
はてなキーワード:スタジオジブリとは
ロッキング・オン社の雑誌「CUT」、今度学マスが表紙になるというので
「そういえばあの雑誌昔はブラッド・ピットとかディカプリオとか外タレばっかりだったけど、いつの間にか日本のアイドルとか俳優とか増えて、アニメ絵の表紙も増えたよなー」
と思ったので調べてみた。2000年代後半から出てきて、2010年代前半には定着した感じらしい
外タレが表紙になったのって2020年のビリー・アイリッシュが最後らしい
あとアニメでも漫画でもないからリストアップしなかったけどVtuberが表紙になる号もある
「このファンタジーに泣く」
表紙:鉄コン筋クリート
「ファンタジーへようこそ」
表紙:白雪姫
「ガンダムの「哀しみ」を越えて」
表紙:機動戦士ガンダム
表紙:崖の上のポニョ
「『破』が教える、エヴァンゲリオンは生き続ける」
表紙:スタジオジブリ
表紙:怪物くん
表紙:けいおん!!
表紙:借りぐらしのアリエッティ
表紙:スーパーマン
表紙:マクロスF
「宮崎駿、2011年夏の日本、そして『コクリコ坂から』を語る」
表紙:コクリコ坂から
「けいおん! そして、2011年のTVアニメは何を革命したのか?」
表紙:けいおん!
「庵野秀明、語る。――巨神兵、エヴァンゲリオン、そして自分。」
表紙:巨神兵東京に現わる(※特撮なので今回の趣旨からは外れる)
表紙:たまこまーけっと
表紙:風立ちぬ
表紙:思い出のマーニー
表紙:ラブライブ!
「μ'sとみんなの夢が永遠になった日」
表紙:μ's(※声優)
表紙:マクロスΔ
表紙:おそ松さん
「『名探偵コナン』という終わりなき謎」
表紙:名探偵コナン
「「食べる男」にときめく」
表紙:きのう何食べた?
「『天気の子』」
表紙:天気の子
「『アイドリッシュセブン』さらなる高みへ!」
表紙:アイドリッシュセブン
表紙:ヒプノシスマイク-DivisionRap Battle-
「今年はこの作品に懸ける! CUTが選んだ83作!」
表紙:夢中さ、きみに。
「変えられない未来なんかない 『東京リベンジャーズ』全30P大特集!」
「誰も観てないアニメ37本!」
表紙:SPY×FAMILY
「『劇場版アイドリッシュセブンLIVE 4bitBEYOND THE PERiOD』いま、最高のステージへ」
表紙:劇場版アイドリッシュセブンLIVE 4bitBEYOND THE PERiOD
津田健次郎 初めて語られる傷だらけの52年
「繋いだ想いを力に変えて、飛べ! 『劇場版ハイキュー!!ゴミ捨て場の決戦』」
表紙:ぼっち・ざ・ろっく!
表紙:忍たま乱太郎
https://www.rockinon.co.jp/business/publication/magazine?genre=cut&page=1
見ていない作品もいくつかあるのでWikipedia等で調べたりした。
となりのトトロ 昭和30年代前半(1955年〜1960年頃)
耳をすませば 不明(未来ではないので映画公開の1995年以前)
千と千尋の神隠し 1994年〜2001年(ほとんど異世界が舞台なのでアウディ・A4がある時代で映画公開の2001年までならだいたい成り立つ)
つまり堀越二郎が三菱で飛行機の設計をしていた頃にポルコが飛行機を乗り回し、「風立ちぬ」が終わる頃にサツキが生まれ、松崎海(コクリコ坂から)も近い時期に生まれ、「コクリコ坂から」の数年後に狸達が生存戦略を模索していたということがいえる。
https://x.com/mori_arch_econo/status/1916305363441451325
https://x.com/colecameron/status/1915653555471737154
の転載
東京在住ニュージーランド人、コール・キャメロン氏による大阪万博への酷評。
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筋金入りの万博オタクの俺は、これまでも世界中を駆け巡って、人間の創意工夫と文化を鮮やかに表現する様を目撃してきた。
上海万博2010の都会的なスペクタクル、麗水万博2012の海辺の魅力、ミラノ万博2015の活気あふれる雰囲気コロナ禍のパンデミックのせいでドバイ2020行かなかったんだけどな。
2025年の大阪万博は、俺にとっての究極のラスボス。キッチリしてる国、おもてなしの国。日本が誇るハイテクを駆使した素晴らしい万博になってるもんだと思ってたんだ。何ヶ月も前からXでもガンガン大騒ぎし、1年前からチケットを確保。俺のオタク魂は、期待度がどんどん高まっていたよ。
ところがだ、2025年の大阪万博は、すべての可能性を全否定、無駄のお手本、マジイライラするものだわ。退屈でくっそつまんねえ、俺がいままで万博に期待してたもの、そのすべてを裏切るものだよ。
まあ、私の愚痴を聞いてくれよ。
(1)デジタル全滅万博:ダイヤルアップ時代に逆戻りしたような世界
新幹線とロボット専門家はじめ技術があるはずの日本が、なぜか2005年の頃のような(20年前のような)、時代遅れのデジタル体験をさせられたぜ。俺の話を聞いてくれ、万博会場内じゃ、4つの別々のアプリを使わなきゃならない。しかも、どれもバグだらけで使えたもんじゃねえ。
メインアプリは、見た目だけのただのウェブページで、ブラウザの「戻る」ボタンすら付いてなかった。万死にあたるとはこのことだ!なんでまた、画面をスクロールしていくのは、まるで泥沼の中を進むようだった。俺は技術者として素人じゃないけど、これは悪夢だった。ウォークマンを発明したような国が、どうしてこんなにも基本的なアプリデザインをずさんにしてしまうか?不思議でならんよ。
俺は計画を立てたい人間なんだよ。旅程を組むのは本当に楽しい。過去の万博でも、そのおかげで完璧なスケジュールを簡単に組むことができてた。それがだ、2025年の大阪万博はどうだったか?というと、まさに、わけのわからん重労働。万博の予約サイトは、あらゆる人にとって迷路。すべての情報をごちゃ混ぜにした迷宮、まるでデジタル版ピタゴラススイッチだよ。わけもなく無限に複雑だった。
先週、まるでルーブ・ゴールドバーグ・マシン(ピタゴラスイッチのことだよ)と格闘しているようだとツイートしました。完全にお手上げになった俺は、もうこれまでの万博の知識に頼って、現地で臨機応変に対応することにしました。これがまさに、俺としたことが初心者並のミスだった。
上海や麗水、ミラノでは、回る順番を決めて戦略的に列に並べば息を呑むほど美しいパビリオンに入場できたんだけど、大阪万博のシステムではオンライン予約そのものが最初の難関。
ステップ 3: そして「クールな」パビリオン、コンサート、あるいはまともな食事の抽選に応募。
ところが、ここで抽選だ! 話題のパビリオンや展示の予約枠を追いかけて、何時間もアプリを延々と更新するはめになる。パビリオン予約の「空いている」はずの枠は、全部クリックした瞬間に消えてしまう。
しゃあないと、コモンズ館に行くと、予約はいらんけど二流のブースに閉じ込められることになった。それは、もう、まったく魅力のないどころか、見せかけの、見本市や展示会のただのブースだった。それなりに待てば入場できた、ミラノ万博の見事な「生命の樹」や、飛び入り参加可能だった上海万博の「中国館」と比べればわかる。
大阪万博の予約サイトの仕組みは、万博会場に到着する前に、みんなの心を折るように設計されているんだよ。まったく。
大阪湾の人工島、夢洲に足を踏み入れた俺は、「いのち輝く未来社会のデザイン」をテーマにした未来的なワンダーランドを想像していたんだ。ところがだ、その夢はもろくも崩れ去ったよ。実際には、ただただ過密状態、それが全てという、なんの魂もこもっていない企業展示会のようなものに遭遇してしまった。
会場レイアウトはごちゃっとしたまま、パビリオンはあちこちに散在して、案内の看板はまばらにしかない。至る所に人の動きをせき止めるボトルネックがあったぞ。コモンズ館でのぞいたほとんどのブースは、流行のキャッチフレーズや標語と、パワーポイントのスライドが映し出されるだけで、いいかげんなものだった。万博における文化の深みはどこへ行ったのか?そんなものは全く感じられなかった。
レストランは事前予約をしていないと入れないし、食事は、ぼったくりだった。道頓堀のフードホールで800円で買えるようなスモールピザセットに2000円も払ってしまったよ。
俺が一番悲しいのは、日本は本当はその期待と責任に答えるることができたはずななのに、ということだ。新幹線、スタジオジブリ、そして寿司を運ぶロボットの国、日本は世界へそのラブリーな魅力を発信するべきだった。
ところが、2025年万博はクソ官僚主義といいかげんさで、なにもかも頓挫してしまった。2010年の上海万博は世界的なビジョンで人々を魅了し、2012年の麗水万博は海洋イノベーションで人々を魅了した。2015年のミラノ万博は、食と文化を華やかに融合させた。それに対し、大阪万博は、最悪の欠点ばかりが目立ち、その魅力が消え失せてしまった。
(5)最終判定:とりあえず今持ってる円を使うな
2025年の大阪万博、俺は本当にそれに夢中になりたかったよ。でも、ひどいデジタルカオス、チケット予約地獄、そして退屈なアトラクションの数々を考えると、それは無理だな、断固拒否。
もう万博は諦めて、大阪の真のスター、ユニバーサル・スタジオ・ジャパンへ行こうぜ。あんなに楽しい体験をするために(万博予約のような)兵站の博士号並の知識も準備も必要ない。
むしろ東京に来た方がいい。東京は毎日が巨大な万博みたいなもんだ。
今更感もあるけど、不快感などの感情は脇に置いて、まずは「どのようなロジックで批判されているのか」を知りたい。
自分の、生成AIとクリエイターの関係についての基本的な考えとしては、以下のような感じ
自分のイラストが勝手に学習に使われ、知らないところで類似品が生成されるのは困る。
→ これは、ひとりのクリエイターとしての感情や、利益保護の観点からは理解できる。
→ 絵柄自体には著作権がないとされているが、たとえば著作者人格権に類するような「創作への帰属意識」や「名誉を守る権利」が著しく損なわれる可能性がある場合には、やはり何らかの規制は必要かもしれない。ただし、その線引きは非常に難しいとも感じる。
一方で、人間が誰かの作風に影響を受けるのは普通のことでもある。
→ つまり、「模倣も創造性のサイクルの一部」という考え方もある。
→ 「人間の模倣はOKで、AIによる模倣はNG」とする場合、やっぱりどこで線を引くべきかという問題が出てくる。
→ ただし、もしAIの方が効率や品質で上回るなら、それは遅かれ早かれ導入される流れになると思う。
→ かつてセル画塗りの職人が不要になったのと同じく、技術革新によって仕事が変わっていくのはある種避けられない部分でもある。
• たしかにジブリ風ではあるが、それは特定の人物やスタジオジブリだけが独占している絵柄とはいえない。
• むしろ、複数のアニメーターが習得し、コピーすることができる程度には、ある程度“様式化”された絵として成立している。
• 現時点では、そのAIが実際に映像制作に使われているわけでもなく、使える技術として確立しているわけでもない。
• 「ジブリ風」と言われているのもあくまで周囲の評価であって、公式にそう謳っているわけではない。
つまり、これによって明確に誰かが不利益を被っているとは言いにくいのではないかと感じている。
しかし、かなり強い怒りを示している映画監督などもいて、それが自分にはどうにも、理屈としては理解しづらい。
個人的には、日本ではこの種の議論において、「著作権を守る」=「著作者に創造性のすべてを帰属させる」という考え方が強くなりすぎる節があると思ってる。
もちろん著作者の財産権はもちろん重要だが、一方で著作物は他者の創造性に影響を与えたり、美的資源としてより公共的な価値を持ったりする面もあるはずで、そういった文化資源・共有財としての著作物、という議論があまり広がらない印象。
何が言いたいのかというと……自分は「ジブリっぽい絵」が、世界レベルの様式…共通言語となり得たことは素朴に名誉なことじゃないかと思ってしまったんだよね。
もちろん今回のことで金銭的な恩恵を受けるクリエイターはいないんだけど、それが文化そのものになるってことじゃないか?と思ったり。
別の視点あれば教えてほしいー
https://x.com/umiyuki_ai/status/1905215750471815297
たかし:ねえ、アリス、Xで面白いポストを見つけたんだけど、ちょっと難しいんだ。@umiyuki_aiっていう人が書いたやつで、「ジブリ風のChatGPT画像」について何か言ってるみたい。どういう意味か教えてくれない?
アリス:もちろん、たかし!そのポスト、実はAIと著作権についての話題なんだよ。ちょっとずつ分解して説明するね。まず、「ジブリ風のChatGPT画像」って何かわかる?
たかし:うーん、ジブリってあのアニメのスタジオジブリのことだよね?ChatGPTがジブリっぽい絵を作ったってこと?
アリス:その通り!ChatGPTって、文章を作るAIで有名だけど、最近は画像も作れるバージョンがあるの。それで、誰かが「ジブリ風のイラストを作って」ってお願いしたら、ジブリのアニメみたいなタッチの絵が出てきたんだって。
アリス:うん、実はそこがポストのポイントなの。ポストには「メディアが『著作権侵害の可能性~』って記事を書いた」って書いてあるよね。どういうことかというと、ジブリの絵に似せた画像をAIが作ったことで、「これってジブリの著作権を侵害してるんじゃない?」って一部のメディアが騒ぎ始めたの。
たかし:なるほど。でも、ジブリの絵をそのままコピーしたわけじゃないよね?「ジブリ風」って、似てるけどオリジナルな絵ってことじゃないの?
アリス:その通りだよ、たかし!実はね、ポストの引用欄で誰かが「作風は著作権で保護されてません~」って言ってるって書いてあるでしょ?これが大事なポイントなの。法律的に言うと、「ジブリ風」みたいな「作風」や「スタイル」を真似するだけなら、著作権侵害にはならないんだよ。
たかし:え、でもジブリの絵ってジブリが作ったものだから、勝手に似せちゃダメなんじゃないの?
アリス:いい質問だね!確かに、ジブリのキャラクターや具体的な絵をそのままコピーしたら、それは著作権侵害になる可能性が高いよ。でも、「ジブリ風」ってのは、ジブリの絵の「雰囲気」や「タッチ」を真似してるだけで、特定のキャラクターや絵をコピーしてるわけじゃないよね。だから、法律的には「作風の模倣」は著作権侵害じゃないって考えられてるの。これは世界的に認められてるルールなんだ。
たかし:なるほど~。じゃあ、なんでメディアは「著作権侵害の可能性」なんて記事を書いたの?
アリス:それがポストの面白いところだよ。ポストでは、メディアが「今までAIをナメてた」って言ってるよね。どういうことかというと、メディアの人たちは、AIがこんなにリアルにジブリ風の絵を作れるなんて思ってなかったの。でも、実際にAIが作ったジブリ風の画像を見て、「これ、めっちゃジブリっぽい!このまま使われたらジブリの利益が減っちゃうかも!」って急に心配になったんだと思う。
アリス:例えば、ジブリのアニメって、キャラクターグッズとか映画のチケットで稼いでるよね。もしAIが作ったジブリ風の画像が無料でバンバン出回ったら、ジブリの公式グッズを買う人が減ったり、ジブリのブランド価値が下がったりするかもしれない。メディアは、そういう「利益が侵害されるリスク」に気づいたんだよ。
たかし:でも、さっき「作風は著作権で保護されてない」って言ってたよね?利益が減るなら、ジブリは訴えられないの?
アリス:うん、そこがポストで言ってる「AIならではのハメ技」って部分なの。法律的には「作風の模倣」は著作権侵害じゃないから、ジブリが訴えても勝てない可能性が高い。でも、ジブリの利益は実際に減るかもしれない。この「権利は侵害されてないけど、利益は侵害されそう」っていうギャップが、AIならではの難しい問題なんだよ。
たかし:なるほど~。メディアは、そのギャップに混乱して、「著作権侵害の可能性」なんて記事を書いちゃったってこと?
アリス:そうそう!ポストではそれを「メディアがバグった」って表現してるの。メディアの人たちは、AIの技術が進化してることがわかって、「これヤバくね?」って焦ったけど、法律的には著作権侵害じゃないから、どう記事にしていいかわからなくて、ちょっと混乱した感じの記事になっちゃったんじゃないかって、ポストの人は推測してるんだ。
たかし:なるほど、めっちゃわかりやすくなった!要するに、AIがジブリ風の絵を作っても法律的にはOKだけど、ジブリの利益が減るかもしれないから、メディアが慌てて変な記事を書いちゃったってことだね。
アリス:その通りだよ、たかし!ポストの人は、メディアがAIの影響をちゃんと理解してなかったけど、急にそのすごさに気づいて、でも法律と現実のギャップに戸惑ってる様子をちょっと皮肉っぽく書いてるんだね。
https://gigazine.net/news/20250327-openai-viral-studio-ghibli-ai-copyright/
ChatGPTにGPT-4oでの画像生成機能が実装されスタジオジブリ風のミーム画像が大量生成されるようになり著作権問題が浮き彫りに
何に嫌悪感を覚えるかって、この期に及んで何が問題なの?等とカマトトぶってる連中にだよ。スピードと物量の問題だって内心はわかってるんじゃないの?
同意する内容だ
というもの
でも考えてほしいのだ
著作権なんて昔はなかったんだよ
活版印刷の登場で、保護する必要が出たから作られたのが著作権という権利なんだ
こいつら、活版印刷で複製されまくりの人間の前に行って笑いながら言うのか?
「今著作権なんて権利はない、お前らの著作物は保護されていない、保護されないのになに声荒げてんの?」
ってさ
生成AIの問題点は明らかで、その消費速度がとんでもなく速いことだ
それなりの絵を出力できる
世間で評価の高い絵柄は生成AI側でも評価の高い絵柄なのだから、当然出されやすくなる
昔なら、時間をかけて浸透して、手塚治虫の絵柄、水木しげるの絵柄となったものが
よく反証として言及される、田中圭一にしてもドリヤス工場にしても
ドリヤス工場の絵柄について、水木しげるのものだというのに疑いはないだろう
でも、AIで消費が早くなると、ソシャゲなりなんなりでガシガシと表出されるようになる
もうAI絵だというのが先にちらつく
そんなこと消費者は気にしなくなるとかそういう話じゃない
一程度認知された場合、世間への浸透よりもAIによる消費の方が早いからだ
その消費者は世界中にいて、実行に技術を必要としないし、裏にその絵柄で活動しようとした人間がいるとも想起しないだろう
なんだよ
で、同人のようなすそ野の広さが上澄みを生むんだよ(キリッ、みたいにドヤ顔してたやつが
これからはAIによって淘汰される(キリッ、みたいな相反することを言い出す
すそ野はどうしたんだよ
どこかにちょっと目を引く絵を描く人がいたとして、その絵柄は保護されないから
ゴーホー行為よ
アニメを届ける側が、ネタバレはしないで下さいとお願いしながら劇場でアニメを公開するやり方。
これはスタジオジブリの鈴木プロデューサーが宮崎駿監督作品「君たちはどう生きるか」において実施した方法である。
この手法の成否は映画の公開前には、一部疑問視されたものの、結果として「君たちはどう生きるか」は興行的に成功した作品となった。
いや、興行成績それよりも宮崎アニメを心待ちにしていたジブリファン以外の層にも「なにか気になる話題」のひとつとしてリーチして注目を集めることとなったほうが重要であると言える。
すなわちそれは、まさにSNS全盛のこの時代にピタリとハマった戦略であったということだからだ。
「賢い大人たち」がつくったガンダムと揶揄したのはそれが理由である。
最新のアニメの売り方を学習し、手法化し、再生産した、大人たちの大人たちによるガンダムということだ。
宮崎駿の「君たちはどう生きるか」の場合には、
また見る人の解釈が作品の価値を決めるという部分もある作品ということで
そのプロデュース方法と作品の内容、作品の評価と極めてマッチしていたことに注目しなければならない。
果たしてクリエイターの作り上げたものを尊重したうえでの今回の宣伝方法だったと言えるのだろうか?
その評価はしばらく待たざるを得ない。
キャリアが充実し、早い人なら子どもの成人式に涙する頃。物欲との戦いにも一区切りつき、ようやく周りを見渡す余裕が出てくる…そうした時期の40歳だからこそやめるべきことを以下に示す。
いい年した大人が対象年齢を20歳以上オーバーしてなお漫画、アニメに執着し続ける姿は滑稽だ。
子供時代から趣味が深まらないこと・拡がらないことは不幸である。漫画、アニメは勇気をもって卒業しよう。
どの地域にも人々の暮らしがあり無邪気にdisれるものではない。
地方の方言が後進的だと笑うことは、現在の方言話者だけでなくその地で代々暮らしてきた先祖、そしてその人々の日々の会話、言葉の記憶を笑うことである。商店の少なさを笑うことは、その土地の人々が物質的消費に娯楽を依存していない点で買い物依存症の東京都民より高等な存在であることを理解していないのと同じである。
東京の家の狭さを笑うことは、その狭さに耐えてなお東京に住み続ける覚悟、たとえば職業や子供の教育を笑うことである。
そうした事情を想像せず安易にdisる者は自分の周囲5メートルにしかイマジネーションが働かない単純バカである。
まずければ金を出して別の店に行け。
うまければ満足して食べろ。
食事は感謝して頂くものであり、批評の対象にすることは下品である。
周囲の人は、道ばたのおじさん・おばさんが醜くても気にしません。
会社の同僚は、身長が低くても、顔一面がニキビ跡でも、仕事さえしてくれれば何でも構いません。
⑤ユニクロ
そう問われて恥ずかしくなったりむきになって弁明したりする人は、どこかでユニクロを下に見ていることを自覚すべき。卒業しましょう。
いい年していつまで「男」「女」でいるのか。
性別よりはるかに重要なアイデンティティを育んできたでしょう。
また人々の暮らしの豊かさ、魂の高潔さを決定するファクターは当然性別だけでなくむしろ性別がすごく小さなことだと気が付かないかな?
派遣で清掃の仕事をしている男性に「どうして男なのに低収入で汚物を拾う仕事をしているのか」と質問すべきだ。性別以外の要因を教えてくれるから。
またフェミニズム・アンチフェミニズムのオーソドックスな論理は第一に男あるいは女を社会的弱者と定義し、第二にその立場が社会的構造によりもたらされたものであり自己解決が困難だと訴える。第三に誰か親切な人がその構造を変えるべきだと要求する。つまり他者への要求…言ってしまえばおねだりするための論理武装に過ぎない。
20歳程度の学生さんがご両親にあれこれおねだりするわけにいかなくなったから別の依存先を探すのに要求リストを作る程度の営みがフェミニズム・アンチフェミニズムであり、40の大人が真剣に取り組むべきものではないのである。
これ、映画好きなら気になるとこやもんな!
両方とも日本の有名な映画会社やけど、得意分野とか歴史がちょっとちゃうねん。
ほな、ざっくり説明するで!
•代表作品:ゴジラシリーズ、シン・ゴジラ、クレヨンしんちゃん、スタジオジブリの作品(配給)
• 得意分野:怪獣映画や実写映画、そしてアニメ映画の配給が多いんや。特に、ゴジラなんかはもう東宝の看板キャラやね。
• 傾向:ハリウッド的な大作映画も強くて、邦画やけどスケールがデカい。あと、スタジオジブリと一緒にアニメ映画も多くやってる。劇場の「東宝シネマズ」も有名やで。
•代表作品:仮面ライダーシリーズ、スーパー戦隊シリーズ、ドラゴンボール、ワンピース、プリキュア
• 得意分野:特撮(仮面ライダーとかスーパー戦隊)とアニメがめっちゃ強い!東映アニメーションっていう子会社があって、アニメの制作もやってる。ドラゴンボールやワンピースみたいな超有名作品もここから出てるで。
• 傾向:子供向けの特撮やアニメ、ヒーロー物が多いねん。日曜の朝に見る「スーパー戦隊シリーズ」や「仮面ライダー」はもう定番やろ?アニメでも「東映まんがまつり」って昔からの伝統があるんや。
法的には「二次創作」のほうがグレーな領域にあるものの、個人的には「考察」のほうが問題だと感じている。
二次創作は作者自身が願望や妄想だと自覚して作られるが、考察は作中で描写された事実と混同されることが非常に多い。
たとえばサツキとメイは死んでいるという「考察」(スタジオジブリが否定済のデマ)が広められたことにより、
となりのトトロはサツキとメイが死んだ作品だと認識する視聴者が出てきてしまった。
明確な妄想である二次創作と違って、考察は原作についての認知を歪ませやすい。
問題のある考察として、以下のようなものをSNS上でよく見かける。Xでキャラクター名を検索すると出てくるnoteの記事などに多い。
・特定のカップリングや登場人物に対する偏った見方が注意書き無しに露骨に考察に反映されているもの。
・作品内で明示されていない情報を、根拠もないのにあたかも事実のように扱っているもの。
・考察が広まりすすぎて、公式設定と混同される。時には原作者の発言や原作の展開が否定されるケースも。
・専門知識なしに登場人物の精神状態を分析し、安易に精神疾患のレッテルを貼る。
著作権をグレーに侵害している二次創作ですら多くの権利元が放置している状態で、違法性のない「考察」はまず何にも引っかからない。
読んでしまうと地球平面説に当たったような衝撃を覚えるが、表現の自由の範囲内であり、作品内カルト的な考察集団はどうすることもできない。
・自分の意見はあくまで一つの可能性に過ぎないという認識を持つ。
こうした姿勢で書かれた良心的な考察に当たると非常に好感が持てるが、日に日に陰謀論的な考察の割合が増えているようにも思う。
また、陰謀論的な考察をする人間を惹きつけやすい作品というものがあるようで、
良識的かつ穏健な考察が多い作品と、そんなシーンは作中に全くなかった完全な妄想をもとにループに入ったような陰謀論的な考察だらけになっている作品がある。
キャラクターアンチがモチベーションのチェリーピッキング、カップリング厨の幻覚が入っている自覚がない幻覚、キャラクターに対して精神分析を始めて精神疾患認定、
「君たちはどう生きるか」なんて変にうがった見方※(後述)をしなけりゃ普通の「行きて帰りし物語」でしないよね?
戦争が若干ノイズになってるけど、基本骨子は「はてしない物語」や「黄泉平坂(古事記)」と同じだって気づけば、どういう物語として見ればいいかは明白じゃない?
これが複雑に見える人って他のジブリ映画もアレコレ考えまくって見方を見失ってない?
「もののけ姫」や「平成狸合戦ぽんぽこ」だって物語の大筋自体は冒険譚だからね?
その冒険譚の中で自然と人間の対立について問を投げかけてはいるけど、それと物語自体は別のレイヤーにあるものであって、ごたまぜに混線させて考えるようなものじゃないけど大丈夫か?
「ナウシカ」が人類の愚かさと滅びと愚行権を描いていようが、映画のストーリー自体は優しくて勇敢な姫様のおかげで世界は救われましためでたしめでたし以上でも以下でもないぞ?
人伝に聞いた高尚な見方を意識しすぎて、最初の1回目は素直に物語を受け止めようって気持ちがなくなってんじゃないの?
たしかにまあ「コクリコ坂」だの「思い出のマーニー」なんかは全体として退屈で、あまりに暇だから一周目からその奥にあるモチーフ探しが始まったりしてもおかしくなかったが、君生きは序盤ちょっとスローなだけで中盤以降はストーリーにだけ集中しても全然楽しめるぐらいの映画だったろ?
なーんか変な見方する癖がつきすぎてるんじゃないの皆?
鳥の羽ばたきの作画がヤベーとか、木材バラバラカットが全部手書きとか狂ってるとか、そういうのを単純に楽しんでりゃいいだけなのに、宮崎駿の遺言探しでもやってたんか?
そんなのは金曜ロードショーに来た時にでもツイッターでやってりゃいいんだよ。
※変にうがった見方の例「塔はスタジオジブリ」「インコはジブリのアニメーター」「インコ大王は例の映画の監督」「ばあやは宮崎駿の師匠世代のアニメーター」「鳥は鈴木」
原作者が主人公とヒロインのキャラを変えるなと念を押していたが改変しまくり。
「いいひと。」を守れなかった責任は作者にあると連載終了を決意。
原作を大きく改変し主演男優(ジャ◯ニーズ)の演技もひどく炎上状態に。
ドラマを見た原作者がが原作と違いすぎてショック。もうやってられんと連載休止に。
作品のキモである「高校生の主人公が若く見えすぎてしまう母親を女性として意識してしまう」という設定に
どう見てもババアにしか見えない女優をあて、ストーリーや設定を改変しまくり。
原作者がやっぱりブチ切れて、最終的に原作クレジットが原案クレジットに変更されてしまう。
第2話で転校してくるアスペを学校で受け入れるか特別支援学校にぶち込むかを生徒が選挙する展開に。
テレビ局だけでなく原作者にまで非難が殺到し、原作者はこの展開を支持しないとして原作から降りることに。
原作者に対する無許可突撃取材に原作者が激怒、プロデューサーに二度とさせないと約束させるも再突撃される。
その後、海猿関連書籍が契約書なしで勝手に販売されていたとして原作者が絶縁宣言を行う。
・テルマエ・ロマエ :フジテレビ……というかエンターブレイン
事前相談もなければ根拠の説明もなかったとTVでぶっちゃける。
しかし契約は出版社が行っており、フジテレビ側が契約を押し付けたものではなかったとのこと。
原作者は「宮崎駿が監修する」「原作を変更しない」という条件で映像化を許可したはずが
なぜか宮崎駿はノータッチで原作を改変しまくった作品が出来上がってしまう。
原作者から「私だけではなくファンもバカにしている」と痛烈に批判された。
トラブルまでは行ってないけど高橋留美子はビューティフルドリーマーあんま好きじゃないらしい。
Permalink |記事への反応(31) | 16:07