
はてなキーワード:シッカリとは
弱者男性は女性や恋愛に対して強烈なコンプレックスを持ってるわけだが
例えば中卒のアホやハゲたオヤジでも結婚して家庭を持って立派に父親やってるわけですやん
嫁がバカでもブスでも、だ。
で、非モテの弱者男性は自分を愛さないオンナを逆恨みしてるワケだども
そんなキモキモ弱者男性に惚れた美女がいたとして、結婚してぇ~ん♥️子作りしてぇ~ん♥️と迫られてさ、君はニョーボやコドーモのために人生捧げれるかい?
無理でしょ❓️結局キミら弱者男性は自分が一番大事なんだから。そんなだから誰からも相手にされないんだよ??
一度反省しよっか。
いい加減。
・自民党支持及び国政不参加
というか、未だにこの辺りの正しいデータも見てない奴なんて相手にしてもしゃーないから無視するわ。
まあもう言うべき事も散々言われたあとだな。
じゃああとは、僕たちがそれをちゃんと受け入れて自分の口で「間違ってました」と口にするだけだ。
単純に手を抜いていた人。
色んなパターンがあると思う。
当時はインターネットも発達してなかったら情報不足でも仕方がなかったという側面はあるかもね。
そこで備えることを怠ったのは自分たちであるという事実を認めようね。
確かに、上の世代がちゃんと備えてなかったのも事実だけど、自分の未来のために自分がちゃんと備えるという意識が足りなかったのも真実だよね。
認めよう。
そこからまずは始まる。
結果論なのかもね。
全共闘を愚かな世代だと安易に蔑んで考え足らずの逆張りをした部分もあるんじゃないか?
戦うべき時に戦うべき現実から逃げた人間の末路というのは悲惨なものだよ。
我々が上の世代から学ぶべきだったのは「煽られるままに分断されて各個撃破されてはいけない」ということだったわけだ。
煽られるままに分断して身内同士で蹴落としあった時点でもう負けは見えてたんだよ。
世の中は多数決だ。
だが久々にワロタの人が語るように本当に一枚岩のものなんてなく、全体からみればごく一部を支配するだけで多数決には勝てたのだ。
氷河期世代全員がキチンと団結していれば、様々な立場に分かれて保身に走っていた団塊の世代に良いようにされずに済んだんじゃないか?
今度こそ団結しよう。
社会人として働いて年数が浅い。
ほかの増田投稿者みたいにシャープな文章は書けないが、大学生だった頃のことを振り返りたい。
その時は都内の大学に通っていた。二年生の春で、家庭教師に挑戦してみた。それまでは塾で教えていて、正直下働きに近かった。教師と言うよりはアシスタント的な。裁量などもちろんなく。正規雇用の塾講師のロボットと言って差し支えない。
自分は教育学部をめざしていたので、是非とも自分の指導力というやつで、子どもに教える経験を積んでみたかった。
家庭教師の職は、大学を通じて探すことにした。とにかく安全重視で。人生で初めて受け持つ子は、意外にもすぐ決まった。
私は文京区にある大学に通っていて、謎の信頼があったんだろうか……男の子しか受け持てないと思ったら、普通に女の子を教えることになった。
当時は、中三の受験生。高校の本試験はずっと先だが、この業界に遅いとかはない。
おとなしい子だった。親御さんの話によると、学校では喋らない子らしい。
実際、最初の面接?の時にお家のダイニングで三者で話してみたけど、そういう雰囲気だった。自分に心を開いてくれる気配はあったので、受け持つことに決めた。
実際、すごく真面目で、いろんなことをきちんとやる子だった。ただいかんせん、要領が悪くて、先生とコミュニケーションが取れなくて成績が悪かった。
自宅の近くにある都立の名門公立校をめざしていたが、偏差値でいうと50を切るくらい。絶望的である。
その子の志望校は、かくいう私の出身校と同じだった。だから、親御さんが履歴書を読んだうえで、男である自分でも、大事な娘さんの面倒を見させることにしたんじゃないかと。
春から夏にかけて、彼女は持ち前の真面目さで成績がメキメキ上がった。
中間テストだったかな。中学校三年の一学期の。やる気が漲りつつあった彼女は、自分で野心的な目標を立てた。中間テストで【数学100点】取るんだってさ。
私が思う限り、普段のその子からしたら意外なことだった。本当に自信がなさげに過ごす子だったので。まさかそんな、100点をめざすだなんて……
私は当時、その子が公立校志望ということで、五教科を総合的に上げることを目標に指導していた。
100点を目標にするのは非効率だと考えた。冷静に考えてみて、100点を取る努力というのは、80点を取る努力の軽く2倍以上はかかる。それなら、5教科で80点を揃えるところから始めるべきだろうって。
それに内申点もある。都内の一流公立校だと、入試では大体みんな満点近く(※業界的には平均90オーバーらしい)を取ってくる。となると、内申点で引き離されると手も足も出ない。
※都立高の評価比率は7:3で、特殊事情があると±加点の裁量が加わる方式
あの子に、そういう話はした。「100点を取りに行く必要はない」って。竹早高等学校に入りたいなら……と何度も説得したが、彼女の意思は硬かった。どうしても大好きな数学で満点を取りたいらしい。
でも私は、この子が初めて会った頃と比べてやる気になってるのを見て、できるんじゃないかなと思った。それで見守ることにした。【数学100点】、それいいじゃん!って。
私自身の都合もあった。私の大学には進学選択という制度があって、その時期にはラストスパートをかけて希望学科に行くために学力を上げないといけなかった。数学主体の方が楽だった。いや、ほかの教科も当然がんばって教えたけどさ……。
実際あの子は、テスト前の一ヶ月間は、ものすごく勉強していた。こっちがもたないくらいに。圧倒的な質問量だったな。特に数学は。
私が出した宿題と、学校の課題と、さらに過去課題の解き直し。徹底していた。素晴らしい努力量だった。
そして彼女は……数学で100点を取った。他の教科の点数も伸ばしつつ。偏差値は60台前半であり、その後半も視野に入っていた。
自信が付いたその子は、期末テストでも【数学100点】を取ると言って張り切ってた。結果は確か、期末の数学テストでは1問だけ間違えたんだっけ? 答案は今でも思い出せる。たったひとつの計算ミスだった。
素晴らしい成績だった。彼女の点数もさることながら、きちんと目標を掲げて、現実的にできる最大限の努力をしていた。私も、保護者のお母さんも、そして本人すらも!? 数学では一学期の通知表で「5」が付くものだと思っていた。
でも、1学期の通知表は「4」だった。
怒りに震えた。これはどういうことだって。あまりに理不尽であり、「学校に抗議した方がいい」って、お母さんに訴えたほどだ。
お母さんが学校に聞いたところだと、減点の理由というのが、数学への「興味・関心・意欲」の項目だった。授業中の発言量が少なかったらしい。
その子は真面目な子で、提出物も完璧に出していた。「5」をつけることだって出来たはずだ。でも、その数学教師は……「4」を付けた。100点と98点を取ったのに。
彼女は内気だった。自分の努力をひけらかすことはしない子だ。先生への意欲アピールは少なかっただろう。
でも。それは努力をしてないということじゃない。100点を取れる子が数学に関心がない、なんてことがあるか?
彼女の中の数学への自信が、努力への信仰みたいなものが崩れていく音が聞こえた。いや、本当に聞こえたんだ。その子と、お母さんと一緒にダイニングに居て、その子が残念そうに話をしている時に。
本当に無念そうだった。いつも自信がなさそうだったけど、この日の彼女は特に辛そうだった。
数学での自信が、彼女の殻を破るきっかけになると踏んでいた。叶わなかった。
その子は結局、高校の進学先を決める時……自分の実力の遥か下の学校を選んで進学していった。
がいいってずっと言ってたのに。偏差値60超えても入学できるかって言ったら怪しいけどさ。でも、彼女なら可能性はあったよ。
竹早高校がいい学校かと言われたら、卒業生の一人としては礼賛できない点もあるよ。
伝統校だから、制服検査とか生活指導が厳しいし、生徒同士が成績とか家柄でマウントを取り合ってることもある。ハブられたりとか、いじめられて鬱とか、登校拒否になるヤツだっていた。途中で辞めた友達だって何人もいる。
でも、いい学校だと思ってる。伝統校としての地力があるのだ。生徒の可能性を花開かせる環境がシッカリ整っている。
彼女には、そういう学問・教養・学びの楽しさを味わえる学校に進んでほしかった。
その思いは、ずっと悔恨として残っている。もし、あの時……まんべんなく80点を取る作戦で説得できていたらなぁ……と、学校教師じゃなくて、不動産会社に進んだ今では思う。※一応、教育学部には進みました
今の会社では、ビルマネジメントという専門職種の道を歩んでいる。
ありていに言うと、施設の総合管理の仕事である。その業務では、顧客を説得しないといけない場面がたくさんある。契約業務が多いし、ビル建替計画の進捗も管理しないといけない。大卒がやるとは思えないほどの雑多な業務がある。泥臭いのだ。人間関係の構築について学ぶことが多かった。特に、自分とは属性が全然違う人達との関係構築方法を。
大学生のうちから、もっとそういう人間関係を作る力を鍛えておけばよかった。そうすれば、組織内部の力関係の把握とか、キーマンの説得とか、外部折衝とかもっとこなせたんじゃないかと。
そして、何より……あの子を、もっとスマートに説得できたんじゃないか?大学卒業して五年近くは経ったけど、私は今でもあの子のことが心配だ。
あの学校の先生にとっては、成績は単なる数字だったのかもしれない。「4」でも「5」でも大差ないって。
でもな、違うんだよ。ああいう子にとっては。
「頑張っても正当に評価されない」って、彼女はその「4」の数字から学んでしまった。
だから、勉強を頑張る学校に行こうとしなかった。はるか下のランクの学校を選んだ。
あの事件があってからも、何度も竹早高校を勧めたよ。いい学校だよって。
でも、あの子はさ。進学校を勧める私に対して拒否反応が凄かった。普段は、その子は素直に何でも言うことを聞いてくれた。教科の学習はもちろんのこと、私がわかりにくい冗談を言ったり、たまに無茶振りすることがあっても聞いてくれた。
お母さんが家に居ない時は、たまに料理を作ってくれたし、時間が余ったら一緒に犬の散歩に行ったし、2回だけだけど、一緒にゲームをした。「ちょっとだけだよ」って。ちなみにグノーシアをプレイした。
案の定、論理的思考が好きなあの子はドハマりしていた。好きなキャラはラキオのようだった。必然といえる。あの子らしかった。
でも、あの子はさ。進学先、そこだけは絶対に譲らなかった。あの数学の評価のことがトラウマになっていた。もう頑張りたくないって。深く傷ついたに違いない。私だって、あの時は傷ついた。
当時の、文京区内にある公立中学校に勤めていた、あの数学の先生に言いたいんだけどさ。
この罪は、重いよ。あなたは、一人の生徒から自信を奪ったうえで、社会に対しての不信を植え付けたんだ。
その後の彼女の人生には影響があったよ。絶対に。あの教師は責任が取れるんだろうか。取れるはずがないよな。そもそも取らなくていいんだから。
私はあの後、教育学部に進んで教員免許は一応取った。けど、このことが脳裏に何度も去来して、結局学校の先生にはならなかった。なりたいとは思えなかった。あんな連中と一緒に働くのは嫌だ。
教育を志した一人の人間として、私はあの数学教師は許すことはできない。
でも、これだけは忘れないでほしい。子どもって、大人にとってはちょっとしたことで傷つくんだよって、一生の傷になるんだよってさ。
愛光学園一期生の募集に当たり,すなわち昭和二十八年生徒募集要項のなかの《本校の教育方針》より上記に関連する箇所を引用致します。 <h3>o- *********************************************************</h3>
四、教授陣容の整備
本校は高等学校の先生として一流の人物をそろえ、中学校にはとくによい先生をあてる方針である。学校教育の成果は何よりも教授陣容の整備にある。実力のある、熱のある、若い先生をそろえることが、何よりも大切である。新宿高等学校当局も、立派な学校を出た、実力のある、三十代、四十代の先生を数多くそろえたことが、その成功の秘訣だと語っている。本校も教員組織に全力を傾けて努力し、立派な、熱のある、はたらき盛りの先生をそろえる方針である。
尚、英語教育のためには、教養の高い外人の先生が、二十八年度より、早速着任することになっている。
中学の三年間、十三歳から十五歳という時は、一生の間でも一番記憶力が盛んな時であり、一生の土台をきずくべき時でもある。もしこの時に土台をしっかりと作っておかなければ、深い学問は生涯育たないかも知れない。
ところが新制度ではこの中学校が義務制度になったため、善悪種々の影響があらわれて来た。ここに大学進学者ばかりを集めて、一生の間で一番大切な時を、その目的に対して一番適当な教育を施す必要があるのである。この中学教育の改善なくしては、松山最近の大学入学上の不成績は改まらないであろう。
更に一歩進めて、中学、高等学校六年間の教育を、一貫した方針で編成し、学科目の配当、進度の工夫を図ることが大切である。本校が続いて高等学校を開設する目的はこれである。
旧制中学と新制中学とでは、一週間の学科時間の配当に非常に差がある。例えば英語について見ても、旧制中学では一年間にリーダー二冊、和文英訳一冊、文法一冊、計四冊上げていたものが、今の中学では一年間にリーダー一冊すますのみである。
本校では特に右の三学科に重点を置いて、時間の配当の上にも意を用いて行くが、特にその授業には旧制中学以上の熱意をもってあたる方針である。
現在の中学を旧制中学と比べると、原理の理解を軽くして実際的応用を重んじていると言える。これは中学のみで学業を終える者に対しては正しい教育方針であり、官公立中学がこの方針であることは当然である。
しかし、大学へ進む者のためには、原理の理解に重点を置くことが大切であると考える。深い学問は高い石垣を積み上げて行くようなもので、土台から、一つ一つシッカリと積み重ねて行かなくては立派に仕上がらないからである。本校が応用の面よりも、原理の面に重点を置くのはこのためである。
八、過度の勉強とはならぬ
1.優秀な者のみ集めて教育すること。
4.基礎学科に重点を置くこと。
このような方法によって教育するので、生徒は普通にやって行くだけで知らず知らずの間に力がつくのである。特別の努力をしたり、体をこわすような無理をする必要は少しもない。 <h3>o- *********************************************************</h3>
他の初期新世代ガンダムと比較するとちょっと低いぐらいの扱いをされている感じだけど、ここから更に下がるべきだと?
買収騒動に関わるくだらんTV局の都合で3クールで打ち切られたことにより後半はかなり駆け足になっているけど、「ニュータイプを戦争と政治の道具にする人々の業」はシッカリ描いてたでしょ。
俺が凄いなと思うのは1話と最終話に出てくるインチキおじさん二人組みだな。
あの二人と周囲の扱いによってあの世界における「民衆にとってのニュータイプ像」が分かりやすく描かれてる。
ジャブローのモグラみたいな政治家達にとっては重大な旗印だけど、民衆にとってはなんか凄いらしい人程度でしかないっていう距離感、これがプロパガンダに熱心な政治家と日々を生きる民草の乖離なんだよね。
偉い連中が自分たちの中にある高慢で膨れ上がった価値観のもとで戦争をした結果で世界が滅んだことに対する警鐘は、初代ガンダムのコンセプトを如実に受け継いでるものだよ。
そのうえで視聴者の側にも「ぶっちゃけ君等もニュータイプって戦争の道具ぐらいにしか思ってないよね。スパロボやGジェネで持ってたら嬉しいスキルぐらいの距離感でしょ?そういう気持ちがフロスト兄弟みたいな化け物を生むんだよ」と問題定義を投げつけてくる。
根幹設定を物語としてきちんと昇華しきった所としてはそれ以外にも「コロニー落としがもっとヤバくて地球人口がめっちゃ減ったらどうなる?」という仮想に対しての答えも面白いよね。
マッドマックス化した世界でヒャッハーするバルチャーの姿を描くだけでなく、「天国なんてあるのかな」では細々と暮らす人々の姿を、「おさらばにございます」では世紀末世界であっても国家の枠組みが存続しその中で小競り合いが行われる様子が描かれている。
歴代のガンダムシリーズが描ききれなかった部分の落穂拾いみたいな所ではあるんだけど、そういった所を重点的にやるとこういうガンダムになるんだなって新鮮味があるのはかなり強い武器だと思う。
ただこれを持って俺はガンダムXを過小評価と言うつもりはないね。
都合が都合とはいえ3クールの駆け足終了による痛手で最後の方がかなり乱暴になってたのは感じるからね。
でも君が言う「ガンダムXは過大評価されている」というのはかなり疑問だね。
ちょっと詳細を教えて欲しい
ジャンプラやサンデーうぇぶりに毎晩0時にアクセスしてその日に更新されたばかりの漫画をシッカリ読んで感想コメントを書こう。
感想コメントを書こうって意識があると絶対に話をちゃんと読むようになるから。
実際、扉絵だけを見て速攻で書いた感想コメントよりも、そこから10分遅れでも本編の内容をちゃんと読んで書いた感想のほうが伸びる。
これをやってると自然と内容を素早く頭の中で整理する能力が身につく。
コメントを書くのにいいネタはないかと隅々まで素早く読むようになる。
毎日その日の更新分を一気に読むから週末になって1週間分まとめて読むのと違って作業っぽくもならない。
それじゃあ明日の0時00分に集合な。
NISAやってるだけでも500万ぐらいにはなるはずでは?
公務員だから定年まで働けるし退職金も出るし年金もバッチリ入ってるから大丈夫!で割り切るにしても流石に余剰資金少なすぎてヤバないか?
病気とかで2年ぐらい働けなくなったりしたらどうする気なんだ?
それどころか、そういったことに対して真剣に考えろって意見について「ありえない!」みたいに反論してるし。
健康診断で追加検査受けることに対して毎回ブーブー文句言ってる。
保身に走って公務員になんてなるんじゃなかったな。
昭和の脳みそ引きずった本当にどうしようもなく頭が悪い人達の集まりじゃん。
自分の人生に対して無責任すぎるっつーか、人生や将来に対して真剣に考えたことが一度もないような言動ばっかしてる。
飲み会で泥酔するとか、スナックやパチンコでダラダラ時間を潰すとか、ソシャゲで課金してる額を新人相手に自慢するとかそういうしょーもないことしか生きがいのない奴が多すぎるわ。
昔サークルで付き合いのあったニッコマ未満の大学に通う学生の方が百倍人間としてシッカリしてたと思うわ。
どうすっかなー
すべての国民が等しく選挙権を持っていると行っても、それを使いにいけるチャンスが本当に全員にあるのかは怪しいのではないでしょうか。
そこまでの描写を見れば元増田自身はいくつもの地域で選挙にちゃんと行けいているのは明白。
これを読んで「え?選挙にたどり着けないアホが増田書いてるの!?」みたいになってる奴は文盲にも程がある。
元増田の書いてる内容は「俺が選挙会場に行けないってことは全然ないけど、境界知能の人が選挙会場に行けるかというと疑問だ。国民全員に選挙権があるという話だが、境界知能の人や地図が読めない人の選挙権が保証されていると言えるのだろうか」ということだろ?
筆者の主張が最後の最後にシッカリ書かれているんだから、現国の問題だったら簡単すぎて小学3年生レベルだよ。
でもブクマカは文章が読めないから完全にズレた話をしてるんだよね。
「え?こんな頭の悪い転勤族がいるんですか?」って、それは元増田が選挙会場行けなかった時に言う言葉だろ。
元増田の主張は「転勤族として色んな自治体を巡ってきたが、どこもこの問題を抱えているのは同じっぽいね」ということなんじゃないか?
最後までちゃんと読んで読めないのか、最後まで文章を読むだけの集中力がないのかはわからない。
最後までちゃんと読んでもいないのにしたり顔で「内容?タイトルとブコメで何となく分かるっしょ」ですませて書き込むことがバカッター行為であるという自覚が1ミリもないというだけなのかも知れない。
まあどうにしても、救いようがないようなアホが寄り集まってアホみたいなことを好き放題書き込んでいる馬鹿の集まりであるってことだ。
あるのは集合恥だけだ。
なんだろう。
俺が求めているものと何かが違うんだよな。
BUSHINの方がまだ面白かった。
名作と比べてんじゃねーよって思うかもだけど、あっちは20年前に作られた作品なわけで、その間にゲームは進化してるんだから新作が負けてちゃ話にならんと思う。
ネームドキャラごとにストーリーがあるのはそんな悪くない気はするんだが、そこより先がないんだよなあ。
本編のストーリー自体にそこまで吸引力があるわけじゃないし、謎解きも戦闘もスマホサイズというか。
世界樹の迷宮シリーズとかが色々構築してきたDRPGのイロハみたいなのを活かしきれてないっていうか。
まあ要するにスマホ向けに去勢をしつつもロストで強めに味付けしようっていうバランス調整に苦戦してるんだろうな。
超つまんないかって言われたら流石にそんなことないけど、面白いかって言われると悩むラインだわ。
名前にWIZが入ってるからシリーズファンとしての義理でやってるような所が正直ある。
ある意味シッカリ作られ過ぎてるからととものみたいな飛び道具のほうがまだ面白みがあったような気さえするね。
惜しいわ。
https://anond.hatelabo.jp/20240803084522
全世界株式投信も、立派な投資行動なんだけど、みんななんも考えてないので騙されて「保管」とか「増える」とか思いこまされてるだけだよ。
投資信託は、(規制があるから)全員もれなく投資目論見書を読んで理解した人だけが買えるはずなんだけど、そこを無視してるだけだよ。
「投資」というものが持つ「経済の動向について自分で考える」とか「特定の企業と資産の面で一蓮托生となる」といった要素がスポイルされてるじゃん。
投資の定義が元増田の言う、経済動向を考えるとか企業と一蓮托生になるは、オルカンでも同じだよ。目論見書読んでない人が多いだけで。
真面目に読んでるなら
みたいな、「アメリカが風邪ひいたらオルカン全滅するやん」みたいなのは、読み取れるはずだよ。
「日本株すべてよりもマイクロソフト+Appleの方に投資してることになるやん」とか。
本来はシッカリ調べて、アメリカいうてもインフレ加熱で中央銀行が政策金利上げたらなんぞバブル弾けたりせえへんのかな、とか
アメリカが失速したときに、オルカンだったら連動率低くて影響受けないよな?え?97%も連動してんの意味ないやん!、とか
まあいうて軍事大国のアメリカが一強で、EUとか中国がこれを抜かすことはないやろ、アメリカならインフレしてくれるやろし、結果7%は見込んでええんちゃうか、とか
そういう見込みがあって「投資」行動に出るはずなんよ。
良く「オルカン全力投資中ですが、結局増えるかは時の運ですね!」みたいなXのポストみてるとアホちゃうか、と思うわな。
増えると思うから投資すんねん、減ると思ってたら入れんなや、わけわからんと積み立てるなら国債買っとけや元本保証やぞボケが。
少なくとも現状のオルカンは、「世界経済が豊かになると思う方に賭ける」とかそんなボンヤリしたもんちゃうで。
アメリカが主導する資本主義経済を、主にFRBと米政府が上手く舵とって商売できる程度には不安定化させずにすすめる、というところに賭けとるんやで。
ただ、良い方に騙されている言うのは、下手な考え休むに似たりで、個人が個別株投資とかするより安全なんは間違いないのよ。
最近日経が全面安になったやろ。暴落とか騒ぎよったやつ。アレ見たら一目瞭然やったやろ。
特定の企業の動向とか、現代のマーケットではあんま意味ないの。日本株、みたいな括りでヤラれんの。
機関投資家の行動の前じゃ、個人が個別株で応援とか全然無意味なの。
そういうよくわからん大波を起こすクジラの影響を受けて一喜一憂するくらいだったら、ほにゃらら市場全体に投資する方が合理的なの。
オマエ一人の考えよりも間違いなく機関投資家の方が賢くて資金があって行動力もあるから。
素人がじっくり考えて一社に投資するぐらいなら、なんも考えんとオルカン買った方がはるかにマシなんよ。
というのを、自分の頭で考えて自己責任で投資するのが投資なんであって、保管とかって言い方にくくるのはより悪質だと思うけどな。
タンス預金みたいなド直球の無リスク資産との比較はいくら何でも悪質。
いまは「よくわからんもんに」「よくわからんままに」「自分のカネを賭けてるアホばっかり」という状況で、たまたまうまく回ってるだけよ。
「保管」してる金融資産が4割減する性質のもんだとは普通は思わないから、やっぱちゃんと「投資」だって言い続けないと危険だよ。
俺?俺はテンバガー当てて増やしてキャッキャしてたけど、その辺のOLまでレバナスとか言い出したんで手仕舞いして半分オルカンに入れたよ。
ブラックジャックの少しあと、こち亀より少し前、そんな時代に生まれた作品としてオーパーツレベルだろ。
漫画の文脈がいよいよ洗練されていく過程に出来た作品でありながらここまでスッキリとした読み味、演出意図のメリハリや視線誘導の迷いの無さは時代を考えれば異常としか言えん。
同じ時代に生まれた化け物コンテンツとして釣りキチ三平やポーの一族があるけど、これらの作品も今読むとどこかゴチャついた読みにくさがある。
だがガラスの仮面の読み易さはなんだ。
何が恐ろしいって、どのページもどの演出も「これをどういう気持で受け取ればいいのかわからない」と迷子になることが一切ないことだ。
それぞれのシーンの作中における意図がハッキリと伝わるわけだ。
この時代の漫画といえばよくあるのが、コマやページの空白を埋めるように粗雑なギャグが挟まり、迷い箸のような行儀の悪さを感じさせることだが、ガラスの仮面ではそれが極めて少ない。
これから何を描きたいのか、次に何を読ませたいのか、物語をどこに向かわせたいのか、それらが作者の中にシッカリと固まっていて、それを読者に精緻に伝える漫画的なコミュニケーション力を持っている。
何より凄いのが「この物語をただそのまま楽しませることができれば、読者はそれだけで満足するはずだ」という確固たる自信だ。
それが虚勢なのか本心なのかまでは紙面だけでは伝わらないが、ただ一直線に作品を読者にめがけて投げつける渾身のストレートのなんと鋭く重いことか。
漫画が無数の技術と文脈を身に着けた時代を生きる50年先の未来人が読んでなお、「漫画が上手い。漫画力が高い」と思わせるここの普遍的な技量、揺らぎのない精神性はなんだ。
とんでもない作品だな。
50年弱も連載して未だに完結もしないダラダラと間延びした過去の遺物だと思っていた自分が恥ずかしい。
正しく知る誰もがその完成を待ちわびる漫画界のサグラダ・ファミリアだ。
漫画力の高さが本当に狂っとる。
水泳 → 水路から侵入するなら酸素ボンベとスイムスーツ着用するので、パンイチで息継ぎしながらの水泳技術は無駄
剣術 → 徒手格闘ならともかくフェンシングは意味不明。せめてナイフでしょ。
ラン → 3000mを手ぶらかつ徒歩で?!せめて20kgの重りぐらい背負ったら?
ガン → 唯一マシな競技。でもピストルよりライフルの方が良いと思う。
100m → 標的の確保、および逃げ切りに有効。瞬発力勝負。
400m → 同じく有効。これぐらいの距離でシッカリ差をつけられたらもう見つけられない。
1500m → お互いの力が拮抗している時のスタミナ勝負。大前提は100と400で負けないこと。
高跳び → とっさに高い柵をジャンプ出来る
砲丸投げ → 石投げは実戦でも有効。火炎瓶・カラーボールなど応用が効く。
やり投げ → 形が球形でないものを投げる技術。ライフルやロケット砲を手渡すのにも使える。
だがなあ、
・匿名
・優劣がつく
・多すぎ少なすぎない競争相手(100人前後の規模が嬉しさと簡単さのバランスで望ましい)
ネットの大喜利大会でも大部分が半匿名で知名度勝負、名前を隠しても「特定の人の持ちネタに組織票が」ってパターンが結構あって萎えるんだアレは。
サラリーマン川柳なんかは回転率が悪すぎるし競争率も無駄に高いし、なにより賞を取ってるのを見てもセンスが光っているのが全然なくてアレで競う気にはなれん。
ラジオハガキは読まれているのを観測するためにダラダラとラジオを聞かなきゃならんのが良くないし、そもそもあそこで読まれたからって集団の中で上位になれたと感じるのは難しい。
だがなあ、仕事の都合で毎朝6時に起きなきゃならんのに0時にコメントしてから寝るってのはいい加減この年になってくるとしんどいわけだ。
電車の中で多少は寝れるんだが、それでもやっぱこうまとめて7時間ぐらいシッカリ寝たいわけだよな。
追記:
クソッ!
キモおじ「『弥助の見た目が八幡神に近い』って根拠は?」 岡東大准教授「..
において、東大史料編纂所准教授の岡美穂子さんの言説(著作・インタビュー記事)に対してキモおじが疑義を呈し、岡美穂子さんがキモおじをブロックするところまでまとめていたが、進展があったので備忘のためにメモ。
岡美穂子さんのX投稿より(削除済み)
https://i.imgur.com/6vqALAK.jpeg
(サイゾーのインタビュー記事にて「弥助のビジュアルイメージが神に近かった」などとした理由を問われて)
○こういう発言をした記憶がないので、回答は保留とさせてください。ここで間違ったことを言うと、異常に揚げ足を取られますので。
↓
岡美穂子さんのX投稿より(削除済み)
https://i.imgur.com/01H6ZPL.jpeg
○この世界だけで生きている人には分からないかも知れないな、リアル世界の真のカラクリが。キモいオジサンに絡まれるのはお断りなので、ブロックしました。回答はいずれ『サイゾー』が掲載してくれるでしょう。ただし、『サイゾー』はカラーグラビア満載の月刊誌ですので、ちと高いですぞ。
↓
サイゾーの岡美穂子さん関係記事全て削除
普通に議論していた相手(しかも著作のミスを何点も見つけていただいた相手)をいきなりブロックし、「回答はいずれサイゾーが掲載してくれる」としながら、投稿もサイゾー記事も削除とか東大准教授ともなられると下賤の者と付き合うのはまっぴらだということでしょうかね。
私なら、著作のミスを指摘してもらえたなら感謝すると思うんだけどアカデミアのお偉い方々は違うのかな?
この方は女性で、かつ以前まとめたとおり左翼(少なくとも右翼嫌い)のスタンスなのでアカデミアからは批判されないということなんでしょうかね。
(ご本人のブログ(削除済)ではサイゾーを高く評価されていたのに)
https://web.archive.org/web/20201104131757/https://mdesousa.exblog.jp/m2017-03-01/
月刊サイゾー編集部なるところから連絡をいただき、星野博美さん(♡)と対談企画のお話をいただきました。嬉しい~。世の中のトレンドは何一つ追っていない私ですので、「サイゾー」というのは、「知恵蔵」のようなものかと思っておりましたが、表紙はかなり、あの、書店でレジに持っていくのはちょっと(ていうかかなり)恥ずかしい。しかし意を決して、一応事前リサーチとして、丸の内オアゾの丸善で購入しました。
中身はちょっとガッカリするほど(!)、活字が多い、インテリな雑誌でした。no nukes活動家のうちのアシスタントさんに言わせると、「週刊現代」もああ見えて、言論部分ではかなりシッカリとした雑誌ということですので、「見かけ」でおびき寄せて、裏で「啓蒙」するタイプなのか、、、、。
なお、岡美穂子さんについてはここでも綺麗にまとめられていたので紹介しておく。
前述のX投稿では「こういう発言をした記憶がないので、回答は保留とさせてください。」としていたにもかかわらず、それからなんのアクションもなしに「私自身はその発言をしていないと、10日以上前に回答しているのですが。」とのこと。
日本語を話しているようで何を話しているか全くわからなくて混乱している。
歴史学の中では、「保留する」は「回答した」ことになるのかな?
人文系のアカデミアの方々、わかるように解説してもらえませんか?
岡美穂子さんのX投稿より
https://x.com/mei_gang30266/status/1821499985961381948
敢えて見ませんが、だいたい何のことかは分かります。雑誌のインタビュー記事で、私自身はその発言をしていないと、10日以上前に回答しているのですが。自分で書いたものでないことは、文章を読む習慣がある人ならわかることなので、その後は放っております。
「グラフィックにかけた手間は関係ない」だったらまあ分からなくはないんだけど、「グラフィックの出来」だと流石にゴミみたいなグラフィックで面白かったゲームは思いつかないなあと。
そもそもゲームをデザインする段階でグラフィックはどうしてもくっついてくる訳じゃん。
そのゲームがどういう思想で作られているのか、コンセプトはどういうものなのか、それぞれのキャラの役割を伝えたりユーザーインタフェースを良くしたりと、ゲームとしてのコミュニケーション能力を支える重要なパーツでしょ。
たとえばRPGツクールのデフォルトグラフィックだけのゲームは素材を探す手間さえかかってないけど、ゲーム全体を通してグラフィックは統一されているし、それぞれのグラを与えられたキャラクターの役割(例:魔法使いだからHPは低いけど魔法攻撃は強い 水の精霊だから水属性)はシッカリ伝わるからねあのデフォルトグラは。
(おっとここで風のリグレットで反論しようとしたキミは見事にダウトだ~~~あのゲームは想像を掻き立てるシンプルなパッケージデザインと黒一色の画面という強烈なグラフィックを武器にしており、手間はそれほどかかってなくとも「グラフィックのインパクト」「ゲーム性を伝えるコミュニケーション能力」という意味では高得点なのだから~~~)
駄目なゲームにありがちなこととして「グラフィックによるコミュニケーションを軽んじている」という部分があるんだよ。
ゲームってのは基本的にはゴッコ遊びなので、グラフィックを見た瞬間にそのキャラクターや行為が持つ役割が伝わってこないとアカンのよね。
スピードが早いものにはスピードの早いグラフィックを当てはめるべきだし、鈍重なものは重たそうなグラフィックであるべきなのよ。
そしてなによりそのゲームが想定している「こういうイメージで遊んでくださいね」というものがゲーム画面をみてすぐに、そして少しでも具体的に伝わったほうがいい。
弾幕STGが人を引き付けるのは「一見回避が難しそうな弾が画面いっぱいに広がっていて、これをクリア出来たら全能感が凄いだろうな」と想像させる力があるから。
逆にクソゲーと呼ばれがちなSTGは「一見避けやすそうなのに全然避けられない弾が飛んできて、この程度も避けられない自分は無能だと感じさせてくる」ってパターンがかなり多いわけよ。
ゲームってのは元々はTRPG(テーブルRPG。サイコロ遊びと指輪物語ごっことノート迷路を足したようなの)みたいなごっこ遊びに端を発したものであり、ゲームソフトはGM(ゲームマスター(語り部・ディーラーぐらいの意味))としての役目があるわけなんだからさ、そこはちゃんと「今、こういうことをしています。この遊びはこういう所が楽しいよ」ってちゃんと伝えてくれなきゃ。
なんか手抜き感満載のグラフィックな上にそれぞれがどういう役割を持ってるのかも伝わらず、結局やってることがシックリ来ないし、どう楽しいのかも伝わらないならそんなゲームの評価はやっぱ下がるよ。
思い切って文字だけで表現するとか、諦めて汎用フリーグラフィックを使うとかで誤魔化してもいいから、少しでも自分のゲームがどういうものかを伝える努力をすることにエネルギーを使うべきなんだって。
「グラフィックに頼らないことで奥行きのあるゲーム性が引き立つ」とか中二病みたいなことは絶対に考えちゃ駄目なんだよね。
一担当・一係長が背負ってはいけないような案件を次々に背負わされていく。
ある事業における致命的な要素の決定権をごく一部だけ握らされ、その上で上司連中からは「早く何とかしろ」「絶対なんとかしろ」「俺はよく分からんからやり方は任せる」ばかり言われる。
現場の調整先からは「マジで困ってるんですけど?」という電話がしょっちゅう来るし、頼みの綱と思っていた業者からは「いやーこの納期じゃ無理っすねー」という断りがバシバシ入る。
そんな案件を自分の担当分で10個、部下達の分も入れれば20、30と抱えさせられる。
仕込まれた爆弾の数々は予算不足を旗印にトリアージを繰り返されてきた致命傷である。
「予算が足りないなら優先順位をつければいい」というちょっとだけ経営者感覚を齧っただけみたいな発言の元に何度もやってきたコストカットの影響が出ているわけだ。
「5年後に影響が出ますよ」を「じゃあ俺が別の部署に移ったあとに問題になるってことだから俺とは無関係だな」と考えられる奴だけが公務員の世界では出世する。
多分だけど、民間でも同じだとは思う。
民間との違いは民間は自分の会社が潰れないために今その瞬間を死物狂いにならないといけない所があるけど、公務員は潰れることがそもそも出来ないという現実に対して「20年後、30年後も俺達はこの業界でこの仕事をしている」という視点で物を見ないといけないってことだ。
エッセンシャルワークとはそういうものだと思うが、その現実を頑なに受け入れない人間ばかりが上に行き、ソイツラが放りだした責任を結局は現場が取らされる。
どれか一つの案件にだけ注力できるならやり甲斐はあるだろうが、それを10も20も並行してやらされると、結局自分自身もトリアージを繰り返すことぐらいしか出来ない。
ヒト・モノ・カネは当然のように足りず、思いつきでつけ足され続けるセキュリティ制度のせいで業務効率は日々悪化する。
俺も全くそう思う。
就職先に悩んでいる時に町中の公務員スクールにフラフラと吸い寄せられ「公務員っていうのは基本的なことが身についている人ってイメージが強いでしょ?だから転職も有利なんだよ」とスクールの勧誘に騙されたのが良くなかった。
頑張って勉強した果てに通ったんだからと辞めるタイミングを逃し、流石にこのままではまずいと転職活動をするも「うーん。その年齢で経験したことがあるのは公務員だけ?うーん。ビジネス感覚がなさそうー」みたいな感じで次々と面接は落とされて今の仕事を続けている。
ある日職場でバッタリと倒れ込んで精神科の診断書でも貰えば用務員みたいな立場に入り込めるかも知れないが、その立場になったらなったで半端な「俺は公務員様だぜ?偉いぜ?」を令和にもなって引きずっている連中にアゴで使われるのは結局ストレスかも知れない。
俺も人のことは言えないが、公務員連中はマジで他人をアゴで使う。そういう態度での働き方を教育されているから、公務という神聖な業務を効率的に進めるにあたって民草に協力を仰ぎ公権力の力で労働力をほぼ無償で吸い上げることが業務の一環であるかのように考える空気が間違いなくあるし、それを前提として実際そうしないと回らないような業務量を押し付けられている。
公務員はクビにならないから異常者が多いという話があるが、実際私の職場にも私を含めて顔つきから自閉症を感じ取らせるような連中が沢山潜んでいる。
大体5人に1人ぐらいはうっすらと自閉症顔だ。
基礎学力と一般常識を教科書経由でひたすら積み上たテストの点数で半分以上の結果が決まるという世界は、自閉傾向の人間に対して(他の世界での就職活動と比較して)本当に有利だと思うし、実際俺もそのおかげで公務員様になれたのだと思っている。
自閉症スレスレのギリ健が公権力を振るうことを推奨されるような立場につくと、どうしても頭のおかしくなる奴が出てくる。
それは上司連中の中にも混じってきており、一部のキチガイが「こんなのは民間にやらせればいいだろう。契約前に作業をさせたら事前着工?シランガナ」と無茶苦茶な指示書をウォーターフォールの高みから放り投げてきて、「こんなの本当にこのままやったら全員捕まるだろ・・・」という状況に日々追い込まれたりもするわけだ。
俺はもう無理だ。
現場から上がる悲鳴を受け止めるには俺の心臓は小さすぎるし、上から降ってくる狂言をうまく躱すには俺の足腰は貧弱すぎる。
1◯年続けられた生活だから今後も続けられはするのだろうが、それはどこかで「働き方改革の波が来て公務員の職場環境も変わるし、クソみたいな連中は皆クビを切られ、そして日本も失われた時間を取り戻して予算が沢山つく」というありもしない希望にすがっていたからだろう。
もっと言えば「なんかめっちゃ転職しやすい市場になって、公務員しか経験のないアラフォーのおっちゃんでも普通にいい会社に潜り込めるようになる。つーかその状況で公務員の魅力化対策が行われて今の仕事もかなりマシになる」という願望を思い描けていたからだ。
もしかしたら「宝くじがあたって」とか「突然小説の才能に目覚めて」とか「株の配当が」などのよりありもしない空想を信じていたのかも。
いい加減もう無理だ。
現実に追いつかれた。
どのタイミングで人生をやり直せば良いのかと夢を広げるのもいい加減疲れた。
この時代のこの日本にこの自分として生まれ落ちた時点で半分ぐらい負けているわけで、IFストーリーの最適解は「もっと未来の豊かな時代に、優秀な遺伝子をコーデイネートしてもらって、人間なんぞじゃなくてご立派なAI様に育ててもらっていれば」なんだろうと思うわけだ。
疲れた。
上を見るから苦しいんだろう。
下を見なければ。
昨日、配達のオッチャンがこんな暑い中で汗だくになってプンプン酸味のある香りを立てながら荷物を持ってきていたが、アレは大変な仕事だと思う。
荷物はどれもお客様の大切な品であり、中には壊れたら取り返しのつかない特注品もあるだろう。
どこにでもある些細な荷物でも、明日の仕事に使うから今日中に届かないと困ってしまうものもあるだろう。
それを1日に100も200も丁寧に扱うのだ。
マンションごとにシステムの違うオートロックと格闘し、時には自動扉に荷物が挟まれそうになるのを自分の体でブロックし、そうして届けようとしたら留守だったり居留守だったり、そんな仕事をひたすらやって、賃金は最低賃金よりは少しマシなだけ。
きっと彼らの業界も公務員のように残業代がチョロまかされているのだと思う。
予算の関係というより、労働時間の上限と実際に受けている仕事量のアンバランスによって残業時間を誤魔化せとうい指示をきっと彼らも受けている。
公務員のおまけみたいなボーナスさえ羨ましくなるような、それこそ年間で10万×2とかのちょっとしたお小遣い程度で、普段の賃金は残業代や移動時間が誤魔化されて実質の時給は最低賃金未満になっていたら?
最悪だろうな。
ああ最悪すぎる。
そういう人達のことを考える度に、「俺はまだマシなんだ」と希望が湧いてくる。
いざとなったら「あっ・・・メンタルが・・・あっ・・・」と倒れ込んでしまえばいいんだ。
責任なんてのは最終的に上の連中が取ればいいんだ。
人脈を繋ぐためだと毎日飲み歩いてもパンクしない程度の給料をアイツラがもらっている理由は、いざとなったら責任を取って腹を切るためじゃないか。
なんで俺がこんなにも必死になって全部自分の責任であるかのように背負い込まなきゃならんのだ。
そもそもを言えば、国民の側が小さな政府を望んできた結果が現状だろ。
公的な仕事をつくのに一番必要なのは「俺は最底辺よりはマシ」という心意気と「ぶっちゃけ俺が背負う責任ってごく一部だけだろ」という開き直りだ。
それだけはシッカリ身についているし、それしか身についていない。
国民もそれを望んでいる。