
はてなキーワード:スケートとは
体操、水泳、陸上とかって1スポーツで複数項目にエントリー出来るからなんかずるいって感じちゃう
冬ならスケートとかもそうか?
いや、もちろん同じスポーツであっても複数の種目に適合するのはすごいことではあるんだけどね
ただ、エントリー出来る数が他の競技に比べて飛びぬけて多いし、潰し効きそうな種目も多い
例:競泳なら100m自由形、100m自由形リレー、100mメドレーリレーとか飛び込みタイミング以外やってること一緒だし、
ちょっと難易度は上がるかもしれないけど、50m自由形、200m自由形とかも他の競技に比べれば視野に入れやすいよね
球技系は1競技1種目が原則だし、ほかの競技と掛け持ちとか競泳種目間の適合性に比べらた天と地の差があるでしょ
もちろん、メダル数や優勝数などの実績は一つの指標にはなるんだけど、なんかもやもやしちゃう
フェルプスは確かに圧倒的で、オリンピックは個人メドレーやリレーで4連覇、通算金メダル数が23のバケモンなんだけど、
伊調馨は女子唯一(当時は確実で多分現在も唯一のはず)の4連覇達成者だったりするわけだが、あんまり語られないよなっていうさみしさがある
GW中に腐女子によるバカカプが話題となっていたため、ずっとどこかで叫ぼうと思いながら我慢していたことを、この場を借りて叫ぼうと思う。
漫画「メダリスト」が、「よだつか/つかよだ」というバカカプBLを推している腐女子によって荒らされている。
その影響が実害を伴いはじめたため、主にまだ「メダリスト」を読んでいない人に向けて、この素晴らしい作品が誤解されたくない一心で現状とそれに対する個人的な心情を書き綴らせていただく。
なお、これを書いているオタクは「おれは正当な読者原作読んでねえだろってバカカプが嫌いだった」という態度でいるため、この時点で嫌な予感がした人はブラウザバックしていただきたい。
トピックは以下の通りだ。
https://anond.hatelabo.jp/20250512013446
②「よだつか/つかよだ」はなぜバカカプなのか
(当エントリー)
https://anond.hatelabo.jp/20250512014700
どうしても字数制限内に抑えきれなかったため、複数エントリーに分けて投稿させてもらう。
本題は前トピックなので消化試合じみているのだが、ここからは既に腐女子によって変な先入観を植えつけられた人向けの話題だ。
カプの受動喫煙量が多くなりがちな現状において、「メダリスト」に対する誤解を解くには必要なので書かせていただく。
別ジャンルの腐女子でも、ムキムキで金髪の男と細身で黒髪の男のBLを日々どこかで見かけているのではないだろうか。それこそがメダリストを荒らしているバカカプである。
(純粋なFAをいいねしただけでもおすすめタブにこのバカカプBLを表示するXのポンコツっぷりも酷いが、これは次のトピックで語る。)
はじめに言っておきたいが、「どんなカプも幻覚なんだからバカカプとか無いでしょ」という言い訳は無意味だ。
そもそも「どんなカプも幻覚」というのは、幻覚だからこそ作品の解釈に持ち込んだりさも公式かのように振る舞ってはいけないと言う自戒のための言葉であり、バカカプの免罪符ではない。
まず最低限の情報を伝えると、この二人、現在53話まで連載されている中で直接会ったのは2話のみである。
(そして驚くべきことに二回会った中でもお互いの名前を呼ぶことすら一度もない。司の方は他の人間との会話や心の中で夜鷹純という名を出したことはあるが、夜鷹の方はマジで名前を出したことすら一度もない。)
一度目は、偶然いのり&司と夜鷹が出会った際に、光に勝ちたいと豪語するいのりを夜鷹が無慈悲に否定し、それに怒った司が宣戦布告した場面。
(ここでいのりを否定した夜鷹の言動は驚くほど的確に司の地雷を踏んでいる。)
そして二度目は、慎一郎が夜鷹との親友同士の夜のスケーティングに流れで司を招いたところ、以前の司の宣戦布告を真に受けていなかった夜鷹が司にアイスショーのキャストオーディションへ行くことを勧めてきたため、改めていのりのコーチとして宣戦布告した場面。
ちなみに、ここで司は憧れの選手だったはずの夜鷹に対し「めちゃくちゃ性格が悪いんじゃないか?」と心の中で言うほど好感度が下がっている。自身の新しい夢であるいのりに対し二度も否定をされているので当然の反応だが、夜鷹目線だと最強の自分が育てている最強の選手たる光が勝つ、だから君の教え子の夢は叶わないと言うのもまた当然なので、平行線である。
(普通にネタバレなのであまり言いたくないが)その後司が敗北すると夜鷹云々よりいのりを勝たせられなかった不甲斐なさが全面に出し、(かなり後に判明するが)夜鷹の方も「もう飽きた」と興味を無くしており、コーチ同士のライバル関係と言えるような状態はあっさりと消えている。
(コーチ同士でのこれを引っ張ったところで選手を通した代理戦争にしかなり得ず、やりすぎると選手軽視と捉えられかねない表現にもなりそうなので当然といえば当然かもしれない。)
対する弟子はと言うと、いのりは敗北から半年ぶりに光の顔を見ただけで尋常ではない悔しがり方をし、その顔を見た光はいのりの闘志が強く残っていることを喜びキラキラ笑顔が止まらない様子であった。
司と夜鷹の関係性については作中の事実を並べるとご覧の通りである。
司は蛇崩との方がよっぽど競い合ったり時に協力したり世話になったりと縁があるし、
夜鷹は慎一郎との無二の親友(公式で慎一郎の妻のエイヴァが嫉妬するほどの仲である)というのが強すぎる。
さらなるバカ要素を付け加えると、Xで大多数の腐女子が宣っているよだつかよだの根拠が全くの嘘まみれなのである。
不快なバカカプを漁るような自傷趣味は無いため事故的に遭遇したポストのみを根拠とさせていただく。
「夜鷹は司の才能を特別に認めている!脳を焼かれてる!これはキテる!」といったものが頻出したので、多分これが腐女子の中でメジャーな説なのだろう。
ちなみに夜鷹は司の才能を認めてなどおらず、そのことは作中で明言されている。
宣戦布告二回目が発生したscore22で、
慎一郎が司に対し「すごく才能のある方だ」と発言したのに対し、
明確に、「そうは言えない」「限られた時間の中で証明できなければないのと同じだ」と明確に否定している。
夜鷹は全日本選手権で見かけた記憶と目前でのジャンプ練習を経て、司の能力を理解したのか「君は自分に希少な能力があることを自覚している」と発言しているのだ。
(その後ご丁寧に「褒め言葉じゃない」と釘を刺しているが)
加えて、後のscore39で司が夜鷹のこの発言を反芻する際に、「希少な"才能"があること」と歪めてしまっているのだ。
こういう描写をされると、勘違いしてしまうのもしょうがないかもしれない。頻繁に原作を読み返す読者でなければ気づけなさそうではある。二次創作するのに読み返さないのか?という疑問は残るが。
(それにしても、光に「同じ種類」と分析された司が光同様「信頼できない語り手」属性を持っているのは面白い。司の場合過去の後悔から「才能」という言葉に囚われている節があるのが原因だろうが)
このように、なぜか夜鷹が司を認めている、なんなら入れ込んでいるという妄想に取り憑かれ拡散するオタクがあまりにも多い。
このバイアスの異常性がとてもよく現れているのが、下記リンクにある某掲示板の1スレだ。
(現在単行本未収録のscore51の内容に触れたスレのため、ネタバレを踏みたくない方はスルーしていただきたい。)
おそらく腐女子と思われるスレ主がバイアスまみれの意見を提示したため、当然のように確かな作中描写をもってして否定された一幕が伺える。
当時このスレを発見したときは、原作をまともに読んでいる人間の目にはちゃんとこれらは異常に映るんだなという安堵を得たため非常に印象に残っている。
(とはいえバカカプ腐女子の流入が発生したのは事実であり、以降はこの板もあまり覗かなくなってしまった。)
そして世に蔓延るは、オタクがよくやる悪い二次創作のオンパレードだ。
攻めの変態化、セコム化、受けの過剰age、加えてオメガバースとかいうオタクの性欲にまみれた、関係性捏造のための伝家の宝刀・・・
原作に根拠のないバカカプによくあるやつである。好きな作品でやられるとこうも嫌なものなのかと悲しく思った。
しかしここで、この怪文書を生み出すに至る最上級の怒りを抱かせた概念に遭遇する。
師弟if。夜鷹と司の。
絶句。なんだこれは。
まるで「どうすれば最大限メダリストという漫画を冒涜できるか」を三日三晩考えた末に出てくるような概念ではないか。
さすがに正気を疑う。この作品での師弟の繋がりとは運命であり特別であり、それぞれにとっての救いなのだ。
原作での師弟関係を否定するような二次創作が何を意味するか、原作を読んだ人、あるい拙文で伝えたかったことを読み取っていただけた方には理解してもらえるであろう。
懇切丁寧に、そして明確な信念を持って真摯に描かれたコーチと選手の物語が大きな魅力の一つとなっているこの漫画においては、これ以上の冒涜はない。
オタクは国語の成績がいいのだけが取り柄ではなかったのか?読解力と呼ぶのも憚られるほどの当然の作品解釈すらできないのか。それとも原作なんて妄想のエサでしかないという不誠実極まりない態度で二次創作をやっているのか。いずれにせよ最悪である。
※ここ以降は単行本未収録の話までしっかり触れるので、好奇心でここまで読んでくださった原作未読勢はいよいよ戻って原作を読んでほしい。※
※これだけは覚えて帰ってほしい。メダリストについて言及するアカウントを見つけても、それがプロフに「よだつか/つかよだ/🦅☀️/☀️🦅」などの文字列があった場合、そのツイート内容は真に受けないでほしい。メダリスト腐女子のはなしは信じるな。※
師弟ifが最悪の原作冒涜であるのに加えて、組み合わせも最悪である。
司と夜鷹のコーチとしての方向性は対比され描かれる、平行線の思想である。それぞれの名前に準えて表現するならまさに昼と夜。太陽が姿を現す限り夜は存在せず、夜の中に太陽が存在することもまたあり得ないのだ。
もろに最新score53の内容に触れてしまうが、司が目指すコーチとはかつての司少年が出会いたかったコーチだ。
それは、始めるのが遅いからと夢を否定せず、氷の上にしがみつく術を示してくれるコーチ。バカみたいに夢を目指す理由として、才能を保証してくれるコーチである。
これまでで書いた通り、夜鷹はかつての司少年と同じ境遇のいのりを、始めるのが遅かっただけの天才を前に直接夢を否定する言葉を放った。加えて、夜鷹の指導方法は温かな励ましなどは一切ない。明らかな出遅れの上クラブに入りもせず才能があるか教えてほしいなんて言う司少年が夜鷹と対峙したところでいのりと同じ目に遭うのは明白だ。
絶対にうまくいかない組み合わせにも程がある。嫌がらせか?原作そのものだけじゃなくキャラに対しても追い討ちで嫌がらせしたいのか?
司が師匠パターンのものもあるようだが、そうなるともうめちゃくちゃである。まず何を見てスケートを始めることになったんだ司は。
本当に、同じ漫画を読んだ人間の妄想とは思えない代物である。しかし悍ましいことに、このような原作冒涜が一定の人気を得て複数人の手によって生み出されているのが、メダリストに蔓延るよだつか/つかよだの腐女子という集団である。
夜鷹の口数が少ないのをいいことに感情を捏造し、ifやパロで関係性を捏造する。
作中での明確な発言すら捻じ曲げる。
もはやそこにあるのは捏造のみである。ifやパロにしても、大体流行るのは生存ifやら物騒な世界を舞台にした原作での学園パロで、そこにはキャラクターに幸せになってほしいという愛が少なからず存在しているものだが、よだつか/つかよだで蔓延っている師弟ifは原作愛など皆無の冒涜だ。
このカプがバカカプでないなら一体何だと言うのだろう。
GW中に腐女子によるバカカプが話題となっていたため、ずっとどこかで叫ぼうと思いながら我慢していたことを、この場を借りて叫ぼうと思う。
漫画「メダリスト」が、「よだつか/つかよだ」というバカカプBLを推している腐女子によって荒らされている。
その影響が実害を伴いはじめたため、主にまだ「メダリスト」を読んでいない人に向けて、この素晴らしい作品が誤解されたくない一心で現状とそれに対する個人的な心情を書き綴らせていただく。
なお、これを書いているオタクは「おれは正当な読者原作読んでねえだろってバカカプが嫌いだった」という態度でいるため、この時点で嫌な予感がした人はブラウザバックしていただきたい。
トピックは以下の通りだ。
(当エントリー)
②「よだつか/つかよだ」はなぜバカカプなのか
https://anond.hatelabo.jp/20250512013959
https://anond.hatelabo.jp/20250512014700
どうしても字数制限内に抑えきれなかったため、複数エントリーに分けて投稿させてもらう。
第一の目標が「メダリストという神漫画について正しく知ってほしい」であるため、
正直、「メダリスト」について何も知らない人であればここだけ読んでもらえたら御の字である。
(女子同士の戦い、という意味で既にBLとは対極にある感じの漫画である)
スケーターとして大成せず、氷上に乗る運命から弾かれた男「明浦路司」と、スケーターに憧れるものの学校生活での要領の悪さとそれに裏づけされた低い自己肯定感によって、氷上に乗る運命からまさに弾かれようとしている少女「結束いのり」。
・・・という序盤部分の理解は、原作を読むのが一番なので、ぜひ読んでいただきたい。
アニメ化の効果もあって、充分な範囲での無料公開は各所で実施されているだろうが、ひとまず下記にイチオシのコミックDAYSのリンクを貼っておく。
(普段アプリで閲覧しているためブラウザ版の仕様には明るくないが、コミックDAYSでは「単行本を買うとその収録話の連載版も無料で読めるようになる」という神仕様があるためオススメしたい。連載版が読めると言うことは、柱の作者コメントも煽り文も読めるということだ。神仕様すぎる。)
氷上の運命から弾かれていたはずの二人が出会い、二人三脚でスケート人生を爆速で邁進していく。
その中で次々と出会う魅力的なライバルたち。様々なコーチの思想。
成功と失敗。運も実力のうちなんて言葉が頻繁に出てくるほど厳しく冷たい氷の上でのヒリつく演技。
緊張感の中でバチバチに闘志を燃やしながら戦う少女たちの物語。こんなの面白くないわけがない!
スポーツものが好きな人、闘志を燃やしまくる激アツ少女が好きな人、そして子供を見守る真っ当な大人が好きな人には特にオススメしたい漫画である。
(本当は米津玄師同様全人類読めと言いたいところではある。全人類に読んでほしい。)
作中で「フィギュアスケートは奇跡を見守るスポーツなんだ」という名言があるが、この作品内での表現はまさにこの言葉に沿ったものとなっており、読者も作中の観客の一部になったと錯覚するほどに熱中させてくれる。
緊張感の中、ふいに視界が開けたように見開きいっぱいに描かれる圧巻の演技に目を奪われる体験はなんとも素晴らしい。
たくさんの努力の思い出、コーチとの約束、譲れない信念・・・様々なものを抱えながらのスピード感ある助走!という盛り上げから、ページをめくると無情にも「バタン」と転倒する選手の姿が目に飛び込んでくることもある。
この時の肝の冷えようったらない。しかしすぐさまリカバリーのことを考え立ち上がる選手の直向きさに胸を打たれ、次の奇跡を見届けようとまた熱中する。
こういった演出による緩急の作り方がとんでもなく上手いので、どの大会も何度でも読み返したくなる。結末を知っているはずなのに、手に汗握りながら読み返してしまうこともあるほどだ。
このシンプルな漫画の技量で殴られる体験は一度存分に浴びていただきたい。
そして当然、氷の外で各選手とコーチが織りなす人間ドラマも大きな魅力である。
これに関しては語りたいことが溢れてしまうので、
主人公であるいのりと司、そしてそのライバルでありラスボスである天才少女「狼嵜光」とそのコーチである伝説の金メダリスト「夜鷹純」に絞って語らせてもらおうと思う。
司は自身の後悔を元にした「しくじり先生」的な姿勢で、いのりとの夢を叶えるために丁寧に道を示しながら、一人の人間として尊重し大事な局面では彼女自身が選択できるように導いていく。
熱意の強さ故に周囲が見えなくなってしまうこともあるいのりにとって、これ以上ない指導者である。
そして何より、いのりがいつか夢を叶えると信じ続けその成長をいつも全力で褒めちぎる司は、技術面や戦略だけでなく精神面においてもいのりにとって欠かせない支柱となっていくのだ。
司にとってもまた、いのりは新たな夢という希望だ。かつての夢の傷跡を抱える司に、いのりは無垢な救いを与えていく。
それはいのり自身の成功という形での返報であったり、何気なく発された一言による圧倒的な肯定であったりする。
もちろんそんなキラキラした側面だけでなく、司が何か無理して自分に色々与えているのではないかといういのりの不安や、いのりを勝たせられず不甲斐なさを抱いてしまう司の焦りなど、ほろ苦い部分もある。
コーチとして、選手として互いに成長途中だからこそ生まれるドラマには幾度となく涙を流させられた。
一方の夜鷹と光は、さながら野生動物のような厳しい師弟関係だ。
出場した大会ではすべて金を獲り20歳という若さで引退した伝説のメダリスト、夜鷹。
彼の指導は、己の手で正解を導き出しその最適解のために犠牲を払うことを是とした、己を追い込む厳しいオールドスタイルである。
そんな夜鷹の現状唯一のモノローグが存在するのが、光との出会いを描いた以下の短編である。
スケートをする様子を見ることもなく、その姿を見ただけで自分が何もしなくても日の下に引っ張り出されると思うほどの素質を感じる少女を相手に、夜鷹が関わることを選んだ理由。
加えて生活面のフォローを親友の慎一郎に任せ、数奇な運命を辿る孤児であった光に温かい家庭を与えた真意。
それらは不明のままであるものの、そこには確かに、子供に関わる大人としての情を感じる。
夜鷹の真意がわかりづらくなっている原因は、光が「信頼できない語り手」として機能していることもある。
score47やscore52で垣間見えるように、光は夜鷹の厳しさを誇張して捉えてしまう節がある。
あまりにも口下手な師匠と、周囲の顔色を伺うあまり空回ることもある弟子とのすれ違い。
隠された真意という好奇心くすぐる要素。少しずつ明かされる二人の過去の中に見え隠れする献身と愛に、なかなか辿り着けないもどかしさ。さながらミステリーでも読んでいるかのような魅力がこの師弟の間にはある。
この二人の間にはどんな絆があるんだ?という疑問の果てに辿り着く、積み重ねられた年月の中に確かにあった師弟愛を前に号泣必至である。
加えて、この二組の師弟の対比構造が物語を通して綺麗に描かれているのも読んでいて気持ちがいいポイントだ。共に強くあろうとする生き方を提案していく師弟、己と向き合い強くあれるような生き方を伝授する師弟。
個人的に、両師弟の対比がとても綺麗に可視化されているのがscore34の扉絵である。構成を示すジャンプのカードがそれぞれ誰の手にあるのかに注目してもらいたい。最高の表現だ!
いずれ運命の舞台で雌雄を決するその瞬間が待ち遠しいような、いつまでも来てほしくないような、たまらない気持ちになる。
選手はコーチの思いに応えるためというだけではなく、ライバル選手への闘志という熱も抱きつつ滑走する。この熱こそが、予想できない氷上のドラマを生み出すのだ。
いのりと光は公式で「運命のライバル」と称されるほどの関係だ。
偶然の出会いから、いのりは同世代最強の存在である光に憧れと闘争心を滾らせ、一方の光も初心者でありながら自分に負けたくないと豪語するいのりの熱意に惹かれていく。
時に輝き時に真っ黒に焦がされる少女同士の感情のぶつけ合いの迫力は筆舌に尽くし難い。
だいぶ掻い摘んだつもりでもこれだけ長々と書いてしまうほどの魅力がこの漫画にある。
・圧巻の技量で描かれる手に汗握る滑走の数々
↑こういった文言で何かのアンテナが反応した人たちにはぜひ読んでほしい。
繰り返すがコミックDAYSなら単行本を買うと連載版も無料で読めるようになるのでオススメである。単行本の本体表紙&裏表紙(いわゆるカバー裏)のおまけもバッチリ読める!
まず初めに、ライン越えの書き込みであるので、出すとこに出せば名誉毀損になりそうだという注意をしておく。
その上で議論を戻すと、「ステージに乗る」ためには誰から見ても「キモくない」必要があるのであれば、おれはスケート関連報道における行き過ぎたファンの活動の全てをステージから降ろす権利を得ることになる。おそらく実際にはそうでないから、おれは啓蒙の投稿に留めているが、増田の論を信じるのであればその必要はないようだ。
以上。
これはスケート選手の追っかけあるあるなんだが、血の繋がりがあるわけでもないのに、勝手に選手に対して母親面する女性が出現することがある。
これ、女性特有のめちゃくちゃキモい所作だと思うんだが、世間では推し活がどーのと肯定されているようだ。頭がおかしいんじゃないのか?
キモさのレベルで言ったら、ジュニアアイドルを追っかける中年異常男性と同レベルだと思うんだが。つまり、他者を利己的な欲望の発散の対象として消費するという行為という意味で、押しかけ母親面女性とジュニアアイドルガチ恋中年男性は等価だということだ。
母性というのは、自身の子供に対して無償の愛を捧ぐこと、またはそれを厭わない精神のことであり、一般的には美徳とされる。だが、男目線で言えば、実の母親から母性を注がれるのは、まぁ、とてもありがたいことで、感謝しているし、得難い経験だったんだが……まぁ小っ恥ずかしかったよな。授業参観とかでも、恥ずかしがっている男児をよく見るよな。必要不可欠ではあるが、注がれる側にもある一定のキャパシティを要求する。正直、実の母親など正当な関係のある者からでないと耐えられないというのが実態だ。正当な理由のない母性を注がれることは、とても耐え難いことだ。
また、母性の注ぎ先が結果を成したときに喜ぶのは、まぁ当然のことであるし、苦楽をともにし喜びを分かち合うことで、子としても注がれた母性に対する恩返しができたと胸を撫で下ろすようなこともあるだろう。
しかし、全くの他人から勝手に母親面をされ、自分の成した結果を肴に狂喜乱舞される様子を、どうみればよいというのだろうか。
俺ならこう思う。俺が努力した結果だ、勝手にお前も報われた気分になってるんじゃねぇ── と。
これぞまさに推し活界隈で散見される、成果のフリーライドだ。痛うちわを振ったくらいで貢献された気分になってるんじゃねぇ。それは紛れもなく、努力した本人と、それを支えた本人の仲間が成した結果だ。その醜悪な精神が、俺には何よりも受け入れ難い。応援してくれる分にはよいが、母親面だけはやめてほしい。
ファンと母親面の境目が曖昧で申し訳ないが、あえていうのであれば、苦楽のうち楽だけを共有するのがファン、苦楽を全て共有するのが親族・身内・関係者だ。そのラインを超えて母親面をされると加害であるということを肝に銘じてほしい。
母性が悪いと言っているわけではない。親子関係では必須のものではあるが、それを他者に向けることが醜悪だと言っているのだ。これは、男性の性的欲望を夫婦以外に漏れ出すと加害になるという構図によく似ている。ゆえにタイトルのように表現した。母 "性" とは、まさに性的消費である── と。
BSジャパネクストがリニューアルBS10の無料放送側で日曜昼などに放送中
見られなかったケーブルテレビ局でも見られるようになったので要確認
(2)パーフェクト達成者大会(1995)2.5
・平安(時代
・[択]スケート
//千里眼
・[第1問]花祭り
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・02ソメイヨシノ
・03樋口一葉 ひぐちいちよう
・06 『おおきく振りかぶって』
・14 [3択]水星
・15香川(県
・16 [3択]トイプードル
・21パタゴニア
・25 [国]スイス
・26 [2択]右(側
・29 [3択]2 670万人
・30ヴィンテージ
・32e [2択]重さ
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家で1問もドリルを解かずに算数のテストで悪い点取って「学校教育が悪い!」って言ってる人いたら「??」って思うよね。
勿論、体育という教育プログラムに全く問題がないとは思ってないけどさ。でも「動き方の基礎を教えてくれない!」とかは嘘じゃんって思うよ。教えてくれたでしょ。覚えてないだけだよ。
運動に関して、どんなに練習しても上達が無理な人がいるのは何となく分かるよ。家庭環境が難しくて放課後運動なんかしてられない人がいるのも分かる。
でも大半の人間はそうじゃないじゃん。ちょっと運動苦手なだけでしょ。
何も部活で通用するレベルになるんじゃないんだよ。たかが体育で惨めな思いをしないくらいなら、家で練習すりゃ大体の人は何とかなるよ。
算数が好きな人も小説が好きな人も、学校外で好きな感覚を掴んでった人は多いよね。だから体育も家で練習したらいいんだよ。
「大人になって運動好きになった」みたいな人多いけど、それつまり子供の頃は学校外で運動してなかったからでしょ。学校外で運動するモチベーションが沸かないのは体育の授業が機能してないのが一因かもしれないけどさ。全部を授業のせいにするのはそりゃ流石に他責が過ぎるよな。ただの努力放棄だよ。
こんなことを思うようになった、体験がある。
私は寒冷地出身なんだけど、小学校の頃、冬にスケートの授業があったんだよね。
1時間で楕円のリンクを何周できるか、とかやるわけ。で、運動神経いい子はすぐにコツつかんで、簡単に10周とかするの。そんな中、クラスにいた体の小さかった男の子がずっと転んで全然進めなくて、1時間で半周もできなかったんだよね。で、悔しくて泣いててさ。ちょっと可哀想だった。
でも次の月にまたそのスケートの授業やったら、その子、1時間で5周したの。みんな驚いて、その子にできるようになった理由聞いたら、家族でリンク来て練習したんだって。先生もすごく褒めてて、結構みんな感動しちゃってさ。そっからうちの学校の体育、苦手な子は家で練習するのが当たり前になったんだよね。その文化根付いたら、体育で足引っ張る子なんて本当に1人もいなくなったんだよ。たまたまいい学校だったのはあるけどね。
家で1問もドリルを解かずに算数のテストで悪い点取って「学校教育が悪い!」って言ってる人いたら「??」って思うよね。
勿論、体育という教育プログラムに全く問題がないとは思ってないけどさ。でも「動き方の基礎を教えてくれない!」とかは嘘じゃんって思うよ。教えてくれたでしょ。覚えてないだけだよ。
運動に関して、どんなに練習しても上達が無理な人がいるのは何となく分かるよ。家庭環境が難しくて放課後運動なんかしてられない人がいるのも分かる。
でも大半の人間はそうじゃないじゃん。ちょっと運動苦手なだけでしょ。
何も部活で通用するレベルになるんじゃないんだよ。たかが体育で惨めな思いをしないくらいなら、家で練習すりゃ大体の人は何とかなるよ。
算数が好きな人も小説が好きな人も、学校外で好きな感覚を掴んでった人は多いよね。だから体育も家で練習したらいいんだよ。
「大人になって運動好きになった」みたいな人多いけど、それつまり子供の頃は学校外で運動してなかったからでしょ。学校外で運動するモチベーションが沸かないのは体育の授業が機能してないのが一因かもしれないけどさ。全部を授業のせいにするのはそりゃ流石に他責が過ぎるよな。ただの努力放棄だよ。
こんなことを思うようになった、体験がある。
私は寒冷地出身なんだけど、小学校の頃、冬にスケートの授業があったんだよね。
1時間で楕円のリンクを何周できるか、とかやるわけ。で、運動神経いい子はすぐにコツつかんで、簡単に10周とかするの。そんな中、クラスにいた体の小さかった男の子がずっと転んで全然進めなくて、1時間で半周もできなかったんだよね。で、悔しくて泣いててさ。ちょっと可哀想だった。
でも次の月にまたそのスケートの授業やったら、その子、1時間で5周したの。みんな驚いて、その子にできるようになった理由聞いたら、家族でリンク来て練習したんだって。先生もすごく褒めてて、結構みんな感動しちゃってさ。そっからうちの学校の体育、苦手な子は家で練習するのが当たり前になったんだよね。その文化根付いたら、体育で足引っ張る子なんて本当に1人もいなくなったんだよ。たまたまいい学校だったのはあるけどね。