
はてなキーワード:スイミーとは
Geminiに書かせてみた
レオ・レオニの絵本『スイミー』は、小さな魚のお話です。スイミーだけが黒くて、他の仲間はみんな赤色です。ある日、大きな魚にみんな食べられてしまい、スイミーだけが生き残ります。
スイミーはひとりぼっちになり、広い海を泳ぎます。そこで、海のいろんな不思議な生き物と出会います。そして、ついにたくさんの小さな魚たちを見つけますが、みんな大きな魚をこわがって、岩のかげにかくれていました。
スイミーは、みんなに言います。「ぼくたちが、みんなで力を合わせれば、大きな魚だってこわくないよ!」そして、みんなで一匹の大きな魚のかたちになることを思いつきます。スイミーが目になって、みんなでいっしょに泳ぎます。すると、大きな魚がびっくりして逃げていきました。
このお話で、ぼくがすごいと思ったのは、みんなで協力することの大切さです。スイミーは、自分だけが黒いことを「いいこと」だと思い、目がわりになりました。そして、ほかの魚たちも、スイミーのアイデアに賛成して、いっしょに頑張りました。
ひとりではできないことも、みんなで力を合わせれば、かならずできるんだなと思いました。スイミーのように、自分の得意なことを見つけて、みんなと協力すれば、どんなこわいことにも負けない、強い心を持てるんだなと学びました。
に見えるという話。
第2話:シャアとシャリアブルが酌み交わすのはシャトー・ラフィット・ロートシルト。
第6・7話:シムス・アル・バハロフ大尉がシャリアブルに手渡したのはオーパス・ワン。
どちらも、かつて「世界金融を牛耳った」と語られるロスチャイルド家が醸造する銘柄です。イスラエルに批判的な一部左派の中には「ロスチャイルド家のワインは口にしない」と宣言する人もいる中で、本作ではジオン側で同じ家のワインが"二度"も重用されています。
2.地球殲滅兵器「イオマグヌッソ」の開発責任者――レオ・レオーニ博士
第9・10話に登場。作中では戯画的ともいえるユダヤ系の顔立ちで描写されています。
参考:https://www.gundam.info/feature/gquuuuuux/character/49/
名の由来は、絵本『スイミー』で有名な実在のユダヤ人作家"レオ・レオーニ"。彼はダイヤモンド商の家に生まれ、若き日に未来派芸術とファシズムの接近から距離を置いた経歴を持ちます。
その名前を冠した人物を“地球殲滅兵器”の責任者に配置することで、原爆開発に関与したユダヤ人科学者やアインシュタインを連想させる構図になっています。
実在のレオ・レオーニは、世界三大奇書の一つとされる 『平行植物』(並行世界の植物を描いた本)の著者でもあります。
ジークアクス世界が「正史とは別の並行世界」として描かれている点と、この書名の“平行”モチーフが重なるのも、制作側の意図的なリンクと考えられるでしょう。
以上のように、
――といった複数の演出が重なり、「ユダヤ人(イスラエル)が人類絶滅を企てる」かのような読解を誘発しているように思えてしまうのです。
小学6年生になったら両親たちの前で受精ダンスするじゃないですか。
今の子どもってもうやらないんですかね?
流石に知らない人はいないと思うんだけど、念のために受精ダンスを説明しておきますね。
まず受精。受精っていうのは卵子と精子が結びついて胚が形成されることです。
で、受精ダンス。これは文字通り、射精された精子が膣内を泳ぎ卵子と結びついて受精するシーンを表現した創作ダンスのことです。
小学生の時に踊ったよね?
いや確かに受精ダンスって言っても正確には受精の瞬間だけではなく、
膣内への射精された精子が子宮腔内・卵管へと遡上して受精し着床に至るまでの妊娠の過程を表現してる訳なので、
もしかしたら受精ダンスはローカル名称で妊娠ダンスとか精子ダンスとか別の呼び方が主流の地域もあるかもしれません。
もう少し説明すると、
時は平安時代末期、木曽義仲が倶利伽羅峠の戦いにて牛の双角に松明をくくりつけ、怒涛の勢いで崖を下り寝静まった敵陣へ突撃し、慌てふためく平家軍その数10万を寡兵にて打ち破った逸話が如く、
卵子に向かって産道を力強く泳ぐ精子の鞭毛に見立てた長く伸ばしたる白きビニール紐(ポンポン作ったりする帯状のやつね)を両の手首に結びつけ、自らを3匹の精子となして、
皆で精子の大軍を作り、進軍するかのように走りながらも踊り狂い、ようやく到達した卵子を取り囲み包囲網を狭めながらぐるぐると周回し、
やがて選ばれた1人の精子が1人の卵子と手を取って踊り、受精できなった精子たちから祝福される。
そんな感じのダンスです。
「両親」とは父と母のふたりを指しているので、両親に「たち」を続けて書くのは重複表現だ!という話ではなく。
全校生徒の両親たちの前で踊るんです。
みんな踊ったよね?
いや確かに「次は6年生の出し物で、受精ダンスでーす!」っていきなり始まるわけじゃなかったですよ。
正確には劇の中のワンシーンだったので、受精ダンスしたってのを大げさだって指摘されるかもしれないですが。
(そういやどうでもいいんだけど、劇やってたのに学芸会じゃなくて学習発表会って名前の行事だったな…)
小学生が裏山に墜落したUFOから宇宙人助けてその御礼で過去に戻り、
父親と母親が出会ってセックスして受精ダンスして子どもが出来て大変な育児をして家族に愛されて今のあなたに育ちましたっていう
自分たちが生まれる経緯を追体験してあなたは大切な命なんですよー、みたいな。
劇のタイトルとか細部は超うろ覚えです。「命の物語~なんとかかんとか~」だった気もする。
宇宙人を助けたお礼で過去に戻るとか意味不明なんだけど、もしかしたらお礼じゃなくて人類の調査とかそんな理由だったかもしれない。
実は事故で死んだのは小学生で複製した体に記憶を埋め込むために過去の情報を集めて…みたいなストーリーに意味のある劇ではなかったはず。
下級生は「大きなカブ」とか「ごんぎつね」とか「スイミー」とかやってる中に、ボクら小学6年生は受精ダンスな訳ですよ。バカじゃねーの。
つまるところ、
小学6年生のボクらは性教育を受けた成果として、学習発表会に全校生徒の両親たちを前に性教育をテーマにした劇をして受精ダンスを踊った。
って話です。
今も昔もそんなことしてねーよ!ってツッコミでしょ?
リアルでもネットでもこの話をすると爆笑されて頭のおかしいやつ扱いされるか、ドン引きされて頭のおかしいやつ扱いされるかの2択です。
自分や同級生が精子になる話として聞けば爆笑かもしれないけど、自分の子どもが精子にされる話だと思えばそりゃドン引きだよね…
はなたれ小僧だった小学生のボクはなんも考えてなかったけど、冷静に考えて――いや冷静に考えるまでもなく頭おかしいよね?
大切な事だし、難しいのは分かります。
正直言うと、自分は当時に受けた性教育の内容全然覚えてないんだよね…
性器のついた男女の人形と性行為を説明したような絵本(紙芝居だった…?)を使った何回かの授業(内容は微塵も覚えていない)
共通スペースみたいな場所に好きに触っていいですよーって感じで展示物として授業の教材が置かれてたような?
すくなくとも自分に対しては実のある授業ではなかったのは間違いないです。申し訳ない。
授業をしてる先生が自分みたいな頭の足りないガキからは茶化されて、感受性の高い思春期の女子からは気持ち悪いオトナ扱いされるような
そりゃいろんなことを押し付けて、教師の鬱が問題になるのも仕方ないよなぁって。
でもさぁ、それにしたって学習発表会で性教育をテーマにした劇をするか?
性教育の劇をやろうって決めた当時の教師陣はマジでなに考えてたんだよ家族が人質か???
あの、アレあるじゃないですか。特殊性癖の有名なやつ。一大ジャンルになってるハイグレ化ってやつ。そんな感じで。
頭のおかしい学年主任が女子小学生を精子にして踊らせることに性的倒錯だとか征服欲だとか愉悦を感じてたって言われたほうがまだ納得いくよ。
けど先生方は真面目だったんだろ?真剣に生徒のためになると思ってやってたんだろ?だからこそ余計にわけわかんねーって!
親は子どもの晴れ舞台を見に学習発表会に行ったらお出しされるのが受精ダンスだぜ?
当時に親の反応まとめスレがあったなら100回声出して読みたいが、秒でインスタに受精ダンスが公開される時代じゃなくてマジで良かった。
今更なんだけど改めて自分の両親に劇の感想だとか、他の親御さんたちはどんな感じだったかなんて怖くて聞けねーもん。
これお出しされた後に教師と親でPTAの会合がどんな雰囲気だったか想像つかないよ。
小学生の自分はホントになんも考えてないガキだったんで劇なんてダサいぜ!めんどくさいわー程度にしか考えてなかったんだけど、
自分が中学生とか高校生になって、テストの点数を問われる形で性教育の授業をやって、異性のことを少しは真面目に考えるようになったときに
「あれ…あの小学生のときのアレってなんかおかしくなかった…??」みたいな。過去からやって来る薄ら寒さと恐怖というか。
真面目に性教育を受けていた同級生はもっと嫌な気持ちで劇をやっていたのかと思うと申し訳ない気持ちになってくる。
親とか友達とか密かに想ってる好きな子とか、大切な人たちの前で。
死ぬって。腹切って死ぬって。~命の物語~の終着点は今ここだよ。
さすがに親を前にして「精子するの楽しみ!受精がんばるぞッ!」なんて思ってた奴はいなかったと思うんだが、
もしかしたら無知なまま無邪気に前向きに胸を張って精子やってた同級生もいたのかなぁ…
あークソ!自分のトラウマが生成AIの作ったおもしろエピソードであってほしい…
思ってることはもっとごちゃごちゃしてて盛って茶化した感じで書いてるけどさぁ、真面目な顔しては語りにくいって。
ネットっていうのは集合知がなんとかかんとかで人類の英知が集まる場所らしいので、
ボクら同級生の体験以上に頭のおかしい性教育エピソードを披露してもらって
親の前で受精ダンスなんてどこにもある、ありふれた物語だよって教えて欲しい…
いやまじで。
こっそり教えてよ。
Permalink |記事への反応(10) | 14:35
・サメが来たら分散して逃げる、去ったら元の大きな形を作る、脱落したら個別に食われる
ーー
海の中に、小さな黒い魚のスイミーが住んでいました。スイミーは他の兄弟たちと一緒に泳いでいたのですが、ある日、大きな魚に食べられてしまいました。
それから、スイミーはひとりぼっちで海をさまよいながら、いろいろな海の生き物たちに出会います。その中で、他の小さな魚たちがひとりでは弱く、大きな魚に食べられてしまうことに気づきます。
ある日、スイミーは仲間たちと再会します。彼は小さな魚たちに、「ひとりではなく、みんなで協力し合おう!」と提案します。スイミーはみんなで力を合わせることで、何か大きなものに見せかけて、大きな魚に立ち向かう方法を思いつきます。
小さな魚たちはスイミーのアイデアに従い、みんなで集まって一つの大きな魚の形になりました。その姿で、大きな魚に立ち向かい、見事に危機を乗り越えることができました。
自分の時には以下が載っていたらしい。
さるがくる五味太郎
はなのみち 岡 信子
えばなし田村しげる
しっぽのやくめ川田 健
おむすびころりん 上 笙一郎
じどう車くら
ものの名まえ -
たぬきの糸車 岸 なみ
花いっぱいになあれ松谷みよ子
「おむすびころりん」は何となくあったような。おむすびが転がっていく話。それ以外はタイトルでピンとこないな…
その後、2年生で「スイミー」、3年生で「ちいちゃんのかげおくり」、4年生で「ごんぎつね」、5年生で「大造じいさんとガン」、6年生で「赤い実はじけた」などが掲載されていた模様。これらはタイトルで何となく内容を思い出せた。
教科書の表紙は忘れていたけど、見てみたらこれだ!と思った。記憶に残っているものだね。
独立行軍で生きていけない人たち。
君らはなぜか勘違いしてるようだ。
それが弱さでなくて何であろうか。
集団で狩りをするシャチは、群れなければ生きていけないから群れる。
たった一匹で過酷な海に立ち向かう力があるなら、最初からそうしてるさ。
それは君の友達力という力が高いんじゃなくて、周りの人に支えられてるだけだ。
友人がいる人よ。
無いだろうね、だって子どもの頃から友達なしの生活なんて考えたこともないのだから。
補助輪なしで自転車を漕いだことがないなら補助輪を外そうとは思わないよね。
仲間と絶交しろとは言わないから、彼らと距離を置いて、数週間生きてみろ。
そうすれば「依存先が多い方が自立」とかいう戯言にすがらなくても良くなるから。
「だったら支柱に絡まる朝顔の方がヒマワリより自立してることになるよな…」 ってな。
頭ん中の架空の他人の顔色をいちいち伺うような軟弱者は、弱いロジックに絡め取られる。
大衆はみんなと力を合わせてる証拠が欲しいだけで、シェアされてるなら中身は何でもいいのさ。
だから他人の顔色を見て答え合わせするたびに、人は独力で考える力を失っていく。
でも才能の大小はあれど、誰にでも “ひとりぼっち” の力を身につける希望はあるはず。
孤独な人生にチャレンジする勇気を振り絞って、成長へと踏み出せよ。
足踏みしてる時間が長いほどサンクコストは積み上がって、自分の弱さを正当化したくなる。
ただ、やれ。
63返信に574ブコメ!
単に差別を無くしたいなら、こんな集団リンチにはならないはずだよね。
コメントの枕に
釣りだと思うが、、
完全に釣りだけど、、
釣りかどうかなんてどうでもよくね?何を恐れているんだい?
差別を無くすためならば「釣りだ」なんてエクスキューズも要らない。あり得そうにないほどヒドイことだって言いたいなら素直にそう言えばいい。
反差別が目的なら真面目に反論すればいい。もし釣り暴露されても「よかった、差別者はいなかったんだ」で済む。
なのに、なぜ「釣りだ」なんて前置きをするのか?
差別で傷つく被害者の事など、本当はどうでも良いのではないか。
彼らはマウンティングがしたいだけではないか——そう仮定すると謎が解ける。
支配欲のままにマウンティングしたいだけなのであれば、逆にマウンティングされるのは顔を真っ赤にするような屈辱になる。
もし真剣に反論したのちに釣り暴露されたら、彼の手の内で踊らされた事になるからだ。だからちょっとおどけた風のコメントになる。コメントの人たちはマウンティングされるのを恐れているんだ。
コメントの烏合の衆にとって反差別は集団リンチを正当化するテイの良い言い訳に過ぎない。
スイミーのように群れに隠れれば、安全に、安心して一方的に獲物に襲いかかれる。
画面の向こうに傷つく人がいるのも忘れて。
「釣りだ」が、嫌がらせ狙いなのは疑問の余地はないでしょう。私の仮説が的を得ていないならば、「釣りだ」が嫌がらせではない、という釈明ができるはず。だけど卑怯者達は正義を信じる人々ではないので説明しようとはせずに、おそらく、誠実さを捨てて
逃げる
でしょう。
たった今、数日に渡る肛門の異物感から解放されとても晴れ晴れとした気持ちなのだが、汚い話を知り合いにするのは少々気が引けるのでこの場にこっそりと残しておこうと思う。
※ここから先は汚い表現が増えるため、食事中の方や下品な表現が苦手な方は読むのを控えて欲しい。
私は昔から胃腸が弱く腹を下しやすい為、普段は月の半分以上が軟便であり、二十数年の間便秘とは無縁の生活を送っていた。
きっかけは何なのか分からない。猛暑が続き水分不足になっていたのか、将又、二週間ほど前に患ったコロナウイルスの後遺症(味覚障害)が治ってきた反動でドカ食いをしてしまったのが悪かったのか。
前兆は八月十二日、金曜だった。
夕飯を食べ終え、いつものルーティンとしてトイレに向かった。冒頭にも記載したが私は軟便気味なので、トイレで排便する時は出たものがどのような形状をしているのか確認するようにしている。一般的なバナナのような形状の便であれば安心するし、固形を保っていない便のときは「お腹調子悪いんだね……可哀想に……」のような気持ちになる。健康的な形状の便がもりもり出るとなんだか嬉しい気持ちになり、便が流れていくのを名残惜しみながら見送るなどしていた。
そして、その日は珍しく硬い便、所謂「コロコロうんち」が出た。それを私は「あっ珍しいな、ナンカ小動物のウンコみたいでカワヨ」などと思い、それがこれから待ち受ける地獄の前兆とは気にも留めて無かったのだ。
翌日、八月十三日。一度も排便をしなかった。それを不思議に思うこともなく、Xデーは訪れた。
昨日、八月十四日、日曜、夜。便座に座り、尻に力を入れる。肛門から出ようとする便がいつもと違う異物感を持っていた。
いつもなら少し力を入れるだけで肛門からむにっと出てくる大便。例えるなら絞り袋から生クリームが出てくるような、そんな感覚なのだが、今日は違う。この肛門は大便ではなく石を出そうとしているのではないか、そうとしか思えない異物感。明らかに出口で巨大な固形物が詰まっている。
「大物だ!」
私はそう思い、ありったけの力をこめて息む。そしてこれが異常なのだと理解する。肛門の出口からほんの少し顔を出したきり、便は動かなくなったのだ。
どうする、ヤバくね? 一旦戻すか?
そんな慌てた気持ちで肛門に力を込めて、出口付近にいる大便を収納しようとした。しかし、便は全く動かなかったのだ。パニックになった私はトイレットペーパーを何重にも巻いた手でそっと肛門に触れてみた。すると、やはりほんの少し便が顔を出しており、肛門付近が盛り上がっているような、そこにデカい便がいる事を感じることができた。
これは、マジでヤバい。そう思った。このままでは出ない、どうしたらいいのだろう。焦燥感に駆られた私は便を軽く押してみた。思っていたより硬くはなかった。石のような硬さだと思っていた便は、土粘土程度の硬さだったのだ。
確かにこれは肛門のパワーではどうすることもできないかもしれない。だけどこの手なら……!
今一度トイレットペーパーで厳重に手を保護し、肛門の周りを優しくマッサージして便を出口に誘導するようにしてみる。試しに息んでみると、出口から少し便が出てきたではないか。
これだった、これが正解だった。解を得た私は時間をかけて粘土ウンコを肛門の出口に誘導し、ついに一本分を出し切ることに成功したのだった。
しかし、便はもう一本分あった。
私は絶望した。一本出し切った先に、無くならない便意ともう一つ確かにある異物感。そしてラスボスなるそいつは先程の便よりもはるかに硬度が違った。同じ方法で出すことができなかった。何より、私の肛門は限界だった。先程の戦いでの負傷が大きく少し力を入れるだけで激痛が走る。もう駄目だ。
いつの間にかかいていた脂汗を拭い、肛門をウォシュレットで洗浄した後、トイレットペーパーで汚れを拭き取り、異物感を抱えたままトイレを後にする。
まるで肛門にクソデカい栓をされているような、そんな感覚がずっとある。しかしもうこれは今の自分たちではどうすることもできなかった。これ以上は無理だ。だってここまで一時間以上経過していたのだから。
間もなく日付も変わる、そんな時間に私はネットを駆使して一つの可能性と出会う。
これを使えばワンチャンあるのではなかろうか、というかもうこいつで駄目だったら病院行くしかないだろうし、肛門に特大鉱石ウンコを抱えているという状況を医者に説明するのは流石に嫌だし、浣腸でなんとか出すしかなかった。
そんなこんなで本日、八月十五日。私は朝一番に薬局に向かい、浣腸を手に入れた。因みに肛門に感じる異物感が気になって一睡も出来ていない。
レッドブルと浣腸を共にレジに出された時、店員さんの顔が一瞬引き攣ったような気がしたけれど、自意識過剰なだけだと思いたい。正直かなり恥ずかしかったので何も思われてないと嬉しい。
尚、本来イチジク浣腸を購入する予定だったのだが、何故か二個入りのものが売り切れており、大量に入っているものしか置いてなかったため、他メーカーの浣腸を購入した。
期待を胸にトイレに駆け込み、パッケージを開けてみる。三十グラムの浣腸は想像よりも多く、「これ全部ケツに注ぐんか……?」と一瞬日和ってしまったが、それよりもこの肛門の異物感を何とかしないといけないという気持ちが大きかったので、気合で肛門にノズルを挿し、液体を注入した。しかし浣腸バージン故、上手く出来なかったか液体がダバダバ零れていく。しかし触れた感じノズルはしっかり奥まで入っているし、確かに液体が注入されている感じも肛門越しに感じる。これ以上零れたら駄目だと力をこめて全ての液体を注ぎ、浣腸を引き抜く。ノズルが便で汚れていて少しだけ引いた。
説明書には二分から五分待ってから出すものを出せと記載されていたので、液体を零さないよう力を込めながらしばらく待ってみる。すると、自分には馴染みのある下痢の時に感じる痛みが襲ってきた。メチャクチャヤバい下痢の時の痛みのそれだった。
出したい、今すぐ出したい。激痛便意に襲われながらも私はこれなら絶対出るだろうと期待に胸を膨らませた。
そしておおよそ四分が経過した。腹痛も限界を迎えつつあり、そろそろ良いだろうと力を込めた。
絶望と共に怒りが湧いてくる。結局出ないならこの腹痛は何だったのか、なんなら浣腸液を全部出し切ったっぽいのにまだ痛い。こんなに辛い思いをしたのに結局自力で出すか恥を捨てて病院に行くしかないのか。
沸々と湧いてくる怒りに任せて息んでみると、便がほんの少しだけ動くような感じがあった。このまま強行突破できるかもしれないと思った私は肛門が切れることを覚悟して息み続けた。ウミガメの出産もきっとこんな辛さなのだろう。
息み続けること数回、ついに鉱石のように硬い特大ウンコが肛門からするりと誕生し、私は肛門の激痛もお構いなしに立ち上がり、その姿を確認した。
きっとこれは今まで見たこともないくらい特大のウンコだろうと想像していたそれは、なんと複数の便が集まって一つの塊となっていた。ウンコ界のスイミー、或いはベーコンエピ。「そりゃ出口で詰まるわな」と納得と共にほんの少し感動すら与えてくれる特大ウンコ。肛門はこれだけ巨大なウンコも出せるのか……これは人間の神秘だった。
間違いなく人生で出した便の中で一番大きいビッグ・ベンが流されていく姿を見送り、トイレットペーパーで尻を拭いた。トイレットペーパーが赤く染まっていた。
特大の便を排便するための代償は大きかったのだ。
あれからもう一度トイレに行ったが、やはり肛門から出血しているらしく、後ほど切れ痔のケアについて調べてみるつもりだ。
最終的に便を出すことに成功したのは浣腸パワーなのか、それとも自力でなんとかしたのか分からないが、とにかく長い戦いに終止符を打つことができて一先ず安堵している。
ただこの激硬ウンコと便秘の原因がわからず仕舞なので、今後の排便で症状が再発しないか不安なところだ。
しばらくは水分を沢山取り、食物繊維とヨーグルトを摂取して様子を見ようと思うが、なにかおすすめの腸内ケア方法があれば教えてほしい。