
はてなキーワード:ゴモラとは
チャーリーカークがケンブリッジの学生に論破されるって動画の長い版があったからGeminiに英語教材にしてもらった。
https://x.com/KBYMScotland/status/1966798924468851007
今年5月、チャーリー・カークが🇬🇧ケンブリッジ大を訪れ学生とディベートを行った。カークは「聖書は同性愛を道徳に反するとし禁じている」と持論を展開するが...
https://x.com/mkbfpv/status/1966798326730240107
Hereis the actual full clip of thisexchange.
***
Ellis Jones from EmmanuelCollege.
(拍手)
Umhello, thankyou for coming totalk. Um, so my question,assomeone studying archaeology and biological anthropology, um, I've learned that moral codes and social norms havealways been fluid, shapedbytime, culture,power. Somany ancient and recent societies embraced same-sex relationships and even theidea of third genders uh well before Western conservatism even existed. So whenyou claim that modernconservative values represent some kind ofuniversal objective moraltruth,likeyou saidonyour chairover there, um areyou just defending a selective,historically recent ideology that erasesmost ofhumanhistory and targets peoplewho havealways been part ofit?
こんにちは、お話しいただきありがとうございます。ええと、私の質問ですが、私は考古学と生物人類学を学んでいる者として、道徳規範や社会規範は常に流動的で、時代、文化、権力によって形成されてきたと学びました。古代から近代に至るまで、多くの社会が西洋の保守主義が存在するずっと以前から、同性間の関係や第三の性という考え方さえも受け入れてきました。ですから、あなたが現代の保守的な価値観が、そちらの椅子でおっしゃったように、何らかの普遍的で客観的な道徳的真理を代表していると主張されるとき、それは人類の歴史の大部分を消し去り、常にその一部であった人々を標的にする、選択的で歴史的に新しいイデオロギーを擁護しているだけなのではないでしょうか?
archaeology (n):考古学
anthropology (n):人類学
fluid (adj): 流動的な、変わりやすい。ここでは「道徳規範が固定されたものではなく、時代と共に変化する」という文脈で使われています。
conservatism (n):保守主義。伝統的な価値観や制度を維持しようとする政治的・社会的な思想。
objective (adj):客観的な。主観に基づかない、事実としての真理を指します。
selective (adj):選択的な、えり好みする。ここでは「歴史の中から都合の良い部分だけを選んでいる」という批判的なニュアンスです。
ideology (n):イデオロギー、観念形態。特定の社会集団が共有する信念や価値観の体系。
erase (v): 消し去る、抹消する。
No, but canyoupoint to me of a greatpower that endorsed same-sexmarriage, not cohabitation, butmarriage?
いいえ。ですが、同棲ではなく、同性「婚」を承認した大国を一つでも挙げていただけますか?
endorse (v): (公に)是認する、支持する、承認する。
cohabitation (n):同棲。法的な婚姻関係を結ばずに共に住むこと。
Ancient Mesopotamia.
Asmarriage?Asasas recognizedby thestate.
100%.
100%そうです。
And howdid that workout for them?
それで、彼らはどうなりましたか?
It workedout perfectlyfine.Itwas an accepted norm ofsociety.
全く問題なく機能していました。社会で受け入れられた規範でした。
norm (n):規範、標準。社会において当然のこととされる行動や考え方の基準。
なるほど。それでも私はそれが間違っていると思います。
Okay, okay, swiftly movingon. Soyou saiditwas basedon scripture andyoubelieve that there are moral objectiveuniversaltruths.
わかりました、では次に進みます。あなたはそれが聖書に基づいており、道徳的に客観的で普遍的な真理が存在すると信じているとおっしゃいましたね。
scripture (n):聖書、聖典。キリスト教やユダヤ教の正典を指します。
Yes, there are. So murderis wrongtoday and murderwas wrong 2,000 years ago.
はい、存在します。殺人は今日も悪であり、2000年前も悪でした。
Right, okay, infact that's not samesex, but fair, fair, I seeyourpoint.
ええ、なるほど。それは同性の話ではありませんが、まあ、おっしゃることはわかります。
But there are moraltruths that are transcendent oftime, place, and matter.
しかし、時間、場所、そして物質を超越した道徳的真理は存在するのです。
transcendent (adj): 超越的な、並外れた。ここでは、物理的な制約や時間的な変化の影響を受けない、普遍的な真理を指しています。
Okay, but but so just to clarify,youbelieve that thisis in theBible. Thisis laidout in theBible thatman shall not sleep withman and so thereforeit's...
わかりました。しかし、確認ですが、あなたはそれが聖書に書かれていると信じているのですね。男は男と寝てはならないと聖書に明記されており、だからこそ…。
It's also repeated throughout the New Testamentas well. Matthew, in thebook of Matthew, Jesus affirms the biblical standard formarriage.
それは新約聖書全体でも繰り返されています。マタイによる福音書で、イエスは結婚に関する聖書の基準を再確認しています。
Okay, so I'm gonnamaketwo very, very quickpoints. So the first, um, so if welookat the Old Testament inisolation, just to start off withas an example. So let'slookatExodus 35:2, which suggests that ifyou workon the Sabbath,you should be put todeath. Ifyoulookat Leviticus11:7,it suggests that ifyou have pork,you should be put todeath. Ifyouplanttwo crops sideby side,you should be stonedbyyour entire village. Ifyouwear a suit, whichyou arewearingnow, that containstwo different fibers intertwined into the same jacket,you should be burnedat the stakebyyour ownmother.Now, following that rationale, in Leviticus 18:22 whenitstates thatman shall not sleep withman,why aren't we burning ourselvesat the stakeas well?Why aren't we stoning ourselves todeath?
わかりました。では、非常に手短に2点述べさせてください。まず、例として旧約聖書だけを切り取って見てみましょう。出エジプト記35章2節では、安息日に働けば死刑にされるべきだと示唆されています。レビ記11章7節を見れば、豚肉を食べれば死刑にされるべきだと示唆されています。2種類の作物を隣り合わせに植えれば、村全体から石打ちにされるべきです。あなたが今着ているような、2種類の異なる繊維を織り交ぜた上着を着ていれば、自分の母親によって火あぶりにされるべきです。さて、その論理に従うなら、レビ記18章22節で「男は男と寝てはならない」と述べられているのに、なぜ私たちは自分たちを火あぶりにしないのでしょうか?なぜ石打ちで殺し合わないのでしょうか?
inisolation:孤立して、単独で。ここでは「旧約聖書だけを文脈から切り離して見てみると」という意味です。
Sabbath (n):安息日。ユダヤ教で労働が禁じられている土曜日のこと。
Leviticus (n):レビ記。旧約聖書の一書で、祭儀や律法に関する規定が多く記されています。
intertwined (adj): 絡み合った、織り交ぜられた。
at the stake: 火あぶりの刑で。中世の処刑方法の一つ。
(拍手)
Doyou care toaddress mymain contention that Christaffirmed biblicalmarriage in thebook of Matthew? And canyoutell me thedifferencebetween the ceremonial, the moral, and the ritual law? And then finally, also,tell me about Christianity, thedifferencebetween the new and the Old Covenant, oryou're just going tocherry-pick certain verses of ancientIsrael that do not apply to new Christianity?
私の「キリストはマタイによる福音書で聖書的な結婚を肯定した」という主要な主張に反論していただけますか?そして、儀式律法、道徳律法、祭司律法の違いを教えていただけますか?そして最後に、キリスト教における新しい契約と古い契約の違いについても教えてください。それとも、あなたは新しいキリスト教には適用されない古代イスラエルの特定の聖句を、ただつまみ食いしているだけですか?
contention (n): (議論における)主張、論点。
covenant (n): (神と人との)契約。キリスト教神学において非常に重要な概念です。
cherry-pick (v): (自分に都合のいいものだけを)つまみ食いする、えり抜きする。
Very fair, fair. I completely agree. So we'lllookattwopoints then. So firstly, um, if welookat the Old Testament, uh, we can see the kind of inconsistencies there. We've already touched upon that, right? Thatmakessense. Secondly,you mentioned thepoint of Jesus and Christ. He never mentionedanything to do with homosexualityatall.
ごもっともです。完全に同意します。では2つの点を見ましょう。まず、旧約聖書を見れば、そこに矛盾があることがわかります。それについては既に触れましたよね?理にかなっています。次に、あなたはイエス・キリストの点に言及しました。彼は同性愛について一切何も言及していません。
Whoa, holdon a second. Heaffirmed, heaffirmed biblicalmarriageasoneman andonewoman. He said aman shall leavehis...
おっと、待ってください。彼は聖書的な結婚を「一人の男と一人の女」として肯定しました。彼は「男はその…」と言いました。
in the New Testament?
新約聖書でですか?
In Matthew, thatis not correct.I believe in the New Testament, in the New Testament. Well,Romansis also in the New Testament. Secondly, inRomans 1, the ApostlePaultalks negatively about homosexuality explicitly. Also, homosexualityis repeated in thebook of Titus and in thebook ofJudeas notbeing favorableas the destruction of Sodom and Gomorrah. Not eventalking about the Old Testament verses.
マタイ伝です。それは違います。新約聖書で、と信じています。ローマ人への手紙も新約聖書です。第二に、ローマ人への手紙1章で、使徒パウロは明確に同性愛について否定的に語っています。また、テトスへの手紙やユダの手紙でも、ソドムとゴモラの滅亡と同様に、同性愛は好ましくないものとして繰り返されています。旧約聖書の聖句は抜きにしてもです。
There are three types of the 613 Leviticallaws. Andyou,you know, of course, inyour own way,cherry-picked some of them. We do notlive under the ceremonial, we do notlive under the ritual, and but we dolive under the moral. There'sonly10 of the moral that weas Christiansbelieve we're bound to, somebelievenine, which of courseis the Decalogue. And so none of those thatyou mentioned weas Christiansbelieve that welive under. However, we dolookat what Christ articulatedas the biblical standard ofmarriage. And we can alsolook to church tradition for thisas well. And the churchhas had a tradition for wellover 2,000 years, even myselfas a Protestant acknowledges, that traditionismarriagebetweenoneman andonewoman.
レビ記には613の律法に3つの種類があります。そして、あなたはもちろんご自身のやり方で、その一部をつまみ食いしました。私たちは儀式律法の下には生きていません。祭司律法の下にも生きていません。しかし、道徳律法の下には生きています。キリスト教徒として私たちが従うべき道徳律法は10個だけです。9個だと信じる人もいますが、それがもちろん十戒です。ですから、あなたが挙げたもののどれ一つとして、私たちキリスト教徒が従うべきものはありません。しかし、私たちはキリストが結婚の聖書的基準として明確に述べたことには注目します。そして、これについては教会の伝統にも目を向けることができます。プロテスタントである私自身でさえ認めますが、教会には2000年以上にわたる伝統があり、その伝統とは、結婚は一人の男と一人の女の間のものであるということです。
articulate (v): (考えなどを)はっきりと述べる、明確に表現する。
tradition (n):伝統、しきたり。ここでは特に教会の教義や慣習の継承を指します。
Okay, but I work, okay. Say we putaside the Old Testament fornow. We'll put thataside and the inconsistencies there andlook purelyat the New Testament followingyour rationale, okay?Now, whenyou say that Christ lays specifically and the New Testamentstates specifically thatman shall not sleep withman, I'dlike topointout a linguisticerroron thatpoint.
なるほど。では、一旦旧約聖書は脇に置きましょう。それとそこにある矛盾は置いておいて、あなたの論理に従って純粋に新約聖書だけを見ましょう。いいですか?さて、あなたがキリストが具体的に、そして新約聖書が具体的に「男は男と寝てはならない」と述べていると言うとき、その点における言語的な誤りを指摘したいと思います。
Idid not say that. I said the biblicalmarriagewasaffirmed and thenRomans 1didtalk negatively about theaction of homosexuality.
私はそうは言っていません。聖書的な結婚が肯定されたと言ったのです。そしてローマ人への手紙1章が同性愛という行為について否定的に語っていると。
確かに、近年の社会やメディアの影響により、「パパ活」という言葉が広く知られるようになりましたが、そのような関係は昔から存在していた可能性があります。テレクラや出会い系サイトなど、異性との出会いを求める場は古くから存在し、さまざまな形で人々が出会いや関係を築いてきました。
また、宮台真司のような社会学者が指摘するように、現代社会において性や恋愛に関する価値観や関係性が変化してきていることも事実です。その結果、パパ活のような関係が一部の人々の間で一般的になっている可能性もあります。
ただし、これらの関係が「退廃したソドムとゴモラ」のようなものであるかどうかは、その関係の性質や参加者の間での合意によって異なります。一部の人々にとっては合理的な選択やニーズに応えるものであり、他の人々にとっては問題があると見なされるかもしれません。
個々の人々や社会の価値観は多様であり、その中でさまざまな形の関係が存在しています。重要なのは、参加者が自らの意思で関係を築き、相互の尊重や合意の下で行動することです。
俺らが中学生のときにやってたのは、間違いなくイジメだったよな… って。
当時はまだ姉が生きていて、俺んちの家庭も安定状態だった。
アイドルみたいだ、女優としてやってけるよ、とか恥ずかしげもなく口々に褒めた。
………ゴモラの前だけで。
客観的に見るとソドムとゴモラの可愛さに上下なんて付けられないと思う。
だけど俺たちは、わざと、あえて、ソドムとゴモラが2人でいるときに
最初は苦笑いしていた2人だったが、ソドムはある日、俺らに聞いた。
え…
暗黙のうちに「でもソドムの方が」などという露骨な比較をしない空気が出来てた。
ただ片方を放置してもう片方だけを一方的に恥をかき捨てて(というか何故か恥ずかしいなんて思わなかった、俺は)褒め続ける、それがゲームのルール。
ゴモラは元々口数が少なかったが、いじめを経て「私は死んだ方がいい」と良く言うようになったらしい、俺らの前に顔を出すことも、ほとんどなくなった。
何故こんなノリをやってたのかと聞かれたら、誰も答えられないと思う。
開き直ってるように聞こえるかもしれないが、正直、暇だったから、としか言えない。
青春時代、高校から大学の間は、いじめてた記憶を思い出さなかった。
本当に1コマも、一瞬たりとも頭をよぎらなかったと思う。
でも、どういうわけか?大人になってからは、よくフラッシュバックする。
突然、あの頃自分たちがしていたことについて、皿洗いしてるときとか、帰り道とかで。
予兆もなく後悔の念が襲ってくる。
クラスメイトも言ってた。
「いじめてた事を今更謝るのも自己満足だろーし、抱えていくしかないんだろうな…。」
いじめる側の辛さについて、全然知られてないっぽいので日記を書いた。
言うまでもなく、ゴモラの比じゃないほどのキツさだろうけど、それでも生きづらさではあるだろう。
いじめる側の心のケアって、今の日本社会では全然されてないと思う。
前触れなく突然脳裏に浮かぶ、アルバムの中の、表情が消えて能面のようになったゴモラの顔。
本当はこういう文書くのどうかなあと思ったんですよね。
こんなこと書いて自称ジャンルの治安維持を名目にしたお気持ちヤクザみたいなファンって言われると困るなと思うけど、言われても仕方ないしなと思いましたし。
対象は子供向け作品ですし、実写作品で現在大人気のコンテンツですし。
でもちょっと昨今の意見の分かれ方を見まして、「考え方を変えろとは言わないけど頭の片隅には置いておいて欲しいな」と思ったので書かせて頂きました。
大人気の特撮シリーズでウルトラマンってシリーズありますよね。
去年大盛況でしたね、「シン・ウルトラマン」とか。
最近新しいウルトラマンと番組の放送時期の発表が来たり、今も新情報のカウントダウンが行われていますね。
その新情報を巡りまして、その中の一つの作品、「ウルトラギャラクシーファイト」という作品が今注目を集めています。
「ウルトラギャラクシーファイト」は今3シーズン?3作品?出ています。
最初のシーズンは今「ニュージェネレーション」というジャンルで分類される新しいウルトラマン達(キャラ名は沢山いるので割愛します)にスポットライトを当てた話でした。
その次のシーズン、「大いなる陰謀」、続く「運命の衝突」ではアブソリュートタルタロスという新しい敵、その仲間たちがやってきて、ウルトラマン達は新しい脅威に立ち向かわねばならない…という話でした。
「ウルトラギャラクシーファイト」というシリーズには実は基本ウルトラマン達しか出てきてません。
世間によく知られている、「人間とウルトラマンが何らかの要因で一体化し、その正体を隠し続けながら日夜地球に訪れる脅威と戦っているよ」という話では無いわけです。
まず「ウルトラマン」という作品は「円谷特撮ヒーローシリーズ」の一つです。
世間でよく知られているミニチュアのジオラマや、火薬による爆発、ウェットスーツや着ぐるみを着用したキャラクター達との戦闘を工夫を凝らして撮影したシリーズですね。
怪獣の口から出る光線で吹き飛ぶ街、逃げ惑う人々、ウルトラマンが怪獣に投げ飛ばされてその背中で押し潰される建物。
そしてウルトラマンと一体化することになった人間の苦悩、その秘密を隠し続けなくてはならないジレンマ、戦闘が続く中で人々を守るために常に選択と苦難に向き合わなくてはならない日々。
そして、人間とは全く違う存在、「ウルトラマン」達と種族を超え、文明を超え、理解し、絆を深め合うストーリー。
心が踊りますね。
長いので以降「ウルトラギャラクシーファイト」は「ギャラファイ」と略させて頂きますが、ギャラファイには実は人間、出てきません。名前を呼ばれたりはします。
ほぼウルトラマンと怪獣と星人と、「アブソリューティアン」と呼ばれる強大な敵の物語です。
「ウルトラマンとは人間との関わりを大事にした作品ではなかったのか」
「俺はウルトラマンが自分より脆くて弱く、利己的な存在である人間と接して影響を受けたり与えたりするのを見たいんだ」
という意見が出てきました。
「特撮らしく、人間にとっては巨大な建造物を軽々と超えてしまう身長を持つ怪獣とヒーローが戦い、街を破壊したり守ったりしながら戦うのが見たい」
「何かを守るために戦うのがウルトラマンではなかったのか。人間との関わりもなく大義名分もない戦いをされるのはウルトラマンではない」
という意見も見ました。
かなり前の作品なんですが「ミラーマン」という作品があります。
「ミラーマン」は大人も楽しめる特撮として作られた作品なので初期の方はかなり人間にスポットライトを当てた話があります。
自分の出自に苦しむ主人公や、生き別れになった親子、すれ違う恋人、心の寂しさを紛らわすために変な宗教にハマる人とかね。
でもその人間ドラマより、ミラーマンで人気だったポイントは「ヒーローが巨大化して巨大な怪獣と戦う」という所だったそうです。
これの裏付けになるかもしれない話がありまして、「ミラーマン」には裏番組として「シルバー仮面」という作品がありました。
ミラーマンが巨大化して怪獣と野山をころげ回って殴り合いをしている頃、シルバー仮面は商店街で敵を追いかけ回していました。
結果的に言いますとシルバー仮面もこれを受けてシリーズ中盤から巨大化能力を手に入れています。
つまり「巨大化したヒーローと怪獣の戦い」は視覚的なダイナミックさもさることながら、ただ大きくなったのではなく、戦う中でセットを派手に壊したり、爆発で吹き飛ばすあの迫力で人の心を引き付けるのだ、ということが証明されたわけですね。
それがギャラファイになりますと、まず舞台が宇宙の上にウルトラマン達の故郷、光の国とその周辺の惑星ですからまずみんなウルトラマンサイズで物が出てきます。
ウルトラマンが見上げるくらいの高いタワー、ウルトラマンと同じくらいかそれよりちょっと身長が高い敵。
その辺を壊してもあんまり心が痛まなさそうな岩だらけのなんにもない惑星。(焼き尽くすと心が痛みそうな緑に囲まれた星もありますよ)
これは確かに先程述べた特撮のいい所が全部取り去られたように感じますね。
その辺のゴツゴツした岩が光線で溶けたり切り落とされても、街中で戦闘している時、もしかしたら逃げ遅れた人がいるかもしれないビルが崩れて「ああっ大変!」という気持ちはちょっと湧かないかもしれませんね。
皆同じような身長の敵やウルトラマン達がボコスカ殴り合いをしてもその辺の人間の喧嘩にしか見えないかもしれませんね。派手な光線やアクション、音が付いていても。
なんでかと言うと「ウルトラマンに恨みを持つ連中」が大半だからです。
理由はまだはっきりと明かされていないのですが、ギャラファイ2、3でアブソリュートタルタロスは、自らもその一人である「アブソリューティアン」という種族の存亡のため、ウルトラマン達を排除したいと思っているのです。
なので歴代のウルトラマン達に倒されてきて、ウルトラマンに恨みを持っている強敵達を主に蘇生させて戦いに臨んでいるので割と地球は安全(多分)なんですよね。
となると「地球がピンチだから地球人の皆!力を貸して〜!」ともできませんね。
ウルトラマンシリーズのテーマの根幹である「ウルトラマンと人間の関わり」も描かれないわけです。
こうして描いてみると結構困りましたね、ウルトラマンシリーズの魅力の大半を削り落としているわけです。
でもギャラファイが全く魅力的では無いのか、と言うとそんなことはありません。
大きなポイントは三つ。
「ニュージェネレーション以前の歴代のウルトラマンをかなり網羅している」
「登場回数が少なかったウルトラマンのモードを細かく拾っている」
「各作品やメディアミックスにわたる小ネタを各所に織り込んでいる」
というのがポイントです。
みんなご存知ウルトラマン。
そのウルトラマンを最終話で迎えに来たゾフィーを初めとする「ウルトラ兄弟」と呼ばれる昭和から生み出されてきたウルトラマン達。
俗に「平成2期」と呼ばれるコスモスを始めとしたネオス、ネクサス、マックス、メビウスのシリーズに登場するウルトラマンたち。
そして、ウルトラマンUSAやパワード、グレート、リブットといった海外作品に登場したウルトラマン達。
ギャラファイ3にはミニアニメや劇場版作品だったナイス、ゼアス、ボーイなども参戦していますね。
これらを合わせると実に沢山の様々なウルトラマン達を登場させてくれたのがこのギャラファイシリーズです。
実はこの中には
「作品が発表されたものの、長らく客演もなく後日談でどこへ行ったのか、今何をしているのかも分からなかった」
「作品終了後、メインのウルトラマンしか客演がなく、サブのウルトラマンとどんな関係になっていたのか分からなかった」
「作品が終わったあとも、一緒に戦った仲間と協力して任務についている」
「とある惑星に留まり、誰かに力を与えたり、道を示す役割をしている」
そして次のポイントですが、今まで登場回数などが少なかったウルトラマンのモードチェンジなどを生かしているのもギャラファイです。
ギャラファイ2の時大騒ぎでしたね。
ウルトラマン達の危機に、共に戦った仲間であるウルトラマンジャスティスとともに駆けつけたウルトラマンコスモスのスペースコロナモード。
ご時世がご時世でしたから名前的に出せないんじゃないかって言われていたのにまさかの登場です。
スペースコロナモードってウルトラマンコスモスの劇場版にしか出ていないんですよね。
しかも宇宙での活動に適したモードですので地球に来るとよく知られてる青いルナモードやエクリプスモードになっちゃう。
でもギャラファイは宇宙空間の話なので何とスペースコロナモードでの登場に違和感がなかったわけです。
そして極めつけはウルトラマンコスモス劇場版3作目に登場したコスモス個人としての究極形態、フューチャーモードに、同じくウルトラマンコスモス劇場版3作目に登場したウルトラマンジャスティスクラッシャーモード。
そして更に2人が合体したウルトラマン、ウルトラマンレジェンドまで。
同じシリーズのクロスオーバー作品で客演は何となく予想出来ても、ここまで丁寧な客演での活躍描写はなかなか他でも見られないはずです。
そしてもうひとつ、ギャラファイ3に登場したウルトラマンネクサス、ウルトラマンノア。
ウルトラマンネクサスは「ウルトラマンネクサス」個人として三つの形態を持ち、ギャラファイではその全ての形態を披露しました。
そして特筆すべきは、ウルトラマンネクサスが持つ固有の能力、別次元を展開し自分を含めた対象をその空間の中に取り込む「メタフィールド」の能力を作中で描写したことです。
ウルトラマンノアはウルトラマンネクサス最終話に登場したウルトラマンであり、その特殊性は、客演したウルトラマンゼロが活躍する「ベリアル銀河帝国」でも書かれています。
しかしそれ以降の登場が殆どなく、ギャラファイで登場した際は多くの人を驚かせました。
ギャラファイではジャスティスのスーツなどがそうなのですが、ショーイベント用のスーツを転用したりして使われています。
しかし長らく登場の無かったノアは綺麗に新しく作られて登場したわけです。
ギャラファイ2ではコスモス、ジャスティス、ネオス、セブン21、80が共闘する話があります。
平成2期組、一人は昭和と一見関連性が分からないように見えるこの組み合わせですが、実はコスモスとネオス、80は他作品や時事関係で繋がりがあります。
コスモスはテレビ放送当時、事情があって最終回手前でテレビ放送を続けられなくなってしまったことがあるのですが、その空いた枠を1クール作品を作り走りきることで繋いでくれたのが、元々イベント限定のウルトラマンだったネオス。
そして、80は漫画「ウルトラ超闘士激伝新章」にて自分の力を制御出来ず苦悩するコスモスを宥め諭したキャラとして書かれた繋がりがあります。
長くなるので他の小ネタは各自でお探し頂くことをお願いしますが、ざっとこれだけの魅力がギャラファイにはあるわけです。
しかしそれだけが、今回ギャラファイに起きている賛否両論について考えたことではありません。
私がこれからお話する、「これを聞いて考えを改めなくていい。でも頭の片隅に置いておいて欲しい」と思う話は、まずざっと10~15年前の話に遡ります。
前衛的なストーリーとテーマで視聴率にかなり波があったウルトラマンネクサスが放送された頃でしょうか。
当時の時点で円谷プロダクションはかなり危うい状態だったそうです。
ウルトラマンネクサスのメタフィールドなどにその一端が現れています。
背景は不思議な光の演出、地面はゴツゴツしたあまり壊れるものがない岩場という異次元。
壊すセットの削減です。
ウルトラマンネクサスがほぼ毎回メタフィールドや山の中で戦っているのはこういった事情が反映されています。
ネクサスの終了後、マックス、メビウスと作品は続いていきましたが、その後長らく新しいウルトラマンが現れないという時期が続きました。
新しいコンテンツとして生まれた大怪獣バトルには殆どウルトラマンが出ず、怪獣で戦うレイオニクスバトラーレイモン、そして今後大出世を遂げるゴモラ、ウルトラQにて活躍したリトラなどが活躍しました。
そしてその大怪獣バトルの劇場版でウルトラマンシリーズに変化が訪れます。
もう10年以上経つけどニュージェネレーションの戦闘を切って未だに全然に立ち続けてるウルトラマンがいますね。
彼です。
彼の登場でウルトラマンを好きだった人々は大いに沸き立ちました。
大怪獣バトルの辺りでかなり会社が苦境に陥っていることはよく知られていたので「もう新しいウルトラマンを作れないくらい疲弊しているのか」とまで言われていたコンテンツが見事に彼の力で持ち直しました。
その後ウルトラマンゼロは宿敵であるベリアルとの戦いを続け、過去作品からリブートされたミラーナイト、ジャンボット、ジャンナイン、グレンファイヤーなどの仲間と活躍し、それは後のニュージェネレーション達、ウルトラマンギンガやビクトリー、Xやオーブ、ジード、ルーブ、タイガ、ゼットと後続の作品を押し上げていくことになります。
もちろんゼロやウルティメイトフォースゼロと呼ばれるチームのキャラクター達だけの活躍ではありません。
昔から集めていた人々はご存知だと思いますが、昔のソフビは今より大きく、種類も豊富でした。
放送終了したウルトラマンのタイプが数年後も全部売り場にあったくらいです。
しかし、大怪獣バトル周辺から種類は少なくなり、サイズは小さくなり、塗装も前身のみになっていきました。
しかしそれに対して挑戦したのがギンガやX。
「スパークドールズ」という足にコードが書かれたシールがついた新しいソフビを開発することで、「ソフビと玩具を連携するグッズ」を作り出したのです。
バイ→男でも女でもどっちでもいける
らしいが、ぶっちゃけ9割ぐらいは「ゲイ(自分と同性でもセックスができる)」で一括りに出来るだろ。
ただ稀に「精神的な性自認が女だから男に惚れているだけであって、別に男として男が好きなわけではあーだこーだ」みたいなのが来るからトランスジェンダーは残してもいいと思う。
だけどレズはゲイの一部だと言えるし、別にゲイが「異性もいけるけど?」と言ってきたからってそれはスルーでいいだろ。
まあいっそヘテロも混ぜてLGHBTQにしちまったほうが「皆平等だ―」って感じが増すとは思うんだが、LGBTQのコンセプトはそうじゃないんだろ?
じゃあヘテロ成分はスルーしてバイはゲイの一側面ってことでいいじゃねえか。
そもそも一口に同性愛と言っても、「同性を好きになるという異常性が好き」とか「子供が産まれるのがキモすぎるから異性とはまぐわりたくない」とか色々あるんじゃねえか。
極端な例だとバーチャルホモセックスなんて「性自認は男で画面の外ではチンチン擦ってるけど画面の中では女、画面の向こうにいるやつも同じで女のアバターで中身男でチンチン擦ってるのは理解した上でレズセックスして、でもチンチン擦ってるからお互いに擬似的にヘテロセックスをしているとも考えられる面もあって、とはいってもボイチャ上ではお互いが女として振る舞っているが、時折ボイチェンの向こうに男がいることを感じさせるその異常さに興奮している部分がないわけでもないが、ワンチャン相手が女である可能性を信じていて本当はそこに一番興奮しているのかも知れない」っていうハチャメチャが押し寄せて泣いちゃいそうな状況なんだが、これについてはLGBTQのどれにぶっこめばいいのか理解不能だろ。
こういう時は雑にクィアにしておけばいいっていうなら、もう全部クィアじゃねえか。
つーかクィアってどこまでセーフなんだ?
PZN(ペド・ズー・ネクロ(小児性愛・ケモナー・死姦))はQに入れていいのか?
それって本当にあらゆる性を平等に扱っているのか?
同性愛がメジャーな時代はあったわけで、たとえばソドムとゴモラなんてそれで滅んだけど、あの世界じゃ異性にしか興奮できないヘテロこそがクィアだったんじゃないのか?
LGBTQを決めてる奴らだって全然気にしないフリしても本当は摩訶不思議が限界突破してるのをヘッチャラと言い張ってるだけなんじゃないのか?
披露宴が終わり、二次会に行く車に乗り込もうとしたらおまわりさんたちが来て
「ちょっとお話を聞きたいんですが」と言われた。その向こうには
単に結婚披露宴をしていただけ、ということをおまわりさんに説明して、
おまわりさんも私達夫婦だけでなく周囲の人にも確認を取っていたんだけど、
その間にオバサンが叫ぶように一人の警察官に説明していたから聞こえてきた。
・公の場所でひわいな言動をして人を不安にさせるのは迷惑防止条例違反だ。
(オバサンがコピー用紙数枚を振っていたから何なのか後で警官に聞いたら、
『近い内に私達はセー行為をします』と宣言しているのと同じなので、
・そもそも結婚というのは神様が人と人を結びつけるものであり、
神の代理人である○○先生(某宗教の指導者。今は故人だけど当時は生きてた)
が相手を選ぶべきだ。
・よって、『公の場所でひわいな言動をして』『人を不安にさせた』ことになるから
そんなことを叫んでいて、
おまわりさんも『あちらの方の勘違いみたいです』と言って送り出してくれたけど、
なんか2人の門出にケチがつけられた気分になった。
いちおうネタバレも若干含む。
立ち位置示しておくと、40代オッサン。オタク趣味はあるけどもっぱらラノベやマンガ方面で、特撮はさっぱり。
邦画の特撮最高傑作はガメラ2であると認定している。ゴジラはシンよりFINALWARSの方がバカっぽくて好き。
ウルトラマンについては、見たことないわけじゃないにせよ「ウルトラマンは喋る」と言われて「そうだっけ?」と思う程度。
ウルトラマンがゴジラと戦った事があるというのと、ウルトラマンが仮面ライダーと握手したことがあるのはトリビアの泉で知ってた。
知ってる怪獣はゼットン、カネゴン、ジャミラ、レッドキング、キングジョー、エースキラー、バードン、バルタン星人、ゴモラ、エレキング、ジャッカル大魔王。
登場人物がウルトラマンやヒロインも含めて何考えてるのかよく分からなかったが、ウルトラマンが献身的に地球人を護ってるのがなかなか可愛い。本作の見所は、このウルトラマンの健気さと言っても過言ではない。
怪獣もキャラ立ってたし、2時間でウルトラマンを登場から退場まで全部やれと言われたら、これは最善に近いのではなかろうか。
カラーマイマーも無いけど、そんなに時間かけずに倒してる事を考えれば、なくてもいいという判断は理解できる。
ザブラ星人やメフィラス星人が、地球で一儲けを企んで結果的に大損して居なくなるのを見ると、なんか日本市場に手を出して損して撤退していく外国企業を見ているようで、なんかゴメンねという気分になる。
日本政府はザラブで痛い目に遭ったばっかりなのにメフィラス速攻で信用しちゃってて、この人達馬鹿なのかな、という気分になった。
不満点を挙げると、ゴジラのときも思ったけど、登場人物がみんなスーツ姿のビジネスマン(官僚をビジネスマンと呼ぶかはともかく)なので、画面超暗い。
ほぼお葬式の色調。
科学特捜隊はオレンジのスーツと銀色のヘルメットで良いと思うだけどね。「いい年してなにあの格好w」という第一印象から、なんかあれが格好よく見えるようになるように活躍させるのが腕の見せ所だろうに、スカした黒スーツで現場に行ってもヘルメットすら着けないのが逆にバカみたいだ。
あと、めっちゃ早口。ペラペラしゃべり倒す漫才のような芸風。もう少し落ち着け。
あと、ロマンス出す気無いのに年頃の男女出してどーすんの。オッサン同士の友情でも濃厚に描いた方がドラマとしてはアリだろう。
あと、本音で喋りすぎ。官僚ならもう少し寝技使え。馬鹿に見えるぞ。
そんなこんなで、怪獣(なんか当て字のやつは白けるだけなんでどうでもいい)との戦いは95点。
総評70点。
1度見るのは悪くないけど、2度見る気にはならない。
ドラマを出すなら、ザブラはメフィラスに倒させるなどして、「悪と功利主義の違いは何か」みたいな所で葛藤を作っても良かったんじゃないかと思う。
以上。
日本でキリスト教徒の印象を聞くと、大抵”神”というファンタジーを本気で信じている幼稚な人間という扱いを受けるがそれはあまり正しくはない。
基本宗教において神の存在はあまり重要な意味を持たない。それについて簡単に説明をしてみようと思う。
まずキリスト教の前身はユダヤ教であり、その聖典は旧約聖書である。
旧約聖書でどんなお話が語られるかと言うと、有名な物では:失楽園、カインとアベル、バベルの塔、ソドムとゴモラなどであり
それらの共通点は全て人間が”やらかした”お話であるという事だ。
「人間は調子に乗るとロクでもないことをやらかしがちなので、皆ルールを守り慎ましく生きましょう」
という事を教えている。神が存在するか否かはあまり関係がない。
ではユダヤ教徒であったキリストが新しく提案した教えはどんなものであったのか?
キリスト教の聖典、新約聖書で有名な話は例えばは姦淫の女の話がある(ヨハネによる福音書第8章2節-11節)
姦通の罪で捕らえられた女性に石投げをしようとする人々にキリストが「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず石を投げなさい」と言うお話だ。または良い羊飼い、放蕩息子のたとえ話なども同じ教えなのだが、
キリスト教では
「確かにルールを守るのは大事だが、ルールを破ってしまう人もいる。そんな人たちをただ排除するのではなく正しく導いてあげましょう。自らでさえもそうなりうるのだから」
という事を教えている。やはり神が存在するか否かはあまり関係がない。
そんな当たり前の事わざわざ神なんて言葉を使わず普通に言えばいいじゃないか!と思う人もいるかもしれないが、多くの人たちは今自分がしているように”物語”にしなければ物事を理解できない。
そして”神”という存在は物語を語るにおいて便利な物、マクガフィンのようなものに過ぎない。