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2025-10-27

いつでも眠いし、いつか死ぬと思う

追記

BMI21、健康診断問題なしだが、甲状腺普通より大きいらしい

ーーーーーーー

マジで眠い電車で立っていても寝落ち椅子なんて座れば秒で寝る。

会議中にウトウトしてしまうなんて日常茶飯事。みんながスクリーンを見ている間に寝落ちしたことがあったので、どうにか姿勢を変えて頑張る。が、無理なので考えるフリして目を閉じないとダメ

何度か注意された。自分でもありえないと思い、怒られるのは本当に嫌だし、会議は聞かないと仕事に支障が出るから嫌なのに寝落ちする。馬鹿自分をぶん殴ったり、顔を洗ったり、空気を吸いに行ったりしたが駄目。5秒後には寝る。

会社では1時間ごとに室内の非常階段で寝ている。会社も「1時間ごとに10分ほどの休憩はしてもよい」というルールなので。ぶっ通しの会議けが最悪。

運転は1時間に一回はSAで30分ほど寝ないとダメ。(一度、2時間運転していたら寝落ちして死を覚悟したので)

学生の時、飲食店ホールバイトも、意識が飛ぶ。オーダー中にぼーっとして目は開いているのに寝ているみたいな状態。バチクソ怒られた。水を注いでいるコップを落とすとかザラ。

家に帰ってご飯作る時も眠い。食べている時なんて一番眠い

普通デスクワーク中なんて何度も寝落ちする。

眠いなって思って寝るんじゃなくて、眠k…zzzって睡魔意識が出たときには寝ている。

学生の頃も大好きで楽しい授業でも寝落ちする。気が付いたらノートが汚い事にはしょっちゅう。会話の途中でウトウト→頑張る→反動爆睡ループ運動部だったが、試合中もぼーっとし、ベンチにいるとき寝落ちするので辞めた。ボールが見えているはずなのに気が付いたら落とすとか。

大学入試も当然眠い。無理。なので自己推薦やAOで長い筆記試験から逃げた。または論文爆速で書いた。テストは基本爆速で終わらせた。長すぎる場合は15分×n回は絶対睡眠にとられるのを覚悟の上でやるしかなかった。

酒・たばこしない。

飴もガムも食べながら寝る。カフェインは動悸が激しくなるので飲めない。というかそれでも寝る。

就寝中にカメラを設置して確認してもいびきはなく、寝相に問題はない。寝起きも問題ない。



日々の睡眠時間は7時間半~8時間半。

眠い日中眠い学生の頃からずっと眠い

かといって無限に寝れるわけではない。8時間睡眠くらいで目が覚める。1時間ほど活動すると眠い。その時は10~30分寝れば起きる。



眠い。遊びに出かけても眠いゲームしたいのに眠い仕事楽しいのに眠い。好きなアーティストコンサートでも眠い。1回殴られてみたけど眠い

病院学生の頃行ったけど「はぁ?どうせ徹夜してるんでしょ」「大人になれば治るから来る必要はない」ってなんかすごく信じてもらえなかった上に「寝たいとき寝ればいいじゃない。それで解決するんでしょ」って詰められて以来行ってない。

眠い。いつかそのまま事故って死ぬと思う。嫌なのに眠い

信号待ちすら眠い寝落ちで起きた時に「また寝ていた…どうして…」って自己嫌悪になりまくるのも嫌だ。新人教育で喋っている最中にウト…ってなってほんと嫌だ。この文を書くだけでも、もう眠くなってきた。

Permalink |記事への反応(3) | 17:28

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2025-10-26

フリック入力発明」とは何を発明したことを指すのか?

ダイヤモンドの↓の記事が盛りすぎでブクマカが釣られまくっているので、ちょっと落ち着けという意味で少し解説する

フリック入力発明して「人生100回分」稼いだ日本人AppleじゃなくてMicrosoft特許を売却したワケ

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/diamond.jp/articles/-/374568


普通の人が「フリック入力発明」というフレーズを見たら、どっちを想像する?

1.上下左右方向のフリック操作文字入力する手法を考案した

2. 1を改良し、入力効率を向上させる工夫を考案した

普通は1を想像するよね。でも、上の記事の「発明」は2の意味。8割くらいのブクマカはここを勘違いしてコメントしてるように見える

同じ発明家氏の記事でも3ヶ月前の東洋経済のほうは、「フリック入力発明」という釣りフレーズこそ使っているものの本文を良く読めば発明キモの部分が2であり1では特許を取れなかったことがそれなりに分かるように書いてある

フリック入力」を発明Microsoftに売却した彼の"逆転"人生。元・売れないミュージシャンフリーター家賃3万のボロアパートでひらめく

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/toyokeizai.net/articles/-/889631

もちろん2の意味発明もスゴイし重要なんだけど、釣りは良くないよね

解説

そもそも世の中のほとんどの技術は様々な発明アイデア集合体である歴史の積み重ねであり、最終形がいきなり湧いて出るわけではない。もちろん「フリック入力」にも歴史の積み重ねがある。それを少し紐解いてみよう(なお、下記の「年」は引用可能特許論文が出た時期であり、実際にはそれよりもっと前にソフトウェアリリースされていたりアイデアメーリングリスト投稿されていたりすることもある)

[追記]※増田仕様ひとつ記事に貼れるリンク数に制限があるため一部URLのhを抜いている点、不便ですがご了承ください[/追記]

pie menu (1988年)

ttps://dl.acm.org/doi/10.1145/57167.57182 (論文)

放射状に選択肢を並べるUIアイデア1960年代から見られるが、接地点からの移動方向情報を用いた入力手法の祖としてはとりあえずこれを挙げることができるだろう。これは文字入力に特化したものではなく、一般的メニュー選択のための手法である

T-cube (1994年)

ttps://dl.acm.org/doi/10.1145/191666.191761 (論文)

pie menuを文字入力に応用したもの論文の著者はAppleの人。英語用。広義の『「フリック入力」の元祖』に最も該当するのは、おそらくこれだろう

かなT-cube (1997年)

ttps://rvm.jp/ptt/arc/227/227.html

ttp://www.pitecan.com/presentations/KtaiSympo2004/page65.html

T-cube日本語に応用したもの。広義の『日本語版「フリック入力」の元祖』の候補

Hanabi (1998年)

https://web.archive.org/web/20080925035238/http://www.j-tokkyo.com/2000/G06F/JP2000-112636.shtml (特許)

https://newtonjapan.com/hanabi/

AppleNewton (PDA)用に実装された文字入力UI。「中央が『あ』、上下左右方向が『いうえお』」に対応する見慣れた形のフリック入力がここで登場する。『現在よく見る形の日本語版「フリック入力」の元祖である。なお、開発者特許申請したもの審査請求しておらず、特許としては成立していない

00年代前半ごろ

この頃、Human-Computer Interaction分野でT-cubeHanabiの発展としての文字入力手法研究が活発になり、特に国内学会で多くの手法が発表された。情報系の学生卒論修論テーマとして手頃だったからだろう。PDA製品実装されて広まった例もあり、SHARPZaurus用のHandSKKや、少し時代が下ってATOKフラワータッチ等もこの系譜である

なお、この頃までの技術は指での入力ではなくペンスタイラス)による入力を想定したものが主であるiPhoneの登場以前はキーボードレスモバイル端末といえばPDAタブレットPCなどスタイラス入力を前提としたデバイスが主流だった)

iPhone日本上陸 (2008年7月)

スマートフォン上の「フリック入力」の元祖』であり『予測変換機能を備えた「フリック入力」の元祖である日本語フリック入力効率を考える上で予測変換の占めるウェイトは大きく、「実用的なフリック入力」を実現するには予測変換との組み合わせは外せない。2006年Apple招聘されてiPhoneフリック入力機能を開発した増井俊之氏は元々予測変換のPOBox1998年 - ttps://dl.acm.org/doi/10.1145/274644.274690 )の開発者として知られる研究者であり、Appleへの招聘もその経験を買われてのものだろう。入力フリック操作を用いること自体特筆すべきものではなく、当時の流行を考えれば自然選択だったと思われる

なお、前述のHanabi開発者氏がiPhoneフリック入力を見て

これってボクが10年前にNewton用に作った入力方式Hanabi」じゃないですか(驚き)

ttps://newtonjapan.com/blogO/?p=232

と言っている一方、増井氏はHanabiに対して

知らんがな

ttps://scrapbox.io/UIPedia/Hanabi

と言っている。この分野の研究をしていて知らんことあるか?とも思うが、電話テンキーの上に五十音かなのフリック入力実装すると誰が作っても概ねHanabiのような外観になると思われるので、本当に知らなかったとしても齟齬はない

発明ミュージシャン小川コータ氏の発明 (出願:2008年1月登録:2011年3月)

ttps://www.j-platpat.inpit.go.jp/c1801/PU/JP-2008-282380/11/ja (特許)

『画面表示は絶対座標+移動判定は相対座標で行うことで「フリック入力」の入力効率を向上させる手法特許である(詳しい仕組みは上記東洋経済記事に書いてある)。ペン先と比べて指先は太いため指によるタッチでは厳密な操作が難しく(fat finger問題)、「実用的なフリック入力」を実現するにはこのような工夫も必須になる。小川氏の凄いところは、スマホ日本語UIリリースするならどのメーカーも必ず実装するであろうこの工夫を、日本iPhoneリリース直前、Apple社としては引き返せないであろうタイミング特許申請したところだ。機を見るに敏すぎる。特許庁に2回も拒絶された特許を不服審判で認めさせているところも本人が弁理士からこそできる強さだと思われる

なお、氏の記事を読むと「フリック入力自体を氏が考案したように思えてしまうが、ここまでに述べた通りそれは誤りである。「フリック入力に関連する重要特許公報に『発明者』として掲載されている」ことは疑いない事実なので「フリック入力発明者」と称するのはギリギリ誤りではないと言えないこともないが、「フリック入力発明した」はやはりダメだろう。上述の通りフリック入力自体90年代に既に登場しており00年代の前半にはタッチスクリーン上のかな入力手法一角を占めるに至っていたので、iPhone実装されたことは不思議でもなんでもなく、

しかしたら、僕がプレゼンした相手が、自分発明たかのように社内プレゼンしたのかもしれません。そこは闇の中です。

このあたりは荒唐無稽邪推すぎて、ソフトバンクから名誉棄損で訴えられたら危ないのでは(そもそもiPhoneフリック入力を開発したのはAppleであってソフトバンクではない)

まとめると、さすがに小川氏の記事はモリモリに盛りすぎである書籍宣伝にしても酷すぎる。価値の高い特許を取った発明であることは事実なのに、なぜこういう胡散臭いムーブをしてしまうのか

ここまでの事実をふまえて、Wikipediaの「フリック入力」の項

2023年6月までは妥当説明だったのに

1998年AppleNewton用に開発された日本語入力システムHanabi」が草分けで、2008年iPhone採用されたことで、急速に広まった。従来の「あ段→い段→う段→え段→お段」とキーのプッシュを繰り返して表示・入力する方式トグル入力)に比べ、素早い入力可能になる。その入力効率の高さから2010年頃にはキーボード離れが加速している[1]。

https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E3%83%95%E3%83%AA%E3%83%83%E3%82%AF%E5%85%A5%E5%8A%9B&oldid=95808357


同年11月の編集唐突に不自然小川推しに改変されている

1998年AppleNewton用に開発された日本語入力システムHanabi」[2]が草分けで、2008年iPhone採用されたことで、急速に広まった。日本におけるフリック入力は、発明家でシンガーソングライター小川コータiPhone上陸以前に考案し2007年から2015年にかけて特許出願した[3]ものであり、取得した権利マイクロソフト譲渡された[4]。

https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E3%83%95%E3%83%AA%E3%83%83%E3%82%AF%E5%85%A5%E5%8A%9B&oldid=97947525


ただ、これはおそらく関係者自作自演等というわけではなく、日本におけるフリック入力関連特許小川のものばかりであることからボランティア編集者が勘違いしてこのような記述にしてしまったのではないかフリック入力は前述のように地道な技術差分の積み重ねなので、個々の差分開発者が「特許」を取ろうという気にならないのは良く分かる。その点でも、自ら弁理士として特許を量産した小川氏の強さが際立っている(が、やはり盛りすぎは良くないと思う)

Permalink |記事への反応(7) | 23:00

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2025-10-23

https://posfie.com/@tricoandtricoff/p/I5271bK

甲斐田アンチ発言およびvtuber活動まとめ

vtuberコラボでいろいろなもの販売しているが、その一方で嵐がわくことがあり、そのきっかけの一つに裏でこっそり恋愛しているというのがあるようだ。また、空気が読めなかったり(一言でいうと発達障害)、社会不適合者でないかという疑いをもたれるような行動をしていたという話もあり…

この人のまとめ読んで思ったけど、人間vtuberはいい加減規制したほうがいいだろ。

猫とか犬とかポケモンデジモンなど恋愛することが基本的にあり得ないもの以外は風営法と同じレベル規制を設けたほうがいい。

あと、vtuber発達障害疑惑のある人がいるんで、加入させる前に発達障害スクリーンニング検査を受けさせたほうがいい。

アンチが多いvtuberで、発達障害を持っていたり、発達障害一歩手前だったゆえにトラブル起こす人が多い気がする。

まあ、アンチを気にして、女と付き合ったら、〇〇されるというのも変な話ではあるが…。

vtuberみたいなことをリアル店舗でやった結果、〇〇されたり、売掛金のために働く風俗嬢が負の性欲をまき散らしたりした結果、風営法規制あほみたいに強化されたんで、vtuberも気を付けたほうがいいと思う。

https://www.police.pref.kanagawa.jp/tetsuzuki/eigyokankei/oshirase/mesd0181.html

最近における悪質ホストクラブ問題をはじめとする風俗営業等をめぐる情勢を踏まえ、令和7年5月、悪質な営業行為規制等を内容とする「風俗営業等の規制及び業務の適正化等に関する法律の一部を改正する法律」が成立・公布され、一部の規定を除き、令和7年6月28日から施行されます

あと、猫tuberだと無理やりさせられているなんて話もあり、こっちはこっちで闇が深いが…

(かといって、撮影名目でもいいんで、遊ばせないと猫は真空行動を始めるし…)

Permalink |記事への反応(0) | 14:22

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2025-10-19

海外日本アニメウケる理由がわかった”

https://president.jp/articles/-/103837

日本アニメにはまず濃密な人間関係ベースとしてあり、そこにファンタジーSFや学園モノといった趣向が被さる二重構造になってるということでいいのだろうか。

いわば等身大人間たちがお芝居をしている感じ。だからガッツリ自己投影感情移入やすいと。(かつ、それが欧米では新鮮に受け取られている。日本ではむしろ食傷だが)

翻ってハリウッド作劇術によるような一枚岩のよく整理された物語においては全てのキャラクター特定機能を帯びており、観客は完全に蚊帳の外スクリーンの外である(まあ本来あたりまえだが)。

藤田和日郎作品にもこの“欧米”っぽさを感じる。おとぎ話として自己完結しており、キャラクターは話を進めることにそれぞれ真っ直ぐ奉仕してるので全体にしらんがなと思ってしまう。

巨大ロボットに乗って敵と闘いつつ中学生みたいな恋愛もする、そしてその恋愛が主たる任務遂行にも絡んでくるというとっちらかった二重構造日本マンガアニメ独自のものなのだろうか。

ハリウッドヒーロー恋愛はするが、それはわちゃわちゃ近づいたり離れたりというものではなくて「さらわれた恋人を助ける」的な大目標であったり、あくまオフ息抜きだったりする。

Permalink |記事への反応(2) | 17:40

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2025-10-11

ネット依存症が酷すぎて、ネットアクセスできないようにしてる

インターネット依存症が酷すぎる。

まり高校生の時、iPod touchを買ったことだった。

帰宅部で、自称進学校落ちこぼれ現実逃避のために、毎日インターネットをしていた。

当時よく見ていたのは、まとめサイトだった。キニ速とか、ハム速とか。何も考えずにスクロールしているうちに、朝になっていた。

どこかの論文で読んだが、ASDADHDの両方の傾向がある人は、常人10ネット依存になりやすいらしい。

たぶん、日常生活ドーパミン補給できないぶん、ネットで過剰に補おうとするのだろう。

ギャンブルよりはマシかもしれない。でも、失った時間は5年以上だ。後悔してもしきれない。

ネットを始めると、もう止めることができない。

お腹が空いても端末を置けない。眠くても寝られない。

そして一番つらいのは、ネットサーフィンをしていても全然楽しくないということだった。

楽しくないのにやめられない。地獄みたいな毎日だった。

平日も土日も、空いている時間は全部ネットサーフィンをしていた。

勉強はしなくなり、登校しても誰とも話さなかった。

家の中で突然叫ぶことが増えた。

自殺未遂をして、高校中退した。

その後、通信制高校転入した。

受験だけはしなければと思い、親にネット端末をすべて預けた。

ネットを絶って、ようやく大学に入った。

けれど、大学に入ってからまたインターネットを始めてしまった。

講義に行かなくなり、留年した。

なんとか卒業はできたが、就活はうまくいかず、不本意なまま社会に出た。

今は27歳。転職して2社目にいる。

それでも依存は続いている。

自分意思ではもう制御できない。

「控えよう」と思っても無理だ。みんな、どうやってるんだろう。

今の僕は、iPhoneスクリーンタイムほとんどのサイトアクセスできないようにしている。

ホワイトリスト方式で、生活必要サイトだけを残した。

マイナンバーのページや、図書館の予約サイトアプリも使えるのは、GoogleMapとかLINEとか最低限。SNSは一日10分だけ。

睡眠時間を確保するために夜の23から朝8時まですべてのアプリが使えなくなる。

アプリ更新するために、タイムロッキングコンテナパスワードを入れるやり方で、9日に一度だけ解除できるようにしている。

パソコンMicrosoft Familyで制限している。

予約などでネットを使う必要がある時は、ネットカフェに行く。

困るのは、最近飲食店スマホ注文になっていることだ。

未知のサイトにはアクセスできないので、毎回「すみませんスマホ使えなくて…」と店員に言う。

恥ずかしいけれど仕方ない。

美容院不動産屋でも、客にスマホ操作を求められることが多くなって、本当に困る。

いつもは増田も見れないようにしているけど、今日は9日に一度のチートデーだ。

現代社会インターネット接続できないというのは、あまりにも重い業のように感じる。

似たような人がいたら、どうやって生きているのか教えてほしい。

Permalink |記事への反応(3) | 16:50

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2025-10-07

地下に映画館を作った話

還暦を過ぎてから、長年の夢だった”自宅に映画館を持つ”計画を実行に移した。

若いから映画が好きで定年後に時間ができたら作ろうと漠然と考えていたが、実際に着手してみると想像以上に手間と費用がかかった。

以下は、記録として残しておきたいと思う。

地下室の改装計画

自宅は築25年の木造二階建て

地下一階に8畳ほどの物置部屋があり、もともとは古いワインセラー倉庫として使っていた場所映画室に転用することにした。

天井高は約2.3メートルコンクリート打ちっぱなしの壁面。湿気が多く、まず最初除湿と防音の両立が課題となった。

リフォーム会社見積もりを依頼したところ、

・防音工事:約78万円(吸音材・遮音シート・壁パネル施工含む)

・床上げ+防振マット施工:約22万円

・防湿処理・換気設備追加:約31万円

・照明・電源の増設工事:約18万円

合計で約149万円。

この時点で、当初の想定額(100万円以内)はすでに超えていた。

防音と空調

防音工事は最も大きな出費になった。

使用したのは旭化成サウンドカットNT吸音パネルと、YKKの遮音ドア。

天井にはグラスウール断熱材を50mm厚で敷き詰め、その上に遮音シートを重ね、化粧パネルで仕上げた。

ドアは外開きの防音仕様で閉めると耳が詰まるような密閉感がある。

次に問題になったのが空調。

防音室は密閉度が高く、換気が悪い。

家庭用のダクト式換気扇を2台設置し、吸気・排気の両方を分けて運用

さらダイキン除湿クリアフォースZも常設した。

これらの設備関連だけで約40万円。

電源も100V→200Vのコンセントを追加し、プロジェクター専用回路を確保。

配線は壁内を通して見た目をすっきりさせた。

スクリーンと映写設備

スクリーンは悩んだ末にキクチ科学研究所SE-120HDWを選択

100インチでは物足りず、120インチを選んだ。

電動昇降式でリモコン操作可能。設置費込みで約12万円。

プロジェクターEPSONEH-TW8400。

4K対応、HDR10サポート、明るさ2600ルーメン

本体価格は約28万円。

天吊り金具SLG-011HDMIケーブルエレコム製20m、5,800円)を併せて取り付けた。

映像ソースPanasonicのDP-UB9000(UHDBlu-ray対応プレイヤー)を導入。

これが約17万円。

さらNAS(Synology DS220+、約5万円)を設置し、自宅サーバーに保存した動画LAN経由で再生できるようにした。

AVアンプはDENONAVR-X3800H。

価格は約17万円。

スピーカーフロントにBowers & Wilkinsの「607 S3」(約11万円×2台)、センターにHTM6S2(約9万円)、リアに「606S2」(約10万円×2台)、サブウーファーYAMAHAのNS-SW100(約4万円)を選択

サラウンドケーブルオヤイデ電気SP-3398(メートル単価550円)を20m使用

音響機器関係だけで合計約70万円。

ラックスピーカースタンドを含めるとさら10万円上乗せとなった。

座席内装

映画館雰囲気を出すため、座席にはリクライニング式のシアターチェアを導入した。

カリモクのZC7303シリーズ、2人掛けで約32万円。

左右にドリンクホルダー付きの肘掛けを備え、電動リクライニング機能を持つ。

床は吸音カーペット仕様で、サンゲツNT-700を採用(1平方メートルあたり3,800円)。

施工費含め約12万円。

壁面は黒の吸音クロス仕上げに変更し、余計な光の反射を防止した。

照明はPhilips HueのスマートLEDを5基設置。

アプリ連動で調光・色温度調整ができるようにした。

本体ブリッジ含めて約4万円。

配線と収納

地味だが、最も苦労したのは配線整理だった。

映像音響ケーブルはそれぞれ独立して配線。

LAN、電源、スピーカーコードを束ねて壁裏を通すために、既存コンクリート壁にスリーブ孔を開けた。

コアドリル工事費が約5万円。

防振ゴム付きの配線モールパナソニック製)でカバーし、床下収納には電源タップを隠した。

ラックIKEAのBESTÅシリーズカスタム

木製パネルを黒塗りにして高さを低く抑え、機器の熱がこもらないよう背面を開口。

金具やネジ込み部の補強材としてスチールバーコーナンで購入、1本1,480円)を使用

音響調整とテスト

設置後、実際に試写を行うと反響音が予想以上に強く、音がこもって聞こえた。

床と壁の反射を抑えるため、追加でニトリの厚手カーテン(遮光3級、1セット6,800円)を壁面に吊り下げた。

さらにコーナー部分にウレタン製のベーストラップヤマハ製)を設置(1本9,200円×4)。

音響調整には無料ソフト「RoomEQ Wizard」を使用

マイクBehringerのECM8000(約9,800円)をPC接続し、周波数特性を測定。

AVアンプ自動補正機能Audyssey MultEQと組み合わせて微調整を行った。

結果、明瞭度が向上し、セリフ聞き取りやすくなった。

運用と維持費

施工から完成まで、約3か月を要した。

費用はすべて含めて約340万円。

当初想定より100万円以上のオーバーとなったが、途中で妥協しなかったことが功を奏したと思う。

運用にあたっては、電気代とメンテナンス費用が月平均で約3,000円。

除湿機と換気扇を常時稼働しているため、湿度は50%前後で安定している。

プロジェクターのランプ寿命(約5,000時間)を考慮すると、交換費用は約2万円。

年間に換算しておよそ1,500時間の稼働であれば、3年はもつ計算になる。

トラブル改善

一番の失敗は換気経路の設計だった。

最初排気口を小さくしすぎて空気が循環せず、夏場に室温が35度を超えた。

その後、直径100mmのアルミダクトを150mmに変更し、サーキュレーターバルミューダ製GreenFan C2)を導入して解決

工事費と機器代で追加約6万円。

また、湿気による金属部品の錆びも発生。

スピーカースタンドの支柱に軽い赤錆が浮いたため、サンドペーパーで磨いて防錆塗料を塗布。

半年ごとに点検を行うようにしている。

まとめ

地下に映画館を作るのは、費用面でも体力面でも容易ではない。

工事の打ち合わせ、配線の確認、資材の選定など、すべて自分で行った。

しかし完成した空間日常から完全に切り離され、映画を“観る”のではなく“迎える”場所になった。

上映中は時間を忘れる。

外の音も入らず、誰にも邪魔されない。

その密度の中で一本の映画を観終えると、少しだけ若返ったような気がする。

費用は確かに高かった。

だが、年を重ねると”何を持つか”よりも”何に時間を使うか”のほうが重要となる。

地下のミニシアターは、そういう意味でとても有意義投資だったと思う。

Permalink |記事への反応(17) | 14:34

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2025-10-04

はじめてのかきこみ

ラズベリーパイ5を購ってから紆余曲折があったなぁ

最初そのへんにあるモバイルモニターでつないだけどケーブルテンションがいやに

なる。その後、なぜか3インチくらいのスクリーンを購ったがあれがよくなかった

Permalink |記事への反応(0) | 17:48

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なるほど!ほんそれ

Pi5本体DSIスクリーンの裏にねじ止めで一体化する夫婦

タイプ構成か。まるで昔のベアボーンキットをディスプレイの裏にぺたりと貼り付けて、省スペースならぬ省財務省、そして気分はスペースX化!

https://youtube.com/shorts/xLxnm_3J8MA

Permalink |記事への反応(0) | 09:25

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2025-10-02

anond:20251002181147

実際に声を上げている人物の例

SAG-AFTRAスクリーン俳優組合) は、AI俳優を「俳優ではない。創造性は人間中心であるべき」として公式に反対声明を出している。

エミリー・ブラントEmily Blunt) などの著名俳優もこの動きを「恐ろしい(scary)」と表現して批判

マラ・ウィルソン(Mara Wilson) は、「なぜ生きている若い俳優がたくさんいるのに、AIを使って代わりを作るのか」といった疑問を投げかけている。

ソフィー・ターナー(Sophie Turner)、ラルフイネソン(Ralph Ineson)など も、AI俳優への不快感を示した名前として挙げられている。

まとめ:根本的な対立構造

この炎上は、単なる技術の話ではなく、人間仕事創造性・契約ルール倫理著作権領域AI技術とぶつかっている典型例だ。AI活用する側は「未来表現手段」「コスト削減」「実験芸術」などを主張するが、業界側・俳優から見れば「人間の職を奪う脅威」「無断利用・権利侵害」「芸術の意義を薄めるもの」など多数の切実な反対理由がある。

モデル若い女性だから切れてるわけじゃないようだ

Permalink |記事への反応(0) | 18:16

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anond:20251002170232

そうなんだけど、やっぱり物理ボタンがあって、押したら3mm凹む、とか、目の前で触れるものがあるって偉大よ。

オンスクリーンだったら、結局想定されるステートを全部用意して、実行してみて初めて目で見えてわかるしね。

まあ、PCオンリー時代まではあまりステートのこと気にしない(デバイス画面固定)だったりしたけど、

最近は小さいものスマートウォッチから、でかいのは50インチ4Kスクリーンみたいなものであるから

まあこの幅の例えは極端だけど、レスポンシブデザインってのは、ほんと考えることが多くて、

概念理解がデキるヤツじゃないと難しい。

それが日本人エンジニア結局ポンコツじゃん、みたいな言われ方するんだったら、それは正しいんだが。

Permalink |記事への反応(1) | 17:09

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2025-09-29

ショート動画で上映中の映画をそのまま映してる動画結構ある。映画館の席とスクリーンが見えてるから、まんま映画泥棒。

ものを作る人間の端くれだから見ないけど、治安悪くなったなと思う。こういうの取り締まるの難しいよな、プラットフォーム側は対策しないだろうし。

昔は倫理観で少数しかやらなかったのに、なんかもうタガが外れてるのか、アルゴリズム問題なのか

Permalink |記事への反応(0) | 18:11

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2025-09-28

スマホの使い方

スマホ、もうけっこう長いこと使ってる。Androidだけどね。で、自分の使い方が、まあ標準とまではいかなくても「ふつう」の範囲内だと思ってたんだけど、どうやらひとによってずいぶんと使い方が違う。そういうのを目にする機会があったんで、一例報告的なメモ

長いこと会ってなかった若い頃の友だちに、久しぶりに会って1日を過ごした。それについては本題ではないので書かないのだけど、この友だち、「年金もらえるようになった」って喜んでたから、まあ、そういう年齢だな。とぎれとぎれにずっと連絡はとりあってたんだけど、基本的電話メールとかショートメッセージとか手紙とか、なかったわけではないけど、基本は電話

前の電話で「スマホ変えてからショートメッセージがわかんなくなったから、LINEとか、交換したい。なんで、会ったときにそのへん、よろしく」みたいなことを言ってた。その程度の話は日常にあふれてるし、まあふつうスマホは使えてるんだなと思ってた。

会ってから、「ちょっと買い物」とか飯とかカラオケの受付とか、そういうところで、やつがスマホを出すことが何回かあった。

アプリ登録で割引です」

みたいなことを言われると、スッとスマホを出す。「へえ」と思ってみてると、

「これでいける?」

と、そのまんまスマホを渡す。店員も慣れたもので、ちょっとスワイプして

「ああ、うちのアプリ入れてもらってますね」

とか、

「ご登録、ないみたいですね」

みたいに返答する。

「どうやんの? 入ってないんなら入れてよ」

みたいにやつが言う。それで店員がPlayストアから店のアプリインストールして、なんやかんやとやりとりがあって、レジが終了。


そのあと、「あ、LINE。わかんないからやってよ」

みたいにやつが言うからスマホを受け取った。おそろしいことに、ロックがかかってない。電源ボタン押したらそれだけでもうホームスクリーンになってる。LINE入れたあと、

テストメッセージ送るから、見てよ」

と返して、テスト送信をした。

「来てるね」

「返事してよ」

「どうすんの」

なんて言うから、もっぺんスマホを受け取って、それで通知欄見てびっくりした。ズラッと通知が並んでる。

「こんなん、要らんだろ」

「消してよ」

っていうから、消してったんだけど、こいつ、基本的に通知欄見てないんだなというのがわかる。あらゆるアプリから大量の通知が届くからいちいち見てられないんだというのはわかる。どこに行っても「アプリ? 入れといてよ」のやり方だからお買い得情報とか期間限定のお知らせだとかわけのわからんのがいくらでも通知欄に表示されてる。だからLINE送っても一瞬だけはそこに表示されて「あ、メッセージ来たな」とはわかるんだけど、もうどこをどうやってそのメッセージにたどり着けばいいのか、すこしたったらわけわかんなくなる、という様子だ。

何十件か通知欄の通知を消したんだけど、キリがないから途中で諦めた。

「へえ、そうやったら消えるんだ」

とか、知らんのかよ。

なぜやつからの連絡が電話なのか、ようやく謎が解けた。電話ぐらいしか、まともに使える機能がないんだろう。そして、使えなくとも、店員に丸投げすれば、アプリ会員の割引はやってもらえる。それは店が勝手にやってくれるから自分は知らなくていい。知らなくても割引とかクーポンとかで得をするなら、それはそれでいいじゃないか、というのが、やつのスマホの使い方なんだな。

世の中、それでも渡っていけるんだと、かなり驚いた。世界は広い。

Permalink |記事への反応(1) | 11:12

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anond:20250927171503

テレビ面白かったので、ドラマ全部見たのね。そのノリで期待してたけど、シュールすぎて、あれは何だったんだろう?って咀嚼しないといけないかも?

よく分からないものを、確かめに行くのなら観ていいかも。スクリーンの中は賑やかだけど、なんか難しいかった、シュール

Permalink |記事への反応(0) | 08:42

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2025-09-27

スクリーンに宝はない

映画を観た」というそ事実に酔っているだけじゃないのか!?

まるで“宝島”というタイトルに、自分人生の欠落したピースを見つけたような気になっている……。

違うッ! 断じて違うッ!!

お前が得たのは“宝”ではなく、“借り物の感情”だ!

映画館の暗闇で流される音と映像……!

それは確かに胸を打つ……しかし、それはお前自身発見じゃない!

「感じたつもり」……「考えたつもり」……その錯覚だッ!!

真の宝島スクリーンには存在しない……!

お前の“内側”にこそ眠っている……!

それを掘り起こさぬ限り、何百回観ても同じこと……!

覚悟しろッ!

「観た」では終わらせない……!

自分の宝」を掘り出すまでが勝負なのだッ!!

Permalink |記事への反応(0) | 22:44

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映画宝島』を観てきた。

正直これはやられた。

予告編想像していた以上に胸をえぐってくる作品だった。舞台戦後間もない沖縄米軍統治下、瓦礫と熱気が入り混じる街で少年たちが自由と夢を探しながら、同時に戦争の影をまとったまま必死に生きていた。

焼け跡に残るのはただの貧しさじゃない。大人たちの諦めと、どこにも行き場のない怒り。海から吹く湿った風の匂いまでスクリーンから立ちのぼってくるようで観ているだけで汗が背中をつたう。少年たちが夜の港で手を取り合い、粗末なランタンが揺れるシーン。あの一瞬のきらめきに、戦後沖縄がどれほどの闇と隣り合わせだったかが一気に突き刺さった。

中でも島の外を夢見ながらも仲間を捨てられない葛藤がもう痛いほどリアル。夢を語る口調は少年のそれなのに、瞳の奥にある諦めは大人より深い。戦争は終わっても、戦争が残した影はこんなにも長く人を縛るのか。スクリーンに映るその姿が、ただのフィクションを超えて胸を殴ってくる。

ここでどうしても言いたいことがある。「面白い映画」と「良い映画」は違うということだ。

たとえば火垂るの墓。あれを「面白かった」と軽々しく言えないだろう。子ども戦火に呑み込まれていく過程は、娯楽ではなく痛烈な現実だ。観終わった後に残るのは、言葉にならない苦味と、心の奥底で鳴り続ける問い。その衝撃こそ「良い映画」の証だと私は思っている。

宝島もまさにそうだった。派手なカーチェイスも奇抜なトリックもない。だが戦後という時代の痛み、子どもたちが夢を掴もうとする一瞬の輝き、そのすべてが心を揺さぶる。映画館を出ても海風匂いがまだ鼻に残り、胸の奥がざわつき続ける。

絶対に後悔しないか劇場で観てくれよな!! 

スクリーンで感じる沖縄の海の匂い少年たちの瞳の奥の熱、それを浴びた瞬間にしか味わえない衝撃が、確かにそこにはあったのだから

Permalink |記事への反応(7) | 14:31

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2025-09-22

豊明市スマホ2時間制限条例って

おそらく公立学校などではチェックが始まるのでしょうね。

先生は大変だな。でも学校に持ってこさせてスクリーンタイムとかみるとすると、それもなんだかだ。

Permalink |記事への反応(0) | 21:27

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2025-09-18

anond:20250918170956

うそう。

ただ、もう一つの可能性があって、それは

ポリティカル・コレクトネス対応を強く打ち出す方が商業的に成功する」と考えてそう演出している

ということ。

例えば、ディズニー映画なんかは一時期明らかにその傾向で、これは社会的批判されたとしても、メインターゲットである子ども・・・というより、その子どもに何を与えるかを選ぶ親が、子どもに見せたいと思わせる事が重要だ、と考えて行動している節がある。

例の吉田某もこう考えてブランディングをやっている可能性はないかとは思った。

極端なことを言うと、こうして対立を煽って話題を作った方が売れる…炎上商法をやっている可能性すらあると。

これだったら姿勢としては一貫していて、いずれもプロ仕事だと言えなくもない。スタッフ関係者同意が取れていれば、であるけど。

(ただし、その可能性は限りなく低いと思っている。少なくとも芳文社が是とするわけが無い)


ただ、これはだいぶ崩れてきていて、ディズニーは公にこの方向性撤廃する宣言しているんだよな。今出てきている映画はその方向転換前にほぼほぼ完成していた作品ばかりで、今後は振り戻しがあると思われる。

また世界中配慮した結果、まるで「殿様に献上された目黒サンマ」みたいになって旨くくもなんともないみたいな、無難無難になった。

ヒットがいずれも小粒になっていると言う現実がある。たしかに大コケは減っているが、インフレ率を補正すると過去の大ヒット作には勝てないと言うような状態が続く。同時上映可能な最大スクリーン数は圧倒的に増えているのに、だ。

このままだと、今は良くても過去遺産を食い潰したら先がない。だからもうこれも古い失敗施策なんだよね。


件の講演会は、ファン向けと言うよりアニメ制作者側をターゲットにしたものだったらしいから、このあたりは誰かデータできちんと指摘するべき所だったと思う。

ワイとしては、吉田某は独りで作業をしていて、周りにそう言った戦略を考えたり、アドバイスしたりする人がいないんじゃねえかなと思ったよ。

チームになってないというか、支える人がいないのではないかって。

から講演する側ではなくて、数字などを勉強するべきだった、せめて、く職権や能力を超えた話をしてしまっているという所をだれか指摘するべきだったよなって。

Permalink |記事への反応(1) | 17:45

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2025-09-16

anond:20250916133509

無印見た上でReも見てみたいなと思っている程度に興味があるなら見たほうがいいと思う

どんな映画でも大スクリーンで見たほうがいいにはいいけど、家で見ても十分楽しめるやで

Permalink |記事への反応(1) | 13:53

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「きさらぎ駅Re:」観たいな。

6/13に映画が公開されてたんだな。

観るべきだったんだろうか、大型スクリーンで。

それとも大型スクリーンで観るほどの物でもなかったのだろうか。


後悔しても始まらいから、家で観ようかな。

U-Nextアマプラはもう配信してるんだね。

DVD11/5発売なのか。

DVD借りようかな。

Permalink |記事への反応(1) | 13:35

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2025-09-15

8番出口の映画見に来たら上映がスクリーン8でちょっと笑った

Permalink |記事への反応(0) | 16:20

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お餅が食べる

私がお餅を食べたくなると秋の到来を意味する。

スーパーで丸餅を買う。あんこきな粉も用意せず、ただ焼いただけの素餅を口に入れると、遠い昔の小学校運動会記憶勝手脳内スクリーンに映し出される。あの青空、半袖、砂埃、体操着、母の作ってくれた味気ないおにぎり……そしてなぜか餅。

最近はカビが生えないパック入りの餅も多いけど、昔ながらの固まった鏡餅ガリガリ割る作業が好きだった。無駄に力をこめた金槌の打撃で餅が真っ二つになるとき、なぜか秋ではなく冬も一緒に砕いている気分になったものだ。餅を食べたくなるたびに、歳月の通過を骨で感じる。当たり前に見えて、当たり前じゃない季節の移ろいだ。

小腹が空いて深夜に餅を焼いた夜、「秋だな」と思いながら窓辺に立つと、残暑が抜けきらない熱気がまだ微かに部屋を満たしている。虫の音も消え、風の匂いも消え、ただ遠くで街灯がぼんやりと瞬いているだけ。口の中で餅がじんわり広がるその瞬間、窓の外にふと違和感が――羽虫でも飛んだかと思ったら、ものすごい光が空一面に広がった。

ソファに座ろうとした体がふわりと浮き上がって、そのまま床と体がひき離されていく。餅は口の中からまだ消えてない。あれこれ考えるよりも先に、視界が銀色の光で埋めつくされた。

このまま餅と一緒に、どこかものすごく遠い場所まで連れていかれそうだ。残暑の残る秋の夜、最後に感じたのは、焦げた餅の香りと――部屋の天井が遠ざかっていく奇妙な浮遊感だった。

Permalink |記事への反応(0) | 07:30

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2025-09-10

実際のところ電子書籍で「読書」なんて出来ない。

お前らは電子書籍を使って「本を読んでいる」と胸を張っているが、その実態電子スクリーンに映された文字をなぞっているだけだ。

本を読むという行為本質理解していない。

まず、ページをめくる感触を思い出せ。

紙の重み、ページの匂いインクの凹凸を指先で感じる喜び。

それを捨ててタップひとつで次のページに飛ぶなんて、本当に本を楽しんでいると言えるのか。

電子インクの表示が紙に似せていると思っているなら、笑わせるな。

表示はしょせん反射型ディスプレイの真似事にすぎない。


次に文字サイズ行間だ。

お前らは自分好みに調整できることをありがたがっているが、そんな自由度本来不要だ。

著者が想定した行間文字サイズには、文章リズムを保つための微妙計算がある。

お前らが勝手に設定をいじって、リズムを崩して何が得られるというのか。

本を味わうというのは著者とデザイナーが紡いだ「読みやすさの設計」そのもの体感することではないのか。

さらハイライト機能だ。

重要な一節にペンを走らせる行為をお前らは電源を入れた指先でなぞる。

物理的に線を引き、そこに残る跡にこそ「学びの証」が宿るのだ。

データとして蓄積されたハイライトログに、一体どれほどの重みがあるというのか。

過去に戻って、その跡を辿ることはできない。

指紋のように消えないマーカーでしか、あの瞬間の気持ちは蘇らないのだ。

さら問題なのは読書連続性を途切れさせる通知の洪水だ。

SNS更新ニュースの速報、メールの着信。お前らはいつでも割り込み許可して読みかけのページを離れてしまう。

紙の本ならば通知も音もなく、静寂の中で思考は深まる。

だがKindleはその静寂を蹂躙し、お前らの集中力を根こそぎ奪う。

読書とは思考連鎖を止めないことであり、その連鎖を断ち切るのは言語冒涜に等しい。

それでもお前らは言うだろう。「何百冊も持ち歩ける」「暗闇でも読める」「辞書引きが楽だ」と。

だが、そのために失ったものは何かを考えろ。重くてかさばる紙の本を背負い、読了の達成感とともに本棚に並べることで芽生える誇り。

読み返したい一節を探すときに手が覚えている――その感覚を失えば、読書はただの情報消費で終わってしまう。

お前らは本当に読者なのか。

それともただの文字消費者にすぎないのか。

それを自問しろ。もし本を愛し、本を支え、本の重みを理解したいなら、今すぐKindleを消し、本棚に足を運べ。

そして一冊の紙の本を手に取り、その匂いと手触りを感じながら最初の一頁をめくる。

それが本物の読書への第一歩だ。

それでもなおお前らが「便利さ」を選ぶなら、せめて静かな部屋に閉じこもり、通知を切り、本を読むという行為に集中しろ

だが、やはりそれでも足りない。

本物の読書体験は、画面では再現できない領域にこそ存在するのだから

Permalink |記事への反応(4) | 10:35

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2025-09-07

映画館に行ってきた

国宝の原作小説を読んだので、満を持してという感じで観に行くことにした。

国宝ネタバレをふんだんに盛り込む予定なので未鑑賞・未読の人は薄目で読めばいい。

今日、観に行くとは決めていたものの、何の準備もしていない。

まずは予約である。いや、そもそも上映しているのか?

とりあえず調べる。最寄りの映画館で13:00からの回がある。

空席も・・・・ある。が、後ろ半分がほぼ満席で、前半分しか空いてない。スクリーンに近いと観づらいのだろうか。

前半分であれば選び放題の状態だったので、通路側にするか中央部分とするか悩ましい。

時間の大作・・・・ 耐えられるだろうか。耐えられない場合に備えて通路側にすべきだろうか。

自分を信じて中央座席とした。頑張れ俺の膀胱

事前にクレジットカード決済をすますこともできたが、念のために現地で決済することにした。

念のためにってなんだよ、と自分でも思うが、急に倒れたりするかもしれないじゃん?つまりそういうことだよ。

まぁとにかく鑑賞直前に支払うのだ。予約完了メール確認し、映画館に出発した。

通勤の定期を使って電車に乗る。

目指すは終点の駅。駅は商業施設ビルと一体化していて、その最上階が映画館になっている。

普段はあまり使わないけど、元気さえあれば退勤後にレイトショー観てから帰宅することも出来るはず。

通勤の定期で行ける範囲映画館があるって、よく考えたら便利だな。

もっと活用しないと勿体ないな。でも元気が無いから無理。


ビルにはたどり着いたが、映画館飲み物を買うとお高いので、地下にあるスーパーで買うことにする。どうだ賢い消費者だろう。

それと「餅が尿意を抑える」という昨今、小耳にはさんだ小技は本当なのかを確かめるべく、豆大福と草餅も買ってみる。

フードコートで遠慮がちに(持ち込みはご遠慮くださいと掲示があるので)大福を頬張る。美味い。豆がコリコリしてよい。草餅も普通に美味い。

同じビルで買ったものなんだから、持ち込みくらい許して欲しい。

そう思いつつコーヒーで流し込み、最上階の映画館に向かう。

映画館にたどり着く。

鬼滅の刃デカパネルが置いてある。人気なんですね。

ロビー?というのか、カップル友達連れ、家族連れの群れがいっぱいいてオッサン一人は居づらい空間である

鬼滅のフィギュアが展示されている。人気なんですね。

早くスクリーン座席に向かうべく、まずは発券機で支払いを済まそう・・・・とするとトラブルが発生。

支払い方法現金だけなのに、現金が無い。クレジットカードダメらしい。ペイペイダメ

交通系ICカードなら行けるらしいが、定期だけで生きてるので作ったことがない。詰んだ

ダメ元で店員さんに聞いたら「その場合現金だけなんですよぉ」とのこと。

「わかりました!急いで現金おろしてきます!」とダッシュしようとしたら、「今回は特別ですよ。予約番号を教えてください」とクレジットカードで決済してくれた。いいんかい

発券してもらい、スクリーンに向かう。

まだ上映開始まで10分弱あるが、お客さんで結構埋まっていた。

自分座席はその手前まですでに他のお客が席についており、あの人たちを掻き分けて行かないと自席にたどり着けない。

"真ん中の席を予約した者は一番に座席に着くのがマナー"みたいなのがあるとしたら、明らかに俺はギルティであろう。

あぁ、もっと早めに来るべきだった。大福を食ってる場合じゃなかった。

「すぅぃませぇぇ~ん」みたいな情けない鳴き声をあげながら通して頂く。

自席にたどり着き、ボトルコーヒーをホルダーに置き、スマホの電源を切る。

メガネを遠く用のヤツに掛け替える。

「遠近両用の奴が便利だ」と以前に増田で指摘を受けた気がするが、いまだに2つを使い分けている。アドバイスを活かしてなくてごめんね。

後は上映を待つだけだ。

投影されている予告編広告を眺めて待つ。

しかし、予告編はともかく、何で金を払って来てるのに広告を見せられなきゃならんのだ?

お前はなんの権限があって俺の休日に割り込んでくるんだよオートバックスめ。なるべくイエローハットに行くことにしよう。

あ、「爆弾」と「ブラックショーマン面白そうだな。いつか観よう。

そうこうしているうちに、やっと始まったよ「国宝

以下、国宝についての、感想やらの走り書き。ほぼ、原作との相違点についてだけど。

料亭花丸から始まる。おぉ原作の通りだ。

史跡料亭といって珍しいモノらしいが、映画では何も触れられてないな。

長崎モデルになった料亭があるらしいけど、名前は忘れた。きっと、映画効果で大盛況だろう。

原作では辻村の裏切りが描かれるけど、辻村自体が出てこない。なるほどねぇ。

ということは、終盤の告解?のシーンも無くなるのか。

原作を読んで、これがどうしたら3時間に収まるんだ?と不思議だったけど、こうなるんだな。

思い描いた宴会と関の扉の様子が映像として観れたのは感動した。

学校での復讐劇がない!尾崎も出てこない!仇の組長の説明もない!これはまぁ、いいや。

徳次は出てくるけど、冒頭だけ!これはショック。

じゃぁ綾乃のために指詰めるシーンとか、白河公司とか丸っと無くなるじゃないか!まぁ仕方ない。

それと原作小説は語り手がいい味だしてたと思うけど、これも省略されていて残念。

少年喜久雄、ジャケット姿の背伸び感がいいな。

「ふつつかものですが・・・」のセリフをマツに仕込まれたはずだけど、マツの姿が無いな。

マツが出てこないから、ジャガーのくだりもない・・・ まぁあれも略してもいいか

渡辺謙と俊ぼんの連獅子、あれは渡辺謙がやってる?

渡辺謙も色々やってきたんだろうけど、歌舞伎やらされて流石に緊張したんじゃないかなぁ 本人はなんて言ってんだろう 

万菊さんから差し出されたお菓子パン?が気になる。旨そう。

俊ぼんと喜久雄のインタビューの時、グローブボールは持ってたけど、キャッチボールはしてないよな?

仕方なく削ったかグローブだけは持たせとこうということだろうか。

あれ・・・?そういえば、弁天は?べんてーーーん!!!

竹野原作通りの登場で安心した。

というか社長嶋田久作なのか。存在感が凄い。

事故る謙。逃げる俊ぼん。追う春江

原作でも「春江と俊ぼんが?」みたいな感じだったけど、映画でもかなり唐突

しか春江が導く感じになってなかったか曾根崎心中リンクさせる演出の都合だろうか。

二郎襲名をなじるしのぶ。吐血する謙。

復帰する俊ぼん。落ちぶれる喜久雄。展開早い。

映画出演のくだりがまるっとカットされたけど、撮影中にボコボコにされる情けないシーンは地方での営業?のシーンに形を変えて盛り込まれていた。

あれそんな重要かなぁ?「舞台侵入する客」は重要だったと思うけど。

原作では旬ぼんの苦労として描かれていた気がするので、映画の喜久雄は割りを食っている気がして気の毒である

まぁ、旬ぼんも怪猫の見せ場、ほとんどカットされてたかお互い様か。

しか彰子すごいな。登場して数分でベッドシーンて。

その後、喜久雄の復帰に寄与するわけでもなし。原作では新派への移籍きっかけを作る重要役回りだったんじゃ?

徳次や弁天を丸っと削るくらいな彰子を削るでもよかったじゃろ!監督趣味なんじゃないか邪推したくなる

万菊のおかげでヌルっと喜久雄、復帰。殴り合いの喧嘩別れした俊ぼんとも何となく和解。この辺はモヤモヤしたな。

急に足を切断する羽目になる俊ぼん。そりゃ春江も取り乱すわ。

右足もすでに壊死しているのが曾根崎心中の上演中に明かされるのは面白かった。

SAGIMUSUMEもまるっと省略か・・・ これはまぁ納得ではある。原作でも浮いてた気がする。

喜久雄の狂気がどう描かれるかが気になっていたけど、あんまり触れられてなくて残念。

あとは・・・・ まぁいいや国宝については以下省略。

時間・・・ 隣の席の人が「あー 長かったー」とつぶやいていた。

かに長かったんだけど、「え、もう終わり?」という気持ちもある。これは原作を読んだゆえの感想だろう。ふふ、ちょっと優越感。

大福が効いたのかはわからんが、トイレに立たずには済んだ。途中ちらほら、席を立つ人がいた気もするな。

帰りにちょっと散歩して、晩御飯を買って帰ろう。今日サンマにしようかな。


何が言いたいのかというと、映画って本当にいいもんですね、という話

Permalink |記事への反応(0) | 19:24

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anond:20250905054532

私の世界は、丁寧に、そう、まるで細胞の一つ一つにまで神経を行き届かせるようにして磨き上げられた、半径およそ十メートルほどのガラスの球体であり、その球体の中心には、世界のすべてであり、法であり、そして揺るがぬ神であるところの、生後六ヶ月の息子、光(ひかる)が、ただ健やかな呼吸を繰り返している。その完璧な球体を維持すること、それこそが水無月瑠璃(みなづき るり)、すなわち三十一歳の私に与えられた唯一にして絶対の使命であったから、私は今日もまた、タワーマンション二十八階、陽光白磁の床にまで染み渡るこのリビングダイニングで、目に見えぬ埃の粒子と、あるいは時間という名の緩慢な侵食者と、孤独な、そして終わりなき闘争を繰り広げているのであった。北欧から取り寄せたというアッシュ材のテーブルの上には、一輪挿しに活けられたベビーブレスの、その小さな白い花弁の影さえもが、計算され尽くした角度で落ちており、空気清浄機は森の朝露にも似た清浄さを、ほとんど聴こえないほどの羽音で吐き出し続け、湿度計のデジタル表示は、小児科医が推奨する理想の数値、六十パーセントを寸分違わず指し示しているのだから、およそこの空間に、瑕疵という概念の入り込む余地など、どこにもありはしなかった。かつて、外資系コンサルティング会社で、何億という数字が乱れ飛ぶ会議室の冷たい緊張感を、まるで上質なボルドーワインでも嗜むかのように愉しんでいた私自身の面影は、今やこの磨き上げられたガラス窓に映る、授乳のために少し緩んだコットンのワンピースを着た女の、そのどこか現実感を欠いた表情の奥に、陽炎のように揺らめいては消えるばかりであった。

思考は、そう、私の思考と呼んで差し支えるならば、それは常にマルチタスクで稼働する最新鋭のサーバーのように、光の生存に関わる無数のパラメータによって占有され続けている。次の授乳まであと一時間二十三分、その間に終わらせるべきは、オーガニックコットンでできた彼の肌着の煮沸消毒と、裏ごししたカボチャペーストを、一食分ずつ小分けにして冷凍する作業であり、それらが完了した暁には、寝室のベビーベッドのシーツに、もしかしたら付着しているかもしれない、私たち世界の外部から侵入した未知のウイルスを、九十九・九パーセント除菌するというスプレー浄化せねばならず、ああ、そういえば、昨夜翔太が帰宅時に持ち込んだコートに付着していたであろう、あの忌まわしい杉花粉の飛散経路を予測し、その残滓を、吸引力の変わらないただ一つの掃除機で完全に除去するというミッションも残っていた。これらすべては、愛という、あまり曖昧情緒的な言葉で語られるべきものではなく、むしろ生命維持という厳格なプロジェクト遂行するための、冷徹なまでのロジスティクスであり、私はそのプロジェクトの、唯一無二のマネージャーであり、同時に、最も忠実な実行部隊でもあった。誰がこの任務を私に課したのか、神か、あるいは生物としての本能か、はたまた「母親」という名の、社会発明した巧妙な呪縛か、そんな哲学的な問いを発する暇さえ、このシステムは私に与えてはくれなかった。

である翔太は、疑いようもなく、善良な市民であり、そして巷間(こうかん)で言うところの「理想の夫」という、ほとんど神話上の生き物に分類されるべき存在であった。彼は激務の合間を縫って定時に帰宅すると、疲れた顔も見せずに「ただいま、瑠璃。光は良い子にしてたかい?」と、その蜂蜜を溶かしたような優しい声で言い、ネクタイを緩めるその手で、しかし真っ先に光の小さな体を抱き上げ、その薔薇色の頬に、まるで聖遺物にでも触れるかのように、そっと己の頬を寄せるのだ。週末になれば、彼はキッチンで腕を振るい、トマトニンニク匂いを部屋中に漂わせながら、私や、まだ食べることもできぬ光のために、絶品のペペロンチーノカルボナーラを作り、その姿は、まるで育児雑誌グラビアから抜け出してきたかのように、完璧で、模範的で、そして、どこか非現実的ですらあった。誰もが羨むだろう、この絵に描いたような幸福風景を。友人たちは、私のSNS投稿される、翔太が光をあやす姿や、手作り離乳食が並んだテーブル写真に、「理想家族!」「素敵な旦那様!」という、判で押したような賞賛コメントを、まるで祈り言葉のように書き連ねていく。そう、すべては完璧なのだ完璧なはずなのだ。このガラスの球体の内部では、愛と平和と秩序が、まるで美しい三重奏を奏でているはずなのだ

――だというのに。

夜、ようやく光が天使のような寝息を立て始め、この世界のすべてが静寂という名の薄い膜に覆われた頃、ソファで隣に座った翔太が、労わるように、本当に、ただ純粋愛情と労いだけを込めて、私の肩にそっと手を置く、ただそれだけの、あまりにも些細で、そして無垢行為が、私の皮膚の表面から、まるで冷たい電流のようにして内側へと侵入し、脊髄を駆け上り、全身の毛穴という毛穴を、一斉に収縮させるのである。ぞわり、と。それは、神聖な祭壇に、土足で踏み込まれときのような、冒涜的な不快感であった。あるいは、無菌室で培養されている貴重な細胞のシャーレに、誰かが無頓着なため息を吹きかけたときのような、取り返しのつかない汚染への恐怖であった。彼の指が触れた肩の布地が、まるで硫酸でもかけられたかのように、じりじりと灼けるような錯覚さえ覚える。私は息を止め、この身体が、この「水無月瑠璃」という名の、光のための生命維持装置が、彼の接触を、システムに対する重大なエラー、あるいは外部からハッキング行為として認識し、全身全霊で拒絶反応を示しているのを、ただ呆然と、そして客観的に観察していた。

「疲れてるだろ。いつも、ありがとう

翔太の声は、変わらず優しい。その瞳の奥には、かつて私が愛してやまなかった、穏やかで、そして少しだけ湿り気を帯びた、雄としての光が揺らめいているのが見える。それは、私を妻として、女として求める光であり、かつては、その光に見つめられるだけで、私の身体の中心が、熟れた果実のようにじゅくりと熱を持ったものだった。だというのに、今の私には、その光が、聖域である保育器を、ぬらりとした舌なめずりをしながら覗き込む、下卑た欲望眼差ししか見えないのだ。許せない、という感情が、胃の腑のあたりからせり上がってくる。この、二十四時間三百六十五日、寸分の狂いもなく稼働し続けている精密機械に対して、子を産み、育て、守るという、この宇宙的な使命を帯びた聖母に対して、己の肉欲を、その獣のような本能を、無邪気に、そして無自覚にぶつけてくるこの男の、そのあまりの鈍感さが、許せないのである

ケダモノ

その言葉が、私の内で、教会の鐘のように、低く、重く、そして厳かに反響する。そうだ、この男はケダモノなのだ。私がこの清浄な球体の秩序を維持するために、どれほどの精神を、どれほどの時間を、どれほどの自己犠牲にしているのか、そのことを何一つ理解しようともせず、ただ己の種をばら撒きたいという原始の欲動に突き動かされているだけの、ただのケダモノなのだ

そんなはずはない、と、脳のどこか、まだかろうじて「かつての私」の残滓が残っている領域が、か細い声で反論を試みる。これは翔太だ、私が愛した男だ。雨の匂いが充満する安ホテルの、軋むベッドの上で、互いの名前を喘ぎ声で呼び合いながら、世界の終わりが来るかのように貪り合った、あの夜の彼なのだパリへの出張中、セーヌ川ほとりで、どちらからともなく互いの唇を求め、道行く人々の冷ややかな視線さえもが、私たちのためのスポットライトのように感じられた、あの瞬間の彼なのだ結婚記念日に、彼が予約してくれたレストランの、そのテーブルの下で、こっそりと私のスカートの中に忍び込んできた、あの悪戯っぽい指の持ち主なのだ。あの頃、私たちは互いの肉体という言語を、まるで母国語のように自在に操り、その対話の中に、世界のどんな哲学者も語り得ないほどの、深遠な真理と歓びを見出していたはずではなかったか。あの燃えるような記憶は、情熱の残骸は、一体どこへ消えてしまったというのだろう。それはまるで、昨夜見た夢の断片のように、あまりにも色鮮やかで、それでいて、掴もうとすると指の間から霧のように消えてしまう、遠い、遠い銀河の光なのである

瑠璃…?」

私の沈黙を訝しんだ翔太が、私の顔を覗き込む。私は、まるで能面のような無表情を顔面に貼り付けたまま、ゆっくりと彼の手を、自分の肩から、まるで汚物でも払いのけるかのように、そっと、しかし断固として取り除いた。そして、立ち上がる。

「ごめんなさい。少し、疲れたみたい。光の様子を見てくるわ」

それは、完璧な嘘であり、そして、完璧真実でもあった。私は疲れていた。だがそれは、育児という名の肉体労働に疲れているのではなかった。私という個人が、水無月瑠璃という一個の人格が、「母親」という名の巨大なシステムに呑み込まれ、その歯車の一つとして摩耗していく、その存在論的な疲弊に、もう耐えられなくなりつつあったのだ。これは、巷で囁かれる「産後クライシス」だとか、「ホルモンバランスの乱れ」だとか、そういった便利な言葉で容易に片付けられてしまうような、表層的な現象ではない。違う、断じて違う。これは、一個の人間が、その魂の主導権を、自らが産み落とした別の生命体に完全に明け渡し、「装置」へと、あるいは「白き機械」へと、静かに、そして不可逆的に変質していく過程で生じる、存在のものの軋みなのである

聖母、とはよく言ったものだ。人々は、母という存在を、無償の愛と自己犠牲象徴として、何の疑いもなく神格化する。だが、その実態はどうか。自己を失い、思考も、肉体も、感情さえもが、すべて「子」という絶対的な存在奉仕するためだけに再構築された、ただのシステムではないか。私は聖母などではない。私は、高性能な乳製造機であり、汚物処理機であり、そして最適な環境提供する空調設備が一体となった、ただの生命維持装置に過ぎないのだ。この気づきは、甘美な自己陶酔を許さない、あまりにも冷徹で、そして絶望的な真実であった。そして、この真実を共有できる人間は、この世界のどこにもいやしない。翔太のあの無垢な優しさでさえ、結局は、この優秀な装置が、明日も滞りなく稼働し続けるための、定期的なメンテナンス作業しか見えないのだから、その孤独は、宇宙空間にたった一人で放り出された飛行士のそれに似て、どこまでも深く、そして底なしであった。友人たちがSNS投稿する「#育児は大変だけど幸せ」という呪文めいたハッシュタグは、もはや、この巨大なシステムの異常性に気づいてしまった者たちを、再び安らかな眠りへと誘うための、集団的自己欺瞞儀式しか思えなかった。

寝室に入ると、ベビーベッドの中の光は、小さな胸を穏やかに上下させながら、深い眠りの海を漂っていた。その無防備な寝顔は、確かに、この世のどんな芸術品よりも美しく、尊い。この小さな生命を守るためならば、私は喜んで我が身を投げ出すだろう。だが、それは、この身が「私」のものであった頃の話だ。今の私にとって、この感情は、プログラムに組み込まれ命令遂行しているに過ぎないのではないか。愛でさえもが、システムを円滑に稼働させるための、潤滑油のような機能に成り下がってしまったのではないか。そんな疑念が、毒のように心を蝕んでいく。

私は、息子の傍らを離れ、再びリビングへと戻った。翔太は、ソファの上で、テレビの光をぼんやりと浴びながら、所在なげにスマートフォンをいじっている。その背中は、拒絶された雄の、どうしようもない寂しさを物語っていた。かつての私なら、きっと背後からそっと抱きしめ、「ごめんね」と囁いて、彼の寂しさを溶かしてやることができただろう。しかし、今の私には、もはやそのための機能が、インストールされていないのである

私は、彼に気づかれぬよう、書斎として使っている小さな部屋に滑り込んだ。そして、ノートパソコンの冷たい天板に触れる。ひやりとした感触が、指先から伝わり、かろうじて、私がまだ血の通った人間であることを思い出させてくれるようだった。スクリーンを開くと、真っ白な光が、闇に慣れた私の網膜を焼いた。カーソルが、無人荒野で、点滅を繰り返している。何を、書くというのか。誰に、伝えるというのか。この、言葉にもならぬ、システムの内部で発生したエラー報告を。この、機械の内部から聞こえてくる、魂の悲鳴を。

それでも、私は指を動かした。これは、誰かに読ませるためのものではない。これは、祈りでもなければ、懺悔でもない。これは、私という名の機械が、自らの異常を検知し、その原因を究明し、あるいは再生可能性を探るために、己の内部へとメスを入れる、冷徹自己解剖の記録なのだ

真っ白な画面に、私は、震える指で、最初言葉を打ち込んだ。

『これは、私という名の機械が、自己を観察し、分解し、あるいは再生を試みるための、極秘の設計図である

その一文を打ち終えた瞬間、私の内側で、何かが、硬い音を立てて、砕けたような気がした。それが希望の萌芽であったのか、それとも、完全なる崩壊への序曲であったのか、その時の私には、まだ知る由もなかったのである。ただ、窓の外で、東京夜景が、まるで巨大な電子回路のように、無機質で、そして美しい光を、果てしなく明滅させているのが見えた。私もまた、あの無数の光の一つに過ぎないのだと、そう、思った。

自己機械定義たからには、次なる工程は当然、その性能向上のための最適化、あるいは、旧弊OSから脱却するための、大胆にして静かなるアップデート作業へと移行せねばならぬのが、論理的な、そして必然的帰結であった。そう、これは革命なのだと、私は深夜の書斎で、青白いスクリーンの光に顔を照らされながら、ほとんど恍惚とさえいえる表情で、そう結論付けたのであった。かつてロベスピエールが、腐敗した王政ギロチン台へと送り、新しい共和制の礎を築かんとしたように、私もまた、この「母親という名の献身」や「夫婦の情愛」といった、あまりにも情緒的で、非効率で、そして実態としては女の無償労働を美化するだけの前時代的な概念を、一度完全に解体し、再構築する必要があったのだ。そのための武器は、かつて私が外資系コンサルティングファームで、幾千もの企業相手に振り回してきた、あの冷徹ロジックと、容赦なき客観性という名のメスに他ならない。愛という名の曖昧模糊とした霧を晴らし、我が家という名の王国を、データタスクリストに基づいた、明晰なる統治下に置くこと、それこそが、この「水無月瑠璃」という名の機械が、オーバーヒートによる機能停止を免れ、なおかつ、その内部に巣食う虚無という名のバグ駆除するための、唯一の処方箋であると、私は確信していたのである

かくして、週末の朝、光が心地よい午睡に落ちた、その奇跡のような静寂の瞬間に、私は翔太をダイニングテーブルへと厳かに召喚した。彼の前には、焼きたてのクロワッサンと、アラビカ種の豆を丁寧にハンドドリップで淹れたコーヒー、そして、私が昨夜、寝る間も惜しんで作成した、全十二ページに及ぶパワーポイント資料印刷したものが、三点セットで恭しく置かれている。資料の表紙には、ゴシック体の太字で、こう記されていた。『家庭内オペレーション最適化計画書 Ver. 1.0 〜共同経営責任者(Co-CEO体制への移行による、サステナブル家族経営の実現に向けて〜』。翔太は、そのあまりにも場違いタイトルを、まるで理解不能な古代文字でも解読するかのように、眉間に深い皺を刻んで見つめた後、恐る恐る、といった風情で私に視線を向けた。その瞳は、嵐の前の静けさにおびえる子犬のように、不安げに揺れている。まあ、無理もないことだろう。彼にしてみれば、愛する妻が、突如として冷酷な経営コンサルタントに豹変し、家庭という名の聖域に、KPIだのPDCAサイクルだのといった、無粋極まりないビジネス用語を持ち込もうとしているのだから

瑠璃、これは…一体…?」

説明するわ、翔太。よく聞いて。これは、私たち家族が、これから幸せに、そして機能的に存続していくための、新しい聖書バイブル)よ」

私は、そこから淀みなく、プレゼンテーションを開始した。現状分析As-Is)、あるべき姿(To-Be)、そのギャップを埋めるための具体的なアクションプラン家事という、これまで「名もなき家事」という名の混沌の海に漂っていた無数のタスクは、すべて洗い出され、「育児関連」「清掃関連」「食料調達調理関連」「その他(消耗品管理資産管理等)」といったカテゴリーに分類され、それぞれに担当者と所要時間、そして実行頻度が、美しいガントチャート形式可視化されている。例えば、「朝食後の食器洗浄」は、担当:翔太、所要時間:十五分、頻度:毎日、といった具合に。さらに、月に一度、近所のカフェで「夫婦経営会議」を開催し、月次の進捗確認と、翌月の計画策定を行うこと、日々の細かな情報共有は、専用のチャットアプリで行うこと、そして何よりも重要なのは、これまで私一人が暗黙のうちに担ってきた「家庭運営の全体を俯瞰し、次の一手を考える」という、いわば管理職としての役割を、これからは二人で分担する、すなわち、彼にもまた、単なる作業員(ワーカー)ではなく、主体的思考する共同経営責任者(Co-CEO)としての自覚と行動を求める、ということ。私の説明は、かつてクライアント企業役員たちを唸らせた時のように、理路整然としており、反論余地など微塵もなかった。翔太は、ただ呆然と、私の言葉の奔流に身を任せるしかなく、すべての説明が終わった時、彼はまるで催眠術にでもかかったかのように、こくり、と小さく頷いたのであった。

「…わかった。瑠璃が、そこまで追い詰められていたなんて、気づかなくて、ごめん。僕も、頑張るよ。君を、一人にはしない」

その言葉は、疑いようもなく誠実で、彼の優しさが滲み出ていた。私は、その瞬間、胸の奥に、ちくり、と小さな痛みを感じたのを覚えている。違う、そうじゃないの、翔太。私が求めているのは、あなたのその「頑張るよ」という、まるで部下が上司に忠誠を誓うような言葉ではない。私が欲しいのは、私がこの計画書を作る必要すらないほどに、あなたが私の脳と、私の視界と、私の不安を共有してくれるPermalink |記事への反応(0) | 05:15

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2025-09-05

『なっくり』考察感想 第2話

これは何ですか?

 

 カクヨムにて7月8日から公開・連載されている『成り上がり炎上配信者だった俺が、最強の女神たちと世界をひっくり返す話~』についての感想考察を書いています

 通称『なっくり』。

 こちらは第2話 天神姉妹 についてです。

 第1話こちら↓

『なっくり』考察感想 第1話

https://anond.hatelabo.jp/20250904223228

第2話 天神姉妹 について

第2話天神姉妹

https://kakuyomu.jp/works/16818792436194059031/episodes/16818792436315513393

 前回の『転落』では主人公の圭祐が専門学校中退きっかけにレールを外れ、転落していく様が描かれていました。

 これ自体は展開の無理や矛盾は少なく、完璧と言えないまでも、カクヨムの平均からすればまずまずの完成度と言えます。言いたいことはわかるし、これからの展開に期待を持てます

 とはいえ、第1話は作者が何度も修正をかけている部分でもあります。それでも所々に破綻が見えかけているのは、不安が募るところでもあります

 

 というわけで第2話。天神姉妹です。

【取調室】

 今回から各話の中に小見出しがつくようになっています

 カクヨムの連載作品においては、各話の文字数はおおよそ2000字~4000字程度に収める事が多いのですが、第2話に関しては既に6000字を超えています

 正直こういう小見出しをつけるなら話数を分けてしまった方が読みやすいと思うのですが、そこはともかく……

蛍光灯の白い光が、古びた金属製の机と椅子、そして彼の顔を無機質に照らし出していた。徹夜尋問で、彼の思考はすでに霧散寸前だった。乾いた唇はひび割れ、数日髭も剃っていない顔は、まるで廃人のようだった。

 いきなり疲弊している圭祐。

 警察署で長時間わたり取り調べを受けているようです。

 しかし前回のどこを読んでも、圭祐がこんな扱いをされる理由はわかりません。

 というか、前回は圭祐の一人称で書かれていましたが、今回は『圭祐は』とか『彼の』とかで三人称で書かれていますね。

やっていない。だが、証拠はすべて彼が犯人だと示していた。どうして。誰が。思考霧散し、泥のように重い絶望けが、彼の腹の底に澱のように溜まっていく。

 圭祐の自認では『やってない』ことは確実のようです。

 ……修正前のバージョンの話では、圭祐の自宅のPCアンチによるハッキングを受けていました。そしてPC踏み台にされ、市役所爆破予告したことで圭祐が疑われることになってます

 が、これらはもう削除された部分なので、作者にとっては不要な話だったのでしょう。

 じゃあなんで捕まってるのか? どんな証拠があるのか? 読者はずっと置いてけぼりです。

 ともかく圭祐は『やってない』認識なので、ここはじっと耐えるしかありません。そうするべきなのですが……

「…あなたネクタイ、少し曲がってますよ。昨日、家に帰れていないんじゃないですか? 大変ですね、刑事さんも」

 追い詰められた圭祐は、刑事おちょくるような発言をしてしまます

 どうも圭祐は、極度のストレス状態になると自暴自棄になって、言わなくていい事ややらなくていいことをやってしま特性があるようです。

 圭祐のこの特性は、この後の物語でも度々現れます描写的にはここは圭祐の知性や洞察力をアピールしているようですが、それ以上に『空気読めない』感が出てしまっています

 物語的には、状況を動かしやすいので便利な『特性』とも言えるのですが……

 重い鉄の扉が、控えめに、しかし二度、規則的にノックされた。許可を待たず、扉は静かに開かれる。

 そこに立っていたのは、黒縁メガネをかけたスーツ姿の若い男と、その背後に現れた、息を呑むほど美しい少女だった。

 圭祐の態度に激昂しかける刑事

 そこへ突然、二人の人物乱入してきます。一応ノックしましたが、勝手に入ってきてしまっています

年の頃は二十一歳くらいだろうか。シンプルデザインでありながら、上質な仕立てのお嬢様ワンピースプラチナブロンドの髪が、蛍光灯の光を吸い込んで、銀糸のように輝いている。その佇まいだけで、澱んだ取調室の空気が、まるで聖域のように浄化される錯覚を覚えた。その凛とした存在感は、この閉塞した空間に、一筋の清冽な風を吹き込んだようだった。

 先に入ってきたスーツ姿の男より、その後ろの少女に注目し始める圭祐。

 見た目だけでなんで21歳だと一桁目までわかるんだよという突っ込みは野暮でしょう。20歳以上を少女と呼んでいいかも、ちょっと意見が別れる所かも知れませんがここも置いておきます

 

 刑事が色めき立つ。だが、その声は、彼女たちの存在感に弾かれるように、空虚に響いた。別の刑事少女の顔を見て、椅子から転げ落ちんばかりに目を見開く。

「て、天神財閥の……玲奈!? なぜこのような場所に……」

 天神財閥を聞いて『GHQによる財閥解体がなされなかった架空歴史か?』と解釈する人が出てきた問題の部分です。

 とはいえこの『財閥』はほぼ『大企業』と読み替えても差支えないとは思います天神玲奈の顔を見ただけで、ただの刑事すら怯んでしまっていますが。本当に財閥だったとしてもそんなことできないと思うので……

 美少女天神玲奈というそうです。天神が『てんじん』なのか『あまがみ』なのかはルビが無いのであいまいです。

天神玲奈と呼ばれた少女は、刑事たちの動揺など存在しないかのように、ただ冷たい視線で室内を見渡すと、まっすぐに圭佑を見据えた。その琥珀色の瞳は、感情を一切映さず、まるでガラス玉のようだった。

 「この男、私が引き取ります

 琥珀色の瞳。プラチナブロンドの髪と合わせると、日本人離れした容姿のようです。こういうのはファンタジーでありますから、非現実的なモノも悪くは無いでしょう。

 玲奈はいきなり現れて、いきなり圭祐を連れて行こうとします。

隣の弁護士が黒縁メガネをくいと上げ、冷静に告げる。

「不当な取り調べは即刻中止してください。証拠不十分なままの拘束は人権侵害にあたります。これ以上の異議は、我々天神法律事務所正式申し立てます

 黒縁メガネの男は弁護士だったようです。

 そして名前からして天神財閥法律事務所にも関わっている様子。暗黒メガコーポ。

 刑事の口ぶりと圭祐の認識では『証拠は圭祐が犯人であることを示している』とのことでしたが、実際には証拠は不十分であり、圭祐の自白を無理矢理待っていた話であるようです。

 そうなってるってんだからそうなんでしょう。知らんけど。

【偽りの日常

 ここから二つ目パートになります

 圭祐は天神玲奈によって救い出されましたが、そのまま家に帰れるわけでもないようで。

 目の前には、一台の黒塗りのセダン。その傍らに、石像のように佇む初老の男。完璧に仕立てられた燕尾服を身につけたその姿は、まるで絵画のようだった。

 圭佑たちの姿を認めると、男は滑らかな動作完璧お辞儀をし、後部座席のドアを音もなく開けた。

 「執事柏木と申します。圭佑様、どうぞ」

 弁護士の桐島とは別れ、玲奈と共に車に乗り込む圭祐。

 状況の変化に頭が追いついておらず、今だ混乱状態です。

 

彼女は慣れた手つきでロックを解除すると、圭佑に何も言わずに、その画面をこちらに向けた。画面に表示されていたのは、美しい彼女アイコンと、その横に並ぶ、信じられない数字だった。

 『天神玲奈 フォロワー 1.2M』

 そして唐突玲奈自身SNSを圭祐に見せます

 まあ。大企業セレブというのなら、単にSNSアカウントがあるだけでもフォロワーは相当になるでしょう。そういう人なら普段の買い物や着てる服を投稿するだけで数千はバズるでしょうし。

 圭祐では太刀打ちできない人気の差に、彼はすっかり委縮してしまます

 「どうぞ。その汚れた服で、容疑者のまま、あの地獄へお帰りなさい」

 車を降りようとする圭祐に玲奈はそう告げます

 弁護士が来てくれたんだから面倒を見てくれるんじゃ……とも思いかますが、ここはまあパフォーマンスだと考えましょう。

 実際圭祐の服は相当にボロボロでみじめな有様です。玲奈によれば、圭祐の実家殺害予告をするアンチもいるようです。当然元の製氷工場でも噂は届いていて、居場所はありません。

 ……圭祐は何をしたのでしょうか? そんな大事になるほどの動画をどうして投稿してしまったのでしょうか? 結果だけが描写されていて、理由とか経緯は一切明かされていません。

 会計前のパック寿司をその場で食べるくらいの迷惑行為をしていたのでしょうか? さっぱりわかりません。わかりませんが炎上しているし、炎上しても本物の人気者には遠く及ばないことは確かなようです。

「私はあなたガチ恋リスナーよ。あなたには才能がある。私にあなたの夢を見させて」

 問題のシーンです。

 お嬢様で、明らかに人気者のセレブが。零細のゲーム実況動画投稿者でしかない圭祐に興味を抱き、あまつさ『ガチ恋』という俗っぽい言葉を使っています

 本来ガチ恋とは『芸能人二次元キャラクターに対し本当に恋をしてしまっている状態、またはそのような人を指すスラング』とされており、あまりにも熱心過ぎて他のファン関係者迷惑がかかりそうな人というネガティブ意味も含まれます

 ですか『なっくり』世界観においては、このガチ恋は『真実の愛』と同義です。移行ガチ恋という単語が出ても、戸惑わず真実の愛』と読み替えていきましょう。

 車が向かったのは、高級レストランではなく、どこにでもあるファミリーレストランだった。店内は、昼時を過ぎた時間帯で、家族連れの楽しそうな声が響いていた。その、あまりにも日常的な喧騒が、圭佑には酷く場違いに感じられた。

ステーキです。一番大きいの」

 メニューを渡された圭佑は、何かに憑かれたように注文した。一番大きいものを。

 圭祐に無用な緊張をさせないためか、玲奈は圭祐をファミレスに連れてきます

 そして圭祐が注文したのが『一番大きいステーキ』。

 注文するにしてももう少し言い方あるだろとか、イマドキならタブレットで注文だろとか少々のツッコミがありますが、落ち着きましょう。取り調べを受けていたし、お腹が空いていたのでしょう。

「……あの弁護士、腕いいのか?」

「桐島のこと? 彼は天神が抱える中でも最高の駒よ。負けを知らない」

 数時間前まで爆破予告犯として詰問されていた男が、財閥令嬢とファミレスにいる。あまりの非現実眩暈がした。

 ここでようやく。ようやく。圭祐が『爆破予告犯』として取り調べを受けていたことが明かされます。おっそーい!

 でも圭祐は『やってない』認識なので、自分から爆破予告動画投稿したとかそういう話ではないでしょう。じゃあなんなんだよお前マジで。というかシンプルにこれは修正前の部分の残骸にも見えます

その時、店の入り口から金髪ツインテール制服少女が、弾けるような笑顔で駆け寄ってきた。天神莉愛。その明るさは、部屋の澱んだ空気を一瞬で吹き飛ばす。

 そして現れるさらなる美少女。今度は制服姿であり、学生であるようです。

 姉はプラチナブロンド銀髪)ですが妹の方は金髪な様子。

 この莉愛に関しては作者のお気に入りらしく、XでもAI生成のイラスト掲載しています

https://x.com/KyakerobyaSyamu/status/1951467840772653519

 

 彼女も席に着くなり、姉と同じパフェを注文する。そして、圭佑の隣に座ると、キラキラした目でスマホの画面を見せてきた。

「Kくんのガチ恋リスナー天神莉愛だよ!」

 彼女もまた、百万フォロワーを超えるアカウントを圭佑に見せつけた。「Kくん大変だったね! でもも大丈夫私たちがKくんの女神だもん!」

 妹もまたパフェを注文し、そして自身の百万アカウントを圭祐に見せてきます

 ところでそのアカウントってYouTubeでしょうか? どっちかというとInstagramとかTikTokとかやってそうなものですが。

 曲がりなりにも年上の圭祐に対し『Kくん』呼びで懐いてきます

 そして気になるのが『女神』という単語

車が向かったのは、都心にあるシネマコンプレックスだった。エントランスに足を踏み入れるなり、女性スタッフが駆け寄り、深々と頭を下げた。

 ファミレスを出て、天神姉妹と圭祐が次に向かったのは映画館でした。

 そういう予定だったのか、スクリーンは貸し切りにしてあって、上映作品天神姉妹がしていしたアクション映画

 圭祐は状況が飲み込めないまま、二人に挟まれ映画館デートします。

 巨大なスクリーンに派手な爆発シーンが映し出される。その轟音に、莉愛が大げさに肩をすくめ、圭佑の腕にぎゅっと抱きついてきた。

「きゃーっ! こ、怖くなんてないんだからねっ!」

そのあからさまなアピールに、反対隣に座っていた玲奈の眉がピクリと動く。その表情は、僅かながら嫉妬の色を帯びていた。

 彼女は何でもない素振りを装いながら、そっと圭佑の手に自分の指を絡ませてきた。その指は、映画の迫力に偽装された、圭佑への牽制、あるいは甘えのようにも感じられた。

 この辺りは天神姉妹の甘え上手な妹と、嫉妬深くもちょっぴり不器用な姉の対比ができていて良い感じの描写と思いました。

 タイプの違う美少女に同時に好かれて両手に花。まさしくラノベ的なロマンです。

 ただそれでも圭祐はどこか上の空で、後に誘われたゲームセンターでも調子が出ません。

 ゲーム実況動画投稿者ではありますが、やり込み系の動画ではないようです。リアクションも薄いようですが。まあ零細動画投稿者なんでそういうものかもしれません。

 

 車は、夜景の美しい高台にあるモダン邸宅に着いた。ガラス張りの壁が特徴的な、まるで建築雑誌から抜け出してきたような、非現実的な家だった。

「ここが、あなた物語舞台よ」

 ついに圭祐は天神姉妹の自宅にまで招待されます

 そしてようやく明かされる姉妹が圭祐の前に現れた理由

「正直に言うと、妹に布教されるまで、あなたことなど全く興味がなかったわ。でも…見なければ分からないこともあるものね」

 その言葉は、圭佑の心を深く抉った。彼の存在価値は、彼女にとって、たかが「コンテンツ」に過ぎなかったのか。

あなたの才能は音楽だけではないわ。あなたの『自宅紹介』の切り抜き動画、見たわよ」

 音楽の話なんて出てたか? と首をかしげる人は正しい人です。

 修正前のバージョンでは圭祐はオリジナル楽曲を作ってゲーム実況動画のオープニングに使っていたという話があります。でも現在修正バージョンにはそんな文言はありません。

 とはいえ工場で圭祐の『耳』が良いことは描写されてますし、それ故に彼に作曲の才能があることは示唆されています玲奈が言ってるのはそう言うことだと思われますが……

動画の中で、妹さんにお給料ゲーム機を買ってあげたと話していたでしょう? ふふっ、優しいのね」

 彼女は圭佑の全てを知っていた。彼の才能も、惨めな過去も、そして誰にも気づかれていないと思っていた不器用な優しさも。その事実に、圭佑の背筋に冷たいものが走った。まるで、魂の奥底まで見透かされているかのようだった。

あなたの作る音楽、書く言葉、そしてその不器用な優しさ。そのすべてを最初享受するのは私たちあなた時間も、音楽も、未来も、全て私たちのもの

 しゃらくさい言い方してますね。

 要するに玲奈は圭祐の才能のみならず、人間性も含めて、それら全部を所有し支配したいと考えたようです。圭祐自体は平凡な、どこにでもいるような『ただの男』であるように見えますが、本人にもわからない魅力や才能が、天神姉妹琴線に触れたのでしょう。

 いいんじゃないでしょうか。ヒトの趣味はそれぞれなので。

 助けられたのではない。捕らえられたのだ。その言葉は、圭佑の心を完全に支配する、絶対的な宣告だった。

 これが成り上がり炎上配信者だった俺が、最強の女神たちと世界をひっくり返す話~ 第2話 天神姉妹 でした。

 無実の罪によって社会的な死を迎えた圭祐は、今度は天神姉妹によるミザリー的な軟禁生活を強いられることになりました。

 鳥籠の中で彼は『成り上がり』できるのか? というところで次回へ続きます

『なっくり』考察感想 第3話https://anond.hatelabo.jp/20250905141623

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