
はてなキーワード:ショッキングとは
米津玄師が「デンジって女性に対してものすごく性欲的な感情を抱くけれども、セクハラ的な行動は絶対しないんですよね」とインタビューで話した件について、ネットの弱者男性界隈がガチギレして殺気立っている。米津玄師の存在を消して、米津玄師に共感する女だけに対して異様な被害者意識を抱いている。
Xを見れば特に楚バットなる中年弱者男性の噴き上がり方が凄まじい。
「楚バット@geEeZ4e
デンジ(未成年、孤児、貧困層、児童労働、大人に利用され続けた被害者)に向かって"性欲あるのにピュアでかわいいでちゅね〜"的なセクハラしてるオバサンオタクほんまにキモくて有害な女性性の悪魔かと思った」(1万いいね)
デンジくん、マキマさんパワーちゃん姫パイと序盤から連続してスケベ行為の見返りに危険な事をさせられるという直球の性的搾取を受けてるんですが、それをデンジくんはセクハラとかしなくってぇ・・・みたいな消費のされ方してるのちょっとグロテスクだと思います」(5千いいね)
「石壁@waxter1211
デンジは性欲があるのにセクハラしない紳士!」は本質を捉えてないし「デンジの性欲は綺麗!」はもはや噴飯物の主張あれは人生で女性と全く関われなかった影響でセクハラや性欲まみれのアプローチすら実行する発想が無い、本物の恋愛弱者のムーブだろ本当に皆さんは弱者が目に入らないんだな」(1.4万いいね)
その他、有象無象のキモオタアイコン弱者男性ミソジニスト男オタクが、うじゃうじゃと女特有の読解力のなさだとか男性を加害生物のように扱うのが許せないだの行く動に直球の差別発言を吐いているが
要するに【米津玄師サンが発言者なのは男だから脳内から消去します】【デンジはセクハラしないのが長所だと女が語るのは、弱者男性(俺)への性的搾取に決まっている】【女に俺の性欲を否定された】という歪んだ主張に尽きる。
まず主題歌を連続で担当するだけあって、米津玄師の読解は正しい。
『チェンソーマン』は暴力的で野蛮でショッキングでバイオレンスに見せかけて、最近の漫画らしく主人公陣営は馬鹿をやっても不快感が極力なく応援したくなるように、きちんと計算してヘイト管理されている。
「藤本タツキは天然でM性癖だから」で片付けるのは、さすがにタツキの頭を見下しすぎだ。作品理解力が誰よりも劣っている。
デンジは育ちは無茶苦茶で語彙はドブだが、決してクズではない。
陰キャ特有のめんどくささは皆無。素朴で真っ直ぐで不幸な目にあってもすぐ立ち直る明るさがある。
1話時点から粗暴な野生児ながら倫理観と社会性をそれなりに備えていたし(己を搾取したヤクザを殺した事でさえ成り行きでゾンビ化して人間に戻れないなら仕方ないと分別のうえだった)
人並みの環境に移ってからは世間との折り合いやコミュニケーション能力が急成長している。それが出来ているのは自分の不幸を言い訳にしないからであり、自分が弱者であることに甘える発想が無いからだ。
王道の少年漫画主人公らしい魅力を持ったいい奴である。性欲のある孫悟空みがある。
そんなデンジに、デンジとは180度真逆の、自分のケアを他者に強要する事しか頭になく倫理観と社会性が中年になっても欠如したままの、自分の弱さを盾に諸々放棄して全ての責任から免除されようとする自分だけに甘い卑劣さな超陰キャオジサン達が一斉に自己同一視しているかと思うと、滑稽であると同時にデンジに同情してしまう。
そもそも「デンジって性欲はあっても、加害したりマウントしないのがいいよね」の一言に勝手に湧いて出てきて「傷つけられた」「はい性的搾取」と騒ぐ心性が理解できない。
楚バットラルナ石壁ら100人異常散見できた自称弱者男性軍団の理屈に照らし合わせると、まるで『男(俺)の性欲には女を加害しても許される男性権が当たり前に含まれており、それを不当に奪われたから怒った』と言わんばかりではないか。
性愛に限らず、人は何がしかの欲求に常に振り回されている。その我欲の充足のために他人を傷つけたり貶めたりしないのは人間として最低限の道徳であり、普通の対等のコミュニケーションである。
その普通の対等のコミュニケーションを、女性が男性に対して肯定した時だけ「搾取だ」「グロい」「傷ついた」と逆上する被害者意識は超弩級の女性差別主義と一体だ。
「男性を女を屈服させる願望持ちの加害動物のように言うな」などと女性憎悪で誹謗中傷のクソリプする弱者男性集団は論外で、その行動で自らの男特有のミソジニックな加害性を証明してしまっている。
マジレスするけど、もし、デンジが自分から性行為と引き換えに悪魔退治してやると女性陣に持ちかけてたら、読者の印象は最悪だぞ。「弱みにつけ込む小狡い肉欲クズ」として。
女性陣の性的奔放さを強調したとしても、どうしてもデンジに計算高い印象を与えてしまう。それだとキャラがブレる。
性的取引が初手から大満足の結果だったらデンジが早々に目標を失ってしまい、作者が困る。
何事に対しても内向的で受け身なアニメの碇シンジ系キャラならイラつく読者も多くなるだろう。「積極的に動いてエネルギーを外に向けて発散する外向性を有しつつ女性に対しては奥手」は昔から愛される王道主人公像だ。
とにかく『チェンソーマン』本編の面白さと読者好感度のバランスは、デンジの性欲抱いてもセクハラではなく純粋なイチャラブ願望で実現しようというピュアさと健気さで成り立ってる。
作り手が意図して「こんな男子、可愛げあって好感持つでしょ?」と造形してるんだから、その観点でデンジに好感持ってる米津玄師や女性ファンは正しい。
内なる暴力性を持て余してる欲求不満の非モテ男性が「俺を無害と見なすなクソ女!俺様の抑圧されし性欲の恐ろしさを思い知れ!男と書いてチンポの怒りをくらえ!」と突然キレ出して暴れるような、自称弱者男性の理想の物語が欲しければ新井英樹の漫画でも読んでろ。
一期が大成功した以上二期も少なくとも一定以上の成功はほぼ確実視されていたが
けもフレ2並のショッキングな出来事がメインスタッフであり大ヒットの立役者を名乗る脚本家によって発生してしまい、余談を許さない状況となっている
仮にぼざろ二期が「そこそこ」程度で終われば、それは最早「二期は失敗」と言っても良いだろう
ここであの脚本家の真の実力が試されている
逆風にも負けず一期に負けず劣らずの大ヒットすれば「脚本家の貢献もあって成功した」と胸を張って代表作扱いも可能であり
逆に失敗すれば「脚本家が戦犯だった」「脚本家がノイズだった」と叩かれるだろう
しかしながらネットの反応を見る限り「アニメも原作も楽しんでいたのに、いきなり制作陣に『お前は性加害者だ』とレッテルを貼られた気分になって、もう楽しめなくなった」
「ただ楽しんでいていただけなのに『性的搾取者』にされるなんて…」という人達が少なくない
ほら見ろこれがオタクの加害性だ、お前らは性的搾取者だった、これは制作者のお墨付きだぞ!
などとネットで叫ぶ女性たちも多く、ますますその傾向は強くなるだろう
ぼざろ二期は今の所、厳しい状況である
経歴
ルー・リード(1942-2013)は、ロックミュージシャン(シンガーソングライター、ギタリスト)。
ニューヨーク郊外で会計士を営む実家に生まれ、シラキュース大学では英米文学を専攻し、伝説的な作家デルモア・シュワルツに師事しながら、ギターを持ち、B級レコード会社のために流行にのったヒットソングのパクリのような曲を提供していた。
この頃、同性愛(極度のホームシックによる鬱症状という説もある)治療のために家族の手配で電気ショック治療を受けさせられる。
1964年に伝説のロックバンド「ヴェルヴェットアンダーグラウンド」のメンバーとしてデビューし、ショッキングな歌詞と前衛的な演奏でカルト的人気を博した。
1970年代にはソロに転じ、前半はデヴィッドボウイのプロデュースした「トランスフォーマー」で、グラムロックの代表的ミュージシャンとして活躍した。お笑い芸人「HG」のルックスはこの時期の彼に影響を受けている。
徐々に黒人音楽に傾倒し70年代後半はドンチェリーらと組んでフリージャズとファンク、ラップのような歌が合体した奇妙な作品を出し、軽い混迷期に入った。
80年代以降はシンプルな4ピース(ギター×2,ベース、ドラム)の骨太の演奏に語りのようなモノトーンな歌い方を乗せる方法論が定着し、「ブルーマスク」「ニューヨーク」などとっつきづらいがくせになる名盤を作った。
その後セールスは低迷し、本人も70年代後半のような実験的・音響的な方向に傾倒し、2000年代中盤以降新作はリリースされず、2011年に突然、スラッシュメタルの大御所メタリカと共作アルバム「ルル」を作ったが、長尺でラフな演奏にメロディがほとんどない歌声が乗る(しかも一曲が長い)作品は、特にメタリカのファンから酷評された。2013年に肝臓癌で死去。
作品紹介
この詩集は生前に発表された唯一の詩集(多分)で、彼の歌詞と、雑誌に発表した詩・記事からなる。
詩の魅力
ボブディランのような多義性・はぐらかしや、レナードコーエンのような崇高さとは異なり、ルー・リードの歌詞は明確、即物的・客観的で、感情を乗せない、観察者的な視点が特徴である。言葉遊びも少ない。
テーマはショッキングなものが多いが、それが詩の構造・精神にまで侵食せず、あくまで象徴として機能しているのが魅力で、それゆえ、声を張らなくても、メロディを工夫しなくても(楽曲のほとんどが2~3コードで作られている)、演奏を盛り上げなくても、聞き手に迫る。
薬物
代表作「ヘロイン」は文字通りヘロインについて歌った作品であり
「ヘロイン/ぼくの死であれ/ヘロイン/ぼくの女房でぼくの人生」
と、その表現は率直で容赦ない。
ただ、ヘロイン自体の直接的・具体的な描写はなく、これは読み手(聞き手)には、自分が愛着をもち、人生の代替となる「何か」と置き換え可能な普遍性を持つ。
「ぼくは彼女がスコットランドの女王メリーだと思った/ものすごく努力したのに/まったくの勘違いだとわかっただけ」
と、ここだけ読むと幼稚なほどロマンチックな失恋の歌なのだが、最後に
と突然血なまぐさくなる。
一見強面・ハードな印象のある作者だが、薬物以外に拘りがあるのが「家族」で、例えば、
「おふくろに恋人ができた」という歌は、
「おふくろに恋人ができた/昨日やつに会ってきた/おふくろが新しい人生の1ページを始める/やつとの関係が早く終わってほしい」
「妹へ」という歌は
「元気が無いって自分でもわかっている/このところ調子が良くないからな/でも信じてくれ/ぜんぶおれのせいだ/おれはずっと自分の可愛い妹を愛してきた」
とストレートな愛情を歌っている(妻を歌うときにこのような率直さはない)。
79年のアルバム「ザ・ベルズ」は控えめに言っても駄作だが、最終2曲が秀逸で、
「おれは家業なんていらない/あんたが死んだってそんなもの継ぎたくない」
「パパ/こうやって訪ねたのは間違いだった」
と歌う「家族」(ルー・リードは父親を憎む発言を繰り返し、生前最後のインタビューでも「親父はオレにそんなクソ(注:ギターのこと)はよこさなかった」で締めた。)
に続き、
「宙を舞い/体をつなぎとめるものもなく/宙を舞い/膝から地面に落ちた時/パラシュートなしで公演するのは/あまりかっこ良いものではなかった」
と夜のブロードウェイでの飛び降り自殺を描く「鐘(The Bells)」で終える。
好きな理由
露悪的ではあるが、情緒に頼るところはなく、自分のことを歌っているようでもどこか第三者的な目線を感じる。その透徹したところが魅力で、苦しさややるせなさを抱えていても、読むと「ふわっと」自分から離れられる不思議な癒やしが感じられる。
自分の気持ちを抑えられないほど悲しいときや辛いときに読むと、不思議な浄化作用を得られる。
自分が好きな歌詞は、本当に悪趣味なのだが、「黒人になりたい」という歌で、
「黒人になりたい/ナチュラル・リズムを身につけて/6メートル先まで精液をとばし/ユダヤ人のやつらを痛めつけてやる」
という、人によっては噴飯ものの歌詞だが、リズムの良さと話題の飛躍に、どこか英雄に憧れるおとぎ話めいたユーモアがある。
そして、ルー・リードがユダヤ系アメリカ人であることを念頭に置くと(そして、本人がそのことを歌で一切明かさないことを含めると)、この人の自虐性とユーモア、という側面も見えてくる。
読み手/聞き手によって評価は異なるが、自分にとっては、「毒」を浄化してくれる「毒」(=解毒剤)だと思います。
以上
参考資料
(書影)
https://www.kawade.co.jp/np/isbn/9784309257501/
(楽曲)
(heroin)
https://www.youtube.com/watch?v=yN-EZW0Plsg
https://www.youtube.com/watch?v=mEuShdchzkk
(families)
https://www.youtube.com/watch?v=JXbu4z2kc6s
(I wanna be black)
https://www.youtube.com/watch?v=H-ksg_ZVn8s
(sad song)
https://www.youtube.com/watch?v=QG_ooIR0DTY
https://www.youtube.com/watch?v=ZbOG-2ahx4w
(the bells)
物書きの方が、こういう記事を出してたのよ。
インターネットに定期的に訪れる「おもんない人しかいない時期」(2025年4月24日の日記)
https://note.com/hito_horobe/n/nb651f6571c62
なんとなくネットを眺めていると「おもんない人しかいない時期」に入っちゃったな……と感じる。ゴシップの勢いが強すぎて、みんなが不倫した人への誹謗中傷、貧乏な人にゲーム機を盗まれるという根拠のない恐れ、マイノリティの差別などに絡めたネタを披露している。なにもおもんないと思う。「おもんない」にはただ面白くないだけでなく、社会規範上許されない・人を過剰に傷つける・プライドや信念がない・美しくない、といったニュアンスが含まれているように思う。裏を返せばユーモアには一定の倫理と美学がなければならないとも言える。実際にネタツイをやっている人はそうした領域に手を出さないし、「しゅうまい君」(ユーザの発言を学習してマルコフ連鎖で繋ぎ合わせる、人気のbot)はNGワードを何年もメンテナンスし手動での削除もしているという(記事)し、カスの嘘も社会に害をなさないよう慎重にネタ作りをしているという(書籍)。ゴシップや差別のジョークは安易に人の偏見の部分を喜ばせ増幅させるのみであって、倫理と美学が欠けている。
「コミュニティの一生」は面白くない人が多数参入することで面白い人が去ってしまいコミュニティが廃れる流れを説明した有名なコピペだが、SNSでは週刊誌やスポーツ紙、変なインフルエンサーなどのおもんない主張が強力な注目を集め、おもんない人が乗っかり、一生おもんないことを言って群れていて、最初からおもんないので終わることがない。いまのところユーモアの美学はそうした流れに数で勝てていない。なんとかしてユーモアとそのセンスで悪い流れに勝てたらいいなと思う。
こうやって、面白い活動を普段からやってる人たちを見てると、「ゴシップなどの低俗なネタを面白いと思う感覚器官」が一切ないように思えるのよね。
自分、ゴシップとかは自ら拡散しないようにはしてるけど、正直こっそり見て面白がってる面がないと言ったら嘘になる。
ゴシップとはまた違う方面で言うと、この方、「アニメ画像4枚貼りアカウント」も痛烈に批判している。
なぜ「アニメ画像4枚貼りアカウント」が嫌なのか(2025年7月10日の日記)
https://note.com/hito_horobe/n/ndf600a871b9c#4e594bb9-0e8c-4e7a-8e48-da2544519b89
「タコピーに傷つけられたメンタルに良く効くアニメ」と題して、『魔法少女まどか☆マギカ』や『メイドインアビス』などのショッキングな描写のある作品をそうでないように装って紹介するツイートが人気を集めている(投稿)。知らない人が騙されてショックを受ける様子を想像してみんなでニヤニヤするというしょうもない馴れ合い。しかもいずれも人気作なので実際に騙される可能性はほぼない。「人を騙してショックを与えるユーモア」のためにそういうアニメを列挙するというのは消費態度としてもダサすぎる。4枚貼りアカウントたちはこういうしょうもないユーモアを一生やっている。つまらないユーモア自体に直接の罪はないが、同じようなつまらないユーモアがレコメンドで何度も流れてくるので気が狂いそうになる。
自分も、こういうのが、「多分「ちゃんとしてる人」からはつまらないものなんだろうな」って思うのは分かる。わかるんだけど、でも純粋に面白いなって思っちゃう自分もいる。
こうやって振り返ると、自分は、「つまらないとされるものはつまらないと知っておく。それで、拡散はしない」っていう態度なんだけど、この方とかは「こんなん言われなくてもつまんないじゃん」という感じなのではと思う。
そうやって、「そもそもこういうのを最初からつまらないと思える感覚」を身に着ける方法を知りたい。不謹慎ネタも、アニメの表層をなぞるのも、面白いという感覚器官が自分の中に備わってしまっている。
薬の名前は忘れてしまったが(SSRIではなかったと思う)、うつ病の薬飲んでもあんまり効いてる気がしなかったのよね。
医師に相談しても様子見だって言われて、2年くらい同じ薬飲んでたけど、身体がだるいだけで気分が晴れたり落ち着いたりは感じなかった。つらいし不安だし、酒飲んだほうがちゃんと眠れた。そもそも普段から起き上がれないほどつらい日もどうにか仕事行くタイプだったので、症状としては人より軽かったのかもしれないが。
辛かったのは休みの日で、家から出られないし寝てるといろんなこと考えるし、ずっと酒飲んで気絶するみたいにしてた。過食の気もあって、今より10kgぐらい重かった。
仕事してる時は普通でいられたのは、多分必要とされたかったのだと思う。でも身体がボロボロになってきたので、仕事を少し減らして(具体的には夜勤をやめて)、通勤に楽なところに引っ越して、ついでに心療内科も行かなくなったら少しずつ楽になった。生活のリズムを作れたのが良かったのかもしれない。
人間なんて何かのきっかけで越えちゃいけない線を踏み越えちゃったりするもので、自分は運が良かったりヘタレだったりしたので今も生き長らえてるんだと思う。
その哲学者の言葉は、非常にユニークで刺激的な方法で、異なる種類の論理を表現していますね。
「ケツ」(おしり)と「チン」(ちんこ)という言葉は、哲学的な文脈では非常に非公式で、もしかしたらショッキングに聞こえるかもしれませんが、その哲学者は確固たる/健全な論理と不合理な/見せかけの論理を区別するために、挑発的な比喩を使っているようです。
彼が何を暗示しようとしていたのか、分解して考えてみましょう。
このフレーズは、結論(「結-論」)が、しっかりとした推論によって導き出された場合、それはまるで人が座るためのお尻が安定した基盤を提供するように、根本的で確固たる基盤を提供することを示唆しています。
良い論理は確固たる、否定できない結論に導くということを、実に素朴な方法で表現しているわけです。
「珍論」は文字通り珍しい、奇妙な、または異常な議論/理論を意味します。
これを「チン」(ちんこ)と結びつけることで、次のような論理を示唆しています。
本質的に、哲学者は粗野だが記憶に残るアナロジーを使って、不十分に考案され、実体がなく、あるいは単に不合理な議論をけなしているのです。
哲学者は、これらのかなり粗野で非公式な言葉を使って、明確な対比を生み出しています。
「お尻のロジック」は、堅固で、地に足がついていて、安定した基盤を提供する結論を表す。
「ちんこのロジック」は、脆く、衝動的で、信頼できず、最終的には不合理な議論を表す。
これは非常に型破りで、もしかしたらショッキングな表現方法ですが、確かに人々の注意を引きつけ、強いユーモアと俗悪さをもって要点を突いています。
彼女へは僕からアタックして交際し、結婚し、子供も2人産まれて一見幸せそうな日々を送っている。しかし妻は僕のことが好きじゃないらしい。
あなたのことは嫌いなわけではないが、特に好きではないと先日告げられたときはショックだった。曰く、嫌いではないし、一緒に遊ぶのも、子育てするのも、ご飯を食べるのも楽しいが、別に結婚するのは僕じゃなくてもよかったしベストな選択をしたとは思ってない、とショッキングなコメント。
結婚してからもう10年が経つが、妻は僕に敬語で話すことも多く、思い返せば確かに妻と僕との心理的な距離は遠いらしい。どうすればもっと近づけるかな、好きになってもらえるかな。僕のことをどう思ってるか聞いたら、一緒に生き抜いてきた戦友だとも言っていた。そんな関係でいいんだろうか。
特に誰かと盛大に揉めたりすれ違ったりした訳でもなく、なんなら相手は私に良い印象すら持ってくれている(少なくとも私からはそう見えるしそういう態度をしている)のに、いつの間にか相手や私にはどうしようもないような理由ですぐに縁が離れてしまうのだ。
それだけならよくある人間関係の出会いと別れに思えるかもしれないが、私の場合は本当に縁の切れ方が相手の不幸や環境の急激な変化など、相手にも自分にも本当にどうにも出来ないショッキングな事柄であるのが、私が真剣に悩み恐怖している部分である。
その毎回疎遠になるきっかけの出来事というのが、例えば相手が引っ越しただの仕事が決まって忙しくてどうだのといった理由ならばまだ理解出来るのだが、ある友人は事故で入院したと連絡が来たっきりSNSでもリアルでも音沙汰がなくなってしまったり、恋人はいきなり重病にかかって帰らぬ人となってしまったりといった感じで、何故か私と絡んだ人は毎回相手にも自分にもどうにも出来ない不幸な出来事で疎遠になっていくので、個人的にはかなり気味が悪いと感じてしまう。
これが一人二人ならば「まあそんな事もあるだろう」で終われるのだが、私の場合は友達にしろ恋人にしろ何故か尽くそうなのである。
最初は私が単に人に嫌われやすい人間なだけで、みんなが私を避ける為に適当な理由をつけて距離を置いてるのかと思った事もあったが、その人達の共通の知り合いやその人達の家族や恋人といった親しい筈の人間も、皆同じ事を言ったり聞いたりしているのを直接雑談の中で聞いた事が何度もあるのでその線も無い。
もしそれがみんなが口裏を合わせてるんでなければ、
私が仲良くなった人間はみんな「偶然」体調を急に崩したり
「偶然」事故に遭ったり死んだりしてる事になる。
そう考えると人と関わるのが正直怖くなってしまった。
何で私が関わった人間はみんなそうなるのか理由は全く見当もつかないけれど、少なくとも相手や私に急に別れが来たり不幸が起こったりするのに、それでも積極的に人と関わる気は起きなくなってきてしまった。
クッソ長文で下手くそな文章な上に、こんな非現実的な話を信じてくれる人がいるか分からないが、もし似たような経験をしてる人がこの世のどこかにいるのならば、少しでも共感し合ってみたいと思ってここに書いてみた。
最近ぼちぼち、トランプを支持した連中の悲鳴が聞こえてきている。
いくつか紹介しよう。
なお、スモールビジネスの救済の可能性についてインタビューを受けたトランプ先生からひと言。
今やたくさんのビジネスが、関税で助かってる。彼らは助けは必要にしてない、なぜなら彼らは大金を手に入れようとしているからだ。
TheArt of Dealにこういわれちゃあ才能がなかったとあきらめるしかないな。
なお、この男性、袋叩きに堪忍袋の緒が切れ、さらに失笑を買うビデオを流してしまい、同情は買えなかった。悲しいね。
「俺が困ってるの見てうれしい」 「投票の結果にふさわしい」
そりゃ関税が上がるってのはわかってたさ。俺みたいな小さなやつにはやべぇのも。
でも俺、まさかゼロクッションで25%もドカンとくるとは思わなかったんだよね。『国内生産に戻るためのインフラ整備をする』って話だったじゃん?
だから、誰かが苦しんでるって話を喜ぶのはマジでないと思うわ。
俺の人生で会う人が、どんな人か、親切か、礼儀正しいか、誠実か、そういうことで俺は人を判断してきた。だれに投票したかとかじゃないだろ。
トランプがどんな人か、親切か、礼儀正しいか、誠実か、で判断してトランプに入れたんだから、まぁそれはしょうがないよな。
4/25にXにトランプに懇願する投稿がされた。当然返事はない。
@realDonaldTrump私はあなたに投票し、今でも支持しています。
私の妻は教員交流プログラムを通じて合法的にここに来ました。私たちは結婚し、その直後に妻が市民権を取得できるよう弁護士を探そうとしました。
ところが今日、『職を失う可能性がある』という内容のメールが届きました。
アメリカを再び偉大にしようとしているのは理解しています。それは素晴らしいことです。
私は結婚後に妻を市民にしようと尽力しているのに、手続きだけで1万ドルかかります。
私はあなたに投票し、あなたは素晴らしい人物だと思っています。
妻は正しいことをしようと努力していたのです。
悲しいね。残念だったね。でもあなたの妻は、アメリカ人の仕事を奪ってるっていうのがあなたがたMAGAの主張で、アメリカ人ファーストって言ってるやつを選んだんだから仕方ないな。
私たちは裏切られた、だまされたと感じています。トランプはこんなことをするなんて言わなかった。彼は違法移民の犯罪者を追放すると言ったんだ。長い間ここに平和にいる人を追い掛け回すとは言わなかった。嘘つきだ。こんなことをするなんて知っていたら、違う票を入れた。」
彼らの息子、アグスティン・ジェンティーレは、13歳の時に両親ともにアルゼンチンから渡米。31歳、ノースカロライナ在住、米国市民の6歳と8歳の子供がいる。2019年に軽犯罪法違反で保護観察処分を受け、2023年に保護観察処分は終了していたが、海外旅行からの帰国時に拘束され、グリーンカードを取り消され、移民管理センターに収容された。5月12日以降に審問があるといわれているという。本人曰く、収容所でグリーンカードを持っているのは自分だけで、他はみんな違法移民だ、と両親に話しているそうですが、グリーンカードは取り消しずみですので、ジェンティーレはすでに不法移民ですね。なお、DHSは、グリーンカードやビザは特権であって、権利じゃないからいつでも取り消しにできるんだ、と主張していますね。
まぁでもトランプは選挙中から、移民がアメリカの血を汚してるとか、州を台無しにしているとか、ハイチ人の合法滞在者がペットを食ってるから強制送還する必要がある、とか言ってたし、何より、トランプが嘘つきなことに気づけないなんて致命的なミスを犯してしまったのではしょうがないですよね。
ペルー出身のカミラ・ムニョスさんと再婚し、プエルトリコに新婚旅行に行った帰り、「アメリカ市民か」と尋ねられたカミラさんが「いいえ」と答えると拘束されてしまった。
なお、ICEやDHSのによる突然の拘束は、ICEによる定期的な呼び出しに応じた際、一時出国した際の帰国時が非常に多い。中には雇用先と結託されて、だまし討ちにあうパターンもある。
カミラさんは、COVIDのロックダウンで、帰国できなかった期間にオーバーステイしてしまった経験があったため、強制送還の危機にさらされている。
ブラッドリーさんは、カミラさんがペルーに送られてしまったら、移住を少し考えたが、前の妻との子供がいるので、無理だと思っている。
なお信仰心が篤いので、
弁護士を雇っているし、トランプがターゲットにしているのは、どこから来たかもわからないような連中で、自分の妻がどこから来たのかについて、当局は全部知っているから大丈夫だと信じている。通関のシステムが非常に効率が悪いからこんなことになっているんだろう。トランプのせいではないが、トランプはこれを改善する力がある。この問題が話題になり、早く解決することを願っている。
と述べ、トランプに投票したことを後悔しているか、と尋ねられて、「していない」と答えた。
うん、これぞMAGAの鑑。
グリーンカード取得済みのメキシカンアメリカンで、トランプを支持している、と公言したら、いとこやおいっこに縁を切られた、彼らが送還されてもなんも問題ない、とのたまったばあさんなみ。
なお、レヴィットはいつものように「ビザが切れたものは強制送還される」と述べている。
ちなみにムニョスはいったん拘束は解かれ、引き続き審査を待っている。結果については報道されていないが、「もし強制送還されるのであれば、それは仕方ない」と主張している。
サラさんは、中西部で生まれ、学生時代からの恋人と結婚し、息子が生まれたばかり。でも彼女の夫は強制送還の危機にさらされている。彼はアメリカ市民ではない。
私の夫の最大の問題は、彼は合法的に入国したわけではないことです。彼は歩くより前からここで暮らし、犯罪を犯さず、勤勉で、弁護士を雇い、正当な方法で市民になる道を模索していました。でもすべてが無駄だった。
私がトランプへの投票を後悔しているか?それは私がもう少し感情的でないときに聞いてください。私は同情を買うために公表しているのではありません。トランプ政権は、犯罪者、悪い人たちだけを送還しようとしているのではないということを知ってもらうためです。
まぁこの人はつらいだろうね。同じような苦しみを持つ人への想像力はあるのかな。でも後悔しているとは言えないんだね。
あたりまえだけどMAGAにもいろんな人がいるね。すこし想像力は足りないけど、犯罪者を何とかしてほしい、っていう要望は別に間違っちゃいないとは思うけどね。教育して犯罪を犯させないようにしよう、という活動も憎んじゃうのがMAGAだし、アメリカ人向けの給食プログラムだって大嫌いなのがMAGAだし、銃規制に強烈に反対するのもMAGAだからな。なかなか難しいのではないかな。
ちなみに拘束の話が多くなったのでついでに話題にしとくけど、もっとも銃規制の強い州のひとつであり、サンクチュアリ法が定められている、マサチューセッツ州のウースターで、ブラジル系の母親が娘の目の前で逮捕され、動揺した16歳の娘がICEの車に縋り付いているのを、警察が投げ飛ばし、逮捕の妨害などの罪で逮捕したうえで、逮捕に抗議する女性2人を逮捕する事件があった。個人的に映像はかなりショックだった。もちろん、ハーバードやタフツの学生が逮捕される動画もショッキングではあったのだけど、子供の前で、この大人数で、抗議している人の多さの中で行われる逮捕にショックを受けた。
https://bsky.app/profile/dschnoeb.bsky.social/post/3loocfdwups2q
https://bsky.app/profile/dschnoeb.bsky.social/post/3loojzhsq6s2l
https://bsky.app/profile/dschnoeb.bsky.social/post/3look4fy5us2l
娘が、地面に押さえつけられているときの気持ちを想像すると耐えられない気持ちになる。
市長は、この直前にも、連邦の捜査への協力はしない旨を通知していたけど、逮捕にはウースターの市警が動員されている。これって無力感を植え付けようとしてると思うんだよね。
動画中で、市議の女性が、かなりがんばって抵抗していて、WARRANTを見せろ、と要求しているけど、警察は、なにも見せる必要はないって答えてる。
移民法の違反による拘束の場合、朝鮮戦争のころに、スパイの摘発のために、不法移民であるとの合理的な疑いを持った場合かつ令状を取得していたら逃亡されてしまうほど緊急性が高い場合は令状なしで逮捕していいことになっていて、現在のところ、家宅侵入以外は、ICEの権限ってめっちゃ強い形で運用されちゃってるんだよね。合理的な疑いなんて、なんとでもなるし、逃亡の危険なんてのも一切考慮されてないのは明らか。法律はいったん決まってしまうとその最大限まで使おうとする輩が出てくる恐れがあるので、慎重に対処が必要だよね。ボンディは家宅捜索もしていいっていってたけど。ただあたりまえだけど、していいのは逮捕までで、そのあとは移民裁判が必要。ブラッドリーさんがいうように、移民裁判が遅いんだとしたら、移民裁判官を大量に首切ってる場合じゃないんだよね。移民裁判をやってたら間に合わないから、という理由で、ヒアリングなしで送還される事例が続出しているわけだけど。
Terrible things are happeningoutside… poorhelpless people arebeing draggedout of theirhomes.
Families are torn apart; men, women and children are separated.
Children comehome from school to find that their parents have disappeared.
マクドナルドでセットを食べていた時のこと。
昼時で混雑しており、何とかカウンター席を確保して食事を始めた。
すると隣に座った若い男性はスマートフォンを取り出し、動画を再生しながらポテトをつまみ始めた。
私は行儀の善し悪しについて語るつもりはない。
問題にしたいのはマナーではなく、ただそこにある食べ物が「命」だったこと、それを自分が今「いただいている」という意識をほんの少しでも持ってほしいと思ったのだ。
食べるということは、命をいただくということ。
それは厳然たる現実だ。
たとえ加工された食品であっても、元は牛であり豚であり鶏であり、魚であり、どれもが生きていたものだ。
以前に私が教員をしていた頃、小学5年生の道徳の授業で『いのちの食べ方』というドキュメンタリー映画を見せたことがある。
食肉加工工場や畜産現場の様子が描かれている作品で、映像は正直かなりショッキングだった。
だが、私は子どもたちに「食べるとはどういうことか」をしっかりと考えてほしかったのだ。
スーパーマーケットのきれいなパッケージに入った食品だけを見て育つのではなく、その背景にある“命の循環”に少しでも目を向けてほしいという願いがあった。
「授業中に魅せられた映像のせいで子どもが肉を食べられなくなった」といった内容だった。
電話口の相手は感情的で、「教育の名のもとにそんなものを見せるのは非常識だ」と私に何度も怒鳴った。
こちらが丁寧に意図を説明しても相手が納得することはなかった。
確かに刺激の強い映像を一律に見せるべきではないという指摘は尤もかもしれない。
それでも納得できなかった。
しかしそういった大切なものが”無かったこと”にされていく風潮に、少なからず危機感を抱いている。
現代の豊かさの中で命の重さや食の意味といったことが、どんどん見えづらくなっているような気がしてしまうのだ。
最近ではデリバリーの存在もより身近となり、一歩も外に出ずとも美味しい料理が食べられてしまう。
結局は双方が合意をしていたら何の問題もないし、外野がとやかく言うことではない。
でも、どちらかが我慢しないといけないという関係は長くは続かないんじゃない?とは思う。
行為そのものは心がなくてもできてしまうものではあるけれど、心の先にあるものとしてのとらえ方もある。
行為そのものは娯楽としての側面、血統を存続させるものとしての側面もある。
それは心の先にあるものとしてとらえている人にとっては、行為をしないということは、心を許していないということになるわけだから、ショッキングなことだろうな。
毎日やって心を確認するという人たちもいるし、できないということは心がないということだと解釈されることもあるかもしれない。
そうはいってもしたくないときに義務的に付き合うのも違うという考え方もある。
一方で、長く仲良くやっている夫婦は行為をそれなりの頻度でしているという話もある。
そういうもろもろを入れたうえで自分と考え方が合う人と付き合えればいいんだと思うけど。
...自分は血統の側面もそれなりに見ているので未婚の性行為には否定的だね。
体とか心とかじゃなくて、まず、環境と状況。
4話はかなりショッキングだった。なんていうか、beginningがあるから、ジークアクス本編は戦争のない殺し合いのない平和な時代なんだなとか勝手に思い込んでいた。
でもそんなの勝手な思い込みだったんだね、ビギニングと違ってポケモンじみた絵してるから、殺し合いにならないなんて。
ホントに何というか、今回のは「ガンダムだから」ってのがよくわからないぐらいショッキングだった。
多分そんなにガンダム見てないしな。今のところはVかファーストかハサウェイぐらいしか宇宙世紀見てないんで「ガンダムだから」残酷描写があるって感覚がよくわからない。
ていうかファーストだと、大分抑え気味だよね。直接描写がないし。
Zでも死ぬってとこはあるけど、ここまで視聴者に心理的負担を負わせるような描写はしてない。
ガンダムってこんなにひどい…演出?描写?展開のある作品だっけ?
ファーストでも味方バンバン死んでるけど、ある種類型的な死に方なんで、見てる側は「ハイハイ、またこのパターンね」って心理的な防御が可能なんだよね。
でも今回は庵野だ。
庵野は本当にひどい。RX-78-02のデザインよりも今回の方がよほどエヴァ思い出したよ。
エヴァってこういうむやみやたらと本当に、「想像力が並み」な人にショッキングな展開や映像作り出すのが好きなんだよな。
「想像力が異常にいい人」はファーストでも、死に方やその関係性を想像して残虐なアニメだと結論付けるが、庵野はもっと、なんていうか映像的な嫌さで訴えかけてくる。
今回そんなに残虐だったか?ファースト同様コックピット刺しているだけで、死ぬ直前のパイロットの描写なんかしてないだろ?
って言いたくなるかもしれないが、なんか、そこに至るまでの流れで油断してたのか、描写してないにもかかわらず残虐に見えた。
その理由は主に
にあると思われる。
beginning部分は一年戦争時で要するに戦争状態だ。戦争での人の死ぬ描写は当たり前なので、特に刺さらない。
こうなると視聴者は一種のメッセージを受け取ったと勘違いする。もう戦争は終わって今は平和な時代なんだよ。
と。
それこそが庵野の作戦だと思う。わざわざポケモンのキャラデザ担当を引っ張ってきたのも、殺し合いがないと錯覚させるため。
これにより、一種の安全弁として働いていると思わせることができる。Gガンダムを見ている人ならなおさら錯覚するだろう。ガンダムファイトのルールには頭部破壊で失格の他にコックピットを狙ってはいけないというルールがある。
変に知識がある分、騙された人は多いんじゃなかろうか。
こうして、庵野はありとあらゆる方法で「クランバトルでは故意の殺人は行われない」という漠然とした共通認識を持たせることに成功した。
そしてそこからのあのシーンだ。
本当にひどい話だ。庵野、この反応見て絶頂してるんじゃないのか?
ぶっちゃけ、今回が酷かったからとかじゃない。エヴァに酷い目にあわされた記憶があるから、今回も同じようにひどい目にあわされることが分かりきってるからだ。
私は私を守るためにジークアクスの視聴を辞めなければいけない。
さよならだ。
なんかAI使ってる?
なんか君のAIセンサに引っかかっちゃったみたいでごめんね。もうちょっとAI文書見て精度上げた方がいいと思うわ。
庵野じゃないだろ
知ってるけどさぁ!鶴巻監督だってエヴァの監督やってるんだし、実質庵野だよ。庵野の魂を継いでる。
ていうか、それ言うなら「シン・ゴジラ」だって監督は庵野じゃないだろ。「シン・ウルトラマン」も樋口監督だよ。
お前はVガンダムの何を見てたんだ
シイコの子供「これ、母さんです……」(ヘルメットをニャアンに差し出す)
「そりゃ(作るうえで)カミサマだから好き放題できるよな」って話だと思う
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