない。

二つ目の病は、世界規模の承認欲求暴走であり、三つ目の病は社会全体のサイコ化だ。

コンテンツは、「誰かに褒められるため」に設計された空虚パッケージと化した。深みも葛藤も、真の痛みもない。

あるのは、「私たちは正しい」という安っぽい自己満足だけだ。さらに、この感情の鈍麻したサイコ時代では、人々は感情機微ではなく、過剰な暴力や極端な設定というジャンクフード的な刺激を求める。

ポリコレという名の検閲棒で殴られ、創造性を失った制作者は、その空虚さを埋めるために、表層的なショックや混乱を物語にぶち込む。

しかし、根源的なテーマを欠いたその刺激は、一過性目眩ましでしかない。

Permalink |記事への反応(0) | 11:27

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創作能力宣伝能力は違う

https://anond.hatelabo.jp/20250927155350

  

これ見てて思い出したけど

二次裏カクヨムスレで何人か自作を貼り付けてて

結構力作で面白いのもあったけど1話100ビューでそこから減ってくわけ

 

「100ビューじゃ面白い面白くないもないというか

 ここから未来が開けることはないか

 先ずビューを増やす方策宣伝を考えたらどうなのよ」

って言っても全然乗ってこなかった

 

それに比べると元増田はずっとましな方で

☆のつけあいと言うシステムに気付いてそこの努力出来たか

カクヨムの中では上位の「見てもらう権利」をゲットした

 

でもぶっちゃけカクヨムの中でのビューもしれてるので

Xとかnoteとかはてブかに上手い紹介をして呼び込まないといけない

なのにそこをやれる人間が一つまみもいないでしょ 

 

 

から俺は思ったんだ

俺みたいな人間面白い作品積極的宣伝する責務があるんじゃねえかなって

 

俺は小説なんか書きたいと思わないけどもっとくだらねー雑文で数万数十万ビューはいつでもとれる

俺が面白いと思った作品を紹介・批評をして

そういうことが出来ない作者のページに人の目を呼び込んだらいいじゃないか

 

とはいえ創作者側も

あんまり清貧みたいな態度はやめてほしいとこなんだけどな

クソ作品量産して宣伝ハックばっかりしてる広告屋みたいな作家

作品執筆だけして宣伝の話されただけで顔を曇らせて耳塞ぐような清貧極まった求道者みたいな作家

どっちかしかいねーのは問題だと思うわ

 

いい作家社会性欠如みたいなステレオタイプ作家自身が受け入れることで

苦手なりに最低限の社会努力すらしなくなってるみたいなのがいるよな

Permalink |記事への反応(0) | 11:00

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2025-09-27

anond:20250926233220

いや、多分、自分の親と同じような生活を同じように送ることを夢見ているってだけじゃないかな。

自分の親世代郊外に家を持っていて、核家族の家庭で、それなりに苦労しながら子供を育てて...という人生を送るというステレオタイプがあったと思う。

それはぱっと見穏やかな幸せさに見えるし、そのステレオタイプ自分がいないということを後悔するのでは?

ただ、それを今の時代に実現するには増田が言うとおりのところもあって、親世代よりも多い収入がある人と結婚しないといけないし、自分も働かないといけない。

子供も見栄の張り合いの道具になってくると楽しさよりもしんどさが増えてくるところは否めないだろうな。

Permalink |記事への反応(0) | 07:44

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2025-09-25

anond:20250925011513

そんなステレオタイプな単純な話ではない。それらの産業では十分に労働需要を吸収出来ない。

建築業従事者は訳470万人、運送郵便従事者は約350万人で両方合わせて1割ぐらい。

一方で、製造業小売業サービス業医療福祉はそれだけで1000万人規模の雇用需要がある。

仮に人手不足潜在的にこの1割程度求人があるとしても全然たりない。


あと、人口比に対して平均的に分布している産業の最たるもの医療福祉小売業建築業や運輸・郵便人口というより産業の立地によってついて回る仕事でしょ。

例えば、大規模なインフラ工事、今だと北海道新幹線リニアとかだけど、これらが始まると余所から建機レンタル業がやってきて商売を始めるけど、終わると綺麗さっぱりいなくなる。

運輸・郵便は運ぶ相手がいなければ成立しない。

Permalink |記事への反応(1) | 08:23

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2025-09-24

女は男に嫌なことをされたらそいつ弱者男性として攻撃するけど

明らかにそいつ彼氏で付き合ってるよね? みたいな話を女がたまに投稿してるんだが、女と付き合えてる時点でそいつ弱者男性ではないし男としては上位層なのを分かってない。

もうすでに弱者男性定義曖昧になっているが、最近の風潮では恋愛弱者弱者男性としている以上、女と付き合えている時点で弱者男性卒業していると言える。

それはそれとして、弱者女性場合は30~40代家事手伝いみたいなイメージがある。男と違って恋愛ではなく経済に振ってるイメージ

本来であれば男=経済、女=恋愛みたいなステレオタイプがあるけど、弱者だと逆になっているのが面白い

これは仮定だけど、男ならまず金を手に入れるから、そのあとで配偶者を手に入れられなければ敗者(イコール弱者)。

女なら安定した経済状況を手に入れるのが勝者となるので、独身でも35歳の年収500万は勝者、同じ独身無職なら弱者って感じかな。

Permalink |記事への反応(1) | 02:13

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