
はてなキーワード:シナジーとは
ライヒが審査員を勤めた時の武満徹作曲賞の公演で来日したブラッド・ラブマン、シナジーヴォーカルズのタッグだ、聞くしかねえ!
Frankfurt Radio SymphonyLIVE:Brad Lubman &Synergy Vocals with Janulytė & Reich
https://www.youtube.com/watch?v=nsWpR-GjIHU
Justė Janulytė:
Uccelliet altre cose (Commissionedby Frankfurt Radio Symphony – worldpremiere)
The DesertMusic
hr-Sinfonieorchester – Frankfurt Radio Symphony
Synergy Vocals
The monumental work forchoir and orchestrabySteve Reichismore than just apiece of minimalmusic –itis an acoustic metaphor for what science calls »swarm behavior«.
Countlessrhythmic and melodic phrases are woventogether to form a collectivestructure thatismore than the sum ofits parts.
Reich uses the repetitive patterns typical ofhismusic, which constantlychange minimally, causing the soundscape toshift in slowmotion,asit were.
Not unlike aflock of birds, each individual acts independently, buttogether they form a harmonious and structural whole.
Lithuanian composer Justė Janulytėis known forher minimalist,monochrome soundscapes, whichshe pours into slow, floating processes with akeensense of perfect dramaturgy.
She playswith the fusion of individual voices into a collective mass and makes thetransition almost invisible.
Commissionedby the Frankfurt Radio Symphony Orchestra, Justė Janulytėhas been inspired to create a new work for large orchestra, whichwill bepremieredhere.
リフレ派の議論は、表向きは景気を回復させるための合理的金融政策を装っている。
しかし実態は、貨幣の価値という社会の基盤を削って短期の快楽を買う、典型的な自己放尿である。
フリードマンが繰り返し言ったのは、インフレとは道徳問題でも精神論でもなく、貨幣現象だということだ。
つまり物価が上がるかどうかは、根性でも国民性でもなく、制度設計とインセンティブ構造の帰結である。
ここを理解しない政策は、どれだけ善意で飾っても経済学的にはただのノイズであり、最終的には国民の購買力を破壊し自己放尿する。
日本がこれから直面しうるのは、「需要が足りないから財政で押し上げる」という単純化された世界観が、期待形成に殴られて崩壊する自己放尿だ。
インフレは静かに始まり、ある瞬間から臨界点を超えて、貨幣需要の崩壊とともに加速する。
そしてその時、リフレ派はいつものように言うだろう。「想定外だった」と。
問題の連鎖は単純だ。にもかかわらず、政治はこれを「景気刺激策」という包装紙で包み、国民に配布する。
減税する。税収が減る。だが歳出は減らない。むしろ選挙インセンティブのもとで増える。
そして次の段階に進む。
日銀が吸収する。つまり中央銀行が国債を買い取り、政府債務を事実上マネタイズする。
国債買い入れでベースマネーが増え、銀行システムを通じて信用創造が増幅され、結果としてマネーサプライ増加が起きる。
そしてフリードマン的には、ここから先はもはや議論ではない。恒等式と確率の世界だ。
貨幣価値が下がれば、同じ商品を買うのにより多くの円が必要になる。つまり物価増加が起きる。
この連鎖は、願望で止められない。
政治家がマイクで叫んでも止まらない。新聞が「インフレは一時的」と嘘を書いて自己放尿しても止まらない。
だが深刻なインフレの本体は、需要増ではない。貨幣需要の崩壊だ。
国民が円を持ちたがらなくなる。企業が円建て長期契約を嫌がる。労働者が賃上げ要求を強める。
輸入業者が先回りして価格を上げる。資産家が外貨や実物資産に逃げる。
このとき物価は上がるのではない。円の価値が下がるだけである。
インフレ期待がインフレを生み、そのインフレがさらに期待を押し上げる。
これは合理的行動だ。誰も損したくないから、先に値上げし、先に買い、先に逃げる。
この時点で政府ができるのは、金融引き締めか、歳出削減か、信用回復のための痛みを伴う制度改革しかない。
リフレ派がよく使う詭弁に、「日本は自国通貨建て国債だから財政破綻しない」というものがある。
この言い方は、形式的には正しい。日本政府は円を発行できる。だから名目上の債務不履行(デフォルト)は避けられるかもしれない。
しかしフリードマン的に重要なのは、デフォルトの形態は一種類ではないという点だ。
政府が返済不能になったとき、紙面上は返せる。なぜなら通貨発行で返済できるからだ。
だがその瞬間、実質的には国民の購買力が毀損される。つまりインフレ税という形で、国民から徴収する。
これは「破綻していない」のではなく、破綻を「通貨価値の下落」という形で実行しただけだ。
これが金融抑圧であり、インフレ課税であり、事実上の資産没収である。
破綻しない?
最大の問題はここにある。財政と金融の境界が溶けた瞬間、中央銀行は「物価安定の番人」ではなく「政府債務の処理係」になる。
「政府は歳出を削らない。日銀が支える。だから国債は安全だ。だがその安全性は貨幣価値を犠牲にしている。」
この理解が広まると、国債の信用は保たれるかもしれない。だが円の信用は落ちる。
そして本当に恐ろしいのは、インフレが進んだ後に引き締めをやろうとすると、国債金利が上がり、利払い費が増え、財政がさらに悪化する点だ。
つまり日銀は、インフレを止めるために金利を上げると政府を殺し、政府を救うために金利を抑えると通貨を殺す。
そしてこの状況は、政策の失敗ではなく、最初から制度設計の帰結である。
ここで多くの人が短絡的に言い出す。「じゃあ増税すればいい」と。
増税は、財政を健全化するどころか、政治経済学的には逆の方向へ向かう可能性が高い。
なぜなら増税とは、「政府がもっと使える余地」を与える行為だからだ。
「税を上げれば金が取れる。なら歳出を削る必要はない。」
すると歳出は固定化され、既得権益が制度として結晶化し、公共選択論が示す通り、予算は削れない構造になる。
さらに悪いことに、増税で景気が悪化すれば税収は伸びず、結局また国債発行に戻る。つまり、
増税 → 成長率低下 → 税収鈍化 →国債発行 →日銀吸収 →インフレ圧力
結局、政府債務を増やし続ける構造が変わらない限り、増税は「健全化」ではなく「延命治療」にしかならない。
延命治療は医療では尊いこともあるが、マクロ政策では単に時間を買うだけだ。そして買った時間で政治が改革する保証はない。むしろ改革しない確率が高い。
インフレを語るとき、リフレ派は「需要ギャップ」や「潜在GDP」を持ち出す。
だがそれらは観測不能であり、推計モデル依存の幻影でもある。そこに政策の正当性を置くのは危険だ。
重要なのは、政策当局がコントロールできる変数と、できない変数を区別することだ。
政府が確実に増やせるのは支出だ。日銀が確実に増やせるのはマネタリーベースだ。だが経済成長や生産性は、命令で増えない。
だから「金融緩和すれば成長する」という発想は、因果を逆に見ている可能性がある。
成長するから貨幣需要が増え、結果としてマネー供給が吸収され、インフレが抑制されるのであって、貨幣を増やせば成長するとは限らない。
貨幣供給を増やしても、資本蓄積と技術革新と労働供給が増えなければ、ただの通貨希薄化で終わる。
リフレ政策の本質は、短期的な快感のために長期の制度を犠牲にすることだ。
しかも犠牲になるのは抽象的な制度ではない。国民の生活そのものだ。
貨幣価値の放尿、財政規律の放尿、中央銀行独立性の放尿。つまり、「貨幣、財政、制度のトリプル放尿」である。
中央銀行の独立性が壊れれば、インフレを止める最後の手段が失われる。
この三つは別々の問題ではない。相互に補強し合う。悪い意味でのシナジーを持つ。
インフレが進むと、賃金は追いつかない。追いついたとしても遅れる。結果として実質賃金は落ちる。生活水準が落ちる。格差が広がる。
インフレは税制上、資産を持つ者に有利で、現金労働者に不利だ。インフレは見えない再分配装置であり、政治が選挙で決めたわけでもない所得移転を勝手に起こす。
長期雇用、年金、保険、貯蓄、国債、家計設計。これらはすべて「通貨が安定している」という前提で成立している。通貨の信認が揺らぐと、社会の基盤が揺らぐ。
そして一度壊れた信認は、戻らない。戻すには時間と痛みがいる。これは歴史が何度も証明している。
「減税して景気を良くする」「国債を出して支える」「日銀が買えば問題ない」
この一連のストーリーは、現実の制約を無視した願望のパッケージだ。
減税 →国債発行 →日銀が吸収 →マネーサプライ増加 →貨幣価値低下 →物価増加
だが同時に、「増税すればいい」という発想も救いにはならない。
歳出が固定化し、政治が改革を回避し、借金を借金で返す構造が温存される限り、結末は変わらない。
問題は税率ではない。
問題は「支出を削れない政治」と「貨幣発行でそれを隠蔽できる制度」だ。
リフレ派がやっているのは、景気刺激ではない。
私は毎日珈琲を800ml飲むのですが。最近は珈琲豆が高くなりすぎた。しかし自家焙煎すれば高品質な豆を安く飲める。生豆はネット通販で買っている。余裕のある人はフジローヤルのDISCOVERYを買ってください。
仕組みはTOSPACKのような業務用真空パック機と同じでチャンバー内を真空引きするタイプ。このタイプは特別な手続きなしに液体もパック可能である。コストコやハナマサでデカい肉を買った後、これで真空パックにしてる。冷凍した肉が不味くなるのは脂が酸化してるせい(冷凍焼け)であって、空気を断てば美味さも消費期限もエターナルである(おれ調べ
Anovaが出た頃は価格も高かったので適当なサーモスタットにスロークッカーを組み合わせて自作していた。しばらく情報を得ていない間に安くなっていたので購入。機能を果たせればどこの製品でも良いと思う。上述の真空パック機とのシナジーは抜群。ちなみにこの製品はケーブルが短いという欠点がある。
2017年頃に買った鍋・フライパンのセットが熱で歪んでしまったのでほぼ同じものを買った。セット販売品については9点セットと6点セットで付属のソースパンのサイズが違う。9点セットに付属のソースパン(φ200, φ160)はバラ売りしているが、6点セットに付属のφ180品はバラ売りしてない。バラ売りしてくれ。
コーヒーをハンドドリップする際に注いだ湯量と時間を計測するもの。最近はプロのバリスタがレシピを公開していてそれをトレースできる。レシピというのは使う豆の量や湯の温度と量、あとは注ぐタイミングを記したもので、有名なのは粕谷哲氏の46メソッドとかいうやつ。ぶっちゃけキッチンスケールとタイマーで代用はできるんだが、この製品は湯を注いだ瞬間にタイマーがオートスタートするのが良い。定番だからという理由でTIMEMOREの製品を買ってみたけどオートスタート機能があれば何でもOKかなと思った。
7,8年ほど使っていたBrown製品からの買い替え。Brownはブラシが分厚くて奥歯の裏などが磨きにくいのが不満点だった。Brown 以外だとPHILIPSかPanasonicの二択になるが、今回はブラシが薄くて奥歯の裏まで磨けそうなPanasonicにしてみた。性能には概ね満足だが、磨く力は Brown製品の方が高かったかも。今年モデルチェンジしたようで私が買った製品は現在在庫切れ(もしかしたら生産完了)になっている。
以前の真空断熱マグの塗装が剥がれてきたので買い替え。車の運転をする時、ドリンクホルダーに入るサイズのマグがあると大変助かる。メーカーはどこでも良かったんだが、Panasonicとの共同開発品で食洗機完全対応らしいのでこれにした。あと、日本酸素というか大陽日酸に対してポジティブな印象を持っていたのでそれも後押しになった。
タオルを洗う時に柔軟剤を使うと吸水力が若干低下するのは広く知られている。しかしほんのり香りは欲しいなと思って購入。結果吸水力を維持しつつ香りも付くという理想的な洗濯が実現できた。ちなみにメーカー指定の量を使うと香りが強すぎるので投入量には注意。メーカー推奨量の1/5〜1/10程度で十分だった。
主張は「ステ振りがある方が総合的なキャラクタービルドの自由度は高い」で一貫してるから誤魔化しや惨めさは無いよ。
「アイテムを同列で使える」は「同列でしか使えない」という事だからね。
ステ振り要素が有れば、ステータスのシナジーにより使うアイテムの価値を高めることができる。プレイヤーの選択の幅がより広いということ。
キャラクターものは3年が区切りと言っていたのが、結局ずるずるとやっている。
今も昔も方向性が定まっていないと思う。企画の出し方も年々雑になっているし、綱渡りの状況が続きすぎてコンテンツビジネスのノウハウが一向に蓄積されていない模様である。
それにしても、だ。10年もやっていれば「実写版鉄道キャラクターのパイオニア」として認められてもいい頃合いなのに、マニアからはずっと叩かれている。
自分も思うところは多々ある一方で、さすがにそろそろ気の毒になってきた。
煤けた姿で大量の煙を吐く黒い蒸気機関車は憧れであり、あるべき姿であるだろう。
50年前の現役に間に合った世代であれば、当時の思い出を汚してほしくないことが想像できる。
SNSネイティブである20~30代のマニアからは、希少性(ネタ性)のあるものを弄ることが嫌でたまらないようだと推測している。
自分だって生涯許すことのない改造をされた車両があるし、ここは批判ポイントではない。
敢えて言うなら、木組みの装飾で展望を潰される内装工事された車両のほうが絶望感強いので、塗り替えと顔パーツを外すだけで現状復帰できるのだしそんな悲観的にならなくても…と思っているが。
けれども期待値が高すぎる、聖域とされ過ぎている、叩いてもよい相手だと思われている感じがする。あの車両区には静態動態含めても残り一両しかいない釜、所有者の思いが結実し復活を遂げた釜、戦争の生き証人である釜、ストーリー性が特に高い釜が集まっているのも一因かもしれない。
今回の件だっておかしな状況である。釜の車歴と特徴を語っていても、頻繁に走ってた5年~10年前のエピソードはとんと出てこない。慌てて行こうという話すら聞かない。よっぽど455系のほうが集結している。
行ってる奴が偉いではないとしても、大半がサンドバッグとして消費しているだけなのだろう。ちなみにこれは社長は関係なく登場時から多かれ少なかれ存在した傾向だ。
集客が出来る列車は大変難しいテーマだ。その中で、「世界的に有名なアニメーション」「主人公が蒸気機関車」「幼児から絶大な人気を誇る」コンテンツを手にできたのは奇跡に近いのかもしれない。
少子化とは言われているがそれでも毎年100万人弱が産まれている。潜在顧客が毎年何十万人も産まれてくるのである。
これに代わるキャラクター(それも主人公格)、コンテンツ、特別列車があるか?と問いかけたらマトモな感覚であればNoと言わざるを得ないだろう。
それだけに、毎年綱渡りなのが惜しい。ア〇パ〇マンミュージアム的な仕掛けが色々できればいいのだが。
この6年弱の苦境は、会社ごと吹き飛んでもおかしくないレベルだった。重大インシデントも起こしている。キャラクターもSLも一般車両も、新規客もマニア向けも、かつては良いバランスの時期もあったが、今や存続自体が首の皮一枚つながった状況に陥っている。
新しい観光列車と、キャラクターコンテンツ、あとは肝いりのブルートレイン(…これは認めたくないけど)、これらが良いシナジーを生んで、3年後に少しでも良い未来となっていることを願ってやまない。30分に1本SLが登っていく、じゃなくてもいいけど、コロナ前のあのバランスが戻って欲しい。
そんなチマチマした数字いじりじゃなくて
このOPとこのOPがついた装備を組み合わせることでシナジーで脳汁がブワーッみたいな
しゃーなしずーっとディアブロ3やってるけど
ゲームバランスの調整難しいんはわかるけどさ
ゲームが大規模かつ複雑になってるのと老化。元々100%中の100%遊べてたわけではないが、時間も気合もなくなってタイトルも多く離脱が早まりすぎてる
苦手要素などが出てくると萎える、やりこみやサブクエが多くて進まないか後回し、DLC出るころには他のことやってる など
文字ぴったん
若い頃酷く楽しんだ記憶があったので、アンコール買ってみたが、進化したところに魅力を感じない
コンボ狙いで順番考えて金トロフィー(王冠)獲得までやる気にはならない
・画面回らないで欲しい
・きんぎょ わに だけを延々作るの苦手(マスが動いたりするし)
タワーディフェンスでもそうだが、ある程度のシナジー考えて組まないと全然進めなくなるのは無理
ルールが複雑すぎて何が起こってるのかわからないのも多い(和訳の問題やそもそもの知識不足もある)
クリアは簡単にしてやり込み要素と分けて欲しい、実績埋めたらなんか(後々凄く重要)が開放にされると早期に詰む
攻略見るのも違うし、アクションやせかされるの苦手だし、スキル覚えきれないし
完全に老化で敗北してる
シレンでも、敵の能力すぐ忘れるので、最果て的なのをなんとかクリア(出会うたびに図鑑開いて、HPや店はどんぶり勘定で運頼み)
操縦というか着陸できなくて諦めた
演奏系
曲がロックなのに、初心者レベルではなんだこのおかしな譜面みたいなステージが多い、別ゲー? となる
ずっとリフ弾いたり、決まったパターン繰り返しだと面白くなくなるのだろうけど
Permalink |記事への反応(18) | 13:20
そういう女様だけを集めて作った事業部が弊社にあるけど本当にひどすぎて笑えるよ。事業部の蔑称は保育園。
その事業部では会社の本業とは1ミリも関係ない分野に関するYouTubeチャンネルをかれこれ2年も運営してる。
今のところチャンネル登録者数は40人で、動画の平均再生数は100未満。
事業部単体での売上は当然0円だし、他の事業とシナジーがあるわけでもない。 本物の虚無。無能なのに要求だけは人一倍の女様を隔離するためだけにつくられた事業部。
でもその事業部の女様は今の仕事にすごく誇りをもっているらしい。努力している自分の姿に感動するらしい。 全く社会の役には立ってないのにね。
雇用者の立場を強くすることで被雇用者に課せられる労働強度を上げる。
前述の配偶者控除の所得要件撤廃とシナジーさせる。婚姻を女性がより強度の低い仕事に就くことの動機づけとして位置付ける。
「一部」の線引きとしては
歯科矯正→「顎関節症」などの診断でより保険適用させやすくする。現状検査目的の大腸カメラや胃カメラを「腹痛や体調不良」などの主訴で保険適用させているのと同様にする。
身長を伸ばすことを目的としたイリザロフ法→現状同様10割負担の自由診療。
「歯並び(横顔)が綺麗かつハゲていない」だけで外見を大幅に改善できる。生理的に無理ではない男性を増やすことにより、女性のパートナー獲得のハードルを下げる。
(18歳以下の扶養家族のいない)独身者への住宅ローン控除適用を廃止。
未婚化解決意外にも少子化解決の方法はあるかもしれないが健全な社会とはいえない。
例えば精子バンクの拡大と未婚の母親の支援も少子化対策としては良いかも知れないが、女性の選好の性質上、次世代であちこちで近親交配の問題が起きることは避けられないからな。
僕は今夜、ルームメイトがリビングで実験的にベーコンを低温調理している匂いを鼻孔の厳密な位置で嗅ぎ分けながらメモ帳を開いた。
朝は6時17分に目覚ましを止め(そのミリ秒単位の遅延は許容されない)、6時18分にコーヒーの比率を変える習慣を行い、靴下は左から右へ、座席は常にソファの北東端(座る位置は位相対称性を破らない)である。
食事は火曜日のパスタの残り物は三等分して水曜と木曜の朝食に回す。洗濯は必ず偶数週の水曜に行い、洗剤は0.8倍希釈、脱水は中速、干す向きは北向き。
ルームメイトがドアに爪痕をつけたら即座にログを取り、隣人が郵便物を誤って取った場合は「郵便誤配報告フォーム」を三回に分けて提出する。
こうした儀礼を守ることで僕の内的位相空間が安定するのだと論理的に考えている。
今日の思考の核は超弦理論と量子情報の交差点についての、かなり尖った自己流の定式化にある。
まず、僕は物理的直感を避けて抽象数学で事象を語る。弦理論の摂動系列を有限厚さの∞-圏としてモデル化し、ブレーンを対象、開弦状態をモノイド的なホモトピー演算子として扱う。
局所座標の代わりにファクタリゼーション代数を使い、スパイダー図式を経て得られる交叉相互作用を高次ホモトピー群のコハート化として再解釈することを提案する。
ER=EPRについては、古典的なワームホール=絡み合いという語り方を離れて、僕はエントロピー・双対モジュールの同値性という言葉で捉えている。
つまり、二つのエントロピックモジュールの被覆圏と、それらに対応する重ね合わせのコボルディズム(圏論的な結合双対)を同一視することでER=EPRを圏論的に定式化できるのではないかと考えている。
これを超弦理論に接合するには、AdS/CFT 的なホログラフィック双対の場で、境界側の張力的演算子族が内部のブレーンカテゴリ(例えばフカヤカテゴリやコヒーレント層の導来圏)に対応するという見方を取り入れる。
すると、エントロピー双対モジュールの同値性は、境界とバルクの間で起こる圏の再同型化として現れ、ER=EPRは本質的に圏的ホログラフィーの一命題になる。
ここで僕が提案する小さな拡張は、量子誤り訂正符号のコード代数を∞-圏の射として扱い、その可換性条件がワームホールのコボルディズムの可逆性と一致するというものだ。
これにより、エントロピーの再構成操作がブレーン間のファンクターとして自然に理解でき、局所性の回復を説明する新しい枠組みが得られると僕は思う(これは僕の勝手な定式化で、厳密性は今後の証明を待つ)。
今日はそのメモを、黒板に書く代わりにルームメイトの背中越しにノートに書き留めた。
ところで、僕は靴の磨き方にも数学的基準を設けている(円周率の小数を用いた磨き順列を使っている)。
出かける前のチェックリストはトポロジー的順番、たとえば鍵→財布→スマホ→ペンという順序は位相連結成分を最小化するから合理的だ、と説明すると友人たちは顔をしかめるが、これを守ると予測可能性が上がる。
今夜はRPG系ではELDENRINGのビルド論とRTAコミュニティのメタ的動向を気にしていて、この作品が2022年にFromSoftwareからリリースされ、多くのビルド最適化やメタが確立されていることは周知の事実だ(初リリースは2022年2月25日)。
また、このIPは映画化プロジェクトが進行中で、A24が関与しているという報(映画化のニュース)が最近出ているから、今後のトランスメディア展開も注視している。
僕はソウルライクのボス設計とドロップ率調整をゲームデザインの位相安定化とは呼ばないが、RTA勢のタイム削り技術や周回遺伝(NG+)の最適手順に対して強い敬意を持っている。
ファンタジーRPGの装備付け(メタ)に関しては、装備のシナジー、ステータス閾値、クラフト素材の経済学的価値を語るのが好きで、例えば「その装備のクリティカル閾値を満たすために残すステータスポイントは1だが、その1が戦闘効率を%で見るとX%を生む」というような微分的解析を行う。
FFシリーズについては、Final Fantasy XVIがPS5向けに2023年6月に、続いてPC版が2024年9月にリリースされ、さらに各プラットフォーム向けのロールアウトが段階的に行われたことなど実務的事実を押さえている(PCリリースは2024年9月17日)。
僕はこのシリーズの音楽的モチーフの再利用やエンカウンター設計の比較研究をしており、特に戦闘ループの短周期化とプレイヤー感情の連続性維持について言及するのが好きだ。
コミック方面では、最近の大きな業界動向、例えばマーベルとDCの枠を超えたクロスオーバーが企画されるなど(Deadpool×Batmanの一連の展開が話題になっている)、出版社間でのIPコラボが再び活発化している点をチェックしている。
これらはコレクター需要と市場流動性に直接影響するため、収集と保存に関する経済的最適化問題として興味深い。
今日、隣人が新しいジャンプ作品の話題を振ってきたので僕は即座に最新章のリリーススケジュールを確認し、One Pieceの次章の予定についても把握している(最新チャプターの公開予定など、週刊連載のスケジュール情報は定期的に確認している)。
例えば「午後9時に彼らがカップ麺を食べる確率は、僕の観察では0.83だ。ゆえに僕は9時前に冷蔵庫の位置を変えるべきだ」という具合だ。
結語めいたものを言うならば、日常のルーティンと高度に抽象化された理論は相反するものではなく、むしろ同じ認知的圏の異なる射影である。
だから僕は今日もルームメイトの忍耐を試す微細な仕様変更(例えばリモコンの向きを30度回す)を行い、その反応をデータ化している。
さて、20時30分だ。これでノートを閉じ、決まった手順で歯を磨き、眠りの準備に入る。明日の朝のアジェンダは既に分解されているから、心配は要らない、と自分に言い聞かせてから寝るのが僕のやり方だ。
仰々しい題名を付けた。
書きたいことはそのまま。
日本語の衰退が怖い。まんま。
最近、色々な場所で外来語(という呼称が正しいのかは分からないが)を見かける。
例えば時事ネタで言えば某政党の「日本人ファースト」など。あえて外来語の呼び方を使うようなそういうやつ。アレが怖い。饅頭的怖い的な意味ではなく。
他でいえばマッチングアプリなどは最たる例かと思う。本質は古からある出会い系サイトと同じだが、それまでのイメージを一新、または払拭するために外来語を混ぜた呼び名があえて使われ、それが功を奏した。
出会い系サイト…というと昔は忌避されていた印象があるが、今の若者でマッチングアプリを使ったことがない人はごく少数になりつつあるだろう。
(現代、インターネットが現実の延長となり、とても身近な存在になったことも勿論影響しているだろうが)
それらが日本語の言葉遊びでは無くて、英語等の翻訳だから怖いのだ。
一度成り代わった言葉、一度定着してしまった言葉はそうそう入れ替わらない…ように思う。
かくいう自分もイメージという、画像や想像という意味では無く、ぼんやりとした意味を持つ、外来語を使ってしまっている。
他にも暮らしの中で言えばリビング、キッチン、ハンガー。ビジネス関連でいえばアジェンダ、アサイン、シナジー…。(調べると元は英語じゃない表現もいくつかあった)
日本語として言い換えは出来る…がしかし、言葉として使う時に口から出てくるのは、以上に挙げたような言葉ではないだろうか。対して今はそうでないカタカナ言葉も沢山あるだろう。
ちょっと外国に被れて、使ってるだけの人だって少なからず居るはずだ。直接表現するのは憚られるから、印象を和らげるために、とか。
なんならお洒落だし、とか。
そんな軽い気持ちで。
良くないね。
非常に良くない流れだ。
つまり何が言いたいかというと、日本語がもっと大切に扱われて欲しい、ということだ。
カタカナで和訳された外来語も、日本人しか読めない、かつ、ちゃっかり日本語発音なので、日本人による日本人の為の言い換えでしかない。
でも同じように、その直前にあった呼び名は日本人の日本語話者にしか扱えない言葉である、と自分は思う。
当方は法律関連の勉強をしている身分なのだが、法律の条文の解説書にイニシアチブとかいった表現が出てきた時はとかなりイラッとしてしまった。
そういうのが多い。
多すぎる。
言葉の意味や細かな表現が移り変るのはごく自然なことだと思う。言葉ってそういうもんだし。
当たり前だ。そういうもんだ。
そういうもんだよね。
自分達が使わなくなれば誰も使わない。外来語をカタカナにしたって意味が無いんだ。
細かい言葉の意味の違いが翻訳では伝わらないことも、いかに言語を他の言語で代替することがあやふやで複雑であるかを表してるように自分は思う。
言葉とは色眼鏡だ。他の言語を通すと見える世界が変わる。なんかの本で読んだ。
「ある思想家は言った」
「人は国に住むのではない 国語に住むのだ」
スカルフェイスというより、これはエミール・ミハイ・シオランっていうルーマニアの思想家の言葉が元ネタだけど。
しかしさっきも書いた通りだ。言葉は移り変っていく。そういうものだ。言ってしまえば外来語だから駄目なんて決まりもない。和製英語とかあるし。
じゃあどこまで良くてここからは駄目、とか、線引きなんて誰にも出来ないだろうし。
こうやって少しずつ、日本語らしい日本語が失われていくんじゃないかと。
でも皆そんなことに関心が無い。
大きい企業は商品名自体を英語にしちゃってるし。SNSの広報は当たり前のようにカタカナ英語を使ってPRをしてしまうし。お洒落かグローバリズムかなんだか意図は知らないけど。
それが一番怖いね。
そんなこと考えてたら寝れなくなって朝っぱらからこの記事を書いてるよ。この不安を拭えるような書籍とか言語学者の見地とかあったら教えて欲しい。
ただの一般人だから、何にも分からないから怖いだけなのかもしれないし。日本語らしい日本語の定義ってなんだよ、って我ながら思うよ。
でも、それが当たり前になって、いつか自分の愛した言葉達まで淘汰されてしまうかもしないって思うと、やっぱり怖い。
やがて平仮名や漢字の表現や熟語は淘汰されて、和製英語でカタカナ字ばかりの、さらにガラパゴス的な進化を遂げるのかな?と思うとそれはそれで、少し面白いかもしれないけど。
つか保守派だー!とか言って叩かれそうで怖い。まあそのための匿名なんだけど。
とりあえずもっかい寝るよ。