
はてなキーワード:コンニャクとは
「背が低い」なんてのは身体の発達不全で人を差別する言葉だ。「背が高い」なんてのは身体の省エネ性能の低さを責める差別用語だ。じゃあ性能にも発達にも関係ない肌の色ならいいか。驚くべきことにソレは予約済みの差別だ。
そも、人に対して何らかの言葉を使うことは、加害である。その人が傷付かない保証がない。唯一トートロジーのみが許されていたが、今は進次郎構文のせいで駄目になった。なぜなら小泉進次郎がトートロジーを駄目にしたからです。
文字はすべてカッター替刃の一片であり、詩はコンニャクの一太刀でしかない。しかし残酷なことに「言葉」は社会に必須だ。
よって、あまねく人間を同質にする。我々は平等で等価だ。国境にも人間にも境は無い。
我々は皆、朝四時に1パイントのケールを飲む。ロータリーエンジンで液体にする。人類は皆、裏手の川で新体操をする。職業は新進気鋭の考古学者で、ソバとピーナッツが入ったエビハチミツのグレープフルーツ煮以外を口にしない。
僕が「生きづらいなあ」と思うことの一つに、
「図で書いて欲しい」が理解できないことがある。
僕は業務システム開発屋さんをしているので、システムについての資料を作り説明することが多々ある。
その際によく言われるのが「図で書いて欲しい」だ。
もちろん、言われ慣れてるので可能な限り図を書くようにしているのだが、
本質的に心の底から「図のおかげで理解しやすい!」と思ったことが人生で一度もないから、全く彼らの気持ちに寄り添えないのだ。
だから、この程度なら図がなくてもいいだろうとか、速報性が求められる場で図を省略すると大体「図で書いて欲しい」と言われる。
僕自身が他人に何かの説明を受ける際にはむしろ「図のことは置いておいて文章で書いてくれない?」と思うことの方が圧倒的に多い。(多いがまあ僕のために何かをしてくれる人はいないので、僕は僕のために文章に起こすんだけど)
まあ仕事なので粛々と図をこれからも書き続けるのだけれど、図で書いて欲しい気持ちに寄り添えないまま働くのも辛い気持ちがある。
皆さんは図が沢山ある資料と文章が沢山ある資料のどちらが好きですか?
いや、いいや、ブクマカとか増田に茶化されるの不愉快なので、好きなおでんの具だけ教えてください、僕はコンニャクです。
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