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2026-02-02

34年間つづいてるエロ雑誌ってすごいな

沿革

1992年10月3日、前年にアダルトゲームの取り扱いを止めた『テクノポリス』(徳間書店)の元スタッフが中心となってサン出版より創刊。当初は『ログイン』や『コンプティーク』と同様、一般ゲームを中心に取り扱う一般向けパソコンゲーム雑誌であったが、売上が低調であったこから3号目の1993年1月号より刊行ペースを隔月刊に落とし、前年にメディアックスが創刊した『パソコンパラダイス』と同様のアダルトゲーム専門へと路線を変更。それ以後は、順調に売上を伸ばした。

リニューアル後4号目となる1993年7月号で再び月刊誌に戻るが、1994年4月号より再び隔月刊にペースダウンした後に1997年6月号で創刊以来3度目の月刊化を達成。それと並行し、編集部のフルDTP化・編集作業のフルデジタル化を行った。

2010年1月号より、背表紙に表紙イラストの縮小版を掲載している。

2013年2月号より、隔月でDVD-ROM付録している。

2014年8月号でサン出版グループマガジン・マガジン社を離れ、同年9月号以降は富士美出版移籍した。

2016年2月号より、DVD-ROMが毎号付録となる。

2016年10月号より、電子書籍版(Amazon KindleDMM.com)も本誌発売から1週間ほど遅れて発売するようになっている。電子書籍版に付録DVDデータ付属しない。

2019年4月富士美出版スコラマガジン合併。同年5月から発行元がスコラマガジンに移行した。

2021年6月辰巳出版スコラマガジン吸収合併[2]。同年9月から発行元が辰巳出版に移行した[3]。

これを見るとその時の技術アジャストしているのが成功秘訣に見える。ケツだけに(なんのこっちゃ

Permalink |記事への反応(0) | 18:12

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2025-08-08

BL性的消費」と言われると微妙気持ちになる理由

BLは「女性性的消費が男性性に依存させられる」という話を定期的に見るのだけれど、そのたびに「すみません……でもなんか違うの……でもでも怒られても仕方がないよな」という微妙気持ちになる。

多分、BL文化は「少女マンガの読者からこぼれ落ちてしまった女の子」たちのシェルター的に育っていた背景があるからなのだと思う。自分もその1人だ。


24年組が切り開いた「少年」

BLの源流とされるのは、1970年代「花の24年組」と呼ばれる作家たちの作品群だ。少女マンガなのに、主人公少年である物語が多かった。

代表格の竹宮惠子先生によれば、当時の少女マンガには制約が多く、主人公少女だと描けない物語が山ほどあったという。少女主体的に動こうとすると「生意気」とされ、編集部から許可下りない。だからこそ少年主人公に据え、「女の子が言えないことを言ってくれる」物語にしたそうだ。萩尾望都先生も「少年を描くことで、女性が受けてきた社会的制約から解放される強い感覚があった」と語っている。要するに「少年少女=私」。少年着ぐるみ的に着せてもらった作品群と言えるのかもしれない。


雑誌JUNEの「防空壕」的役割

そんな24年組雰囲気を引き継いだのが、BL雑誌…というか、美少年作品を取り扱う雑誌JUNE」で、編集長を務めた佐川俊彦氏は『「JUNE」の時代BL夜明け前』で、こういう風に語っている。

女の子美少年の姿になると「自由」になれる。女の子のままだと制約が大きすぎて何にもできない、冒険ができない。さまざまな現実プレッシャーから逃げて身を守る、戦時中の、空襲の爆撃から守ってくれる「防空壕」みたいな役割を果たせるのが、「JUNE」なのではないか?僕はそう考えていました。

24年組」の作家さんたちの多くは、本当に男の子になって冒険するみたいな、宇宙にも行くみたいな物語が描きたかった。少年マンガ的なノリで、自分少年になって、「自由」にふるまいたかったわけです。

その「自由」の中に、もちろん「性的自由」も入ってくる。女の子のままじゃダメで、美少年になったらできる。でも「中の人」は女の子なので、その対象相手は男になる。

まり、表面的にはゲイに見える。「少年愛」はそういう仕組みなんです。


当時の多くの女性は「結婚して、仕事をやめて主婦になる」という道を歩んでいた。そうした「ジェンダーロール」や「社会的圧力」に居心地の悪さを抱えた少女たちにとって、BLは切実な願いを託せるファンタジーだったように思う。私自身も、一生働きたい、自立したいと願っていた少女だった。けれど現実では「女としてダメ」という言葉を向けられることも多く、その中で自己肯定感は削られていった。その度にBL物語脱出口のように機能した。

BLでよくある展開として「こんな俺なんて」となる受けに「そんな(外側から評価なんて)関係ない、俺はお前と一緒にいたいんだ」と攻めが寄るシーンがある。これは「女としてクソだと言われ続けていた私」をどうにかして誰か認めてくれないかという願望をもった自分には不思議なことに強烈に響いた。違うけど根本は同じ、みたいな。こじれた少女マンガ……と言ってもいいかもしれない。

余談になるが「JUNE」を出版するサン出版では、ゲイ雑誌さぶ」も出ていた。「JUNE」はゲイカルチャーではなく、「少女のための雑誌」と明確に分類がされていたそうだ。


当事者批判と「やおい論争」

もちろんBLは常に歓迎されてきたわけではない。90年代にはミニコミ誌を中心に、ゲイ当事者から「女たちは勝手ゲイを弄んでいる」という批判が噴出した。これが「やおい論争」だ。

論争の発端となったゲイ当事者でもある佐藤雅樹氏はミニコミ誌 『CHOISIR』20号 (1992年5 月) でこう綴っている。

俺たちゲイセックス描いて、男同士がセックスしてる漫画読んで、喜んでいるというじゃないか。そんな気持ちの悪い奴らを好きになる理由必要もない。第一不快だ!

(中略)ゲイセックスは、男から嫌悪、女からは好奇の視線しか見られない。オレたちのセックス覗いて喜んでいる女、鏡見てみろよ、覗き見してる自分たちの表情を!

この論争は読者にも衝撃を与え、BLのあり方を見つめ直すきっかけとなった……が、昨今はBL市場があまりに大きくなり、この歴史を知らない人も多い。


まり何が言いたいのかと言うと

私は、BLは単なる「女から男への性的消費」では括れないと思う。そこには当事者批判歴史も、多様な表現への発展もある。そして「少年着ぐるみ」を着て得る自由は、百合バ美肉にも通じる部分がある。

根っこにあるのは、性的指向以前の、もっと切実な願い――現実で奪われた行動の自由存在肯定を、別の姿を通して手に入れたいという欲求だ。

私は「BL無罪だ!」と大声で言う気にはなれない。「少年着ぐるみ」を着させてもらっている身としては、「いいとこ取りしようとしている」罪悪感があるからだ。行き過ぎた表現への懸念もあるだろう。それでも、この場所で救われた自分がいる。一部の大きな声で、すべてが否定されるのはなんだか悲しい。この文化が衰退しませんように。

Permalink |記事への反応(16) | 13:04

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