
はてなキーワード:コミカルとは
LINEオープンチャット「はてなブックマーカー」の1週間分の要約を、さらにAIを使用し、試験的にまとめまています。
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この1週間は、**AIと人間社会の関係性を中心テーマとして、多方面の話題が「技術の急激な進化に人間はどう適応するのか」という問いに収束している**のが特徴的だった。AIは投資・ギャンブル予測から日常の雑談生成まで影響を及ぼし、その便利さと不安が共存している。
同時に、**生活実感(寒さ、子育て、健康不安、ペット)**といった「人間の身体性と感情」に根ざした話題が強く現れ、テクノロジーと人間の温度差が浮き彫りとなった。
食・趣味・ユーモアによる緩和的な会話が全体を支え、「情報社会の混沌を笑いながら受け入れる知恵」がコミュニティ全体に見られた週であった。
https://anond.hatelabo.jp/20240722084249
このポストは、X(旧Twitter)上で見られるような、短い詩的な形式で書かれた投稿で、作者の内面的な孤独感や欲求不満をユーモラスに、かつ切なく表現したものです。表面上は風俗店(お金を払う短時間の性的関係)を題材にしていますが、比喩やオチを交えて、心のつながりを求める人間的な渇望を描いています。全体として、日常の悲哀を軽妙に昇華させた「ブラックユーモア」的な味わいがあります。以下で、構造的に分解して解説します。
- **表層**:風俗通いの虚しさ(お金で買う一時的な快楽の限界)。
- **深層**: 心のつながりを求める孤独。性的欲求を超えた「愛情」や「絆」の渇望。
- **ユーモアの要素**:風俗嬢を「猫」に喩える比喩で、シリアスな内容をコミカルに転換。作者の貧困や現実の制約を自嘲的に描き、読者に共感や笑いを誘います。
#### 行ごとの詳細解説
- **意味**:タイトル的な導入部。風俗店でのサービスを指し、「お金で買う一過性の関係」の儚さを象徴します。「行きずり(一期一会)」という言葉が、刹那的な出会いの寂しさを強調。
- **ニュアンス**: ここで作者の習慣化(「何度も通っている」)を予感させ、依存的なルーチンを匂わせます。現実の風俗文化をストレートに描きつつ、すでに「虚しさ」の伏線を張っています。
2. **何度も通っているが、心が満たされない**
- **意味**: 繰り返しの行為(風俗通い)にもかかわらず、精神的な満足が得られない。身体的な快楽だけでは埋められない「心の空虚」を吐露。
- **ニュアンス**: 「何度も」という言葉が中毒性を示し、作者の葛藤を深めます。ここでテーマが性的欲求から「感情の充足」へシフト。読者が「あるある」と頷く普遍的な不満を表現。
- **意味**:風俗嬢を「玩具(おもちゃ)」に喩え、性的プレイ中の反応(「いい声で鳴いてくれる」)を可愛らしく描写。猫の鳴き声(「にゃー」)を連想させる言葉選びで、すでに「猫」への伏線を忍ばせています。
- **ニュアンス**: 「可愛い」という一言が、作者の優しさや愛情めいた視線を表す一方、「玩具で弄ぶ」という表現が搾取的な関係の冷たさを際立たせます。エロティックだが、どこか哀愁漂う描写で、快楽の裏側にある疎外感を強調。
4. **でも違うんだ 心と心を通わせたいのだ**
- **意味**:上記の快楽は本質的に違う。作者の本当の望みは、互いの心が通じ合う本物の絆(恋愛や友情のような)。
- **ニュアンス**: 「でも」という逆接で感情のピーク。「心と心を通わせたい」というロマンチックな理想が、風俗の現実と対比され、切なさを増幅。作者の純粋さと、叶わぬ願いのギャップが心に刺さります。
5. **でもでも、貧乏一人暮らしだから猫は飼えない 悲しい**
- **意味**:オチの部分。風俗嬢の描写が実は「猫」を指していたことが明らかになり、本当の悲しみの源泉は「猫を飼えない経済的・生活的な制約」。一人暮らしの貧困が、心の伴侶(猫)を遠ざけている。
- **ニュアンス**: 「でもでも」の繰り返しで、諦めのユーモアを加味。「猫」という可愛らしい存在が、風俗の比喩として機能し、性的欲求を「無垢な愛情欲求」に転換。作者の「悲しい」が、全体を優しく締めくくり、読後感をほろ苦く残します。猫好きの日本人文化(ペットが心の癒しになる)を反映した、親しみやすいオチです。
#### なぜこのポストが魅力的なのか
このポストは、笑いと涙の狭間で、心の隙間を優しく突く一品。もし元の投稿者のアカウントや文脈があれば、さらに深掘りできますが、このテキストだけでも十分に作者の「可愛い悲しみ」が伝わってきますね。あなたはどう感じましたか?
職場で「国宝」が3時間もあるくせに詰まらん、と話題になった。
自分は多額のお金をかけて作られた「国宝」はたとえストーリーがつまらないのだとしても、かけられたお金の分の見応えはあるだろうと考えて見に行った。
感想としては「最高に面白い」では無いが、「つまらない」では無く、「興味深い」になる。
ビジュアルに関してはもちろん演出、舞台、衣装、メイクと全てにお金がかかっており大変素晴らしかった。
ストーリーはfunではなくintrestingだ。文学的な小説を読んだ時の感覚だ。共感は出来なかったが、いくつかのシーンは深く心に突き刺さった。
では何が面白く、何がつまらないと感じる要因か切り分けて推論したいと思う。
①絵の切り取り方
それは何故か?
1.目が悪い
3.引きの絵が多い
この3点が理由と考える。
3について考える。
この作品においては劇中に表情がアップになる場面が少ないと感じた。
理由として、これは歌舞伎の話であり歌舞伎を見せるべきである。故に歌舞伎という全身の演技、その舞台を見せるためだと考える。
また、表情のアップというものはある種漫画的でコミカルもしくはヒロイックな印象を与えるのではないだろうか?
今作ではあくまでもひたむきに、ひたすらに歌舞伎とそれに取り組む姿を映すため、顔に寄るカメラは最低限になっていたと感じた。
寄りの絵が無い、というのは漫画的に言うと決めゴマが無いと言える。例えるなら印籠を出さない水戸黄門のようなものだ。分かりやすく見映えのする面白い箇所が無いと冗長的でつまらないと感じる可能性がある。
故に国宝においては何を面白いと感じれば良いよのか分からず、つまらない映画だと感じる人もいるかもしれない。
②ストーリーが合わない
最初に述べたが本作はfunでは無くintrestingだ。主人公達が才覚を表し歌舞伎界のヒーローになる様を観たかった人にとっては残酷な物語となる。
そしてこれは文学的な方向性の小説と考える。良く冷えたビールのような喉越しの良さでは無く、後に残るほろ苦さの深みを味わうのが良いだろう。
③ストーリーの間が合わない
本作においてはテンポ感のある掛け合いというのは少ない。先の項で述べた通り小説的な映画であるため、明確に発言されるのでは無く、表情、声色、無言の間、から音声では無い秘めたセリフが現れる。故に言葉だけを追うと謎の間がつまらない上、ストーリーにもついて行けない可能性がある。
総括すると、小説慣れした人にとっては非常に面白い作品だろう。しかし小説を読まない人にとっては非常につまらない作品だろう。
より本作を楽しむ一手として曽根崎心中、鷺娘、娘道明寺(二人道明寺)を少し知っておくとより楽しめる。
厨二病引きずり編 覚書
タイ映画。名門校を舞台に、優秀だが裕福ではない主人公と裕福だが賢くはない同級生たちがカンニングのビジネス化を企む。
胸糞要素ややあるが、緊迫感がピカイチでのめり込めた。実話がベースとの情報もあるけどソース薄いので創作っぽい。リメイクあり
天才ハッカーの主人公が自ら警察に出頭し、自らの半生と出頭した目的について語り出す。アノニマスを意識してそう。
ハッキングをわかりやすく表現した演出と、音楽のセンスが好み。ラストも好き。視聴者に委ねるラストだけど後味が悪い訳ではなく心地よい
RUN/ラン
生まれながらに糖尿病や下半身不随を患って車椅子で生活をする主人公は自立すべく大学受験を目指しているが、夢を応援し生活をサポートしてくれているはずの母が持ってきた薬に違和感を見つけ、逃亡を企てる。
車椅子での逃亡劇と、サラ・ポールソンの怪演に見応えあり。これもラスト好きだった
フランス映画らしく皮肉が効いていて、嫌味な登場人物が多い。過激なヴィーガンに店を襲われた肉屋夫婦が原材料:ヴィーガンなハムを販売したらバカ売れ!
かといってヴィーガン批判ではなくて、強要は良くないよねって感じなのが気楽で良かった
大人気ミステリー小説の最終巻を世界同時に発売するため集められた翻訳家たちが、発売前の流出を徹底的に防止すべくセキュリティ万全にされた地下で作業をするさ中でネットに小説が流出し始める。賢い人にはつまらないらしい?
いやいやいやキャンセルじゃねーよ
原作知ってる人からしたらチェンソーマンの魅力がごっそり削られた駄作だったんよ
シリアスとコミカルのバランスが魅力なのにコミカルがごっそり削られてシリアス路線になってて
それに合わせて声優の声も抑え気味だし、全体的に引きの絵が多いしオシャレシリアスすぎて
って言う感じで勘弁してほしかったよね
銀魂を原作にしてるのにギャグがカットされてたらキレるよね?それと一緒だよ
しかもアニメをベースにチェンソーマンのストーリーが評論されるから我慢ならんよね
アニメ見ただけだと永遠の悪魔をどうやって倒したかさっぱりわからんくない?ノーベル賞並なんだよ?
総集編でようやくまともになったけど、それでもオシャレ感が抜けきれなくて微妙だったけど
劇場版は最高だったね
レゼ編がそもそもオシャレ感があるから上手くこれまでの映像化とハマってるのと
「俺のこと殺そうとしてくるんだけど〜〜〜????」
のとことかサメライダーのところがしっかり分かりやすくギャグっぽくなってて大変良かったです
そう考えると前の監督はレゼ編以降のシリアスかつ怒濤の展開をやりたくてああいう演出にしたのかもしれないけど
いわゆる「このキャラにも悲しい過去が」枠でキャラを掘り下げていくセルアニメーション。
ただ単に災害とかでひたすら悲惨さを強調する表現から脱却し、その一歩先へ進んだ印象。
心を喪った少女と心を持ったロボが人生を交錯させた過程と結末を描くハートウォーミング要素を中心に描かれており、現在の「シード」になった過程が紐解かれる。
謎が残ってる部分も含め、短い映画といった感じ。
コミカル枠であり、バトルアクション枠でもある3Dアニメーション。3Dモデルやモーションの良さを堪能しつつ、随所に込められたフェティシズムや小ネタをコマ送りで何度も見たくなる作り。
YouTubeのコメント欄が見どころを指摘するタイムスタンプで溢れる感じになり、盛り上がる。
オボルス小隊のメンバー4人が休暇をともに過ごす様子を描くほのぼの枠の2Dイラストアニメーション。
オタク的にうれしい関係性描写を盛り込みつつ、こまかい性格や設定を描き出すことで、キャラの輪郭をくっきりさせている。
つまり、公式が二次創作じみた趣向のものを作ることで解像度が上がり、ファンにとってもより二次創作がしやすくなる。
溜まってた80連分はほぼ天すり抜けクレタに消えましたが何か。
天井までS排出率0.000%でいいから天井を94連あたりに遠ざけて代わりにすり抜け無し仕様のガチャ併設とかできませんかね。期待値はそれくらいのはずだし。もはやガチャではない。
A部分はガチャでもいいけど。Sすり抜けはモチベに響くしそろそろ最高レアキャラの獲得方法からランダム性なくしてもいい時代なんじゃないでしょうか。
最近鳴潮を1.1ぶりに遊んでメインシナリオ最新まで読破したところだけど、やっぱり鳴潮は映像表現は凝ってるけど物語やキャラの描き方が引き込まれない。
いや、マグロさんが非PR動画だしてたの見たときはめっちゃ楽しそうにやってたから復帰してみたんだけどさ。
シナリオも10年20年前のMMOの「惨禍に蹂躙される人々」をベタに描いていく、じめじめした教条的な戦記もの路線の延長と感じるし、登場人物の人格設定にもあまり納得感や説得力がないんだよねホヨバと比べると。
ホヨバは読んでると結局全キャラ好きになれてしまうんだけど、クロはメインに連星任務にと見ていっても、第一印象時の見た目や喋り方といった表面的情報からくる好き嫌いの印象が覆ることはほぼない感じ。キャラ作りにひねりがないとも言える。
データベース消費的にこういう属性つけたらカッケーだろ?ってノリで作った域を出てないというか。その点ではDMMとかの量産ソシャゲのキャラ作りに近い。お金がめっちゃかかってる差はあるにせよ。
趣味の方向性が、ガッツリオタク向けではなくて、無自覚な厨二心を持ち続けてるマイルドヤンキー向けって感じがする。ちょっと保守的なところも含めて。
カットシーン演出の派手さで誤魔化せてはいるんだけど、展開にカタルシスがないというか、よく物語構成の練られたRPGのクライマックスで見て感動するようなシーンがバーゲンセールのように次々と出てくる。
んだけど、さして思い入れが深まってない状況でそれが来るもんだから、ワァ綺麗だなぁとなるだけで特に涙腺が緩むこともなく燃え展開キタ的に興奮することもなくてすごくもったいなく感じる。
ファイノンのシナリオレベルに心をえぐり抜いてくる背景の下積み話をネチネチとやれとまでは言わんけど、それに近い考え方で話を作ってほしい感じはある。
黒潮や残響に故郷や家族を奪われて~というほとんど全ての人に起きてる構図をいくら掘り下げても微妙なんよね。もっとその人固有のユニークな、人格形成に関わる苦境を掘り下げてくれないと思い入れも生まれない。
あとフィービーとかカルテジアとか知らん間に信頼されて肌を寄せてくる。そのへんがすごく扇情的だしギャルゲーっぽさがある。ホヨバだと絶対(主人公に対しては)やらない距離感。
百合のホヨバ、俺嫁のクロって感じ。声優の使い方も個人的にほとんど刺さらない。
日笠さんのお声は崩壊3rdのヴィタとか原神のエミリエのような、ミステリアスで優雅さのあるお姉さんボイスで映えると思っていて
オーガスタみたいな豪胆な武人総督をやらせてもあんまり強みが生きないというか、ただのおばさん声に感じてしまう。
ロココの小原好美さんも、感情の浮き沈みのある、時に調子に乗る理知的キャラをやらせてこそ独特の少女感がよく出ると思っているんだけど、ロココはひたすら落ち着いてボソボソしゃべるキャラだから別に小原さんじゃなくても…と思ってしまう。
というか全体的に、落ち着いた声で喋る人ばかりでアニメ調作品としてはキャラ立ちをほとんど考えていない、映画や実写作品みたいなリアル寄りのディレクションをしてるんじゃないかと思う。
だったらアニメ調で作らなくてもいいんじゃないかと思うわけで、韓国ネトゲをお金かけてアニメ調にしたって感じが拭えない。
トゥーンシェーディングに関しても、ホヨバは顔の陰影のライティングまでアニメ風のくっきりした陰影になるよう作っているが、クロはフォトリアル3Dゲーのライティングに近いつけ方をしているので、あんまりアニメって感じがしない。プロップもそう。大作MMOの世界にアニメ調キャラが立ってる感じ。
ネトゲオタクとしてはその手の豪壮な神殿やコロシアムみたいな世界観は王道で慣れすぎて何も感じなくなっているので、常にちょっとずらしたものを作ってくれるホヨバの世界観の方が魅力的に感じる。セブン・ヒルズは色んな意味で、ナタの味のある部分を削ぎ落として量産型スタイルにしたナタ編って感じ。
個人的に一番痛いのが、オーガスタもユーノもキャラデザがまったく刺さらなくて、十数年前の大作MMOにいそうな赤い闘士や青い導師をアニメ調の凝ったディテールで再開発したようなものにしか感じないこと。
その上でこの先でてくると思われる、クールな白髪青服の女銃士のガルブレーナ(グラブルのシルヴァ的なやつ)や、テンプレすぎる和風制服ツリ目黒髪パッツン刀剣少女の千咲、あと中華風イケメンを含めて、当分好きになれそうなキャラが出てくる予感がしないこと。
唯一好きになれそうなのが、最近のメインシナリオでちょろっと出てきた卜霊ちゃんで、ゼンゼロのリンちゃんの声優さんが同じようなトーンで声を当てられている生き生きとした少女キャラなんだけど、Ver2.X中に来るか怪しい上に、鳴潮はこの手の愛嬌ある低身長少女キャラを星5にすることがほとんどないから期待薄。
というわけで復刻でシャコンヌとカルテジアを狙っていくくらいしか可愛い子あつめが捗らなさそうなんだけど、欲を言えばカルテジアはずっとカルテジア形態で戦ってほしい…個人的に怒気をはらむおばさん声が苦手なんだよね。だから大人形態もロマンより苦手が先に来る。
ホヨバにも大人ブローニャとか大人グレーシュとか大人テレサとか高身長化するキャラはいるけど、覇気満々のがなり声は出さないから。
アクション面は、1.1の頃に主力にしてた今汐青おじヴェリーナに加えて、復刻でカルロッタとショアキーパーを確保して桃祈を添えて使ってるけど結構たのしい。
カルロッタはほぼ敵の動きを無視して自分のローテ回せちゃうキャラだけどその分桃祈で協奏ため儀式してる間のアクションが楽しい。後の先スカったりして星4な部分はあるけど。
最初気づかなかったけどカルロッタの声優は原神で宵宮をされてる植田佳奈さんで、宵宮はほぼ中の人みたいなトーンだけどカルロッタみたいなお嬢様キャラの演技も意外といいなと思ってちょっと好きになった。基本澄まし声だけどたまーーにうっすら地声のやんちゃな声色を感じるところがいい。
古い漫画雑誌を整理していたら、懐かしい一冊が出てきた。週刊少年ジャンプの「アラビアン・ランプランプ」だ。表紙をめくると、当時の記憶が鮮明に蘇る。
今から約20年前、私は中学生だった。毎週ジャンプを買って、この作品を楽しみにしていた。連載終了後、単行本として出版されたが、現在は絶版となっている。この作品を読めない現代の少年少女たちが、少し可哀想に思えてならない。
アラビアン・ランプランプは、週刊少年ジャンプで連載されたファンタジー作品だ。舞台は中世アラブ風の異世界。悪心を持った魔神に人間が虐げられる世界で、主人公の少年・トトは若き魔人ランプを復活させてしまい、姉のライラを守ろうとする。
序盤はコミカルな展開だが、宿敵・ドグラマグラが復活した後半はシリアスな作風になっていく。トトとランプの関係性を通じて、家族愛、友情、そして正義とは何かを描いた物語だ。
この作品の最大の魅力は、その完璧な構成だ。短い連載期間にも関わらず、物語は見事にまとまっていた。起承転結が明確で、読者を最後まで引き込む力を持っていた。
特に印象的だったのは、主人公トトと魔人ランプの関係性だ。最初は姉を守るためにランプを利用しようとしたトトが、様々な経験を通じてランプを理解し、真の友情を築いていく様子が丁寧に描かれていた。その関係性の変化が単なる仲良しではなく、深い信頼関係として表現されていた点が素晴らしかった。
登場人物たちも魅力的だった。主人公トトの純粋さと成長、魔人ランプの神秘性と人間味、姉のライラの優しさ、そして宿敵ドグラマグラの恐ろしさ。それぞれが立体的に描かれ、読者の感情移入を促していた。
特に、ランプのキャラクターは印象的だった。単なる召喚獣ではなく、人間界での自由を求める複雑な感情を持つ存在として描かれていた。その人間味と神秘性のバランスが、物語に深みを与えていた。
アラビアン・ランプランプが現代の読者に読まれない最大の理由は、絶版となっていることだ。連載終了後、単行本として出版されたものの、現在は入手が困難な状況となっている。これは、商業的な理由によるものだろう。売上が一定の基準を下回った作品は、再版されずに絶版となるという厳しい現実がある。
現代では、多くの古い作品が電子書籍として復刻されている。しかし、アラビアン・ランプランプは電子書籍でも読むことができない。これは、著作権の問題や、原稿の保存状況など、様々な要因が考えられる。しかし、結果として、この素晴らしい作品に触れる機会が失われている。
古い単行本は、図書館にも保存されていないことが多い。特に、絶版となった作品は、図書館で読むことも困難だ。
アラビアン・ランプランプの最大の価値は、その完璧な物語構成だ。短い連載期間にも関わらず、物語は見事にまとまっていた。
現代の漫画は、長期間の連載を前提とした構成になっていることが多い。しかし、アラビアン・ランプランプは、短い期間で完結することを前提とした構成だった。そのため、無駄のない、密度の高い物語となっていた。
この作品が扱っていたテーマは、現代でも通用する普遍的なものだった。友情、成長、勇気、そして希望。これらのテーマは、時代を超えて人々の心に響く。
特に、トトとランプの友情物語は、現代の少年少女たちにも大きな感動を与えるだろう。互いを理解し合うことの大切さ、信頼関係を築くことの難しさ、そして家族を守ることの重要性。これらの要素は、現代の子どもたちにも必要な価値観だ。
絵柄も素晴らしかった。中世アラブ風の世界観とファンタジー要素を美しく表現し、トトとランプの関係性を視覚的に魅力的に描いていた。序盤のコミカルな場面から後半のシリアスな展開まで、場面に応じた絵柄の変化も見事だった。現代のデジタル技術を使った絵柄とは一味違う、手描きの温かみがあった。
現代の少年少女たちが、この作品を読めないことは、大きな損失だ。完璧に構成された物語を読むことで得られる感動や、物語の面白さを理解する機会を失っている。
特に、短編ながらも深い内容を持つ作品を読むことは、読解力や想像力を養う上で重要だ。アラビアン・ランプランプは、そのような教育的価値も持っていた。
この作品を読めないことで、漫画史の重要な一部を理解できない。当時のジャンプの雰囲気や、短編作品の魅力を理解する機会を失っている。
漫画は、長編作品だけでなく、短編作品にも大きな価値がある。アラビアン・ランプランプは、そのことを証明する素晴らしい例だった。
現代の技術を活用すれば、この作品を復刻することは可能だ。デジタルアーカイブとして保存し、電子書籍として配信することで、多くの読者に届けることができる。
特に、古い雑誌のデジタル化は、保存の観点からも重要だ。紙の劣化を防ぎ、長期的に作品を保存することができる。
アラビアン・ランプランプを読んだことのあるファンたちは、この作品の復刻を望んでいる。SNSなどで、復刻を求める声が上がっていることもある。
このようなファンの声が、出版社の耳に届くことを期待している。商業的な価値だけでなく、文化的な価値も考慮して、復刻を検討してほしい。
絶版となっているため、古書店で古い単行本を探すことは可能だ。ただし、保存状態や価格の問題がある。
一部の図書館では、古い雑誌を保存している場合がある。特に、漫画専門の図書館や、大学の図書館などで、古い雑誌を閲覧できる可能性がある。
インターネット上で、古い雑誌のデジタル版を提供しているサービスもある。ただし、著作権の問題があるため、合法的にアクセスできるかどうかは確認が必要だ。
アラビアン・ランプランプは、短い連載期間ながらも、完璧な物語構成と魅力的なキャラクターを持つ素晴らしい作品だった。現代の少年少女たちが、この作品を読めないことは、大きな損失だ。
この作品が持つ価値は、時代を超えて通用する普遍的なものだ。友情、成長、勇気、希望といったテーマは、現代の子どもたちにも大きな感動を与えるだろう。
技術の進歩により、古い作品を復刻することは可能になった。アラビアン・ランプランプのような名作が、再び多くの読者に届けられることを願っている。
そして、現代の少年少女たちにも、この素晴らしい作品の魅力を感じてほしい。短編ながらも深い内容を持つ物語の面白さを、ぜひ体験してほしいと思う。
了解しました!以下に、ご質問のX投稿(https://x.com/kisaakakisaaka/status/1954913322517828004?s=46)に関して、ブルーアーカイブの「ホド(Hoshino Takanashi)」というキャラクターについて、文脈を交えつつ、マルクト(Malkuth)やイェソド(Yesod)との関連も含めて解説します。
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### ホド(星乃灯凪 / Hoshino Takanashi)とは?
ホドは、スマートフォンゲーム「ブルーアーカイブ(Blue Archive)」に登場するキャラクターで、問題解決68(Problem Solver 68)というグループに所属する生徒です。彼女は外見的には可愛らしい金髪の少女ですが、性格はかなり破天荒で、時に無謀な行動を取ることが特徴です。イラストやストーリーでは、コミカルかつ劇的な表現が多用され、今回のX投稿のように「私を悪い人みたいに言わないで!」という台詞や、泣き顔・叫び顔が強調された絵柄が彼女の個性をよく表しています。これは、彼女が意図せずトラブルを起こしてしまう一方で、根は優しいという設定を反映したものです。
ホドは、キヴォトス学園という舞台で繰り広げられる物語の中で、先生(プレイヤーキャラクター)と他の生徒たちとの関わりを通じて成長していきます。彼女の所属する問題解決68は、依頼を受けて活動する傭兵的なグループで、経済的な困窮から過激な手段を取ることもあります。ホド自身はリーダー格として振る舞いますが、仲間を見捨てたり(特に「放置ルート」として有名なシーンで)、無茶な作戦を提案したりするなど、チームを混乱させる一面もあります。この「放置」がファンやコミュニティでネタとして語られることが多く、今回のイラストもそのようなユーモアを込めたものと考えられます。
####ゲーム内での設定
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###マルクト(Malkuth)との関連
マルクトは、ブルーアーカイブにおけるセフィロト(Sephirot)と呼ばれるグループのリーダー格で、ゲヘナ学園の学園長代理を務めるキャラクターです。セフィロトは、カバラの神秘主義に基づく10の属性(セフィラ)をモチーフにしており、マルクトは「王国(Malkuth)」を象徴します。彼女は穏やかで優しい性格を持ち、ホドのようなトラブルメーカーに対しても寛容な姿勢を見せます。
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### イェソド(Yesod)との関連
イェソド(Yesod)はセフィロトのもう一人のメンバーであり、「基礎(Yesod)」を象徴する厳格な規律の守護者です。ホドとは性格や行動原理が正反対で、彼女の無秩序な振る舞いを強く非難する立場にあります。
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ホドは、ブルーアーカイブのストーリーにおいて「予測不能な要素」として機能するキャラクターです。彼女の行動はプレイヤーに笑いを提供しつつ、時に深刻な結果(例えば仲間が犠牲になるシナリオ)を引き起こすため、感情的な葛藤を誘発します。総力戦「ホド戦」では、彼女の性格を反映したボス戦が用意されており、CCゲージを管理しながら戦う必要がある点が彼女の「制御が難しい」イメージとリンクしています(ウェブ情報参照)。
また、セフィロトとの関係性は、ホドが単なるコミックリリーフではなく、物語の大きな枠組み(カバラのセフィラや預言者たちのテーマ)に関わる重要な存在であることを示唆します。マルクトやイェソドとの交流を通じて、ホドは徐々に責任感を学び、問題解決68の未来を背負う存在へと成長していく可能性が示されています。
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もしブルーアーカイブのストーリーにまだ馴染みが薄い場合、以下のステップで理解を深めることをおすすめします:
1. **ゲームをプレイ**: ホドのイベントストーリー(特に問題解決68関連や総力戦)を進める。
2. **コミュニティを参照**: XやRedditなどのファン投稿で、ホドのエピソードやセフィロトの役割について議論されている内容をチェック。
3. **公式資料**:ブルーアーカイブの公式サイトやウィキでキャラクター背景を確認。
今回のX投稿は、ホドのユーモラスかつ悲劇的な側面を強調したファンアートであり、彼女の人気とストーリー内での複雑なポジションを反映しています。質問があれば、さらに詳しくお答えしますのでお気軽にどうぞ!
猫の絵文字😻もコミカルで好きだからいいんだけど同じ表情の犬のバージョンがないのはなんで?
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「クサイ」とか「臭う」とか、そんな表現と結びつけてしまっても清潔感(というよりコミカルさのおかげ?)があるから不快感がなく、本人に嫌なイメージも付きにくい。
人気若手俳優の脱いだ靴下を「におう〜!」と言う訳にはいかないだろうし、本当に臭そうな人を使ったら商品イメージに影響が出そうだし意外と難しい。
私きいて欲しいことがあるの!
チキ・チキ・バン・バンのバンバンって車のことだって知ってた?
てっきり私は
サンドイッチのことかと思ってて、
美味しいチキンがバンバンにたくさん挟まったものだと思っていたの!
信じ合える喜びよね
いや
それは私がベーコンレタストマトバーガーつまりBLTを食べるときに聞くエブリリトルティングつまりELT持田香織さんの曲の歌だったわ。
チキ・チキ・バン・バンのバンバンが美味しいチキンがたくさんバンバン挟まったサンドイッチじゃなかったら
一体何を信じ合えばいいっての?
世の中知らないことばかりね。
まさか、
チキ・チキ・バン・バンのバンバンが車のことだったなんて!
そんなチキ・チキ・バン・バンゆーてる場合じゃ無いわってぐらい忙しい最中。
まあ忙しい忙しいって言ってても始まらないので、
ふと気付いたの。
私スーパーなマリオのワンダーぜんぜんほったらかしにしてたわ!って
気が進まないけれど
とりあえず久しぶりに起動してみたの。
そして遊んでみたの。
だいたい1プレイ1-1をクリアするぐらいのライトな数分のプレイ。
もう今どのステージまで進めていたのかもすっかり忘れていて
ワールド6?ぐらいまで行ってて、
なのに先に先に行っちゃってたみたい!
そんで、
面白いなぁって。
やっぱりコミカルなのよね。
あ!しまったいまこの操作だと絶対やられたり落ちたりしちゃう!って分かっててそうなって笑っちゃうと言うか、
スプラトゥーン3で殺気立って1日1バトルを消化するのとは大違いな感じ。
数戦のスーパーサザエを3つぐらいしかもらえないぐらいの戦いしかしてなかったわ。
そんで
面白いじゃない!
ずっこけて転んで笑っちゃうと言うか、
でも大丈夫!
ハナチャンには当たり判定無いから競争のライバルとして競え合えるの!
先にステージをゴールした方が勝ち!
難しさは星マックス5つよ!
よーし!このステージに挑戦!
何度か途中コースで落ちたり敵に触れたりしてやられちゃったりして、
なかなかハナチャンには勝てなかったけど、
最終的にはハナチャンより先にゴールできて勝って、
わーい!ってなんか嬉しい達成感!
こんな感じ久しぶりだわ。
スプラトゥーン3は殺気立ってるし
NIKKEはステラーブレイドのコラボ企画終わっちゃって私は気持ち落ち着いたのか、
熱が冷めてはいないけれど冷めてきた良い意味で落ち着いてきたって感じ。
なんか裸ばっかりでちょっと疲れるーつーか
ラピそんな正確だったっけ?って
ドロシーもそんなにはしゃぐ?
NIKKEってさ
キャラクターの性格って企画とキャンペーンストーリーとでは全然違う性格なので戸惑っちゃうわ。
ラピそんなぺろーんってティーシャツめくっておっぱい見せるか?って
まあそれはともかく、
そんで、
プレイしてくると
私がプレイするステージにゴーストで他のプレイヤーも一緒にコースをクリアしているように感じるのよね。
それもそれで面白くて、
遠くでやられたらギャー!って聞こえるところがまた笑っちゃうわ。
なので、
殺気立って疲れた身体にはスーパーマリオワンダーいいかもしれないわ。
いかに毎日私が殺気立ったゲームを鬼気迫る感じでやってたか!ってことよね。
ゲームに私が求めていたのは、
それだったのかも知れない!
ここに来てほったらかしの「スーパーマリオワンダー」が楽しすぎる再発見なのよ。
私特製のチキ・チキ・バン・バンサンドイッチを作って食べるわ。
もちろん
もうチキ・チキ・バン・バンってサンドイッチの名前でもいいと思うわ!
うふふ。
なんか大河ドラマべらぼうの蔦屋重三郎さんみたいなことを言っちゃった感じがするわ。
朝とお昼にどちらかを食べるのよ。
ランダムで引いたおにぎりくじでその時引いた味を楽しむ楽しみ。
冷やしておくストックを忘れないように飲んだら
ゴクゴク飲んでシュワッとキマったわ!
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
オレンジレンジは、特別好きだったわけじゃないしCDも持ってなかったけど(たしか弟はmusiQを持ってた)、カラオケに行けば絶対誰かが歌ってたから、久しぶりに聴いてもすぐ口ずさむくらい、どの曲の歌詞も覚えてる。
中でも、イカSUMMERは、カラオケで1番聴いたし一緒に歌った。
当時は、学校にも行かず、家にも帰らず、小学校からの腐れ縁と2人、公園でだべるかカラオケで歌いまくる日々だった。
彼女はオレンジレンジが大好きで、たしか特にNAOTOのファンだった。
だいたいカラオケでは花とかラヴ・パレードとかしっとり系を歌ってから、イカSUMMERで盛り上がってた気がする。
コミカルで楽しくてただただ明るい、なんか可愛らしい曲。
久しぶりにイケナイ太陽を聴いて、そしたらやっぱりイカSUMMERも聴きたくなる。いつも最初のところは何言ってるか分からない。たしか当時はにゃんころり〜とか歌ってた気がする。ちょっとはねてもにゃんころり〜。
どんな歌詞だよ、と検索してみたら、夏の暑さに浮かされて見る夢の寝言のような、でも何かロマンチックなことを言っていた…。にゃんころりどこいった。言ってないにも程があって1人で笑った。
123で夏がくるっ
腐れ縁の彼女がソファに立ち上がって動き回りながら歌ってたの思い出す。スーパーウルトラちゅらちゅらよ!
歌の後半に好きなパートがあった。
ずっと大好きな人とはっちゃけてる感じだったのがふと落ち着いて、切なくなるのかと思わせたところで
ここが、大好きだった!!思わず一緒にhooooo!!と叫んで、なぜか涙が止まらなくなった。
なんでイカSUMMERで泣いてんだ。こんなに明るくて意味不明で楽しい曲で。
でも涙が止まらない。
いつも2人でブリブリベイベhoo!!ってやってたよおおおお。
涙が止まらない理由を落ち着いて考えても、懐かしかった以外思いつかない。
懐かしいと泣いたっけ。
当時に戻りたいとは思わない。将来とか未来とか明日みたいなそういう概念が無い、もしくは見ないようにしてた気がするそんな頃。辛くはなかった。まっしろだった。
間違いなく今が一番楽しい。
懐かい、と、泣く、がつながらなさすぎるけどこれが年を取ったということなのか。
たしかに、オッサンだと思ってたマユリカが実はタメで、阪本とは誕生日が数日違いなことを今回知った。
じっくり聴きたくなってYouTubeでイカSUMMERのMVを見てみた。思えばカラオケばかりで原曲はほとんど聴いたことなかった。にゃんころりと歌っていたところは、サンバの格好のお姉さんが「マンゴロウィー」と言っているように聴こえた。もしかしたら日本語に訳せばあの冒頭のロマンチックな歌詞になるのかもしれない。
実は挿入に何も感じていない、性癖絡みでトラブルを起こしたことはない、打ち明けたことがない、という点で共感しました。
私は男性が感じている顔にしか興奮しないです。顔だけ、だったのが少し声も加わるようになったけど、割合としては小さいまま。ほぼ顔。
性の目覚めが漫画のキャラクターのコミカルに慌てている顔で、それが慌て顔よりもエロ漫画の性的に感じている顔だともっと良いとわかり、漫画よりも実写のほうがもっと良いとわかり、Beautiful Agonyというオーガズム時の顔だけを写した海外のフェチサイトとその日本人版であるイキガオというフェチサイトに辿り着いた。『清潔感』のある日本人男性のイキ顔が最もオカズになるのだけど、こうしたコンテンツの少ないこと。結果的に白人やラティーノの男性(onlyfans等)、中国人男性(配信等)などで抜くことが起きているけど、外専ではありません。日本人以外と付き合ったこともないし付き合いたいと思ったこともない。ただ日本人男性が顔を見せない映像が多いので結果そうなってるだけです。CFNM好き男性が白人女性のコンテンツ見てたのと同じだね。エロゲのメカクレ主人公、竿役、といった感じで日本人男性には透明という役柄が要求されていることが多い。そして私のような性癖の人間が少なく、需要が極度に少ないので、日本人男性の顔が見えるものはろくに供給されないのも仕方ない。採算に合わないのでしょう。
正常位での挿入、それから射精にかけて、女側から男の顔はほぼ見えない。肩に顔を埋めながら射精する人が多い。感想としては「おお」くらいしかないです。膣内はちょっと苦しいだけで何も感じないし、顔が見えないので…。
セックスの相手に、騎乗位と手コキが好きな人間だとは思われているはず。騎乗位は、男の顔がよく見えます。薄暗くても。男にとっては乳揺れがよく見える体位なのかもしれないけど、女に自分の顔が見えていることはあまり意識していないかもね。
最中には気持ちよくなってないんです。興奮はしているし、後日クリオナのおかずにする用の素材収集をしているような感覚。でもそれは打ち明けられないですね。
女性がただただ気持ちよくなってるのをみるのが好きで、問答無用に快楽を叩き込まれて悶えてる姿とか、性器以外の箇所で快楽を感じてる、みたいな姿に興奮する。
こういう男性用のコンテンツはあるよね。本番の前のシーンがしつこいというつくりをした映像として。
『清潔感』のある日本人男性のイキ顔ってデジタルコンテンツとしてほとんど出回りません。前述したようなフェチサイトになる。ゲイビにちょっとあったりもするけど、ゲイと女とでは見たいものがちょっと違ったりもして、本当にストライクのものは見つからない。
だから諸々に対して素直にわかる!と言いたい部分と、ゆーて異性愛の男だし女体のそういうのが好きなのはそこまで異端でもなくて供給はいっぱいあるでしょう…と僻むような気持ちもある。
あと「がおう」の件などで児童性愛者が袋叩きにされているのを見ると、自分がロリコンショタコンは持ってなくて良かったと心底思いもする。
朝井リョウの「正欲」でしょ。私も読んだ。水フェチのオカズへの飢えには共感しつつ、それでも「認知されているマイノリティ」として例示されている児童性愛者よりはマシかなって再度思いました。
英語と韓国語を少し勉強してわかったがそもそも日本語のコミュニケーションも苦手だ。コミュニケーションというものそれ自体が苦手なんだ。旅先で路上のハトをみるたび「このハトはどの国のハトとも通じ合えるんだな」と感慨深くなる。なぜなら言語を持たないから。いや、ほんとうにそうか?A地域のハトは「ポッポー」があいさつでB地域のハトは「ポポッ」があいさつかもしれない。あいさつのある地域とない地域があるかもしれない。言葉とは鳴き声のパターンだと最近つくづく思う。共鳴することそのものが快と感じるように生き物はできている気がする。わかる。わかるんだけど私は上手くハモれない。「休みの日とかなにしてるのー?」なんて雑談もハモりやすいように投げかけてくれているだけなのにそこに意味を見出してしまい歌詞の意味を考えているうちに乗り遅れて合唱は終わっている。誰かとうまく歌えるようになりたい。雑談を振られるとどうしても何かジャッジされると思い込んでしまうので人と話す前は「鳴き声鳴き声鳴き声共鳴共鳴共鳴」と唱えてから挑む。そして雑談が終わった後は「失敗した…」と内容を振り返って落ち込んでしまう前に「ちょっと歌がズレただけ」と意識をシャットアウトする。会話が鳴き声の共鳴だと気づくまでに随分と長い時間がかかってしまった。ずっと誰とも会話できている気がしないなと思っていた。そもそも「共鳴は快である」という前提を知ったのが最近だから、OKOKと思っている。だけどもさ、と独唱で転調してみるのですが、私は合唱でうまく馴染むことができず教室を抜け出して人知れず鼻歌うたって帰ってるような人のことが大好きなんですよね。こんなに私はこの世界のことを少しでも理解してせっかくだから順応しようとしているのに、自分が死んだら世界も死ぬし意味ないじゃんと思う。そういえば、年齢的に子を持つこと・持たないことを検討するようになり、自分が生まれたこと、いま意識があり思考があることとかまで考えを巡らすようになった。そう思うと、いま意識があること、ひいては世が存在するということは親の気分みたいなところに左右されており、この世はなんて心許ないんだと愕然とした。もっと壮大で強烈なものに裏付けらていると思っていた。この世、この生、儚ね〜、大事にしよ。もうこの歳になると学歴とか会社とか、この世が幻想だなあと自分の世界の捉え方がふわりとしてくる。世のジジババが孫に対して甘々なのってそういうことなのかなあと思う。幻想とわかった上で幻想を楽しめる歳なのだろう。ところが不思議なことに、私のジジババは最後までずっと幻想を信じていたな。祖母は当時もう80とかなのに、私の進路についてあれこれと口を出してきていた。幼い頃から〇〇ちゃんはこの大学かこの大学に行くのよと言われ勉強を教えられていた。浪人して芸大に行きたいと言った時は、どうか普通の〇〇ちゃんに戻って、浪人するなら縁を切る、この敷居を跨ぐなと言われた。芸術系浪人なんか全保護者を不安にさせる進路を選ぶ自分にも完全に非があるのだが、当時はこの老人とはこんなにも意志が通じないのかとに驚くばかりだった。私は80近くになってもこの幻想にそこまで執着できるとは到底思えない。バイオレンス婆は、文字通り普通に虐待をする。長い物差しで人の頭を執拗に叩く。孫の私にはさすがにしたことがなく、母はよく「おばあちゃん丸くなったわ」と言っていた。そんなバイオレンス婆に育てられた母は運良く反骨精神の持ち主で、祖母と繰り広げたバトルをコミカルに私によく話してくれた。中学生の時自分の部屋に仲間を集めて祖母にバレないようにシンナーを吸っていたのが楽しかったとか、万引きのスリルとか、夜な夜な窓から飛び降りて遊びに出かけていたとか、無免許でバイク事故して病院に行けず祖母にもバレないように必死に隠し、今も腕にぶっとい傷跡が残っているとか。わかりやすいヤンキーに仕上がったようだ。口酸っぱく祖母に「先生と呼ばれる仕事に就きなさい」と言われていて、女子短大を卒業し祖母のコネで幼稚園の先生になった。快活で子供にすぐ懐かれる母には向いていたと思うのだけど、母は幼い頃から絵を描くのが好きで、デザイナーになることを諦められなかったらしい。頭から血が出て何針か縫うくらいの祖母バトルを経たのち、昼は幼稚園で働きながら夜はデザインスクールに通い、なんとかデザイナーになった。といっても版下とか、テレクラのPOPのデザインみたいな仕事だったけど、それでも母はデザイナー時代のことをいつも楽しそうに話していた。そんな母はまた、自分がいくら願っても叶わなかった幸せな家庭という幻想を見ていた。祖母のように、子を縛ることなく、どんなヤンチャをしても一緒に面白がり、あんたはほんまアホやな〜っていつでもふざけ合える家庭。きっとそういうものを夢見ていた。本当に申し訳なくなる。母は仕事を辞め結婚して専業主婦になった。私と母は本当に、本当に性格が合わなかった。こればかりは、いくら血縁関係でもこういうこともあるんだなと思ってきた。それでも努力して近づこうとしていたとは思う。一度もまともに通じた会話ができたことがない。母は幸せな家庭という幻想を夢見て、とにかく真面目で無害そうな父と結婚した。殴ったりしなければOKという認識だったんだと思う。父と母が会話で盛り上がっているところなど見たことがない。価値観も趣味も性格も真逆で、側から見てもお互い苦手なタイプでしかないと思う。子供ながら、お互い家庭という幻想のために結婚したんだなあとなんとなくわかっていた。私は父に似てしまった。とにかく物心ついた頃から、母は私のことが気に食わなかった。気に食わなかったんだなと思うことでしか、説明がつかないことが多すぎて、そう思うようにしている。なんだかずっと怒られていたというより、ずっと罵られていた。母は私の自虐でしか話を聞いてくれなかった。何を話しても否定から入られるので、家で何も話せなくなった。実家にいた時はずっと、教室に一人は必ずいるガキ大将と暮らしているような気持ちだった。母は夢見ていたはずの家庭がこんな惨状になってしまったことのすべてが気に食わず、ずっと機嫌が悪かった。もともとも性質かそのような家庭環境なのかわからないが、私は人とうまく会話するのが下手で、一人で没頭できる勉強や読書が好きな子供だった。そういうのがさらに母は気に食わなかった。どんな親だよとは思うけど、極端に言えばもっと万引きとかして欲しかったんだと思う。現代の陰湿なほうじゃなくて仲間とカラッとやるような万引き。そんで警察によばれて頭をスパーンと一発叩いて「アホ!!!帰るで!!」ってやりたかったんだと思う。ぱっちりと目が大きく美人で筋力がある母に似つかず、全て父に似て地味な顔で運動ができない太った根暗になった。母の幻想である娘を私は上手く演じることができなかった。一方祖母は、教育という幻想を再び見てしまったのだと思う。そこまでしんどい思いをせず勉強ができてしまう私に勝手に期待をした。母は、祖母の幻想を叶えられる存在としての私に対しては、まんざらでもない様子なときもあった。ところで、祖父や父はこういうとき何をしていたのかというと、何もしていない。何も言わない。記憶にない。ずるいよね。母はきっと心から安らぐ幸せみたいなものを感じたことがないのかもしれないと勝手に不安になる。けど母は自分の家庭を持つという幻想を成し遂げた、殴ったりしてないしOKOK、それが満足だと思っているはず、と言い聞かせる。ところで不思議なことに、私はかつての母と全く同じグラフィックデザイナーとしていま働いている。何も気が合わないのに特技だけは遺伝した。人との会話が何十年も成り立たない中で、視覚的な共通言語でものが通じることが自分の救いになったのがデザイナーになったきっかけで、決して何かを教えてもらったこととかは本当に一度もない。そもそも母も私も絵が描けるのは、祖母が書道家兼芸術家だったことが遺伝情報としては大きくて、(だとしたらなぜそんな教育幻想と暴力に囚われてしまったのかは本当に私が教えて欲しい)、わたしたちは相互に歪み合いながら螺旋を描いている。祖母も母も、芸術センスみたいなものは遥かに私より良くて、そういった面でふたりのことは尊敬しているし、破天荒な人間性も面白くて好きだ。けど、もう最小限でしか関わりたくないし、こういうのは距離があった方がいい関係が築ける。私含め3人とも地球規模で見れば息は長くないのだし、それぞれができるだけ幸せであればいいと願っている。東京にいると、そういうタコピーみたいなふわふわことが思えてしまうのだから怖いなと思う。たまに地元に帰るとあまりにも地に足がついてずぶりと沈みそうになる。地元とは幸せみたいな言葉が嘲笑される地域のことを言う。その地域にはその地域が共有している鳴き声のパターンがある、それだけの話。
正確には忘れられなかった、なのかな。
身バレしないようにジャンルとカプはぼかして書くけれど、ジャンルはすぐわかるかも。
20年振りに、中学生の頃からずっと待っていた続編が決まった。もちろん見にいった。
楽しかった。興奮した。どれくらいかって、学生時代に引退したはずだった二次創作の世界に再び足を踏み入れるくらいに。
作品内ではマイナーなカプだったけれど、旬ジャンルの公式カプの力はすごくて、pixivに上げた作品は見たことないくらい伸びた。
Xのフォロワーも増えて、毎日いろんな人と意見交換しながら交流する日々だった。
……そこまでで終わっていたら、私はこのジャンルを離れることはなかったんだろうな。
私の推しカプ(ABとする)は、公式ではあるが作品の途中というか終盤に入ってから成立するカプで、そこまではAC(私はA+CあるいはA←Cだと思っているが)が組み合わせとしてよく描かれている。
避けられないカプ論争がそこにあり、私はある日AC派のオタクから突然攻撃リプをもらった。
怖かった。悲しかった。もちろんそいつはすぐにブロックして、しばらくアカウントにも鍵をかけた。
その頃は3日も経てば心は落ち着いて元通りになった。
今思えば、Xで好きに呟くだけでアンチが突撃してくるジャンルなんて、そこで離れていればよかった。
でも私は、Aが、Bが、ABが、20年忘れられなかったから、その気持ちだけでしがみついてしまった。
ところで、続編ではAのキャラが大きく変わった。
理由はいろいろあるし、Aが元々どんな子だったかを書くとそれもキャラバレする気がするので書かないでおく。いや、こんなことを書いている時点でジャンルがわかった人は薄々誰のことか分かるかも。これだけで。
私は……正直に言って、続編でのAのコミカルな行動は一つだけどうしても許せなかったし、20年前の思い出の中のAのことの方が好きだった。
それをXに投稿すると、「Aのオタクは解釈が暗くて辛い」だの「同じA推しなのに意見が違う人がいて辛い」だのだいぶ突っかかられた。
じゃあミュートなりブロックなりしてくださいよと思ったがしてくれなかった。私の言動はともかく作品がある程度愛されていたのだろうと思う。
今思えばそんなことを投げかけられた時点でジャンルを離れておくべきだったかもしれない。
でも当時の自分は……ABが書きたくて仕方なかった。
そんな生活が1年以上続いた。もちろん楽しいことの方が多かった。そうじゃなかったら離れていた。
ある日突然、ABが書けなくなった。読めなくなった。
全部書き切ったんだ。そう思った。
あとは仕事も大変だし、疲れていて余裕がないんだ。そう思った。
そう信じたかった……でも、そうじゃなかった。
私には何年も遊んでいるゲームがあって、その公式が突然ドストライクの公式カプを提供してきたのだ。
未だかつてなく心が動いた。すごく不器用な子たちだ。
確かにそのカプ(DEとする)でも、書ける頻度は落ちていたけれど……読むことはいくらでもできたし、書くこともできてしまったのだ。
あ、読めないし書けないのって、ABだけなんだ。
そう思った私は、今約束しているABを書き切ったらABを書くのをやめてジャンルを離れようと決めた。
それを同居人に話して分かったことだけれど、ABを書けなくなった理由。読めなくなった理由。
誰かを笑顔にしたくて書いていると私はそのとき同居人に言ったけれど、違うよ、と言われた。
そう。違う。今なら分かる。
自分が楽しいから、自分が書きたいから書くべきだった。人目なんて気にするべきじゃなかった。
誰かを笑顔にしたくて書くならプロになればいい。それはプロが考えることだ。
でも私は、アンチからもらった言葉のせいで、また、ファン同士で意見を合わせようとして、無意識のうちに自分が望むABを書かなくなっていた。
私が好きなABを書いたり読んだりする人は、私がそう自覚する前にみんな、とっくにジャンルを去っていたから、そうなるのも無理はなかった。
だから人の作品を読んで、みんなが望むのは私が望むABじゃないと思い知らされるのが怖かったのだと思う。だから読めなくなった。
そしてある日、決定打が訪れた。
正直仕事ではパワハラを受け、疲弊し、そんな状況で受け止めきれる出来事ではなかった。
AB推しが、ACの作品に、悪意がなかったとはいえ、変なコメントをつけたのだ。
本気でやめてくれと思った。
だから私は、そっとほぼAB用のアカウントになっていたXからログアウトした。落ち着きたかった。
落ち着いてよく考えても、やっぱり許せなかった。
それと同時に、そのアカウントから通知が来ず、そのアカウントを見ない生活は酷く楽だった。
自分の人生を犠牲にしてまで、自分の精神を犠牲にしてまで、約束している分のABを書き切ることに価値はあるのか?
ない。
今度こそ私は、落ち着いた判断を下せた。
それに……AやBのこと、彼らの関係のことが嫌いになったわけじゃない。
20年忘れられなかったジャンルなら、彼らのこと自体は好きなまま、墓場まで持っていきたかった。
だから私は……約束していた人にだけごめんなさいと連絡して、返信を確認して、ずっと使ってきたXのアカウントをそっと消した。
誰かのせいにしたいわけじゃない。
確かに決定打は一人の人の行動だったかもしれないけれど、自分のせいであるところが一番大きいと思うので、今こんな風に記録を残している。
本稿は、任天堂のキャラクター「デデデ大王」の名前において繰り返される三音節「デデデ」が持つ意味論的・認知的意義について、George Lakoffの認知意味論をもとに検討するものである。特に、音象徴・プロトタイプ効果・繰り返しによるカテゴリー化の効果を取り上げ、「名前の意味は何を喚起するのか」を考察する。結果として、「デデデ」は単なるナンセンスな響きではなく、繰り返しの中にキャラクター性を示す象徴的機能を持つことが示唆される。
本稿は増田が2025年6月15日および16日の両日を利用して独自に執筆したものであり、その著作権は筆者本人に帰属する。
「デデデの大王」は、ゲーム『星のカービィ』シリーズに登場するキャラクターであり、名前の構造は極めて特徴的である。「デ・デ・デ」という音の繰り返しは日本語話者にとって非語彙的であるにもかかわらず、一定のキャラクター性を直感的に伝える。このような名前がいかにして意味を形成しているのかを明らかにするために、本稿ではレイコフの認知意味論を枠組みとしつつ、「繰り返し音」の認知的・意味的機能を分析する。
レイコフの認知意味論は、言語の意味を辞書的定義によらず、人間の認知構造や経験的スキーマと結びつけて捉えるアプローチである。代表的な理論に、以下がある:
•プロトタイプ理論:カテゴリーの中心的な例(プロトタイプ)を基に意味を構成する。
•フレーム意味論:語の意味は、それが位置づけられる知識の枠組(フレーム)によって決定される。
•概念メタファー理論:抽象的な意味も、身体的・経験的な領域からの比喩により理解される。
言語音には、感情や物理的特性を喚起する象徴的効果(例:「ポチャ」「ズドン」)がある。また繰り返しは、幼児語や感嘆詞などでしばしば使われ、親しみや滑稽さを喚起する。
破裂音[d]と母音[e]の組み合わせは、日本語において強さや鈍さを想起させる音素であり、「デブ」「ドスン」「ドテ」など重量感を示す語彙と共通する。このため、「デデデ」は聴覚的に「重さ」「鈍さ」「滑稽さ」を自然に連想させる。
三回の反復は、言語認知において特異な効果をもたらす。二回では反復と認識されにくいが、三回以上で「パターン」として認知され、プロトタイプ的な「ふざけた名」「コミカルな人格」の中心像を形成する。たとえば、「ドドド」や「バババ」などと同様、「デデデ」は“過剰性”を表し、そのキャラクターの非日常性や権威の滑稽さ(王でありながら間抜け)を示す。
「デデデの大王」という構文は、「大王」という威厳ある語と、「デデデ」という非語彙的な三重音との間に強いコントラストを作る。フレーム意味論的に見ると、王族・支配者フレームに対して、「デデデ」という名はそれを滑稽化・解体する音韻的装置となっている。
「滑稽さ=繰り返し」「強さ=重い音」という音象徴的比喩により、デデデ大王というキャラクターは「力強くて偉そうだが、どこか憎めない存在」という複合的なメタファーを体現していると考えられる。これは、レイコフが言う「メタファーは我々の思考そのものを形作る」という命題に対応する。
「デデデ」という名称は、非語彙的なナンセンス音でありながら、音象徴・繰り返し・フレーム破壊・メタファー効果など複数の認知的機構を通して、キャラクターの核を象徴する強い意味を生成している。これはレイコフが提唱した、語の意味が辞書的定義によらず、体験的スキーマや認知的プロトタイプによって形成されることの好例といえる。
「デデデの大王」の三文字は、単なる語感の選定ではなく、認知的にはキャラクターの“意味”を作り出す中核装置となっている。言語の意味は「意味内容」だけでなく「響きそのもの」や「反復の形式」によっても形作られる。これはレイコフが主張する「意味は身体化されている(Embodied)」という概念とも合致する。今後は他のキャラクター名との比較を通じ、繰り返し音の文化的・意味論的傾向をより広く探ることが求められる。
参考文献
• Lakoff,George. (1987). Women,Fire, and Dangerous Things: WhatCategories Reveal about the Mind. University ofChicago Press.
• Johnson,Mark & Lakoff,George. (1980). Metaphors WeLiveBy. University ofChicago Press.
まぁぶっちゃけコースがあるおもちゃ屋があるとか児童館があるみたいな環境じゃないと手を出しづらいし
あの頃って今と違って基本的に自分で組み立てるホビー(ビーダマンとかベイブレードとか)が流行ってたし
そこらへんに興味がないとイマイチ乗らんわな。
とはいえ、時間が無いけど気分転換したい時は手を動かすと良いぞ。
自分はミニ四駆作ったり改造して10分くらい手を動かすと結構メンタルリセット出来て楽しい。
マジで歳食うと仕事の量とか責任増えてやりたい事出来なくなったりするし、
仕事終わってない時間に配信者がゲームとかリスナーと遊んでたりすると疎外感感じたりしてメンタルにもよくなかったりするよな。
そういう時はちょっと手を動かす趣味みたいなのがあるとマジにオススメやで。
ここでゲームとかになっちゃうと逆に疲れちゃったり時間取れなくて楽しめなかったりするからね。
走らせる予定が無くて本当に適当に組んでみたいなら次の3つがオススメ。
これはコースを走らせるのではなく公園とかで走らせる用のミニ四駆なんだけど、流石タミヤ。
しっかりした造形でカッコいいランクルが作れる。シール多いけどリアルなビニールシールだからかなり貼りやすい。
超オススメ!
◆ミニ四駆PROシリーズ No.41シューティングプラウドスター
これはレース向けシャーシのミニ四駆なんだけど、塗装も無しにパチ組しても超絶カッコいいからオススメ。
ミニ四駆の代名詞ともいえる初代アバンテのミニ四駆。復刻して手に取りやすい今だからこそ楽しめる名車!
ちょっとカラーリングが足りないので百均で金とか銀のマーカーを用意してチョコっと塗るだけでめっちゃカッコよくなる・・・。
どのミニ四駆も基本的にニッパーとドライバー(ランクルはドライバー不要)だけど、百均とかで手に入る工具で
ラジオとか音楽を流しながら、ちょっとお酒とおつまみ片手にのんびりプラモを作ってみる・・・
あと12時間でゴルゴ13の無料閲覧が終了するので、既読作品のメモでも残すことにした(未読やうろ覚えの分をコツコツ読んでたが、寝食の時間を潰しても完了しそうにないので読み進めるのは諦めた)。
名作はコメやトラバでだいたい紹介されてるので、ネタ枠、コミカル、荒唐無稽、シリアスな笑いの回が主。
"標的の婚約者を力ずくで犯し、助けを求める彼女の声の録音を使って標的を動揺させるという、シリーズ史上最も卑劣といえる手段を取る""公式自ら「問題作の一つ」と言ってしまうほど""ネット上の書き込み「スージーに謝れ」は、この事件を指してるんですよ"(onihei-fan.comより)
「狙撃は成功です。大統領は死亡しました。」「ちょっと待て、モロー。目は二だぞ。……それなのに成功と判定されるのか⁉」「このスナイパーの狙撃成功率は、九十九%以上です。だから目が二以上なら、狙撃成功の判定です……」「よしっ、ポーランドに対し、宣戦布告する!」「ワルシャワに向け核ミサイルを発射‼」
「トーゴ・ロドリゲス、住所不定、無職。昨日、刑務所を出たところだよ……」「いったい、何をやった?」「自動車ドロ。それが運悪く、覆面パトカーだったんだ……」
"ゴルゴは面倒事を避けたいがために、わざと的をはずし、掛け金を支払い立ち去ろうとする/わざわざ賭け金を返そうとゴルゴを追いかける人柄にクスリと笑えてしまう""サポート役で登場する修道女も、ネジが一本抜けていてクスッと笑えるわ"(onihei-fan.comより)
「コ、コンピュータさえ不可能と出したプールを利用しての跳弾の角度を……い、いったいどうしてっ⁉ な、波だっ‼ 女たちの作る波の角度を、利用したんだっ‼……」「(跳弾の角度が変化した理由)入射角度 - (盛り上がった)波 - 反射角度」
「澱粉粉で作った軽い弾丸は、自身の運動エネルギーで飛距離を伸ばす事は、出来ない……」「敷地外からの狙撃には南側が一番近いが……だめだよ、それでも約五キロだ」「積乱雲あるところには……高度一万メートルにまで吸い上げるような、強い暖気の流れがある……その流れに乗せればっ‼……」「ポチャ!」
「……第五区の実験体はどうされますか……?」「水泳を好まぬ同志など考えられぬ!」「うむ、処分するよう手配しろ!」「君は漢卑が毛沢東のクローンを作りだし、真の社会主義革命を起こすために、育てているというのかねっ⁉」
"深く考えれば考えるほどキャラ立てとして絶妙""「俺に任せろ」と恋人をベッドに誘う下りは/「彼の行動を止めたいが愛しているので止められない」「30年以上の年月の重み」「この悪党はこうして話を有耶無耶にしてきたんだろうなあ」と、色々と想起させる名キスシーン""彼の死体を前に涙しつつも/インタビューでは「彼の指揮していたプロジェクトは慎重に対応していくつもりです」と、切り捨てる(ゴルゴによる警告で恋人のみが真実を知っている)ドライさも、かえって悪党に対する愛情を感じさせた"(@Higashide_Yuより)
「今や海外支部は何十にも達し、ニンジャの弟子達は総勢、20万人を越えています。」「その誘拐犯達が、ニンジャの総本部から分家した蛭田一派です!」「それを知った日本の総本家の師匠が、ニンジャのプライドに関わると、ゴルゴ13に依頼した様です……」
"「女が自分でブティックのドアを開けるものではない」と自ら扉を開いたり、食事の席では「野性的な印象に似合わない何て繊細なテーブルマナーだろう…まるで精密機械のよう…」と相手に思わせたり。女性の目を通したゴルゴの魅力が描かれていて新鮮でした""ラストシーンでは、ゴルゴがなんとも言えない複雑な表情をしていて、驚きました""夏さんが女性視点から描いた脚本を、さらに優しくロマンチックにアレンジしたというさいとう・たかをさん"(朝日新聞特集記事より)
"この美女はそのような、か弱い女ではなく、過激・危険・凶暴の3K花嫁である""記念すべき第600話。『プレイバック』のディアナに勝る、気違い女が登場するわよっ(怒)"(onihei-fan.comより)