
はてなキーワード:コーストとは
FatFIREって多分リーンFIREのレトロニムとして扱われ、目指すべきFIREでないアンチテーゼだと思うんだけど、俺はせっかく金貯めたらFatに生きたい。仕事は辞めないし減速もしない。そうすると仕事しながらのFIREはサイドFIREなので、Fat サイドFIREということになる。これを試算する。
住むところには妥協したくない。人と会える機会を逃したくないし、都市インフラもガッツリ活用したい。なので、都会の中心部か都内周縁部は必須。そうすると家賃で50万ぐらいかかりそう。
このとき、手取り年収の1/3に収めることとして、1800万の手取りが最低必要ということになる。
| 資産 | 資産収入 | 労働収入(額面) |
| 0 | 0 | 2400万(4200万) |
ただしこの場合、資産形成が別途必要だ。1800万の手取りでは足りず居住費は1/4に収めるのがセオリーだ。そうすると2400万の手取りが必要になるだろう。
2400万を手取りでもらうには額面で4200万円ほど稼ぐ必要がある(所得税、住民税、社会保険料)。ダブルインカムなら額面1800万円x2で到達可能だ。
ただ、一般的な家計の法則(手取りの1/4に抑え、資産形成)に、このレベルの高額所得者に適用するのが間違っているかもしれない。エンゲル係数も低くなるだろうし(食費は50万もかからなそうだ)、1/4も資産形成に回す必要はないだろう。実際はこれより少なくても良さそうだ。
| 資産 | 資産収入 | 労働収入(額面) |
| 2000万 | 100万 | 1800万(3000万) |
貯蓄せず収入はすべて使い切る方向で考える。貯蓄の主な目的である老後資金は準備済と考えるのだ。これをコーストFIREという。
1800万を手取りでもらうには3000万円ほど必要。ダブルインカムなら額面1300万円x2で到達可能だ。
| 資産 | 資産収入(額面) | 労働収入(額面) |
| 10000万 | 400万(500万) | 1400万(2200万) |
FIREの目安となる1億を資産形成したパターンを考える。この場合、400万を資産収入として得ることができるので、のこりの1400万を労働で埋めることになる。ひとりだと2200万の額面、ダブルインカムだと950万x2での額面が必要だ。
| 資産 | 資産収入(額面) | 労働収入(額面) |
| 16000万 | 800万(1000万) | 1000万(1500万) |
労働収入がリアルに到達可能なものとして、残りをFIREで埋めるというパターンを考えてみる。
労働収入1500万だと手取りは1000万程度になるようだ。ダブルインカムで等分だと手取りは1100万程度になるだろう。
残りの800万を資産収入で埋めることを考えると、5%運用で1億6000万必要だ。
| 資産 | 資産収入(額面) | 労働収入 |
| 40,000万 | 1800万(2000万) | 0 |
ただ、労働収入がないと審査が降りず貸してくれる大家がいないだろう。
そんなわけで50万の家賃を払うには結構厳しいことがわかった。
パワーカップルといわれる2000万を夫婦で稼いだとしても一億円の資産とさらにそれをリスク資産に突っ込んだ運用が別に必要になっている。
都内には家賃50万の家なんてポンポンたってるし、この価格帯では別に富裕層マンションと言う感じでもない。新中間層というのがお似合いのマンションである。都内に限らず地方の主要都市にある駅チカマンションだと50万クラスになるのではないか?
地方のサラリーマン中流家庭に生まれたような人間は、都内には居をかまえず、1時間超の通勤時間で極狭マンションに住むのが人生ということになる。
その昔はバブル崩壊後に上映された、ミッキー”猫パンチ”ローク氏とドン”レプリカのフェラーリ乗り刑事”ジョンソン氏が共演した迷?米映画がありまして、当時たしか愛車を持ち込んだというそのハーレーのカスタム具合と彼のファッションが大いに話題、極東の某国では某ライスバーナー(本場ではそんなの言ってない説あり)400cc未満でもソレ風に仕上げるのが以下略、・・・なことよりその劇中で今回のPC800のポリス仕様!がエンジンと青灯ブン回しながらドンジョンソン(こちらはアッサリ風味仕様)を追っかけまわすシーンがありまして、めっちゃカッコよかったんですわ。。。
No:49002017/10/0617:16 | kusobukurohttps://web.archive.org/web/20221127135307/http://kusobukuro.at.webry.info/
ロサンゼルスでこのバイクに15年以上乗っている者です。ご存知かもしれませんが,元々これはホンダアメリカが車に乗るコンシューマーを取り込む為にこちらでデザインされたバイクで80年代によく見かけたアコードやシビックに似せた横長テールライトをつけたり,車の様なガソリン入れ口だったりします(予備タンクは無し)。YOUTUBEでクルマの様に売ろうとした当時のCMが見られたりします。乗り心地はいいですが,長時間にはポジションが微妙なので,ハンドルをライズさせ,ステップをもっと前にずらした他のホンダバイクの奴と交換して乗っています(当方175cm)。高速での回転数が高めなのも事実で,中古のVTR1100のシャフトファイナルドライブにのせかえて使っています。こういったことは私の発見では無く,全世界中に散らばるPC800(この呼び方が一般的)のオーナーズフォーラムで皆が情報を開示しているものです。全く売れなかったバイクですが。ここから得た情報で,後輪は車のタイヤを使っています。バイク物より10倍近く持ちますし,安いです。合法です。もう7年になりますが全く問題は無いです。アメリカにはDARKSIDER というバイクの後輪に車タイヤを使う集団がいましてサイトでどのバイクにどのタイヤがあうのかの表もあります。話がそれましたが,PCは数年毎にヘッドカバーからオイルが絶対漏れ出すのでその度カバーを外してシーラーを塗らないといけません(外すときにタペットが落ちるので注意)。油圧タペットのクリアランスが有るのでガスケットは使いません。メンテに邪魔なのでカウルはすべて外しました。ホンダにはこれのネイキッドを作ってもらいたかったものです。たまに買い換えも考えますが,あれだけのトランクサイズですり抜けに気を使うほど幅もなく,メンテフリーの油圧タペット,シャフトドライブ,センタースタンド付き,油圧クラッチで燃料タンク下部の低重心。800という大きすぎず小さすぎず,新車価格約5000ドル(50万円)それらを全て備えたバイクって無いもんです。パーツに関してはカウルの新品が欲しいのでなければ(ウインカー付きミラーとか)走らせる為にならどうにでもなります。燃料ポンプなんかクルマのキャブ用低圧安物ポンプで純正ポンプより長持ちしたりします。長々と失礼しました。ずっとここを覗いていたものですが,自分のバイクが出てくると嬉しいものです。
その後野獣先輩は淫夢ファミリーになり正式に晒し者としてネットにアップ
・2chから淫夢厨が来てニコニコを支配 文化・言語を破壊 それまでニコニコを治めていたノンケらは別の場所に住むように命じられる
・ホモコーストで情勢悪くなったら淫夢厨はさっさと降参してニコニコ放置、ニコニコ壊滅
・終戦後野獣先輩はさらなるホモガキに目をつけられやりたい放題される(BB先輩、新説シリーズ、侮辱しても無罪放免)
そのほか、戦前は生き場所があったのに淫夢厨が破壊しまくったため今はスラム街でひっそりと暮らす。
また、トラウマや淫夢厨の脅威を吐露するだけで「自分だけ被害者ぶるな」理論を武器に結構な割合で存在するキチガイから叩かれる
気になって気になって仕方がないからどうしようかと思っている山脈に向かってヤッホー!って叫びたいゲームってなーんだ!
ってことで、
スーパーマリオブラザーズワンダーやってみたわ!
お店に千円札を握りしめて
おもちゃ屋さんに飛び込み前転で入店して買わなくても済むオンラインで買うタイプのやつ!
そんでさー早速!
作中でキャラクターがヤッホー!って叫んじゃってるところがそれなんて山脈?って思っちゃうけど、
実はまともにスーパーマリオブラザーズをやんのは前作のスーパーマリオブラザーズ35以来初めてかもまともにやるのは!って感じなのよ。
3Dのマリオも試してみたけどあんまり面白さが分からなかったし、
アメリカの人がどんな機械にでもドゥームをインストールして遊べるようにしてしまうほどのレヴェルの、
それすらもあんまり遊んでない感じな私のほぼマイファーストなスーパーマリオブラザーズなんだけどね。
序盤中の序盤で面白くって
やられては復活しての繰り返しの苦行の連続かと思っていたけど、
そうそうなんか楽しく進められてる感じなのよ。
アクションが苦手でもそれを補助する
ふんわりジャンプとか落ちても死なないとか
そう言うアシストも相まってか
こういうアクションが苦手な私も楽しく進められていて、
なんかほんのりオンラインで同じコースにいるよそのプレイヤーもコース上で競わないけど一緒にクリアを目指していく感じが
ほんのりオンラインみたいなのよ。
コースで遊んだ操作を記録したものを再生させているほんのりオンライン風味なのかは私は分からないけど、
死んだらコーストとして一瞬5秒だけ復活して、
その時そのコースにいる人に触れたら復活して死なないようになっているの。
私がいるところにコース半ばで力尽きたマリオたちのゴーストが近寄ってくるので、
だからリアルタイムかどうかよく分からないほんのりオンラインって感じみたいよ。
なのでコースの先とかで「ギャー」ってキノピオの叫び声が聞こえてきたりして
それが遠くで賑やかにやってるのが聞こえてくるから笑っちゃうわよ。
あと一番の目玉のワンダーが
各コースいろいろな仕組みか考えられていて、
このコースのこんなワンダーなのね!あんなワンダーなのね!って
一番理解出来ないのがなんで今作はゾウになるの?ってそこが解せないけど
これはきっと何かの伏線がある予感がするような気がしないでもないので、
まあゾウパワーを遺憾なく発揮するように鼻で敵を蹴散らすのよ!
あとそのゾウさんのお鼻で汲んだ水をそこら中に撒くとコインが出てくる仕組みとか。
でもこれアクションの得意な名人が遊んでも楽しいのかしら?って思うぐらい
多分私のスーパーマリオブラザーズ歴のあまりにもなさすぎて、
開幕戦デビュー戦がほぼこのスーパーマリオブラザーズワンダーだから思いっ切り楽しめてるけど
実際の所ベテランがやると楽しめるのかしら?
アクションは温いのかしら?
まだこれ序盤の序盤なのでどうにも言えないけれど、
進行とはあんまり関係ないチャレンジステージで星4つとかいきなり難しいのは確かに難しくて何度も挑戦してクリアしたけれどね。
ゼルダの伝説みたいに、
あまりに自由すぎると何やって良いのか分からない問題あるけど、
まあこのスーパーマリオブラザーズワンダーは先に進めるどこいけば分かるのでそう言った意味では迷わないわよね。
どんどん進んでいけば良いんだもん!
地味に何か人の気配がするほんのりオンラインと
本当にほんのりオンラインで遠くの方からやられた時の「ギャー」って叫び声が聞こえてくるから
バチバチに競ったりするオンラインとは違うなにかをほんのり感じるわ。
意外とスーパーマリオブラザーズイコール苦行だと思っていたイメージがあるけれど
わーい!って童心で走り回って走って楽しめる感じがするわ。
アイニードファイアーは
アイニードワンダーと言えば
最近は
同じことを繰り返したり同じところをグルグル回っているゲームばかりやってんので
うふふ。
ホットドッグです。
今の私にちょうどいいボリューム!
少なくもなく多くもなく!ってところもお気に入りよ!
温めた方がソーセージがぷりんぷりんになってパリンと弾ける美味しさ!
飽きるまで飽きないわきっと。
と言いながら
今朝はうんと寒かったので、
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
①ラヴェル
父がキタサンブラック
父の母の父がサクラバクシンオー
母の父の父がネオユニヴァース
父の母の母がエアグルーヴ
父がゴールドシップ
父の母の父がメジロマックイーン
父がキタサンブラック
父の母の父がサクラバクシンオー
⑨コナコースト
父がキタサンブラック
父の母の父がサクラバクシンオー
母の父がシンボリクリスエス
⑬ドゥーラ
父の母の母がエアグルーヴ
母の父がキングヘイロー
父の父の父がグラスワンダー
⑮エミュー
母の父がスペシャルウィーク
⑯ドゥアイズ
父の母がエアグルーヴ
⑰シンリョクカ
ガチのマイラーでスタミナ持たんかったらどないしよう、ってのが唯一の疑惑やけど、父ドゥラメンテやし、母系も短距離血統とかではないし、3歳牝馬の2400mは普通にこなせるはず
色々な不安要素がある馬は、内に入れてじっくり脚をためて末脚に賭ける競馬とかをしなきゃいけなくて、そうなると展開が向かないと届かないことも発生するけど、リバティに関しては大外回しても差し届く馬なので、わざわざ展開に左右されるポジションをとる必要すらない
とは言いながらも、調教師の中内田先生はマイル専門、川田騎手もマイルの強さほど長距離で強くはないのも事実
まー、それでも馬の能力だけでどうとでもなると思うけどね
なので、プラス収支だけをもとめるならリバティアイランド単勝でいい
1.1倍はついてくれるでしょ
1万円複勝買えば1000円返ってくる
それで手を打とうやないか、なあ
やめといたほうがええと思うけどなあ
しゃあないから予想しといたる
オークスはそこそこ人気薄から馬券に絡むイメージがあるけど、基本的には桜花賞出走馬が強い
桜花賞とオークスは、皐月賞とダービーみたいに極端なコースの差はないので、2400こなせる馬でさえあれば、桜花賞とそれほど力関係が変わるものではない
基本は桜花賞上位馬、今年でいうとリバティアイランドが確勝として、コナコースト、ペリファーニア、ハーパー、ドゥアイズ、シンリョクカまでの6頭でほぼ決まると思ってよい
しかし、その堅い決着に割って入れる馬がいるとすれば、それは別路線からになる
過去に穴をあけたスタニングローズ、ハギノピリナ、ウインマリリン、ウインマイティー、カレンブーケドール、全て非桜花賞から来ている
なので、今年で言えば、ソーダズリング、ミッキーゴージャス、ゴールデンハインドの3頭当たり、もう少し言えばイングランドアイズあたりまでが穴をあける可能性があると頭に置いておくほうが良い
それ以外で言うなら、桜花賞で競馬にならなかったライトクオンタムの巻き返しは頭に残さないといけない
まとめるとこう
もう1頭はコナコースト、ペリファーニア、ハーパー、ドゥアイズ、シンリョクカから1頭
ラスト1枠はコナコースト、ペリファーニア、ハーパー、ドゥアイズ、シンリョクカ、(+ソーダズリング、ミッキーゴージャス、ゴールデンハインド、イングランドアイズ、ライトクオンタム)から1頭
ということになる
これで外れることはまずない
あとはトリガミがどうなのかだけ
個人的には無理せずリバティの単複で十分だし、もう少し買うとしてもリバティとコナコーストのワイドでいいと思う
勝負っけを出すなら、リバティ、コナコースト1、2着固定で、3着は全頭流すくらいもありかもしれないけど、荒れるかっていうと少し疑問かなあ
日本では'76年に、フィレス・レーベルの作品がまとめて再発売されたことがありましたが、ボックス形式としては本邦初で、しかもCDのボックスとしては今回が世界初ということになります。また同時に、<ヒーズ・ア・レベル>という、関係者のインタビューを中心にした本が白夜書房から発売されます。それを読みながらこのBOXを聞きますと512倍楽しく聞けることを保証致します。
1958年、17才にして彼は”スター”でした。この後ポップスの歴史を彩ることになるクリスタルズやロネッツ、キャロル・キングやバリー・マン、ビーチ・ボーイズやビートルズの誰よりも先に<NO.1ヒット>を持っていた!、このことが良くも悪くもスペクターのその後の人生を決定づけたと思います。ポップス史上、#1ヒットを星の数ほど作り続けたリーバー&ストラーや、ジョージ・マーチンも、自らの#1ヒットはなく、このことが彼を単に<プロデューサー>の範疇では捉えられない最大の理由です。<彼を知ることは、彼を愛することだ>というデビュー曲の<彼>は、もちろんスペクター本人の意味で、そこには強引さ、傲慢さも感じられますが、実はそれが力強くもあり、<スターの要素>そのものだともいえます。彼の仕事ぶりを評して、全てを自分一色に染めてしまう、という批判をよく聞きますが、これはことの本質を理解してい居ない人の発言です。かれは<裏方>ではなく<スター>なのです!それを、アーティストの持ち味を引き出すのがプロデューサーの仕事だ、という常識的な意味で彼を捉えようとするから批判的になるのです。彼こそが<スター>で、誰が歌おうか演奏しようが、他の人は全て脇役なのです。単に映画監督と言う視点でヒッチコックを捉えるとおもしろい解釈は生まれない、というのにも似ています。(誰が主演でもヒッチの映画になります。黒沢さんもそうですね。)
デビュー・アルバム「TEDDY BEARS SING」のB-1「IDON'TNEEDYOU ANYMORE」の<ステレオ・バージョン>はナント、リード・ボーカルの女の子の声が左で、真ん中がフィルのコーラス、しかも、ところどころリード・ボーカルの3倍くらいの大きさでコーラスが<邪魔をする>といってもいいほどの前代未聞のバランス!です。
デビュー前からしてこうなのですから、自己主張とかワガママなどという、なまやさしいことではないのです。
SCHOOLもの
のちにブラック・ミュージックにのめり込んでいった彼ですが、スタートは白人ポップスでした。まずは自らのヴォーカリスト、ギターリスト、および作曲家としての才能を試すところからはじめた、というところでしょうか。'50年代後半は、まだ黒人音楽は一般的ではありませんでしたが、若者の間では熱狂的な指示を得ていました。スペクターもいろいろな黒人アーティストを聞いていたようですが、こと自分のデビューに関しては、世間的に穏便な方法をとったところなど<奇[...]
また'50年代中期には「暴力教室」をはじめ「HIGHSCHOOL CONFIDENTIAL」など<怒れる若者>をテーマにした映画が続々と作られ、その代表としてJ・ディーンが登場し、代表作が「理由なき反抗」-REBEL WITHOUT A CAUSE -でした。このように、当時の若者のキー・ワードの一つは<REBEL>であり、「乱暴者」のマーロン・ブランドのような皮ジャン、サングラス、バイクというスタイルが流行しました。
彼のでデビュー・ソングはたしかに<学園もの>でしたが、それまでの、例えばドリス・デイの「先生のお気に入り」調のホンワカしたものではなく、女の子が自分の想いを直接的、また積極的に<ナゼわかってくれないの?>と切々と歌い上げるというのは冬至の若者のフィーリングにピッタシきたようです。実はこの手法、スペクター特有の<ソフィスティケーションの中の直接性>というもので、彼を理会する上で大事なことなのです。
ある程度、あるいはそれ以上の音楽の素養がなければミュージシャンや作曲家になれなかったジャズと違って、ギター1本あればだれでもロックンローラーになれる、というのがロックの時代でした。子供が技術を会得して成長し、大人の仲間入りをするのがジャズだとすると、ロックは、子供が子供のままで音楽ができるというのが特徴でした。ヒョットしたらオレにもなれるかもしれないと、多くのシロウトがわれもわれもと参加したことが、音楽の単純化に拍車をかけました。ジャズが豊満でふくよか、とすると、R&Rは骨と皮だけといえましょう。ジャズが大人の音楽で、背景はナイトクラブと女性とお酒が似合いましたが、子供の音楽として誕生したR&Rの背景に一番ピッタリだったのはナント、<ガレージ>でした。
麻雀同様4人(あるいは3人)いればすぐにできたのがR&Rの特徴でしたが、ニュー・ヨークのようにせまいところで大声を上げれば、お母さんに怒鳴られるだけですからストリートへ出るわけです。50'sのDooWapブームの背景は街角-ストリート・コーナーが似合ったわけです。
それにくらべて土地の広大な中西部や西海岸は車がなければ不便なので、当選、どこの家にもガレージがあり、ここが若者の格好の練習場所となりました(蛇足ですが、今の日本のロックのサウンドの背景は<貸しスタジオ>--密室--ではないでしょうか?)。さて、楽器は感覚でどうにか弾けますが、作曲というのは簡単そうでもやはり多少の音楽の素養は必要です。しかし、若者の、なんでもいいからR&Rをやりたい!という想いはこんなことではくじけません。骨と皮だけのロックを、さらに皮も捨てて骨だけにしたのです。それが<ギター・インストゥルメンタル>でした。これは、楽器を感覚的にかき鳴らすだけですから、とりあえずだれにでもできました。ジャズの単純化がロックとすれば、これはさらに、ロックの単純化で、その極致であったわけです。
これが<ガレージ・サウンド>の正体でしたが、この時代に呼応するかのように、新しく生まれた現象がありました。それは、録音機が少しずつ普及し始め、ガレージや居間などでの<ホーム・レコーディング>が行われるようになったことです。そして、デモ・テープのような、ある意味では乱暴
チャートに登場するようになり、まさに音楽の大衆化が、内容だけではなく、音質までにも及んだのです(エルビスもバディ・ホリーもデビュー曲は地方の、オヤジさんが社長、オカミさんが専務、というような町工場風のスタジオで録音したものです)。
それまでの録音は、演奏者と録音技師はガラスを隔てて別々の仕事場でした。技師が演奏者にマイクの使い方を指導することはあっても、演奏者の方が技師に注文をつけるというケースはめったにありませんでした。しかし、ホーム・レコーディング特有の、機械いじりの好きな少年の思い付きや、また機材不足からひねりだした斬新な工夫は、新しいサウンドの母体となるのです。
スペクターは、テディー・ベアーズの録音の時から、スタジオ内と調整室を行ったり来たりして、録音技師を困らせていたようですから、コダワリの姿勢は最初からのようです(口述しますが、後年よくいわれるワグナー好きやソウル・ミュージックの追求というのは、スターにありがちな<後付け>である、と私は考えています)。
このホーム・レコーディングが、実は<スペクター・サウンド>の根幹なのです!<BACK TOMONO>の意味もこのことなので、一つのかたまり、大人数、熱気、乱雑の中の整理、複雑の単純化、そして<ホーム>、これが彼の求めたものでした。かたまりは<MONO>、大人数はミュージシャンの数、熱は<ハル・ブレインのドラム>、整理は<J・ニッチェのアレンジ>、単純化は<L・レビンのミックス>、そしてホームは<西海岸>、これがスペクター・サウンドの中味の分析ですが、詳しくはこれも後述します。
この当時のロックンロール少年と同じく、スペクターもギター少年でした。本名のフィル・ハーヴェイとしてインスト・レコードも発表しています。また'58、'59年はインスト・ロックの当たり年で、チャンプ栖の「TEQUILA!」が#1になったり、B・ホリーのインスト版ともいえるファイヤーボールズ、リンク・レイ、そしてジョニーとハリケーンズ、サント&ジョニー、サンディー・ネルソン(「TO KNOWHIM~」のドラムはデビュー前の彼です)、そして極め付きはギター・インストの王者、デュアン・エディーの登場でした。
日本ではなぜか、ほとんど評価されませんでしたが、ギターリストとして一番の人気とヒットのあった人で、そのサウンドのユニークさとポップ・シーンへの影響は大きいものがありました。またイギリスでの人気は特に異常で、'60年の人気投票では1位でした(すごい!)。近年リバイバル・ヒットした「PETERGUN」などは後の<007シリーズ>や<バット・マン>のもとになったともいえますし、日本では未公開の映画「BECAUSE THEY'REYOUNG」のテーマは、彼の"トワンギー・ギター"と流麗なストリングスとのコンビネーションは、すぐアル・カイオラが取り入れて「荒野の7人」となって登場、西部劇のインスト・テーマの基本形となりました。また「ビートルズがやってくる ヤァ!ヤァ!ヤァ!」のジョージ・マーチン楽団の「リンゴのテーマ」も、まさにD・エディーのマネジャー兼プロデューサーがレスター・シルで、テディー・ベアーズの録音の際、隣のスタジオで仕事をしていて知り合ったといわれ、この人と出会ってなければ<スペクター・サウンド>はこの世に存在しなかったといえるほど重大な出会いでした。
シルはこの時すでにスペクターがプロデューサー向きであることを見抜き、早速契約を結び、最初に買った曲のタイトルがナント「BE MYGIRL!」。
スペクターについては、まわりにいた人に才能があったので、本人にそう才能があったわけではない、という人もいますが、これは間違いです。確かにまわりにいた人々は有能でした。しかし、彼はプロデューサーとして一番重要な要素である<何をやりたいのか>ということが明確にありました。それは前にも述べましたがいろいろな意味での<直接性>というテーマを持っていたことです。これはもちろんR&Rのイディオム(佐野元春調)ですが、荒々しいサウンドの中の直接性より、スペクターがポップスに折り込んだ直接性の方がより<暴力的>ですらありました。
例えば、R&Rの時代になって<BE>という動詞で始まるビッグ・ヒットは「BE MY BABY」が第1号です(BE CAREFUL~などの慣用句を除く)。簡単なようですが、作る側にまわってみると、これが簡単に言い切れるものではないのです。まさにこれをスパッと言い切れるのが<スター>なのです。「TO KNOWHIM~」の断定と「BE」の命令。このシェイクスピア調の、時代がかったともいえる口調が、逆に新味を呼んだのではないでしょうか。この大時代的で、且つ直接的な手法は「I WANT TO HOLDYOUR HAND」(ユーモアの点ではJ&Pの方が数段上ですネ!)に共通したものを感じます。
シルと契約直後、スペクターはD・エディのセッションを見学しています。さっそく実地訓練をさせようというシルの計らいで、時は'59年の4月の後半でした。この年のエディーの最大のヒットは6月に発売された「FORTY MILES OF BADROAD」(9位)で、この曲はナント<ベース・ドラムだけをイントロでフィーチャーした、ポップス史上初のヒット曲>なのです。さて、ベース・ドラムのイントロといえば「BE MY BABY」ですが、この2曲の因果関係についての疑問を、10年ほど前の<ニュー・ミュージック・マガジン>で発表したことがありましたが、時期的にはこの推論が成り立つようです。が、モチロン、その因果については全く憶測の域は出ておりません。
エディーのスタジオは1トラックのテープ・レコーダーが1台しかないという粗末な設備ながら、そのエコーを駆使してのサウンド作りは、特に録音にはうるさかった若き日のスペクターには刺激的な体験だったと思われます。トワンギー・サウンドの秘密であった水道管やドラム缶をエコーに使用するという一風変わった手法は(そのためシルは何10個もドラム缶を買い、しかも一番響きのいい缶を探したといいます)スペクターが興味を持たなかったはずはありません。
そのような多彩な録音技術を駆使していた人は、D・エディー・サウンドの製作者<リー・ヘイズルウッド>でした(エンジニアはエディー・ブラケット)。ヘイズルウッドといえばナンシー・シナトラとのデュエットやアストロノーツの「太陽の彼方に」の作者として日本ではおなじみですが、エディーのプロデューサーとして最初に評価された人なのです。
~
中したスペクターは、一瞬たりともヘイズルウッドの背後から離れなかった>と発言しています。
その後シルは、スペクターをプロデューサーにすべく、今度はニュー・ヨークのリーバー&ストラーのもとへ送り込みました。’60年代の代表的なコンビがレノン&マッカートニーとすれば、’50年代はリーバー&ストラーの時代で、ロック・ビジネスを目指す人々にとっての目標でした。スペクターの学校の先輩でもあった彼らのデビューに一役買っていたのが、これまたレスター・シルでした。シルがマネージャーをしていたコースターズをきっかけに、ドリフターズ、そしてエルビスへの曲提供やプロデュースを行い、初のR&Rにおける独立プロデューサーとしての地位を確立したのがこの二人なのです。
スペクターにとって、このニュー・ヨークでの修行時代の最大の収穫はベン・E・キングのヒット曲「SPANISHHARLEM」をJ・リーバーと共作できたことでしょう。これはR&Rビジネスへの切符を手に入れた、つまり、お墨付をもらったということ......って、最大の自信となったことは疑う余地はあり.....
ま.... ドリフターズの「THERE GOES MY BABY」...にストリングスをフィーチャーする手法を....ことも<スペクター・サウンド>への引金になったと、私は思います。その手法でプロデュースしたジーン・ピットニーの「EVERYBREATH ITAKE」は、全くドリフターズ調でしたが、すでに<スペクター・サウンド>は出来上がっていた、ともいえる、本家を凌ぐ作品でした。<ゴフィン&キング>との最初の作品でしたが、この日のセッションにはリーバー&ストラーをはじめ、B・バカラック、B・マン&C・ウェイル、アルドン出版社の代表のD・カーシュナーら、そうそうたる顔ぶれが集まったといいます。そしてこの作品が、ここに集まった全ての人にスペクターの印象を強く与えることとなり、一緒の仕事が始まるわけです。特にこの曲で印象深いのはドラムのフレーズですが、G・ゴフィンの証言によれば、フィルはドラマーのゲイリー・チェスターに指示をして、それが実に的確だった、ということです。
この修行時代にすでに、J・ニッチェやH・ブレインがいなくても、これだけのものを作っていたことは見落とせません。スペクター・サウンドを作ったのはやはり彼なのです。
この曲は残念ながら大ヒットにはなりませんでしたが、来たるべき<スペクターの時代>の幕開けを飾るにふさわしい素晴らしい曲でした。
また、この頃、レスター・シルとリー・ヘイズルウッドは共同活動を解消、スペクターは新たなパートナー、いわば後釜としてシルと関係を結び、それが二人の頭文字を合わせた<PHIL+LES>の誕生となりました(シルとヘイズルウッドのレーベル名は二人の息子の頭文字から<GREG+MARK>というものでした)。
'60年代初めにシュレルズがキャロル・キングの名作<WILLYOUSTILLLOVE METOMORROW>
NUANCE:楽曲クオリティが高くお洒落な感じ。最近メンバー増えた
我儘ラキア:ロックメイン。かっこいい。フェスまで呼ばれるようになってる。
PASSCODE:ラウドロック。BiSHやベルリン少女ハートと並べられて厄介現場って言われてた。今年は武道館やってロッキン呼ばれるまで成長した。
BiSH:昔は地下イベント出てた。オタクがフリコピしやすいのではまる人が多い。このグループがいたおかげで地下アイドル界にオタクが流れてきてくれたって地下アイドルのプロデューサーが言うぐらい影響力が凄い
GANG PARADE:BiSHと同じ事務所。曲がいい。メンバー多い。
MIGMA SHELTER:サイケデリックトランスやってる。曲間を繋いでるので120分休憩なしでずっと踊ってる。
フィロソフィーのダンス:見るたびにエンターテイメントだって思う。プロデューサーの加茂さん凄い
新しい学校のリーダーズ:アイドルの対バンで見たので。パフォーマンスすげーって思い出しかなくて、久しぶりにTwitter見てたら海外人気が凄くなってた
眉村ちあき:最初のころはアイドルの対バンに時々出てた。気づいたら武道館行ってて見に行ったらぼろくそに泣いた思い出
lyrical school:ラップアイドル。PESさん作曲の曲が好き
tipToe.:3年間だけ所属できるアイドル。現在は2期。おっさんのオタクが青春してる
二丁目の魁カミングアウト:盛り上がる曲だったり、しっとりした曲があってエンタテイメントしてるなって思う。
ゆるめるモ!:あのちゃん見に行ってた。『逃げない!! 』が好き。
MELLOW MELLOW:お洒落な曲が多い。
ZOC:売れるってこういうグループのこと言うんだって実感させられたグループ。対バンにいるとチケットとれなかった。
RAY:シューゲイザー、激情ハードコア、IDM、シンセをやるグループ。楽曲人気が高い。7月に現体制終了で秋ごろ再開するらしい
HO6LA:EDM
ringwanderung:鍵盤ロック。歌うま。
situasion:呪文っぽい。
きのホ。:京都のアイドル。プロデュースがうまい。うすた京介が関わってる
【解散済み】
ヤなことそっとミュート:オルタナティブ・ロックがメインで、アイドルが憧れるアイドル。コロナがなければもっと売れてたと思う。
BILLIE IDLE:NIGOさんがプロデューサー。TVで活躍してるファーストサマーウイカがいたグループ
Maison book girl:変拍子が特徴的。zeppの壁をこえられなくて解散。このグループのおかげで長谷川白紙や諭吉佳作を見れた。
グーグールル:Caution!!が好き
校庭カメラガールドライ:ラップしてる。ライブが楽しい思い出しかなく解散ライブは今でもトップクラスでよかった思い出
sora tob sakana:アニメの主題歌に採用されたあたりから聴くようになったけど関ジャムで話題になった後に解散発表してて衝撃だった
dotstokyo:シューゲイザーアイドル。一部の曲をパブリックドメインで公開していて中国の地下アイドル(透明教室与平行女孩)がカバーしてる
CY8ER:EDMアイドル。武道館まで行った。ワンマン行くと毎回、タイのオタクが来てた思い出。
【新宿】
ロフト:自分の想像するライブハウスのイメージそのまま。段差上から見るのが好き
Samurai:細長い
【渋谷】
ミルキーウェイ:4列目以降になると見えない。小さい箱なのに照明やレーザー完備
Duo:柱
Quattro:柱。雰囲気が好き
Club Asia:赤い
【そのほか】
白金高輪セレネB2:駅から遠い。夏行くとエアコンめっちゃきいてる
恵比寿リキッドルーム:雰囲気がいい
Googleアカウント→Googleカレンダーが重要。Googleマップも重要
Twitter→イベンターはフォローしておくとして、気になる運営をフォローしておく
実際のライブハウスで見つけたい場合はエクストロメ、Edenhallがやるライブに行くと推しグループが見つかりやすい
平日の夜とかもやってるので既婚者でも行きやすい(残業でとかなんとか)
【アイドルメイン】
アイドル甲子園:最近やってるの見ないけど、新木場コーストでやってた
TIF(東京アイドルフェスティバル):年1回のイベント。ハロプロやWACKとか大手アイドル含めて色々出てる。長時間並ぶのと日焼けする思い出しかない。
NATSUZOME:遠いので行ったことない
MAWALOOP:大阪でやってて東京でもやるようになった。渋谷のライブハウス界隈でやるサーキットイベント
アイドライズ:MAWALOOPとほぼ同じ出演者で渋谷界隈のサーキットイベント
【アイドルもでる】
やついフェス
――ヒトラーは金融緩和を行っていた。金融緩和を行う日銀はナチスと同じだ。
――男女平等は共産主義者が言い始めた。男女平等を掲げる政治家は共産主義者だ。
――戦中日本は優良多子家庭を奨励していた。少子化対策は戦時体制に回帰している徴だ。
これらが全体的に例証として荒唐無稽なのは言うまでもないでしょう。これは特定の主張と同じ主張をしている別のグループを持ってきて「お前は〇〇だ」と対人論証を行うもので、「連座の誤謬」や「関連付けの誤謬」と呼ばれています。その中でも国際的にも有無を言わさず巨悪とされるナチスは何かを批判する際に引き合いに出されることが多く、些末な共通点だけで同一視するような詭弁が蔓延ったため特に「ヒトラーに例える論証」と特別に名前がついているわけです。本来のヒトラーに例える論証とはそういうものでした。なおこれは論証として不成立であることを批判するもので、侮辱か否かとは少しまた別のレイヤーの議論であることを留意しなければなりません。
そしてヒトラーが持ち出されることが多いのを皮肉ったのが「ゴドウィンの法則」です。議論中にこうなったら大抵建設的でないレッテル貼りになりがちですよね。
しかしつくづく思うのですが、ナチス関連の例えを出した時に”機械的”にゴドウィンの法則を持ち出して論難し始めるのはどうなんでしょうか。元来、「誤謬」に名前を付け「法則」という諧謔を作ったのは非論理的な議論を排し建設的な議論を行うための道しるべを示すためではないのでしょうか。相手の失点を指摘することで点数を稼ぐゲームを行うためのルールなのであれば私の不見識ですが、そういうものではないですよね?現代人が好きな”建設的”な議論をしたいのであれば、紋切り型に言うのではなく相手の論証が不十分である根拠を滔々と説く必要があります。そうすると必然的に根拠を示すだけで議論は成立するので特段誤謬や法則の名前を持ち出す必要も無いものです。
そもそものところ、ヒトラーを出した即ち誤謬・詭弁とするのはあまりに乱暴ではないでしょうか。いや菅直人元首相の発言が連座の誤謬に該当しないと言うつもりはありません。連座の誤謬だと言い切れる自信も自分にはありませんが…。例えばナチスが抱えていた論理的誤謬と同じ誤謬を抱えていると指摘しそれが危険な帰結を導出しかねないと論証できれば連座の誤謬とまでは言えないのではないですか。話を変えて最初に挙げた例に移れば、少子化政策として子供が多い家庭を表彰するという話が出たら戦中の優良多子家庭表彰政策を持ち出し問題点を指摘する程度であれば連座の誤謬とは言えないでしょう。もしくは少子化対策に前のめりになるあまり子供が多い家庭を理想モデルにすることの危険性に注意を促す程度に留まれば個人的には問題無いようにも思います。
こうした区別の判断は「ヒトラーに例える論証」とか「ゴドウィンの法則」とか言って即座に議論を終わらせるのではなく丁寧に反証をしようとすれば、相手の主張が誤謬と言えるものかどうかが見えてきてできるものではないでしょうか。ヒトラーと言うだけで機械的にゴドウィンの法則に該当してお仕舞の世界よりは判断基準が主観的で曖昧になりますが議論とはそういうものではないでしょうか。もちろんそんなに労力をかけられないという意見は分かるのですけれども。
正直なところ、ナチスに関連できることを見つけてすぐヒトラーだと言い出す人とナチス関連の話を持ち出したのを見てすぐゴドウィンの法則だと言い出す人の思考回路は同じようなものじゃないですかね。
と匿名の人間が書いても意味がないでしょうから、権威に訴える論証(詭弁)をしましょう。何を隠そうゴドウィンの法則の発明者であるゴドウィンはオルトライトについてナチスと比較するのを奨励しています。
Byall means, compare these shitheads toNazis.Againand again. I'mwith you.― Mike Godwin (@sfmnemonic)August 14, 2017
Sinceitwas released into the wilds of theinternet in 1991, Godwin’s Law (which I nowadays abbreviate to “GL”)has been frequently reduced to a blurrier notion: that wheneversomeone comparesanything current toNazis or Hitlerit means the discussionisover, or that that personlost the argument.It’s also sometimes used (reflexively, lazily) to suggest that anyonewho invokes a comparison toNazis or Hitlerhas somehow “broken” the Law, and thus demonstrated their failure to grasp whatmade the Holocaust uniquely horrific.
[抄訳]
ゴドウィンの法則はしばしば次のようにまとめられている。ある人が現在の何かをナチスやヒトラーと比較したら議論が終わったか負けたことを意味するのだ、と。またはその人が法を『破った』とされ、ホローコーストの比類ない恐ろしさを理解できてないということを示唆するとして(反射的に、怠惰に)使われている。
反射的に(reflexively)怠惰に(lazily)という修辞句を使うゴドウィン氏の心情を慮りつつ…。いわゆるトランプ政権のゼロ・トレランス政策をヒトラーになぞらえて批判した議員がいたことについてこのように記述されます。
Theresponsehas been predictable: Debate for some peoplehas beenderailedby thetrivial objection that, even ifitis terrible to separate children from their parents (and sometimes lose track of them, ormakeit impossible for their parents contact them, or even deprive them of thecomfort ofhuman touch),it’s notas awfulas what theNazisdid.
[抄訳]
「ナチスの行いを矮小化しているからこの比較は不適切だ」という反論したことはないですか?それがいつもつまらない反論でしかも議論を脱線させるような非建設的な意見かは知りませんが、この時なされたその類の反論はゴドウィンからすればここまで大上段に切り捨てられて当然のもののようです。辛辣ですね。この後、こうした時にゴドウィンの法則の名前が出てくるという話もしています。
But I do want to stress that the question ofevil, understood historically,is bigger than partypolitics.GLis about rememberinghistory well enough todrawparallels — sometimes with Hitler or withNazis, sure — that are deeply considered. That matter. Sometimesthose comparisons are going to be appropriate, andon those occasionsGL should function lessas a conversation ender andmoreas a conversation starter.
[抄訳]
ナチスの問題は政党政治より大きなものであることを強調したい。ゴドウィンの法則は深く考察される類似性(ヒトラーやナチスとのを含む)を描くのに十分なくらいよく歴史を記憶することに関するものだ。時にそうした比較は適切であり、その場合、ゴドウィンの法則は会話の終止符ではなく会話の第一歩となるのである。
要するにナチスが現代の政党政治と比べるべくもないヤバい奴なのは前提ではありつつも、ナチスとの比較は適切な時もあるから「ゴドウィンの法則に該当するからアウト」みたいな単純な使い方はするなよってことです。もちろんゴドウィンの法則の発明者だからと言ってゴドウィンの言うことが全てではありませんが。ただ、ヒトラーに例えることで議論が脱線し行き詰まるのを防ぐためのゴドウィンの法則という言葉が議論を脱線させる一因となるのであればミイラ取りがミイラではないですか。
ネット上では新しい概念が日夜発明されています。大抵の場合は既にある概念が再発見されて流行してるだけなんですけどね。そうするととかく流行概念に合致してると言えれば即何かしらの結論を得られるという思考に陥りがちです。しかも政治においては用語や見方という枠の解釈合戦(フレーミング)が起こるものです。しかし政治家や活動家でなければ必ずしもそういった方向に行かなくてもいいでしょう。結論と同じようにもしくはそれ以上に過程こそが議論にとって重要であるという基本に立ち返りませんか。その時、数多の概念は思考を論理的に展開する際の補助輪になってくれるはずです。そう、概念は結論に直行するものではなくあくまで思考の補助線なのだと考えた方が良いのではないでしょうか。概念に振り回されず、連座の誤謬もヒトラーに例える論証もゴドウィンの法則も上手に付き合えば落とし穴に嵌らないようにしてくれるはずですから。